「LBJ/ケネディの意志を継いだ男」

  LBJ

 (2018/10/29)



見る前の予想
 「LBJ」…とくれば、誰しも「JFK」(1991)のことを脳裏に思い浮かべてしまうに違いない。
 果たしてそれはまったく間違いじゃなくて、本作は暗殺されたケネディの後を引き継いだ、どちらかと言えば地味目な大統領ジョンソンの実話を描いたもの。そのジョンソンをウディ・ハレルソンが演じるというのが注目である。
 僕はまずハレルソン、そしてジョンソン大統領の実話、大好きな1960年代の話…という3点で大いに惹き付けられた。映画館で見つけたチラシを見た時から、「これは見ないと」…と思ったクチである。おまけによくよくチラシを見たら、これは何とロブ・ライナー監督の新作ではないか!
 そもそも、ロブ・ライナーの新作なんて何年ぶりだろう。昔はヒットメイカーで大好きな監督さんだったのに、近年はまったく見なくなっていた。そして、作品そのものもあまり来てなかった気がする。これは見逃せないではないか。
 僕はどちらかと言えばあまり話題になっていない本作を、まずは見ておかないと…と劇場へと駆け込んだのだった。

あらすじ
 1963年11月22日、テキサス州ダラス・ラブフィールド空港。大統領専用機エアフォース・ワンから降り立ったジョン・F・ケネディ大統領(ジェフリー・ドノヴァン)一行の中に、副大統領であるリンドン・B・ジョンソン(ウディ・ハレルソン)もいた。
 熱狂的に一行を迎える群衆にジョンソンも手を差し伸べるが、群衆はジョンソンなど一顧だにしない。彼らの熱い注目は、ジョン・F・ケネディその人一点に集中していたのだ。仕方のないこととはいえ、自らの地元テキサスでのこの仕打ちに気勢をそがれるジョンソン。そんな彼を、その傍らに寄り添う妻レディ・バード(ジェニファー・ジェーソン・リー)を優しく支える。彼女にはジョンソンの思いが誰よりもよく分かっていた。
 一行はこれからそれぞれリムジンに乗り込んで街をパレードすることになっているのだが、その場にやってきた地元の有力政治家のうち、ラルフ・ヤーボロー (ビル・プルマン)の顔を見てちょっと腰が引けるジョンソン。実は、かつてジョンソンとヤーボローはちょっとした野暮な関わりがあったのだが…。
 時は1959年、ジョンソンは民主党における上院の「顔」として、常に政策の中心にいた。
 彼のいるところ、いつも何らかの陳情者がやってきて、なおかつひっきりなしの電話。それらを…よく言えば強烈、悪く言えば口汚い口調で一刀両断に片付けるジョンソンは、まさに清濁併せ呑むタフ・ネゴシエーター。そんな彼だから、頭でっかちの理想論に溺れもしない反面、「本音の政治」とやらの下品さにも陥らない、彼独特のバランス感覚で政界を泳ぎ回っていた。…というより、実質は彼が中心になって動かしていたといっていい。
 そんなジョンソンの元に頼みごとを持ち込んできたのがくだんのヤーボローだったのだが、彼はジョンソンの言動に煙にまかれて相手にされない。当然、ジョンソンに対して快い印象を持たないヤーボローであった。
 ある日のこと、そんな「やり手」ジョンソンのもとに珍客が訪れる。それは大統領を目指す人物として飛ぶ鳥落とす勢いのジョン・F・ケネディの弟ロバー ト・ケネディ(マイケル・スタール=ディヴィド)。彼は党内「有力者」であるジョンソンに、民主党大統領候補の予備選に出る気があるかどうかを探りにやっ てきたのだ。
 だがジョンソンは、そんなロバートに「出馬の意思はない」と告げる。その気持ちにウソはなかった。周囲からも推されるが、いずれも首を横に振るばかり。だが、妻のレディ・バードだけは彼の真意を知っていた。大統領こそジョンソンの長年の夢。だが、同時に彼はそうなるための「人望」がないと思っていたのだ。
 そんな彼の気持ちを知るレディ・バードは、ジョンソンを説得して予備選に出馬させる。だが、結果はジョンソンが思っていた通り、ケネディの大勝利。平静を装ってはいたが、夫の胸中はレディ・バードにも痛いほど伝わってくるのだった。
 ところが、そんなジョンソンに青天の霹靂が…。何とケネディはジョンソンのもとに電話を入れ、「自分の副大統領候補になってほしい」と要請してきたのだ。ケネディはジョンソンの手強さと政治家としての老練さを買って、自陣に引き込もうとしていたのだ。
 さすがに、「昨日の敵」からの大胆な要請に躊躇するジョンソン。半ば断ろうと決意を固めつつあったその時、ジョンソンのもとにまたしても珍客が…。ケネ ディの弟のロバートが、わざわざ「兄の要請を受けないで欲しい」と頼みにやって来たのだ。だが、この「小賢しい」マネが裏目に出たのか、ジョンソンは一転 して副大統領候補になることを決意する。この決意は側近からも「割に合わない仕事だ」と反対されるが、ジョンソンの決意は変わらない。
 「オレは今まで大したことがないと言われたポストでも、その何十倍ものパワーのあるものにしてきただろうが!」
 それは自ら道なき道を切り開いてきたと自負する、ジョンソンの溢れる自信とプライドに裏打ちされたものだった。
 こうしてジョンソンを副大統領候補として擁したケネディは、大統領選挙本選でも勝利。ジョンソンもケネディ一派とともにホワイトハウスに乗り込んだが、政権が最大の課題として掲げたのは黒人の権利を守る公民権法の成立だ。一筋縄でいくような問題ではない。
 そのとてつもない重圧は、ジョンソンにも否応なくのしかかっていくのだった…。


