新作映画1000本ノック 2017年1月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「ザ・スクワッド」 「ホワイト・バレット」 「アイ・イン・ザ・スカイ/世界一安全な戦場」 「聖杯たちの騎士」 「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」

 

「ザ・スクワッド」

 Antigang (The Squad)

Date:2017 / 01 / 23

みるまえ

  昨年からの長丁場の仕事が一段落ついて、今ちょうど無性に映画が見たいところ。そういう時に見たくなる映画というのは、正直言って小難しい映画じゃない。 できれば何も考えないで済む、アクション映画やSF映画などがちょうどいい。ただし、ちょっと映画ファンとしては引っかかる要素も欲しいところ。そんな映 画を物色していたら、ありましたよ、ジャン・レノ主演「ザ・スクワッド」。宣伝コピーも「名優が“アクション・スター”の集大成として挑むハード・ポリ ス・アクション!」と勇ましい。そもそもジャン・レノってリュック・ベッソン映画の常連みたいだったのが、今じゃまるっきり別行動。「レオン」 (1994)がアメリカでも当たってからは、「ミッション:インポッシブル」(1996)、最初のハリウッド版「ゴジラ」(1998)などハリウッドにおけるフランス俳優代表みたいなポジションをジェラール・ドパルデューと分け合う「国際スター」になってしまった。そんなジャン・レノだったが、そういや最近ずっとその顔を見ていない。僕が最後に見たのは「ダ・ヴィンチ・コード」(2006)か、それとも青いスーツを着てドラえもんを演じていたトヨタのCMか(笑)。近年はハリウッドのフランス俳優代表の座も、すっかり「アーティスト」 (2011)のジャン・デュジャルダンに奪われてしまう始末。ついでに言うと、晩年のオーソン・ウェルズなみに肥満してすっかり奇行の人になっちゃった ジェラール・ドパルデューも、一緒にハリウッドから消えちゃったけど…。ともかくいつの間にかまったく「お呼びでない」感じが漂ってしまっていたのだ。果 たしてジャン・レノって本国じゃどんな扱いなのかまったく分からなかったこともあり、久々の「ジャン・レノ主演」のうたい文句を見てこの作品を見ようとい う気になった。ハッキリ言うと、すっかりご無沙汰だった人からの年賀状みたいな感じ(笑)。仮につまんない作品だとしても、派手なドンパチさえあれば退屈 はしまい。公開の規模は完全に「B級映画」のそれだったので、あまり期待しないで劇場へと足を運んだのだった。

ないよう

  夜のパリは、「古都」としての顔ばかりを見せている訳ではない。まばゆい明かりを放つインテリジェントビルが林立。そんな現代的な大都会の一面もある。今 まさにそんな大都会パリの公道を、2台のクルマが全速力で駆け抜けていく。そこに乗っているのは、ベテラン刑事セルジュ(ジャン・レノ)率いる特捜チー ム。その中の一番の若手黒人刑事マヌー(ウマール・ディアウ)があとちょっとで28歳の誕生日を迎えるというので、早速セルジュの片腕カルティエ(アルバ ン・ルノワール)が「ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなど偉大な人間は28歳で死んでいる」などとしょうもない話をする。だが、それを聞いた セルジュが「真に偉大なのはそんな連中でなくてジョニー・アリディだ」などと世代間ギャップ丸出しの話をし始めるので、カルティエもタジタジだ。そんな彼 らがクルマで乗り込んで行ったのは、とある企業の物流倉庫。そこに覆面をつけた賊がクルマで乱入し、銃で従業員を脅して金品を強奪するという情報が入った のだ。セルジュたちの2台のクルマが倉庫に突っ込んで来た時、賊はみな唖然呆然。そこに、堂々とクルマから降りたセルジュたち。カルティエの「警察だ!」 と一言で我に返ったか、賊はバリバリと銃を撃ち出した。たちまち始まる集団戦。次々とセルジュたちに仕留められる賊の様子に、脅されていた従業員たちも面 白がってスマホで録画。最後まで逃げ回り抵抗する相手を追いつめるのは、野球のバットで大暴れのカルティエだ。それでも往生際の悪い相手にカルティエが手 こずっていると、いきなり壁をブチ壊してフォークリフトが登場。倒れて来た壁の破片が当たって、最後の賊の一人は気絶だ。「セルジュ、遅いぜ!」と憎まれ 口を叩くカルティエだが、二人のコンビネーションは今日もバッチリだ。こうして今夜も戦果を挙げたセルジュたち特捜班は、飲み屋で大いに盛り上がる。カル ティエは身重の妻ナディア(サブリナ・オウザーニ)も連れて来ていたが、そもそも彼らはセルジュを家長とするひとつの大家族のようなもの。お互いまったく 気遣いのいらない関係だった。だが、そんな宴が進む中、メンバーのひとりマーゴ(カテリーナ・ムリーノ)が席をはずしたの後を、さりげなくセルジュが追い かける。実は、二人はかなり前から「デキてる」関係だった。だが、マーゴは警察でもエリート・コースを歩むベッケル(ティエリー・ヌーヴィック)の妻。だ から、仲間にも二人の仲について黙っていたのだった。もう限界だと訴えるセルジュだったが、あくまで知られないように…とたしなめるマーゴ。そんな悶々と するセルジュの前に、古馴染みの情報屋(フェオドール・アトキーヌ)がやって来る。この日、情報屋がセルジュに持ち込んだのは、「デダリス銀行がヤバい」 というネタだった…。さて翌日、セルジュは職場の警察署に出勤してアッと驚くことになる。何とマーゴの夫であるベッケルが、警察署の署長に昇進したのだ。 つまりセルジュたちの「上司」である。そのベッケルが就任初日に打ち出したのは、無茶ばかりするセルジュたち特捜班に対する批判。面白くないセルジュは ベッケルのスピーチ途中にコーヒーを入れるために席を立ち、露骨にバカにするアリサマだ。そんなセルジュとカルティエは、連れ立って問題のデダリス銀行 へ。カルティエはセルジュとマーゴの仲を感づいたらしく、アレコレとしつこく聞いてくる。そんなカルティエの詮索をかわしながら見に行ったデダリス銀行 は、元々がいろいろとヤバい連中のヤバいカネを預かっているようないわくつきの銀行。確かにカネを奪うとすれば、恰好の標的かもしれない。金庫室など厳重 な警備に守られてはいるが、内部の人間の手引きがあればやれないことはない…というのがセルジュとカルティエの見解だった。そんな頃、白昼堂々パリど真ん 中の宝石店に強盗が押し入った。強盗は宝石などを奪い去った後で、無惨にも店内にいた女性客を射殺する。この大胆不敵な犯行や金庫を破った手口を見て、セ ルジュはすぐに犯人の目星がついた。かつて同種の犯行を重ねていた強盗犯カスペール(ヤコブ・セーダーグレン)が臭い。調べてみると、カスペールとその仲 間たちはフランスに戻り、郊外の別荘を借りて潜伏しているではないか。セルジュたち特捜班は別荘の傍にワゴン車で張り込み、彼らの動きを監視することにし たが…。

