新作映画1000本ノック 2018年1月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「キングスマン/ゴールデン・サークル」 「ルージュの手紙」 「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」

 

「キングスマン/ゴールデン・サークル」

 Kingsman - The Golden Circle

Date:2018 / 01 / 22

みるまえ

 前作「キングスマン」 (2014)の大ヒットを受けて製作された続篇。まさに、全世界待望の作品…といった装いで公開である。今回は全滅の危機に瀕した「キングスマン」を援護 すべくアメリカの諜報組織「ステイツマン」が登場して、誇張されたアメリカン・テイストが前面に押し出される。前作で退場したはずのコリン・ファースも復 活。悪役はジュリアン・ムーア。正直言って、予告編を見た時から内容は想像がつく。まったくサプライズがなさそう。キャストはアメリカン・テイスト強調に よって増量。アクションもたぶん前作よりカネがかかっていて、増量されているんだろう。これまたヒット作続篇の宿命である。ここだけの話、前作「キングス マン」は面白かったけれど、個人的には少々微妙なところもあった。そもそも、マシュー・ヴォーンの映画はいつも微妙なのだ。これが続篇となると、ますます 不安定要素が増すばかりである。そんな訳で、僕は本作への期待値は極端に低かった。一時は見るのをよそうかとさえ思った。予告編で、すでに全部見てしまっ たような気すらしていたからである。もう「どんな映画か」は分かってしまっていた。とりあえず劇場に足を運んではみたものの、この作品のどこが楽しめると いうのだろうか。

ないよう

 ここはロンドンの高級テーラー、 その名も「キングスマン」。知る人ぞ知る、諜報機関の本部である。そこから出て来たのは、ピシッと一部の隙もない紳士の着こなしで出て来たエグジー(タロ ン・エガートン)。彼は今まさに、店の前に停まっていたタクシーに乗り込もうとしていた。それは組織のメンバーが運ちゃんを務める専用車だったのだが、エ グジーを待ち構えていたのはこのクルマだけではなかった。ジャージを着た柄の悪そうな若い男が、エグジーに絡んで来る。「立場が逆転だな」と皮肉っぽい言 葉を吐いたこの男こそ、かつて「キングスマン」養成所でエグジーと競って破れ、悪の道にドロップアウトしたチャーリー(エドワード・ホルクロフト)。死ん だと思っていたら、どっこいしぶとく生きていた。当然、改心なんぞしている訳がない。おまけに後ろからは不審なクルマが何台も近づいて来る。事態を瞬時に 掌握したエグジーは、チャーリーに促されるままタクシーに乗り込む。走り出したとたん車内で激しい乱闘が繰り広げられたのは、言うまでもない。片腕を失っ ていたチャーリーは、そこに凶器となる義手を取り付けて怪物的な存在となっていた。そんなチャーリーと狭い車内で戦うエグジーは、お互い走行中のクルマか ら相手を振り落とそうと懸命。途中で運転している同僚が命を落として、クルマは危うく事故寸前。すんでのところでチャーリーを振り落としたエグジーが、何 とか運転席に乗り移って難を逃れた。今度は追いすがる何台もの敵のクルマとの追いかけっこだ。街中での攻撃は周囲に迷惑がかかるため、本部から止められ る。何とかクルマで公園の中に逃げ込んだエグジーは、ミサイルで敵のクルマを壊滅。今度は警察から逃れるために、渋々窓ガラスも壊れたクルマで公園の池の 中へと潜っていく。池の底には「キングスマン」の要塞のひとつが隠されており、「キングスマン」を裏方として支えるマーリン(マーク・ストロング)が待っ ていた。だがマーリンとて、公園を包囲する警察を瞬時に消し去る魔法を持っている訳ではない。一方、エグジーは今夜プライベートな約束が待っていた。致し 方なく、マーリンが教えるこの場から抜け出す「近道」…汚水溢れる下水溝に身を躍らせるエグジー。だがエグジーもマーリンも、池の底まで運んで来たクルマ に、とんだお土産が残されていたとは気づいていなかった。それはクルマにしがみついていたチャーリーの義手である…。その頃、遥か離れたカンボジアのジャ ングル。そこには奇妙な建物群が築かれた一角があった。名付けて「ポピーランド」。麻薬王として人知れず裏の世界に君臨する女、ポピー・アダムス(ジュリ アン・ムーア)が築き上げた「麻薬帝国」である。その才覚によって巨万の富と圧倒的権力を得たポピーだが、稼業が稼業だけにこんな辺鄙な場所に引きこもら ねばならなくなった。そんな寂しさと欲求不満を、自分が大好きな1950年代アメリカの再現のような街をジャングルの奥地に築くことで紛らわしていたの だ。だが、ポピーはいつまでも「裏街道」で引っ込んでるつもりはなかった。今日も今日とて、自らの組織に志願して来た「新人」エンゲル(トム・ベネディク ト・ナイト)をオーディション。自分を組織にスカウトしてくれた「恩人」を機械に突っ込んでミンチにするとともに、焼けた金でカラダに「黄金の輪」を刻印 するという洗礼を与える。仕上げは1950年代風ダイナーで、ポピー自ら「恩人」ミンチでこしらえた特製ハンバーガーを頬張るというもてなし。そこまです れば「部下」として信用出来るというのがポピー流。満面の笑みを湛えたポピーは、彼に「ゴールデンサークルにようこそ!」と告げるのだった…。一方、下水 を通ってこの場を逃れ、エグジーが向かったのは彼のシャレた自宅。かつてのエグジーの「師」であるハリー(コリン・ファース)の家を譲り受けたのだ。そこ で彼を待っていたのは、かつての事件で仲良くなったスウェーデン王女ティルデ(ハンナ・アルストロム)。エグジーは彼女やダチとともに、親友ブランドン (カルヴィン・デンバ)の誕生日を祝うのだった。翌日はティルデのご両親である国王・王妃を交えての夕食会に招待されるエグジー。国王(ビヨーン・グラ ナート)としてはこのどこの馬の骨か分からない若者の化けの皮をはがそうと、意地悪な質問を連発。だが、エグジーには強い味方がいた。「キングスマン」仲 間のロキシー(ソフィー・クックソン)が、ハイテク・メガネとイアホンを通してエグジーに正解を教えてくれていたのだ。そのついでに、ロキシーは気になる 情報も知らせて来た。例のチャーリーは「ゴールデンサークル」という麻薬組織と関わりがあるらしいというのだ。だが、それから間もなく、彼女との交信は途 絶えた。それだけではない。他の「キングスマン」仲間も次々と連絡を絶った。彼らを束ねる代表のアーサー(マイケル・ガンボン)の邸宅にも、小型ミサイル が命中した。慌てて自宅に戻ったエグジーは、そこがガレキの山となっているのに唖然と立ち尽くすのみ。そこにマーリンが現れたために「すわ、裏切り者 か?」と警戒するエグジーだったが、マーリンは悲しいかな「裏方」だったので攻撃を免れた。すべてはチャーリーの義手に「キングスマン」の情報を盗まれた が故のこと。かくなる上は、マーリンがかねてより伝えられていた「非常時の心得」にしたがって、秘密の場所に隠された「ブツ」を回収することにする。だ が、そこに収められていたのは、一本のウィスキーの瓶だけ。エグジーとマーリンは仕方なくウィスキーを飲みながら、亡くなった仲間たちを思って酔いつぶれ ていく。だが、瓶を手に取って見るうちに、「非常時」の手がかりがこの酒にあると気づくエドガー。「ステイツマン」なる銘柄のこの酒は、アメリカのケン タッキーで作られているらしい。こうしてエドガーとマーリンは、ケンタッキーの「ステイツマン」醸造所に向かうのだったが….

