新作映画1000本ノック 2018年8月

Knocking on Movie Heven's Door


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 「キリング・ガンサー」 「正しい日 間違えた日」

 

「キリング・ガンサー」

 Killing Gunther (Why We're Killing Gunther)

Date:2018 / 08 / 13

みるまえ
 今から数年前、ホントに政治家になっちゃったアーノルド・シュワルツェネッガーがようやく銀幕に復帰すると知って、おそらくファンは大喜びしたに違いない。だが、小手調べ的な「エクスペンダブルズ」(2010)はともかく、初の本格主演復帰作「ラストスタンド」(2012)が不発。スタローンと対等共演の「大脱出」(2013)も、ヘタに先に「エクスペンダブルズ」で組んじゃったせいもあって鮮度ゼロでこれまた不発。アクションだけでなく殺伐とした内容の「サボタージュ」(2014)あたりは、おそらく以前なら手を出さない作品だったろうが、またまた不発。さすがに焦ったのか、ついに「伝家の宝刀」に手をつけた「ターミネーター/新起動<ジェニシス>」(2015)に出るが、これまた残念ながら不発というテイタラク。おそらくこの段階で、シュワはどうしていいのか分からなくなったのだろう。次に出た「アフターマス」 (2017)は、航空機事故の遺族が辿った悲劇を描く「実話」…というシュワ映画史上初めての題材。だが、そもそもドイツで起きた事件をアメリカに移し替 えた映画化という時点で、「実話」の何たるかがまったく分かっていない。お話も冷え冷えとした夢も希望もないモノだが、主人公が引き起こす悲惨な事件を描 いたくだりで、シュワの殺しの手際が妙に良過ぎて違和感バリバリ。「コマンドー」 (1985)じゃないんだから、これじゃマズいだろ(笑)。…という訳で打つ手打つ手がことごとくうまくいかない。そんなシュワがおそらく考えたのは、こ んなことではないだろうか。「かつて得意にしていて、まだ復帰後に手をつけていないジャンルがひとつだけあった」…さよう、コメディである。今回はシュワ 演じる伝説の殺し屋を、世界から集まった名うての殺し屋どもが狙うというお話。確かに、かつてのシュワなら楽しそうな題材だ。だが、シュワ以外のメンツは 知らない名前ばかりで、どうもイヤな予感しかしない。たまたま時間が合う作品がこれしかなかったから見に行ったが、果たして今回はどうか?

ないよう

  これは「殺しの世界のレジェンド」である殺し屋ガンサーを、ニューヨークの殺し屋ブレイク(タラン・キラム)が暗殺する過程を記録するドキュメンタリーで ある。ブレイクはこの記念すべき偉業を記録すべく、わざわざビデオ・クルーを雇って一部始終を撮影させた。さらに、「レジェンド」ガンサーを狙うにふさわ しく、世界各地から有数の殺し屋たちを集め、チームを結成する。その多彩なメンバーとして、爆発物の専門家ドニー(ボビー・モイニハン)、中東の殺し屋 ラーマット(ピーター・ケラミス)の娘サナ(ハンナ・シモン)、殺しは未経験ながらコンピュータ技術に長けたオタクのゲイブ(ポール・ブリテン)…がまず 集まってくる。さらにブレイクに殺しを教えた師匠であるアシュリー(オーブレイ・シクストー)にも参加してもらおうとするが、何分にも老齢のため入院中。 そこでイスラム過激派でハイテク義手を装着したイザット(アミール・タライ)、韓国系の毒薬のスペシャリストであるヨン(アーロン・ヨー)、ロシアからは 平気で大量殺戮を行える双子の姉弟ミア(アリソン・トルマン)とバロルド(ライアン・ゴウル)が物見遊山も兼ねて参加。いよいよ暗殺チームが本格始動する ことになる。何しろガンサーは「伝説」の人である。その正体も、どこにいるのかもよく分からない。そこである倉庫を本拠地にして、ガンサーの現在地を探ろ うということになる。その初日に駆けつけたのはブレイクにとって心強い味方、彼の元相棒マックス(スティーブ・ベーチック)。マックスが来てくれたのなら 大丈夫、マックスがいれば鬼に金棒…と大感激で旧交を暖め合うブレイクとマックス。事前にガンサーを探っていたマックスが、彼の居場所について一同に情報 を伝えようと、データが記録されたUSBメモリーを取り出したちょうどその時…。いきなり迫撃砲で攻撃! マックスはUSBメモリーごと一巻の終わり。さ らに激しい銃撃が浴びせられ、一同は戦々恐々である。ブレイクたちはしょっぱなから、ガンサーの厳しい洗礼を受けることになってしまった。そんなブレイク に、ビデオ・クルーはなぜガンサー暗殺を計画したのか。その動機について探る。もちろんブレイクとしては、「伝説」のガンサーを殺すことで大いに名を挙げ る野望があったのは確かだ。だが、実は隠された動機があったことを、ビデオ・クルーは見逃してはいなかった。彼らはすでにブレイクの元妻であるリサ(コ ビー・スマルダーズ)にインタビューしていた。リサはブレイクの「同業者」…つまり殺し屋だった。そんな二人が愛し合って結婚したものの、その顛末は世の 月並みな男女と同様だった。ブレイクが仕事に熱中しすぎるために寂しさを感じたリサは、事もあろうに例のガンサーとつき合ってしまったのである。今ではそ のガンサーとも別れたリサではあるが、ブレイクに与えたダメージは計り知れないものがあった。ビデオ・クルーがそのあたりの事を問うと、ブレイクは「リサ の件は今回の暗殺プロジェクトは無関係」…と強調する。だが、その表情には激しい動揺が隠せない。そんなこんなしているうちに、ブレイクたちはガンサーに 偽の「仕事」の依頼をすることで、マイアミへとおびき出す計画を建てるのだが…。

