「迫り来る嵐」

  暴雪将至 (The Looming Storm)

 (2019/02/04)



見る前の予想

 この映画のことは、昨年末に劇場のチラシを見て知っていた。
 中国語圏のサスペンス・ミステリー映画と言えば、近年は薄氷の殺人(2014)、二重生活(2012)や台湾の目撃者/闇の中の瞳(2017)など秀作が多数あった。特に「薄氷の殺人」には、見ていてアッと驚かされた記憶がある。今回も、チラシを見るといい感じのイメージが漂っているではないか。これも、期待の新鋭の作品か。
 これは絶対に見たいと思っていたが、生憎の年末年始の忙しさ。身の回りの雑事もいろいろあって、何だかんだで後手後手に回っていた。
 ようやく1月も半ば過ぎて映画が見られるようになって、慌てて映画館に駆けつけた訳だ。


あらすじ

 「名前はユィ・グオウェイ、ユィの字は余分の余…」
 どこかの窓口で係の人間に自分の名前を告げているのは、すでにゴマ塩アタマになっている中年男ユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン)。彼は長い刑務所勤めを終えて、今日出所したばかり。今は警察署で、自分の身分証を改めて作ってもらっているところだ。
 出来たばかりの身分証をもらって
、田舎道をトボトボと歩いているユィ。そんな彼の背後から、バイクが走って来る音が聞こえる。すると、たちまち10年近い歳月をさかのぼって、「あの頃」の記憶が蘇って来る。
 それは1997年、香港返還の年であった…。
 香港返還とは言っても、ここはそんな華々しい出来事とはまったく関わりもなさそうな煤けた田舎町。降りしきる雨の中を、まだ若かった頃のユィがサイドカー付きバイクに乗ってやってくる。しかしバイクが途中でエンコしたので、仕方なくそこからは歩き出した。
 彼が駆けつけたのは河川敷の土手。そこに何人かの野次馬も集まっている。どうやら犯罪の事件現場らしい。彼もその野次馬の独りに過ぎないはずだが、なぜか「関係者」然として現場まで接近。そこで捜査している老刑事ジャン警部(トゥ・ユアン)に、まるで同僚のように親しげに近づく。
 河川敷の草むらには、衣服をまくり上げられた若い女の遺体が横たわっていた。それを見たユィは、まるで刑事のごとく振る舞う。ユィは捜査員たちの目を盗んで、遺体の様子をカメラで撮影した。
 そんな現場からの帰り道、通りかかったパトカーから、トボトボと歩いているユィにジャン警部が「乗ってくか?」と声をかけた。そうくれば、一も二もなく喜んでパトカーに乗り込むユィ。一緒に乗っているリー刑事(チェン・チュウイー)が「ユィ名探偵」とあからさまにバカにしているのもまるで耳に入らない。
 ユィが「名探偵」と言われているのには理由があった。この町は、巨大な製鉄工場を中心にした典型的な企業城下町。ユィはその工場で保安部の警備員を勤めている男だが、工場内で盗みを働く者たちを次々挙げていたのだ。
 だから、彼自身も「名探偵」と言われてまんざらでもない。本人は、警察に入り浸ってジャン警部と親しくなったつもり。町で起きた大事件である今回の現場にも、当然の顔で出張ってくる訳だ。何か手伝えないかと余計な口出しをして、迷惑がられているのが分かっていない
 翌日は翌日で、ユィは警察署のジャン警部の元へ意気揚々と押し掛ける。犯行当日にアリバイがない工場の工員たちを大挙引き連れて、捜査協力すると思い切 りドヤ顔である。さすがにこれにはドン引きのジャン警部。だがユィはそんな空気はまったく読まず、ジャン警部の机の前に貼り出されたこれまでの犯行現場の 写真に目がクギ付けだ。
