新作映画1000本ノック 2017年2月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「セル」 「ザ・コンサルタント」 「マグニフィセント・セブン」 「ドクター・ストレンジ」

 

「セル」

 Cell

Date:2017 / 02 / 27

みるまえ

  この映画のことは知人から聞かされた。突然、人々が携帯電話でおかしくなって凶暴化するお話。主演はジョン・キューザック、サミュエル・L・ジャクソン。 面白そうではないか。ただ、題材が題材だけにダメ映画になりそうだし、キューザックもサミュエルもその手の駄作がフィルモグラフィーにはゴロゴロ転がって いるから、信頼性の担保にはならない。雰囲気的にはM・ナイト・シャマランの「ハプニング」(2008)とブラピの「ワールド・ウォーZ」 (2013)を足して2で割ったような映画じゃないかと思われる。だとすると、ジャンルとしては僕の大好物の系統ということになる。ハッキリ言えば、僕は SFだったら相当ダメ映画でも楽しんで見ることができる。中でも人類終末テーマは最も好きなジャンルだ。ならば、これは絶対に「買い」だろう。ところがそ んなこんなしているうちに、本作の上映がたちまち先細ってきた。そこで、慌てて劇場に向かった次第。

ないよう

  とあるアメリカの地方空港。忙しく旅客機が離着陸を繰り返し、ターミナルを行き交う人々は…誰も彼もが携帯やスマホを持ってしゃべっている。手にもってい なくても、ハンズフリーのイアホンマイクを付けて歩きながらしゃべっている。いや、ターミナル内の厨房ではコックがコレで料理を作りながらしゃべっている し、便所でも用を足しながらみんながしゃべっている。管制塔の職員もしゃべっている。逆に携帯やスマホでしゃべっていない奴を探す方が難しいくらいだ。今 まさに飛行機に乗ってこの空港に降り立ったクレイ(ジョン・キューザック)も、早速スマホを取り出して連絡を始める。彼の職業は劇画家…いわゆるグラ フィック・ノベルの作家だ。ちょうどデカい契約がまとまって、ご機嫌で家族に連絡をするところだ。まず電話に出たのは妻のシャロン(クラーク・サルー ロ)、次いで幼い息子のジョニー(イーサン・アンドリュー・カスト)。暖かい家族同士の会話…ではあるが、それにしては少々様子がおかしい。実はクレイと シャロンは、もう1年も別居している。いや、クレイにとっては「もう1年も」だが、シャロンにとっては「まだ1年しか」別居していないということになる。 そんな意識のズレは、お互いの間にぬぐい去りがたくあるのだった。そのうちスマホの電源が切れて、会話が途切れてしまう。慌てて空港ターミナル内のACの コンセントを探すクレイだったが、どこもかしこもすでに塞がっている。とてもクレイが割り込む隙などなさそうだ。「異変」が起きたのは、まさにそんなタイ ミングだった。携帯やスマホで会話していた連中、ハンズフリーのイアホンマイクでしゃべっていた連中が、突如白目をむいてけいれんするではないか。中には 口から泡を吹く奴までいる。携帯やスマホを使っていた人全員が全員ともおかしくなったので、さすがに鈍いクレイも異変に気づかずにはいられない。おまけに けいれんしていた連中は、その直後、いきなり暴れ始めるではないか。身近にいる人間に襲いかかり、殴りつけ、階段から突き落とす。それも異常な怪力で暴れ 回る。クレイはその状況を見て呆然自失だ。連れの娘が襲われて血まみれになったのを見て、「警察を呼ばなきゃ」とスマホをかける女の子。しかし次の瞬間に は、その女の子もおかしくなって柱に自分の頭を何度も強打。笑いながら血まみれになった彼女は、今度は逃げ惑う人々に襲いかかる。そうかと思えば、空港警 備員は慌てふためいて誰彼構わず射殺していた。厨房からは狂ったコックが飛び出して、包丁を持って襲いかかる。さすがにクレイもこれには応戦して、思い切 りぶちのめしてしまった。やらなければ、こちらがやられるからだ。阿鼻叫喚のターミナル内には多数の死体や負傷者が転がり、狂った連中が大暴れして大混 乱。ところが混乱しているのはターミナル内だけではなかったらしく、着陸しようとしていた旅客機が急降下したあげく、ターミナルに向かって突っ込んで来る のが見えるではないか。クレイは慌てて地下鉄駅に向かうエスカレーターを駆け下りると、間一髪で旅客機はターミナルを直撃した。大爆発と紅蓮の炎がターミ ナルを襲う中を、何とか地下鉄駅へと降りていくクレイと数人の生存者。だが、駅で待ち構えていたのはまたしても発狂した連中だ。たちまちモミクチャになる クレイ。そんな彼の危機を救ったのは、銃を構えた数人の男たちだった。「そいつはマトモだぞ!」…こうして男たちに引きずられて、クレイは地下鉄車両の中 へと連れて来られる。そこには奇跡的に発狂せず、何とか生存できた人々が立て篭っていた。クレイを迎えた男は、この地下鉄の運転手であるトム(サミュエ ル・L・ジャクソン)。クレイはトムに地下鉄を動かせないか聞いてみたが、自動停止装置が作動してしまって動かないらしい。ただ、地下鉄の路線図はある… という。ならば、地下から脱出できる! そこでクレイとトムは、この列車から抜け出して外に出ようと提案。そもそも、このままでいたら、いずれ地下道が浸 水するはずというから穏やかではない。だが他の乗客たちはすっかりブルってしまって、この地下鉄から出ようとしない。いずれ救援隊が来るはず…と完全に甘 いことを言っている。そもそも彼らは「テロなのか?」などと言ってるほど現状が見えてない。結局、業を煮やしたクレイとトムは地下鉄車両から逃げ出して、 そこに一人の若者が加わって三人で地下鉄トンネルを歩いていくことに…。すると…次の駅が見えてきたあたりで何人かの人影が近づいてくるではないか。果た してあれはマトモな人間かそれとも…と迷っていると、いきなり物陰から狂った連中が襲いかかって来て、ついてきた若者がたちまち餌食になってしまう。慌て てトムとクレイは上に伸びるハシゴを駆け上がり、何とか地上へと脱出。トンネルからの出口をゴミ箱で塞いで、その場を逃れた。地上は静まり返っていたが、 「異変」が起きたせいで街のあちこちから煙が上がっている。ともかく狂った連中から逃れながら、マンションの2階にあるクレイの自宅を目指す二人だった が…。

