新作映画1000本ノック 2019年10月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「ラスト・ムービースター」 「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」

 

「ラスト・ムービースター」

 The Last Movie Star

Date:2019 / 10 / 21

みるまえ

  そういえばバート・レイノルズって去年亡くなっていたんだよな…とフト思い出したのは、本作の公開を知ったから。僕が映画の面白さに目覚めた1970年 代、バート・レイノルズはアメリカ映画きってのアクション・スターだった。それが何がどうしてそうなったのかは分からないが、ある日突然に没落。それでも タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019)に出演すると聞いて楽しみにしていたのに、出演直前に亡くなってしまったらしい。本作は2017年の作品らしいが、亡くなる前年にレイノルズが本人を彷彿とさせる作品に出演していたとは知らなかった。ちょっとハリー・ディーン・スタントンの「ラッキー」 (2017)を思わせる雰囲気があって、僕としては気にならざるを得ない。ただ、僕が今まで本作の存在も知らなかったくらいだから、本国だって大ヒットし た訳でもなさそう。だが、そのあたりがバート・レイノルズというスターの微妙な位置づけにピッタリなのかもしれない。例え映画がつまらなくても、1970 年代アメリカ映画が映画ファンとしての原点である僕としては、本作を楽しめない訳がないだろう。下手すると早く終わってしまうと思った僕は、慌てて劇場に 駆けつけた。

