新作映画1000本ノック 2017年6月

Knocking on Movie Heven's Door


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 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」 「スプリット」 「ワイルド・スピード ICE BREAK」
 

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

 Manchester by the Sea

Date:2017 / 06 / 19

みるまえ

 今年のアカデミー賞で主演男優賞を取った作品。誰もが本作をそういう風に認識していると思う。取ったのはケイシー・アフレック。随分と地味な役者が取ったな…とは思ったものの、ブラッド・ピット主演の「ジェシー・ジェームズの暗殺」(2007)で素晴らしい演技を見せていた彼なら「さもありなん」という感じだから、これには異存がなかった。相当地味そうな作品ではあるが、それがこのケイシー・アフレックという役者に合っているようにも見えた。だから、ある程度安心して見に行ったような訳だ。

ないよう

  洋上の漁船で、男が少年に話しかけている。「人生も地図を見るように見られれば間違いがない」…などといった男の与太話を、少年も聞いているんだかいない んだか。だが、釣りに出てバカ話をしている彼らは、何となく楽しそうだ…。冬のボストン。中年男リー(ケイシー・アフレック)は、アパートの便利屋として 毎日仕事に励む。ある時は便所の水漏れを直し、ある時は天井の電灯を直し、ウンザリするような便器の詰まりも何とかして、黙々と作業を進めていく。アパー トの住人たちはそれぞれ勝手なことを言って来るが、リーはそれも淡々とやり過ごす。時に勘違いした言いがかりをつけてくる住人もいるが、そんな時はあくま で熱くはならず、ズバリとキツい言葉を吐くことも辞さない。もちろんそんな住人は大家に苦情をぶつけてくるので、大家もリーに苦言を呈してくる。だが、 「何だったら辞めてもいいんですよ?」と低賃金で黙々と働くリーに言われたら、大家も文句を引っ込めざるを得ない。リーはこんな仕事に甘んじてはいるが、 決して執着している訳でもなさそうだ。夜には酒場で黙って酒を飲むリーだが、わざと酒をこぼして言い寄ってくる女にも興味なし。だが、正面に座っていた男 二人に、いきなりガン飛ばして来たな…と因縁をつけて殴り掛かるなど、その言動はいささか不可解。そんなこんなでリーが戻って来たのは、地下にある殺風景 で小さな部屋。その姿は、どこか人生を投げているようにも見えた。そんなある日のこと、リーの携帯に連絡が入る。電話で急を知ったリーは、慌ててクルマで 郷里に戻ることにした。大家に当座の仕事の引き継ぎについて連絡しながら、彼が向かった先はマンチェスター・バイ・ザ・シー。その名の通り海辺の小さな町 だ。そんなリーは、まず病院へとクルマで駆けつける。そこには旧知のジョージ(C・J・ウィルソン)と看護師が彼を待ち構えていた。実はリーの兄ジョー (カイル・チャンドラー)が、急な発作で倒れたのだった。それで慌ててクルマを走らせてやって来たリーだったのだが、残念ながらジョーは息を引き取った 後。リーの脳裏には、この病院で初めてジョーが病気について知らされた日のことが、鮮明に甦ってくる。あの日、医者から自分が突然重い心臓の病いであると 聞かされたジョーと、リーやその他家族たち。生きてもおそらく後5〜6年…という話を聞いたジョーの妻エリス(グレッチェン・モル)は、完全に冷静さを 失ってその場を離れてしまった。その後、彼女はジョーと別れてしまうのだが…。まさにその医師の予想通り、ジョーは亡くなってしまった。リーはその場で、 誰にジョーの死を伝えるのかをジョージと簡単に話し合う。リーにとっては、あんなことがあったエリスなど論外だったし、そもそも彼女は連作先が分からな い。それよりも、ジョーの息子パトリックにはすぐに知らせねばならない。その辛い役割は、リーが引き受けることになる。こうしてリーは、クルマでパトリッ クがアイスホッケーの練習をしているスケートリンクへ。部活の仲間とラフなプレイをしていたパトリック(ルーカス・ヘッジズ)だったが、リーの出現で事態 は一変。監督はパトリックに「帰っていい」と告げた。部活の仲間たちもパトリックを気遣って言葉をかけたが、奇妙だったのは彼らがその場に姿を見せた叔父 であるリーに好奇の目を向けていたこと。どうやら故郷の人々にとってリーは一種の『有名人」だったようなのだが、果たしてリーはなぜ町の人々に注目されて いたのだろうか…。さて、リーはクルマでパトリックを病院に連れて行き、彼を霊安室のジョーの遺体と対面させてやる。だが、パトリックは父親の死をまだ受 け入れられないようだ。ともかくパトリックを彼の自宅へと送って、自分もそこに泊まることにするリー。その夜、パトリックは自分のダチを家に呼んでバカ騒 ぎ。ヘタに落ち込まれるよりは良かったが、若い連中はその家にいるジョーのことなどお構いなし。そのうちパトリックはダチのうち紅一点のシルヴィー(カー ラ・ヘイワード)を家に泊めると言い出すが、リーには断る理由もない。どうも前々から、パトリックは彼女をこの家に泊めていたようだ。翌朝もリーが携帯で アレコレ葬儀屋とやりとりしているのを横目に、勝手に二人で朝食を食っている始末だ。そんなリーは、パトリックを連れて弁護士のもとへ。重い病いを患って いたジョーは、この弁護士に遺言状を委ねていたのだ。待合室にパトリックを待たせて、一人で弁護士との打合せに臨むリー。だがここで、リーは衝撃的な話を 聞かされる。何と生前のジョーは、リーをパトリックの後見人として指名していたのだ。これにはリーもビックリしたが、それよりリーが生前のジョーからこの ことを聞かされていなかったと知った弁護士の方が驚いた。だが、リーにはこの話は到底受け入れ難い。とてもじゃないが彼の面倒を見ていけるとは思えない し、そもそも遺言状はリーがこのマンチェスターに戻って暮らすことを前提にしている。さりとて家を捨てて出て行ったパトリックの母エリスにも、今さら何も 期待できない。マンチェスターに住んでパトリックと暮らすように弁護士に説得されても、リーはただ困惑するばかり。実はリーには、この町に戻って暮らす訳 にはいかない重大な「理由」があったのだが…。