みたあと
 本作を見ることに決めた後で、これがスティーブン・キング原作の映画化だと知って、実はちょっと見る気が減退した。さらに脚本自体にもスティーブン・キ ングが関与していること、監督のトッド・ウィリアムズの前作が「パラノーマル・アクティビティ2」(2010)というしょうもない映画であることを知っ て、さらにイヤな予感は増大。そもそもスティーブン・キングって映画のセンスは壊滅的にないみたいで、スタンリー・キューブリックが撮った「シャイニン グ」(1980)を酷評するだけでなく、よせばいいのに自分が大々的に乗り出してTVムービー版を撮ってみたら壊滅的な出来映え。「地獄のデビル・トラッ ク」(1986)を自ら監督したらコメディみたいになっちゃう…と、徹底的に映画に関わらせちゃダメな人なのだ。それが脚本まで書いていて、しかも監督は どうでもいいような奴…となると、ロクな結果になっていない気がする。だが、ジョン・キューザック、サミュエル・L・ジャクソン、スティーブン・キング… といえば、「1408号室」(2007)ですでに組んでいてなかなか悪くなかった気がする。近年、ジョン・キューザックといえば変に悪役とかクセの強い役づいてしまって、「大統領の執事の涙」(2013)ではニクソンを演じるという無茶な役を演じるまでに至っていた。そのあげく「ドライブ・ハード」(2014)なんてC級映画にまで出てしまう始末。ところが「さすがにマズい」と本人も気づいたのか、ここ2〜3年は「ラブ&マーシー/終わらないメロディー」(2015)や「ドラゴン・ブレイド」 (2014)などで立ち直りを見せていたところ。本作は何を考えたのかキューザック自ら製作総指揮に関わったらしく、その熱意から考えても期待できるので はないか…。そんなことを考えて劇場に乗り込んでみると、確かに当初に懸念されていたようなダメダメな感じではない。僕はSFでも人類終末テーマは大好き なジャンルなので、多少はこのテーマの作品は贔屓目で見てしまう。だが、それをさっ引いても、まぁまぁ悪くはない滑り出しではないだろうか。

ここからは映画を見てから!

みどころ

 本作の始まりは、まさに「ハプニング」や「ワールド・ウォーZ」のような幕開けである。ことに、一種のゾンビ映画の変種という意味で「ワールド・ウォー Z」のテイストに近い。どうやら予算が限られていたようなので「ワールド・ウォーZ」みたいに大風呂敷を無制限に広げる訳にいかなかったようなのだが、そ れでもソコソコのところで頑張ってはいる。さらに凶暴化した人間が何かの法則性を持って動く…というあたりや、「仲間」を増やそうと行動するあたりでは、 「地球最後の男/オメガマン」(1971)やそのリメイク作品「アイ・アム・レジェンド」(2007)、そしてドン・シーゲルの「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956)、フィリップ・カウフマンの「SF/ボディ・スナッチャー」(1978)、エイベル・フェラーラの「ボディ・スナッチャーズ」(1993)、「ヒトラー/最期の12日間」(2004)を撮ったオリバー・ヒルシュビーゲルの「インベージョン」(2007)…と延々リメイクされ続けた「ボディ・スナッチャーズ」もの、最近では「フィフス・ウェイブ」 (2016)などとも共通する部分もある。凶暴化した連中が電波塔の回りを延々とグルグル回り続ける場面などは、巨大化した女王アリにフェロモンをかけら れて人間が支配される「巨大蟻の帝国」(1977)の終盤も連想してしまった。そういう意味では、SF映画ファンとしては「アレはここからいただいたな」 などとニヤニヤして見れることができて、それなりに面白い。低予算ながらも、ジョン・キューザックが辿っていく「終末地獄巡り」が見ていて楽しいのだ。特 にグラウンド一杯に広がって眠っている大勢の「凶暴化人間」たちを、タンクローリーでひき殺しながらガソリンをまき散らしていく場面の気色悪さたるやな い。おまけにそこに火をつけて全員焼き殺しという凄惨さ。何ともグロテスクな趣向ではあるが、まさに気持ちも荒む終末感満載な場面ではあった。

こうすれば

 このように予算は少ないながらも終末感たっぷりに見せてくれる本作だが、出来映えに問題がないワケではない。特に問題なのはやはり脚本だ。とにかくあち こち「穴」が多い。先に挙げた場面だが、グラウンドに集まって眠っている「凶暴化人間」たちを丸焼きにする場面。ガソリンを巻いたタンクローリーをグラウ ンドのすぐそばに停めているので、引火したらヤバいんじゃないか…と見ているこっちは心配になった。すると案の定、引火して大爆発。犠牲者まで出るという アホっぷり。あれはマズいだろう。そして、同行している三人が三人とも同じ人物が出て来る夢を見て、それがジョン・キューザックの描いた劇画に出て来る キャラクターだった…という趣向は、一体どういう意味があったのだろうか? 例えば、いきなり携帯で人々が凶暴化した理由などは、別に作中で描かれずにナ ゾのままでも構わない。だが、意味ありげに出てきたこの夢の中の共通キャラクターについては、それが出て来た理由が最後まで解き明かされないのはいかんだ ろう。このキャラクターは赤いフードをかぶっているのだが、その後もジョン・キューザックの身内が赤いフードを着て襲いかかってきたり…と、ますます意味 ありげな扱われ方をする。それなのにこの趣向はその後に深堀りされることもなく、ただ使い捨てにされてしまうのだ。まったく意味不明な無駄な設定である。 だが、ここまで挙げてきたこうした「穴」は、まだ大したことはない。一番問題なのはエンディングだ。主人公ジョン・キューザックが幼い息子を探して、敵の 総本山みたいなところに突撃していく…という終盤の描き方である。みすみす犬死になりそうでも家族のためには行かねばならない…というのは、設定として無 理なものではない。結局、主人公が悲惨な状況になるという幕切れも、「ミスト」(2007) などの絶望的エンディングを狙っているみたいで悪くはない。ただ、困ってしまうのはその描き方で…何を思ったのかその絶望的エンディングのちょっと手前 に、「かくありたかった自分」のイメージみたいなショットをチラリと入れている。やりたいことは分かるのだが、これを入れたせいで主人公が肝心なところで 「ヘタレた」ようにしか見えない。だから絶望的なエンディングも、「なぁんだ、結局は大事なところで腰砕けかよ、ダセェ〜」(笑)としか思えなくなる。観 客がまったく共感できなくなってしまうのだ。これには正直言ってガックリ来た。前述の通り、脚本にはスティーブン・キング大先生が参加している。そのキン グが、最後の最後にやらずもがなの「蛇足」をやらかしているようなのだ。やっぱりキング自身が映像化に絡むと、ロクな出来映えにはならないのだろうか。巨 匠キューブリックの「シャイニング」をケナす一方で自ら「地獄のデビル・トラック」を監督するような男を、映画に関わらせちゃいけなかったのである。

おまけ

 実は本作で一番ゾッとしたのが、冒頭の空港場面。それも人々が凶暴化するところではなく、その手前の場面である。みんながみんな携帯やスマホで会話して いて、歩いている奴も料理している奴もトイレで用を足している奴でさえもその状態である。これって実は日常で見慣れた光景なのだが、改めて強調されて見せ られるとかなり異常な状態だ。僕個人はありがちな安易な携帯批判には正直辟易していて、そんなに「文明の利器」がイヤなら冷蔵庫もテレビもネットも使うな よ…と言いたくなるクチ。そもそも自分もスマホを持つようになってから始終見ちゃうようになった側なので、余計にこの件についてはデカいことは言えない。 だが、そんな僕でもあの「みんなでスマホ」場面はかなり気持ち悪かった。ここまで人々がスマホ依存するのは、確かにマトモではない。しかも、みんなが誰か と会話しているはずなのに、見た目としてはみんなソッポを向いて孤立している。かなり変な光景なのだ。それがスティーブン・キング的なホラー風味によるも のではなく、ごく日常的に繰り広げられている光景であることが恐怖なのである。僕はたまたま本作を見た直後に中国のロウ・イエによる新作「ブラインド・ マッサージ」(2014)という新作を見たのだが、そこでは盲人たちが過剰にお互いに触れ合ったりして、それぞれの関係性をやたらに確認し合っていた。そ れによって、我々健常者の日常とは少々異質な空気が流れているように描かれていたのだ。僕がその作品を見た時に真っ先に想起したのが、この「セル」の冒頭 場面だったのである。日常を描いているのだが、何かが異質…という奇妙な感じ。ある意味で、「ブラインド・マッサージ」の極北をいくのが「セル」の冒頭場 面…という感じすらする。そういえば、主人公ジョン・キューザックは家族を愛していながら、一緒にいられずに携帯でしかつながれない…というのも象徴的 だ。う〜〜〜ん、実はこれはなかなか深いのではないか? そうは言っても、おそらく本作の作者はそこまで考えてやってはいないだろうが…(笑)。

