新作映画1000本ノック 2017年4月

Knocking on Movie Heven's Door


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 「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」 「パッセンジャー」 「ボヤージュ・オブ・タイム」

 

「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

 Demolition

Date:2017 / 04 / 17

みるまえ

  本作の予告やチラシは、かなり前から目にしていた。妻を亡くした男が、そのショックでぶっ壊れていき、果ては自宅を取り壊すまでに至る。そこから人生再構 築が始まって…というお話。まぁ、ショックで人生再構築ってのはよくある話だが、うまくハマれば面白い映画になりそう。主演がジェイク・ギレンホールとい うのも惹かれる。ただ、いくら嫁が死んだからショックだからといって家をメチャクチャにブッ壊すってのはどうなんだろうな…という点が引っかかって、なか なか劇場に足が運ばない状態が続いた。日本じゃ家建てたり買ったりって大変なことだからねぇ(笑)。すると、本作の監督は「ダラス・バイヤーズクラブ」(2013)や「わたしに会うまでの1600キロ」(2014)のジャン=マルク・ヴァレだというではないか。これは見なくては…と慌てて劇場に駆けつけた次第。

ないよう

  その日も、平凡に一日が始まろうとしていた。デイヴィス・ミッチェル(ジェイク・ギレンホール)はスーツをビシッと決めたビジネスマン。妻のジュリア(ヘ ザー・リンド)の運転するクルマに乗って出勤するのも、ありふれた日常の風景だ。ジュリアがいろいろ話しかけてくるが、デイヴィスの頭の中は仕事のことで 一杯。ジュリアが「冷蔵庫の水漏れを直して欲しい」と言っている言葉にも、どこか上の空の返事だ。ジュリアもそんな彼の態度に慣れっこになっていて、運転 しながら呆れ顔でデイヴィスの方を向く。悲劇はその瞬間に起きた…。気づくと、デイヴィスは病院にいた。ただ呆然とするばかりのデイビスに、義父のフィル (クリス・クーパー)が「ジュリアは死んだ」と静かに告げる。だが、デイヴィスには実感がない。フラリと彼女が運び込まれた手術室に入ってみるが、すでに そこはカラッポで生々しい血痕が残されているだけ。ボンヤリと佇んでいたデイヴィスは病院の自販機でチョコを買うが、なぜか商品は出て来ない。何をどうし てもチョコが出て来ないことに苛立つ彼は、自販機の連絡先を書き留めた。今はつかみどころのない妻の死よりも、自販機のことの方が重要に感じられるデイ ヴィスだった。ガランとした自宅に戻ると、確かに冷蔵庫は水漏れしていた。冷蔵庫には妻の「直して」と書いたメモが貼ってある。それだけが妻が遺した「実 感」だった。やがて葬儀が営まれるが、デイヴィスはただ呆然と立ち尽くすのみ。トイレで泣きまねをしてみたが、涙が出て来ない。悲しいというより、何も感 じないのだ。ただ気晴らしのため、自販機メーカーに例の苦情の手紙を書いてみる。いつしかその手紙は、自販機への苦情というより妻を亡くした経緯とデイ ヴィスの自己紹介を兼ねたもののような文章になった…。それからデイヴィスの職場への復帰は、あまりに早いものだった。早過ぎて、職場の同僚もビックリ。 もっと驚いていたのは、職場のボスである義父フィルだった。そんなデイヴィスは平静なように見えて、内面ではずっと微妙な動揺が続いていた。デイヴィスは 妻ジュリアとのなれそめからのことを、ずっと反芻していたのだった。彼女との出会いのときめき、結婚する時に彼女の父親フィルが家柄の違いなどを理由に大 反対したこと、結局、そのフィルの会社に入ることになったこと…。そんなデイヴィスの不穏な内面に、フィルも気づいていた。彼はデイビスを食事に誘い、そ こで亡きジュリアを記念した奨学生制度を始めたいと提案する。だが、デイヴィスには何となくピンと来なかった。その違和感からなのだろうか、通勤電車の中 で顔なじみの乗客に話しかけて、いきなり車内の緊急停止レバーを引いてしまう。葬儀のために田舎から出て来てくれていた実の両親を空港まで送って行った 時、その場にあるすべての手荷物を集めて来て、全部開けてしまいたい衝動に駆られる。そういう気分になったら、もう止まらない。そういえば、義父のフィル は「壊れたモノは、一度分解してみないと」と言っていた。デイヴィスは例の冷蔵庫を修理するつもりで、結局はバラバラに分解してしまった。そんなところ に、自販機メーカーの苦情係であるカレン・モレノという女性からいきなり電話。彼女は例の苦情の手紙を読んで、妻を亡くしたデイヴィスの境遇に同情して連 絡してきたのだった。しかし、時間は午前2時である。さすがにこれは…と電話を切ったものの、デイヴィスは電話の相手が妙に気になった。その後、向こうか ら何度か電話が来るようになり、デイヴィスも自販機メーカーに押し掛けたりした。この時は彼女が不在だったが、通勤電車の中で自分を見つめる女性を発見し たデイヴィスは、それが例のカレン・モレノ(ナオミ・ワッツ)と踏んで直談判。その際にカレンが置き忘れたダイレクトメールから住所を割り出し、彼女の自 宅まで押し掛けるアリサマ。怪訝そうに出て来たのは例の自販機メーカー社長でカレンの恋人であるカール(C・J・ウィルソン)で、案の定一悶着しそうな雰 囲気。慌てて出て来たカレンが、何とかその場を収めなければならなかった…。とにかく、彼女との出会いはそんな感じだった。そんなデイヴィスの解体癖はま すますエスカレート。会社のトイレのドアやらパソコンやらを次々解体してしまい、その言動の異常さを察知したフィルから「休め」と告げられてしまう。さら にデイヴィスはたまたま住宅の解体現場に出くわして、その解体作業に加わらせてもらったりする。また、カールの長期出張にかこつけてカレンの家に入り浸っ たデイヴィスは、カレンの息子で反抗期真っ盛りこじらせ気味のクリス(ジュダ・ルイス)と親しくなっていくが…。

