新作映画1000本ノック 2016年7月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「ザ・ウェイブ」 「団地」 「知らない町」 「神様メール」 「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」


 

「ザ・ウェイブ」

 Bolgen (The Wave)

Date:2016 / 07/ 25

みるまえ

  この映画のことは、チラシでしか知らなかった。だが、僕にとってはそれだけで十分。珍しやノルウェー産のパニック映画で、チラシの絵柄を見るとどうやら洪 水だか津波が押し寄せてくる話らしい。たぶんショボいんだろうけど、見たくてたまらなくなる。パニック映画好きで、おまけにそれが見慣れない国の作品とく れば、僕はもう見ない訳にはいかない。あまりに見たい気持ちが高まり過ぎて、今年多忙のためことごとく話題作を見逃しているにも関わらず、なぜか本作のみ 公開2日目の日曜日に劇場に駆けつけるアリサマ。もっとも、本作は渋谷の単館上映で、しかもレイトショーのみという冷遇ぶり。ヘタすれば即終了の可能性が あったからだ。

ないよう

  その海岸線に多数のフィヨルド地形を擁する国、ノルウェー。この国は、昔からフィヨルドを襲う自然の脅威にさらされていた。それは非常にもろい岩盤の崩落 であり、それに伴う津波の猛威だ。ノルウェーのフィヨルドには、常に岩盤崩落や津波の危険性と隣り合わせといっても過言ではないのだ。そんなノルウェーの 風光明媚なガイランゲル・フィヨルドの道路を、一台のクルマが走っている。運転しているのは中年男のクリスチャン(クリストッフェル・ヨーネル)。クリス チャンのクルマは見晴らしのいい場所にある彼の自宅に到着。家で彼を待っていたのは、愛する妻イドゥン(アーネ・ダール・トルプ)。そして兄ソンドレ(ヨ ナス・ホッフ・オフテブロ)と幼い妹ユリアの二人の子供。一家は現在、引っ越し準備中。クリスチャンが石油会社に引き抜かれて、これから都会暮らしが約束 されている。いかに新しい住まいが素晴らしいか、その新居のマンションがスマホでドアを開けられるとか…しかし、そんな話を家族にしていながら、クリス チャンはイマイチ気持ちが乗っていないことに気づいていた。それからクリスチャンは、職場である津波警戒センターに最後の挨拶に出向く。そこはいつかやっ て来ると言われている付近の山岳地帯の岩盤崩落と、それに伴う大洪水に備えて警戒を続けている施設だ。だが、これまではほとんど毎日平穏そのもの。そんな こともあって、クリスチャンは都会への転身を決めたのだった。そんなクリスチャンとの別れを惜しみつつ、職場の仲間…センター長のアルヴィド(フリチョ フ・ソーハイム)、ゲオルグ(ヘルマン・ベルンホフト)、ヤコブ(アーサー・バーニング)、太めのオバさんながら紅一点のマーゴット(ライラ・グーディ) は笑顔でクリスチャンを送り出そうとしていた。ところがそんな時、監視システムのセンサーが地下水の異常を示す。ある箇所で、地下水の水位が極端に下がっ たのだ。それに気づいたクリスチャンは、説明できない胸騒ぎを覚える。それでも家の引っ越し作業が残っているクリスチャンは、後ろ髪を引かれる思いでセン ターを後にした。しかし、まったく引っ越しに身が入らない。例のあの現象が頭から離れないのだ。それでも荷物を片付けて、長年蓄えてきた資料もゴミ捨て場 に捨てたクリスチャンは、ソンドレとユリアをクルマに乗せてフェリー乗り場へと急ぐ。