さいごのひとこと

 ロウ・イエのおかげで本作が名作みたいに見えてきた(笑)。

 

「ザ・コンサルタント」

 The Accountant

Date:2017 / 02 / 20

みるまえ

 この映画のチラシを劇場で見た時から、面白そうだなとは思っていた。ベン・アフレックが会計士の役で、この会計士が「ただの会計士」ではなかった…というお話。おそらくは「イコライザー」 (2014)系の映画だろうと見当はついていた。ただ、そうなると一種のジャンル映画だから、それほどユニークで傑出したモノでもないだろうと察しがつい てもいた。ところが本作を見たある知人から連絡があって、どうも僕が思っていたような作品とはちょっと違うらしいと気づいた。そうなると、もう放っておく 訳にはいくまい。僕は早速、劇場へと足を運んでいた。

ないよう

  激しい銃声。「通報しなければ…」という声。街角に撃たれた死体が転がっている。ワイシャツを来た男が、銃を持って街角の飲食店に飛び込む。店内は暗く静 まり返り、ここにも撃たれたばかりの死体が転がっている。ワイシャツの男は緊張しながら、銃を構えて店の奥へと入って行く。ゆっくり二階へと上がっていく ワイシャツの男の前に、撃ち殺された死体がいくつも転がっている。奥の部屋では男が命乞いしている悲痛な声が聞こえて来るが、それも無慈悲な銃声で断ち切 られてしまった。いよいよ緊張するワイシャツの男の後頭部に、ゆっくりと銃が突きつけられて…。1989年、ここはとある精神障害児専門の施設。ある夫婦 が自分の息子を連れて来て、医師の診断を聞いていた。その息子の名はクリスチャン(セス・リー)。彼は一心不乱にジグソー・パズルに興じていた。一緒にい た彼の弟(ジェイク・プレスリー)がじっと落ち着いて座っていたのと対照的に、クリスチャンは明らかに落ち着きがない。パズルが置いてあるテーブルを指で 何度も叩き、夢中になってパズルをやりながら、「ソロモン・グランディ」という古謡をうたうクリスチャン。その場には派手にわめく少女(イジー・フェネッ ク)もいたが、クリスチャンはまったく気にも留めていない。さて、医師はクリスチャンを「自閉症」であると診断、その特徴を挙げていった。明るい光や大き な音に過敏に反応し、ある反復行動を繰り返し、コミュニケーションが苦手で、過剰なこだわりを持つ…医師はそんなクリスチャンにとって優しい場所として、 この施設への収容を勧めていた。母親(メアリー・クラフト)はこの医師の意見に同意していたが、父親(ロバート・C・トレバイラー)の考えは違った。ここ は優しいかもしれないが、世間は決して優しくない。そんな世間で生きていけるように育てなければいけないと、彼は施設に入れることを断ったのだ。その頃、 クリスチャンはパズルで大騒ぎしていた。たったひとつのピースが見つからず、「完成できない!」と苛立ち始めたのだ。完全に落ち着きを失うクリスチャン だったが、そんな彼の元に先ほどまで大騒ぎしていた例の少女が近づいていく。彼女の手には、最後に残ったパズルの1ピースが握られていた…。それから幾年 月。ここはシカゴ近郊の小さな会計事務所。その一室で机を指で繰り替えし叩きながら顧客の話を聞いているのは、今や会計士となったクリスチャン(ベン・ア フレック)だ。彼の前に座っているのは、朴訥とした農家の夫婦。夫(ロン・プレイザー)も妻(スーザン・ウィリアムズ)も、多額の税金が払えずに苦しんで いた。そんな夫婦の悩みを、表情ひとつ変えずにアレコレと工夫して解決してしまったクリスチャン。これで農家の夫婦の心をガッチリ掴んでしまった…。舞台 変わって、ここはアメリカ商務省の局長室。まだ若い分析官のメディナ(シンシア・アダイ=ロビンソン)は、局長から直々のお呼びに緊張していた。彼女を迎 えた局長のキング(J・K・シモンズ)は、いきなり何枚かの写真を見せてある男の調査を依頼する。写真は世界各地で撮られたもので、写っているのはそれぞ れスネにキズ持つ犯罪組織の大ボスやらテロ組織の親玉など「悪の大物」ばかり。そしてどの写真にも、必ずメガネをかけたサラリーマン風の男が同席してい る。キングが知りたいのはこのリーマン風の男のことだったが、残念ながらいずれも後ろ姿しか写っていない。それをメディナに、抜群の調査能力で調べてくれ と言うのだ。だがメディナは、いかにも胡散臭い話だし他の仕事もあるし…でキングの頼みを断る。ところがキングは、メディナの「過去」を握っていた。荒ん だ過去を持っていたメディナは、自分の逮捕歴を隠してこの仕事に就いていた。もし履歴を捏造して政府機関に就職したことが分かれば、彼女は服役しなければ ならなくなる。こうキングに脅されたメディナは、抵抗することが出来ないと悟って彼に協力することになった…。一方、スイスのチューリッヒ。金融関係の会 社社長が地下駐車場でクルマに乗り込こもうとしたところを、不審な男に捕まってしまう。社長に銃を突きつけるこの男は、闇の組織から雇われたブラクストン (ジョン・バーンサル)。ブランクストンは社長がやっている良からぬ取り引きを指摘し、それを直ちにやめないと殺す…と脅したのだった…。お話はまた、ク リスチャンに戻る。彼の日常は極めて簡素で、その部屋には余計なモノは何もない。おそらく「いつものよう」にベーコンエッグを焼き、いつものように決まっ た時間に食べる。寝る前には大音響のハードロックを流しストロボのような点滅ライトを付けて、それらの激しい刺激に決まった時間だけ必死に耐える。耐えき れなくなると鉄の棒を取り出し、脚のスネをゴリゴリと痛めつけて耐える日々だった。こうして苦痛に耐えた後は、精神安定剤を飲んで眠りに就く。それがクリ スチャンの日常だった。翌朝、クリスチャンはクルマを運転しながら、電話で助手の女性と連絡。何でもハイテク産業の会社から、会計調査の仕事が入っている とのこと。クリスチャンはこの話を受けることにした。やって来たこのハイテク会社では、CFOのエド(アンディ・アンバーガー)とCEOの妹リタ(ジー ン・スマート)がクリスチャンを迎えた。依頼はこの会社のCEOたっての頼みで、社内で横領疑惑が発見されたというもの。その実態を調べて欲しいというの が依頼だ。だがCFOのエドは、15年にもおよぶ膨大な資料を読み解くのは不可能…と非協力的。だが後で会ったCEOのラマー・ブラックバーン(ジョン・ リスゴー)は、改めて調査をクリスチャンに依頼してくる。こうしてクリスチャンは、本格的にハイテク社の経理状態を調査することになった。翌朝、会議室に やって来るクリスチャンは、そこに膨大な経理資料とともに、テーブルに突っ伏して眠っている女性の姿を目にする。クリスチャンが当惑しながら起こした彼女 の名は、同社の経理担当のデイナ(アナ・ケンドリック)。彼女が不正を発見した当事者で、クリスチャンのために資料を徹夜で整理したのであった。デイナは クリスチャンに協力すると言うが、クリスチャンは必要ないと却下。さっさと会議室から出て行ってもらう。それも仕方がない。クリスチャンは人との関わりが 大の苦手なのである。こうして黙々と資料に没頭するクリスチャン。昼休みには会社の外に出て、弁当を開いて一人メシ…と思っていたら、またまた例のデイナ が登場。アレコレとクリスチャンに話しかけて来る。ちょっと空気が読めないデイナもまた、ある意味で人付き合いがうまくない人物だった。そのせいなのか、 まったく打ち解けないなりに何となく彼女と会話を交わすクリスチャン。さて、クリスチャンが熱心に調査を進めた結果、早くも同社の不正はハッキリと発覚。 これをまとめてレポートを提出するということで、話は落ち着くことになった。ところがその晩、CFOのエドの自宅に、怪しげな人物が侵入した。例の雇われ 人ブラクストンである。彼はエドの家族に手を出さない代わりに、エドが薬物を飲んで自殺するように強要した…。翌朝、クリスチャンがハイテク社に出勤して 来ると、資料を広げていた会議室は片付けられていた。当惑するクリスチャンに、親友だったエドの自殺を告げるCEOのラマー。彼は調査の打ち切りを命じ て、その場を立ち去った。だが、そう言われても引っ込みがつかないのがクリスチャンである。彼はやりかけたことが終わらないのは耐えられない。その夜、例 の寝る前の儀式を行っても、いつまで経っても心が安らがない。スネを金属棒で叩き、バットで叩いてヘシ折っても苛立ちが静まらない。翌日、クリスチャンは 気分転換のため、例の税金問題で助けてやった農家もとへ、射撃の練習に出かけることにした。ところが、そこには先客が来ていた。怪しげでコワモテな男たち が、夫婦を銃で脅していたのだ。だが、彼らはクリスチャンをナメていた。意外にも圧倒的な戦闘能力を持つクリスチャンは、これらの男たちを一人ずつ容赦な く撃退。アッという間に、夫婦を無事に救い出した。さらに、男たちの一人からデイナの写真入り社員証を発見。彼女にも危険が迫っていると気づいたクリス チャンは、急いで彼女の住むアパートへと急ぐのだったが…。