みたあと
 お話としては大体見る 前の想像と変わらないのだが、映画そのものの佇まいはかなり第一印象とは異なる。そもそも邦題の「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」な〜んて文芸っ ぽい雰囲気とはまったく違う。予告編で家をブッ壊していた場面に感じた違和感は、間違っていなかった。そうそう、これはジェイク・ギレンホール主演の映画 だったんだよな。若手演技派のホープであるジェイク・ギレンホールは、一時期は「プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂」(2010)なんて娯楽大作にも出て、すっかりスケール大きなスターになっていくのかと思っていた。しかし、好事魔多し。近年妙に屈折してきて、「ナイトクローラー」 (2014)では完全にアレな人になってしまった。まぁ、おそらくは本人は演技派として大成したいと思っているのだろうが、演技を磨くことと変な役ばかり やるってこととは、ちょっと違うんじゃないだろうか。それって、勘違いしちゃった女優が「体当たり演技をするために脱ぐ」みたいな話に似ている。体当たり 演技ばかりが演技じゃないだろうし、そもそも脱ぐのと体当たり演技って違うんじゃないのか(笑)。完全に何かこじらせちゃってる感じだ。そのあたり、途中 でおかしくなっちゃったジョン・キューザックと同じ道を辿っているみたいで、僕は少々苦々しく思っていた。二人とも姉も女優で、こちらもパッとしなくなっ ちゃったあたりまで同じだし(笑)。キューザックもギレンホールも、どっちも好きな俳優だから余計に残念だったのだ。家をブッ壊していた場面に感じた違和 感は、そんな近年のジェイク・ギレンホールに感じる「やっちまった感」と通じていた。で、本作はまさにそういう映画だったのである。

