新作映画1000本ノック 2016年8月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
「帰ってきたヒトラー」 「ウォークラフト」 「ダーク・プレイス」

 

「帰ってきたヒトラー」

 Er ist wieder da (Look Who's Back)

Date:2016 / 08 / 22

みるまえ

  ドイツ映画で、「帰ってきたヒトラー」である。ドイツ映画で、である。これはちょっと前の状況から考えたら、かなりの変化ではないだろうか。何しろドイツ ではあんな事があったから、ヒトラーはタブーなはずだ。ヒトラーのおかげで国土は焦土と化したし、世界中から悪党扱いされても言い返せない状況になった訳 だから、それも無理はない。ブルーノ・ガンツ主演の「ヒトラー/最期の12日間」 (2004)を作った時も大変だったと聞く。あのヒトラーを「人間らしく」描いた…というだけで大騒ぎだ。万事ユルユルの日本とは大違い。それが…どうや ら最近は様子が変わってきたのか。「ハンナ・アーレント」(2012)あたりもそうだが、言っちゃいけなかったことを言えるようになった…必ずしもタブー 視しなくなってきたのか。それにしたって、本作は聞けばコメディだという。「アイアン・スカイ」 (2012)みたいなトンデモSF仕立てならともかく、しかもヒトラーの本国ドイツ映画でこれはかなりヤバい。…っていうか、本作もSF仕立てっちゃあ SF仕立てなんだが(笑)。だが、映画は各方面で絶賛だという。これは果たしてどうなんだ? そんなこんなしているうち、イギリスはEUを離脱、ドナル ド・トランプが米大統領選でマジの共和党候補となってしまう。シャレにならない。そして日本も参院選に東京都知事選と、アッと言う間に「政治の季節」に突 入だ。その是非については、ここではとやかく言うつもりはない。ただ、そんなこんなの内外の状況に、あまりにもタイムリーな映画となっていそうで怖い。そ うなると、やはり見ないでいる訳にいかない。僕はちょっとした時間の空きを利用して、イソイソと劇場に出かけて行った。

ないよう

  その初老男は、マナー講師を相手に大いにボヤいていた。それは一見、どうもイマドキの風潮に合わせられないオッサンの嘆きのように見えたが、実は少々その 手の話とは異なる。初老男の嘆きとは、彼お得意の「挨拶」が通用しないこと。イマドキの世間では、その「挨拶」が通用しないというのだ。その「挨拶」と は、右手をまっすぐ斜め上にピッと伸ばすというシロモノ。そりゃあそうだろう。苦笑するマナー講師は、今のドイツではそれは不適当…と初老男に告げるしか ない。だが、初老男は不満げだった。その初老男、その名をアドルフ・ヒトラー(オリバー・マスッチ)という…。さて…ある朝、その男ヒトラーが目覚めたの は、ありふれた公園の植え込みの中。何がどうなったのか分からないが、目覚めたばかりで頭が混乱している。軽くめまいもする。だが、間近に迫っていたはず の敵の姿はどこにもない。砲撃や銃声も聞こえて来ない。何が何だか分からずにフラフラしていると、そこにサッカーをしていた少年たちがやって来る。しかし 彼らは目の前に「総統閣下」が立っているというのに、何ら畏敬の念も尊敬の思いも持っていないようだ。それどころか、「何だこのオッサン」的な扱いに、軽 くショックを受ける。やがて少年たちは近くで行われていたテレビの取材に呼ばれて、すぐにヒトラーに関心を失ってしまった。そう…テレビ取材! なぜかヒ トラーは、現代のドイツに忽然と出現してしまったのだ。だが時空を超えたショックで頭がもうろうとしているヒトラーは、イマイチ状況が飲み込めない。街中 を歩く人々を見ても、ただ戸惑うだけだ。そのうち街頭の売店で新聞の日付に注目したヒトラーは、そこに「2014年」とあるのに驚愕し失神。その場に倒れ てしまう。そんなヒトラーを、売店のオッサンが見かねて介抱してくれた。さて、その一方で…先ほど街角でサッカー少年を取材していたテレビ・ディレクター のザヴァツキ(ファビアン・ブッシュ)が意気揚々とテレビ局へと出勤して来るが、この男いい奴なんだが致命的に空気が読めない。ちょうど副局長のゼンゼン ブリンク(クリストフ・マリア・ヘルプスト)が、またも局長昇格のチャンスを逃してカリカリしていたところにブチ当たるという運のなさ。その不満の恰好の ターゲットにされて、あっという間にクビにされて放り出されてしまう。さすがにヘコんだサヴァツキは何とか大ネタをつかんで見返してやらねば…と焦りに焦 るが、そんなネタがそこらに転がっていたら苦労はない。仕方なく自分が撮って来た当たり障りのない少年サッカーネタの映像を見ていたら、ふとその背景に 写っている不思議な人物に気がついた。植え込みの中から忽然と現れたその男は、まるでヒトラーのように見えるではないか。こりゃ面白い! 良ネタの予感。 サヴァツキはこの男を探そうと心に誓う。その頃、例の売店の中で目覚めたヒトラーは、オッサンにもらったチョコバーで一息つく。こうなると、元来飲み込み の早いヒトラー。売店にある売り物の新聞を乱読し、たちまち「現代」を理解していった…。