 昨日の殺人は、実は3件目。これは連続殺人だったのである。こんなつまらない田舎町に、降って湧いたような大事件だ。
 早速、ユィは自分を「師匠」と慕う保安部の部下リウ(チェン・ウェイ)を連れて、例の河川敷に実地検分に行く。だが、所詮は「素人探偵」に何も分かる訳もない。すべては連日の激しい雨に流されて、警察ですら何も証拠を掴めないのだ。
 ところが、そんなユィたちを土手から見つめている自転車の男を発見。スワ真犯人!…と色めき立ったユィとリウは、慌ててこの男を追いかける。こうして泥と雨でグチャグチャになったところで捕まえた男は、どう見たって事件に興味を持った野次馬でしかない。
 だが、この男は興味深い情報をくれた。被害者の女は、よく町の広場に姿を見せていたというのだ。この町の広場は、立ちんぼうの女がよく出没する場所としても知られているようだった。つまり、被害者は「そういう女」だというのだ。
 そんな話を聞いて、早速広場へと足を運ぶユィ。広場では多くの男女がダンスに興じていた。そんな中、意味ありげにユィを見つめる女がひとり。ユィはそんな女に近づいて話しかけた。もちろん、例の被害者の女を知らないか…という件である。するとその女は、何日か前に広場に不気味な雰囲気の男が佇んでいた…と証言するではないか。やはり、怪しい奴がいたのか。
 その後、ユィがその女と抱き合ったのは、また別の話だ…。
 そんなある日、ユィに晴れがましい日がやってくる。工場のホールで、その年の模範工員を表彰する会が開かれた。全工員の前で表彰される模範工員たちの筆頭として、ユィがスピーチを行う役目を仰せつかったのだ。会場の割れんばかりの拍手に迎えられて、壇上に勇んで上がるユィ。
 だが、ユィがスピーチを行っていると、いつの間にか会場内にクスクスと笑い声が広がってくる。何と天井から何かの不都合で、まるで雪のように綿埃のようなモノがチラチラと落ちてくるではないか。それでもユィはめげずに、スピーチを続けるのだった
 「一生懸命やれば、暮らしはどんどん良くなる。それを目指して私はさらに頑張ります!」
 その夜、ユィを囲んでの酒の席で、同僚たちは一様に彼をホメちぎる。それに対して、大いに気を良くしてデカい口を叩くユィ。「オレには悪人が分かっちゃうんだよ、才能だな才能!」
 周囲はさらにヨイショを続け、いっそ公安への転身を…と持ち上げる。「そんな事は考えてない」「オレは今のままで満足」と無難な答えを返したものの、内心はまんざらでもないユィだった。
 ところがそれからまもなく、また新たな殺人が起こった。例によって慌てて現場に駆けつけるユィだったが、もういつものように現場に迎えてはもらえない。素人のくせにウロチョロするユィを快く思っていなかったリー刑事が、彼を閉め出したのだ。
 結局、ユィは「弟子」のリウを連れて、検証を終えて警察が去った後の現場にやってくるしかない。ところが警察が調べ尽くしたはずの現場には、何者かが落としたカギの束があるではないか。これはチャンスだ。
 彼は工場の正門にある掲示板に、「落とし物」としてこのカギの写真を貼り出した。そして正門近くにクルマを停めて、就業時間に合わせてリウと二人でじっくり待機する。すると土砂降りの中、例の掲示板の前に立ち尽くす雨合羽の男が一人…。
 これは…と、ユィは静かにクルマから降りて近づいていく。しかし間が悪いことに、リウが間違って警笛を鳴らしてしまう。ユィとリウの存在に気づいた雨合羽の男は、慌てて工場内へと逃げ込んだ。
 やはりこいつだな!
 ユィとリウも例の男を見失うまいと、工場内に駆け込んだ。こうして雨合羽の男を追って、雨に煙る迷路のような工場内に突っ込んで行くユィとリウだったが…。