見た後での感想

 本作はご存知の通り、ケネディから大統領の座を受け継いだジョンソンの実話を基にしているので、どうしたってケネディ暗殺が物語の核となってくるのは言うまでもない。
 当然、オリバー・ストーンのあの有名な「JFK」でもこの大事件は出てくるが、その遥か前に「ダラスの熱い日」(1973)ですでに描かれており、近年ではパークランド/ケネディ暗殺、真実の4日間(2013)でも詳細に扱われている。また、大統領の執事の涙(2013)やジャッキー/ファーストレディ最後の使命(2016)でもそれにまつわるエピソードが登場するし、「外伝」としては本作にも登場する弟ロバートの暗殺を取り上げたボビー(2006)という作品まである。本作を見ているとそれらの作品に出てきた場面と符合する部分もあり、ジグソー・パズルを組み上げていくような興味もある。同じエピソードを別の角度から見るような趣もあったりして、非常に面白い。
 また、個人的には先にも述べたように、大好きな1960年代の再現というお楽しみもある。ファッションや髪型、当時のクルマなどで再現された1960年代が、大いに堪能できる。
 だが、何と言っても本作での最大の美点と言うべきなのは、芸達者なスターをど〜んと中心に置いてガッチリとしたドラマを構成している点である。非常に手堅い作りだが、この手のしっかり作られた映画は近年のガキンチョ映画ばかりのハリウッドでは、とんとご無沙汰となってしまった観がある。久々にマスクをつけたり空を飛ぶ奴が主役でない、役者にじっくり芝居をさせる娯楽映画を見せてもらった。
 まさにそれこそが、本作の監督であるロブ・ライナーの功績だと思えるのだ。