妻イドゥンは職場であるホテルでの仕事納めをした後で、3人を追いか けるという段取りだ。ところがフェリー乗り場の手前まで来たところで、クリスチャンはふと近くの崖の湧き水を見た。その時、突然ひらめいたクリスチャン は、そのままクルマをUターンさせて津波警戒センターに直行。唖然とする子供たちを置いたまま、センター内に乗り込んだ。クリスチャンの言い分はこうだ。 地下水は別の流れ道を見つけたかもしれない…それは岩盤の崩落につながらないだろうか? 居ても立ってもいられないクリスチャンは、ヤコブを連れてヘリで ひとっ飛び。そこはセンターの出張所である観測ステーションだ。山の中腹にあり、そこから岩盤の深い割れ目を監視している。早速、作業服に着替えたクリス チャンとヤコブは、命綱のケーブルにぶら下がって割れ目の内部に入っていく。そこで岩盤深く打ち込まれたセンサーのケーブルを確認すると、途中で引きちぎ られているではないか。これは尋常でないことが起きている! 興奮したクリスチャンはみんなに深刻な事態であることをまくしたてるが、センター長のアル ヴィドはあくまで慎重だ。それがクリスチャンをさらに苛立たせて、ついつい暴言を吐かせてしまう。「下手こいたら、海抜80メートルまで津波が来る! ガ イランゲルの町なんて10分で水没してしまうんだぞ!」…。だが、「怪しい」だけでは警報は鳴らせない。もし間違いなら観光業に与える打撃は計り知れない し、間違いと分かった時点で次から信頼されなくなる。さすがに「大人の事情」を理解したクリスチャンは、頭を冷やして引っ込んだ。そしてようやく、自分が 子供二人を置いてけぼりにしていたことを思い出したクリスチャン。センター前に停めたクルマに戻ったクリスチャンは、中に二人がいないことに気づく。慌て てイドゥンが勤めるホテルに駆けつけてみると、案の定二人はここに避難していた。さすがに子供二人を置いて仕事に夢中のクリスチャンに、イドゥンは怒り心 頭。結果的に、今日出発する予定はオジャンとなってしまった。そうなると、家にもう一度お別れしたいと言い出す幼いユリア。クリスチャンはイドゥンのご機 嫌をとりながら、ユリアを連れて家に戻ることにした。ソンドレはホテルの部屋を借りて、一人でテレビ三昧だ。その頃、またまた異変に気づいたアルヴィドと ヤコブは例の割れ目に降りていくが、そこで激しい揺れが発生。ヤコブはちょうど命綱をはずしたところで落ちて来た岩に脚を挟まれ、絶体絶命のピンチに追い 込まれる。事態の深刻さに気づいたアルヴィドは、自らの命綱をヤコブに渡す。その一部始終をモニターで見ていたマーゴットは、慌ててクリスチャンに連絡を とった。引っ越しでカラッポになった自宅で居眠りこいてたクリスチャンは、突然のマーゴットからの電話に飛び起きる。だが何が起きたのかを把握するや否 や、クリスチャンはマーゴットに直言した。「何をグズグズしているんだ、早く警報を鳴らせ!」…。最初はためらっていたマーゴットだったが、意を決して警 報のボタンを押す。あたり一帯にもの凄い音で鳴るサイレンの音。岩盤は轟音と共に大きく破壊し、狭い湾の海面に怒濤のごとく崩れ落ちていった。クリスチャ ンは慌ててユリアを叩き起こし、クルマに乗せて高台へと向かった。同時にホテルのロビーにいたイドゥンは、サイレンの音に金縛りのように立ち尽くした。だ が次の瞬間、イドゥンの脳裏に日頃から耳にタコが出来るほど聞かされていたクリスチャンの言葉が甦る。「10分…津波が到達するまで10分しかない!」… だがその頃、息子のソンドレは部屋を抜け出し、イヤホンをつけたまま地下の廊下でスケボーを楽しんでいた…。

