「空海/KU-KAI 美しき王妃の謎」

  妖猫傳 (Legend of the Demon Cat)

 (2018/03/26)



見る前の予想
 チェン・カイコーの久しぶりの新作が空海を主人公にした日中合作の大作と聞いて、僕はちょっと複雑な気分になった。
 そもそも僕は、チェン・カイコーをちょっと贔屓にしているところがあった。彼のライバルであるチャン・イーモウと 比較すると、チェン・カイコーはいろんな意味で危なっかしく、実際に「やっちまった」ケースも少なくない。世間的には、作家性でも作品の完成度でもチャ ン・イーモウの方が断トツに評価が高いはず。だが、僕にとってはそんな危うさがチェン・カイコーの魅力でもあった。いつもソツなく作品を発表するチャン・ イーモウは、だから中国共産党にもいたく気に入られている様子。でも僕は、やる時にはフルスイングで大きくズッコケるチェン・カイコーの方が好きだ(笑)。
 ところが近年、チェン・カイコーの作品発表はパッタリ途絶えてしまっていた。実際にはそんな空白期間中にも1本ぐらい作品が作られていたようだが、日本 公開はされなかったという不遇ぶり。確かに、最後のあたりの作品はイマイチだった記憶がある。そして僕もスッカリ存在を忘れていた頃になって、この超大作 の登場である。
 ただ、チェン・カイコーが空海…ってのがよく分からない。何だか「らしくない」題材である。そもそも、日本俳優たちを多く起用しての本作はいかなる狙いがあるのだろうか? 長安の街の巨大セットを建設したなどと話題は豊富みたいだが、「巨大セット」と聞くとまたぞろ大失敗した「始皇帝暗殺」(1988)あたりがチラついてイヤ〜な予感がしてくる。おまけに日本公開にあたっては、すべて日本語吹き替え版での上映と聞いて腰が退けた。
 しかしながら、腐ってもタイならぬチェン・カイコーである。そして平昌冬季オリンピック閉会式で行われた次回・北京大会のプレゼンテーションは、またしてもチャン・イーモウの演出だったという。またまた中国共産党御用達。かの国で生きていくにはいろいろあるんだろうな…と思いつつ、いささか興ざめな気分になったのも事実だ。
 そうなると、僕としては足取りも怪しげなチェン・カイコーに頑張ってもらうしかない。くすぶっていてもらっては困る。日本語吹き替え版しかないのには気持ちが萎えかかったが、応援の意味もあってこの最新作を見に行く気になったという訳である。


あらすじ

 中国、唐の時代。長安にあるお屋敷の庭にある池のほとりで、春琴という女(キティ・チャン)が瓜を食べようとしていた。
 ところが、そんな彼女に話しかける者あり。「オレにもそれをくれや」と声をかけてきたのは、一匹の黒猫。春琴は慌てて逃げ出すが、黒猫は春琴に「庭のある場所にカネが埋まっている」と語った。それだけ言い残すと、黒猫は瓜を食い散らかし、池から捕まえた魚の目玉だけを食って去って行った。後で指定された場所を掘ってみた春琴は、実際に大金が埋まっているのを見つけ出す。
 春琴は都の役人である陳雲樵(チン・ハオ)の女房で、帰宅してから事の次第を知った陳雲樵は、降って湧いて現れた金の卵を産むガチョウに大喜びだ。
 そんなある夜のこと、長安の宮殿にひとりの僧侶が呼ばれてやって来る。その若い僧侶の名は空海(染谷将太)。わざわざ日本から唐に渡っていた彼は、病に苦しむ皇帝を救うために呼ばれていた。宮殿で記録係を務める白楽天(ホアン・シュアン)が、到着した空海を出迎えた。
 ところが空海が到着するや否や、皇帝は容態が一気に悪化して変死。空海は皇帝に仕える役人から、皇帝は風邪で死んだのだと暗に穏便に済ませることを言い含められる。
 しかし、アッという間に顔色が急変するなど、皇帝の死に様は只事ではない。しかも空海は、宮殿内で猫の毛と足跡のほかに、「次は次期皇帝のリショウ」と書かれた札も見つけた。これらのことから、空海は皇帝の死が化け猫の呪いなのではないかと疑い始める。
 翌日、そんな空海を意外な人物が訪ねて来た。それは、前日に宮殿で会った記録係の白楽天。彼は皇帝の死を風邪のせいだと記録するように命じられ、嫌気が さして職を辞して来たと言う。そもそも記録係は食うための仕事で、本来は詩人を志している…と語る白楽天に、空海は大いに興味を抱く。
 しかも白楽天は、空海に興味深い情報を提供した。いわく、宮殿内に猫がいたこと。さらに、陳雲樵の屋敷に人間の言葉をしゃべる猫が現れた…というウワサ である。前日の件も含めて、空海はさらに皇帝の死にまつわるナゾに疑問を抱く。白楽天は白楽天で、大道での瓜を使った幻術を見破った空海に感心し、行動を 共にすることにするのだった。
 その夜、ふたりは陳雲樵が入り浸っているという歓楽の店「胡玉楼」へと乗り込む。本来はこのような店に縁がないはずの空海だったが、今回は大義名分があるから堂々入場だ。
 すると案の定、陳雲樵がお仲間や家来を引き連れてやって来る。彼らが陣取った大座敷に隣接する部屋から、じっと様子をうかがう空海と白楽天。だが、すでに異変は起こっていた。
 新入りの若い女をはべらせた陳雲樵に、それまでの馴染みの女が苛立つ。そんな女の心に、邪悪な「何か」が忍び込む。そうとも知らず、突然カネ回りが良くなったため遊び惚ける陳雲樵たち。
 その宴もたけなわの頃、あの黒猫が現れた。だが黒猫を見くびる陳雲樵は、「これでも食ってろ」と黒猫に生魚を投げつける。これがやってはいけないこと だったのは、お察しの通り。黒猫はその場にいた陳雲樵の取り巻き連中に襲いかかり、次々とその目玉を引っこ抜いていった。さすがに陳雲樵は怯えまくるが、 今となってはすべて手遅れ。アッと言う間に無傷なのは陳雲樵一人となり、黒猫は「明日オマエの家に行く」と言い残して消えるのだった。
 こうして「化け猫」の存在を目の当たりにした空海と白楽天は、翌日、陳雲樵の屋敷へと駆けつけるのだが…。

