新作映画1000本ノック 2019年5月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「漂うがごとく」 「キャプテン・マーベル」

 

「漂うがごとく」

 Choi voi (Adrift)

Date:2019 / 05 / 20

みるまえ

  新宿でひっそりベトナム映画2本立てをやっていることは、何となく知っていた。そのうち片方の「ベトナムを懐う」はニューヨークを舞台にしていると聞い て、ちょっと面白そうと思っていた。実はもう片方の本作はポスターから女性の同性愛モノかな…ぐらいにしか思っていなくて、あまり興味がなかった。そんな ある日、いよいよこの2本の上映終了が迫って来て、もう見ないとマズいな…と映画館に駆け込む羽目になる。ところがいざ映画館に着いてみたら、僕は上映時 間を見間違えていて本作の上映直前に映画館に飛び込んでいた訳だ。さて、どうしたものか…と一瞬迷ったものの、なぜか僕はここはこの偶然に「ノルしかな い」と決めた。そんな偶然のいたずらで見ることになった本作は…。

ないよう

  夜の下町で、しがない市井の人々の結婚披露宴が賑やかに営まれている。若い新郎のハイ(グエン・ズイ・コア)は回りにはやされてグイグイ飲まされる。彼の 妹はそれを心配するが、母親は気にしない。むしろ、「息子を嫁に取られた」といい気味ぐらいに思っている。新婦のズエン(ドー・ハイ・イエン)は先に二階 の飾り立てた「新婚の部屋」に上がったが、ハイは調子こいてガンガン飲まされてグデングデン。結局、完全につぶれた状態でお仲間に担がれて二階へと連れて 来られる羽目になってしまう。すっかり意識をなくして寝込むハイを介抱していた母親は、ズエンにハイの仕事の忙しさを伝えつつ、夜は激しくしてはいけな い…とクギを刺すことも忘れない。そんな訳で、ズエンには何もないまま…初夜はひとりぼっちで更けていった。こうして迎えた翌朝。ここはハイの実家で、新 婚の二人が下階に降りて来た時にはすでに家族たちは忙しく動いていた。ズエンは荷物を持って、ハイが運転するタクシーの後部座席に乗り込む。タクシー運転 手がハイの仕事なのだ。タクシーは二人の新居となるアパートへと向かった。だが、ようやく本当に「二人きり」になっても、ハイはそそくさと仕事に出かけて しまう。ズエンはその後、親友のカム(リン・ダン・ファム)の家に向かう。作家をしているというカムは、素直なズエンとは対照的な掴みどころのない女。そ の日はどうも具合が優れないようで、ズエンの手を借りて頭から布をスッポリとかぶり、部屋で簡易サウナをする。ズエンの結婚式には用事で行けなかったカム は、彼女に新郎がどんな男なのかを尋ねた。たった三ヶ月の交際で結婚することになったハイは、ズエンよりも年下の男。だが、その素朴さが気に入った…とズ エンは語る。そんなズエンの話を聞きながら、何かを察したかのようなカム。この日のカムはどうも調子が良くないので、外出の予定があるのに出かけたくない ようだ。そこで彼女は、ズエンに相手の家まで手紙を届けて欲しいと言い出す。ズエンはそれを快く受けて、カムの家を後にするのだった。折から降り出した土 砂降りの雨の中、暗いアパートの指定された部屋へとやって来るズエン。ところがズエンは中にいたトー(ジョニー・グエン)という男に両腕をつかまれ、いき なり部屋に引っ張り込まれるではないか。そのまま倒されて犯されそうになるズエンだが、必死に抵抗して部屋から脱出。だが、すぐに部屋に戻って手紙をトー に投げつけ、一気にアパートを飛び出すのだった。一方、家で創作に励んでいたカムは原稿をクシャクシャに破り捨て、苛立ちを露にしていた…。

