新作映画1000本ノック 2018年11月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「サーチ」 「バッド・ジーニアス/危険な天才たち」 「ブレイン・ゲーム」 「スカイライン/奪還」 「イコライザー2」 「スカイスクレイパー」

 

「サーチ」

 Searching

Date:2018 / 11 / 26

みるまえ

  この映画のことは、劇場に置いてあったチラシと予告編で早くから知っていた。突然に娘が失踪して、真相を知ろうとする父親がパソコンで彼女の日常を探るう ち、意外な事実にブチ当たっていく…というお話。しかも、それをパソコン画面から一歩も出ないで表現する…という荒技を見せる映画らしい。それだけ聞く と、全部通しでカット割りせずワンショット撮影したかのように見せたヒッチコックの「ロープ」(1948)みたいに、実験性の高い作品になっている気がす る。また、おそらく娘のSNSとか掘っていったらネットの闇が見えてくる…みたいな、どんよりと気色悪い怖さ溢れる映画になっているのかもしれない。これ は相当面白そうではないか。なかなか暇が作れない中を、時間が空いた隙を見計らって劇場へと駆け込んだ次第。

ないよう

  まっさらなパソコン画面。そこに溜め込まれる家族の情報。デビッド(ジョン・チョー)とパメラ(サラ・ソーン)のキム夫婦の娘マーゴットの記録だ。娘につ いて、何でも「初めて」の記録が溜まっていく。「幼稚園初日」、「小学校初日」、「ピアノ教室初日」…。だが、やがて嬉しい家族の記録の中に、秘かに影が 忍び寄る。パメラがガンに冒されていると診断されたのだ。こうして彼女のガンに対して、「家族」一丸となって戦う日々が始まる。その甲斐あって、パメラは ガンを克服。夫婦でマーゴットのピアノ発表会に出かけるなど、再び楽しい日々の記録が続く。だが、やがてパメラのガンが再発。再び闘病の日々が始まり、努 力も虚しく彼女は入院。一時は帰宅することが期待されながら、そのまま帰らぬ人となってしまう。そして「高校入学初日」、そこには父デビッドと二人で記念 写真に収まるマーゴット(ミシェル・ラー)の姿があった…。いまや父子家庭となったキム一家。その日も、デビッドはパソコンからマーゴットのスマホに電話 をかけている。彼女が生ゴミを捨て忘れたことを注意するためだ。マーゴットはこの日は生物クラスの友達の家に行くらしく、帰ってくるのは夜遅くなるとのこ と。父親としては娘の日常が気にかかるところではあるが、サッサと通話を切られてはそれ以上詮索しようがない。その夜、デビッドの元に3回スマホから着信 があったが、彼は眠っていて通話を取れなかった。翌朝、それに気づいたデビッドがマーゴットに連絡を入れるが、電話はつながらない。台所を見ると生ゴミは まだ片付いていないので、怒り心頭のメッセージを入れようとするデビッドだが、一瞬考えて穏やかなメッセージに切り替える。だが、返事はない。だが…そう だそうだ、この日はピアノ教室だったじゃないか…と気づいたデビッドは一安心。だが、それでもマーゴットからは連絡がない。さすがにおかしいと思い始めた デビッドは、ピアノ教室に電話。すると、ピアノ教室の先生はマーゴットは来ていないと告げる。さらに先生は、デビッドに衝撃的な事実を明かすのだった。何 とマーゴットは、半年前にピアノ教室を辞めていたというのだ。慌てたデビッドは自分の弟ピーター(ジョセフ・リー)に相談するが、「思春期にはよくあるこ と」と大して心配していない。仕方なく亡き妻パメラの作ったフォルダからマーゴットの幼なじみを突き止め、その家に連絡。すると幼なじみの母親が出て来 て、マーゴットは彼らと一緒にキャンプに出かけたとのこと。これでデビッドはまた一安心。だが、それもつかの間。しばらくして当の幼なじみから直接連絡が あり、マーゴットはキャンプへ行っていないことが分かる。そもそも亡きパメラとこの幼なじみの母親が親しかったのであって、今は自分はそれほどマーゴット と親しくないと言われてしまうと、デビッドとしても返す言葉がない。そもそも…マーゴットのMacが家に置きっぱなしになっている時点で、何かおかしいと 思うべきだった。事の重大さにようやく気づいたデビッドは、慌てて警察に連絡をとる。だが、もうすでに1日近くの時間が空費されていた。警察は女性捜査官 のローズマリー・ヴィック(デブラ・メッシング)が担当することを告げる。念のためデビッドがこのローズマリーを調べてみると、大変優秀で何度も表彰され ているだけでなく犯罪者の更生にも取り組むなど評判もいい。やがてローズマリーから電話で連絡が入り、マーゴットについての情報を教えてほしいと言われる が…考えてみればデビッド自身は父親でありながら、彼女の何も知ってはいなかった。思いあまったデビッドは、マーゴットのMacを起動。そこから彼女の日 常を探り出そうとする。すると、そこには今までデビッドが知らなかった、マーゴットの「素顔」が垣間見えてきたのであった…。

みたあと
 僕はこの感 想のイントロで、本作がヒッチコックの「ロープ」のような作品ではないか…と予想していたが、それはちょっと適切ではなかった。なぜなら、パソコン画面上 だけで話が展開するのは間違いないが、時間的な流れは常にリアルタイムという訳ではない。途中省略もあるし、実はそもそも同一のコンピュータ・ディスプレ イ上という訳でもない。本作は「ロープ」よりも、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)や「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008)などのような作品の変形と言った方がいい。そして、ある意味ではそれらよりも巧みに作られた作品なのだ。

みどころ

  本作の冒頭の数分間を見て、正直舌を巻いた。ありふれたパソコン画面の上だけで、ある一家の年代記が綴られていく。これって大したことがないように思う が、誰でも思いつきそうで思いつかないものだ。というか、やってみようとしてもそうはうまくいくもんじゃない。しかも、ただディスプレイ上に画像や動画が 貼付けられているというだけでない。カレンダー上に「ママの退院日!」という文字が踊り、やがてそれが先に延ばされ、そしてためらいがちに削除される…そ のパソコン動作の、マウスの動きひとつだけで操作する側の息づかいが伝わってくる。見る側はこんなの大したことないと思うだろうが、それは素人の赤坂見附 (笑)。これが思いつくかどうかが大変なのだ。この冒頭だけでも素晴らしいと唸った。主人公はパソコンでいろいろ調べていき、パソコンを通信手段にも使っ ている。そのため、パソコン画面だけでストーリー展開ができるのだ。久々に僕は、一番最初に自分がMacに接した時の感動を思い出したよ。あの時は、本当 にこりゃあ便利だと思ったもんねぇ。しかも、後々になって分かってくるのだが、そんな画面上にいろいろ伏線も埋め込まれているから大したものだ。主役を演 じるのは、J・J・エイブラムス版「スター・トレック」 (2009)でヒカル・スールー役を演じていたジョン・チョー。出てくる主人公級がすべてアジア人というのは、アメリカ映画では極めて異例だ。だがこの映 画では、強面でもなく貫禄もないアジア男性の父親が、非力で頼り無さげな感じで物語にピタリと合っている。ついでに言うと、マーゴット役のミシェル・ラー もあまり可愛くないあたりがリアルで、本作の真実味を増している。本作の主人公一家にアジア人を持ってくるあたりは、監督・脚本のアニーシュ・チャガン ティがインド系アメリカ人だからだろうか。そして、ロシアで「ナイト・ウォッチ」(2004)を撮ってからハリウッドに移って来たティムール・ベクマンベトフがプロデュースに名を連ねているのにも驚いた。何しろロシア人なのに堂々とハリウッドに来て、「リンカーン/秘密の書」 (2012)とか「ベン・ハー」リメイク版(2016)なんかを撮っちゃうツラの皮の厚さ(笑)。さすがに「ベン・ハー」は大コケしたようだが、本作みた いなケレン味たっぷりな作品をプロデュースしているあたり、本人まったく懲りてないと見た。そういやベクマンベトフはすでに「アポロ18」(2011)という「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」スタイルの作品をプロデュースしているから、本作も同じ発想で作った可能性が高いと思う。
ここからは映画を見てから!

