新作映画1000本ノック 2016年12月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」 「ヒッチコック/トリュフォー」 「ベストセラー/編集者パーキンズに捧ぐ」 「アンナとアントワーヌ/愛の前奏曲<プレリュード>」 「ザ・ビートルズ/EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years」 「トレジャー/オトナタチの贈り物」 「スーサイド・スクワッド」 「アスファルト」 「ニュースの真相」

 

「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」

 Fantastic Beasts and Where to Find Them

Date:2016 / 12 / 26

みるまえ

 この作品のことは、だいぶ前からウワサだけは聞いていたように思う。やっとこさ「死の秘宝 PART 2」(2011)で終わった「ハリー・ポッター」シリーズだが、何とスピンオフによる新作が作られるというのだ。何だか「ロード・オブ・ザ・リング」(2001)に始まる三部作がようやく終わったと思ったら、またまた「ホビット/思いがけない冒険」 (2012)が始まっちゃったような感じ。「ホビット」三部作はそれなりに面白かったから良かったようなものの、こっちは果たしてどうなんだろう。正直 言って僕は「ハリー・ポッター」はそれほど好きじゃなかった。とはいえ、この手の映画はキライじゃないから、ついつい最後までつき合ってしまったが、また 新しいのを始めるのかよ。「スター・ウォーズ」もそうだけど、いいかげん勘弁してもらいたい。そもそも僕は原作者のJ・K・ローリングって成り上がりのオ バチャンがあまり好きじゃないんだよなあ(笑)。だが、この手の作品にあまり興味がない僕の知り合いが、珍しく本作をホメてた。そうなると、ちょっと興味 が湧くのが人情。新作本の執筆からようやく解放されて、何か映画を見たい…となった時、真っ先に頭に浮かんだのがこの映画だった。「ハリー・ポッター」の 原作者によるスピンオフといいながらも、かなり雰囲気は違うみたいだし…。僕は意を決して劇場に足を運んだのだった。

ないよう

  夜の闇の中に、不穏な動きがあった。人々が灯りを手にしながら何者かを探していると、その前に得体の知れない邪悪で巨大な「何か」が出現。一瞬にしてすべ てを葬り去ってしまう。それは1926年のニューヨークでのこと。その邪悪な「何か」は頻繁に人々の前に出没し、大きな被害を与えていた。その結果、魔法 使いのいう「ノー・マジ(人間)」たちに、魔法と魔法使いの存在が明らかになりかねない状況になりつつあった。もしこれによって、人間たちが「魔法界」の 存在を完全に自覚したとしたら、もう「戦争」である。人間たちは、魔法使いがこの世界に生き延びていることを許しはしないだろう。ヨーロッパの魔法界では グリンデルワルドという邪悪な魔法使いが大暴れしていたが、一方、アメリカ・ニューヨークではこの「何か」の猛威が魔法界を脅かしていた。そんな折りもお り、ニューヨークの港にイギリスから一隻の客船が入港しようとしていた。そこに乗客の中に、ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)という一人 の若者がいた。ニュートは大きな革製のトランクを抱えていたが、その中から何やら物音が聞こえて来る。どうやらカバンの中には、何かの生き物がいるらし い。やがて船は港に着き、ニュートはカバンを持って税関審査を受けることになるが、例のカバンは開けられても問題なく通過。だが、その際にニュートがカバ ンに付いている「人間用」と書かれた小さなボタンを押したことを、税関の人間は見ていなかった。さて、彼がやって来たニューヨークの街では、連日奇妙な事 件が続発していた。その日も崩れて瓦礫の山と化した建物に、警官たちが現場検証に来る。だが目撃者の男は、「黒い影」だの何だのと要領を得ないことしか言 えない。そんな崩れかけた建物の陰に、やはり様子を見に来たひとりの男がいた。その男はパーシバル・グレイブス(コリン・ファレル)。米国魔法議会の魔法 保安局長である。ところがそんな現場検証の最中に、地震でもないのに大きな振動が発生。地下で何やら巨大なモノがうごめいて、路面を猛スピードで破壊して いくではないか。その様子を目撃したグレイブスは、何やら確信したような表情を見せる…。そんな騒然とするニューヨークの街では、魔女や魔法使いを排斥し ようという団体が路上で啓発活動を続けていた。言うまでもなく、昨今の「何か」の大暴れの影響だ。この「セーラム協会」という団体のリーダーであるメア リー・ルー・ベアボーン(サマンサ・モートン)の熱弁を、まだみんなが冷ややかにマユツバもので聞いているからいいものの、これがいつどうなるかは分から ない。そんなこととはツユ知らず、ノコノコと現れたのが先ほどのニュートだ。だが、彼のカバンがチラリと開いたかと思うと、次の瞬間にその場にいた乞食に 恵まれたコインの山に、何やらモグラ風の生き物がむしゃぶりつくではないか。それに気づいたニュートは、慌ててその生き物を追っていく。そして、その光景 を見ていたもう一人の人物…ポーペンティナ・ゴールドスタインまたの名をティナ(キャサリン・ウォーターストン)が、なぜかニュートの後を追いかける。生 き物を追いかけてニュートが入り込んだ先は銀行だ。例のモグラ風の生き物は、どんどんお構いなしに銀行の奥へ入って行っては、コインを漁りまくる。たまた ま銀行に商談でやってきた太り気味の男ジェイコブ・コワルスキー(ダン・フォグラー)の隣に座ったニュートは、その場を取り繕ってジェイコブに話しかけ る。だが、モグラ風の生き物がさらに銀行の奥へと入って行ってしまったのを見たニュートは、慌ててその場を離れる。ところがニュートは、なぜか席に不思議 な卵を置いていってしまうではないか。困ったジェイコブはその卵を拾って、銀行員との商談に向かわねばならなくなってしまう。ジェイコブは手作りパン屋の 開店資金を、銀行から出資してもらおうとしていたのだ。だが、残念ながら商談は不調。ションボリして出てきたジェイコブはたまたまニュートの姿を見かけた ので、例の卵を見せてニュートに声をかける。ニュートはそのジェイコブに卵を見られたこと、そして例のモグラ風小動物がさらに奥に迷い込んでしまったこと に動転して、魔法でジェイコブごと金庫室へと転送した。驚いたのはジェイコブである。いきなり銀行の金庫室に移動させられ、目の前ではニュートが金庫を開 けてしまっている。そして金庫では、小動物がコインを漁っているという始末。そこに銀行員が駆けつけて来るが、ニュートは魔法で硬直化。さらに警備員たち も動けなくしてしまった。こうしてやっと例のモグラを捕まえたニュートは、ジェイコブを連れて銀行の裏口へ再転送。ここでジェイコブから一連の出来事の記 憶を消そうと構えたところ、ジェイコブにカバンで一撃くらってしまう。ニュートが一瞬ひるんだ隙に、ジェイコブはその場を逃げ出してしまった。ところが 「しまった」と焦るニュートの元へ、先ほど彼を見ていたティナが駆け寄ってくるではないか。何と彼女は、米国魔法議会の職員だった。そしてその場でニュー トを「魔法動物を飼った罪」「ノー・マジに魔法を見られた罪」などなどで現行犯逮捕。ニュートはニューヨークに着いて早々、米国魔法議会の本部へ連行され ることになった訳だが…。

みたあと

 この映画、先にも述べたように「ハリー・ポッター」のスピンオフ企画だが、「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」 (2007)以降のシリーズ後半4作を撮ったデビッド・イエーツが監督…という時点で「ハリポタ」風味が濃厚に残されるのではないかと予想された。僕自身 は「ハリポタ」にあまり興味はない方だが、どちらかと言えば映画的に安定してきたシリーズ後半を支えた監督だから、本作も出来映えはある程度保証されてい るのではないかとも思っていた。その反面の不安材料は、原作者J・K・ローリング自身による脚本執筆。まず、原作者が映画化にシャシャり出てきていいこと なんてひとつもない。おまけにこのオバチャンが映画ってものを分かっているのかどうかが不明。そもそも僕自身がこのオバチャンに好感を持っていない(笑) こともあって、イヤな予感がしていたのだ。一方、ダニエル・ラドクリフら若手を主演に据えた「ハリポタ」に対して、こちらは「博士と彼女のセオリー」 (2014)、「リリーのすべて」(2015)などで大いに注目を集め、特に前者ではオスカーまで取ったエディ・レッドメインが主役。当然、作品の持つ佇 まいはかなり違うはず。そのレッドメインの方も、評判をとった前出の作品はどっちかというと地味目の作品だが、今回は娯楽大作だからかなり勝手が違うよう に見える。そんな訳で、本作は果たしてどんな出来映えか興味津々だったのだが…。結果的にはかなり満足。ハッキリ言って「ハリポタ」の作品群などより僕は 好きだ。単純に見ていて楽しい映画に仕上がっているのに、むしろ驚かされたのである。

みどころ

  正直に言って「ハリポタ」の映画はかなり軌道に乗っていた後半の作品群に至っても、とにかく長過ぎて困った。観客層の主要な部分が十代の子供という映画な のに、上映時間2時間半というのはいくら何でも長いだろう。だが、それでも原作原理主義者の連中に言わせれば、あそこを切ったここを切ったと大騒ぎ。こん なうるさいファンを抱えちゃうと、切るに切れずにあんな長くなるんだろうし、こんなに長くしてもどこかは切らなければならないのだろう。そんな腫れ物みた いな原作ありきの映画づくりだから、どこか窮屈な感じになってしまっていたのではないか。今回はそもそも脚本からの書き下ろし、しかも小うるさいJ・K・ ローリングのオバチャン自らが書いているのだから、その点ノビノビと出来たのかもしれない。そしてやはり…今回はいくらか大人の話になっているということ なんだろう。主演がエディ・レッドメインで主人公の年齢がかなり上がったというのは、想像以上に大きい効果を与えているように思う。出て来るさまざまな生 き物もなかなか面白く、視覚効果的にも素晴らしい。何より本作は3D効果が満点で、あまたある3D映画の中でも上の部類に入るのではないだろうか。個人的 にはコリン・ファレルのスケールちっちゃい悪党ぶりが嬉しかったのも、ポイントがグッと高くなった一因である(笑)。

こうすれば

  ただひとつだけ問題があるとすれば、ここは主人公ニュート・スキャマンダーのキャラクターだろうか。正直言って本作で起きる事件の数々は、ほとんどこの男 のチョンボによるものだ。それによって、少なからず迷惑を被っている人々もいる。にも関わらず、この男はまったく他人に詫びるということがない。動物のた めに…とか動物がかわいそうだから…とか言っているが、人に迷惑をかけていること、それが自分のミスによるものだという自覚が決定的に欠けている。悪いと 思っている形跡がない。それが観客にとってかろうじて嫌悪感にまで達していないのは、ひとえにエディ・レッドメインの好演のおかげだと思う。しかも、それ で事件が解決すると変に認められてドヤ顔の結末。何となく特別扱いされる存在になってしまっている。「ハリポタ」もそうだったが、若くて未熟な主人公を特 別扱いする…という悪いクセが、このJ・K・ローリングのオバチャンには前々からあるんだろうか。何か歪んだホスト寵愛願望みたいなものでもあるのか?  どうもこのオバチャンに好感が持てないのは、こうした変な作風によるものじゃないかと今回初めて気づいた次第。やっぱりこのオバチャン自体は好きになれな いな(笑)。

