新作映画1000本ノック 2017年3月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」 「王様のためのホログラム」

 

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」

 Miss Peregrine's Home for Peculiar Children

Date:2017 / 03 / 27

みるまえ

 いつの間にか、ティム・バートンの新作登場である。前作「ビッグ・アイズ」 (2014)がそれまでの作品群とちょっと異質なモノを感じさせた作品だっただけに、本作がどのようなモノになるのかは、大いに気になった。しかし、それ は少々考え過ぎだったのだろうか。何しろチラシやポスターを飾った本作の宣伝コピーは、「ティム・バートン史上、最も奇妙。」である。そもそも「ティム・ バートン史」なるものがあったとは知らなかった(笑)が、過去のこの監督による作品を見て来た人間ならば、この「奇妙」という言葉が従来までのティム・ バートン作品の意匠だったことは十分すぎるほど承知しているだろう。ただ最近のティム・バートン作品は、正直言って「絶好調」とは言い難かったのも事実。 「ビッグ・アイズ」感想文にも書かせてもらったのだが、「伝家の宝刀」とも言うべきジョニー・デップとのコラボ作に陰りが見え始めて来たのが痛かった。そ れを「マンネリ」という言葉で片付けていいものやら分からないが、「待望!」という気分より「またかよ」の観が強かった。それなのに本作は「ティム・バー トン史上、最も奇妙。」である。つまり、またまた「奇妙」なのである。それがティム・バートン作品というものだとは分かっているけれど、僕は彼の新作がま た「奇妙」だというのなら、心待ちにするという気分には到底ならない。ただ、唯一希望が持てる点があるとすれば、ジョニー・デップが出ていない…というと ころかもしれない。これまでティム・バートンとの名コンビをうたわれたジョニー・デップにこんな言い草もないとは思いながら、これが正直な気持ちなのだか ら仕方がない。そんなワケで、気乗りしないながらも劇場にコワゴワ見に行ったのであった。

