「ボーダーライン/ソルジャーズ・デイ」

  Sicario - Day of the Soldado

 (2018/12/10)



見る前の予想
 正直言って、私は昨今みなさん大変お気に入りの監督ドゥニ・ヴィルヌー ヴの作品が大の苦手である。
 たまたまこの人の重要な作品を何本か見逃していたら、いつの間にか有名監督になっていてビックリというパターン。それで張り切って見に行ったのが、この シリーズでは前作にあたるボーダーライン(2015) である。だが、見終わった印象は複雑だった。いや、複雑というより…不快である
 確かにインパクトはある。それと同時に、何とも言えない不快感が残る。それはハッピーエンドでないから不快…とかそういう問題ではない。作り手の姿勢に 疑問を持ったからである。
 ここでエミリー・ブラントが演じるヒロインは、おそらく観客の視点 である。そのヒロインと我々観客は、ほとんど詳しい説明も得られず情報を遮断されたまま現場に放り出され、強烈な「国境の現実」とやらにさらされる。確か に強烈ではある。
 だが、そもそも相手に目隠ししたままでボコボコに殴るみたいな、 ちょっと卑怯なやり口が気になった。この道のベテランであるジョシュ・ブローリンベニチオ・デル・トロも、ロクに事情も教えないくせに後になって「何で分からな いんだ!」と怒鳴るパワハラ上司みたいにしか見えない。しかるべき段取りや説明をしないままで、「国境の現実はこれだ!」とばかりに上から目線で暴力描写をぶつけてくるのはい かがなものか。いや…それでもいいのかもしれないが、ヴィルヌーヴとやらだって受け売りの知識でしかないだろうに、そんな奴がドヤ顔で偉そうに「国境の現 実」を観客に一方的にぶつけてくるという構図が非常に不快。ヴィルヌーヴは国境警備 の仕事でもしたことがあるのかよ。結局、こいつは「オレはスゴい」としか言っていないではないか。映画そのものにも物語にも登場人物にも… それどころか観客に対してもまったく愛がない。こいつにあるのはただただ「自己愛」だけ。オレはスゴいと言いたいだけなのだ。
 その後のヴィルヌーヴ作品…ことにブレードランナー2049(2017) あたりを見ても、その傾向は顕著だった。あっちはあっちで出そうで出ないウンコみたいな映画(笑)で、要はハッタリが勝った監督という印象しかない。つまりは、あれがヴィルヌーヴの持ち 味だった訳だ。
 だから前作「ボーダーライン」に強烈な印象は残ったものの、最終的には不快な映画としか覚えていなかった。
 そんな映画の続編…しかも主役のブラントを欠いた作品となると、ますます見る気が失せる。正直言って、僕はまったく見る気がなかった。ところがある知人 から、この作品について「ぜひ見て!」と強力にプッシュされる。そこ まで言われると、見ない訳にはいかない。
 実はこの作品、ヴィルヌーヴも抜けたと聞いているので、ひょっとし てひょっとしたら奇跡の大逆転もあるかもしれない。
 そんな訳で、そろそろ上映終わりかけの状況の中を、慌てて劇場に駆け込んだという訳である。

