「グッバイ・ゴダール!」

  Le Redoutable (Godard Mon Amour)

 (2018/08/27)



見る前の予想
 ジャン=リュック・ゴダールと彼の「ミューズ」だったアンヌ・ヴィアゼムスキーとの関係を描いた作品がやって来る…と聞いた時、一応「映画ファン」を自認している僕としては大喜びかと言えば、ぶっちゃけ微妙な気持ちだった。
 映画づくりや映画人の裏話は大好物だし、ゴダールと当時ツルんでいたフランソワ・トリュフォーも大好き。二人のどちらにも使われたジャン=ピエール・レ オが出て来たら、なおさら嬉しい。おまけにゴダールが最初の「ミューズ」であるアンナ・カリーナではなく今回のアンヌ・ヴィアゼムスキーとつき合っていた 頃の話となれば、1960年代後半ぐらいが時代背景ということになるはず。1960年代好きの僕としては、時代をリアルに描いてくれればそれだけで御馳走であ る。
 だが、一方でトリュフォーと対立したゴダール側の話となると、トリュフォーが不当にコキ下ろされそうなイヤな予感がする。そしてゴダールがアンヌ・ヴィ アゼムスキーと組んでいた時代って、確かゴダールが革命思想などに傾倒したあげく、映画に関わった人々全員で平等に民主的に作る…みたいな馬鹿げた試みの「ジガ・ヴェルトフ集団」とかいう無茶な映画づくりに突き進んでいた頃のはず。それを聞いただけで、この時期のゴダールはロクなもんじゃないと思う。
 それより何より…僕はそもそもゴダール作品が大キライで、大した本数も見ていないし、白状すると見ても何だか分からないモノが多い。ゴダール愛好者には バカにされそうだが、正直言って分からない。実際多くの作品がちっとも面白くないのである。そして、その風貌、屁理屈を並べる言動と作品のつまらなさから、僕にはゴダールがイヤな奴だとし か思えなかった
 そんなゴダールの話を誰が撮ったのかと思えば、何とミシェル・アザナヴィシウスではないか!
 サイレント映画を模したアーティスト(2011)を撮って、フランスの映画人のくせにハリウッドでアカデミー賞作品賞まで取ってしまった男である。この男が撮るなら難解で退 屈ということはないだろうが、反面この男がゴダールを撮るということには違和感しかない。ゴダールだよ、ゴダール。まぁ、リュック・ベッソンがゴダールの 映画を撮るよりはマシかもしれないが(笑)…どうなんだこれは。
 そんな訳で悶々としていたが、結局、最後は意を決して劇場に足を運ぶことになった。

あらすじ
 彼と彼女は、知り合ってすぐに惹かれ合った。彼、ジャン=リュック・ゴダール(ルイ・ガレル)、36歳。彼女、アンヌ・ヴィアゼムスキー(ステイシー・マーティン)、19歳。ゴダールの新作「中国女」撮影現場でのことである。
 アンヌを主演に撮ったこの作品は、毛沢東思想へのゴダールの傾倒ぶりを反映した作品である。世界的な注目を集める鬼才ゴダールは、あくまで自信満々だ。 そんなゴダールへの尊敬の念もあり、アンヌは彼にゾッコン。ごくごく自然に二人は結婚することになるが、アンヌは幸せだった。
 ゴダールの友人であるジャン=ピエール・バンベルジェ(ジャン=ピエール・バンベルジェ)とミシェル・ロジエ(ミシェル・ロジエ)の夫婦らと一緒の食事 も楽しい。新作「中国女」を伴い、夫婦揃って招かれた映画祭での騒ぎも愉快だった。第一線の映画作家ゴダールの妻として、日々これ刺激的な生活である。
 だが敬意を持って招待されたその映画祭の主催者は、「中国女」上映中に居眠り。劇場からの途中退席者も目立つ。また、中国本国での上映を目論んで中国大使館に掛け合うが、冷たくあしらわれる始末。公開されたらされたで、「中国女」は新聞各紙でことごとく酷評を浴びた
 それでも、構うものか。こちらは天下のゴダールである。誰が何と言おうと世界的な天才監督なのである。少なくともアンヌはゴダールに夢中で、彼と一緒の生活にも大いに興奮していた。
 だが、多少なりとも酷評がこたえたのか、ゴダールの中で何かが変わりつつあった。もちろんプライドの高いゴダールのこと、人に動揺を見せたりはしない。 だが、その心は千々に揺れているのか、「ル・モンド」の書評を書いているというジャン=ピエール・ゴラン(フェリックス・キシル)の理屈っぽい意見にやた らと耳を傾け、どんどん革命思想にも傾倒していく。
 時代もまた時代で、あっちこっちでデモが起きて機動隊との小競り合いが発生。世の中は政治の季節を迎えようとしていた。もちろんゴダールは応援する気マ ンマンで、アンヌを連れてデモに紛れ込み、学生集会へも参加する。だが、ゴダールは威勢はいいものの、警官たちを前にするとビビるばかり。集会でも最初は 大いに歓迎され、スピーチを頼まれてゴキゲンになるものの、すぐに若者たちに批判をくらいシッポを巻いて退散せざるを得なくなる。それもそのはず、ゴダー ルもすでに30代も後半のオッサンである。さすがに自分が浮いていることに気づかざるを得ない。そのせいか、よせばいいのにますます革命に傾倒するゴダー ルであった。
 そんないろいろな意味で「熱い」夏、アンヌはジャン=ピエールとミシェルの夫婦から、カンヌにバカンスに行こうと誘われる。ところがゴダールは、いまや 「権威主義」化したカンヌ映画祭打倒を叫んで中止に追い込もうと目論んでいるところ。当然、アンヌが「ブルジョア」的にバカンスでカンヌに行くなど、彼が 喜べるはずもない。だが、アンヌは初めてゴダールに反抗。ジャン=ピエールとミシェルと共に、カンヌへとお楽しみに出かけて行った。
 海辺の別荘でのんびり過ごす日々。アンヌやジャン=ピエールとミシェルの夫婦はゴダールの企てなど話半分ぐらいに聞いていたのだが、それは甘かった。ラ ジオから流れるニュースによれば、ゴダールは仲間のフランソワ・トリュフォーやアラン・レネと共に、実際にカンヌに乗り込んで映画祭を中止に追い込んでし まったではないか…!


