「オン・ザ・ミルキー・ロード」

  On the Milky Road

 (2017/12/11)



見る前の予想

 エミール・クストリッツァの新作が公開されていることは、何となく知っていた。それも9年ぶりの新作なんだそうである。
 クストリッツァとは最初に日本で公開された「パパは出張中!」(1985)からの付き合い。どれも不思議な笑いとバイタリティ、独特なブンチャカ・リズ ムの音楽に溢れていて面白い。だから僕もとっても好きだったんだけれども、例のユーゴの内戦あたりから映画の内容がそっちの方向に行った関係で、「クスト リッツァ映画を見るにはユーゴ現代史を知らなきゃダメ」的なムードが漂い出して、何だかやたらに周囲の敷居が高くなってきた。そうなっちゃうと…大きな声 では言えないけれど、こっちは映画に単なる2時間のお楽しみしか期待していないのだから、申し訳ないがちょっと退いちゃうところがない訳でもない。
 そのせいばかりじゃなかったけど、なぜか「ウエディング・ベルを鳴らせ!」(2007)は結局見逃した。マラドーナのドキュメンタリー映画は、別にサッ カー好きじゃないからこれまた見ていない。そしたら、ライフ・イズ・ミラクル(2004)以来10年以上のご無沙汰ということになる。そこに、この新 作という訳だ。
 おそらく今回も毎度おなじみのような話だろうと思ったが、巷の情報によればあのモニカ・ベルッチが出ているというではないか!
 しかも、今回はクストリッツァが主演もやっている。実はクストリッツァは役者もなかなかイケてて、第27回東京国際映画祭で見たイタリア映画アイス・フォレスト(2014)など、なかなかの押し出しで堂々たるものだった。役も大きかったし。
 こうなると、本作は何としても見てみたい。そんな訳で、公開からはかなり経っていたけれども、慌てて劇場へと足を運んだ訳である。

あらすじ
 空にはハヤブサ、地面にはアヒルの群れ。屠殺されるブタは悲鳴を挙げていたが、アヒルたちはブタの鮮血を浴びても何食わぬ顔。岩の上にニョロニョロ出現した蛇は、上空で見張っていたハヤブサに一瞬にして捕まる。ハヤブサは蛇をくわえたまま、空高く飛び立った。
 ここは東欧の山奥の村。今日も今日とて村人たちの暮らしは営まれているが、その一方で銃を構えている人々もいる。この東欧の国では、もうずっと長く内戦 が続いている。あまりダラダラと続いていて、もうとっくに緊張感なんてない。停戦したって信じていいかどうか分からない。あまりに戦争が日常になってし まっていて、みんな慣れっこになっている。そもそも生きていかねばならないのだから、村人たちは逞しくやっていかねばならないのだ。
 そんな村の小さな家で、ハヤブサの夢から目が覚めた男がひとり。その男コスタ(エミール・クストリッツァ)は、銃弾が飛び交う村の中をまったく平気な顔をして飄々と歩いて行く。村の人々いわく、コスタは過去の辛い体験から、どこかが変わってしまったらしい…。
 一方、ここは村のはずれにある家。家の建物を圧するような巨大なオンボロ時計が目印の家だが、時々この時計が暴走して人の手を噛んだりして、大いに住人 を悩ませてもいる。先ほどのコスタはこの家で育てられた牛の乳を、雨アラレと銃弾が降って来る戦場を潜って、ロバで兵舎まで運ぶことを生業としているの だ。
 この家には母親と一緒に長女ミレナ(スロボダ・ミチャロビッチ)が暮らしており、彼女はコスタとの結婚を夢見ている。だが、どうやらそれはミレナの一方的願望のようで、コスタはそんなことはまるっきり考えていないようだ。
 さて、そんなミレナのもとに、ある情報が入ってくる。近くの難民施設に、ミレナの兄の花嫁にピッタリの「上玉」がやって来たというのだ。彼女はイタリア 人とのハーフで絶世の美女。父親を探しにローマからやって来て、運悪くこの戦争に巻き込まれてしまった。この美女を施設から連れ出してやる代りに、自分の 兄の花嫁になってもらおうという算段だ。
 兄のザガ(プレグラグ・ミキ・マノジョロビッチ)は英雄的戦士で、現在も前線で戦っている。彼が戻って来る前に、結婚のお膳立てをしておこうというミレナには、自分も一緒にコスタと結婚式を挙げるという勝手な願望が膨らんでいた。
 こうして裏の手づるを使い、ミレナは施設から問題の美女(モニカ・ベルッチ)を身請けしてくる。そうとは知らないコスタは、例によって牛乳配達に行こう とオンボロ時計の家にやって来て、突如の美女出現にビックリ。同時に彼女に心惹かれている自分に気づいて、ますますたじろいでしまう。肝心の牛乳も持って 行かず、慌ててロバで時計の家から逃げ出すコスタ。それに気づいた美女は、牛乳容器を持ってビシャビシャと牛乳をこぼしながら走って来るからたまらない。
 まさに、ここで会ったが百年目のふたりではあった…。