こうすれば

  ただし、その発想の大胆不敵さに驚くのは映画の途中まで。失踪した娘のクルマが湖から上げられたあたりから展開が雑になり始めて、彼女を殺したとの告白を 残して変質者が自殺を遂げたあたりで、雑さはますますエスカレート。物語の展開も雑なら、それを表現するためのコンピュータ・ディスプレイの使い方も雑に なっていく。そもそも主人公がパソコンの前から離れて外に出て行くあたりで無理が生じて来て、どうしてもキツイ部分はニュース映像などをYouTubeで 見てる設定にしちゃってるあたりで相当に苦しい。ハッキリ言って、これってズルでしょう。そもそもこれを大っぴらにやられちゃうと、物語をすべてコン ピュータ画面上だけで展開する…という前提が相当に怪しくなってしまう。で、見ていてちょっとズルいなと気づき始めちゃうと、そもそも今、観客が見ている 画面はどのコンピュータで、誰が操作しているのか…という話にもなってきちゃう。同じコンピュータ画面という前提があったので矛盾になかなか気づかなかっ たのだが、これは一人称映像なのか三人称映像なのか…みたいな問題が出て来てしまうのだ。特にコンピュータはそこでマウスを使って操作する人間がいる…と いう前提だから、画面に「人格」が生じてしまう。それゆえ、「今、誰が」このコンピュータを操作して画面を見ているのか…という疑問が湧いてしまうのだ。 それを考えてしまうと、本作は「全編をコンピュータ画面上で展開する」という厳格なルールを定めているように見えて、誰がどのコンピュータを使っていて も…あるいは誰のコンピュータか分からない状況でも、「コンピュータ画面なら何でもいい」みたいなカタチになってしまっていることが分かる。こういう変則 技の作品は厳格なルールを自らに課さなくてはならないのに、実はよく考えると「何でもあり」みたいになっちゃっているのだ。で、どうせ「何でもあり」に なっちゃうのならば、別にコンピュータ画面にこだわる必要はなくて、普通にカメラで撮ってカット割りすりゃいいってことになってしまう。つまりは、ツメが 甘いのである。冒頭の数分間が実に素晴らしいだけに、終盤に向かって見事に腰砕けになっていくのが残念でならない。これってどうせ「ブレア・ウィッチ」ス タイルの作品でいくのなら、「人生タクシー」 (2015)を撮ったイランのジャファル・パナヒだったらもっとうまくやったんじゃないだろうか。筋金入りのパナヒならばハンデをものともせず、極力当初 のアイディアを活かして本作を作り上げたはずだ。誰かパナヒをハリウッドに連れて来てくれよ(笑)。本作はネットありきの作品という意味では「ライオン/25年目のただいま」 (2016)などにも通じる「検索映画」とでも言うべき新しいジャンルで、そういう意味では非常に興味深い。だが、もっと気持ち悪い底冷えの怖さが出てく るかと思っていたので、意外にサラッとした話になってしまったのがモノ足りない気もする。ただし、下手に気色悪い映画にすると「ブラックサイト」 (2008)みたいな話になっちゃいそうだし、それだと「ネットけしからん!」みたいに年寄りの説教じみた薄っぺらいメッセージ映画になりかねない。おま けに本作は冒頭とエンディングを見れば分かる通り「家族」の物語に収束するのだから、やはりこの程度のお話で良かったのかもしれない。それはともかく…ア ニーシュ・チャガンティはいい発想を持っているだけに、意外に終盤に尻すぼみになってしまったのが残念。同じインド系の先輩M・ナイト・シャマランのよう な一発屋芸人みたいにならなければいいが…と、余計なことを考えてしまった。さらなる奮起を期待したいところである。

さいごのひとこと

 濃厚辛口カレーと思ったら、意外に甘口だった。

 

「バッド・ジーニアス/危険な天才たち」

 Chalard Games Goeng (Bad Genius)

Date:2018 / 11 / 26

みるまえ

  この映画の評判は、かなり前から伝わってきていた。本国でも大ヒットしただけでなく、世界各国で大評判なんだそうである。とにかく面白いらしいのだ。珍し やタイ映画ということだが、確かに近年のタイ映画は侮れない。あまり日本では見ることのできないアジア映画といえば素朴さが「売り」だが、タイ映画は ちょっと違う。それはおそらく、タランティーノ・タイプの犯罪サスペンス映画「シックスティナイン」(1999)あたりから顕著になってきたように思う。怪談映画「ナン・ナーク」(1999)、オカマのバレーボール・チームのお話「アタック・ナンバーハーフ」(2000)、初恋物語「フェーンチャン/ぼくの恋人」(2003)…などなど、どれをとってもフレッシュで、しかも洗練されていた。トニー・ジャー主演のアクション映画「マッハ!」(2003)、そして「トカゲ女」(2004)、「ガルーダ」(2004)、「ゴースト・フライト407便」 (2012)などのホラー映画や怪獣映画は、演出も脚本もガタガタでさすがに傑作とはお世辞にも言えない。だが、それでも撮影や特撮など技術的な面ではア ジア映画的「素朴さ」が影を潜めていた。映像的な部分では、昔と比べて遥かに「洗練」されていたのである。その一方でアピチャッポン・ウィーラセタクン監 督の「ブンミおじさんの森」 (2010)みたいな作品もあり、こちらはおとぎ話みたいな素朴さが特徴ではあったが、それもあくまで一見「素朴」に見せたアート系作品。正直言って僕は あまりこの人の作品を好きではないのだが、こちらだって実はやっぱり「洗練」されていたのは間違いない。かように、タイ映画の水準は全体的に上がっていた のだ。つい最近も韓国映画「イルマーレ」(2000)のネタをうま〜く取り入れたような「すれ違いのダイアリーズ」 (2014)がなかなかの佳作だった。本作も、評判通り「面白い」のではないのか。だが、聞くところによれば「カンニング」の話…とのことで、それだけ聞 くと少々萎える。正直、そんな話にあまり関心が持てないんだよねぇ。それに…「カンニング」が題材の映画っていうと、物語も微妙なモノになりそうな予感が する。そんな訳で、劇場に飛び込んだのは公開も終了間際の頃となってしまった。

ないよう

  アメリカの大学に留学するための登竜門ともいえる国際的試験「STIC」だが、今年の試験では不正が行われた。アジア各国で問題が漏洩したとの疑いがあ り、現在、調査が行われている…。暗くがらんとした部屋に、一人の女の子が座らされている。目の前には、証拠品であるかのようにビニール袋に入れられたス マホ。だが、のっぽなその女の子は「私のじゃありません」と否定するや、いきなり自己紹介を始めた。「高校3年のリンです。私の実力ならSTIC試験に合 格できるはず。学校に確認してみてください」…。そこまでまくし立てたリン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は、まるで緊張が解けたかのよう にゆっくりと笑みを浮かべる…。それに先立つこと3年、ここはある名門高校の校長室である。同校の女校長(サリンラット・トーマス)の前には、眼鏡をかけ てまだ初々しい中学3年のリン。その隣にはリンの父親(タネート・ワラークンヌクロ)が陣取り、額に汗をかきかき愛娘の「天才」ぶりを説明していた。いわ く、小学校は常に成績がオールA、中学でも常に主席、数学コンテストとクロスワード大会で優勝…。まだまだ続く輝かしい実績を押しとどめ、女校長はリンと 父親にズバリと語った。「よ〜く分かりました。リンさんを我が校で受け入れましょう。で、リンさんはそれでいいの?」…。当然のごとくリンが大喜びで飛び ついてくるかと思いきや、彼女はなぜか浮かぬ顔だ。それというのも、名門校に行くとなれば高い授業料を払わねばならない。離婚して男やもめでリンを育てて 来た父親に、それほどの負担はかけられないのだ。「では、授業料免除の特待生として!」と満面の笑みで語りかける女校長だが、それでもリンの表情は浮かな い。転校すれば学費のほかに、交通費や食費など多額の経費がかかる。それが1日あたりいくらで、それが1年になれば…と、その場で猛スピードで計算してい くリン。その「天才」ぶりを見るにつけ、女校長はもはや躊躇しなかった。「分かったわ! 全額無料でランチ代も出します」…それで「商談」は成立だった。 こうして名門校に入学を果たしたリンは、まず他の生徒たちとともに学生証の写真を撮ることになる。カメラの前に座って、いざ撮影…という時、リンに駆け 寄って話しかける女子生徒がひとり。彼女は「ずっと使う学生証なんだから」…と、リンの眼鏡をはずして髪型を整える。今まで身の回りのことなど気にせず やってきたリンが、そんな彼女の気遣いに思わず表情を和らげた。それが、リンとグレース(イッサヤー・ホースワン)との出会いだった。たちまち彼女たちは 仲良くなるが、ある意味でこれほど対照的な二人はいなかった。浮ついたところもなく勉強一筋のリンに対して、金持ち家庭に生まれ育ち、演劇部で女優をめざ すグレース。それでも二人はいつも一緒にいて、お互いの身の上を語り合うようになる。そんなある日、グレースがリンにある「お願い」を口にする。それは、 彼女の「家庭教師」になってくれという頼みだった。勉強が出来ない彼女は、今回の試験で赤点をとると女優が出来なくなってしまう。そこで、リンに個人授業 を頼み込んだのだ。困り果てたグレースが見せた問題を、難なく解いていくリン。最初はグレースの頼みに渋い顔をしていたリンだが、親友のたっての頼みとあ らば仕方がない。リンはグレースの勉強を見てやることになった。こうして迎えた試験の日。リンの後ろの席にグレースが陣取って、いよいよ実力発揮の時だ。 だが次の瞬間、問題を見たリンはアッと驚いた。何とテストの問題が、ことごとく前にグレースが見せてくれた問題と同じなのだ。これはグレースが、事前に問 題を手に入れていたということなのか。それに気づいて唖然とするリンだったが、後ろの席のグレースはどうやら頭が真っ白の様子。あれほど教えてやったの に、彼女はまったく問題が分かっていなかったのだ。その気配を察したリンは、困り果てているグレースを救うべく決断した。消しゴムに答えを小さく書き込む と、それを靴の中に入れて後ろの席に向かって蹴り出したのだ。リンの機転に気づいたグレースは、彼女に感謝しながら靴の中の消しゴムを回収。それと同時 に、自分の靴を前のリンに向かって蹴り出した。これがとんだ方向に飛んで行って一時はヒヤリとしたものの、何とかバレずに済んで試験は終了。親友を無事危 機から救うことができて、リンもホッと一安心した。だが、彼女は後に自分がとんでもない深みに陥ることになるとは、その時まだ気づいていなかったのであ る…。

