新作映画1000本ノック 2017年10月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「パターソン」 「キングス・オブ・サマー」
 

「パターソン」

 Paterson

Date:2017 / 10 / 30

みるまえ

  ジム・ジャームッシュ、ハッキリ言って好きな監督ではない。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984)の時から、世評とは裏腹にイマイチ醒めてい た。結局、世間がひっそりしてから見に行ったものの、ただ「確認」のため見に行っただけという感じ。ユニークとは思ったが、(1980年代当時の)イマド キのモノクロ映画とか、途中に挿入される黒みのショットとか、クセを強くして自己主張したいんだな…としか感じていなかった。つまりは、映研の連中の方に しか向いていない映画と思った訳だ。だから、素直に面白いなと思えたのは「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991)あたりからだろうか。それでも 「デッドマン」(1995)みたいな作品が途中に挟まってくるから油断が出来ない。そんな僕がジャームッシュに完全にノックアウトされたのは、「ブロークン・フラワーズ」(2005)の時だっただろうか。この頃は「ロスト・イン・トランスレーション」(2003)とこの作品で、ビル・マーレイが僕の中では最高のスターだった。ところが再度ビル・マーレイを起用して、今度はスパイのお話との触れ込みの「リミッツ・オブ・コントロール」 (2009)を期待をパンパンに膨らませて見に行ったら、これがいけなかった。まぁ、ジャームッシュがスパイ映画を撮ると言っても、ありきたりに娯楽映画 を撮るとは思っていない。ただ、世間一般の娯楽映画を見下したような撮り方には腹が立った。「オレたち高級」みたいな態度がチラつくあたりで、自分がどう して「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を受け付けなかったかが理解できた。あの映画もあの映画を好きな奴らも、「世間よりセンスのいいオレ」みたいな 鼻持ちならなさをプンプンと醸し出していたからだ。それでも「ストレンジャー〜」はその新鮮味が勝っていたから見れたものの、「リミット〜」はただただプ ライドが高いだけのオバハンみたいな魅力のなさ。すっかりジャームッシュがキライになってしまった。だから次の「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライ ヴ」(2013)も見る気はなかった。どうせ「単なるヴァンパイア映画じゃない高級な映画を撮った」という体でやってるんだろうと想像がついたからだ。そ もそもミア・ワシコウスカなんて鬼瓦みたいな顔した女が出ている時点で願い下げだ。そんなこんなでジャームッシュなんて名前すら忘れかけていた頃に、 ひょっこり新作がやって来るではないか。今度の映画は、アメリカの田舎町での日常のスケッチみたいな話ということだが、それならちょっと見てもいいかな… という気分になった。そんな訳で、映画館までイソイソと足を運んだという次第。

ないよう

  月曜日、パターソン(アダム・ドライバー)はベッドで朝6時過ぎに目を覚ます。妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)は横でまだ眠っている。食卓でひとり シリアルの朝食をとり、そこに置いてある小さなマッチ箱に目を留める。それから家を出て歩き出すが、職場まで歩くコースも毎日同じコースだ。パターソンの 仕事はバスの運転手。車庫での出発前に、運転席でノートを広げて考える。彼の日課は、詩の創作である。「わが家には…たくさんのマッチが…ある。今のお気 に入りは…オハイオ印のブルーチップのマッチだ」…そんな最中、同僚のドニーがボヤきながら出発の声をかけてくるのも、いつものこと。こうしてバスを走ら せながら、パターソンはさらに頭の中で創作を続けたり、客の会話に耳を傾けたりする。仕事を終えて帰宅すると、なぜか家の前のポストが傾いている。これの 位置を直すのも、パターソンの日課のひとつである。ローラの料理の腕は今ひとつ怪しいのだが、作る気はマンマン。ローラはとにかくやる気に満ちていて、ユ ニークなデザインのカーテンや服を作ったり、アレコレと何かやろうと意欲的だ。パターソンもそんな彼女の背中を押している。食事を終えると、パターソンは 愛犬マーヴィンを連れてお散歩である。ただ、それはお散歩コースの途中にある、馴染みのバーに寄る口実でもある。そこには年期の入ったバーの店主ドク(バ リー・シャバカ・ヘンリー)がいて、パターソンは軽く一杯引っ掛けてリラックスする。それが、パターソンの一日だ。火曜日、パターソンははベッドで朝6時 過ぎに目を覚まし…。