みたあと

 この作 品を見た後で調べてみると、実はこれってイギリス映画のリメイクらしい。元々は「ロンドン特捜隊スウィーニー」という1970年代のイギリスのテレビシ リーズだったものを、昨今のリメイクブームでレイ・ウィンストン主演で「ロンドン・ヒート」(2012)として映画化。これはその映画化作品をパリに舞台 を移してリメイクしたものだ。日本語で言うと「おやっさん」とでも呼ばれそうな特捜班のリーダーがジャン・レノで、あごヒゲをたくわえたムサいオッサン刑 事セルジュとして登場。ヤンチャな特捜班メンバーを束ねる役どころは、「サボタージュ」(2014)でのシュワルツェネッガーみたいな感じだ。中でもカルティエという若手刑事は昔からこのセルジュに世話になっていたみたいで、この二人が特捜班の中心という具合。まぁ、刑事モノによくあるパターンだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  先に述べたように「刑事モノによくあるパターン」の本作。もっとズバリ言うと、日本のテレビでやっていた石原プロの「西部警察」みたいな、ハミ出し刑事と 荒っぽい捜査を描いた作品である。だから、すべてがマンガだ。カルティエ刑事が野球のバットで大暴れってところからしてふざけている。冒頭の犯行現場乱入 場面からして、明らかにマンガ風に作っている。だから、「ふざけている」からといってケナすつもりはない。これはそういう映画なのである。一番の見どころ は、映画の中盤に出て来る大規模な市街戦の場面。白昼のパリのど真ん中でガンガンバリバリと撃ちまくる、かなり派手な場面である。マイケル・マンの「ヒー ト」(1995)での市街戦場面もかくやという派手さで、作り手も絶対これがやりたくて本作を製作したんだろうな…ということが伝わって来る。確かにこの 市街戦場面は相当な見せ場で、映画全体も見ていて退屈はしないのだ。

こうすれば

  ならば面白いだろうと言われそうだが、残念ながらそうは話は単純ではない。派手で退屈はしないものの、ハッキリ言って見ていて頭が悪そうな映画なのであ る。いくらマンガ風な映画とはいえ、脚本が雑だと見る気が失せる。セルジュ自身も上司をバカにしまくっている様子が大人げがなさすぎで、見ていてあまり溜 飲が下がるという感じはしない。チーム解散、拘留…となっても、そりゃそうだろうなとしか思えない。おまけに「勘」で捜査をして被疑者を勝手に逮捕、痛め つけて吐かせろ…じゃあどうにもならない。確かにこの手のハミ出し刑事にはありがちな言動なんだけど、それにも限度というものがある。これじゃ単なる脳筋 バカにしか見えない。最も残念なのがジャン・レノ自身で、あごヒゲであまりにジジむさくなってしまった上に太鼓腹。犯人たちが軽機関銃みたいな銃でバリバ リ撃って来ても、腹を突き出しながらモタモタ前進して、弾丸を避けようともしていない。それでいて一発も弾丸に当たらないのだから、せっかくの緊迫した市 街戦もブチ壊しである。相棒にあたるセルジュを演じる役者も他で見たことない奴で、あまり魅力を感じない。そもそも特捜班のメンバーも目立つのは3〜4人 だけ。アンサンブルとしての面白さもない。監督のバンジャマン・ロシェもひたすら馬鹿力演出で押し通すだけ。残念ながら、ジャン・レノも晩年は寂しいこと になりそうだ。

さいごのひとこと

 「レオン」は遠くなりにけり。

 

「ホワイト・バレット」

 三人行 (Three)

Date:2017 / 01 / 16

みるまえ

  今年は昨年よりはもうちょっと映画を見れる年にしたいと、年明けからガンガン見るようにしている。特に前年12月から公開される「正月映画」の話題作よ り、新年早々正月第一弾で公開される作品に面白いものが多いから、ネットの情報を拾いながら連日映画館通い。そんな中で引っかかったのがこの作品だ。ジョ ニー・トー監督の「ホワイト・バレット」。この人は器用にいろいろなジャンルの作品を撮りまくるが、やはり「映画作家」としての刻印を色濃く残しているの は犯罪映画や暗黒街映画。あの「ザ・ミッション/非情の掟」(1999)の素晴らしさは忘れもしない。その後も「PTU」(2003)、「ブレイキング・ニュース」(2004)など面白い映画は数多くあったが、なぜかフランス合作の「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」 (2009)を最後にプッツリ見なくなっていた。というのも…これを言ったらファンの人に怒られてしまいそうだが、近年のジョニー・トー作品はどんどんヒ ロイックで気取った悲壮感漂う映画が連発され過ぎて、僕あたりは少々食傷気味になってきていた。もうちょっと肩の力を抜いてくれてもいいんじゃないのか な…というのが、僕のジョニー・トー作品に対する偽らざる気持ちだった。だから…という訳でもないのだが、ここ数年なぜかジョニー・トーの作品とは長く疎 遠になっていた。今回その名前を見たのは、本当に久しぶりのことだったのだ。だが、その名を久々に目に留めてみると、改めて新作が見てみたくなった。今回 は病院を舞台にしての犯罪モノというのも、ちょっと毛色が変わっていいかもしれない。そんな訳で、僕はいそいそと劇場に足を運んだ。

ないよう

  大病院の外科病棟では、今日も難度の高い手術が行われている。患者の頭蓋骨を切り開いて、患部を切除。強烈な緊張感の中で執刀するのは、外科副部長を務め る女医師トン(ヴィッキー・チャオ)。だが、その結果が常に報われるとは限らない。朝の検診の時間、集中治療室で看ている患者たちを外科部長ら医師たちが 一人ずつ看て歩くなか、たまたま数日前にトン医師が執刀した若い男は両手両脚の自由が利かなくなってしまっていた。そのために自暴自棄になってしまったそ の男は、まったくリハビリの努力をしようともせずトン医師を逆恨み。検診でも大きな声を挙げてトンを罵倒する始末だ。さすがにこれにはトンも気持ちが萎え る。上司の外科部長がそんなトン医師のプレッシャーを取り除こうと軽口を叩いて励ますが、生真面目過ぎてシャレが通じないトン医師はますます頑になってし まう、元々がリラックスのために手術中に流しているBGMさえ止めさせるトン医師は、ますますピリピリとした空気を周囲に醸し出すようになっていた。そん なある日、病院にまた新たな患者が運び込まれて来る。モノモノしい雰囲気の男たちとともに病棟にやってきたその患者は、何と頭部に銃弾を受けていた。彼を 病院に運んで来たのは、香港警察のチャン警部(ルイス・クー)率いる捜査班の面々。どうやら捜査の過程で、刑事の撃った弾丸がこの男の頭部に命中したらし い。だが、どうも刑事たちの様子がどうもおかしい。みな一様に険しい表情を見せ、チャン警部などは怖い顔をしたまま、患者にピッタリへばりついたままだ。 患者にはめられた手錠をはずすように医師に指示されたものの、太っちょ刑事(ラム・シュー)はどこに手錠のカギをなくしたのかオロオロ。見かねた他の刑事 がそれをはずしてやる始末だ。意識のない患者のCTをとってみると、頭部にはまだ弾丸が残っている様子。トンをはじめとする医療チームは慌ただしく手術の 用意を進めるが、チャン警部はなかなか手術室から出ようとしない。そんなこんなしているうちに、患者が意識を取り戻していきなり大暴れ。何とか医師たちが 彼を押さえ付けるが、シュン(ウォレス・チャン)というこの患者はなぜか手術を拒む。彼の命を救うために何とか手術をしたいトン医師だが、本人が拒絶する 以上はどうすることも出来ない。こうして集中治療室のベッドに横たわったシュンを、チャン警部ら刑事たちが監視するという奇妙な状況となった。最初はシュ ンのベッドの回りにカーテンを引いて何やら尋問しようとするチャン警部たちだったが、それはトンら医師団に止められて断念。だが、チャン警部たちはシュン にかじりついて一歩も退かない。実はシュンは武装強盗団の一味で、彼を尋問していた途中で「事件」は起きたらしい。チャン警部はシュンの仲間たちの居場所 を吐かせようと躍起になっていたが、焦っていたのはそれだけではなかった。一方、トン医師もまた何とかシュンを手術に同意させたいと思っていたが、シュン はどうしても同意しない。知り合いに連絡してシュンを説得させたいと思っても、外部への連絡はチャン警部が止める。仕方なくシュンから電話番号を聞き出し てチャン警部に携帯で連絡させるが、「誰も出ない」と言われて話は振り出しに戻ってしまう。そんなチャン警部の足下を見るかのように、シュンは妙なウンチ ク話を延々と語り続けるというテイタラク。しまいにはシュンに「差し入れだ」と紙袋を渡すチャン警部だが、そこに入っていたのは食べ物ではなく一丁の拳 銃。それに触れたシュンはなぜかニヤリとほくそ笑むと、その紙袋をチャン警部に突っ返した。チャン警部はチャン警部で、してやったりという表情でそれを持 ち帰る。果たしてその意図は何か? 実はシュンが頭部に弾丸を受けてしまった理由は、彼から仲間の居場所を聞き出そうと焦るチャン警部にあった。チャン警 部は部下のサン刑事に「銃で脅せ」と命令したのだが、何を聞き違えたのかサン刑事はシュンに向けて発砲してしまった。それがバレてはマズいと思ったチャン 刑事は、拳銃にシュンの指紋をつけて彼と応戦したことにしようとしたのである。これについては部下からも疑問が出て、拳銃を本庁に持って行くようにと命じ られた女刑事も「捏造はマズい」と大いに葛藤するが、もしこの一件が問題となったら自分たちの立場が危うくなるとなれば話は別。こうなると仲間の居場所を 知るより、いっそシュンを消してしまいたいと思い始めているチャン警部たちであった。だがそんな刑事たちの胡散臭さは、隠そうとしても隠しきれない。そも そも病院内に居座る刑事たちの高圧的態度も気に入らないトン医師は、何とか彼を救いたいと直接シュンに電話させたいと思うようになる。そんな彼女の気持ち を煽るように、「何があろうと医師は患者の安全を最優先にすべき」などとグダグダ話し続けるシュン。それでなくても精神的緊張のピークだったトン医師は、 チャン警部らを無視してシュンに電話を差し出し、彼に直接何者かへ連絡させてしまう。だがそれは、シュンによる巧妙なワナだった。シュンは例の番号に電話 を入れると、挑発的な笑みを浮かべてその相手に対して一気にこう言い放った。「オレを撃ったのはサンという刑事だ、奴に報復しろ!」…。