みたあと
 ベトナム映画…というと、脳裏にはすぐにトラン・アン・ユンの名前が浮かんで来る。しかし、彼の映画は純粋な意味でベトナム映画とは言えないだろう。 「青いパパイヤの香り」(1993)はフランスのスタジオに再現された人工的なベトナムだし、「夏至」(2000)はベトナムで撮影されたものの、これま たフランス資本の作品。そもそもトラン・アン・ユン自身もフランス育ちのベトナム人だから、映画もほぼフランス映画と言っていいかもしれない。そんなトラ ン・アン・ユン作品と比べれば、本作は完全なるベトナム映画だ。そしてベトナムでは珍しいアート系の映画だという。実際、本作は驚くほど洗練されている。 語り口も映像も演技も、ビックリするくらいあか抜けているのだ。かつて日本に紹介されてすぐの頃の東南アジア映画が持っていたような、泥臭さや田舎臭さが 微塵もない。これには、正直言ってちょっと驚いてしまった。中国語圏映画やらタイ映画がおそらく長い間かかって手に入れた洗練を、ベトナム映画は…他の作 品は見ていないので分からないが…恐ろしく短い期間で自分のものにしてしまったようなのだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  お話は至ってありふれている。幼さが抜けない夫が結婚してもいつまでも妻に手を出さないため、新婚生活には最初から暗雲が垂れ込める。ウブな妻には作家を している女友達がいるが、彼女のちょっとした悪戯から妻は危険な雰囲気漂う男と出会うことになり、この男に徐々に惹き付けられていく…。通俗的な映画にし ようとすればいくらでも出来る話ながら、本作ではそんな煽りはまったくなしで、淡々とシンプルに物語を進めていく。こうして迎える映画の結末は曖昧なもの で、主人公夫婦の在り方を肯定も否定もしない。それが一種「東洋」的な達観とも見えるし、「知らなくてもいいこともある」という人生の知恵とも見える。主 人公夫婦を待ち構える、どんよりとした「混沌」を感じさせる幕切れとも言える。そもそもが本作はそんなストーリーや結末に重きが置かれている訳ではなく、 むしろその過程の語り口に魅力があるのだ。冒頭場面から新婚夫婦の結婚生活がうまくいかない予感が漂い、ウブな新妻と作家の友人の対照的な二人の間には奇 妙な緊張感が感じられる。ウブだったはずの新妻が危険な男にどんどん惹かれていく様子、例の女性作家や短髪のボーイッシュな女など、危険な男を取り巻く女 たちの奇妙な関係…など、セリフや映像は決して饒舌に語らないが、その水面下では感情がふつふつと煮えたぎっているかのようである。全編大した事件は起き ず静かな語り口だが、ずっとただならぬ気配が感じられるため決して退屈しない。この映画の面白さをうまく表現できず大変申し訳ないが、このような難しい表 現をすでにちゃんとカタチにしていることに僕は大いに驚かされた。本作は、その「良さ」をうまく言葉にしにくい、非常にデリケートな作品なのである。主人 公のズエンを演じたドー・ハイ・イエンは、例のトラン・アン・ユン「夏至」に出ていたそうだが、まったく覚えていない。ただ、「愛の落日」 (2002)のヒロインを演じたのが彼女と知って大いに驚いた。なるほど、ただ者ではないのである。また、ズエンの友人カムを演じたリン・ダン・ファム は、カトリーヌ・ドヌーブ主演の「インドシナ」(1992)に出ていたようだが、こちらもまったく覚えていない。ただ、こちらも「ミスター・ノーバディ」 (2009)に結構大きな役で出ていたと知って二度ビックリ。そんな訳で、主演者たちはそれなりにベテランのようである。また、海外作品と縁の深い人々が 多く参加しているというあたりも、本作が洗練されている所以かもしれない。本作の監督ブイ・タク・チュエンは、新作が来たらぜひまた見たいものである。

さいごのひとこと

 ベトナムは料理と映画が意外にイケる。

 