みたあと
  これは映画の最初の「カンニング」場面で、まだほんのさわりの場面。実は人物紹介もまだ完全に終わっていなくて、この直後にグレースの恋人で金持ちのボン ボンであるパット(ティーラドン・スパパンピンヨー)が出て来て、主人公リンを文字通り深みに陥らせてしまう。さらに、もう一人の天才優等生バンク (チャーノン・サンティナトーンクン)まで登場して、ドラマはいよいよ佳境へと入っていくのだ。だが、ある意味で本作の特徴的な部分は、ほぼこの部分だけ ですべて出尽くしているとも言える。本作の最大の美点であるヒロインが出て来て、彼女が「カンニング」という一種の犯罪に手を染めねばならなくなる経緯が 語られる。そして、その大きな動機となる「貧富の差」も提示される。これが実に揺るぎのない設定なので、そこから語られる物語自体も力強い。さらに、「カ ンニング」自体の視覚的な見せ方が巧みである。まさに「三拍子揃った」映画になっているのである。

こうすれば

  今まで日本のマンガやらフランスのコメディ映画「ザ・カンニング/IQ=0」(1980)などに描かれたカンニングは、言ってしまえば他愛のないものであ る。それがバレたからと言ってアハハで終わってしまうもので、それを行っている登場人物当人も見ているこちらも、良心の呵責など感じずに済むシロモノであ る。だが、こちらのカンニングとそれが行われる試験とは、かなりシリアスなものだ。描かれ方も、笑ってごまかす手合いのものではない。ジャンル的には青春 映画ではあるが、そのフォーマットはコメディではない。どちらかというとスポーツ映画か犯罪映画のそれである。例えば宝石強盗を扱った映画などに近い感覚 だ。だが、宝石強盗の映画を見ていても、それが間違いなく犯罪であることが分かっていながら、僕ら観客は良心の呵責を感じることはない。作り手が映画の語 り口をシャレたタッチや遊び心で充満させて、僕らの「これが犯罪で良くないことだ」を思う気持ちを麻痺させているからだ。また、宝石…などそこで盗まれる ブツについても、どうせ金持ちの贅沢品だから盗まれたって誰も困らない…的なアリバイを先に作ってしまっているということもある。あるいは盗まれる奴が悪 い奴で、法で裁けない悪を犯罪で懲らしめる的な展開にしている場合もあるだろう。ともかく、それは正当化された「悪」なのである。近年でいえば、「オーシャンズ11」 (2001)あたりがこれに当たる。だが、本作の場合はそのへんが微妙である。誰が何と言っても、みんなが勉強した成績を判定する試験における不正は、正 しい訳がないのである。これがドリフの「全員集合!」のコントで、加藤茶がカンニングしているところにいかりや長介の先生が「こら〜!」と怒って出てくる とかいうなら、僕らは楽しく見ていられる。だが、本作はそんな作品ではない。シリアスである。だから、正直言って最初は見ていて扱いに困る。ヒロインのリ ンがそんな「犯罪」に手を染めるに至る展開は、文句のつけようのないうまさである。良いことではないが、彼女がそうならざるを得なかった気持ちも分かる。 そして、彼女が試験の途中で「学校」側が一種の不正に加担していることに気づくという設定で、ますます彼女と見ている側の「罪の意識」を中和させているの も巧みだ。…というわけで、そこまでは僕も理解できるのだが、親友グレースが恋人パットとツルんでさらにカンニングをエスカレートさせていくに至っては、 少々見ているこっちとしてはついていけなくなった。これはさすがに「痛快」とは言っていられないだろ。確かに「カンニング」テクニックの巧みさや描き方の うまさには舌を巻くし、世間もこの映画を大絶賛している。僕も大いにその「面白さ」は認めたくなるところだが、根幹のところが歪んでいる。そもそも金持ち カップルがカネで主人公リンの足下を見ている…という構図が良くない。よくよく考えてみれば、貧乏人をカネの力でコキ使ったあげく、金持ちどもがラクをし ていい思いをする話になってしまうのだ。ハッキリ言って、このグレースとパットの二人が世の中をナメ切って人を見下しているようで、何とも胸くそが悪いの である。この段階では、みんな何でこれを「爽快」などと言っているのか僕には分からなかった。それとも、こんな事で引っかかっている僕が「野暮」で「堅 物」なのだろうか。とてもじゃないが、「オーシャンズ〜」みたいにこれを楽しむことなんて出来ないのだが…。
ここからは映画を見てから!

みどころ

  だが、さすが…というべきなんだろうか。映画は終盤に向かって大きく変容を遂げていく。それも、二転三転、四転ぐらいする力技だ。そんな主人公たちの人間 関係がひっくり返りねじ曲がっていく一方で、大規模で大胆不敵な「カンニング」大作戦が展開していく…という設定だから、お話もかなりドラマチック。手に 汗握るという表現がこれほど相応しい作品もない。そして、僕が見ていて「これはいかがなものか」と思っていた点についても、ちゃんと帳尻を合わせたエン ディングとなっている。それが、主人公の心の成長として描かれているのだ。これはなかなか出来ない。しかも、そういったドラマ上の構成のうまさで僕のよう な「文系脳」的な人間を納得させる一方で、「カンニング」場面のダイナミックな演出で「映画的」にも堪能させるからスゴいのだ。次から次へと出てくる「カ ンニング」アイディアも見事だが、それらを描く視覚的な工夫にも感心してしまう。言ってみれば、マーティン・スコセッシが「ハスラー2」(1986)でカ メラ・テクニックを総動員してビリヤードを映像化していたように、本作では「カンニング」を徹底的に「映画的」に見せている。本作の脚本・監督を手がけた ナタウット・プーンピリヤという男、なかなかの才人である。そして、ヒロインを演じたチュティモン・ジョンジャルーンスックジンのオリジナリティにも脱 帽。美人ではないが不思議な魅力があり、余人をもって代えがたい。まるで「ほえる犬は噛まない」 (2000)で出て来たペ・ドゥナを見た時のような衝撃である。彼女だけでも本作は収穫だ。そんな訳でほとんど言うことのない出来映えではあるのだが、最 後にひとつだけ…。ブッ壊れちゃって倫理観が狂っちゃった優等生のバンクに、ラストでちょっとでも希望や光明があれば…と思うのは僕だけだろうか。他の人 物はみな多分に自業自得の面がある中で、彼だけはあまりに不運で気の毒だからである。

さいごのひとこと

 廊下に立たせるぐらいの罰で許したい。

 

「ブレイン・ゲーム」

 Solace

Date:2018 / 11 / 19

みるまえ

  これはチラシを見て、一発で見たくなった。アンソニー・ホプキンスとコリン・ファレルである。僕は無類のコリン・ファレル好きだが、どこが好きって彼のど こか「捨て犬」のような安さが好き(笑)。これはホメ言葉である。それが大名優ホプキンスと渡り合うっていうんだから、それだけで笑っちゃうのである。し かも超能力者同士の対決らしく、本作ではむしろファレルの方が能力的には上と描かれているらしいから、さらにおかしさも倍増だ。最初から笑いにかかるのも 失礼とは思うが、僕にとってはそんなファレルの滑稽さすら好ましいのである。どこか作品全体に漂うB級っぽさも気になるところだが、とりあえずこの二人の 顔合わせが見たい一心で劇場へと向かった。