こうすれば

 妻の突然の死に呆然となった男が、どんどん壊れていくお話。それまでちょっとしたエリート・ビジネスマンだった男が、ムチャクチャな言動をし始める。まぁ、予告編で見た通りである。それについては意外な点はまったくない。こういう主人公は割とよくあるタイプで、例えば「追憶の森」 (2015)でマシュー・マコノヒーが演じた男がそうだった。ただし、マコノヒーは自滅的に富士の樹海へと足を踏み入れて行ったから、これといって他人に は迷惑をかけていない。救助した人たちに世話をかけただけだ。問題は、本作のジェイク・ギレンホール演じる主人公である。葬儀後まもなく空元気で会社に出 て来るだけならまだしも、言動がだんだんおかしくなる。ヒゲもそらないし服装もラフになる。ロクに仕事もしないで、機械モノを何でもかんでも分解し始め る。おまけに病院にあった自販機のメーカーに訳分からない手紙を出して、クレーム係の女にアレコレとまとわりつく…。まぁ、正直言ってこの男の言動のどれ もこれもひとつ残らず…申し訳ないけど鬱陶しい。身内が突然悲惨な死に方をした経験がないので僕が分かっていないのかもしれないが、この主人公がやってい ることは「ボクはつらいんだよ、苦しいんだよ、特別扱いしてよ」と全力アピールしているようにしか見えない。「妻が死んでも悲しくない」なんて言ってるけ ど口先だけ、「悲しい悲しい」とうるさいぐらいわめいているのと同じではないか。正直言って片腹痛い。元々、自分を評価してくれていなかった義父へのイヤ がらせなのか、会社では不真面目に振る舞い、義父が立ち上げた妻の名を冠した基金もバカにする。まぁ、この基金が気に入らない…というのは分からないでも ないが、その立ち上げのパーティーに女連れで参加したってのは、どう考えたって侮辱以外の何者でもないだろう。「そんな気はなかった」と言いたげな顔がな おさら胸くそ悪い。これはさすがに共感しにくいのだ。おまけに例のクレーム係の女の家にズケズケ上がり込んでその子供を手なずけたあげく、自分に向けて銃 を撃たせるという愚行に及ぶ。そんなに悲しくて苦しいなら、一人で富士の樹海に行って黙って死ねと言いたい。男だったらシャキっとしろや。例の自宅破壊の件はこの延長線上にあるのだ が、気に入らないのはその壊し方の中途半端さ。結局、寝室やバスルームなど、自分の生活に必要な部分は手をつけていない。こいつ壊れてなんかいないのだ。 ホントに思い切り自分が壊れているのなら、ホームレスになるのも厭わずに家を完全に壊すべきだろう。もっと嫌らしいのは、家を壊す際に「ネットでブルドー ザーを買う」カネがあること。無茶もヤンチャも、こいつが会社をクビになってないし給料をもらえるから。カネの心配がないからこんなことをやっていられる のである。ちゃんと保身を考えて「壊れている」あたり、見ていて本当にムカムカした。周囲がこういう人物を腫れ物に触るようにしか扱えないことをいいことに、ハッキリ言って甘ったれてるのである。この主人公に限らず、前述のクレーム係の女やその息子にしても、どい つもこいつも難アリな人物ばかり。クレーム係の女を演じるのはナオミ・ワッツで、僕は彼女が出てるとは知らないのでビックリ。ただ、この役は好感度が高い ワッツが演じているからいい女っぽく見えるが、実際にはかなりのクズっぷり。自分が勤める会社の社長とデキていて、散々利用していながら主人公と浮気する 気マンマン。自販機会社の社長は本作では完全に脇の人物に追いやられているが、よくよく考えると何一つ悪いことはしていない。女はこの社長を「愛してな い」などと言ってるが、ただ打算で生きている下半身がだらしない女でしかない。おまけに例の基金立ち上げのパーティーで常識に欠けた態度まで見せるし、思い切り底辺臭の強 い女なのだ。そんな女の息子だから、ガキもしつけがなってない相当な困ったちゃん。この二人とも困った人物ってだけでなく、テメエが傷つかない範囲でセコ くやらかしてるってのが何ともいやらしい。主人公サイドにいる奴は、どれも実に不快な人物ばかりなのだ。そのクレーム係の女の息子に「正直がモットーなん だよね?」と言われていた主人公だが、そもそも「オレって正直者」「ホンネで勝負」なんて言う奴にロクな奴はいない。それって大概が「オレのやることなす ことホンネなんだから大目に見ろよ」って意味だから、単なる開き直りなのだ。見ていて本当に苦痛だった。こんなことを書いたら「心が狭い」と言われるかもしれないが、僕は心が狭いヤツで結構。映画の終盤で義父が放つ痛烈なセリフこそ、オレの 方が先に言いたかった言葉だ。いわく、「娘じゃなくてオマエが死ねばよかったのに!」(笑)。いやはや、まったく同感である。
ここからは映画を見てから!

