新作映画1000本ノック 2018年3月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「タイム・トラップ」 「ショートウェーブ」

 

「タイム・トラップ」

 Time Trap

Date:2018 / 03 / 26

みるまえ

 先に「サリュート7」(2017)や「ショートウェーブ」 (2016)の感想文で、渋谷でやってる未公開作の連続上映みたいな催しを紹介したが、本作もそこで上映していた1本。監督も出演者もまったく馴染みのな い名前。ジャンルはいかにものSF映画(笑)。本来だったら、テレビ東京の「午後のロードショー」以外ほとんど需要がなさそうな作品の可能性が高い。だ が、僕はこういう作品に食いついちゃうんだなぁ。こういうのが僕の御馳走。洞窟に入ったら何らかのタイムスリップみたいな現象に遭ってしまう…というお話 らしいが、詳細はまるで分からないあたりもいい(笑)。元々はSF映画なんて、イマドキの「スター・ウォーズ」みたいに晴れがましいモノじゃなくて、妾の 子扱いされるようなイカガワしいジャンルだったのだ。僕はイソイソと渋谷まで、気持ち良くダマされるつもりで出かけて行ったのである。

ないよう

 その原っぱに何年も停まったままだったような、汚く汚れた1台のバン。考古学者であるホッパー教授(アンドリュー・ウィルソン)は、長い間「それ」を探 して来た。いかにも時代がズレたサイケデリック塗装のそのバンには、びっしりと怪しげな絵やメモが書き込まれた手帳があった。ホッパーが愛犬ボスと付近を 探していると、地面に意味ありげな穴がもあった。早速そこから穴の中に入ろうとしかけたホッパーだが、愛犬ボスは警戒してうなり声を挙げる。確かにホッ パーも、その穴にはイヤな予感がした。そんなホッパーがふと視線を上げると、近くの小高い山の中腹にポッカリと穴が開いているではないか。早速ホッパーは ボスを連れて山の中腹まで行ってみると、確かにそこには大きな洞窟の口が開いていた。しかも…外から覗いてみると、誰かが奥に立っているのが見える。つい ついそのまま入って行こうとしたホッパーだったが、ボスが警戒して吠えているのを聞いて思いとどまった。これはしかるべき用意をして出直すべきだ。ホッ パーはクルマで自宅へと引き返し、その途中、携帯で彼のゼミの生徒であるジャッキー(ブリアンヌ・ハウイー)に連絡を入れた。この件については、ホッパー は同じゼミ生のテイラー(ライリー・マクレンドン)にも協力を頼んでいた。だが、実際に「それ」が見つかってみると、話はそう簡単ではなさそうだ。そこで ホッパーは、「それ」を見つけた件をテイラーには黙っているようにジャッキーに伝えた訳だ。だが自宅に着いてみると、ジャッキーはすでにテイラーを呼んで いた後。彼女は、洞窟探検にはホッパー一人では危険と判断したのである。そもそも、ホッパーが探していたのは「若返りの泉」。「若返りの泉」は大昔から伝 えられる伝説で、これを探して古くから多くの人々が行方不明になっていた。あるヒッピーの夫婦もこれを何十年も前に探して、秘密の洞窟へと足を踏み入れて 姿を消した。