新作映画1000本ノック 2019年8月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「キング・コーエン」 「さらば愛しきアウトロー」

 

「キング・コーエン」

 King Cohen

Date:2019 / 08 / 19

みるまえ

  先日、SFホラー映画の怪作「宇宙からの色」(2010)を見た池袋新文芸座での「カナザワ映画祭2019・大怪談大会」で、僕がもう1本見たのがこの映 画。ひとクセある脚本家・監督ラリー・コーエンのドキュメンタリーと聞いたら、これは見ずにはいられない。大体、ラリー・コーエンといえば、僕が勝手に 「アメリカ映画三大コーエン」のひとり…と決めつけている人物(笑)。あとの二人…いや一人と一組は、「ドラゴン/ブルース・リー物語」(1993)や「ワイルド・スピード」(2001)の記念すべき1作目を撮ったロブ・コーエン、「ファーゴ」(1996)や「ノーカントリー」 (2007)で知られるコーエン兄弟だ。いずれもジャンルを横断して撮るがサービス精神旺盛。しかも、ちょっとB級テイストがあるのがご愛嬌。しかし、ロ ブは近年どうにも調子が上がらなくなって来たし、コーエン兄弟は「ノーカントリー」でオスカー監督になってからは完全にA級の人になったが、僕としてはそ れ以降の作品はあまり好きになれない。そして肝心のラリーは…といえば、実はそれほど監督作品を見ている訳ではない。だが、脚本やら何やらで関わった作品 は大好きなものが多いし、たまたま見ていた監督作品もSFホラー・ジャンルではちょっと面白い映画で気に入っている。そんな訳で、本作は絶対見逃せない作 品だったのだ。僕は前売券を握りしめ、猛暑の池袋へと駆けつけた。

ないよう

  今をときめく売れっ子映画作家J・J・エイブラムス。彼のもとに、意外な人物から連絡が入った。B級映画の製作者・脚本家・監督として知られるラリー・ コーエンだ。エイブラムスがコーエンの撮った「悪魔の赤ちゃん」(1974)の人形を持っていたことを知って連絡してきたのだが、エイブラムスの方でも コーエンには話したいことがあった。かつて映画好きの青年だった頃、エイブラムスはコーエンを街角で見かけて話しかけたことがあるのだ。そんな風に、売 れっ子監督さえミーハー気分にさせるラリー・コーエンの魅力とは…。意外なことに、ラリー・コーエンは最初から映画ひとすじ…という訳ではなかった。若い 頃はスタンダップ・コメディアンの道を目指したこともあるようだが、それが叶わないと分かった時点で新たな道を模索。テレビ局に潜り込んで、いつの間にか テレビ番組の脚本家になってしまったから驚いた。こうしてそれなりに実績も積むようになったのだが、実はその胸中にはいつしか不満が溜まってきた。せっか く自分が書いた脚本が、演出のおかげで台無しになってしまう。そんな思いと、元から何から何まで自分でやりたい性分だったこともあって、彼は映画の監督を 志向するようになる。そこで掴んだチャンスが、なぜか黒人を主役に描く当時の流行ジャンル、ブラックスプロイテーション映画の監督。こうして立て続けに黒 人主演の映画を撮ることになるコーエンだが、彼にはそのことに対するてらいもためらいもなかった。彼にとっては、ただ黒人が主役というだけのことだったか らである。監督としての彼は低予算を逆手に使って、現場で臨機応変に対応するアドリブ撮影、許可など取らずにバンバン撮ってしまうゲリラ撮影を多用して、 緻密さやデリケートさはないがイキだけはいい映画を連発。ノリの良さと面倒見の良さでスタッフもキャストもノセに乗せて、グイグイと快進撃を続けてい く…。