みたあと

  ここからは予告編でもご存知の通り。コテコテなアメリカンの「ステイツマン」たちが登場。英国流と米国流のギャップで笑わせる…という趣向である。まった く思った通りだったので、ビックリした。思った通り以上に思った通りだったのだ。しかも、続篇はひたすら「増量」で大味になるというパターンまで思い切り 踏襲。これほど予想通りな作品も珍しい。あまりにも予想通り。予想通り過ぎて…実は一周回って、僕はちょっと楽しめちゃった部分もあるのだった。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  まずは…マズいところから指摘すべきなんだろう。本作は、マズいところを指摘する方が簡単な映画である。そもそも前作というモノサシがあるのだから、それ と比べれば問題がハッキリ分かる。前作はイギリスに蔓延するだけでなく、全世界どこにも実は存在している「階級」への疑念というテーマが一本スジを通して いて、それが単に“ふざけすぎてなくて1960年代にオマージュしてない「オースティン・パワーズ」”みたいになりそうだった作品を、クッキリ一線画した モノにしていたような気がする。あちこちに悪ノリな悪趣味感はあったけれど、それも「権威や既得権益なんぞ吹っ飛ばせ」的なアナーキーさに見えて、僕は好 意的に感じたのだった。ハッキリ言うと、本作にはそんなモノはからっきしない。そもそもそうした「階級」への批判は主人公の成長と合わせて描かれていたか らこそ意味があったのだが、すでに主人公は出来上がったスーパースパイになってしまっている。だから、本作で例の「マナー・メイクス・マン」というセリフ が出て来ても、例の名場面がまた始まる…以外の意味がない。まったく形骸化したものにしかなっていないのだ。そして「階級」批判がなくなってみれば、悪趣 味はただの悪趣味。しくじった手下をミンチ化する…という設定も、ただただエグい趣向を見せたいだけという芸のなさになってしまっている。ホントにそうし たひとつひとつに、これほどまでに意味がない…というのが驚きだ。大作化してキャストが豪華になった、典型的続篇となってしまっているのである。では、 「階級批判」をなくした本作に付加された要素は何か…といえば、これはもうアメリカへの茶化ししかない。本作ではアメリカが徹底的にからかわれて、「キン グスマン」が代表する英国流とのカルチャーギャップ・コメディみたいに作ってある。ただ、それっていうのは前作みたいな人類普遍のテーマでもないし、何か 奥深い意味がある訳でもない。ただ、からかって面白がっているだけである。あとは「アメリカ」を持って来て大作感を出し、続篇ならではの「増量」がした かっただけなのだろう。正直言ってアメリカを持ち出すことによってアメリカっぽく単純になり、アメリカっぽくバカバカしい映画になった。キャストもやたら 豪華にはなったが、それらが活かされたかというと疑問だ。チャニング・テイタムなんて、何で出て来たのか分からない。ハル・ベリーも、わざわざ彼女を出す ほどのこともない役である。エミリー・ワトソンやマイケル・ガンボンは、何であんな小さくてつまんない役で出て来たのだろうか。もっともったいないのが ジュリアン・ムーアで、イカレちゃってる女を楽しげに演じてるのはいいのだが、役不足で活躍場面も少なくもったいない。逆にやたら大活躍しているのが チャーリー役の若手だが、こいつじゃ悪役は役不足。再登場までさせて出て来るような役者じゃない。キャスティングは総じてダメだと言わざるを得ない。カネ をドブに捨てるようなギャラの使い方をしている。これが「アメリカ流」ということなんだろうか。そういう意味では、本作もハリウッド映画化したということ なのだろう。