ホッパーが見つけたのは、そのヒッピー夫婦の痕跡と「若返りの泉」に通じる秘密の洞窟だったのだ。だが、ホッパーはあまりに危険過ぎると自分 ひとりで出かけることを主張。その剣幕には、さすがにジャッキーもテイラーも反論できなかった。こうして一人で問題の洞窟に出かけて行ったホッパーだった が…。それから2日経ったものの、何の連絡もない。さすがにこれはマズいと思い始めたテイラーとジャッキーは、自分たちでホッパーを捜索に向かうことを決 意。ただ、自分たちには「足がない」ためテイラーに「気がある」女の子カラ(キャシディ・ギフォード)に父親のクルマを出してもらうことにする。ところが カラに話をつけると、妹のヴィーヴス(オリヴィア・ドラグィスヴィッチ)も連れて行けとうるさい。さらに面倒な事情から、ヴィーヴスの知り合いである太っ た男の子ファービー(マックス・ライト)も預からねばならなくなった。およそ洞窟探検には不向きなメンバーとなってしまったが、こうした雑多な面々で一行 は問題の場所へと乗り込むこととなる。早速、彼らはホッパーのクルマとヒッピー夫婦のバンを発見。するとヒッピー夫婦のバンの近くに、別の横穴が開いてい ることに気づくテイラーたち。さすがにまだ小さいファービーを連れて行く訳にはいかないので、彼は無線機を持って留守番。一行は横穴の奥深くへと進んで 行った。すると奥には崖があり、さらに奥深い空間があるようだ。まずはジャッキーとヴィーヴスがザイルで先に降りて、それからテイラーとカラも降りて行 く。何度も先行のジャッキーたちに呼びかけるが、なぜかまったく返事がない。さらに下って行くと、分厚く湿った空気の層を感じるテイラーとカラ。それでも 何とか下まで降りると、ジャッキーとヴィーヴスがふたりを迎えた。何度も呼んだのになぜ答えないのかと責めるカラだが、ジャッキーたちは声などまったく聞 こえなかったと主張。ここで異変に気づいていれば良かったのだろうが、まだ彼らは洞窟への好奇心でワクワクするばかり。だが、洞窟の奥から何者かの不思議 な声が聞こえて来て、彼らの楽観主義も一気に凍り付いた。さすがにマズいとザイルを上って戻ろうとしたジャッキーは、上りかけたところでザイルが切れて転 落。彼女は足首を傷め、受け止めようとしたテイラーも手の指を骨折した。さらにもう1本のザイルも切れて落ちたため、さすがにテイラーも事態の深刻さが分 かった。最初は留守番のファービーがイタズラしたのかと思ったが、無線機の応答がない。そもそもファービーはそんな子じゃないとヴィーヴスに言われ、苛立 つテイラーも冷静になった。すると、いきなり無線機にファービーからの応答が入る。だが、「助けて」と言うその声は、どこか様子がおかしい。やがてその通 信も途絶えてしまい、戻ることができなくなった彼らは洞窟を前進するしかなくなってしまう。やがて洞窟の先へと進んで行った彼らは、遥か上の入口から光が 入って来る場所へと辿り着く。だが、その光も明るくなったり暗くなったり、はたまた光の方向が目まぐるしく変わっていくのが奇妙だ。ところがテイラーは、 そこで見てはならないものを見てしまった。それは転落したあげく、首の骨を折って死んだファービーの亡骸だった…。