みたあと
  このくらいの話題作になると、当然のことながら世評はとっくの昔に耳に届いている。案の定、大絶賛である。大絶賛の嵐である。それらはどれもこれも、映画 を見るまでもなく「そうだろうなぁ」と思わされるものばかりだ。冒頭にも述べたように、「ジェシー・ジェームズの暗殺」での好演を知っているから、ケイ シー・アフレックがハマったいい演技を見せているらしいことは想像がつく。ひなびた海辺の田舎町…という舞台もいいではないか。脇に回っているのはミシェ ル・ウィリアムズなどなど、これまたいい役者揃い。全体的にちょっと地味だが、センスのいいキャスティングである。もうどこを切っても「いい映画」の予感 しかしない。もう見る前から「いい映画」に決まっている。いっそ見る前から、「いい映画」だった…と感想を書いてしまってもいいくらいだ。そんな気分で一 杯になりながら、スクリーンと対峙することになった本作。いきなり雪がしんしんと降るボストンの街を舞台に、ケイシー・アフレックが演じるショボい便利屋 の日常が…淡々と、実に淡々と描かれていく。撮影も演技も演出も、丁重な作りを思わせる誠実そうな仕事ぶりである。饒舌ではない描き方が、本作をどこかス トイックに見せてもいる。黙々と仕事をこなす主人公の描きっぷりを見れば、見る前の「いい映画」の予感は当たりだ…と早くも感じさせられるではないか。黙 々と黙々と、淡々と淡々と…派手さや虚飾を一切入れない作り方が、凡百のハリウッド大作などとは一線を画した「良心作」の香りを醸し出す。そんな主人公が 一本の電話で血相変えて郷里を目指すあたりから、お話は本題に入って徐々に動き出していくが…それが何を意味しているのかを、作り手は頑強に観客には伝え ない。ストイックな語り口である。何でもかんでも説明してしまうハリウッド大作とは大違いだ。お話が本題に入っても、淡々とした語り口は変わらない。もう この時点で、多くの観客は本作が「いい映画」であることを信じて疑わないだろう。おそらくネットや映画雑誌などで絶賛評をバラまいている映画ファンや映画 マスコミたちも、早々にこれは「いい映画」だと結論を出していたはずだ。確かに「良心作」の香りがする。「いい映画」のような「感じ」がする。こんな「感 じ」がする作品は、「いい映画」でない訳はないと思える。だが、本当にそうなのだろうか? 結論から申し上げよう。本作が「いい映画」のような「感じ」が する…ということは僕も認めよう。確かに、本作は「いい映画」風に見える。だが、それがイコール、本当に「いい映画」であるというのは、ちょっと違うので はないだろうか。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