みたあと

 何年か前に「キャノンフィルムズ爆走風雲録」 (2014)というドキュメンタリーがあったことを覚えていただろうか。1970〜1980年代にアメリカ映画を席巻した、新興映画会社キャノン・フィル ムズ…そしてその総帥であるメナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスのお話である。本作もどこかこの映画と似た肌合いの作品である。どちらもA級作品や 傑作・名作には縁遠く、粗製濫造なんのそので映画をこさえていた映画人の話である。お話の中心が1970〜1980年代のアメリカ映画界であることも、共 通点のひとつ。そして、それは僕の映画好きとしての心の拠り所でもある。ただし、ラリー・コーエンはプロデューサーというよりは脚本家・監督という「作り 手」の人だ。そして先にも述べたように、僕はこの人の作品をそれほど見ている訳でない。たまたま僕がSF好きだったこともあって、この人の作品の中でも 「成功」の部類に入る「悪魔の赤ちゃん」と「空の大怪獣Q」(1982)は見ていた。特にニューヨークに翼竜が出て来て大暴れ…という「空の大怪獣Q」 は、ビデオで見て、いつかうちのサイトの「SF映画秘宝館」で取り上げたい…と思っていた作品だ。だが、それ以外の監督作はまったく見ていないのだ。ただ し、「ニアミス」的にこの人が関わった作品は結構見ていて、それらはお気に入りの作品が多い。途中で監督降板となった「探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!」(1982)、そして脚本のみ関わった「フォーン・ブース」(2002)と「セルラー」 (2004)。サービス精神のカタマリみたいな「探偵マイク・ハマー」の面白さはコーエン脚本によるものだと思うし、珍しくメジャー作品の脚本を手がけた 「フォーン・ブース」「セルラー」は卓抜したアイディアが生きていた。これだけの才人を、無視する訳にはいかないわな。そんな訳で喜び勇んで見に行ったと いう訳だ。

みどころ

  面白かった!…の一言に尽きる。僕は先に何度も述べたように、とてもじゃないがラリー・コーエンに詳しいとは言えない。だから、自分が見た数少ない作品か らも伺える才人ぶりがどのように培われていったのか…が分かってとても興味深かった。しかも、その人となりが…「組織に合わない」「何でも自分でやりたが る」…分かるよ分かるよ、オレもそうだもんなぁ。「脚本が落とされたら、それはうまく書けた証拠」ってのは、作り手としてはグッと来るフレーズだ。自分も 物書きの端くれだけに、共感させられる部分が大きい。また、忘れられかけた古い映画人に対する尊敬の念があることや、仲間への暖かい気持ちがあることも、 本作を好ましく思わせている点だ。別れた奥さんもこの人を決して悪くは言わないイイ人で、だから余計に「何で別れちゃったんだろうな」と人生のままなさな さを感じさせもする。見ていてあまりに共感してしまって、ちょっと距離が取りにくいくらいコーエンにシンパシーを持ってしまった。その一方で、若い頃は芸 人になろうとしていたとか、テレビ界から入って来て「インベーダー」(1967〜1968)の脚本を書いていた…とか、最初はブラックスプロイテーション 映画専門の監督だった…なんてことも、僕は初めて知ったから面白かった(B級映画マニアには常識なんだろうが)。また、彼の映画の出演者も証言者として登 場するが、しばしばコーエンその人の証言と食い違うのも面白い。結構いいかげんな男らしいのである。だが、茶目っ気たっぷりの愛すべき男でもある。フィル モグラフィーにはいわゆるA級大作も名作・傑作の類いも皆無だが、証言者として出て来る人々は冒頭のエイブラムスをはじめ、マーティン・スコセッシ、ジョ ン・ランディス、ジョー・ダンテ…などクセ者映画人も多く、これらの人たちがコーエンを偉大な映画人として誉め称えているのが聞いているこちらまで嬉しく なるほど。同様に、かつてポルノ女優として一世を風靡していたトレーシー・ローズの証言も、コーエンへの深い尊敬の念を込めて語られていて好ましく感じ た。この人は、コーエンの映画で一般映画にも出させてもらったのだろうか。おそらく、彼女は世話になったことを恩義に感じていたんだろう。彼女自身もいい 人なんだろうなと思わせる。そんな好感の持てる場面が続出するので、僕も見ていて嬉しくなった。

