新作映画1000本ノック 2019年12月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「イエスタデイ」 「グレタ」 「ジェミニマン」 「真実」 「残された者/北の極地」 「国家が破産する日」 「ターミネーター/ニュー・フェイト」 「ガーンジー島の読書会の秘密」

 

「イエスタデイ」

 Yesterday

Date:2019 / 12 / 30

みるまえ

  この映画の話はかなり前から聞いていたし、評判の高さも知っていた。ストーリーももちろん知っていた。売れないミュージシャンの男が「ある異変」の後で ビートルズのない世界に迷い込んでしまったことを知り、ビートルズの曲を自作曲と偽って売り出したところ大成功、しかし…というお話。パラレル・ワールド みたいな話は、「これってもしかして」「オレたちは夢の中で」「入れ替わってるぅ〜?」…みたいな映画をはじめ(笑)今日びザラにあるし、特に日本あたり は得意ジャンルかも。昔からビートルズには思い入れのある僕としては見たくなる話ではあるが、問題はこれがダニー・ボイルの監督作品で脚本はリチャード・ カーティスという布陣であること。これってどうなんだろう。もちろんこの両者が手を組むってのは非常に強力だが、この二人ってウマが合うのかね? どちら かと言えば音楽ネタでラブ・ストーリーらしくて、なおかつちょっとSFチックな趣向があるあたりは、「パイレーツ・ロック」(2009)や「アバウト・タイム/愛おしい時間について」 (2013)なんて監督作品があるリチャード・カーティスっぽいネタだ。だが、ラブストーリーやコメディを得意とするカーティスと、クセのあるボイルって どうなんだ。ボイルには「127時間」(2010)みたいに結構エグい作品もあるからねぇ。そんな訳で、後回し後回しにしているうちに上映終了が迫って来 たので、思い切って劇場へ駆け込んだ次第。

ないよう

  商店街のど真ん中でギターを弾きながら歌う男、その名はジャック・マリク(ヒメーシュ・パテル)。だが、彼の歌を聞く者はほとんどいない。そもそも人がま ばらだ。ある時は海辺で、またある時はライブハウスで、頑張って歌うジャックではあるが、どこでも誰も聞いていない。いつもそこにいるのは、幼なじみでマ ネージャーを買って出てくれているエリー(リリー・ジェームズ)。ライブハウスでは少しマシで、エリーの他にニック(ハリー・ミッチェル)、キャロル(ソ フィア・ディ・マルティーノ)、ルーシー(エリース・チャペル)といったお仲間が来てくれた分、いくらかは賑わいだ。だが、ニックが「アンコールは『サ マー・ソング』で!」などと声をかけちゃうあたり、お仲間ですらライブを聞いていなかったのがバレバレ。ジャック十八番の自作曲「サマー・ソング」は、つ い今しがた演奏したばかりだ。店の誰もが曲を聴いていないミジメさに、心折れそうなジャックではあった。それでも凹むジャックを励ますエリーは、さらに彼 に朗報を伝える。巨大な野外ロック・フェスの片隅ではあるが、小さいテントで演奏できるという「いい話」が飛び込んで来たというのだ。今度こそこれはビッ グチャンスかも?…と勢い込んで乗り込んだその会場は、小さいテントにも関わらず客がガラガラ。これまでにないほどの空きっぷりに、ジャックのメンタルも 完全にやられてしまった。会場から引き上げる際、思わず「足を洗う」ことを口走るジャック。その決心は、エリーのクルマに乗っていても変わらなかった。エ リーは何とか決心を翻させようとしてみたものの、気持ちは変わらないままクルマを降りるジャック。彼は停めておいた自転車に乗り換え、自宅への道を急ぐ。 だが、それが運命の分かれ道だった。自転車で家路を急ぐジャック。街中を走る路線バス。そこに「異変」は起こった。全世界あらゆる地域で、いきなり停電が 起きた。もちろん、イギリスにも起きた。ジャックが自転車を走らせる、ありふれた街にも起きた。何か起きたか知らないが、どんどん街頭も建物の灯りも消え ていく。それはロンドンだけじゃなかった。モスクワもニューヨークも東京もパリも…全世界に漆黒の闇が訪れた。その瞬間、ジャックの自転車とバスの進路は 交差点で交錯。あっという間もなく路上に投げ出されるジャック。その暗黒はすぐに終わったものの、明るくなった時にはジャックは気絶して倒れていた。慌てて彼を助けようと 交差点に集まってくる人々…。気がつくと、ジャックは病院のベッドに横たわっていた。心配して駆けつけてくれたエリー。だが不幸中の幸いで、ジャックは前 歯2本を失ったぐらいで大事には至らなかった。ニュースではナゾの全世界大停電について報じられていたが、それもつかの間のことである。こうして病院を無事に退院したジャックに、仲間たちが快気祝いをしてくれることになる。その場でエリーから プレゼントされたのは、事故で壊れてしまった代わりとして新品の素晴らしいギター。だが、もう音楽から足を洗おうとしていたジャックにとっては、いささか 複雑な気分になる贈り物だった。そこでジャックは自虐的に「いいギターではいい曲を弾かないと」と自らの曲ではなくビートルズの「イエスタデイ」を弾き語 り。さすがにポール・マッカートニーの名曲。その場の仲間たちはみんなうっとり…と、ちょっと様子がおかしい。「素晴らしい曲」と感動するのはいいが、み んな初めて聞いたかのように感動し過ぎ。おまけに「なぜ今までこの曲をやらなかったんだ?」と言ってくる始末。まるで「イエスタデイ」がジャックの新曲で あるかのような言い草に、ジャック自身は狐につままれたような気になって来た。それも、みんな大真面目でそう言ってくるのだ。ジャック自身はみんなが仕組 んだドッキリか何かのような気がして、どうにも会話が噛み合ない。「ビートルズ? 何それおいしいの?」的なやりとりに、ただただ当惑するジャック。結 局、エリーともその件で気まずく別れたジャックは、何ともスッキリしない思いで帰宅する。なぜ誰もビートルズを知らないのか? まさか…と思いながらパソ コンを起動、ネットでビートルズを検索する。だが、出て来るのは「カブトムシ」だ。何度やっても「カブトムシ」。そのうち、別の言葉が出て来ると思えば フォルクスワーゲンの「ビートル」である。ジョンとポールを検索しても、出て来るのは「ヨハネ・パウロ二世」。大いに混乱するジャックだったのだが、ここ で彼は、ある事実を納得せざるを得なかった。どうやらこの世界には「ビートルズ」が存在しない。だから、誰も「イエスタデイ」を聞いたことがなかったの だ。そして次の瞬間、ジャックの脳裏にとんでもないアイディアが浮かんでしまう。彼はそれについてしばらく悶々と悩んでいたが、結局そのバカげたアイディ アを「やってみるか!」と実行に移すことを決断する。果たしてその決断とは…。

みたあと

  もちろんその「決断」とは、ビートルズなき世界でビートルズの曲を発表すること。これから先の物語については実物の映画で見ていただきたいが、何となくど うなるかは想像がつくだろう。それでも本作は、何よりも「ビートルズなき世界でビートルズの曲を唯一知っている人間がそれを逆手にとって…」というアイ ディアがミソの映画だが、そんなシチュエーションの映画を前にどこかで見たことがあったな…と思ったら、あったあった。フランシス・コッポラの「ペギー・ スーの結婚」(1986)。キャスリーン・ターナーとニコラス・ケイジが主演で、コッポラが「ワン・フロム・ザ・ハート」(1982)の大失敗から請負仕 事の監督作品を連発していた頃の作品である。詳しいストーリーは省略するが中年のヒロインが高校時代に戻ってしまう一種のタイムスリップ物語で、彼女は後 年にはダメ男になってしまう恋人を何とか成功させようと、彼にその時代にはまだ誰も知らないビートルズの曲を教えてやる。しかし彼はやっぱりダメ男で、 せっかくのビートルズの曲に自分なりの「改良」を施して台無しにしたりする(笑)…というエピソードが出て来る。つまり、絶対成功する品質保証済みの曲… という位置づけである。本作も、ビートルズの曲だからこそ成立する映画になっている訳だ。ところが本作の感想をネット上で探っていったら、ビートルズが存 在しない世界なら男性ファッションから文化から一切が今日のそれとは異なるはずだし、ローリング・ストーンズだってそのままなはずはないからこの映画はオ カシイ!…などと大真面目に批判しているのがあった。いやいや、そういう問題じゃないから(笑)。こんなシャレが通じない意見は論外だが、本作はSF的に リアリティを追求するお話ではなく、あくまで「例え話」である。そして本作のような物語においては、問答無用で世界の誰にでも「良い曲」「売れる曲」と一 発で分かる曲でなければならない。その条件を満たしているという時点で、ビートルズの曲は本当にスゴいんだな…と改めて感じさせられる。「アマデウス」 (1984)はモーツァルトじゃないと成立しないように、本作はビートルズなしには作れない。本作はそんな作品である。
こ こからは映画を見てから!

みどころ

 この映画の最大の魅力は、もちろんビートルズの曲であることは間違いない。だが、ミソはそれをヒメーシュ・パテルというインド系の俳優に歌わせたことだろう。ここでインド系の役者を持ってくるあたりは、さすが「スラムドッグ・ミリオネア」 (2008)のダニー・ボイルらしいところ。で、この彼がなかなかいいのである。ビートルズの曲をやらせるのに「ビートルズとはかけ離れた個性の男」を 持って来る…というのが、そもそもの発想なのだろう。これがズバリ成功した。彼の歌もなかなかいいのだが、そもそも彼はビートルズのコピーをやっているの ではなく、独自のアレンジで歌っている。それがいい。ビートルズのオリジナルもいいことはいいが、有名過ぎるしみんな聞き過ぎている。聞き過ぎて慣れ親し み過ぎているので、実は僕らはその本当の素晴らしさや価値を忘れかけているのだ。それがヒメーシュ・パテルの歌で新鮮に蘇って来る。ビートルズの歌って良 かったんだよな…と改めて思い知らされるのだ。これが何より素晴らしい。だから、素直にビートルズの音楽が人類のかけがえのない財産だと思わされるし、主 人公や彼と同様にビートルズを忘れなかった人々が「伝道師」のようにそれを保存し伝えたいという気持ちになるのが理解できる。ヒメーシュ・パテルは役者としてもいい感じの「軽さ」があって、リリー・ジェームズとの恋愛模様もなかなか楽しい。その恋愛模様は後半かなりこじれてくるのだが、それをとにかく力業で何とかハッピーエンドに持っていくあたりは、さすが「ノッティング・ヒルの恋人」(1999)、「ラブ・アクチュアリー」(2003)のリチャード・カーティス脚本である。今回のダニー・ボイルとのコラボは幸運なことに、両者の個性がケンカせず微妙に解け合った成功例となった。また、リリー・ジェームズは「シンデレラ」(2015)、「ベイビー・ドライバー」(2017)、「ガーンジー島の読書会の秘密」 (2018)…と毎回イメージの振り幅の大きい女優さんで、今回も従来作品とはひと味違う役づくりだが好感度はますます増してきた。そんな訳で楽しく見ら れる本作。先に「何となくどうなるか想像がつく」と述べたが、お話も後半に入ってからたったひとつ、「アッ」と驚くサプライズがある。以前、ヴィム・ヴェ ンダースの「ミリオンダラー・ホテル」 (2000)でピーター・ストーメアがかなり似せて演じた「あの人物」(実際には「あの人物」その人ではなく、憧れたあまり自分がその当人だと思い込んで いるような男の役だったが)が、いきなり登場してくるのだ。なるほど、ビートルズというものがこの世に存在しないなら、そうなるかもしれない。本作はここ で「この人」というオールマイティ・カードを切ったことで勝負あった。ここで「この人」を出すあたりのアイディアが、さすが才人リチャード・カーティスで ある。ところで、「この人」がパッと出て来た時にあまりに似ていたので驚いたが、もっと驚いたのはこれを演じた俳優の名。映画を見てから知ったのだが、何 とロバート・カーライルが演じているというではないか。この役にカーライル…というのも驚きだが、そもそもカーライルが映画に出て来たこと自体もサプライ ズである。ロバート・カーライルといえば、一時期のイギリス映画で売れまくっていた役者だ。ケン・ローチの「リフ・ラフ」(1991)、マイケル・ウィン ターボトムの「GO NOW」(1995)…そして何よりダニー・ボイルの「トレインスポッティング」(1996)で圧倒的な人気を得た人である。大ヒットした「フル・モン ティ」(1997)も忘れ難い。この時代は、イギリス映画と言えばカーライル…というくらいに売れまくっていた。何しろ007シリーズの「ワールド・イズ・ノット・イナフ」 (1999)で悪役まで演じるようになったのだから、その時期の人気絶頂ぶりが伺える。だが、その「ワールド・イズ・ノット・イナフ」出演以降から、なぜ か急に出演ペースが落ちた。フト気づいたらまったくスクリーンから姿を消して、僕もその名を忘れていたくらいである。だから本作の…一番のキモになる部分 でスペシャル・ゲストとして出て来てくれたのが嬉しかった。いろいろと楽しい本作ではあるが、僕にとっては思わぬカタチでカーライルと再会できたことが最 大の収穫だったかもしれない。

さいごのひとこと

 カーライルって元々「あの人」に似てたっけ?