みたあと

  調べてみたら、本作はジョニー・トーが主宰する映画会社「ミルキーウェイ」の20周年記念作品…というおめでたいメモリアル映画らしい。そのせいか、向こ うでは大当たりしたようである。今回もジョニー・トーらしい銃弾飛び交う「ノワール」ものと言うべきなんだろうが、ここ最近のスタイリッシュなダンディズ ムを前面に押し出した作品とは違って、病院を舞台に限定したちょっと特異な作品。そしておなじみラム・シューなどのジョニー・トー作品常連の俳優のど真ん 中に、新顔のヴィッキー・チャオを持って来ているのも「いつもと違う」印象を強めている。ひとクセある犯罪アクションとなっているのが見どころだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  上記に「見どころだ」と言い切っちゃったのでここで改めて言うのもどうかと思うが(笑)、病院…特に集中治療室をメインの舞台とする一種の「室内劇」であ る本作。そこで腹にイチモツある刑事、負傷した犯罪者、精神的に追いつめられた女医師…の3者の心理的駆け引きがお話の中心となってくる。そこが従来の ジョニー・トー作品とは一味違うところだ。そして心理戦メインの「室内劇」として抑えに抑えたあげく、クライマックスには集中治療室での派手な銃撃戦が展 開し、そこで極端なスローモーションを使ったカメラが360度回転するような見せ場となる。ちょっと例えは古いが「ソードフィッシュ」(2001)冒頭の銀行での爆発シーンとか、最近では「キングスマン」(2014)での教会内での乱闘シーンを彷彿とさせる場面だ。本作ではこの見せ場のあとにも、もう一回手に汗握る見せ場が出て来て、なかなかサービス精神旺盛な作品となっているのだ。

こうすれば

  ならば「サイコー!」と言いたいところだが、実は僕はちょっと本作には不満がある。まず、本作はアクション映画なのに室内劇で、主要登場人物の腹の探り合 いや駆け引きが見どころの作品なのだが、その割に「駆け引き」の緊迫感が盛り上がらない。その理由はハッキリしていて、脚本が少々雑なのだ。そもそも ヴィッキー・チャオ扮する女医師の心理が不自然でよく分からないし、その女医師をいきなりひっぱたいちゃう刑事というのも分からない(笑)。絶対にマズい だろ、あれは。ラム・シューの刑事はゴミ箱の爆弾を放置したままで怪しい奴を追いかけて行っちゃうし…。確かに間抜け刑事という設定ではあるが、間抜けに も程があるだろう。話の前提として犯罪者の脳に弾丸が残されているという設定は必要だと思うが、それがさほど活かされていないのももったいない。また、例 のスローモーションとカメラ360度回転の見せ場でなぜか「論語」の一節「三人行めば、必ず我が師あり」が引用されるが、それにも疑問を感じる。言いたい ことは分かるし、確かにそのフレーズに沿ったかたちで主人公3人は3様の結末を迎えるので「なるほどな」と思わされるのだが…。見せ場の真っただ中にその フレーズが唐突に出て来るってのはどうなんだろう? 「論語」の引用ってあたりが大袈裟な割に、それが出て来る必然性が見られない。作り手が自分を「利口 そうに見せたい」…みたいな背伸び感しか感じられない。せめてあの「論語」の一節が映画の冒頭にでも出て来るならこんなに違和感もなかっただろうが、 ちょっと見ていて恥ずかしいのだ。また、そのカメラ360度回転みたいな見せ場のあとにも、病院の空中通路みたいなところから犯罪者がぶら下がっちゃうと いう「ダイ・ハード」的な見せ場が出て来るのだが、これの背景をほとんどCGで作っちゃっているというのも致命的。高所にぶら下がって落ちそう…というサ スペンスを、全部ミエミエのCGでやっちゃったらいかんでしょう。迫力も何もないヌル〜い出来映えになっちゃうのは如何ともし難い。これってどうにかなら なかったのか。そういう訳で…意欲作だとは思うのだが、結果は意欲が空回りした作品となってしまったようで残念。見ている間は退屈しないのだが、ジョ ニー・トーともあろう人なら、もうちょっとうまくやれてたんじゃないかと思うのだ。もったいない作品である。

さいごのひとこと

 タイトルのホワイトはシラけるって意味か?