ないよう

  陽光サンサンのフロリダ。バカみたいに明るい陽気とは裏腹に、ジェイク(エイサ・バターフィールド)はいわゆるネクラな若者だった。他の連中との距離の取 り方がヘタで、どうにも居心地悪い。この日もバイト先のスーパーに同級生の女の子が来たとき、勇気を奮って話しかけてみたのがマズかった。結局、リア充な 同級の男にバカにされるのがオチ。その結果、ますます暗くなるジェイクだった。そんなある日、ジェイクの伯母のシェリーがバイト先にやって来る。何でも祖 父エイブの留守電の様子がただ事ではないとか。シェリーのクルマに乗ったジェイクは、慌ててエイブの家へと向かう。日もドップリ暮れて二人のクルマがエイ ブの家に到着しようかというちょうどその時、クルマの真っ正面に目を白く光らせた黒い人影が! 危うくその人物を轢くところを何とか回避し、クルマはやっ とエイブの家の正面い到着。家は真っ暗でいかにも不穏な雰囲気。叔母さんをクルマに残して、まずはジェイクが一人で家に入っていった。すると…家の中はグ チャグチャに荒らされて、足の踏み場もない状態。驚いたジェイクが裏口から出て、家の背後にある雑木林の中に踏み込んで行くと…そこには倒れて虫の息に なっていた祖父エイブ(テレンス・スタンプ)の姿があった。だが、エイブの両目はえぐられて空洞になっており、相手がジェイクと知ったエイブはか細い声で 何かを伝えようとしていた…。その内容も「島へ行け」とか「エマーソンを探せ」とか支離滅裂。エイブは結局その場で絶命した。当惑したジェイクが顔を上げ ると、何やら得体の知れない「大きなモノ」が茂みの中から出現。ジェイクの悲鳴に驚いた叔母が銃を持って駆けつけたが、その瞬間、「モノ」はウソのように 姿を消した。アレは一体…? 当然のことながら、そんな「モノ」を見たというジェイクの証言など信じる者はいなかった。心配したジェイクの父フランク(ク リス・オダウド)と母(キム・ディケンズ)は、彼を精神科医のゴラン先生(アリソン・ジャネイ)に診せる。元々が一風変わった性格のジェイクだ。気がふれ たと疑われても仕方がない。だがジェイクはそんな自分の心配より、祖父エイブの死がショックで仕方なかった。子供の頃から風変わりで社交的とは言い兼ねる ジェイクにとって、エイブは最大の理解者だった。エイブは彼に古い写真の数々を見せて、自身が暮らした「島」での思い出を話してくれたのだ。その島には、 風変わりで特殊な子供たちを収容するミス・ペレグリンの島があった。その子供たちとは…放っておくと空中に浮かんで飛んで行ってしまうので普段は鉛の靴を 履いているエマ(エラ・パーネル)、火を自由に操れるオリーブ(ローレン・マクロスティ)、人形に魂を吹き込み自由に操れるイーノック(フィンレイ・マク ミラン)、夢をスクリーンに映し出せるホレース(ヘイデン・キーラー=ストーン)、カラダの中に無数のハチを飼っているヒュー(マイロ・パーカー)、植物 を成長させることができるフィオナ(ジョージア・ペンバートン)、幼く小さいながらも凄まじい怪力を持つブロンウィン(ピクシー・デイヴィーズ)、カラダ が透明なミラード(キャメロン・キング)、後頭部にもうひとつ口があるクレア(ラフィエラ・チャップマン)、素顔を見た者を石に変えてしまうのでいつも顔 に布をかぶっている双子(ジョゼフ&トーマス・オドウェル)…といった面々。彼らの保護者で施設の主でもあるミス・ペレグリン自身(エヴァ・グ リーン)もまた、鳥に変身する能力を持つ異能の人であった。そしてエイブ自身も風変わりな子供だったので、その施設に世話になっていたのだ。そんな不思議 な話を、まるで現実にあったことのように話すエイブ。だが、いつしかジェイクも世間の普通の人々と同じく、それは一種のおとぎ話なのだと思うようになって いた…。しかし、ここへ来てジェイクが「巨大なモノ」を見たなどと言い出したので、両親は心配して彼を精神科医のゴラン医師(アリソン・ジャニー)に診せ た。ちょうどその頃、ジェイクはエイブが生前に用意しておいてくれた誕生日プレゼントをもらう。それは「エマーソンの本」で、中には1枚の絵葉書が入って いた。その絵葉書はイギリスのケルン島の写真が刷ってあり、裏にはミス・ペレグリンからのメッセージが書いてあった。これこそ、まさにエイブが遺したメッ セージそのものではないか! ジェイクはこの島に行くことを両親に懇願。ゴラン医師も彼が島に行くことが治療にプラスになる…と大いに勧めた。そこで野鳥 研究家である父フランクと共に、ジェイクはこの島を訪れることになった訳だ。こうしてイギリスに渡って父フランクとケルン島に向かう船に乗っているジェイ クは、彼らを見つめる1羽の鳥に気づく。まるで彼を歓迎するかのような鳥に、ジェイクは不思議な感情を抱いた。こうして彼らは島でただひとつの酒場兼宿屋 に落ち着き、父は野鳥観察、ジェイクは例の施設を訪ねる…と二手に別れた。父が地元の少年たちに道案内を頼んだのはいささか恥ずかしかったが、この場所に は詳しくないから仕方がない。だが案の定、少年たちは途中でジェイクを置いてけぼり。そんな彼の目の前に…沼のほとりに建つ廃墟となった一軒の屋敷が立ち はだかっていた…。宿屋の主人の父親に聞いてみると、ミス・ペレグリンの施設は第二次大戦中の1943年9月3日に、ドイツ軍の空襲で破壊されてしまった とか。この時に子供たちも死んだと聞いて、唖然とするジェイク。だが、どうしても気になる。胸騒ぎを覚えたジェイクは、今度は一人だけで例の廃墟を訪ねて みるのだったが…。