みたあと

  先にも述べたように、SF映画を見る楽しみなんて立派な映画を見ることとはまったく違う。他のSF映画ファンはどうか知らないが、僕はどこか奇想天外なモ ノを見たいという気持ちが強い。妙に整った作品よりは、ブッ壊れててもビックリする作品の方が嬉しいのだ。そういう意味で、本作はまさにツボにハマる作品 だった。映画としてイイ出来だとも人に勧めたいとも思わない…というか、むしろ不出来だとさえ思うが、SF映画好きの自分の心の琴線に触れる作品。トンデ モ映画なのだが、それがキライになれない作品なのである。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  そんな訳で、まずはダメなところを列挙してしまおう。まずはこの手のSF作品にありがちなことだが、女性キャラクターの性格に恐ろしく難がある。特に大人 の女性キャラふたりのうちジャッキーはひどい女としか言いようがなく、もうひとりの大人の女性キャラであるカラをアゴでコキ使っているとしか見えない。本 作が映画としては不出来だと思える最大の点は、こうした登場人物の描き方のヘタな部分である。その他、細々したことも含めて挙げていくと…洞窟で行方不明 になった教授を探しに行くという本来の目的を考えた時、探検に不慣れな若い女性2人を同行させるだけでも不適切と思えるのに、子供たちまでゾロゾロ連れて 行くなどまったく考えられない。ハナっからリアリティなど考えていない作り方なのだろうが、さすがにこれはちょっとマズいだろう。しかも、子供たちまで同 行させたことによって、エンディングに微妙な印象を残すことになってしまった。この映画に子供たちまで出すことの必然性やメリットはまったくないので、こ の設定は理解に苦しむ。それより何より本作の根本的な問題として、この洞窟になぜ「若返りの泉」なるものがあって、それによって今までどんな事が起きてき たのか、そもそも「若返りの泉」とは何なのか…という肝心要の部分がまったく描かれていない。確かにそういう部分をナゾのままにしておくという描き方もあ るような気もするが、それにしたって「若返りの泉」という非常に気になるアイテムを設定しておきながら、本作の本筋とはほとんど絡んで来ないのも変だ。 「若返りの泉」がある洞窟が、なぜ外界と異なる時間の流れ方をしているのか説明はまったくないし、見る側が考えてもそうである必然性がない。「若返りの 泉」は映画後半に登場人物たちに都合良く使われるだけで、後はほとんど話と噛み合って来ないのである。そもそもそんな神秘的で驚異的な存在である「若返り の泉」なのに、本作のビジュアルとしては極めて貧弱に…まるで田舎の露天風呂みたいなモノにしか造形されていないのも難点である。これがせめて我々が一見 するだけで「ほほ〜」っと感心したり畏敬の念を抱くような視覚的外見を持っていれば、すべてナゾがナゾのままでもどうにかなったかもしれないのだが…。さ らに登場人物たちはそれまでの生活や住んでいた世界、家族や知人たちとは永久に引き離され、元の世界では行方不明者となってしまったにも関わらず、映画と してはアッケラカンとハッピーエンドにしてしまっているのにも違和感を感じた。彼らの中には子供たちも多く、その親たちは彼らが消えてしまったことを嘆き 悲しんだはずに違いない。しかもそんな親も家族も知人たちも何十年も何百年も前に死に絶えていて、登場人物たちは二度と会うことが出来なくなっている訳 だ。だが、そんなことを誰ひとり気にも留めずにアハハで終わってしまうというのはいかがなものだろう。確かにメソメソ終わる訳にもいかなかっただろうが、 細かいことはいいんだよ…というのも無茶な話だろう。こんな所に来たくもなかったカラという女の子や子供たちをトラブルに引きずり込んでおきながら、まっ たく申し訳なさそうな気配もないテイラーという男のキャラクターといい、本作では人間の感情が不自然でまったくキチンと描かれていない。本作の致命的な問 題点は、まさにそこに尽きる。

みどころ

 それでも…とあえて言 いたいのだが、本作は奇想天外なアイディアを、とにかく1本の娯楽映画に仕上げたという点で注目に値する。少なくとも、SF映画好きにとっては。洞窟の外 と中では時間の流れるスピードが異なっていて、洞窟の中では数分流れただけでも洞窟の外では何年かに相当する…というのは、今までのSF映画には見られな かったユニークなアイディアである。これに近いモノを探すとしたら、それこそC・S・ルイスの「ナルニア国ものがたり」シリーズぐらいしかないんじゃない だろうか。もちろんそのユニークな設定も、本作の中ではあちこち矛盾が生じたり破綻していたりする。ホラ話を全う出来ているとは到底言い難い。だが、他に 類を見ない前述のような設定を作り、それに則って絶滅寸前の荒れ果てた地球の姿や、地球から移民するための宇宙船などもちゃんと視覚的に見せているのには 感心させられた。その1点だけでも、SF映画ファンにとっては記憶にとどめるべき映画だと思えるのである。

さいごのひとこと

 SF映画における一点豪華主義。

 