みどころ

 で は、本作はどうしようもない愚作で見るのも辛かったのか。実は、僕はそうでもなかったのだ。バカ映画として気楽に楽しめた。教訓も考えさせられる部分も何 もなし。映画館を一歩出たら忘れちゃえる単純娯楽として、本作はそれなりに楽しく出来てはいるのだ。おまけにこちらのハードルは見る前に下げまくっていた から、思った程悪くない…という感想となった。アメリカを徹底的に馬鹿にするというのも、今のご時世だと妙に時流に合ってしまった(笑)。ただ、これはあ くまでマグレである。本来だったら…この作品で何か別なテーマを立てて描くことも出来そうだが、果たしてどうだろう。炎上やネット・リンチや変な市民運動 やら、今の時代に蔓延するこの不寛容さは、もう手の施しようがなくなっているような気がする。わずか3年前の前作でなら描けたことも、現在では難しいので はないか。もう、それぐらい人は何事にも不寛容になっているのだ。僕もそんな難しいことを娯楽映画で見たくなくなった。現実の社会がウンザリするものだか ら、本作ぐらい無意味でユルい方が見ている側としてはちょうどいいのかもしれない。申し訳ないけど、僕もそんなに立派な映画ファンじゃない。それにもう人 類はダメだと思うし、割とマジな話で…。だから難しいことを考えたくなくなった。唯一面白いと思ったのはエルトン・ジョンの出演で、どうせカメオに近いん だろうと思っていたら、結構大きな役なんで驚いた。だが、それも程度問題。元々が芝居が出来る人じゃないんだから、ダラダラ出せばいいってもんじゃない。 最初は面白かったけど、だんだん見ていて顔が引きつってしまったよ(笑)。だから結果的には「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」(2008)のトム・クルーズと同じで、みんなが言う程面白くはなかった。アレはちょっとだけ出した方が良かったと思う。まぁ、この映画には何も期待していなかったから、こんなものだろう。ボケッと見る分には楽しいと思う。

さいごのひとこと

 身の程を知った出来映え。

 

「ルージュの手紙」

 Sage Femme (The Midwife)

Date:2018 / 01 / 15

みるまえ

  フランス映画「ルージュの手紙」、ハッキリ言ってどう見ても僕の管轄外の映画である(笑)。こう言っちゃ何だが、女性映画はまったく柄じゃない。向こう だって僕に見られたいと思っていないだろう(笑)。ただ、本作はカトリーヌ・ドヌーブの主演作で、いまだにこうして主演作がコンスタントに届くドヌーブっ てスゴいとは思っていた。つい最近でこそフェミニストにブッ叩かれて謝罪させられていたが、ドヌーブと言えば間違いなく映画界のレジェンド。そんな生けるレジェンドなのに現役バリバリなのである。ただ、それも単にスゴいなってだけで「見たい」というところまで気持ちがいか なかった。ところがひょんなことから映画好きの知人から本作のオススメをいただき、ちょっと興味が湧いてきた。あいにくと僕は年末年始とインフルエンザで 寝込み、正月休みにほとんど映画が見れないという情けない状況だったが、回復したら真っ先に見たいのがこれだった。上映終了間際に、何とか間に合って見に 行ったという訳である。