みたあと
  結局、前述のストーリー紹介は、シュワルツェネッガーが登場する前に終わってしまった。それもそのはず。知っている人は本作を見なくても知っているのだろ うが、シュワルツェネッガー扮する伝説の殺し屋ガンサーは、本作の後半わずかにしか出て来ない。90分ちょいの上映時間のうち、おそらくシュワが出て来る のは30分に満たないのである。シュワ主演(これは日本だけでなく、本国アメリカのポスターでもそういう扱いである)という触れ込みにしては、詐欺的な内 容ではある。だが、アイディアとしてはちょっと洒落ているような気もする。おそらくうまくいっていたら、いっぱい出て来ないことでかえって効果を挙げてい た…と好評を得ていたかもしれない。ただ、残念なことに、本作はそうはなっていない。本作のメイン・クリエイターである監督・脚本・主演を兼任したタラ ン・キラムなる男が、決定的に才能とセンスに欠けているのである。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  まず、何から言えばいいのだろうか。本作に出て来る「ナゾに包まれた伝説的殺し屋」に、かつて「ターミネーター」に扮しただけでなく、数々のアクション・ ヒーローを演じて来たアーノルド・シュワルツェネッガーを配したのは、悪いアイディアではない。シュワが演じて来たキャラクターは、常にありふれた存在で はない「規格外」の人物だった。あえて市井の人を演じた時でも、それが「とてつもない」活躍を見せる…というシチュエーションで起用されていた。シュワ・ イコール「並外れた人」なのである。だから、ガンサーを演じるのは正解だ。そして…前述したように、その「神秘性」を強めるべく後半になるまで画面に出さ ないのも悪くないと思う。見ている側としては、シュワ登場への期待が高まるからだ。また、こういう設定になった理由は、本作がいわゆる「ファウンド・フッ テージ」ものの構成をとったから…でもある。「ファウンド・フッテージ」ものとは、例えば「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)やら「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008)など、後になって発見された記録映像を再構成することで「事件」の全容を振り返る…という構成の作品をいう。つまりは、一種の疑似ドキュメンタリーだ。異色なところではイランのジャファル・パナヒが撮った「人生タクシー」 (2015)あたりもその変形版である。本作はこのスタイルを、コメディに活かした作品だ。その発想も、決して悪くはない。では、本作自体も面白い作品に 仕上がったのではないか、と思える訳だが…。確かに発想はいいのだが、それだけで面白い映画が出来たら苦労はない。本作には前述したように、一番肝心なモ ノが欠けている。それは、センスだ。本作の作り手であり実質上の主人公を演じているタラン・キラムが、何ともセンスも才能も欠けている男なのである。疑似 ドキュメンタリーのカタチをとった以上、コメディでもどこかリアルでなくてはいけない。そのサジ加減が極めて難しい。ところが、それがどうにもうまくいっ ていない。悪ふざけの度が過ぎる。ひとつ例を挙げれば、ガンサー暗殺のためのチームを編成する際に、集まって来る多士済々の殺し屋たちの描き方が失敗して いる。いかにも「面白そうでしょう?」というコッケイ味溢れる連中を集めて来ているのである。しかし、本作は疑似ドキュメンタリーであり、それでコメディ をやるなら「リアルに作っているからこそ面白い」…体のスットボけた作り方をすべき映画である。最初からいかにも「コッケイ」なキャラを集めて来たら、ス ベるに決まっているではないか。また、主人公ブレイクの老いた師匠がこれまた大御所の殺し屋だったので、主人公は大いにアテにして何度もチームに迎え入れ ようとする。ところがそのたびに老衰のため発作を起こし、毎度退院して来た病院へ速攻で再入院…というギャグが繰り返される。確かにこれがストレートなコ メディ映画ならそれなりに面白かったかもしれないが、ヘタに疑似ドキュメンタリーにしたせいかまったく笑えない。これも誤算だろう。そもそもタラン・キラ ム演じるブレイク自体が最初からバカみたいに見えるし、泥臭いドタバタ感溢れるキャラで笑えない。特に、一旦ガンサー暗殺に成功した…と錯覚したチーム全 員が、成功を祝ってカラオケでドンチャン騒ぎをやるくだりが見るに耐えない。本当に学生ノリの悪ふざけみたいで、アレを見て笑える奴の気が知れない。見て いて恥ずかしくなる。ところがラストには、主人公によるガンサー暗殺が成功した…と見せかけて、逆にビデオ・クルーごと爆殺されてしまうという展開になっ てしまう。ここで、その死体なども含めて映像として画面に出すくだりがこれまた笑えない。っていうか、アレのどこがおかしいのだ? 全然楽しくないよ。疑 似ドキュメンタリー構成にしたのが完全に裏目である。ところが…最初は確かにそう思っていたのだが、そもそもこのタラン・キラムのギャグでみんな笑えるの だろうか? このタラン・キラムという人、あちらではコメディアンとして知られている人らしいのだが、僕は今まで見たこともない。それどころか、他のキャ ストもみんな知らない顔だし、どこか安っぽい。みんな本当はテレビなどで活躍している売れっ子なのかもしれないが、映画自体の作りがヘタクソである上に疑 似ドキュメンタリーという形式が低予算映画で多く使われるということもあり、何だか最初からB級、C級映画のウツワとして作られているように見えてしま う。逆に言うと、アーノルド・シュワルツェネッガーもいよいよこんな安っぽい映画に出るようになっちゃったのか…としか思えないのだ。実際にはそんな安っ ぽい映画じゃないのかもしれないが、そうにしか思えない。近年のニコラス・ケイジ映画だってもうちょっと規模が大きく見える(笑)。何より「落ち目」感が 出て来ちゃったあたりが、シュワが本作に出た最大のデメリットではないだろうか。これって本気でヤバいと思う。