 

「アイ・イン・ザ・スカイ/世界一安全な戦場」

 Eys in the Sky

Date:2017 / 01 / 09

みるまえ

  昨年は後半がまったく映画を見れず感想文も書けず…と散々な1年になってしまって、今年はガンガン見なければ…と改めて思わされた。そんな訳で、大事な 「今年最初の1本」に何を見ようかと考えて選んだ1本がこれ。ドローンを使っての攻撃を扱った映画らしい…ということしか分からないが、あのヘレン・ミレ ンが迷彩服を着た軍人を演じているらしい。そのヘレン・ミレンの写真1枚を見ただけで、何となく気になって選んだ。もうひとつの要素はドローンだろうか。 実は、僕は昨年ドローン絡みで仕事をやる予定だった。あいにくとその仕事は流れてしまったが、ドローンには今でもすごく関心がある。前に公開されたイーサ ン・ホーク主演「ドローン・オブ・ウォー」(2014)もすごく見たかったのに、ついつい見逃してしまった。だから、「ドローン映画」である本作は何とし ても見逃したくなかった訳だ。しかもしかも、どうやら本作はあのアラン・リックマンの遺作だというではないか。ならば、今年は本作から映画初め…でも妥当 ではないだろうか。新春早々、僕は銀座まで足を伸ばしてこの作品を見に行ったという次第。

ないよう

  アフリカはケニアの首都ナイロビ。庶民たちが住む住宅街に、その家はあった。自転車修理などで生計を立てていたムーサ(アーマーン・ハッジオ)の家であ る。ムーサは自分の幼い娘アリア(アイシャ・タコウ)のためにフラフープを作ってやると、アリアは喜んでそれを回し始めた。見るからに微笑ましい光景であ る。そこがイスラム過激派アル・シャバブの支配地域の街だということを除けば…。舞台変わって、イギリス・ロンドン。早朝に目覚めたイギリス軍大佐のキャ サリン・パウエル(ヘレン・ミレン)は胸騒ぎでパソコンを開き、ケニアで潜入捜査をしていた工作員がアル・シャバブに殺されたことを知る。それと同時に、 キャサリンのもとには重大な情報ももたらされていた…。それから間もなく、アル・シャバブの幹部捕獲のために大掛かりな作戦が行われようとしていた。作戦 の前線基地は、キャサリンがいるロンドンの司令部。彼女と緊密に連絡をとる国防相のフランク・ベンソン中将(アラン・リックマン)は、通称「コブラ」と言 われるイギリスの国家緊急事態対策委員会に出席して、閣外大臣ブライアン・ウッデール(ジェレミー・ノーサム)、政務次官のアンジェラ・ノースマン(モニ カ・ドラン)、検事総長ジョージ・マザーソン(リチャード・マッケイブ)と連携して作戦に関する諸々の指揮と決定を行うことになっている。そして作戦のた めの偵察・監視役としては、アメリカ・ネバダ州にあるクリーチ空軍基地が協力。エド・ウォルシュ中佐(ギャビン・フッド)率いるドローン部隊が、「空の 眼」として状況把握にあたることになる。この日のドローンの操縦は、ここでの勤務2年に及ぶスティーブ・ワッツ少尉(アーロン・ポール)と、たまたまこの 日が初めての勤務である上等航空兵キャリー・ガーション(フィービー・フォックス)によって行われることになっていた。また、現地ケニアにおいて現場での 監視等を行うのは、工作員のジャマ(バーカッド・アブディ)とダミシー(エビー・ウェイム)。その他にも、ケニアの特殊部隊が出動命令を待って待機してい た。さらに、今回の米英ケニア合同作戦において重要な要素である容疑者の顔認証画像解析を行うのが、ハワイ真珠湾にある米軍基地のルーシー・ギャルベズ (キム・エンゲルブレヒト)。これら「7元中継」によって、今回の作戦は行われることになっていた。その目的は、先にも述べたようにアル・シャバブ幹部の 捕獲である。イスラム原理主義にかぶれて、過激思想のスーダン人アブドゥラ・アル・ハディ(デク・ハッサン)の妻となり、現在はアーイシャ・アル・ハディ と名乗るイギリス女性スーザン・ダンフォート(レックス・キング)を、その夫ごと逮捕するのが狙いだ。そのために、キャサリンはじめ関係者は6年の歳月と 多大な犠牲を払って取り組んで来た。ようやくこのスーザンがナイロビでの協力者の家にやって来るとの情報を掴み、この作戦を立ち上げたという訳だ。ここま で費やした時間と労力を考えれば、失敗は絶対に許されない。案の定、ナイロビの空港にスーザンと夫アル・ハディによって組織に引き込まれたアメリカ人モハ メドとイギリス人ラシードが到着する。彼らは予想通り例の協力者の家へやって来た。ここにスーザンとアル・ハディが合流すれば、奴らを一網打尽にできる。 キャサリンは現場でスタンバイしている工作員とジャマとダミシーに連絡。家の中の様子を探るべく指示を出した。しかし、外からではなかなか中は探れない。 ダミシーは小鳥型のドローンで窓からの確認を試みるが、ブラインドが閉まっていて見えない。ところが間もなく協力者の家からモハメドとラシードが出て来 て、クルマに乗り込んでどこかに移動しようとしているではないか。しかも、一緒に布をかぶった女も出て来て、クルマに同乗。キャサリンはこれがスーザンで はないか?…と真珠湾のルーシーに確認を求めるが、布で顔を隠しているので分からない。想定外の事態に慌てる関係者たちだが、ともかく工作員のジャマが彼 らが乗ったクルマの後を尾行することになる。だが、運悪くクルマは雑然とした住宅街の一角へ進入。そこはアル・シャバブ支配下の地域で、特殊部隊も手を出 せない場所だ。一行はこの場所の家に落ち着いてしまい、作戦は何らかのプラン変更を迫られる事態となった。クルマでの接近を断念したジャマは路上の商人か ら売り物のバケツを買い占め、バケツ売りに化けて問題の家に接近することになる。その手段は、小型ゲーム機に見せかけたコントローラーとそれによって操縦 される甲虫型ドローンだ。首尾よく家の中に潜入した甲虫型ドローンは、屋根裏からモニターカメラで家の内部を写し出す。すると…やはり問題のスーザンとそ の夫のアル・ハディもその場にいた。ところが、事態は思わぬ方向に展開。甲虫型ドローンは彼らの他に、別室で小型爆弾を大量に用意して自爆テロの準備をし ている様子を写し出してしまったのだ。スーザンたちが集まったのは、このためだったのである。この様子を見てとったキャサリンは、ただちに彼らの捕獲では なく「殺害」を決意。その旨、ベンソン中将に連絡をとる。だが、問題は「コブラ」の面々である。元々が「捕獲」を前提に立てられた計画で「殺害」ではな い…と政務次官のアンジェラは反対。他の2人は決断できずに微妙な状況だ。しかも、殺害の中には自国民だけでなくアメリカ人も含まれる。結局、決断はイベ ント出席中の外相ジェームズ・ウィレット(イアン・グレン)に委ねられることになる。運悪く腹を壊したウィレットを捕まえるのに時間がかかったあげく、彼 の判断は「アメリカ国務長官に判断を仰げ」というもの。この機会を逃したら連中を一網打尽に出来ない…とキャサリンとベンソン中将は焦りに焦るが、政治家 たちは責任を取りたくないのだ。仕方なく中国で外交活動中のアメリカ国務長官に連絡。「構わないから攻撃せよ」との判断が出る。こうして、ようやくアル・ シャバブ幹部殺害が決定した。では、その方法は? 上空で監視のために待機中のドローンがその手段である。ドローンは監視カメラの他に、高精度で発射でき るミサイルを搭載していた。このミサイルを問題の家に撃ち込み、テロリストたちを皆殺しにするというプランである。この命令はただちにネバダ州のクリーチ 空軍基地に伝えられ、ドローン・パイロットのワッツ少尉とキャリーにロンドンのキャサリンより直接指示が伝えられる。この突然の命令変更に、ふたりは一気 に緊張した。この日が初日のキャリーはもちろんのこと、ワッツ少尉も「監視」はやってきたものの「攻撃」は今回が初めてだったからだ。こうしていよいよ作 戦遂行…という段階になって、ワッツ少尉は監視カメラの映像を見て驚愕する。何とよりによって問題の家のすぐそばにあのフラフープの少女アリアが登場、母 が焼いたパンを売るための店開きを始めるではないか。家の至近距離にいるアリアは、ミサイル攻撃で深刻なダメージを受けるに違いない。ワッツ少尉はこの事 態を受けて、キャサリンに作戦の再検討を求める。さらに「コブラ」でも論議が紛糾。キャサリンはあくまで作戦実行を主張するが、自爆テロによって失われる であろう約80名と推定される人命と少女アリアの命とどちらが大事か…誰一人としてそこには明確に答えられない。この新たな局面に至って、ロンドンの司令 部、「コブラ」、ネバダ州クリーチ空軍基地、ナイロビの現場では右往左往の論議と状況打開の試みが延々繰り広げられることになるのだが…。