あらすじ
 真夜中のテキサス、アメリカ・メキシコ国境付近。何人もの密入国者が、荒野を小走りに駆けている。そんな上空に、アメリカ側のヘリコ プターが爆音を立てて飛来する。赤外線センサーと強烈なサーチライトで、密入国者たちの動きはお見通しだ。やがて国境警備隊のクルマがそこに駆けつけ、密 入国者たちは次々と捕らえられていく。だが、一人の男はしぶとく逃げ回り、ヘリコプターが彼をどこまでも追い回す。観念した男はその場にひざまずき両手を 上にかざす。警備隊が彼を取り巻いて「両手を見せろ!」と命じたその時…。
 男は警備隊たちを巻き込んで自爆!
 翌朝、現場検証してみると、男がひざまずいていた場所にはイスラムの礼拝用敷物が置かれていた…。
 それから間もなくのカンザス・シティ。夜のスーパーマーケットに、何人かの男がやってくる。彼らはスーパー内に入るとそれぞれ散らばって、まず一人の男が自爆。騒然となり、人々が右往左往と逃げ惑うスーパーマーケット 内で、次々と自爆が続く。この大惨事は、全米に衝撃を与えた。
 アメリカ国防総省では、国防長官ジェームズ・ライリー(マシュー・モディーン)が記者会見を開く。ライリーは会見の締めくくりに、テロリストたちに向 かってこう宣言した。
 「アメリカ合衆国の圧倒的な軍事力を覚悟しろ!」
 それからすぐに、ソマリア上空をアメリカ軍のヘリコプターが飛行。眼下の荒野に、何人かの兵士が落下傘降下した。彼らは荒野にポツンと置かれたナゾの一 味のアジトに迫ると、あっという間に潜入して中にいる連中を皆殺し。一人だけを生かして連れ出した。
 後日、アフリカ駐留の米軍基地に、一人の男がやって来る。その男こそ、アメリカ・メキシコ国境で麻薬組織を痛めつけていた特別捜査官のマット・グレイ バー(ジョシュ・ブローリン)である。グレイバーは基地内の薄暗い小部屋に入ると、そこには先日、ソマリアで確保された男が、頭から袋をかぶせられて座ら されていた。グレイバーは袋をその男バシール(ファイサル・アーメド)のアタマからはぎ取り、静かに話しかける。「水責めでもすると思ったか? これから オレが質問することに、オマエは答えざるを得ないだろう、それもオマエの髪の毛一本触れずにだ。なぜだと思う?」
 グレイバーはパソコンを取り出し、軍事衛星からの偵察映像を見せる。そこには、ある一軒の住宅が写っていた。それは、男の兄弟が住む家だった。男が質問 に答えなければ、住宅はミサイルで破壊される。グレイバーが知りたいのはたったひとつ…あの自爆テロ犯は、イエメンからメキシコへ船で渡ったはず。この男 らのソマリアの海賊が手を貸していたに違いない。では、誰からその資金が渡っていたのか?
 だが、男はグレイバーの問いに答えず、パソコン上の画面で兄弟の家は爆破されてしまった。さらにグレイバーはパソコンを操作すると、画面は走行中のクル マを捉えたものに変わる。「オマエは兄弟が多いんだなぁ。じゃあ次はこいつだ」…。
 こうしてグレイバーは、自爆テロ犯の渡米を助けているのがメキシコ麻薬カルテルの ボスであるカルロス・レイスと突き止めた…。