みたあと
 本作を見ていて、ふと 昔の懐かしいロシア民謡を思い出した。ヘタに歌詞を引用するとJASRACに生き血まで抜かれてしまいそう(笑)なので遠慮するが、「月曜日はなんちゃら かんちゃら、火曜日は〜」みたいな歌詞の歌である。まさに本作はこの歌みたいなお話で、パターソンという男の月曜日から一週間に渡る生活を淡々と描いたも のだ。ただし、例のロシア民謡は月曜から毎日主人公のやることが異なっているが、パターソンはそうではない。毎日毎日、ほとんど判で押したように同じよう なことの繰り返しである。ただし、「ほとんど」という点がミソ。その毎日の微妙な変化こそが、本作の妙味なのである。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  たぶんこの映画を見た他の人と大して変わらない感想になってしまうだろうが、本作の魅力は「日々の営みの幸せ感を思い出させてくれる」ということに尽き る。この映画の主人公の日常は、終盤の一点を除いてほぼ変わらない。朝起きて家を出て、職場に行くルートも同じで、職場に行ったら行ったで同じタイミング で同僚が同じようにボヤいてきて、仕事も十年一日のごとしで、終わったら家に帰ってメシ食って、行きつけのバーで一杯…とまったく変わらない。正直言う と、平凡な生活を送っている僕あたりでも、毎日同じような日々を送っている。日本のテレビドラマでも、主人公が平凡な毎日を送っているような話はある。た だ、その手のドラマあたりだったら主人公である若いネエちゃんが「アタシこれでいいのかな?」的に意識高めに目覚めてしまって、急に他人を見下せるような 偉そうな職業に転職しちゃったりする。まさに、やる気と向上心のカタマリだ。確かに凡庸なクリエイターあたりなら、そんな話にしちゃいそうである。だが、 ジャームッシュは決してそんな「目覚め」は描かない。そもそも、本作の登場人物はそんなやる気や向上心なぞ持ち合わせていない。主人公の妻は若干はやる気 があるようだが、その向かう方向は社会福祉やら高収入やら高い地位などのいかにもフェミニズム映画的な方向なんかにはまったく行かない。ギターを手に入れ て歌手になりたいだの、地元のバザーでカップケーキを出したいだの、およそ野心とは縁がなさそうな「やる気」である。で、ジャームッシュはそんなやる気を 見せない主人公たちの毎日を淡々と描いているのだが、それでは毎日ただただ変化もなく淡々としているのかと言えば、実はそういう訳でもない。連日のルー ティンのような生活にも、若干のさざ波のような違いがある。むしろ本作でのリフレインを見続けているうちに、その微妙な変化が味わいとなってくるのであ る。そして、平凡な日々こそが価値あるものなのだと感じさせられる。そこが本作の最も肝心なところなのである。そもそも主人公は日々ただつまらない日常を 送っているだけかといえば、決してそうではない。一見平凡に見える日常の小さな輝きをつまんで、ノートに自作の詩を書き留めている。ただし、それを「世に 出したい」と言う嫁さんの言い分は少々持て余し気味だ。主人公にはまったくそんな野心などないのである。ただ、日常の小さな輝き、ささやかな幸せを書き留 めておければ、それでいいのだ。僕はそこに、ジャームッシュの作家としての成長を感じた。淡々と描くといえば、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の頃 からのジャームッシュの十八番である。だから人に言わせれば、今回もおなじみジャームッシュ節ということになるのだろう。だが、かつてのジャームッシュ映 画は淡々としているようでギラギラしていた。「こんなさりげなく淡々と描けるオレはエラいだろ?」的なあざとさが感じられた。だが本作には、そんな「これ 見よがし」な部分はまったく感じない。ジャームッシュ自身に、そんな「野心」がなくなったのだろうか。コインランドリー前でラップみたいな詩を語ってる奴 とか、クルマで通りかかって犬を乗っ取られるなと言うチンピラ…といった脇の無意味なキャラも、かつてならあざとかったのに今回はあくまでさりげない。可 愛いんだけどちょっと鬱陶しい嫁さんも、その鬱陶しさがいいところで日常の幸せの一部分だと感じさせられる。見ているこちらまで、自分が日々生活を営めて いることへの感謝の気持ちすら感じられるようになってくるのだ。終盤の本作唯一の「事件」後にやって来る永瀬正敏のさりげない登場ぶりも嬉しい。ちょっと 「追憶の森」(2015)での渡辺謙の役回りを連想させられた(笑)が、なかなかの儲け役。とにかく自分の暮らしぶりまで振り返る気持ちになれて、とても楽しく有意義な映画体験だった。これはまたゆっくり見たい映画だ。

さいごのひとこと

 志が高くない奴の方が性格は良さそうだ。

 