「キャプテン・マーベル」

 Captain Marvel

Date:2019 / 05 / 13

みるまえ

  もう何度も言っていることなので、ここをお読みのみなさんも耳にタコだろうと思うが、僕は昨今のアメコミ映画大氾濫にはいささかウンザリのクチである。最 初はそんなにイヤじゃなかったし、むしろうまく作ってるな…と感心していたくらいだった。だが、年に1本かそこらなら邪魔にもならないが、こう毎年毎年ア レコレ出て来て…おまけにそれらが全部数珠つなぎの話になっているとくれば、イヤになるのも仕方がない。例の「アベンジャーズ」(2012)が出て来たあたりで何となく感じていたイヤな予感が、ここへ来て現実になってきたというところだろうか。それでも「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」(2014)には大いに感心していたのだが、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016)から「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」 (2018)まで来て、これはもう勘弁だなと思ってしまった。そこにまたまた新キャラ「キャプテン・マーベル」の登場だという。もうお腹一杯なんですけ ど。ただ「アベンジャーズ」の一応の完結編となるらしき次作では、このキャプテン・マーベルがキーパーソンとして出てくるらしい。こういう手口がますます イヤになるのだが、一応この連作もここまで見て来た以上は、最後まで見届けてやろうという気になっているから仕方がない(その後は知らない)。ただ、この キャプテン・マーベルにはもうひとつ気になる点があった。ライバルのDCが「ワンダーウーマン」 (2017)で女性モノのヒーロー映画を当ててしまって、おまけにこれが妙にフェミニズム映画みたいな持ち上げられ方をして大評判。僕は正直言ってこれっ てそんな映画じゃないんじゃないの?…と思っていたが、このあたりからヒーローものは同時にポリティカル・コレクトネスもの…みたいな変な道筋がつい ちゃったみたいだ。負けじとマーベルも「ブラックパンサー」 (2018)を放って、黒人問題のポリコレ映画みたいな空気を作ってしまった。別にそこに対してトランプ支持者みたいな反応をする訳じゃないが、こういう のには違和感ばかりが募る。おまけにアメコミ映画に食傷気味ということもあって、ますます僕としては胸焼け状態になってしまった。こう言っちゃ何だが、ど うしてアメコミ屋は自分の映画を必要以上に高級に見せたがるのかね? 何かコンプレックスでもあるんだろうか? 「たかがアメコミ」でいいではないか。そ のあたりの胡散臭さも、アメコミ映画への嫌悪感を増すばかり。おまけに「オリジン・ストーリー」だとか「ヴィラン」なんて言葉が、みんなが生まれた時から 知っていたみたいにまかり通り出すのもイヤな感じ。アメコミ屋いいかげんにしろよという気になってくる。で、マーベル初の女性ヒーローもの「キャプテン・ マーベル」となれば、そのあたりの女性へのポリコレに力こぶが入って来そうな予感。「全部男が悪い」「男なんてクソ」みたいな映画になっていたらイヤだ なぁと思わざるを得ない。一応、オレも男なんで(笑)、一方的に罵倒されるような映画だったらカネ払ってまでそんなもん見たくない。おまけに「キャプテ ン・“マーベル”」である。マーベル・コミックだから「マーベル」ってことなのかどうか分からないが、何だか昭和のガキ向け特撮テレビ番組「ナショナル キッド」みたいな感じ(笑)。当時、「ナショナル」との異名を持っていた松下電器(現・パナソニック)の提供番組だったから「ナショナル」…というアレで ある。そのあたり冷静に考えると、何だかイイ大人が見てる場合じゃないような気がする…。だが、ちょっと気になる点があった。ヒロインがブリー・ラーソン だというではないか。ラーソンといえば、「ルーム」(2015)で衝撃的な登場をした後、「キングコング/髑髏島の巨神」(2017)、「フリー・ファイヤー」(2016)…といい味出してる作品に連続出演。分かってる人なのだ。たぶんギャラに目がくらんだのだろうとは思うが、本作もひょっとしたらひょっとしてるんじゃなかろうか。ただそれだけ…で、僕は本作を見に行ったようなものである。