 

「グレタ」

 Greta

Date:2019 / 12 / 23

みるまえ

  あのニール・ジョーダンの新作がやって来る…と聞けば、僕としてはどうしても見ずにはいられない。どうせ毎度毎度同じことを言っているんだろうが、何しろ 「モナリザ」(1986)と「クライング・ゲーム」(1992)の感動が忘れられない。だから、ジョーダンの新作と聞けば見たくなる。ただし、それ以降は 同じような興奮を味わえていないというのも正直なところ。このサイトを開設してからも何作か新作がやって来たし、中には悪くないのもあったけれど、やはり イマイチ感は拭えない。おまけに最近は新作も日本に来ていない。…と思っていたら、前作「ビザンチウム」(2012)は見逃していた。それにしたって6年 前だから、お久しぶりであることには変わりはない。今回の作品はストーカーじみた女の話らしい。主演はイザベル・ユペールとクロエ・グレース・モレッツと いう興味深いキャスティング。おまけに「クライング・ゲーム」での好演が忘れ難い、ジョーダン作品常連のスティーブン・レイまで出て来るというから嬉し い。今回はなかなか期待できるのではないか。そんなことをしているうちにロードショーが終了。ガックリしていたら、僕が贔屓にしている池袋の小さい劇場に かかっているではないか。もちろん、慌ててその劇場に駆けつけたのは言うまでもない。

ないよう

  ニューヨークの地下鉄から降りて、ゆっくりとホームを歩く女の後ろ姿…。一方、高級レストランではフランシス(クロエ・グレース・モレッツ)がウェイトレ スとしてキビキビと働いていた。その仕事帰りに地下鉄に乗っていたフランシスは、降りようとして前の座席にハンドバッグが忘れられているのに気づく。その バッグを手に取って電車を降りたフランシスは、駅の遺失物係にそれを預けようとしたが、すでに夜遅くで閉じられた後。フランシスは仕方なく、そのバッグを 「自宅」まで持ち帰ってしまう。ただし、彼女の「自宅」はルームメイトであるエリカ(マイカ・モンロー)の部屋。実は最近、フランシスは母親を亡くしてい た。仲良かった母親の死と、そこから早くも立ち直った父への反発から家を出たフランシスは、家を出てエリカの部屋に転がり込んだという訳である。フランシ スが持ち帰ったバッグは、すぐにエリカの好奇の目にさらされることになる。得体の知れないバッグを持ち帰って来たフランシスの無防備さに呆れるエリカは、 早速、勝手にバッグの中を開けていた。中には中年女性のIDカードと薬が少々、そして札束…。キャッシュに目を輝かせたエリカは、これを使って美容のため の「直腸洗浄」に行こう…などとフランシスに持ちかけるが、彼女はそんな誘いには乗らない。「直腸洗浄」する気も他人のカネを使う気もなかったフランシス は、IDカードの住所から持ち主の家を突き止めて直接訪ねることにした。扉を開けて現れたのは、フランス語なまりの中年女性グレタ(イザベル・ユペー ル)。フランシスはグレタの誘いに乗って、家に上がってコーヒーをいただくことにする。途中、隣の家の物音なのかドンドンと壁を叩くような音が聞こえてき たりもするが、グレタはピアノを弾いたりしながらフランシスに親しげに語りかけた。ピアニストで病いに倒れて亡くなった夫のこと、フランスで音楽の勉強を している娘のこと…。ひとりで孤独に暮らすグレタの境遇を聞かされて同情してしまったフランシスは、「犬でも飼ってみたら」と提案するうちについつい自分 の携帯番号を知らせてしまう。驚いたことに、グレタはその日の夜に早速フランシスに電話を入れた。こうしてフランシスは、グレタの犬選びに付き合うことに なる。殺処分寸前のみすぼらしい犬を選ぶグレタを見て、彼女の優しさを信じて疑わないフランシスだった。だが、エリカはそんなフランシスに苦言を呈する。 パーティーに誘ってもフランシスがグレタの家に行くことを優先するので面白くない…というのも事実だが、グレタの他人との距離の取り方もおかしければ、そ の接近して来るスピードも常軌を逸している。それはもはや異常の域だ。そもそもグレタは娘がいない寂しさを紛らわせるためにフランシスを代用しているだけ だし、フランシスも母親の不在をグレタで穴埋めしようとしているのではないか…。だが、エリカに痛いところを突かれたフランシスは、そんな話に聞く耳を持 たない。余計に頑になって、その夜もイソイソとグレタの家に向うのだった。こうして、まるで実の母娘のように仲良く料理を作るグレタとフランシス。その料 理の最中にグレタに頼まれて戸棚に探し物をするフランシスだったが、つい間違った扉を開けてしまったのが運の尽き。何とその棚の中には、フランシスが見つ けたグレタのハンドバッグと同種のモノがしまってあるではないか。しかも、1つや2つでなく何十も…。全部同じバッグで中に入っているものも同じ…わずか なクスリとグレタのIDカードである。しかも薄気味悪いことに、それぞれのバッグにはメモが貼ってある。そこには、それぞれ別の女の名前と別の日付が書い てあるではないか。「それ」が意味するところは、いかに鈍い人間でも容易に想像がつく。真っ青になったフランシスはグレタに気づかれないようにその扉を閉 じたものの、もう食事もノドを通らない。結局、夕食もソコソコにして逃げるようにグレタの家を立ち去るのだった…。その話を聞いたエリカは「やはり」と納 得がいった様子。フランシスもこの時ばかりは彼女の言い分を肯定せざるを得なかった。こうして気をとりなおして、それまでの日常に戻るフランシス。ところ がウェイトレスの仕事の合間にふとスマホを覗いてみたら…そこにはグレタから何十回もの着信履歴が残されているではないか…!

みたあと

  上記ストーリー紹介ではグレタのストーカー行為のほんのはしりで止めているが、ここから彼女のフランシスへの接近はどんどん常軌を失って暴走。親しみを 持っていた人物が徐々に異常になっていく…というタイプのお話としては、ブリジット・フォンダとジェニファー・ジェーソン・リー主演の「ルームメイト」 (1992)やらロマン・ポランスキー監督の「告 白小説、その結末」(2017)あたりを思わせる展開になっていく…。ニール・ジョーダンがサイコ・サス ペンスを手がけるというのはちょっと不思議な気がするが、実はジョディ・フォスター主演の「ブレイブ・ワン」(2009)あたりでこの 不思議な「違和感」 は何となく感じていた。「ブレイブ・ワン」はハッキリ言うとチャールズ・ブロンソン主演の一人自警団モノ「狼よさらば」(1974)の焼き直しみたいな映 画である。「狼よさらば」といえばブルース・ウィリス主演の「デス・ウィッシュ」(2018)としてリメイクされたが、実は「ブレイブ・ワン」は「狼よさ らば」の女性版リメイクといった方が早いような作品である。そのような題材の作品にジョディ・フォスターが主演したのも奇妙だったが、ニール・ジョーダン がなぜこのような映画を手がけたのかも不思議だった。作品の出来自体も何となく消化不良を起こしたような印象だった記憶がある。さて、本作の出来映えやい かに?
こ こからは映画を見てから!

こうすれば

 正直に言うと、本作がニール・ジョーダンの会心 の作品…かというと、さすがにそれはないと言うべきだろう。毎回毎回「クライング・ゲーム」レベルの作品を勝手に期待されて勝手に失望されるのも気の毒だ し、あれからもう四半世紀以上の時が流れている訳だから比べるのが間違っている。作家的な志向も異なって来ていると考えるのが自然ながら、どうしても過去 の作品と比べてしまうのが映画ファンのサガである。だが、本作は…大変申し訳ないが、例えば「クライング・ゲーム」が非常に「スペシャル」な作品であった ようには、突出した「スペシャル」な出来映えとは言い難い。出来上がった作品は決して悪いとは言わないが、特別に素晴らしい作品であるとも言えない。映画 の佇まいは、あくまでB級サスペンス映画の「それ」から逸脱しないのだ。第一級の映画人が関わっている作品だからそれなりの構えのある映画になっているも のの、作品そのものは凡百のサスペンス映画に過ぎない。映画前半における実質上の主役フランシス(クロエ・グレース・モレッツ)があまりにも無防備過ぎる こと、終盤のエリカ(マイカ・モンロー)による救出が早々に割れてしまうこと…など、脚本もさほど緻密な出来映えにはなっていない。同種の作品である「告 白小説、その結末」あたりと比べても、ポランスキーの熟達のワザほどの出来映えとは言えないのだ。元々、ニール・ジョーダンは「ハッタリ感」満々な作風の 人で本作もその例外ではないのだが、今回それが鮮やかにキマッたかと言えばこれまた疑問である。題材そのものからして、ニール・ジョーダンがどこに意欲を 燃やしたのかが分からない。そういう意味で、僕が本作を見る前に「ブレイブ・ワン」を連想したのは当たらずとも遠からずであった。ニール・ジョーダン作品 として何となく「違和感」を感じさせる題材…という意味で、この2作はどこか共通するものを持っている。どちらもニューヨークを舞台にしているサスペンス 劇…という点から考えても、おそらくはジョーダンが本作を作るモチベーションとして似通ったものがあるのではないか。その理由はうまく説明できないが、僕 にはどうもそんな気がするのである。

みどころ

 そんな訳でのっけからクサしてしまった本作だが、 見終わって僕がガックリしてしまったかと言えばそうではない。むしろ、大いに楽しんだと言うべきだろう。先ほどから「ブレイブ・ワン」を引き合いに出して いるのでそのついでに言えば、実は本作を実際に見終わった段階では、「ブレイブ・ワン」ほど「???」という気分にはならなかった。その理由のひとつは、 キャスティングの妙にあると思う。例えば今回の作品の場合は、イザベル・ユペールが主役のサイコ女を演じる…というのがお楽しみだ。フランスでは大スター のユペールは、アメリカ映画にも結構前から出ていて、最初は泣く子も黙るマイケル・チミノの巨編「天国の門」(1980)。悪名高いこの作品でアメリカ映 画デビューしちゃったのでその後出て来ることもないかと思いきや、次に登場したのは「窓・ベッドルームの女」(1987)というサスペンス映画。これは正 直言ってなぜわざわざユペールをフランスから連れて来たのか分からないような作品だったが、その後もハル・ハートリーの「愛・アマチュア」(1994)、 デビッド・O・ラッセルの「ハッカビーズ」 (2004)、デンマークのニールス・アルデン・オプレヴの「デッドマン・ダウン」(2013)…と、意外にもユ ペールは結構アメリカ映画に出ているのだ。だが、堂々スターとしての主演は今回が初めてなのではないか。やはりポール・バーホーベンの「エル」 (2016)でアカデミー主演女優賞ノミネートされた効果が出ているのだろうか。まぁ、本作はアメリカ映画といってもアメリカとアイルランド合作。しかも 韓国や中国の資本も入っているみたい(今日び中国資本が入っているアメリカ映画なんてザラではあるが)だし、そもそもアイルランド出身のニール・ジョーダ ン監督作品なのだから、本作は王道アメリカ映画とは違って当たり前かもしれない。ともかく、イザベル・ユペールは得体の知れないヤバい女を、いかにも「怖 い」感じで演じるのではなく飄々と軽く演じているのが楽しい。確かに見ようによっては「怖い」瞬間もあるにはあるが、どこかユーモアも漂う怪演ぶり。訪れ た私立探偵を仕留めた後の、バレエもどきの変な踊りなどはまさに至芸である(笑)。この味はユペールでないと出せないんじゃないだろうか。対するクロエ・ グレース・モレッツの役柄はあまりにも無防備で不自然なくらいの設定になっているが、彼女が演じることで何とかリアリティを保っている。何よりこの人は、 フランスで「アクトレス/女たちの舞台」 (2014)に出ちゃう女優さんだ。ユペール、グレース・モレッツ、そしてスティーブン・レイ…と、ヨーロッパの役者やヨーロッパと接点のある役者で主演 級を固めたキャスティングが、今回は「吉」と出たのではないだろうか。それまでのニール・ジョーダンによるアメリカ映画と比べて、「他流試合」の居心地の 悪さが感じられない。そのあたりも、本作が好ましく感じられた所以だ。本作は、予想ほどニール・ジョーダン作品「らしくない」作品にはなっていないのであ る。それどころか、冒頭に流れる懐メロ(ジュリー・ロンドンの「Where Are You」という曲らしい)、どこか「お人好し」な主人公(ただし、本作はサスペンス映画なのでそれが少々アホに見えちゃう点が誤算だが)、ここぞというと ころで出て来るスティーブン・レイ…と、映画のあちこちにニール・ジョーダン作品の「意匠」が散りばめられている。ラストに出て来る「エッフェル塔」も、 それこそ「モナリザ」「クライング・ゲーム」級のひねりのあるエンディングと比べるといささか弱いが、ちょっとシャレた味わいが悪くない。そして、世知辛 い世間のダークサイドを舞台に「お人好し」が損をするお話…と見せかけて、最後にその「お人好し」を奇跡的なワザを使って救出する…というニール・ジョー ダン作品の基本フォーマットをちゃんと踏襲している…というあたりが見逃せない。映画としてはありふれたストーカー気質のサイコ女を描くB級サスペンス で、そのワクから一歩もハミ出ない作品なのだが、その一方で長年ニール・ジョーダンのファンをやってきた僕らを喜ばせてくれる出来映えなのである。それに しても、ニール・ジョーダン作品の「アイコン」スティーブン・レイの私立探偵が出て来た時には、「いよいよ事件が動き出すか」とファンとしては期待が高ま る。これが割と不用心にサイコ女のグレタに接触するので、見ているこちらとしては「???」と思わされるが、スティーブン・レイが出てくれば重要人物に違 いないと思っているので、あの不用心さも昼行灯を装った中村主水みたいな「能ある鷹はツメを隠す」的アプローチなんだろうと勝手に思い込んでしまう。とこ ろが、結局はあのマヌケな結末だからこちらは良い意味で呆気にとられるし、囚われたグレース・モレッツの絶望感も倍増して感じられるのである。これをスッ トボけた顔のスティーブン・レイがやるのがミソで、これはなかなかうまいハッタリである。…という訳で、決して「傑作」だとは思わないが、僕は大いに楽し んだ。久々にニール・ジョーダンらしさは十二分に味わえたので、ファンとしては大いに嬉しい作品となった訳である。

