新作映画1000本ノック 2016年9月

Knocking on Movie Heven's Door


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 「映画よ、さようなら」 「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」

 

「映画よ、さようなら」

 La vida util (A Useful Life)

Date:2016 / 09/ 05

みるまえ

  ウルグアイ映画…なんだそうである。タイトルが「映画よ、さようなら」。どうやらかの国のシネマテークのお話だという。当然、映画ファンの映画だ。映画に ちなんだ映画は「アメリカの夜」(1973)も「エド・ウッド」(1994)も大好きな僕としては、これは何としても見なくてはならぬ。しかもウルグアイ 映画と来れば…珍品好きの血も騒ぐではないか。67分という超短い上映時間にも惹かれる。ひょっとしたら知られざる傑作の可能性もあるのでは…。だが、前 から公開は始まっていたけれども、新宿のミニシアターで午前中に一回だけの上映となると敷居が高過ぎる。そこを何とか見に行く機会をつくり、慌てて出かけ て行った次第。果たして本作は面白いのか? それとも大ハズシか?

ないよう

  そこは狭くて殺風景な部屋だが、そこで働く者にとっては宝物殿にも等しい場所。ウルグアイのシネマテークだ。今日も今日とてここに届いた封筒から資料を取 り出し、新たな催しである「アイスランド映画特集」の準備に余念がない。担当作品をシネマテーク館長のマルティネス(マヌエル・マルティネス)と分け合う のは、ここに長年勤めるベテランのホルへ(ホルへ・ヘリネック)。準備だけではなく、今日の上映も行わなくてはならない。パラパラとではあるが観客はい る。彼らのために上映は休めない。ギリギリのスタッフしかいないから、ホルヘは結構多忙だ。字幕の入っていないフィルムの上映時には、マイクを持ってスペ イン語で説明。もちろん倉庫でのフィルムの管理から番組の編成、いささかくたびれてきた客席の椅子の修理までやる。さらにラジオでは、自らがパーソナリ ティーとなって「シネマテークの時間」を担当。映画四方山話を語り、館長をゲストに高邁な批評を聞いたりする。いろいろ苦労はあるがホルヘは苦にならな い。この仕事こそが天職、シネマテークが彼の人生そのものなのだ。それで終われば万事めでたし言うことなしの毎日なのだが、世の中それで終わってくれな い。否が応でも現実が追いかけてくる。シネマテークの仲間で打合せをしても、困った話ばかり出て来る。一番の頭の痛い問題は、このシネマテークの家賃を 何ヵ月も滞納していることだろう。おまけに映写機から何から老朽化して、いいかげん取り替えなきゃならない。だが、どこを叩いてもそんなカネなどないの だ。そもそも、シネマテークの会員数が激減している。何とかしなきゃならない。ホルヘはラジオでもシネマテークの上映のアナウンスでも、しつこいくらいに 「会員になりましょう」と繰り返す。しかし、それで会員が増えたら苦労はない。そんなある日、ホルヘがやけに落ち着きなくシネマテークの外でウロウロして いる。その日は監督を迎えてのトークショー付の上映で、久しぶりにいつもと比べて客が多い。そんな中、やって来たのはホルヘの顔見知り…大学で講師をして いるパオラ(パオラ・ベンディット)。この日はホルヘからの誘いで来たというから、およそダチすらいなさそうなホルヘとしては尋常ではない。パオラを客席 に誘導したホルヘは、ひとりロビーでブツブツとつぶやく。「コーヒー、いかがですか? コーヒー、飲みたくない?」…。そう、もちろんホルヘとて男なの だ。そんなこんなしているうちに映画が終わる。出て来た例の監督は、上映環境の貧しさをチクチク言って来たが、まぁ気にしない。ホルヘにはもっと大切な事 がある。映画が終わって出て来たパオラを、とっておきのセリフで誘うのだ。「コーヒー、飲みに行かない?」…しかしパオラは「これから試験の採点があるか ら」とアッサリ断ってくる。そうなると、もはやホルヘは手も足も出ない。結局はタダで映画を見られただけだったか…。しかし、そんなホルヘの事情などお構 いなしに、シネマテークの経済的苦境はどんどん逼迫して来る。しかも、打つべき手が何もない。ただ、座して死を待つのみ…。そこで館長が、ついに伝家の宝 刀を抜く覚悟を決めた。「財団に頼んでみよう」…。このシネマテークを後援している「財団」に、さらなる経済的支援を訴えるのだ。こうして館長と共に「財 団」に乗り込むホルヘだったが、先方が言い出した話はこちらの思惑とはまったく異なる内容だった。「さらなる支援」どころか、これ以上の支援はできない… というのだ。もはや万事窮す…。奇跡は起きない。どうすることも出来ない。ただただなす術もなく、シネマテークは閉鎖となった。ホルヘはシネマテークに置 いてあった私物と「お宝」を、とりあえずカバンに詰めて出て行く。しかし、これからどうすればいい? 映画しかやりたいことも取り柄もないこの男、シネマ テークだけが生き甲斐だったのだ。こうして、もはや行き場がなくなったホルヘはバスに乗り込み、呆然とするしかなかった。放心状態のまま、涙をポロポロと 流すホルヘだったが…。