見た後での感想

 冒頭にも書いた通り、チェン・カイコーが「空海」って「???」と思っていた。見る前は、どうせ「天平の甍」(1980)みたいな坊さんの真面目な話だろうと思っていて、正直あまり食指がそそらなかった。
 ただ、ちょっと引っかかったのはタイトル。「KU-KAI」って何だ(笑)? 無駄にチャラい感じがするではないか。おまけにサブタイトルに「美しき王妃の謎」と来る。何だか「ハムナプトラ」とかに付きそうなサブタイトルである。あるいはギャガあたりが配給する洋画とかね(笑)。
 こりゃあどうも、抹香臭い坊さんの話じゃなさそうだなと思っていたら、さにあらず。これは坊さんと教典がどうの…なんて話ではない。それは、空海以外の本作の登場人物たちを見てみれば分かるのだ。


実は青春空海の探偵ミステリー篇

 「KU-KAI」なんてタイトルになっているから、僕はてっきり坊さんとしての空海の生涯を描く映画だと思い込んで見てしまった。確かに主役は空海で間違いないのだが、本作では空海の坊さんとしての求道精神などは描かれたりしない。これはそんな映画ではないのだ。
 何しろ空海白楽天(後に大詩人の白居易となる人物らしい)、阿倍仲麻呂、さらに楊貴妃…といった過去の有名人がどんどん出て来るというお話。これらの人物にそれぞれ関わりがあったとは思えないのだが、まぁ、これはかつてTBSでやっていたテレビ時代劇「江戸を斬る」みたいなものなんだろう(笑)。
 これだけ言いっぱなしだとイマドキの人は何だか分からないから説明すると、「江戸を斬る」とは一時期「ナショナル劇場」ワクで「水戸黄門」と半年ずつ交 代で放送されていたドラマ。1作目はどんな時代劇だったか忘れたが、2作目「江戸を斬るII」からは主人公が遠山の金さんとなり、その手下が鼠小僧、さら に遠山の恋人であるおゆきが実は水戸家の姫で、その父親が水戸斉昭…といった具合に大江戸有名人がそれぞれ関係者というドラマだった…はず。間違っていた ら、また時代劇ファンに怒鳴り込まれそう(笑)なんで自信たっぷりには言わないが、つまりはそんな感じである。本作も、そんな調子で有名人がゾロゾロ関係者…というお話なのだ。抹香臭い話にはなりようがないのである。
 実は見るまで知らなかったのだが、本作は夢枕獏の小説が原作らしい。だから日中合作となったということなのだが、それならどう考えても「天平の甍」にはなりっこない。それに気づかなかった私が馬鹿でした。
 そんな訳で、「空海」という邦題についつい惑わされてしまう本作。実際はもっとケレン味に溢れた娯楽映画に仕上がっているのは、冒頭にしゃべる黒猫なんかが出て来ることでも分かる。
 しかも主役である空海も白楽天こと白居易も、有名になる前の若き日の 設定だ。そんなふたりは皇帝の死に端を発した黒猫のナゾを追いかける…という展開になっていく。このあたりから本作は、ちょっと探偵モノの雰囲気を醸し出 して来る。空海と白楽天はどこかシャーロック・ホームズとワトソン風でもあり、本作はさながら…かつてスピルバーグ・プレゼンツとして無数に製作された作 品のひとつ、「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」(1985)のような感じになってくるから面白い。さらに別の映画を例えるならば、過去の中国を舞台に探偵モノっぽい趣向のお話を進めていくあたり、そしてその中にオカルトっぽい味を入れて来るあたり、ツイ・ハークアンディ・ラウ主演で撮った王朝の陰謀/判事ディーと人体発火怪奇事件(2010)を彷彿とさせるところもある。ともかく僕もようやくこのあたりで、本作の楽しみ方が分かって来たのである。