さいごのひとこと

 スティーブン・レイが出て来ただけで評価する。

 

「ジェミニマン」

 Gemini Man

Date:2019 / 12 / 23

みるまえ

  本作のタイトルを見て、「また、マーベルのなんとかマン映画か」と思ってしまった(笑)。それにしても、アン・リーという人は実に稀有な映画作家だと思 う。台湾の出身でアメリカに渡って…というご自身の特異な出自によるものか、東西の映画界を行き来するというユニークな作風。「ウェディング・バンケッ ト」(1993)や「恋人たちの食卓」(1994)を撮った人が、「いつか晴れた日に」(1995)や「アイス・ストーム」(1997)といった欧米映画 を堂々と撮りこなしているのには目を見張った。そういう意味では、その後、ハリウッドに渡ったジョン・ウーなどの先駆といえるだろう。だが、それだけな ら…それこそジョン・ウーなど同じような道を歩んでいる映画作家はそれなりにいる。驚くべきは、「ウェディング・バンケット」にしても「アイス・ストー ム」にしても、日本ではアートシアター系の映画館でかかるような映画だ。いわば作家性の強い作品を撮る人だと思っていた。ところが、いきなり中華チャンバ ラ映画「グリーン・デスティニー」 (2000)を発表。しかも、中国系の俳優しか出ていない中国の話で中国語のこの映画を世界的にヒットさせてしまい、アカデミー賞の外国語映画賞をとって しまう。作品賞の候補にすらなっていたのだから、ひょっとしたらひょっとしたかもしれない珍事を巻き起こしたのだ。ところが、これで驚いていたらまだ早 い。今度はマーベルで「ハルク」(2003)を撮るという君子豹変ぶり。かと思えば「ブロークバック・マウンテン」(2005) でまたまたアカデミー賞を騒がせ、自身も監督賞を受賞する。マーベルのアメコミ映画の後にまたまた作家性の強い作品を発表…というあたりの、変わり身の早 さがアン・リー流である。次の「ラスト、コー ション」(2007)は再び作家性の高い映画だが、こちらは自らのルーツ中華風の作品。そして次に発表したのが、「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 (2012)。これはもう何と言っていいのか分からない。他にこれに類する作品が見当たらないのだ。全編CGを多用した3D効果満点の作品だが、内容は極 めて特異で一般性があるとは考えにくいシロモノ。決して娯楽映画とは言い難い。毎度毎度発表する作品の内容は一級品なのだが、とにかく作品の毛色はそれぞ れ大違い。似たようなコースを辿っている人もいない。実に不思議な映画作家なのだ。そんなアン・リーの新作がやって来たというと胸騒ぎがするが、何とウィ ル・スミス主演のアクション映画と聞いて二度ビックリ。今度はジョン・ウー路線でいくのか。お話は、殺し屋ウィル・スミスが自らのクローンに狙われる話。 何となく、それこそジョン・ウーの「フェイス/オフ」(1997)的な趣向を連想させるお話である。ひとり二役というのはありがちだが、今回はそれを同じ ウィル・スミスでも30歳近く若返らせるという無茶ぶりである。まぁ、今日びCGなら何でも出来る。おまけに「ライフ・オブ・パイ」でCGは慣れ親しんで いるアン・リーである。そりゃ出来ないことはないだろう。だが、ウィル・スミス主演のSF的趣向のあるアクション映画を、なぜアン・リーがわざわざ撮らな きゃならないのか。昨今のウィル・スミスの動向も含めて、さすがに今回は不安が胸をよぎる。そんなことをしているうちに公開が終了しそうになったので、慌 てて劇場に駆けつけた次第である。

ないよう

  ベルギーのリエージュ駅は超近代的なデザインの駅だ。そこから、高速列車が勢い良く走り出す。車内にはガッチリ護衛に守られた初老の男。それを横目で見て いる男が、超小型ヘッドセットで状況を何者かに報告している。ヘッドセットの男マリーノ(E・J・ボニーリャ)の相手は、高速列車の線路を遠くから見通せ る小高い丘の上に寝そべって、高性能ライフルの照準を覗いている男…世界最高の腕を持つスナイパー、ヘンリー・ブローガン(ウィル・スミス)。何とこの丘 から超高速で突っ走る列車の窓を狙い、例の初老の男を仕留めようというのだ。そんな荒技は、この男ヘンリーでなければ出来はしない。ところが、とんだ邪魔 が入る。列車の乗客の女の子が、なぜかノコノコ初老の男に近づいて来たのである。下手をすると女の子を巻き添えにしかねない。マリーノは慌ててヘンリーに 連絡。緊張が走る。だが、すぐに女の子はその場を離れた。すぐにマリーノはヘンリーに再度連絡したものの、もう列車はヘンリーのいる丘の目と鼻の先に来て いた。間に合うのか? ビシッという鈍い音とともに、初老の男が血を噴いて倒れる。またしても、ヘンリーの不敗伝説は更新だ。しかし、彼自身には分かって いた、今回は失敗だと。その後、ヘンリーと落ち合ったマリーノは、スマホで撮った暗殺現場の動画を見せて「まさに名人芸!」と興奮するが、ヘンリーは冷た くそれを「削除しろ」とつぶやくのみ。その冷徹な口ぶりにハシャいでいたマリーノもただただ削除するしかなかった。そんな彼の自宅は、ジョージアの自然溢 れる土地にあった。緊張しっぱなしの彼の心を癒す場所がここだ。そこにやって来た予期せざる客。相手は馴染みの男、ヘンリーの雇い主であるDIA(アメリ カ国防情報局)エージェントのデル・パターソン(ラルフ・ブラウン)である。ヘンリーはパターソンに、殺し屋を引退することを告げる。その稀有な殺しの腕 前を惜しむパターソンだったが、ヘンリーの気持ちは揺るがない。例のベルギーの一件も、本当は脳天を狙ったのに当たったのは首筋。成功したのはツキでしか なかった。ヘンリーは潮時を悟ったのだ。翌日、ヘンリーは海辺の貸しボート屋にモーターボートを借りに来る。店では見慣れない新顔の店員、女子大生バイト だというダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)が応対。ヘンリーは彼女とちょいとしたやりとりを楽しむ。借りたモーターボートで目指したのは、 沖に停泊したクルーザー。そこではヘンリーのかつての同僚ジャック(ダグラス・ホッジ)が悠々自適の休日を楽しんでいた。だが、ジャックが教えてくれた情 報は、ヘンリーを暗澹とした気分にさせた。彼がベルギーで仕留めた男、バイオ・テロリストと聞かされた始末したのに、実際は分子生物学者だったというの だ。この件についてはブダペストにいるユーリという人物が詳しいと聞き、ヘンリーはクルーザーを後にする。ところが、そんなやりとりはなぜか筒抜けだっ た。DIA上層部のラシターという女(リンダ・エモンド)のもとにジェミニという組織を率いるヴァリス(クライヴ・オーウェン)がやって来て、ヘンリー の件で密談だ。奇妙なのは、このヴァリスという男がやたら上から目線でラシターに接すること。ヘンリーを確実に始末しろ、さもなくば…とコワモテに脅すの だった。一方、組織が裏切ったと悟ったヘンリーは、真っ先に貸しボート屋のダニーに詰め寄る。ひたすら否定する彼女に、今度はお詫びに夕食でも…と口説き 落とす。だが、そのヘンリーとの夕食の席で、ダニーは観念して自白せざるを得なくなる。やはり彼女はDIA職員で、ヘンリーを見張っていたのだ。それでも 彼女に好感を持ったヘンリーは、笑って別れて自宅に戻ったのだが…。深夜、まずはクルーザーのジャックが襲われる。そして、自宅で眠っていたヘンリーは、 人の気配で目が覚める。すばやく床から出て地下室に隠れたヘンリーは、スマホでマリーノに電話。だが、一瞬遅くマリーノは消された。自分に関わった者は消 されると知ったヘンリーは、例のダニーの部屋に侵入。彼女に危険が迫っていると知らせて、一緒に逃げるよう促した。こうして貸しボート屋に忍び込んだダ ニーだが、そこに彼女を襲うべく刺客が登場。乱闘のあげく男を倒したダニーは、ヘンリーとともにボートでその場を逃げ出した…。こうしてやって来たのは、 とある人知れない砂浜。そこに軽飛行機がやって来て、降りて来たのは陽気な東洋人バロン(ベネディクト・ウォン)。これまたヘンリーの旧友である。バロン を頼って南米コロンビアにある彼の自宅に転がり込もうという算段だ。こうしてヘンリーとダニーはコロンビアへ。だが、敵は彼らを放っておいてはくれない。 バロンの家で休んでいたヘンリーだったが、またまた人の気配を感じて身構える。彼はヘンリーとバロンを表に逃がして、自らは彼を狙う刺客と戦うべく外に出 た。すると…案の定、ナゾの刺客が攻撃して来る。家から出て街の中に逃げるが、刺客もさる者、どこまでもヘンリーを追って来る。物陰に隠れたヘンリーは守 勢から一転、銃を構えてそのスコープから刺客を狙った。だが、なぜか一瞬引き金を引くのをためらったヘンリーは、絶好の射撃タイミングを逃してしまう。冷 静なヘンリーを動揺させたもの…それは、スコープから除いた若者の顔だった。それも、ただの若者の顔ではない。まるでかつて自分の面影を見るような、自分 が若返ったかのごとき若者の顔(ウィル・スミス)だったのである…。

みたあと

  先にも述べたように、「何でもあり」のアン・リーのフィルモグラフィーにはもう慣れているので、今回だって驚くにはあたらなかった。それでも「ブローク バック・マウンテン」、「ラスト、コーション」、「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」…と、近年は作家性の強い作品が続いただけに、アン・ リーに本作を作らせたモチベーションがよく分からない。ただ、ウィル・スミスが本作に飛びついた気持ちは、何となく分からないでもなかった。正直言って、 ここんとこのウィル・スミスの作品はちょいとキツかった。ワンマン映画ばかりを連発して来たところに、何となく冴えない実の息子と組んだ「アフター・アース」 (2013)に出演。僕などは意外にこの作品は悪くないと思ったが、世間はそうは思ってくれなかったようだ。どうもこのあたりで、ウィル・スミスにも「落 ち目」感が漂ったのは否めなかった。それはウィル・スミス自身痛感したのだろう、作品選びがそれまでとちょっと異なって来たというのは、状況を打開するた めの模索だったように思う。コミック原作モノ映画で、しかも以前のワンマン映画ではなくアンサンブル・キャストのひとり…という「スーサイド・スクワッド」 (2016)などは、それまでのウィル・スミスなら出演しなかったのではないか。さらに、僕は未見ながら「アラジン」(2019)の脇に回ってのハクショ ン大魔王みたいな役(笑)は、もっと彼としては思い切った役だろう。だから、今回もウィル・スミスとしては大胆な選択をしていると考えるべきだ。今回は評 価の高い映画作家アン・リーの作品に出る…ということがウィル・スミスなりの冒険だったのだろうし、何よりCGを使って若返ってのひとり二役…というのが 冒険だった。そして注目すべきは、本作が久々のジェリー・ブラッカイマーによるプロデュース作品だということ。一時期はヒット作連発していたブラッカイ マーだが、なぜか最近はスッカリ鳴りを潜めていた。そういう意味で、何とも不思議な顔合わせの映画ということになる訳だが…。
こ こからは映画を見てから!

みどころ

  アン・リー、ウィル・スミス、ジェリー・ブラッカイマー…何とも不思議な3人が組んだ作品である。そういう意味では「食い合わせ」が悪そうな作品だと思わ れるが、見てみると意外にそうでもない。アベレージな意味でのハリウッド・アクション大作の体裁は、ちゃんと取れている。そういう意味で、アン・リーもハ リウッド娯楽作をキッチリ撮れる人なんだな…と妙に感心した。ダテに「ハルク」は撮っていない。で、ちゃんとアクション大作にはなっているものの、何とな く普通の映画とは佇まいが違う。どうも様子がおかしい。そういうところは、アン・リー、ウィル・スミス、ジェリー・ブラッカイマー…という違和感バリバリ のメンツが揃った作品になっている。それを楽しめるかどうかが本作評価の分岐点ということになるだろう。ブラッカイマーらしさは全開で、ちょっとSFテイ ストも入って、大々的なアクションがあって、ワールドワイドなスケールがあって…という毎度おなじみな感じ。そこはアン・リー「らしからぬ」ところ…と言 いたいところなんだが、かつて「ハルク」やっていた人だからそうも言えない。結構ノリノリでやっていそうなのだ。少なくとも、イヤイヤやっている感じでは ない。ウィル・スミスはウィル・スミスで落ち目になってから腹を括ったみたいで、全身青く塗りたくってハクション大魔王やったんだからもう怖いものはない (笑)。一人二役プラス若返りだって何のそのだ。感慨深かったのは、若く変身した方のウィル・スミスに「私に近い6人の他人」(1993)で好青年ぶりを 発揮していた頃の面影があったこと。確かに若い頃はこうだったよな…と、懐かしさを感じるとともにCG技術の凄さを思い知らされた。ただ、アン・リーはイ ヤイヤやったんじゃないとは分かったものの、なぜこの題材を?…というナゾは依然として残る。実は、それはどうも特殊技術を使いたかったのではないか…と 思わざるを得ない。僕はテクノロジーには疎いのだが、本作は4K、3D、120fps…というハイスペックで製作されているらしく、ネット上でもドヤ顔で それらを解説している人がいたり、「それで見なけりゃ見たことにならない、それ以外の仕様で見た奴はバカ」的にホザいてる奴もいる。こっちは社会人でヒマ じゃないんだからそんなことゴチャゴチャ考えてないが、たぶんそんな立派な仕様では見ていない(笑)。ただ、どうやらアン・リーの本作へのモチベーション はそこなんじゃないだろうか。「ライフ・オブ・パイ」は非常に作家性の高いユニークな作品だったが、考えてみれば虎も海もCGの3D作品だった。考えてみ ると、あの「ハルク」だって最新技術を使いたくてやった可能性が高い。劇場未公開の前作「ビリー・リンの永遠の一日」(2016)も4K、3D、 120fps…らしいので、どうやらこのスペックを使いたかったようなのだ。つまり、高精細の画質で映画を撮りたかったらしい。映画は本来24コマ/秒、 従来型テレビは30コマ/秒だから、120コマ/秒がいかにスゴいか分かる。実は僕はこんなハイスペックとは知らずに本作を見ていて、ロケットランチャー の攻撃を受けてクルマのガラス窓が飛び散る…とか、雨あられの銃撃を受けて窓ガラスが粉々に砕け飛ぶ…などの描写が異常に細かいなとは思っていたのだ。た だ、スペックについて語るドヤ顔専門家氏の話では、従来の上映方式に変換するとかえって見え方がヌルくなる…と説明されているので、僕が感じた「あれ」は 何なんだ?という話になってしまうのだが(笑)。4Kなんちゃら…なんてことは知らないで見ていたのに、確かに妙なクリアさ(見え方の違い)は感じられた 気がする。あれはオレの目の錯覚だったのかな(笑)。あとは、問題の一人二役と若返りの技術。最近、マーティン・スコセッシのネットフリックス映画「アイ リッシュマン」(2019)で話題のアレである(笑)。アン・リーとしてはテクノロジーを使いたい…というのだが第一のモチベーションだろう。あと、ドラ マ部分も割と好ましくて、ウィル・スミスと本作のヒロインであるメアリー・エリザベス・ウィンステッドが変にベタベタした恋愛模様にならず、いい感じの相 棒になっていくのが気分よかった。ラストには若ウィル・スミスを交えて疑似家族を作るあたりのホンワカムードも、ちょっとアメリカ映画らしからぬ味わい だ。さすが、「ウェディング・バンケット」、「恋人たちの食卓」…で抜き差しならない家族の間柄を描いたアン・リーだけあるわいと、ここは素直に好感持て た。「デス・プルーフ in グラインドハウス」 (2007)、「ダイ・ハード4.0」 (2007)、「遊星からの物体X/ファース トコンタクト」(2011)…と、出て来るといつもいい味出しているメアリー・エリザベス・ウィンステッドは今回も快調。そのあたりの役者の使い 方のうまさもアン・リーらしさである。

こうすれば

 ただ、確かにイヤイヤで なく乗り気で作った映画で、アクション大作としてちゃんと出来ているとはいえ、物凄く面白い成功作か…と言えば、正直言って微妙な出来映えと言わなくては なるまい。先ほども述べたように人間関係の描き方にはそれなりに力が入っていて面白い(ウィル・スミスとメアリー・エリザベス・ウィンステッドのやりとり が無駄にユーモラスだったりする)のだが、それ以外の描き方はちょっと落ちる。特にクライブ・オーウェンほどの役者を悪役に起用しながら、ほとんど活かし ていないのが残念だ。一番問題なのはクライマックス終盤の処理で、悪役と対峙する大事な場面なのだが、相手が海千山千のヤバい奴なのに新旧ウィル・スミス 含めて不用心で無防備なのである。そんな状態で、モタモタと「火曜サスペンス劇場」みたいにセリフを語り合っているので辟易させられる。本来クライブ・ オーウェンみたいな油断も隙もない悪党が、そんな善玉側のゴタゴタを見逃すはずがないだろう。これはアクション映画なのである。アン・リーのドラマをやり たい気持ちが裏目に出てしまった。ここは本作の最も気になる点である。やはりテクノロジーやフォーマットから映画を作ろうとするのは、実験映画みたいなモ ノ以外は止めた方がいいんじゃないだろうか。

さいごのひとこと

 実験は自腹でやってくれ。

 

「真実」

 La vérité (The Truth)

Date:2019 / 12 / 23

みるまえ

  邦画は「専門外」ということになっている僕でも、「誰 も知らない」(2004)を見た時の衝撃は今でも覚えている。監督の是枝裕和にも大いに感心したのだ が…「邦画音痴」の僕としては、その後もいろいろ見たい作品はあったものの、どうにも縁がなかった。カンヌでパルムドールをとった「万引き家族」 (2018)ですら見ていないのだから我ながら呆れるが、どうもいつも作品公開と僕の仕事の繁忙期がドンピシャで当たってしまうのである。そんな是枝監督 がさすがカンヌの御威光だろうか、フランスで新作を撮るというからめでたい。大島渚の「マックス、モン・アムール」(1986)みたいな映画になるのか な…とボンヤリ思っていた。しかし、どうも日本に限らず東洋人監督は、フランス映画に乗り込むとやらかしちゃう感じがする。あの素晴らしいロウ・イエです ら、パリに行って撮った「パリ、ただよう花」 (2011)は「やっちまった」感が強かった。是枝裕和、果たして大丈夫なのか。おまけにキャスティングがスゴくて、カトリーヌ・ドヌーブにジュリエッ ト・ビノシュ、さらにはイーサン・ホークやら、一時期フランソワ・オゾン作品でよく見たリュディヴィーヌ・サニエまで出て来るというから驚いた。あまりに 豪華過ぎて…不安になってくる。こんなにスターばっかで食い合わせはいいのか(笑)? 特にドヌーブとビノシュ(笑)。この二人で大丈夫なのか。さらに不 安を増大させるのが、タイトルの「真実」(笑)。いや、ホントに「真実」でっせ? これ、原題からしてガチに「真実」だから逃げも隠れもできない。初めて 海外進出作品を撮ることになって、大スターを並べて大上段から振りかぶって「真実」である。「少年ジャンプ」の「売り」である「友情・努力・勝利」も泣い て逃げ出す大テーマである。これに匹敵できるタイトルとしては、もう「根性」しかない(笑)。何を考えているのだ是枝裕和は。オレがこの人なら絶対やらな いねこのタイトルは。しかも内容はドヌーブ演じる国民的大女優とパッとしない娘ビノシュの葛藤が中心と来る。誰がどう見たってイングマル・ベルイマンの 「秋のソナタ」(1978)が頭に浮かんで来る題材だ。「秋のソナタ」っぽいお話で、何度も言うけど題名が「真実」(笑)。いやぁ、もう田舎の高校の映研 が作る自主製作映画だってやらないよこんなの。このタイトルの脚本をフランスのプロデューサーに見せたのか(笑)? こりゃつらいぜセニョール…。ところ が、さる知人からの連絡では、こんな映画が面白いというから驚いた。どう考えても「やっちまった」予感しかしない。だが、映画というものは分からない。そ んな訳で、公開終了ギリギリに劇場へ駆け込んだ。

ないよう

  パリの街中にも緑溢れる邸宅がある。時折、近くを通る電車の音が聞こえて来るが、それさえなければ郊外の家と言われても分からない。そんな邸宅の一室で、 いまや重鎮となった国民的大女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)のインタビューが行われていた。ここはファビエンヌの家なのだ。汗をかきかきインタ ビューする記者の質問は凡庸なので、ファビエンヌは「それは先日の別のインタビューで答えてる」だの何だのと翻弄するばかり。ほとんど取材になっていな い。そんなファビエンヌの邸宅の庭に、三人の家族がやって来る。ファビエンヌの娘で作家となったリュミエール(ジュリエット・ビノシュ)、その夫でアメリ カのテレビ俳優であるハンク(イーサン・ホーク)、その幼い娘シャルロット(クレモンティーヌ・グルニエ)の三人だ。三人は取材中の家の中に入って来る が、すでに取材自体がグダグダなのでほぼ終わったようなもの。リュミエールたちは、ファビエンヌが最近書いた自伝「真実」の出版を祝って訪れたのである。 しかし、のっけから雲行きが怪しい。ゲラを送ってくれとリュミエールが頼んでいたのに、ファビエンヌは「あれ、そうだった?」とスットボけ。実家に着いて 早々、イヤな予感がするリュミエールであった。そして、予感は的中。夜を徹して「真実」を熟読したリュミエールは怒り心頭である。「真実」どころか事実が ねじ曲げられている。徹頭徹尾、テメエに調子いい話に仕立てていることに憤慨したリュミエールは、ファビエンヌに詰め寄るがのらりくらり。あげく「事実な んて退屈」と開き直る始末だ。だが、リュミエールにはもっと許せないことがあった。彼女に優しかった伯母のサラについて、自伝でまったく触れていないこと だ。サラもまた女優であったが、若くして亡くなっていた。娘時代に母ファビエンヌから放っておかれたリュミエールとしては、いつも自分に親身にしてくれた 伯母さんをないがしろにしていることが、どうにも我慢ならなかったのだ。そんなリュミエールに意外なことを教えてくれたのは、徹頭徹尾黒子としてファビエ ンヌを支える秘書のリュック(アラン・リボル)。彼が言うには、ファビエンヌは決してサラのことを忘れていないとのこと。それどころか、ファビエンヌが現 在出演している映画は、「サラの再来」と言われている新進女優マノンの主演ということでオファーを受けたと言うのだ。そう言うリュック自身も、ファビエン ヌの自伝にはショックを受けていた。これほど公私ともにファビエンヌを支えて来た彼なのに、自伝には一切出て来ないからである。憤懣やるかたないリュック は、その怒りを行動で示した。ファビエンヌの秘書を辞めて、速やかにこの家を去ったのである。かくして秘書兼付き人がいなくなったため、ファビエンヌを撮 影所に送って行く役をリュミエールが勤めることになってしまう。ついでに撮影所を見学したいと、シャルロットまでついてきた。映画はフランス映画には珍し いSF映画。難病のため長く地球にいられなくなった母親が、7年ごとに宇宙から帰って来て娘と会う…というお話だ。すると、浦島太郎の逆で母親は歳をとら ないが、娘はどんどん歳老いていく。その晩年の娘役をファビエンヌが演じるという訳だ。そこでリュミエールは、新進女優のマノン(マノン・クラベル)と顔 を合わせることになる。だが、マノンと比べて小さい役、しかも「老い」を痛感させる役どころとあってか、どうもファビエンヌはナーバスなようだ。こうして いろいろファビエンヌが文句を言いながらも撮影は進んでいくのだが…。

みたあと

  母と娘の葛藤…しかも母親が世界的な有名人で、どちらかといえば「凡人」の娘は疎外感を常に持っていた…というシチュエーションは、前述するようにどうし たってイングマル・ベルイマンの「秋のソナタ」を連想させる。あちらがイングリッド・バーグマンに対してこちらはカトリーヌ・ドヌーブ。どちらもなかなか の重量級な大女優である。こりゃあ見応えのある激突になりそうだ…と思わされるが、映画を見た後にはかなり予想外な内容なので驚かされる。陰惨な罵り合い だの痛烈なやり合いだのヒリヒリした内容を想定していたが、そんな「期待」はかなりはぐらかされたと言わざるを得ないだろう。確かに言い争う場面もないで はないが、それは全編のうちごくわずか。全体的には軽妙な味付けのお話で、むしろユーモラスなほどなのだ。
こ こからは映画を見てから!

みどころ

  先に「ユーモラス」と書いたが、本作はシリアスに受け止めてはいけない映画だ。是枝裕和の「海外進出第1弾」…的にけたたましく受け止めるのもどうかと思 う。何より本作は「軽い」映画なのだ。そして「ユーモラス」どころか、本作はハッキリとコメディだと思う。人間関係を扱った笑えるコメディなのである。何 しろドヌーブの狸ババアぶりが笑える。ジュリエット・ビノシュも分をわきまえた好演で、これまた軽妙に演じている。ドヌーブとビノシュの顔合わせもハマっ ていて驚いた。対立はするが陰々滅々な応酬を見せられるのではなく、軽妙なチクチクしたやりとりなのである。さらに素晴らしいのがイーサン・ホークで、い い感じにヘタレ感を出している。このアンサンブルにちゃんと溶け込んでいて、「お見事」の一言である。アメリカから一人連れて来て、これほどハマる人もい ないのではないだろうか。最初はスターばっかり集めやがって(笑)…と思っていたのだが、それなりに適材適所なのでキャスティングの趣味のよさにはすっか り感心させられた。こういう映画はどこがどう…と指摘するのが難しいのだが、まさに僕が見る前に懸念していた、大上段から振りかぶったようなタイトル「真 実」が、実は引っかけだったということに最も恐れ入った。このコケ脅しタイトルは一種のミスリードみたいなもので、本来だったら「ウソも方便」とかいうタ イトルの方がピッタリな映画なのである。ただ、それだといきなりネタバレになっちゃいそうだが…(笑)。世間では、初の欧米作品なのに従来の是枝作品の味 で撮っているのがスゴい…と評価しているようだが、申し訳ないが僕はそう語れるほど是枝作品を見てきた訳ではない。ただ、これだけの大物俳優を使いこなし て、ちゃんと楽しめる映画に仕上げた是枝裕和の力量には本当に感心した。何より日本人監督が初めて撮った欧米映画…的な違和感がまったくなかったし、それ が力の入りまくった作品ではなく、非常にささやかで軽いタッチの作品であったことに驚かされたのである。ひとつ残念なことがあったとしたら、僕のごひいき リュディヴィーヌ・サニエの役が小さかったことだろうか。映画ファンには、ドヌーブの演じたのがドヌーブ自身スレスレの役だったあたりがお楽しみだ。先に も述べたように、こういう映画はどこがいいと具体的に示すのが非常に難しいので、今回は諦めた(笑)。ともかく見ていて「楽しい」映画になっているのはさ すがである。

さいごのひとこと

 ちょっとバックステージものになっているのも嬉しい。

 

「残された者/北の極地」

 Arctic

Date:2019 / 12 / 09

みるまえ

  この映画の情報を知ったら、僕としては見ずにはいられなかった。厳寒の地に遭難したマッツ・ミケルセンのサバイバル映画。僕はこのサイトで何度も言ってい るが、雪と氷が出て来る映画は大好物である。ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」(1982)、ケイト・ベッキンセールのサスペンス「ホワイトアウト」(2009)、スタロー ンの珍しやミステリー映画「D-TOX」(2002)、レニー・ハーリンがSFホラーを手がけた「ディアトロフ・インシデント」 (2012)、オーストリアお珍品SFホラー「パ ラサイト・クリーチャーズ」(2013)…。昨年はテイラー・シェリダン監督の「ウインド・リバー」 (2017)が素晴らしかったが、僕は映画そのものの出来が多少悪くても、雪と氷が出てくれば許せる(笑)。そこにマッツ・ミケルセンがついてくるんだか ら、それだけで入場料の元は取れているのだ。しかも、ミケルセンと雪と氷って、さすが北欧の出だけあって相性が良過ぎる気がする。どこをどう見たってハズ しようがない映画だ。仕事の関係でなかなか見れなかったが、何とか時間を作って映画館に潜り込んだ。

ないよう

  凍てついた氷の大地を、ガツガツと掘り返しているオヴァガードという男(マッツ・ミケルセン)。寡黙なこの男、道の雪かきでもしているのかと思えば、さに あらず。オヴァガードの頭上はるか高くから見下ろすことができたら、そこには巨大な「SOS」が描かれていることに気づくだろう。だが、生憎と誰もそれに は気づかない。腕時計のアラームが鳴ると、オヴァガードは雪をかく作業を止めて次に移る。オヴァガードは氷に穴を穿ってそこにケーブルを釣り糸のごとく垂 らし、魚を穫る仕掛けを作っていた。残念ながら今回は「エサ」を取られてしまったようである。しかしオヴァガードは、そんな仕掛けを3つも作っていた。今 日はそのうちのひとつに、しっかり魚が食いついていたのだ。穫れた魚は貯蔵用のアイスボックスへ。鮮度の高いモノはとっておき、古いモノから食べて行くの だ。またまたアラームで作業を止めたオヴァガードは、「わが家」へと戻って行く。それは、事故で不時着している小型飛行機だ。オヴァガードはそこで魚をナ イフで裂き、「刺身」をいただく。そして、1日の「仕事」の最後となる救難信号の送信を行う。手動の発信器を持って見晴らしのいい場所まで行くと、そこで ハンドルを回しながら信号を発進するのだ。だが、今日も反応はなし。またまたアラームで手回しを止めて、「わが屋」へと戻る。そこでオヴァガードは寝袋に カラダを入れて、椅子に横たわる。パイロットだったオヴァガードは事故でここに不時着して以来、ずっとこんな生活を続けていたのだ。こんなボロ小型機でも 「住めば都」。生活の手順も決まって、それなりに長丁場の耐乏生活にも慣れて来た。翌朝、アラームで目覚めてまた1日が始まる。まずは、石を積んで作った 墓標に祈りを捧げる。こうしてオヴァガードは、毎日の日課を淡々とこなしていくのだ。だが、そんな中にもちょっとした「事件」は起きる。魚を備蓄していた アイスボックスが壊され、近くの雪の上にはデカい足跡が残されていた。明らかにシロクマの仕業である。さすがに怯えたオヴァガードは、慌てて「わが家」に 引っ込むのだった…。そんなことがあっても、「日課」はこなさなくてはならない。その日もいつものように「仕事」を淡々と片付け、機械を持って信号を発信 しに行くオヴァガード。ところが、その日はいつもと違った。何と初めて機械に反応が出たではないか。それに気づいたオヴァガードが彼方に目を凝らすと、ヘ リコプターがこちらに接近して来るではないか。強風の中をフラつきながら…ではあるが、明らかにこちらに向って飛んで来るヘリコプター。常に無表情だった オヴァガードの顔に、歓喜の表情が浮かんで来る。とっておきの信号灯を発火させて、狂ったようにそれを振り回す。だが、喜びもつかの間。ヘリコプターはい きなりバランスを崩すと、その場に墜落してしまった。ショックを受けたオヴァガードは呆然とするが、次の瞬間、あっという間に駆け出して墜落ヘリに駆け 寄った。扉を開いて、まず出て来たのはパイロットである。ただし、頭から血を流していてすでに息がない。ついで助手席に乗っていた東洋人女性(マリア・テ ルマ・サルマドッティ)を助けるが、意識はなく、もっと悪いことに腹に大きな裂傷を受けていた。慌てて救急キットを探し、傷口縫合用の医療用ホチキスで傷 口を止める。たまたま置いてあったカップ麺を貪り食ったりして、オヴァガードは女とともにヘリ内で夜明かしした。翌朝、ヘリに積んだ物資とともに、女を 「わが家」である遭難機へと動かす。消毒薬で傷口を洗い、獲物の魚を入れたカップ麺をガスバーナーで調理。いくらかでも満ち足りた気分に浸ったオヴァガー ドだった。ヘリから持って来た地図を見てみると、遥か北方に観測、基地があるらしい。だが、そこまでの道のりはあまりに遠い。この過酷な条件下でケガ人を 抱えてはそこに向うことなど断念するより仕方がない。しかし、相変わらず救助はどこからも来ない。これまでは細々ながら自分ひとりなら暮らしていけたが、 今は違う。英語もロクに通じず意識も朦朧な女が、腹に裂傷を負ってここに横たわっている。毎日毎日救難信号を送るが、それも時間の空費に過ぎない。いよい よ消毒薬まで底をつくに至って、オヴァガードは厳しい決断を下さなくてはならなくなった。ヘリや遭難機から物資をソリに積み込み、例の女も寝袋ごとソリに 寝かせて…オヴァガードは遥か彼方の観測基地を目指す第一歩を踏みしめるのだった…!

みたあと

 なぜかここのところ、「北欧の至宝」との異名をとる マッツ・ミケルセン出演作のラッシュらしいようである。そういえば、先日公開された旧作「アダムズ・アップル」(2005)に「永遠の門/ゴッホの見た未来」(2018)、さらにはゲーム (!)にも出ているみたいである。元々が「ロー グ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」(2016)や「ドクター・ストレンジ」 (2016)にも出ちゃうという、作品を選ばないマイケル・ケイン・タイプの僕好みの俳優さんである(笑)。そのミケルセンが、雪と氷の世界に閉じ込めら れるというからお楽しみなのが本作。しかも、ほとんどワンマンショー状態とは素晴らしいではないか。この手のジャンルの作品は面白いモノが多いから、見る 前から大期待。そして、見た今となっては期待通り…いや、期待以上の出来映えに大満足である。
こ こからは映画を見てから!

みどころ

  僕は雪と氷の映画が好きでそれだけで大満足なのだが、この映画はそういう人以外でも楽しめるのは間違いない。遭難映画…というジャンルがあるとすれば、本 作はそれらの作品群の中でもピカイチ。たった一人(正確には東洋人の女もいるのだが、彼女はほとんどしゃべれないというのがミソ)で奮闘するという意味で は、ロバート・レッドフォードがヨットで遭難する「オール・イズ・ロスト/最後の手紙」 (2013)とも一脈通じるものがあるが、過酷さではこちらの方が数段上か。面白いのは、映画の序盤部分では過酷は過酷ながら、主人公はそれなりにこの環 境でライフスタイルを確立しちゃっていて、特に無茶をしなければ生きていけなくもないという状況にあること。脱出したいという願望はあるものの、それもほ とんど望み薄になっていて形骸化しているのが興味深い。実際、あんな一人ぼっちなら「ちょっとやってみたい」と思わされないでもないのだ(笑)。ところが 主人公がそんな風にソコソコの生活でも満足しかかっていた矢先、例の女が文字通り「降って来る」というのがうまい。ここから主人公の葛藤と奮闘が始まる訳 だ。ただ生きているというのと本当に生きているというのは違う…というお話の持っていき方がうまいのである。映画はほぼマッツ・ミケルセンの一人芝居で、 セリフも最小限(女が英語が話せないという設定が効いている)。ほぼ主役の行動で見せていくという描き方で、ある意味で「エッセンシャル・キリング」 (2010)にも通じる「映画の原点」的な作り方になっている。シロクマの出し方も絶妙だが、ラストに出て来るヘリコプターのジラし方もうまい。あのよう になる…とは分かっちゃいながら、あの描き方はズルい(笑)。それも含めて、この映画の監督ジョー・ペニャはサスペンスの何たるかを知っている。すっかり 堪能させられた。

さいごのひとこと

 いやらしいほどのジラし。

 

「国家が破産する日」

 Default

Date:2019 / 12 / 09

みるまえ

  僕はかつて韓国映画が好きと言ってはばからなかったが、ここ何年かはそうも言えないんじゃないかと思っていた。前々から何度も言っているように、いわゆる 「韓流映画」が幅を利かせてから、どうも違和感しか感じなかった。最近じゃロクな映画が来ないと思うようになって、ソン・ガンホ主演作ぐらいしか期待でき ないと思い始めた。そんな矢先にこの作品である。こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、主演者たちも監督も知らない名前である。ここ10年ぐらい の韓国映画には詳しいと言えないのだから、それも当然だ。お話は…というと、1997年に韓国で起こったIMF危機に関する話。そんなことがあったな…と は思ったものの、こちとら経済には疎いので、それが何を意味するのかよくは分からない。ただ、それ以降は韓国の経済や社会がかなり陰りを見せてきたような 気はする。ただ、それってアメリカ映画あたりを除けばあまり映画にしやすい題材とは言えない。ちょっと前にアメリカで作られた「マネー・ショート/華麗な る大逆転」(2015)みたいな話なんだろうか。それより何より、この映画に何とヴァンサン・カッセルが出ているということの方が驚いた。これでグッと見 たい気分が上がってきた感じ。大して期待はしていないが、韓国映画におけるヴァンサン・カッセルを見るだけでも一興と言えよう。そんな訳で、仕事の合間を ぬって劇場に駆けつけた次第である。