「キングス・オブ・サマー」

 The Kings of Summer

Date:2017 / 10 / 30

みるまえ

 何を今さら「キングコング」…と見る前はまったく期待値が低かった「キングコング/髑髏島の巨神」 (2017)だったが、実際に見てみたらビックリ。近年稀に見る、質の高い娯楽映画として仕上がっていた。この作品についてはいくらホメてもきりがないく らいだが、最も驚かされたのは…これを撮ったジョーダン・ヴォート=ロバーツという監督がほとんど「新人」に近い人物だったこと。そんなヴォート=ロバー ツの監督デビュー作が公開されていると聞いたら、そりゃ見ない訳にはいかない。しかも、またまた驚くべきことにこれは怪獣映画でもSF映画でもなかった。 どうも、青春映画らしいのである。それも、男の子たちが森の中に隠れ家を作って隠れるというお話。これで心が動かない奴は男じゃない(笑)。男なら誰しも ガキの頃に抱いていた、「秘密基地」願望を満たしてくれる映画の予感がする。あまりに「キングコング」とギャップのある題材…と思っていたが、ある意味で 「男の子の冒険心」という部分では一脈通じるところがあるような気もする。そんな訳で、居ても立ってもいられず映画館に駆けつけた次第。

ないよう

  森の中に横たわる巨大な鉄パイプ。それを木の棒で和太鼓よろしくリズミカルに叩く男の子がふたり。その後方には、リズムに合わせて踊りともいえぬ奇妙な恰 好で動き回るもうひとりの男の子。森の中で繰り広げられている、何とも原始的パワーを感じさせる光景。果たしてこの三人は一体…。その一か月前、シャワー ルームで物思いに耽っていたジョー(ニック・ロビンソン)は、バンバンと戸を叩く父親フランク(ニック・オファーマン)の怒鳴り声で現実に引き戻される。 脳裏には「憧れのあの娘」のイメージが残っていながらブチ壊し。「シャワーでマスかくんじゃないぞ」というフランクの無粋な一言で、またイヤ〜な気分にな る。そんな気分を振り払うかのように、ジョーは家の前で金ヅチを振り下ろす。こさえているのは、やたら不細工な小鳥の巣箱か。やがて出来上がったかに見え るその巣箱を担いで、自転車で飛び出すジョー。彼が住むのは、周囲を森に囲まれた田舎町。学校に行くのも、森を通り抜ける近道だ。こうして学校に辿り着い たジョーは、先生に例の巣箱を差し出す。どうやらこのブツは、学校の授業の課題だったようだ。だが先生は、「もう締め切った」とつれない返事。だが、それ も無理はない。今日は最終日。明日からは夏休みだ。今ごろ課題を出されたって困る。しかし突っ返されたジョーの方も、別に落ち込んではいない。彼は「作 る」ことで楽しんだ。それに、目の前に「憧れのあの娘」が現れたから、もうどうでもいい。彼女の名はケリー(エリン・モリアーティ)。美しいだけじゃな く、いつもジョーに親しげに話しかけてくれる。唯一玉にキズなのはつまらない先輩のクズ男がくっついていることだが、そんなこと問題ない。彼女が学期末 パーティーに誘ってくれたから、それだけでご機嫌だ。学校では親友のパトリック(ガブリエル・バッソ)とも顔を合わせたが、彼は親との関係でユウウツに なっていた。とにかく両親の言ってることが理解できない。その俗物ぶりが何とも容認できない。特に母親の訳の分からない会話を聞かされると、全身にジンマ シンが出て来る。悪気はないんだろうが、悪気がないだけに深刻だ。その悩みは、何から何まで高圧的な父親にウンザリしているジョーとは対照的だ。ところが ジョーが帰宅すると、早速またしても親父がやらかしてくれた。親父フランクが交際中の女を自宅に招いたから、今夜の学期末パーティーには行くなとのお達し だ。そもそも親父が交際中のキャロルという女(ジリアン・ヴィグマン)も気に入らなかったが、こんなことを言われてはさすがに我慢がならないジョー。姉の ヘザー(アリソン・ブリー)とちょっとアレなアジア人の旦那コリン(ユージン・コルデロ)まで駆り出されてのホーム・パーティーでも、終始ジョーは不満爆 発。結局、ホーム・パーティーはドッチラケに中断して、ジョーはこれ幸いとばかりに家をフケた。もちろん行き先は、みんなが集まっている学期末パー ティー。そこでは、夜中の野外にも関わらず学校のみんなが大騒ぎ。パトリックもケリーも顔を見せていた。だがちょいと騒ぎ過ぎたらしく、近所の家の奴がキ レて「出て行け!」を銃をブッ放しだしたから大変。みんな暗がりの中を、パーッとクモの子を散らしたようにその場を逃げ出した。もちろんジョーも例外では ない。大騒ぎの中で知り合いともはぐれ、たまたまその場にいたビアジオ(モイセス・アリアス)という男の子と一緒に逃げることになったのだが、別にこいつ と親しい訳じゃない。むしろこいつは、無表情で言動もちょいとアレな変わり者。だが行きがかり上、一緒になってしまったんだから仕方がない。おまけに真夜 中で道に迷ってしまい、森の中を彷徨い歩くハメになってしまった。ところがそんなこんなで森をほっつき歩くうちに、ジョーとビアジオはいきなり森の中の開 けた場所に躍り出る。鬱蒼と茂る森の中で、その一角だけはポッカリと空いた空間である。それを見たジョーは思わず感嘆の声を挙げた。「ここなら…自分だ け、になれる!」…。