みたあと

 大したことがないと思っていた人物が、実はとんでもなく強い奴だった…という話は枚挙にいとまがない。いわゆる「必殺」の中村主水というか、先に僕が「イコライザー」系のお話と言ったのがそれだ。最近で言えば「ジョン・ウィック」 (2014)あたりもそのひとつ。本作も、間違いなくその系列に入る映画ではあるだろう。実際にそういうお楽しみは満載されていて、油断して調子こいてい た悪党が次から次へとバッタバッタとやられていく様は、なかなか爽快である。だが、それにしては本作は独特なテイストを持っている。単にそんな「イコライ ザー」系というだけなら構成は単純なはずなのに、本作はなかなか手強い。それどころか、主人公だけでなくほとんどの重要人物にはナゾがあり、予想通りの展 開を見せないのである。そのあたりからして、本作は凡百の同系統作品とは一線を画しているのだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  先に述べたように、本作は「主人公がめったやたらに強い」というこの手のジャンル映画の「典型」にはならない。やたらに伏線が張られていて、途中まで何が どうなっているのか分からないエピソードも少なくない。主人公について…だけでなく、主人公を追う商務省の役人二人とか、ちょっと見は主人公と無関係のよ うに見えた殺し屋とか…のエピソードも、後になってちゃんと活かされて来る。それらも、想像もしていない方向に展開していくから凄いのだ。しかし正直に言 うと、これらの伏線がすべて活かされているかというとそういうワケでもない。かなり早い段階で伏線が割れちゃう部分もある。それでもそのナゾめいた展開や 意外な展開が主人公のキツい人生につながっていく点がミソで、ナゾが解けた段階でちょっとした「感動」が味わえるというのがこの手の作品にないユニークな ところだ。僕には「自閉症」に関しての深い理解もないのであまり詳しくは語らないが、この障害を持つ主人公を「最強」の人物に描いた点が本作の非凡なとこ ろである。ただし…先ほど触れたように伏線が早めにバレる点など、すべてがうまくいっているとは言い難い部分もある。例えば、終盤で主人公と殺し屋が対峙 する場面で意外な事実が発覚するが、そこではあまりに意外過ぎてまるでコメディみたいに笑っちゃう展開になってしまう。だが、どう見たって映画の作り手は 笑わそうとして作っているはずがない。このあたりを含め、本作はどことなくイビツなモノを感じさせる。綿密な計算の下に構築して、それらがピタッと成功し ている…という内容ではないのだ。だが…それでも、見ている者に強く訴えかけてくるものがある。本作の主人公の生きづらさ、暮らしづらさが筆舌に尽くし難 いものだったであろうことは、映画のあちこちに散りばめられた描写を見るまでもなく容易に想像できる。そんな主人公が人々の知らないところで大活躍してい る様子が、見ていて微笑ましく感じられて来る。思わず応援したくなってくるのだ。この言い方が適切かどうか分からないが、見ていてそういう感情が生まれて くるのだから仕方がない。特に僕は子供の頃から他人や世間との折り合いの付け方に苦しみ続けて来たから、主人公のことが人ごとには見れなかった。もちろん 主人公のような大変な障害を持っているワケではなく、単に育ち方が悪かっただけ、大人になる努力が足らなかっただけなのだが、それでも彼の孤独さは分かる 気がする。だからこそ、僕は彼を応援したくなったのだろう。そういう意味では、この感想はすべての観客と共通するモノかどうかは分からない。僕だけが感じ るものかもしれないのだ。主人公を演じたベン・アフレックは、今までにない好演ぶりではないだろうか。これには異論がある人もいるかもしれないが、少なく とも僕はそう思った。デカい図体を不器用に持て余している感じが、何ともいいのである。そして「マイレージ、マイライフ」 (2009)以来、気になる映画に顔を出しまくるアナ・ケンドリック。今回もちょっとオタクで空気が読めなそうなところがご愛嬌のキャラクターを好演。ラ ストにほのぼのした余韻を残した。本作は完成度の高い、バランスのとれた作品とはとても言い難いが、だからこそ愛すべき作品になったと思える。少なくと も、僕はとても好きだ。

さいごのひとこと

 バットマンなんてやめてこっちをシリーズ化してくれ。

 