さいごのひとこと

 JKと言ってもオバチャンだからなぁ。

 

「ヒッチコック/トリュフォー」

 Hitchcock/Truffaut

Date:2016 / 12 / 26

みるまえ

  個人の事情でまったく映画が見れない、見た映画の感想文も書けない…という状況から脱しての、久々に見る映画の一本目を何にしようか…。正直、見逃した映 画は数知れず。すでに正月映画モードに突入していて、話題作は混んでいてフラッと見る訳にいかない。そもそも映画館からあまりに長く離れていたので、どん な映画が面白そうか、どの映画館なら見やすいか、どの映画のどこで上映されているモノなら良い席で見られるか、そもそも今どんな映画をやっているのか…さ え分からなくなってしまった気がする。しかも、僕が映画から離れていたちょっとした間に、訳の分からないバカ当たり映画が登場して、若い奴らは絶賛してい るみたいだがこちとらにはどう考えてもそれほど大した映画には思えない。そんなこんなで、自分が「映画から招かれていない」客って気がしてならなかった。 そうなると、もう「映画が見たい」って気にもならなくなってくるものだ。そんな気持ちを救ってくれたのは、このタイトル。「ヒッチコック/トリュ フォー」。わがご贔屓フランソワ・トリュフォーにまつわる映画なら、何はともあれ見なくちゃならないだろう。おまけに、タイトルを見れば本作が有名な映画 本「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」に関するドキュメンタリーだということが分かる。この本は映画ファンなら一家に一冊の、ドナルド・リチーの黒澤 明や小津安二郎の本と同じくらい必携の本だ。だとすると、こりゃ僕が見ない訳には絶対いかない。そんな訳で、復活第一弾は迷わなくて済んだ。僕はいそいそ と、久しぶりのスクリーンに対峙しに行った。

ないよう

  その本は、まさに映画ファンの「バイブル」といっていい。デビッド・フィンチャーは「映画監督になろうとしていた私に、父がこれを読めと言った」と熱く 語った。ウェス・アンダーソンも「私はペイパーバック版で持ち歩いて読んだ」と語る。その、映画ファンなら読まねばならない究極の本とは…。1962年、 映画監督フランソワ・トリュフォーは深く尊敬する監督アルフレッド・ヒッチコックに、ロング・インタビューを申し込む手紙を送った。全作品に関する「映画 の極意」を語ってもらおうというインタビューだ。これにヒッチコックも、「泣きそうなほど感激した。ぜひ応じたい」と答えた。かくしてハリウッドのユニ バーサル・スタジオ内にあるヒッチコックの事務所で、トリュフォーによる詳細なインタビューが行われた。その結果、出来上がったのが「ヒッチコック/ト リュフォー 映画術」なのだ。本作はそのインタビュー時の音声テープに加えて、マーティン・スコセッシ、デヴィッド・フィンチャー…といった世界の著名な 映画監督たちへのインタビューも交えて、ヒッチコックの映画作法の秘密を解き明かしていく…。

みたあと
  恥ずかしながら、僕も大昔には8ミリ・カメラ(ビデオではなくフィルムの方)を振り回して、いっぱしの映画監督ごっこをしていた時代があった。まったくの 我流で撮っていたので、大抵の作品は見れたものではないが、それでも最後の頃にはそれなりに考えて撮っていたし、自分なりに質を上げたいと思っていたこと もある。そんな僕に最も強烈な影響を与えたのは、何と言ってもフランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜」(1973)。僕の映画の師匠はトリュフォー だったから、当然のことながら「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」は読まない訳にはいかない。デカくて高い本だったが、大金はたいて買ったし読みふ けった。実はその影響を直接受けて、実際にそこに書かれていたノウハウをマネたものも試みてみた。この本の素晴らしいところは、抽象的な言い方をしている ところがまったくない点だ。そういう意味で、ドナルド・リチーの映画本と双璧である。抽象的でないから、映画を撮っていた僕にとってはそのまま教科書とし て使える。センスも教養も技術もない不肖の弟子だった僕だが、それでもマネしようと試みた1〜2作については、それまでとは格段の進歩があったから驚い た。これ、みんな絶対にマネするべきだと思う。そんな映画本についての映画なら、まずは無条件で楽しめると思った訳だ。その期待は、とりあえず破られるこ とはない。

こうすれば

 実際に僕があの本を読んだのは、もう遠い昔の話だ。 そして、ヒッチコック映画もトリュフォー作品も、考えてみたらしばらく見てはいない。そういう意味で、ヒッチコックやトリュフォーに久しぶりに触れること が出来たのは嬉しかった。忘れていた本の内容も、本作で触れられていた部分からうっすらと思い出して来た。そういう事でもなければなかなか思い出せないも のだから、それだけでも楽しかった。ほとんど同窓会のような懐かしい思い…。ただし、1本の映画としてどうかと言えば、正直言って厳しい点を付けざるを得 ない。まず、「これ言っちゃオシマイ」の話をしてしまうが、本作を映画で見るより元の本を読んだ方が早い…という点が致命的。映画という、上映時間の制限 があるモノでやること自体が無理がある。どうしたって「薄口」になってしまうのを避けられない。おまけにウェス・アンダーソン、デビッド・フィンチャー、 マーティン・スコセッシ、ピーター・ボグダノヴィッチ、オリヴィエ・アサイヤス…といった著名な映画監督たちが「証言」するインタビュー場面があちこちに 挿入されるが、これがまた全体を薄めている。おそらくはこれで映画的な「付加価値」なり「豪華さ」を出そうとしたのだろうが、映画大学の学長みたいに講義 をしてくれるスコセッシはともかく、それ以外の監督たちはただただヒッチコックをヨイショしているだけにしか見えない。特にひどいのが日本の黒沢清で、ど うでもいいことしか言っていない。何のために東京まで来てカメラ回したのか分からないほど、陳腐なことしか言っていないのだ。「君の名は。」を見て来たば かりのバカップル捕まえて感想を聞いても、もう少しマシなこと言うんじゃないだろうかと思うくらい、スコセッシ以外の監督の「証言」は内容が空疎なのであ る。具体的な映画の場面を見ながら「映画術」の内容を点検していく…というようになれば面白かったはずなのに、それもあまりうまくいってない。わざわざ映 画にする意味がないのだ。そもそも本作は「映画術」の本を映画化したものなのか、はたまた「映画術」の本のメイキングを狙ったものなのか、それとも「映画 術」の本を論評するものなのか、それよりもヒッチコックの作家論・作品論を映画でやろうとしたものなのか…。作品の根本的な狙いがブレまくっていて、その すべてにしようとしてどれにもなっていない中途半端な作品になってしまった可能性が強い。ヒッチコックとトリュフォーに魅力があるから楽しめるものの、映 画としてはハッキリ言ってうまくいっていない。監督のケント・ジョーンズは、これだけ魅力的な素材でこの程度の出来ではマズいだろう。もったいない作品で ある。もっとも、僕はヒッチコックの映画やトリュフォー作品をDVDで見直そうという気になったから、十分元はとれているのだが…。

さいごのひとこと

 トリュフォーに撮ってもらいたかった。


 

「ベストセラー/編集者パーキンズに捧ぐ」

 Genius

Date:2016 / 12/ 26

みるまえ

  作家トマス・ウルフが世に出るまでの、編集者との抜き差しならない関係を描く。それだけでも、本を作る仕事に携わっている僕としては興味が湧くところ。お まけにそのトマス・ウルフをジュード・ロウが、編集者をコリン・ファースが演じて、さらに周辺の人物としてニコール・キッドマンやローラ・リニーまで出て 来るという豪華版。例えお話がつまらなくても、役者の顔だけ見ても楽しめるだろう。…というわけで劇場へとイソイソと出かけて行った本作。結果的に11月 6日に見たこの作品が、僕が頻繁に劇場へと行けた最後の作品となった。この後は原稿作成で大忙しになって、映画もこのホームページも放ったらかしになって しまった訳だ。まったく面目ない。

ないよう

 1929 年、雨がしとしと降るニューヨークの街頭に、ひとりの男が立っている。彼の名はトマス・ウルフ(ジュード・ロウ)。彼が見上げているのは、出版社チャール ズ・スクリブナーズ・サンズが入っているビル。この出版社には、名物編集者のマックス・パーキンズ(コリン・ファース)が働いていた。かつてF・スコッ ト・フィツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイらと組んだこともあるパーキンズは、この日も原稿に黙々と添削を続けている…。パーキンズの元にその原 稿が持ち込まれたのは、ほんの数日前のこと。だがその原稿は、彼の心を確実にとらえた。パーキンズは大長編の原稿を持って帰宅の列車の中でも読みふけり、 妻ルイーズ(ローラ・リニー)や娘たちの待つ自宅に帰っても読み続けた…。その翌日、事務所で仕事中のパーキンズのもとに、例のトマス・ウルフがやって来 る。この男、身振り手振りが派手派手な上に饒舌とくる。一見いかがわしさムンムンのウルフだが、パーキンズは彼にズバリと単刀直入に語った。「うちで出版 します」…これを聞いたウルフはそれまでの饒舌さが一転、唖然呆然となる。他の出版社で断られたこの作品、まさか老舗のこの出版社で出せるとは思っていな かった。おまけに前渡金までもらえるという高待遇。パーキンズの部屋からおとなしく出て行ったウルフは、廊下で思わず歓喜を爆発させるのだった。そんな彼 がしがないアパートに帰って来ると、出迎えたのは同棲中のアリーン・バーンスタイン(ニコール・キッドマン)。彼女は実は人妻だったが、ウルフに惚れ込ん で一緒に暮らしていたのだ。恋人の初の成功に、アリーンもウルフを抱きしめて喜んだ。さて、めでたく出版が決まったウルフの作品だが、パーキンズはこのま ま出版は出来ないとウルフに宣言していた。何しろ、度を超して長い。ウルフその人の言動と同じくあまりに大げさで饒舌。このままでは読者に届けられないと いうことから、大々的な削除と書き直しが必要とされていたのだ。この日から、パーキンズとウルフの「共同作業」が始まった。出版まであまり時間はない。そ の限られた時間の中で、単に削除するだけでなく、表現を微妙に変えていかねばならない。二人は激しいやりとりをしながら、身を削るように作品を鍛えてい く。時間が足らないので、ウルフはパーキンズの家に寝泊まりしながら作業を進めることになった。そんなパーキンズ家の食卓では、娘たちが「天才肌」で派手 な言動のハンサム男ウルフに夢中だ。だが、この男少々口が軽く思慮のない発言を連発しがち。この夜もパーキンズの妻ルイーズが「戯曲を書いている」と話す と、ついつい調子に乗ったウルフは戯曲批判を口走ってしまう。悪気はないが、悪気がないからこそタチが悪いウルフではあった。そんなウルフは、何かと親身 になってくれるパーキンズに思わずこうつぶやく。「あなたに会うまで、友人がいなかった」…。それを聞いたパーキンズも、思わずウルフに微笑むのだった。 そんな二人の奮闘の結果、ついに原稿は完成。タイトルについてパーキンズから念押しされたウルフは、最後の最後に思いついた新タイトルを原稿に書き記し た。いわく、「天使よ故郷を見よ」。このウルフの第一作は、世に出るやたちまち大ヒット。ウルフ自身も一躍人気作家に踊り出る。ノリに乗ったウルフはすぐ に第二作に着手。猛然と書き上がった新作は、またしても何箱もの段ボール箱いっぱいの原稿としてパーキンズの仕事場に持ち込まれた。この手書きの原稿は、 すぐさまタイピストたちによってタイプされ、またしてもウルフとパーキンズによる短縮作業が始まる。しかしあまりに熱心で密接なウルフとパーキンズの関係 に、それぞれのパートナーであるアリーン、ルイーズとの関係は微妙なモノになっていく。さらにウルフ自身、名声を博してからも自作が「削除」されることに 抵抗を感じ始めて…。