みたあと

  お話については当然知っていたので意外でも何でもないのだが、なるほどなぁと思わされたことがまずひとつ。本作はヒトラーが現代にタイムスリップ…という アイディアそのものは、チマタで言われているほど秀逸でも何でもないし、むしろ凡庸だと思う。問題はそれを描くうえで…少なくとも映画の前半部分に関し て、実質上の「主人公」ザヴァツキが撮影するビデオのルポルタージュとして描いているところにある。この映画の「問題作」たるゆえんは、まさにそこなの だ。

ここからは映画を見てから!

みどころ

 前述したよう に、サヴァツキはヒトラーを現代ドイツのあちこちに連れ回して、そこで一般市民との対話を試みる。そこから現代ドイツ国民の「ホンネ」が垣間見えてくる… という構造だ。たぶんみなさんご承知のこととは思うが、このルポルタージュって仕込みや演技で撮影された部分も含んでいるだろうが、どうも大半はその場で ガチのドキュメンタリーとして撮影されたらしい。つまり、映画の前半部分は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」 (1999)風の構成になっているのだが、「ブレア・ウィッチ」が完全な仕込み映像だったのに対して、こちらは「ドキュメント風に見える」のではなく本当 に「ドキュメント」だった可能性が高い。つまり「事実」と見せかける「虚構」の構造と見せて、やっぱり「事実」…という非常にねじくれた構造になっている のだ。そして、そこで意外にも一般ドイツ市民がかなりヤバい発言をしているのが衝撃的。ここから先になると、僕もそこらの映画評と大差ないことしか言えな いが、ここまで事態は進んじゃっているのか…と唖然となってしまう。「イギリスがEUを離脱」とか「トランプが大統領就任寸前」とかは、今の欧米で「なる べくしてなっているんだな」と思わざるを得ない。実は、僕は一昨年の東京国際映画祭でエミール・クストリッツァが役者として出演しているイタリア映画「アイス・フォレスト」 (2014)を見に行った時、ティーチインに出席していた監督や主演者がやたらに「難民問題」に神経質になっていたことが、ずっと気になっていた。「移 民」を否定的には考えていない…と聞かれてもいないことを再三再四繰り返していたにも関わらず、映画自体はどう見ても「移民」を肯定的に描いているように は見えない。そもそも「否定的に考えてない」とムキになって言うあたりからして、何となく胡散臭いではないか。それに近いホンネの部分が、こういう問題に はデリケートなはずのヨーロッパ…しかもドイツで、無造作に言葉として出ちゃっていることにショックを受けた。これは映画についての文章だからこれ以上踏 み込まないが、本作はやはりそういう空気をダイレクトに取り込んでいるのが驚きだ。ただ、それって「映画」なんだろうか?…というと疑問に感じる部分も少 なくなくて、僕もちょっと見ていて当惑せざるを得なかった。そんなことは、作り手である監督のダーヴィト・ヴネントも気づいていたのだろう。終盤でフラン ソワ・トリュフォーの「終電車」 (1980)…ということは「蒲田行進曲」(1982)にも引用されたオチなのだが…みたいなアッと驚く仕掛けを作り、極めて映画的な鮮やかな幕切れを用意している。 ビデオ・ルポルタージュで始まり映画的などんでん返しで終わる…というあたり、ダーヴィト・ヴネントが本作を作るにあたって「映画とは何か?」ということをかなり意識して 撮っていることが分かる。ただ、チマタで話題になってる「ヒトラー/最期の12日間」のパロディ場面は、すでに使い古されたネタみたいになっていてまった く笑えなかった。しかしそれにしても、前半のルポ場面はそのヴネントの予想を超えた暴走ぶりだったのではないだろうか。現代に現れたヒトラーがサヴァツキ の手に余るシロモノだったのと同様に、本作自体もまたその作り手の思惑を超えてコントロール不可な化け物になってしまったのではないか…と僕には思われる のである。

