新作映画1000本ノック 2017年7月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「メッセージ」 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」 「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」 「バッド・バディ!私とカレの暗殺デート」
 

「メッセージ」

 Arrival

Date:2017 / 07 / 31

みるまえ

 本作の宣伝が始まった頃、第一印象で「異星人遭遇SF」っぽいなと思ってワクワクした。よくよく考えてみると、異星人による侵略、攻撃モノのSFは「世界侵略:ロサンゼルス決戦」(2011)なんてのを筆頭に、「トランスフォーマー」(2007)やら「アベンジャーズ」 (2012)の類いも含めて死ぬほど製作されているが、純粋な意味での「異星人遭遇SF」って最近あまりない。むしろ異星人侵略モノは各国諸民族に配慮し て作りにくくなってしまっている戦争映画の代用品であることが多いから、SF映画ファンとしては「異星人遭遇SF」の方が大いに血が騒ぐのだ。エイミー・ アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカーというキャストの顔ぶれもなかなか悪くない。問題は監督である。「あの」ドゥニ・ヴィルヌーヴだそ うである。近年、僕は映画の情報に疎くなってしまったので、この監督さんがいつの間に「あの」と言われるほどの存在になったのかを知らない。映画ファンは 当然のごとく、もうずっと前から…それこそ生まれた時から知っていてこの人のことを知り尽くしているかのようにドヤ顔で「あの」ヴィルヌーヴ…とか言って いるが、こちとら残念ながらつい最近映画を見始めたばかりの若輩ものでねぇ…(笑)。だから、そんなに凄い人なのかい…とイヤミのひとつも言いたくなる。 そもそもオマエらだって最近知っただけじゃねえの(笑)? そんな「あの」ヴィルヌーヴ先生の作品に僕が触れたのはかなり遅くて、ついこの前の「ボーダーライン」 (2015)が最初。確かに映画を見てショックは受けたが、実はその印象はあまりよろしくなかった。そこに映画ファンの「あの」ヴィルヌーヴ…的な持ち上 げ方の胡散臭さも加わって、僕はこの人に苦手意識を持ってしまったのだった。そうなると、大好きな「異星人遭遇SF」だけど怖くてなかなか見れない。好き なジャンルだけにイヤなことされるのはカンベン…と、なかなか劇場に足を運べない。いよいよ公開劇場がガタ減りして終わりそうになったある日、慌てて池袋 のショボい映画館へと駆け込んだ訳だ。

ないよう

  あの日、彼女の物語が始まったと思っていた…。ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は愛娘ハンナの成長を見守りながら、共に生きる幸福を噛み締めて いた。成長に従い「ママなんて大キライ!」と反抗するようにもなったハンナだが、それも母としてはいい思い出。だがそんな日々は、突然暗転してしまう。ハ ンナが不治の病に冒されてしまったからだ。なす術もなく病床を見舞うルイーズだったが、もはや手の打ちようもない。ルイーズの祈りも空しく、ハンナは天に 召されてしまった。呆然と佇むしかないルイーズ…。そんな彼女に、時は流れるもの…という考えが変わる時がやって来る。ルイーズは大学で言語学を教える教 授で、その日もキャンパスにいつものようにやって来た。構内はなぜか妙に慌ただしかったが、良くも悪くも「学者バカ」のルイーズはそんなことに気づく訳も ない。教室にやってくるとほんの数人の生徒しかいないことに唖然とするが、ルイーズはそれでもまだ事態に気づかない。生徒たちのスマホの着信音がやたらと 鳴り出し、一人がルイーズに「テレビつけてもらえますか?」と言って来て、初めて何やら起きたらしいと分かる始末だ。それは、確かに異常な事態だった。モ ンタナの平原に…いや、世界の各地に、地球外から来たと思われる「何か」が出現したのだ。もちろん世界は大騒ぎだ。航空もストップし世界経済も大打撃を受 ける。だが、「学者バカ」ルイーズにはまったく興味がない。大学に来ても生徒がいないので、仕方なく部屋で仕事をしていると…突然やって来たのはウェバー 大佐(フォレスト・ウィテカー)。彼はICレコーダーを取り出し、ルイーズに何かの音声を聞かせる。それはどうやら一種の「尋問」のようだ。「あなたは何 者なのか?」「××××」「何のためにやって来たのか?」「××××」…。これを聞かされ、ルイーズも「尋問」の相手が何者なのかを察した。何やらノイズ のようなモノは聞こえるが、それが「言語」なのかはは分からない。ウェバー大佐は「何を言っているのか分かるか?」と尋ねてくるが、これだけで分かれとい うのは無理難題だ。「直接、相手と会わないと無理だ」と言うルイーズだが、それは断固として拒絶して去って行くウェバー。しかし、どうやら適任者はいな かったようだ。その夜、郊外にある彼女の自宅のそばに軍のヘリコプターが飛来。ウェバー大佐が、ルイーズを迎えにやって来たのだ。こうしてヘリに乗ったル イーズは、その中に乗っている男と会話を交わす。この男イアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)は物理学者。つまり、これからルイーズが協力していくこと になる男だ。こうしてルイーズとイアンが乗ったヘリは、モンタナの平原へとやって来る。そこには軍の前身基地がテントで建設されており、目の前には…巨大 な黒っぽい楕円形の「物体」が浮かんでいた。基地ではすでに多くの人間たちが忙しく働いており、その中にはかなりの民間人もいた。いずれも「彼ら」につい て探ろうとしている人々である。現在、地球上の12の地域に「物体」が出没。それぞれの地域で人々は「彼ら」とコンタクトをしようと試み、衛星中継でそれ ぞれの得た情報の共有を試みていた。しかし、進捗状況は芳しくない。そんな中、ルイーズの「出番」は予想以上に早くやって来た。緊張の中で防御服に身を包 むルイーズとイアン。例の巨大な「物体」の真下に連れて来られたルイーズとイアン、ウェバー大佐や他のスタッフたちは、そこに開いた大きな四角い穴から昇 降機に乗ってどんどん内部へと入っていく。昇降機が上昇するとともに穴の奥深くへ入っていった彼らだが、途中でスタッフたちはひょいと昇降機から飛び上が る。何と重力の感覚がなくなっており、彼らは穴の「壁」づたいに立っているではないか。この「物体」内には、人類の英知の及ばない技術や法則が働いている のである。勇気を振り絞って昇降機から「降りた」ルイーズは、他の面々とともに穴の中を進んで行く。すると、行く手に明るい空間が広がり、他のスタッフた ちはそこで立ち止まった。どうやら、ここがルイーズたちの「仕事場」となるらしい。目の前には明らかに何らかの透明な物質かバリアが張り巡らされ、その向 こうの様子はただ明るいとしか分からない。やがてその濁った「向こう側」から何か黒い影が接近したかと思えば…。ルイーズとイアンが息を飲んで見つめるそ の前方に現れたのは、何本もの触手が胴体から垂れ下がった、巨大な未知の生物だった…。