みたあと

 本作を見る直前にチラシを 見たら、この監督フェデリコ・ベイローって、「ウィスキー」(2004)って映画にスタッフとして参加していたらしい。それを知ったら、たちまちムクムク とイヤな予感が鎌首をもたげてくる。「ウィスキー」ねぇ…そういえばあったあった。ウルグアイ映画で東京国際映画祭でグランプリ取った作品。僕もちょっぴ り期待して、劇場に見に行ったわけだ。アキ・カウリスマキっぽい映画だと聞いて、なおさら期待してしまった。あんな感じの、小品だけどちょっと面白い、オ フビートなすっとぼけたユーモアが漂う映画に違いない。…確かにそうだった。まさにそんな感じの映画だった。しかしねぇ…カウリスマキっぽいと言えばカウ リスマキっぽいが、それならカウリスマキそのものを見た方がいい。そもそも、当時はカウリスマキ・フォロワーが一時期のホウ・シャオシェン・フォロワーな みにすでに巷に溢れ返っていて、あの手の映画には食傷気味。もうお腹いっぱいで飽き飽きしていたところ。そこに所詮は本家カウリスマキではない模倣だか ら、あの底に隠れたキレも毒も期待できない。上っ面だけしかコピーできてない。しかも、そんな本家ですら当時は「行くとこまで行っちゃって」いて、岐路に 立っている観があった。ちょっとばっかりスタイルを真似たフォロワーが小器用に作ってみたところで、所詮は「それ」どまり。見ていて心地よいけれど、た だ、それだけ…。世間じゃそれなりに評判良かったけれど、僕は前向きにホメる気がしなかった。案の定、10年以上経った今となっては、誰も「ウィスキー」 なんて映画覚えちゃいない。そりゃそうだろ。だからここへ来て、いきなり「ウィスキー」の亡霊が甦って来たのにビックリしたのだ。ただ、チラシをよくよく 読んでみたら、このベイローって監督が「ウィスキー」でやっていたのはスクリプターだったとか。脚本とか編集とか助監督じゃないのか。なら…あまり関係な いか? だが、一旦もや〜っとかぶってしまったイヤなイメージは拭えない。そもそも…そう言われてみると、モノクロでスタンダードでセリフもあまり多くな さそうで、おまけに67分という短さ。この作品って、いかにもアキ・カウリスマキ映画っぽいテイストが漂っているではないか。やっぱりカウリスマキもどき 映画なのか? 僕としては拾い物の映画を見て、みんなに大いに自慢したいところだったのだが…。
ここからは映画を見てから!