 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 


見た後での感想

 実は、前述のストーリー紹介は本作のほんの「さわり」である。
 結局この追跡は実らず、主人公は「犯人」を捕まえることが出来ない。 それどころか、この時の失敗で決定的ダメージを被ってしまう。ますます犯人探しに執念を持った主人公は、とんでもないことを考える。親しい女(どうやら 「恋人」ではないらしいことが後になって分かる)を「おとり」にして、犯人をおびき出そうとするのである。その過程で工場をクビになったりして、主人公は もはや退くに退けなくなっていく。こうしてお話は最悪の結末を迎える訳なのだが…。
 映画自体はなかなか悪くないムードである。雨がいつまでも降り止まない、中国のくすんだような地方都市。その鬱陶しくもドンヨリした風景の中で、猟奇的な連続殺人が起きる。その事件を素人探偵きどりの男が、執念に駆られて追いかける…という設定だ。
 そこに改革開放を進めた結果、猛烈な格差社会が出来上がりつつある中国の現代史が重なってくる…ように見える。香港返還の1997年に始まり北京オリンピックの2008年に終わるという時代背景は、明らかにそれを狙っているはず。
 こりゃあ前述した「薄氷の殺人」、「二重生活」や台湾の「目撃者/闇の中の瞳」などに並ぶ秀作が出来上がったかと、僕は映画を見始めたあたりでワクワクしながらそう思ったものだ。実際、各方面でのこの映画の評価も大体そんなところに落ち着く。本作は非常に評判が良いのである。
 だが、僕は本作を見ているうちに、何となく別のある作品と共通する臭いを嗅ぎ取っていた。それは、別に本作がそれをパクったとか、その逆であるとかいう ことではない。そういうパクリは絶対にあり得ないし、そもそもパクリにはなっていない。だが、非常に近いモノを感じてしまったのだ。
 それは本作を見るつい数日前に見たばかりのアメリカ映画…しかもなぜかポーランドを舞台にして、ジム・キャリーが別人みたいな顔で出てくる異色作ダーク・クライム(2016)だ。

立派に見せかけているだけのアホ話

 「ダーク・クライム」についてはすでに本サイトに感想を挙げているので読んでいただければ分かるのだが、正直に言ってあまり評価していない。ホメている点は僕が単に東欧が好きなので、そのムードが味わえた…というどうでもいい点だけである(笑)。
 「ダーク・クライム」の内容を簡単に言ってしまうと、深刻なムードでシリアスな物語に作ろうとしているが、アホな主人公がアホな言動に終始して自滅するアホなお話…ということに尽きる。まったく身もフタもない説明で申し訳ないが、実は困ったことに…その内容はすっかり本作にも当てはまってしまうのだ。深刻にシリアスに語ってはいるが、アホな奴がアホなことをしてアホな結末を迎える…というだけのお話なのである。
 いや、その内容だけ…アホな奴がアホなことをしてアホな結末を迎える…という点だけ…をとってみれば、例えばスカーフェイス(1983)などだってそういう話だろう。だからアホな奴のアホな結末を描いても、必ずしも映画の出来が悪くなる訳ではない。犯罪者を主人公にした犯罪映画の大半がこのパターンになってしまう。そして、その中にも秀作は多く存在した。それは、何ら悪いことではない。
 ただ、これらのアホな主人公を描きながらも優れた出来映えの作品は、どこかに観客の共感を呼ぶ点があった。犯罪やアホなことをしても、そこに人間としての「業」や「運命」を感じさせて共感させてしまう部分を持っていた。実は「ダーク・クライム」…そして本作は、その点がいささか乏しいと言わざるを得ない。チョロチョロと警察の捜査にまとわりついて、素人のくせに探偵ごっこしている主人公にまったく共感できないのだ。
 主役を演じるドアン・イーホン「小物感」は完璧に表現できているが、そこに捨て犬のような愛嬌や哀れみが感じられる訳ではない。おまけに、見ている側としては「気持ちは分かる」とか「こいつはオレと同じだ」とは思えない。単にアホなだけでなく、好きになれない男だからだ。
 彼を慕う後輩をアゴでコキ使う一方で、刑事たちにはヘコヘコへりくだる。
そのくせ本人はイッチョマエの「探偵きどり」だから、調子こいているとしか思えない。そんなバカな振る舞いを勝手に一人でしているだけならいいが、後輩は死なせるわ親しくしてくれた女は利用するわと周囲を巻き込んで、ハタ迷惑すぎて笑うに笑えない
 おまけに、最初からこの男の捜査の仕方は「思い込み」だけ。案の定、工場をリストラされてしまうが、これだけ仕事を放っぽらかしてりゃ無理もない。身の程をわきまえていない。最後の最後にはすべて徒労でした…では、付き合わされて死んだ連中や、こいつの思い込みでボコボコにされて半身不随になった奴は浮かばれない。そもそも、出所してまずは自分の勘違いで痛めつけた奴に詫びに行けよという話だ。何から何まで好きになれない男なのである。
 おまけに単なるアホな男、滑稽な小物に過ぎないくせに、犯人へのエサとして差し出そうとした女の前ではなぜかハードボイルドで寡黙な男を気取るあ たりもいただけない。オマエ一体何様なんだよ。カッコつけてる滑稽さを出したいというなら分かるのだが、そういう訳でもなさそうだ。…というか、マジで作 り手がカッコつけて描いているのか、カッコつけてるけどサマにならないダサさを描こうとしているのかが分からない。そのあたりの描き方において、作り手の腰が据わっていないのである。
 この主人公が女を犯人に対するエサとして差し出そうとするあたりに、捜査に取り憑かれた者の「業」みたいなモノが出ればまだ見応えもあっただろうが、こんなチョロい素人探偵ごときにそんな「凄み」がある訳ではない。また、犯人のためのエサにした女に主人公が実は惚れていた…というなら、ミッドナイト・クロス(1981)のジョン・トラボルタ演じる主人公みたいに、悲痛さと共にそれでもやらかしてしまう「業」や「凄み」が出て来たかもしれない。だが、こいつにはどうやらそんな感情もなさそうだ。だから、こんなケチな小物の分際でイッチョマエに「女を利用する」というおこがましさに、見ていてイラッと来るのである。
 そして、むやみやたらにタバコをスパスパ。ハードボイルド気取りのカッコつけなんだろうが、タバコ吹かしたての中坊みたいでまったくサマになってなくてみっともない。それが「小物ぶり」を表現した芝居なのだ…と言われても、ちょっとそうは見えない。正直言って、芝居のやりようがないのでタバコでごまかしているヘボ役者という印象しかない。
 そんなこんなで、こんなショボい男の空回りに付き合わされてひどい目に遭わされた人々が気の毒になってくる。翻って、こいつがどんな酷い目に遭ったとしても、同情どころか「ざまぁ!」という気にしかならないのだ。さすがにこれではどうしようもないだろ。