ないよう

 荒い息の若い妊婦を励まし落ち着かせて、無事に出産まで導く助産婦のクレール(カトリーヌ・フロ)。超ベテランの彼女はこの病院の要のひとりであり、夜勤の今日も黙々と仕事をこなす。この病院は経営難のようで、近々閉鎖が決定しているとか。その せいか、廊下も診察室も照明が絞られているようだ。だが、プロのクレールにはそんなことも関係ない。今日も今日とてワケありで黙りこくっている十代の妊婦 の心を開き、何とか診察出来るように持っていく。無駄口を叩かず、実直に仕事に取り組んでいるクレールだった。夜勤明けでアパートの自宅に戻って来たク レールには、大学生の息子がひとり。だが、この日も用事で自宅には戻っていない。そんなクレールが留守電を回すと、そこにはある女からのメッセージが入っ ていた。ベアトリスという女からのメッセージを聞いたクレールは、たちまち複雑な思いにとらわれる…。睡眠をとって翌朝起き出したクレールは、例のベアト リスという女に連絡をする決心をした。電話でアポをとり、指定されたアパートにやって来るクレール。そこは知らない歯科医の表札がかかった部屋で、のっけ からクレールは大いに戸惑う。やがて出て来たのは、寝起きの老いた女ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーブ)。老いたとはいえ派手な生活を続けている様子が伺 えるが、ちょうどかかっていた電話の内容からカネに困っているようでもあった。実はベアトリスは、血がつながっていないながらも、かつてはクレールの 「母」だった女。父とつき合っていた女だった。久々の再会に戸惑うクレールだったが、ベアトリスはマイペース。近くのカフェで食事をしようとクレールを連 れ出した。クレールが知りたかったのは、なぜ長い間音信不通だったベアトリスが連絡をとってきたか…ということ。それはベアトリスの口から、極めてアッサ リと明かされた。何とベアトリスは脳腫瘍で、残りわずかな命だというのだ。今まで自由奔放に暮らして来た彼女だったが、死が目前となった時に愛していた人 に会いたくなったというのが、連絡して来た理由である。恋多き女、勝手気まま女…そんなベアトリスに過去少なからず翻弄された側のクレールとしては、正直 言って愉快ではない。「形見」として指輪を押し付けられても、戸惑うばかりだ。おまけにクレールの父はどうしている?…と無神経にも尋ねられたら、さすが にもう我慢できない。実はベアトリスがかつて恋したクレールの父親は、自殺していた。それも、ベアトリスが彼のもとから去ってすぐに。それを考えれば、ク レールはまるで屈託なく自分に接して来るベアトリスを、何もなかったかのように受け入れる訳にはいかなかった。真相を知って呆然とするベアトリスを置い て、クレールは店を飛び出したのだった。だが、それはクレールとベアトリスとの関わりの、ほんの始まりに過ぎなかったのだ…。

みたあと

  すでに知人から好評を得てから見に行った本作、ある程度安心して見ていたところはあった。ちょっと驚いたのは、ドヌーブと「二枚看板」となっているカト リーヌ・フロなる女優さん。一見地味〜な普通のオバサンにしか見えない人なのだが、ネットの映画感想などでは「あの」カトリーヌ・フロ…扱いでビックリ。 僕は最近の映画事情に疎いので、こういう「あの」…的な監督やスターが増えて、すっかりまごつかされますわ。このカトリーヌ・フロなる女優さん、どうやら 近頃では「大統領の料理人」(2012)、「偉大なるマルグリット」(2015)などの映画でフランス映画好きのオバチャマたちには知られた人らしい。い やぁ、僕には敷居が高いので自慢じゃないがまったく知らなかった。ただ、調べてみたらこの人、「さよならの微笑」(1975)のジャン=シャルル・タケラ 監督がその後に発表した群像劇「C階段」(1985)で売り出した人と知ってちょっと驚いた。さすがにどんな話だったかもどんな役で出ていたかも忘れ ちゃっているが、僕のご贔屓だったシネヴィヴァン六本木の上映作品に出ていたと知ってグッと親近感が湧いて来た。で、実物の作品を見てみると…確かに本作 を大いに感心して見ることになった訳だが、その面白さは僕にはタマネギの皮むきのように何層にも重なったような不思議な味わいに感じられたのである。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  たぶん大半の人は、本作をふたりの女のやりとりをじっくり見せるドラマであると受け取っているし、実際にそういう映画である。僕自身、この映画をそういう 作品だと思ってそれなりに感心して見ていたところもある。単にそういう映画だと見ても、本作は面白いしよく出来ている。擬似的「母と娘」で年齢的な隔たり があるとともに複雑な過去があり、自由奔放・実直堅実というキャラの違いもあるふたりの女のドラマとして、普通に良く出来ているのである。奔放な「母」的 ドヌーブに降り回されて不快さを味わうフロが、徐々にその影響を受けるんだろうな…というのも「想定内」。それだけなら、何ら驚きのない映画である。た だ、フロが影響を受けるにしても、アメリカ映画のように図式的に大々的に変わるということはなく、あくまで彼女自身の価値観の範囲内でとどまるあたりがリ アル。また、ドヌーブが終盤で姿を消すあたりの「身の程を知った」振る舞いも好感を持った。このあたりは、良質なフランス映画としての良さを感じさせる点 である。また、フロが母親のドヌーブと恋人をアパートに置いて仕事に出かけたら、ふたりが勝手に仲良くなって自分は居心地悪くなってしまうあたりは、「い かにも」な感じがよく出ていてなかなかうまい場面だ。これがあるから、最後はトラックの運転席で3人仲良くしているあたりが好ましく見える。作り手の芸の 細かいところである。だが、個人的には僕としてはもうちょっと別の見え方もしていて、ドヌーブの「困った母親」ぶりがヒシヒシと身につまされて感じられ た。ここでのドヌーブは自由奔放な特殊なキャラであり、またフロにとっては実際の「母親」でもない設定である。だが、僕も年老いた母親を身近に持ち、その 遠くない将来を考えざるを得ない立場である以上、この映画の設定はちょっと人ごとには見られなかった。また、身近な年老いた人物のどこか「タガがはずれ た」ような言動に少々悩まされ始めてみると、笑えない点もあちこち散見される。ドヌーブとはまったく違うが自分の母親も一種「パワフルな人物」であったか ら、余計にシャレにならない。そういう意味で、これから年老いた母親とどうしてつき合っていけばいいのかを、いろいろ考える手がかりにはなったように思え る。ラスト近く、すべてが自由にならなくなって自暴自棄になった母親ドヌーブに、「あなたはキスで人を幸せに出来る人」と投げかけるフロのセリフにはぐっ と来た。これはドラマとしての「うまさ」で語るべき点なのだろうが、絶望的になった老人に対して自分はこういう言葉をかけられるだろうか…と僕は本当に考 えてしまった。だから、僕としては極私的な「ツボ」だったのだろう。このように本作を見るというのは、本作の味わい方としてはまったく僕の「個人的」なモ ノということになる。だが、僕が本当に本作に感心したのは、実はそこではない。一般的に「よく出来たドラマ」として楽しませてくれた部分、極めて個人的な レベルで考えさせられた部分…もそれぞれ大いに楽しまされたし考えさせられたが、本当にハッとさせられたのは、実は映画の最も終盤の部分…。先の「キスで 人を幸せに出来る人」というセリフをうまく視覚的に受け止めた趣向にまず感激。さらにヒロインご自慢の家庭菜園で、川べりにあった沈みかけのボートが流さ れているワンショット。このあたり、問答無用に「映画的」な表現なのに驚かされた。最近ではエミール・クストリッツァの「オン・ザ・ミルキー・ロード」(2017)にも通じる、鮮やかなまでの「映画的」表現なのである。「セラフィーヌの庭」(2008)、「ヴィオレット ある作家の肖像」(2013)で知られているらしいマルタン・プロヴォ監督には心底感心した。