ないよう

  吹き付ける熱風と飛び散る砂。大事故の余韻も消えないまま、意識朦朧となって横たわるヴァース(ブリー・ラーソン)。彼女を見つめる年上の女性(アネッ ト・ベニング)が殺される。駆けつけた異星人が、ヴァースに武器を向ける…。そこで、悪夢は終わり。ヴァースは毎朝、この夢で目を覚ます。窓から見下ろせ ば、そこには宇宙で一大勢力を誇るクリー文明の中心地・惑星ハラの巨大都市が広がる。ヴァースはクリーの特殊部隊スターフォースの兵士だ。上官のヨン・ロ グ(ジュード・ロウ)はヴァースのことを特に目をかけているが、彼女が連夜悪夢を見ていることを問題視。彼女に格闘訓練をつける時も、「過去を忘れろ」 「感情を抑えろ」と繰り返す。ヴァースは気分が高揚すると手から熱線を発するが、ヨン・ログはこれも抑制すべきと考えているようだ。ヴァースは自分の迷い を断ち切るべく、クリーを統治する人工知能「スプリーム・インテリジェンス」に面会を求める。その仮想空間では、「スプリーム・インテリジェンス」は面会 する者が最も尊敬する人物の姿をして現れる。ヴァースの場合は、悪夢に出てくる例の年上女性だった。結局、すべてはあの悪夢に原点があるに違いない…。さ て、クリーは宿敵であるスクラル人の侵略を防ぐべく、日夜戦いを続けていた。そして、惑星トルファに潜入していたクリーの諜報員が危機に陥ったとの知らせ が届き、スターフォースの面々が出動することとなる。早速、トルファに急行するスターフォースだが、トルファの原住民に対しては穏便に事を済ませなくては ならない。おまけに厄介なことに、スクラル人はどんな相手にも変身できる特技を持っていた。案の定、スターフォースの面々を待ち受けていたのは原住民に化 けたスクラル人。この一件は、敵のワナだったのだ。諜報員救出に単身向かったヴァースは、スクラル人たちに捕らえられてしまう。気づいた時には、彼女はス クラル人たちの宇宙船の中にいた。彼女は両腕を拘束され、記憶再生装置で過去の思い出を読み取られていたのだ。それはヴァースの少女時代からの思い出…彼 女自身も知らなかった記憶だ。どこか見知らぬ惑星で、勝ち気で負けず嫌いの少女時代、軍隊に入隊して厳しい訓練を続ける娘時代…さらにパイロットとして特 殊な機体に乗り込むヴァースは、その機体で事故に遭遇してしまうようだ。そこで関わってくるのが例の年上女性で、その名はウェンディ・ローソン博士。だ が、そのあたりからがハッキリしない。そしてスクラル人たちが知りたがっているのも、「そのあたりから」のようだった。そんなこんなで、さらなる記憶のス キャンを試みようとしている彼らの隙を狙って、両手から熱線を放って拘束器具をもぎ取るヴァース。その場を逃げ出した彼女は、スクラル人の追っ手たちを メッタやたらにやっつける。その過程で腕のエネルギーを発して宇宙船に大穴を開けたため、乗り込んでいたスクラル人は一斉に救命艇で退避を図る。ヴァース もその中の一機を奪い、辛くも宇宙船を脱出。至近距離にある惑星C-53を目指すが、大気圏突入直後に救命艇が大破。投げ出されたヴァースは、そのまま惑 星の地上へと一直線に落下した。彼女が猛烈な勢いで落下したその場所は、惑星C-53…地球と呼ばれる星のアメリカはロサンゼルス、とあるレンタル・ビデ オ店の一室であった…!

みたあと

  まったくキャプテン・マーベルなるヒーローを知らないで見た本作、いいかげんマーベル映画にも飽き飽きし始めていたので、期待値はかなり低いと言わざるを 得なかった。見たのは、とりあえず来たる「アベンジャーズ」4作目にこのキャラが出てくるから…ぐらいの理由である。それともうひとつは、主演のブリー・ ラーソン。ラーソンという人は面白い女優で、「キングコング/髑髏島の巨神」や「フリー・ファイヤー」…という作品選択センスが素晴らしい。そして、どち らも1970年代を舞台にしているのが興味深かった。個人的には1970年代のアメリカ映画が大好きなので、ラーソンは一気に僕の気になる女優の筆頭に なったのである。実は本作も、舞台は現代ではなく1990年代らしい。出て来るクルマのスタイルもいい感じのアメ車だ。サミュエル・L・ジャクソンも、 CGの力を借りてかなり若返っての登場である。出世作の「ルーム」も7年間も監禁されていた女性が主人公の「浦島太郎」的お話だったから、ラーソン自体に どこか現代とは隔絶された「過去」を連想させる何かがあるのかもしれない。これはいつかジックリ考えてみたい問題である。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  お話は、見知らぬ宇宙の見知らぬ異星人の物語として始まる。ハッキリ言って感情移入も難しいお話である。だからお約束事もアレコレあって、おまけに途中で 本作は「どんでん返し」もあるから、構成や脚本がややこしくなって観客にとって「分かりにくい」映画…少なくともハリウッド娯楽大作映画としての絶対条件 である「ストレートな映画」にはなりにくくなる要素をはらんでいたはずである。ところがマーベルはさすがにこの手の映画を作るに一日の長があるらしく、本 作の構成も懸念されたような乱れがない。かなり多くの原案・脚本家の名前がクレジットされているが、検討し尽くされたのか非常にこなれた脚本に仕上がって はいる。ただ、こなれた脚本ではあるが、しょせんは「ナショナルキッド」…もとい「キャプテン・マーベル」だからなぁ…。「マー・ベル」ってヤツがいたか ら「キャプテン・マーベル」って、マジかよ(笑)。懸念されていた過剰なフェミニズムの煽りについては、ビックリするほど出て来なくて驚いた。確かに主人 公の過去のフラッシュバックに「女だから」とバカにされる場面が何度か出てくるが、主人公のど根性を描くための描写だから別に過剰という訳ではない。必然 性があるのだから、気にならないのである。問題の「どんでん返し」もうまく出来ていて、おそらくは…現代のイスラム圏の人々のメタファーになっているよう な感じで、うまく作っているなと思わざるを得ない。つまりは、そういう「うるさ方」に対する目配せも怠りないのだ。俳優陣はマーベル映画の常として今回も 豪華で、サミュエルはレギュラー・メンバーとはいえベン・メンデルスゾーンにアネット・ベニング、そして何よりジュード・ロウまでが出てくるという充実ぶ りである。何だかそのスターたちの必死さにちょっと寂しさを感じないでもないが、イマドキは映画スターも争ってマーベル映画に出たがるのだろう。ともかく は安定感のある大作娯楽映画になっていることは間違いないのである。