みたあと

 僕は自分でも本を作っているか ら、この題材にはイヤでも惹かれてしまう。しかも、著者でもあり編集もやるから、まったく人ごとではないのだ。その経験から言うと、あれだけバッサバッサ と文章を刻んでいく作業の辛さと、それをやったことによって文章が引き締まってくることについては、リアリティを感じるしよく分かる。あれは実際にそうな のだ。また、タイトルひとつで売れ方も違うということも痛切に感じていて、間際にタイトルを変更するあたりも非常に分かるのだ。自分の今の仕事のことがす ぐに頭に浮かぶので、本作を距離を置いて見れないのである。

こうすれば
 ただ、最初見た時のそうした共感みたいなモノが薄れて、時間が経った段階で改めて考えてみると、実はこの作品はそれほど優れていなかったんじゃないかと いう気持ちになってくる。「いい映画」っぽい雰囲気は漂っているのだが、本当に「いい映画」だったかどうかは怪しくなってくるのだ。そもそも本作の原題で ある「天才」ことトマス・ウルフの描き方が、ちょっと類型的といえば類型的。身勝手で人を振り回し、無駄にハイテンション…というキャラクター設定は、今 までさまざまな小説や芝居や映画で描かれて来た凡百の「天才」像から一歩もハミ出していない。例えば有名な上方落語家・桂春団治をうたった演歌の「浪花恋 しぐれ」あたりが持っている世界観と、大して変わらない。「芸のためなら女房も泣かす」とか、「酒や酒や酒買うてこい!」とか、そんな感じなのである (笑)。ハッキリ言ってこんな天才像しか提示できてないのは、いかにも陳腐だ。本作はオリジナリティーや驚きをまったく作り出すことが出来なかったという 意味で、残念ながら傑出した作品とはなっていないと言わざるを得ない。脚本のジョン・ローガンと、舞台演出家で本作が映画監督デビューのマイケル・グラン デージは、残念ながら既存のありがちな作品しか作れていないと思う。

みどころ
  ただ、凡庸な天才像ではあるが、トマス・ウルフを演じるジュード・ロウはやはり素晴らしい。何が素晴らしいかといえば…実際のトマス・ウルフはどうか分か らないが、これだけチャーミングならついつい周囲が世話を焼いてしまうだろうなと思わせる魅力的な人物像を描けている点。最初に出て来た時の彼の去勢の張 りっぷりも、可愛げに見えちゃうトクなキャラクター。ハッキリ言ってトマス・ウルフがどう…というよりジュード・ロウの魅力(笑)。この人の魅力は二枚目 であることではなくて、無防備なまでの無邪気さだ…と再認識した。男も惚れちゃう愛嬌があるのだ。年齢を重ねてムサいキャラに変更したのかと思っていた が、久々に魅力的な彼を見られたのが収穫だろう。また、ジュード・ロウにコリン・ファース、ニコール・キッドマンやローラ・リニーという充実したキャスト の他にも、ガイ・ピアースやドミニク・ウェストまでが出て来てお得な感じがしてくるのも本作の美点だろう。特にF・スコット・フィッツジェラルドを演じた ガイ・ピアースが、かなり感じを出していたと思う。

さいごのひとこと

 エンディングに「浪花恋しぐれ」を流すべきる。

 

「アンナとアントワーヌ/愛の前奏曲<プレリュード>」

 Un + Une

Date:2016 / 12 / 26

みるまえ

 実は何を隠そう、僕は「男と女」(1966)以来、クロード・ルルーシュの映画が好きだ。軽薄だの中身カラッポだのフランシス・レイの音楽しかいいとこがないと言われても好きだ。「愛と哀しみのボレロ」 (1981)も、あの大味感とハッタリがたまらない。何だかクソ気取ったことばかり言ってて面白くない他のおフランス映画より、よっぽど敷居が低くて好感 が持てる。だが当然のことながら、映画にその「敷居の高さ」を求めてるシネフィルどもにはすこぶる評判が悪い。そもそも難しい顔して見たいからヨーロッパ 映画を見ているのに、単純明快ルルーシュ映画は彼らのプライドをくすぐらない。だから評判が悪い。バカな奴ほど利口ヅラしたがるものなのだ。その弊害でミ ニシアター・ブームが起こったあたりからルルーシュ映画は日本でも冷遇され始めて、あまり公開されなくなってきた。ある意味ではリュック・ベッソンより扱 いが悪いかもしれない。そんなルルーシュ映画が久々にやって来たとなれば、見ない訳にはいくまい。しかも、主演が「アーティスト」 (2011)でいきなりオスカーをとったジャン・デュジャルダンというメジャー感漂う布陣。今回はこのデュジャルダンに対しての「女」役に起用されたの が、エルザ・シルベルスタインだと聞いて「おっ?」と身を乗り出してしまった。エルザ・シルベルスタインと言えば、僕にとっては「ミナ」(1993)でロ マーヌ・ボーランジェと共に「女の友情物語」を演じて圧巻だった「彼女」だ。あの映画で、ダリダの「18歳の彼」という歌に合わせて口パク歌唱を見せる彼 女は、最高に輝いていた。僕にとっては一生忘れられない彼女なのだ。決して出演作が多いとはいえないシルベルスタインだが、ここでルルーシュ作品に出演と 来れば見ない訳にはいかない。ここんとこ日本にたま〜にやって来るルルーシュ映画を軒並み見逃してるから、何と新作ルルーシュ映画をこのサイトで取り上げ るのは、これが初めて。何だかんだと見るのが遅れたが、それでも何とか間に合って劇場に駆けつけたという訳だ。なのに感想文がまたまたこんなに遅れたの は…まことに情けない限り。ただただ申し訳ない。

ないよう

 イ ンドの街頭で、雑踏に向けてひたすらデジタルカメラを向けている男…映画監督のラウール(ラウール・ヴォーラー)。一心不乱にインドの風景を撮影している ようだが、一体何を撮ろうとしているのか…。その頃、ダンス・スタジオで若者たちが踊っているが、そのうちの若い娘アヤナ(シュリヤー・ピルガオンカル) に対して、ダンス教師は厳しく叱責を繰り返す。一度はレッスンの場からはずされ、一人でツンボ桟敷にされるなど散々。やっと練習に戻れても、「これが最後 のチャンスだからな!」とドヤされる始末だ。一方、街角の宝石店の前にバイクを停めた若い男サンジェイ(アビシェーク・クリシュナン)は、いきなりフル フェイス・ヘルメットをかぶって店の中へ。彼は銃で店員を脅して宝石を奪い、慌てて飛び出してバイクで逃走。途中でバイクを捨てて、仲間の運転するクルマ へと乗り込む。だが、そのクルマが人をはねた。何と不運なことに、はねられたのはあのアヤナだ。クルマはそんなことに構ってられないと逃げようとするが、 サンジェイは我慢できない。どうしても逃げようとする仲間に銃を突きつけてまで、クルマを事故現場に戻させた。ヤバいと思った仲間はそこでトンヅラ。サン ジェイは傷ついたアヤナをクルマに乗せて、病院まで爆走する。病院に飛び込んだサンジェイは、ベッドにアヤナを横たえて「手当てしろ!」と職員を捕まえ る。安心したサンジェイは病院から逃げようとするが、時すでに遅し。四方からパトカーが殺到して、サンジェイは両手を挙げざるを得なくなる。こうして捕 まったサンジェイは、留置場の中へ。そこにやって来たのは、あのデジカメで撮影していたラウール監督だ。彼は鉄格子ごしに、サンジェイに驚くべき提案をす るのだった。「君たちの話を映画にしたい。現代版『ロミオとジュリエット』…いや、『ジュリエットとロミオ』だな」…。舞台変わって、ここはパリ。ベッド で頑張っている男女…男は映画音楽家アントワーヌ(ジャン・デュジャルダン)、女はピアニストのアリス(アリス・ポル)。二人は偶然に出会った。アント ワーヌが列車に乗り遅れた時、アリスがたまたま駅にあるピアノを弾いていた。それで惹かれ合い、こんな事になった訳だ。ただ、アントワーヌが列車に乗ろう としていたのも、実は女に会いに行くためだった。それがこんな事になっている訳だから、この男がどんな人物なのかも知れようというものだ。そんな彼は、映 画音楽の分野では超一流。アカデミー賞も受賞して、世界的名声を誇っている。彼は今、インドへ向かう旅客機の中にいた。あのラウール監督からオファーを受 けて、彼の最新作に音楽を付けることになった訳だ。その最新作こそ、例の『ジュリエットとロミオ』。それも大胆なことに、アヤナとサンジェイ本人に自分の 役をやらせるという野心作だ。ラウール監督はいわゆるボリウッド映画の作り手ではなく、ちょっと敷居が高いアート系の監督。これまたアカデミー賞受賞経験 がある人物だから、アントワーヌも相手にとって不足はない。唯一気になる点といえば、飛行機に乗ってから急に襲われた頭痛だけだろうか。そんなこんなで やって来たのはインドのニューデリー。到着するや否や、在インド・フランス大使館の歓迎晩餐会が待ち構えていた。ラウール監督にアヤナとサンジェイも呼ば れており、堅苦しいことが苦手なアントワーヌも逃げられない。フランス大使サミュエル(クリストファー・ランバート)の主催で始まったこの晩餐会だが、ア ントワーヌが退屈しないで済んでいたのは、隣に座った大使夫人のアンナ(エルザ・ジルベルスタイン)のおかげだった。何と言えばいいのだろうか、まさに意 気投合というべきか。アントワーヌとアンナはまさに話がはずんだ。アンナは訳の分からないインドの精神主義みたいな話をしていたが、そのバカバカしさすら 好ましく聞こえた。あまりに二人で話がはずんでいるのを見て夫のサミュエルがチラチラこちらを見ているのは気づいていたが、アントワーヌもなぜか話が止ま らない。ところがその夜、ホテルに引き揚げて来たアントワーヌが楽しい会話の余韻に浸っていると、何と例のアンナが彼の部屋に押し掛けて来るではないか!  …というのは夢だった。そうそう都合のいい話は世の中転がっている訳ではない。ただ、翌日に録音スタジオで例の映画音楽の仕事をしている監督のラウール とアントワーヌのもとへ、アンナが訪れたのは「偶然」ではないだろう。仕事が一段落した後、アントワーヌとアンヌはランチをとりつつ楽しい会話。またまた 話が大いにはずむが、もっぱらアントワーヌはアンヌの頭でっかちインド思想をからかう。それでもアンヌは本気だ。実はすぐに彼女は旅立つ予定で、列車で聖 地バラナシまで行った後にケーララ州の聖者アンマに会いに行くという。なかなか子供に恵まれないことを気にする彼女は、聖者アンマの「抱擁」を受けること で癒され、子供が授かるようになれば…と思っているのだ。そんな彼女の話を笑い飛ばしながら、アントワーヌはアンナと別れる。だがそんなアントワーヌに、 まもなく人生の重大な問題が迫って来る。ひとつはあのアリスが彼に結婚を迫り、間もなくインドへやって来るということ。だが、これはまだ大したことはな い。問題はもうひとつの方で…それは、ずっとアントワーヌを悩ませて来た頭痛が、どうやら脳に出来た血栓によるものらしい…という恐るべき事実だった。ア ントワーヌを診察した医師はただちに入院することを勧めたが、果たして彼の選択は…。癒しの旅に出かけたアンヌが列車から降りたちょうどその時、彼女の前 に立ちはだかった人物こそ…それまでアンヌが話した精神世界の話をからかってばかりいた、アントワーヌその人であった…。