恥ずかしくも貧弱なる、わがゴダール体験
 前述したように、僕はゴダール作品が大キライである。
 いや、大キライというのは正確ではないかもしれない。キライでない作品もあるし、大いに気に入っているものさえある。そもそも、ゴダールの何たるかを語 れるほど、多くの作品を見ていない。そして、仮に大多数の作品を見ていたとしても、それにちゃんとした評価を与えられる鑑賞眼があるとも思えない
 実はここで自分のゴダール知識を暴露するのは、かなり恥ずかしいものがある。それでも、それを語らないで知ったかぶりな発言をするよりは、自らの無知を 白状しておいた方がいいだろう。先にそこに触れておかねば、本作を語るのも不適切な気がする。そんな訳で、わがゴダール体験についてしばらくお付き合いい ただきたい。
 僕が長年の映画ファンであるとはいえ、いわゆる「シネフィル」的な映画好きを出自としていないのは、このサイトをご覧いただいている方ならすでにお分か りのことと思う。元々が小学生中学年ぐらいからテレビの洋画劇場を見始めたのが始まりで、中学生ぐらいからアメリカ映画を中心に映画館で見始めるように なった。それがちょうど「ジョーズ」(1975)大ヒットでスピルバーグ一派が出て来た頃と重なって、その手のニュー・ハリウッドの連中を中心に映画を見 るようになった訳だ。それでも高校生ぐらいまでは、せいぜい月に1本ぐらいしか映画館では見れない。映画館でバンバン見るようになったのは、大学に入って からである。
 そうなると、今度はハリウッド映画だけでは足りない。それに一応映画もいろいろ見て来て、好奇心も旺盛になる。ちょうど生意気なことが言いたい盛りでも ある。僕が柄にもなくヨーロッパ映画やらアメリカのインディーズ映画、それ以外の地域の映画まで手を出すまで、大して時間はかからなかった。
 おまけに岩波ホールの成功で、各地にミニシアターがチョロチョロと出始めた。ミニシアターにはハリウッドの娯楽映画は似合わない。圧倒的に非アメリカ映画やアメリカでもインディーズ映画が主流となる訳である。
 僕が社会人になってから数年で、今度はバブル景気が始まった。ジャパン・マネーが世界を席巻するや否や、世界の映画がどんどん日本に流れ込んだ。おまけ にホームビデオの普及もあって、ハリウッド娯楽作以外の作品まで日本の業者がバンバン買い漁った。こうした恩恵を、僕も十分被った訳である。
 そんな世界から押し寄せる映画の中に、ジャン=リュック・ゴダール作品もあった。
 だが、個人的にゴダール作品との出会い…というと、またしても小学校高学年の頃にさかのぼらなくてはならない。先に述べた、テレビ洋画劇場にかじりつい ていた時期だ。何しろ毎曜日に各テレビ局で争うように洋画劇場を放送していた。そのほとんどに、僕もつき合っていたのである。おまけにそれでも足りずに、 お昼の洋画劇場にも手を出していた。そんな中に、TBSテレビが放映していた「3時のロードショー」もあった。
 正直言ってこのタイトルが正しいかどうか、僕は確信が持てない。放映していたのが土曜日か日曜日かもハッキリしない。土曜日ならNETテレビの「デン助 劇場」からチャンネルを変えて見ていたのだろうし、日曜日なら東京ではNETで放送していた大阪・毎日放送の「がっちり買いまショウ」〜「ダイビングクイ ズ」からの流れで見ていたはず。ともかく東京ガス提供だったことだけは覚えている。そのワクではアラン・ドロン主演の「黒いチューリップ」(1963)だ とかアーウィン・アレン製作の「失われた世界」(1960)、ジョージ・パルが作った「タイム・マシン」(1960)…などなどを見て大いに楽しんでいた のだが、中でも群を抜いて印象に残っていた作品がある。それがゴダールが商業大作を撮ったと言われる「軽蔑」(1963)だ。
 ブリジット・バルドーミシェル・ピコリジャック・パランスまで出て来る豪華キャスト。映画づくりの話だから僕好みのテーマと言いたいところだが、当 時の僕は小学生でそんなこと知る訳ない。毎週毎週見ていたワクだから習慣的に見ていたに過ぎない。だが、この作品には強烈な印象がある。
 もちろん、その最大のものはバルドーのヌードだ。うつぶせになってお尻を出しているバルドーは、小学生には刺激が強過ぎた(笑)。だが、それよりも印象 深かったのは、意外にもラストシーン。海辺でのあの場面を、僕はちゃんと覚えていたのだ。そして、ジョルジュ・ドルリューの音楽も覚えていた。大人になっ て「軽蔑」を改めてテレビかビデオで見た時、それらをハッキリと思い出したのである。おそらく初見の記憶がかなり鮮烈なものだったからだろう。何より、小 学生だったこの僕が、「軽蔑」を最後まで退屈せずに見ていたのである。やはり、そこには何か特別なものがあったとしか思えない。
 おそらくはその次のゴダール体験は…というと、大学に入った頃にテレビか名画座で見た「勝手にしやがれ」(1959)、「気狂いピエロ」(1965)… といったところじゃないかと思う。だが、それらはあくまで「名作」をお勉強させてもらったレベル。ルイ・マル「死刑台のエレベーター」(1958)など を見たのと同じようなものだ。ただ見たというだけで、退屈はしなかったものの別に何とも思わなかったはずだ。
 では、初めてちゃんと映画館でゴダールと対峙したのはいつか? それは大学最後の年あたりに見た「パッション」(1982)だったと思う。セゾン系のミニシアターで上映されたその映画を、僕は結構期待して見に行った記憶がある。
 イザベル・ユペールハンナ・シグライエジー・ラジヴィオヴィッチ…というヨーロッパの多彩なスターたちを起用して、ゴダールが描くのは絵画作品を映 像で再現する映画の製作現場。トリュフォーアメリカの夜(1973)を引き合いに出すまでもなく、映画づくりを描く映画は僕の御馳走だ。こりゃどう 考えてもハズしっこない。いくらゴダール作品に疎いとはいえ、僕もこの頃には世間でゴダール作品がどう捉えられているかは分かっていたし、相当「難解そ う」だとは分かっていた。だが、腐っても僕がこよなく愛するトリュフォーと一時はスクラム組んでいたゴダールだ。おまけにこのメンツ、この題材なら退屈な 映画になりっこない…と高をくくっていたのだった。だが、その結果は…。
 いやぁ〜、実につまらない
 もちろん世のゴダール愛好者はバッチリ内容を理解できているのだろうし、面白いと思っているのだろう。申し訳ない。僕は一応こんなサイトを20年近く やっていて、何だかんだ映画について語ったりもしている。だが、正直言ってこの映画が何を言いたいのかサッパリ分からなかった。そう、僕はバカなんです (笑)。これが理解出来ないアホなんです。もっと親切な言い方をすれば、僕にはこうした作品を鑑賞するにふさわしい、感性も教養も持ち合わせていないと言 うべきだろう。ただ、頭のいいゴダール・ファンがこの作品を一体どう評価しているのか、ぜひ一度キッチリと聞かせてもらいたいものだけれども(笑)。
 でも、退屈なものは退屈なのだ。このメンツ、この題材で、どうやったらつまんなくなるのか分からないのだが、とにかくつまんなかった。そしてこの瞬間から、僕のゴダール・アレルギーが始まったと言える。
 その後も「カルメンという名の女」(1983)、「ゴダールの決別」(1993)…と途切れ途切れながら劇場に見に行ったが、その都度「見なきゃよかっ た」と痛感させられる。「カルメン〜」はマルーシュカ・デートメルスが魅力的だったが、それしか覚えていない。「決別」はジェラール・ドパルデューが出て いるのだから、今度こそ見れる映画になっているだろう…と見に行ったものの、結果的に僕にゴダール作品との「決別」を決心させた作品だ(笑)。