みたあと

  僕は冒頭に「ドローン映画だから見たい」というようなことを述べてはいたが、「ドローン映画」に期待を持っていたか…と問われると、実はそうではなかっ た。実際のところ、「ドローン映画」というものは見る前から結論が出ちゃっている可能性が高い。どうせ、空から手を汚さずにゲーム感覚で人殺しなんてけし からん…という話になるに決まっている。いや、まさにその通りなのだが…そういう風に結論が最初から決まっているのならわざわざ映画を見るまでもないし、 そもそも作るのも無駄な話だ。そんな訳で、どうせ不毛な話になるんだろうな…と半ば諦めて見たようなところもある。お話はつまらなくても、軍服姿の勇まし いヘレン・ミレンが見れるし(笑)。ところが、実際の作品はかなり予想とは異なっていた。どちらかというと、一種の室内劇、会話劇の構成をとっているので ある。そして、その内容が非常に興味深いのだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  実は、あまり大きな声では言えないのだが、僕は世間一般で批判されている「ドローンを使った戦争」云々の論議は、あまり意味があるものだとは思えない。先 にも述べたように、「空から手を汚さずにゲーム感覚で人殺しなんてけしからん」てな話に終始しちゃうんだろうし、そこから一歩も出ないだろうこと、一切の 反論も許されないだろうことが想像できる。それって何となく、「CGで作る映画はけしからん」みたいなテクノロジー批判にしかならない気がする。こんなこ とを言ったら叱られそうだが、ドローンを使った戦争はダメだけど、銃剣で突いてえぐる戦争はオッケーなのか…と意地悪な文句のひとつも言いたくなる。みな さんが言いたいことはよく分かるのだが、そういう事は誰でも言えそうな凡庸な批判でしかないように思うのだ。で、むしろ本作はそういう凡庸さとは極北にあ る。僕は本作の内容も先のドローン論議の延長みたいなもんだろうと思っていたが、そんな単純なものではない。本作ではヘレン・ミレン演じるイギリス軍大佐 が作戦リーダーとなって、衛星を介してさまざまな人々が関わりながら作戦が遂行される。そこでは現場ケニアにいる工作員たち以外はある意味で「高みの見 物」になる訳だから、確かにテクノロジー批判をしようと思えばできなくはない。だが、本作の主旨はそこにはないのである。当初、予測していなかった事態が 起きて、速攻で敵を叩かなくてはならない…となった時に、イギリスの政治家たちはアレコレと理屈をこねて決断がズルズル遅れる。さらに、そこに少女の人命 が失われるかもしれないという要素が追加されて、ますます攻撃するか否かの決断は遅れに遅れる。このあたりの描き方から「政治家は決断ができない」…とい う批判と見ることも可能ではあるが、軍事行動にすぐゴーサインが出るというシステムが果たしていいものかと言えばこれも疑問である。そもそもドローンで空 中から監視しての作戦遂行においても、そこでボタンをひとつ押す兵士のメンタルにはそれ相応の負荷がかかっている。そんな単純に云々できる話ではなくなっ ているのだ。もっと分かりやすい例を挙げれば、ひとりの罪もない少女を犠牲にする方がいいのか、その少女を助けてテロリストを野放しにして、別の罪のない 80人以上の人々を犠牲にする方がいいのか…という究極の選択がある。今の社会では、おそらく善と悪、適切と不適切…といった判断が極めてしにくい状況に なってしまっているのだ。結局、終始攻撃を否定していた女性政務次官がラストに「戦争を安全な場所からやっているとは恥ずべき作戦ね」などと「ありがち」 な批判の言葉を吐くのだが、それに対してアラン・リックマン扮する国防相がバッサリ切って捨てる発言をしているのがショッキングだ。結局は彼女もその「安 全な場所」から言いたいことを言っているだけなのである。さらにこの女性政務次官は、その前に「仮に多大な犠牲が出ても、それをネタにテロリストを非難で きる」などと言っているのだから、何をか言わんや。結局、この人物も人命などどうでもいいことが分かる。では、即時攻撃でテロリスト壊滅を主張していたイ ギリス軍側が正義なのかと言えば…ヘレン・ミレンのイギリス軍大佐が映画のはじめの頃にドローンに搭載した武器を減らしたことを非難していて、最初からテ ロリストを殺る気満々なことを示唆するなど、すべて単純には描いていない。この映画全体が「現代」という時代の混沌を見事に表現しているのである。付け加 えると、ヘレン・ミレンに中心的な軍人を演じさせたのは大英断。それだけでも、本作は見応えを増したと思う。

さいごのひとこと

 戦争のデリケート・ゾーン。

 
 

「聖杯たちの騎士」

 Knight of Cups

Date:2017 / 01 / 09

みるまえ

  テレンス・マリックの新作が、いつの間にか公開されていたなんて…。まったく評判を聞いていなかったので、ちょっとビックリしていた。どうやら脚本家が主 人公らしく、その女性遍歴みたいな話だということだ。すると、またまたマリックの自伝的要素の作品ということだろう。僕はクリエイターの自伝的な話という のは大好きで、おまけに映画界の裏話も大好物。これはちょっと期待してしまう。お話からすると前作「トゥ・ザ・ワンダー」(2012)の延長線上の作品という気がするが、マリックには何しろ「ツリー・オブ・ライフ」(2011)というメガトン級のトンデモ作品(笑)があるので、予断を許さない。これは絶対に見なくちゃいけない。例え失敗作でも見ておくべき…と映画館に飛び込んだ。

ないよう

  荒野に佇むひとりの男…リック(クリスチャン・ベイル)の脳裏に、自らの半生の回想が浮かぶ。そのイメージは、彼のなかでいわゆる「聖杯伝説」と結びつい ていた。王が王子にある使命を託して旅をさせるのだが、王子は目的地に辿り着いてもその使命を見失ってしまう。王は遠く離れた王子に使命を思い出させるた め、次から次とメッセージを送り続けるのだが…。リックはハリウッドの脚本家だ。この業界の常として、彼はパーティー、酒、ドラッグ、女…にモミクチャに され、自堕落な生活に溺れていく。ある日、ロサンゼルスの自宅にいたリックは、地震に遭遇して慌てて外に飛び出した。その時に覚えた不安感は、自分の豊か な生活が極めて危うい基盤の上に築かれた「砂上の楼閣」であることを思い起こさせた。一応、リックはこの界隈では成功者だ。業界の「大物」にも「君を成功 させ儲けさせてやる」と直接言われた。正直言ってあまり愉快な思いはしなかったが、それに逆らえる力もないし逆らう道理もない。そんな日々が、リックに漠 然とした不安と空虚さを感じさせたのか。彼の心のすき間を埋めるかのように、次から次へと入れ替わり立ち替わり現れる女たち。そんな女たちの中に、奔放な 女デラ(イモージェン・ブーツ)がいた。だが、彼女もいつの間にか消えてしまう。たまに会う弟バリー(ウェス・ベントリー)は元気を装っているが、彼も心 のキズは隠しきれない。そんな弟の陰りを分かっていても、どうすることも出来ないリック。それは一番下の弟の死に端を発していた。高圧的な父(ブライア ン・デネヒー)に反発していた一番下の弟だったが、ある日、ナゾの自殺を遂げる。その死によって、最もダメージを受けたのも父だった。その死の影響が、一 家をバラバラにしてしまったのか。そんなリックが娶った妻ナンシー(ケイト・ブランシェット)は、献身的に医師を務める知的な女だ。そんな彼女から見れ ば、映画界の虚栄は耐え難いものだったのか。愛し合っていた夫婦は、結局激しく対立して破綻してしまう。相変わらずハリウッドのパーティに繰り出し、セレ ブのひとりトニオ(アントニオ・バンデラス)と乱痴気騒ぎの日々。次から次へと現れては消える女たちの中で、ついに「これは」と思える女を見つけたリッ ク。だが、その女エリザベス(ナタリー・ポートマン)は人妻だった。それでも一気に燃え上がる二人は、いつしか結婚することを考え始める。しかし、そんな 二人に想定外の事態が襲いかかるのだった…。