さいごのひとこと

 ヒトラーは選挙で選ばれたことをお忘れなく。

 

「ウォークラフト」

 Warcraft

Date:2016 / 08 / 22

みるまえ

  最初にこの映画のチラシを見た時には、何の変哲もないファンタジー大作映画…としか思わなかった。もっと突っ込んで言うと、ひどく月並みなファンタジー映 画という印象しかなくて、どうせまたシリーズ化目論んで作ったものの、ポシャるのがオチだろう…と思っていた。何しろこの映画でなくてはならない特徴らし きモノが伝わって来ない。キャストも知らない奴ばかりの弱体な作品。監督もどうせ知らない奴だろうとタカをくくっていたら、ダンカン・ジョーンズ…な、何 だって? 僕は忽然と現れた小品の傑作SF映画「月に囚われた男」 (2009)のことを忘れはしない。この作品がデビュー作というダンカン・ジョーンズの名前は、その場で僕の脳裏に焼き付いた。彼があのデビッド・ボウイ の息子だという事実よりも、何よりその監督としての腕前に惚れ込んだ。そしてやって来た監督2作目、ジェイク・ギレンホール主演の「ミッション:8ミニッツ」 (2011)がまた素晴らしい出来。これはもうマグレとは言えない。僕にとってダンカン・ジョーンズは、絶対安心で信頼のブランドとなったワケだ。こうな ると、次作が大いに待たれる。だが、そんなダンカン・ジョーンズの新作が、まさかこんなファンタジー大作だとは! 「月に囚われた男」も「ミッション:8 ミニッツ」もアイディア勝負の作品で、予算的には潤沢でなかったようだが、それを知恵で余りあるものにこしらえているところが素晴らしかった。彼の作品は まずユニークであり、強烈なオリジナリティーがあったワケだ。なのに今回の作品は、どこをどう見ても典型的…つまり「よくありがち」で凡庸なファンタジー 大作。「ロード・オブ・ザ・リング」 (2001)大成功の後から雨後の筍のようにあっちこっちからニョキニョキ出て来た一連の作品と、その佇まいの点でどこも変わらないように見える。しか し、ダンカン・ジョーンズ作品がそれでいいんだろうか? いやいや、あのダンカン・ジョーンズがそんなつまらん仕事をする訳がない。これってひょっとした らスゴい傑作なのかもしれない。世間が騒いでないだけかも。そんな悶々とした気持ちを抱きながら、僕は映画を上映している劇場へと足を運んだのだった。