 僕もいろいろ見ていく中で、どうしてもダメな映画作家というのは何人かいた。例えばポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラとか、ロシアのアレクサンド ル・ソクーロフとかは、見ていて5分から10分で大体眠ってしまう。だが、さすがにゴダールみたいな有名どころがダメ…とは、「映画ファン」としてはなか なか大声で言いにくい。
 それでも恥を忍んで、今回はハッキリ言わせていただく。僕はゴダールが分からなかったし面白いと思っていなかった。僕にとってゴダールは鬼門だった。
 その後、1996年にリバイバル公開された旧作「ワン・プラス・ワン」(1968)を見に行ったのも、ゴダール作品としてではなくローリング・ストーン ズのドキュメンタリー作品としてだった。途中でヘンな革命のコントみたいなのが入って来るが、そこは気にしない(笑)。それを完全に無視してしまえば、 「悪魔を憐れむ歌」制作過程を記録した貴重な映像として極めて興味深い。意外に音楽ドキュメント撮らせればゴダールはイケるかも(笑)…と改めて思わされ た。ビートルズ「レット・イット・ビー」(1970)もゴダールが撮っていたら、ビートルズはあんなひどい解散をせずに済んだのかもしれない…などと直 感的に思ったりもした。
 そんな僕がゴダールにハッと驚かされたのが、2001年になって初めて日本公開されたはなればなれに(1964)だった。
 またまたのゴダールである。この期に及んで、僕だってもう期待のカケラも持ち合わせちゃいなかった。それなのにわざわざ見に行ったのは、一体どうしてだ ろう。チラシやポスターのビジュアルに、何か今までとは違うモノを感じ取っていたのだろうか。だとしたら、その予感は的中した。果たして「はなればなれ に」は、僕のそれまでのゴダール体験とは大きくかけ離れたものだった。
 この瑞々しさ、鮮烈さ。何とフレッシュな映画なのだ。どこを切っても「映画」だと思わされる新鮮さ。
 心底ビックリした。理屈ではなく「映画」としての鮮度が高かった。それは、遠い昔の子供時代に見た「軽蔑」の鮮烈さを僕に思い起こさせた。
 その頃には、さすがの僕もゴダールがどのような映画人生の軌跡を辿って来たのか、何となく雰囲気だけでも分かってはいた。ゴダールのことは好きじゃなく ても、大好きなトリュフォーの軌跡を追っていけば、それなりに情報は入って来るものだ。それから考えると、どうやら僕は1960年代後半あたりから過激に なり、いわゆる一般的な「映画」から離脱していった以降のゴダールについていけていないみたいだった
 そもそもゴダールみたいな特異な映画作家が、「ジガ・ヴェルトフ集団」などという集団合議制みたいなカタチで映画を作ろうとしていたこと自体がオカシ イ。そもそもゴダールでなくても、あんな映画の作り方はないだろう。どう考えてもバカな話だ。何でそんなことをしようとしたのか、まったく理解出来ない。 気がふれたとしか思えない。
 その後も何本かゴダールの1960年代の旧作を見ているはずだが、正直言ってほとんど内容は覚えていない。たぶんつまらなかったからだろう。それでも ちょっと視覚的にシャレた感じに見れるぶんだけ、「パッション」以降の比較的最近の作品よりはマシだったが、見ていてよく分からない点に変わりはない。せ いぜい「シブヤのミニシアターが似合う映画」程度のイメージしかない。
 まして、1980年代以降の作品と来たら…。結局、後年のゴダールは広い観客層に向けて映画を作ることを放棄して、自分に忠実な シンパだけに向けた映画づくりをしているように見えてしまう。まぁ、それを言ったら「夢」(1990)以降の黒澤明あ たりも同じようなものなのだが…。そ ういうのって握手会に来るオタクだけを相手にしているAKBや乃木坂みたいなもん(笑)に思えて、僕などからすればちょっと不健全な感じに思えてしまうの だ。音楽を聴きたいんじゃなくて握手したいがためにCDを買うAKBみたいに、映画を楽しみたいんじゃなくてこれが理解出来るワタクシ…みたいな優越感に 浸りたいがために映画館に行く…みたいな。偏見だろうねぇ、たぶん。でも、そんな風にしか思えない。
 ぶっちゃけた話、トリュフォーとゴダールと並べてみると…映画作家としても、そこから伺える人となりからいっても、僕は圧倒的にトリュフォーが好きである。ゴダール映画は分からない映画が多いし、何だか理屈っぽくて気取ってるような敷居の高さを感じるし、何より男としてのキャパの小ささを感じさせる本人の顔が気に入らない(笑)。
 だが、少なくとも…非常に乏しいゴダール体験にも関わらず、僕はどこかで薄々感づいていたのではないか。ひょっとしたら、純粋な意味での「映画」的感覚からいうと、ゴダールの方が上なんじゃないか…と。
 いや、どっちが上か下かなどと言うのはナンセンス…と百も承知なのだが、それでも映像としてのインパクトや、それを捉える才能は素晴らしいモノを持って いたのではないか。認めたくないが、認めざるを得ないところがあったのではないか。それはあのクソつまらないと思わされた「パッション」でさえ、チラチラ とその片鱗は伺えていたのではないか。「ワン・プラス・ワン」だって、ただストーンズが出ていたから興味深かった訳ではないんじゃないのか。ただのストー ンズのコンサート・フィルムを見に行って、死ぬ程つまらなかったことだってあったではないか。
 その後に僕が見たゴダール作品といえば、世界的な名匠監督ばかりかき集めて10分の短編を撮らせた10ミニッツ・オールダー/イデアの森 (2002)の最終話「時間の闇の中で」ぐらい。ハッキリ言って、またまた訳が分からないゴダール節である。だが、その印象は悪くない。分からないゴダー ル映画も、10分だけなら見ていて邪魔にはならないのだろうか(笑)。だが、たった10分でもダメなものはダメなのだから、やはりどこかに「映画」的な魅 力はあるのだろう。そんなことを改めて感じさせられた。
 総じて僕のゴダール観は、トリュフォーと袂を分かったあたりからしてイヤな奴で、映画の作風から考えても小難しい屁理屈をこねくり回すクソ野郎。だが、 初期作品の「映画」としての鮮烈さから見ると、センスや才能に卓抜したものがあるのは間違いないようだ。ただ、そのキャリアの中盤あたりに分断された時期があ り、それを超えて今日に至るまでの作品には僕は敷居の高さしか感じられない。もっと突っ込んで言わせてもらえれば、高齢化してからのその敷居の高さには、 どこか「老害」的なイメージも否めない気がしてしまう。個人的にはあまりつき合いたくない男…といったところだろうか。もちろん、これはあくまで極私的意 見でしかないことは言うまでもないことである。
 そんな訳で、ここまで読んでいただいたみなさんには「何をタワゴトを言っているんだ」とバカにされそうだし、これっぱかししか見ていないのにイッチョマ エに語るんじゃねぇと言われそう。だが、僕のゴダール遍歴はざっとそんなところ。ここに書いたことは、恥ずかしいことも含めてウソ偽りはない。
 キライなんだけど、どこか一目置かずにはいられない存在。目を背けたいのに、何となく横目で見ずにはいられない…それが僕のゴダールに対する、偽らざる気持ちなのである。