みたあと

  これは有名な話だが、クロード・ルルーシュはその映画人生の中で、基本的に「男と女」以外の話を作っていない。ルルーシュ作品でも屈指の大作である「愛と 哀しみのボレロ」にしたって、「男と女」を別の国籍の複数のエピソードに増殖させて現代史の中に組み込んだだけ。やっていることは根本的に変わらない。そ の「男と女」ネタ自体、アメリカに持っていってジェームズ・カーン主演の西部劇にした「続・男と女」 (1977)があり、さらに正統な続篇として20年後の後日談を描く「男と女 II」(1986)があるといった具合。一体何度やれば気が済むんだよ…というより、これしかないんだな実際。あとはその都度、コロモや背景を変えていく だけ。で、今回のコロモは「インド」である。最近、元気のいいインド映画界をチラリと入れるのは、さすが流行りに目ざといルルーシュらしさ。さらに「今が 旬」のジャン・デュジャルダンを起用するあたりも「らしい」ところだ。ミーハーであることにまったくためらいがないのが、いかにもルルーシュっぽいところ なのだ。そのデュジャルダン以上に僕としてはお目当てだったエルザ・シルベルスタインは、あの「ミナ」から20年以上経っているのに、あまり変わっていな いように見えるのが奇跡的。実はそれだけで僕は本作を見た甲斐があったというもので、実はもう他はどうでもいい(笑)。しかも懐かしや!…かつては「サブ ウェイ」(1984)や「ハイランダー/悪魔の戦士」(1986)などで国際的スターとして活躍したクリストファー・ランバートまでが出演しているではな いか。もうその時点で、本作は僕にとってオツリが来る映画になっていた。

みどころ

  これだけ「男と女」を自らトレースし続けていると、もうどの作品を切ってもセルフ・パロディみたいになって来ているのがご愛嬌。本作もアンヌが聖者アンマ の抱擁を求めて旅立ち、列車を降りたらアントワーヌが駅に先回りしていた…というくだりを見て、「女が駅に着いて列車から降りると男が先回り」ってどこか で見たな…と「デジャヴ」みたいな気分になった。そんな自作「男と女」以外にも、本作の劇中劇になっている「ジュリエット&ロメオ」って映画が、実話の当 事者がそのままの役を演じるというアッバス・キアロスタミの「クローズ・アップ」(1990)みたいな作りになっていたり…。まぁ、これはひょっとしたら ルルーシュの中でインドもイランも一緒くたになっちゃってる可能性もなきにしもあらずだが(笑)。またアントワーヌの父母がエットーレ・スコーラの「あん なに愛しあったのに」(1974)チョイ役出演で知り合ったという設定になっていたり…。こちらの方は、当の「あんなに愛しあったのに」に「甘い生活」 (1960)撮影場面としてフェリーニやマストロヤンニの特別出演があったことが連想させられて、ルルーシュの映画ファンぶりを彷彿とさせられたが、そん な映画ファンならグッとくる楽屋落ちやパロディや目配せが全編に散りばめられていて、物語自体は他愛のない話なのに楽しく見れる。今ちょうど「他愛のない 話」と書いたけれども、確かに他愛のない…といえば他愛のない話。確かに人妻と恋人のいる男がホイホイ一緒に旅に行って、何となく癒された気になってくっ ついちゃう…というどうでもいいような話。しかも、お話の中盤でアンヌの夫やアントワーヌの恋人まで出て来てのやりとりがどうしても陳腐に見えて、正直 いって僕はいささか興ざめしかかったというのがホンネ。だが、それがアンヌの夫が打った一芝居だった…と分かって、一気に見え方が変わった。その前に二人 の抜群の相性の良さを見ちゃって、老いた夫がまだ若い妻に対するはなむけとして芝居したんだな…と分かるから、じ〜んと来るのである。こういうところが上 手いんだな〜ルルーシュは。アンヌとアントワーヌが初めて出会う歓迎会でアンヌが熱心に語るインド思想みたいな話があまりに薄っぺらいので、ひょっとする と観客の中には「これが西洋人の限界!」だの「ルルーシュの軽薄さの現れ!」みたいに見ちゃう人がいるかもしれない。だが、おそらくルルーシュは薄っぺら いのも百も承知なんじゃないだろうか。そもそも、語っているアンヌ自身が苦笑気味にしているのだ。これが薄っぺらいなんてことは分かっていないはずがな い。どうせオレたち西洋人はここではヨソ者なのだから、インド思想なんてちゃんと分かる訳がないだろう…という、これは彼なりの率直な気持ちの現れなん じゃないかと思う。特に、今まで散々浅いとか軽いとか言われまくって来たルルーシュだから言えることなんじゃないかと、僕は好意的に受け止めた。そして… にも関わらず「インド効果」ってのは確実にあるんじゃないか…と語っているのが本作なのだ。アントワーヌはなぜかアンヌが自分の宿に押し掛けてくる…とい う妄想を見るし、そもそも「これはいけないことだ」などと言いながら結局ふたりが一緒に旅するうちに結ばれてしまうのも、そうした「効果」ゆえ。どこかデ ビッド・リーンの遺作「インドへの道」(1984)みたいなところがある。二人が聖者アンマに抱擁される場面の多幸感といい、やはり本作はルルーシュなり の「インドへの道」だったのだろうと思われるのである。さらに、こんな歳になってもいまだに「男と女」のバリエーションを撮って、なおかつミーハーにイン ドなんて題材を盛り込もうとしているあたり、まだまだルルーシュは現役なんだなぁ…と感心してしまった。ついでに言うと、クリストファー・ランバートの、 特殊メイクみたいなあまりの老けっぷりにも衝撃を受けた。病気でもしたのかねぇ。そして、今回かなり感心したセリフがひとつ。「物事は10のうち9は女が 正しい」…ってのは、まさに言い得て妙。本当に細々したことはごもっともで敵わないんだけど、肝心の最後のひとつがなぁ…(笑)。あっ、これは「偏見」で はなくて僕個人の「経験」から言ってるのでご勘弁を。

さいごのひとこと

 いくつになっても「男と女」…って精力剤の広告かよ。


 

「ザ・ビートルズ
 /EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years」

 The Beatles : Eight Days a Week - The Touring Years

Date:2016 / 12/ 19

みるまえ

  この映画のことは前々から聞いていて、最初から見ようと決めていた。他ならぬビートルズの公式映画ということもあるが、ちょうど僕自身今年制作していた本 がビートルズ来日に関わる部分がある内容だったので、どうしても見なきゃならない理由があったのだ。それと、ロン・ハワードとビートルズの関わりに興味が あった。実は僕は前々から、ロン・ハワードはいずれビートルズの映画を撮るんじゃなかろうかと思っていたのだ。僕が予想した「ビートルズの映画」は本作と はまったく異なる性格のモノだったが、それでも大いに興味を持ったのは事実である。そんな訳で本の制作真っただ中にも関わらず、仕事を放り出して見に行っ たという訳だ。

ないよう

  ビートルズの大成功といえば、あのビートルマニアたちの巻き起こした熱狂ぶりがすぐに頭に浮かぶ。実際、ビートルズが出現してすぐ、全世界を席巻した熱狂 は他に例を見ないものだった。その状況は、彼らのライブ・パフォーマンスの場で最も顕著に現れた。また今では想像も出来ないほど、ビートルズ自身がその熱 狂を煽るにふさわしい激しいパフォーマンスを見せていたのである。コンサートは常に熱狂の渦。ヨーロッパを制服したビートルズは、遂に娯楽の殿堂アメリカ にも上陸。ここでビートルズの成功は頭一つ抜きん出るほどの規模となった。コンサートの動員がハンパではない。そこで巻き起こる騒音もまた桁違い。ついに 野球場でのコンサートを行うに至って、彼らの人気は頂点に達した。だが、それは彼らのライブ音楽の「死」を意味するものに等しくなっていく…。

みたあと

  正直言って、この映画を見なければ…とは思ったものの、見たら何か驚きがあると思っていたかと言えば、100パーセント「否」である。大体がアップルが作 るビートルズの公式映画に、そんな意外性や驚きなどあるはずがない。こちらも長年ビートルズとはつき合ってきているので、それなりに彼らの映像や音源には 触れてきている。大抵のモノは見ているし聞いているので、今さらビックリするものなどないということは分かっている。あの「ビートルズ・アンソロジー」 だって見れたことは嬉しかったものの、とてつもなくビックリするものなど一つもなかったではないか。今回の作品も、またあのビートルズに触れることが出来 て、僕が見るべくもなかった彼らのライブ活動の痕跡の一端でも見ることができればいいか…ぐらいに思って、劇場に足を運んだという訳である。その期待は十 分に満たされた。
ここからは映画を見てから!