さいごのひとこと

 三食アイスみたいな美味しさ。

 

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」

 Star Wars - The Last Jedi

Date:2018 / 01 / 01

みるまえ

 「スター・ウォーズ」が「エピソード3:シスの復讐」(2005)で一応のピリオドが打たれてから10年、いきなり「フォースの覚醒」 (2015)で電撃的に甦った時には、いろいろ複雑な心境になったものだ。何しろ一度終わったモノがゾンビみたいに甦る訳だし、しかも生みの親ジョージ・ ルーカスはノータッチ。ルーカスフィルムごと権利を買い取ったのが、ディズニーランドの中で売る電池にまでミッキーの顔を貼付けて値段をつり上げるあの ディズニーと来るから、イヤな予感しかしない。おまけに女性を主人公にして黒人俳優を出して…と,やたらにポリティカル・コレクトネス的配慮を丸出しにし たキャスティングになるのも、何だかすっきりしない。そういうキャスティングをしても良いけど、「政治的な目配せ」というか「大人の事情」が透けて見える のはいかがなものかと。そんな訳で、見る前はあまりいい印象を持っていなかったのだが、見たらさすがに面白い。それは、監督にJ・J・エイブラムスを得た からだろう。シリーズものを再起動させる専門家ともいえるエイブラムスが作るんだから、ハズすワケがない。案の定このシリーズのツボをはずさない、どこか 懐かしい出来上がりになった。まずはめでたしである。ただ、ツボをはずさな過ぎた…というべきだろうか、あまりにソツがなかったために、ちょっと気になる 点もない訳ではなかった。「スター・ウォーズ」第1作…というべきか、イマドキの人は「新たなる希望」(1977)と言わないと分からないらしいが、この ピュア、オリジナル、ベーシック、スター・ウォーズを意識し過ぎたか、あまりに全編にこの第1作のイメージやシチュエーションなどがダブる場面が続出。僕 のような古いファンはそりゃ嬉しかったけれど、21世紀の新作としてはどうなの?…という気持ちもしないでもなかった。実は、そう思っていたのは僕だけ じゃなかったようだ。新生「スター・ウォーズ」の第2弾、「最後のジェダイ」はどうもかなり衝撃的な作品になっているらしい。アメリカで公開された時には 賛否両論らしく、旧作ファンはこの新作を「なかったこと」にするべく署名運動をやっているとか。アメリカってバカが多いんだねぇ(笑)。見なきゃいいじゃ んそんなの。「衝撃的」なことはヒロインのデイジー・リドリーも、ルークことマーク・ハミルもインタビューなどでコメントしており、監督のライアン・ジョ ンソンも本作でショックを受けるファンもいるだろうことを認めている。日本公開が行われてからもその賛否両論ぶりは同様で、ホメている人は絶賛だし、ケナ している人は駄作と切り捨てる。どうも、旧「スター・ウォーズ」に愛着がある人は本作がダメで、本作がいいという人は古参ファンを「老害」と叩いているよ うだ。いやぁ、それほど物事単純じゃないと思うんだが。その場合、旧「スター・ウォーズ」からずっと見てきてはいるが、その世間の「スター・ウォーズ」 ブームに今ひとつノリきれて来なかった僕は、どんな風に反応するのだろう。正直言って想像がつかなかった。ただ、前作「フォースの覚醒」における「昔の名 前で出ています」感は、懐かしく嬉しい反面「いかがなものか」とも思っていたので、むしろここは大胆なことをやった方が良いのではないかと思ったりもして いた。しかも、新生「スター・ウォーズ」の2作目。一番最初の三部作でいえば、「帝国の逆襲」(1980)ではないか。ならば本作も、「あっ!」と驚く趣 向が入っていないと面白くない。なるほど、そりゃあ衝撃的になってる訳だわ。正直言ってディズニーに買収されてからの「スター・ウォーズ」は、「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」 (2016)みたいな「外伝」が雨後の筍みたいにニョキニョキ出て来るみたいで、どうもいい印象がない。だが、「あっ!」と驚くサプライズがあるのなら、 本作も見る価値があるのかもしれない。それに、ちょうどアイマックス3Dの映画を見たいとも思っていた。そんな訳で年末押し迫ったある晩に、アイマックス につられて見に行ったという訳である。