さいごのひとこと

 こんなのに出たら「格」が落ちる。

 

「正しい日 間違えた日」

 Right Now, Wrong Then

Date:2018 / 08 / 06

みるまえ

  キム・ミニを「ミューズ」に迎えてのホン・サンス作品4本の連続上映だが、見る前はまったくいい印象を持っていなかったのが正直なところ。大体、テメエの 女自慢を見せられたって面白い訳がない。おまけにその前の「自由が丘で」(2014)がヤバい感じで、ホン・サンスもヤキが回ったかなと思っていたのだっ た。ところが連続上映の1発目「それから」(2017)が文句のつけようがないほどうまい。続く「夜の浜辺でひとり」(2017)は、むしろブッ壊れたホ ン・サンスの面白さを見せつけてますます興味津々。やはり侮れないのだホン・サンスは。そうなると、連続上映3本目の本作に期待がかかる。何でも時系列的 にはこの4本の中で一番最初に作られた作品ということになるらしく、問題のキム・ミニが初登場したのもこの作品から。ますます気になる作品ではないか。そ んな訳で、大いに胸躍らせて劇場へと足を運んだ訳である。

ないよう

  ここは韓国の地方都市・水原(スウォン)が誇る、とある立派な名所旧跡の前である。今、その大きな門から、ひとりの若い娘が中に入っていく。それを紙コッ プのコーヒーを持ちながら見つめているのは、映画監督のハム・チュンス(チョン・ジェヨン)だ…。その日の朝、彼は自分の宿から外を眺めていた。すると、 外には彼を待っているひとりの若い女がいる。「マズい、可愛過ぎる」…チュンスは彼女を一目見て、早速用心し始める。チュンスは自作の上映会と特別講義に 参加するために、はるばるこの水原の街にやって来た。外で彼を待っているポラ(コ・アソン)という若い女は、その上映会のスタッフなのである。ここはやら かしちゃマズい。それでも外に出てポラと顔合わせをして、チュンスの映画スタッフに加えてもらいたい…とか、チュンスは自分にとって特別な人である…と か、グイグイ言われてしまったらもう止まらない。次の瞬間には近くのスケートリンクで、ポラをソリに乗せて自分はスケートで引っ張ってウフフキャッキャと ハシャいでるから困ったものである。だが、さすがにそのあたりは自制したのか、チュンスが彼女と遊んだのはそこまで。後は別行動ということで、例の名所旧 跡にやって来た訳だ。切符を買って中に入るが、特にこの建物に関心がある訳ではない。ポカポカ陽気に誘われて、チュンスはついつい建物に腰掛けて居眠りし 始めた。ところがそんなチュンスの前に、先ほど門をくぐってここに入って行った若い娘が座って休んでいるではないか。彼女の名前はユン・ヒジョン(キム・ ミニ)。チュンスは思わず、座っているヒジョンに臆せず声をかける。最初はあまり乗って来なかったヒジョンだが、チュンスが映画監督であることを告げて自 分の名を教えると反応が一変。むろん、それなりに知られた監督である自分の名前が、相手にどんな影響を与えるかということはチュンスも織り込み済みだ。お 互いの距離をグッと縮めたところで、チュンスはヒジョンを喫茶店へと誘う。ここでヒジョンは、かつてモデルをやっていたが心機一転、画家としてのキャリア を歩み始めたことを打ち明ける。「芸術家」同士で話がはずむという訳だ。こうなると、その作品を見せてくれ…となるのは自然な流れだ。こうしてヒジョンの アトリエでの創作作業に立ち会うチュンスだが、まなざしは絵ではなくてヒジョンに釘付け。絵の評価を聞かれても、「あえて厳しい道を歩もうとする君は素晴 らしい!」などと曖昧なことしか言えない。そりゃそうだ。ヒジョンの描いている抽象画じゃ、何がどうのと具体的な話など出来る訳がない。そもそもチュンス は彼女の絵なんぞに何の関心もない。それでもヨイショが功を奏して、ふたりはその後に寿司屋で一杯。なぁに、酒さえ飲ませて酔わせちゃえば後は勢いだ。 「可愛いカワイイ」で乗せまくってたちまちイイ気分。手応えを感じたチュンスは、寿司屋の外でタバコを吹かして余裕ぶっこいていた。ところが、せっかくの いい感じに水を差す出来事が…ヒジョンは今夜、約束があることを忘れていた。先輩たちとカフェで飲み会をやる予定だったのだ。ヒジョンは「先輩たちはいい 人ばかりだから、一緒に来ませんか?」と持ちかける。さすがに落胆したチュンスだったが、ここまで来たら乗りかかった船。「行きましょう!」とよせばいい のにヒジュンの誘いに乗った。こうして、ヒジュンの先輩たちが待つカフェに乗り込んだチュンスだったが…。

