新作映画1000本ノック 2020年3月

Knocking on Movie Heven's Door


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 「9人の翻訳家/囚われたベストセラー」 「冬時間のパリ」

 

「9人の翻訳家/囚われたベストセラー」

 Les traducteurs (The Translators)

Date:2020 / 03 / 30

みるまえ

  この映画のことはまったく知らなかった。いつの間にか公開されていて、どうやらヨーロッパ製のミステリー映画らしいということしか分からない。だが、「翻 訳家」とか本の話と来ると、今の僕にはググッと興味が湧いてくる。それにヨーロッパ製のミステリー娯楽映画って、先日たまたま見たドイツの「カット/オ フ」(2018)も面白かったし、結構イケるんじゃないだろうか。ハリウッド映画はマンガの映画化ばっかりで、大人の娯楽映画がなくなってしまった。今の 僕の気分としては、ヨーロッパ製の娯楽映画を大いに楽しみたい心境である。主演者の中にランベール・ウィルソンやオルガ・キュリレンコなどの知った名前も あるし、ソコソコ楽しめる気がする。そんな訳で、僕はイソイソと劇場へ向ったのだ。

ないよう

  書棚に火が放たれる。おびただしい本に燃え広がり、机の上も炎に包まれる。それは、フランスはノルマンディーの小さな書店での、人けのない闇夜の出来事 だった…。舞台変わってドイツでのブックフェアの会場。その華やかなステージで、巨額の費用をかけた大プロモーションが展開されていた。世界的ベストセ ラー「デダリュス」三部作の完結編「死にたくなかった男」の完成と、その出版権獲得の発表である。アングストローム出版の社長エリック・アングストローム (ランベール・ウィルソン)は鼻高々。さらに効果的なプロモーションとして、この本の全世界同時発売を目論んだ。「デダリュス」はミステリーではあるが、 それに留まらぬ文学作品としての価値を持つ小説。作者のオスカル・ブラックもまた自らの正体を一切明かさず世間にも出て来ない、ミステリアスな人物であっ た。そんな背景を持つ小説の発売にはうってつけの、いささか大げさなプロモーションではあった…。それからまもなくのこと、この本の各国語版の翻訳担当者 が次々にフランスに集結していた。やがて彼らはリムジンでフランス郊外の豪邸へと連れて行かれる。その場で携帯や録音機などをすべて取り上げられ、アング ストロームの助手であるローズマリー(サラ・ジロドー)の案内で地下へと案内される。何とこの豪邸、現在のオーナーであるロシアの大富豪の手で、地下には 巨大なシェルターが作られていた。「デダリュス」完結編をこのシェルター内に翻訳家たちを監禁して翻訳し、徹底的に機密保持を行おうという計画である。集 められた翻訳者たちは、国も違えば年齢性別キャラクターともに多士済々な顔ぶれ。ロシア語担当のカテリーナ(オルガ・キュリレンコ)は自らも「デダリュ ス」の作品世界に心酔し過ぎて、作中に出て来るヒロインになりきった服装での登場。ドイツ語担当のイングリット(アンナ・マリア・シュトルム)は、そんな カテリーナを冷笑的に見つめていた。