「良い」映画と「良さそう」に見える映画は違う
 そんな、言ってしまえばアホな男の至極くだらない話。それを、降りしきる雨…などで深刻な話に見せかけているのが本作である。
 確かに雨を降らしたのは効果的だが、ファティ・アキン女は二度決断する(2018)で主人公の気持ちを象徴するように連日降っていた雨とは、比較するのも申し訳ないくらい。それはテレビのCMやミュージック・ビデオなどで、単にカッコ良く見せている映像と何ら変わらない。
 また、本作はやれ香港返還だ北京オリンピックだ改革開放政策だ…と、「経済発展に取り残された者の哀しみ」的 に盛り上げようと意味ありげに時代背景を描いている。だが、正直言ってこれだけバカで思慮の浅い男が自滅したところで、それは自業自得。むしろ周りが迷惑 だ。いつの時代だってその社会だって、バカはバカでしかない。社会の歪みがどうの…なんて関係ない。さすがに現在の中国のあり方に微妙な見方をする人間で も、こいつの自滅を社会のせいには出来ないだろ(笑)。ただただ、バカな奴というだけのことである。
 本作のイヤなところは、こんなアホ男のワガママ勝手な暴走を社会と時代のせいにしようとする、作り手の甘ったれた視点が見え隠れするところだ。社会派ぶってやっているつもりなのだろうが、そんなものは偽善でしかない。くだらないアホ話を、大げさにもっともらしくしたり顔で見せるから、頭にくるのである。
 一見「良い映画」に見せかけているが、中身は空疎だ。むしろ、一見「良い映画」に見せかけているだけ罪が重い気がする。この両者は、残念ながら似て非なるものだ。
 本作の監督ドン・ユエは、そのあたりが分かっていない気がする。高級そうなもっともらしい意匠を纏わせれば、作品そのものもレベルが上がると思っているのだろう。実際にそれはある程度成功していて、現に丸め込まれている人たちも多い。それは一般の映画ファンだけでなくて、何と東京国際映画祭では「最優秀芸術貢献賞」とやらまで頂戴している始末だ。「芸術」に「貢献」である。只事ではない。
 しかし、ちょっと待っていただきたい。よくよく見れば、映画の根本はまったくアホなお話である。そこにもっともらしい包装紙や見た目を施して、立派に見せかけているだけなのだ。最近はそういう映画がすこぶる多い。アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(2018)の、悪役の指パッチンで世界が破滅…みたいなもの(笑)である。だが、実際「これは本当は何を描いている映画なのだ」とよくよく考えてみれば、おのずからその正体は割れてしまうのではないだろうか。
 そういうもっともらしいムードに見せかける手つき
だけは長けているあたり、ドン・ユエの演出には何とも姑息な印象が漂う。
 そういう意味で言えば、主人公と女が線路を見下ろす陸橋の上にいる場面が劇中に何度か出てくるが、その場面で不自然にホリゾントを使っているのも気 になっていた。つまり、そこだけロケだけでなくスタジオ撮影をしているのだ。当然のことながら、これは何かやらかす気だな…と見ている側としては察してし まう。案の定、終盤で女がやらかす訳だが、それはこの場所が何度か出てくるうちに早晩割れてしまっている。そのあたりも興ざめである。「やりそうだな」と思うことを、そのまま何の芸もなくやっちゃっている。それが途中から明らかにチラつくから、見ている側としてはシラケるのだ。
 何度も繰り返して恐縮だが、主人公は能もないくせに他人を巻き込んで迷惑をかけるバカで、その振る舞いは「甘い」の一言で片付けられる。そして、これをもっともらしく粉飾決算的に高級に見せかける監督ドン・ユエの映画づくりにも、そんな程度で観客が手なずけられると考えている「甘さ」が透けて見える。だから、何となく不快に感じられるのだ。そう、根本的にこの作品はどこか「甘い」のである。
 「良い」映画と「良さそう」に見える映画は違うのだ。