見た後での感想

 舞台はいまだ銃弾飛び交う東欧の村である。ハッキリそれとは言わないものの、誰がどう見たって旧ユーゴでの戦いを前提に描いていることは間違 いない。クストリッツァ自ら演じる主人公も、モニカ・ベルッチのヒロインも、戦いに翻弄された人物である。ここ最近のクストリッツァ映画と共通する世界 で、またまた話が展開している訳である。
 僕は「パパは出張中!」からのクストリッツァ・ファンで、彼の映画はいつも面白いと思っている。そして本作を見る前からまたまたユーゴ内戦…的な内容で あることは分かっていたものの、実物に接して「やはりそうであった」と確認してみると、どうしても少々複雑な思いにならざるを得なかった。言っちゃ悪い が、やっぱりまた「同じような映画」かなと思ってしまったのだ。
 もちろんこの国を母国とするクストリッツァとしては、この問題にこだわらずにはいられないだろう。ヨソ者の僕らにはそのことをどうこう言うことはできな い。実際、「アンダーグラウンド」(1995)でクストリッツァがこの問題に真っ正面から取り組んだ時には、見ているこちらも圧倒された。その後の作品も それぞれ興味深かったし、映画としても大いに楽しんだ。だが…大変失礼であるとは思いながらも、ぶっちゃけ最後の頃の彼の作品には、少々敷居の高さを感じ ないではいられなかった。
 映画に描かれている世界が大なり小なり似て来てしまうということもあるが、そもそもこの国で起きて来た戦いについて、僕らがどれだけのことを知っている のか…という思いに駆られてしまう。そんなことは当然予習してから映画を見るべし…と、知的なシネフィルの皆様はおっしゃるのだろうが、こちとらそれほど 志が高くはない。そもそも、そんな知識を一夜漬けで入れて来て知ったかぶりしたところで、問題に直面しているこの国の人たちの思いなどは分かろうはずもな い。分かったような気になるだけだ。
 ならば、僕らがそんな映画を見て、一体何になるというのだ。そういう気持ちがどうしてもしてしまうのである。
 実は「ライフ・イズ・ミラクル」を見た時に、そんな思いがチラッと頭をよぎってしまった。毎度ユニークでユーモラスな人々や物語、背景に流れるブンチャ カ・リズムの音楽に楽しまされながら、不謹慎ながら「またこういう話かぁ」とどこかで感じていたのも事実。そうなると、大好きなクストリッツァ映画でもい ささか腰が退けてくる。彼の映画から縁遠くなったのは、彼が寡作家であることばかりが理由ではなかった。そして、今回もやっぱり同じかな…と、映画を見な がら何となく思い始めてしまっていた。
 ただ、やはりクストリッツァ映画は単純に面白いっちゃ面白いのだ。こうなったら、そういうところを面白がって見るしかない…と頭を切り替えて見始めた訳である。


「毎度おなじみクストリッツァ映画」と思っていたら

 実際、イタリア映画「アイス・フォレスト」には役者として出てきたものの、クストリッツァが自作に堂々と主演するとは思わなかった。しかも、 わざわざイタリアから大スターのモニカ・ベルッチを連れて来て、恋仲になる役を演じるのである。映画を見れば分かるが、クストリッツァはなかなか男前であ る。そしてこういう映画を作ってそこで主役を張るということは、自分が男前であるということもよく分かっている。いやぁ、なかなか食えない男だよこいつは (笑)。
 素っ頓狂な登場人物、何とCGなど使っていない動物たち、ウキウキして来るブンチャカ音楽…と、毎度おなじみな要素満載でまたまた楽しませてくれる。「またかよ」という気分にならない訳でもないが、まずは楽しまされちゃうというのが本当のところだ。
 おまけに、歳はとってもモニカ・ベルッチ、圧倒的に華があるのだ。映画スターの貫禄がある。それだけでも、見てトクした気になるから大したものだ。娯楽映画としてのグレードが、彼女の出演でグググッと上がるのである。
 見ていてつくづく思ったのは…これは国際政治に詳しい人なら当たり前の話なのかもしれないが、国連軍やら多国籍軍とやらの「錦の御旗」の下にやって来る 連中が、紛争当事国側から見るとかくも「悪者」に見えるのだな…ということ。元々、理屈の上で「アメリカ・ヨーロッパ側の“正義”の論理が必ずしも正しい 訳じゃない」と頭では分かっていても、国際政治に縁遠いこちとらとしては、なかなか本当には分かっていないものである。世界中どこの話にしたって…どっち 側が正しいって訳でもないし、キリスト教的な倫理観がいつも正しいって訳でもないし、民主化すりゃいいって訳でもない。最近、仕事に絡んでいろいろ気づかされる ことが多いので、本作でもそんなことを改めて考えさせられてしまった次第。そんなことを言うとクソ難しくつまらない映画みたいなのだが、本作もすっとぼけ た笑いでくるんで見せてしまうのはやはりさすがである。
 面白いのは、クストリッツァがチラチラと見せるアメリカ映画への思い。さすが、アリゾナ・ドリーム(1993)撮ったのはダテじゃない。黒猫・白 猫(1998)の時もストリート・オブ・ファイヤー(1984)の音楽場面の映像をチラチラ出して笑わせてくれたが、今回は「フラッシュダンス」 (1983)のテーマ曲! この選曲からして「分かってる」んだよなぁ。映画後半、主人公たちと特殊部隊との追いつ追われつに漂う「地獄の黙示録」 (1979)風のテイストも、これがやりたくなる気持ちは非常に分かる(笑)。クストリッツァは僕より5歳年上なんだけど、すごく「同世代」感がある
 それでも何だかんだいって「毎度おなじみクストリッツァ映画・プラス・モニカ・ベルッチ」ってなところか…とボンヤリ僕が思い始めたところ、最後の最後にハッと目を見張る瞬間がやって来る。いや、ホント。これには衝撃を受けた。
 もちろんエミール・クストリッツァは、凡百の映画監督ではない。例えば「戦争の悲惨」を象徴させるかのように丸焼けの死体もゴロゴロとストレートに画面 に出すが、だからといって…主人公に気の危険が迫っているにも関わらず、遺体を抱きしめて延々と泣き叫ぶ…なんて泣かせ演出はやらない。むしろ「それはそ れ」とドライに切って捨てる。あるいは終盤の「決定的な犠牲」を描いた場面で、それまで動物を自在に動かす場面にも使わなかったCGを駆使して、まるで ファンタジーのように美しく描いたりする。それは「犠牲」の表現なのに、まるで夢のように美しいのだ。決して被害者意識にガチガチに凝り固まって、血管キ レそうに慟哭などはしない。
 そのあたりに「非凡さ」はチラチラと垣間見えたりしてはいたのだが、ラストのワンショットに至っては…これはもういけない! 僕はとてもじゃないが、冷静に見ている訳にはいかなくなったのである。