わがご贔屓監督ロブ・ライナーの軌跡

 ロブ・ライナーといえば、近年でこそ作品があまりやってこなくなって「過去の人」っぽくなってしまった監督だが、ちょっと前まではロン・ハワードなどと共にハリウッドの最前線に立っていた人である。
 僕が最初にロブ・ライナー作品に注目したのは、何も期待しないで映画館にフラリと入って見た「シュア・シング」(1985)。ジョン・キューザックの初期の作品でもあるこの映画は、たぶん今見てもかなり面白いはずの青春映画の傑作だ。公開当時はまったく話題にならなかったので、見てトクをした気分になった記憶がある。
 この作品で僕は一気にロブ・ライナーの大ファンになった訳だが、彼の評価を大いに高めたのがその次の「スタンド・バイ・ミー」(1986)。僕個人としては、「感動作」「少年時代を爽やかに描いた作品」などと大いに持ち上げていた世評と裏腹に、どこかグロテスクでドス黒いモノを感じてしまって、必ずしも楽しめる作品とは受け取れなかった。だが、元々原作者スティーブン・キングがそういう人だと思ってみれば、それはそれで本質を捉えた作品ということなのかもしれない。あのドンヨリとした暗さこそが本質なのだろう。
 ともかくここでグッと大物感が出てきたロブ・ライナーが、次に発表したのが「プリンセス・ブライド・ストーリー」(1987)。おじいちゃん(ピーター・フォーク)が孫に読み聞かせる昔話…という構成のファンタジーなのだが、当然その構成によってユーモラスかつ批評的な味付けが出ているユニークな作品だ。主演のロビン・ライトも、この作品で大好きになった。
 さらにさらに、この後に「恋人たちの予感」(1989)、「ミザリー」(1990)と2大ヒット作を連発。ハリウッドでの大物監督の地位を揺るぎないものにしてしまった。この2作のことは、さすがに皆さんもご存知のことと思う。
 次に撮った「ア・フュー・グッドメン」(1992)はトム・クルーズ主演作。つまり、ハリウッドのトップからの注文が来るエラい監督になった…という訳なんだろう。この映画はクルーズが「ハスラー2」(1986)でポール・ニューマン「レインマン」(1988)でダスティン・ホフマン…とベテラン・スターの胸を借りて主役を張っていた延長線上の作品で、今回の相手役は超大物ジャック・ニコルソン。堂々たる娯楽大作でアメリカ映画が得意とする法廷映画でもある。世評も確か高かったはずだ。
 ただし…僕はちょっと本作には違和感を感じた。そもそも法廷でニコルソンが逆ギレして馬脚を現し、それで事件は解決…ってのはちょっとどうなんだろう。何だかその強引な話の進め方が、ロブ・ライナー「らしく」なかった
 そんなわずかな違和感のせいでもないだろうが、何をやっても絶好調のロブ・ライナー作品に微妙な陰りが出てきたのが、次の「ノース/ちいさな旅人」(1994)。この作品、僕は絶対に見ているはずなのだが、見た記憶がまったくない。「アメリカン・プレジデント」(1995)はゴージャスな娯楽大作でキライな作品じゃないが、主人公の大統領が中東の某国へのミサイル攻撃を決断するくだりで、犠牲になる現地の人々のことを大統領が気に病んでいる…という描き方に何ともアメリカ人的偽善を感じてしまって萎えてしまった。「ストーリー・オブ・ラブ」(1999)は藤山寛美の松竹新喜劇みたいな強引なエンディングに疑問を感じたが、大阪に行って映画ファンの人々と話をしたら、この作品の評価がかなり高かったのに驚かされた記憶がある(笑)。やはり僕があの作品に藤山寛美を感じたのは、間違いではなかったのか。
 こんな調子で、あんなに大好きなロブ・ライナー作品だったのに、作品発表のたびに絶頂期のような両手放しでは評価できなくなっていた。それと同時に、僕 がこのサイトを始めるあたりから、かなり作品発表のペースが落ちていったようである。ということは、アメリカ本国でもライナーの評価は徐々に下落していた のか。
 そんな頃に細々と公開されたあなたにも書ける恋愛小説(2003)はオードリー・ヘプバーンの「パリで一緒に」(1963)…というか、その元ネタである「アンリエットの巴里祭」(1954)のリメイク的作品で、実は久々に好感が持てる作品に仕上がった。主役を演じたケイト・ハドソンも、役にぴったりハマってる。何より作品にデリカシーがあるのが気に入ったのだ。
 最初に見た「シュア・シング」以降のライナー作品に惹かれたのは、何より作中に溢れるデリカシー。登場人物に対する細やかな心遣いが、彼の作品を好ましく思わせていたのだ。ところが、それが「ア・フュー・グッドメン」のニコルソンの逆ギレあたりから、いつの間にかライナー作品からすっかり影を潜めてしまった。「あなたにも書ける〜」には久々にそれが戻ってきたような感じがしたのである。
 そして、その後しばらくしてやってきたのが最高の人生の見つけ方(2007)。余命いくばくもない二人の老人の「自分探し」の旅を描いた作品。もうジャック・ニコルソンも「ア・フュー・グッドメン」みたいな逆ギレオヤジじゃなく好々爺になっていたし、相手役のモーガン・フリーマンもいい味出していたし…で、実に好ましい作品に出来上がっていた。何より、デリカシーをモットーとするロブ・ライナー作品の「ひとつの到達点」と思わせる何かがあった。あれほど迷走していたロブ・ライナーが、今の時点でこれほどの作品を生み出せるとは予想外の驚きだった。
 だが、この後はライナー作品がなかなかやってこない。本国では発表されていたようだが、こちらでは軒並み劇場未公開となっていたようだ。本作「LBJ」も、調べてみると本国の2年後にやっと公開という冷遇ぶりである。
 そんな訳で、今では何だかパッとしない監督になってしまったロブ・ライナーだったのだが…。