本作唯一の美点と思える「夢オチ」

 そんな訳で、クソミソにケナしてしまった本作だが、ひとつだけちょっと良いかな…と思った点もある。それは本作の持つ「曖昧さ」だ。
 それについて誰もが気づく部分は、終盤のくだりだと思う。釈放された主人公が、自分がかつて勤めていた工場のホールに行く場面だ。すでに廃墟になっているホールに立つ主人公に、通りかかった管理人が声をかける。主人公がここでかつて表彰されたと話すと、彼が保安課だと聞いた管理人に「保安課は評価されてないから表彰されないはず」と否定される。おまけに「1997年は表彰がなかった」とダメ押しされてしまうのだ。
 そういえば問題の表彰式場面を思い出すと、雪だかホコリだかが上から降ってくる…という妙に幻想的な味付けが施してあった。それはエンディングでバスが エンコして動かないところに、空から雪が降ってくる場面と呼応しているかのように見える。しかも、そもそも「保安課は評価されてない」ってあたりで、みんなから一目置かれている主人公…という前提が崩れている。
 考えてみると、表彰されるほど評価されているはずの主人公が、仕事放ったらかして素人探偵ごっこしていていいのか…と中盤あたりは不思議に思っていたの だ。さらに、そんな本業でもない捜査の過程で後輩を失ったら、何らかのペナルティを課せられるのが当然だろう。なのに、そんな気配は映画では感じられな い。そのくせ、唐突に主人公はリストラである。当然は当然なんだけれども、そこまでの過程はすっ飛ばされている。
 そんなあちこちに散りばめられた「曖昧さ」「ツジツマの合わなさ」のせいか、何だか夢でも見ているようだと言えば、まさにその通りである。そして、終盤のあの呆気ない結論である。
 「柳生一族の陰謀」(1978)で萬屋錦之介が大見得切って叫ぶ「これは夢じゃ、夢でござ〜る!」じゃないが、主人公も観客も唖然呆然となる幕切れ。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)のエンディングでの、人生は阿片で見る一瞬の夢にも似たり…のような感慨というか(そりゃちょっとホメ過ぎか)、本作の終盤に漂う夢まぼろしみたいな呆気なさや空しさ…は意外と悪くない。
 この男の人生自体が妄想か幻だったのではないか…と思わせる、一種の「夢オチ」
 だからと言って、全編を通してのアホ主人公のアホ話が高級になる訳でも何でもないが、その虚しい後味だけはウソじゃない。そこだけは、ちょっと評価できるんじゃないかと僕は思うのだ。

 

 

 

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