みるまえ 本作は予告編を大分前に見た。ちょっと古ぼけた団地のお話。さまざまな人々のドラマが錯綜する人間群像劇らしい。面白いのはショボい団地の話なのになぜかアメリカの宇宙飛行士が降りてきたりするようで、その「振り幅」の大きさはわが日本の「団地」(2016)を連想させるようなしないような…。そういや、こっちだって「団地」の話だもんな。イザベル・ユペールを筆頭に多彩な顔ぶれが揃っているようだが、宇宙飛行士役に「ドリーマーズ」(2003)、「シルク」(2012)に出ていたマイケル・ピットが出ているのもちょっと気になる。正直言っていろいろ気が滅入っていて映画を見る気になかなかならなかったのだが、何とか重い腰を上げて劇場へと足を運んだ次第。感想文をアップするのがこんなに遅くなって、まことに申し訳ない。
ないよう
どんよりとした曇天。郊外の煤けた街にある、古びて寂れた団地でのお話。どう見たって豊かな人々が暮らしているとは思えないこの団地の一室で、団地の自治
会の会合が行われていた。住民たちの議題は、エレベーターの修理に関すること。あまりに古びたエレベーターのため、何時間も閉じ込められる奴が出たりス
イッチを押してヤケドする奴が出たり…と被害続出。これは直さねばならない…ということになったものの、直すには住民たちから費用を徴収しなければなら
ず、そのためにはみんなの同意が必要。そこで挙手で賛否を問うことになった訳だが、たった一人…おずおずとではあるがハッキリと、これに反対する中年男が
いた。薄くなった髪もボサボサでヒゲだらけのこの男スタンコヴィッチ(ギュスタヴ・ケルヴァン)がそれだ。スタンコヴィッチいわく、自分は二階の住人だか
らエレベーターを使わない。だから修理費を払いたくない。自治会長から「アンタは連帯しようという気はないのか?」と言われるが、スタンコヴィッチは蛙の
ツラに小便。結局、住人たちが協議の結果、スタンコヴィッチは支払わなくていいということになり、その代わりエレベーターは絶対使わないということにな
る。そんなことスタンコヴィッチには痛くもかゆくもない。それよりスタンコヴィッチは、自治会長の部屋でエクササイズ用の自転車に目をつけてご満悦。これ
が彼の命取りになるとは、まだこの時は気づいていなかった…。さて、同じ団地の別の部屋では、高校生のシャリル(ジュール・ベンシェトリ)が目覚めたとこ
ろ。テーブルの上にはすでに出かけた母親が、給食代を置いていた。シャリルは最近、母親とロクに顔も合わせていない。そんな彼がふと物音に気づくと、彼の
部屋の向かいの部屋に引っ越し業者が荷物を運び込んでいるではないか。果たして誰がやってくるのか…そんな好奇心を持ちながら、シャリルは自転車で出かけ
て行った…。また別の部屋では、アルジェリア移民の初老女ハミダ(タサディット・マンディ)が孤独に一人で暮らしていた。そんな彼女が出かけた先は、刑務
所の面会所。そこには、彼女の息子が収容されているのだ。この日は差し入れを持参して、面会にやって来たハミダ。だが息子は医務室に連れて行かれたとか
で、この日の面会はナシ。それを聞いても笑顔を絶やさぬハミダだったが、そこに一抹の寂しさがあるのは隠しきれない…。さて、早速、自分用のエクササイズ
用自転車を購入したスタンコヴィッチは、調子に乗って使っているうちに機械が止まらなくなってしまった。そのまま意識を失って自転車に「漕がされ」続けた
スタンコヴィッチは、そのまま病院送りの憂き目に遭う。シャリルは向かいの部屋に越して来た人物に興味しんしん。それは、ちょっといい女風の中年女性ジャ
ンヌ(イザベル・ユペール)だった。そんなジャンヌが、たまたま部屋にカギがかかって閉め出されてしまった。シャリルは知り合いのカギ開け名人を呼んで
ジャンヌを助け、運良く彼女と知り合うキッカケを掴んだ。そんな折りもおり、団地の屋上に飛来して来たのは…何とNASAの司令船。中から出て来たのは、
宇宙服に身を包んだジョン(マイケル・ピット)。一体どうしてこうなった?…と当惑するジョンは、たまたまハミダの部屋に電話を借りにやって来る。何とア
クシデントで地球に帰還してしまったらしい彼は、NASAよりしばらく待機…と告げられ途方に暮れる。結局、彼は親切なハミダの世話になることに…。さ
て、しばしの療養から戻って来たスタンコヴィッチは、今は車椅子の身。団地の玄関に辿り着いて気づいたのは、今こそ自分にはエレベーターが必要だというこ
とだった。しかしあんなことを言ってしまった手前、今さら泣きを入れる訳にもいかない。周囲を見回したあげく、コソコソとエレベーターに乗るスタンコ