みどころ

  そんな不快な人物が言いたい放題やりたい放題。こりゃあ見るんじゃなかった…と思っていたら、映画は最後に意外な結末を見せる。主人公をはじめとするこれ らの不快な人物たちにそれなりの「報い」があって、終盤で一気に帳尻が合わせられてしまうのだ。そして、これまた意外にも最後に非常に淡いカタルシスが残る。結果として、見終わった後味は 案外悪くない…という何とも際どいバランスの映画に仕上がっているのである。これは実に微妙ではないか。「ダラス・バイヤーズクラブ」で一気に名を挙げた ジャン=マルク・ヴァレが本作を撮ったというのは、一体どういうことなんだろう。確かに考えてみると…彼の前作「わたしに会うまでの1600キロ」でも、 リーズ・ウェザースプーン演じる主人公は最後まで結構いいかげんでイヤな女だった(笑)。「ダラス〜」でのマシュー・マコノヒー演じる主人公は最初はロク でもない奴だったのがどんどん変わっていったのだが、「わたしに会うまで〜」ではそれが最後までかなり際どい感じになっていた。それをさらにギリギリまで 押し進めていったのが本作…ってことなのだろうか。さてはジャン=マルク・ヴァレ、オレなら人間のリアルさをイヤな部分も含めて、「清濁合わせ飲む」みた いに描ける…とか思ってるんじゃないだろうな。確かにあれだけ不快な人物像を延々見せていながら、ラストで一気にカタルシスへと持ち込んでいくという力業 は、なかなかそこらの演出家にはできない芸当だ。非凡なスキルだとは思う。だが、今後一貫してその路線で、登場人物がいつも不快な言動を行うってことにな るなら、僕はさすがにちょっと勘弁だと思う。正直もう付き合いかねる。このままこの作風を押し進めていくとしたら、この人ちょっとどこか病んでいるん じゃないだろうか。今回は何とか「うまくやったな」というレベルに持って来れたものの、あくまで際どいバランスの出来映えであることは事実。これは、いず れ平均台から落ちることになりかねないと思う。いや、早く落ちた方が本人のためではないか。

さいごのひとこと

 ジェイク・ギレンホールもいいかげん目を覚まして欲しい。

 

「パッセンジャー」

 Passengers

Date:2017 / 04 / 17

みるまえ

  「パッセンジャー」?…アレレ、どっかで見たようなタイトルだと思っていたら、そっちはアン・ハサウェイ主演の「パッセンジャーズ」(2008)。紛らわ しいが、こっちは宇宙SFだ。「世界にひとつのプレイブック」(2012)、「アメリカン・ハッスル」(2013)などに出た若きオスカー・スターのジェ ニファー・ローレンス、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(2014)、「ジュラシック・ワールド」(2015)、「マグニフィセント・セブン」 (2016)…と映画に出るたびにスターとしてのメンコの数が増えていくクリス・プラット。この二人の共演をバーンと前面に押し出したSF大作。遥か彼方 の星に向けて航行中の宇宙船で、人工冬眠中だった大勢の乗客のうち、たまたま一人の男が目覚めてしまう。やがてもうひとり…女の乗客も目覚めてしまい、宇 宙船に危機が迫る…というお話。予告編から察するところでは、そんな感じだ。なぜ主人公の男女が人工冬眠から目覚めて、なぜ宇宙船にトラブ ルが発生するのか? そのミステリーが見ものだと思われる。だとするとハードなSFの予感もするのだが、それにしては主演者二人が「ちょっと違う」感じ。 この売り方では明らかに「スター映画」らしいと思われるので、ハードなSFだとちょっとキツい感じがするのである。ただ、SF映画となると僕はどうしても 見ない訳にはいかない。そこで、ちょうど時間が空いた隙を狙って見に行ったという訳である。