ないよう

  かつてのテレビのトーク番組に登場する、ハリウッド・スターのヴィック・エドワーズ(バート・レイノルズ)。オーディションでの笑い話を披露して大ウケを とる彼には、確かに大スターの余裕が感じられた。それから幾年月…。すっかり年老いてしまったヴィックには、もはや往年の輝きはすでにない。彼はショボく れた様子で、じっと犬猫病院の待合室に座っていた。やがて診察室に入った彼は、獣医から愛犬の病状を聞かされる。あちこちガタが来てもはや手の施しようも ない愛犬は、安楽死させてやるのが唯一の救い。そうは言われても、ヴィックにだって「お別れ」の覚悟が要る…。かくして、たった一人クルマで帰宅した ヴィック。広大な邸宅だが、他には誰もいない。歩くのに杖が欠かせない彼は、店が開けるほどの数のクスリの世話にもなっている。そんなヴィックは、ポスト に入っていた封筒に目をやった。「国際ナッシュビル映画祭」からの生涯功労賞授賞式への招待…。ふん、くだらん…。だが、旧友でこれまたかつて映画スター だったソニー(チェビー・チェイス)にカフェでその話をすると、彼は「行くべきだ!」と即答。おまけに彼によれば、その映画祭の功労賞は過去にデニーロ、 ニコルソン、イーストウッドなど蒼々たるメンツがいたというではないか。それを聞いたヴィックは、自宅のゴミ箱に突っ込んだ招待状を拾い上げた。かくして 旅行カバンを携えたヴィックは、いざ空港へ。ファースト・クラスのカウンターにごく当然という顔で参上である。だが、送られて来たチケットはエコノミー。 この時、イヤな予感に気づけばよかったのかもしれない。ナッシュビルの空港に着いたヴィックは、これまた当然のようにリムジンの出迎えを待っていた。だ が、やって来たリムジンは地元カントリーバンドの送迎用。そのリムジンと交代するかのようにポンコツ中古車がやって来て、降りて来たパンクな鼻ピアス姉 ちゃんリル(アリエル・ウィンター)はその手に「ミスター・エドワーズ」と書いた大きな厚紙を持っているではないか。だが姉ちゃんはそこにいるヴィックに は目もくれず、スマホにマシンガントークをぶつけながら空港ビルに入って行く。その電話の内容も、兄ちゃんにヴィックの送迎車の運転手役を押し付けられた 愚痴だの、電話の相手であるビヨルンなる恋人との痴話喧嘩だのを口汚くわめく類いのもの。仕方なくヴィックは、杖で姉ちゃんを突いて自分を知らせるハメに なる。こうしてイヤな予感に襲われながらリルのクルマに乗り込んだヴィックだが、リルはスマホ片手の危うい運転ぶり。しかも、どうやら彼女の恋人ビヨルン はロクでもない男らしい。それが筒抜けになるくらい、一部始終を電話でまくしたてるリルだった。こうして着いた宿は…といえば、高級ホテルとはウソでも言 えない汚い安宿。「騙された!」と怒ってももう遅い。リルも翌日に迎えに来ると言って帰ってしまった。この仕打ちに大荒れするヴィックだったが、当たり散 らした末にテレビが頭に当たって卒倒するハメに。結局、翌日にリルが迎えに来た時には、頭に絆創膏を貼って出て来たヴィックだった。こうしてリルのクルマ で連れて来られた映画祭「会場」は、何のことはない町のしがないバー。それでも主催者のダグ(クラーク・デューク)とその片腕で超映画ファンのシェーン (エラー・コルトレーン)、それにカメラ片手にすべてを記録するスチュアート(アル=ジャリール・ノックス)はヴィックを大歓迎。バー一杯に集まったファ ンたちも大興奮だ。豪華な劇場のレッドカーペットを期待していたヴィックとしては、場末のファン・イベントに過ぎない「映画祭」にガッカリ。それでも殺到 するファンがスマホやカメラで撮りまくり、盛んにサインを求められてみれば、最近こんな歓待にとんとご無沙汰のヴィックも嬉しくなる。多少ご機嫌を取り戻 したヴィックは、ステージでのご挨拶に参加。それでも壁にかけたショボいスクリーンに彼の旧作西部劇が上映されると、ヴィックはこっそりとその場を抜け出 してバーのカウンターへ。一杯やり出したヴィックはその場にやって来たリルに話しかけるが、そこで衝撃的な事実を知ることになる。「これは本当にナッシュ ビル国際映画祭なのか?」「そっちとは違う、ウチは国際ナッシュビル映画祭」「この映画祭ではデニーロ、ニコルソン、イーストウッドも受賞したんだろ?」 「呼んでも本当に来たアホはあんただけよ」…。上映が終わってヴィックがその場にいないことに気づいたダグ、シェーン、スチュアートは、ヴィクを追って慌 ててバーの外へ。すると、そこには泥酔しきったヴィックがいた。何とかなだめすかして会場へヴィックを戻したダグたちだが、酔って絶望したヴィックは悪態 をつき放題。映画祭まで罵るアリサマだ。何とかホテルに連れ帰っても、ヴィックのご機嫌は治らない。散々ダグたちを罵倒したあげく、スチュアートのカメラ を取り上げて窓から放り出す始末。もはやみんなお手上げである。ともかく翌日またヴィックを迎えることになったが、今度は例のビヨルンと仲直りしてシッポ リしていたリルが朝寝坊。電話で叩き起こされたリルは、慌てて火照るまでヴィックを迎えに行く。だが、案の定ヴィックはご機嫌斜め。今日のイベントには出 ないし今後も出ない、これから帰るから空港まで送れ!…と言い張る。どうやらこれを翻意させることは無理だと悟ったリルは、渋々ヴィックをクルマに乗せて 空港へと急ぐ。だが、それにしたって…と、我関せずを通して来たリルも、さすがにヴィックに苦言を呈さずにはいられない。「いくらダグとあの映画祭がショ ボくたって、あれは残酷よ」「人生は残酷なもんだ」「私たちが貧乏だからそんなに横柄な態度なの?」「オレは誰にだって横柄だ」…と何を言ってもヌカに 釘。ところがハイウェイを走っているうちに、沿道の行き先表示を見たヴィックの表情が変わった。「次の出口でハイウェイを降りろ」「空港に行くんじゃない の?」「この週末はオレのお抱え運転手だろ? いいから降りろ!」
…。