 その頃、国境付近のテキサスのとある街に住むメキシコ系の少年ミゲル(イライジャ・ロドリゲス)は、登校すると見せかけてズル休み。従兄弟のヘクトール (デビッド・カスタニーダ)とツルんで悪だくみの相談だ。すでに一端 のワルの顔をするヘクトールは、ミゲルに「カネになる仕事」を世話すると持ちかける。それは密入国者を手引きする仕事だった…。
 一方、アメリカに呼び戻されたグレイバーは、ライリー国防長官、国土安全保障省のシンシア(キャサリン・キーナー)、その他お歴々と打ち合わせの場を持 つことになる。例の自爆テロの一件から、大統領が麻薬カルテルをテロ組織と認定すると いうのだ。アメリカはカルテルと本気で敵対しようというのである。
 「奴らを事を構えるとなったら、汚い手段が必要だ」と語るグレイ バーに、ライリー国防長官は静かにこう言い放つのだった。「それが君に来てもらった理由だよ」…。
 彼らの狙いは明快だった。どいつを叩いてもキリがない。ならば、カルテル同士を戦 わせて自滅させようというのだ。
 それからすぐ、夕闇迫るコロンビアのボゴタ。辺りを見回しながら歩いているのは、かつてグレイバーと一緒に戦った「シカリオ(暗殺者)」ことアレハンド ロ・ギリック(ベニチオ・デル・トロ)。彼は用心深くある建物の中に侵入すると、扉には「リビングにいる、撃つなよ!」と張り紙。中にはあのグレイバーが 待ち構えていた。
 「戦争を始めるぞ」「相手は誰だ?」「全部だ、今回はルールなし」…。
 さらに数日後、白昼のメキシコ・シティ。インテリジェント・ビルから恰幅のいい人物がクルマに乗って外出しようとしたところを、そこにやって来たワゴン 車からいきなり銃撃。慌てて恰幅のいい人物は傷つきながらも逃げ出すが、すぐに覆面の男が追いついて、恰幅のいい人物に銃を向ける。さらに覆面の男は恰幅 のいい人物に眼鏡をかけるように促すと、自ら覆面を剥ぎ取った。覆面の下の顔は、あのアレハンドロ。そしてこの恰幅のいい人物こそ、マタモロス・カルテル の弁護士だった。もちろんこの男もまた、アレハンドロの仇の一人である。アレハンドロは静かに「アディオス!」とつぶやくと、トドメの弾丸を何発も相手に撃ち込んだ。
 さて、その次の一手は…。メキシコシティの名門女子校で、二人の少女の取っ組み合いのケンカが繰り広げられていた。圧倒的に強いのは、勝ち気な表情のイ ザベル(イザベラ・モナー)。やがて校長室に呼ばれた二人だったが、残されたのはイザベルの方。「さて、どうしたものか。君を退学させたいところだが…」 とつぶやく校長に、せせら笑うように「やってみれば?」と挑発するイザベル。彼女こそ、あのカルテルのボス、カルロス・レイスの娘である。
 そんな訳で校長すら見下す先恐ろしいこの少女が、厳重な警備に守られて家に帰ろうとしたところを…いきなり街中でクルマが襲撃されるではないか。賊は警備の連中を殺害すると、さすがに怯 えた様子のイザベルに耳栓をして、頭からヘルメットをかぶせて連れ去った。
 もちろん、これもまたアレハンドロとグレイバーたちの仕業である。彼らはこのレイスの娘を手持ちのカードにして、カルテル戦争を勃発させようと仕組んだのだったが…!