ないよう

  暗く広大な宇宙空間を悠然と進んで行く巨大宇宙船。その名を「アヴァロン号」。その目的地は、植民地惑星「ホームステッド2」。乗員258人と移住目的の 乗客5000人は現在すべて冬眠中で、「アヴァロン号」は自動航行システムによって移動している。いわば「無人」状態での航行を安全なものにしているの は、「アヴァロン号」を保護しているシールド。宇宙空間に存在する隕石、流星群、小惑星帯などに遭遇した時には、このシールドが遺憾なく威力を発揮。進行 方向に立ちはだかる障害物を、シールドが破壊しながら突き進むのだ。だがある時、「アヴァロン号」前方に想定外に巨大な小惑星が出現。これもシールドが破 壊したものの、あまりの巨大さに「アヴァロン号」にそれなりの衝撃を与えてしまった。激しい振動に揺れる「アヴァロン号」船内。もちろん眠っている 5000人以上の人々は、そんな振動だけでは目覚めはしない。そして船内で生じたいくつかのダメージは、自動修繕システムが次々と直していった。ただひと つ…乗客たちの冬眠ポッドのうちひとつを除いては…。そのポッドで眠っていたのは、ジム・プレストンという男(クリス・プラット)。だが、冬眠パッドは彼 をいきなり蘇生。目覚めたばかりのジムに、女性乗員のホログラム映像が話しかけてくる。「おはようございます。ご気分はいかがですか?」…むろんいい訳が ない。そんなジムにホログラム映像は素晴らしい「ホームステッド2」での生活や「アヴァロン号」での過ごし方の説明を始めた。こうして自分用の船室に誘導 されたジムは、落ち着いてから一張羅を着て移住者ミーティングへと出かける。そこでもホログラム映像の女性が出て来て、移住者の心得を説明。移住者たちは いずれも過密し劣悪な状況となった地球を脱出し、「ホームステッド2」に希望を求めた人々ばかりだ。だが、このミーティング・ルームにはジムただ一人。事 ここに至って、ジムはようやく事態の異常さに気がついた。慌てて船内を駆け巡り、自分以外の乗客を探すジム。だが、船内には人っ子一人いない。そして、コ ンピュータから「アヴァロン号」の旅についての説明を聞いたジムは、衝撃的な事実を知ってしまう。地球から「ホームステッド2」までの行程は、全部で 120年。その間、乗客は人工冬眠で眠っている。だが、現在はその行程のうち30年を経過しただけ。目的地まではあと90年も残っている。ジムは早く目覚 め過ぎたのである。慌てふためいたジムは地球と連絡しようとするが、送ったメッセージが地球に到着するのは17年後と聞いて唖然とする。さらに、その返事 が戻って来るのは倍の年月がかかるという訳だ。放心状態となったジムが船内のグランドコンコースにやって来ると…何とバーに人影が見えるではないか。自分 以外にも目覚めた人間がいるのか。慌ててバーに駆け寄ったジムは、そこで黙々とグラスを磨くバーテンダー(マイケル・シーン)と出会う。「他者」と出会え て安堵するジムだったが、すぐに彼は冷水を浴びるような思いをする。そのバーテンダーは、下半身がレールで固定されているアンドロイドだったのだ。それで も話し相手がいるだけマシ…とカウンターに腰を下ろすジムだった。こうして自分の置かれた立場が分かったジムは、状況打開へと乗り出す。元々、エンジニア だった彼は機械に強い。冬眠ポッドのマニュアルを熟読して、自分のポッドの修繕を試みた。しかし、直ったと思ったポッドは彼を冬眠状態にしようとはしな かった。おまけに危うくポッド内に閉じ込められそうになる始末。そもそも冬眠ポッドは人間を冬眠状態にするためのものではなく、冬眠状態を維持するための ものだったのだ。となると、これで再び冬眠することは諦めざるを得ない。では、緊急事態発生を船長やクルーに知らせて何とかしてもらおう…とクルーの部屋 に入ろうとするが、その扉は固く閉ざされてビクともしない。さすがのジムもお手上げ状態だった。万策尽きて意気消沈のジムを見かねたバーテンダーは、 「せっかくの船の生活を楽しんだら?」とアドバイス。そこでジムは、本来は自分が使えないゴールドコースの乗客用の豪華船室を占領。船内のエンターテイン メント設備を次々試し、それはそれでかなりの気晴らしにはなった。宇宙服を装着して船外に出かけ、宇宙遊泳を楽しむのも悪くはなかった。だが、じきにそれ らもやり尽くしてみると、たちまち空疎な気持ちが襲ってくる。身なりも気にせず酒浸りとなり、自暴自棄な生活を送るジム。絶望感のピークに達した時には、 例の宇宙遊泳に使う出口から宇宙服なしで外に出ようとして、危うく自分を止める…というところまで追いつめられた。

ここからは映画を見てから!