みたあと

 ここんとこ、すでに「晩年」に入って来た往年のスターたちの、人生を総括したような作品が続いている。先に挙げたハリー・ディーン・スタントンの「ラッキー」に始まり、クリント・イーストウッドの「運び屋」(2018)、ロバート・レッドフォードの「さらば愛しきアウトロー」 (2018)などがそうだ。いずれも映画ファンの心をくすぐる企画で、1970年代アメリカ映画が大好きな僕としても嬉しい。考えてみると…この手の最初 の作品といえば、ドン・シーゲル監督がジョン・ウェイン主演で、まるでウェインの西部劇でのキャラクターを総括したかのような「ラスト・シューティスト」 (1976)を撮ったのが最初だったかもしれない。今回の作品も、間違いなくバート・レイノルズありき…の企画である。レイノルズ自身とおぼしき往年の映 画スター主人公を巡る物語。では、その「レイノルズ自身」は果たしてどんな映画スターだったのか。イマドキのファンはほとんど知らないスターなだけに、一 応ここで駆け足でおさらいしなくてはなるまい。僕がバート・レイノルズの名前を知ったのは、テレビシリーズ「警部ダン・オーガスト」 (1970〜1971)である。精悍な顔つきの刑事が大暴れするドラマで、僕は結構面白く見ていた覚えがある。実はこの前にもテレビシリーズの主演を勤め ていたことがあり、映画もB級ながら主演をいくつかやっていた。さらにはマカロニ・ウエスタンにも出ていた…というあたりが、今回タランティーノの「ワン ス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のモデルとなったと言われる所以である。ただし、僕はこの時代の彼をまったく知らない。それでも、いきなりハ リウッドで売れ出した…という雰囲気は分かっていた。たぶんそれはジョン・ブアマンの問題作「脱出」(1972)がキッカケだったように思う。この作品は アカデミー作品賞にもノミネートされたシリアスな作品で、レイノルズの評価もウナギ上り。だが、その後はこうした作品にはお呼びがかからなくなってしま う。ひたすら、アクション娯楽作一辺倒になっていくからだ。その中で印象に残るのは、後にテレビで見た「シェイマス」(1972)だろうか。タフな私立探 偵役で、ありきたりと言えばありきたり。ただし、走るわ殴るわよじ登るわ…と、とにかくカラダがよく動く。それだけで痛快になる作品だ。後のアーマンド・ アサンテ主演「探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!」 (1982)を思わせる活劇魂には脱帽した覚えがある。つまりは、こういう魅力で人気が出た人なのである。そしてロバート・アルドリッチの刑務所内のフッ トボール試合を描いた「ロンゲスト・ヤード」(1974)で、さらに人気爆発。おそらくレイノルズの代表作と言えば、これなのではないだろうか。次に僕が 見たレイノルズ作品は、スタンリー・ドーネンのアクション・コメディ「ラッキー・レディ」(1975)。ジーン・ハックマン、ライザ・ミネリ共演と豪華版 だが、ミュージカルの巨匠だったドーネンもこの頃は峠を超えていて、いろんな意味で残念な作品。おそらくレイノルズにとっても勝負作だったはずだが、なぜ かこれ以降も「勝負作」になるとハズす…という悪いクセが出る。次の「ハッスル」(1975)はフランスからカトリーヌ・ドヌーブを迎えて、監督は「ロン ゲスト・ヤード」で成功したロバート・アルドリッチ。しかし、これも失敗。ピーター・ボグダノヴィッチ監督でライアン・オニールやテイタム・オニールと組 んだ映画創成期を描くコメディ「ニッケルオデオン」(1976)も、愛すべき映画だが失敗。ことごとく「勝負」に負ける運のなさだ。その合間に出ている定 番アクション映画はソツなく当たっていたからスターであり続けたが、本人は忸怩たるものがあったのだろう。やがてサリー・フィールドと共演のカーアクショ ン映画「トランザム7000」(1977)が大当たりして、またまたそっちの方は安定。この作品は単にヒットしただけでなく、レイノルズ馴染みのスタント マンだったハル・ニーダムを監督に起用した第1作だったこと、フィールドとの縁が出来て恋人になったこと…も大きかった。