イタリア語担当のダリオ(リッカルド・スカマルチョ)は外向的なキャラクターで、彼らを迎えたアングストロームに親し げに近づこうとする。スペイン語担当のハビエル(エドゥアルド・ノリエガ )はドモリ癖があるせいかオドオドしている男で、なぜか片腕を負傷してギプスをはめていた。ポルトガル語担当のテルマ(マリア・レイチ)は、丸刈りの頭に 首筋のタトゥーといういささかヤバい出で立ち。今回のカンヅメ仕事のせいで副業をクビになったため、大いに苛立っていた。中国語担当のチェン(フレデリッ ク・チョー)は中国人といってもフランス生活が長く、モダンでダンディな男。デンマーク語担当のエレーヌ(シセ・バベット・クヌッセン)はこの仕事がチャ ンスとばかり、夫に無理を言って幼い子供3人を置いてフランスにやってきた。ギリシャ語担当のコンスタンティノス(マノリス・マヴロマタキス)は皮肉っぽ く斜に構えた態度の男で、今回の仕事もカネのためと言ってはばからない。そして彼らの中で最年少の英語担当アレックス(アレックス・ロウザー)は、いつも スケボーを手放さないような奔放なアンチャンだ。この9人が、今回の翻訳者としてシェルターに招かれた人々である。シェルター内には翻訳の仕事に必要なさ まざまな資料や文献が揃っているだけでなく、プールがあり、好きなだけ見ることができるふんだんな映画ソフトがあり、ボーリング場があり、さまざまな美食 が用意されていた。だが、仕事が終わるまで一歩も出ることができないという点では「監禁」には違いない。「オイシイ仕事」に誘い出されてやってきたもの の、いざとなってみるとアングストロームやら周囲のロシア人ボディガードたちの高圧的な言動に、辟易せざるを得ない翻訳者たちだった。彼らは毎日、作業用 の部屋に集められ、その日のぶんの原稿を受け取る。こうしたプロセスで1か月で翻訳して、あと1か月で推敲するというスケジュールである。連日、黙々と作 業が続く。ある日、カテリーナがアングストロームの部屋に呼ばれると、彼はちょうど隣の部屋で電話をしているところ。そしてカテリーナは、目の前に原稿が 入ったままのアタッシェケースが放置されていることに気づく。原稿すべてを見ることができる絶好のチャンスを、みすみす見逃せるカテリーナではない。彼女 はアタッシェケースに飛びつくと、何とかそのカギを開けようと四苦八苦。あまりに熱中したあげく、電話を終えて部屋に入ってきたアングストロームに危うく 見つかってしまいそうになる。何とかカギを開けようとしていたところをバレずに済んだカテリーナだったが、果たして彼女は原稿を目にすることができたのだ ろうか…。そんな翻訳作業が続く日々、クリスマスの夜がやってくる。連日の仕事の中で親しくなった翻訳者たちは、あのローズマリーを呼んでパーティーを開 いた。作業は順調に進み、彼らの仲も和気あいあい。すべてはうまくいっているかのように見えた。だが、その翌日に事件は起きた。アングストロームのスマホ にあるメッセージが届いたのだ。それは、彼への脅迫のメッセージだ。「原稿を10ページだけネット上に流出させた。24時間以内に500万ユーロを支払わ ないと、さらに100ページ流出させるぞ!」…。

