「ロスト・レジェンド/失われた棺の謎」

  鬼吹灯之尋龍訣 (Mojin - The Lost Legend/The Ghouls)

 (2017/01/16)



見る前の予想

 例年、何かと大作や話題作揃いの正月映画だが、年が明けてからパラパラと公開される作品の中には、いわゆるあまり話題になっていないモノも多い。
 ただ、そういう映画の中には拾いモノも少なくないので、実はこっちの方が映画ファンとしては侮れないところ。僕もろくすっぽ話題作も見れていないクセにいろいろ調べていたら…あったあった。中国映画でスー・チー主演の「ロスト・レジェンド」なる作品。どうやら「インディ・ジョーンズ」タイプの作品みたいで、スー・チー主演ならトゥームレイダー(2001)みたいなもんだろうか。かなりSFXが多様されていて、それなりの大作らしい。
 ただ、そんな映画なら香港・中国映画で今まで腐るほどあったような気もする。古くはチャン・イーモウコン・リーが主演した「テラコッタ・ウォリア/秦俑」(1990)あたりもそれっぽい雰囲気があった気がするし、ジャッキー・チェンにもTHE MYTH/神話(2005)なんて作品があった。それ以外にも、ちっちゃい劇場でいつの間にかやって、いつの間にかビデオ・DVDリリースされた作品なんて枚挙に暇もない。文字通り、それこそ腐る程あるタイプの映画だ。
 だから、こんな映画に眼を留める必要もなかったのだが、何となくピピッと来ちゃったんだから仕方がない。映画好きたる者、この勘が大切なのだ。
 そんな訳で、大して期待しないながらも心の底でちょっぴり期待しながら劇場へと足を運んだ訳だ。