こうすれば

  いざ、実物を見始めて驚いたのは、見る前のイメージとほとんど変わらない映画だったという点。モノクロでスタンダードでセリフもあまり多くない。主人公が モサッとした中年男で寡黙で不器用。そこはかとないユーモアが漂う…と、あらゆる点から見てアキ・カウリスマキ映画っぽいテイストが充満。この国って決し て映画産業が盛んには見えないのだが、そこで作られて日本まで到着する映画が、揃いも揃ってアキ・カウリスマキ映画風…ってあり得るんだろうか? 「ウィ スキー」公開当時と違って大分カウリスマキ風映画の洪水が大人しくなって来た昨今だけに、「まだこれやってるの?」という気持ちにもなる。ただ、こういう モノクロ・スタンダード・寡黙…みたいなミニマリズムってキライじゃないし、実際に映画もそれなりの魅力を持っている。だから、気持ちよく見れることは見 れるのだ。おまけにシネマテークと映画ファンの映画だから、どうしたってキライにはなれない。主人公を演じているのはウルグアイの映画批評家だというのは 後から知ったが、僕はそのことよりも風貌が「フリーダ」(2002)や「スパイダーマン2」(2004)に出ていたアルフレッド・モリーナそっくりなこと にビックリ。そっちの方がずっと気になっていた。そんな訳で、毎度おなじみカウリスマキもどき映画…と思いながらも好感を持って見ていた僕だが、問題は映 画の後半。シネマテークが潰れちゃって「これからどうする」ってくだりになって、さすがに僕はついていけなくなった。要は「映画より人生が大事」ってこと なんだろうが、そんな分かりきってることを言われてもねぇ。当たり前のことをやたらに大袈裟に描かれても困る。というか、メソメソしていた主人公がシャ キッと立ち直るくだりで、彼の心の描写として「駅馬車」(1939)の騎兵隊到着場面のサウンドトラックが流れる…という「あまりに図式的」な描き方に少 々恥ずかしくなった。同じように、彼にとって過去のすべてが詰まったようなカバンを床屋に置いて来てしまう場面も、何だかねぇ。「過去を捨てていく」とい う意識を分かりやすく見せた場面なんだろうが、「山」というセリフが出たら画面に山を写す…みたいな直接的な描写に少々恥ずかしくなった。どこかドブにで も捨てたらどうなんだ。主人公が大学に忍び込んで、講師のフリをして「ウソと真実」みたいな屁理屈をまくしたてる場面も、言ってることの青臭さに寒さが倍 増。池の鯉を見ている場面など、わずか1時間強の映画なのにムダな描写があり過ぎ。ミニマリズムじゃなかったのかこの映画は? 結局は、映画という「虚 構」「夢」に生きていた男が好きな女を誘って「現実」と対峙するようになる…という「感動的なお話」を作ったつもりなんだろうが、肝心のその女を誘う時に またぞろ「映画」を持ち出すなんて…これには正直ドン引きしてしまった。「映画よ、さようなら」じゃなかったのかよ? 捨てたカバンは何だったんだ? こ の映画ってどこの田舎の高校の映研が作ったんだよ。そもそも、「映画への愛」みたいなモノを錦の御旗にすれば、映画ファンから間違いなく支持されるはず… なんてジュゼッペ・トルナトーレみたいな姑息な打算が気色悪い。ところが、こんな映画がネット上では圧倒的にベタホメされているからビックリ。それどころ か、各地の映画祭でも好評だったみたい。こんな見え透いた映画が支持されちゃうのかい? それとも、イマドキはこういう「親孝行をしよう」とか「モノを盗 んだらダメ」…みたいな、バカでも分かるようなメッセージの映画じゃないとみんなに理解できないのかねぇ…。

さいごのひとこと

 カバン置いていかれた床屋が迷惑。

 

「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」

 Independence Day : Resurgence

Date:2016 / 09 / 05

みるまえ

  あの「インデペンデンス・デイ」(1996)の続編である。最近は続編も題名に苦労しているようで、「なんとか2」ではなくて「ジェニシス」とかいろいろ やらなくちゃならない。今回もまた頑張っていて「リサージェンス」である。さらにスケール・アップ! 予告編を見る限りでは、またまた巨大な宇宙船がやっ て来て地球を攻撃である。何しろ「インデペンデンス・デイ」での巨大宇宙船の出現は、昨今の侵略モノSFのひな形を作ったと言っても過言ではない。あれか ら何度地球は侵略されたか分からないが、その都度いつも空を見上げれば、そこには巨大宇宙船があった。その真打ちがついにまたやって来るのだ。ウィル・ス ミスが今回は出演しないとか、そんなことはどうでもいいのだろう。だが何となく、作品自体を取り巻く佇まいが妙に大人しいのが気になる。大々的に公開され たはずなのに、あまり賑々しく話題になっていない。夏休み映画の台風の目じゃないのか。だが、僕はちょっと仕事で疲れていた。気楽に逃避できる映画を求め ていた。そもそも前作「インデペンデンス・デイ」だってバカな映画だったし、今回もバカ映画だろうから気楽に楽しめるだろう。そんな気持ちで映画館に滑り 込んだわけだ。