 

 

 

 


 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 




ラストショットに込められた思いの丈

 そのラストショットは、淡々とした長いショットである。ガレキの石を袋に詰めて運んで来た主人公が、それを地雷原にひとつずつ置いていく。主 人公の周囲には、すでに白い石がいくつも置かれている…と思ったら、カメラが上空からサーッと引いて行くと、広々とした原っぱ全体に白い石が敷き詰めてら れているではないか!
 このラスト、ワンショットの破壊力たるや!
 今回もいろいろ面白く見せてはもらったものの、心底のところは画面に込められたいろんなメタファーの意味とか分からないし、長く戦いに翻弄されたセルビ アのことも本当は知らないしな〜と、正直言ってちょっと覚めて見ていたところもあった。「毎度おなじみアレか」などと、シレッと思っていなかったと言えば ウソになる。だが、このワンショットは…セルビアがどうしたとかメタファーとか抜きにして、100パーセント映画的な幕切れでガツンとやられてしまった。
 エルトン・ジョンのアルバム「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」のタイトルやジャケットなども瞬間的に想起されて、「あぁ、“ミルキー・ロード”ってこれの ことだったんだ!」と思わず納得してしまったりもした。これって、「ミルクのように白い道」ってことだったのか。痛ましい傷跡が国土にも人々にも残ったけれども、クサらず諦めず、コツコツ一歩ずつ癒していかねば ならないんだ…という、切実そのものの表現である。
 ケチ臭いメッセージなんか消し飛んでしまう、政治がどうのなんてたちまち色あせてしまう、「これぞ映画」と言いたくなるワンショットに唖然呆然。僕は思 わず涙腺が決壊してしまった。本当に、「これぞ映画」なんだよなぁ。これ「こそ」が映画。アベンジャーズ(2012)ごときが「日本よ、これが映画 だ」なんて言うなんざ百年早い。アベンジャーズよ、マーベルよ、ハリウッドよ、「これ」がホンモノの映画なんだよ。
 思えばクストリッツァも自作で言いたいことを言い続けながら、「これじゃあなかなか見てる人には届かないよなぁ」と内心気づいていたのではないか。ある いは、「毎度おなじみ感」が出て来ちゃってるとも察していたし、自分のシンパしか喜ばない映画になりかかっているとも分かっていたのではないか。その切実 さと思いの丈を本当に伝えたいと思ったら、それではダメだと思い詰めたのではないだろうか。
 自らが乗り出して主演したのも「思うように伝わらないもどかしさ」故だろう。外からモニカ・ベルッチを連れて来たのも、出来ればシンパ以外の人たちに見 てもらいたかったからだろう。だからこその、あのラストのワンショットではなかったか。今回は、覚悟の程が明らかに違っていたように思う。それより何よ り、そんな「思い」がちゃんと映画的な表現として昇華しているところが見事だと思う。そこらの凡百の映画とは、メンコの数が明らかに違っている。
 「映画」ってまさに「これ」なのだ。「これ」が見たいからこそ、僕はずっと映画館に通いつめているのである。


 

 

 

 to : Review 2017

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME