「2重螺旋の恋人」

  L'amant double (Double Lover)

 (2018/09/24)



見る前の予想
 忽然と現れたかと思えば、知らぬ間に世間で高い知名度を獲得した映画監督といえば、僕にとっては最近ではドゥニ・ヴィルヌーヴにトドメを刺す。
 いつの間にか「あの」ヴィルヌーヴ…などと言われるほどの存在になっていながら、僕は全然そんなことを知らなかったのでビックリしたものだ。そもそも、「あの」と言われるほどのタマなのか。そのせいか、僕はあまりヴィルヌーヴにいいイメージを持ってはいない。ズバリ言って、ぽっと出の野郎という印象である。
 そして、ちょっと前まで僕がそれに似た感じで受け止めていた映画監督が、フランソワ・オゾンである。
 大昔にユーロスペースでオゾン作品が日本で初めて何作かまとめて公開された時には、僕もイソイソと出かけて見に行った。その時に見たホームドラマ(1998)には感心もしたが、あくまでアートシアター、ミニシアターの「枠内の人」といった感じ。クセの強いヨーロッパの映画作家がまた一人出て来たな…ぐらいにしか思っていなかった。
 ところが僕が油断している間に、このオゾンはいつの間にか有名になっていたのだ。そして「あの」オゾン…になっていた。そんなメジャーどころになるイメージはなかったので、ひどく驚かされた記憶がある。そんな意外な思いで見たまぼろし(2001)、8人の女たち(2002)、スイミング・プール(2003)…などは、驚くべきことにメジャー感溢れる映画に仕上がっていた。しかも、なかなかにうまいのだ。華やかさもある。こんな人だったのか…とスッカリ見直したような訳である。
 だがそんなオゾン作品も、しあわせの雨傘(2011)を最後にプッツリ見なくなっていた。別に理由がある訳ではない。たまたま仕事が忙しくなった時期にぶつかって、なぜかタイミングが合わずにオゾン作品を見逃していただけである。残念ながら、そんな映画作家が最近はいっぱいいて困っている。
 ところがそんなオゾンの新作が、またまた日本にやって来た。ある知人からも、すこぶる面白いとの情報が入って来た。しかも今回本作を上映するのは、ホン・サンスキム・ミニのコラボ作連続上映や、ポランスキー告白小説、その結末(2017)を上映したヒューマントラスト有楽町である。結果的に僕は最近ここに入り浸っているようなアリサマだ。これは見なくてはいけない雰囲気がする。ここらへんで久々にご無沙汰のオゾンにも挨拶をしなきゃいかんだろう。
 そんな訳で、僕はソソクサと映画館に足を運んだのだった。