ないよう

  「今日こそが、人類にとっての独立記念日なのだ!」…あの20年前のホイットモア大統領(ビル・プルマン)の感動的なスピーチ。だが、それは敵側であるエ イリアンたちにとっては、実に苦々しい言葉だったに違いない。連中は今でも宇宙の彼方から、地球のことを虎視眈々と狙っていた…。そんな悪夢に思わず飛び 起きてしまうホイットモア。その顔には20年の歳月が刻まれ、ヒゲは生やし放題。そんな彼の部屋には、熱に浮かされたように描いた落書きのような絵が何枚 もあった。そこに描かれた円に横棒を引いたのような図形の意味とは…? そう、あれから20年。あの未曾有の災厄を乗り越え、地球はまた目覚ましく発展し ていた。復興の手助けになったのは、皮肉にもエイリアンの残したテクノロジー。それによって飛躍的に進んだ文明と一丸となって戦ったという世界共通の意識 が、人類をさらなる発展へと導いたのだ。ホワイトハウスでは現・大統領のエリザベス・ランフォード(セーラ・ウォード)が、来たる「インデペンデンス・デ イ」20周年イベントの準備に大わらわ。そのスピーチ原稿を書いたのは、現・大統領のエリザベスの側近であり、あのホイットモアの娘でもあるパトリシア (マイカ・モンロー)。そこにやって来たのは、若きエリート・パイロットのディラン(ジェシー・アッシャー)。彼は地球防衛軍の精鋭「レガシー隊」のリー ダーであり、例の記念イベントでも月まで行ってアトラクション飛行を見せる予定だった。そこでエリザベスに挨拶に来たというワケだ。実は彼は、例の事件で 大活躍した英雄スティーブン・ヒラー大尉の息子。あの後、不慮の事故で亡くなったヒラー大尉の遺志を継いで、立派にエリート・パイロットに成長した。そん なディランを、パトリシアも祝福する。パトリシアもかつては空軍に所属し、パイロットとしてディランと同僚だったのだ。そんな彼女は、ディランに「月に行 くなら、ジェイクに声をかけてあげて」と一言頼む。それを聞いたディランは複雑な表情を見せるが、果たしてジェイクとは一体何者なのか…? 舞台変わっ て、ここは月面。問題のジェイク(リアム・ヘムズワース)は巨大なアームを持つ小型輸送船を操り、相棒のチャーリー(トラビス・トープ)と一緒に巨大な光 線砲の銃身を月面の台座に据え付ける任務に就いていた。ところが突然に原因不明の異常が起きて、台座に据え付けたと思った銃身はゆっくりと傾いていくでは ないか。そのままでは月面基地の司令部を重みで押しつぶしてしまう。それを見たジェイクは司令部のジャン司令官(チン・ハン)の制止も聞かず、輸送船で倒 れ掛かる巨大なガッチリ抱えた。そのままでは重みに負けそうなところを、エンジンをフルパワーで噴かして何とか体制を建て直す。こうして何とか銃身を台座 に据え付け直して司令部の危機を救ったジェイクだったが、ジャン司令官の怒りを買ってチャーリーともども謹慎を言い渡されてしまう。だが、ジェイクは大し て気にしない。どうせいつものこと…とフテ腐れて開き直るジェイクだった…。その頃、アフリカでは国連の車両の一団が、ある極秘の使命を帯びて荒野をひた 走っていた。その一団を率いているのは、天才科学者のデビッド・レビンソン(ジェフ・ゴールドブラム)。彼は20年前の大活躍ぶりを買われて、地球防衛軍 でも要職に就いていた。この日も政府機関の小役人ローゼンバーグ(ニコラス・ライト)が彼のサインをもらうため書類を持って来て、デビッドの多忙のために ここまで同行するハメになってしまう始末。だが、デビッドはそんなことはお構いなしだ。やがてやって来たのは…何と現地の反政府ゲリラの拠点。いきなりコ ワモテの男たちに取り囲まれ、ローゼンバーグはビビりまくる。だが、デビッドは動じない。そんな彼が若干の動揺を見せたのは、その場である白人女性と出 会った時だった。彼女の名はキャサリン・マルソー(シャルロット・ゲンズブール)。フランスの精神科医で、実はデビッドとかつて少々ワケありの関係だっ た。そんな彼女も、なぜかこの場に呼ばれて来たという。実は彼らを呼び寄せたのは、反政府ゲリラのリーダーであるディケンベ・ウンブトゥ(デオビア・オパ レイ)。ウンブトゥが二人を連れて行った先には、あの20年前の事件で襲来していたエイリアンの宇宙船が着陸していた。