「ジュラシック・ワールド/炎の王国」

  Jurassic World - Fallen Kingdom

 (2018/08/20)



見る前の予想
 今年も映画が面白い。仕事であちこち飛び回りながらも、僕は今年の映画を大いに楽しんでいる。たぶん、今年はなかなかの豊作なのではないか。
 だが、それらは僕がこよなく愛して来た、いわゆるハリウッド大作に関することではない。むろんスピルバーグの2作ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(2017)、レディ・プレイヤー1(2018)は素晴らしかったが、あちこちで話題騒然大絶賛だったアベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(2018)には失望しかなかった。むしろ、アレをモテはやす世間に違和感しかなかった。どうしても、王様はハダカにしか見えなかったのだ。
 それを筆頭に、ヒーローもの中心になってしまった今のハリウッド映画には、もう関心がなくなってしまった。あまりに幼稚で下らな過ぎる。自他ともに認めるハリウッド保守本流だった僕だが、今のハリウッド映画にはあまり興味がない。見たって楽しめないのである。
 さすがに夏休み映画の話題作ぐらいは見ないと…と思っても、「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」(2018)はどうも食指がそそらない。僕は、「スター・ウォーズ」がディズニー傘下に入った段階でガッカリだったし、ここんとこ「スター・ウォーズ」と銘打った映画が多過ぎてお腹いっぱい。そもそも、ハン・ソロが若い頃何をしていたか…なんてどうでもいい。だって、みんな「ローマの休日」(1953)の記者グレゴリー・ペックがオードリーの王女と出会う以前に何をしていたか…なんて知りたいか? タワーリング・インフェルノ(1974)の消防士スティーブ・マックイーンがあの高層ビル火災に遭遇する前はどうしていたのか…を見てみたいか? オレはまったく興味も関心もないけどな。
 そんな訳で、ハリウッド大作をどうせ見るなら…と僕が選んだのが、「ジュラシック・パーク」シリーズの最新作、「ジュラシック・ワールド/炎の王国」である。
 まぁ、こちらも「スター・ウォーズ」と比べてどっちもどっちのお腹一杯さだが、たったひとつだけ見たいと思える要素があった。監督のJ・A・バヨナである。2012年の東京国際映画祭で、僕はこのスペインの監督が撮った作品を見ているのだった。その作品インポッシブル(2012)は、スマトラ島地震で起きた津波を題材にした映画で、ナオミ・ワッツユアン・マクレガー主演。なかなかに見応えある作品だった。バヨナはその後、「怪物はささやく」(2016)という作品を撮ったが、それはあいにくと見逃してしまった。そして今回、バヨナは本格ハリウッド・デビュー作として本作を撮ることになった訳だ。
 こうなると、やはり見ない訳にはいかないだろう。そんな訳で台風が来る…との触れ込みでちょっと映画館が空いていたある晩、僕はイソイソと本作を見に行った訳である。

