「告白小説、その結末」

   (Based on a True Story)

 (2018/08/13)



見る前の予想
 ロマン・ポランスキーの新作が公開される、しかもそれがサスペンス映画らしい…と聞けば、見くて見たくてたまらない。
 「フランティック」(1988)のヒッチコック風サスペンスのうまさは今でも忘れない。近年のゴーストライター(2010)なんて熟達のワザとしか思えない。だが、前作「毛皮のヴィーナス」(2013)はウッカリ見逃してしまって大いに悔やんだ。今回は見逃しは許されない。おとなのけんか(2011)など近年のポランスキー作品の充実ぶりを考えると、1本たりとも見逃せないのだ。
 おまけに今回のヒロインは、その「フランティック」以来、公私ともにポランスキーのパートナーとなったエマニュエル・セニエ。この人も最初は所詮はポランスキーお手つきの無名女優…などと思っていたら、エッセンシャル・キリング(2010)でアッと驚く好演を見せてスッカリ見直した。そこに共演は、ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち(2016)など出て来るだけでミステリアスなエヴァ・グリーンである。これは良質なサスペンスが味わえそうな予感ではないか。
 なかなかタイミングが合わずに見に行けなかったが、上映終了間際で何とか劇場に駆け込んだ。

あらすじ
 「素晴らしい内容でとても感動しました!」
 巨大な会場で行われているブック・フェア。そこでサイン会を開いている女流作家デルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)に、本を持ったファンたちが列をな して押しかける。確かにホメられるのは嬉しいしありがたい。だが、それも朝から何十人ものファンに言われて、延々サインのペンを走らせ続けていれば、笑顔 だってこわばる。それにデルフィーヌは、この本についてちょっと微妙な感情を持っていたのだ。
 疲れきったデルフィーヌはサイン会を早々に切り上げてしまったが、なぜかひとりの若い女(エヴァ・グリーン)だけが、平然とデルフィーヌの前に現れる。彼女はまったく物怖じしない態度で、デルフィーヌに本を差し出すのだった。「もう1冊だけサインしてくださらない?」
 ブック・フェアから退散したデルフィーヌは、今度は業界人のパーティーへと送り込まれる。ここで有力者さんたちに義理のひとつも売らないと…と出版社の 人間から言われたものの、正直つき合っていられない。サッサと退散しようとしたその時、デルフィーヌは別の部屋にひとりで佇んでいた若い女に気づく。
 先ほどのサイン会で、最後にやって来た女だ。
 先ほどはサインを断ったものの、さすがに申し訳ないと思ったか改めてその場でサインに応じるデルフィーヌ。その若い女は自らを「エル(彼女)」と冗談のように名乗る。ついつい気を許したデルフィーヌは、気がつくとエルと楽しく語らい始めていた。何しろ、初対面のエルに自分の創作用メモ帳まで披露しちゃうのだから、その打ち解け方はハンパじゃない。
 そんなこんなでやっとこ自宅に辿り着いたデルフィーヌ。だが、ベッドにバッタリぶっ倒れたとたん、ドアフォンが呼び鈴を鳴らすではないか。現れたのは、 デルフィーヌの夫フランソワ(ヴァンサン・ペレーズ)。フランソワはデルフィーヌをクルマに乗せて、田舎の別荘へと連れて行く。
 有名な書評家であるフランソワは、世界中を飛び回る多忙な身。この日、デルフィーヌと顔を合わせたのは本当に久しぶりのことだった。だが、別に関係が冷えきっての別居という訳ではない。お互い仕事を持つ身として、干渉し合わない関係を保っているのだ。だから久々の別荘での休日を終えたら、ふたりはまたバラバラになって仕事に戻って行く。子供ふたりも、親の手からはとっくに離れていた。そんな生活に、幾ばくかの寂しさはなかっただろうか…。
 そんなこんなで、自分のアパートに戻ったデルフィーヌ。エレベータなしで階段で上がらなければならないのが玉にキズながら、住めば都のわが家である。だが、帰宅して早々、彼女は郵便受けに妙な手紙を発見する。
 「オマエは母親を売って作品にした」
 冷たくデルフィーヌを非難するその手紙は、どう考えても親族の誰かが書いたものだろう。それを見て、深く落ち込むデルフィーヌ。匿名での非難という卑怯さに憤りは感じるものの、彼女はその批判を突っぱねられない。母親をネタにした…という点においては図星と言わざるを得ないからだ。それだけに、手紙を一蹴出来ずにユウウツになってしまうデルフィーヌではあった。
 パソコンを開いていざ書き出そうにも、ディスプレイ画面も頭の中も真っ白。浮かばないというより何にもない。そんな行き詰まったデルフィーヌのスマホに、一本の電話がかかって来る。
 電話の相手は、あのエルだった。
 デルフィーヌはエルに電話番号を教えたつもりはなかったが、どうやらお義理で教えていたらしい。デルフィーヌはエルに近くのカフェで会おうと言われるが、ちょうど煮詰まっていたし、エルには好感を持っていたし…で渡りに船。何だかんだでイソイソと出かけることにする。
 案の定、今回もエルは会っていて楽しい相手だ。そんなエルは、有名人の取材やゴーストライターを生業としているという。楽しいおしゃべりをしていると、 時が経つのは早い。次の予定があることに気づいたデルフィーヌはお開きにしようとしたが、エルも途中まで同じコースだから…と一緒に地下鉄に乗った
 ところがデルフィーヌが先に地下鉄を降りてエルと別れると、持っていたバッグの底からバサバサと中身が落ちて来る。何といつの間にかバッグの底に穴が開けられ、例のメモ帳がなくなっているではないか…。