みたあと
  この映画についてはすでにネット上にあれこれと書かれていて、見ないでいようとしてもある程度は見ざるを得なかった。そんな評価のうち目立ったのが、原作 と比べて…云々というもの。原作小説はかなり有名らしいのだが、その素晴らしさには達していないし、そもそも描こうとしているモノが微妙にズレている、あ るいは描けていない…などというのが主な主張である。そこでまず最初にハッキリしておきたいのだが、僕は映画を見る前に原作小説を読んでいないし、見た後 でも読んでいない。そもそも読もうという気もない。だから、小説と比べて…という話にはならないし、する気もない。原作小説などどうでもいい。ハリー・ ポッター原作ファンみたいな偏狭な連中のタワゴトみたいなモノは聞きたくもない。映画1本見るのに、そんなことに煩わされたくない。オレはそれほどヒマ じゃないんだよ。…というわけで、これは映画「メッセージ」の感想なんであって、それ以上でも以下でもない。それをまずご承知おきいただきたい。その上で 本作をどう思ったのか…と問われれば、ストレートに気に入ったというのが正直なところ。「あの」ヴィルヌーヴ大先生の作品とあってイヤな予感しかしなかっ たのだが、意外にも好感が持ててビックリ。これは僕にとって、好きなタイプの映画である。以下、その理由を述べていきたい。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  僕が「あの」ヴィルヌーヴの作品が苦手になった理由はただひとつ。「ボーダーライン」を見る限りこの人の映画は確かに観客に衝撃を与えるけれども、その衝 撃の与え方がかなりアンフェアだという点であった。確かにあの作品で描かれた麻薬組織とそれを取り巻く現実…とやらには、かなり衝撃を感じた。だがそれ は、描かれた題材が衝撃的だというよりは、観客に十分な情報を与えず不安にしたり不意打ちをくらわせたりして、まるで頭からズッポリと袋をかぶせたところ をボコボコに痛めつけるような、「汚いケンカ」みたいなイヤ〜な衝撃なのだ。だから、何となくダマされた感が強い。これだととにかく観客をボコボコにし ちゃえばいいのだから、題材が麻薬組織でもアンパンマンでも何でもいいことになりはしないか…という疑問だけが残った。今回もそれをやられるんじゃないか と思った訳だ。結論から言うと、実はヴィルヌーヴのやり口は基本的に変わりない。観客に対して一部の情報を遮断し、見えなくしておくことで「衝撃」を作り 出す…という方法はまったく同じである。ただ結果としては、僕は本作にかなり好感を持った。では、この両者には一体どんな違いがあるのだろうか? これに ついてはうまく言えるかどうか分からないのだが、僕としては「目的」と「手段」の違いだろうと思える。「ボーダーライン」はとにかく観客に衝撃を与えれば いい…という姿勢に感じられたし、だからその衝撃は「手段」ではなく「目的」化したものになっているように思えた。やはりテクニックやギミックを弄しても いいのだが、その仕掛けが目的化して脅かしただけで終わってしまっては、映画としてはあまりホメられたものではない。「才人、才に溺れる」の観があると言 えば、ちょっと言い過ぎだろうか。最近では、映画の前半でやたらに時制をいじくっていた「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(2016)が同様である。それに対して「メッセージ」のそれは、あくまで「手段」であると見えた。衝撃の先に、作者が本当に描きたいものがあった。そこが両者をハッキリと分けていたように思える。題材としてはケビン・コスナー主演の隠れた佳作「コーリング」(2002)やガス・ヴァン・サントの「追憶の森」 (2015)と共通するテイストの映画で、今回はヴィルヌーヴのギミックがうまく作用して効果を挙げている。たとえ不幸が待っていると分かっていても、そ の過程の幸せをあえて味わう方をとる…というのは、僕の個人的な人生観ともシックリ来る。僕は正直言って好きな映画だ。それにしても何本もの足を持ち、墨 を吐いて言葉を書くというイカもどきのエイリアンが出て来るあたり、また彼らの文字が表意文字らしいというあたりも含めて、中国系アメリカ人の作者が書い た原作がどの程度この映画化作品で原型を保っているのかがちょっと気になった。イカって発想は割と東洋人っぽいではないか。この感想文の中であれほど「原 作小説などどうでもいい」と言っておきながら、今さらこれを言うのもさすがにどうかと自分でも思うが(笑)、この点だけは原作が気になったと白状しなくて はならないだろう。