 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

映画中盤以降の残念な展開

 若いふたりの主役のコンビネーションも悪くないので、「ヤング・シャーロック」的な展開を見せてくるあたり、実は僕もキライじゃない。これは なかなか楽しいぞと、僕は見ていてちょっとワクワクし始めた。ところが、楽しい気分になっていくのもそこまで。実は黒猫の因縁を調べていった果てに楊貴妃 に絡む過去が語られていく中盤以降は、またちょっと映画の様相が変わって来る
 ぶっちゃけ言うと、このあたりでやたらにテンポが悪くなってくる。最終的には楊貴妃の悲しい運命を語る話になっていくので、どうしたって話が湿っぽくなってくるのは仕方がない。だが、それにしたってあまりにも話が湿気ってくるのである。それって、ミステリーものなのに異常にセンチになってお涙頂戴な展開になる、日本の2時間サスペンスドラマみたいな感じに近い。そこらあたりから話が停滞してしまって、見ていて非常に居心地が悪くなって来るのだ。
 それ以前に映画の中盤から…現実のことなのかファンタジーと見ればいいのか、判断に苦しむ場面が続出。そこらあたりから、本作ではやたらにCGの使用が目立ち始める。
 冒頭にも書いたように…本作では、巨大セットを建造して長安の街を再現しているた め、この手の中華系の時代劇映画にありがちなCG使用が比較的少ない。ところがお話が中盤に差し掛かって、阿倍仲麻呂の日記を引用しているという体で描か れているくだりになって来ると、なぜかいきなりわざとらしいCGで描かれた街並みが登場。さらに前述の「現実だかファンタジーだか分からない」描写の場面 がどんどん出て来るあたりもCGのオンパレードである。これは一体どうしてなのか?
 本作の構成を見てみると、CGを多様しているのは阿倍仲麻呂の日記の内容をはじめ、誰かの語る回想などのかたちをとった場面である。「現実だかファンタ ジーだか分からない」描写も、主役ふたりが体験する訳ではなく、あくまで「誰かからの伝聞」やら「回想」のカタチをとっている。どうやらチェン・カイコー としては、若い主役ふたりがイキイキと活動する場面は現実味のある映像として大セットで実写オンリーで撮影して、誰かの回想などによる場面は夢うつつの内 容であるとしてCGを多用する…という差別化を図りたかったのではないか。そのための、前半の大セットでの撮影…ということだったのではないだろうか。
 だが、残念ながらそれは思ったほどの効果を挙げているとは言い難い。高いコストをかけてまで、大セットを建てた意味があまりないのである。これはかなり 残念な結果だろう。確かに途中までは中国語圏映画特有のコピー・ペースト感満載なCGがあまり出て来ないので、その点だけは見ていて好感が持てる。だが、 結局は後半でCGの洪水になってしまうので、それも水の泡である。ましてチェン・カイコーが狙ったであろう、前半の現実感と後半の回想・幻想との対比…は思ったほど大きな効果が挙がっていない。結局、残念ながら大セットは「始皇帝暗殺」以来のムダ遣いと言わざるを得ないのだ。
 だが、本作の本当の問題はセット建設費のムダ遣いなどではない。先にも述べたような「お話が後半にいくに従って湿っぽくなり、テンポが悪くなっていく点」の 方が深刻なのだ。そこまでは主役ふたりが若くイキイキとしているせいもあって、テンポも良く面白い。ところが後半になると、前述のごとく「日本の2時間サ スペンスドラマみたい」になってしまう。…というか、これを言っちゃうと邦画ファンの逆鱗に触れてしまいそうだが、何となくこのジメジメ感やテンポの悪さ は、どことなく「日本映画的」…に思えてしまう。本作が夢枕獏の小説が原作で染谷将太扮する空海が主役…の日中合作映画であるせいでもないだろうが、何となく「日本映画」の良くない部分と同じようなダメさに見えるのだ。これは、本作が一種の「中華邦画」だからなのだろうか(笑)。
 他にも、細かい気になる点を挙げればキリがない。例の某大ヒット・アニメの主題歌「君のぜんぜん…」(笑)でおなじみのバンドが主題歌を手がけたようなのだが、この英語の歌が何ともお寒い出来映えでちょっと凍えてしまう。また、空海役を演じた染谷将太は…僕はこの人の他の映画を見ていないので分からないのだが、いつも過剰にニヤニヤ笑っているのは芸風なのだろうか。それとも、チェン・カイコーの演出によるものだろうか。僧侶の微笑みを表現しているのかもしれないが、正直言って、人を馬鹿にしたようなあのニタニタ笑いはあまり好感が持てなかった。さらに、ある人物の魂が黒猫に宿る場面などの描写も、マンガみたいに安っぽい特撮で失笑もの。そういう点も含めて、本作にはどこか「出来の悪い邦画」っぽい悪い点が数多く見受けられたのである。