見た後での感想

 本作を見たうえで、感想などを語る前にまず明らかにしなくてはならないことがある。
 それは僕としては最も大事で、まず何より気になっていたことなのだが…本作にはフランソワ・トリュフォーの姿は一切出て来ない。そしてゴダール作品にも 出演していたジャン=ピエール・レオも出て来ない。トリュフォーの名すら、カンヌ映画祭中止のくだりでチラリと出て来るだけ。レオに至っては名前すら出て 来ない。それどころか、彼の映画に関わった撮影監督のラウール・クタールら知っているスタッフの名前もほとんど出て来ない。
 せいぜい出て来るのは、悪名高い「ジガ・ヴェルトフ集団」による映画づくりをゴダールにそそのかす役割で、まるで川平慈英みたいな顔(笑)をしたジャン =ピエール・ゴランが出て来るぐらい。これがまた何とも胡散臭い雰囲気のイヤな奴に描かれていて、僕の抱いていたイメージにピッタリだったのだが、まぁそ の知名度たるや一般的にはないに等しいだろう。
 有名どころではベルナルド・ベルトルッチは出てきたものの、彼は別にゴダール・ファミリーとは言い難い。そもそも、作り手も「どうでもいい」感をアリアリと出してしまっている(笑)。ゴダールを描いた映画なのにも関わらず、彼の周辺を彩る人脈は描かずにスルーしている。これには正直驚かされてしまった。
 まぁ、トリュフォーについては描かないでくれたおかげで、僕としては安心して見られる映画になったのは事実だ。さすがにトリュフォーが出て来たら、僕も心穏やかではいられなかったからねぇ。
 そんな本作は、僕にとって何とも不思議な映画鑑賞となった。共感するような、反発するような…それでいてまた再度共感するような…そんな何とも複雑な心境になる映画
 まずは僕が本作を見ていてどんな気持ちになったのかを、順を負って説明していきたい。