「マグニフィセント・セブン」

 The Magnificent Seven

Date:2017 / 02 / 20

みるまえ

  これだけ世間でリメイクが繰り返されていれば、むしろ遅過ぎたとさえ言えるんじゃないだろうか。「荒野の七人」(1960)リメイク。英語原題そのままで 邦題も「マグニフィセント・セブン」。これ、切符売場で実に言いにくい(笑)。それはともかく、「荒野の七人」リメイクということは、そのまま「七人の 侍」(1954)再リメイクともいえるのだが、本作は西部劇ということもあって「荒野」のリメイクというのが正確なところだろう。デンゼル・ワシントン以 下それなりに個性的なキャスト、何より久しぶりの本格西部劇映画ということで、劇場で予告編がかかり始めたあたりからもう絶対見ると決めていた。もうお話 は分かりきっているのだから、何もサプライズなどは期待しない。黒澤作品と比べると落ちる…などというヤボも言うつもりはない。スッキリ娯楽映画の基本を 押さえてもらって本格西部劇を見せてくれれば申し分ない。監督アントワン・フークアとデンゼルの顔合わせと来れば、「イコライザー」(2014)のノリで 痛快な映画になっているのは間違いないだろう。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(2014)以来、人気急上昇中のクリス・プラットを起用している のも楽しみ。僕は内心、この男が西部劇をやったらピッタリだと思っていたのだ。予告編で「朝日があたる家」が派手に流れるのも気に入った。僕はかなりワク ワクして劇場へ足を運んだのだった。

ないよう

 1879 年、アメリカ西部の小さな町ローズ・クリーク。その朝の静けさは、いきなり発破の騒音で打ち破られた。町のすぐそばにある鉱山の開発で、何発もの発破が仕 掛けられているのである。それを開発しているのは「ボーグ鉱山」なる会社。そこから掘り出した金鉱石を馬車で運んでいるのは「ボーグ運送」。いずれも資本 家バーソロミュー・ボーグが設立した会社だ。ローズ・クリークの平和は、今まさにこのボーグによる乱開発に脅かされていた。今日も朝から町の教会では、こ の件についての町民集会を開催。人々は口々に、ボーグたちの横暴を訴える。さらにボーグは住民たちに格安で土地を手放すように脅していたが、ボーグが雇っ たならず者たちの暴力で抵抗もままならない。そんな中、バーソロミュー・ボーグその人(ピーター・サースガード)が手下を引き連れて教会に登場。言いたい 放題ブチまけたあげく、集まった町民たちも牧師も教会から引きずり出す。勇気を出して抗議した町民マシュー(マット・ボマー)は妻エマ(ヘイリー・ベネッ ト)の目の前で射殺され、教会も連中に火をつけられてしまった。もはや町の平和は風前の灯…。さて、舞台変わって別の町。どことなく不穏な雰囲気の漂う安 酒場で、カードゲームに興じる男たちの中にいささかイカサマ臭いギャンブラーのファラデー(クリス・プラット)がいた。やがてその酒場に、黒人ガンマンの サム・チザム(デンゼル・ワシントン)が入って来る。たちまち殺気みなぎる酒場で、ファラデーはチザムの一挙手一投足に注目した。案の定、バーテンに声を かけたチザムは一触即発の状態。慌てて無関係な男たちが逃げ出す中、チザムはあっという間にバーテンと何人かの男たちを仕留めていた。そしてその最中に、 ファラデーが陰ながら控えめに援護したのをチザムは見逃さなかった。目的の男を仕留めたチザムは、やがて酒場の前に集まって来た保安官や町の人々の前で高 らかに宣言する。「俺は委任執行官。賞金首のお尋ね者を仕留めにこの町へやって来た!」…。そんなチザムを見て、近づいて来た人物がいた。それは夫を殺さ れたエマと彼女に同行する若者テディー(ルーク・グライムス)という、ローズ・クリークからやって来た二人だ。エマは去って行こうとするチザムにローズ・ クリークを奪還するための用心棒になってくれないかと頼み込み、かき集めたなけなしのカネを見せた。「復讐が望みか?」「正義よ、そして復讐も」…。一瞬 ためらったチザムだったが、結局、彼はこの申し出を引き受けることにする。一方、例のギャンブラーのファラデーはイカサマに怒った男二人に銃を突きつけら れるが、機転を利かせて難を逃れた。しかし借金のカタとして馬を取られていて、少々困っていた。そこにやって来たのがチザム、エマとエディー。チザムは ファラデーに、例の用心棒の話を持ちかける。「何人集まった?」「まだオマエと俺の二人だ」…。チザムに馬を買い戻してもらった義理で、ファラデーは仲間 に加わることになる。そんなこんなで、用心棒にはチザムの旧友で伝説の射撃手グッドナイト(イーサン・ホーク)、その相棒であるナイフ使いの東洋人ビリー (イ・ビョンホン)、賞金首だったのをチザムが見込んで仲間に引き入れたメキシコの強盗バスケス(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)、孤独な先住民族の若者 レッドハーベスト(マーティン・センズメアー)、怪力で斧を使う山男ジャック・ホーン(ヴィンセント・ドノフリオ)…といった一癖も二癖もある面々が集ま り、問題のローズ・クリークに乗り込む。ちょうどボーグ一派は留守だったが、その手下のコワモテ連中がお出迎え。波乱の予感から、町民はみんな引きこもっ て出て来ない。最初はチザムとビリーの二人でやって来たが、コワモテ連中とボーグ傀儡の保安官が調子に乗って挑発していると、いつの間にか町には他の5人 も出現しているではないか。こうなると話は早い。チザムはじめ7人の抜群の戦闘力で、コワモテ連中はバッタバッタと倒れて行く。予想外だったのは、凄腕ガ ンマンだったはずのグッドナイトが、心の病いで引き金を引けなくなっていたことぐらいだろうか。それでも圧倒的な実力で敵を制圧。腰が抜けた保安官に「町 はいただいた!」とメッセージを伝え、ボーグの元へと走らせた。宣戦布告である。これに腰が退けた町民たちは町を逃げ出して行ったが、戦おうと決意した町 民たちもいた。ここは猫の手も借りたいところ。チザムは町民たちに団結を訴える。こうして町民たちに戦闘訓練やバリケードの設営などの準備をさせて、来る べき決戦に備えていった7人だったが…。