あらすじ
 嵐で大いに海がしける夜、ここはコスタリカ沖にあるイスラ・ヌブラル島。あの「ジュラシック・ワールド」の惨劇の舞台となった島である。
 だが、海はいかに荒れても水中は静か。今、小型潜水艇に乗り込んで、この海底に乗り出そうとする男が二人。島の内海には巨大なゲートが設営されているが、それを遠隔操作で開いたところへ小型潜水艇が入って行く。
 彼らが行き着いた先には、巨大な骨が海底に散乱。明らかに恐竜の死骸とおぼしきその骨を切り取って、浮き袋を付けて海面へと浮かばせる。上では船が待機して、それを回収しようと待ち構えていた。地上にはタブレットでゲートの開閉を操作する作業員が一人。さらにヘリコプターで全体をを見ている連中もいる…という大部隊での作業である。
 ところが、無事に作業を終えて引き揚げようとしたその時、小型潜航艇の背後から巨大な影が迫る…。ヘリでは小型潜航艇と連絡が取れなくなったと大騒ぎだ。
 一方、地上でタブレット操作している男の背後にも、別の巨大な影が迫りつつあった。その男を迎えるべく降りて来たヘリの連中は、その様子を見て大慌て。地上の男に「早く逃げろ」と知らせようとするが、男はなかなか気づかない。気づいた時にはティラノが全力で迫りつつあったの で、男は肝を冷やして猛ダッシュ。ヘリも縄バシゴを垂らして救出しようとするが、男がヘリの縄バシゴに飛びついた時には、ティラノも縄バシゴの末端をくわ えこんでいた。このままではヘリもろともやられてしまう。そこでヘリの連中がつかまっている男を見捨てて縄バシゴを切り捨てようとした時、縄バシゴの末端 がブチ切れ。何とか男はティラノの餌食になる難を逃れた。
 だが、ホッと一息…と思うのはまだ早かった。海中からいきなり巨大なモサザウルスが飛び出して、縄バシゴに捕まっていた男をガブリと食いちぎってしまうではないか。ヘリの連中は、ただただ唖然とするしかなかった。
 一方、タブレットでの操作が停止したため、島の内海と外海とを仕切っていたゲートは開いたままとなっていたのだが…。
 その頃、世間ではイスラ・ヌブラル島が別の意味で関心を集めていた。島の火山が突然活動を再開して、そこに生きる恐竜たちに絶滅の危機が迫っていたのだ。
 公聴会が開かれてこの問題が討議されることになり、呼ばれたのは「ジュラシック・パーク」に関わっていた数学者イアン・マルコム(ジェフ・ゴールドブラム)。彼は公聴会で一連の事件が科学が生んだ人間の驕りであり、この件には手を出すべきではない…と主張する。
 だがその頃、まったく違う考えを持ってこの問題を捉えていた人々もいた。恐竜保護団体の人々で ある。イスラ・ヌブラル島で稼働していた「ジュラシック・ワールド」のかつての職員クレア(ブライス・タラス・ハワード)が設立したこの団体では、臆病な IT技術者フランクリン(ジャスティス・スミス)や強気の獣医ジア(ダニエラ・ピネダ)らが恐竜救出のために尽力していた。
 だが、状況は思うに任せない。公聴会でも、結論は「恐竜保護には手を出さない」とのこと。万事窮す…となったところで、クレアのもとに一本の電話がかかってくる。電話の主は「ジュラシック・パーク」創設者ジョン・ハモンドのかつてのパートナーであるベンジャミン・ロックウッドの財団。彼らがイスラ・ヌブラル島にいる恐竜たちの保護に関心があると聞いて、クレアは広大な地所の中、人里離れた山中にあるロックウッドの屋敷へと向う。
 そこでクレアを出迎えたのは、財団の長で、今は年老いてほぼ床に伏しているベンジャミン・ロックウッド(ジェームズ・クロムウェル)と、現在は実質上財 団の運営を一手に任されているイーライ・ミルズ(レイフ・スポール)。屋敷には他にベンジャミンの幼い孫娘メイジー(イサベラ・サーモン)とその世話をす る乳母のアイリス(ジェラルディン・チャプリン)が暮らしていた。
 ベンジャミンはかつてジョン・ハモンドと一緒に「ジュラシック・パーク」構想を立ち上げたものの、そこで生み出された遺伝子技術を人間に応用しようと考え、ハモンドに激しく叱責されて袂を分かつことになった。現在ではそのことに激しく反省しており、今回の恐竜たちの危機を何とか打開したいと考えていたのだ。
 そこで、財団の実質的な運営者ミルズは他に恐竜たちが移住出来る島を確保。絶滅危惧種の無断移動は非合法ながら、イスラ・ヌブラル島にいる恐竜たちを一部でも保護して、この島へと移そうと計画。クレアに協力を求めたのだ。
 特にイーライが保護したがっているのが、凶暴ながら賢いヴェロキラプトルのブルー。だが、その保護は困難を極めることが予想できた。その時、イーライとクレアの脳裏に浮かんだのはただひとりの人物…。
 クレアはひとりクルマを飛ばして、とある山の麓へとやって来る。そこでひとりで小屋を建てていたのは…あの「ジュラシック・ワールド」事件でクレアと危機を乗り切った元・恐⻯監視員のオーウェン(クリス・プラット)。この世でただひとり、ブルーを扱える人物である。
 だが、オーウェンはクレアの説得には応じない。彼もまた恐竜たちは人類の驕りが生んだもので、噴火とともに淘汰されるべき…と思っていたのだ。クレアは 翌朝の飛行機での出発に誘いながら、オーウェンの説得を半ば諦める。だがオーウェンはオーウェンで、その夜、かつての「ジュラシック・ワールド」でのブ ルーの映像を見ながら、ひとり悶々と過ごしていたのだ。
 翌朝、飛行場でフランクリンやジアと一緒に待ち受けていたクレアは、すでに機内で横になっていたオーウェンと再会することになる。これで鬼に金棒だ。小型機は、一路イスラ・ヌブラル島へ向った。
 すると、島の火山が激しく活動しているなか、すでに上陸していた傭兵部隊がモノモノしい出で立ちで行動を開始しており、早くも目指す恐竜確保を始めていた。オーウェンたちが求められていたのは、もちろんブルーの保護である。
 クレアとフランクリンはかつての「ジュラシック・ワールド」の拠点のひとつに入り、システムを再起動。恐竜たちに埋め込んだ発信器の信号で、ブルーの位 置を調べることになった。場所が分かったところで、オーウェンとジア、そして隊長ウィートリー(テッド・レヴィン)率いる傭兵部隊がブルー捕獲へと現地に 出発だ。
 まずはオーウェンが単身乗り込んで、ブルーを誘い出す。こうして飛び出して来たブルーは、野生に還ってしまったのかオーウェンの説得に応じない。ところが、ようやくブルーがオーウェンに警戒を解き出したかなと思っていた時、いきなり傭兵たちが飛び出して来て周囲を包囲するではないか…!