みたあと

  お話からして、「トゥ・ザ・ワンダー」っぽい話だとは思っていた。すると、冒頭に荒野で深刻な顔をして立ち尽くしているクリスチャン・ベイルが出て来て、 それから間もなく宇宙から見下ろした地球にオーロラが発生したり人工衛星が回っていたり…という特撮場面が出て来る。これは「ツリー・オブ・ライフ」のト ンデモ場面の再現か?…と、個人的にはここで一気に期待が高まった(笑)。しかし、こうした場面はこの短いショットだけ。あとは延々とロサンゼルス、ラス ベガスで展開する環境ビデオみたいな映像の連続だ。セリフらしいセリフもドラマらしいドラマもなく、延々と流し撮りされた映像にかぶせて、主人公や登場人 物のモノローグと誰だか分からないナレーションが入る。ハッキリ言って、これは体調が悪い時にはかなり辛い映画だと思う。ただし、アルフォンソ・キュアロ ン作品を多く手がけて来たエマニュエル・ルベツキの撮影のおかげで、映像は抜群に素晴らしい。昔のカフェバー(笑)みたいな店の壁にでもプロジェクターで 映し出せば、オサレ感満点でいい雰囲気かもしれない。ただ、この単調さは何とも如何ともし難いものがある。一言でいうと、「トゥ・ザ・ワンダー」の拡大水 増しバージョンに「ツリー・オブ・ライフ」の一部を継ぎ足し…というところだろうか。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  「トゥ・ザ・ワンダー」がマリックの女性関係についての話で、「ツリー・オブ・ライフ」の中の家族の話がマリックの家庭環境の話…と、どちらも作者の自伝 的要素が濃厚なお話だったことは間違いない。主人公リックが映画の脚本家である本作は、明らかにその延長線上にある。間違いなく、本作は自伝だ。しかし、 そのリアリティのなさといったら、逆にここまでリアリティなく作れるのが不思議なほど。自分の個人的な苦しみや痛みを映像化しようというのならば、当然そ こには個人的なディティール描写や説得力ある何かが描かれるはずなのに、それがまったくない。ハリウッドの大物に「稼がせてやる」と言われたとか、セレブ のパーティーで乱痴気騒ぎとか、僕ら一般人でも頭に思い浮かべられるような陳腐なイメージに終始。家庭崩壊の経緯でも、一体なぜ何に対して対立が起きて、 どう して自殺に至ったのかのディティールが皆無。だから、映画全編が予告編の長いものを見せられているかのようだ。クリスチャン・ベイルも自分がどんな役を やっているのか分かっていなかったらしく、終始ずっと曖昧なしかめ面をしたまんま。たぶん、それしかやりようがなかったのだろう。「ツリー・オブ・ライ フ」でショーン・ペンの建築家の仕事ぶりや「トゥ・ザ・ワンダー」のハビエル・バルデムの神父の苦悩に、まったく真実味がなかったのに似ている。要は全編 に渡って、テレンス・マリック版「ホテル・カリフォルニア」的な情景が淡々と描かれているに過ぎないのだ。いや…マジな話、イーグルスの「ホテル・カリ フォルニア」のPVとしてこれを作ったのなら、かなりいい線いってるのかもしれない(笑)。だが、彼の個人的人生体験の映像化とすれば、これはかなり由々 しき事 態なのではないか。マリックにとっては深刻で重大な経験だったのだろうが、どれもそんな切実さを感じさせるどころか、凡庸なイメージにとどまっているので ある。それがもっとも顕著なのが、主人公の女性遍歴の部分だろうか。彼の人生を彩る女たちが全編で合計5〜6人は登場するのだが、それらのほとんどの場面 がどれも似通っているのはかなり苦しい。新しい女ができるたびに海辺行ってイチャイチャ…を毎度毎度5〜6回繰り返しているのだから、「これしかやること ないんか!」と言いたくなる。海辺で女とイチャつくのは「トゥ・ザ・ワンダー」からの十八番なので、これはマリックの「モテの原体験」ではないかと思われ る。それが新たな女の登場のたびに繰り返されるということは、モテのサンプルが極端に少ないからではないだろうか。どう考えても、モテた女の数が水増しさ れているのがヒシヒシと感じられるのだ(笑)。でなけりゃ、マリックの女性遍歴が極めて凡庸なものだったと言わざるを得ない。まぁ、女とかセックスの話を する時にはどんな男だって上げ底で大げさに膨らますのが常だから、マリックも普通の男だったんだなということなのだろう(笑)。そんな中で唯一違いが感じ られたのはケイト・ブランシェットの扮する妻とナタリー・ポートマンの人妻だから、この二人には原型があったのかもしれないと思う。この二人だけ「格上」 の女優を起用するという露骨すぎるキャスティングからも、そのあたりの意図が伺える。それにしたってどこかで見たような薄っぺらい描き方なのだが…。あと はほとんどがどこかの女のクローンで、まるっきりの作り話だろう(笑)。マリックがハリウッドで女にモテモテやりまくりってのはちょっと違和感あるので、 実際は大 したことなかったのに「ホテル・カリフォルニア」的に膨らましたというのが真相かもしれない。そもそもお話の根本は、「運命の女」探しの物語である。僕の 高校からの友人にちょっと下半身にだらしない男がいて、その男がかつて酔っぱらうといつも「本当の愛ってどこにあるんだろ?」と歯が浮きそうなセリフを吐 いて周囲を大いにシラけさせたものだが、本作のテーマはまさに「それ」(笑)。冒頭に「宇宙から見下ろした地球」の特撮をチラッと見せたのも、「この地球 のどこかに運命の女はいるんだろうか?」っていう、中学生が考えているようなことを絵にして見せているのかもしれない(笑)。そんなしょうもない話を「聖 杯伝説」に絡めて、クラシック音楽などを流して高尚に見せていく「大袈裟さ」がテレンス・マリック流なのだ。こ うして見ていくと、この人は劇的構成力やストーリー・テリング力は致命的にないのだが、映像造形手腕やスケールの大きい作品の創作力には余人をもって代え 難いものがある。こうなると元々自前の思想はカラッポなのだから、もう自伝とかはやめて小説の映画化とかを専門にした方がいいのかもしれない。そういう意 味で…本作は失敗作ではあるが、テレンス・マリックという映画作家の本質を見極めるには極めて重要な作品ではないかと思うのだ。