 そんなどん底の気分にいたジムは、ある日、ふと冬眠ポッドで眠るひとりの女に目を留める。その女、オーロラ・レーン(ジェニファー・ローレンス)は作家 で、記録に残されている映像を見ると機智に富んだ暖かい女性だった。そんなオーロラの映像に、どんどん惹かれていくジム。そのうち彼は、思いついてはいけ ないアイディアを思いついてしまう。思わずそのアイディアをバーテンダーに打ち明けるジムだったが、彼は言ったそばからその思いつきを打ち消した。それ は、一人の人間の運命を変えてしまうことだ。良心の呵責に耐えかねたジムは、サンドバッグを叩いたり気を紛らわせたりして、何とかそのアイディアの実現か ら逃れようとする。だが、その誘惑はあまりにも強い。ある日、オーロラの冬眠ポッドのそばに道具箱を持ち込んだジムは、マニュアルを見ながら彼女の冬眠 ポッドをいじり始めた。今では冬眠ポッドの性能を熟知していたジムは、何と自分の「お相手」としてオーロラを蘇生してしまおうとしていたのだ…!

みたあと
  映画が始まってすぐは、なかなかスケールでっかいSF映画になっていそうでワクワク。デカい小惑星に激突して宇宙船がダメージを受けるあたりも、これから どうなるんだろう?…と期待がふくらむ。さらに予告編でも見たようにクリス・プラットが蘇生して、いよいよ話は本題に入る。途中でバーテンダーのアンドロ イドとして「フロスト×ニクソン」(2008)のマイケル・シーンが出て来たのは、ちょっとしたサプライズ(実はキャストにはさらにいくつもサプライズ が…)。この人らしい絶妙のユーモアが活かされていて、彼の出演は嬉しかった。さて、これからどうなるのか…と思っていると、クリス・プラットはウツの モードに突入。この人の持ち味はアッケラカンとしたアメリカンな明るさなので、正直言ってこのくだりはちょっと向いていないんじゃないか…と思った。だ が、彼なりに芸域を広げたいと思っているのかなぁ…などと考えながら見ているうち、そういえばジェニファー・ローレンスはどうして蘇生するのだろう?…と 気になった。再び何らかの不具合が起きるのか、それともクリス・プラットの蘇生も含めてコンピュータの異常か何らかの外的要因で宇宙船に危機が迫っている のか。そんなことを考えながらボ〜ッと見ていると、ありゃりゃりゃ…お話はトンデモない方向に向かうではないか。いや…オレはこの映画にそういう展開を期 待してはいなかったんだけど…。

こうすれば

  ズバリと一言で言ってしまうと、本作の最大の致命傷はジェニファー・ローレンスの蘇生にある。…といっても、それをしないと物語としては成立しないのだ が。僕は本作を見る前には、まさかクリス・プラットが孤独に耐えかねて自分のエゴから彼女を蘇生させてしまうとは思わなかった。これは何をどうしたって印 象が悪い。彼女の人生を変えてしまうという点も最悪だが、何より男女二人きりという状況を作る訳だから欲望ドロドロ感が拭えない。ハッキリ言って、女を拉 致監禁して強姦する男と発想は変わらないのだ。映画の終盤ではクリス・プラットが身を挺して彼女を守ろうとするし、彼女もまた彼を救おうとする。さらに、 クリス・プラットはジェニファー・ローレンスのために人工冬眠用の装置を作り出すことまでやる。そこまでやって…映画は何とかして「彼女の蘇生」という汚 点を相 殺させようとしているのだが、何をどうしたってそもそもの嫌悪感は拭えない。ジェニファー・ローレンスは自分のために命を張ったクリス・プラットを愛する ようになり、自らも彼を救おうとして、なおかつ一人だけ冬眠できるものを諦めて彼と生きることにした…。だから、以前の悪事はチャラになっている…と言わ れてもねぇ。僕はまったく納得できない。後味悪過ぎ。それって誘拐されたり強姦されたりした女が、その犯人に惚れてしまう…って筋書きと同じではないか。 ハッキリ言って、そんなお話はほとんど精神科医の管轄だろう。それって本当に惚れている訳ではないんじゃないのか? そんな病理的な状況を描こうというな らそれもいいが、本作は完全にマジな恋愛映画として描こうとしているからおかしいのだ。それに、病理的状況を描くならこのキャストじゃないわな。クリス・ プラットはこの役には向いていないし、ハッキリ言ってもったいない。…というか、後味が悪くなる役だと分かっていたから、あえて中和させるために好感度が 高いプラットをキャスティングしたのか。本作の問題点をズバッと言ってしまうとそんなところになるが、特に映画後半はいろいろな意味でガタガタ。突然、第 3の人物としてローレンス・フィッシュバーンが蘇生。この人の出演も知らなかったので僕はアッと驚いたが、もっと驚いたのは彼の本作における役割。この人 物は宇宙船 に起きている不具合を主人公二人と観客に説明するためと、主人公二人が問題を解決する方法・手段を与えるため…それ「だけ」のために出て来る。そして、そ の役割が終わ ると実に都合良く画面から退場させられるのだ。で、宇宙船を危機に陥らせている「問題」だが、トラブルが生じている機関室の広大さを画面に絵として出して いながら、問題箇所はそれから何秒も経たないうちに発見されるという都合の良さ。そもそもその危機や問題も、すべてクリス・プラットの犯した罪を「相殺」 させるためだけに機能しているのだから、何をか言わんやだ。最後の最後に出て来るアンディ・ガルシア(笑)も含めたキャストのもったいなさと、脚本の徹底 的なご都合主義には本当にあきれ果てた。これはマズいと誰も気づかなかったのか。監督が「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」 (2014)のモルテン・ティルドゥムと知って二度ビックリ。前作はマグレだったのだろうか。