ないよう

  昔むかし、銀河系の遠い遠い彼方で…。ある惑星のレジスタンス基地から必死に避難する人々。その惑星の間近には、悪の枢軸ファーストオーダーの大艦隊が接 近していた。すでに共和国はファーストオーダーの手中に落ちて壊滅しており、レイア姫(キャリー・フィッシャー)率いるレジスタンス側は苦戦また苦戦で押 されっぱなし。いよいよ本拠を突き止められて…のこのピンチである。人員を旗艦である大戦艦に移してワープで脱出しようという作戦だが、敵の艦隊はもうす ぐそば。敵艦のレーザー砲を撃たれたら、ひとたまりもない。レジスタンス側の大将ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)も戦闘機で参戦するが、圧倒的な 戦力の前になすすべもなかった。レジスタンス側の攻撃機が次々と犠牲になるなか、女性兵士ペイジの爆撃機がレーザー砲を準備中の敵艦を撃沈。ただ、それは ペイジの命と引き換えの苦い快挙だった。ともかくこれで時間を稼げたレジスタンス側は、大戦艦をはじめとする船団をワープ。とりあえず、これで何とか事な きを得た…はずだった。落ち着きを取り戻したはずのレジスタンス側艦内では、レイア姫が無謀な作戦で多大な犠牲を出したポーを降格処分にする。大いに不満 なポーだったが、これには従わざるを得なかった。一方、レジスタンス勢を取り逃がしたファーストオーダーの指揮官ハックス将軍(ドーナル・グリーソン) は、最高指導者スノーク(アンディ・サーキス)から厳しく叱責される。その場に呼び出されたカイロ・レン(アダム・ドライバー)としては、なぜスノークが 「無能」ともいえるハックスを重用するのか理解できない。実はスノークは、こうやって若手のハックスとカイロ・レンを競い合わせて結果を出そうとしていた のだが、若気の至りかそんなところまで思いが至らないふたり。カイロ・レンは「レジスタンス側の動きは分かる」と断言して、またしてもスノークの歓心を買 うのだった。ちょうどその頃、レイ(デイジー・リドリー)は絶海の孤島にいた。そこには伝説のジェダイ・マスターであるルーク・スカイウォーカー(マー ク・ハミル)が、長く隠遁生活を送っていたのだ。彼から教えを請いたいレイは、ルークに由緒あるライトセイバーを手渡す。だが、ルークはそれを手に取って 一瞥すると、ポイと崖から海へ投げ捨ててしまうではないか…!