あらすじ

 今から千年以上昔、中国は戦乱によって三つの王国に分断された。
 その戦乱のなか、兵士たちの食い扶持を稼ぐために、ある皇帝が「模金校尉」なる役職をつくった。彼らの仕事は盗掘…早い話が公的な墓泥棒である。そんな彼らにはある厳しい掟があった。それは棺を暴く前に、南東の方向に火を点したロウソクを置くことだ。そして盗掘が終わる前にそのロウソクが消えたら、財宝を戻して墓を去らねばならない。さもなければ、彼らは必ず災いに巻き込まれるのだ…。
 暗闇の中に差し込む一条の光。今まさに例の「模金」たちが、古代の墓所に入り込もうとしているところだ。遥か下方に吹抜け状態になっている墓所を、ワイ ヤーでぶら下がりながら降りていく「模金」たち三人。イケメンのフー・バーイー(チェン・クン)と三枚目のワン・カイシェン(ホアン・ボー)、そして紅一 点のシャーリー・ヤン(スー・チー)…彼らは代々続いて来た「模金」の末裔である。
 墓を守るために仕掛けられている数々のワナをかいくぐり、問題の棺まで辿り着くのは「模金」としては朝飯前のこと。棺は鎖で四方から固定され、吹抜けの 真ん中に浮かんでいた。やがてその棺のフタを開けたフー・バーイーは、そこに高貴な女の亡骸が横たわっているのを見つける。だが、今まさにロウソクが消え かかろうとしているではないか。
 「ロウソクが消えたわ、撤退よ!」
 慌てて二人を制止するシャーリーに対して、お調子者のカイシェンは「今までどれだけ時間がかかってると思ってるんだよ、気にせずやろうぜ!」と主張する。両者の言葉に迷うフー・バーイーは、亡骸の顔を覆っていた布をめくってみた。
 すると…そこに現れた顔を見たフー・バーイーは思わず狼狽。その女の顔はなぜかまだ美しく、しかも彼がかつて見おぼえのあるものだった。
 ところが次の瞬間、棺を固定していた鎖がはずれ、棺が遥か下方に落下していこうとする。すると亡骸だったはずの女が眼を開き、フー・バーイーに向かって手を伸ばすではないか。この女、さてはまだ生きているのか?
 思わずその手をつかもうとするフー・バーイーだが、その思いも空しく女は落下していく。それをなす術もなく呆然と見下ろすフー・バーイー。
 それは、フー・バーイーが何度も思い出す悪夢の記憶だった…。
 眼が覚めたフー・バーイーは、現実に一気に引き戻される。彼は相棒のカイシェン、シャーリーと共に1988年にアメリカのニューヨークにわたり、路上で 怪しげな骨董品を売るまで落ちぶれていた。しかも、そこを移民局の役人に見つかって街中を逃げ回る始末。その日もシャーリーの機転で何とか助かったという 訳だ。
 あの「失敗」の後、さすがに懲りた三人は「模金」を廃業。だがカイシェンは、そのことをずっと後悔していた。相棒のフー・バーイーに何度も復帰を持ちかけるのだが、彼の態度はつれない。またフー・バーイーはもう一人の相棒シャーリーと例の廃業決定の晩にコッソリと「男女の仲」になってしまい、それが二人の関係をギクシャクさせてもいた。
 結局そんなこんなでフー・バーイーは「模金」廃業を決定的にして、カイシェンと袂を分かってしまう。その過程でシャーリーともこじれてしまい、三人はついにニューヨークでバラバラになってしまった。
 ところが、同じニューヨークにあるバーでのこと、三人と親交があり「模金」の仕事を回してきた古物商の金歯(シア・ユイ)のもとに、一人のアメリカ人が訪ねて来る。この男マーク(ジョナサン・コス=リード)は環球開発という鉱山開発の会社のメンバーで、中国の内モンゴルにある墓稜の発掘を計画していた。そこでどうしても「模金」たちの力が借りたいという。そうなれば欲の皮が突っ張った金歯のこと、何としてもこの仕事を受けたい。たまたまバーにカイシェンがやってきたことから、金歯は彼にこの仕事を引き受けるように持ちかけた。
 カイシェンはフー・バーイーとやり合ったばかりでご機嫌斜め。いくら金を積まれても受けないと、大いにタンカを切った。だが、マークも負けじと大金を積みまくり、さすがのカイシェンも眼を白黒。
 おまけにカイシェンには、この仕事を受けるべき理由があったのだ…。
 汚い寝ぐらにいたフー・バーイーのもとに、あのシャーリーがやって来る。顔を合わせるとどうしてもケンカになってしまう二人。そんなシャーリーが持って来たのは、カイシェンからのビデオ・メッセージだ。
 何とカイシェンは、例のマークからのオファーを受けて中国へ旅立つという。その理由として彼が挙げたのは、ある一枚の写真…彼岸花の紋章が刻印された石のエンブレムだ。
 「ディンが言っていた彼岸花の紋章だ。覚えているよな?」
 そのカイシェンの言葉を聞いて、彼が本気であることを悟るフー・バーイー。その理由は、フー・バーイーとカイシェンの20年前の過去にさかのぼる…。
 1969年、まだ若者だったフー・バーイーとカイシェンは、共産党の下放政策によって内モンゴルの奥地に行こうとしていた。連れの何十名かの若者たちと、過去の「悪しき封建主義の遺物」である墓稜を破壊するのがその使命である。