こうすれば

 そんな訳で、見ていて終始ニコニコしてしまう本作。 だが、やはりこういう映画の難しいところは終わらせ方。ラリー・コーエン本人は今年亡くなったばかり(!)で、本作製作時にはまだまだ現役感を漂わせてい たこともあり、映画人生の総括…というカタチにはなかなか持っていけなかったのか、終盤は案の定、少々グダグダ感が出てしまりのない終わり方をしてしまっ た。そこが何とも残念と言えば残念だが、それこそがラリー・コーエンという人「らしさ」なのかもしれない(笑)。最後の最後まで憎めない男である。

さいごのひとこと

 「刑事コロンボ」の脚本まで書いていたとは。

 

「さらば愛しきアウトロー」

 The Old Man & the Gun

Date:2019 / 08 / 19

みるまえ

  ロバート・レッドフォードが俳優として引退するというニュースを知って、僕は衝撃を受けながらも何となく納得もしていた。近年のレッドフォードは微妙な作 品ばかりで、劇場で公開されなかったりしたものも多い。かつての「あの」レッドフォードを知る者としては、いささか寂しい状況が続いていたからである。た だそんな近年の低迷の中でも、「オール・イズ・ロスト/最後の手紙」(2013)や「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」 (2014)など、大御所にも関わらず晩年に至って意欲的な出演作を放ったのは驚きだった。だからひょっとしたら、本人は現役感マンマンでまだまだやる気 なのではないか…とも思っていたのだ。そんな期待もかかる中での「引退宣言」だったので、僕としてはショックを受けた訳だ。そんな今回の作品、お話は 「ジェントルマン」な銀行強盗の物語…といったところで、たぶんレッドフォードその人にオマージュしたようなストーリーだろう。だが、1970年代のアメ リカ映画が自分の映画鑑賞の原点である僕としては、これは見ない訳にいかない。そんな訳で仕事でなかなか時間が作れない中を、すべてうっちゃらかして劇場 へと飛んで行った。

ないよう

  これは、ほぼ…実話の物語。1981年7月26日、テキサス州。耳にイヤホンをつけた老紳士が、銀行のカウンターからカバンを持ってゆっくりと立ち去る。 銀行を出て来た老紳士は、白いクルマに乗り込んで発進。すると、警察無線が銀行強盗発生を連絡する。クルマを運転する老紳士の名はフォレスト・タッカー (ロバート・レッドフォード)。彼が耳につけたイヤホンは補聴器ではなく、この警察無線を傍受するためのものだ。警察が白いセダンを追跡していると知った タッカーは、横丁にクルマを入れて、事前に用意していた青いクルマに乗り換える。だが、警察無線も青いクルマで逃走中と連絡しているではないか。だが、 タッカーは焦らない。高速道路を運転するタッカーは、前方に1台のピックアップ・トラックが停車しているのに気づく。どうやら故障したらしく、女がボン ネットを開けて覗き込んでいる。タッカーはそこを通過してからクルマを停車して、ピックアップ・トラックの女のもとへ歩み寄った。親切そうに手を貸そうと 申し出るタッカーだったが、その女ジュエル(シシー・スペイセク)はどうも彼がクルマに詳しくないらしいと気づく。その頃には、何台もの追跡のパトカーが タッカーをやり過ごして通過していた。そんな縁で、ジュエルをクルマに乗せてやったタッカーは、近くのダイナーで彼女にコーヒーをおごってもらう。なぜか 話がはずむ二人だったが、自らの仕事を「セールスマン」と偽ったタッカーは、やがて冗談とも本気ともつかない口調で「実は銀行強盗だ」と打ち明ける。その 場で、ジュエルに自らの犯行の手口をにこやかに語るタッカー。ジュエルはそれを冗談と受け取りながらも、彼の不思議な魅力に惹き付けられていく。こうして 二人は、お互いの連絡先を交換して別れるのだった…。それから数日後、ダラスの刑事ジョン・ハント(ケイシー・アフレック)は夜勤明けに帰宅すると、子供 たちが彼の誕生日を祝ってケーキを用意していた。妻のモーリーン(チカ・サンブラー)も彼を暖かく迎えるが、ハントの表情はすぐれない。ハントはどうも自 分の仕事に「やりがい」を感じられないのだ。そんな「くすぶってる」印象のハントは、子供を連れて銀行へ。それは単に用事を済ませに行ったに過ぎないのだ が、そのたまたま…のタイミングで銀行には別の来客が訪れていた。あのタッカーである。今回は古い仲間のテディ(ダニー・グローバー)、ウォラー(トム・ ウェイツ)を伴っての犯行。支店長に相談…とやって来て、銃をチラつかせて個室へと入る。そうとは知らぬハントは、子供たちをあやしながら銀行のカウン ターで順番を待っていた。そのうち、タッカー一味はまんまとカネをせしめて銀行からトンズラ。ハントが事と次第を知ったのは、すべてが終わってからだ。 「警察を呼べ!」という声が上がった時に、「自分が警察だ」と名乗るその胸中たるや…。後から駆けつけた刑事たちにも、まるで面目が立たない。そして襲わ れた支店長は…というと、「銃を持っていたのか」と刑事に問われても記憶は極めて怪しい。それでもカネを出したのは、その強盗が「紳士的」だったから信じ たというのだが…。そう、タッカーの犯行はあくまで紳士的。ある時は窓口の女の子が泣き出して、タッカーはお金を奪いながらも「君はよくやっている」と励 ます始末。タッカーら三人組は、あちこちで次々と犯行を重ねていく。ちょうど例の一件で冷水を浴びせられたような思いをしたハントは、タッカーの犯行を追 いかけ始めていた。すると、老人ということでノーマークなのをいいことに、あちこちで荒稼ぎしているではないか。これが、すっかり昼行灯だったハントの刑 事魂に火をつけた…。一方、タッカーは例の女ジュエルと連絡をとる。彼女の何かがタッカーの心に触れたのか、ジュエルと徐々に親しさを増していく。それで も、タッカーの盗人の本能は止められない。今度の獲物は、ミズーリ州の大銀行だ。さすがにこれはモノが違う…とテディ、ウォラーと共に入念に下調べをする タッカー。だが、あまりに大掛かりなヤマになりそうなので、徐々にテディやウォラーは腰が退けて来る。そんな仲間たちの姿に、自らも弱気になりかけたタッ カー。だが、泊まっていたモーテルの一室でテレビ・ニュースを見たとたん、タッカーは再びやる気をみなぎらせるではないか。そこでは各地で銀行荒らしをす る老ギャングについて、あのハント刑事が取材を受けていた。「私が必ず奴を捕らえます」…!