見始めてすぐに気づく、本作のわずかな「違和感」
 映画の冒頭、ダラスの空港で二度と戻って来れないパレードに出かけるケネディを描くあたりを見て、僕は不謹慎ながらワクワクしてしまった。「ケネディ暗殺モノ」はどれも興味津々で見たから、これから起きる事件を思ってどうしてもワクワクせざるを得ないのである。大変申し訳ないが、これは正直な気持ちだ。リアルな考証で再現された当時の状況も、見ていて嬉しくなってくる理由のひとつである。
 また、ジョンソン夫人を演じる女優も、僕にとっては大きなサプライズだった。僕は、本作にジェニファー・ジェーソン・リーが出ているとは知らなかったのだ。しかし、あの強烈演技のジェーソン・リーが大統領夫人役とはねぇ…。かつてクセ者女優で顔も個性的だったカレン・ブラックが、「エアポート'75」(1974)に
ヒロインのCA役で出演した時のような衝撃をおぼえたよ(笑)。でも、本作ではジェーソン・リーの「賢夫人」ぶりが見もののひとつであることは間違いない。
 ところがお話がジョンソンの回想に入ると、僕は映画の語り口にちょっと疑問を感じてしまった。
どこかこぢんまりした印象の作り方なのだ。それは、冒頭近くに出てくるジョンソンが夫人に弱音を吐く場面で強く感じられた。こぢんまり…と先ほどは書いたが、まるでテレビドラマのようなチマッとした印象の演出。それが僕には違和感と感じられたのだ。
 日本に作品が入ってこなくなってから、ロブ・ライナーに何があったのか。これっていつの間にかロブ・ライナーが一線級から退いてしまって、「現役」感が乏しくなったが故のこぢんまりさなのか。何となく時代遅れのような、凡庸さのような…そんなようなモノを一瞬感じさせられたのだ。