 先にも述べたように、本作は冒頭から淡々と淡々と、実に淡々とお話が流れていく。それが主人公の投げやりでやりきれない暮らしを観客に納得させることに なっていることも、僕は認める。だが、僕はそれが語り口として正しいとは思いながらも、さすがに主人公が甥の高校生パトリックを迎えに行くあたりで、どう にも我慢しきれずついに感じてしまったのだ…「長い!」と。淡々としているのはいい。だが、あまりに長過ぎる。ハッキリ言うと、無駄がありすぎる。実際に どれだけの時間が経過していたかは知らないが、そこまでかなり長く見ている気がしているのに、いまだに主人公は重要な登場人物である甥と出会っていないの だ。これはいくら何でも長過ぎではないのか。確かに本作はストイックなまでに寡黙で冗舌さがない。だが、冗舌ではないが「冗長」でないとはいえない。ここ まで持って回った語り方をする必要があるのか。「持って回った」という言い方をしているのは、単にダラダラと長いからだけではない。語り口が、どこかもっ たいつけている。登場人物に関する情報を小出し、後出しにするために、微妙なタイミングで回想場面を挿入する。それ自体はよくある手法なので文句はないの だが、キモになる情報はほとんど後出し回想場面で突っ込んでくるし、「わざわざ回想場面にする必要があるか?」と思われることまで回想として差し込んでく るので、さすがに回りくどくてもったいつけているように感じられる。例えば…主人公が兄の容態の急変を知って病院に辿り着いた直後に、その兄が重病だと医 師から初めて宣告された時の回想場面がいきなり突っ込まれる。同じ病院での場面なので見ている側としては視覚的・時間的混乱を受けてしまうし、主人公の兄 という重要人物を初めてちゃんと見る(顔がハッキリ分からない遠目で見せる場面ならその前に登場している)のがこんな場面ということで、正直言って語り口 としてあまり「うまい」とは言い難い。一事が万事こんな感じだから、回想場面の「メイン・ディッシュ」…主人公がこれほど捨て鉢な人生を送るに至った真相 としての悲劇の場面が登場しても、僕は何となく「あざとい」という感じがして素直に受け取れなかった。悲壮感たっぷりな音楽もそんな印象を助長するだけ。 同じ「アルビノーニのアダージョ」を使ったピーター・ウィアーの出世作「誓い」(1981)では素直に感激したのに、こっちはどこか「わざとらしい」印象 を持ってしまったのだ。それはすべて、この「持って回った」ような回想場面の配置の仕方にあったと思う。それまで主人公の秘密を隠しに隠して、タメにタメ をきかせた末に悲劇的な場面を持って来て、「どうだ!」とブチまけるというのが、何だかねぇ…。それまでずっと昭和の喫茶店BGM風クラシックみたいの ばっかり延々と流していたのも、たぶんここで「アルビノーニのアダージョ」をガ〜ンと流したかったからだろう。正直言って大向こう受けを狙ってるって感じ で、作り手のドヤ顔しか頭に浮かんで来ない。で、おそらく本作について絶賛しているような人々の心を鷲掴みにしたであろうこの悲劇の回想場面に「ノレな い」となると、もう本作には不信感しか抱けない。いちいち、あちこちのディティールに引っかかって来ちゃうのである。例えば、先に挙げた病院の回想場面に 出て来た薄情な兄嫁がよく分からない。その後もだらしない女であるとコテンパンに描かれているが、その後に再婚した男がキリスト教原理主義者みたいな危な い男ってことで、まるで「ザマァ!」と作り手が溜飲を下げているみたいなのが違和感アリアリ。大体が、病院の回想場面でいきなりキレる兄嫁の描写って、い ろんな意味で不自然ではないか。トンデモなく常識のない女と描きたいのだろうが、それにしたってリアリティがゼロ。あんな場面なら、どんなバカでも少しは 取り繕うだろう。そしてこの兄にしてこの弟…ではないが、弟である主人公も妻には苦しめられている様子。注目すべきは、この主人公の妻も「具合悪い」とか 言って昼間からダルそうに寝間着でいる怠惰な女…と描かれていること。おまけに主人公をボロクソに責めてたらしい割にはアッケラカンと再出発してたり… と、これまた「悪妻」と描かれている。いや、一見すると悪く描いていないように見せかけてはいるが、これはどう見たって悪意のある描き方だろう。つまり、 本作では兄弟揃って女運の悪い受難者みたいに描かれているのである。だが、こいつら単に悪妻に捕まった気の毒な男と描くのは、ちょっと無理があるんじゃな いだろうか。別に僕は「フェミニスト」(笑)になった覚えはないが、何でもかんでも女が悪いってのはどうもねぇ…。こいつら兄弟やダチも相当にボンクラだ ぜ? 主人公兄弟を持ち上げるために無理矢理女房連中をサゲまくっているみたいで、何とも気色悪い。主人公の妻を「悪く描いてない」素振りでしっかりサゲ ているあたりの手口が、陰湿でいやらしいのである。「女がキライ」っていうならキライでいいから、こんな卑怯なマネはするな。男らしくねぇんだよ。何だか この映画には、本能的にそんな腐敗臭を感じる。そもそも、これってそんな立派な話でもないんじゃないか。これが北関東あたりのデキ婚夫婦のボンクラ亭主を 主人公に、子供を駐車場のクルマに閉じ込めてパチンコしちゃってて…ってな話にリメイク(笑)したら、みんなこんなに共感するだろうか? 「アルビノーニ のアダージョ」…なんて高級な話かよ。これって煎じ詰めればそんな話でしかないでしょ? オレは間違っているかな?

みどころ

 映画ファン、映画マスコミすべてが大絶賛の本作をここまでコキ下ろしていいのか…。さすがにヤバい気がして来たなぁ(笑)。でも、ダメなものはダメなん だから仕方がない。オレはどうしてもノレなかったんだから、そう言うしかないのだ。ただ不思議なことに、映画は問題の「悲劇の真相」場面をピークにして、 まるでウミを出し切った(笑)かのようにス〜ッと「あざとさ」が失せていく。仕込んで仕込んでこらえてこらえまくって例の「悲劇」の回想場面をドヤ〜ッと 見せた後は、力尽きてしまったのかつまらないテクニックを使わなくなったようなのだ。そして、それがかえって良かった(笑)。真相暴露風の回想場面も喫茶 店BGMみたいなクラシックも影を潜め、ただただ淡々としたお話に戻る。作り手の変な「女嫌い」趣味がチラつくのは邪魔だが、映画の後半は決して悪くはな い。甥との関係を再構築する主人公が結局「オレは立ち直れない」と去って行くことになるのも、むしろ変に立ち直っちゃう展開よりずっとリアリティがあるし 誠実さを感じる。主人公と甥が肩を並べて釣り糸を垂れるささやかなエンディングが、とても好ましく思えるのだ。だから、本作の後半部分は決して悪くない。 それだけに、見ていて本当にもったいない。監督のケネス・ロナーガンって人は、「アナライズ・ミー」(1999)の脚本を手がけるなど脚本家上がりの人。 それが災いして、構成に凝って墓穴を掘ってしまったのか。いい点も少なくないだけに、作り手の歪んだ野心が見え隠れする変な構成がとても残念なのである。

さいごのひとこと

 久々のマシュー・ブロデリックに悲しくなった。

 

「スプリット」

 Split

Date:2017 / 06 / 05

みるまえ

 M・ ナイト・シャマランの新作…と聞くと、みなさんどのような印象を持たれるだろうか。今じゃすっかり、バカな映画を作る男として映画ファンから嘲笑の的。と りあえずこいつを叩けば、もっともらしい映画好きみたいな顔が出来る。大体そんな感じではないだろうか。だが、僕はそういうのが心底イヤでねぇ。むしろ事 あるごとに、「僕はシャマラン好き」と公言することにしている。そう発言しては、半可通の映画ファンが戸惑った顔をするのをニヤニヤ楽しんでいるのだ。第 一こいつらシャマランをケナしているけど、どこがどう悪いか分かってんのか。そんなサンドバッグ状態のシャマランだが、前作「ヴィジット」 (2015)はケナしている奴は相変わらずケナしているが、ここのところの作品としては久々に好評。僕も彼の調子が上向いて来たと感じた。そこに追い打ち をかけるように本作の登場だ。どうやら多重人格をテーマにしているらしく、相変わらずホラーやスリラー映画を撮ろうとしているのが嬉しい。これは見なく ちゃいけないだろう。シャマランに関しては何だか変なウワサも漂い始めて来たので、僕は慌てて劇場に見に行くことにした。