 そんな二人にとってのマドンナが、美しく可憐な娘ディン(アンジェ ラベイビー)だった。彼らは長い長い道のりをトラックに揺られながらも、ディンと一緒にいられるので幸せを感じていた。実際にはイケメンのフー・バーイー に分があったものの、カイシェンも彼女を想う一途さでは負けていない。ディンもまた、そんな二人を少なからず好ましく思っていた。
 共産党の歌をみんなで歌いながら、若者たちみんなで目的地へと向かっていたその最中、トラックの車輪が溝にはまって立ち往生。そんな折り、たまたま現地の老人と遭遇した彼らは、その草原にいくつもの石像が立ち並んでいるのを目撃する。
 そうなると、俄然張り切るのが共産党員の女リーダーだ。「封建主義の遺物」をぶっ倒せとスローガンをブチ挙げ、みんなを先導。若者たちも大ハシャギで石像に縄をかけ始める。
 その様子を見て、老人は大いに狼狽してそれを止めようとした。この地は生者の世界と死者の世界=冥界との境界で、それらはその守り神だというのだ。
 だが、そんなことが「革命的同志」の若者たちに通じるはずがない。その老人の言葉に反応したのは、フー・バーイーとカイシェンの二人だけ。彼らは文化大 革命下のご時世とあって隠してはいたものの、古代から続く「模金」の末裔。老人の言わんとしていることは分かるし、これから起きることも十分想定できる。 おまけにフー・バーイーが持っていた「模金」の商売道具のひとつ…八卦で霊気を探る羅針盤が、この地の怪しい空気にビンビン反応している。だから、ヤバいということだけは分かった。
 そこで何とか最悪の事態を避けようと石像を倒すことを止めようとするが、ヘタに止めると自分たちが共産党員から目をつけられてしまう。彼らも勢いに乗り調子に乗る若者たちを、なす術もなく見ているしかなかった。
 そんなこんなで石像は倒され、他のものも次から次へと倒されていく。すると…石像が倒された後にポッカリ空いた穴から、何やら黒い煙のようなモノが噴き出して来るではないか!
 それは物凄い数の羽虫の群れで、それらにたかられた者はたちまち生き血を吸われてミイラ状態。ようやく事の重大さに気づいた若者たちは、慌てて草原を逃げ回る。しかしどこまでも続く草原には隠れる場所などない。
 そんな中、フー・バーイーとカイシェンは岩場に穴が開いているのに気づく。二人はディンを連れてその穴の中に飛び込み、他の仲間たちも逃げ込むように呼びかけた。
 難を逃れることができた全員が穴の中へと避難し、穴にフタをして何とか一安心。落ち着きを取り戻して周囲を見ると、ここはどうやら近代に入ってから作られた地下施設らしい。さらに松明をつくって中を調べてみると、そこは第二次大戦中に日本軍が作った地下施設で、大量の弾薬なども貯蔵されていることが分かった。
 ところが不思議なのは、施設のあちこちに日本軍兵士の亡骸が倒れていること。どうしてこれらの日本兵たちは全滅して、なぜこの施設は放置されてしまったのか。
 若者たちが施設のあちこちを見て回ると…何とその奥には過去の宝物やら石像、遺物などが収められていることが分かる。ところがここで、またしても共産党員の女リーダーが張り切ってしまったからマズかった。例によって「封建主義の遺物を破壊しろ」である。若者たちがまたまた張り切ってしまったのもお約束だ。
 そんな中、フー・バーイー、カイシェンとディンがそれらの遺物を見ていると、ディンがそのうちのひとつに魅せられたように目をとめた。それは、彼岸花を彫り込んだ石のエンブレムだ。「いつか見てみたい」とつぶやくディンに、一本気なカイシェンは「オレがきっと見せてあげる」と誓うのだった。
 だがそんな時、いきなり施設内が奇妙な明かりに照らされたではないか。一瞬、呆然とした若者たちがふと我に返ると、周囲には甦った日本兵たちがウヨウヨ。彼らが軍刀を持って襲いかかって来るからたまらない。若者たちは次から次へと日本兵ゾンビたちの犠牲となっていく。
 フー・バーイーとカイシェンは何とかディンを守りながらトンネル内を逃げて行くが、敵の数が多過ぎて始末に終えない。何とかかんとか施設内のエレベーターで地上に上がり、穴から脱出した時には…。
 不幸にも、ディンの姿はそこにはなかった。あの命からがら逃げ出した阿鼻叫喚の中、彼女を無事に連れ出すことはできなかった。半狂乱で泣き叫ぶカイシェンを、自らも苦悩しながら押さえ付けるフー・バーイー。それは、いまだに二人の脳裏から離れない悪夢だったのだ…。
 追憶から現実に戻ったフー・バーイーは、悔やんでも悔やみきれない過去を鮮やかに思い出した。それと同時に、躊躇なくカイシェンの後を追うことを決意。シャーリーも不本意ながら、行きがかり上それに同行することになる。
 その頃カイシェンと金歯は、例のマークや胡散臭い連中とともに、内モンゴルの大平原の真っただ中にいたのだが…。