みたあと

 何しろ、ノルウェー製のパニック映画である。何年か前にもロシア製パニック映画「メトロ42」 (2013)を見たが、こちらも珍品中の珍品であることは間違いない。それがこの国特有のフィヨルド地形による津波を題材にしている…というのもマニア心 をくすぐる。オレはこういう映画を見たいのだ(笑)。ただ、主役のクリスチャンを演じるクリストッフェル・ヨーネルって、線が細すぎてとてもじゃないがこ の手のアクション・スペクタクル大作の主役ってイメージじゃない。こんな神経質そうな奴がヒーロー演じるのもお国柄なんだろうか? もっともハリウッド映 画だって、かつてはサスペンス・アクション大作の「ジェット・ローラー・コースター」 (1977)でジョージ・シーガルなんて「らしからぬ」奴が主役張ってたんだから、これは何とも言えないところだが…。聞くところによるとこのヨーネル、 本作で注目を集めたのかハリウッドから早速お呼びがかかり、何とレオナルド・ディカプリオ主演の「レヴェナント/蘇えりし者」(2015)に出演を果たし たとのこと。これは「レヴェナント」を見逃した僕としては痛恨の至りだ。
ここからは映画を見てから!

こうすれば
 正直に言うと、本作の最大のウィークポイントはやはり主役である。やはりパニック・スペクタクル大作のヒーローというものは男らしくあって欲しいものだ が、このクリストッフェル・ヨーネルは線が細すぎ。津波の可能性を同僚に力説する時も、ただただ神経質でキレやすい性格にしか見えない。その後、津波が来 てからの大活躍ぶりも、おおそタフガイに見えないから違和感がアリアリだ。知人の嫁さんを助けるべく、迫り来る津波を前に踏みとどまってクルマの中に乗り 込む…なんて、命がいくつあったって足りない「ダイ・ハード」ぶり。おまけに結局それって結局無駄骨だった…ってオチだから、何だかスッキリしないのだ。 ただし…この男がひ弱そうに見えるからこそ、いつ死んでもおかしくない感じがしてサスペンスが増したとも言えるのだが…。そしてさらにマズいのは、この一 家に関わったせいで犠牲になる人が出て来ること。ホテルに勤める主人公の嫁イドゥンに、たまたまその場にいた知人夫婦が力を貸そうとしたのがマズかった。 この夫婦の嫁さんはいきなり溺死するし、それでショックを受けた旦那さんは…というと、精神状態がおかしくなってやたら足を引っ張るもんだから殺されてし まう…。そもそも、原因はすべてこのイドゥンのボンクラ息子にあるという設定だから、どう考えても好意的には見れない。さっさと逃げたバスも津波にやられ ているのだから、どっちにしても運命は同じだった…ということなのかもしれないが、それにしたって後味が悪過ぎる。結局、多大な犠牲を払って周囲に迷惑ま き散らしたあげく、この主人公一家だけが無傷で助かるというのは、いくら何でも印象が悪いだろう。これはあまりに脚本が悪いと思う。

みどころ
  やはり本作の魅力は、雄大なフィヨルドの風景そのものに尽きる。考えてみると…東日本大震災の東北沿岸部の津波も、あの地方特有の入り組んだリアス式海岸 の地形が被害を大きくしたのは間違いない。同じように複雑な海岸線を持つノルウェーのフィヨルドで津波が起きたら、同じような被害が出るのは当然だろう。 僕は本作を見て、すでに同じような被害がノルウェーで過去に何度も起きていたことを初めて知った。しかもこの国の場合は地震が原因ではなく、フィヨルド地 形の海岸では岩盤がもろく崩れやすくなっていて、岩盤が水面に崩れ落ちることから津波が起きるというから恐ろしい。本作の舞台であるガイランゲルという町 は有名な景勝地らしいが、かなり前からこうした岩盤の崩壊〜津波の被害が予測されているようだ。それも、「起きるかもしれない」レベルじゃなくて「いつか 必ず起きる」ことらしいのである。それでどうしてちゃんとした対策を打たないのか…と僕などは思ってしまうのだが、考えてみれば将来的に必ず巨大地震が起 きることが分かっている大都会に暮らしている僕などに、そんなことは言われたくないかもしれない(笑)。つまりは、本作はそんな映画なのである。わが国の 「日本沈没」 (1973)のような位置づけの映画と言えば、ピンと来るのではないだろうか。そもそも、本作はアカデミー外国語映画賞のノルウェー代表作品だったという から、向こうの人にとっては「国民的な映画」なのかもしれない。そして、前述するようにおよそそのウツワじゃない主役が八面六臂の大活躍…というあたりは 今ひとつノレないのだが、事態がどんどん進んでいくあたりの話の運び方や、事が起こってからの見せ場の盛り込み方はなかなかサービス精神旺盛。CGを交え た津波のスペクタクル映像もなかなか迫力があるし、津波被害の描き方もリアルだ。唯一気になったのは、フィヨルドのような入り組んだ海岸線の地形だと、津 波は第一波だけでなく二波、三波と来るのではないか?…という点。実際のところ、そのへんはどうなんだろうか? ともかくキャラクターの描き方にはいささ か難があるものの、ガッチリとしたスケールでっかい娯楽映画づくりについてはローアル・ユートハウグ監督かなりいい線いってるような気がする。僕にとって は、フィヨルドの津波パニックってのが新鮮で面白かった。

さいごのひとこと

 パニック映画にもお国柄が出てる。

 