だが、相変わらず意欲作はコケま くる。アラン・J・パクラ監督の下でキャンディス・バーゲンや「結婚しない女」(1978)のジル・クレイバーグ共演で描くコメディ「結婚ゲーム」 (1979)や、ドン・シーゲル監督でレスリー=アン・ダウンやデビッド・ニーブン共演で宝石泥棒のロマンティック・サスペンスを描いた「ラフ・カット」 (1980)が、どれも楽しい作品なのにイマイチ評判にならない。一方、「キャノンボール」(1980)なんてヌルい大味映画にも出ちゃうが、こっちが当 たってしまうからレイノルズにとっては辛いところ。オールスターのアクション・コメディとしてロジャー・ムーアやディーン・マーティンからジャッキー・ チェンまで集めたはいいが、何となくこの当時ですら1960年代の作品みたいに時代遅れ感がある映画だった。そんなこの時代の数少ない収穫としては、彼の 監督主演作「シャーキーズ・マシーン」(1982)を挙げるべきだろう。実はレイノルズは「ゲイター」(1976)から何作か監督にも手を染めており、こ の「シャーキーズ・マシーン」は彼の監督作でも快作。お話は典型的刑事アクションなのだが、ランディ・クロフォードとクルセイダーズの「ストリート・ライ フ」が流れるイントロがとにかくカッコいい。レイチェル・ウォードからブライアン・キース、何とイタリアからヴィットリオ・ガスマンまで招いたクセモノ役 者陣も豪華。これはもっと評価したい作品である。しかし、やはり意欲作だったはずのブレーク・エドワーズ監督、ジュリー・アンドリューズ共演のフランソ ワ・トリュフォー「恋愛日記」(1977)のリメイク「グッバイ、デイビッド」(1983)がまたまたコケて、日本では未公開の憂き目に。さらに最悪だっ たのは、当時は2大アクション・スター豪華共演だったはずのクリント・イーストウッドと組んだ「シティヒート」(1984)。これが失敗作に終わった時点 で、レイノルズの命運は尽きたのではないだろうか。このあたりでガクッと日本公開作が減っていったし、ライザ・ミネリと再共演の「レンタ・コップ」 (1987)やクリストファー・リーブとキャスリーン・ターナー共演の「スイッチング・チャンネル」(1988)もやたら地味な公開のされ方で、明らかに ピークが過ぎてしまった感じがしていた。そのうちまったく劇場にも映画が来なくなってしまって、どうしたのかと思ったらテレビに出ていたらしい。だが、そ れもいつの間にか終わっていた…という寂しさである。そんなレイノルズが忽然と復活したのが、マーク・ウォールバーグの出世作ともなったポール・トーマ ス・アンダーソン監督の「ブギーナイツ」(1997)。ここでのポルノ映画監督役の好演ぶりが、オスカー助演男優賞ノミネートにつながったのだ。しかし、 「復活」もそこまで。オスカーは結局取れなかったし、その後の展開もなかった。せいぜいスタローンのレース映画「ドリヴン」 (2001)に出演したくらいだろうか。結局、またまたレイノルズはどこかに消えてしまった。そんな「忘れられた状態」で死のニュースが届いたのである。 突然消えてしまったような印象があることや、たまに顔を見かけるとガックリと容貌が変わった老けっぷりを見せていたことなどから、何か大病でもしたんじゃ ないかと思っていた。実際には泥沼離婚やら破産やらと辛酸をなめ尽くしていたようだが、寂しい晩年であったことは間違いない。久々にいい話題だったのがタ ランティーノの「ワンス・アポン〜」出演のニュースだったのだが、それも叶わずに突然亡くなってしまった。まさかそのレイノルズが、最晩年に自らの遺言み たいな主演作を撮っていたとは…。そんな訳で、本作を見るにあたっての僕の心境は、すこぶる複雑なものだった。1970〜1980年代のアメリカ映画を見 て来た僕にとって、彼の絶頂期は完全に自分のテリトリーだ。何しろブルース・スプリングスティーンが絶頂期に発表した2枚組アルバム「ザ・リバー」 (1980)の中の「キャデラック・ランチ」という曲に、バート・レイノルズの名前が歌われている程だ。だがその一方で、全盛期にレイノルズが陥っていた ジレンマもよく分かる。さらに、世間でウケていた彼の出演作には、実はそれほど関心がなかった。だから、本作には単純に「懐かしい」などと喜べない感じ だった訳である。

