「殺人者の記憶法」

  Memoir of a Murderer

 (2018/02/26)



見る前の予想

 本作もチラシを見ただけで「ムムッ?」と来た。ソル・ギョング主演の韓国映画「殺人者の記憶法」
 何だかちょっとポン・ジュノ殺人の追憶(2003)を連想させるタイトルだが(「殺人の追憶」の英語タイトルは「Memories of Murder」だから、実はこっちの方が酷似している)、いかにも良さそうなムードが充満している。まったく根拠はないけど、良さそう。明らかにサスペンス映画だ。しかも韓国映画だから、昔のカル(2000)みたいにちょっと猟奇味やグロ風味があるのかもしれない。ソル・ギョング、こういう題材ならハマるんじゃなかろうか。
 …というのは、近年のソル・ギョングは必ずしも好調だとは思えなかったから。少なくとも僕が見た範囲の出演作はイマイチばかり。この特異な名優を、まるで活かせてないと思う作品ばかりだった。しかし、今回こそはやってくれるのではないか。
 確かに一時の韓流ブームもスッカリ冷えきってしまったし、僕自身も韓国映画にはあまり関心が持てなくなってしまってはいたが、ソル・ギョングはホンモノだと思っている。だから、彼には良い作品に出て欲しいんだよね。これは本当の本音だ。
 だから、本作には大いに期待した。本作のお話もロクに知らないまま根拠のない期待だけを抱いて、僕はイソイソと劇場へと乗り込んで行った。

あらすじ

 その長いトンネルを抜けると、目の前には雪が降っていた。
 トンネルを出てきたその老人の名は、キム・ビョンス(ソル・ギョング)。手に馴染んだ大きいカバンを下げて、足には不似合いな真っ白いスニーカーを履いている。その戸惑ったような表情が、かすかに顔面神経痛のようにケイレンし始めて…。
 それに先立つこと何年、いや何十年ぐらいだろうか。まだ髪も黒々として白髪も目立たなかった頃のビョンスが、警察署の待合所に座らされていた。オドオド しているビョンスに話しかけるのは、警官のアン・ビョンマン(オ・ダルス)。彼とビョンスは馴染みの仲のようだが、アンが話しかけてもビョンスはオドオド するばかり。やがて警察署にウンヒ(キム・ソリョン)という女子高生がやって来て、ビョンスを引き取っていた。
 ウンヒはビョンスの娘…らしい。ただただひたすらオドオドしているビョンスは、ウンヒと一緒に食堂に入ってメシを食っている時も、イマイチ反応が鈍い。
 ビョンスは記憶を失う病気を持っていた。それも、最近の記憶から失っていくらしい。交通事故で頭を打った時から徐々にそうなっていったようだが、最近はそこにアルツハイマーも入って来た。
 ウンヒはそんなビョンスを面倒看ながら暮らしていて、この日も彼に録音機を渡していた。常にこの録音機にメモ代わりに起きたことを吹き込んでおけば、忘 れても問題ないという訳だ。そういうものなんだろうか…と納得したかしなかったか、ビョンスはとりあえず録音機にいろいろ声を録り始める。
 それでも長くやって来た技術はなかなか忘れないため、獣医の仕事は何とか続けていたビョンス。だが、それも最近では怪しくなってきたため、慌てて店じまいしなくてはならなくなった。症状は徐々に深刻な状況に進んでいたのだ。
 そんなビョンスは完全に記憶を失う前に何かを残そうとしたのか、秘かにパソコンに回想録を残していた。それは、彼がまだ少年だった頃の記憶に始まる。
 ビョンスは、殺人鬼だった。
 それは、彼の父親が久々に戻って来た日に始まった。彼が学校から帰宅すると、怯えきり泣きはらした顔の母と姉がいて、部屋の中はメチャクチャに散らかっ ているではないか。しばらく家を離れていた「暴君」である父親が戻り、相変わらずの乱暴狼藉を働いたのである。しかも戻って来たビョンスに気づくと、彼に も殴る蹴るのやり放題。しかも彼に対して欲望を満たそうと、隣の部屋へ引きずって行くではないか。あわや…となった時、ビョンスはその場にある枕を父親の 顔に押し付け、グイグイと力を込めて圧迫。やがて父親はこと切れた。
 それがすべての始まりだった。
 世の中にはいなくなった方が良い人間、死んだ方が人のためになる人間がゴマンといる。ビョンスはそういう連中を、次から次へと殺しては竹林に埋めていった。
 だが、17年前にある女を殺したのを最後に、彼は足を洗った。その女を殺した直後にクルマで事故を起こし、彼は頭を強打した。そこで「殺し」は打ち止めとなったのだが…。
 そんなビョンスの心配は、最近、隣町で頻発する連続殺人事件。若い女が次々猟奇殺人の餌食になっていると聞けば、ウンヒの父としては当然の心配だ。自らが殺人鬼だっただけに、決して安心できないということが分かっているのだ。
 そんなある日、霧の立ちこめる山道をクルマで走っていたビョンスは、ついつい前方不注意で停車していたクルマに追突してしまう。マズいと思ってクルマか ら降りたビョンスは、慌てて前方のクルマに近づいていく。すると、追突のショックで開いた前方のクルマのトランクには…何やら包んだ大きな「モノ」が収 まっているではないか。しかも、クルマの下には赤い液体が滴っている。
 その時、ビョンスの本能が瞬時に甦り、垂れている赤い液体をハンカチに染み込ませる。
 すると、前方のクルマから若い男が降りてきた。一見好青年風のその男ミン・テジュ(キム・ナムギル)に、ビョンスは追突の責任があるから…と名刺を渡 す。そして、トランク内の「モノ」について尋ねるが、テジュはビョンスに親しげな笑顔を見せて「鹿の死体だ」と弁解。追突についても大袈裟にする必要はな い…と、すぐにその場を去って行った。
 だがビョンスには分かっていた、こいつこそが例の連続殺人鬼なのだと…。