 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 



グッバイ・ゴダール! フェーズ1

 本作はその時代背景からして、ゴダールが「政治の季節」にぶつかっていた時期の話ということになる。
 今回改めて「なるほど」…と思わされたのだが、当時はゴ ダールだけが政治の季節に突っ込んでいた訳ではない。世界的にラジカルな流れがあって、いろいろ権威やら何やらがひっくり返っていた時期だったのだ。本作 はそのあたりの事情を、改めて僕らに目で見えるカタチで教えてくれる。
 劇中で売店に新聞の広告が貼り出されていて、そこに「リンゴ復帰!」などと書かれているあたりなど、お〜っと思わされる。この「リンゴ復帰!」とは、お そらく1968年のビートルズ「ホワイト・アルバム」レコーディング最中に、リンゴ・スターが一時的にグループを離脱した際のことをいっているのだろう。 「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の演奏についてポール・マッカートニーと諍いを起こしたリンゴが、ビートルズを辞めると抜けてしまった…という一 件である。結局、他の3人が必死に慰留して事なきを得たのだが、実はこれがビートルズに亀裂が入った最初の事例となった訳だ。ビートルズで最も温厚なリン ゴにしてこれである。1960年代の激しい変革の一端を間違いなく担っていたビートルズだったが、そのビートルズ自体も内面は激しく揺れ動いていた訳だ。
 そしてゴダールもまた、時代の変革を担っていた立役者のひとりだった。
 本作はまず、そんな当時の空気を伝えてくれる作品である。1960年代が大好きな僕にとっては、そこが無条件に嬉しい点だ。
 この映画では、決してゴダールがカッチョよく描かれない。むしろそのカッコ悪さが強調される。本来、ゴダールは世界的な名士で時代の変革者としてカッコ いいはずで、そこにまだ19歳のヒロイン・アンヌも惚れ込んでしまう。だが、実際のゴダールは必ずしもそんな素敵なカルチャー・ヒーローではない。時代の 波に乗ったつもりの映画を作って周囲からも持ち上げられながら、実はそれほど人から理解されている訳ではない。
 大体、ゴダール自身が口で言ってるほど自信満々で はなくて、ジャン=ピエール・ゴランのようなインチキ臭い輩の口車におめでたくも乗せられてしまう。変革者を自認して若者たちを応援していたゴダールだっ たが、当の若者側からは「過去の人」的に吊るし上げられてしまう哀しさ。「変革者」としてのゴダール本人もそんなもっともらしいものじゃなくて、テ メエは正面切って逆らうほどの度胸もないくせに、アンヌには警官に従順過ぎると文句を言う情けなさ。レストランでただ高齢者だというだけでケンカを売って引っ込みがつかなくなった り、自作が上映されるはずだったカンヌ映画祭がぶっつぶされて意気消沈する友人を無慈悲にコキ下ろすデリカシーのなさ。ハッキリ言って、「口だけ番長」の 典型である。中身は空疎そのもの。人として、男としては実にイヤな奴だ。
 正直に白状すれば、映画が始まってからどんどん暴き立てられるゴダールの人となりは、そのまま僕がゴダールに抱いていたイメージそのもの。演じるルイ・ ガレルも、ゴダールの雰囲気をうまく捉えていて秀逸。そのガレルにちょっとした愛嬌があるから見ていられるものの、ゴダールそのものは実に不快な男に描か れている。まさに、思ってた通りにコッケイでイヤな奴である。大体、ブルジョア出身のく せにマオイストという矛盾に、頭がいいと自認している割には気づいていない。いや、気づいているくせに見て見ぬふりをしている。頭でっかちでプライドばか り高い卑怯者である。男の風上にも置けないクズ野郎だ。
 本作は元々がアンヌ・ヴィアゼムスキーの書いた回顧録が原作になっているようなので、そんなゴダールの狼狽ぶりが一番身近に見ていた人間の目から描かれ ている。最初は19歳の憧れの目で見つけられていたゴダールが、どんどん馬脚を現していってアンヌから失望の目で見られていくのだ。
 正直に言って、ざまぁ!…である(笑)。
 一目写真で見ただけで好きになれそうもない男だ。作ってる映画もその外見とピタリ符合する内容である。僕が思っていた通りのゴダールが、思っていた通り のダメさ加減をもって描かれ、ぶっ叩かれていくから見ていて痛快である。バカな奴だ!…と笑いながら見ることができて、胸もスカッとする。ゴダール嫌いに はなかなか楽しめる映画だ。
 それでいて、ルイ・ガレルの好演のせいもあって「若さはバカさだ」…という趣もある。愚かで不快な男なのだが、反面、一風変わった愛嬌がある。そのせいも あり、また僕らは1960年代の「政治の季節」が最終的にどのような終焉を迎えるのかを知っていることもあって、映画の中盤以降にはちょっと哀愁漂う雰囲 気もある。映画全体を見ても1960年代の時代臭が非常にうまく表現できているので、それだけでも楽しめるのだ。
 またアンヌ・ヴィアゼムスキーを演じるステイシー・マーティンも、独特の清涼感があって魅力的。アンヌ本人にはおそらくあまり似ていないのだろうが、僕 みたいな人間が見るとフランス・ギャルとかダニエル・ビダルなんてかつてのフレンチ・タレントに通じるイメージがあって、非常に好ましい。大胆なヌードま で見せているのになぜか爽やか。ペチャパイまでが涼しげで愛らしい。およそ男らしくないゴダールの鬱陶しい物語を中和する、一服の清涼剤として機能しているのだ。このキャスティングは大成功だった と思う。
 ただ、僕はこのミシェル・アザナヴィシウスという映画作家が、どうしてゴダールなんか取り上げたのかが分からなかった。オスカーをとった「アーティス ト」にしても出世作と聞いている「OSS117/私を愛したカフェオーレ」(2006)にしても、どうやら過去の映画のスタイルをコピーして再生産する作 風のようだ。ならばゴダールよりもトリュフォーの方が「らしい」って気もするので、「どうしてゴダール?」と疑問に思ったのである。
 だが、本作自体を見て、その疑問はたちどころに氷解した
 本作は一時期のゴダールの言動を当時の時代色を忠実に再現しながら描いていく映画だが、同時にあちこちで非常にトリッキーな技法を駆使している。実際に 登場人物がしゃべっている台詞とは裏腹に、彼らの腹の底のホンネを字幕として見せたりする。あるいは心理的にショックを受けた直後、画面は突然ポジからネ ガに反転した画像に変貌する。それによって、文字通り「ガチョ〜ン!」という効果を狙っている訳だ。
 僕はまったくゴダール・シンパでもないし、当然作品に詳しい訳じゃない。だから、それらがどの作品に該当するかも分からないのだが、確かにそうした技法 はゴダール作品のどれかの中に使われていたような気がする。そして、僕が気づいた以外にもそうしたゴダール作品風の技法があちこちに使われていたと思われ る。つまりは、ゴダール作品のスタイルを借りて、ゴダールのバカさ加減をあぶり出すという、本人にとっては結構キツイ作品(笑)になっている訳だ。なるほ ど、これはうまいこと考えた訳である。
 …と同時に、なるほどトリュフォーではこうはいかないわな…とも思わされた。映画的技法にハッキリ突出したモノがなければ、この手法は使えない。ゴダールは作家 的意匠というよりひとつのジャンルみたいな特異なスタイルをとっている。一方、映画ジャンルやスタイルに意識的で、それらを焼き直すことで作品を作ってい くのがアザナヴィシウスの流儀のようである。だからアザナヴィシウスとしては、ゴダールでなければこんな風に描けなかったはずだ。
 そんな訳で、アザナヴィシウスの作戦に「なるほど〜」と感心した次第。ゴダールをボコボコにしていく展開に大いに溜飲が下がる思いで、僕は本作を楽しんで見ていた。
 そう、確かに大いに楽しんで見ていたのだが…。