主題と表現が一致した「うまさ」
 だが、大統領予備選に破れたジョンソンがケネディから副大統領として「入閣」を打診されるあたりから、映画はグイグイ面白くなってくる。
 何より権謀術数に長けたジョンソンのしたたかさが、見ていて面白いのだ。原理原則主義主張はともかく、政策を具体化させるということにかけて、この男はとにかく徹底的なリアリストである。しかも、冷徹な「それ」ではなく、あくまで深い人間洞察からもたらされた知識と経験に裏打ちされているあたりが非凡だ。その点においては、青臭い理想主義者のケネディは利口で優等生かもしれないがジョンソンには敵わない。いや、むしろそんなジョンソンの手腕を買って手の内に入れておこうとしたケネディも立派だったということか。
 一見、「ホンネ」「正論」に見えるエゲつない主張をズバズバ展開するような政治でなく、あくまで「中庸」という常識の範囲内で周囲の合意を取り付けていくやり方は、決して見ていて格好のいいモノではない。むしろ、腰が退けているようでもどかしいかもしれない。だが、何かを具体化する、実行していく…という時には、これは絶対に必要なことだ。…というか、国民全体の「幸福」を追求するというのが政治の最終目的ならば、それぞれ異なる主張を忍耐強く調整していくという地道なプロセスこそが、左右を問わず「政治」の本質ではないか。
 このあたり、作者たるロブ・ライナーたちが本作で何を言いたかったのかがハッキリと伝わってくるが、それについて触れるのはこのくらいでやめておく。それをズケズケとドヤ顔で言うのは野暮というものである。…というか、そういうスタンスが本作の全編に貫かれているので、僕もそれに従うことにする。そういう程のよさ、控えめさが本作の美点だからだ。
 それと同時に、一瞬「時代遅れ」感がわずかに漂ったのも、それで説 明できるかもしれない。本作には全編におっとりとした上品さが漂っている。それが、作品のコクのような味わいになっている。ロブ・ライナーのようなドラマ をじっくり描き上げる手法の映画作りは、イマドキではむしろハリウッドでは少数派になってしまったのかもしれない。CGとマスクマンが溢れている現在のア メリカ映画では時代遅れなのかもしれないが、今回はそれが幸いしているのである。ハレルソン演じる腹芸で渡りをつけていく昔気質な政治家…の物語を、描き 方からおっとりしたタッチで描いていて、実に秀逸。まさに主題と表現が一致しているのである。
 ここではむしろそういうジョンソンの老練なネゴシエーションのスタイルを、見ていて面白いプロセスとして描ききっているロブ・ライナーの手腕にベテランの「うまさ」を見た。これは、そこを堪能する映画である。これぞまさに至芸。さらにウディ・ハレルソンのうまさ、ジェニファー・ジェーソン・リーのうまさを味わうべき映画である。それにしても、ちょっと前なら粗野なならず者カップルでも演じていそうなこの二人が、事もあろうに大統領とファーストレディを演じているとは何とも痛快ではないか!
 面白いのは、弟ロバート・ケネディの描き方。青二才で小賢しくて、思慮に欠けていて小物感漂うセコい若造として描いているところ(笑)。他の映画では理想主義者として好意的に描いていることが多いのに、本作ではジョンソンに前言を翻されたことを根に持って、いつまでもネチネチと嫌がらせしてくる男らしくない男として描かれる。ひどいものである。
 だが本作を見て、僕は何となく従来から抱いていたわずかな違和感が、一気に解消していくような気持ちを持った。例えばエミリオ・エステベスが撮った前述の「ボビー」など、このロバートを当時の理想の象徴として描いており、その作り手の誠実さには共感できる。だが、ここだけの話…僕には「ロバート・ケネディってそんなに素晴らしかったの?」というシラケた気持ちがあったのも事実なのだ。
 これは理屈じゃない。理由がある訳ではない。そもそもロバート・ケネディ暗殺の時はまだ子供だった訳だから、政治的な姿勢やキャラクターが分かる訳でも ない。テレビでチラッと顔を見ただけである。ただ、誰にもそんなことは言えなかったものの…何となく「こいつってそれほどのもんかい?」って気持ちは抱い ていた。だから本作でのセコいロバートを見て、「やっぱりそうだよな!」と 妙に合点がいく気持ちがした(笑)。実際にはこれも映画でしかなく、それもジョンソン側から一方的に描いたモノでしかないので決して「真実」などではない のだが、本当に納得がいっちゃったのだ。長年の疑問が解けたかのような爽快感。便秘が治ってブリッと出たようなスッキリ感(笑)。間違っているのかもしれ ないが、そう感じちゃったのだから仕方がないのである。ホントに「思ってた通り!」と感じてしまった。
 また、本作はロバート・ケネディを小物と描いてはいるが、主人公のジョンソン当人も「小物感」に悩まされていた人物と描いていて興味深い。ロバートは自らの小物ぶりを分かっていない奴だったが、ジョンソンは自分を「小物」と自覚していたと描かれている。ある意味でフロスト×ニクソン(2008)で描かれていたニクソンにも通じるような、「小物」として生きてきた男の焦燥感を見事に浮き彫りにしているのである。ケネディというまぶしい「光」のような存在の「影」にしかなれなかった男の思いを、ロブ・ライナーならではのデリカシーで表現しているのだ。むしろ、そこにこそ本作の真価はあるのかもしれない。
 自分もまた「小物」でしかない僕としては、その点にこそ最大に共感せざるを得ないのである。