みたあと
  冒頭にも書いたように、本作はホン・サンスとキム・ミニのコラボの最初の作品のようである。つまり、おそらく本作の製作途中で、二人はデキたものと思われ る。いささか下世話な話で大変恐縮だが、これはホン・サンス自身がその後それをネタにして映画にしちゃっているんだから、言われても仕方ない(笑)。映画 の配給会社だってそれを意識して上映作品を選んでいるんだから、文句は言わせない。そして、実際にその点が本作を見る上での重要ポイントに思える。ここで キム・ミニとデキた…逆にいうと、彼女とデキたのが「本作以前ではない」という点が、本作を解くカギのように思えるからだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  本作を見てまず思うのは、主人公がホン・サンス作品史上でも最高に発言が薄っぺらい男…ということである。ホン・サンス作品ではいつもいつも男のだら しなくみっともない実像が描かれてはいるが、これほど発言がペラペラに軽薄な奴はいないだろう。誉め言葉もボキャ貧の極み。モデル辞めて険しいわが道を行 くアナタは立派!…などと、聞く人が聞けばバカにしてるとしか思えない。これを見ていて思ったのが、「実はホン・サンスってモテないんじゃないか?」…と いう疑惑(笑)。実はこれって本当にそうなんじゃないかと思い始めている。それは何より、映画の構成がそう物語っている。ホン・サンス作品にありがちな二 部構成で、前編と後編の設定が似通っていながら微妙に異なる…というのも毎度のこと。だが今回は、この両者の差異はただ一点にとどめを刺す。つまり「モテ る」か「モテない」か…である。まず、その発想からしてモテる奴の考えることではない(笑)。「あの時こうすりゃ口説けた」「ああ言えばヤレた」…なんて いつまでも未練たらしく言っているあたりが、何よりモテなさの極みである。しかも、二部構成の言わんとしていることをよくよく考えると、同じ薄っぺらい男 が薄っぺらい言動をしているのに、ちょっとした違いから前半では女にモテず、後半では女にモテる…というお話。まるで、「同じ薄っぺらさなのに、うまくい く奴はうまくいってどうしてオレはダメなの?」と恨み言を言っているようでもある。僕もモテない男だから、これは実によく分かる(笑)。ズルいよな!…と 思うのである。大体が、いつも自作にモテる映画監督などを「自画像」的に出して来るけど、どいつもこいつもダサいポロシャツとか着たりしてモテる男に全然 見えない。今回だって主役のチョン・ジェヨンは蛭子能収のマンガのキャラみたいな顔で、全然いい男じゃない。ジュルッとすするコーヒーの飲み方とか、やた らに髪をかきあげる仕草とか、あれではモテる訳がない。今までの作品で出して来たモテる映画監督…って設定も含めて、本人の願望だった可能性が高い (笑)。そう考えてみると、いつもいつも男と女の関係を火の見櫓の上から高みの見物…みたいな意地悪い映画作りをしていたのも、モテないが故に世を拗ねた ポーズだった可能性がある。でなきゃ、今回キム・ミニといきなりこんなスキャンダルになる訳がない。これまでだってモテモテだったのなら、作品を作るたび に女優と修羅場になっていたはずだ。つまり、今回は異例の事態だった。少なくとも、これまではまるでモテてなかったのである(笑)。