こうすれば

  そもそもこの映画の企画を聞いた段階で、僕はちょっと微妙な気分になった。確かに往年のスターの人生総括映画として、ジョン・ウェインに始まり最近では レッドフォードに至る「あの路線」の作品を思わせる。だが、ひとつだけ違う点がある。「あの路線」の作品群のスターたちはまだ第一線に立っていたか、少な くとも余力を十分に残した状態でこれらの作品に出演していた。だが、バート・レイノルズは違う。完全に鳴りを潜めていて、僕などは本作の企画があったこと すら驚きだった。そして本作は、そんな彼の「落ち目」をネタにした映画なのだ。本作の宣伝で「往年のスターへのリスペクト」とか「映画愛」とか言っている が、よくよく考えていただきたい。ご本人がそもそも本当に「落ち目」でしかも立ち直れていないまま晩年を迎えているのに、久々の主演をオファーされたと思 えば「これ」である。これって、本作に描かれたポンコツ映画祭への招待以上にキツいことだとは思わないだろうか。もし僕がこの映画の製作者だったら、とて もじゃないが本人にこの脚本を渡せない。劇中でレイノルズが「人生は残酷なものなんだ」と言うセリフがあるが、本作こそ残酷の極みである。このオファーを 気持ちよく引き受けたレイノルズはさすが…などと言う気にはなれない。その意味で、本作の作り手は非常に残酷な連中である。何しろ本人そのものなんだか ら、ここで描かれている転落のドラマは迫力が違う。作り手としては、ここでレイノルズさえ起用できれば成功だ。なるほど作り手としては彼の出演を熱望する だろうが、それってリスペクトなんだろうか。実は本作における「映画愛」も映画ファンに対する免罪符みたいなもので、そう言っておけば評価が甘くなるとい う打算すら勘ぐられかねない。実際のところ、本作自体は大して出来がいいとは言えないのだ。例を挙げれば、レイノルズが過去の作品の自分と同一画面で対峙 する場面がそうだ。「脱出」と「トランザム7000」というレイノルズの代表作といえる2作のフッテージに現在の彼自身を合成した場面は、一見「うまく やったな」と思わせる。いいアイディアに思える。実際、予告編やら宣伝でもこの場面のことが取り上げられて、さも「うまい」場面のように語られている。だ が、実際に見てみると、「そういう場面がある」以上の意味はない。まず、新旧レイノルズ同士のセリフのやりとりが、面白くも何ともない。どうでもいいこと しか言ってない。ただ「合成した」というだけで、正直言って飲み屋での与太話か単なる思いつきレベルのものでしかない。また、主人公の往年のスターによる 故郷への旅も、それっぽいエピソードを並べているだけで誰でも思い付きそうなレベルの話にしかなっていない。脚本の「うまみ」はあまり感じられないのだ。 いや、むしろヘタクソな部類だと言うべきかもしれないのである。

みどころ

  では、本作は失敗だったのか? これが何とも不思議なのだが、実はそうはなっていない。元々の企画にはいかがなものかと思わせる点もあり、上手な映画とも 言えない。にも関わらず、見終わった時の印象は必ずしも悪くない。いや、むしろ好ましいとさえ言える。これは果たしてどうなのだろうか? まず最初に挙げ られる点と言えば、全編を通じて「悪人」が出て来ないということは言えるかもしれない。これって簡単なようで実は難しい。ひとりも敵役を出さないでドラマ を成立させるのは、イマドキでは至難の業なのである。だから、とても後味がいい。当初、レイノルズをダシに使ったような企画のあり方にいかがなものかと思 わされたものの、この後味の良さのおかげでかなりそれが中和されている。まずは、この点を評価したい。さらにキャスティングが良かった。最大の功労者は、 レイノルズと道中を繰り広げるハスッパな姉ちゃん役のアリエル・ウィンター。彼女とレイノルズのコンビネーションがすこぶる良かった。この人、近い将来に ブレークするんじゃないだろうか。また、映画祭の主催者三人衆…というか三バカ・トリオみたいな連中が、いずれも好感の持てる役者なのも良かった。本作の 佇まいにシックリ似合っているのである。実はバート・レイノルズ自身は最初出て来た時はスターのオーラも何にもない、老いさらばえてカサカサになっちゃた 単なる老いぼれジイサンにしか見えなかった。というか、実際にただの素人の年寄り同然だったのではないだろうか。アレは演技や演出の賜物とは思えない。お そらく現役から遠ざかって華やかさも失せていたのが本当の姿だったのだろうと思う。それが映画の話が進むうちに、徐々にエンジンが暖まって来るようにイキ イキして来る。これは周囲の役者たちがうまく盛り立ててくれたおかげではないか。その意味でも、キャスティングがうまくいっていたと思うのだ。もうひとり ビックリしたのはいきなり出て来たチェビー・チェイスで、さすがに彼を見た時には自分も老けたんだな…と逆に実感させられてしまった。あの「ファール・プ レイ」(1978)の彼を思い出すと、あまりの老けっぷりに唖然とすること請け合いである。そして何よりも本作が優れている点は、皮肉にも本作がヘタクソ な映画になっていることだ。正直言って「落ち目」のレイノルズに「落ち目」のスター役を演じさせるのは、かなり残酷な話だ。だが、作り手はそこまで考えて いない。「脱出」「トランザム7000」でのレイノルズと現在の彼自身を合成で同一画面に出す場面と同じく、それは単なる思いつきに過ぎない。ただ、 ちょっと面白いかな…と思ってやっただけで、作り手に残酷さに対するそこまでの覚悟は感じられないのだ。劇中ではショボい映画祭にレイノルズが招かれる が、その主催者と同レベルの素人臭さとさえ思える。だが、ヘタクソさの効用という面もあって、ほとんどレイノルズの存在がドキュメンタリーのような効果を 発揮した。だから、作品の内容以上の効果が出てしまったのである。そうなってみると、本作自体があの「手作り映画祭」レベルであったことが、かえって好ま しくさえ感じる。少なくとも、作り手は無神経ではあっても悪意はない。善意でこれを作っていることは間違いないと確信できる。だから作り手の実力以上に、 本作は勝手に盛り上がってしまう。見るからにチャチで安っぽいトロフィーを片手に、レイノルズが「これからはこの賞に恥じないように生きていく」と語るく だりで、不覚にも涙が溢れてしまうのだ。脚本・監督のアダム・リフキンにとってはこんなことを言われて嬉しくもないだろうが、映画ってのは「うまく」作っ てあればいいってもんじゃない。これはその典型的な証拠である。