みたあと

 最初にも述べ たように、本作に対して「七人の侍」の完成度に達していないとの批判は、ヤボの骨頂である。そういう人はどこかの名画座にシネフィルっぽく引っ込んでいた 方がいい。今、キーボードを打ったら「死ねフィル」と変換して笑ってしまった(笑)が、それが僕の率直な気持ちである。そんな本作はあくまで「荒野の七 人」のリメイクと見なすべきだろうが、その「荒野」よりも「七人の侍」フレーバーが強い印象もある。それは、本作がマカロニ・ウエスタン・ブームを一旦く ぐった後のアメリカン・ウエスタンだからだろうか。それでも本作のお話が終わってエンディング・クレジットが始まったとたんに、懐かしい「荒野」のテーマ 曲が流れた時は嬉しかった。ただしその反面、実は本作には予告編で流れた「朝日のあたる家」は流れない。僕は予告編にも出て来る未亡人エマがやけに胸をさ らけ出したコスチュームだったので、夫が殺された後で彼女が娼婦になって、必死に貯めたカネで7人を雇うんだな…と思い込んでいた(笑)。元々「朝日のあ たる家」は娼婦になった女の歌だから、それで流れるワケだ…と早合点していたのだ。だが、実際には「朝日のあたる家」は本編とは何の関係もない。そもそも エマはかなりオッパイを見せてはいるが、娼婦ではない。つまらないことだが、一応、念のため。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  安心して見ていられる娯楽映画というものは、ザラにありそうで実はイマドキあまりない。そして本格的な西部劇の娯楽大作となると、今日びほとんどお目にか かれない。だから西部劇というだけで嬉しい。正直言って点が甘くなる。何度も言うが僕は「死ねフィル」(笑)とは違う。映画はお楽しみとして見ている。だ から21世紀の今日、堂々と娯楽大作として西部劇を作る…それも「変化球」ではなく正面切って作ってくれている本作には嬉しくなる。ただ、やはり本作なり の「イマドキらしさ」を盛り込んでいるのが見どころだろう。本作の最大の特色は、「7人」の多彩な顔ぶれ。実は典型的アメリカ白人は全体の半数に満たな い。何より親玉が黒人である。「ジャンゴ/繋がれざる者」(2012)みたいに問題意識全開でやられるのは少々鬱陶しいと思ってしまう僕だが、これはなか なかいいではないか。何よりメンツが多彩で戦い方もそれぞれなので、娯楽映画としてキャラが立ちやすく見せ場が豊かになる。単に「政治的正しさ」とやらで はなく、ちゃんと娯楽映画の要素として貢献しているのが素晴らしいのだ。しかも、今回は未亡人エマも銃を持って戦う。オッパイも出すけどアクションもや る。これならむしろ、「7人」に入れても良かったくらい。後50年ぐらいして再リメイクの際には、ぜひ検討してもらいたい。髪振り乱して撃ちまくる女は絵 になると思う。そしてクリス・プラットは、やっぱり予想通り西部劇との相性が良かった。…というより、今回の7人で最も西部劇的なキャラクターなのが彼で はないか。すっかり見ていて嬉しくなった。さらに今回のリーダー役であるデンゼル・ワシントンだが、黒人が主役ガンマン…という「変則」さを強調せず、む しろ正統派のヒーローだったのが良かった。そもそも、デンゼルのスターとしての抜群の安定感に驚いた。彼の安定したヒーローぶりに、久々に「ハリウッド映 画を見ている」安心感を感じた。イマドキここまで安定したイメージのスターって、ハリウッドでもなかなかいなくなったからねぇ。ヴィンセント・ドノフリオ が珍しく「善玉」側に回っているのも新鮮だ。今回はこうしたキャストの魅力、キャラクターの楽しさが大きいのだ。そして物語のあちこちに、観客の気分を高 揚させるポイントをたくさん埋め込んであるのが見ていて楽しい。一旦は怖じ気づいて逃げ出したイーサン・ホークが、ここぞという時に戻って来て戦うのも 「お約束」だが嬉しい。どれもこれもベタな趣向だし設定なのだが、娯楽映画はベタじゃなくてはいけない。本作は、それをハリウッド映画の伝統に忠実に行っ ているあたりに好感が持てるのだ。

こうすれば

 ならばサイ コー!…と言いたいところだが、本作は少々残念なところもある。中でも目立つ点は、7人が戦いに参加する「動機」だろうか。それぞれ一癖も二癖もある連中 なのに、いとも簡単に参加して「大義」のために戦ってくれる。そのあたりの脚本の詰めが甘い。こんな荒くれた連中がわざわざ加わって、命を賭けるようにな る「動機付け」が欲しいのだ。また、かなり最初から和気あいあいってのもどうなんだろう。もっと最初はピリピリしてたっていいんじゃないだろうか。今日び 「アベンジャーズ」だって内紛しているのである。そうしたメリハリがついていれば、もっと盛り上がったんじゃないだろうか。そんな風に見ていくと残念な点 は他にもあって、ピーター・サースガードは悪役も手慣れたものなのだが、本作の場合はもっとボリュームも貫禄もある悪役だった方がいいんじゃなかったかと いう気がする。何となく軽い気がするのだ。また、ローズ・クリークに7人がやって来て最初の戦いが繰り広げられる場面で、戦いの前に馬を逃がしてやるデン ゼルを後方から撮影した画面が出て来るが、これがちょっと残念な仕上がり。これは本人のせいかどうか分からないのだが、デンゼルがガニ股で猫背に見えるの だ。ちょっと堂々たるヒーロー体型に見えないのである。これは何とかならなかったのか。おそらくカメラはもっとローアングルにして、見上げる感じで撮るべ きではなかったか。ここは間違いなくアントワン・フークアの演出ミスだと思う。まぁ、おそらく監督もキャメラマンも周囲のスタッフも、西部劇を撮り慣れて ないということなんだろうねぇ。西部劇の伝統が途絶えてしまったダメージは、意外に大きいような気がする。だがここまで挙げて来た要素は、まだ大したこと はない。些細なキズである。最大の問題点はラストにある。荒くれ者の用心棒代は、言ってしまえばはした金。つまり、彼らはほぼ「無償の行為」として命を賭 けて戦っている。だから尊いのだ。だが最後の最後に、実はデンゼルには戦うための「個人的動機」があったとタネ明かしされてしまう。だとすると、デンゼル に集められて戦ったみんなは、デンゼルの「私怨」につき合わされただけ…ということになる。中には死んでしまった者までいるのに、これはちょっと設定とし てマズいんじゃないだろうか。さすがにこの脚本には難点があると言わざるを得ない。これは致命的ミスである。だが、最終的には僕は本作を推したい。キャラ クター重視でCGもほとんど使わず、キッチリと娯楽映画を作ろうとしているからだ。そして、あくまで後味がいい。その「正統派」ぶりを評価したいのであ る。

さいごのひとこと

 デンゼルって意外にチビなんだろうか?

 

「ドクター・ストレンジ」

 Doctor Strange

Date:2017 / 02 / 13

みるまえ

 この映画のことは公開の大分前から世間が騒いでいるので、当然よく知ってはいた。テレビの「シャーロック」で売り出したベネディクト・カンバーバッチが「スター・トレック/イントゥ・ダークネス」(2013)に出たかと思えば今度はマーベルにも登場。まぁ、「旬の人」ってことなんだろう。今度のマーベル・ヒーローは魔法使いなんだそうである。何だかチベットだか東洋みたいな所で修行をしている場面もあって「バットマン・ビギンズ」(2005)を連想させられるし、見せ場は街がグニャグニャに曲がっていくCGのスペクタクル場面で、誰がどう見たって「インセプション」(2010)を思い浮かべない訳にいかない。う〜ん、どうなんだろこれは? ただ、マーベル映画が一連の「アベンジャーズ」モノでどれもこれも束になってきちゃったのも少々鬱陶しくなってきたし、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」 (2016)に至っては内輪揉めもいいとこで、僕としてはいささかウンザリしたのも事実。そこに久々の「単品」キャラのマーベル作品が登場と来れば、 ちょっと救われた気分さえする。魔法使いというバカっぽさも、所詮はマンガ映画なのだからいいではないか。そう思っていたところへ、何ともユウウツだった 確定申告が終わった開放感も手伝って、勢いで映画館へ足を運んだ次第。