「団地」

 Danchi

Date:2016 / 07 / 25

みるまえ

  この作品については劇場でチラシと予告編を見てはいたが、まったく僕のアンテナには引っかかって来なかった。邦画だから見たくないんだろう…という意地悪 なご意見も多々あるだろう(笑)が、実際には見れなくても「見たい」と思わせる映画はある。しかし、この映画の予告編は特にビックリするほど面白そうじゃ なかった。団地で、藤山直美で、亭主役が岸部一徳で…何だか部屋の中の床下倉庫みたいなところに岸部一徳が隠れようとしている場面があるけど、わざわざ映 画館まで行こうという気にならない。実は本作が阪本順治監督の作品ということも知らなかったから、これが話題になった「顔」(2000)以来の藤山・阪本 コンビのタッグ…なんてことも頭に浮かばなかった。そんな訳で完全スルーを決め込んでいるつもりだったのだが、ある日突然、映画のことでは常に信頼してい る知人より「とにかく見ろ!」との連絡が入る。これはただ事ではない。おまけにこの言い方では、本作はどうも普通の映画ではなさそうである。何よりトンデ モ映画を愛する僕…を見込んでの、たっての連絡だとただちに察知したのだ。こうなると、もう見ない訳にいかない。恐竜が出てくるのか大地震で街が壊滅する のか、はたまた戦国時代が出てくるのか…何があっても驚かない覚悟を固めて、僕は映画館に乗り込んで行った。

ないよう

  毎朝のおなじみラジオ番組が流れる。ここは関西の郊外にある団地。その一室の窓が開いて、パタパタとハタキをかけながら主婦の山下ヒナ子(藤山直美)が現 れる。そんな彼女が窓から外を見ると、団地のフェンスの外で、一人の男の子が長い棒を持って何やら不穏な空気。ところがヒナ子は、すぐに物音でその注意を そらされてしまう。ヒナ子の部屋のすぐ下で、老女が植木鉢を路上に落としてしまったのだ。さらにその老女にすぐに駆け寄って、植木鉢の花を拾う若い男。ヒ ナ子には彼に見覚えがあった。かつてヒナ子と夫・清治(岸部一徳)が営んでいた漢方薬の店に来ていた、ご贔屓客のひとり真城(斎藤工)だ。しかし彼を自室 に迎えたヒナ子と清治は、正直ちょっと戸惑ってもいた。二人はそれまでやっていた漢方薬店を閉めて、この団地に引っ越して来たばかり。そんなところまで再 び馴染み客に押し掛けられても、今さら商売を始める訳にはいかない。だが、真城はどうしても清治の作るクスリでないと…と譲らない。そうなると清治もまん ざらでもなく、元々が頼まれればイヤと言えない性格だ。そもそも清治の方も漢方薬づくりを忘れられず、材料を捨てずにこの団地の部屋まで持って来ていたの だ。こうして、特別に真城だけのためにクスリを作ってやることになった。そんなヒナ子たちはこの団地に越して間もないが、近年は過疎る一方のこの団地にわ ざわざ来てくれた…と、少々調子の良い自治会長の行徳(石橋蓮司)はヨイショ。その妻でゴミ捨て場をいつも監視している君子(大楠道代)ともども、ヒナ子 と清治を大歓迎してくれている。そんなヒナ子はパートでスーパーのレジ打ちを始めたが、いきなりかつてのご近所さんがお客にやって来て、デカい声でアレコ レ問いつめられる。どうやらヒナ子と清治の夫婦には息子がいたようだが、その息子に何かあったために店を畳んで引っ越したらしい。だが、普段はヒナ子も清 治も、そんな事情はおくびにも出さない。そしてスーパー店主に仕事が遅いだのトロいだのと罵倒されても、ヒナ子はただただ黙って聞き流すだけだ。そんなあ る日、この団地の自治会長を改選することになり、意外にもそこに清治の名前が浮上して来る。なぜか君子も清治を推すと言い出す始末。そうなると、清治も悪 い気はしない。結構その気になって、当選したあかつきにはああしたいこうしたい…と、自分なりの改革案を練ったりしていた。こうして迎えた自治会長選の 日。団地内の一室に、住人たちが集まった。候補者は3人。かなりの「長期政権」が続く行徳と、ちょっと生意気な言動が目立つ吉住(宅間孝行)。ちなみに吉 住の息子は、例の長い棒を持って不穏な空気を醸し出していた男の子。吉住は、日頃からDVのウワサが絶えない男だった。そして「新入り」である清治。この 3人で争われた投票の結果は、DV男・吉住ほどの惨敗ではないものの、行徳に大差を付けられての清治の負け。正直言って、清治がショックでなかったと言え ばウソになる。しかも…たまたま外に出ようとした時、近所の奥さん連中に「意外と人望がなかったね」などと言われたら、さすがに清治だってヘコむ。団地の 住人たちの前に出たくなくなった清治は、漢方薬が入っていた床下の収納スペースに入り込んで、「今後一切出て来ない」と宣言する。ところが、清治が人前に まったく出て来なくなったことから、団地ではあらぬウワサが囁かれ始めた。いわく、清治は殺されている…。単に殺されただけでなく、すでにバラバラの細切 れにされているかも…などと、何も根拠もないのに妄想とウワサは膨らむばかり。そんなウワサはヒナ子の耳にも届いていたが、いちいち弁解も面倒だ。さらに 息子の一件があってから、ヒナ子は若干投げやりになっていたところもあったかもしれない。言いたい奴には言わせておけ…とばかりに、ヒナ子は周囲に弁解ひ とつしなかった。それもあってか、住人たちのウワサは単なるゴシップを超えて、団地内の「問題」へとエスカレート。そんな住人たちの無責任なウワサを「ま さか」と一笑に付していた行徳と君子も、住人たちに「本当のところを確かめろ」と責められれば、ヒナ子の周辺を嗅ぎ回って確認しない訳にはいかない。そん なヒナ子と清治の元にあの真城から大量の漢方薬が注文されたのは、ちょうどその頃のことだった…。