さいごのひとこと

 イカ型だけにスルメのように味わいがある。

 

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」

 Guardians of the Galaxy Vol.2

Date:2017 / 07 / 17

みるまえ

 前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」 (2014)は一連のマーベル映画の中でも異色の佇まいを見せていて、公開前にはまったく期待できない凡庸なイメージしかなかった。ところがフタを開けて みたらビックリ。まったく想定外の快作ではないか。世間がビックリして絶賛したのと同じように、僕も一緒になって鐘や太鼓で大騒ぎしたのだからいい気なも のだ。まぁ、僕の「鑑賞眼」とやらもそんなものである。さて、そんな作品の第2弾だから大いに期待したものの、正直言ってあの手がまたまた通用するものか いな…と半信半疑なところもあった。そんな訳でまたしても、公開されてから見るまでに時間がかかった次第。すでに3Dでは上映しなくなっていて、普通に 2Dでの鑑賞となったわけだ。

ないよう

 1980 年、アメリカはミズーリ州。カーステレオを全開でかけてイチャイチャしながらドライブしている一組の男女がいた。彼らはハンバーガー屋の駐車場にクルマを 停めて、その裏手の森の中へ。そこには、見たこともない奇妙な苗が植わっていた。これは地球外植物だと説明する男。男はウットリ見つめる女を抱きしめ、足 下の植物はアヤシげに光り出すのだった…。それから34年、ここはソブリン星の近代都市。自称スターロードことピーター・クイル(クリス・プラット)と勇 ましい美女ガモーラ(ゾーイ・サルダナ)、怪力自慢のドラックス(デビッド・バウティスタ)、姿形はアライグマだが過激なロケット(ブラッドリー・クー パー)、そしてちっちゃくなって赤ん坊になってしまったグルート(ヴィン・ディーゼル)…というガーディアンズの面々が、高層建築の屋上にいた。そこには 高価で貴重な「アニュラクス電池」が置いてあったが、それはある宇宙怪獣に狙われていた。ソブリン星ではこの「アニュラクス電池」を守るために、ガーディ アンズを雇ったという訳だ。やがて待ち構えていた彼らの前に、空から問題の宇宙怪獣が降りて来る。それは巨大なタコまがいの怪物だった。たちまちタコ怪物 とガーディアンズとの激しい戦いが始まるが、そんなことを知ってか知らずか、なぜかロケットがBGM用に用意したオーディオ・セットで古い地球のヒット曲 をかけながらベビー・グルートが踊りに踊る。やたら手こずったあげくに最後はガモーラがキメて、何とか怪物を仕留めたガーディアンズ。やたら上から目線の ソブリンの女王アイーシャ(エリザベス・デビッキ)に偉そうな態度はとられたものの、捕らえられていたガモーラの妹ネビュラ(カレン・ギラン)の身柄を確 保。その後、ネビュラを手配中の星に引き渡して賞金をもらおうという訳だ。ネビュラはガモーラの妹ではあったが、タチの悪い悪党には間違いない。しかも、 ネビュラの方がガモーラを敵視している状態だ。だから彼女をブタ箱にブチ込むことに、ためらいなどまったくないガモーラだった。こうしてガーディアンズ は、ソブリン星を後にする。だが、彼らの宇宙船が目的地を目指しているうちに、なぜかソブリン星から追っ手がワンサカ迫って来る。何とロケットはソブリン 女王の態度が気に入らなかったのか、例の「アニュラクス電池」を何個か失敬していた。これに怒った女王アイーシャが、遠隔操作の宇宙船で大挙追いかけて来 たのだ。これにはさすがにロケットに怒り心頭のクイルだったが、そんな内輪揉めをしている場合ではない。追撃してくるソブリンのドローン宇宙船を次々撃破 し、何とかワープできる地点まで持ちこたえなければならない。だが、何しろ敵の数が多過ぎる。すると…いよいよ絶体絶命となったその時、どこからともなく 現れたナゾの白い卵形宇宙船が、一瞬にしてソブリンの追っ手を一気に撃退するではないか。その正体を確かめるまでもなく、ガーディアンズを乗せた宇宙船は ワープで惑星ベアハートへと逃れる。だが、もはや宇宙船はガタガタ。満身創痍の状態で、何とか不時着するのがやっとだった。散々な目に遭ったガーディアン ズだったが、彼らの前に先ほどの卵形宇宙船が着陸する。降りて来たのは、堂々たる初老の男エゴ(カート・ラッセル)とその身の回りの世話をする若い触覚娘 マンティス(ポム・クレメンティエフ)。戦々恐々と二人を見つめるガーディアンズの面々を前にして、エゴは余裕綽々でこう語りかけるのだった。「ピー ター、私はオマエの父だ」…。