さいごのひとこと

 海辺のデートばかりの男が、女にモテるとは思えない。

 

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」

 Rogue One : A Star Wars Story

Date:2017 / 01 / 09

みるまえ

 昨年、ルーカスフィルムごとディズニーに買収されてしまった「スター・ウォーズ」。早速、作られた新作「フォースの覚醒」 (2015)はイヤな予感しかしなかったが、何と意外にもよく出来ていてビックリ。しかし、やはりディズニーの「スター・ウォーズ」ってどうも釈然としな い。おまけに今度は本流の「スター・ウォーズ」以外にも「外伝」を作ろうというからイヤになる。どれだけ「スター・ウォーズ」を作って稼げば気が済むの か。「外伝」というかスピンオフ作品といえば、「スター・ウォーズ」にはすでに「クローン・ウォーズ」(2008)とかいうパッとしないアニメ作品があっ た。またまたあんな感じのやつなら、見る必要もないか。そもそも、これから毎年のように「スター・ウォーズ」見なきゃいけないなんてウンザリ。一応一作目 からつき合って来たけど、こんなに大量生産されるならちょっと考え直したいところ。おまけにまたしても主役が女で、主要キャストに中国人が2人もいる。誤 解してもらっちゃ困るが、僕は別に主役が女だからイヤという訳でも、キャストに中国人がいるのが気に入らない訳でもない。だが、ディズニーになってから急 にこういうキャスティングってのは、完全にマーケティングを考えてやってるのがミエミエ。そのあたりのカネへの汚さがいかにも「ディズニー」って感じ。た だ、キャスティングを見ると、いやいや…フォレスト・ウィテカーとか「天国の口、終りの楽園。」(2001)からおなじみのメキシコ出身ディエゴ・ルナとかデンマークのマッツ・ミケルセンとか…。例の中国人俳優にしたって、古くは「芙蓉鎮」(1987)や「紅いコーリャン」(1987)、さらに監督までやった「鬼が来た!」(2000)などで馴染みのチアン・ウェン、最近では「捜査官X」(2011)でも活躍の香港アクション・スターのドニー・イェンと、何とも気になる役者が揃っているから無視できない。主役のフェリシティ・ジョーンズだって、たまたま僕が見てなかった「博士と彼女のセオリー」(2014)のヒロイン女優ではないか。おまけに監督は、「モンスターズ/地球外生命体」(2010)の後で「ゴジラ」 ハリウッド・リメイク(2014)を撮ったギャレス・エドワーズと来る。これはどうしても気にならざるを得ない。ところが公開前に、非常に気になるニュー スが飛び込んで来た。何とかなりの部分を撮り足し、撮り直しする羽目になったというのである。これは何かマズいことが起こったのではないだろうか。そんな こんなと、これ以上「スター・ウォーズ」全部につき合うのはカンベン…という気持ちもあって、公開されても様子見を決め込んでいた。だが、忙しい仕事も一 段落。おまけに世評がすこぶるつきでいい…ってこともあって、新春早々劇場に見に行くことになった。果たして実際の出来映えやいかに?

ないよう

  惑星ラ・ムーの大気圏に一機の宇宙船が突入した。無人の荒野が広がるラ・ムーの大地を、危機を感じた一人の幼い少女がひたすら走る。辿り着いた先は、荒野 に一軒だけ建った少女ジン・アーソの住まい。すでに危険を察知していたジンの両親は、慌ただしく脱出の準備をしているところだった。「仲間」らしきソウ・ ゲレラ(フォレスト・ウィテカー)にテレビ電話で急を知らせた父ゲイレン・アーソ(マッツ・ミケルセン)は、母ライラ(ヴァリーン・ケイン)とジンを連れ て住居から逃げ出す。しかし、ゲイレンはジンと妻に逃げるように告げて、ひとりで荒野へ歩み出した。さらに母ライラ(ヴァリーン・ケイン)もジンに一人で 逃げるように告げて、夫のもとへと引き返す。例の宇宙船からは、帝国の将校オーソン・クレニック(ベン・メンデルソーン)や兵士たちが降りてきていた。ゲ イレンと顔を会わせたクレニックは、どうやら旧知の仲のようだ。帝国が準備中の絶対兵器の開発に力を貸せ…とクレニックはゲイレンを熱心に口説く。だが、 ゲイレンはそれがイヤさにこんな辺鄙な場所まで逃げて来たのだが…。そこに現れたライラは、クレニックに銃で抵抗。結局、逆にライラは射殺されてしまい、 ゲイレンも宇宙船に連行される。その光景を物陰から見て驚いたジンは慌てて逃げ出し、洞窟の地下に掘った秘密の隠れ家に身を隠す。周辺を帝国軍兵士が探索 しているんじゃないかと気が気でないジンは、それからしばらくの間、隠れ家から出られなかったジン。しかしある日のこと、その隠れ家の扉を何者かが開ける 日がやって来た。こうして現れたのは、脱出の時に父ゲイレンとテレビ電話で話していたソウ・ゲレラという男。彼は確かに「仲間」だった…。それから幾年 月…。辛酸を舐め尽くして大人に成長したジンは、今は辺境惑星の収容所の住人となっていた。何があったのかすっかりやさぐれてしまったジンだが、そんな彼 女の前に晴天の霹靂のような事件が起きる。突然、何者かによって護送車が襲われ、彼女が突然救出されることになったのだ。だが、そこは性格がひねくれきっ たジンのこと、うまい話はハナっから信用しない。彼女は助け出してくれた兵士を叩きのめすと、その場からトンズラを決め込もうとする。だが、そんな彼女を 一撃でダウンさせたのは、帝国側ドロイドのK-2SO(アラン・テュディック)。そんなこんなで、彼女は反乱軍の本拠地へとそのまま連行されるのだった。 そこで待ち構えていたのは、反乱軍幹部のモン・モスマ(ジュヌヴィエーブ・オライリー)やドレイブン将軍(アリステア・ペトリー)たち。彼らがジンを連れ て来た理由は、彼女にとって意外なものだった。実は現在、帝国軍は究極の秘密兵器を開発中。この情報のカギを握るのが、反乱軍の中でも過激なソウ・ゲレラ の一派だった。しかし、反乱軍の幹部モン・モスマたちとソウ・ゲレラとは、前々から折り合いが悪く音信不通。特にソウ・ゲレラの方では、反乱軍幹部をまっ たく信頼していない。そこで何とかソウ・ゲレラからの情報を入手すべく連れて来られたのが、このジンという訳だ。ジンは幼少の頃に両親と離ればなれになっ たが、その後、このソウ・ゲレラによって育てられた。そんなジンなら頑なソウ・ゲレラにも信用され、反乱軍本体に協力させることができるはず…という訳 だ。だがそこまでの話を聞いても、ジンの反応はすこぶる鈍い。ハッキリ言ってどうでもいいという立場だ。反乱軍の情報将校キャシアン・アンドー(ディエ ゴ・ルナ)から「帝国の支配が続いてもいいのか?」と問われても、「見なけりゃいい」という残念な返答。幼少期からの苦難により、思い切り刹那的な考え方 となってしまったジンにとっては、反乱軍も帝国軍も知ったことではなかった。だが、このミッションを完遂すれば自由になれる…と聞けば話は別。また、この 究極兵器はジンの父であるゲイレン・アーソによって開発されていると聞けば、ひょっとすれば父親に会えるかもしれない。すぐに現実的に割り切ったジンは、 このミッションを引き受けることになった。だが、ジンの「連れ」となるキャシアン・アンドーは、何とも腹にイチモツの男。さらに、先ほど彼女を痛めつけた 帝国側ドロイドのK-2SOも同行する。K-2SOは人工頭脳を再プログラムされているとはいえ、それが災いしてか一言も二言も多い。同じ宇宙船でソウ・ ゲレラの潜む惑星ジェダに向かう間も、三人に漂うギスギス感はひどかった。こうしてやってきた惑星ジェダ。その中心となる街と寺院は、帝国軍に制圧されて いた。ここで情報を仕入れようとするキャシアンとジンだったが、ジンが奇妙な盲目の剣士チアルート・イムウェ(ドニー・イェン)に絡まれたりして何やら不 穏な空気が漂う。案の定、進駐する帝国軍の装甲車部隊に対して、ゲリラ兵たちがいきなり攻撃を仕掛けるではないか。キャシアンとジン、そして後から追いか けて来たK-2SOは、突然の市街戦に巻き込まれる。そこに先ほどの盲目剣士チアルートとその相棒の戦士ベイズ・マルバス(チアン・ウェン)も飛び出して きて、戦いは大混乱の様相を呈していくのだった…。