ないよう

  その世界では、巨大な体躯のオークと人間とは長く戦い続けて来た…。オークの中でもフロストオークの族長デュロタン(トビー・ケベル)はそんな争いに嫌気 がさしながらも、妻ドラカ(アナ・ガルビン)のお腹にいる赤ん坊のために日夜戦士として頑張っていた。そんな彼らオークは、常に征服戦争に明け暮れてい る。彼ら本来の土地が滅びつつあるため、どうしても外に侵略に出なければならない…というのがその理屈だ。やがて、彼らオークたちがまたもや別世界へ侵攻 する日がやって来た。その日、デュロタンだけでなく妻ドラカも大きくなった腹を隠して戦列に参加。指導者である魔術師グルタン(ダニエル・ウー)が魔法の 力で「ゲート」を開くのを、他の幾千ものオークたちと今や遅しと待ち構えていた。だが、その場にいたのは、今から進軍しようというオークの兵士たちばかり でなかった。まず、檻に閉じ込められた多数の捕虜たち、そして…口から牙を生やしてはいるが、明らかに他のオークたちとは一線を画する容貌の女がひとり。 鎖に繋がれて異形の者として扱われている彼女は、人間とオークのハーフであるガロナ(ポーラ・パットン)。檻の中の捕虜たちは彼女に助けを求めるが、自ら も囚われの身であるガロナにどうにか出来るわけもない。やがて魔術師グルタンが魔法で「ゲート」を開き始めたが、それは檻に囚われた捕虜たちの命のパワー を吸い取って使い果たす邪悪なもの。パワーを奪われた捕虜たちは、みるみるうちにミイラのように萎れて息絶えた。こうして開いた「ゲート」を通って、オー クたちは人間界へと次々飛び込んでいく。もちろん、そこにはデュロタンとドラカの夫婦もいた。しかし「ゲート」通過の衝撃がいけなかったのか、ドラカが急 に産気づく。戦いの場に妊婦が入り込んでいたことに怒るグルタンだったが、いざ急に生まれた赤ん坊が息をしていないと気づくと、近くにいた動物の命のパ ワーを使って蘇生した。『この子は新たな戦士だ!」と叫ぶグルタン。元気に泣き声をあげる赤ん坊に、オーク軍団たちは勇ましく雄叫びを挙げるのだった…。 さてその頃、所用でたまたま故国から離れていた軍指揮官ローサー(トラビス・フィメル)は、急を告げる知らせを受けて慌てて戻ることになる。それは、ナゾ の襲撃の報告だった。ローサーはその襲撃で殺された者たちを調べに行き、そこで先に遺体を観察している若い魔法使いと出会う。この若い魔法使いカドガー (ベン・シュネッツァー)はちょっと抜けたところもある男だが、彼はこれらの遺体を見て何やら気づいたようだ。それは、邪悪な魔法『フェル」の痕跡だっ た。強大なパワーを手に入れられるが、邪悪な魔法ゆえに使う者もまた穢れていく『フェル」の力。それを操る何者かがこの王国に侵入したのか。ローサーはカ ドガーを連れてレイン王(ドミニク・クーパー)に会いに行き、事情を説明。するとレイン王は、ローサーとカドガーに「守護者」である魔法使いのメディヴの もとへ赴いて指示を求めるように命じた。こうしてメディヴがいる魔法使いの本拠地カラサンへとやって来るローサーとカドガーだが、なぜかカドガーはロー サーひとりをメディヴとの面談に行かせ、自らは図書室に留まって古い書物を物色する。すると図書室に何者かが現れ、カドガーは導かれるように一冊の書物の 存在に気づくではないか。ところが、ちょうどそこにローサーと一緒に「守護者」メディヴ(ベン・フォスター)がやって来る。メディヴはカドガーの姿を見る や、辛辣な態度で彼に接した。それというのも…実はカドガーはかつてこのカラサンにいて、メディヴの下で魔法使いとしての修行をしていた身だった。だが辛 い修行に耐えきれなかったか、カドガーはこの場を去ってしまっていたのだった…。ともかく邪悪な魔法「フェル」を使った連中の侵略を食い止めるため、ロー サーとカドガー、そしてメディヴは、騎士たちを同行して襲撃があったとされる森のなかへと出かけていく。すると、案の定彼らにオークたちが襲いかかってく るではないか…。