あらすじ
 長い髪をバッサリ垂らして陰気に目を光らせている女…クロエ(マリーヌ・ヴァクト)。その髪が美容師の手でサクサクと短くされていくと、その容貌から先ほどの陰気くささが徐々に薄れて来る。だが、「それ」を根絶することは難しい…。
 今日、彼女が訪れたのは婦人科の診察室。局部を見つめられる居心地の悪さに耐えてまでここにやって来た理由は、クロエが慢性的に抱えていた腹痛のせい。だが、その原因はどこをどう見ても分からない。女医いわく、肉体的にはどこも悪くない。そうなると、後は「精神」だけである。女医はクロエに精神分析医に看てもらうよう薦めた。
 「先生は女性がいい? それとも男性?」
 こうしてクロエは、街中のとある建物の前にやって来た。今日は精神分析医による初診察の日である。グルグルと渦巻く螺旋階段をひたすら上り、やって来たのは問題の分析医の部屋。迎え入れたのは穏やかな紳士ポール・メイエル(ジェレミー・レニエ)である。
 ここで彼女は、少しずつ自分自身を語り出す。ポールの元に来る理由となった腹痛のこと、働きに出ることもままならないメンタルの不安定さ、彼女が母親に とっては望まれてなかった妊娠だったこと…。問わず語りにつぶやき続けるクロエの言葉を、ポールはただ聞き続ける。そのうち
クロエは夢にポールが出て来る…などと語り出すに至るが、彼女が彼に惹かれているのは明らか。彼女を見守るようにひたすら話を聞いてくれるポールのおかげで、クロエの精神状態はどんどん好転していった。
 ところが、ついに腹痛もなくなったと彼女が打ち明けると、ポールは素っ気なく突き放すように告げるのだった。「これで診察は終わりです」
 それどころか他の精神分析医を紹介すると言い出すポールに、クロエは大いに戸惑う。だが、別れのつもりで手を握ったとたん…それまで耐えていたポールの 想いが溢れた。実はポールもクロエにずっと惹かれていたが、分析医として何とか踏みとどまっていた。それがついに限界に来て、抑えきれなくなってしまった のだ。
 こうして、二人は恋に落ちた…。
 それから間もなく、たくさんの引っ越し荷物を携え、高級マンションの前にやって来たクロエの姿があった。ポールとの交際をスタートさせたクロエは、ついに彼とこのマンションの一室で同棲に踏み切ることにしたの だ。そんなクロエが飼い猫を連れてマンションの玄関に佇んでいると、このマンションの住人だというローズというオバチャン(ミリアム・ボワイエ)が話しか けてきた。最初は猫談義で意気投合と思いきや、なぜかオバチャンはサッとソッポを向いてしまう。だが、クロエは気にしない。今日から楽しい生活が始まるの だ。
 だがそんなクロエの華やいだ気分も、彼女がポールの私物が入った段ボール箱を覗いた瞬間にたちまち翳ってしまう。段ボール箱にはポールの古いパスポートが入っていたのだが、そこにはなぜか「ポール・メイエル」ではなく「ポール・ドゥロール」という名前が記されているではないか。
 彼はポール・メイエルではないのか?
 帰って来たポールにこの疑問をぶつけたクロエは、彼に両親の離婚からこうなったことを弁明されて黙らざるを得なくなる。さらに「もう私に隠し事はしない でくれる?」との頼みに、「もう僕の私物を探るのはやめてくれる?」とポールに反撃されてぐうの音も出ないクロエだった。
 それでも不安は続く。
 美術館でお客の監視をする仕事に就くことになり心機一転のクロエだったが、通勤途中のバスから奇妙な光景を目撃して唖然。何と、あのポールが女と一緒にいるではないか。
 その夜、クロエは食事中にさりげなくポールの当日の行動を訊いてみたが、彼は病院から一歩も出ていないと平然と答える。だが、それに納得出来るクロエで はない。ますます不信感に囚われたクロエは、バスからポールを目撃した問題の場所へと出かけて行く。すると、その建物にはルイ・ドゥロールという精神分析医の事務所があった。イヤな予感がしたクロエは、偽名を使って電話でこの医師の予約をとる。
 こうして当日、クロエがそのルイの事務所を訪ねてみると、そこは何とも仰々しくカッコつけた大袈裟な部屋である。誠実でシンプルそのもののポールのセンスとは、まるで正反対だ。
 だが、実際に姿を見せたルイ自身(ジェレミー・レニエ)は、ポールと瓜二つの人物だった…!

見た後での感想

 実はこれはお話のほんのさわりの部分に過ぎないが、これ以上ストーリーを紹介していくのがいいのかどうか分からないので、このへんで止めておく。実はこの後もサプライズがいくつかあるのだが、どれが本当の意味でのサプライズなのか僕にもよく分からないのだ(笑)。
 作品としてはジュリアン・デュヴィヴィエの遺作「悪魔のようなあなた」(1967)などのような、フランス映画伝統のサスペンス・ミステリー映画を思わせる語り口。その手の作品ではすでに「スイミング・プール」でもイイ味出しているフランソワ・オゾンなので、安心して楽しく見ていられる。
 最初はいきなりアソコのどアップ(笑)がボカシ入りで出て来たので恐れ入ったが、その後は…それこそ先に挙げた「悪魔のようなあなた」のような、きわめてオーソドックスな語り口。そもそもヨーロッパの映画にしては屁理屈こねたり抽象表現などに逃げない作風で、「8人の女たち」などを見てもハリウッド映画に関心がありそうなオゾンだから、ちゃんと面白い映画に作っているのである。
 あとは、ナゾに満ちたお話がどのように着地するか…が気になるところだが…。