チャン・イーモウとの関係性において

 中国映画における現代の2大巨匠といえば、チャン・イーモウとこのチェン・カイコーであることは間違いない。
 僕もこれまで本サイトにおいて、このふたりを1960年代のビートルズとローリング・ストーンズの ように並べて語って来た。実際にこのふたりはビートルズとストーンズのように、キャリアのある時期までは明確にお互いを意識して影響を受け合い、それを作 品に反映させていたように思う。例えばチェン・カイコーが「始皇帝暗殺」で大コケしたあげく、イギリスに渡って英語映画キリング・ミー・ソフトリー(2002)を普通の欧米製娯楽映画として作ると、チャン・イーモウはHERO/英雄(2002) をあくまで「中国発」の洗練された娯楽映画として製作。しかも、チャッカリと「始皇帝暗殺」でチェン・カイコーが作ったセットを使用するといった案配であ る。その過程でチェン・カイコーは少なからず大きな失敗を重ねており、チャン・イーモウはそれを横目で見ながら、チェン・カイコーの失敗を参考にして自らの作品を作っているような観があった。ハッキリ言って、チャン・イーモウの方がセコくて陰険なイメージはあったが(笑)、ふたりは絶対にお互いを意識していたに違いないのだ。
 そんなふたりももう決して若くはなく、正直言って近年はあまり話題になる成功作にも恵まれてなくなって来た。さらに中国語圏映画に有望な若手が次々台頭して来たこともあり、ますますピークを過ぎてきた感じは否めなかった。僕が最後に見たチェン・カイコー作品である運命の子(2010)も、今ひとつな出来映えだったと記憶している。どちらかというとソツなく失点もなかったチャン・イーモウですら、例の北京オリンピックの開会式で大いにミソをつけ、発表した作品も地味な評価しか得られていなかった。
 そして、ここへ来て両巨匠の「揃い踏み」である。
 チャン・イーモウは主役にマット・デイモンを迎えて、ハリウッド資本によるグレートウォール(2016)を製作。何とチェン・カイコーの「キリング・ミー・ソフトリー」から遅れること14年の、欧米映画への初挑戦である。その結果は、ご存知の通り壮大な失敗に終わった。おそらくその製作過程は、本作の製作時期とかなりの部分でかぶるのではないだろうか。ならば、この両者が今回も大いに意識し合っていたと見るのが自然だろう。
 かつて英語園イギリスで娯楽映画に挑戦したチェン・カイコーと、あくまで中国に踏みとどまって娯楽映画を実現したチャン・イーモウ。今度はこの関係がある意味で逆転して、まったく土壌が異なるハリウッドを後ろ盾としたチャン・イーモウに対して、あくまで東洋という共通のバックボーンを持つ日本をバックに従えたチェン・カイコー…。今回の作品は、そうした両者の連続性の延長線上で考えるべきではないだろうか。
 だとすれば、本作の結果についてはまだ判断するのは早いかもしれないのだが…。

 

 

 

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