また、本作の構成から 考えると、かつてどこかの女で口説きに失敗した分析と、その敗者復活戦を映画でやろうとした…かのように見える。問題は、敗者復活戦を映画でやろうとした のと並行して、ひょっとしたら実際にも試みてみようとしたんじゃないかということ。本作をキッカケにキム・ミニとデキちゃったというのは、そういうことな んじゃないだろうか。今回、創作と実践が同時進行だったんじゃないか…と僕が思ったもう一つの理由は、後半に寿司屋で女に指輪を渡すエピソードがあったか ら。路上にたまたま指輪が落ちていて、それを女にプレゼントする…なんて、これが創作だったら普通はふざけんな!と言われそうなウソ臭い設定である (笑)。おまけに、そのどこの誰がハメていたか分からない拾った指輪を差し出して、これがボクらの結婚式…ってバカも休み休み言っていただきたい。普通な ら、シナリオライターが叩かれても文句が言えないマズい設定である。実際にあったことでもなければ、そんな話はとてもやれないではないか。だから本作製作 中には、敗者復活戦を映画でやろうとしながら実践でもやってみて、さらにその結果を映画に反映させてみる…的な相乗効果があったのかもしれない。そしてそ んな実践の結果、ホントにキム・ミニが釣れてしまった(笑)。ひょうたんからコマ…である。ただ、実はキム・ミニはキム・ミニで、世界的映画監督に近づく 気マンマンだった可能性がある。大体ちょっとモテのテクニックを磨いたぐらいで、そうそう簡単に女が引っかかる訳はない。それをホン・サンスも薄々感づい ていたことは、本作を見ても伺える。劇中でキム・ミニ演じるヒロインは、相手が有名映画監督と知るとコロッと素っ気ない態度を変えるではないか。モテない 男としては、そりゃあ疑心暗鬼になろうというものである。それが分かっていてもホン・サンスとしてはモテ・テクニック実践中なので、「自力で彼女を手に入 れたかも!」と喜んでしまう。だからこそ彼女に溺れたあげく、立て続けに4本も主演作は撮るわ、海外の映画祭にあちこち引き回すわ、そこで「ボクたちお付 き合いしてます」宣言はするわ…というテイタラクに陥ったのではないだろうか。どう考えても、モテる奴ならこんな風にはなる訳がない。落とした女をまるで 優勝トロフィーみたいに世界中に見せびらかしはない(笑)。こんなことをやる男が女扱いに慣れているとは、到底思えないのだ。だが、そんなハシャギっぷり から始まった関係だから、見通しの甘さは否めない。案の定、いつの間にか女に振り回されたあげく、「オレのテクで虜にしたはずなのに何で???」…と大混 乱。訳が分からなくなって、ヤケクソなムードが濃厚な次作「夜の浜辺でひとり」製作に至る…ということではないだろうか。何だか映画の感想だ か何だか分からなくなってきた(笑)し、あまりに下衆な勘ぐりみたいで純粋な映画ファンには怒られそうだ。だが、何よりこの一連のホン・サンス作品の本質 は、そんな下衆で下世話なところにあるような気がする。でなければ、作中のあちこちに散見される狼狽ぶりの説明がつかない。僕にはこのホン・サンスのモテ ない男ぶり、どうしても人ごとには思えないのだ。

さいごのひとこと

 モテない奴がたまにモテると手がつけられない。

 


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