 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 



オーソドックスが終盤に一転

 まず、冒頭に出て来る「リング」(1998)の貞子みたいな髪型(笑)のヒロインからして、怪しさ満点。そして彼女が精神分析医のもとに通うことになって、出てきた螺旋階段もまた意味ありげ。なるほど「遺伝子」のメタファーなのか…とはかなり後から気づいたものの、映画で螺旋階段が出て来たらまずはミステリーっぽい。それだけで、ますます怪しげな雰囲気満載である。
 だが、お話の進行としてはまことにオーソドックス。僕が先に「悪魔のようなあなた」の名を挙げた所以である。ヒロインが二人の似て非なる男のどちらにも惹かれてしまうあたり、「いかにも」なフランス映画っぽさも漂っている。正直言ってヒロインの言動には多少の難は感じていたものの、語り口としては巧みで手堅い印象を受けていた。
 ところが、それがいきなり終盤で一転。二人の男の片方が撃たれて死ぬわ、いきなりヒロインにとんでもない異変が起きるわ、そこからアッと驚くオチがつくわ…ともうハチャメチャ。実は「双子」なのは男の方じゃなくてヒロインじゃないのか…というのは、途中にオゾンがちゃんと絵解きしてくれているので薄々感づいていたものの、どうやってそこに結論を持っていくのかと思いきや…いやぁ、力業といえば聞こえがいいが、もうほとんど無理矢理ですやん(笑)。話の持っていきようがかなり乱暴なのだ。しかも、いくら考えても話の辻褄が合わない気がする。…というか、合わせる気がない(笑)みたいだ。これは一体どういうことなのだろう。
 実はここだけの話、本作を見ていてずっと頭に浮かんでいたのは、あまり出来がいいとは言い難い別の作品だった。それは、シャロン・ストーン主演のアメリカ映画「硝子の塔」(1993)。こちらもサスペンス・ミステリーではあるが、高層マンションに引っ越して来た女を巡る連続殺人を描いたもの。「のぞき」を題材にしたサスペンスと言っても、ヒッチコック「裏窓」(1954)を引き合いに出すのもどうかと思われる。「氷の微笑」(1992)で人気爆発直後のストーンが「売り」の、いささか下卑たエロ・サスペンスだ。正直言って、他の作品にオマージュされたり、影響を与えるような映画ではない。監督のフィリップ・ノイスにとっても、決して名誉になる作品ではない。そんな取るに足らない作品を、オゾンが気にかけるはずもないように思える。