みどころ
  本作の見どころは、もちろんビートルズである。先にも述べたように僕は年齢的にビートルズの生演奏など聞ける訳もなく、その現役時代にはほとんど触れられ ずに終わった世代になる。だから、いくらかでも彼らの全盛期を追体験したいという気持ちが強い。そんな僕らのようなファンの期待に、本作はかなり応えてく れていると思う。まずは映画が始まって間もなくの、1963年のマンチェスターでの公演の模様が素晴らしい。「ツイスト・アンド・シャウト」を演奏する鮮 やかなカラー映像が出てくるのだが、おそらく最新の技術でリマスターされたであろう美しい画面に、激しく演奏するビートルズが出て来る。どうも音はハリ ウッド・ボウルでの演奏と差し替えられているらしいが、こちらもクリアで素晴らしい音響である。それでも「当時の彼らの演奏はこうだったんだろうな」と思 わせるに十分な迫力とリアリティだ。この場面だけでも見た価値はあったと思った。そして、何でまた彼らがあんなに熱狂的な人気を勝ち得たのか…という疑問 にも十分答えている。ここでのビートルズは、やはり魅力的で興奮する存在なのだ。それがちゃんと最新技術によって描けている。これなら人気が出ても仕方が ない…と、「歴史的事実」ではなく今日の目で見てもそう思える魅力が描けているのだ。これはなかなか出来そうで出来ないことだろう。実はこの冒頭場面での ビートルズのインパクトが、僕にとっては本作最大のものとなってしまったのだが、それはそれでもいいのかもしれない。「現役として演奏するビートルズ」の 姿を見せてくれただけで嬉しい。だが、僕らはその後のビートルズが「面白うてやがて悲しき」…になってしまうことを知っている訳で、快進撃でイケイケの彼 らを見ていてもどこか悲しい気分は抜けない。当然のことながら映画もツアーで消耗する彼らを描いていくわけで、見ているうちに僕は「こりゃあ終わらせ方が 苦しそうだな」と思っていた。誰でも知っている有名な話を描くというのは、なかなか難しいものがあるのだ。それでも映画「レット・イット・ビー」でのアッ プル・ビル屋上コンサートで終わらせる幕切れは、「やっぱりな」と思わせながらも嬉しいエンディングだった。そして、ロン・ハワードが本作を撮ったという ことで…僕が前々から予想していた通りに、「フロスト×ニクソン」(2008)や「ラッシュ/プライドと友情」(2013)で見せてきた「男対男」の愛憎ドラマの延長線上として、「レノン=マッカートニー」の劇映画を撮ってくれるのではないかという期待がさらに高まった。映画界広しといえども、これをやれるのはロン・ハワード以外考えられない。ぜひ実現してほしいものだ。

さいごのひとこと

 僕にとっては「体験する映画」だった。

 

「トレジャー/オトナタチの贈り物」

 Comoara (The Treasure)

Date:2016 / 12 / 19

みるまえ

  この映画については、まったく事前の情報がなかった。だが、たまたま時間が空いて映画でも見るか…となった時に、ネットで見る映画を調べていて偶然知っ た。ルーマニアの宝探しの話。これでワクワクしないなんてウソだ。僕の大好きな東欧、そして宝探しだ。それだけで、僕はもう見たくてたまらなくなった。お まけにこの映画について知った時には終了間際。これは見なくてはいけない。しょうもない映画か大傑作かのどっちかに違いないが、しょうもない映画でも話の タネにはなるだろうし、大傑作ならお得感がハンパない。これは見るしかない。「シンなんとか」とかそんな話題作は他人に任せても、これだけは見なければマ ズいのだ。そんな訳で10月はじめ頃に見た映画の感想を、今ごろアップしているのは…もう言わずと知れたことだと思うので言い訳はしない。

ないよう

  渋滞する道路でクルマは立ち往生。その車内に、コスティ(クジン・トマ)と息子アリン(ニコディム・トマ)が悶々として閉じ込められている。だが車内の空 気がどんよりしているのは、渋滞のせいではなかった。コスティが仕事やら野暮用で、アリンを学校に迎えに行くのに遅れてしまった。それで二人とも気まずい 雰囲気になっているのだ。いくらアリンは「怒ってない」と言っても、スッキリしないのは変わらない。あげく「ロビンフッドなら遅刻しない」とまで言われて しまって、面目ないコスティ。実はアリンはロビンフッドが大好き。コスティは毎晩、アリンにロビンフッドのお話を読み聞かせてやっていたのだ。その夜も、 コスティはアリンに「ロビン・フッド」の物語を読み聞かせていた。すると、そこに不意の来客。それは、隣人のアドリアン(アドリアン・プルカレスク)だっ た。アドリアンの用件とは、ズバリ借金。失業中のアドリアンは、家のローンを支払うためにどうしてもカネが要るのだった。しかし、コスティとて苦しいのは 同じこと。貸してあげたいのは山々だが、話は聞いてあげたものの結局お引き取りいただく他はなかった。ところがアドリアンが帰ったと思ったら、再び戻って 来るから驚いた。だが、そこでアドリアンが話し始めた内容は、さらに驚くに値するものだった。いわく、「宝探しをしないか?」…。アドリアンの曽祖父が共 産党時代の到来直前に、家の庭に「お宝」を埋めた。どんなモノかは分からないが、値打ちモノであることは間違いない。それを探すためにカネがいるというの だ。金属探知機で宝の在り処を探すためのカネを提供してくれ…というのが真の目的だったのである。協力してくれれば、利益は折半。この話にコスティの心は 動く。アドリアンが帰った後で、コスティは妻のラルカ(クリスティナ・トマ)にこの話を持ちかけた。しかし、さすがにラルカも家計は火の車。おいそれと首 をタテには振れない。しかし、最後はラルカの親から何とかカネを都合してもらうことで話はついた。さて、翌日のこと。しがない公務員のコスティは、いつも のように職場へとやって来る。彼はすでに例の金属探知機について当たりをつけていて、業者と話をつけようというところ。ただし勤務中は無断で外には出られ ないので、あくまで「仕事」で外出…というカタチをつけるべく同僚の女性職員に頼み込んだ。こうしてやって来たのは、金属探知機を手配する会社。だが社長 の話を聞くと、なかなかこれは厳しいことになりそうだ。まず、金額が思った以上にかかる。おまけにいわゆる「財宝」が見つかったならば、国有財産になるた め警察に届けなければならない義務が生じるらしい。どうもこれはロクなことになりそうにない。ところがその後、この会社の社員のコルネル(コルネリュ・コ ズメイ)というオッサンから、コスティにありがたい提案があった。社長に内緒で金属探知機を安価で出してやるというのだ。コルネルとしては、これは休日の 「バイト」という訳である。これで何とかなりそうと宗をなで下ろすコスティだが、今度は職場でいきなり上司から呼び出されて焦る。勤務中の怪しい行動を咎 められるのかと思いきや、何とその時に一緒に出かけてくれた女性職員との「不倫」を疑われるという始末。それも、いくら違うと言っても聞いてくれない。そ んな話で良かったのか悪かったのか…ともかく用意万端整って、「宝探し」当日を迎えることになる。アドリアンと一緒に彼の曽祖父の家にクルマで出かけるコ スティ。クルマを出したのも、もちろんコスティだ。やってきた問題の家は、空き家になってから久しいガランとした古い家。家の門を開けてコッソリとクルマ を庭に隠し、家と庭をアレコレ散策する。ハッキリ言って、「宝」など無縁に見える殺風景な家だ。本当にこんな場所に「宝」などあるのだろうか? やがて例 のコルネルがクルマに乗ってやって来る。もちろん、ちょっと変わった掃除機みたいな金属探知機を持参での到着だ。こうして、早速、庭の芝生を金属探知機で 探り出す一同。だが、どうにも反応は鈍い。あっちじゃないかこっちじゃないかと言ってはみても、そこは素人の悲しさ。ちゃんと「宝」に向かって進んでいる のかどうかが分からない。そのうちアドリアンとせっかく来てもらってるコルネルとの間もギクシャクしてくるし、コスティはしなくてもいい気苦労をする羽目 になって来るのだが…。

みたあと
 僕がこの映画を見た理由は、「ルーマニア」の「宝探し」の映画という2点のみ。この映画について知っていたことも、ほぼこの2点に尽きる。出演者 も監督も知らない人だ。だが、元々好きな東欧に、「宝探し」と来ればワクワクして来ない訳にいかない。そんな理由で見に行った本作、ワクワクしてくる映画 なのか…と言えば、ハッキリ言うとワクワクしてくるような話ではない。ショボい東欧のイマドキの現実が反映されたような、ショボくれきった話が展開。宝探 しまでの持って行き方もショボければ、宝探し自体も殺風景な家や庭で普通の日曜日あたりにやっているような雰囲気。大冒険も何もなくて、金属探知機で淡々 と探し、淡々と掘る。本当にワクワク感からは程遠い映画なのだ。つまり、例えば昔の「グーニーズ」(1985)などにあったような雰囲気は皆無なのであ る。では、ワクワクしなかったのか? いや…僕個人の感想を言わせていただくと、いわゆる一般的なワクワク感ではないところで妙にワクワクしちゃったので ある。

みどころ

 先ほども述べたように、ショボい東欧のショボい人々によるショボい現実の中で展開するお話。ヤマもなければ興奮もない、アクションやサスペンスなんてさ らさらない。お屋敷とも言えない古い家の庭先で探っているだけだから、スペクタクルなんてものもまったくない。主人公からしてショボくて、しがない公務員 の身。勤務中に金属探知機の会社に行くこと自体で、早くもビクビクしているテイタラクである。かなりお人好しらしく、隣人が借金を頼みに来ても無下に追い 返さない。ただ、話は聞いてやって同情するけれども、貸せるカネなどないというのもショボい。単にお人好しというだけでショボいではないか。しかし目が離 せなくなるのは、展開に意外性があるからである。こんなカネない度胸ないスケール感ない主人公が、ついつい宝探しに乗り出してしまう。ビクビクして勤務中 に無断で出かけて行き、上司にバレたかとビビッていたら「不倫」と間違われてしまう。そもそも、どんな「宝」があるのかも分かっていないし、「宝」が見つ かったら見つかったでちょっと意外な展開になるし…で、こんなショボくて淡々としたお話なのに、小さいサプライズがいくつもあって退屈しない。そもそも 「宝探し」でこのショボさという点からして「意外」なのである。こんな淡々とした小さい話でこう持っていくのは、洞窟探検だの海賊船だの宝を巡っての奪い 合いだの…って、本来「宝探し」映画で予想されるさまざまなお膳立てをされた映画などよりも、よほど巧みな技術が要る。監督・脚本のコルネリュ・ポルンボ ユは、なかなか非凡な才能の持ち主に思われる。そもそもお話のショボさも、ある意味で貧しい東欧…ルーマニアの現実を反映しているとも言えるので、映画と しての鮮度やリアリティもある。スットボけた味わいといい、出て来るキャラクターの面白味といい、他の映画では見られない不思議な味わいがあるのだ。僕も 見ていて、予想外な拾い物に巡り会ったと喜んだ。珍品映画ファンにとっては必見の作品だと思う。
ここからは映画を見てから!