みたあと

  この歳になると、映画ファンとしてもかなりすれて来てしまうのは仕方ないところだろう。正直、僕もよっぽどの事がない限り、映画を見てビックリすることは なくなった。そうは言っても時々は、そんな僕でもたまげるトンデモ映画が引っかかってくるもので…。例えばテレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」(2011)、ダーレン・アロノフスキーの「ファウンテン/永遠につづく愛」 (2006)あたりは、まずスクリーンを見て唖然。その後で思わずニヤニヤ…といった感じ。そういう映画、僕は決してキライじゃない。例の知人がわざわざ 知らせて来たのも、当然そういう僕の好みを熟知してのことだ。こりゃあまたアッと驚くトンデモな展開が待っているものと、どうしたって身構えざるを得な い。しかし、最初から身構えちゃうということは、すでに「アッと驚く」展開にはなり得ないということを意味する。だとすると、「それだけ狙い」でこの作品 を見に行ったら、意外にガッカリするかもしれないではないか。事ほどさように、映画を本当に楽しむのは難しい。そんな訳で、僕は期待するような期待しない ような…どちらかと言うと「トンデモ」要素は大して驚くほどではないだろう…と思いながら映画館に向かったわけである。果たしてその結果はいかに?

ここからは映画を見てから!

みどころ

  ハッキリ言うと、その「トンデモ」要素は映画を見始めてすぐに分かってしまう。映画が始まって何分もしないうちに、斎藤工演じる真城という男が登場するか らだ。そしてこの真城が「宇宙人」であることは、おそらく僕がこの映画が「トンデモ映画」であることを知らないで見たとしても、ある程度予想がついたん じゃないだろうか。確かに見た目は藤山直美が平凡な主婦を演じる普通のドラマ作品で、舞台はちょっと昭和風味の団地という具合。誰がどう見ても「ツリー・ オブ・ライフ」や「ファウンテン/永遠につづく愛」、あるいはウォシャウスキー姉弟とトム・ディクバ共同監督の「クラウドアトラス」 (2013)みたいなジャンル越境型のトンデモ映画になるようには思えない。だが、その映画の冒頭から出て来るこの真城というキャラクターは、誰がどう見 たってヘンだ。マトモな人物ではあり得ない。それが映画の最初から出て来ちゃうんだから、見る方もそれ相応の覚悟というか心の準備が出来てしまう。ハッキ リ言ってこの映画では、かなり早い段階で「宇宙人」が出て来る映画だという認識が定まってしまうように思うのだ。しかも、「藤山直美の主婦が主役の団地の 話」に「宇宙人」と来れば、本来ならミスマッチ感を楽しむ映画…であり、そこが面白味なはず。ところが、本作はそもそもそういう映画ではない。団地ホーム ドラマに挿し木のようにSF要素をブチ込んで「トンデモ映画」に仕立てているのかと思いきや、実は最初からちゃんと直球勝負の「SF映画」を作ろうと意図 して作っていることにビックリ。トンデモ感を出すための「宇宙人」ではなく、元々が「SF映画」であるというのがスゴいのである。実は日本映画は、SF映 画をちゃんと作るのが何とも苦手。怪獣映画みたいのならやたらにあるのだが、実は怪獣映画って真っ当なSF映画かと言われると微妙なところがある。SF映 画ってリアリティや説得力が大事で、言ってしまえば大ウソ話をどうバカらしくなく描いていくかがミソなのだが、日本映画はそこがすこぶる弱いのだ。だが、 本作は違う。僕も昔、「日本でSF映画を撮るなら関西弁で撮れば面白いんじゃないか」と思ったことがあった。それは関西弁だと不思議な生活感やリアリティ が生まれるような気がしたからなのだが、本作はまさにそれ。藤山直美の平凡な主婦っぷりと関西弁ならではのリアリティが、そっくりそのままSF映画のリア リティとして活かされていて感心した。この発想が、今まであまり日本の映画にはなかったものなのだ。お金も大してかかってなくてサクッと撮った感じだが、 意外に手がかかってるような気もするし、実に大人の映画になっているのである。また本作は、無責任なウワサをエスカレートさせていく住人たちを描いていく 過程で、どんどん「大衆心理の恐ろしさ」を告発する内容にいくように思わせる。ところが実際には…そんな告発的な内容に向かうように見せて、いつの間にか そっちの社会派的な要素を切り捨ててしまう。ギトギトした大衆の愚かさを描くように見せかけて、さりげなく善人ばかりの話にしてしまう。というか、不純物 のような要素をカットしてしまう。これには正直言って感心した。そしてラストは、まるでチョ〜ンと拍子木が鳴りそうな粋な幕切れを見せるから、見ている僕 らは幸福な気分に浸れる。これはなかなか凡百の映画には出来ない。この「ひねり」こそがSFなのだ。そういう意味でも本作は「トンデモ映画」どころか、む しろ典型的で真っ当な「SF映画」だと思う。僕はSF映画ファンだからこそ、余計に本作に感心したのである。