ないよう

  目を見開いた男が、椅子に腰掛けている。だが、その眼差しは虚ろだ。それもそのはず、男は死んでいた。殺人である。男の死体の周囲には、手がかりを探る捜 査員たちが右往左往。その中に、ベテランFBI捜査官のジョー(ジェフリー・ディーン・モーガン)と精神科医の資格を持つ若い捜査官キャサリン(アビー・ コーニッシュ)もいた。同様の手口の殺人が連続して起きていたが、手口以外はそこに共通性が見いだせない。困り果てたジョーは「あの人物」の助けを借りよ うと言い出すが、キャサリンはそれに気乗りがしない。なぜなら、「あの人物」とはかつて「予知能力」によってFBIに協力していたジョン・クランシー博士 だったから。精神科医であるキャサリンとしては、「超能力」に頼る気になれなかった訳だ。さらに理由がもうひとつ…ジョンは娘の病死をきっかけにFBIか らも世間からも離れ、世捨て人のように田舎にこもっていたということもある。それでも無理を承知で押し切るジョーは、キャサリンを連れてド田舎の道をクル マで走りに走る。だが、いよいよ人里離れたジョンの家の前まで来ると、ジョーはキャサリンをクルマに待たせて一人で家に入って行った。こうしてジョン(ア ンソニー・ホプキンス)と久々に再会したジョーだが、ジョンは彼の顔を見てもニコリともしない。事件の話をしようとしても、協力する気はないとつれない。 そんなところに、いきなり割って入ってくるキャサリン。ジョーに連絡が入ったと伝えるためにやってきたのだが、彼女はついでにジョンに連続殺人の捜査資料 を押し付けた。すると…瞬間的にジョンの脳裏に鮮烈なイメージが飛び込んでくる。それは…頭を血まみれにしたキャサリンの姿ではないか。さすがにその事を 口に出すことも出来ず、ただ去って行くキャサリンを見送るだけのジョン。一人になったジョンは、静かに捜査資料に目を通していく…。翌日、事務所に出勤し てきたジョーとキャサリンの前に、意外にもジョンが現れる。大喜びするジョーだが、ジョンのつかみどころのない態度は相変わらず。キャサリンはそんなジョ ンに「失礼ながら、私は超能力を信じていません」と冷ややかに言い放つが、ジョンもさるもの。「構わんよ、私も精神科医は信じていないから」と冷静に返 答。これはさすがにジョンが一枚上手。そんな二人を横目で見ながら、ジョーは「いいチームだ!」とニヤニヤが止まらない。そんなうまくいきそうもない3人 ではあったが、まずはここまで起きた殺人を振り返ることにする。犠牲者はいずれも、首の後ろを尖ったモノでひと突き。おそらく苦痛は感じていない。最初の 被害者は黒人の老婦人で、アパートの中で殺害されていた…。その夜、ジョーは「うまいメシを食わせる」とジョンを誘うが、それは立ち食いサンドイッチの屋 台だった。折からの大雨の中、昔話も交えて親しげに話す二人。治るアテもない白血病の娘を看取ったジョンだったが、それから妻とも仲が冷えきって別居した という。だが、そんな会話を交わすうちに、ジョンの脳裏にはまたしても新たなイメージが現れる。それは、苦痛に表情を歪ませるジョーの姿。それでも、ジョ ンはそんなことをジョーに告げられる訳もなかった。ところが…またしても新たな事件が発生。警察に通報があったため、ジョー、キャサリン、ジョンも一緒に 現場に急行する。駆けつけてみると、その部屋の入口近くには「4:16」と書かれた紙が置いてある。「???」となるジョーとキャサリンに、ジョンは衝撃 的な事実を突きつける。その「4:16」とは、彼らがこの部屋に到着したたった今…午後4時16分を指しているというのだ。ということは、犯人は彼らがそ の時刻に到着することを知っていたというのか? 慌ててジョーたちが部屋に飛び込んでみると、部屋の真ん中には湯船があり、花びらを一面に浮かべた湯に浸 かって一人の女が事切れていた。ジョンが女のカラダに触れると、脳裏に彼女が死に至るまでのイメージが蘇る。まさか自分が殺されるとは知らない彼女は、湯 船に浸かってリラックスしたところを、例によって後ろから首を刺されて死んでいた。そんなイメージを読み取ったジョンは、なぜか捜査員たちに「湯に触れる な!」と注意する。やがて被害者の夫が容疑者として逮捕されるが、取り調べに同席したジョンは容疑者の秘密をズバリズバリと指摘していく。いわく、容疑者 は同性愛者だったこと、彼はエイズに感染していて妻にもそれをうつしてしまったこと…。ジョンが「湯に触れるな」と言ったのは、HIVウイルスに感染する 危険を指摘していたのだ。さらに真相に肉迫すべく、他の被害者について調べを進めていくジョンだったが…。
ここからは映画を見てから!

みたあと
  ここまでストーリーを紹介してきたが、皆さんはここで妙なことにお気づきのことと思う。映画が始まってからかなりの時間がすでに経っているはずなのに、本 作で重要な役割を担うはずの人物が出て来ていないではないか。すなわち…主人公であるアンソニー・ホプキンス演じるジョン・クランシー博士と、超能力で丁 々発止でやり合うはずのもう一方の超能力者…コリン・ファレルが演じるはずの人物である。本作はこの二人ががっぷり四つに組んで戦うのが「売り」の作品の はずで、ポスターなどもそういうイメージで作られている。少なくとも、僕はそういうつもりで本作を見に行った。ところが、なかなかコリン・ファレルが出て こない。実は彼が出てくるのは、映画も中盤を過ぎてから。しかも、とてもじゃないがホプキンスと「やり合う」などという雰囲気ではない。「ブレイン・ゲー ム」などというから、二人がお互い相手を出し抜き、手を読み合う「頭脳戦」が展開するものと思っていたので、正直言って拍子抜けである。それよりも、むし ろ妙にシリアスなタッチのお話が展開するサスペンス映画になっていて、かなり事前のイメージとは違う。それもそのはず、実際のタイトルは「ブレイン・ゲー ム」なんてもんじゃない。そもそも、「ゲーム」感覚なんてない。原題の「Solace」とは「癒し」の意味だそうなのである。

みどころ

 だから、ホプキンスVSファレルの超能力合戦を期待すると「アレレ」と脱力してしまうのだが、だからと言って本作は決して退屈な映画ではない。むしろア ンソニー・ホプキンスが久々に全編たっぷり演じていて、気持ち良さそうに芝居しているのが見ていて楽しい。ホプキンス・ワンマンショーを楽しむべき映画な のである。雨の中の屋台で刑事としみじみ会話するあたりの味わいなども、なかなかいい。何と本作は何を考えたかホプキンスがプロデュースまで手がけたとい うのだから、よほどやりたかったのであろう。この話のどこにそんなに惹かれたのかは分からないが、本人のノリがいいのも当然である。そして、ホプキンスと 互角でやり合う…という当初の期待は実現しなかったものの、ファレルも決して悪くない。悪くないというか…あの「安い」コリン・ファレルがアンソニー・ホプキンス より「一枚上手」の超能力者というのがやっぱりおかしい。「らしくない」から笑ってしまう。どう見たって頭悪そうだし、根拠のない信念を持って頑張っちゃってるの が「バカが刃物を持ったら」的なアホさ加減でまた笑いを誘う。いやいや、これは決してケナしていない。むしろホメ言葉だ。「捨て犬」感満載のコリン・ファ レルがこれをやってくれるから嬉しくなるのである。おまけに、偉そうにホプキンスを後継指名するというんだから、そこでまた失笑必至。エンディングにホプ キンスが「格下のおまえごときに後継扱いされる覚えはない!」と言わんばかりの場面が登場するので、一粒で二度笑える展開となっているのだ。いやぁ、こ れってやはりバカにしてるみたいかなぁ(笑)。本作のもうひとつの見どころは、精神科医の資格を持つFBI捜査官を演じるアビー・コーニッシュ。髪をまと めて銃を構えた姿が何ともカッコいい。よくよく見ると、彼女は今回とほぼ同じ格好で「ジオストーム」 (2017)にも出ていた。あの時も彼女のカッコ良さに惚れ惚れとした記憶がある。髪をまとめて、就職活動中の女子大生みたいなスーツを着せれば、今、世 界一かもしれない(笑)。逆に、ラストの病室の場面ではスーツを着てなかったので、いい場面のはずなのにパッとしなかった。アビー・コーニッシュはあの就 活スーツを着てナンボだと思う(笑)。

こうすれば

 先にも述 べたように本作はシリアスなサスペンス映画となっているが、何となくあちこち違和感が感じられる出来映えである。例えば、ホプキンスが予知能力で脳裏に思 い浮かべるイメージの場面が、妙にチャラい描写なのも何となくそぐわない感じ。どうも変だなぁ…と感じていたのだが、どうやらそれは監督のせいらしい。本 作を監督したアフォンソ・ポヤルトは、何とブラジル出身の人。彼の出世作「トゥー・ラビッツ」(2011)は、未見ながらポップな感覚のクライム・アク ションと聞く。なるほどそう言えば、カー・アクションの場面なども妙に張り切って撮っていたような気がする。そんな人がシリアスなサスペンスを撮ったら、 どこか窮屈に感じても仕方がない。ここはコリン・ファレルの方を前面に立てて、もっとバカバカしい話にした方が良かったんじゃないだろうか。プロデュー サーでもあるホプキンスとしては、それじゃ困るだろうが…。

さいごのひとこと

 コーニッシュの就活スーツ・シリーズ化希望。

 