見た後での感想

 「ジュラシック・パーク」(1993)自体は面白かったものの、正直言って何度も繰り返すネタじゃない…。実はそれって、続篇「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」(1997)である程度分かっていたことだった。
 考えてみると、お話から構成に至るまで本作「炎の王国」と共通性の高い作品だった「ロスト・ワールド」は、本来ならば御大スピルバーグ自身による唯一の続篇なのだから「質の高さ」は保証されていたはず。しかし実際には、全編ドリフのコントみたいなわざとらしい「見せ場」の連続。如何せん、スピルバーグといえどもお話のつまらなさはどうにもならなかった。もうこれで終わりと思っていたら、監督を替えたジュラシック・パークIII(2001)は役者のうまみで見せて何とか成功。それでも、さすがにもうこのネタじゃ続かないだろう…と僕はタカをくくっていた。
 ところがいきなり、14年ぶりにジュラシック・ワールド(2015)が忽然と登場。やっていることは「ジュラシック・パーク」と変わらないし、監督コリン・トレボロウの腕前も大したことない。しかし、主演のクリス・プラットブライス・タラス・ハワードの魅力…分けてもガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)で飛び出したニュー・スターのプラットのおかげでシリーズがリフレッシュして大ヒット。僕自身は何でスピルバーグがトレボロウなんて凡才監督の腕を買っているのかまったく分からないが、案の定、シリーズ再開となった訳だ。
 ただし、何を言ったところで所詮は何度やっても「ジュラシック・パーク」の焼き直しである。だから基本的に物語の続きというより、毎度毎度「ジュラシック・パーク」のリメイクみたいになるしかない。
 トレボロウは才能のなさを見透かされたか「スター・ウォーズ/エピソード9」はクビになったようだが、スピルバーグはアホなのか「ジュラ」はプロデューサーとして続投。今回の監督にスペインのJ・A・バヨナを迎えたのは、冒頭にも述べた通りである。そして、僕の興味もその一点に尽きた。あの「インポッシブル」で素晴らしい演出力を見せたバヨナが、このシリーズをどんな風に見せてくれるか。
 今回は元祖「ジュラシック・パーク」からジェフ・ゴールドブラムも参戦…と聞いて嬉しくなったものの、考えてみるとあの壮絶にダメだった「ロスト・ワールド」ではそのゴールドブラムが実質主演ではなかったか。こうなると本作も油断がならない。
 こうして見に行った本作は…実は見る前の予想とはかなり違っていたのである。



 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 



シリーズ初の屋内劇?