さいごのひとこと

 斎藤工はもうマトモな人間の役はできないかも。

 

「知らない町」

 Unknown Town

Date:2016 / 07 / 11

みるまえ

  長い間、映画を見ないで放っておいたために、話題作が次々終了して慌てふためいていた今年初夏。何とか時間をやりくりして「見なきゃ!」と焦って劇場の上 映スケジュールを見ているとき、フト目にとまったのがこの作品のタイトルだった。「知らない町」。気になるタイトルである。シアター・イメージフォーラム のレイトショーだけで、邦画のインディーズと来れば…正直避けた方がいいと思ってしまう。監督も出演者も知らない奴らばかり。いかにも作品の佇まいが、チ マッとして独りよがりな自主制作映画の「それ」であった。つまんないに決まっている。なのに…なぜか猛烈に気になる。他に見なきゃならない映画が目白押し なのに、どうしてもこの映画を無視できない。仕方なく並みいる話題作ヒット作を放り出して、大汗かきながらこんな「どマイナー映画」を見に行ったわけだ。

ないよう

  どことも分からぬ市街図の上を、どこまでもウロウロと歩き回るアリ。そのアリを、誰かが赤いサインペンの切っ先で小突き回し追いかけ回す。アリは焦り狂っ てうごめいているが…。廃品回収業の西田(松浦祐也)が、今日も軽トラで街の中を行ったり来たり。そのうち都子(伊澤恵美子)という若い女に呼び止められ て、部屋にあるソファを回収することになる。しかし回収したソファの代金を渡すときになって、あまりに安い金額に西田と都子はすったもんだ。カチンと来た 西田は、路上にソファを置いて帰ると脅しかかる…。その頃、地図の調査を生業としている板橋(柳沢茂樹)は、家路の途中でケータイに従姉妹からの連絡を受 ける。突然、家に泊めてくれとの頼みに困惑する板橋だが、優柔不断な彼は断るに断れない。ボヤきながら板橋が自宅アパートに帰って来ると、そこには西田が 例のソファを持ち込んで転がり込んでいた。実は、西田は板橋の古いダチ。西田はあれからあちこちにソファを引き取ってもらおうと奔走したが、結局どこにも 断られて板橋の家に持ち込んだというワケだ。だが、勝手に上がっているのも迷惑なら、ソファを持ち込んでいるのも迷惑。一応、西田に怒って見せた板橋だ が、優柔不断で丸め込まれやすい彼の性格は旧友の西田にはスッカリお見通しだった。しかもソファごとここに居座る構えに、ボヤきにボヤく板橋。例の従姉妹 が来ると言おうが何だろうが、西田は屁のカッパだった。おまけに、そこに不意の来客である。見た事もない女がやって来た。この部屋にかつて住んでいた「ゴ トウ」という男を訪ねて来たというのだ。すると…訳も分からないし迷惑なはずなのに、部屋に上げてしまう優柔不断さが板橋という男の真骨頂。女も女で部屋 に入って来て、座って落ち着いてしまうから奇妙だ。女の名前は亮子(細江祐子)。かつて例の「ゴトウ」という男と、この部屋で暮らしていたというのだ。し かし、それで話がはずむ訳もない。亮子がここに来た目的も、まだここに「ゴトウ」という男が住んでいると思っていたからなのか、「ゴトウ」という男の残し たモノか痕跡を探していたのか…よく分からない。結局、何しに来たのか分からないまま、亮子は板橋の部屋から帰って行った。そんなこんなで、西田が部屋に 居座ったまま、板橋はなぜか従姉妹を迎えに行くハメになる。板橋が出かけている間、西田は例のソファで横になってうたた寝をしていた。ところが…不意に目 が覚めた西田がただならぬ気配に気づき、目を凝らしてみると…。板橋が従姉妹を連れてアパートに戻って来ると、西田は部屋の外で座り込んでいた。すると、 いつも世の中ナメ切っているようなあの西田が、めっきり怯えきっているではないか。おまけに「部屋に幽霊が出た」…などと言い出すから、これは尋常ではな い。さすがにニワカに信じられない板橋だったが、一人で自宅に帰りたくない…などと騒ぐ西田を放ってもおけない。結局、部屋は従姉妹に明け渡して、板橋は 西田の部屋に一泊することになってしまう。その頃、あのソファでスッタモンダした都子と同棲相手の肇(富岡大地)は、新居を探しているうちに感覚の違いか らギクシャク。その肇という男は例の亮子や「ゴトウ」のかつてのバイト仲間で、彼らは今も連絡を取り合っていた。実は「ゴトウ」という男は、すでに亡く なっていてこの世の人ではなかった。それを百も承知で、亮子は板橋の家に上がり込んだのだ。もう「ゴトウ」が亡くなってから何年も経つが、亮子はいまだに 「ゴトウ」のことを引きずっていたのである…。