みたあと

  本作の体裁は、どう見ても欧州製の娯楽大作だ。9人の翻訳者をはじめとするキャスト陣は、僕にはランベール・ウィルソンやオルガ・キュリレンコなど何人か しか知らない顔ぶれだが、どうやらヨーロッパではオールスター・キャストなのだろうか。分からないなりにも、そういう布陣で集められた役者さんたちに見え る。強いて言うなれば、かつての角川映画で作られていた横溝正史原作の金田一耕助シリーズみたいなものだろうか。
ここからは映画を見てから!

みどころ

 そんな訳なので、本作は純粋に娯楽映画として作られている。日本に入って来るヨーロッパ映画では、リュック・ベッソン・プロデュースの作品など以外では珍しいパターンだ。だが、今年はたまたまヨーロッパ製の純粋な娯楽映画をいくつも見る機会があった。ドイツの「カット/オフ」 (2018)もそうだし、イタリアの「霧の中の少女」(2017)もしかり。いずれもサスペンス・スリラーの形式であることも面白い。だが、本作はそれら の中でも抜きん出て娯楽色の強い作品に見える。別の言い方で言えば「商業性」が強いとでも言おうか。設定がユニークなので、まずはアイディア賞的な楽しさ がある。二転三転するお話も面白い。だが、僕にとっての本作は、とにかくランベール・ウィルソンに尽きると言うべきだろう。典型的二枚目フランス俳優の ウィルソンは、実は初めて頭角を現したのはアメリカ映画でのこと。フレッド・ジンネマンの遺作、ショーン・コネリー主演の「氷壁の女」(1982)がそれ である。調べてみたところデビュー作はジェーン・フォンダとヴァネッサ・レッドグレーブ主演の「ジュリア」(1977)とのことなので、ランベール・ウィ ルソンは巨匠ジンネマンが晩年に見いだした俳優ということになる。こうした出自を持つウィルソンゆえに、彼はそのキャリアの当初からフランス映画とアメリ カ映画の間を自由に往来するユニークなポジションの俳優となった。そのため、彼はクリストフ・ランベールやクリスティン・スコット・トーマスらと共通す る、稀有なキャリアを築くことになる。僕が見たウィルソンの作品は決して多くはないが、ブルック・シールズ主演でアラブのプリンスを演じた「サハラ」 (1983)は彼の美男ぶりをうまく活かした作品だった。さらにアンジェイ・ズラウスキー監督の「私生活のない女」(1984)、ブノワ・ジャコ監督の 「肉体と財産」(1986)、アンジェイ・ワイダ監督によるドストエフスキー作品の映画化「悪霊」(1988)、カルロス・サウラ監督の「エル・ドラド」 (1988)、そしてアラン・レネ監督のミュージカル仕立ての作品「恋するシャンソン」(1997)、「巴里の恋愛協奏曲」(2003)と、何と大ヒット 作品の続編「マトリックス・リローデッド」(2003)、「マトリックス・レボリューションズ」(2003)。何とこの人は「キャットウーマン」 (2004)なんてのまで出ちゃっているからビックリ。残念ながら僕はこの人のフランス映画での代表的な作品をことごとく見逃しちゃっているので、本当は ランベール・ウィルソンという俳優を語る資格などない。それでも彼をスクリーンで見るといつも抜群の存在感を感じる、そんな不思議な俳優だ。今回は完全 に、僕はランベール・ウィルソンを見たくて本作を見た。強欲な出版社社長を演じる彼は、またまた抜群の二枚目ぶりを発揮。何ともスクリーン映えする役者な ので、彼が出ると映画が豪華になるのだ。面白いのは、「冬時間のパリ」(2018)のギヨーム・カネと同じく甘いマスクの二枚目がイチローみたいな無精ヒゲを生やしていること。向こうの出版社社長というと、みんなこのタイプなんだろうか(笑)? さらに、本作にはもう一人注目の役者が出ていた。これが何と「オープン・ユア・アイズ」(1997)や「デビルズ・バックボーン」(2001)で強烈な印象を残したスペインのスター、エドゥアルド・ノリエガだったからビックリ。近年はスッカリ見なくなってしまって、最近珍しく見かけたと思ったら、シュワルツェネッガーの復帰作「ラストスタンド」 (2012)での悪役といった案配。何で彼がわざわざハリウッド映画に出たかと思ったら、こんな映画なんだろうねぇ。だから、ヨーロッパ映画で健在な彼を 見ることができて僕としては安心した。しかし久々のノリエガは、セクシーな役者からクセモノのオッサン役者へと一変していて、最初僕は彼とは分からなかっ た。これもサプライズと言えばサプライズだろう。そんな訳で、本作はお話の面白さもさることながら、僕にとってはこうした役者を見る楽しみに満ちた作品と なった訳である。

こうすれば

 ただし、確かにお話は面白いのだ が、お客をミスリードしたりどんでん返しを仕掛けたりするために、かなり無理をしてシナリオを作っているきらいがある。だから、登場人物たちの言動にあち こち不自然さが生じているのだ。いくら強欲で傲慢な男で原稿流出に焦っているとはいえ、ウィルソン扮する出版社社長が自ら招聘した翻訳者を脅したり、中の 一人が秘かに書いていた小説を侮辱したあげく目の前で焼き捨てたりするのは、ハッキリ言ってやり過ぎだし不自然だろう。あげく拳銃まで取り出してブッ放す など論外である。だからスリリングな展開も、無理矢理さがあり過ぎなのだ。所詮は横溝正史原作の角川映画もどきなのだから、その程度でいいのかもしれないのだが。 まぁ、つまりは本作は「そういう」映画である。底の浅さは見逃せないが、元々がそういうもんだと思って楽しむべきだろう。オールスター的なキャスティングにしているの も、つまりはシナリオにそれぞれのキャラクターへの描き込みが足らないからだ。俳優の個性でそれを補おうとしているのである。