みたあと
 ここでハッキリ白 状させていただくと、僕はこの手の続篇やシリーズもの映画を見るにあたって、改めて前作を「予習」するような面倒くさいことは一切しない。そんな時間もな いしものぐさなこともあるが、そもそも「予習」しなきゃ分からない映画なんて…それがアンドレイ・タルコフスキーの映画か何かならまだしも娯楽映画では、 ちょっとマズいだろうと思っていたからだ。だから「パイレーツ・オブ・なんちゃら」の2作目だか3作目だかになると、元々の約束事などを忘れていてよく分 からなかったりして困ったりもした。でも、それで困るようなら娯楽映画じゃない。今回もガッツリ「予習」などなしで見せていただいた。案の定、顔がまっ青 のヨンドゥって誰だか忘れていたし、ガモーラの妹で骨肉の争いをしているネビュラなんてのも覚えていなかった。だが、それでもまるっきり問題なし。ちゃん と見ているうちにその設定は分かって来たし(決して思い出した訳ではない)、それによって物語の理解が妨げられたとも思えない。そのあたりは娯楽映画の作 り手として監督・脚本のジェームズ・ガンが優れている点だと言えるだろう。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  正直言って、本作について「批評」とか「感想」を詳しく語るのは空しい。大いに見て楽しむべきで、それ以外のことを屁理屈並べてグダグダ言うことに意味が あるとは思えないからだ。冒頭からノリノリで踊りまくるベビー・グルートを中心に、ガーディアンズたちの戦いがおかしくも痛快に描かれるというご機嫌ぶ り。例によってヴィンテージ・ポップスを流しながらのスペース・オペラという作りは変わらず、違いがあるとすれば選曲が前作より渋めになったことぐらい か。恥ずかしながら、年齢的にオールド・ロックやポップスに慣れ親しんでいる世代である僕も、一聴してすぐ分かったのはジョージ・ハリスンの「マイ・ス ウィート・ロード」ぐらい。ちょっと今回は地味めのチョイスである。あとはヴィン・ディーゼルが声を担当しているグルートがベビーになったせいでいろいろ と場面をさらっていることや、ビッグスターのシルベスター・スタローン登場などが、目に見える大きな変化だろうか。だが、本作にはそれより大きな特徴があ る。それはスターロードことピーター・クイルの父親が出て来ることだ。今回のお話はクイルの「実父」エゴと「養父」ヨンドゥという父親絡みの展開がミソだ が、面白いと思ったのは本作が明らかに「スター・ウォーズ」サーガを意識していることだろうか。意識している…というよりは、ちょっとからかっているとで も言う方が正確かもしれない。そもそも、「ピーター、私はオマエの父だ」というセリフは間違いなく狙っているだろう。前作の感想文で、僕はポスターの絵柄 が宇宙SF映画としてあまりに凡庸であることを指摘していたが、それはあえて狙った凡庸さであることは間違いない。元々このシリーズはそうした「典型的宇 宙SF映画」をどこか斜に構えてからかっているようなところがある。で、そもそも「スター・ウォーズ」は今でこそ立派な古典みたいな風格を持ってしまった が、元々は過去の「典型的宇宙SF映画」へのオマージュ的な側面が多分にあった。本シリーズはそんな「スター・ウォーズ」サーガをすでに通過してしまった 今日における、「典型的宇宙SF映画」への目配せ…みたいなものがあるわけだ。で、本作の「スター・ウォーズ」シリーズに対する立ち位置というのは極めて 微妙で、もちろん敬意は表しているのだがちょっと苦笑気味に見ているような気配が感じられる。そもそも「スター・ウォーズ」の…特に最初に作られた三部作 は、父と子のドラマという側面が濃厚に出ていた。だが、それが「エピソード1」 (1999)にさかのぼっての新三部作に至るまで延々と続いていくとなると、正直いって僕などは「いつまで父と子のトラウマでウダウダやっているんだよ」 と言いたくなったのも事実。実は軽〜いノリの話だったはずの「スター・ウォーズ」が、すっかりギリシャ悲劇みたいになっちゃったのもシラケる理由のひとつ だった。おそらく本作の作り手であるジェームズ・ガン監督にも、そんな「いつまでやってんだよ」的な気持ちがあったのではないか。クイルが割とアッサリ実 父に対する態度を決めてしまうあたりを見ても、そんな「スター・ウォーズ」に対するからかい気味の視点を感じるのだ。また「実父」をすぐに見限って「養 父」をとるあたりも、宇宙規模のスケールの話のくせにやたらに狭い血縁関係でチマチマやっている「スター・ウォーズ」に対するオチョクリみたいなものを感 じる。「血の宿命」みたいな話で大袈裟に進んでいく「スター・ウォーズ」のお話に対して、本作ではむしろ「血」のつながりに極めて軽い思い入れしかない。 あるいは、文字通り「骨肉の争い」をしていたガモーラとネビュラの姉妹に、早くも雪解けの兆しが見えるあたりもそうだ。やたら「血」の宿命でウダウダネチ ネチ続けていた「スター・ウォーズ」に対して、本作のスカッと割り切った「軽さ」は極めて対照的に感じられるのだ。そんなに大袈裟になるなよ…という視点 が感じられるのである。それと同時に、前出のネビュラに新キャラのマンティス…と、ガーディアンズご一行にお仲間がどんどん増えていきそうな感じなのも面 白い。この感じは「リーサル・ウェポン」シリーズにも似ているのだが、むしろそれより近年の「ワイルド・スピード」シリーズに近い。どちらもやたら「オレ たちは家族」「家族が大事」というセリフを連発しているのが共通項だ。「疑似家族」の構築…これは一体どういうことなのだろうか? 「スター・ウォーズ」 的な「血」の濃さを軽く一蹴していることも含めて、この点が本作の非常に興味深い点だと思う。