ないよう

 1960 年代後半から始まった「漢江の奇跡」は、韓国経済を劇的に発展させた。1988年にはソウル・オリンピックを開催。1989年には好景気を背景にソウルに 高級デパートの三豊百貨店が開店。1996年にはOECD(経済協力開発機構)に加盟することで、いよいよ先進国の仲間入り…と韓国国民の意気は大いに上 がっていた…。そんな1997年のある日のこと、ニューヨークのモルガン・スタンレー社では、金融マンが何やら焦った表情でパソコンのキーボードを叩いて いた。いわく、「投資家はできるだけ早く韓国から立ち去れ!」…。そんなこととは知らない韓国の一般国民は、我が世の春を謳歌していた。今日も今日とて、 1台の観光バスが新卒予定の大学生を満載して郊外の研修所へ直行。全員がノンバンクの「高麗総合金融」内定者で、彼らを他の企業に取られないように囲い込 みをしようというのがこの「研修」の目的だ。引率のユン・ジョンハク(ユ・アイン)はそのことを隠さない。学生たちも悪ノリして、他の企業では学生にそれ ぞれ金一封を渡している…などと口走る。するとユンはニヤリと笑って、カバンからカネの入った封筒の束を出してくる。まったくいいご時世である。だが、ユ ンには懸念があった。観光バスからアメリカの金融マンに国際電話を入れるが、なかなか通じない。やっと通じたかと思えば、剣もホロロですぐに切られてしま う。何かがおかしい。そんな時、観光バスのカーラジオから流れるお昼の奥様番組に、ユンは思わず耳をそば立てた。そこでは聴取者から来たお便りを放送して いたが、夫の会社の資金繰りがうまくいかなくなったとか、夫がリストラされたとか、「豊かな韓国」とは思えない話ばかり流れるではないか…。その頃、下町 で食器製造の町工場を経営するガプス(ホ・ジュノ)は、景気のいい話に興奮していた。大手百貨店から、いきなり大量発注の話が舞い込んで来たのだ。相棒と して一緒に工場を経営しているヨンボム(チョン・ベス)と、一緒に喜びを噛み締めるガプス…。その頃、韓国銀行の総裁室では、総裁(クォン・ヘヒョ)があ る書類に目を通しながら絶句していた。やがて総裁は、内線でこの書類の作成者を呼び出す。総裁室に飛び込んで来たのは、通貨政策チーム長のハン・シヒョン (キム・ヘス)。やって来たハンに、総裁は畳み掛けるように質問をぶつける。「これは本当なのか?」…。そこに書いてあるのは、韓国が未曾有の通貨危機に 直面しているという現実であった。「なぜ早く知らせなかった?」「もう10日以上前にその書類を上げています」…。総裁は焦りに焦り、もはや冷静な判断が 下せない。「経済主席に招集をかけてください!」というハンの主張を受けて、総裁は政府の経済関係の高官たちを招集する…。その頃、ユンは「高麗総合金 融」の上司に辞表を叩き付けていた。「テメエひとりでうまくやれるほど世の中甘くないぞ!」と上司の罵倒を浴びても、ユンの心は揺らがない。それよりも、 「これこそが千載一遇のチャンス」と彼の中の野心が燃えていた。彼もまた、水面下で何が起きているのかを本能的に察知していたのだ…。一方、大統領官邸の 青瓦台で、政府高官たちを前に迫り来る経済危機を説明するハン。財政局次官のパク・デヨン(チョ・ウジン)は冷ややかな態度を露にするが、ハンはそれにひ るまず自説を主張する。いわく、これは「国家破産」だと。さらにダメ押しのように、こう付け加えるのも忘れなかった。「私の計算では、国家破産に至るまで の猶予は、あと7日間です」…!

みたあと

  正直、大して期待してないで見に行ったというのが正直なところだ。IMF危機なんて知らないし。そもそも経済問題を娯楽映画にしちゃうというのが、果たし てうまくいくのか。そんなこと、アメリカ映画でもなければなかなかうまくやれないだろう。近年の韓国映画にも疎くなっているので、主演者や監督の名前もピ ンと来ない。ただただ、ヴァンサン・カッセルにつられて見に行っただけという感じである。ところが、これが驚いた。アメリカ映画もビックリである。ちゃん と骨太な娯楽作になっているのだ。無条件に面白いのである。しかも、スケール感や大作感がある。これは大変な作品である。
こ こからは映画を見てから!

みどころ

  何度も繰り返すが、経済問題や政治を題材に娯楽映画を作るというのは難しい。そもそも隣国の経済危機なんて、こちとらピンと来る訳がない。それも外交問題 ではなく経済問題である。ところが本作はそれを易々とやってのけているからスゴい。韓国銀行(日本の日銀みたいなものだろう)の通貨政策チーム長が本作の 主人公的人物だが、他にこの難局を利用していろいろ企む本作の「悪役」たる政府高官、さらにこれで一儲けを目論む野心的な男、この事態に翻弄される「庶民 代表」のような工場経営者…という4者が主要登場人物として出て来て、彼らの動きを描くことによってこのIMF危機を大づかみに描いてしまう。この4者を 追っていけば、この状況の全貌が何となく分かる構成になっているのだ。しかも一儲けを企む野心家の男が投資家に向けて状況を説明する…という場面を設ける ことで、観客にも事態を分かりやすく説明するといううまさ。ちゃんとは分からないでも、一応映画を見ているうちは分かった気になる(笑)作りになっている のである。これがちゃんとできている社会派映画ってのはなかなかない。見事なものである。そういう説明が合理的にできているからこそ、「国家破産」という お話のサスペンスが際立って来る。一種の「日本沈没」みたいな話なのだ。ただし、こちらは題材が実話という怖さである。うまさはそれだけではなくて、そも そも韓国映画で社会派な題材を手がけた場合、市井の人を描くと過剰に善良に描いてしまいがちだ。何度も引き合いに出してまことに申し訳ないが、例えば「ブ ラザーフッド」 (2004)の序盤などは主人公たちを気持ち悪いほど「いい人」に描き、「幸福な生活」を強調する。それが「こんなに悲惨に」「こんなに残忍に」引き裂か れたんですよ…と描きたいがための強調なのだが、それをやればやるほど作り物感が増してシラジラしくなってしまうのだ。本作では「庶民代表」の工場経営者 が気の毒な目に遭うのだが、その描き方は非常に抑制が効いている。しかも最後まで見ていれば分かるのだが、彼を美化した善人としてだけ描くのではなく、 キッチリと手を汚させるあたりが見事である。むしろ映画の苦みが増しているのだ。そして、この工場経営者が実は…と分かるあたりのタイミングもうまい。ア レが分かってこそ、主人公の持つ正義感にリアリティが出て来るのである。役者もみんな素晴らしいが、主人公の韓国銀行通貨政策チーム長を演じたキム・ヘス という女優さんのカッコよさったらない。「ジ オストーム」(2017)のアビー・コーニッシュ以来(笑)のスーツのキマリっぷりである。ただ勇ましいだけでない、血の通ったヒロイズムがある のもいい。「強い女」を描くにしても、「キャプテン・マーベル」 (2019)あたりを見るとアメリカ映画は単純でヘタクソだ。本作を大いに見習っていただきたい。そして知らないメンツばかりと思っていたが…工場経営者 役ホ・ジュノをどうも見た事があると思っていたら、「シ ルミド」(2003)で一番泣かされた鬼軍曹役ではないか。今回も彼が実にいい味出しているのだ。また、「それから」(2017)、「夜の浜辺でひとり」 (2017)の2本のホン・サンス作品でヘロヘロな男を演じていたクォン・ヘヒョが韓国銀行総裁という偉い人物を演じていて驚いたが、やっぱり今回もヘロ ヘロだったので笑ってしまった。感心したのはヴァンサン・カッセルの使い方。ここにカッセルを起用するというキャスティング・センス自体が素晴らしいし、 カッセルが出て来てもまったく浮いていない。「オ ペレーション・クロマイト」 (2016)のリーアム・ニーソンと比べれば雲泥の差である。このような題材を分かりやすく面白く描いたことも素晴らしいし、かつ重厚でスケールある映画 に仕上げたことも驚かされる。何だか「Z」(1969)のコスタ=ガブラスが撮ったんじゃないかと思わされるほどである。監督のチェ・グクヒ、脚本のオ ム・ソンミンは大した力量である。

こうすれば

 ただし、こちらは完全に 経済は素人で、当時の韓国の状況を分からないまま本作を見ている人間である。だから、本作でのIMF危機の描き方が、すべて正しいものなのかが分からな い。完全にフェアな状態で描かれているのかどうかも判断できない。そもそも本作ではIMFとその背後にいるアメリカという「外圧」がすべて悪い…と描かれ ているが、果たしてそれが正当なモノなのかが判断できないのだ。確かにそういう側面はあるだろうし、例えばわが国の状況を考えてみるとどこか通じるものも 感じるのだが、だからといって本作の主張がすべて「正しい」のかどうかは分からない。大なり小なりバイアスがかかっていると見た方がいいかもしれない。そ れでも、本作の価値は減じることはないと思える。このような題材を、この面白さで描いたことについては脱帽だからだ。ここはアウトサイダーである僕らは、 純粋に本作をエンターテインメント映画として見るべきだろう。もうひとつ残念に思えるところは、「庶民代表」の工場経営者に対してあれほど厚みのある描き 方ができたのに、「悪役」である政府高官を本当に「悪役」としか描けなかったこと。見方によってはこの人物はあの強引なやり方で国を改造する必要を感じて いて、それが正しい…と思い込んでいる人間である。この人物にとってはそれが「正義」ならば、あのようなテレビ時代劇の悪役みたいな描き方はちょっと安っ ぽくないか。この点が唯一残念だが、他はケチのつけようがない。

さいごのひとこと

 映画は破産どころか大成功。

 

「ターミネーター/ニュー・フェイト」

 Terminator - Dark Fate

Date:2019 / 12 / 09

みるまえ

 「ターミネーター」の新作が製作される…という ニュースを聞いた時の大方の感想って、たぶんみんな同じだったんじゃないだろうか。「あれっ、またやるの?」…的な。だって、ついこの前「ターミネーター/新起動<ジェニシス>」 (2015)をやったばっかりというイメージだからねぇ。ただ、それが「ここで改めて仕切り直し」という意味合いが強いらしいと聞けば、その理由も分から ないでもなかった。何だか「新起動<ジェニシス>」ってコケたらしいからねぇ。シュワがシリーズにカムバックしての期待作、そしてシュワもカリフォルニア 州知事から銀幕に復帰してもなかなか本調子が出ず、ついに伝家の宝刀「ターミネーター」に手をつけた渾身の一作…のはずが期待はずれ。確か三部作構想が あったらしいが、それも雲散霧消してしまったというからミジメな結末だった。いよいよ「ターミネーター」シリーズも終わりだし、シュワもキツくなってきた なぁ…と思った訳だ。案の定、その後のシュワは「アフターマス」(2017)、「キリング・ガンサー」 (2017)…と作品の格自体までが落ちて来た感じで、いよいよ土俵際一杯の感じが強かった。それが、またまた「ターミネーター」…。普通なら「よせばい いのに」的な気分になるところだが、今回はちょっとまた近年の「ターミネーター」シリーズにない「仕掛け」があった。何とシリーズ「生みの親」ジェーム ズ・キャメロンが復帰するというではないか。さすがに今さら監督ではなくプロデューサーとしての参加らしいが、それでもキャメロン復帰は確かにちょっと期 待させる。そして監督は「デッドプール」(2016)のティム・ミラー…となれば、今回こそは「やってくれるのではないか」という気分もしてこないでもな い。だが、その一方で「今さらターミネーター」という気分も強い。そしたら、本国アメリカでは案の定大コケ。それも「新起動<ジェニシス>」より悪いと来 るから目も当てられない。なぜかここ日本では当たっているというから不思議だが、果たして作品の出来としてはどうなんだろうか。僕はそのあたりを探るべ く、仕事の合間をぬって映画館へと駆け込んだ。

ないよう

  その荒れたビデオの映像の中で、彼女は叫んでいた。それは、精神病院で診察を受けている若き日のサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)の姿だ。彼女は機械の 蜂起による人類滅亡の危機を必死に訴えるが、当然ながら誰もそれを真に受ける者はいない。1997年8月29日に「審判の日」がやってくると訴えても、狂 人の戯言にしか聞こえない…。海辺に累々と積み重なる無数の人骨。それを踏みつぶしながら進んでくる機械軍の戦闘マシーンたち。それがその時に定められて いた地球の「未来」だった。だが、サラたちはその「スカイネット」による人類滅亡の危機を未然に阻止。30億の人類を救ったのだった。こうして危機回避に 安堵したサラと息子のジョン(エドワード・ファーロング)は、1998年にはグアテマラの海辺で平和な日々を送っていた。ところがそこに、あの見覚えのあ るサングラスの巨漢が現れる。忘れもしない、ターミネーターT-800(アーノルド・シュワルツェネッガー)だ。サラがそれに気づいても時すでに遅し。T -800の銃が火を噴き、ジョンはその場に倒れた。命令を遂行したT-800は、その場に銃を捨てて去って行く。30億の人類を救ったサラだったが、自分 の息子ひとり救うことはできなかったのだ…。それから22年、2020年のメキシコシティでのこと。夜中、一組のカップルが川のほとりでイチャついている ところ、近くの高速道路の橋に電光がほとばしる。高速道路上はたちまちてんやわんやだ。やがてそれは橋桁の下部に生じた大きく丸い発光体となり、火花が 散ったかと思うと橋からひとりの人影が落下した。それを見ていたカップルの女は、「助けなきゃ!」と人影が落下した方角へと走り出す。カップルがそこい近 づいてみると、何と短髪の全裸の若い女が倒れているではないか。カップルは彼女を助け起こすが、そこに騒動を知って駆けつけたパトカー数台。警官たちも不 審な裸の女がそこにいれば、捕らえて問いつめざるを得ない。すると裸の女は強い強い。丸腰のはずなのに、たちまち警官たちをなぎ倒す。あまりの強さにカッ プルの男は裸の女に喝采するが、それはちょいとばかり迂闊だった。女はその男から服を奪い取ってその場から立ち去っていくではないか。そのやたら強い女、 その名をグレース(マッケンジー・デイヴィス)という…。さて、同じメキシコシティのアパートでは、ダニー(ナタリア・レイエス)という若い娘が父親と弟 ディエゴ(ディエゴ・ボネータ)とつつましく暮らしていた。今朝もいつものように父親の食事を用意して、ディエゴと一緒に職場である自動車工場に出勤。と ころが二人が出かけた後、アパートに不穏な空気が流れる。電光飛び散り大きな発光体が現れて、現れたのは全裸の男。その光景を唖然として見ていた主婦に近 づくと、彼女が持っていた服と同じ柄の服が、全裸だったはずの男のカラダにいつの間にか現れた。この男、明らかに生身の人間ではない。その正体は、最新型 ターミネーターREV-9(ガブリエル・ルナ)だ。REV-9はダニーの部屋にやって来ると、その友達を装って彼女の父親に接触する…。さて、工場に着い たダニーとディエゴだが、仕事場にやって来るとディエゴの部署に産業用ロボットが入っているではないか。イヤな予感がしたダニーは、ディエゴをその場に残 して上司の事務所に乗り込む。案の定、会社はディエゴをクビにして、その後釜に例の産業用ロボットを入れようとしていたのだ。その頃、ダニーを待っていた ディエゴの前に、なぜか家で留守番のはずの父親がやって来る。ランチを置いて行ったから届けに来たと紙袋を持っている父親だが、その場に戻って来たダニー を見ると表情が一変。手に持っていた紙袋もいつの間にか銃に姿を変えているではないか。近づいて来たダニーが自分に銃を向ける父親に唖然として立ちすくん でいたその時、銃声とともに父親が吹っ飛ぶ。そんな父親にさらに二発、三発…続けざまに銃弾を撃ち込んだのは、ショットガンを構えたグレースだ! その光 景に固まってしまったダニーだったが、次の瞬間、「パパ!」と慌てて倒れた父親のもとに駆け出そうとする。だが、そんなダニーをグレースが止めた。「あれ はあなたのパパじゃない、機械よ! 30秒以内に私と逃げないとあなたは死ぬ!」…グレースがダニーに叫ぶそのそばから、倒れた父親のカラダからドロドロ と液状のモノが流れ始め、徐々に姿を変えて行くではないか。グレースの物凄い剣幕に一緒に逃げ出したダニーとディエゴだったが、倒れていたはずの父親は奇 怪な姿勢で起き上がると、その顔はまったく別の男のモノに変わっていた。その男こそ、アパートに現れたターミネーターREV-9だった…!

みたあと

 正直言って「ターミネーター」シリーズと言っても、 作品としてそれなりに評価されているのは最初の「ターミネー ター」(1984)、続編の「ター ミネーター2」 (1991)だけ…というのが本当のところじゃないだろうか。今回も「2の正統な続編」みたいな言われようで、途中の3本はなかったことにされている。ま るでかつての「猿の惑星」シリーズ並みに悲惨な扱いである。それというのも、今回シリーズに復帰したジェームズ・キャメロンや関係者が、途中の作品は「な かったと思ってくれていい」などと言っちゃってるからだろう。世間も映画ファンも、まるで途中の3本はゴミ同然の扱いである。だが…ここだけの話、僕はそ の「途中」の作品もそんなに悪くはないのではないかと思っている。ハシにも棒にもかからないクズなどとは思っていないのだ。確かに第1作や「2」と比べれ ばあれほど立派ではないが、ターミネーターという稀有なキャラクターが出て来るSFアクション映画としては「ソコソコ」楽しめて退屈はしない。ぶっちゃ け、それが僕のホンネだったのだ。実際の話、シュワが大々的に出て来ない「ターミネーター4」(2009)は見ていないので何とも言えないが、「ターミネーター3」 (2003)にはみんなだって「そんなに悪くない」って言ってたじゃないか(笑)。評判がやたら悪い「新起動<ジェニシス>」だって、僕はターミネーター が出て来る活劇としては退屈せずに見た。クソミソにケナさなきゃならない映画なら、他にいくらでもあると思ったからだ。当のキャメロンだって、「新起動 <ジェニシス>」を「必見の作品だ!」って持ち上げていた気がするのだが(笑)。そもそも、みんなどれほどターミネーターに期待しているのだ。あのネタで 第1作や「2」に匹敵する作品が、これからもどんどん作れるとでも思っているのか。いいとこターミネーターが出て来る「ソコソコ」の活劇…というのが、ど う転んでもイマドキ「ターミネーター」シリーズの落としどころだとは思わないか。だから、今回みんなが過剰に途中の3本をコキ下ろすのが、どうにも腑に落 ちない。逆に言うと、今回の作品を「正統な続編」と別格視するのが不思議だったのだ。このネタは2本以上やれるネタじゃない。キャメロンを持って来ようが リンダ・ハミルトンが復帰しようが、それで大幅に素晴らしくなるようなもんじゃない。シュワもやたらに老け込んで出て来るみたいだし、そもそも役者の序列 の1番目がリンダ・ハミルトン…って、この人それほどのもんじゃないだろ。みんなそんなにリンダ・ハミルトンって好きだったのかよ(笑)。そんな違和感を バリバリ感じていたところに、アメリカにおける「ニュー・フェイト」大コケのニュースである。正直、「案の定」…である。だから、僕は思い切りハードルを 下げて、今回の作品を見に行った訳だ。

みどころ

  ズバリ言わせてもらえば、今回も決して悪くはない。普通に見ていて楽しめる。ポップコーンでも買って、食いながら見れば良かったと思ったほどである。その くらいの「敷居の低い」作品である。いわゆる、ターミネーターが出て来る「ソコソコ」楽しめる活劇映画…にはなっているのだ。特に後半のアクションのつる べ打ちは、確かにお腹いっぱいにさせるだけのボリュームはある。墜落しかかった輸送機内でのスッタモンダ、輸送機から落ちて…のダムでのスッタモンダ(こ のあたりは、普通なら死んじゃうよな…と思わせるシチュエーションの連打だが)…と次から次に危機また危機で、相当に頑張ってはいる。「デッドプール」で 評判をとったティム・ミラー監督も、それなりの腕の持ち主なのは分かった。これは評価してやらねばフェアじゃないだろう。
こ こからは映画を見てから!

こうすれば

 という訳で、「ソコソ コ」楽しめるという意味では「最上級」の「ソコソコ」ぶりを見せてくれる作品だ。だが、どれほど素晴らしくてもあくまで「ソコソコ」どまり…ではある。本 作は第1作や「2」に匹敵する作品になりようがない。それはキャメロンを連れて来ようがティム・ミラーだろうが、どうにもならない。これを製作しようとい う段階で、すでにそういう作品なのである。確かに見せ場はギューギュー詰め込んであって、サービス精神は評価できる。だが、そこには第1作や「2」にあっ た「新しさ」や「サプライズ」はない。ハッキリ言って、すべてこのシリーズですでに見たような趣向しかない。ビックリするほど新しさがない。やはりこのネ タは2本以上やれるネタじゃないから、いいとここんなものなのだ。また、俳優序列1番目がリンダ・ハミルトンだったというあたりで感じた悪い予感が的中。 僕らは無敵のシュワ=ターミネーターが大暴れする映画が見たいのであって、サングラスかけた婆さんが大暴れしたってスカッとする訳がない(笑)。脇に若い 連中を配して新鮮味を出したつもりだろうが、メインが高齢化しているから冴えないのだ。そもそも肝心のシュワ=ターミネーターが老け込んでるのもいけな い。物語性として新味を出したかったんだろうが、そんなもの誰も見たくない。シュワ=ターミネーターと強化人間のグレースとで、ダブルで自己犠牲が出て来 るのもいただけない。「2」の自己犠牲を「増量」したつもりなんだろうが、それはすでにもう「2」で見ているだけに単に劣化しただけだ。REV-9っての も「2」のT-1000がラテン風味になっただけの毎度おなじみ「とろけるターミネーター」(笑)。繰り返し繰り返し繰り返し…だけでしかない。それをご まかそうとして冒頭でジョン・コナーを殺すという荒技を見せるが、それってサプライズなようでサプライズではない。物語の中での必然性はまったくなくて、 ただのコケ脅しだ。おまけに「審判の日」を回避したはずなのに、スカイネットはなくなったが今度はリージョンが人類を攻撃…って、これじゃあモグラ叩き じゃないかい。この物語に無理があるとキャメロンともあろう者が気づかなかったのか。また、今回は社会風刺的な意味合いを出そうとしたのか、移民問題を彷 彿とさせる展開にするためにメキシコを舞台にしている。「ボーダーライン/ソルジャーズ・デイ」 (2018)みたいな場面まで出て来るが、それって果たして「ターミネーター」に入れるってのはどうなんだろう。また、重要な役割で出て来るダニーという 娘も、最初の頃に足手まといになるのは仕方ないとして、終盤になっても無力なくせに「私は逃げない!」「ここが決戦場=キルボックスよ!」などと威勢ばか り良くて、肝心の戦いは人任せ…というウンザリなキャラクター。とんだ「口だけ番長」である(笑)。 だが、本作にはもっと気になる点がある。劇中、サラ・コナーが自らを「聖母マリア」に模したギャグをつぶやいた時に過剰に場がシラーッとなったので、僕は ちょっと違和感を感じた。ところが終盤になって、未来からターミネーターがダニーという娘を殺しに来る理由が発覚した時、「幽霊の正体見たり」的な気分に なってしまった。つまり、かつてサラ・コナーが狙われた理由が「救世主の母親になる女」だったのに対して、ダニーは「救世主」そのもの…だというのだ。な 〜んとなく、こちらが「格上」…的な雰囲気を醸し出しているのである。これも勘ぐってしまうと、昨今の映画に蔓延するポリティカル・コレクトネスの一環み たいに見えなくもない。強い女はキャメロンの十八番だし、僕もそれを大いに楽しんできた。だから今回も普通に強い女にしておけば良かったのだが、そこに、 サラ・コナー=単なる「救世主」の母親、ダニー=「救世主」そのもの、だから「こっちが上」…みたいな「格付け」を持ち込んだのは、何となく奥歯でジャ リッと砂を噛んだようなイヤ〜な感じがする。どこか専業主婦よりビジネスウーマンが偉い…とか、かつて政治家が失言で「女は産む機械」とか言っていたこと にまつわるスッタモンダのような、それに似た何かイヤ〜なモヤモヤを感じさせるのだ。それは、従来のキャメロンが強い女が好きという趣向を前面に出してい たような、素直な気持ちの発露とは違うモノを感じる。明らかに、時代に媚びた嫌らしさを感じさせる。おまけに、その「格付け」でアゲたはずの女が「口だけ 番長」じゃあねぇ。これが今回一番イヤな点だった。…という訳で、アレコレ手を加えた結果、全体的に「これじゃない」感がスゴい。正直言って、これなら余 計なことをしていないだけ、まだ「ターミネーター3」や「新起動<ジェニシス>」の方がマシだったかもしれない。そんなところに、またしてもガッカリする ニュースが飛び込んで来た。監督のティム・ミラーが、本作はジェームズ・キャメロンに押さえ付けられて自分の思うように作れなかったとグチったらしいの だ。要は本作が大コケしたので、「オレのせいじゃない」と言いたかったのだろう。何と往生際の悪い、男らしくない奴なのだ。こいつがどう作ろうと、本作は そもそもこうなる運命(ダーク・フェイト)だった。小手先で直るものじゃない。こんなことを言ってるから「デッドプール2」(2018)の監督をクビにな るのだ。もうこいつには二度と映画を撮って欲しくはない。業界で徹底的にターミネートしていただきたい気分だ。