「スカイライン/奪還」

 Beyond Skyline

Date:2018 / 11 / 12

みるまえ

 「世界侵略:ロサンゼルス決戦」(2011)など宇宙人征服もの映画が氾濫していた最中に、それらの1本としてドサクサまぎれに日本公開された「スカイライン/征服」 (2010)。何と今回その続編が公開されるではないか! 実はその続編がちょっと奇妙な出来映えだ…と知人から聞いて、慌てて見逃していた前作をDVD で見た…というのがつい最近の話。こうした見た「〜征服」は、正直言ってアホな登場人物ばかり出てくるアホ映画だった(笑)。ただ、何だかうまいことやっ てソコソコ稼いだようで、だから今回続編を作ることが出来たのだろう。そして、確かに続編を作りそうなエンディングではあった。そんな訳で前作の予習も終 えて準備オッケー。果たして続編では、いかなるカタチでその「ちょっと奇妙」なことをやらかしているのか。珍品映画好きとしては、どうしても気になって仕 方がなかったため、そろそろ公開終了が近い劇場の深夜上映に、慌てて足を運んだという訳である。

ないよう

  夜の病院に、ストレッチャーに横たわった一人の女が緊急搬送される。青ざめた女は集中治療室へと運び込まれるが…。それからしばらくして、真夜中のロサン ゼルス。ピックアップトラックに乗って、一人の男が警察署の前までやってくる。その男の名はマーク(フランク・グリロ)。彼が警察署の受付にやってくる と、婦警が親しげに彼を迎える。そう、マークはここの刑事を勤めていて、訳あってしばらく休んでいたのだ。そんな彼のもとに、かつての同僚ガルシア刑事 (ジェイコブ・ヴァルガス)がやってくる。マークがここにやってきたのは、このガルシア刑事に呼ばれたからだ。実はマークの息子トレント(ジョニー・ウェ ストン)が悪さをやらかして、署に留置されていた。しかも、捕まったのは今回で3度目。「刑務所に送って構わない」と吐き捨てるように言うマークだった が、ガルシアは「今回が最後だぞ」と念を押して何とか釈放させてくれた。なぜなら、彼はトレントが荒れる理由を知っていたからだ。こうして署からトレント を連れ出してクルマに乗せたマークだが、生憎とエンジンがいうことを聞かない。クルマの中に酒ビンが転がっているのを見たトレントは、呆れた顔でクルマを 飛び出した。マークとてトレントをとやかく言えない、荒れた暮らしをしていたのだ。苛立つように地下鉄の入口を駆け下りて行くトレントだったが、そこに 立って物乞いをしていた盲目の老人サージ(アントニオ・ファーガス)に小銭を恵む優しさはまだ残っていた。そんなトレントの後を追って、一緒に深夜の地下 鉄に乗り込むマーク。彼らとて憎み合っている訳ではない。あの日、マークの妻ローズが不慮の事故で亡くなるまでは、幸せで仲のいい親子だったのだ。ところ がマークとトレントがそんな思いに耽っていたその時…いきなり地下に振動が走って電車が急停車するではないか。さらに追い打ちをかけるように振動が走り、 乗客たちが動揺する。マークは操縦室に向かうと、運転手のオードリー(ボヤナ・ノヴァコヴィッチ)が司令室と連絡を取ろうとしていた。だが司令室からは雑 音とともに、「光に気をつけろ」「光を見るな」という奇妙な指示があっただけで、連絡はプッツリと途絶えてしまう。仕方なくマークを先頭に車両から降り て、地下道を歩いて行く乗客たち。何とか最寄りの駅に着いて地上に出ようとするが、そこで一人の女の乗客が不思議な光が見える出口の方へ歩いて行ってしま う。トレントがその女を追って出口にやってくると、女は光に魅入られるようにエスカレーターで上っていくではないか。「光を見るな」という言葉を思い出し たトレントではあるが、女を止めようとしているうちに彼も光を見て呆然。一緒に上に上がって行ってしまう。そこでトレントの異変に気づいて駆けつけたマー クが何とかトレントを止めようとするが、もう止まらない。頭上には巨大な宇宙船。そこから放たれた光に人々がどんどん吸い寄せられて行く。トレントも吸い 寄せられて上に舞い上がろうとしていたが、その足をマークがガッチリ掴んだ。彼は何とか光を見ずにトレントの足を掴みながら、必死に地下鉄入口の屋根にし がみついていた。やがて光の放射が終わると、吸引されていたトレントもその力から解き放たれた。こうして危機を逃れたマークは、トレントを連れて地下へと 戻るのだった。こうして自分たちが置かれた状況を把握したマークは、乗客たちを伴って地下道を移動することにする。途中、そこに物乞いのサージや警察署か ら脱出したガルシア刑事と婦警も合流。わずかに無線でとれた連絡から、とりあえず波止場へと向かうことになるのだが…。

ここからは映画を見てから!

みたあと
  大変申し訳ないが、この時点でまだお話の3分の1にも達していない。この後、お話は一転して宇宙船内に吸い込まれた主人公たちを描くことになるが、これが 結構長い。そして、ここで今回のお話は前作と連結を果たすのである。前作の登場人物が、宇宙船内で本作の主人公たちと遭遇するのだ(ただし、前作とは役者 が変わっている)。そこからある意味でアッと驚く展開になっていくのだが、本作はそれで終わらない。その後、主人公たちは宇宙船から脱出できるのだが、そ こでもまだ物語の半分でしかない。何と映画の後半は舞台がガラリと変わり、東南アジアのラオスで展開していく。そこで映画のジャンルすら一変するような変 貌を見せるのである。

こうすれば

  正直言って、本作はかなり乱暴な作品ではある。前半と後半ではまるで別の映画みたいな印象で、106分という決して長い上映時間ではない作品なのに、まる で3本ぐらいの映画を見たような長さを感じる。それは、水と油みたいに異なる要素をブチ込んだ構成のせいもあるが、ちょっと中盤が長過ぎてダレるからでも あるだろう。特に僕はグチャグチャネチョネチョ系が弱いので、中盤の宇宙船内の場面が長かったのは生理的に少々ツラかった。閉所恐怖症的な気分になったこ ともあるが、実際ここが閉塞感が強くダレる要素が満載だったように思う。個人的には最後まで生き残る「ヒロイン」役…地下鉄運転手のオードリーがまるで役 立たずでむしろ足を引っ張っているのが気になった。演じるボヤナ・ノヴァコヴィッチも、何でわざわざセルビア出身の女優さんがこの役に起用されたのかが分 からない。お話としては、前作で「人間の脳を食っている」のかと思っていたら、どうやら人間の脳を自分たちの奴隷用サイボーグのために使っていたらしいと 分かって納得したようなしないような…。光線で吸い寄せられかけながら一度は逃れることが出来た人間の脳は、切り取られてエイリアン・サイボーグに使われ ても「人間性」を失わない…という本作のルールも何となく分かった。ただ、ちょっとSF映画としては強引なルールだよねぇ…。ハッキリ言って、本作はSF 好きを対象にした作品ではないんだろうな。

みどころ

  だが、映画の後半で舞台がラオスに移ると、お話はガラッと大きく変わる。まず個人的にはグチョグチョな宇宙船内から出られただけで、開放感があって救われ た(笑)。そして主要登場人物の入れ替えがあってラオスの地下組織の連中が主導権を握ると、それまでのSFホラー的な内容がジャンルからして一変してしま う。特にアンコールワットみたいな遺跡で宇宙人と主人公たちが戦う場面は、本作の文字通りハイライト。何と重火器などはあまり使わず、アジア系格闘技によ る肉弾戦になるからビックリ。実はこれがやりたかったんだろうねぇ。この戦う場面では「ザ・レイド」(2011)というインドネシア産のアクション映画に 出ていたイコ・ウワイスとヤヤン・ルヒアンという二人の俳優が大活躍。ただし、前者は地下組織のリーダー格として後半ずっと出てくる重要人物だからいいの だが、後者はこの終盤の戦いのためだけに出てくるような取ってつけたようなキャラクターなので、単にここで戦わせたかっただけだったと露骨に分かる。さら にそれが終わると、今度は宇宙人が乗り込んだ巨大ロボと人間脳入りエイリアン・サイボーグが乗り込んだ巨大ロボとの一騎打ちという、宇宙人版「パシフィック・リム」 (2013)みたいな趣向となる。まぁ、作り手がやりたいことを全部乗せしているんだろうが、ハッキリ言ってバランスはまったく良くない。僕はあまりアク ション映画の界隈についてはよく知らないのだが、「ザ・レイド」という作品には熱狂的に支持する好事家がいるみたいなので、そういう人々にとってはたまら ないのかもしれない。ただ、先に述べたように無条件でいい出来かというと、残念ながらちょっと悪ノリし過ぎと言うべきだろう。それでも本作の奇妙さと文句 なしのサービス精神にはついつい笑ってしまうし、それなりの楽しさを感じて僕は決してキライにはなれない。しかも一種のバカ映画、トンデモ映画でしかない かと言えば、そうとも言い切れないのが不思議なところ。前作のお話との絡ませ方の巧みさや主人公マークの親子の情の描き方など、決して悪くないし下手でも ないからだ。ただ、やりたいことをギュー詰めした結果、お話のバランスが極端に悪くなったこと、重要人物をコロコロ殺しちゃうなど扱い方が雑なこ と…などは否めないところ。それでも、人間の描き方は前作よりはかなり良くなっているのではないか。監督のリアム・オドネルは前作でも脚本を担当している ので、意外に彼の方がこのシリーズのキーパーソンなのかもしれない。