さいごのひとこと

 遠くの親戚より近くの他人。

 

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」

 Lo chiamavano Jeeg Robot (They Call Me Jeeg Robot)

Date:2017 / 07 / 17

みるまえ

  虫ケラのような街のチンピラ男がフトしたことから超人のパワーを手に入れ、日本アニメに夢中な近所の女と関わるうちに悪と戦うようになる…。一度は行きた いと思っていていまだに行ったことがない「イタリア映画祭」で話題になった作品とのこと。日本アニメが重要な要素になっているといえば「マジカル・ガール」 (2014)が快作だったので、これも気になる作品だった。イタリア映画でこの題材…ってところも面白そうと思わされる点だ。それどころか、こういう作品 は「とてつもない痛快さ」を持っている可能性が高い。チラシを劇場で見て絶対見ようと思っていたのに、気づいたらいつの間にか公開されていて早くも終わり そう。これは見ないと後悔する…と慌てて劇場に飛び込んだ。

ないよう

  ローマの郊外、街はくすんで荒れ果て、治安は悪化してテロが横行していた。その街を、必死に逃げ回るひとりの男…エンツォ(クラウディオ・サンタマリ ア)。見るからに風采の冴えないこの男、バイクに乗ったゴロツキ二人組に追われているが、間違いなくケチな悪事を働いて追われているのは確か。逃げて逃げ て逃げて、いよいよ逃げ場がなくなったエンツォは、市内を流れる小汚い川に目をつけた。そこに浮かぶ作業船に隠れようという算段だが、それは浅知恵でしか ない。たちまち作業船をゴロツキ二人に囲まれたエンツォは、川に潜るしか手がなくなってしまう。それでも何とかそれで追っ手をかわし、エンツォがホッとし たのもつかの間…。彼は足下が突然めり込んで、川の中深く潜ってしまう。実はエンツォは川に沈められた廃棄物のドラム缶の上に乗っていて、それを踏み抜い てドラム缶の中に落ちてしまったのだ。もがいてもがいて…何とか作業船に上がって来たエンツォは、ドラム缶の中の廃液でドロドロ。しかもその廃液とは、ど うやら放射性廃棄物だったらしいから始末に悪い。ともかくエンツォは何とか自分のアパートの部屋に戻ってきたものの、悪寒と寒気で体調が悪化。ベッドに寝 込んでしまう。その部屋は何とも汚く殺風景で、ちゃんと片付けもされていない。そこら中にエロビデオのDVDが転がっているという貧しい生活環境。そこで エンツォは、ひとりで体調悪化にもがいていた。ガバッと起きて咳き込むと、口からは真っ黒い液体が吐き出されるアリサマ。明らかに医者にかからなければい けない状況だが、そんなカネがあるならケチな悪事など働いている訳がない。一晩中汚い部屋でうめいていたエンツォだったが…なぜか一夜明けたら体調は改 善。ケロッと明るくなったエンツォは、「仕事」のために出かけることにした。エンツォがやって来たのは、とある荒れ果てた建物。そこはゴロツキたちの巣 で、エンツォはそこで雇われていたセルジョ(ステファノ・アンブロジ)というオッサンに用事があった。昨日あれほど必死に逃げ回ってまでして守った「盗 品」の時計を、セルジョに買い取ってもらいたいとやって来た訳だ。ところがそんなゴロツキの巣である建物の内部では、何とも忌まわしいやり取りが行われて いた。その中にいたゴロツキどもは、いずれも似たりよったりのハンパな悪党ばかりだったが、常にキレてるイカレ長髪のジンガロ(ルカ・マリネッリ)はなぜ か威張りくさってボス風を吹かせていた。