さいごのひとこと

 あまりキャストの国際色が活かされず残念。

 

「冬時間のパリ」

 Doubles Vies (Non-Fiction)

Date:2020 / 03 / 30

みるまえ

  「冬時間のパリ」…何ともナゾな邦題だが、これは本作がジュリエット・ビノシュ主演、オリヴィエ・アサイヤス監督という「夏時間の庭」(2008)のコン ビの作品…ということでついたもので、ほとんど意味はないみたいだ。僕はこの「夏時間」の方は見ていないのだが、やはりビノシュ=アサイヤスのコンビで 撮った「アクトレス/女たちの舞台」 (2014)を見て、大いに感心したクチである。だから、これは見なくちゃ…と思ってはいた。正直に言うと、オリヴィエ・アサイヤスという監督は大昔に 「イルマ・ヴェップ」(1996)というスットコドッコイな映画を見て、すっかり閉口させられていた。それ以来、まったく見る気のない監督だったのだが、 コワゴワ見た「アクトレス/女たちの舞台」は本当に素晴らしかった。だから、この二人が組んだ新作は大いに楽しみだったのだ。しかも、今回はちょっと出版 業界の話が出て来るというではないか。そうなると、そこに片足突っ込んでいる僕としてはますます興味のわくところ。ところが、本作が公開されても見に行く タイミングがなかなか合わない。ようやく劇場に滑り込んだのは、最終日の最終回というアリサマ。感想はさらに遅れてしまうというテイタラクである。

ないよう

 出版社の編集者アラン (ギヨーム・カネ)のもとに、作家のレオナール(ヴァンサン・マケーニュ)がやって来る。アランとレオナールはもう古い仲なので世間話に花が咲き、アラン は目下の悩みである出版不況とデジタル化の波のことを語る。だが、レオナールが足を運んだ理由はただ一つ。すでにアランに原稿を提出していた、新作小説の 出版についての打合せだ。だが、話が本題に入ろうというところで、アランはレオナールを近くのカフェへと連れ出す。そこで具体的な出版の話が出るかと思え ば、アランはどうやらこの新作があまり気に入っていないようだ。ストーリーは、レオナールの毎度おなじみ私小説もどき。不倫ネタというのもイマドキ流行ら ない。同じような話でも旧作にはもうちょっと何かいいのがあった気がするのだが…などと話しても、レオナールは新作について一歩も譲らない。話は平行線を 辿って空転するばかり。こうしてカフェからアランの会社に戻ってきた二人だが、結局出版の話はどうなるのかレオナールが聞きただすと、アランは「さっき言 わなかったか?」とトボケた末に、ようやくズバリと切り出した。「アレを出版する気はない」…。やがてアランは、自宅でのホームパーティーに合わせて帰 宅。出迎えたのは、パーティーの準備をする妻セレナ(ジュリエット・ビノシュ)。彼女はテレビの警察ドラマで主演を張る女優だ。気の置けない友人たちを招 いてのホームパーティーでは、いち早くネットの波に乗って成功した作家の話からまたしても書籍デジタル化の話へ。その場にいたヴィクトリーヌ(シグリッ ド・ブアジズ)も若い世代だけにデジタル大賛成だ。むろんアランもその波に乗らなくては…と思ってはいるのだが、今ひとつ煮え切れない。そんなパーティー が終わって友人たちが帰った後、セレナはレオナールの新作の話を切り出す。レオナールは夫婦の友人であり、新作原稿はセレナも目を通していた。この新作を セレナは買っているようだが、アランは出すつもりはないとキッパリ告げるのだった…。翌朝、レオナールの自宅では彼が妻ヴァレリー(ノラ・アムザウィ)に 新作が突っ返された話をするところ。レオナールとしては失意の自身を大いに慰めてもらいたいところだが、多忙なヴァレリーはそれどころではない。彼女は政 治家ダヴィッドの秘書として、選挙のことで頭が一杯なのだ。新作の話をアッサリかわして慌ただしく出かけるヴァレリーに、レオナールは唖然呆然だ。また、 アランは出版社のデジタル担当者として雇ったロール(クリスタ・テレ)と打合せ。だが、ロールの「デジタル礼賛」一辺倒の話に、アランは少々複雑な思い だ。一方、警察ドラマの撮影現場でランチタイムに共演者と雑談するセレナは、彼にふと夫アランが浮気しているらしいと口走る…。また、レオナールは書店で の宣伝イベントに引っ張り出されるが、そこでファンに「実話モデルの小説を書くのはいかがなものか」と詰め寄られる。レオナールは元妻のことなどをネタに 小説を書く常習犯で、すでにネットでは「炎上中」だったのだ。そんな告発を受けて、レオナールはもはやグウの音も出ない…。アランはアランで、ロールと一 緒に地方都市での講演に呼ばれ、その夜はホテルでロールの部屋に忍び込む。アランとロールは、実は「そんな仲」だったのだ。しかし、アランとロールがデジ タル書籍をテーマにしたティーチインに出席すると、世の中デジタル一色のムードでアランはタジタジだ。だがそんな頃、ホテルの一室ではレオナールとセレナ が一戦を交えていた…。

みたあと

 「アクトレス/女たちの舞 台」が素晴らしかったオリビエ・アサイヤスとジュリエット・ビノシュのコラボ再び…それに惹かれて見に行った本作。ただ、内容については「出版が絡む話」 としか知らなかった。ただ、ビノシュ主演…と思っていたら、ビノシュはアンサンブルの一人に過ぎないではないか。二組の夫婦にまつわるアレコレを会話で綴 るお話。どこか不可思議な話だった「アクトレス〜」と比べると、こっちは非常に分かりやすい。ハッキリ言って、通俗的なコメディなのである。
ここからは映画を見てから!

みどころ

  冒頭でも述べたように、僕はアサイヤス=ビノシュで評判になった「夏時間の庭」を見ていないので、これを意識しているはずの邦題をつけた本作との比較はで きない。ただ、アサイヤスって今まで軽いタッチのコメディなんかやってたのかね? 本作は前述したように二組の夫婦にまつわるアレコレを描いたコメディ で、ズバリと言えばウディ・アレン風の軽妙な作品である。ただ、フランス映画にも関わらず、アレン作品よりスノッブ要素は薄めで意地悪でもないのが意外 だ。割と暖かめのコメディなのである。出版に押し寄せるITの波…みたいな話も出てきて僕としては身につまされる点もあったのだが、本作はむしろその波に 「乗り切れない」側の人々を描いているからよく分かる。しかもこの手の作品にありがちなパターンで、その波を否定して「けしからん」とドヤ顔する訳でもな い。新しい波は新しい波で到来することは必然だとしながら、それでもなかなか「ノリ切れない」人々のホンネを描いて共感を呼ぶのだ。劇中で、ヴィスコン ティの「山猫」(1963)のセリフ「変わらないために変わらなければならない」を引用しているあたりもグッと来る。いつも辛辣に見えるヨーロッパ人もホ ンネと建前はあるのだな…と思わされたり、カッコつけてもコッケイな姿をさらしたりするあたりも秀逸。不倫中の作家が、本当は「スター・ウォーズ」を見た のにハネケの映画に美化して自作の小説に書いているあたりなど、思わず吹き出してしまう。だが、それをシビアに見つめるのではなく、暖かい目で見てあげて いるあたりが嬉しいのだ。デジタル推進派の娘が口を開けばデジタル…なのに、実はその父親が作家であるせいか紙への愛着が捨てがたいんだろうと指摘されり くだり、人への共感が感じられて微笑ましい。本当に見ていて好ましいのである。終盤に、オーディオ本のナレーターをジュリエット・ビノシュに頼もう…など とビノシュがセリフでしゃべるあたりも爆笑である。こんなこなれたコメディを撮れるなんて、オリビエ・アサイヤスすっかり感心してしまった。

さいごのひとこと

 最近ウディ・アレンもヤバいからアサイヤスで代用か。

 


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