みたあと

 前作「ビッグ・アイズ」の感想文にも書いたけれども、僕は近年のティム・バートン作品は深刻なマンネリ化が進んでいると思っていた。その責任の一端は名コンビをうたわれたジョニー・デップにもあると思っていて、特に「チャーリーとチョコレート工場」 (2005)あたりからはこのコンビにピッタリの題材を見つけてくるのに毎回苦労している感じが伺えた。この「チャーリー〜」自体はなかなか楽しい作品に 出来上がっていたのだが、それ以降は苦しさが増すばかり。本来は商業的要請を除けば作りたい題材を選び放題な立場のはずなのに、自ら作り出した「名コン ビ」維持のために汲々としなければならない…という、皮肉な状況が透けて見えてくる作品を連発し出したのだ。「ダーク・シャドウ」 (2012)に至っては「アダムス・ファミリー」(1991)の出来損ないみたいで、それまでのティム・バートン映画のセルフ・パロディにしか見えない始 末。完全にティム・バートンの意匠が形骸化しちゃった感じがした。「ビッグ・アイズ」ではそのあたりの欲求不満をブチまけると共に、一旦「ジョニー・デッ プ離れ」をして一息つきたい気分が充満。題材的にもいわゆる「ティム・バートン的」な世界とはちょっと異なるネタを扱っていた。で、その一息ついた後の本 作は…またまたおなじみ「ティム・バートン的」ファンタジーでちょっと怖くてちょっと笑えてちょっと哀しいお話。いわばホームグラウンドに戻って来た訳 だ。だが、そこに今回はジョニー・デップがいない。そういう意味では、今回は結構ティム・バートンとしては勝負作なのではないだろうか。そういう目で本作 を見てみると…いろいろ結構興味深い。結論から言うと、僕はティム・バートン作品としては久々に快作だと思う。彼本来の良さが作品のあちこちに見られるからだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  本来はティム・バートンって、変わり者・異端者の哀しさや孤独を描いて共感を得てきた人だと思う。それが最も強烈に描かれたのが「シザーハンズ」 (1990)で、その主演者がジョニー・デップだったことが「名コンビ」結成のキッカケ。だが、この手の典型的「ティム・バートン的」作品を作る時には、 必ずジョニー・デップを持って来なくてはいけない…という暗黙の了解が出来てしまってからは、映画づくりはどんどん手詰まりになって窮屈になっていったの ではないかと想像できる。しかも、途中でジョニー・デップが「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」 (2003)で大成功を収めたのもマズかった。彼が大スターになればなるほど、世の中の片隅でひっそりと生きるはずの「変わり者」が、どんどん堂々として 来て大いばりしているように見えてしまう。「異端」が普通の人々を凡人と見下しているような印象さえ漂って来た。何だかこれは違うだろ。また、ジョニー・ デップが声優に挑戦したアニメ作品「コープスブライド」(2005)はもっと深刻。これまで異端に深いシンパシーを抱き、むしろ異端に寄り添っていたティ ム・バートンが、アッと驚くほどシビアに異端を扱っちゃっているのだ。この作品がそうなってしまったのはデップのせいではないが、正直見ていて唖然とし た。正直言って、バートンはちょっと醒めた視点で自作を見る必要があるんじゃないか…という気持ちになってきていた。その点、本作は「偉くなった」ジョニー・デップの不在がイイ意味で効果を挙げている。ここに出て来る「奇妙なこどもたち」はちょっと子供版「X-メン」 (2000)みたいな感じだが、「大スター」デップみたいな晴れがましさはない。みんな世間の片隅でひっそりと生きている。別に一般の人々を見下す訳でも なく、単純にこの「こどもたち」に共感を寄せている。特にティム・バートンが共感を持って描いている主人公の若者が、ちょっとダメでひ弱な奴であるのも 「らしい」ところだ。映画の終盤ではそんな「ひ弱」な若者が「こどもたち」を統率し、「こどもたち」もそれぞれの特殊技能を活かして悪漢たちと戦うから嬉 しくなる。別に本作を見ても決して「ティム・バートン史上、最も奇妙。」だとは思わなかったが、ティム・バートンらしさを失わず、むしろティム・バートン 本来のカタチに戻った作品となっている点が素晴らしいのだ。