ヴィッチ。こうしてやっと自室に戻って来た彼だったが、すぐさま現実に直面してしまう。冷蔵庫はカラッポで、卵が一個入っているだけだったのだ。仕方なく
この卵一個を目玉焼きにして、恭しく御馳走のように食べるスタンコヴィッチ。テレビでクリント・イーストウッドの「マディソン郡の橋」を見ながら、今後の
ことを途方に暮れて考える。とにかくエレベーターを使わなければ生きて行けない。だがエレベーターを使っているところを見つかる訳にもいかない。かくして
スタンコヴィッチは夜になるまで待って、やっとこ外に買い出しに出かけた。だが、無情にもすでに店は閉まっている。どこにも食い物を売っているところがな
い。困り果てたスタンコヴィッチが辿り着いた場所は、病院裏手の自動販売機。そこでチョコバーなどを買い漁るしかなかった。そんな彼の前に現れたのは、喫
煙するために病院から出て来た夜勤の看護師(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)だった…。
みたあと
予告編を見た時から、これは「イケル」んじゃないかと思っていた。先にも
述べたように、僕は集団劇や複数エピソードが並行して進む話が好きだ。そして、パッとしない街のショボい団地の話から宇宙飛行士までの、話の振れ幅の大き
さも面白そう。最初から気になってはいたのだ。ただ、ちょっと気になるとすれば、オフビートなトボケたユーモアを醸し出す映画というと、アキ・カウリスマ
キみたいな映画になりかねない。そしてアキ・カウリスマキ本人の映画はいいのだが、そのフォロワーというとどうしてもチマッとした映画になってしまいがち
だ。そこだけがちょっと気になっていたのだが、果たして実物はどうか。冒頭、団地の町内会みたいなエピソードから始まって、天の邪鬼なオッサンがエレベー
ター修理代を出したくないと言い出し、エクササイズ用の自転車で酷い目に遭うくだりまで滑り出しは快調。さらに隣人が気になる若者の話が出て来て、例の宇
宙飛行士の話が出て来ると…僕はスッカリこの映画が気に入ってしまっていた。
ここからは映画を見てから!
みどころ
ハッキリ言うと、僕はこの映画がすごく好きだ。ここから後は、どこが好きかということを並べるだけになってしまう。まず、ユーモアの基本は確かにカウリス
マキ系のスットボけ感と通じるものがあるが、本作は危惧していたようなチマチマ感からは賢明にも脱している。その武器となったのが、先にも述べたような人
間群像であり、複数エピソードが並行して進む構成なのだ。天の邪鬼なオッサン、孤独感のある看護師の女、世話好きなアルジェリア移民の老女、戸惑ってばか
りのアメリカ人宇宙飛行士、母親との関係が希薄になっている若者、落ち目になった女優…などなど、さまざまな社会階層、年齢の人々が混在するというだけで
も、本作のチマチマ感はかなり解消されていく。しかも話の振れ幅も大きい。どこかぼ〜〜んと抜けたスケール感が感じられるのである。そして、お話自体も作
者の節度というか品の良さが感じられて好感が持てる。例えば若者と女優のエピソードなどは、最初はどうせイザベル・ユペールとイケメンの若者がデキちゃ
うって話か…とシラ〜ッと思ってたら、この若者は決してそうはしない。若者がユペールのオーディション映像を撮影してやるあたりから、母親の想いが透けて
見えてくるくだりはちょっとジーンと来た。宇宙飛行士とオバチャンの話も、親しくはなるけど別れ時を知っている。節度があって、ベタベタしていないところ
がいいのだ。エレベーターの修理代ケチった男もそれなりに報いは受けて、笑わせてくれるけれども、だからといってエレベーターを使っているところが団地の
住人にバレて吊るし上げられる…というようなけたたましい展開にはならない。万事、程が良く品があって、登場人物がそれぞれ分をわきまえてるところがいい
のである。これは作り手の人間性だろう。監督のサミュエル・ベンシェトリは初めて聞く名前だと思っていたら、何と昔むかしマリー・トランティニャン主演の
「歌え!
ジャニス・ジョプリンのように」(2003)を撮った人だというではないか。僕もこの作品見ているが、残念ながらビックリするほど面白くなかった記憶しか
ない(笑)。だとすると、まったく見事に化けたもんだ。今回の作品みたいな面白い映画が撮れるようになったんだなぁ…と、妙に感慨に耽ってしまった。
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