その日もアフリカから持ち込まれた麻薬取り引きの話と現金輸送車襲撃の話の2件が持ち込まれていて、ジンガロはや る気十分。周囲の仲間たちはどちらの件も自分たちの身の丈に合ってないヤマだと分かっていたが、キレキレなジンガロはその場で話を持ちかけて来たチンピラ をブチ殺す始末。仲間たちも持て余すほど、歯止めのきかない状態だった…。そんな成り行きから、セルジョは馴染みのエンツォに「新しい仕事」の話を持ちか ける。もちろんエンツォだって断る理由はない。エンツォと同じアパートに住むセルジョの部屋へ招かれ、早速、作戦会議を開くことになる。ところが、セル ジョの娘アレッシア(イレニア・パストレッリ)がちょっと困った女だった。携帯DVDプレーヤーにかじりついて、毎日見ているのが日本のロボットアニメ 「鋼鉄ジーグ」。それだけなら単なるオタクで済むのだが、頭の中も「鋼鉄ジーグ」でいっぱい。現実と妄想が混同していて、この世界を「鋼鉄ジーグ」の世界 だと思い込んでいるようなのだ。だから「アンタは〜の手先?」とかエンツォに訳の分からないことをお構いなしに話しかけてくる。母親が死んでからおかしく なったらしいが、さすがにこれには頭が痛くなってくるエンツォだった。そんなこんなでエンツォが持ちかけられたのが、例のアフリカからの麻薬取り引きの 話。空港から二人のアフリカ人をクルマで連れて来て、麻薬を受け取るだけの簡単なお仕事のはずだった。エンツォとセルジョはクルマで空港に向かい、問題の アフリカ人二人組を乗せて来る。このうち一人の「体内」に麻薬が仕込まれていて、それを某所でカラダから出そうという訳だ。やって来たのが、建築途中で放 置されたビルの廃墟。このエレベーターもないビルの最上階まで歩いて上がろう…という計画自体が杜撰だったことは言うまでもない。案の定、最上階に着いた 時には「運び屋」アフリカ人は泡を吹いて苦しみ出すアリサマ。純度100パーセントで致死量遥かにオーバーな麻薬を体内粘膜で受ける羽目になり、あっとい う間にあの世行きだ。セルジョは慌てず騒がず、その場で「運び屋」の腹を割いて麻薬を取り出そうとするが、相棒のアフリカ人が騒ぎ出したから厄介だ。明ら かにアフリカ人はこの成り行きに腹を立てていて、しかも言葉はまったく通じない。いきなり銃を取り出して、セルジョたちを威嚇。それを止めようとしたセル ジョは、あっという間に撃ち殺された。唖然とするエンツォも肩を撃ち抜かれ、そのまま窓もないビルの外へ放り出される。最上階から落下である。地面に叩き 付けられ、大の字になって倒れているエンツォ。しかししばらくすると…エンツォはムクッと起き上がり、何もなかったように歩いて自宅まで帰って行くではな いか。一体、エンツォのカラダに何が起きたのか…?

みたあと
  先にも述べたように、日本アニメをお話の中心に据えた映画である。永井豪原作の「鋼鉄ジーグ」なんだそうである。正直言って「マジンガーZ」あたりなら僕 でも何とか知っているが、この「ジーグ」とやらは残念ながら知らなかった。だが、それも不思議はなかったらしい。この「ジーグ」、テレビアニメになったく らいだから有名なのかと思えば、日本ではさほどヒットしたモノではないらしい。それが奇妙にも海を渡ってイタリアに行ったら、何とこうして映画の題材と なってオマージュされ、しかも「ヒーローの代名詞」扱いまでされているのだからビックリだ。そういう意味では、まさに前述した「マジカル・ガール」のよう な映画と言っていいかもしれない。日本アニメへのリスペクトやオマージュはあるが、それ自体を映画化した訳ではない。あくまで素材として用いたという点で も、「マジカル・ガール」と同じである。