さいごのひとこと

 「口だけ救世主」じゃ人類破滅だよ。

 

「ガーンジー島の読書会の秘密」

 The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society

Date:2019 / 12 / 09

みるまえ

  最初にこの映画のチラシを映画館で見つけた時は、正直言ってあまり印象が良くなかった。何しろタイトルが「ガーンジー島の読書会の秘密」である。タイトル の中に2回も「の」が入ってしまう。こちとら一応物書きの末席を濁す人間である以上、これはどうしても気になってしまう。そうは言っても、僕自身がこれを 時々やってしまっているのでデカい口は叩けないが、出来ればこれは避けたいところだ。「大統領の執事の涙」(2013)のタイト ルがどこか変なのと同じで ある。そして、邦題は映画の出来に関係ない…と言いつつ、案外に邦題に違和感がある映画って問題アリなことが多いのだ。だから、「何だかなぁ」と思ってい たのだが、さらにチラシをよく見ると興味深い点がいくつか。どうやら舞台は「島」である。デカく出ているヒロインの服装からして、お話は戦時中から戦後ま もなくのイギリスが舞台らしい。おまけに「読書会」だから「本」が出て来る話だ。何となく「マイ・ブックショップ」(2018)と同系統の話みたいだ。だ が、「マイ・ブックショップ」はイザベラ・コイシェがプラカード上げて行進しているみたいな映画で、僕が期待していた「島」「戦後間もなくのイギリス」 「本」という面白くなりそうな要素が全然活かされていない映画だった。ひょっとしたらそのリベンジが果たせるのではないか。また、面白かった「人生はシネ マティック」(2016)のムードも何となく漂うではないか。アレも邦題は最悪だったが、戦時中のイギリスを舞台にした、ロンドンを遠く離れた場 所での映 画撮影の話。何となく本作もそれに通じるモノがある感じだ。チラシにど〜んと出ているヒロインの顔は、どこかで見たようで見てないようで…という感じ。た だ、今のイギリス出身女優は、ジェマ・アータートンとかエミリー・ブラントとかロザムンド・パイクとか、何となくそのあたりの芝居も美しさもソコソコある が決定打に欠ける若手女優さんが山ほどいる。だから、どれが誰だか分からない。本作のヒロインも、そんな訳で誰だか分からなかった。たぶん、見てみれば分 かるだろう(笑)。そんな訳で見よう見ようと思っていたら、さる知人が本作を大々的に推してくれた。そこへ来て、本作の上映終了が目前に迫った。同時に終 わる予定だったのは、エルトン・ジョンの伝記映画「ロケットマン」とチャン・イーモウの新作「SHADOW」。「ロケットマン」はどうやら「ボヘミアン・ ラプソディ」(2018)の作り手が絡んでいるみたいだが、「ボヘミアン〜」は何の思い入れもないクイーンの話だったから「映画が面白きゃい い」…で済ん だけれど、エルトン・ジョンの映画となれば話は別。エルトンには思い入れがあるから、下手に映画になんかして欲しくない。チャン・イーモウはチャン・イー モウで、もうこの人の中華チャンバラ美学もいいかげんお腹いっぱいだ。だから「ガーンジー島」一択。そこで、僕は慌てて映画館に駆け込んだ次第である。

ないよう

 1941 年、イギリス海峡に浮かぶガーンジー島。この時期、島はナチス・ドイツ占領下にあった。そんな星降る夜のこと、いい気分で酔っぱらった老人を連れて、森の 小道を歩く一団がいた。養豚業を営む男ドーシー(ミキール・ハースマン)、若い女性エリザベス(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)とアイソラ(キャサリ ン・パーキンソン)、そして酔っぱらっているのは老いた郵便局長のラムジー(トム・コートネイ)。ラムジーは酔った勢いでドイツ軍の悪口を吐きまくり、一 緒にいる連中はそれにヒヤヒヤしながら帰り道を急ぐ。案の定、彼らはドイツ軍兵士に呼び止められてしまう。占領下のこの島に無許可の「集会」の自由はない のだ。どんな「会合」だ…とその名称を問われて、エリザベスがとっさについたウソは「読書会」。おまけに、ナイス・タイミングでラムジーが「ポテトピール パイ」と口走ったあげくその場にゲロを吐いた。これで会合の名前は「ガーンジー島の本とポテトピールパイの会」と勢いで決まった。幸いにもウンザリしたド イツ兵士は、「近々調査に行くぞ」と告げただけでその場を離れた。だが、そうと決まったらこの「読書会」を本当にやらない訳にはいかなくなったのであ る…。1946年、戦争は終わっていた。ここはロンドン。若手女流作家のジュリエット・アシュトン(リリー・ジェームズ)は、新刊のキャンペーン中。正直 言ってイマイチ気が乗らない。「イジー・ピッカースタフ」なる男性名でヒットを飛ばしているものの、それを快くは思っていない。長い付き合いの編集者シド ニー(マシュー・グード)には感謝しているものの、現状に満足しているかというと微妙なところだった。その日は、新居を探すためにシドニーの手配した高級 アパートへ。ロンドン一等地の眺めのいい部屋…というのが不動産屋の「売り」だったが、その瞬間、爆撃で吹っ飛んだかつての住居のイメージが脳裏をよぎ る。父母も戦火の犠牲となったジュリエットは、いまだに平和になった今の世の中との折り合いがつかない。シドニーもそんな彼女を黙って見守ってやるしかな いのだ。そんなジュリエットには、気になる男が一人。軍の仕事でイギリスに駐留しているアメリカ人マーク(グレン・パウエル)だ。華やかな世界を知るマー クは、会っていて楽しい男。二枚目の彼から遠回しに求婚されれば、悪い気はしない。そんな浮いた気分でアパートに戻って来たジュリエットを待っていたの は、一通の手紙だった。差出人は、ガーンジー島のドーシー。彼はたまたまジュリエットがかつて手放したチャールズ・ラムの本を手に入れて、そこに書いて あった彼女の住所に手紙を送ったのだった。その手紙で、ドーシーはドイツ軍から豚肉を隠すために誕生した「ガーンジー島の本とポテトピールパイの会」につ いて説明すると、島には本屋がないのでチャールズ・ラムの「シェイクスピア物語」を買いたいと頼み込んだ。これに興味を抱いたジュリエットは、早速、ドー シーに返事を書いた。「本を進呈しますから、三つ質問をさせて。なぜ豚肉を隠すの? なぜそこから読書会が生まれたの? そもそもポテトピールパイって 何?」…。こうしてドーシーと手紙のやりとりをするようになったジュリエットは、ガーンジー島の読書会にいたく関心を抱いた。自らの創作にも煮詰まったも のを感じていた彼女は、これが格好の題材になるとピンと来た。そこでジュリエットは、シドニーに無理を言ってガーンジー島への渡航を決意。船での出発前 に、駆けつけたマークから指輪とプロポーズを受けるというサプライズもあり、気分は最高潮に高揚した。こうして大いなる期待を抱いてガーンジー島に上陸し たジュリエットだったが…。

みたあと

  冒頭で本作を「マイ・ブックショップ」と比較して云々してしまったのは適切ではなかったかもしれないが、どうしたってこれは意識せざるを得ない。あまりに 共通するテイストがあり過ぎだからだ。そして「マイ・ブックショップ」を見た時には、僕が同作に期待していた「島」「戦後間もなくのイギリス」「本」…な どの要素があまりに活かされていなくて悔しい思いをしたということもすでに述べた通り。では、本作はそのあたりどうだったのか?…と言えば、これが素晴ら しいのだ。ハッキリ言って、僕が「マイ・ブックショップ」に求めていて得られなかったものが、こちらには全部あったと言うべきだろうか(笑)。ただ、厳密 に言うとそのうち「本」に関する要素だけはちょっとニュアンスは異なるだろうか。あくまで「マイ・ブックショップ」との比較で語るのはどうかと思うが、あ ちらの場合は「本」といっても読者や書店側の話。つまり「受け手」の話だ。だからこそ、本の魅力をもっと描くべき…と僕は指摘したのである。それに対して こちらは、「読書会」の話だとは言ってもあくまで豚肉を隠すためのカムフラージュが出発点。ヒロインが作家である…というのがメインの話だ。つまり、ここ での「本」は発信側の話。本を作る側、作家側の気持ちが描かれているかどうかが肝心なのである。

こうすれば

 そんな訳で、まずはこの映画の少々気になったとこ ろから語った方が良さそうだ。非常に気に入った映画ではあるが、ちょっとここは…と思った点を挙げると、それはヒロインのキャラクターだろうか。いきなり 島に乗り込んで読書会メンバーの中に入って行くまではいいとして、彼らが渋っている事の真相にどんどん踏み込んでいく。ハッキリと拒まれているのに、自分 の作品の題材として書きたいとズケズケ割り込んでいく。さすがにこのあたり、ヒロインの無神経さや鈍感さがちょっと気になった。おまけに最後にすべてを書 いた原稿を、読書会メンバーに送りつけるというのも…あんな原稿送りつけられたらもう出版許可するしかないだろ(笑)。意外にこのヒロイン、図々しいので あ る。だが、それも彼女のブキッチョな純粋さの表れと思えば納得できないでもない。それに、真相を知ったら書きたくなるというのは作家の業というものなの だ。

こ こからは映画を見てから!

みどころ

  作品そのものは、全編おっとりとしたコクみたいなものがあって、上品な英国臭が感じられて気に入った。ちょっとしたミステリー映画の趣もあるのが、イギリ ス製らしくていい。「島」「戦後間もなくのイギリス」といった僕の求めていた要素も、前述のごとく完全に満たされた。ただ、エンディングは…本作では作家 志向のヒロインがこんな辺鄙な島で養豚業を営む男と結ばれる結論となっていて、さすがにこれは本来ならば無理がある展開…となりそうな感じがしないでもな い。しかし、それ以前に本の趣味で意気投合…という段取りを踏んでいて、なおかつ当時のアメリカのテカテカさを強調しているので、普通ならあり得ない「格 差婚」がリアリティーがある選択に感じられる…という仕掛けになっている。これはなかなかうまい。フェミニズム的な味付けが押し付けがましくなくて好感が 持てる。その一方で、ヒロインにフラれるアメリカ男の描きかたもなかなか良心的。フラれたことで怒って去ったと思ったら、そっと戻ってきてヒロインの頭に キスする場面を入れて、この男をコケにせずちゃんと花を持たせてあげている。こういう細かな心配りが嬉しいのだ。娯楽映画には、こうしたデリカシーが大切 なのである。そして何より、先にも述べたような作家の業が描かれている点も、僕としては大きな共感ポイントだった。自らも実際に完成した本には書けなかっ た話も取材でいっぱい聞いてきた人間としては、実に身につまされる話だった。僕自身、下手に他人の事情に首を突っ込んでヒヤヒヤしたことがあったから尚更 である。本作の監督マイク・ニューウェルについては、「フォー・ウェディング」(1994)、「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」 (2005)、「プリ ンス・オブ・ペルシャ/時間の砂」(2010)…など、何とも掴みどころのない映画作家という印象だった。だが、今回は「英国臭」を前面に押し出 して、か なり「この人らしい」映画を作っているのではないだろうか。ヒロインを演じたリリー・ジェームズは先にも述べたように、今までどこかで見たようで見ていな いような曖昧なイメージだったが、何とあの実写版「シンデレラ」(2015)のヒロインだったとは! 「ベイビー・ドライバー」(2017)の主人 公の恋 人役も彼女だったと知って、その振り幅の激しさにかなり驚いている。でも、今回は彼女の個性はかなり鮮明に焼き付いたのではないか。嬉しかったのは、「ド クトル・ジバゴ」 (1965)、「将軍たちの夜」(1966)、「魚が出てきた日」(1967)などでクセモノぶりを発揮していた英国名優トム・コートネイが面白老人役で 出て来たこと。そして、リチャード・アッテンボロー監督がアパルトヘイトに抗議して作った「遠い夜明け」(1987)で主人公ケビン・クラインの妻役を演 じていたペネロープ・ウィルトンが、読書会のリーダー格の老女役で出て来たので大いに驚いた。えらく老けていたのにも二度ビックリだったが、まぁ、いいか げんこちらも老けたということなのだろう(笑)。

さいごのひとこと

 「マイ・ブックショップ」と二本立て上映したい。

 


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