 僕はあの予告編を見て、当然のことながら火山活動が激しさを増すイスラ・ヌブラル島が主な舞台となり、そのヤマ場が火山大噴火と島からの脱出になると決めてかかっていた。
 …というか、あの予告編を見たなら、誰もがそう思うのではないか。おまけにサブタイトルが「炎の王国」で ある。頭に「のび太の」などと付けば「ドラえもん」映画みたいなサブタイトル(笑)だが、誰だってこのタイトルは噴火する火山島を意味するものだと思うだ ろう。そりゃ恐竜に火山なら、映画としてのスペクタクルには申し分ない。派手にするには、そっちの方がいいに決まってる。オイシイものふたつを合体させ る、いわゆる「ハンバーグ・カレー」理論(笑)である。
 こうして島に着いたクリス・プラット、ブライス・ダラス・ハワードご一行は、着くと間もなく恐竜「ブルー」捕獲に駆り出される。プラットは実動部隊、ハワードは留守番部隊である。ところがたちまち事態は急転。この段階で早くも恐竜救出の本当の狙いが分かって来るが、火山活動の活発化も一気に加速するではないか。
 アレレ?…ちょっと早過ぎやしないか? こんなに話が急展開して火山活動もエスカレートしちゃって、果たしてお話がもつのだろうか? 
 案の定、映画はまだ半分も過ぎていない段階で、島を離れることになってしまう。何と恐竜たちを運んで、舞台はアメリカ本土に移ってしまうのだ。
 ややや…こりゃやっぱり、あのガサツな「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」の再現になっちゃうんじゃないのか。結局「ジュラシック〜」シリーズって、何をどうやっても同じパターンの繰り返しをやるしか手がないのか…。
 ところが本作は、ここからがメイン・イベントだった。
 そして恐竜をアメリカ本土に連れて行くとすれば、当然「ロスト・ワールド〜」や…近作ランペイジ/巨獣大乱闘(2018)でも描かれたような大都会で恐竜が大暴れする「ゴジラ」的な見せ場を想像したが、その予想も軽くはずされてしまう。その手のスペクタクル活劇を想像していたが…何と本作の後半は、人里離れた森の中にある一軒家の屋敷から一歩も外に出て行かない。意外や意外にも、そんな閉ざされた屋内を舞台にしたお話になるのである。
 おそらくこのアイディアを最初に聞いた時、プロデューサーのスピルバーグは「これだ!」と 思っただろう。大好評の「ジュラシック〜」は作れば当たるコンテンツだし、映画会社としても続篇を作り続けたい作品だ。だが、どう作ったってリメイクまが いの無限のリフレインになるしかないという「ジュラシック〜」の宿命も、「ロスト・ワールド〜」の失敗で自ら経験済みのスピルバーグはイタいほど分かって いた。だから、舞台を人里離れた大富豪の屋敷という閉ざされた場に設定して「ジュラシック〜」を一種の屋内劇にしてしまう…という発想を知った時には、「これならマンネリが打破できる!」と狂喜したはずだ。確かにこれは新基軸だ。シリーズに風穴を開けるアイディアには違いない。
 それによって、本作には独自の魅力も生まれた。後半の舞台の大半となるのは、屋敷の中でも地下の施設である。だが、終盤には恐竜たちが抜け出したりして、屋敷の中で暴れたりする。それも、あくまで建物のサイズが規格外という大富豪のお屋敷だからこそ出来ることなのだ。
 特に遺伝子の掛け合わせで作られた凶暴な恐竜インドラプトルが、大富豪の孫娘メイジーを追いかけ回して屋敷の側面をよじ上ったりするあたりは、ちょっと したファンタジーやおとぎ話気分。月光に照らされて屋敷の屋根にへばりつく恐竜…という絵柄が、確かに今までの「ジュラシック〜」にはない新鮮さだった。 まるで、竜が出て来るファンタジーもののような雰囲気が充満しているのである。
 そしてこのあたりが、スペインからわざわざJ・A・バヨナを連れて来た理由でもあるのだろう。僕はてっきり火山島脱出のスペクタクル・アクションが主眼だと思っていたので、大津波のスペクタクルとそこからのサバイバルを描いた「インポッシブル」での実績を買っての起用と思っていたのだが、さにあらず。むしろこの人の作品では、「永遠のこどもたち」(2007)や「怪物はささやく」などのホラーやファンタジー系の持ち味を買われての起用だったのである。確かに人里離れた大富豪のお屋敷…という設定からして、どちらかといえばアメリカというよりヨーロッパ的な舞台だ。スペイン人のバヨナを連れて来たのも道理である。
 そういえば…「ドクトル・ジバゴ」(1965)や「ナッシュビル」(1975)などのロバート・アルトマン作品で知られるジェラルディン・チャプリンが本作に出演しているのは、おそらくJ・A・バヨナによる起用なのだろう。彼の「インポッシブル」にもチャプリンが小さい役で出演していて驚かされたが、実はそれだけでなくて全バヨナ作品に出演しているらしいのだ。この人はかつてスペインのカルロス・サウラ監督の奥さんだったと記憶しているので、スペイン映画とは縁がある。だが、バヨナとはどういう関わりがあるのかは分からない。ただ、どうも彼の映画のアイコン的な存在として、一貫して出演しているらしいのである。本作にもチャプリンが出演しているというのは、「これはオレの映画である」というバヨナの署名のようなものだろう。
 閑話休題。そんな訳で、J・A・バヨナの起用は必然だった。本作では、作れば作るほどワンパターンになってしまう「ジュラシック〜」に、ヨーロッパのゴシック・ロマン的なムードを持ち込むことを目的としていたからである。


ドヤ顔見せている場合ではない
 では、新機軸を打ち出した本作は、新鮮で面白かったのか。
 確かに新鮮ではあった。それが、ところどころ面白味を発揮しているところもあった。だが、舞台背景の斬新さがちゃんと機能していたにも関わらず、本作では最も肝心の要素がダメだった。
 脚本である。
 本作では島に舞台が移ってから、話の持って行き方の性急さが目立つ。少々どころか、かなり強引ですらある。そして、結構いいかげんだ。クリス・プラットたちが島から脱出する際に傭兵たちがウヨウヨする船に密航して、まったく気づかれないのはおかしい。
 さらに、アメリカ本土に上陸した際に彼らがしかるべきところに通報するなり何なりすればよかったのに、自力で何とかしようとしたために…最終的には取り返しのつかない事態にまで発展してしまう。映画としては見せ場が出来て良かったね…といったところだろうが、これは完全にミスだろう。主人公たちが間抜けに見えてしまうかからである。あるいは、彼らが非合法的に恐竜を救おうとしていたのを、バレずにごまかそうとしているように見えかねない。
 もっとも杜撰なのは、傷ついたブルーに輸血をするためにティラノサウルスから血を採って持って来るというくだり。僕は獣医の経験とかがある訳じゃないが、こんな乱暴なことが出来るんだろうか。恐竜だから恐竜の血でオッケーって、素人目にも危ういと思うのだが…。ウソをつくにもつき方というものがある。そういう事を言うのはヤボというのだろうが、いくら何でも杜撰にも程があるのだ。
 だが、最も致命的なのは登場人物の描き方。これがちょっとひど過ぎる。
 そもそも映画が始まって間もなくから、恐竜保護団体のメンバーである臆病なIT技術者フランクリン(ジャスティス・スミス)にイライラさせられる。コミカルな味を盛り込もうとしているのだろうが、キーキーとわめいてただただ煩く、言動も愚か過ぎてイヤになる。アレが面白いと思っているのだろうか。描き方が泥臭くてとても笑えない。しかも、こいつには最後まで汚名挽回のチャンスは訪れない。意味不明のキャラクターである。
 そして最もウンザリさせられるのが、大富豪の孫娘メイジー(イサベラ・サーモン)。こちらもキーキーと挙げる悲鳴が何とも耳障りだ。 見た目がアメリカの今風現代っ子と違う端正な顔立ちなのは、スペイン人J・A・バヨナの好みなのかもしれない。だが、この子の悲鳴はフランクリン以上にイ ライラさせられる。後半にやっとうるさいフランクリンが出なくなったと思ったら、この子が出て来てキャーキャーわめくのでウンザリだ。しかも、ラストでこ の子はとんでもない厄介事をやらかすのである。
 そもそも本作のお話の発端からして、僕は違和感バリバリだった。「ジュラシック・ワールド」があった島の火山が爆発したら、恐竜はまた絶滅する。だから、それを阻止しようとするお話…という点からして、僕にはついて行けない。
 議会は「自然に滅びるに任せる」と決定するが、恐竜保護団体のメンバーとなっているブライス・ダラス・ハワードはそれに不満で怒っている。だが、こっちとしてはむしろダラス・ハワードに共感出来ない。そもそも、「ジュラシック・ワールド」にいる恐竜自体が不自然な存在である。この際ちょうどいい機会だから、その存続を自然に任せようというのはまったく正しい判断だ。それなのに、「恐竜ちゃんかわいそう!」となっちゃうあたりの発想が理解出来ないのだ。
 まぁ、自然のなすがままの方がいいんじゃないか?…と考える日本人の我々とは、西欧人は基本的にモノの考え方が違うのかもしれない。映画はどう見ても、そのダラス・ハワードの方を「善」であると描いているからである。あちらの人たちはこういう考え方で自然保護などをやっているのか…と考えると、どうにも我々とは通じ合えないなと思わざるを得ない。シーシェパードなんてやる訳である(笑)。
 そして、この考え方が底流にずっと流れているから、ラストに至って大富豪の孫娘がやらかしてしまうのである。屋敷内の施設に閉じ込められたまま、