さいごのひとこと

 ハンバーグ・カレーの大盛り。

 

「イコライザー2」

 The Equalizer 2

Date:2018 / 11 / 12

みるまえ

 前作はデンゼル・ワシントンの「必殺仕事人」みたいな話で、バカバカしい話を大マジメに演じるデンゼルが面白かった。「マグニフィセント・セブン」 (2016)同様、スターとしての安定感が抜群なのである。ホームセンターであの手この手で戦うあたりのサービス精神も嬉しい。アントワン・フークアは何 を撮っても大味だが、イキの良さだけはある監督だから見ていて楽しめた。今回は、その続編である。もちろん見たい。ただ、前のあの繰り返しだとどうなんだ ろう。アレをもっとエスカレートさせるのか。そして、キャリアの最初の頃は名優ぶりを発揮していたデンゼルだが、最近はもっぱら大味娯楽作ばかり…っての も役者としてどうなんだろうか。そんなことを思いながらも、ソコソコ楽しませてくれるのだろうということは確信しながら、劇場へと向かった。

ないよう

  ここはトルコ、イスタンブールから400キロ離れた走る列車内。ユダヤ教のラビの服装をした男が、食堂車へと歩いて行く。ラビの服装をした男は何かを注文 しようとしたが、言葉が通じない。だが、その場にいる男がカウンターにいた店員に声をかけ、ラビの服装の男が望んでいたお茶を出させてやった。ラビの服装 の男は英語を話すアメリカ人…あのロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)である。マッコールは男に礼を言うと、世間話を始める。だが、にこやかに 話をしていた男の顔は、たちまち険しくなっていった。いわく、マッコールはトルコに男を探しに来ている、アメリカ人の母親から自分の娘を誘拐した男だ、そ の男には考え直す機会を与えてやるつもりだ…と。男はマッコールから離れ、食堂車で一緒にいた取り巻き3人に合図を送ると隅の席に腰掛けた。すると、取り 巻き3人がマッコール目がけて襲いかかったが…それからわずか19秒後、何が起きたかを改めてここで書くまでもないだろう。食堂車の床には息絶えた男たち が3人。マッコールはゆっくりと隅の席に座った男のもとへとやってくる。「痛みには二通りあってな、カラダの痛みと心の痛みだ。今、ここでどちらかを選ん でもらおう」…。その後まもなく、ボストンの法律事務所で母と娘の感動的な再会の場面があった。だが、彼女たちはトルコで何があったのかを知る由もな い…。何も語らず「事を済ませた」マッコールもまた、静かに元々の暮らしに戻っていた。今、彼はボストンでタクシー運転手として生活をしている。今日のお 客様は、いつも彼を指名してくれる上客のご老人サム(オーソン・ビーン)。普段は老人施設に暮らすサムは、書物の1ページを複写するためにコピー・セン ターへと向かう。その書物にはある絵画の画像が掲載されているのだが、それが戦争中に生き別れとなった妹の手がかりになると信じているのだ。だが、相変わ らず仕事をしたくない役人どもは、サムの思いを聞いてくれず落胆させることばかり。そんなサムの嘆きを、マッコールは静かに聞いてあげるのだった…。舞台 変わって、ここはベルギー。贅沢な家に暮らすカルバートという男(アントワーヌ・ラルティーグ)が、家に侵入してきた男たちによって妻と共に殺害される。 男たちはただカルバートを殺すだけでなく、妻を殺して自殺したと偽装までする手の込みようだった…。一方、マッコールは平凡なタクシー運転手として暮らし ていたが、なぜか犯罪は彼を放っておいてくれない。ある夜、高級ホテルで客待ちをしていたマッコールの元へ、若いビジネスマンがフラフラになった女を連れ てくる。無造作にカネを渡して、彼女を家まで送ってくれと言う訳だ。頼むだけ頼むとサッサとその場から去ったリーマンだったが、グッタリして泣きじゃくる 様子、衣服の乱れを見てとったマッコールは、即座にただならぬ気配を察知。彼女を病院に送り届けると、ホテルに舞い戻る。部屋では、ヤクをキメてご機嫌な ボンボンのビジネスマンたちがお楽しみ。クレジットカードが期限切れだと部屋に乗り込んだマッコールは、ビジネスマンたちにキッパリ宣言した。「いつもは 選ばせてやるところだが、今回はナシだ」…。それから19秒後、ホテルの部屋にケガ人がゴロゴロ転がったのは言うまでもない。そんなマッコールが自分が住 むアパートへと戻ると、アラブ系のオバサンが庭でささやかに育てていた野菜がひっくり返され、壁には小汚いチンピラの落書きが描かれていた。マッコールは 黙ってその目障りな落書きを消し始めるが、そこに通りかかったのが自称「芸術家」の若者マイルズ(アシュトン・サンダース)。彼はマッコールが頼まれもし ないのに落書きを消しているのに興味を持ち、なぜかマッコールと話をし始める。マッコールは彼に絵の才能がありながらロクに学校に通わず、悪い仲間とツル んでいることを知り、アパートの壁のペンキ塗りをバイトしないかと持ちかけるのだった。そんなある夜、アパートのマッコールの部屋に何者かが侵入。家に 戻ってきたマッコールはにわかに警戒するが、すぐにその正体に気づいて相好を崩す。侵入したのは、彼の元上司で友人であるCIA職員のスーザン(メリッ サ・レオ)。スーザンはマッコールの暮らしを心配して、こうして時々様子を見にやってくるのだ。この日はマッコールの亡き妻の誕生日で、彼と夕食を共にす るために訪問した訳だ。スーザンはマッコールにCIAに戻らないかと尋ねるが、マッコールはこれをやんわりと拒絶する。その代わり、近々ベルギー出張の スーザンにひとつの「頼み事」をするのだった。その「頼み事」とは、例の老人サムが語っていた絵画に関する調査だった。スーザンはその「頼み事」を片付け ると共に、ベルギー出張の本来の目的であるカルバート夫妻殺害について調査を進める。同僚のデイブ(ペドロ・パスカル)とともに現場を訪れたスーザンは、 どうもこの事件には裏があるらしいと気づく。そんな話をデイブと語りながらホテルの自室に戻ったスーザンだったが、そこに忍び込んだ男たちがいきなり彼女 に襲いかかって来るではないか…!

みたあと
  何だか長々とストーリー紹介をしながら、お話の本題になかなか入っていかない…と思われた方も多いかもしれない。まったくそのご指摘の通り。本作「2」の 特徴はそれである。前作で人物紹介は終わっているので、前作の132分よりは短い121分と多少コンパクトにはなっているものの、それにしてもあまり短く はなっていない。その理由は太い幹のようなメインのストーリーに至るまでに、細かな挿話がいくつも挟まっているからだ。それらはよく見ると本筋と不可分に 絡まってはいるのだが、直接関わってくるのはそれほど多くない。ともかく本作の構成は、ロシアの幼い娼婦を救出してロシアン・マフィアを撲滅する…という 前作ほどはストレートではないのだ。

こうすれば

  開巻まもなく、いきなり舞台はトルコの列車内である。これは完全に本編とは別で、いわばボンド・シリーズのオープニングの見せ場や寅さんシリーズの夢の場 面みたいに「あの男が帰ってきましたよ」という「お約束」の場面。これをやるってことは、今後「イコライザー」はかなりシリーズを重ねていくつもりなんだ ろうか。そして、それからボストンに舞台が移っていよいよ本題に入るかと思いきや…またもや話はベルギーへ…。要はワールドワイドにスケールアップといき たいのだろうが、続編につきものの「増量」がお話を面白くするかと言えば難しいところ。そもそも「ご町内の悪」を退治する「イコライザー」だったはずなの で、世界を股にかけた話になっちゃったら違うんじゃないのか…とイヤな予感が漂う。ただ、これも少々コケ脅し感のある趣向だったようで、実際にはワールド ワイドな演出もここまで。後はもっぱらアメリカ国内に舞台はとどまるから、ちょっと安心である。しかし、国際規模のスケール拡大はそのあたりで止まってい るものの、マッコールの活躍ぶりは膨らむ一方。それも、小さなモノから大きなモノまで…というヤンマー・ディーゼルのCMソングも真っ青なマメさ加減なの だ。それらを精力的にこなしていくマッコールのスタミナがスゴくて、その戦闘能力よりもむしろそっちのマメさ加減の方にずっと恐れ入ってしまう。その一方 で本題はなかなか進まないので、ちょっともどかしくもある訳だ。さらに、戦うたびに「決まり事」をこなしていく可笑しさ。前作では1回しか出てこなかった 例の「19秒」を、今回はかなり頻繁に見せていく。おまけに、悪党相手に「まず、オマエに選ばせてやる」的な「名ゼリフ」を吐くのもやたら多い。こういう のって、例えばヤマ場になると「ひと〜つ、人の生き血をすする…」みたいなセリフを毎回言うテレビ時代劇みたいな感じで、何だかますます「イコライザー」 の「必殺仕事人」化が進んできた感じ。マーク・ウォールバーグ主演の「ザ・シューター/極大射程」(2006) あたりから顕著だった、アントワン・フークア監督の「必殺シリーズ」傾向がますます先鋭化してきたようである。これってどうなんだろうねぇ。人ごとなが ら、マンネリ化が進むんじゃないだろうかと心配になる。そのくせ、前作にあったようなとてつもないバカバカしさ加減…例えば、堂々と歩いてくるマッコール の背後でタンカー大爆発…みたいなマンガみたいな描き方…は今回影を潜めてしまったような気がする。そのため、思わずゲラゲラ笑っちゃうようなスッコ〜ン と抜けた爽快感は、今回ちょっと減退しちゃったかもしれない。職業がホームセンターの店員からタクシー運転手になったこともあり、戦い方の面白さ・ユニー クさが少々乏しくなった観があるのも残念なところだ。