こうすれば

  ただ、脚本には穴がない訳ではない。そもそも、「こどもたち」の特殊技能が本当に活かされるのがお話の終盤に至ってから…というのはもったいない。素顔を 見た者を石に変えてしまうという双子などは、たった1回だけほんのちょっと活躍するだけだ。このへんはもっと何とかならなかったのか。また、主人公たちを 脅かす怪物たちの姿が、すでにどこかで見たようなモノなのもいかがなものか。確かあんなヤツは、ギレルモ・デル・トロの「パンズ・ラビリンス」 (2006)あたりで見たような気がする。既視感あり過ぎなのはちょっとマズいだろう。さらに、僕は本作を楽しんで見たものの、「時間がループしている 場」で暮らしてずっと歳をとらない子供たちが、そこから逃げ出した後も若さを維持して生きていけている理由が分からなかった。本作は別にリアルなSFでは ないからそのあたりを突き詰める必要はないとはいえ、結構キモの部分のパラドックスが放置されたままってのはちょっといただけない。単に見ている僕が理解 できないバカなのかもしれないが、放り出しっぱなしな描き方は少々気になった。

さいごのひとこと

 ティム・バートン映画でも変わらないサミュエルに笑った。

 

「王様のためのホログラム」

 A Hologram for the King

Date:2017 / 03 / 27

みるまえ

  この映画のチラシはちょっと前から目にしていたが、アメリカの国民的大スターであるトム・ハンクス様の映画にしては、やけにひっそりと公開される感じなの が不思議だった。アメリカのビジネスマンが商談で中東に行くが、思うようにいかなくて四苦八苦。そのうち別の価値観の影響から、自分の生き方を見直すよう になる…ってな話らしい。まぁ、ありがちな話だ。何となく何年か前に見たラッセ・ハルストレムの「砂漠でサーモン・フィッシング」(2011)を連想させる話でもある。で、今回の作品の監督はと言えば、トム・ティクヴァではないか。あの「ラン・ローラ・ラン」(1998)の監督がアメリカでトム・ハンクス主演作を撮るとはねぇ…と感慨にふけってしまったが、考えてみればこの両者はすでにあのゴッタ煮大作「クラウドアトラス」 (2013)で組んでいたのであった。あの時にはウォシャウスキー姉弟とのコラボだったが、今回はサシでのタッグだ。ますます興味が湧く。しかもこの作 品、公開されてから全然話題が聞こえて来ない。普通は話題を聞かないとなると不安材料になるのだろうが、僕としては晴れがましいハリウッド大作でのトム・ ハンクスにそれほど興味はないが、こういう地味〜な作品にも出ているとなれば逆に興味津々。そもそも映画マスコミやら世間の映画ファンなんぞ、まったくア テにはならない。気になって仕方がなかった僕は、ついにある日重い腰を上げて劇場へと見に行ったわけだ。