ないよう

  それは、とある秘密の教義を修める修行の場。その書庫を閉めようとしていた番人の前に、怪しげな男がひとり出現した。危険を察知した番人が周囲を見ると、 すでに怪しい男の配下の者たちに取り囲まれていた。その怪しい男の名はカエシリウス(マッツ・ミケルセン)。かつてはこの修行の場に身を置いていた人物 だ。カエシリウスは番人に向けて手をかざすと、番人は両手両脚を火花散るエネルギーのワイアーで拘束され、空中に浮かばされてしまう。そして事もあろう に、番人の首を切断してしまうではないか。さらにカエシリウスは書庫に大切にしまわれていた分厚い教典を取り出すと、その中のある1ページをちぎり取って しまった。事を終えたカエシリウスと配下の者たちは、書庫から素早く脱出した…。と、思ったら、彼らが出て来たのは大都会ロンドンの一角。彼らには時空を 超えて移動する能力を持っているのだ。ところがそんな彼らの背後に、背の高い黄色いフード付マントを羽織った人物が立ちはだかった。黄色いマントの人物は 前方に手をかざすと、とたんにロンドンの街の風景が一変し始める。周囲の建物や地形は大きく変形し、天地は横転・逆転を続けていく。カエシリウスの一派は これに翻弄され、何人かは脱落。しかしカエシリウスはじめ数人は逃げおおせてしまう。それを見送った黄色いマントの人物は、自らの前方に火花散る円形を作 り出し、そこから「外の世界」へと出て行ってしまう。後には何の変化も残らず、人々もそれらにまったく気づいていないようだ。それは、まさに魔術の為せる 技だった…。舞台変わって、ここは大病院の手術室。なぜかBGMとしてヴィンテージ・ポップスが流れて、手術中にも関わらず曲のウンチククイズが行われ る。自ら執刀中なのにマニアックな問いに迷わず回答するその医師の名は、スティーブン・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)。若手にも関わらず抜 群のスキルと知識を持つ、超一流の外科医だ。この日も自信満々、余裕たっぷりにオペを終了。そんなストレンジの元に、同僚の女医クリスティーン・パーマー (レイチェル・マクアダムス)が駆け寄って来る。クリスティーンはストレンジの元恋人だったが、こんな自信過剰男ストレンジとは長続きする訳もなく、今は 良き「同僚」としての距離感を保つ間柄。だが、今、彼女がストレンジの元にやって来た理由は、まさに優秀な「同僚」の意見を欲しかったから。彼女が持って 来たのはある患者のレントゲン画像で、それによれば脳に弾丸が入っている。別の医師は、これを脳死と判定しているらしい。だが、ストレンジの意見は違っ た。慌ててクリスティーンと共にこの患者の元へ駆けつけるストレンジ。危うく「脳死」患者として体を切り刻まれるところを、無事に奪還。すぐにストレンジ は神業ともいえるオペを行って、奇跡的にこの患者を回復に導いた。まさに指先の魔術師。その輝かしい業績で名声を欲しいままにし、高給をもらってマンハッ タンのタワーマンションに居を構える独身貴族。自信満々なのも無理はない。だが、ストレンジの自信はすでに傲慢の域に達していた。その夜、ストレンジは権 威ある学会の集いに招待され、高級スポーツカーに乗って出発。猛スピードで目的地に向かっていた。途中で彼に治療を頼む連絡が入り、その相手と受け答えを していたちょうどその時…。ストレンジのクルマが別のクルマに激突され、横転して川に転落してしまう。意識を失ったストレンジはただちに手術室に運ばれ、 彼はそのまま意識を失った…。長い大手術の末に、病室で目を覚ましたストレンジ。だが彼は、そこで悪夢のような光景を目にした。ズタズタになった両手は縫 合された上で固定され、もはや微動だに動かない。あの「指先の魔術師」たる自分は今いずこ。心配するクリスティーンは彼を慰めるが、「オレならもっとうま くやれたはず」と聞く耳を持たない。自分なりに手の治療法を必死に探すストレンジは、その後、何度もの手術にも耐えたが両手の機能は戻らない。リハビリ指 導をするインターンにも、「これほどのキズを負って治った奴を知っているか?」などと毒づく始末。ところがインターンは、「脊髄損傷して半身不随になった のに、退院していつの間にか歩けるようになった奴を知っている」…などと答えるではないか。だが、ストレンジがそんな話を信じるはずもない。「そんな証拠 があるなら持って来い」とイヤミを言うのが精一杯だ。しまいには、彼を心配してタワーマンションの部屋に見舞いに来るクリスティーンにまで当たり散らす始 末。さすがについていけなくなったクリスティーンは、彼のもとを去ってしまった。度重なる大手術で、財産も使い果たした。医学界の知人たちも、しつこい彼 を避けるようになった。もはや何も残っていない。そんな彼の元に、あのインターンから一通のファイルが届けられていた。そこには「だから言ったでしょ!」 というメモと共に、例の半身不随の患者のカルテが入っていた。インターンの言葉通り、この男はなぜか「自力」で回復を遂げていたのだ。その男パングボーン (ベンジャミン・ブラット)を訪ねて、ストレンジはニューヨークの下町へとやって来る。お仲間とバスケットに興じるパングボーンを呼び止めたストレンジ は、単刀直入に「なぜ治ったのか?」をズケズケと尋ねた。すると、パングボーンはストレンジに信じ難い話を語り始める。傷ついて歩けなくなったパングボー ンは、さまざまな治療法を試したあげく精神世界の探求へと辿り着く。それはネパールにある「カマー・タージ」だ…と。すべてを失い、ワラをも掴むような思 いのストレンジは、取るものもとりあえずネパールのカトマンズへと駆けつける。カトマンズの喧噪に紛れて、謎めいた「カマー・タージ」を探すストレンジだ が、「それ」が何だかも分からず悶々とする日々。人々に「カマー・タージ」の言葉を投げかけても、まったく反応がない。だが、その言葉に耳を傾けるフード 付マントの男がいたことを、ストレンジは気づいていない。やがて裏道で強盗に襲われたストレンジは、彼に最後に残された高級腕時計を守ろうとしてブチのめ される。ところがそこに、例のマントの男が出現。たちまち強盗をブチのめして、ストレンジを救うではないか。このマントの男モルド(キウェテル・イジョ フォー)は、ストレンジを「カマー・タージ」へと誘う。連れて行かれた「カマー・タージ」は、ありふれた古い建物の裏口だった。相変わらず、皮肉屋の傲慢 な言動が顔を出すストレンジ。だがその建物の中には、謎めいた修行の場が広がっていた。ストレンジを待ち構えていたのは、意外にもスキンヘッドの背の高い 女性エンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)。東洋の老僧をイメージしていたストレンジとしては、もうそれだけで頭の中は疑いで一杯だ。とりあえず パングボーンをどうやって「治療」したのかズケズケと尋ねるストレンジ。だが、エンシェント・ワンはそれを治療ではないと言う。また、彼女は「常識に囚わ れるな」とも忠告するのだが、ストレンジはまったく聞く耳を持たない。鍼灸の人体図やCTスキャン画像を見せながら、それらを「人体の一部の見方に過ぎな い」と語るエンシェント・ワンに、ストレンジは毎度おなじみの冷笑を浮かべるだけだ。やむなくエンシェント・ワンは、ストレンジの魂を肉体から放つという 荒技を見せた。それでも何かの幻覚ではないか…と疑うストレンジに業を煮やしたエンシェント・ワンは、彼を次から次へと信じ難い世界に放り込む。合理主義 者としてはにわかに受け入れ難い世界を見せられて、激しいショックを受けるストレンジ。現実世界へといきなり戻されたストレンジは平身低頭、自分を弟子に してくれとエンシェント・ワンに頼み込む。しかし、世の中そんなに甘くはない。さすがにあまりにナメた態度を見せていたのが祟ったのか、ストレンジは例の 裏口から放り出されてしまった。それでも、一旦「知ってしまった」ストレンジは諦める訳にいかない。そもそも、もはや行く場所がない。例の裏口のドアを叩 いて、「入れてくれ」と懇願するより他はなかった。その頃「カマー・タージ」の中では、モルドがエンシェント・ワンを忍耐強く説得。「来たるべき戦い」に は、ストレンジのような男が必要だ…と熱心に説き伏せていた。かくしてモルドの説得が功を奏したのか、裏口のドアが開いてストレンジは再び「カマー・ター ジ」の中へと迎えられた。こうしてエンシェント・ワンの下で、精神世界への悟りと修行の日々を重ねることになったストレンジだったのだが…。