グッバイ・ゴダール! フェーズ2
 冒頭から何度も繰り返して恐縮だが、ヌーヴェルヴァーグにもセーヌの左岸派・右岸派があるらしいが、僕はさらにその支流みたいなトリュフォー 派(笑)である。だから、トリュフォーと途中から対立したあげくコキ下ろしていたゴダールについては、その後年の作品のあまりのクソつまらなさも相まっ て、いい印象を持ったためしがない。こちとらまったくご本人からは知られることもなかった極東のちっぽけなチンピラでしかない が、こうまで親分を叩かれたら、子分を自認する者としては仇と見定めずにはいられない。だから、ゴダール=クズ野郎というイメージしかない。
 そして本作では、前述のようにゴダールがバカにされまくっている。もちろん揶揄するように貶められている訳ではない。吊るし上げられて告発されている訳でもない。ホンワカと生暖かい眼差しで見つめ られながら、ちょっと苦笑・失笑気味に捉えられているのである。その言わんとしていることは、僕が漠然とゴダール作品を見て来て感じたことと、かなりの部 分で符合していると言って良い。
 だから、僕は本作の中盤あたりまでは、本作を大いに楽しんだ。バカな奴だなぁと笑いながら見ていた。思っていた通りだよ!…と合点がいったりしていた。
 やっぱりな、前からこいつはクズだと思ってたよ!
 こうでなくちゃとも思ったし、もっとやれ!…と嬉しくなったりもした。何しろイヤな奴で嫌いな奴を思い切り叩くのである。嬉しくならない訳がない(笑)。 お察しの通り、僕は心の狭い人間なのだ。嫌いな奴をコキ下ろすのが、三度のメシより好きである。
 だが、そのうちなぜか…見ていてとても居心地が悪い気分になって来る
 特に、ゴダールが学生集会に行って散々な目に遭う場面で、それはいよいよ自分でも 隠せないほどの気持ちになって来る。その場面では、例の画面がポジからネガに反転して「ガチョ〜ン!」という効果を出す技法が使われているのだが、そのあ たりから僕はどうしてもある種の違和感を感じずにはいられなかったのだ。
 ちょっとそれはオマエ、ゴダールをバカにし過ぎじゃないか?
 こう言ったら何だが、ミシェル・アザナヴィシウスなんざ高々アカデミー賞を取った「程度」の監督である。ハリウッドの最高権威である賞を受賞しているとなれ ばスゴいと言いたいのかもしれないが、そもそもアカデミー賞なんてものは…個人的には嫌いな映画ではないけれどクラッシュ(2004)レベルの映画で受賞出来る賞だし、E.T.(1982)を落として「ガンジー」(1982)ごときが受賞しちゃうようなケッタイな賞である。軽薄なハリウッドの俗物どもが決める権威でしかないし、大体が賞 なんてものは取れば偉いってもんでもない。だが、アザナヴィシウスがどう思っているかは知らないが、本作を見ていると…ハリウッドでアカデミー賞までも らったオレ様がゴダールを斬る…とでも考えているかのようなイヤ〜な感じがしてきちゃうのだ。
 意気揚々と学生たちに「革命」を説くゴダールが、その学生たちによって吊るし上げられてしまう。意気消沈である。元々がプライドが高い奴なのに、しかもテメエの 女の見ている前でこれである。あまりにあまりの展開に、ガックリ来ちゃったゴダール。そこに、例のネガ反転の「ガチョ〜ン!」である。本来が「上から目 線」のゴダール映画の手法を使って、うまくいかなくなってきたゴダールの私生活を描いていくのである。ある意味で…カッコ良く言えばそれは「批評精神」と も言えなくないが、早い話が見下している…バカにしていると見えなくもない。
 途中までは僕もそれに賛同していたし、小気味良く感じていた。うまいこと思いついたな…とも思っていたし、ゴダールのバカさ加減を一緒に失笑して見ていたりもした。
 それなのに、なぜか途中から非常に気分が悪くなってくる
 確かに、時代の波に乗って能天気に革命気分になってる頭デッカチなゴダールはバカである。上から目線で人を扱って来たこの男が、本作では上から目線で失 笑されている。可愛げはあるが愚かな男…と描かれている時点で、何より「上から」な描き方である。だがそれは同時に、せいぜいハリウッドでアカデミー賞も らった程度のアザナヴィシウスごときがゴダールをなぶりものにする…というカタチになってしまっている。それが、イマイチ何ともスッキリしなかった。これは実に 不思議な感情だ。
 そもそも過去の映画を吸収し、それを再生産するカタチの映画作り…というのは、コッポラピーター・ボグダノビッチ、さらにスピルバーグルーカス マーティン・スコセッシブライアン・デパーマ…などの人たちが出て来たあたりからすでにチラついていた。だが、それがさらに意識的になったのは、コーエン兄弟やらが出て来た頃ではないだろうか。
 これはアメリカ映画に限ったことではなく、ニキータ・ミハルコフあたりもそんなスタイルを持っていた。そしてミシェル・アザナヴィシウスも、明らかにそ ういうスタンスで映画を作る男のようである。サイレントからトーキーに移行する時代のハリウッドの話を、疑似サイレント映画の手法で描いていく…というあ たりがそれで、確かにそれなりに才人である。本作のやり方も、基本的にその方法論を踏襲している訳だ。
 だが、それも再生産する対象に対するリスペクトがなければ、それは単にパロディやモノマネにしかならない。結局、「フライングハイ」(1980)や「裸の銃を持つ男」(1988)あたりと大して変わらない。正直に言って、アザナヴィシウスの描くゴダールには、そのリスペクトが感じられない。そこがどうにも僕には今ひとつ気に入らないのだ。
 例えば、同じ時代を扱ったベルナルド・ベルトルッチドリーマーズ(2003)には、「五月革命」の幼稚さや頭デッカチさを批判しているような部分も あった。そこには、やはり苦笑気味な眼差しも含まれてはいた。だが、それと同時に、みんながそうならざるを得なかったことへの共感と、それをほろ苦く思い 出すような視点もあった。ベルトルッチ自身がそこに少なからず関わっていたということもあるだろうが、「上から目線」で見下すようなことはなかったはずだ。
 当然、アザナヴィシウスは同時代的には見れないのだから、「共感しろ」というのは難しいかもしれない。同じ目線まで降りて来るのは、かなり難しいことな のかもしれない。しかし、だからといって「上から目線」で見下すことはないんじゃないか? しかもこれって、現代人がガリレオの時代の人をつかまえて、「地 球は動いてないと思ってるってバカじゃねぇの?」とか言うのに似ていて、実にイヤな感じだ。そりゃ、後になったら何とでも言えるよって言いたくもなる。
 しかもアザナヴィシウスは、こう言っちゃ何だが所詮はアザナヴィシウス程度の映画作家である。本人は毎回、過去の映画の再生産みたいな映画づくりで、映 画を勉強して知り尽くしてるオレ…みたいに思っているのかもしれない。それはそれでセンスはソコソコいいのかもしれないが、誤解してもらっちゃいけないの は、所詮はソコソコどまりじゃないの?…ってことである。ゴダール映画のスタイルでゴダールその人を描くというアイディアも悪くはないが、これ思い付いた オレはエライ!…って言う程のもんじゃないだろ。こいつの「センスがいい」は、せいぜい「広告代理店レベル」の「センスの良さ」でしかないような気がして しまうのだ。いいとこ、ザギンでシースーとか言ってる奴のセンスである。だから、せいぜい便所に行って小便しながら、5分ぐらいでひねり出したアイディア (笑)でしかない感じがするのである。
 だから、それはそれでそれなりにいい発想だとは思うけれども、ゴダールみたいな「愚直な天才」とはモノが違うんだよ!…と言ってやりたくなる。格が違うんだオマエなんかとは。何なんだこの偉そうな態度は