みどころ

  ただし、減退しちゃったところばかりじゃないから本作の評価は難しい。特に興味深いのは、クライマックスである終盤の台風真っ只中での戦い。無人になった 自分の故郷の町を舞台にして、多勢に対しての神出鬼没な戦いぶりは…まるでマッコールがゴーストと化したかのような雰囲気。凄まじい嵐はマッコールの怒り の激しさを表現して映画的にもドラマチックな効果を上げているが、それより何より殺しっぷりのいつも以上の残酷さも加えて、まるでホラー映画みたいな様相 を呈しているのだ。そもそもが…正義を行ってはいるものの、マッコールはまるで一種のサイコパスのような男なのである。そういう意味で、本作はクリント・ イーストウッドの初期の監督主演作「荒野のストレンジャー」(1973)に似たようなムードさえ感じさせる。完全な復讐戦だからそれももっともで、なるほ どこれでは前作のような「思わずゲラゲラ笑っちゃうようなスッコ〜ンと抜けた爽快感」を入れる余地はなかったかもしれない。また、今回マッコールは殺しや 暴力による制裁だけでなく、純粋な善行だけの行為も数多く行っている。前述したようにそのマメっぷりは、今は亡きクリストファー・リーブが主演した「スーパーマン」 第1作(1978)で、コソ泥を捕まえたり事故に遭った大統領専用機を救出したりする傍ら迷いネコを助けたりする…という振り幅の広い活躍ぶりを見せてい たことを連想させる。絶対的な「善」であるという意味で、マッコールはもはやスーパーマンとか天使みたいな領域にいっちゃっている感じなのだ。そのあた り、古き良きアメリカ映画が持っていた理想主義の香りがほんのわずかではあるが嗅ぎ取れて、僕としてはキライになれない。その大きな要因は、やはりデンゼ ル・ワシントンの持つスターとしての圧倒的な安定感によるものなのだろう。大味な映画のくせに、妙に細かいところに伏線が張ってあるあたりも気に入った。

さいごのひとこと

 クズなリーマンどもをぶちのめしたのは爽快。

 

「スカイスクレイパー」

 Skyscraper

Date:2018 / 11 / 05

みるまえ

 この作品のことは、かなり前に劇場で予告編を見て知った。またまたザ・ロックことドウェイン・ジョンソンの主演作である。前々からドウェイン・ジョンソンは好きだったが、特に今年は八面六臂の大活躍。今年は「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」(2017)、「ランペイジ/巨獣大乱闘」 (2018)、そして本作…と作品が目白押し状態。どれも大ヒットを記録して、しかも面白い。そんな訳で、予告編で本作を知った時も大いに期待したのは言 うまでもない。その予告も、一見して内容が分かるものだ。超高層ビルに火災が起きて、何と隣のビルのクレーンからそのビルに飛び移ろうとするザ・ロック… もう、これだけで一発了解である。高層ビルには悪党が暗躍しているようで、これらの要素だけで本作の狙いが「タワーリング・インフェルノ」(1974)&「ダイ・ハード」 (1988)VS ザ・ロック・・・であることが分かる。しかも、今回の彼は片足義足という設定である。まぁ、これは分かる。どんな悪党どもや地震、猛獣、怪獣たちと戦って も連戦連勝のザ・ロックだ。高層ビルの火災とそこにやってくる悪党ぐらいじゃ楽勝過ぎる。片足もぎ取ったくらいでちょうど釣り合う…という発想なのだろ う。非常に分かりやすい。むろん僕もそんな作戦に賛成である。そんな訳で、そもそも「タワーリング・インフェルノ」も「ダイ・ハード」もドウェイン・ジョ ンソンも大好きな僕としては、どこをどう見たって大好物になりそうな本作。当然、僕も楽しみに待っていたのだが、そんな僕にも一抹の不安が…。それは「ラ ンペイジ/巨獣大乱闘」を見た時に気づいたのだが、映画を見ていてやたら「既視感」を感じてしまったのだ。つまり、楽しいんだけれどジワジワとマンネリも 感じてしまったのである。何しろ今年3本目である。しかも、どれもかなりの大作だ。そして、「気は優しくて力持ち」なザ・ロックのキャラクターは楽しくて 好きなのだが、こうもどれもこれも「金太郎飴」だとさすがに消耗してくるのも仕方ないんじゃないだろうか。大体が、ザ・ロックが戦う相手として、高層ビル に大火災に悪党も付けて、さらに義足のハンデを付けなきゃならない時点ですでにいろいろと飽和状態になっているのが伺える。楽しくなるに決まっている本作 ではあるが、果たしてそんな僕の抱いた危惧を払拭できるのだろうか。