みたあと

  レッドフォードが俳優引退…って聞いて、実はそれほど意外に思わなかった。いつの間にやらショーン・コネリーやジーン・ハックマンだって引退してたし、ス ティーブ・マックイーンやポール・ニューマンはとっくの昔に亡くなっていた。おまけに、ダスティン・ホフマンはセクハラで出て来られる状態じゃなくなって るし…。そんなテイタラクになるくらいなら、いっそ引退してくれた方がいいというものだ。さて、そのレッドフォードの「俳優引退」作はといえば…イースト ウッドの近作「運び屋」(2018) との共通点が多くて、何とも不思議な気分になった。晩年に差し掛かった大スターが、まるで自らを投影したような犯罪映画。老人がいい気分で犯罪に手を染め るという調子の良さも、どこか似ている。周りを囲む脇役陣の豪華さまで似ている。伝説的なスターが晩年に自らを投影させた作品を作る…といえば、古くは ジョン・ウェインの「ラスト・シューティスト」(1976)が挙げられるし、最近じゃハリー・ディーン・スタントンの「ラッキー」(2017)が素晴らしい出来映えだった。本作も、一応「ほぼ実話」なんて書いてはあるが、結局はレッドフォードの映画人生の総括みたいになっている。それも「紳士的」なギャングで「鮮やかな手口」と、かなり演じている本人も気分が良さそうだ。
こ こからは映画を見てから!