それだけなら過去の遺物と片付けれ ばいいものだったが、何とこの宇宙船、再起動してあちこちに灯りが点灯している。しかも宇宙船の下に深く掘り下げられた巨大な穴も気になる。ウンブトゥい わく、宇宙船の再起動は数日前からだという。船内に入った彼らは、エイリアンの信号発生装置が作動していたことに気づくのだった…。それを知ってか知らず か、エリア51の地球防衛軍本部に監禁されていたエイリアンが、なぜか一斉に騒ぎ出す。さらに20年前の事件から昏睡状態で眠り続けていたブラキッシュ・ オーキン博士(ブレント・スパイナー)が、突然意識を取り戻した。彼のパートナーでずっと 容態を見守っていたアイザックス医師(ジョン・ストーレー)は狂喜するが、これは一体…。さて、舞台は再び月へ。記念イベントのアトラクション飛行のため にやってきた「レガシー隊」のメンバーは大モテで、チャーリーも中国娘のレイン・ラオ中尉(アンジェラベイビー)にお熱。だが、ジェイクの表情は冴えな い。食堂に「レガシー隊」リーダーのディランが入ってくる気配を感じるや、ジェイクは食堂から立ち去ろうとする。だが、ディランがそのジェイクの前に仁王 立ち。それでも無視して立ち去ろうとするジェイクに、ディランはいきなりキツい一発をお見舞いした。当然、上官が何事かとやってくるが、勝手に転んだと 言ってそそくさと立ち去るジェイク。だが、ディランは怒りを露にしていた。実はかつてジェイクとディランとパトリシアは、共に訓練を受ける同期のパイロッ トだった。たまたま試験飛行の時に、いいところ見せようと派手なフライトをやらかしたジェイクのせいで事故が発生。それ以来、ディランはジェイクを目の敵 にしていた。また、結局は「英雄」の父親の七光りで「レガシー隊」リーダーとなったディランに対して、月に左遷される憂き目をみることになったジェイクと しては、素直に謝れないものもあった。いくらジェイクの婚約者となったパトリシアがとりなしても、溝は埋め難いものがあるのだった。そんなこんなのうちに も、異変は次々起きていた。ホイットモアも目覚めたオーキン博士もそれらに激しく反応し、「奴ら」が戻ってくるのを感じる。案の定、土星の輪が何者かに乱 され、月面の空中に渦のようなものが出現。やがてそこから球体の宇宙船が現れるではないか。ジャン司令官はこの状況をエリザベス・ランフォード大統領に報 告。各方面に慌ただしく意見交換が行われ、デビッドのもとにも「どうすべきか?」という問いが投げかけられる。デビッドは一瞬ためらいながらも、大統領に 「攻撃中止」を進言した。この球形宇宙船は、明らかに以前侵略して来たエイリアンとは別モノと思ったからだ。だが、大統領は大いにためらったあげく、「先 制攻撃」を命令。例の巨大な光線砲を使って、ナゾの球体宇宙船をアッという間に破壊した。期待通りの威力を見せた光線砲に大喜びの月基地だったが、「やっ ちまった」感を強く抱いたデビッドは何とも複雑な表情を隠さない…。そんなデビッドの前に現れたのは、ジェイクとチャーリーが操縦する巨大アームを持った 小型輸送船。ジェイクはデビッドを月への調査に誘うために、独断でアフリカの荒野までやって来たのだ。いきなり現れた宇宙船にビックリする一同だったが、 デビッドにはもちろん異存はない。そこに一連のナゾを解き明かす使命感に燃えるキャサリンも同行。さらにエイリアンへの怒りに燃えるウンブトゥも乗り込 み、行きがかり上なぜか小役人ローゼンバーグまで一緒に行くことになるという何ともミスマッチな寄り合い所帯。しかし乗りかかった船…ということで、一行 は一路月へと急ぐことになる。さて、ワシントンではいよいよ盛大な記念式典がスタート。エリザベス・ランフォード大統領が一席ぶっていた壇上に、いきなり ホイットモアが現れる。ちょうどいい機会だからスピーチを…とマイクを向けると、ホイットモアは「奴らがまた来る」と縁起でもないことを言ってガックリ倒 れた。だが、それは決してデマでも与太話でもなかった。ちょうど月で球形宇宙船の残骸を調査していたデビッドやジェイクたちは、突如迫り来る巨大宇宙船に 驚愕。それは明らかに先ほどの球形宇宙船とも異なり、そして20年前に襲って来たエイリアンの宇宙船よりも遥かに巨大…。いや、あまりに巨大すぎて、地球 に覆い被さってしまうほどの大きさではないか…!