ないよう

  雪の夜、ここはミネソタ州のある山荘である。男が家に住む母子を人質に立てこもっているとの知らせに、FBIの特殊救出部隊が急行する。男は人質たちのか つて夫で父であり、別れたことによる逆ギレの犯行だった。そのためすでに極度の興奮状態にあり、先に現場に到着した警官は射殺されていた。救出部隊の隊長 ウィル(ドウェイン・ジョンソン)は残された時間は少ないと判断し、すぐに家の中に突入。中にいた母子を救出したが、問題の男は幼い息子を抱え込んで台所 に待ち構えているではないか。ウィルは男を刺激しないように説得を始め、それが功を奏したかと思い始めた時…男はその手に爆弾の起爆装置を持っていた!  気づいた時には大爆発。傷だらけ血まみれのウィルが病院に担ぎ込まれたのは、それから間もなくのことである。意識朦朧となったウィルに、女医のサラ(ネー ブ・キャンベル)が冷静に話しかける。「大丈夫よ、大丈夫だから」…。それから10年。明るい部屋の中で、スーツを着込んでいるウィルの姿があった。キ チッとスーツで正装するのは、今日が大切な仕事の打ち合わせの日だから。だが、そんなウィルには左足がなかった。例の爆発で瀕死の重傷を負ったウィルは、 その際に左足を失っていたのだ。今では義足を装着しているウィルだが、それで暮らしに不自由を感じることはなかった。それどころか、ウィルはあの女医サラ と結婚してジョージア(マッケンナ・ロバーツ)とヘンリー(ノア・コットレル)という二人の子供にも恵まれた。彼は今はFBIをリタイアして、自ら小さな 警備会社を経営していた。そのウィルの警備会社が、ここ香港に建てられた地上240階の超高層ビル「ザ・パール」のセキュリティ・チェックを任されたの だ。ウィルとサラの一家が今いる場所は、その「ザ・パール」の住居エリア。このビルはビジネス・テナント・エリアに緑溢れる公園エリアもその内部に擁し、 上部が高級マンションとなっている住居エリアとなっていた。さらにビルの側面に巨大なファンが取り付けられ、その風力発電によってビル内のすべての電力を まかなっていた。ウィルが身支度を終えたところに、「ザ・パール」の保安責任者のひとりベン(パブロ・シュレイバー)がエレベーターでやってくる。肩を抱 き合い喜び合うウィルとベンとは、FBI時代の上司・部下の仲。あの夜の爆発の際にも、二人は一緒だった。目に見える傷は顔の一部に負った火傷程度だった が、心の傷が深く家族を手放す羽目になってしまった。そんなベンだったが、かつて同じ釜の飯を食ったウィルのためにこの「ザ・パール」での仕事を世話して くれた。大いに恩に着るウィルは、ベンに連れられて最上階へ。サラと二人の子はパンダを見に動物園へと出かけて行った。さて、最上階では警備主任のア ジャーニ(エイドリアン・ホルムズ)とピアース(ノア・テイラー)を従えた中国人実業家のジャオ(チン・ハン)がウィルを出迎える。彼はこのビルの保安シ ステム全般をチェックした結果、ジャオにシステムが完璧であると太鼓判を押した。ジャオはそんなウィルにこのビルのすべてのシステムにアクセスできるタブ レットを渡すとともに、彼をとっておきの場所に招待した。それは「ザ・パール」の名前の元となっている、ビル先端に据え付けられた球体の中。そこでウィル は、この球体に仕掛けられた驚きのメカニズムを目の当たりにするのだった。すっかりボスのジャオに気に入られたウィルを、ベンは満面の笑みで祝福する。だ が、その一方でベンがこっそりどこかに連絡を入れていることを、ウィルはまったく気づいていなかった…。さて、そんな「ザ・パール」の地下では、ビルの職 員が壁に突然ヒビが入ったことに気づいて唖然とする。やがてその壁にいきなり大穴が開き、覗き込んだ職員は中から出てきた男に殺されてしまった。それから すぐに、作業員の姿をした男たちがゾロゾロと穴から地下室へと侵入。さて、この男たちの正体はいかに。一方、ベンの誘いで港のクルーズに出かけたウィル は、そこで謎の男にタブレットを入れたカバンを奪われてしまう。そして「ザ・パール」の住居エリアには、サラと子供たちが予定より早く戻ってきていた。そ こにやってきたのは、例の作業員を装った男たち。そのリーダー格の男コレス・ボサ(ローランド・ムーラー)は、サラと子供たちの姿を見てギョッとした。ま だオープン前の「ザ・パール」住居エリアに、すでに人がいるとは思っていなかったからだ。だが、そこに人がいたとしても、彼らにとってはそれまでのこと。 自分の「仕事」のために、そそくさとその場を立ち去った。ボサたちが移った先は、サラたちのいた場所から何階か下のフロア。そこに何やら粉末を撒いた彼ら は、床に無造作に火を放つ。すると、さすが保安システム万全の「ザ・パール」だけに、たちまちスプリンクラーが作動。だが、それが彼らの狙いだった。降り 注ぐ水がたちまち火をかき消すと思いきや、逆に床一面に炎が立ち上るではないか。ボサたちが撒いた粉末は、水に反応して発火する薬品だったのだ…。その 頃、例の泥棒騒ぎの後でベンのアパートにやってきたウィルは、そこから携帯でサラに電話。そのウィルとサラの会話を聞いたベンは、サラがすでに「ザ・パー ル」に戻ってきていることを知って驚く。しかもウィルがカバンごとタブレットを盗まれたかと思ったら、実はいつの間にかカバンから取り出していた…と知っ て二度ビックリ。だが、次に驚くのはウィルの番だった。かつての部下であり友人として信頼でつながっていたと思っていたベンが、ウィルにいきなり襲いか かってくるではないか。船でウィルのカバンが盗まれたのは、このベンの仕業だった。突然、信頼していたベンに裏切られて狼狽するウィルだったが、とてつも ない陰謀が動き出していると知れば呆然としている訳にいかない。タブレットを巡ってもみ合っているうちに、ウィルを撃ち殺そうとしたベンは逆に銃で命を失 うことになる。ところがそこにベンが呼んだ賊が駆けつけて、ウィルは慌てて窓から脱出する羽目になる。そこに、銃声を聞いてやってきた警察も絡んでてんや わんや。そのドサクサに紛れて、ウィルは賊に例のタブレットを奪われてしまう。おまけに自らも警察に一味と疑われて、パトカーを奪って逃げ出す始末。だ が、そんな逃走中のウィルの目に写ったものは…サラたちがいるはずの「ザ・パール」が、途中階から火を噴いている様子だった…。

みたあと
 … というわけで、ビルに火が出たところでストーリー紹介を終わらせていただいた。この後、ドウェイン・ジョンソン無双の快進撃が繰り広げられるのは、みなさ ん予想される通り。片足がハンデどころか、それが武器になっているところさえある無敵っぷりで、今回もまた大勝利である。正直、この映画に「レビュー」な んてするのもナンセンスな気がするが、うちは一応映画サイトなのでそうもいかない。だから、ちょっとばっかり聞いた風なことを書いてみることにする。

こうすれば

 本作は予想通り「タワーリング・インフェルノ」&「ダイ・ハード」VSザ・ロック…で、その一言で話は終わってしまう。ただし「タワーリング・インフェ ルノ」や「ダイ・ハード」の脚本やら構成の緻密さを本作に期待するのは野暮というもの。類似作品ということでいうと、香港にはパン・ブラザースが撮った「インフェルノ/大火災脱出」 (2013)があるが、これにすら質的には負けていると言わざるを得ない。何しろこっちは何かというとドウェイン・ジョンソンだから切り抜けられちゃう、 ドウェイン・ジョンソンだから助かっちゃう…の連続。普通の人間なら何十回も死んでいる設定でヌケヌケと生き延びちゃうから、「緻密さ」なんて求めるのも バカらしい映画になっちゃっているのだ。本来ならドウェイン・ジョンソンだから「これでいいのだ」…みたいなバカボンのパパみたいな話で終わってしまうは ずなのだが、問題なのは本作の外枠を「タワーリング・インフェルノ」&「ダイ・ハード」という緻密さの権化みたいな作品から借りちゃっているところ。すで に比較対象になる作品があって、それがハンパじゃない達成感の作品だから、残念ながらそれらよりはどうしても「劣る」という印象になってしまうのだ。ハー ドル高過ぎ。そのあたりが「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」や「ランペイジ/巨獣大乱闘」あたりとは訳が違うところである。そして残念ついで に言えば、冒頭にも述べたようにドウェイン・ジョンソンの鮮度が落ちているのも興をそいでいる理由のひとつ。結局、どれを見ても「気は優しくて力持ち」の ドウェイン・ジョンソンが「金太郎飴」みたいに出てくるので、さすがにこの頻度で作品がやってくると飽きがくるのも早い。基本的にどれも同じ映画に見えて きて、単に「ザ・ロック、ゲームの世界で大冒険の巻」、「ザ・ロック、巨大怪獣と対決の巻」、「ザ・ロック、高層ビル大火災に挑戦の巻」…と続きモノを見 せられているかのようである。それが何ヶ月も離れずに見せられるのだから、食傷気味にもなる。いずれもB級感あるスケールと出来映えの作品群ならまだいい が、カネだけかかった大味な大作ぞろいと来るから、余計に「見飽きた」感を感じてしまうのかもしれない。早速、「ランペイジ/巨獣大乱闘」の時に感じてい た懸念が現実のものとなってきているのである。そんな訳で言いたいことはいろいろあるが、ザ・ロックに対する文句はそれくらいにすると…本作は中国資本に 買い取られたレジェンダリー・ピクチャーズの製作で、それゆえに香港を舞台にしたのか…と何となく仕掛けが分かる。だが、巨匠チャン・イーモウのハリウッ ド売り出しに一役買った「グレートウォール」(2016)やあまり知られていなかった中国女優をキャストに加えた「キングコング/髑髏島の巨神」 (2017)あたりは彼らのやりたいことが露骨に分かるものの、本作については中国人たちがやりたがった動機が「???」となってしまう。というのは、本 作に出てくる主要な中国人キャラクターに香港や中国本土の有名俳優などでなく、いずれもアメリカでテレビや映画の端役などで出ていた中国系俳優を使ってい るのだ。これって中国にとってどんなメリットがあるんだろう? 香港ロケでカネでも落ちるのかと思ってみたが、どうやらほとんどがハリウッドのスタジオ撮 影みたいだし…。正直言って今後のレジェンダリー作品で中国人役者が不自然なゴリ押しでやたらと出てきたり、プロパガンダみたいなことをベタでやられたら イヤだなと思っていたので、むしろこの程度の「中国推し」なら僕としては構わない。政治的な意味はどうでもよくて、ただハリウッド映画で変なゴリ押しをや られたらシラけると思っていただけだからだ。だが、レジェンダリーが本作をやる意図が「???」なのはちょっと気になった。確かにこれはナゾである。脱税 で当局に拉致された、話題の中国人女優ファン・ビンビンでも使おうとしてアテがはずれたんだろうか(笑)。

みどころ

 そんな訳で、本作は比較対象になる作品があまりに偉大な娯楽映画の傑作なので、どうしても見劣りしてしまう気の毒な作品なのだ。だが、同じ比較対象をよそから持ってくるとすれば、韓国の「ザ・タワー/超高層ビル大火災」 (2012)のようなジメついた映画などよりはずっと良く出来た作品である。さすがに安いCGにはなっていないし、何よりカラッとさわやかなところがい い。また、僕はたまたま本作を大きな仕事を達成した息抜きに見に行ったが、そんな感じに理屈抜きで何にも考えずにボケーッと見るには楽しい作品である。実 際、本来はそんな映画なのだ。だから、ここで云々したのはいささか意地悪な意見でもある。ともかくドウェイン・ジョンソンはそろそろ作品選びが難しくなっ た頃で、何をやっても痛快で面白い…とはいかなくなってきたと思うべきである。今後はまず作品のスケールよりも、脚本に込められたアイディアを重視して出 演してもらいたいと思うのだが、いかがだろうか?

さいごのひとこと

 このままだと俳優としての評価も炎上しそう。

 


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