みたあと
 正直言って、私は邦画のインディーズを見るなんて柄じゃない。そもそも邦画にあまりいいイメージを持っていない。それでなくても独りよがり傾向のある邦 画で、さらに独りよがり度が高いインディーズを見せられるなんて、どう考えても拷問に近い。なのに、渋谷の…決して便がいいとか行きやすいとは思えない劇 場まで足を運んだのだから、これは尋常なことではない。何でこんな映画を見に行ったんだ?…と問われても答えることができない。この作品に、僕がよほど 「何か」を感じたとしか思えない。こうして対峙することになった実物の作品だが…そんな僕のイヤな予感を見事に吹き飛ばすことができたのだろうか?

こうすれば

 開巻早々、廃品回収業の西田という男が中古のソファを引き取るエピソードから始まるが、この西田という男が世の中ナメたような態度で不愉快。だが、ソ ファを引き取ってもらおうとしている都子という女も、被害者ヅラしているけれど何となく不快。次に出て来る板橋という男がどうやら主人公らしいのだが、こ の男も優柔不断でどうもシャキッとしない…。こんな調子で、一人として共感できたり好きになれたりするキャラクターが出てこない。いかにも日本映画であ る。おまけにこんなつまんないキャラクターを、見たこともない役者ばかり出てきて演じているか ら、なおさらそれらのキャラクターがパッとしないように思える。映画の内容も内容で、メリハリもない話がダラダラ続き、無意味かつ意味ありげな設定ばかりが目に付 く。現代の都会における「怪異譚」を描こうとしているのか、「街」の中で自分のアイデンティティーを見失うことを描いているのか、人が死んでも後に残って いく「思い」を描きたいのか…そういうことを描きたがっている「素振り」や「痕跡」はわざとらしいほどチラチラしているのに、それがボンヤリしたままとっ 散らかっていく。そして、最後にはワケの分からない展開になる…という、いかにも典型的な日本の自主制作映画。そもそも主人公の職業は地図の調査員という ことのようだが、それが映画の内容に活かされているようで活かされていない。せいぜい主人公の従姉妹が勝手に主人公の地図にいたずら書きをしてしまう…と いう、イントロに出て来る意味ありげなシークエンスのためだけにある設定だ。地図の調査員なんてそれ自体が面白そうな設定なのに、主人公が仕事をしている 場面がロクに出て来ない。テレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」(2011)や「トゥ・ザ・ワンダー」 (2012)で主人公の職業描写がまるでリアリティに欠けていたこととイイ勝負。そんなところだけ「テレンス・マリック級」(笑)でも仕方ないのだが、ヘ タすると…主人公の職業が地図の調査員であることは映画のチラシかパンフでも見ないと分からないほどのボンヤリ感なのだ。これこそ意味ありげだし、活かそうと思えば活 かせる設定なのにほとんど役に立ってない。脚本・監督を手がけた大内伸悟という人については何も知らないが、やはり「邦画のインディーズ」という、見る前 に想定されたイメージから一歩も出て行かない。さすがに今回は、僕の嗅覚も狂っていたのだろうか。