ないよう

  ファミレスの店内では、女子高生たちのお誕生会が賑やかに開催中。みんながスマホで楽しげに記念撮影に興じている中、なぜかひとりポツンと座っている女の 子がいる。その女の子ケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)は、いわゆる「壁の花」と言うべき存在だ。クラスでもいつも浮いている。この日の主役であるク レア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)がクラス全員呼ばなきゃ…と彼女にも声をかけたものの、案の定この状態。ダチのマルシア(ジェシカ・スーラ)とと もに、彼女を呼んだことを後悔せずにはいられない。おまけにどうやら家から迎えも来ないようで、クレアの父(ニール・ハフ)がクルマで送っていくなりゆき になった。クルマに同乗することになるクレアとマルシアとしては、正直勘弁してほしいところだ。こうして、クレアの父のクルマに乗ることになった女子高生 3人。バックシートにはクレアとマルシア、助手席にはケイシーが乗って出発を待つ。クレアの父はトランクを開けて荷物を積み込んでいたが…ふとケイシーが バックミラーを見ると、トランクの横に積むはずだった荷物が散乱。何やら不測の事態が起きたと気づいて身構えたケイシーの隣の運転席には…クレアの父でな い誰かが! 異変に気づいたクレアとマルシアは「あんた誰? 間違ったクルマに乗ってるわよ」などと騒ぎ出したが、この男はフトコロから出した催眠スプ レーを噴射して二人を黙らせる。ケイシーはというと恐怖で硬直した状態になっていたが、今にもドアを開けて逃げ出せる態勢にはなっていた。だが、ナゾの男 はそんな様子を見逃さない。坊主頭で眼光鋭いこの男(ジェームズ・マカヴォイ)は、ケイシーにも躊躇うことなくスプレーを噴射したのだった…。それからし ばらくして、ケイシーは昏睡状態から目覚める。目の前には怯えきったクレアとマルシア。3人は窓もない殺風景な部屋に閉じ込められていた。どうやら自分た ちは拉致監禁されてしまったらしい。そう理解したケイシーは、ただ慌てふためく他の二人とは違って、怯えながらも必死に状況を把握しようとしていた。その うち部屋のたったひとつの扉が開いて、彼女たちをさらったあの坊主頭の男が入ってくる。妙に神経質そうなこの男は、まずマルシアを連れ出して何かよからぬ ことをしようとする。悲鳴を上げて暴れるマルシアだったが、結局この男から逃れられるわけでもない。だが一瞬マルシアに近づくことができたケイシーは、 とっさに彼女の耳元で「おしっこしちゃえ」とつぶやく。そのまま部屋から連れ出されたマルシアだったが、まもなく悪態をつく男によって部屋へと戻された。 彼女はケイシーのアドバイスに従い、小便を漏らして難を逃れたのだった。とりあえず目下の危機は去ったが、状況は何ら変わっていない。クレアとマルシアは 興奮して、「力を合わせて男に立ち向かおう」とケイシーに持ちかける。だが、ケイシーはつれない。まだ状況が分からないので、彼女たちの意見には賛同でき なかったのだ。そんなケイシーの脳裏に浮かぶのは、彼女がまだ幼い頃の記憶。優しい父親(セバスチャン・アーセラス)と大男の伯父(ブラッド・ウィリア ム・ヘンケ)とともに、山の中に狩りに出かけていった思い出だ。ケイシーの一族は、みんな狩りを好んでいた。父親はまだ幼いケイシー(イジー・コッフィ) に、動物の習性と狩りの極意を教えたのだ。その言葉は、今もケイシーの脳裏に焼き付いている。だからこそ、状況を把握せず無闇なことを素べきでない…とケ イシーは思っていたのだ…。その頃テレビでは、三人が何者かに誘拐されたニュースを流していた。そのニュースをアパートの自室で見ているのは、精神科医の カレン・フレッチャー博士(ベティ・バックリー)。彼女がふとパソコンの画面に目をやると、バリーという人物から「緊急」と題したメールが届いていた。そ れを見たカレンは、すぐにあるところに電話。やがてやって来たのは、スケッチブックを手にしたあの坊主頭の男。だが、先ほどの監禁部屋に現れた時とは少々 様子が異なるようだ。スケッチブックに描いたファッション・デザインのスケッチを見せて、ご満悦な表情の坊主頭の男。この男、どうやらカレンの「患者」の ようで、それもかなり長い付き合いがあるらしい。彼はカレンの「緊急って何があったの?」という問いに「何でもない」と答え、いそいそと帰って行くので あった。それからしばらくして、ケイシーたちが閉じ込められている部屋の外から、何やら話し声が聞こえて来る。それは二人の人物の会話で、片方は先ほどの 男、もう片方はどうも女らしい。その会話によれば、三人は何者かに与える食物として連れて来られたというから穏やかではない。だが、先ほどの男と新たに登 場した女は意見が異なるようで、もうちょっと常識的な考え方を持っているようだ。それに期待した彼女たちは、部屋の外へと大声を上げる。どうやら女がそれ に気づいて部屋に入って来た…と大いに喜んだ三人だったが、実際に入って来たのは…スカートを身につけハイヒールを履いてはいるものの、先ほどと変わらぬ あの坊主頭の男ではないか! 明らかに人格は変わっていて穏やかな女になりきった振る舞いをしていたが、外見はどう見てもあの坊主男。すっかり女になり きったその男を見つめながら、三人は思い切り絶望感に突き落とされる…。その頃、カレンはパソコンからスカイプを使って、精神病の学会が開いた会合に参加 していた。彼女がパソコン画面に向かって講義しているのは、自分が看ている多重人格の患者についての話。それは明らかに例の坊主頭の男のことであり、彼は カレンを大いに驚嘆させたようだ。それによると…彼は単に人格を変えるだけではない。人格が変わるとともに、その肉体や能力も実際に変わっていくというの だ…!