こうすれば

 という訳で、万々歳でホメて終わりたい映画なのだが、幕切れにだけはちょっと違和感を持った。これは本当にオチをバラしてしまうことになるので詳しくは いいたくないが、一見おおらかで夢のある結末…と見えるかもしれないけれども、僕はハッキリいって「アレレ?」と思って共感できなかった。いいたいことは 分かるのだが、主人公の人の良さに「バカ」がつきそう。実際、あの結末って「夢」だとか何だとかっていうより、あんなことやらかしたら嫁さんが激怒しちゃ うんじゃないか? そもそも嫁さんの親から借りたカネはどうする気なんだ? そして自分じゃいいことやった気になってるんだろうけど、群がって来た子供た ちと潤うことになるその家の連中を、結果的に「乞食」にしてしまうのと同じなのではないか? アレがいいこととはとても思えない。そもそも貧しいルーマニ アの現実に依って立っているお話だったのに、最後にアレではブチ壊しな気がする。辛い現実だからこそ最後に夢を…ということなのだろうが、甘っちょろい絵 空事にしか思えない。あの価値観そのものが僕には理解できないのだ。一種のおとぎ話…的な夢のある結末と言っても、チャップリンですら必要なのは「愛と勇 気とサム・マネー」と言っているのだ。「サム・マネー」なんて要らない…って言い草では映画全体が真っ赤なウソになってしまう。やはりこの結末には納得で きない。そこまではズッと観客の予想を越えた面白さだったのに、ラストの「アレ」でちょっとガッカリ。エンディング・クレジットで流れる「ライフ・イズ・ ライフ」とかいう暑苦しい英語の歌も違和感ばかりあって、残念でもったいない出来映えだとしか言いようがない。

さいごのひとこと

 「蛇足」のことわざ通りの映画。

 

「スーサイド・スクワッド」

 Suicide Squad

Date:2016 / 12 / 19

みるまえ

  最近のアメリカ映画は、マンガの映画化花盛りである。日本も人のことはいえないが、さすがにこうも続くとイヤになってくる。それでもマーベルが作る一連の マンガ映画化は、さすがに一日の長がある。あの手この手で映画的に楽しませようとするので、ケナしてやろうにもケナせないという悔しい思いをさせられてい る。だが、一方でDCコミックス系が作っている映画群は、どうもそのへんがうまくないようだ。マーベルが全部の映画をどこかでつながっているように作って いるのが羨ましくて仕方ないようで、「バットマンvsスーパーマン/ジャスティスの誕生」(2016)あたりからそれを本格的にスタートさせたようなのだが、いかんせんお話がダメダメで残念な出来映えだった。しかもDC版の「アベンジャーズ
らしき「ジャスティス・リーグ」の面々も、とても単独では映画を撮れそうにない雑魚ばかりで、今後にあまり期待できない。こりゃダメだわな…と思っていた ところに、この映画の予告編である。何と悪党ばかりを集めた特命部隊を作って、巨悪と戦わせるというお話。早い話がロバート・アルドリッチの「特攻大作 戦」(1967)のマンガ版である。なるほど、ヒーローばかり束にしたら内輪揉めをし始めたマーベル「アベンジャーズ」よりは、単純かつ確実に楽しめる映 画になるかもしれない。ここんとこ「アフター・アース」(2013)など息子可愛さで「やっちまった」感が強かったウィル・スミスが、ワンマン映画からこんな集団活劇…しかもDCのマンガ映画に出るようになったというのは、果たして危機感の現れなのか、はたまた少々落ちぶれたのか。だが、そこに「ダラス・バイヤーズクラブ」 (2013)で好演したホットなジェレッド・レトを持って来るとなれば、なかなか悪くないキャスティングだ。予告編でのクイーンの「ボヘミアン・ラプソ ディ」もなかなかキマってる。少々けたたましくてケバケバしているが、ヘタに正統派勝負してもマーベルには勝てないと悟っての作戦だったら、これはこれで アリなのではないか。僕は大して期待はしなかったものの、期待しないなりに期待して(笑)公開を待った訳だ。その感想文がこれほどに遅れてしまった訳は… もはや語るまでもないだろう。

ないよう

  ここは、悪党どもが囚われている悪名高きベル・レーヴ刑務所。中でも札付きの囚人「デッドショット」ことフロイド・ロートン(ウィル・スミス)の独房に、 すこぶる付きのマズいメシが運ばれてきた。挑発する看守にふてぶてしい態度のデッドショット。たちまち椅子に括られたデッドショットは、看守たちに袋叩き にされてしまう。また、別の独房には、これまたワルの女囚ハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)が閉じ込められていた。こちらも看守に挑発されたあげ く、鉄格子に電流を流され感電させられるというアリサマ。まったく酷い扱いを受ける二人だが、実は彼らはそれなりに酷い扱いを受けるのももっともな連中 だった…。そんな頃、政府の上層部では、とんでもないプランを考えていた。スーパーマンが消えた後、世界は常に巨悪からの脅威にさらされることになった。 しかし、それに対抗できるだけの力はない。そこで政府高官のアマンダ・ウォーラー(ヴィオラ・デイヴィス)が、前代未聞のプランを考えついたのだ。それ は、現在囚われている悪党どもを巨悪退治に活用しようという大胆不敵な計画だ。その名を「スーサイド・スクワッド=自殺部隊」と呼ぶ。悪党だからどんな危 険な相手にも惜しげもなく投入できるし、いざとなったら切り捨てることだって出来る。その候補者リストは、すでに出来上がっていた。その一人目は、先ほど の囚人デッドショット。狙撃の名手で最強の殺し屋…だが、弱みがたったひとつ。愛娘のゾーイ(シェイリン・ピエール=ディクソン)と一緒の時にバットマン (ベン・アフレック)と遭遇。バットマンを撃つ訳にもいかず、デッドショットは獄中に入れられることになる…。二人目はあばずれのハーレイ・クイン。彼女 は元々は精神科医師で、悪党中の悪党ジョーカー(ジャレッド・レトー)を診察しているうちにミイラとりがミイラとなってしまう。何とジョーカーに恋をし て、狂気に満ちたあばずれ娘へと変貌。ジョーカーを追跡中のバットマンに、彼女も捕らえられてしまうのだった…。その他にも、殺人ブーメランを使う泥棒 キャプテン・ブーメラン(ジェイ・コートニー)、火焔を意のままに操るエル・ディアブロ(ジェイ・ヘルナンデス)、ワニ人間のキラー・クロック(アド ウェール・アキノエ=アグバエ)といった一癖も二癖もある悪党どもがメンバー。さらにアマンダ・ウォーラーは、美しき考古学者ジューン・ムーン博士(カー ラ・デルヴィーニュ)も追加しようとしていた。ジューンはある洞窟を探検中に古代の像を見つけたが、そこから太古の魔女エンチャントレスに取り憑かれてし まった。彼女は普段は自分のままなのだが、時としてエンチャントレスに人格を乗っ取られると、強大なパワーを発揮することが出来るのだ…。こんな諸刃の剣 とでもいうべき部隊の指揮官は…というと、歴戦の勇士であるリック・フラッグ大佐(ジョエル・キナマン)の名が挙がっていた。実はこのフラッグ大佐、先に 挙げたジューンに恋をしていた。いわば惚れた弱みで「スーサイド・スクワッド」の指揮官にならざるを得なかった訳である。国防会議の高官たちはイマイチこ のアマンダ・ウォーラーのプランに乗り気ではなかったが、目の前でジューンがエンチャントレスに変貌し、それをアマンダ・ウォーラーが像の心臓を針で突く ことで封じ込めたのを見て、改めて強力なパワーに納得。「スーサイド・スクワッド」の始動が決定する。こうしてアマンダ・ウォーラーとフラッグ大佐はベ ル・レーヴ刑務所に赴き、まずはデッドショットからスカウトを始めるのだった…。ところがその夜、ジューンが魔女エンチャントレスに変身。アマンダ・ ウォーラーの自宅へと移動し、そこで自分の兄インキュバス(アラン・シャノワール)の魂が封じ込められた像を発見。さらに駅に現れて、通勤客の肉体を奪っ てインキュバスを甦らせた。この二人が呼び寄せた怪物たちによって、駅周辺は大混乱に陥る。この事態に、ただちにアマンダ・ウォーラーは「スーサイド・ス クワッド」出動を決断。刑務所から出された連中は首に小型爆弾を撃ち込まれ、現場へと送り出された訳だが…。

みたあと
  しかし、改めて驚いたのはウィル・スミスの本作への出演である。ご存知の通り大スターとなったウィル・スミスは、近年ほとんどワンマン映画の出演に専念し ていた。大物スターとの互角の共演すらなく、アンサンブル・キャストの一員になるなどまったく想像もつかない状況だった訳だ。それがここへ来て「オレ様映 画」ではない作品に「チームの一員」として出演するとは、やはりここのところの出演作の不評ぶりがジワジワこたえ始めていたのだろうか。そもそもアメコミ 映画に出るということ自体が、これまでではあり得なかったはず。ある意味では、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」 (2014)のロバート・レッドフォード以上に、この手の映画に出るはずのなかった人なのだ。だが、本作へのウィル・スミス出演は、彼自身にとっては良 かったような気がする。この人のオレ様映画は飽きられつつあったから、このような「チームの一員」的出演は新鮮。いろいろ異論はあるかと思うが、ことウィ ル・スミスの本作出演については、「本人にとっては」正解だったんじゃないかと思う。

こうすれば

  ただし、それはあくまで「本人にとっては」だ。ウィル・スミスとしては近年煮詰まっていた感じを多少なりとも打開できたかもしれないが、それが本作に貢献 しているかというと甚だ疑問。というより、悪党ゴロツキ集団であるはずの「スーサイド・スクワッド」の中でも筆頭メンバーなのに、結局は善人に見えてしま うのが残念。ウィル・スミスに極悪人をやらせる訳にはいかなかったのだろう。だが、それが映画全体をヌルくさせたし、中途半端な印象を与えてしまった。こ の、どこかヌルくて中途半端という感じは、映画全体に通して言えることなのだ。何より一番マズいのは、悪党である「スーサイド・スクワッド」が悪と戦わね ばならなくなる「必然性」。これがどうにもうまく描けていない。「バットマンvsスーパーマン/ジャスティスの誕生」もそうだったんだが、主人公たちの立 場や心情からいって「あり得ない」ことを「あり得る」ように描く力量が、脚本に備わっていない。だから、イマイチお話にのめり込めない。今回はそんな脚本 の不備に加えて、ウィル・スミスが悪党になりきっていないという点も加わり、ますます話が説得力を失っているように見える。「スーサイド・スクワッド」全 体がワルなんだかワルじゃないんだか分からなくなっちゃっているのだ。そこがボンヤリしているから、映画を見終わった時のカタルシスに乏しい。また、ある 意味でケバケバして大げさなバカ話としてユーモアたっぷりに描こうとしていたのだろうが、これまた中途半端に真面目になってしまっている。ハーレイ・クイ ンに代表されるケバケバでポップな感じを押し進めればユニークで面白くなったと思うが、残念ながら妙に湿っているのである。一体、監督・脚本は誰だ?…と 気になってチラシを調べてみると、何とこの映画の監督はデビッド・エアーではないか。ここんとこ「サボタージュ」(2014)、「フューリー」 (2014)と作品が続くエアーだが、それぞれ見どころもあるし面白い題材ながら出来上がった作品は結果的に何となくイマイチ…という点が共通するとこ ろ。そもそも、どこかポップでキッチュで悪ふざけ的な雰囲気の作品にしなくてはシャレにならない本作なのだが、それがクソ真面目系のエアーの作風に合って いたのかどうか。ウィル・スミスとデビッド・エアーというシャレの分からない奴二人が関わったせいで、そんな悪ふざけがただのヘタクソな出来損ないになっ てしまった感があり、ちょっと残念な結果になったような気がする。それでもまだ、「バットマンvsスーパーマン/ジャスティスの誕生」よりは何とかなった ような気もするので、ジェレッド・レトの大熱演も含めてちょっともったいないと思ってしまった。