さいごのひとこと

 船内に草木を生やしちゃうのはもっとマズいだろ。

 

「ボヤージュ・オブ・タイム」

 Voyage of Time : Life's Journey

Date:2017 / 04 / 03

みるまえ

 本作については、前作「聖杯たちの騎士」 (2015)よりも前にその存在を知っていた。どうやら「地球の歴史」みたいのを映像で見せる作品らしい。ナレーションがケイト・ブランシェット…とチラ シに書いてあることからして、通常の劇映画ではなさそうだ。ただ、当然のことながらドキュメンタリーでもない。人類誕生前から撮影したフィルムがある訳で もないし(笑)。となると、これは昔、「NHKスペシャル」でやっていた昔の生命モノとかナショナル・ジオグラフィックあたりで作ってる科学番組とか、早 い話が万博とかでやっている全天周映画とかパノラマ映画みたいなモノではないだろうか。そして、マリックが本作をやるということは…さては「あれ」だなと 察した(笑)。またまた、「あれ」をやるんだ? むしろこっちがやりたかったのか。正直言って、何で今これをやるんだろう…という疑問も生じたが、詳しく は後で述べたい。ただ、映像には定評のあるマリック。今回もかなりスゴそうだな…と予想はつく。ところがグズグズしているうちに、ケイト・ブランシェット がナレーションをやる字幕版が終わってしまい、何と中谷美紀がナレーションをやる吹き替え版しかなくなってしまった。ただ、こういう映画はむしろ吹き替え の方がいいのかもしれない。そんなこんなで、最終日に何とか映画館に滑り込んだ訳である。

ないよう

  母よ…。音のない世界を、共に歩んだ、まだ世界が生まれる前…。今日、我々の世界にはさまざまな問題があり、種としての人類は混乱の中にある。だがそのす べての根源は、悠久の時をさかのぼった静寂の中にあった。暗く冷たく静まり返った空間。そこから光が生まれ、広がり…何もかもが始まった。混沌の中から秩 序が生まれ、銀河や星団が形作られる。やがて恒星が光を放ち出し、恒星の回りに恒星系が姿を現す。そこで生まれるのが惑星だ。地球は、太陽系に生まれた惑 星である。最初は岩やチリの集まった暗く冷たい塊だった地球も、やがて内部から熱を発して焼けて溶け出してくる。激しい活動の中から発散されたガスが大気 を生み、やがて地表が冷えていくに従って大気から激しい雨が降り出した。降り注いだ雨水は地球に海を形成し、そのうち海の中にそれまで存在しなかったモノ が生まれてくる。最初はごくごく微小なその存在…それは「生命」の始まりだった…。

みたあと
 ストーリー紹介は生命の誕生で終わらせたが、実は映画はここからが本題。生命の進化を描き、今日の人類のあり方に思いを馳せる…という作りになってい る。まぁ、予想通りである。映画を見た後で調べてみたら、何と本作は通常版とアイマックス版の2つがあるらしい。で、通常版がケイト・ブランシェット、ア イマックス版がブラッド・ピットのナレーションということになっているようだ。別にブラッド・ピットの声が聞きたい訳ではないが、本作はアイマックスで見 た方が良かったかもしれない。おそらく、圧倒的な映像の美しさと迫力が味わえたと思うからだ。これだけはちょっと惜しかった。どうして日本ではアイマック ス版を公開しなかったのだろう。興行的にはちょっとキツいと思ったのだろうか。だが、映像はなかなかいい。アイマックスでなくても、この映像美には見る価 値がある。

みどころ

 正直言って、これを言葉で語るのは容易じゃない。空撮や水中撮影も駆使しながら世界各地で素晴らしい自然を撮影してきたのだろうが、そこにCGやら SFXをも交えて見せていく。もちろん宇宙の始まりはSFXでしか描けない。それらを厳密な科学考証で裏付けしながら作っていっただろうことは、僕のよう な素人が一見しても何となく分かる。ここまでトコトンやられれば圧倒されざるを得ない。ナレーションはうるさくない程度に入っていて、何かを説明する訳で なく詩のように流れて来る。中谷美紀はなかなか健闘していて、変な感情を込めたりしないので好感が持てる。これで北朝鮮のニュースキャスターのオバチャン みたいに力まれたら困る(笑)から、このナレーションの入れ方は良かった。ある意味で「2001年宇宙の旅」(1968)の終盤部分みたいに見えなくもな いので、トリップ・ムービーとしても秀逸。結論としては、こうした遥かな歩みを経て生命は我々へと受け継がれているのだから、もっと我々は生命を愛おしん で生きるべきだ…的なメッセージが立ち上ってくる(途中で難民キャンプなどがチラチラ出て来ることからして、こういう結論に導こうとしていないはずがな い)。ある意味では「ありがち」な結論が出ちゃうのだが、それは全編を通して邪魔にはならない程度。フランシス・コッポラ・プレゼンツのドキュメンタリー 映画「コヤニスカッティ」(1982)の文明批評みたいなものよりもいい。むしろひたすら圧倒的映像に浸るのが、本作の正しい鑑賞法なのだと思う。

こうすれば

 そんな訳で美しく圧倒的な映像が全編に展開する本作。各界著名人たちの大絶賛の嵐でまことに結構。もちろん僕もその映像美は大いに認めるが、その内容を 一言で言えば…やっぱり「万博でやってるパノラマ映画」(笑)。こんなこと言ったら映画ファンに袋叩きにされそうだし、「オマエは感性が貧困だ」と決めつ けられそうだが、そう見えたんだから仕方がない。むろん、これまでの「万博でやってるパノラマ映画」などよりずっと上質ではある。上質ではあるのだが…や はり何だかんだ言って“上質な”「万博でやってるパノラマ映画」(笑)なのである。それがすべてだ。「ナショナル・ジオグラフィックとは違う」と評してい る向きも多くいらっしゃるようだが、結局は上等な「ナショナル・ジオグラフィック」だと思う。これは決してケナしてはいない。そして、正直言うと…僕はす でにもう本作「みたいなもの」を見ている。この感想文の冒頭に、マリックがまた「あれ」をやる…と書いたが、ここからはズバリと書こう。見る前から察して いたように、本作はマリックが以前発表した「ツリー・オブ・ライフ」 (2011)の中の一部分の拡大版。ブラッド・ピットやショーン・ペンが出て来るドラマ部分とは別に、なぜか太古の地球の歴史が出て来る部分があったが、 その部分だけを取り出してバージョン・アップさせた映画なのである。そして、「ツリー・オブ・ライフ」で見た時の衝撃が大きかっただけに、実は本作にはあ まりインパクトを感じなかった。心地よさは感じたが、それはむしろ環境ビデオとか昔のカフェバー(笑)かどこかの壁面に映す類いの映像みたいな心地よさ。 「聖杯たちの騎士」もそうだったが本作もそんな映像で、ガッツリ映画を見るという感じではない。少なくとも、僕はそうは思わなかった。もちろん、僕は本作 をケナしていない。むしろ「万博でやってるパノラマ映画」の最高峰として、大いにホメているのである。過剰にホメちぎらず気軽に味わうことこそ、本作を楽 しむコツではないだろうか。

さいごのひとこと

 やはりアイマックスで…(以下省略)。

 


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