みたあと

 ここまでストーリーを書くのが、 なんともシンドくて仕方なかった。変な約束ごとや固有名詞がやたら多いから、ここだけの話ファンタジー映画の紹介はウンザリする。一時期のファンタジー映 画ブームが一段落したかと安心していたら、またこれかよ。それをまた、何が悲しくてあのダンカン・ジョーンズが映画化しなくちゃならないんだ。今度は一体 どんな小説の映画化か…と思っていたら、何とこれは世界的に人気のオンラインゲームの映画化だというからビックリ。ダンカン・ジョーンズってこのゲームの ファンなのかなぁ…。そもそもプレイして楽しむはずのゲームを『映画化する」ってとこにまったく必然性を感じられない僕としては、何でダンカン・ジョーン ズがこんな題材を映画にしたのか理解できない。そもそもゲーム…ってこと以前に、オモテに出て来るこの作品のイメージが、あまりに凡庸な『いかにもファン タジー映画」のそれでしかないのが問題だ。せいぜいドミニク・クーパーぐらいしか見知った顔がいなさそうなキャスティングも、イマイチ食いつく気になれな い要因ではある。しかし、ゲームの映画化でも「バイオハザード」(2002)や「ドゥーム」 (2005)みたいな成功作はある。しかも、腐ってもあのダンカン・ジョーンズだ。彼ならばどんな題材でも「やってくれる」だろう。むしろ彼としては初め ての大型予算で、どんなことをやらかしてくれるか楽しみでしかない。そんな事前予想でワクワクして劇場に出かけた僕だったが、まず見始めての第一印象は… 思った以上に「普通のファンタジー映画」だな…というのが正直な感想だった。

みどころ

  見た目は どう考えても「普通のファンタジー映画」。その印象は残念ながら拭えない。だが、ダンカン・ジョーンズ「らしさ」と言っていいかどうかは分からないが、語 り部としての「物語巧者」の腕前は確かに感じた。冒頭からして…当然、人間が主人公の物語だと思ってみていたら「アレッ?」と思わせて、さらに舞台を転換 させて本題に入る…という「ひねり」のある展開。さすがに曲者ダンカン・ジョーンズらしいところだと思う。また、前述したようにファンタジー映画というも のは設定やお約束だらけで、映画の前段でそれらを観客に説明し尽くさなくてはならない。ところが本作では、これらを実に見事に捌いて、観客に説明の不自然 さやまどろっこしさを感じさせない。しかも、ちゃんとお話は分かるように導いてくれるし、説明不要と判断したら思い切りよく放置してしまう。このあたりの 交通整理が、実に巧みなのだ。またダメな魔法使いとか人間とオークのハーフとか、一癖あるキャラクターを見事に描き分ける。これだけパッとしないキャス ティングなのに、それぞれを印象に残るキャラクターに描ききっているから見事なのだ。だから、僕はこんなゲームなど知らないし関心もまったくないが、映画 はとても面白く見た。これは、余人を持って替え難い資質だと思う。

こうすれば

 ただし…面白いは面白いのだが、そこに問題がない訳ではない。本作は確かに面白いが、それは…風呂上がりにたまたまつけたテレビでやっていた映画を目に したら、ついつい引き込まれて最後まで見ちゃった…的な、その程度の「面白さ」でしかない。本作はあからさまに続編に続くような趣向で幕を閉じるし、そこ での主要登場人物の運命がこれからどうなるのか?…大いに気になるところではあるが、「ウォークラフト2」が公開されたら劇場に見に行くか…と問われれば 「否」と言わざるを得ない。そこまで吸引力がある面白さではないし、魅力も感じない。残念ながら、どう見ても「普通のファンタジー映画」どまりなのであ る。ゲーム知ってる人はどうか分からないが、少なくとも一人の映画ファンとしてはそれが率直な感想である。また、もうひとつ気になるのが、作品世界の「狭 さ」。映画としてもスケール感を感じないし、視覚的にも広がりがない。これは、スペクタクルを売りにするはずの『ファンタジー映画」としてもマズいのでは ないか。実際、森や荒野を舞台にした場面を撮影する場合にも、なぜかダンカン・ジョーンズはスタジオ撮影を多用していて、間違いなくそれが視覚的な「狭 さ」の一因となっている。だが、全編に漂うスケール感のなさは、それだけでは説明がつかない。思い出してみると…ダンカン・ジョーンズはこれまでの「月に 囚われた男」、「ミッション:8ミニッツ」では、むしろ「閉所恐怖症」的な作品世界を作り上げて効果を上げて来た。だとすると、そちらの方が作家的な資質 には合っていて、むしろスケール感を求められる仕事には向いていないのではないだろうか。これは本作のような作品を手がけたからこそ露呈した、彼の限界の ような気がする。そして蛇足として付け加えるなら…魔術師グルタン役に、「香港国際警察」(2003)や「新宿インシデント」(2009)に出ていた香港スターのダニエル・ウーが起用されたことにも「???」を感じた。彼自身としては「エウロパ」 (2012)に次いでアメリカ映画出演に意欲を燃やしているのかもしれないが、CG化されてまったく原型をとどめていない出演が、果たしてどれだけ意味を 持っているのか。そもそも彼である必然があるのか。これには疑問を感じざるを得ない。あまりにもったいないではないか。