みたあと

  前作がレジスタンス側の一応の勝利で終わっていたのに、本作はいきなり押されっぱなし。いわゆる「帝国の逆襲」状態。いつかどこかで見たような風景であ る。僕らは前作「フォースの覚醒」を見ているから、当然あのエンディングも覚えている。絶海の孤島で仙人みたいになっているルークに、レイがライトセイ バーを差し出す。そこで断崖絶壁の孤島の全貌がカメラを引いたヘリコプター・ショットで映し出されて、ヘリはグルグルと島の回りを旋回し始める…という、 まるで「火曜サスペンス劇場」(笑)ばりのエンディングである。そういや、ケネス・ブラナー監督・主演の「オリエント急行殺人事件」 (2017)も終盤は「火曜サスペンス劇場」っぽかったし、本作の主人公デイジー・リドリーはハリウッドの「火サス」女優を目指しているのか(笑)。それ はともかく、この時点で本作は、少なくともこのレイとルークのやりとりと、敗走を続けるレジスタンス側の苦闘を並行して描くのだろう…と早い段階で察しが つく。実際には大きなエピソードはもう1本あって、前作でファーストオーダー側から寝返ったフィン(ジョン・ボイエガ)と冒頭で自らを犠牲にして味方を 守ったペイジの妹ローズ(ケリー・マリー・トラン)が、敵戦艦に潜入してレジスタンスを追跡する機能を破壊しようとする話…も並行して進む。ただ、これは 後ほど述べるようにちょっと微妙なお話である…。それはともかく、今回はこの3本柱のお話がパラレルで進む構成になっている訳だ。いつもながらの「ス ター・ウォーズ」らしい構成である。で、本作が「衝撃的」「意外」と言われ、古参ファンからは「失望した」とまで言われる要素はどこにあるのか…と言え ば、それはもう見る前からハッキリしているだろう。予告編などでも盛んにそれらをチラつかせている。すなわち…レイはルークからフォースを伝授してもらえ るのか、ルークが隠遁生活に入ったのはなぜか、ルークとカイロ・レンの間には何があったのか、レイの両親はどんな人物だったのか、レイとカイロ・レンには どのような関係があるのか、そして…果たしてレイはフォースの暗黒面に転んでしまうのか…! 誰もが今回の「衝撃的」な要素はこれらの疑問に関係することが中心 であり、本作ではその回答が提示されるであろう…と思うはずだ。それはレイとルークがやりとりする孤島の場面だろう…とも。なるほど、またまた「オリエン ト急行殺人事件」みたいに、ルークがすべてを語り尽くして終わる「火サス」風エンディング(笑)が待っているのか…。いやいや、そうだったらまだナンボか 良かったんだけどねぇ…。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  新しいファンはその「衝撃的な展開」や「斬新性」に惹かれて高評価を下し、古参のファンはその「衝撃性」「斬新性」故にショックを受けて酷評する…という のが、巷での本作の評価らしい。そのせいか、本作を酷評するのは「老害」で、ホメるのは目に偏見も曇りもない「若者」である…ってなパターン。このへんの 言い草がいかにもネット上の論議っぽいし、若い人たちの自己評価の甘さも毎度のことという気はするが(笑)、まぁ、言いたいことは分からないでもない。問 題は、ホントにそうなのか…ってこと。つまり、好評も酷評もその「斬新性」ゆえ…と言っていいのかってことだ。その前に、僕の本作に対する評価をハッキリ させた方がいいかな。僕は本作を楽しんだ。面白く作ってあるとは思う。その点では前作「フォースの覚醒」と同じである。ただ、「衝撃性」「斬新性」がスゴ くてビックリした…ということはない。だから、そのことで本作を酷評することはない。いや、むしろ…「衝撃性」「斬新性」が乏しいとさえ思っている。監督 から主演者、本作を評する批評家から素人に至るまで、本作がビックリする作品だと言っている。僕はこれらの人々に問いつめたい。一体この作品のどこが「衝 撃的」で「斬新」なんだろうか。ホントに小一時間問いつめたいよ。本作の衝撃的になりそうな要素について、果たしてどのような「意外」で「衝撃的」な答え が提示されたのか。レイはルークからフォースを伝授してもらえるのか…何だか伝授されたんだかされないんだか、よく分からない尻切れトンボな終わり方であ る。ルークが隠遁生活に入ったのはなぜか、ルークとカイロ・レンの間には何があったのか…これは正直言って、今回見る前からみんな薄々感づいていただろ う。見た人は誰一人ショックなんて受けないはずだ。レイの両親はどんな人物だったのか…結局この話はサラッとお茶を濁して終わってしまう。レイとカイロ・ レンにはどのような関係があるのか…関わりがあるのは間違いないらしいが、その理由については今回またまた先送りである。果たしてレイはフォースの暗黒面 に転んでしまうのか…ご覧の通りである。どれもこれも、「衝撃性」も「斬新性」も感じられない、ハッキリしないパッとしない答えしか得られない。「帝国の逆襲」の「アレ」みたいな、真にビックリする答えは何ら提示されないのだ。そ もそも、ジェダイの師匠とその弟子になろうとしている若者との関係は、「帝国の逆襲」あたりから延々と同じことを繰り返している。すなわち…師匠が弟子志 願の若者に、オマエは未熟だすぐに驕ってしまう暗黒面の誘惑に負けやすい…とケチばかり付けているのに対して、若者は師匠に、自分はグレた前任者とは違 う自分ならやれる…と何の裏付けもないのにテメエを買いかぶっての言動で勝手にかき回す。弟子志願の若者の言動は、そのグレた前任者とも共通するので、「ス ター・ウォーズ」ファンはこのパターンを何度も何度も繰り返し見せられて来ているのだ。つまり、「毎度おなじみ」ばかり見せられてサプライズなんてない。 本作を見たファンは、今まで「スター・ウォーズ」の何を見て来たのだ。いつもこればっかりじゃないか「スター・ウォーズ」なんて。師匠が若手育成に失敗し て隠遁生活を送っているという設定そのものも、すでに初めてではない。どこに「衝撃的」で「斬新」なところがあるのだ。今回提示されることが予想された答 えは、「毎度おなじみ」みたいな話で済まされるか、お茶を濁すか先送りになっている。それは続篇を作るにはその方が都合がいいだろうけど、いつまでやって るんだよと言いたくなる。あるいはファンからするとレジスタンスがボロ負けしたことが「衝 撃的」で「斬新」だというのかもしれない。あるいは一応のラスボスがあんなことになったというのも「衝 撃的」で「斬新」だというのかもしれない。だが、「帝国の逆襲」のあのダブルの衝撃と比べれば屁みたいなもの。特に後者なんて「エピソード1」(1999)のダース・モールなみにショボい悪役だったし、どうでもいい…。どっちかといえば、フィンとローズがカジノ惑星にやって来た場面で流れるBGMが、第1作「新たなる希望」に出てきたカンティーナという酒場で流れ るスウィング・ジャズみたいな音楽に激似だったり、チューバッカとレイがミレニアムファルコン号で惑星の狭いクレバスを通りながら敵戦闘機と戦うあたりの 音楽が、やはり第1作「新たなる希望」の戦闘場面と同じものだったり…と、本作もまた旧作ファンには懐かしい趣向が多い。むしろ「衝撃性」「斬新性」どころか「毎度 おなじみ」ばかりではないのか。今回の作品のストーリーを真面目に分析しているファンもいるが、大変ご苦労さんなことだと思う。すでに原作者のジョージ・ ルーカスの手を離れ、ディズニーが出来るだけ長く引っ張ってカネを稼ごうという思惑でお話が構築されている以上、そんなストーリーやディティールやキャラ クターなどを分析してみたところで無意味で馬鹿げている。そこには「カネを稼ぎたい」という純粋な意図しかあり得ない。ともかく、いつまで経っても「銀河 の彼方」どころか向こう三軒両隣みたいな狭い人間関係の中で、グチグチと同じことを繰り返しやっているようにしか見えないのだ。面白いと言えば見ている間 は面白いのだが、正直言って僕はもう飽きてきた。僕はだから、本作の「衝撃性」「斬新性」故にダメ出しをするのではなく、むしろサプライズがなさ過ぎるこ とに不満を感じた。この調子でこれから先もずっとやるのならば、オレは今後はあまり関わりたくないかなと思う。公開の都度見に行かねばならないのがシンド くなってきた。これじゃ今までと変わらない。無限のリメイクでしかないのだ。もうひとつついでにアラ探しをすると、フィンとローズの冒険のエピソードが完 全に無駄だったということだろうか。おそらく作り手と支持者たちに言わせると、無駄なようで無駄じゃない…そこに関わった人々の心に何らかの痕跡を与えた という点で意味がある…と言いたいのだろう。だが、本作のストーリーの太い幹の一本としては、これは完全に「徒労」でしかない。本作の脚本・監督にあたっ たライアン・ジョンソンは、以前、旧作「ルーパー」(2012)を見たが別にあまり感心はしなかったように思う。何でこんなに今回ディズニーに気に入られ ているのか、まったく理解が出来ない。ルークとカイロ・レンの大チャンバラを見せたあげく、「分身の術でした〜」ってオチもナメとんのか…としか思えな かった(笑)。カイロ・レン自身がやたら当たり散らしたりチョンボが多かったり…と、何となく頭悪そうだしねぇ。レイが敵のフトコロに飛び込むあたりも、 何の裏付けもないのに「自分ならやれる」と思い込んだのか、ただただ思い上がっているようにしか見えない。重要人物に共感出来る奴が少ないってのは、娯楽 映画としてキツいと思う。ともかく、もっともっと「衝撃」「斬新」でいかなきゃダメだと言いたいのだ。