本作で唯一気になる点
 そんな訳で、久々に大人の映画の見応え十分な作品となっている本作。そのガッチリとした出来映えにさすがベテランの「匠」の技を感じさせてくれるが、唯一気になる点がない訳でもない。
 それは、ジョンソンの決意の描き方である。
 急転直下、降ってわいたようなカタチでケネディの後継となるジョンソン。周囲はみなそんな彼を既存のイメージで見て、かつてからの支持者は当然出身地か らして南部寄りの政策転換をするだろうと思うし、ケネディ側近たちも政策を継続せずに翻すと予想する。だが、ジョンソンはそんな周囲の予想を覆し、ケネディの政策を丸ごと継承する政策を取り続ける…。
 だが、彼は最初からケネディの政策に100パーセント賛同していた訳ではないし、実際に具体化は難しいと見なしていたところもあった。
 では、ジョンソンは一体どこで、ケネディの政策を丸ごと継承しようと決意したのか?
 映画なら、そこを視覚的にハッキリ目で見て分かるカタチで描かなければいけない。どこかで決定的な瞬間があったはずで、「その時」を明快なビジュアルで描く必要がある。
 例えばフォルカー・シュレンドルフパリよ、永遠に(2014) では、パリを焼き払えと命令されたナチ将軍とそれを何とか阻止しようとするスウェーデン総領事のやりとりが描かれる。だが、いくらスウェーデン総領事が説 得しようとも、ナチ将軍は頑としてこれを聞かない。そりゃあヒトラーからの命令である、仮に聞きたくたって聞くことはできないのだ。ところがナチ将軍はそ んなやりとりの合間に、ふと友軍の下衆な振る舞いを目にしてしまう。彼らの堕落っぷりに嫌気がさした
将軍は、その場でサッとそれまでの言い分を取り消してパリ焼き払いの中止を決断する。
 「パリよ、永遠に」ではこれを理屈ではなく、ちゃんとその「決意の瞬間」をハッキリ視覚的に見て分かるように描いた。だから、説得力があった。これが映画では必要である。
 だが、少なくとも僕が見た限りでは、本作ではそんなジョンソンの決意の瞬間…「トリガー」が絵としては画面に出てこなかったように思える。描き方としてはケネディの死とともに自分はその「継承者」となることを決意して、そのまま実践しただけ…というカタチをとっている。だが、そうなるに至った「何か」は映画的に描いてほしかった。
 残念だと思ったのはその一点だけだったので、なおさら惜しいと思えるのである。


 

 


 

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