アメリカ映画の持つ「臆面のなさ」にあやかって
 だが、本作が始まってすぐにヒロインがマンションに引っ越して来る場面が出て来て、「隣人」となるオバチャンとのやりとりが始まる…というくだりで、なぜか僕の脳裏には「硝子の塔」のイメージが浮かんだ。同じような引っ越しで物語が始まるからだろうが、それだけでなく全体に流れるトーンに理屈抜きで「共通する何か」を感じたのだ。そもそも、開巻まもなくアソコのどアップが出て来たりするあたりも、ストーン主演で下世話な「硝子の塔」とイイ勝負な気がする(笑)。
 また、ここでアメリカ映画が連想されたからついでに言うと、本作には全体的に何となくアメリカ映画の臭いが漂うのが不思議だ。全編にエルヴィスの歌が印象的に流れ、急展開の終盤ではいきなり「エイリアン」(1979)を思わせるようなSFXを用いる場面が出て来る。とどめは、ハリウッド女優ジャクリーン・ビセットの唐突な登場(!)である。これは事前に知らなかったので、本当に驚かされた。これって一体何なのだろう。
 そもそも前述したように、終盤に双子男の片割れが射殺されてから「エイリアン」モドキのSFX場面が出て来て…とジェットコースター風な急展開を見せるあたり、まるで映画のジャンルが超自然ホラーやSFサスペンスに転換したかと思わせる無茶さ加減。その後、どう考えても辻褄が合っていない感じを拭えないのも、先に述べた通りである。
 語り口のうまさでは定評のある映画巧者のフランソワ・オゾンにして、この…良く言えば力業、悪く言うと乱暴な展開はかなり意外だ。だが、僕は個人的にこ の展開「アリ」だと思う。また、話に辻褄が合えばいいってもんでもないとも思っている。ヨーロッパの映画界にあって、オゾンは屁理屈並べたり抽象的な表現 でごまかしてマスターベーションみたいな映画を作らない、面白い映画を作る希有な人物。そんな彼なら、理屈など蹴散らかしてダイナミックなパワーで押しまくる作品を志向してもおかしくない。いや、むしろそうしたがるのではないか。
 今回の作品をご覧になった方はお分かりになったと思うが、基本的に本作のネタは、手塚治虫「ブラック・ジャック」に出てくるピノコ…というよりピノコ誕生の原因である「畸形嚢腫」という症例が基になっている。実は手塚はこれに先立って描いた「嚢(ふくろ)」と いう短編でも「畸形嚢腫」を題材にしており、こちらの方がピノコの原型にあたると思われる。僕はたまたまこの「嚢」を読んでいるが、「2重螺旋の恋人」は どちらかといえば「嚢」の物語の方に近いように思われる。「2重螺旋の恋人」には原作小説があるようだが、原作からして「畸形嚢腫」をネタにしているのだ ろうか。だとすると、ひょっとしたら原作者はこの手塚作品を何らかのカタチで読んだことがあるのかもしれない。
 それはともかく…そういう意味では、
日本の我々にとってこのネタはピノコの存在のおかげである程度知られ た題材のように思われる。だがピノコを知らないフランスの人々にとっては、このネタはかなり非凡で驚かされるものではないだろうか。そんなある意味では ショッキングで奇異なネタを料理するにあたって、オゾンもまたそれなりに腹をくくった可能性がある。元々がアッと驚くネタなのだ。ならば中途半端ではな く、大いにエグく大胆に作らないと意味がない。そうでないと勢いが出ない。フランソワ・オゾンは、本作を作るにあたってそう思ったのではないか。
 そういった意味で、オゾンは本作ではアメリカ映画の持つ「臆面のなさ」にあやかって、理屈抜きに面白い映画を作ろうとした可能性はあるんじゃないだろうか。実際、緻密さよりもダイナミズムが勝った本作には、僕もゲラゲラ笑いながら無責任に楽しんだ。ケレン味たっぷりにただ観客にショックを与えるだけの「コケ脅し」エンディングにも、僕は大笑いしてしまった。映画としての面白さの点では、文句なしにピカイチなのである。少なくとも、僕は大いに気に入った。

大物女優起用に見るオゾンの「本気」
 それにしても、唐突なジャクリーン・ビセットの登場には、僕は驚かされると同時に不思議な気分になった。正直に言って、ここにハリウッドから わざわざビセットを連れて来る意図が分からない。同年代のフランス女優など掃いて捨ててもまた湧いて出て来るぐらいいるし、それを凌駕するほどビセットが 独自の個性や強烈な演技力を持っているとは思えない。これほどの「超大物」を海を越えて連れて来なければならない理由が、まったく見当たらない。せいぜいフランス語が出来る年配のハリウッド女優…ぐらいしか、その理由が見出だせないのだ。やはりオゾンの「ハリウッド志向」が、彼をしてビセット起用に踏み切らせたのだろうか。
 そこでフト思い起こしたのが、ビセットがかつて出演したフランソワ・トリュフォーアメリカの夜(1973)のことだった。
 作品的にはあまり恵まれなかったビセットにとって、「アメリカの夜」は生涯の代表作のはずだ。そしてトリュフォーといえば、彼が生涯をかけて師事した ヒッチコックが連想される。だとすると、極めて遠回しなやり方ではあるが、オゾンはジャクリーン・ビセット起用によって…フランソワ・トリュフォーを介し たカタチでのヒッチコック映画へのオマージュ(笑)を試みたのではないだろうか。
 あるいは、ビセット出演の「アメリカの夜」が映画製作の物語だったことから、オゾンなりの「映画への愛」を表明しているのではないかとも考えられる。
 考えてみれば、確かに本作にはさまざまな映画の「断片」や「残像」が垣間見える。ヒッチコック的なウツワはまず間違いないし、「リング」や「硝子の塔」 はともかく(笑)「エイリアン」風SFXまで動員してお客さんを楽しませようとしている。そんな中に、何の脈絡もない…そもそもフランス女優でもないジャ クリーン・ビセットの投入である。何か意味があると考えるのが自然だろう。
 ここでのジャクリーン・ビセット起用は、「映画」としての面白さを追求するフランソワ・オゾンの「本気」を表明したアイコンだと思うのだが、いかがだろうか。



 

 


 

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