みたあと
 M・ナイト・シャマランほど、毀誉褒貶の激しい映画監督もいないんじゃないだろうか? 「シックス・センス」(1999)で彗星のごとく現れた時には、映画ファンの間では「天才」みたいな持ち上げられよう。当時はみんなこの映画を見て、「感動した!」とまで言ってたんだからねぇ。当然、次の「アンブレイカブル」 (2000)は熱い期待の中を公開されたのだが、なぜかイマイチ微妙な評価。だが、僕は正直言って「シックス・センス」の時にこいつはちょっとアレだぞ… と思っていたから、実は何ら不思議はなかった。その後も決定的な馬脚は現していなかったものの徐々に微妙な評価が勝って来て、ついに完全にやっちまったの が「レディ・イン・ザ・ウォーター」 (2006)。このあたりからシャマランは、映画ファンからは「トンデモ監督」のレッテルを貼られるようになってしまう。しかし僕は天の邪鬼なのか、みん ながみんな同じようなことを言い出したら、疑った方がいいと思っている。だから多くの映画ファンがシャマランをケナし始めると、「ちょっと違うんじゃない か?」と思い始めた。確かにシャマランは「オチ命」のストーリーテリングばかりで、脚本にも穴が多い。笑っちゃう設定なども数多く見られる。だが、昨今の 映画ファンからのシャマラン叩きは、「こいつは叩いていい奴」と認定されているから叩いているように思える。なぜなら、彼らが笑い者にしているシャマラン の特徴は、いずれもすでに「シックス・センス」の時点で見られたものだからだ。どうしてその時に叩かない。今になってみんなが「オカシイ」と叩き始めたか ら、安心して一緒になって叩いているんだろ? これだから映画ファンなんて信用できやしない。映画の善し悪しもテメエの言葉で言えない映画ファンごとき に、シャマランの悪口なんぞ言う資格もない。だから僕は、このあたりからシャマラン擁護に転じた。それにシャマランが作る作品は、僕がキライじゃないタイ プの映画ばかり。そう思い始めて見れば、「ハプニング」 (2008)なんて笑っちゃうところもあるが楽しい映画だ。ところがシャマランは、このあたりからアメリカでも逆風にさらされ始めたらしい。ずっとオリジ ナル脚本で勝負して来たのに、アニメ原作の「エアベンダー」(2010)を手がけて大失敗。正直、僕もこれはイヤな予感がして見なかった。まぁ、アレに関 しては元ネタのアニメ・ファンを怒らせたらしいが、アニメ・ファンなんて洋の東西を問わずタチが悪そうだし…。そのせいか、もっとタチの悪いウィル・スミ ス父子に捕まって「アフター・アース」 (2013)を撮る羽目に。実際に見た作品自体は意外にも悪くなかったのだが、世評は相変わらず芳しくなかった。こうなると、シャマランが撮ったというだ けで悪評が立つ。どいつもこいつも、自分の目では映画を見ていないからねぇ。いよいよこれはダメか…と思いきや、大スター起用で大型予算で…という色気を 捨て去って、心機一転、帰りの橋も焼き落としての「ヴィジット」を発表。もうすっかり偉くなっていたはずなのに、今さら低予算ホラーの定石である「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)風の「ファウンド・フッテージ」ものに挑戦。そのチャレンジャーぶりに頭が下がる。イマドキこれだけ貪欲な映画人は、「人生タクシー」 (2015)撮ったイランのジャファル・パナヒぐらいのもんじゃないのか。これは、決して僕は冗談で言ってない。なぜなら、彼らは映画に貴賤はないという ことを自ら実践しているからだ。僕がシャマランをホメてるのは、決して判官びいきではない。ハリウッドに限らず、昨今の娯楽映画と言えば続篇シリーズ化、 テレビ番組からマンガまで残らず映画化、さらには名作からクズ映画まで繰り返しリメイク、あるいはスピンオフ…。そんな中で、この男だけはあくまでオリジ ナル脚本での映画づくりを続け、観客を驚かせることに心を砕いているからだ。例えそれがうまくいかなくても失敗してしまっても、チャレンジし続けているな らば僕は彼を評価する。そうでない奴は、「バットマンvsアベンジャーズ」とかそんなガラクタでも見てろ。とにかくつまずいても前のめりな姿勢を見せる シャマランに、僕は結構期待している。今回も、そんなチャレンジ精神は健在だった。

ここからは映画を見てから!