さいごのひとこと

 ひと山いくらのファンタジー映画。

 

「ダーク・プレイス」

 Dark Places

Date:2016 / 08 / 08

みるまえ

 シャーリーズ・セロン主演で「ゴーン・ガール」(2014)原作者の小説の映画化…ってだけでは、正直言ってそれほど心が惹かれない。一家惨殺事件の生き残りの女が、その真相を追いかけることになる話ってだけでも、よくありがちなサスペンス映画の設定なんでビックリしない。ただこの作品が、あの「サラの鍵」 (2010)を撮ったジル・パケ=ブランネールのハリウッド上陸第1作…と聞いたら、それは興味が湧かない訳がない。「サラの鍵」は典型的なヨーロッパ製 ホロコースト告発映画に見えて、ヨーロッパ映画に珍しいほどのスケール感と娯楽性を兼ね備えた作品だった。だから、正直言ってハリウッドにスカウトされて も不思議はなかったし、実際そうなってみると納得しかない。問題はこのビッグスター主演のハリウッド作品というビッグチャンスを活かして、彼女がどんな作 品を作ったか。こうなると、やはり見ない訳にはいかない。しかも、この作品はまったくチマタの話題になっていない。これを見逃したら悔いが残ると、僕は慌 てて劇場に足を運んだのだった。