みどころ

  またまた繰り返すが、本作は日本のマンガ、アニメを素材として使ってはいるが、あくまでその映画化ではない。だが、「マジカル・ガール」のようにお話その ものはシリアスなドラマなのかというと、そうではない。「ジーグ」を映画化した訳ではないものの、お話自体はある意味でそれこそマンガチックなモノ。実際 に「超人」が出て来るお話だというのが、これまたユニークなのだ。それも…例えば「スパイダーマン」などに出て来るような、ふとしたことから超人的パワー を得ることになってしまう主人公の物語。基本的には日本のマンガやアニメというより、まるでハリウッドのマーベル映画にでもありそうなお話なのである。そ れでいて、お話のタッチはグッと現実的。M・ナイト・シャマランが作った「アンブレイカブル」(2000)や、ちょっとタッチは異なるが「キック・アス」 (2010)などにも通じる、現実味のあるヒーロー物語。つまり、「超人が現実の世界に実際に現れたらどうなるか?」をリアルに映像化した作品なのだ。だ から主人公もグッと現実味を帯びていて、見た目はずんぐりむっくりの冴えないオッサン。それも、小汚いアパートに住んでエロビデオばかり見ているチンピラ という情けなさ。女に優しい言葉ひとつかける心遣いも思いつかずに、まずヤルことだけヤッてしまう不器用さ。スーパーパワーを手に入れるや、ATMを破壊 してカネを奪ってしまうハンパもんぶり。おまけに主人公が愛するヒロインも、ちょっと頭がアレな女で決して美女でもない。現実味を帯び過ぎていて、夢も希 望もない。そもそも主人公がそんな人格形成をしてしまうような、テロと犯罪が横行して貧困が蔓延している街の様子が凄い。「ドント・ブリーズ」 (2016)で描かれたアメリカはデトロイトの貧寒ぶりとはまた一味違った、何とも冷え冷えとしたリアルな風景である。このあたりの殺伐とした現実を描く 徹底ぶりには、ちょっとだけ「自転車泥棒」(1948)や「揺れる大地」(1948)などの「ネオレアリズモのお国柄」を感じてしまった。まぁ、そこまで 言うのはちょっと大袈裟か。で、本作が優れているのは単に「現実味のあるヒーロー物語」を描くにとどまっていないことで、そこまで主人公と彼を取り巻く環 境の惨めさをトコトン描いているから、スーパーパワーによる正義の実現がより一層輝かしく見えて来る。例えばハリウッド製ヒーロー映画が…本来ならとても 颯爽として輝かしいはずなのに意外に平板で凡庸に見えて来てしまうのとは裏腹に、話に強烈に現実味を帯びさせたことから逆説的にヒーロー物語の晴れがまし さが増して来る…という構造。これはちょっと面白い発想だ。当然、ヒーローのスーパーパワーも、それを使っての戦いっぷりも、思い切り現実的なのがいい。 カッコ良くはないが、適度に重量感ある肉弾戦なのである。また、筋立てが荒っぽい映画ではあるが、例えばスーパーパワーで抜群の回復力を得た主人公でも刃 物で切断された足の小指はくっつかない…という小ネタが、後になってちゃんと効いてくるという細やかさもある。本作が監督デビューというガブリエーレ・マ イネッティという人、なかなかやってくれるのだ。汚ならしい現実に咲く一輪の花…みたいな描き方が、ちょっと嬉しくなるのである。
ここからは映画を見てから!

こうすれば

 そんな訳でかなりグッと来る映画ではあるのだが、正直言うと本作を見る前や見ている間に予感していた「とてつもない痛快さ」があったかというと…実はそ こまでは至らない。面白いし「ちょっといいな」と思わせる出来映えではあるのだが、メチャクチャ面白い…とまではいかない。これだけ美味しい題材を捕まえ ていながら、残念ながらそこまでは至っていないのだ。その理由は、まず「長過ぎる」こと。要らないエピソードも多く、もっと尺を切れるはず。そして…その 「長過ぎる」こととも通じるのだが、お話の構成が間延びしてしまっていること。主人公に「鋼鉄ジーグ」を紹介するヒロインの死…というのはドラマの中でか なり大きなアクセントになっているはずなのだが、その後もお話がかなり長く続いてしまう。それも、死んだと思った悪役の蘇生、最大のクライマックスである 悪役との戦い…という2段階のお話が続くのだ。見ている側としては一旦ヒロインの死で気持ちが切れてしまうので、ある種の「終わった」気分になる。ところ がその後にもお話が(むしろこちらが本題なのだが)続くので、何となくダラダラしているような印象を受けてしまうのだ。このキレの悪さが「痛快さ」を減退 させているのではないか。せっかくの素晴らしいネタなだけに、とてももったいない気がする。

さいごのひとこと

 応援したくなるヒーロー。

 

「バッド・バディ!私とカレの暗殺デート」

 Mr. Right

Date:2017 / 07 / 03

みるまえ

 男運がない女の子が恋に落ちた相手は凄腕の殺し屋…何となくすでにどこかであったようなお話ではあるが、作りようによっては楽しいラブコメになりそうな題材。そんな主人公二人を、何と「月に囚われた男」(2009)などの芸達者サム・ロックウェルと、「マイレージ、マイライフ」(2009)で出て来て以来、出る映画出る映画好感度が高いアナ・ケンドリックという顔合わせで演じるとなれば、グッと期待が高まる。派手さはないが映画好きとしては楽しい作品になりそうで、絶対に見たい!…と劇場に駆けつけた。なのに感想がこんなに遅れて申し訳ない。