こうすれば

 それでは万事問題ないのか…と言えば、実はそうなら ないのが残念なところ。まず、主人公にケチのつけようがないのはいかがなものか。いや、これは言いがかりではない。いつも頑張り屋、いつも立派、いつも正 義である。一応ユーモアを持った会話ができる人物に描かれてはいるが、決してからかえそうもないキャラである。サミュエル演じるニック・フューリーとクル マの中で会話している時でも「自分はヒーロー」と、顔は笑ってるが目はマジという感じでこれを言っちゃうような人物である(笑)。ラストでジュード・ロウ をブチのめした後で「勝った負けたじゃないだろ」とか言っている主人公だが、実は意外にどっちが上かとマウンティングしたがっているように見える。あまり お友達にはなりたくない手合いの人間だ。クソ真面目なキャプテン・アメリカやちょっと世の中をナメたようなアイアンマン、テメエ勝手でちょっと傲慢なドク ター・ストレンジなどが作り手や観客から見て少々コッケイに…しかし愛すべき人物として描かれていることを考えると、これは非常にハッキリしている。実は 今回とまったく同じなのが「ブラックパンサー」で、どこもケチがつけられない「完全無欠」ヒーローである。これは言っちゃマズいことなのかもしれないが、 たぶん彼らは昨今のポリティカル・コレクトネスの産物と言うべきなんだろう。だが、ズバリ言えばキャラクターとしてはあまり面白みがない存在だ。欠点もバ カにされるところも恥ずかしい部分も何もない奴を見ていて、みんな面白いのだろうか。実社会にも「バカになれないヤツ」っていうのは本当にいるけれども、 「からかうことも出来ないキャラ」ってつまらなくないか? ポリコレ的には立派にしておかなければいけないんだろうが、いつも強い偉い正しい…って人間的 にどうなんだろう。ブリー・ラーソンという魅力的なスターが演じているから表面化していないが、実は発展性がない人物なのである。これが仮にシリーズ化し ても、膨らみが出てくるとは思えない。おまけに彼女が最大の危機に陥った際に、それを解決させた方法が「意志の力」ってのも何なんだろうねぇ。何か工夫な りアイディアなり伏線なりがあるなら良かったのだが、作劇的にこれはどうなんだ。これじゃ単に「ど根性」で勝った…みたいになってしまう。この人にたまた ま並外れた…「宇宙一の根性」があったということなのか(笑)。しかも、そこからケタ違いの強さを発揮して、ひとりで八面六臂の大活躍ですべてを解決…と いう展開になっていくのもいかがなものか。頭が鶏のトサカかモヒカンみたいになって、いきなり最強で無敵で万能で空まで飛ぶようになる完全無欠ぶりであ る。だが、主人公がそうなったとたん、映画の面白さは急速にしぼんでいく。いかにブリー・ラーソンが血の通った人間として演じても、目がピカーッと光り出 しちゃったら一気に人間味が失せていく。最強過ぎちゃって、面白くも何ともなくなってしまうのだ。その意味でも、これから先これをシリーズ化するのはキツ いんじゃないだろうか。問題の「アベンジャーズ」第4作にもこの人が出てくるらしいのだが、最強だからすべて解決…って話だったら、最初からこいつ一人出 して5分で終わらせろってことになっちゃわないだろうか。

さいごのひとこと

 こいついればアベンジャーズいらないじゃん。

 


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