見た後での感想
 正直言って、全然期待していなかった本作。何し ろ好感を持っていなかった作品の「続編」である。それでなくても正編からは落ちるのが普通だろうし、どう転んでもいい訳がないではないか。僕にとってのプ ラス要素といえば、どうも肌合いが合わないドゥニ・ヴィルヌーヴの離脱ぐらい。それで果たして本作が面白くなるのか…。
 結果から言うと、これが面白くなっちゃったんである
 前作より…というより、前作関係なく面白い作品になっちゃっているのである。これにはちょっとビックリした。
 で、ふとスタッフを見てみたら…脚本はまたしてもテイラー・シェリダン!  もちろん前作だってシェリダンが担当だったが、本作との間には彼が監督・脚本兼任したウ インド・リバー(2017)が挟まっている。で、これが実に素晴らしい出来映えだったではないか。あの「ボーダーライン」続編と 考えるよりも、シェリダンの新作と考えればいろいろツジツマが合う。「ウインド・リバー」のシェリダンならではの、腕の冴えを感じさせるのである。


 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 



前作とは「別物」としての続編
 冒頭、アメリカ・メキシコ国境での一幕から映画が始まり、そこからテロ戦争みたいな話になって舞台がワールドワイドに広がっていくあたり…あ りゃりゃ、この映画も続編ならではのパターンにハマっているのかなと 思わされる。
 続編だから、前作より「増量」というあのパターンである。最近じゃイコライザー2(2018)の冒頭でトル コの列車が出て来た時にそれを思った。「イコ2」の場合はその後に話がちゃんとアメリカ国内に戻るから安心したが、実は本作もそれと同じ。冒頭こそあっち こっちに舞台が移って派手派手な「大作」感が出ているが、我らがジョシュ・ブローリ ン、ベニチオ・デル・トロが出てくると一気に話は引き締まる。
 だが、そのブローリンとベニチオを除いては、実は本作は前作とある意味では「別 物」、ちょっと続編とは言いがたい内容になっているの だ。これがまず驚きである。
 今回は麻薬戦争というより、密入国の話。相変わらずカルテルとの戦いなのだが、今回はこいつらに同士討ちさせようという話である。当然、黒澤明「用 心棒」(1961)みたいな痛快な話になるのではないか…と一瞬期待は膨らむ。
 で、途中まではそんな悪だくみが着々と実現していく様子を描いていくのだが、途中でアッと驚く…というか、前作を見ていたら予想がつくといえばつく展開に…。ここから映画は、グッと非情 で辛口な展開になっていくのである。
 前作でいえばエミリー・ブラントの役に相当するのが、今回はカルテルのボスの娘イ ザベル(イ ザベラ・モナー)。これが最初出て来た時は、親父の威光をカサに言いたい放題やりたい放題の手がつけられないクズ娘っぷりを発揮。ところが本作では、この 小娘がアメリカ政府の手の内の駒としていいように使われるのだ。テメエでさらって来た娘をテメエで救出する「やらせ」を工作するあたりも、「用心棒」風味 があって、ちょっと面白い。
 そんな満を持して事にあたっていたブローリンとベニチオたちが、思わぬ裏切りにあって計画が狂う…というあたりで、お話はまたしても方向転換する。 正直に言うと、このくらいの「裏切り」がありそうなことは想定済みなんじゃないか…という気も少ししてしまうし、そこで放置していた小娘に逃げられてしま うというのも少々マヌケな感じがするが、脚本に感じられる穴はわずかにその程度。それも強いてキズを挙げれば…の部類である。
 結局これが災いして、彼らはメキシコに取り残されたベニチオと小娘、そしてアメリカ側でそれを見守ることになるブローリン・チームに二分されてしまう。 そのうちアッと驚く理由で彼らはハシゴをはずされ、非情な命令を下される羽 目になってしまうのだ。
 こんなことやってるからアメリカはそこらで敵ばっかり作るんだ…ということが容易に想像できる。本作で描かれている事情は、ハッキリ言って「だからトラ ンプが悪い」レベルの話ではとどまらない。元々がアメリカが内在していた悪な のだ。脚本のテイラー・シェリダンの狙いはそこだろう。そういう意味で、本作は前作…そして「ウインド・リバー」と同じく社会派メッセージを打ち出したエンターテインメントになり得ているのである。