ないよう

  幼稚園のビデオで園児たちが思い思いにハシャいだりしゃべったり…そんな中でも、ある女の子はいきなりイッちゃってるような大暴れ。さて、そんな女の子の ウン十年後の姿は…。部屋でイソイソと料理に励むマーサ(アナ・ケンドリック)は、例の幼稚園児の成長した姿。マーサはこれからカレシが戻って来るので、 男の胃袋を掴もうと手作り料理に挑戦中。だが奮闘の甲斐もなく、結局失敗に終わるのはご愛嬌。無駄な抵抗をやめてアリもので済ますことに決めたマーサが、 用意万端カレシが来るのを待ちくたびれていると…。いきなりドアを開けて入ってくるのは、女を絡み付かせた問題のカレシ。その場で百年の恋もポシャったの はいうまでもない。自宅アパートに戻ったマーサは、そこでクローゼットに引きこもって泣きに泣く。だが、ルームメイトのソフィー(ケイティ・ナーラ)と ジュリア(ウェンディ・マッコーム)にとっては「またか」の出来事。アナがロクな男を掴まないのも、その後で「男運の悪さ」を嘆いて落ち込むのも毎度のこ とだからだ。見かねたソフィーたちに誘われて街に出たマーサは、酒の力を借りて大いに発散するのだった。一方、ビシッと決めてホテルにやって来る一人の 男。どこかひょうきんにも見える、この男の名はフランシス(サム・ロックウェル)。彼が客室のドアをノックすると、出て来たのは一人の中年女。この女は突 然現れたフランシスに見覚えがないが、フランシスはピエロの鼻を付けてトボけた顔。そして女があっけにとられているうちに、自分はこの女が夫を殺すために 雇われた殺し屋だと発言。女が唖然としているうちに、いきなり銃で彼女を撃ち殺してしまうではないか。さて、まだ失恋の痛手を引きずっているのか、ソ フィーの職場であるペットショップにお邪魔して大迷惑をかけたマーサ。その足でフラリと入ったコンビニの店内で、彼女はアッと驚く出会いを体験することに なる。たまたま商品を並べた棚の角を曲がったその時、偶然に彼女の目の前に一人の男が立ちはだかる。それは、あの殺し屋フランシスだった。突然鉢合わせの 状態になって、避けようとして棚にぶつかる二人。その煽りで、棚に並べてあったコンドームの小箱がいくつも棚から投げ出された。すると…マーサはすかさず その小箱のひとつをキャッチ。特にこれといった訓練を受けた訳でもないのに、こんな敏捷性を発揮した自分にマーサは驚く。だがもっと驚くべきは目の前に立 つフランシスで、彼はまったく慌てず騒がず飛び散ったコンドームの小箱を、一瞬ですべてキャッチしてしまうではないか。これにはビックリのマーサ。だがフ ランシスの方でも、例え一個とはいえ見事に小箱をキャッチしたマーサに注目していた。それは、二人にとって「ここで会ったが百年目」の出会いだったの だ…。

みたあと
 見始めてすぐに、何となくこの映画って別の何かの作品と似ている…と感じてしまった。…というか、劇中のセリフを聞いていて、「???」と気づいたというか。この映画、何となくジェシー・アイゼンバーグとクリステン・スチュワートという変なカップリングが面白かった「エージェント・ウルトラ」 (2015)に通じるモノがあるのではないか? 実際見ていると、どうやら両方のお話の世界が地続きになっているらしいと分かった。映画を見終わった後に 分かったのは、「エージェント・ウルトラ」の脚本家マックス・ランディスが本作の脚本も書いているということ。そんなことみんな知っていたのかもしれない が、最近情報に疎くなった僕としては驚いた。なるほどねぇ〜。

ここからは映画を見てから!

みどころ

 「エージェント・ウルトラ」もそうだったが、ちょっと悪ノリ感のあるお話に意外性あるカップリング…という美味しい設定。ハッキリ言ってそれがすべて。 でも、僕としてはそれで十分。実はあまり書くことはないのだ。一番面白いところは、もちろんアナ・ケンドリックがいつの間にか自分の中に潜在していた「殺 しの才能」に目覚めてくるあたりか。この真面目でちょっとズレてる女の子が「殺し」に手を染めるなんて何事だ…と思われる方は、本作を見るには適していな い。この映画も一種のマンガだからねぇ。それにしてもアナ・ケンドリックって、「ハッピーボイス・キラー」(2015)といい「ザ・コンサルタント」 (2016)といい、本当に変人に好かれる役が多い。しかも本人も平凡な人に見えて、ちょっとだけ世間からズレてるってあたりが微妙でおかしい。そんな彼 女が根本的におかしいサム・ロックウェルと大暴れする本作は痛快そのもの。実はそれ以外、特にあまり言うことはない。それはつまんないのではなくて、ゴ チャゴチャ語るような映画じゃないってことなのだ。ティム・ロスも出ていたのはお得感があったが、正直言って少々精彩を欠いているように見えたのは気のせ いだったか。監督のパコ・カベサスの腕前はどうだったかよく分からないが、それくらい「エージェント・ウルトラ」に通じるマックス・ランディス脚本のテイ ストが強かったということ。そんな訳で僕は大いに堪能したが…この「エージェント・ウルトラ」的な世界観が、マーベル映画やらDCコミックス映画やらで盛 んにやっているような「複数の映画を数珠つなぎにしていく路線」に持っていく伏線だとしたら、僕はちょっとイヤかな。ああいうのはクシシュトフ・キェシロ フスキの「デカローグ」(1988)連作みたいにチョコッとやるからシャレてるんであって、何でもかんでも「つながってます」ってやられても嬉しくない。 まして無理矢理ハンバーグ・カレーみたいなアベンジャーズとかを何度もやられても有り難みがなくなる。最初の頃は嬉しかったんだけど、こうもミソもクソも つながって来ちゃうとお腹いっぱい。こういう傾向、そろそろ終わりにしてもらいたいんだけど…というのは、本作とは関係のないお話。

さいごのひとこと

 アナ・ケンドリックにハズレなし。

 


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