みどころ

  考えてみたら、近年のレッドフォードは確かにリベラルな政治的人物みたいになっていたけれど、元々はハミ出し者の役どころが多かった。「明日に向って撃 て!」(1969)、「ホット・ロック」(1972)、「スティング」(1973)、「スニーカーズ」(1992)…などみんなそうだ。だから本作も、 レッドフォードは気持ち良さそうにやっている。彼が自らのキャリアの終点を、またまた「大いなる陰謀」(2007)や「ランナウェイ/逃亡者」 (2012)みたいな独りよがりな政治メッセージ映画でなく、本作みたいな軽やかな作品で終わろうとしたのは、個人的には実に喜ばしい。世間的にはあのへ んの映画はホメられていたが、正直言って映画としてはキツかった。本人もそのことがちゃんと分かっているようで…何とも軽妙な味の映画に仕上がっているの だ。しかも、ファンには嬉しいサービス仕様。オープニング・タイトルの文字書体は、明らかに「明日に向って撃て!」と同じモノではないだろうか。このへん の心配りからして嬉しい。レッドフォードといえば僕にとっては1970年代アメリカ映画の象徴だし、1970年代アメリカ映画といえば僕の映画ファンとし ての原点だから、嬉しくないといえばウソになる。画面の質感(わざわざ16ミリ・フィルムを使って撮影されているらしい)なども含めて、あの時代のニオイ があってたまらない。それでいて…引き合いに出して申し訳ないが、近年のタランティーノ映画ほどのひけらかし…にはならない程度にとどめているのも好まし い印象だ。身の程をわきまえているのである。その身の程のわきまえ方からいうと、役者レッドフォード自身も同様である。本作は、ある意味でご本人の映画人 生を総括したようなお話になっているのは先に述べた通り。例えば主人公が若き日に脱獄を繰り返したあたりの場面で、レッドフォード自身の「逃亡地帯」 (1966)から引用してきたフッテージが挿入されたりする「総括」ぶりである。そして老人による犯罪映画…というあたりも含めて、非常にイーストウッド の「運び屋」と共通点が多いことも、先に触れた通りだ。どことなく主人公が「いい気なもんだ」と思えるあたりも、どこか似たようなナルシストぶりである。 しかしながら、イーストウッドは「いい気なもん」過ぎていささか悪ノリになってしまったきらいがあったが、本作はさすがにその一歩手前で踏みとどまってい る。例えば、主人公を追いかける刑事を彼より「格下」には描かず、対等に戦う関係にしたあたりに違いが出た。「運び屋」も本作も主人公と追う者とが対面す る場面が出て来るが、本作ではそこで追う者ケイシー・アフレックの刑事に一矢報いさせ、「オレは優秀だ」とまで言わせている。そこが、過剰なレッドフォー ド「オレ様」映画にとどまらない点である。また、このケイシー・アフレックの刑事によって、本作が一種の「仕事」映画になっていることも見逃せない。「仕 事」映画というのは僕が勝手に作ったジャンルだが、ともかく、自らの「生業」と定めた仕事に妥協せず取り組む姿勢が描かれた映画ということだ。本作の主人 公は、強盗と脱獄が「天職」なのである。もはやカネの問題ではない。山登りが「そこに山があるから」と言って登るのと同じだ。そして、そんな主人公との出 会いがトリガーとなって、やる気を失っていた刑事がモリモリ意欲を燃やしてくるあたりもいい。それこそが、僕が本作を「仕事」映画と呼ぶ所以である。本作 を監督したデヴィッド・ロウリーは、その前に監督した「ア・ゴースト・ストーリー」(2017)も素晴らしかったと聞いている。残念ながら僕は見逃してし まったが、そんな訳でこの人にはちょっと注目していたのだ。ケイシー・アフレックはこの「ア・ゴースト・ストーリー」からの付き合いで出たようである。そ んな訳で…出ずっぱりの異色作「オール・イズ・ロスト/最後の手紙」といい、晩年のレッドフォードは若手監督に恵まれたようだ。また、今回のレッドフォー ドの相手役であるシシー・スペイセクは久々の登場だが、すっかり「いい女」っぷりが上がっていて感慨深かった。何しろ、この人ってそもそも「キャリー」(1976)の人だ。その頃のレッドフォードといえば、「大統領の陰謀」(1976)やってた頃。あの当時、とてもじゃないがこの女優さんがレッドフォードの相手役をやることになるとは、オレには思えなかったもんねぇ(笑)。

さいごのひとこと

 終わり良ければすべて良し。

 


 to : Review 2019

 to : Classics Index 

 to : HOME