みどころ

 今回のシャマランの「お題」は多重人格である。この時点で、ヒッチコックの「サイコ」 (1960)を思い切り意識していることは想像に難くない。案の定、何だか見たようなアングルのショットとか出て来て、ちょっと笑ってしまったりする。 シャマラン映画はそんなところに茶目っ気があるのだ。そして、「思わせぶり」が実に得意だ。以前だったらそれにイラッと来たかもしれないが、今だと「それ がシャマランの芸風」と納得がいったこともあって腹も立たない。しかも大作ではなく「低予算ホラー」の体裁をとっているから、「大袈裟さ」がさほどイヤミ にならない。「大変なことなど最後の頃にちょっとしか起きない」という「いかにもシャマラン流」の省エネ映画づくりなのに、あの手この手で何とかかんとか 最後まで引っ張られてしまう。女の子3人が変質者に誘拐されて閉じ込められる…という設定から想定される陰惨で残酷な展開を考えると、実は本作では予想以 上に「大したことは起きない」。それなのに、それで最後までお話を飽きさせずに見せるというのは大変なことだ。実際、本作はホラー映画にジャンルされる作 品なのに、ホラー苦手な人でも安心して見ることのできる映画(笑)なのだ。これはある意味で凄いことだよ。中には「怖くないからダメ映画だ」とケナす向き もいそうだが、こういう映画にもそれなりに需要はあるのだ(笑)。さらに、それ以外のアトラクションとして、ジェームズ・マカヴォイのワンマンショーがつ いて来るのも楽しい。ただしマカヴォイはここで20人だか30人だかの多重人格を演じ分けるという話だったが、実際には本編に出て来るのはせいぜい5〜6 人。この上げ底感もシャマランらしいハッタリなんだよなぁ(笑)。ヒロインのケイシーの思い出が途中で何度か挟まって来て、そのうち彼女が幼い頃から虐待 を受けていたことが分かって来る…というのもシャマランらしいところだが、僕はこの「オチ」を結構好ましく感じた。いつもラストの「一発オチ」に賭ける傾 向があるシャマランだが、今回は主人公のキャラクターと絡んでいるので必然性がある…と感じられたからだ。そんな訳で本作も大いに楽しませてもらった訳だ が、最後の最後に…ちょっと僕は文句が言いたくなった。何だかマーベル映画だかDCコミックス映画だか、はたまたレジェンダリー・ピクチャーズの怪獣映画 だか知らないが、シャマランもまたイマドキ大流行りの「数珠つなぎ」映画をやるつもりなんだろうか? シャマランとしては「最後のとっておき」のオチだっ たらしくドヤ顔で出てきたんだけど、正直言って僕には彼にそんなマネをやって欲しくなかったよ。毎回毎回、単品オリジナル作品で勝負するオマエじゃなかっ たのか?

さいごのひとこと

 立ち直って来たと思ったら、早速調子こきやがった。

 

「ワイルド・スピード ICE BREAK」

 Fast & Furious 8 (The Fate of the Furious)

Date:2017 / 06 / 05

みるまえ

 こぢんまりしたストリート・レース映画だったはずの「ワイルド・スピード」 (2001)が、これほど大袈裟な大ヒットシリーズになるなんて想像できただろうか? …ってなことは、何となくシリーズ最新作が到着するたびに繰り返し 書いているような気がする(笑)。最初の作品こそご贔屓ロブ・コーエン監督の作品だから見に行ったものの、監督が交代した続篇以降はまったく興味なし。そ れがいつの間にか大ヒットシリーズに化けていたから驚いた。さすがに大好きなドウェイン・ジョンソンが参戦すると聞いてたまらずに見に行ったのが5作目「MEGA MAX」(2011)。大ヒットシリーズになっていただけでなく、いつの間にか大所帯になり、関わる事件も大事になっていたのでビックリした。さらに6作目「EURO MISSION」(2013)からは話がやたらワールドワイドになり、国際組織犯罪と戦う007シリーズみたいなコンセプトに変貌。それは7作目「SKY MISSION」 (2015)でも踏襲されて、「欽ちゃんのどこまでやるの」状態(笑)になっていた。だが、好事魔多し。そんな矢先に起きた主演者のひとりポール・ウォー カーの交通事故死は、このシリーズに大打撃を与えたに違いない。「SKY MISSION」の場合はそのウォーカーの死がマイナスにならず、作品自体の出来以上の「何か」を与える結果となった。だがシリーズを続けるとなったら、 ウォーカーの死は明らかにダメージになってしまうのではないか。つまり…8作目である本作が「正念場」である。今回のタイトルは「ICE BREAK」。最初からヤマ場をネタバレである(笑)。悪役には何と超大物シャーリーズ・セロンが登場。ドウェイン・ジョンソンの参加以降、カート・ラッ セル、ジェイソン・ステイサム…と何だかキャストもどんどん豪華になっていくから二度ビックリ。とっくに公開は始まっていたが、すぐに行くと混んでて鬱陶 しいんだろうと敬遠していた。だがついに我慢しきれなくなって、5月も後半になってから劇場へと駆けつけた訳だ。