さいごのひとこと

 有終の美を飾れて良かった。

 

「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」

 Fast & Furious - Hobbs & Shaw

Date:2019 / 10 / 21

みるまえ

 ロブ・コーエンが始めた「山椒は小粒でも…」的なピリリと辛いカー・アクション映画「ワイルド・スピード」(2001)が、いつの間にかアクション大作シリーズとなって延々続くとは思ってもみなかった。ご存知の通り、このシリーズになぜか5作目「MEGA  MAX」(2011)よりドウェイン・ジョンソンが参戦。7作目「SKY MISSION」 (2015)からはジェイソン・ステイサムまで参加。どんどんスケールアップして、キャストもどんどん大所帯化。おまけにヒットに次ぐヒットと来るから ビックリだ。だが、好事魔多し。「SKY MISSION」撮影中に、シリーズの主柱のひとりポール・ウォーカーが事故死。「ICE BREAK」 (2017)からは彼はシリーズから退場する。さらに…これはもっと困ったことなのだが、いまやシリーズの大黒柱であるヴィン・ディーゼルとドウェイン・ ジョンソンが大っぴらに対立。これが単にシリーズの主役と脇役の対立なら、ドウェイン・ジョンソンを切って捨てれば済んだ話。だが、ジョンソンはシリーズ 加入後、スター・バリューが格段にアップ。ある意味ではジョンソンの方が「格上」になってしまった。そんなこんなで、シリーズに微妙なムードが立ちこめた 訳だ。そんなディーゼルとジョンソンの対立がこじれたもうひとつの要因が、本作「スーパーコンボ」である。「ワイルド・スピード」シリーズそのものは第 10作で終了することが既成事実化しているようなので、映画会社としても「その後」を見据えなければならない。映画会社としては、人気スターのジョンソン とステイサムを分離して、スピンオフ作品を作った方が大きく稼げる。しかも、シリーズをさらにここから先に存続できるかもしれない。一方で、そりゃあ正直 言ってディーゼルとしちゃ面白くはないだろう。かくしてディーゼルとジョンソンの反目は、修復不可能なレベルにまでなってしまったようである。ただ、近年 は特にこの作品、「水戸黄門」ご一行みたいに大所帯になるとともに、やたら「ファミリーの絆」を強調するようになっていた。早い話が「リーサル・ウェポン」 (1987)シリーズみたいな展開だったのだが、それなら尚のこと主役陣の対立はシラける。ハッキリ言って、スッキリ楽しめないのだ。そんな渦中の「スー パーコンボ」公開という訳である。この犬猿の仲の二人を分離して、果たしてスピンオフをやってうまくいくだろうか…という試金石となるだけに、その出来映 えがちょっと気になる。そんな訳で、イソイソと劇場に駆けつけた次第。