みどころ

  むしろ、「衝撃性」「斬新さ」に乏しいということで文句を言ってしまった「最後のジェダイ」。そんな中で唯一サプライズになっている要素がある。それは フィンと行動を共にして冒険する、女性整備士のローズだ。最初は正直言って、またまたポリティカル・コレクトネスで「女性」で「東洋人」を出したんだろう な…とちょっとシラケた目で見てしまった。「女性」で「東洋人」のキャラを出すのは問題ないけれども、無理矢理出さねばならないとなると話は別だ。「女 性」で「東洋人」…が選考基準の最優先事項だというなら、そりゃ違うだろと言いたい訳だ。だが、僕は見ているうちに、彼女こそが「本作のサプライズ」では ない かと思い始めた。ハッキリ言って決して美人ではない。おっかさんオバチャン顔。ずんぐりむっくりで太め。大衆食堂で働く昭和臭漂うお姉ちゃんといった風情 である。「あゝ野麦峠」 (1979)にでも出て来たら、ピッタンコはまりそうである。でも、これがなかなかいい。ついつい頑張れと応援してしまう。世間の大半の観客はおそらく不 細工(笑)なのだから、ホントはそっちの方が共感を得られるはずなのだ。このキャスティングは間違ってない。しかも、それなりにオーディションを積んで選 ばれただろうから、ちゃんとスクリーンで好印象を与える「何か」を持っている。美人でスタイルのいい女ばかり出て来るのではなく、こういう姉ちゃんが出て きてもいいではないか。キレイだったり可愛かったり、過剰に勇ましかったりする女性キャラばかりじゃ有り難みがないよ。正直言ってデイジー・リドリーは ちょっと偉そうな印象が 勝っていて、見ていてそれが許せるほど可愛くも美人でもない(笑)。だから、「女性」で「東洋人」というポリティカル・コレクトネス的観点ではなく、親し みやすいフツーの姉ちゃん代表が「スター・ウォーズ」の世界に出て来たことを喜ぶべきなのである。フィンことジョン・ボイエガも今ひとつボヤけた印象しか 与えられていない新「スター・ウォーズ」としては、この「究極の凡人」キャラこそが「新たなる希望」。これはイヤミでなく言っている。ケリー・マリー・ト ランというベトナム系の女優さん、こ れからも頑張ってもらいたいものである。

さいごのひとこと

 そんなことより、空中浮遊を見て笑ってしまった。

 


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