「ショートウェーブ」

 Shortwave

Date:2018 / 03 / 12

みるまえ

 僕が毎年、秘かに楽しみにしているのが、渋谷でやっている未公開作の連続上映みたいな催しだ。何しろその大半がSFやホラー映画だったり、たま〜に珍しい国の作品が入っていたりして、僕としては見逃せない。先に紹介した「サリュート7」 (2017)もその催しで上映されていた作品だ。玉石混淆というより石ばかりではあるが、そもそもSF映画なんてそんなモノだし、それがイヤならSF映画 ファンはやってられない。本作も簡単なストーリーが何行か紹介されているだけだが、それで僕はスッカリ見る気になった。どうやら人里離れた場所で短波信号 を使った実験をしていたら、「何か」を呼び寄せてしまった…という話らしい。面白そうではないか。僕は例によって話題作、ヒット作がひしめく中、このほぼ 無名の作品を見に劇場に駆けつけた訳だ。

ないよう

  ゴロゴロと雷の音がして、今にも降り出しそうな夕暮れの田舎町。幼い娘アマンダを連れたイザベル(ファニータ・リンジェリン)は、用を足すために近くの本 屋に立ち寄った。店内で他の子供たちが遊んでいる場所にアマンダを置いて、トイレを借りて手早く小用を足す。イザベルは慌ててトイレを出てきたが、例の場 所にアマンダも他の子供たちもいなかった。慌てて店内から外に飛び出すが、どこにも人の気配はない。半狂乱になってアマンダの名を呼ぶイザベルだった が…。イザベルは夫のジョシュ(クリストバル・タピア・モント)と知り合ってから、信じられないほど幸せだった。「人生で一番大事なのは、他者との関係性 を築くこと」と語るジョシュと愛し合い、アマンダも生まれて幸せの絶頂を感じていたイザベルだったのに…。それから2年、ジョシュとイザベルは住み慣れた 都会を捨て、人里離れた森の中のハイテク住宅に引っ越すことになった。引っ越しを手伝っているのは、ジョシュの仕事の相棒であるトーマス(カイル・デイビ ス)と妻のジェーン(サラ・マルクル・レイン)。だが、イザベルの顔色は冴えず、心ここにあらずの放心状態。当然、ジョシュの表情も暗かった。ジョシュと トーマスの長年の研究がいよいよ正念場になろうとする折りもおり、ここへ来てジョシュが山奥の家に世捨て人のように籠ると言い出したのには、正直言って トーマスとしては困惑するばかり。ついつい、こんな状態になる原因をつくったイザベルへの恨み言も口を突いて出て来る。だが、ジョシュは鬱状態のイザベル を何とか守ろうと、静けさに包まれたこの家に引っ越すことに決めたのだ。それに、やろうと思えばここでも研究はできる。田舎の家と言っても、この家はハイ テク技術の粋を集めた家だ。セキュリティも万全…いや、万全過ぎるほどだ。だが、イザベルはこの家とそれを取り巻く森に、何かの気配を感じていた。翌日、 ジョシュが用事で街に出ようとすると、イザベルも一緒について行くと言い出す。しかし出かけようとしたその矢先、玄関から一歩出たとたんにイザベルを衝撃 が襲う。結局、彼女は失神して外に出ることが出来ず、ジョシュは一人で出かけることを余儀なくされる。ジョシュの留守中に部屋の片付けや掃除に励むイザベ ルは、ダイニングキッチンに置き忘れてあった、ジョシュの研究装置に目を留めた。それは、まるで古いラジオのような装置。ジョシュとトーマスが取り組んで いるのは、宇宙からの短波無線信号の研究だ。これはその受信装置に違いない。イザベルは何の気なしに装置のスイッチを入れたが、耳障りなノイズが出てきた のでスイッチを止めた…はずだった。やがていつの間にか装置は再び起動して、イザベルは昼寝のまどろみの中で自らを慰める。その幻影の中で、彼女は「何 か」がそこにいるのを感じていた。さらにダイニングキッチンの床下に床下への扉があることに気づいたイザベルは、扉を開けてそこに入って行く。しかし突 然、扉が閉まったために、イザベルは床下の暗闇に閉じ込められてしまった。「ジョシュなの? なぜ扉を閉めたの? 早く開けて!」…そのうち、床下の暗闇 に何者かの気配を感じたイザベルは、激しく騒ぎ出したのだが…。