ないよう

  陽光サンサンのキューバの街ハバナ。活気に溢れるこの街にも、クルマにシビれる連中がワンサカ。そこに、あのドミニク(ヴィン・ディーゼル)とレティ(ミ シェル・ロドリゲス)の二人もいた。二人は遅くなったハネムーンの地として、このハバナを選んだのである。そんな彼らの前に、ちょっとしたトラブルが…。 ドミニクの親戚であるフェルナンドが地元で「顔」のラルド(セレスティーノ・コニーエル)からカネを借りて、なかなか返せずにいたのだ。ラルドは借金のカ タにフェルナンドのオンボロ車を取り立てようとしていたが、フェルナンドは車なしには商売にならない。そこでドミニクが割って入ったが、ラルドは一歩も引 かない。そこでドミニクは、ラルドとレースでサシの勝負をしようと持ちかけた。勝った方が相手のクルマをいただくというルールである。よし、結構! ただ し、ラルドはご自慢のヴィンテージ・カーで戦うが、ドミニクはフェルナンドのポンコツしか使えないというハンディつきだ。だがドミニクは強気を崩さない。 要はクルマじゃない腕だ。ただ、ドミニクもなす術もなくレースに参加するつもりはなかった。ポンコツに彼の「隠し味」であるニトロを積み込んだことは、言 うまでもない。こうして始まった想定外のストリート・レース。途中、ラルドの手下の妨害があったり、ニトロの発熱でクルマが発火するというアクシデントも あったが、何とかドミニクが勝利。だが、ドミニクはラルドから愛車を奪わなかった。「尊敬さえもらえれば、他は要らない」…そんな度量の大きさに、ラルド からも熱い尊敬を得たドミニクだった。だが、そんなある日、ドミニクは街角である女と出会う。クルマの故障で助けを求めてきたその女サイファー(シャー リーズ・セロン)は、次の瞬間、スマホに写ったある画像をドミニクに見せて「部下になれ」と脅して来る。その画像を見るや、ドミニクは思わず絶句してしま うのだった。その頃、娘のサッカーチームのコーチとして試合の応援をするホブス(ドウェイン・ジョンソン)の元に、政府のエージェントがやって来る。強烈 な威力を持つ「EMP(電磁パルス兵器)」が過激派組織に奪われたというのだ。政府としてはバックアップできないし、失敗すれば逮捕…という無茶な話だ が、誰かがやらなきゃならない仕事。ホブスはためらうことなく、ドミニクに協力を求めた。こうしてベルリンで作戦決行。「EMP」を奪い返したドミニク、 ホブスとその仲間たち…レティ、ローマン(タイリース・ギブソン)、テズ(クリス・リュダクリス・ブリッジズ)、ラムジー(ナタリー・エマニュエル)… は、それぞれのクルマに乗って過激派のアジトから脱出した。追いすがる過激派のクルマたちは、テズが仕込んだ秘密兵器で撃退。これで万事めでたしで終わる はずだったのだが…。それぞれ解散してその場を逃れる途中で、ドミニクはホブスのクルマを横転させて「EMP」を強奪。そのままクルマごとサイファーの持 つジャンボジェット機に乗り込んで逃亡してしまった。ホブスはそのまま逮捕。彼が刑務所に収容される時に、やって来たのは例の政府直轄組織のリーダーであ るミスター・ノーバディ(カート・ラッセル)とその若い部下(スコット・イーストウッド)。「罪を認めて協力すれば釈放する」と持ちかけるが、当然、ホブ スは乗って来ない。おまけに若い部下の方が娘をタテにとって脅そうとしたものだから、あっという間にホブスに痛い目に遭わされてしまう始末。そんな部下の 不始末を謝罪しながら、微妙な笑みを浮かべてその場を去るミスター・ノーバディだった。こうして獄につながれることになったホブスだが、彼が閉じ込められ た厳重警備の独房の真っ正面に、意外な「顔なじみ」が鎮座していたから驚いた。何とホブスたちの宿敵だったデッカード(ジェイソン・ステイサム)がこれま た独房に収容されていたのだ。早速、向かいの独房同士でメンチの切り合いガンの飛ばし合い。これは先行き何かあるぞ…と思わせていたら、案の定すぐに異常 事態発生。なぜかホブスの独房が、「逃げてくれ」と言わんばかりに自動で開くではないか。望んでもいない状況に、勝手に看守どもが押し寄せる。おまけに別 の房でもどんどん鉄格子が開くから、刑務所内はたちまち大騒ぎ。看守たちは防戦一方。当然、檻から出て来たデッカードもムショ内を走りに走る。これを見た ホブスは、不本意ながらデッカードを止めようと独房から出て追いかけた。そんなこんなで刑務所から脱出か?…と思ったその時、大きな自動扉が一気に上が る。やって来たデッカードとホブスを待ち構えていたのは、あのミスター・ノーバディと若い部下だった。すべては仕組まれていたのか? ミスター・ノーバ ディの指令本部へと連れて来られたホブスは、そこに集められたドミニク・ファミリーのレティ、ローマン、テズ、ラムジーと合流。ミスター・ノーバディは、 今回の事件はサイファーの仕業であることを告げて、そのサイファーの軍門にドミニクが加わったと説明する。さすがにこの事態に絶句するファミリーだが、ド ミニクがサイファーの下で動いている証拠を突きつけられれば認めざるを得ない。これまでのリーダーが「強敵」に回ってさすがに弱気になりかけたファミリー の面々だが、ミスター・ノーバディはここに意外な「助っ人」を投入すると宣言。現れたその「助っ人」こそ、あのデッカードだった。実はデッカードもその弟 も、サイファーに痛い目に遭わされていた。つまりは、敵の敵は味方である。とはいえ、やはりお互いの視線はバチバチ火花を散らし、早くも不穏な空気が立ち 上る。さて、ドミニクの居場所をどうやって探るのか。前回のミッションで争奪戦を繰り広げた「神の目」がここで役に立つ。早速、ドミニクの居場所が分かっ た…と思いきや、あっちにもこっちにも…世界中にドミニクの痕跡が発見される。それでも何とかプログラムを解読して、世界中に散らばった偽装のドミニクの 痕跡を消去。すると、最後に残った痕跡は…何とこの指令本部の位置だ。一同がアッと驚いたその瞬間、指令本部に爆発が襲う。爆弾を投げ込んで、あのドミニ クとサイファーが指令本部に侵入して来たではないか…!