見た後での感想

 相変わらず、ポランスキーは映画巧者である。とにかく面白い。語り口がいい。特に近年の作品は、どれもこれもハズレがない。
 ところが昨今の世の中の風潮からポランスキーもかなり糾弾を受けているようで、ひょっとしてヘタをすると彼も近いうちに映画が撮れなくなってしまうこと になりかねない。そのことの是非についてはここで云々するつもりはないが、何しろあのカトリーヌ・ドヌーブですら謝罪に追い込まれるご時世だ。何があるか 分からない。
 そんなこんなで…別に完成した映画までフィルムを焼き捨てられる訳ではないとは思いつつ、何となく見ておけるうちに見ておかないと…と、最終日が迫る映画館に駆けつけたような訳だ。まこと昨今は、全世界的に何かとてつもない動乱が巻き起こる前触れのようでもある。
 それはともかく、慌てて見に行った本作は、またしても名人芸が冴え渡る「面白い」作品だったのである。


 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 



見事にポランスキーの術中にハマる

 本作、実はあまりに語り口がうまい映画なので、どこをどう語っていいのか分からない。
 ヒロインはポランスキー夫人で「フランティック」、「赤い航路」(1992)などにも出演していたエマニュエル・セニエ。一見ファム・ファタール系の女優さんなのだが、今回は彼女はそういった「運命の女」ではなくて翻弄される方。最初はこのセニエがあまりに無防備で無用心なので、見ていてイライラしてしまう。相手が怪しさ満点のエヴァ・グリーンなのでなおさらだ。
 さよう、今回の「運命の女」はこのエヴァ・グリーンである。
 セニエは先にも述べたように、イライラするほどトロくてお人好しに描かれる。だが、イライラしてる時点でこちらはすっかりセニエに感情移入してる訳で、早くもポランスキーの術中にハマってるという訳である。何とも食えない男なのだポランスキーは。
 こうしてエマニュエル・セニエは、見るからに怪しいエヴァ・グリーンとよせばいいのにどんどん親しくなっていく。作家としての雑事が何かと煩わしいよう だし親族からクレームもらうと落ち込むし…とダメージに弱そうなセニエだから、わざわざテメエからグリーンに関わらなきゃいいのに…と思うのだが、なぜか セニエはズブズブと無防備に親しくなってしまう。
 そのグリーンも最初こそフレンドリーだったものの、徐々に人の領域に土足で上がり込むようになって高圧的な言動が目立って来る。そうなると、元から人に強く出られないセニエはどんどん追い込まれて、いつしかどっちが主だか従だか分からなくなってしまう…。
 見ていてまず想起したのが、ブリジット・フォンダジェニファー・ジェイソン・リー主演の「ルームメイト」(1992)という作品だ。ヒロインがアパートの同居人を募集して、やって来た女と最初は意気統合したものの、徐々にその女がヒロインに似せてくるようになって…というジワ〜ッと怖い映画。そしてもちろん、作家とファンの関係が高じてトンデモないことになってしまう、ロブ・ライナー監督の「ミザリー」(1990)も連想した。それらの作品に共通する、イヤ〜な感じが本作にもあるからだ。
 だが、それと同時に…見ているこちらも遅ればせながら、本作の中に「ちょっと変だな」とわずかな不協和音みたいなモノを感じて来る。たぶんこのへんで勘のいい人なら気づいてるのだろうが、情けないことに僕は映画のエンディングまで「仕掛け」に気づいてなかった。お恥ずかしい話である。何年映画見てるんだよ…という話である。
 確かに途中で変だ変だと思っていながら、見事にはぐらかされてしまった。エヴァ・グリーンが「自分の母親も自殺した」と言い出したあたりでアレッ?とは 思ったのだがどうにも確信が持てず、ラストのサイン会でのセニエの指に塗られたマニキュアを見るまで、「仕掛け」には気づかなかったのだ。その直後にまた してもエヴァ・グリーンが出て来て、そういや最初のサイン会でもこいつ唐突に現れて、唐突に場面が変わったよな…と今さらながらに思い出して、それでよう やく「なるほど」と分かったような訳だ。後から考えてみれば、慌てて病院に駆けつけたダンナもなぜか自殺と決めてかかってるし…と、ヒントはいっぱい散ら ばせてあったのに、僕はまるで分かっていなかったのである。この作品を見た人は、みんなすぐに分かったのかねぇ。
 先に挙げた「ルームメイト」や「ミザリー」など、一見類似したような作品がいくつか存在しているのも、引っかけられる要因になっている気がする…な〜んて言い訳するのは、往生際が悪いだろうか。