 本作では時代の荒波に不器用に関わってしまい、どんどんもがけばもがくほど深みにはまっていくゴダールが描かれている。それはアホといえばアホだが、あ る意味で前のめりでマジであるとも言える。真面目に真剣に取り組んでいたから、カッコ良く身をかわすことが出来なかった。真っ正面から受け止めて、無様に ぶっ倒れるしかなかったのだ。それは彼がまさに「ホンモノ」だったからでもある。そんなゴダールの苦闘の時代を描くお話だからこそ、それをバカにしている ような描き方に腹が立って来るのである。こいつのマジを笑うな!…と言ってやりたくなるのである。しかも、たかがアザナヴィシウスごときに…である。身の程をわきまえていただきたい。
 そして、あれだけ大キライでバカにしていたにも関わらず…アザナヴィシウス程度の奴に言われたくはないだろ…というか、オマエなんぞにいじられなきゃならないゴダールじゃないだろ!…と弁護してやりたくなっ ている自分に気づいて、僕は思わず唖然としていた。せっかくゴダールをボコボコにして大いに楽しもうと思っていたのに、何が悲しくてこのオレが大キライなゴダール の肩を持って弁護しなくちゃならないんだ(笑)。それに思い至って、またさらに新たな怒りがわき上がる(笑)。
アザナヴィシウスよ、少しはテメエの身の丈を考えろや。
 立て、立て立て立つんだゴダール! オマエはこんな輩にコケにされなきゃならない奴じゃないだろ。
 いやホントに何なのこれって(笑)? こんなにゴダールを贔屓したくなるなんて。僕はアザナヴィシウスのナメた態度に大いに腹を立てながら、映画の中のゴダールの苦闘を見届けるハメになった訳だ。


グッバイ・ゴダール! フェーズ3
 だが、ゴダールはどんどんボコボコになっていく。しかも、相当にみっともない。
 本当だったら映画界で確固たる地位を築いていた訳だし、かなりのシンパもいた。世間は大いに揺れ動いていただろうが、別にテメエから大騒ぎしなけりゃ映 画界の名士然としてやっていけただろう。名声だって安定した財産だって持っていただろうし、それは楽勝で維持できたはずだ。
 だが、その代わりにやったことはみんながついていけない映画作りに打倒カンヌ映画祭。帰りの橋を焼き落としてしまった。もう先に進むしかない。そこまでやって自分をも賭け金として差し出してバクチを打っているのに、頼みの若者たちからは不本意にも叩かれてしまう。
 そう、なぜならもうすでにゴダール自身が打倒されるべき「権威」となっているから。
 時代は激しく動いていた。価値観やセンスがどんどん刷新され、大きく揺れていた。当然、それなりのアンテナを持っている「表現者」としては、それに忠実に反 応しなくてはおかしい。それは「流行りに追随する」ということではない。むしろ時代や社会の動きに反応しない方がおかしい。クリエイティブ…とは人間の営 みと無縁に存在する訳ではないからだ。
 だが、それに忠実に反応すると、どうしても大きな自己矛盾にブチ当たる。なぜなら、その時にすでに自分が打倒される側、変革される側に回ってしまっているから…である。 ヌーヴェルヴァーグで一世を風靡して世界的な知名度も確立。ブリジット・バルドー主演の映画まで撮れるポジションに登り詰めた彼は、もはや「革命の旗手」 側ではない。
 ならば、どうすればいいのか。表現者のオノレの衝動に忠実であるならば、ここへ来て今さら日和る訳にもいくまい。すでに打倒しなくてはならな い、変革しなくてはならない側になっていた「オノレの喉元」に、刃を突きつける他はないだろう。
 ここで僕も、ついに思い当たったのである。ヌーヴェルヴァーグの立役者として共に盟友としてやってきたはずのフランソワ・トリュフォーと、ゴダールがか くも壮烈な決別をしなくてはならなかった訳を。そりゃあそこまで考えちゃったら、自分の持っているすべてを破壊しなくちゃならなかっただろう。親しんでい るなら親しんでいるだけ、余計に破壊しなくてはならない。敵は我が方にあるのだから。
 それと同時に、我と我が身をも切り刻まなくてはならない。自分の映画だって「解体」しなくちゃいけないと思い詰めたに違いない。だからゴダールほどの特 異で独自性の高い映画作家が、集団合議制みたいな「没個性」の映画作りを「ジガ・ヴェルトフ集団」で実践しようなんて無茶をやらかしたのに違いない。
 バカな話である。アホの骨頂である。さぁ笑ってやってください。
 だが、そこには愚直までに自分の表現者としての衝動に忠実だったゴダールの姿がある。ホ ンモノで誠実だったからこそ、彼はそこからいいカッコして立ち回ることもできなかったし、ごまかして逃げることもできなかったのだ。ゴダールの映画がグ チャグチャになっていったのは、彼のマジの証だった。
 だが、そんなになって余裕もなくなって、みっともなくも翻弄される状態になっちゃってたら、そりゃあ女には見透かされちゃうよなぁ。カッコいい時代の寵 児と結婚したはずなのに、やたらめったら心のキャパが狭い、慌てふためいたオッサンになっちゃってるんだから(笑)。見るからにイカサマ臭い 川平慈英みたいなジャン=ピエール・ゴランにたぶらかされるあたりも情けなさ倍増である。
 先にも述べたように、ミシェル・アザナヴィシウスは終始そんなゴダールを苦笑気味に見つめて、上から目線でバカにしている。ミシェル・アザナヴィシウス 「程度」の奴が…である。だから僕はそれまでゴダール映画に受けていた不快感を上回るような、怒りのようなモノさえ感じたのだ。
 だがアザナヴィシウスは、そんな自らの身の丈を考えないような振る舞いを見せながらも、ひとつだけ正しいことを行った。それはこの時代のゴダールのやって来たことを、とにかく分かりやすく見せていったことだ。
 いささかバカにしたやり方ではあったが、アザナヴィシウスの手つきはまるで池上彰が国際政治を分かりやすくテレビ視聴者に提示するかのように、変革の時 期のゴダールの言動を分かりやすく観客の前に見せ続けていく。そのおかげで、僕はそれまで頭では「事実」を分かっていたものの、なぜそうなったのか?…に ついては心の底からの納得が出来かねたこの時期のゴダールについて、「真実」とまではいかないまでも自分なりに「腑に落ちる」カタチでの理解を得られたよ うな気がする。本作に価値があるとすれば、最大のモノはまさにそこだろう。
 だから本作はミシェル・アザナヴィシウスの語り口にこそ怒りを覚えるが、見終わった感想としては「哀愁」のような後味が残る。アザナヴィシウスの映画作り のメソッドはいただけないが、この映画によってゴダールに対する僕の感情はちょっと変わった。あの時代のゴダールに対して今まで思ってもみなかったような シンパシーを感じたし、ゴダールのようなテメエ勝手な男ですら翻弄されてしまった、1960年代の「魔」のようなパワーに改めて畏敬の念を抱いた。
 そういう意味では、果たして映画としてはどうなんだ…という疑念は終始残るのだが、本作を見たのはひとつの収穫だったと言えなくもないのである。