さいごのひとこと

 シャレの分からない奴が冗談言っちゃダメ。


 

「アスファルト」

 Asphalte (Macadam Stories)

Date:2016 / 12/ 19

みるまえ

 本作は予告編を大分前に見た。ちょっと古ぼけた団地のお話。さまざまな人々のドラマが錯綜する人間群像劇らしい。面白いのはショボい団地の話なのになぜかアメリカの宇宙飛行士が降りてきたりするようで、その「振り幅」の大きさはわが日本の「団地」(2016)を連想させるようなしないような…。そういや、こっちだって「団地」の話だもんな。イザベル・ユペールを筆頭に多彩な顔ぶれが揃っているようだが、宇宙飛行士役に「ドリーマーズ」(2003)、「シルク」(2012)に出ていたマイケル・ピットが出ているのもちょっと気になる。正直言っていろいろ気が滅入っていて映画を見る気になかなかならなかったのだが、何とか重い腰を上げて劇場へと足を運んだ次第。感想文をアップするのがこんなに遅くなって、まことに申し訳ない。

ないよう

  どんよりとした曇天。郊外の煤けた街にある、古びて寂れた団地でのお話。どう見たって豊かな人々が暮らしているとは思えないこの団地の一室で、団地の自治 会の会合が行われていた。住民たちの議題は、エレベーターの修理に関すること。あまりに古びたエレベーターのため、何時間も閉じ込められる奴が出たりス イッチを押してヤケドする奴が出たり…と被害続出。これは直さねばならない…ということになったものの、直すには住民たちから費用を徴収しなければなら ず、そのためにはみんなの同意が必要。そこで挙手で賛否を問うことになった訳だが、たった一人…おずおずとではあるがハッキリと、これに反対する中年男が いた。薄くなった髪もボサボサでヒゲだらけのこの男スタンコヴィッチ(ギュスタヴ・ケルヴァン)がそれだ。スタンコヴィッチいわく、自分は二階の住人だか らエレベーターを使わない。だから修理費を払いたくない。自治会長から「アンタは連帯しようという気はないのか?」と言われるが、スタンコヴィッチは蛙の ツラに小便。結局、住人たちが協議の結果、スタンコヴィッチは支払わなくていいということになり、その代わりエレベーターは絶対使わないということにな る。そんなことスタンコヴィッチには痛くもかゆくもない。それよりスタンコヴィッチは、自治会長の部屋でエクササイズ用の自転車に目をつけてご満悦。これ が彼の命取りになるとは、まだこの時は気づいていなかった…。さて、同じ団地の別の部屋では、高校生のシャリル(ジュール・ベンシェトリ)が目覚めたとこ ろ。テーブルの上にはすでに出かけた母親が、給食代を置いていた。シャリルは最近、母親とロクに顔も合わせていない。そんな彼がふと物音に気づくと、彼の 部屋の向かいの部屋に引っ越し業者が荷物を運び込んでいるではないか。果たして誰がやってくるのか…そんな好奇心を持ちながら、シャリルは自転車で出かけ て行った…。また別の部屋では、アルジェリア移民の初老女ハミダ(タサディット・マンディ)が孤独に一人で暮らしていた。そんな彼女が出かけた先は、刑務 所の面会所。そこには、彼女の息子が収容されているのだ。この日は差し入れを持参して、面会にやって来たハミダ。だが息子は医務室に連れて行かれたとか で、この日の面会はナシ。それを聞いても笑顔を絶やさぬハミダだったが、そこに一抹の寂しさがあるのは隠しきれない…。さて、早速、自分用のエクササイズ 用自転車を購入したスタンコヴィッチは、調子に乗って使っているうちに機械が止まらなくなってしまった。そのまま意識を失って自転車に「漕がされ」続けた スタンコヴィッチは、そのまま病院送りの憂き目に遭う。シャリルは向かいの部屋に越して来た人物に興味しんしん。それは、ちょっといい女風の中年女性ジャ ンヌ(イザベル・ユペール)だった。そんなジャンヌが、たまたま部屋にカギがかかって閉め出されてしまった。シャリルは知り合いのカギ開け名人を呼んで ジャンヌを助け、運良く彼女と知り合うキッカケを掴んだ。そんな折りもおり、団地の屋上に飛来して来たのは…何とNASAの司令船。中から出て来たのは、 宇宙服に身を包んだジョン(マイケル・ピット)。一体どうしてこうなった?…と当惑するジョンは、たまたまハミダの部屋に電話を借りにやって来る。何とア クシデントで地球に帰還してしまったらしい彼は、NASAよりしばらく待機…と告げられ途方に暮れる。結局、彼は親切なハミダの世話になることに…。さ て、しばしの療養から戻って来たスタンコヴィッチは、今は車椅子の身。団地の玄関に辿り着いて気づいたのは、今こそ自分にはエレベーターが必要だというこ とだった。しかしあんなことを言ってしまった手前、今さら泣きを入れる訳にもいかない。周囲を見回したあげく、コソコソとエレベーターに乗るスタンコ ヴィッチ。こうしてやっと自室に戻って来た彼だったが、すぐさま現実に直面してしまう。冷蔵庫はカラッポで、卵が一個入っているだけだったのだ。仕方なく この卵一個を目玉焼きにして、恭しく御馳走のように食べるスタンコヴィッチ。テレビでクリント・イーストウッドの「マディソン郡の橋」を見ながら、今後の ことを途方に暮れて考える。とにかくエレベーターを使わなければ生きて行けない。だがエレベーターを使っているところを見つかる訳にもいかない。かくして スタンコヴィッチは夜になるまで待って、やっとこ外に買い出しに出かけた。だが、無情にもすでに店は閉まっている。どこにも食い物を売っているところがな い。困り果てたスタンコヴィッチが辿り着いた場所は、病院裏手の自動販売機。そこでチョコバーなどを買い漁るしかなかった。そんな彼の前に現れたのは、喫 煙するために病院から出て来た夜勤の看護師(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)だった…。

みたあと

 予告編を見た時から、これは「イケル」んじゃないかと思っていた。先にも 述べたように、僕は集団劇や複数エピソードが並行して進む話が好きだ。そして、パッとしない街のショボい団地の話から宇宙飛行士までの、話の振れ幅の大き さも面白そう。最初から気になってはいたのだ。ただ、ちょっと気になるとすれば、オフビートなトボケたユーモアを醸し出す映画というと、アキ・カウリスマ キみたいな映画になりかねない。そしてアキ・カウリスマキ本人の映画はいいのだが、そのフォロワーというとどうしてもチマッとした映画になってしまいがち だ。そこだけがちょっと気になっていたのだが、果たして実物はどうか。冒頭、団地の町内会みたいなエピソードから始まって、天の邪鬼なオッサンがエレベー ター修理代を出したくないと言い出し、エクササイズ用の自転車で酷い目に遭うくだりまで滑り出しは快調。さらに隣人が気になる若者の話が出て来て、例の宇 宙飛行士の話が出て来ると…僕はスッカリこの映画が気に入ってしまっていた。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  ハッキリ言うと、僕はこの映画がすごく好きだ。ここから後は、どこが好きかということを並べるだけになってしまう。まず、ユーモアの基本は確かにカウリス マキ系のスットボけ感と通じるものがあるが、本作は危惧していたようなチマチマ感からは賢明にも脱している。その武器となったのが、先にも述べたような人 間群像であり、複数エピソードが並行して進む構成なのだ。天の邪鬼なオッサン、孤独感のある看護師の女、世話好きなアルジェリア移民の老女、戸惑ってばか りのアメリカ人宇宙飛行士、母親との関係が希薄になっている若者、落ち目になった女優…などなど、さまざまな社会階層、年齢の人々が混在するというだけで も、本作のチマチマ感はかなり解消されていく。しかも話の振れ幅も大きい。どこかぼ〜〜んと抜けたスケール感が感じられるのである。そして、お話自体も作 者の節度というか品の良さが感じられて好感が持てる。例えば若者と女優のエピソードなどは、最初はどうせイザベル・ユペールとイケメンの若者がデキちゃ うって話か…とシラ〜ッと思ってたら、この若者は決してそうはしない。若者がユペールのオーディション映像を撮影してやるあたりから、母親の想いが透けて 見えてくるくだりはちょっとジーンと来た。宇宙飛行士とオバチャンの話も、親しくはなるけど別れ時を知っている。節度があって、ベタベタしていないところ がいいのだ。エレベーターの修理代ケチった男もそれなりに報いは受けて、笑わせてくれるけれども、だからといってエレベーターを使っているところが団地の 住人にバレて吊るし上げられる…というようなけたたましい展開にはならない。万事、程が良く品があって、登場人物がそれぞれ分をわきまえてるところがいい のである。これは作り手の人間性だろう。監督のサミュエル・ベンシェトリは初めて聞く名前だと思っていたら、何と昔むかしマリー・トランティニャン主演の 「歌え! ジャニス・ジョプリンのように」(2003)を撮った人だというではないか。僕もこの作品見ているが、残念ながらビックリするほど面白くなかった記憶しか ない(笑)。だとすると、まったく見事に化けたもんだ。今回の作品みたいな面白い映画が撮れるようになったんだなぁ…と、妙に感慨に耽ってしまった。

さいごのひとこと

 日本もフランスも団地は宇宙とつながっている。

 

「ニュースの真相」

 Truth

Date:2016 / 12 / 19

みるまえ

  ロバート・レッドフォードとケイト・ブランシェットの共演作でテレビ報道に関する話、それもネタは実話でブッシュの兵役疑惑についての話と来れば…と来れ ば、昔だったらかなり話題になっただろうけど、かなりヒッソリした扱いなのが寂しい。かくいう僕も、それほど期待できるとは思っていない。レッドフォード がニュースキャスターのダン・ラザー役と聞いても、昔、深夜に見ていたCBSドキュメントでのダン・ラザー本人の顔が思い出せない。レッドフォードと似て も似つかなかったんじゃないかと思うが、そのレッドフォードの方が整形の後遺症のおかげでラザーの顔に歩み寄っているかもしれない(笑)。ともかく、そん なことしか頭に浮かばない。では、なぜオマエはそんな映画を見に行ったのかと言われると、「大いなる陰謀」(2007)、「ランナウェイ/逃亡者」 (2012)と散々な「政治映画」が続いたレッドフォードが、「オール・イズ・ロスト/最後の手紙」(2013)、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ ソルジャー」(2014)と注目すべき方向転換を見せて来たから。当然、ここで直球の「政治ネタ」を放ってくるということは、この方向転換の影響が何らか の形で出て来るはずだろう。それがどうしても気になって、僕はこの映画を見に行ったわけだ。見たのは確かまだ夏の頃だったのに、感想を書くのがこんなに遅 れた理由は、この後を読んで察していただきたい。