実はお人好しエマニュエル・セニエ?
 そんな訳で、あまりに気弱で無防備でお人好し…悪く言えば少々トロいヒロインを演じたエマニュエル・セニエに、まんまとしてやられてしまうことになる本作。彼女のイメージからすると、ちょっと意外である。
 先にも述べたように、セニエは一見クール美女でファム・ファタール系。むしろ悪女が似合いそうな女優さんである。だが、彼女はすでに「エッセンシャル・キリング」で、意外な一面を見せていた。歳をとってから結構骨太でゴツゴツした感じが出て来て、いい感じで善良さが出ていたのだ。今回は彼女のその部分を大いに拡大していったような観がある。
 しかも今にして考えてみると、彼女は最初に出て来た「フランティック」でもクールな美女に見えて、実は意外にいい人…みたいな使われ方をしていた。案外ポランスキーにとっては、セニエって人はちょっとトロいお人好しみたいなイメージがあるのかもしれない。ヨメさんにしていて、しかも夫婦として長持ちしているというのは、彼女のそういう点を知っているからなのだろうか。
 だとすると、人一倍過酷な人生を歩んでいるポランスキーとしては、実はトロいお人好しのセニエが「癒し」だっ たのかもしれない。あるいは、こいつの本当の良さが分かるのはオレだけ…みたいなヨメ自慢だったのかも(笑)。このクールな外見を持つ女優をこんな風にあ えて使っているというのは、そういうことかもしれないのだ。ちょっと脱線したかもしれないが、本作のセニエの使い方には非常に興味がそそられる。ポランスキーの知られざる一面を見たような気がするのである。
 一方、エヴァ・グリーンは彼女の個性を十二分に発揮した役どころだが、ダーク・シャドウ(2012)みたいなワンパターンのつまらない使われ方をされるなら、こちらの方がずっといいだろう。そんな二人の女優の緊迫するやりとりと、巧みな仕掛けを入れ込んだ脚本を書いたのは、何とアクトレス/女たちの舞台(2014)の監督でもあるオリヴィエ・アサイヤスと知ってビックリ。「アクトレス」を見れば女優のやりとりの面白さを引き出すうまさは想像できるものの、この人かなり昔に「イルマ・ヴェップ」(1996)なんてムチャクチャな映画撮っていたから(笑)、なかなか信用出来ない。こんなうまい脚本を書けるなんて思わなかった。そもそもアサイヤスがポランスキーのための脚本を書くなんて思いもしなかったので、正直言って驚いたのだ。
 今回のアサイヤス起用は、やはり女性ふたりの激突を描く…というところから来ているのだろうか。ともかく本作では、ポランスキーとの豪華なコラボを大いに堪能させられた。

身に覚えがあるヒロインの恐怖
 そんな訳で、製作規模から言って明らかに小品だが、ゴージャス感漂う本作。終盤まで「仕掛け」に気づかなかったとは我ながらあまりにも鈍過ぎだが、それはヒロインが作品のことで身内からチクチク非難の手紙とか受け取ってイヤ〜な気分になるあたりで、人ごとに思えずに僕がヒロインに感情移入し過ぎてしまったからかもしれない。
 それでなくても、個人的には本作のヒロインの気持ちは分かる。自分に振り返ってみても…誰かに背中を押してほしい、だけど赤の他人にゴチャゴチャ言われ るのは面倒(笑)。仕事をする上で、自分もアレに近いところがあるかもしれない。それこそ、そんなことを自分に強いてくれるような、ある意味で「都合がいい」存在がいて欲しいとも思うのだ。あの「エル」という女は確かに恐怖だが、実はヒロインにとっては作家としての自分を駆り立ててくれる「都合がいい」存在と言えなくもないのである。
 また実際のところ、自分もこのサイトをはじめ何らかの「自作」を人の目に触れさせるようになってから、このヒロインが陥った状況に似た厄介なトラブルにも何度か巻き込まれた。何らかのカタチで「自作」を不特定多数の人間の目に触れさせた時から、こういう可能性は免れないのだ。
 僕と自分とを異常に同一視して近づいて来る人物とか、僕のことを「育てた」とでも言いたげに自慢して来る人物…。もちろん、最初はみんな好意的である。フレンドリーであったり賞賛してくれたりする。悪意はない。だから、こういう人々との距離の取り方はとても難しい
 だが、それが徐々に怖い程の執着に変わっていく。物凄い圧迫感を感じて来る。あれは確かに恐怖だ。だから、ヒロインが味わう恐ろしさには身に覚えがある。人ごとじゃない。それって本当にフィクションじゃないのだ。
 だからこそ、僕は本作にはまんまとダマされたし、身につまされたのかもしれないのである。

 

 


 

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