恐竜たちは徐々に充満するガスによって死を目前にする。助けようにも、このアメリカ本土でそれらを解き放ったら大変なことになる。さすがに事ここに及んで、頭に血が上り気味のダラス・ハワードでさえ施設の扉を開けることを躊躇する。当たり前である。ところが例の孫娘がここで出しゃばって来て、扉を開けるボタンを押してしまうではないか。おまけに、その際にホザくセリフがまた小賢しい。
 「どんな命でも生きる権利はある」
 そりゃあそうだ。オケラだってミミズだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ友だちなんだ。しかもこの子はクローン技術で生まれた子らしいので、遺伝子技術で生まれた恐竜たちにシンパシーがある…というアリバイまである。そりゃ大変に結構なことである。
 だが、恐竜たちが野に放たれた結果、おそらく食い殺されたり踏みつぶされる人間は無数に出るだろう。そいつらだって「どんな命でも生きる権利はある」ん じゃないのかね? そもそもこの子を食い殺そうと追いかけて来たハイブリッド恐竜のインドラプトルは、結局この子を救うために退治されて殺されてしまうの だが、そいつだって「どんな命でも生きる権利はある」んじゃないのかね? おまけにインドラプトルこそ、クローン生まれのこの子がシンパシーを持つべき遺 伝子操作で生まれた恐竜だぞ。何でそいつは死んでいいんだよ。このガキと優しい恐竜ちゃんが助かるためなら、他の奴らは死んでも構わないとでも言うのか。「生きる権利」はオマエらだけのものなのかい。
 こういう生意気な屁理屈をホザくガキは、本当に頭に来る。おまけにそれで文明世界が危機に陥るのなら、何をか言わんやである。これだからクローンは… と、まるで「ゆとり世代」みたいに言われても仕方がない(笑)。甘やかされた金持ちのクソガキに、こんなことを上から目線で言われたくない。こんなクソガ キ、サッサと恐竜に食わせれば良かったんだよ。
 つまりお話の前提・発端から結末に至る部分で、どうにも共感出来ないテーマが底流として流れているのである。根本的に本作のお話はダメなのだ。
 こうなったあげく、映画のラストでダメ押しのようにジェフ・ゴールドブラムが「ようこそ、ジュラシック・ワールドへ!」と言って本作は幕となる。その時のゴールドブラムのドヤ顔からも分かるように、おそらく前作「ジュラシック・ワールド」からこのセリフを言わせたくて、ずっと引っ張って来たことが伺える。ここへ来て、どうやら最初から「ジュラシック・ワールド」は三部作構成で考えていたんだな…と僕にも分かった。あのゴールドブラムのドヤ顔は、前作の監督で本作でも脚本と製作総指揮を手がけているコリン・トレボロウ自身のドヤ顔でもある。
 だが、正直言ってコリン・トレボロウごときは大した映画人ではない。その証拠が、本作のガタガタな内容である。確かにゴシック風な見せ場を中心に持って 来るあたり、「ジュラシック〜」が宿命的に持つマンネリを打破する構想力はあった。あるいは「ようこそ、ジュラシック・ワールドへ!」というセリフに持っ ていくような、三部作を発想できる構想力もあった。だが、本作の作品そのものは、あちこちで致命的にホコロビを見せている。それは、J・A・バヨナの演出 力をもってしてもどうにもならなかった。脚本がダメだからである。しかもその脚本をプロデューサーのトレボロウ自身が書いているんじゃ、バヨナじゃどうにもならなかっただろう。これを見ていると、
トレボロウなんてインチキ臭い男に丸め込まれるスピルバーグって本当に人を見る目がないんだなと思わされる(笑)。
 どうやら次作完結編で監督復帰するらしいトレボロウ、今回ヒットはしたんだろうが、決してドヤ顔なんか見せている場合ではないと思うのだが。

 

 


 

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