ないよう

 あ る事務所の廊下で、待ち合いの椅子に腰掛けながら毛糸で編み物をしている女…メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)。やがて順番が来て、彼女は部 屋に入る。彼女を迎えたのは、この部屋の主のハイビー弁護士(アンドリュー・マクファーレン)。ハイビーはメアリーが編み物をしていたのを見て、意外な顔 をした。それもそのはず、メアリーはCBSテレビのニュースのプロデューサー。生き馬の目を抜くテレビ・ジャーナリズムの世界で辣腕を奮ってきた彼女と、 家庭的な編み物との間のギャップに戸惑った訳だ。しかしハイビーとメアリーとの間でやりとりが始まると、たちまち本来の彼女が顔を出す。ハイビーのちょっ とした言い回しに引っかかったメアリーは、キツい口調で突っかかって来た。そんなメアリーをハイビーは冷静に押しとどめる。「結構結構、あなたの言い分は 分かった。だが、そんな調子が内部調査委員会でも通ると思うかね?」…。そんな言葉に、ふと冷静さを取り戻すメアリー。そもそもメアリーは、なぜハイビー 弁護士とこんなやりとりをしなければならなくなったのだろうか…。それには、少々時間を巻き戻さなくてはなるまい。時は2004年、ジョージ・W・ブッ シュ米大統領が再選を目指していた頃のことである。メアリーはイラクのアブグレイブ刑務所での米兵のイラク人虐待報道で、大反響を呼んでいたところ。これ を報じた「CBSニュースの顔」ダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)を含め、仲間たちと大いに成功を喜んでいた。そうなると、次の仕事に期待とプ レッシャーがかかる。そこで浮上して来たのが、現職大統領ブッシュの軍歴詐称疑惑である。ベトナム前線に行きたくなかったブッシュがコネを使って国内の空 軍パイロットになり、しかもそれすら実際には果たしていなかったという疑いである。確かに何となく臭い。これはイケると踏んだメアリーは、次のネタと決め て実際に動き出した。まずは取材チームの編成である。メアリーはかねてから目をつけていた反骨のフリー・ジャーナリスト、マイク・スミス(トファー・グレ イス)に声をかける。食うや食わずの生活だったマイクは、大喜びでニューヨークへ。彼を待っていたのは、メアリーがすでに編集していた他のチームメンバー だった。そのひとりが、大学教授でもあるルーシー・スコット(エリザベス・モス)。さらに軍事顧問として帰還兵のロジャー・チャールズ中佐(デニス・クエ イド)。もちろん伝説のジャーナリスト、ダン・ラザー御大も彼を暖かく迎えた。こうして一同は、ブッシュの疑惑に真っ向から挑んでいった。すると…確かに 臭い。確かに臭いのだが、裏が取れない。それなりの痕跡はあるのだが、確証がないのだ。さまざまな関係者の名前が浮かび、それらに片っ端から当たっていっ たのだが、誰一人として協力してくれない。空しく時間が過ぎていくが、これではニュースになり得ない。さすがにメアリーも焦りを隠せなくなってくる。その うち、ノドから手が出るほど欲しかった「証拠」が向こうから飛び込んで来た。これぞ決定的と思える証拠書類だ。これを提供するというのが、テキサスに住む 元空軍州兵のビル・バーケット中佐(ステイシー・キーチ)。話しているうちに徐々に腰が退けて来るバーケットを、メアリーは電話で何とか説得。ダン・ラ ザーを引っ張り出して、バーケットにインタビューを試みることが決定。メアリー以下チーム一行はテキサスに乗り込むことになる。そんな中、長年の仕事を通 じて父娘のような関係を築き上げたラザーとメアリーの間柄を移動中の飛行機で見て、スミスは心温まるものを感じたりもする。書類自体は原本ではなくコピー だが、それでもリアリティのあるものだった。何よりメアリーたちは「証言者」を得た。これに勇気百倍となったメアリーたちは、会社の上層部と掛け合ってオ ン・エアの段取りを進める。一旦話を進めたら、どこかで漏れる前に出来るだけ早く放送しなくてはならない。だが、まだあちこちに穴があり、何とか裏取りを しなくてはならない。時間との戦いの中でひとつひとつ問題をつぶしていくメアリーだったが、それでも薄氷を踏むような状態だったのは間違いない。それでも 何とかCBSの看板報道番組「60ミニッツ」でダン・ラザーによってこれが報じられる。そうすると、たちまち圧倒的な反響が寄せられて来た。またしても大 成功。メアリー、ラザーとチームの面々は、勝利の美酒に酔いしれてご機嫌だ。こうなると、他局は「60ミニッツ」の報道を報道するという具合。争うように ブッシュの兵役疑惑は報じられて、予想以上のセンセーションを巻き起こす。だが、それも長くは続かなかった。間もなくメアリーは、上司からある指摘を受け ることになる。例の「60ミニッツ」の報道内容に対して、個人のブログが何やら問題提起をしているというのだ。それも、彼らがやっとの思いで入手した「証 拠」書類、その信憑性に関わる話だった。この問題がネットに広がると、あっという間に形勢は逆転。今度は他局が手の平返しでCBS報道のアラ探しを報じる という具合。事態を重く見たCBS社長アンドリュー・ヘイワード(ブルース・グリーンウッド)も、さすがにメアリーに事の真偽を確かめるというアリサマ だ。このままでは、単に大統領に濡れ衣を着せたことになってしまう。大いに焦るメアリーはその打開策を必死に探るのだが…。

みたあと

 結論から申し上げよ う。正直に言って、この映画は何かがうまくいっていない。映画会社の売り方、メディアに出ている監督のコメント、そしてネットや雑誌などに散見する好意的 なレビューや感想を見る限りでは、本作は報道(特にテレビの報道)の持つ怖さと、それに対するジャーナリストからの自戒、にも関わらず「主人公たちの報道 に対する姿勢は間違っていない」ということ…を描いている作品という風に受け止められる。実際、出来上がった映画を見ても、そういう風に作ろうとしたのだ ろう…と感じられる。だが、何かがうまくいっていない。非常に微妙な狂いというか温度差みたいなものなのだが、間違いなくどこか焦点がズレているのだ。

こうすれば

  正直に言ってこの映画の主人公たちに共感できるか…と言うと、僕はちょっと難しいと思う。本来だったら権力に立ち向かうジャーナリストとして応援すべきな んだろうし、作り手だって肯定的に描いているのは間違いない。何しろレッドフォードとブランシェットなのだから、間違っているはずがない。観客に共感して 欲しいから起用されたキャスティングだ。さらに、僕も当時のブッシュ大統領について好感を持っていたとは言い難い。だから、兵役疑惑なんてさもありなん… と思いたくもなる。ならば、ケイト・ブランシェット演じる女主人公にシンパシーを抱けるかと言うと、これがそうはいかない。こういう映画の感想の場合、得 てして映画としてどうの…ではなくて自分の政治的信条と合ってるかどうかで良い悪いを云々する人がいるが、それは映画の感想じゃない。先ほども述べたよう に、この映画はどこかがうまくいっていない。つまり作者がこう言いたい、観客にこう感じて欲しい…と狙っている方向には、映画自体はちゃんと向かっていな いのである。確かにスクープの放映までの段取りに稚拙な点があったとは描いていて、それは間違いない。実際にヒロインたちはそこを突かれて、結局敗北す る。だが、その志は間違ってなかった…おそらくは映画としてはこう言いたかったはずだ。しかし出来上がった映画を見てみると、残念ながらそうは見えない。 その志もどうなんだろう…と疑問に思えてしまう出来映えになっている。あるいは…志には問題はなかったのかもしれないが、起きてしまったことへの反省はあ まり感じられない。そこに問題がある…と思えてしまうのだ。終盤の内部調査委員会では弁護士の言葉に従い、完全にアウェーの状態で首をすくめるように大人 しくしているヒロイン。だが最後の最後に黙っていられなくなって、彼女はついに一席ぶってしまう。そこでの内容が、まさに今回の映画で言いたかったことだ ろう。問題の本質は、ブッシュの兵役疑惑。なのに誰もそこには触れずに細部をアラ探し。イマドキはみんなそうで、報じる者の客観性や人格までコキ下ろして 叩く。だが大騒ぎして終わった後には、何が問題の本質だったかは忘れられている…。確かこんな内容だったと思う。まったくお説ごもっとも。その通りだと思 う。その通りだとは思うのだが、それって結局そっくりそのまま言っている本人に戻っては来ないか。観客である僕はこのブランシェットの演説を聞いていて、 なるほど…というよりは矛盾の方が先に頭に入って来て困惑してしまった。だからむしろ…内部調査委員会の委員に「あなたは、ブッシュは間違ったことをして いなかったかもしれないとは少しも思わなかったのか?」と問われて絶句してしまう方が印象に残ってしまう。作り手が意図していたのとは逆に、「ジャーナリ ズムの暴走」を告発しているようにさえ見えてしまうのだ。しかし作り手はそう作ろうとしていないのだから、当然、映画としてはイビツになってしまう。その 見ている側の居心地の悪さったらない。自分で言っていることを自分で論破しちゃっているようなおかしさなのである。このブランシェットの大演説もそうなの だが、その前にクビになったフリー・ジャーナリスト(トファー・グレイス)がCBSのプロデューサー相手にまくしたてるセリフもかなりイタい。自分たちが 潰されるのはCBSの親会社やら営業的な問題やら、そういう裏の力のせいだろう…というようなことをガンガンしゃべるのだが、CBSのプロデューサーは悲 しそうな顔をして「その通り、会社もオレたちも真っ黒で、何から何まで全部こっちが悪い、君は正しくて理不尽な状況に追い込まれている、それでオー ケー?」などといなされて、その場が何とも言えない空気になってしまうのだ。その2つの場面を見る限り、彼らの言いたいことは分かるがそれは言い訳でしか ない。自分たちは正しいことをやっているんだから…ということ前提の甘えでしかなくて、プロとしては言ってはいけないことを言ってしまっている。なおか つ、その「正しいことをやっている」という点すら怪しくなってしまっているのだ。これはなかなか苦い。良くも悪くも、決定的に彼らの主張が今の時代の気分 と合わなくなってしまっている…ということを、これほど生々しく見せつけている場面はない。そんなことを描くつもりではなかったのだろうが、図らずもそう いう時代のリアルが出てしまっているのである。監督・脚本を手がけた「ゾディアック」(2006)や「ホワイトハウス・ダウン」(2013)の脚本家 ジェームズ・ヴァンダービルトの真意は、果たしてどこにあったのだろうか? そしてこの作品に出演したロバート・レッドフォードは、そのあたりをどう考え ていたのか? 少なくともこの作品は、宣伝コピーにあるような「真実には、すべてを懸ける価値がある。」というメッセージが伝わってくるような映画ではな い。実は何が言いたい映画だかよく分からない…という作品に出来上がったあたりが、今の時代の混沌ぶりと問題の根の深さを如実に現している気がするのであ る。

さいごのひとこと

 メイクなのかプチ整形なのか分からないレッドフォード。

 


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