ないよう

  夜のロンドン、その上空を一機の軍用ヘリコプターが低空飛行している。めざす建物のそばに着陸したヘリから降り立ったのは、イギリスの諜報機関「MI6」 が送り込んだ完全武装の特殊部隊。その中に紅一点のハッティ(ヴァネッサ・カービー)がいた。特殊部隊は建物内の駐車場を急襲。そこからトラックで出発し ようとしていた一団を、あっという間に制圧した。ハッティはいち早くトラックに乗り込み、荷台に置いてあるアタッシェケース仕様の装置を確保。中身を確認 すると、そこにはナゾの液体が入ったカプセルが仕込まれていた。ところが、夜のロンドンで暗躍していたのは彼らだけではなかった。バイクに乗った黒尽くめ の男が、同じ建物に駆けつける。駐車場に乗り込んだその男ブリクストン(イドリス・エルバ)は、不敵なツラ構えで特殊部隊の前に登場。人間業とは思えない 強さで、特殊部隊の連中をバッタバッタとなぎ倒すではないか。確かにこの男、人間業じゃないというか、そもそもただの人間じゃなさそうだ。弾丸まで役に立 たない無敵ぶりである。味方がことごとくやられていくのを見たハッティは、慌ててトラックの荷台の扉を閉じる。だが。ブリクストンはその扉に駆け寄って拳 で叩き破ろうとするからハンパじゃない。慌てて運転席に移ったハッティは、バックに急発進して駐車場の扉をブチ破るが、その勢い余ってトラックは横転。何 とか起き上がったハッティは、運転席から再度荷台に移って例のアタッシェケース仕様の装置を作動。装置に手の平を当てて何かを打ち込んだ。すると、カプセ ルの中身が徐々に減っていく。どうやらハッティはカプセルの中身を手の平から自身の体内に注入したらしい。ブリクストンがトラックに駆け寄った時には、す でにハッティの姿はなかった。ブリクストンは特殊部隊の通信機を奪うと、「MI6」に対してハッティが「ブツ」を奪ったと偽の報告をするのだった…。その 頃、地球の両端に滅法タフな男がふたりいた。元・FBI特別捜査官のルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)と、元・MI6エージェントのデッカード・ ショウ(ジェイソン・ステイサム)である。この二人はまさに水と油、天と地。片や陽光まぶしいロサンゼルス、片や雨ふる曇天ロンドン。片やタンクトップ姿 でお目覚め、片や寝室でもキッチリとパジャマ姿。片や生卵をバンバン割ってジョッキに入れて一気飲み、片や卵をフライパンで焼いて丁寧にオムレツ作り。車 庫を開けてお出かけの時も、片や屈強な4WD、片やスタイリッシュなスーパーカーだ。そんな二人には、今日も今日とて悪漢退治の依頼がケータイに入る。ど ちらも悪漢の根城に単身乗り込んで、情け容赦ない制裁を加えるのは変わらない。そんなホブスがダイナーで娘のサマンサ(エリアナ・スー)と過ごしている と、やって来たのは旧知のCIA捜査官ロック(ライアン・レイノルズ)。おくつろぎのところを闖入して来たロックにホブスはいささかおかんむりだが、ロッ クは一向に気にしていない。だが、ホブスもロックの話を聞くうちに、すげない態度を取る訳にいかなくなってきた。話によると「MI6」がテロリストから奪 還した細菌兵器を、そのうちの一人が奪って逃走したというのだ。この細菌兵器が世界を破滅させるほどの危険性を持っているとなれば、人ごととは言えない。 かくしてホブスはロンドンへ出かけて、現地で待っている「協力者」と面会することになる。こうしてインテリジェント・ビルの一室に通されたホブスは、そこ で自分の「協力者」と対面した。「冗談じゃねぇ!」異口同音に発した言葉は、ホブスと「協力者」ショウのもの。それもそのはず、二人は以前にのっぴきなら ない事情から手を組んだことはあったものの、本来は敵対する関係。おまけにその個性も水と油。合う訳がない。お互いのことを罵りまくったあげく、ガラス越 しにコワゴワ彼らを覗いていたロックともうひとりの捜査官ローブ(ロブ・デラニー)の方にパイプ椅子を投げつける始末。「とにかくこいつと組むのは御免」 とどちらもいきり立って出て行ってしまったのだが…。

みたあと

  ヴィン・ディーゼルとの場外乱闘で有名になってしまって、先行きが極めて不透明になってしまった「スーパー・コンボ」。ドウェイン・ジョンソンとジェイソ ン・ステイサムが組むなら面白いんじゃないの?…という期待もあったが、それでなくても「大味化」が進んでいる「ワイルド・スピード」本線同様…いや、本 線以上に、超大味化が懸念されるところもあった。そもそもドウェイン・ジョンソン自身が、ここ最近一気に大味化していたということもある。おまけに「スー パー・コンボ」って…ファミレスの特盛りメニューじゃあるまいし、超コレステロールたまりそうでマズいメシみたいなタイトルじゃねぇか。どうなんだこれっ て…と大いに心配になるところ。そんなこんなで見に行った本作は…ぶっちゃけ面白い。もちろんアートシアター系の映画と同列に語る訳にはいかないだろう し、デリケートな味わいとか風情とも無縁である。ひたすらパワーで押しまくる映画ではあるのだが、これはこれで楽しめるのだ。以下、なぜ楽しめるのか…を 語るのもアホらしいのだが、一応語ってみたい。