みたあと
 「キングコング/髑髏 島の巨神」が近来稀に見る快作だったので、それを撮ったジョーダン・ヴォート=ロバーツに対しても「こいつ何者だ?」と興味が湧いたのは当然のことだ。し たがって今作を見た理由も「それ」だけである。だが、その結果は大満足であった。早速、結論をズバリと言ってしまって、もう言うことはほとんどなくなって しまったが、僕は本作をとても気に入った。ある意味では「キングコング〜」を上回るくらい好きだ。今年最高ぐらいに気に入っている。こんな小規模公開であ ることがもったいない。それくらい、本作は素晴らしい作品なのである。

ここからは映画を見てから!

みどころ

 そもそも白状すると、僕は湖に浮かぶ小島とか、川の中州とか、森の中を描いた映画が異常に好きである。まぁ、別のところでは、雪と氷や砂漠や洞窟の出て来る映画が好きとか言ってるんだけれども(笑)。だからマシュー・マコノヒー主演の「MUD/マッド」(2012)とか、「ハッシュパピー/バスタブ島の少女」(2012)、「クライモリ」 (2003)なんかにはメチャクチャ興奮してしまう。まぁ、「ハッシュパピー」については後半の理屈っぽい話がなければもっといいのだが…。典型的安手の ホラー映画である「クライモリ」が好きなのは、森の描写が気に入っているからだ。何がそんなに島や中州や森が好きなのかと言えば、ハッキリ言ってガキのよ うな「秘密基地」願望があるからだろう。空き地とかに、そういうのを作りたがっていたからねぇ。たぶん、それの代償行為として興奮するんだろう。だが、本 作が僕の心の琴線に触れた理由は、それ「だけ」ではないはずだ。男の子の「童心」に訴える映画だから…というのは、ちょっと違うと思うのである。例えば本 作は、一般の映画ファンにはおそらく「スタンド・バイ・ミー」(1986)的な捉え方をされていると思う。つまりは、ありがちな「男の子の通過儀礼映画」 という位置づけである。だが、それは半分正しくて半分間違っている。この手の映画は…例えばすでに年老いた連中が昔を振り返って、変にセンチメンタルに美 化したり、「みっともなさも美しい」とか自己憐憫的に描いたりしているものである。かつてのジュゼッペ・トルナトーレなんかその典型で、「マレーナ」 (2000)あたりは「男ってこういう男の部分を持っているよな、オマエもそうだよな、な?」と押し付けがましく暑苦しくにじり寄ってくる。だが、本作は 「そういう映画」に見えて、実はハッキリと一線を画している。「少年たちのひと夏の冒険」を通して、「大人になっていく」ことを描いてはいるけれども、そ れに対して一般受けするようなセンチメンタリズムや「な、な?」みたいな共感の押しつけを強いてはいない。そもそも彼らは完全な独立・自由と言ってはいる が、獲物ひとつ取れないだけでなく、その事実をごまかしている。イッチョマエに生やしたヒゲも、情けなくみすぼらしい。彼らのみっともなさを、割と冷えた 目線で見ているのである。さらに男と男の間に「割り込んで」くる女の子の存在を、安易に悪者に描いていないのもいい。この女の子をふたりを弄ぶ小悪魔的に 描くことも可能だっただろうが、それだと「男たちのユートピアを壊すのは、いつも女」…的な、トルナトーレ的な安っぽい男同士の共感にしかならない。彼女 が自分の分をわきまえていて、ふたりをつなぎ止めようとするあたりで、この映画の「大人っぷり」がよく分かった。終盤近くに重要な役割を果たす「蛇」の使 い方も、とても象徴的に感じる。そんな「いかにも文系」的な解釈は考えなくとも、オープニングでふたりの男の子が錆び付いたパイプをドンガラドンガラと ブッ叩いて、ひとりがムチャクチャに踊り狂うあたりに、ちょっと原始的な理屈抜きの興奮を感じてしまう。身近にある森などの自然の魅力も活きている。「キ ングコング〜」の大抜擢はダテじゃないのだ。あちらは大資本をかけて作ってはいるが、基本的には相通じるところがあるのである。僕は大いに楽しんだし、こ れを見て「キングコング〜」のオファーを出したプロデューサーの嗅覚にホトホト感心した。今年最大の収穫かも。

さいごのひとこと

 森にコングが出て来なくて良かった。

 


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