みたあと
 まず、最初に本作で一 番気のもめる点に言及すべきだろう。本作においてポール・ウォーカー扮するブライアンの扱いがどうなったか…である。これは別にネタバレでも何でもないか ら書いても問題ないと思うが、結果から言うと本作では死んでいない。子供が生まれたことによってヤバい稼業から足を洗ったことになっていて、本作でも登場 人物が「ブライアンに相談しようか?」「いや、やめとけ」…的なセリフが出て来る。これは極めて賢明な判断だったといえよう。CGや代役などを使って無理 矢理生かすのも気持ちが悪いし、ウォーカー本人の死とともにブライアンを殺してしまうのも、人の死を商売に利用しているようで後味が悪い。おそらくこれし かなかっただろうと思うが、最良の選択だったと思う。結果的にブライアンの妻ミアを演じていたジョーダナ・ブリュースターも降板させられることになったの はお気の毒だったが、正直ここ何作かの彼女は少々年齢的にもキツかった(笑)。そもそもやたら景気が良くて楽しいこのシリーズに、湿った話をいつまでも引 きずらせるのは適当じゃない。いろいろな意味で、これで良かったんじゃないだろうか。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  しかし、この映画にレビュー…っていうくらいバカな話もないわな(笑)。これを分析したり評価してどうするんだ。面白かった〜でいいんじゃないのか。後に 何も残らない潔さも、僕は大いに買っている。それがイヤって人には何を言ってもしょうがない。人生観の違いとしか言いようがないな(笑)。今回はイントロ にキューバが登場というあたり、大ヒットシリーズらしいホットさ。これは話の本筋とは別のサービス・アトラクションで、いわばボンド映画の「それ」みたい なものだ。元々がショボいストリート・レースの話がそれこそボンド映画みたいなスケールに化けちゃったこのシリーズだが、原点であるストリート・レースを 忘れちゃいないよ…という意味で、これは入れなきゃならない要素なんだろう。だからスッカリ僕は本筋とは無関係…と思っていたのだが、どっこいそうじゃな かったと後々思い知らされることになる。そして、このキューバ場面でいきなり本作の悪役シャーリーズ・セロン登場で、お話は本題へと移る訳だ。今までも重 要登場人物が、死んだ…と思っていたら生きていた…しかも敵側になっていた…などと「???」な展開を見せていた本シリーズだが、今回は何と主人公ドミニ クが「ワイルド・スピード」ファミリーの敵側に寝返る…というのがミソ。前述したように、ポール・ウォーカー亡き後はヴィン・ディーゼルが文字通りファミ リーの大黒柱なのに、それがいきなり裏切り者という展開である。水戸黄門が水戸黄門ご一行と戦う…みたいな無茶な話なのだ。当然、そこは訳ありの…という のはどんなバカな観客でもお察しだが、今回はそのあたりを再登場キャラを使ってうまいこと見せてくれる。これを見る限りだと…このシリーズは行き当たり ばったりに作っているようで、おそらく何作か前あたりから先の方向性をある程度決めて作っているのではないか。「X3 TOKYO DRIFT」(2006)から監督を手がけて大ヒットシリーズにまで育て上げたジャスティン・リン、あるいはその「X3」から脚本を担当しているクリス・ モーガンが、このあたりまですでに決めていたように思えるのだ。そのジャスティン・リンがシリーズを降板した後、前作「SKY MISSION」では何と「ソウ」 (2004)のジェームズ・ワン監督が受け継いだが、これもワンポイント・リリーフに終わって本作では新たにF・ゲイリー・グレイ監督が担当。しかし、そ の間まったく作風がブレないということは、すでに本シリーズのフォーマットは出来上がっていると考えるべきだろう。ハッキリ言ってバカ映画なのだが、バカ でもここまでやられたら感服せざるを得ない。「MEGA  MAX」での巨大金庫をクルマで引っ張りながらあっちこっちにバッカンバッカンぶつけて破壊を繰り広げるカー・チェイスやら、「EURO MISSION」での離陸しようとする飛行機をクルマで追跡しながら戦う大掛かりなアクション、「SKY MISSION」での空からクルマごと降下するカー・アクションやロサンゼルスでの市街戦(!)…と毎回毎回どんどんエスカレートする見せ場には、正直よ く次々と思いつくものだと感心して来たが、今回も氷上を走るクルマに氷を破って襲いかかる潜水艦…というトンデモない趣向が登場。その前のニューヨークで の見せ場でも、立体駐車場からクルマがバンバン落ちて来るというムチャクチャな場面もあってビックリ。そのサービス精神には頭が下がる。だが本作の真の魅 力は、そんな派手な見せ場ではない。本作はまさに大味でバカバカしくてハッタリ感満載の映画なのだが、その割には構成が意外にちゃんとしている。もちろん 穴はいくらでも開いているのだが、妙なところで伏線が張られているから面白いのだ。シリーズを跨いでかつての設定が活かされる点もそうだが、他にも冒頭の キューバ場面が意外なところで活かされて、スッカリ嬉しくなった。このあたりも前述のクリス・モーガン脚本のお手柄のような気がする。そのクリス・モーガ ンがなかなかの佳作「セルラー」(2004)の脚本も担当していたと知れば、本シリーズの好調ぶりが大いに頷けるのではないだろうか。そんな過去の作品つながりで言えば、本作の監督F・ゲイリー・グレイが過去に手がけた「ミニミニ大作戦」 (2003)がやはりクルマを扱ったチーム・プレイの犯罪アクションで、シャーリーズ・セロンとジェイソン・ステイサムが出演していたというのも興味深い ところだろう。資質的にはまさに本作にドンピシャだった訳だ。そして本作のもっと大きな魅力が、やはりキャラクターの面白さということになるだろう。今回 でポール・ウォーカー演じるブライアンを失ったのは大きな穴だが、今回はまた新しいキャラを補充。どんどんレギュラーが増えて、それこそ水戸黄門一行か「リーサル・ウェポン」 (1987)シリーズみたいになっている。しかも、今回は強敵だったジェイソン・ステイサムが味方につくという力業(笑)。そしてオマケとして、アッと驚 く名女優の特別出演まであるから嬉しくなる。シリーズ恒例となってきたエンディングでのファミリーの昼食会には、なぜかステイサムが呼ばれているだけでな くカート・ラッセルのミスター・ノーバディまで来ている。オマエはノーバディと言われている得体知れない人物じゃなかったのかよ(笑)。考えてみればバカ げた設定なのだが、それでもそのバカバカしさを許す気にさせられるのは、結局このシリーズが人生や人間関係を肯定的に見ているからだろう。その健全さが、 見ている側には好ましく感じられる。イマドキこれだけ肯定的で健全な作品なんてなかなかないから、それがバカバカしいと分かっていてもケナす気にならな い。そういうアメリカ映画本来の健全さこそが、本シリーズの生命なのだと感じられるのである。

さいごのひとこと

 シャーリーズ・セロンがファミリーの食卓につく日も近い。

 


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