ないよう

  真夜中に起き出した幼い少女は、隣のベッドに寝ている姉たちを横目に部屋を出る。入って行ったのは母親の寝室。すると気配に目覚めた母親は、彼女に向かっ てこうつぶやいた。「リビー、愛しているわ」…。それが、リビーの脳裏に残る当夜の記憶だ。1985年のカンザスの田舎町で、その事件は起きた。一家惨殺 事件の生き残りが、当時8歳だったリビー(スターリング・ジェリンズ)だった。それでなくてもまだ幼いのに、捜査官たちは動転して言葉が出ない彼女からあ れやこれやと聞き出そうとする。それは時に、誘導尋問に近いやり方になってしまったとしても、不思議はないかもしれない。リビーの「証言」によって、一家 の長男である15歳のベン(タイ・シェリダン)が捕らえられた。惨劇の舞台となった自宅内には血のりで何やら怪しげな呪文が書いてあったが、実はベンは 「悪魔崇拝」の傾向があった。また、母と姉妹2人が亡くなったこの事件で、リビーと共に生き残ったのがこのベンだった。おまけに事件前後から姿を消してい たのもマズかった。リビーの証言が決定的な証拠となり、ベンは終身刑が確定。たった一人になったリビーには、世間からの同情が集まった。支援金や寄付が殺 到し、自叙伝出版の印税も入った。それをいいことに…リビーはそのカネを切り崩して暮らす人生。まるで働く気がなく「毎日が日曜日」。だが、そんな日々が いつまでも続く訳もない。世間もいつまでも同情を続けてくれる訳ではない。ある日、彼女の財産の管理人にファミレスに呼び出されたリビー(シャーリーズ・ セロン)は、厳しい現実を突きつけられて愕然とした。何と、すでに貯金は底をついていて、家賃その他も滞納という状態。進退窮まった彼女に、財産管理人は 「ある仕事」を持ちかける。それは、ある男の電話番号だった。気が進まないながらも連絡をとると、妙に軽いノリではしゃぐ相手の男。しかも、カネになると いう。彼の呼び出しに応じてやって来たのは、深夜のコインランドリーだ。何とも怪しい。そこで彼女を待ち受けていたのは、ジャージ姿の若い男ライル(ニコ ラス・ホルト)。完全にビリビリと警戒するリビーだったが、ライルは自分はこのコインランドリーのオーナーだと打ち明けて、徐々にリビーの警戒心を解いて いく。このライルという若い男、実は奇妙な会合の主宰者でもあった。それは「殺人クラブ」。犯罪や殺人事件のマニアが集まって推理したり証言を聞いたりす るという、いわばオタクの会合だ。中でも彼らの御馳走は、ナゾめいた惨殺事件だ。その生き残りであるリビーは、いわば彼らにとって「伝説のスター」なの だ。怪しげな雰囲気だし、そもそもテメエの事件の話なんざしたくもないリビーだったが、この際、背に腹は代えられない。ライルに結構な金額をチラつかされ て、気が進まないながらも引き受けざるを得なかった。さて、約束の夜にやかましい建物にやって来るリビー。この建物の中に、問題の「殺人クラブ」の会合が 開かれている部屋がある。ちょっとばかりおめかしをしてやって来たリビーに、「クラブ」のメンバーは大いに色めき立つ。ところが改めてリビーに事件を振り 返ってもらう…という主旨かと思いきや、ちょっとばかり方向が違っていた。実は「クラブ」のメンバーは、「真相」を探ろうとしていた。彼らは、リビーの兄 で犯人として捕まっているベンの無実を証明したいと思っていたのだ。ところが事件の証拠や書類などが近々廃棄処分になることになっており、その期限が残す ところあと21日。その後は無実を証明することが出来なくなる。だから「真相」を調べたいと躍起になっているのだ。だが、兄が犯人であると証言したリビー としては、ハッキリ言ってこれは不愉快でしかない。それでなくても不機嫌なリビーは、たちまちキレてその場を立ち去るのだった。だが、その場で彼女に投げ かけられた罵倒は、的外れとも言えないところがあった。そして、彼女には目下に迫った金銭的危機があった。ライルの熱心さにも押し切られた。そんな訳で渋 々ながら渡された事件の調書を読み返し、リビーは事件の「真相」を調べることになってしまう。その手始めは、自らが牢獄に送り込んだ兄ベンとの再会であ る。やって来たのは、彼が収容されている刑務所。何年ぶりかでの面会を果たしたベン(コリー・ストール)だが、彼はリビーを恨んではいなかった。だが、彼 は自分が犯人ではない…と語って、それ以上教えようとはしなかった。そんなベンの腕に彫られた、意味ありげな女名前の文字…。そういえば当時の兄ベンは、 あんな田舎町でヘビメタロックと悪魔信仰に憧れて反抗期丸出し。当然、家族からも周囲からも浮いていた。そんなベンの他に3人の娘を抱える母パティ(クリ スティナ・ヘンドリックス)は、ろくでなしの夫ラナー(ショーン・ブリジャーズ)とは早々に別れて女手一つで孤軍奮闘。しかしいかんせん、女の細腕で農家 を経営していくには、時代も巡り合わせも悪過ぎた。経済的に常に困窮する上に、時々クズな夫がカネをせびりに来るという最悪の状況。自宅も差し押さえられ て、立ち退きを迫られていた。そんなギリギリの状況下で、あの事件は起こったのだった。こうしてイヤが上にも過去を振り返らざるを得なくなったリビーの意 識は、徐々に事件のあった1985年と現代の間を行ったり来たりし始める…。