「ウインド・リバー」を通過した新しいテイラー・シェリダン
 また、先にも述べたように、前作のエミリー・ブラントの役に今回相当するのはボスの娘イザベルである。だが、その描き方には前作から格段の進歩がある。
 前作ではドゥニ・ヴィルヌーヴ演出のせいもあってヒロイン=観客の視線から一切の情報を遮断し、ボコボコな目に遭わせてインパクトを与えるといういささ か姑息な手段に出た。で、この前作での結果から多少なりとも反省をしたのか、テイラー・シェリダンは続く「ウインド・リバー」でほぼ同じ人物構成を配置したものの、微妙にニュアンスを変化させて描いていた。
 「ウインド・リバー」でのエミリー・ブラント・ポジションは、エリザベス・オルセン扮する新人FBI捜査官である。彼女もまったく勝手が分からない環境 に放り出され。ボコボコにされるところまでは同じである。ただ、エミリー・ブラントほど意識的に…ほとんど意地悪かイジメじゃないかと思われるほど…周囲の情報をわざとらしく遮断される ことはない。さらに観客もヒロインとイコールのポジションではなく、若干俯瞰して全体が見られる位置づけに変えられている。さらに、エリザベス・オルセン のFBI捜査官は作中で痛い目に遭うことにより、徐々に自ら成長を遂げていく。 これらの微妙な調整によって、作り手がドヤ顔と上から目線で観客に対峙する… という印象から免れているのだ。
 前作「ボーダーライン」もテイラー・シェリダン自身が演出まで手がければあれほどの悪印象にはならなかったのではないかと僕は思っているが、おそらく ドゥニ・ヴィルヌーヴにまんまとつけ込まれるだけの脚本上のわずかな隙は あったのではないか。テイラー・シェリダンはおそらくそれに気づいて、「ウインド・リバー」では微妙な修正を施したと思われる。
 そんな「ウインド・リバー」を通過しての本作には、だから同じような修正点が 見受けられる。エミリー・ブラント・ポジションのイザベルは終始コテンパンな目に遭わされて、最初は尖っていた天狗の鼻をボキボキにへし折られる。そして さまざまな経験の果て、ベニチオが殺されようという場面で涙を流すほど人間性を回復 する。明らかに成長を遂げているのだ。
 さらに前作では「すべて先刻ご承知」とばかりの立ち振る舞いだったブローリンとベニチオも、今回はそうばかりはしていられない。自分たちとしては小娘を 手の内の駒に使って、詰め将棋をしてカルテルどもを同士討ちにさせてやろうと目論んだが、それほど世の中は甘くない。途中で目算が狂ってくるだけでなく、 自分たちの後ろ盾さえもが二階に上がってからハシゴをはずすようなこ とを言ってくる。ブローリンもベニチオも、前作のように余裕こいて全能感を漂わせている訳にいかなくなってくる。だから、前作みたいに観客が終始ドヤ顔されているような気分にはならないのだ。
 結局、彼らの選択は…というと、もう「国境の現実はこれだ!」なんてパワハラ上司みたいなことは言っていられない。ブローリンもベニチオも、任務のため に非情な決断をすると見せて…実は最後の最後にはそれに逆らい、ささやかなりとも人 間臭い決断を下すのだ。このあたり、やはり「ウインド・リバー」のエンディングに近い味わいがある。義理と人情の任侠映画っぽい結末こそ、テイラー・シェリダンの持ち味なのだ。こ れなら僕も共感できる。
 ついでに言うと、前作では話の本筋とはまったく噛み合ないカタチで、何度もメキシコの平凡な警官の日常を描くエピソードが意味ありげに挟み込まれた。今 回もこれに合わせたかのように、本筋とは別に国境近くのテキサスの街に住むメキシコ人少年の話が描かれる。前作のメキシコ警官は最後の最後に本筋と絡むの だが、正直言って別になくたってどうってことのないエピソードであり、絡むといってもほんのちょっとでしかない。いわば、ドゥニ・ヴィルヌーヴならではのもったいつけたハッタリ演出にしか見えなかっ た。今回はやはりこのあたりを反省したのか、メキシコ少年のエピソードは途中から微妙に絡んで来て、なおかつエンディングでは「あっ」と言わせる展開と なっているのだ。ちゃんと前作を反芻した後でアップデートしているの である。このあたりも、テイラー・シェリダンの苦心の跡と言えるだろう。
 そんな訳でここまでは本作をほぼ「テイラー・シェリダンの作品」と して語って来たが、無駄のないパンチの効いた演出を見せるイタリア出身ステファノ・ ソッリマの腕前も大したものだ。イタリアで「暗黒街」(2015) なるマフィアの抗争を描いた作品で名を挙げてのハリウッド・デビューが本作だが、何と調べてみたらこの人の親父さんってチャールズ・ブロンソン「狼の挽歌」(1970)を撮ったセルジオ・ソリーマではないか! 僕はこの人の「非情の標的」(1973)って映画を見ているが、オリバー・リードが主演でなかなか面白かった記憶がある。だが、本作を見る限り では息子の方が腕は上ではないか。なかなかの注目株と見た。要する に、最初からヴィルヌーヴなんて奴はいらなかったのである(笑)。
 エンディングは、どう見ても第3弾があると思わせる思わせぶりなも の。いや〜、かなり気になる。このままのスタッフで第3作も撮ってもらいたいものだが、さて、どうなるだろうか。

 

 


 

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