みたあと

  実はまったくこの作品の情報を仕入れていなかったので、せいぜい「今回はウィル・スミスが出ていない」…ぐらいのことしか分かっていなかった。だが、息子 可愛さのあまり一緒に沈みつつあるイマドキのウィル・スミスなど、いてもいなくても大した影響はあるまい。正直な話、前作だって大ヒットはしたものの壮大 なバカ映画でしかない。あれからローランド・エメリッヒもいろいろな作品を撮り続け、近年は単なるバカ映画だけでなく「もうひとりのシェイクスピア」(2011)や「ホワイトハウス・ダウン」 (2013)などそれなりにうまみのある作品も作るようになってきた。ならば、本作だってソコソコの水準で作れるのではないか。ひょっとしたら前よりマシ になっているかもしれない。あまりにも話題になっていない本作だったが、僕は大した期待もしない代わりに大きな心配もせずに、フラッと劇場に足を運んだわ けだ。その結果は…。

こうすれば

  とにかく敵の宇宙船がデカい。前作でも敵宇宙船が破格のデカさで、それが敵の圧倒的強さを見せつけて映画のインパクトを大きくした。それ以降、宇宙人の侵 略SFといえばバカデカい宇宙船…とパターン化されたわけだから、前作の影響力の大きさが伺える。当然、今回の続編もそれを意識せざるを得ないから、「ア レに負けないだけのデカい宇宙船を!」ということになったのだろう。しかし、デカさにはより一層のデカさで…という発想が何とも単純というか何と言う か…。巨大なヒトデみたいに地球にガッチリしがみつく宇宙船…という絵柄が、もはや脅威を感じるというよりナンセンス過ぎて笑ってしまう。ひとつの天体に このような巨大構造物が襲いかかることによって、引力の問題だとか大気だとか天体の軌道だとかはどうなるのだろう…などと科学的な正しさ云々を言うほど僕 もヤボじゃないが、さすがにこの「デカさにはさらにデカさを」という発想には苦笑してしまった。「ラーマがさらにおいしくなりました!」じゃないけど (笑)、すごく頭が悪そうな発想なのだ。そして、何だかアフリカと月が電車で行けそうなくらい近く感じられるあたりも含めて、「さらに大きく!」がまった く功を奏していない。むしろ大風呂敷の広げ方や発想が貧困なため、スケール大きいどころかショボく感じられてしまうのだ。敵エイリアンの科学技術をパクっ た対策で敵からの攻撃を防げると思ってる矛盾とか、やたらに身内の死を描いて敵への怒りをかき立てていく安易さとか、圧倒的科学技術を持っているのにひた すらバカ力だけで暴れる敵の女王エイリアンとか…指摘できる穴はそこらじゅうに開いているのだが、それを言っても仕方がない。兄貴クリス・ヘムズワースと 顔も個性も似過ぎていて、単にギャラ節約のために起用されたみたいなリアム・ヘムズワースに象徴されるように、ただただひたすらショボさが漂うのがマズ い。さらにデカく…が裏目に出て、実際にはお金もかかっているだろうに貧乏臭く見えてしまうのが一番マズいのである。小役人のローゼンバーグ役でニコラ ス・ライトが起用されているのは、前作「ホワイトハウス・ダウン」でのホワイトハウスのツアーガイド役が成功したからだろう。今回も同じような役柄が用意 されているのだが、実はこれがうまくいってない。この小役人がいつの間にか戦士になっていく必然性がまったくないことと、コワモテの反政府ゲリラ戦士ウン ブトゥ(デオビア・オパレイ)との絡みが今ひとつ描ききれてないことによって、ちゃんと楽しく機能しなかったのが残念だ。エメリッヒがどうしてここまでヘ タクソになっちゃったのか、ナゾでしかない。唯一ニヤリとしたのは、意外にもシャルロット・ゲンズブールがこんな映画に出ていること。惑星激突映画「メランコリア」(2011)に出た影響なのか(笑)? 案外、ラース・フォン・トリヤーが本作に出ろとアドバイスしたのかもしれない、いやマジな話。

さいごのひとこと

 「大盛」って食ってみると意外に量が少ない。

 


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