みたあと

  冒頭でも語ったように、本作を見に行った最大の理由は「サラの鍵」のジル・パケ=ブランネール監督のハリウッド・デビューである。「サラの鍵」を見た時か ら、この人以外にハリウッドの水が合うのではないかと思っていたのだ。迎えるハリウッドの方も、トップスターのシャーリーズ・セロンを主役に持って来た り、ジル・パケ=ブランネール監督の資質に合っていそうなトラウマ系サスペンスという題材を取り上げたり…と最大級のサポート。こうなって見ると、セロン 自身が実際に過去の家庭でのトラウマを抱えていることすら、「あのシャーリーズ・セロンが実人生を彷彿とさせるサスペンス映画に主演!」という少々ゴシッ プ系のゲスな掩護射撃と言えなくもない。ただ、「サラの鍵」はトラウマ系サスペンスと簡単に言えなくもないが、その背景にはヨーロッパを覆った先の大戦の 暗い影がハッキリと刻印されている。それと比べると、本作は単なるショッキングなサスペンスに見えなくもないのだ。実際のところ、映画実物はどうなのか?

みどころ

  確かに最初に感じた印象は、割と普通のハリウッド製サスペンス映画という印象だった。良くも悪くも「作家性」を過度にアピールしない。それは「サラの鍵」 の頃から、すでにジル・パケ=ブランネール監督の資質としてあったと思う。ただ、そもそもが田舎の一家全滅…的な陰惨な話だったのに、それをヘンにオドロ オドロしく描かない抑制の効かせ方や品の良さは好感が持てた。そこは、やはり残酷に描こうと思えば描けたのに、絶妙なバランス感覚で抑えた「サラの鍵」を 彷彿とさせるところだ。そういう意味では「サラの鍵」と本作では共通点も多いのだが、前者がフランス映画のくせに無駄にワールドワイドな話で、ヨーロッパ 映画らしからぬ娯楽性があったのに対し、後者=本作がハリウッド映画にしては意外なまでの「クセ」を感じさせるところが興味深い。先に「割と普通のハリ ウッド製サスペンス映画という印象だった」…などと書いていながら矛盾はしているのだが、やはりどこか凡百のハリウッド映画とは肌合いが違う。もちろん所 詮はハリウッド映画だからどうしても限界はあるのだが、ちゃんと背景にアメリカの農村における人心と社会の荒廃ぶりみたいなものを出せているあたりは、こ の人らしいと言えるかもしれない。ヒロインの実父が浮浪者になったあげく、工場の廃墟みたいな場所で暮らしている場面などは妙に心に残る場面だ。そして、 先に挙げた「品の良さ」は隅々にまで貫かれていて、シャーリーズ・セロンもあの「モンスター」(2003)の時みたいに力みかえった芝居をしない。フトコロの広さを見せて、すっかり上手くなったな…と感心させられた。「ヤング≒アダルト」(2011)や「マッドマックス/怒りのデス・ロード」 (2015)に次いで、アブラの乗り切ったところを見せてくれるのだ。面白いな…と思ったのは、映画冒頭でヒロインがすっかり堕落しちゃっている点。犯罪 被害者で遺族の主人公が焼け太りしちゃって腐敗してしまう…というのは、ちょっと今までにはない視点だった。それというのも、本作が基本的に主人公の「成 長物語」になっているから。チマタでは本作が「ミステリーとしては反則」などと批判されたりして、猟奇サスペンス期待してた人にはガッカリだったかもしれ ないが、それはハッキリ言って仕方がない。そもそも、作り手がそんなモノを作ろうと思っていない。謎解きも面白さも残酷殺人の陰惨さも描くつもりがなかっ た。堕落して人生の目的を失いかけていた主人公が、自分を取り戻すまでの「成長物語」を描きたかったからだ。だが、それは実は彼女のハリウッド・デビュー 作としては正解なのかもしれない。そもそも「健全」な伝統的ハリウッド映画は、常に主人公の「成長物語」を描いて来たはずだ。例えば日本では黒澤明が描い て来たような物語が、本来のハリウッド保守本流なのである。つまり、この監督もヨーロッパではなくハリウッドで映画を撮るということの意味を、ちゃんと分 かってやっているのだ。これはさすがだと思う。ハリウッドまでわざわざ来てまで撮るのなら、ここでやれることをやろうという発想が素晴らしいのである。ジ ル・パケ=ブランネール、この人まだまだハリウッドでやれるのではないか。ちょっと期待したいと思う。

さいごのひとこと

 最近は外国人の方がハリウッド映画を分かってる。

 


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