みたあと

  僕は根っから経理的なことや金勘定が苦手なこともあって、毎年、確定申告が苦痛で仕方がない。だから、前々から準備はしていても、確定申告を実際にやる直 前はかなりのウツ状態になる。こういう事が苦にならない人もいるんだろうが、僕はまったくダメなのだ。去年は区が開いている確定申告相談会ではなく税務署 に行ったのが災いしたか、非常に不快な気分を味わった。だから今回はいつにも増してユウウツだった訳だ。幸い、今年は非常にスムースに進んでクリア。そう なると僕としては映画でも見たくなるし、見るなら頭を使わない爽快な気分になる映画と相場は決まってる。となると、スケールがデカくてアクション満載、お まけに中身があまりなさそう(笑)な本作などうってつけだ。そんな訳で、新宿歌舞伎町の劇場へと乗り込み、デカいスクリーンのアイマックス3Dでの鑑賞と いうことになった。結果的にはこれが正解。非常に楽しく本作を見終わった。確定申告が終わった方にはオススメ…の作品と断言させていただこう(笑)。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  ただし、映画として素晴らしい出来映えなのか…と言われると、実は少々ヌルいところも目につく。というか、少々…なんてもんじゃない。映画として「既視 感」があるのは事前の予想通り。早い話が、やっぱりどうしても「インセプション」や「バットマン・ビギンズ」を連想させるのだ。そして、主人公がいきなり 魔術を覚えちゃったみたいな印象なのもいかがなものだろうか。ドクター・ストレンジ自身が優秀な資質を持っているから魔術もすぐに会得した…というだけで は、映画としてはキツい。オリジナル版「ベストキッド」 (1984)みたいに、具体的に魔術を会得するためのノウハウみたいなモノをひとつでもいいから視覚的に見せておくべきだった。これをしっかりやらないか ら、まるでストレンジが「根性」で魔術を会得したように見えてしまう。また、後半に「悪の大物」が出て来た時に、まだ駆け出しの主人公に「してやられる」 間抜けな奴…という印象になってしまうのである。さらに、この映画では総じてキャラクターの描き込みが乏しいことも目立つ。特に悪役マッツ・ミケルセンの 描き込みが足りないので、どうして悪行に走ることになったのか…が分からない。これではあまり悪人に見えないし、悪の強力さも感じられない。「強敵」に見 えなければ、娯楽映画は盛り上がらないのだ。しかもレイチェル・マクアダムスというボリューム感のある女優が恋人役を演じていながら、案外活かされていな いのももったいない。単なる彩りの域を出ないのだ。登場人物の感情の動きの描き方も拙い点が多く、最後の最後まで師匠ティルダ・スウィントンのことを疑っ ていたはずの主人公が、最終的に信じるに至る理由がイマイチ観客に伝わらない。病院で幽体離脱みたいな状態で二人で話しているうちに納得させられたと思わ れるのだが、それをセリフだけでやってしまっているのでピンと来ない。同様に、あんなに師を慕っていたキエテル・イジョフォーがいきなり「偽善者だ」と手 の平返してしまうあたりも、かなり乱暴な描き方だ。それまで修行を重ねて悟りを開いて来たにも関わらず、グレた中学生みたいにフテ腐れているようにしか見 えない。修行者としてはまことに困ったキャラになっているのだ。そもそも終盤の見せ場が時間の巻き戻し…というのも、これが出来たら何でもアリみたいに なってしまってマズいのではないか? 話の辻褄が合わない点もあるような気がする。そんなこんなで、監督スコット・デリクソンとC・ロバート・カーギルの 二人による脚本には、いろいろと不備があるように思えてならない。

みどころ

  だったら出来損ないの映画ではないか…と言われてしまいそうなのだが、そして実際に脚本はかなり不出来なのかもしれないのだが、僕は何だかんだで大いに楽 しんでしまった。それはまず、「インセプション」みたい…と思っていた見せ場が、それなりに新鮮に見えたから…という理由が大きい。これはアイマックス 3Dの効果も大きかったと思うが、とにかく「インセプション」を連想させながら「インセプション」を大きく超えている。ここまでトコトンやれば、これはこ れで新鮮な見せ場に見えてくる。また、傲慢だった主人公が挫折して、別の生き方を探る…というのはアメリカ娯楽映画のルーティン・ストーリーだ。そこに東 洋思想をブレンドしているあたりが今回の面白さだが、ともかくこういうパターンを描かせればアメリカ映画はうまい。だから、ともかく楽しまされてしまった ことは確か。…で、ここからは個人的な話になるのだが、実は僕はかつてネパール移住を考えていた(笑)。その理由はいろいろあったのだが、どうせ独り者だ し老後はネパールで暮らしたいと本気で考えていて、ネパール大使館から資料も取り寄せたりしていたのだ。だから、何となく挫折した主人公がネパールを目指 すあたりでシンパシーを感じてしまった(笑)。そこからの主人公の心境の変化も、脚本の描き込みが足らないにも関わらず、僕は勝手に脳内で穴を埋めて共感 していた。何かを諦めて手放さなければ何かを得ることは出来ない…という僕の人生哲学に内容が沿っていたことも、本作に共感した所以。だから「悪の大物」 と対峙した主人公が「勝つことは出来ないが負け続けることならできる」と言うくだりで、これは新しい発想だなと妙に納得してしまった。つまり、本作のデキ とはあまり関係のないところで楽しんでしまった点も多いのだ(笑)。それでも、とにかくスケールのデカい見せ場も楽しいし、カンバーバッチの偉そうな個性 も活かされている。「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(2014)といい本作といい、天才だけど難アリな性格…という役ばかり…と いうのはどうかと思うが、ともかくカンバーバッチは本作にハマっている。難しいことを考えず見ている分には、大いに楽しめる作品であることは間違いない。 「地球が静止する日」(2008)や「フッテージ」(2012)などのイマイチな作品と、ちょっと面白かった「NY心霊捜査官」(2014)を作ってきたスコット・デリクソン監督、今回はまぁまぁうまくいった方ではないだろうか。

さいごのひとこと

 魔法使いでもサリーちゃんみたいな可愛げがないね。

 


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