見た後での感想

 言うまでもなく、過去の遺跡や財宝を探す「インディ・ジョーンズ」タイプの冒険アクション映画は枚挙にいとまがない。中でも中国=香港映画には、この手の作品がゴマンとある。
 それというのも、やはり中国四千年の歴史じゃないが、この手の題材になりそうな場所がゴロゴロしていて、映画が作りやすいということはあるんだろう。さすがに日本では少々成立しにくいお話なのだ。
 そこにスー・チー主演と来れば、「いかにも」な感じの娯楽アクション映画と察しがつく。それでイソイソと見に行った訳だが、西遊記/はじまりのはじまり(2013)や最愛の子(2014)にも出ていた寺内タケシ顔のホアン・ポーも出ていると知って、一気にお得感が増した。
 この二人が出ていて冒険アクションなら、どう転んでもそうはつまらなくなるまい。おそらくは月並みなデキではあるだろうが退屈はしまい…ぐらいの気持ちで見に行った訳だ。ところが、それはある意味で気持ちよく裏切られることになる。

 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

単なる冒険アクション以上のものを付加している「陰り」

 先にも述べたように、中国=香港映画には「インディ・ジョーンズ」タイプの冒険アクション映画がゴマンとある。そして今までのこの手の 映画は、どちらかというとそれらの製作主体は香港側にあり、中国は資本や人材、そしてロケ場所を提供するようなかたちの映画づくりだったような印象があっ た。さすがにこと「娯楽映画」に関しては、香港映画界に「一日の長」がある。そうなってくるのは、至極当然なことだ。だから今回も、僕はそのつもりで見に行ったわけだ。

 しかし、どうも本作は様子が異なる。どうやら本作は、純然たる「中国映画」だったようだ。僕は中国語に強い方ではないが、そう考えてみると言語もいわゆる香港の広東語ではなかったように思う。しかも主人公の男二人は大陸・中国人だ(ついでに言うと、招かれたスー・チーも香港人ではなく、元々の出身は台湾だ)。そんな「中国映画」としての雰囲気は、お話が進むうちにますます濃厚になっていく。

 本作の前半部分でかなりの尺を割いて、主人公3人のうち男性2人に関する、青春時代の回想場面が描かれる。これが、いわゆる文化大革命下の下放政策に関するお話になっているから驚いた。なるほど、これは香港主体のこの手の映画ではあまり見ない。これは例えばアン・ホイがかつて撮っていたような作品ではない。「インディ・ジョーンズ」タイプの冒険アクションなのである。本作のような作品でこのようなエピソードを見るとは、僕は予想していなかったのだ。
 さらに驚くべきことに…このエピソードの中で二人はマドンナ的に想いを寄せていた女性を失ってしまうのだが、それは結果的に共産党の硬直したやり方の犠牲に なった…という描き方になっている。劇中では共産党員のリーダー的な役割の女の子が登場するのだが、彼女の音頭取りによって一度ならず二度までも危機が訪 れ、その二度目には主人公二人を除くほぼ全員が犠牲になってしまう。本作では、それを明らかに愚かな行いだったと冷ややかに見ているのである。
 こういう文化大革命時の描き方は、チャン・イーモウチェン・カイコーの初期の作品以来、久々に見るような気がする。今ではすっかり「大物」となって、スペクタクル大作を得意とする両巨匠。チャン・イーモウに至ってはすっかり中国政府のスポークスマンに出世した(落ちぶれたとも言える)が、出てきたばかりの彼らは文革に対する「恨み節」が十八番だった。そんな彼らをはじめとする「中国映画第5世代」の映画作家たちの初期テイストに似たものが、本作の回想場面には満ち満ちているのである。
 もちろんこのエピソードではゾンビのように甦る日本軍の亡霊が出て来るし、その後の本編でも「悪役」として日本で権力を得た宗教団体の教祖マダム・イン (リウ・シャオチン)やその側近にコギャル風のヨーコ(チェリー・ナガン)という人物を配したりして、「日本=悪」という設定を作ってはいる。だが、それ らはかなり形骸化した描き方で、かつカリカチュアライズされた「マンガ」みたいな描き方だ。ヨーコなどは、実際、我々日本人が見ても笑っちゃう程度のもの なのである。
 むしろ共産党やら文化大革命に対する描き方の方が、どちらかといえば辛辣だ。愚かで卑しい振る舞いであり、そのおかげで主人公たちのマドンナが犠牲になった…と描かれているのである。
 ただ誤解されると困るのだが、僕はそんな政治的なスタンスで本作を評価しているのではない。むしろ本作のそんな部分に、僕はかつて見たチャン・イーモウやチェン・カイコーの初期作品…例えば「子供たちの王様」(1987)やら活きる(1994)といった作品などを想起させる懐かしさと、それらが持っていた初々しさ、甘酸っぱさを久々に思い出した。それが、本作に微妙な陰りを与えている点を評価したいのである。
 さらに興味深いのは、主人公の男二人がそんな文化大革命時の出来事に苦々しい想いを抱いているにも関わらず、ここぞという時には「お互いの革命的友情を昇華させて」…などという、カチカチに硬直化した当時の言葉を使ってしまうあたり。いくら当時が忌まわしい時代であったとしても彼らにとってはそれが輝かしい青春時代であったことは事実で、どうしても彼らの基盤がそこに依って立っていることは否定できない。このあたりの何とも言えないメランコリックな思いが、本作に単なる冒険アクション以上のものを付加している。そこが、見ていて実に絶妙なのだ。
 ただし、本作は別にアートシアター系の作品ではないし、それこそチャン・イーモウやチェン・カイコーの初期作品のような系統の映画でもない。そんなデリ ケートな作品ではない。むしろ見る前に予想していた「インディ・ジョーンズ」タイプの映画だ。そしてそのタイプの映画としては、ハリウッドのスタッフを起 用したSFXを多用し、スケール大きいスペクタクル・アクションとしてもよく出来ている。一種の無国籍アクションとして楽しめる映画だ。
 コミカルな部分も中国製としては程よく洗練されている。主役3人のコンビネーションも楽しいし、中では唯一僕が知らなかったチェン・クンも、イケメンの割にはイヤミがなく好感が持てる。
 しかし前述したような要素が独特な「隠し味」となって、本作に凡百の中華風「インディ・ジョーンズ」映画とは一線を画するテイストをもたらしていることは間違いない。それ故に、本作は独特の味わいを持つ作品として出来上がっているのである。
 本作の監督を務めるウー・アールシャンについては前作にあたる「妖魔伝/レザレクション」(2012)などの作品を見たこともないし、名前もまったく知らなかった。だが、調べてみると内モンゴル出身の人らしく、そのあたりも本作の成り立ちに何らかの影響を与えているのかもしれない。少なくとも本作の舞台が内モンゴルであることは、少なからず関連があるように思われる。これ以上は僕も何とも言いようがないが…。
 また、こうなってみると本作の主人公たちが1988年にアメリカに渡っているあたりにも、何か意味があるような気がしてならない。そういえば、1988年とは天安門事件の1年前。そういう何かの符号が隠されているのだろうか。いろいろな点で、興味深い作品なのである。

強いて唯一残念なところを挙げれば

 そんな深読みはともかく、娯楽映画としても大いに楽しませてもらった本作。本作を見る気になったキッカケであるスー・チーも、毎度おなじみのキャラクターでイイ味出している。
 だが、本作ではどちらかと言うと主人公男二人に後から追加されたような設定であるためか、いささか役として弱いのが残念。そしてそのせいからか、何となく従来ほどキャラが弾んでいない印象が残る。
 調べてみたら、あのスー・チーももう40歳。そりゃあ弾まなくもなるわな。いわゆる「ツンデレ」的と言うべきキャラクターが十八番だった彼女だが、そろそろそれも苦しくなってきたのかもしれない。
 本作で唯一残念なところは、強いて言えばその点だろうか。

 

 

 

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