ないよう

  世間に吹き捲くる不景気の嵐。気がついたら、イケてるクルマがなくなった。自慢の家もなくなった。美しい妻もいなくなった。一体、何でこうなった? 目覚 めると、初老のビジネスマンであるアラン(トム・ハンクス)は旅客機の中にいた。周囲はみなターバンを巻いた中東の男たち。彼が乗るこの旅客機は、サウジ アラビアを目指していた。それは有無を言わせぬ社命だった。失職してからやっとありついたIT企業の仕事。いきなりサウジで国王と商談しろとは…と当惑す るアランだったが、上司は「やる気を見せろ」の一点張り。そもそも失業期間も長かったアランが同社に採用されたのは、彼に「国王とのコネがある」から。た だし実際のところ、そのコネはかなり怪しいモノだった。アランがまだ若かった時、たった一度パーティーで「国王の甥」に会っただけ。それも、トイレで彼に くだらないジョークを言ったどいうだけの縁だった。だが、そんなことは今さら言う訳にいかない…。サウジのジェッダに着いたアランはホテル入り。疲れきっ て寝込んだアランは、翌朝寝過ごしてバスに乗り遅れてしまう。仕方なく、アランはホテルの紹介で運転手付きのクルマを呼んでもらう。やって来たのは「ドラ イバー、ガイド、ヒーロー」のユセフ(アレクアンダー・ブラック)という男。このユセフ、いきなりボンネットを開けて爆弾の有無を確かめたりするからビッ クリ。すわテロか…と恐れおののくアランだったが、妻に手を出したと夫に疑われている…と事もなげにケロリと語るユセフ。まったく、どこまで本当なのか冗 談なのか分からない男だ。クルマは汚いし、BGMには聞きたくもないシカゴの歌を聞かせられるし、早速ウンザリしてくるアランだった。アランが目指してい たのは、「国王の経済・貿易新都市」なる場所。そこで彼のIT企業が、ホログラムを使った画期的な会議システムをプレゼンすることになっていた。だが、そ れを聞いたユセフは冷ややかに失笑。彼いわく、とてもじゃないがそんな場所ではないとのこと。実際にその場所に着いたアランも、それを実感せざるを得な かった。どこまでも砂漠。その真っただ中に、申し訳程度にその「新都市」の本部ビルがあるだけ。ビルがやたらに近代的なインテリジェント・ビルなだけに、 余計にその空疎さが目立つ。アランは早速そのビルに入ると、サイードという人物がアランを出迎える。国王その人には今日は会えないが、窓口となるカリーム には今日の3時には会えるという。サイードはアランに、この「新都市」の未来予想模型を披露した。将来的には百万都市を目指す…云々とブチ上げるサイード だったが、とてもじゃないが無理だろうなとアランも感じざるを得ない。それでも商談になりさえすればいい。事前に会社からプレゼン・スタッフも派遣されて いるはず…と思ったら、彼らは屋外の巨大テントに案内されているというではないか。何もないガランとしたテントで、確かに彼ら3人はパソコンとにらめっこ していた。だが、彼らは何も知らされず、この何もないテントでボーッと待たされているだけ。近所に食い物屋もなく、Wi-Fiもつながっていないからプレ ゼンの準備ができない。そんなスタッフの苦情を聞いて、アランは3時のカリームとの会見に臨むことにする。ところが例のビルの受付嬢に聞くと、今日はカ リームはいないと言うではないか。明日は必ずいるから…との確約を取って、アランは何とかその場を引き揚げることにした。案の定、ホテルには上司のギャン ギャンうるさい小言電話がかかってくる。ただ、ここでヤケを起こす訳にはいかない。娘の大学の学費のために、カネを稼がねばならないのだ。離婚にあたって 妻はアランを口汚く罵るようになったが、娘だけは彼に優しかった。こんな遠いサウジまで、今日もアランを気遣うメールをくれた。その娘の力になれないもど かしさ…。そんなアランには、気がかりなことがある。いつの間にか、背中に大きなコブが出来ていたのだ。背骨にも近いこのコブが、悪性の腫瘍ではないかと いう不安…。酒が欲しくなったが、サウジでは御法度…とつれない。ついつい辛くて、アランは老いた父親(トム・スケリット)にも電話するが、どうやらそれ はマズかったようだ。父親はアランを気遣うどころか、彼の古傷をえぐる言葉しか言って来ない。今じゃアメリカの橋を中国が架ける始末だ。オマエのせいだ ぞ…。ウンザリして電話を切るアランだったが、その言葉でイヤでもかつての出来事を思い出さずにはいられない。あの日、自転車会社の幹部だったアランは、 労働者を集めて彼らを解雇する通告をした。会社としては、コストが安い中国に生産拠点を移さざるを得なかった。だが、その結果は…。うなされたあげく翌朝 また寝過ごして、アランはまたあのユセフのクルマを呼ばねばならなくなる。だが、辿り着いた「新都市」では、また例の受付嬢からカリームの不在を告げられ る。一体どうなっているのだ? そんなワケの分からない状況が続いて、さすがにアランの堪忍袋の緒が切れた。彼は受付嬢が目を離した隙にエレベーターに乗 り込み、上階の事務所へ。だが、そこにもカリームはいなかった。その代わり、カリームの部下というデンマーク女性ハンナ(シセ・バベット・クヌッセン)が 彼の訴えを聞いてくれたが、国王はもう1年以上ここに来ていないと聞いて愕然。そんなアランに、ハンナは一本のボトルをコッソリ渡した。この国は酒は厳禁 が建て前だが、ある所にはあるのだ。自分の人生、そしてこの仕事のお先真っ暗さに、ホテルで深酒をするアラン。そのあげく、ずっと悩みのタネだった背中の コブを、ナイフで切除しようと試みるのだったが…。翌朝、ひどい二日酔いで目覚めたアランは、当然のごとくバスを逃してユセフを呼ぶ羽目になる。だが何よ り、背中からのひどい出血に驚いた。昨夜酔った勢いで、ナイフでコブを傷つけてしまったのだ。絆創膏を貼ってごまかしユセフのクルマに乗ったアランだが、 ユセフに二日酔いを見破られてしまう。ユセフはそんなアランを連れて、「サウジのメシ」を一緒に食うことにした。そこでユセフは、アランにいつもと別の顔 を見せる。何事にも楽天的に見えたユセフだったが、妻との不義密通を疑った夫に狙われ、本当に切羽詰まった状況になっているらしい。そんなユセフに、アラ ンは初めて親身になったアドバイスを送る。ところが、アランの背中の傷口が悪化してきた。驚いたユセフは、彼を近代的な総合病院へと案内する。彼を看てく れたのは、この国では珍しい女医のドクター・ハキム(サリタ・チョウドリー)。アランはハキムに、コブが出来てから体調がすぐれないと訴える。だが、アラ ンのコブを診察したハキムは、コブと体調の悪さは無関係と語る。彼女はすべて精神的な問題ではないかと語り、検査結果を聞くためにまた病院へ来るように… とアランに告げた。こうして、この国で初めて頼りになる言葉を聞いた気がしたアランだったが…。

みたあと

  それにしても、トム・ティクヴァとトム・ハンクスってまったく考えもしない顔合わせだった。「クラウドアトラス」があったことをスッカリ忘れていたし、同 作はウォシャウスキー姉弟もかんでいたからティクヴァの映画って感じがしなかった。すると…映画が始まったとたん、ハンクスが画面に向かってラップみたい な「語り」を絶叫。これって後で調べたら元々はトーキング・ヘッズの歌らしいのだが、主人公のお先真っ暗な境遇がSFXやアニメまで動員してアッと言う間 に描かれる。そう、確かに僕はあの「ラン・ローラ・ラン」の監督の最新作を見ているのだった。トム・ハンクスが主演していようとアメリカ映画だろうと、ト ム・ティクヴァの映画であることに変わりはないのである。さらに、トーキング・ヘッズの歌を一生懸命歌っているトム・ハンクスを見て、近年「大御所」感だ けが増してきた彼が久々に汗だくで頑張っているのに嬉しくなった。考えてみると、映画冒頭に出てきた「プレイトーン」ってロゴは、確かトム・ハンクスが初 めて監督した「すべてをあなたに」(1996)に出てきたレコード会社のマークと同じではないか。これはハンクス自身のプロダクションってことなのか?  だとすると、本作はハンクスが満を持して放つ自主企画ということになる。これは快作の予感がしてくるではないか! 案の定、本作は久々にハンクスが水を得 た魚のように好演する快作だったのである。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  ズバリ一言でいうと、見る前に「砂漠でサーモン・フィッシング」を連想していたのは正解だった。オープニングこそトーキング・ヘッズの歌で慌ただしく始ま るが、それはいわゆる「つかみ」。その後はテンポをガタンと緩めて、いわゆるカルチャーギャップ・コメディのカタチをとっていく。これはいわゆる、「ロー カル・ヒーロー」モノと僕が勝手に呼んでいるジャンルの映画だったのだ。ここでいう「ローカル・ヒーロー」とは、ビル・フォーサイス監督のイギリス映画 「ローカル・ヒーロー/夢に生きた男」(1983)のこと。スコットランドの漁村にコンビナート建設調査のため派遣されたアメリカのビジネスマンが、のん びりとした村の空気に影響を受けていくというお話の映画である。ダイアー・ストレーツのリーダーであるマーク・ノップラーの音楽も素敵で、不思議な魅力溢 れる作品だった。そして、以前にも同系統の作品が存在していたのかもしれないが、これ以降は確実に「ローカル・ヒーロー」の直接影響下の作品がポツリポツ リと出現。「ドク・ハリウッド」(1991)、「カーズ」(2006)、「プロヴァンスの贈り物」 (2006)…などは間違いなくこの手の作品と言ってよく、どれも僕が大好きな作品だ。前述の「砂漠でサーモン・フィッシング」も同様である。本作もま た、慌ただしい生活に慣れた(そして疲れていた)都会人が、遠く離れた異境にやって来て浮世離れした環境で激しいカルチャーギャップを味わいながら、人生 の再構築を始めるお話である。そして、これが意外にもトム・ハンクスに合っている。最近のハンクスは妙にシリアス俳優づいてしまって、正直言って僕は寂し かった。晩年の森繁久彌みたいな、最近の勘違いした片岡鶴太郎のような、「偉くなった」コメディ俳優なんてあまり見たくないのだ。そもそもシリアス俳優な ら掃いて捨てるほどいるのである。だが今回は、ワン・アンド・オンリーのコメディアンであるトム・ハンクスが見れる。「スプラッシュ」(1984)や「マ ネー・ピット」(1986)などのコメディ作品でイイ味を出した、アッと驚く状況に放り込まれてトホホな顔してジタバタするハンクスがたっぷり堪能できる のだ。お話としては実際のサウジの人が見たら「???」と思うのかもしれない点もあるのだが、ヨソ者から見た「異境」の話として見ればアリ。ラストにロマ ンティックな展開になっていくなんて、ハンクスの映画としては久々なんじゃないか。こういう彼をもっと見たいんだがなぁ…。ハンクスの相手役を務めたのが サリタ・チョウドリーというのもビックリ。彼女はインド出身の女性監督ミーラー・ナイールが、初めてアメリカで撮った作品「ミシシッピー・マサラ」 (1991)に主演した女優さんだ。ここでチョウドリーは何とデンゼル・ワシントンと共演。その後もビレ・アウグストの「愛と精霊の家」(1993)で豪 華オールスターと共演していた。元々、イギリスとインドの混血らしいが「愛と精霊の家」では南米の娘も演じているので、今回サウジ女性を演じてもさほど違 和感なさそう。何しろそのキャリアの中でデンゼルやヴィンセント・ギャロ、そして今回ハンクス…と錚々たるスターたちと共演している彼女なのだから、今後 もバリバリ活躍して欲しいものだ。

さいごのひとこと

 「スプラッシュ2」はダリル・ハンナが歳だから無理か。

 


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