みたあと

  今回、本作で最も期待されるのが、この「お得感」あるキャスト。よくよく見ると非アメリカ人の占める割合が非常に多い。これもマーケティングを考えてのこ となのだろうか? さすがに中国人スター二人の起用はあの巨大な市場を意識してのことだろうと思うが、選ばれた役者が二人ともなかなかいいキャスティング なので、ケチをつける気にはならない。しかも、このキャスティングがなかなかに実力派揃いというのが、本作のムードを決定づけている。つまり、いわゆる 「お祭り映画」とは一線を画した作品になっているのである。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  「スター・ウォーズ」といえば、1作目がほぼ味方側に一発も弾が当たらないような作りだったように、全体的に危なげない作り。安心・安定…悪くいうとおと ぎ話の作り事感が満載な感じだった。だが、本作はかなりそれらの本流「スター・ウォーズ」作品とは様相を異にしている。それはジェダでの市街戦の場面など を見ても顕著だが、「スター・ウォーズ」作品としてはかなりリアルでヘビーな描写になっているのだ。これはやはり、ギャレス・エドワーズ作品だから…とい うことなのだろう。本作の戦闘描写には、近年のリアルな戦争映画の肌触りがするのである。しかも…これはすでに多くの批評にも書かれていることなので受け 売りになっちゃいそうなのだが、本作の戦闘場面は砂漠の街やらジャングルやらヤシの木が生える場所やら…という場所で描かれる。そのため、どうしても見る 側としては視覚的にベトナム戦争やら湾岸戦争、イラクでの戦闘などが連想されてしまう。そこに手持ちカメラのリアルな戦闘描写が入ってくるとなれば、否が 応でもこうした戦争のメタファーとして描いていると思わざるを得ない。その手法やテイストは、ギャレス・エドワーズ自身の監督作品というより、彼がプロ デュースに回った自作の続篇「モンスターズ/新種襲来」 (2015)のスタイルに極めて酷似しているようにも思えるのだ。そんなリアル感ある戦闘描写を交えて描かれていくのは、何と驚いたことに主要登場人物の 「心意気」の物語なのである。見ている間、本流「スター・ウォーズ」映画と違って登場人物がいつ死んでもおかしくないスリリング感だな…と思ってはいた が、それは予感にはとどまらずにどんどん現実のものとなっていく。一応「スター・ウォーズ」作品なのに、主要登場人物が最終的に全滅してしまうという壮絶 さ。これにはさすがにビックリした。作品は中盤から、「ワイルドバンチ」(1969)だとかジョニー・トー作品みたいな雰囲気を醸し出し始めるのである。 ひょっとして…本作の作り手はジョニー・トー作品を意識して、中国=香港役者を出して来ているのだろうか。そのくらい、本作のドニー・イェンとチアン・ ウェンは目立っている。特にドニー・イェンは、思い切りカッコよくてなかなかいい。僕は先に当てずっぽうでジョニー・トー作品…などと書いたけれども、こ の連想は意外に当たっているのではないだろうか。本来だったらアンソニー・ウォンとかラム・シューとかを出したかったのかもしれないが、まぁ、そこはハリ ウッドだから「とりあえず中国人出しとけ」ってことになったのかも(笑)。ともかく良い意味で想定外の作品に仕上がっているのである。もうひとつ驚かされ たのは、CGを駆使して一作目のモフ・ターキン役ピーター・カッシングが復活していること、さらにエンディングでレイア姫役の若きキャリー・フィッシャー も再現されていることである。今のCG技術ってのはつくづく凄いと実感させられた。そしてエンディング1カットに出て来る若きフィッシャーのCGのおかげ で、つい先日亡くなったキャリー・フィッシャーの追悼記念作品みたいになっちゃったのも不思議な巡り合わせだ。あまりのタイミングの良さだが、そういう偶 然ってあるもんなんだねぇ。

こうすれば

 そんな訳で、戦闘描写にリアルなインパクトがあり、本流作品とは異なる「登場人物がいつ死んでもおかしくない」スリルがあ り、かつ、それが実際のこととなってしまうサプライズあり…ということで、大いに見応えある作品となった本作。これを「スター・ウォーズ」最高傑作…とベ タホメする向きもかなりあるようだ。実際、本作はそうした評価がうなずけなくもない見事な仕上がりとなっている。ただ、正直に言って僕がちょっと気になる のは、この圧倒的なリアル感と映画後半の悲壮感だ。ここからは僕の個人的な見方を書かせていただきたいと思うが、これだけ絶賛評ばかりの中で異論を挟むの はちょっと怖い。僕も本作が面白い作品であることは大いに認めてもいる。ただ、こうまで悲壮感が漂っちゃうと、果たしてこれってどうなんだろう。本作は僕 らが最初に見ることができた、あの「スター・ウォーズ」 1作目(1977)の直前に位置する作品となるはずだ。実際、レイア姫の登場で終わるエンディングからして、あの1作目を大いに意識している。だとする と…これを言っちゃ多くの人たちからお叱りを受けちゃうかもしれないが、あのどっちかと言えば無邪気で能天気な「スター・ウォーズ」1作目に対して、あま りに悲壮で違和感があり過ぎなのではないだろうか。確かにこういうリアルで悲壮な「スター・ウォーズ」があっていいのかもしれないが、それでもあの作品と 「直結」する物語というなら、この悲壮感は少々やり過ぎなように思える。…というか、そもそも「スター・ウォーズ」なんてかなり能天気な作品だったのに、 やけに深刻な重みばかり増えてしまってどうなんだろう。立派になり過ぎちゃいないだろうか。僕は長い間コケにされてきて市民権を得られなかったSF映画好 きの人間だから、リアルでシリアスっぽくしたら「最高傑作」っていう安易な世評のあり方に、少々意地悪い気持ちがしてきてしまう。たかが「バットマン」映 画であるはずの「ダークナイト」 (2008)の異常なまでの持ち上げられ方と同様に、こういう過剰な持ち上げ方ってちょっとシラケちゃうんだよねぇ。シリアスにすれば「高級」なのかよ… と、ケチのひとつもつけたくなってしまうのだ。こういう映画ってのは「たかが」…だからこそ「されど」…なんじゃないのかと思ってしまう。良い作品で面白 いとは思うものの、何だか少々立派になり過ぎちゃいませんか?…とグチを言いたくなってしまうのである。

さいごのひとこと

 本来はバカ映画だったんじゃないの?

 


 to : Review 2017

 to : Classics Index 

 to : HOME