迷走する希代の名優ソル・ギョング

 最近は僕もあまり見ることもなくなりご無沙汰感が漂う韓国映画だが、一時は大いに熱を入れて見ていた時期もあった。
 僕の中の韓国映画ブームはペ・チャンホ監督のディープ・ブルー・ナイト(1984)から始まっているから、長いっちゃ長い。国民的スターであるアン・ソンギの全盛時代である。それからしばらくしてシュリ(1999)から韓国映画がドーンと来た時には、我が事のように嬉しかったものだ。日本でも韓国映画がメインストリームで上映されるようになり、公開作品のバラエティも一挙に増えて来た。
 そんな中で、注目すべき1本の映画が上陸。その作品ペパーミント・キャンディー(2000)は、早い話がフランソワ・オゾン「ふたりの5つの分かれ路」(2004)のおそらくヒントとなった作品。だが「ペパーミント〜」は、主人公の自分史と韓国現代史とが不可分に絡まり合っているのがミソである。そして、ここで主役を張ったソル・ギョングも一躍脚光を浴びることとなる。何しろ20年の変化をすべて一人で演じきっているんだから、ハンパな芸当ではない。これ1作で、韓国に名優ソル・ギョングありを強烈に印象づけることになった。
 その後のソル・ギョングの快進撃は、日本で公開された代表的作品を並べるだけでもよく分かる。オアシス(2002)、シルミド(2003)、力道山(2004)…特に「力道山」などは似ても似つかないあの有名な実在人物を、過激なトレーニングと増量も含めて力業で強引に自分に引き寄せているのがスゴかった。日本語も決してうまくはなかったが、丸暗記でない気持ちの入ったセリフとしてしゃべっていた。まさに名優たる所以と大いに感心させられたものである。
 その演技アプローチは、まさにかつてのロバート・デニーロのそれと酷似していた。ちゃんと主演スターでありながら、役に化けきる一種の怪優でもある。そんな凄みが、当時の韓国映画のバイタリティとシンクロしていた。一部でしか見られていないローカル映画だった韓国映画が、世界的に注目され躍進していった頃と、それは時を同じくしていた。
 だが、それからまもなく「韓流」映画とやらが巷でモテはやされるよ うになると、ニワカに韓国映画の隆盛も怪しくなって来た。僕は従来の韓国映画の骨太感が気に入っていたのだが、何だか妙にチャラついた映画ばかりが目立っ て来た。それが田舎のホストみたいな「韓流」役者の映画だけなら仕方ないにしても、過去それなりの実績を誇って来た俳優の映画ですら空転し始めた。
 かと思うと、ハッタリばかりでセンセーショナルな内容を売りにしているけど、意外と中身は空疎な作品ばかりが増えて来た。これは今までも何度も書いて来たことだけど、どの作品も「衝撃のエンディング」ばかりになったのもツラかった。ホラーや猟奇サスペンス、犯罪映画ぐらいならまだしも、純愛ラブストーリーまでビックリどんでん返しの「衝撃のエンディング」にしなきゃいけないってのはどういうことなんだろう。
 さらにありがちなのが、観客が感情移入する主人公や重要登場人物をわざと酷薄な状況に持って行く「辛口エンディング」。要は作り手が、オレは甘っちょろいハッピーエンディングをやるようなヌルい作家じゃないぜ…と大見得を切っている訳だが、実際には無理矢理に辛口エンディングに持ち込んでいるケースが多くて何とも見苦しい。必然性があるとは思えない「辛口」なのだ。
 どちらのエンディングにしても、作り手のドヤ顔は伝わって来るのだけれど、お客さんや映画の内容、映画に出て来る登場人物に対する誠実さがまったく感じられない。というより、そもそも映画というメディアそのものに対する誠実さが感じられない。結局言いたいことは、作り手の「オレってスゴい」だけっていうのは、あまりに不毛ではないか。そもそも、作り手ファーストで観客をエンターテイニングしない…もてなさない映画って一体何なのだ。そんな作品群ばかりが目につくようになった頃から、僕の韓国映画に対する関心はどんどん薄れていったと思う。
 それでも年に何本かは韓国映画を見ていたのだが、感心できる作品は極めて少なくなった。ソル・ギョングの主演作も、あまりお目にかからなくなった。たま〜にやって来ると思えば、タワーリング・インフェルノ(1974)の焼き直しであるザ・タワー/超高層ビル大火災(2012)とか、トゥルーライズ(1994)のパクりであるザ・スパイ/シークレット・ライズ(2013)とか…それぞれ娯楽大作の主演をスターとして堂々張っていることは分かるのだが、2000年代前半にグイグイ来ていた頃のソル・ギョングと比べるとかなりお寒い。作品の質が落ちているのは韓国映画の勢いが落ちていることから仕方ないにしても、役からしてあのソル・ギョングがわざわざやるようなモノじゃない。韓国映画として久々の快作娯楽映画だと思った監視者たち(2013)にしたって、元はジョニー・トーの香港映画「天使の眼、野獣の街」(2007)のリメイクってあたりも寂しい。ソル・ギョング自体の役だって、「ザ・タワー」とか「ザ・スパイ」とかよりは全然マシとはいえ、全盛期の彼を考えればまだまだモノ足りない。ノッてた頃のソル・ギョングはこんなもんじゃなかったはずだ。
 本国では良い映画も撮っていて、それが日本に入っていないだけ…と思いたいところだが、昨今の韓国映画の状況を考えるとそれもちょっと考えにくい。イマドキ韓国映画界は「至宝」アン・ソンギですら出番なしで空費してしまっているもったいなさなのだが、ソル・ギョングだってまだまだアブラの乗り切った年齢なはずなのに雑な使い方で残念過ぎる。もう一方の芸達者であるソン・ガンホがこんな韓国映画界の中でも何とか孤塁を守り続けているだけに、「韓国のデニーロ」ソル・ギョングにももうひと花、ふた花咲かせてもらいたいところなのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 ソル・ギョング、今回はやってくれるんじゃないか…そんな期待を持ってスクリーンに対峙した本作。その期待がはずれることはなかった。
 面白いのである。
 題材としては、ちょっと猟奇っぽい味もあるサスペンス。韓国映画の得意分野だ。それが、本作はちゃんとハマってる。そして、何よりソル・ギョングがイキイキしている。久々に役者としての技術を活かせる役に巡り会えて、能力を120パーセント発揮した芝居を見せてくれるのだ。冒頭での老け役からして、見ていてワクワクした。やはりこの人はこうでなくちゃいけない。「タワーリング・インフェルノ」もどき映画のヒーロー役など、やっちゃいけないのである。
 

作り手のドヤ顔が見えない映画

 何より本作の最も面白い点は、アルツハイマーになって記憶を失う殺人鬼…を主人公に持って来たところである。
 そもそもこの発想は、ありそうでなかった。主人公が殺人鬼というのもかなりオリジナリティが高いが、それが記憶をどんどん失っていくというハンディキャップ付き。そもそも主人公が殺人鬼になった理由も哀しいもので、彼が殺して来た被害者も「殺されても仕方ない奴」という訳だから、観客としてはこの主人公に感情移入できる。一応、そういうアリバイはちゃんと作ってある訳である。このへんの設定のこしらえ方はしっかりしている。殺人鬼なのに共感出来る、そしてハンディあり…という、映画史上でも極めてマレな主人公なのである。
 しかも、そこに新旧殺人鬼対決というメインイベントを持って来る。そもそも、本作のこの設定自体が非常にオリジナルで、それだけでご飯3杯いけそうである。
 娯楽映画においては、主人公に対して強大な敵を設定することが望ましい。 その敵が強ければ強い程、映画はグンと盛り上がる。本作の場合、敵役に「若さ」で優位性を持たせるだけではなく、主人公側に記憶を失うという強力なハン ディキャップを設けることによってさらに敵を優位に持っていく。主人公の過去を知っている観客は、そんな彼がいかに殺人鬼であるとしても同情するし、まし て彼が記憶を失いつつあると知ってさらに同情を増す。そんな彼が圧倒的な劣勢に回って強大な敵と戦うのだ。これは観客としては応援せざるを得ない。もうこの設定だけで大勝利である。
 これらは原作小説にあった設定だろうから、監督ウォン・シニョン、脚本ファン・ジョユンのお手柄という訳ではない。だが、非常に複雑で説明しにくいとっ散らかった設定を手際よく観客に説明する語り口は、明らかにこの監督・脚本コンビの力量である。これはなかなか出来そうで出来ない。さらに素晴らしいのは、ドンヨリ暗い田舎の便所みたいな韓国猟奇サスペンスのテイストは保ちながらも、サラッとしたドライさとユーモアをも兼ね備えた娯楽作として作り上げているところ。これこそ、韓国映画としてなかなかうまくいかない点だろう。これをやり遂げているウォン・シニョン監督の腕前は、かなり評価できる。
 さらに評価したいのが…終盤で主人公の娘が絶体絶命の危機に陥るくだり。またどうせ主人公の目の前で娘が無惨に殺される「辛口エンディング」で、作り手がドヤ顔かよ…と思っていたら、ちゃんと本作では救出するのである。ウォン・シニョン監督は、テメエのドヤ顔のために無駄に「辛口エンディング」なんて弄しないのだ。
 ここでハッキリ言いたいのだが、脚本上のテクニックでは「辛口エンディング」なんてロクなモノではない。 登場人物を過酷な状況に追い込み、そのまま放置しちゃえばいいんだから実は簡単。バカでも出来る極めて安易な方法なのだ。本当はそれを救出して、何とか面 白いエンディングに持ち込むことこそが難しいのである。そのあたりを、ドヤ顔クリエイターは分かっていない。大体「辛口」なんて言ってる奴に限って使い物 にはならない。素人映画サイトのレビューだって、テメエから「ウチは辛口です」なんて言ってるやつほど訳の分からないことを書いてる(笑)。本作は必ずし もハッピーエンディングではないが、ともかくそこを珍しく乗り越えているから高評価を与えたくなる。イマドキ韓国映画特有の作り手のドヤ顔が、本作に限っては見えてこないのだ。サービス精神旺盛な娯楽映画として、ちゃんと成立している作品だからホメたくなる。
 そしてもちろん、われらがソル・ギョングの圧倒的演技力があるか ら、本作は魅力的な作品になっている。観客が感情移入して見ていられる殺人鬼…なんてトンデモない役は、この人だからこそ出来たはずだ。久々にこの人なら ではのゴリゴリに難しい役柄なのである。自分の敵を前にしてコロッと記憶を失ってしまい、相手に愛想良く振る舞ってしまうという、スリリングにも笑える場 面の絶妙な味わいなど絶品。久々に名優ソル・ギョングが演じるに見合った役だと言えよう。
 そんな訳で、僕は今回の作品を見て久々に嬉しくなった。ソル・ギョングはこうでなくっちゃいけないよな。まだまだ頑張っていただきたい。ホントにお願いしますよ。

 

 

 

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