みんなが浮き足立った1960年代の「魔」
 そんな風にゴダールが思い詰めていく過程は、同時代を生きた他の表現者たちにとっても無縁のことではなかっただろう。
 先ほども言及したが、ビートルズがライブ・パフォーマンスを止めた ことも、アップルという自分たちの会社を興した末に素人に好き放題やらせて巨額のカネをドブに捨てたのも、ジョン・レノンがレコーディング中のスタジオに ヨーコ・オノを割り込ませたのも、何より自分たち自身がグループとして崩壊への道を突き進んで行ったのも、すべてゴダールと同じ理由からではなかったか。 時代のトップランナーとして先陣切っていたビートルズも、いつしか倒されるべき「権威」になっていた。そのことに、彼ら自身もどこかで気づいていたのではないか。だから、傍から見たら「自滅」としか見えない崩壊に向ったのではないだろうか。
 あの時代、時代の先端をゆく「表現者」であるということは、かくも過酷なことだったのか。
 本作のエピローグとなっているのは、ゴダールが川平慈英激似(笑)のジャン=ピエール・ゴランに丸め込まれて始めた、例の「ジガ・ヴェルトフ集団」での映画づくりの様子である。西部劇風の設定となっているところを見ると、どうやら「東風」(1969)という作品の撮影風景のようだ。だが、集団合議制なんてナンセンスなやり方を持ち込んだものだから、案の定、撮影現場は大混乱。川平慈英なら「いいんです!」とか無責任に言ってりゃいいんだろうが(笑)、ゴダールはそうはいかない。何でオレこんなこと始めちゃったのかな…と途方に暮れて頭を抱えているところで、映画は幕となる。
 繰り返すが、バカな男である。映画の現場を経験しているなら、こうなることは絶対に分かったはずだ。僕みたいな素人がこんな偉そうなことを言っちゃいけないとは百も承知だが、その僕だって学生時代に8ミリ映画を撮っていてイヤというほど知っている。どうすればいいかをみんなに「民主的」に聞いたりしたら、100人いれば100通りの意見が返って来るだろう。あるいは、単純にもうカッタるいから帰りたいとか腹減ったとか、そんな意見しか出る訳がない。
 映画作りに「民主主義」はない、ひたすら「独裁」あるのみである。反論は一切許さないし、あり得ない。だから、この方法が行き詰まるのは目に見えていたはずだ。実際の「ジガ・ヴェルトフ集団」や「東風」の現場が本当にこの通りだったかどうかは分からないが、たぶんこんな調子だったんだろうな…ということは容易に想像ができるのである。
 だが、あの時代は、あの時には、「表現者」としてはそんな自滅的なことをあえてやらずにはいられなかった…。そのことについては、先に何度も繰り返して述べた通りである。
 そして僕は、そんなゴダールのトホホな撮影現場の様子を見ていて、まったく別な映画作家のことを思い起こしていた。
 それは、「トラ・トラ・トラ!」製作中に自滅的な状況に追い込まれていった黒澤明のことだ。
 黒澤が「トラ・トラ・トラ!」に関わっていたのは、田草川弘「黒澤明vs.ハリウッド」と いう本によれば1967年から1968年暮れまでのことだそうである。奇しくも本作に描かれている時代と微妙にクロスする。この作品での黒澤の挫折につい てはいろいろなことが言われていて、ハリウッドの商業主義と黒澤完全主義とが相容れなかった…とか、黒澤側に立った若いプロデューサーが何とも怪しげに立 ち回ったせい…とか、東映京都撮影所が東宝育ちの黒澤とは合わなかった…とか、いろいろなことが言われている。それのどれもが正しいとは思うが、正直それだけでは説明がつかないことがある。どう考えてもおかしいことを黒澤はしでかしているのだ。
 特に撮影に入ってからの奇行の数々は、単に製作が順調にいっていないことからのプレッシャーだけでは説明がつかない。そもそも、「トラ・トラ・トラ!」キャストの大半をプロの役者でなく素人にやらせようとした…という、当初の発想からして狂っている。あれほどの大作で、そんなことをやろうなんて狂気の沙汰だ。素人でも門外漢でもすぐに分かりそうなことなのだ。
 今までは僕もこの時の黒澤明の振る舞いに関して、どうしても納得がいかなかった。分かったような気がしながら、実は分かってなかった。この件について豊 富な資料と取材を駆使して詳細に語った「黒澤明vs.ハリウッド」を読んでも、結局この肝心な部分はイマイチ納得できなかったような気がする。
 だが今回、本作のゴダールの苦闘ぶりを見せられて、僕はなぜかこの時の黒澤の乱心の原因に触れたような気がしたのだ。
 考えてみれば人並みはずれた敏感さを持っていた「表現者」の黒澤なら、あの時代の空気と無縁だったはずはない。 当時、大いに世の中をかき回していた若者たちとは違って、黒澤はもう50代後半(今気づいたのだが、ちょうど現在の僕の年齢ぐらいではないか!)。だが、セン スの点ではそんじょそこらの若者など及びもつかない鋭さを持っていたはずだ。だとすると、時代の息吹きをモロにかぶった可能性が否定出来ない。
 何かを変えなきゃいけない、黒澤だってそう思ったのではないか。だが、その時点での黒澤明は…それこそ当時のゴダールなんか比べ物にならないほどの、打倒されるべき「権威」だった。だとすると、黒澤もまた、自らを「解体」しなければ…と思い詰めた可能性はある。
 でなければ、あの奇行の数々は説明出来ない。プレッシャーからおかしくなった…というだけでは説明がつかない。そもそも、リアリズムのために素人に芝居 させるなんてバカなことは考えないだろう。素人にやらせりゃリアリズム…なんてほど、事は単純ではないってくらい、黒澤ぐらいになっていたら分かっていた はずだ。
 なのにやってしまう、自滅は目に見えているはずなのに。
 本作のエンディング、「ジガ・ヴェルトフ集団」としての撮影現場でトホホな状態になっているゴダールを見ていて、僕は真っ先に「トラ・トラ・トラ!」製作中の黒澤明のことを思い起こした。…というより、あの時期の黒澤明のムチャクチャな壊れっぷりについて、「なるほど、そうだったのか」と初めて腑に落ちた気がした。
なぜ黒澤にあのような事が起きたのか…ということは今までいろいろと語られてきているし、それらはすべて間違いではないと思うが、実はその時代背景にこそ大きな秘密があったのではないか。
 みんなが思わず浮き足立ってしまった1960年代という時代の「魔」に、ゴダールも黒澤も飲み込まれたのではないか。本作を見て初めて、僕はそんなことに思いを馳せたのである。


 

 


 

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