みたあと

  前々から繰り返し述べているように、僕はSF映画が大好きである。そしてSF映画というジャンルはかつて長い間ずっと日陰者だったから、安っぽい映画や チャチなモノにも抵抗がない。むしろ、その手の映画を好んで見るところすらある。もちろん大金をかけて大掛かりに見せる映画もキライじゃないが、ことSF 映画というジャンルは低予算を逆手にとって、いかに安く面白く見せるかというのも見どころのひとつ。で、本作は佇まいからして間違いなく低予算のアイディ ア勝負映画であることは間違いない。むしろ、そこを買って見に行った訳だ。ノー・スター、知らない監督も望むところである。お話も宇宙からの短波信号を研 究してたら異変が起こって…という、僕が昔大いにハマったテレビSFシリーズ「アウター・リミッツ」でやりそうなお話だ。多少チープでも許せる。つまり、 僕はそれなりに覚悟を決めて見に行った訳なのだが…。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  まず、何から言えばいいだろうか。チープなSF映画にありがちなことだが、実は本作も途中から話がよく分からなくなる。何らかの電波を受信して異星人とコ ンタクトをとろうという実験を行っているようなのだが、途中からなぜかその電波が主人公夫婦が住む家から発信されていることが分かる…というあたりから、 キテレツぶりが一気にアップ。ヒロインがなぜかその異星人たちと意識下で結びつきを持つようになるところまでは分かったが、最初からそれをダンナのパート ナーであるトーマスが狙っていたこと、そのためにわざわざヒロインの幼い娘を誘拐して病ませたこと(そもそも、その娘はその後どうしたのか?)…あたりに なると、あまりにムチャクチャな展開に「???」。終盤は血みどろの惨劇となるが、後味はどこまでも最悪。そもそもお話がよく分からないんじゃ、共感する も反発するもない。だが、そうした根本的な部分に至る以前に、本作はすでにかなり困った作品なのである。まず、ヒロインが性格最悪の女に見えてしまうのが マズい。冒頭で子供が誘拐されて精神が病んでしまったことは分かるが、何とか彼女を守ろうとする夫の気持ちも考えずに、一方的に責めるわめくひっぱたく。 この女はその後も錯乱した言動を繰り返すのだが、まったく反省しないし謝罪もしない。極めて不快な人物なのだ。そんな女がどんな目に遭おうと、見ている側 はまったく共感も同情も出来ない。そして本作の作り手が、何とも下品で下衆なのも興ざめの一因だ。まず冒頭、ヒロインの娘が誘拐されるくだりで、わざわざ ワンシーン・ワンカットの長回しまでやってヒロインが便所で用を足す様子を見せる必要があったのか。それも小便がチョロチョロ注がれる音までご丁寧に流す 念の入れようだ。さらにヒロインが異星人と初めて精神的結びつきを得る場面でも、いきなり唐突に大股開きでマスターベーション。これってこうしなきゃ描け ないのか? その後も必然性もなくヒロインがパンツを脱いだり、ともかくヒロイン絡みでセクハラまがいの場面が連発。映画としての質的にはともかく、この 映画はそんな俗っぽいセンを狙った作品ではないだろう。それなのに、なぜこれほど突出して下卑た場面が連発するのか分からない。本作がいくつかの映画祭で 受賞したり好評だったりという理由も、僕にはまったく分からない。監督・脚本のライアン・グレゴリー・フィリップスは、観客サービスのつもりであの下卑た 場面を入れたのだろうか。いくらSFには甘い僕でも、本作のダメさは「それ以前」の問題なのである。

みどころ

 森に囲まれた、完全防備のハイテク住宅。この家の雰囲気は、この映画最大の見どころ。本作の作り手はこの家を見つけて本作をひねり出したのは間違いない。しかし、家だけで良い映画になったら苦労はないのだ。

さいごのひとこと

 ダメにも程がある。

 


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