みどころ

  ストレートに言ってしまうと、ドウェイン・ジョンソンとジェイソン・ステイサムの相性が、予想以上に良かったという一言に尽きる。「ワイルド・スピード」 のシリーズの中では他にワチャワチャいろいろいるから分からなかったが、改めて二人きりにしてみたらハッキリした。この二人は一緒に置いただけで面白い。 実はアクション映画って、見せ場が派手なだけでは面白くない。キャラクターの面白さ、コンビネーションの楽しさがアクション映画の魅力だったりするので、 まずはこの二人の「スーパー・コンボ」ぶりが成功だったのが映画の成功につながった。これでお話を終えてもいいくらいだ。二人の共演によって1+1=3に も4にもなる…という意味でのケミストリーがあるだけではない。正直言って最近のドウェイン・ジョンソン作品は、「ランペイジ/巨獣大乱闘」(2018)、「スカイスクレイパー」 (2018)あたりから、少々ワン・パターン化していた。それが、久々に鮮度を取り戻しているではないか。ステイサムという好敵手を得て、ドウェイン・ ジョンソンがイキイキしている。そしてジェイソン・ステイサムの方でも、ドウェイン・ジョンソンとの共演によってスケール感溢れる主演作となった。ステイ サム主演作は玉石混淆で、面白い時もあるがつまらないのも少なくない。そして、彼のワンマン映画はどれもどこか小粒でB級感が漂う。「エクスペンダブル ズ」(2010)は大作感あるが、あれはあくまでスタローン映画。それ以外の彼の主演作となると、「アドレナリン」(2006)やら「デス・レース」 (2008)やら…どう見ても小粒だ。「B級感」は決して悪いとは言えないが、少なくとも小粒…はあまりよろしくないのではないか。そういう意味で、ここ でドウェイン・ジョンソンと共演することで、彼自身もひと回りもふた回りもスケールアップできる。どちらにとってもウィン・ウィンなオイシイ共演になって いるのだ。そして、お話がストレートなのもいい。お宝を巡っての追いつ追われつ…という意味では、例えば「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」 (2018)あたりだって同じようなお話なはずである。しかし「フォールアウト」が何だかこんがらがってしまって、主人公たちが今何のために戦っているの か…が分からなくなりかねない弱点があるのに対して、本作はあくまでストレート。それなりに舞台はどんどん変わり、状況も二転三転しているのだが、お話自 体は常に分かりやすく見通し良好である。これは娯楽映画を作る上で大事なことだ。いかに単純明快なアクション映画でも、それを徹頭徹尾見る者に対して分か りやすいモノに貫徹させるのは結構大変だと思う。これが上映時間90分以内で舞台もどこかの都市一カ所で済んでしまうような話ならさして苦労はないだろう が、一応それなりのスケールと設定を備えた作品の場合は、スッキリとしたお話の交通整理が必要なのだ。このあたりは、「ワイルド・スピード」シリーズを第 3作から担当しているという脚本のクリス・モーガンのおかげだろう。スケールがデカい作品を明快にまとめあげるというのが、まさに共通する点だからであ る。カーチェイスやスペクタキュラーな見せ場ばかりかと思いきや、サモアでは肉弾戦に持ち込むあたりの工夫もなかなかうまい。また、僕は恥ずかしながらそ の名を知らなかったが、ネットでは「アクション映画の名手」的にモテはやされている、「アトミック・ブロンド」(2017)や「デッドプール2」 (2018)のデビッド・リーチという監督のお手柄もあるかもしれない。本作のヤマ場は数珠つなぎになったクルマとヘリコプターが繰り広げる断崖絶壁での 対決…という、マンガでもやらないようなバカバカしい趣向なのだが、これを「絵」としてちゃんと分かりやすく見せているのはさすがだろう。このあたりは ちゃんと認めるべきではないかと思う。そんな訳で大いに楽しませてもらった本作だが、最後の最後にまたマーベル映画みたいなオマケ場面が出て来たのはいた だけない。もうこの悪習は、誰かが断ち切る必要があるんじゃないか。

さいごのひとこと

 「ワイルド・スピード」よりこっちがいいかも。

 


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