みどころ
 邦画でインディーズ、私の最も毛嫌いする類の映画の特徴をすべて備えている本作品。本来なら、いいところがまったく見出だせない作品だ。ロクなもんじゃ ない。ダメな映画である。ヘタクソな映画だとも思う。本来ならば退屈な愚作とコキ下ろしたいところなのだが…実はなぜか見終わった印象が悪くない。という か、実は割と心惹かれるものがある。かなり体調が悪い状態で見たので退屈ならば眠気を誘ったはずだし、実際にかなり退屈だと思っていたはずなのに、なぜか目は 爛々としたまま。理由はまったく分からないが、不思議な魅力を感じていたのだ。なぜ僕が本作に惹かれているのか、誰かに説明してもらいたいくらい(笑)。 おそらくキャラクターや設定、物語…などなどよりも、写っている風景や映像に惹かれたんだと思うが、ハッキリは分からない。ただ見ている間…本作とはまっ たく別の映画で共通性もまるでないのだが、ライアン・ゴズリングの初監督作品「ロスト・リバー」 (2014)のことが頭をチラチラしていたことは事実。アレも決して上手い作品ではないし素人っぽいと言えばその通りなのだが、その映像や作品に流れる空 気のようなものに不思議な魅力を感じた。本作にも理屈ではないそういう魅力が感じられるのだ。いい映画かどうか分からないが、キライになれない映画であ る。上手いヘタとか関係なく、奇妙な魅力のある映画である。これは、実物を見ていただくより他に方法がない。機会があったら、ぜひ一見していただきたいと 思う。

さいごのひとこと

 最近映画の善し悪しが分からなくなってきた。


 

「神様メール」

 Le Tout Nouveau Testament (The Brand New Testament)

Date:2016 / 07/ 11

みるまえ

 実はこの映画が公開されることを、僕はスッカリ忘れていた。もう何ヵ月も前には劇場で本作のチラシを発見し、ちょっと期待したりしていたのに。何しろあの超傑作「ミスター・ノーバディ」 (2009)を撮った、ジャコ・ヴァン・ドルメルの新作だ。期待しないわけがない。ジャンル越境してスケールでっかく、しかもヨーロッパ映画のワクにとら われない娯楽性。こんなスゴい映画作家だったのか…とすっかり驚いた。ただこの人、「トト・ザ・ヒーロー」(1991)、「八日目」(1996)…ってな 感じでかなりの寡作家なので、どうせ次作はまだまだ先と思っていた。だから、意外に早かったと思ったくらいだ。しかも、今回はカトリーヌ・ドヌーブも出演 するという豪華版。ますます期待は高まるばかりだ。だが、その後仕事やプライベートの忙しさから、映画からすっかり遠ざかってしまった。そのうち、こんな 映画が公開されること、公開されていること…をスッカリ忘れてしまった。ある日、フト気づいたら、本作が終了間際だと言うではないか。これは一大事だ。僕 は慌てふためいて、劇場に飛び込んだというワケだ。

ないよう

  有名な絵画「最後の晩餐」…キリストを囲む12人の使徒たちを描いた作品だが、よくよく見るとそこに現代的な服装の男女が紛れ込んでいるではないか。しか も使徒も12人ではきかない。果たしてこれは一体…。神様は、ここブリュッセルに住んでいる。神様はまず動物を作ったが、何となくこれではうまくないと気 づいて、自分の姿に似せて人間を作った。最初は男、次に女。二人は多くの子孫をもうけるが、人間が増えるにつれて争い事が絶えなくなり、世の中が揉めるよ うになる。私の名はエア(ピリ・グロワーヌ)、10歳になる神様の娘だ。ブリュッセルの狭いアパートに住むこの神様という男(ブノワ・プールヴールド) は、何とも横暴でゲスな男だ。何かというとアパートの奥の一室に立て篭り、そこでパソコンで世界を創造し、操作している。それも、「列に並ぶと必ず自分の 列以外の方が早く進む」…なんて類いの愚劣な法則を連発。人がどうすれば苦しむか、どうやれば不幸になるかに全身全霊を傾けて、あれこれ画策する毎日。お かげで人類はいつも不幸だ。神様の家族はエアと妻の女神(ヨランド・モロー)だが、その女神は神様には逆らわず家事に精を出す。刺繍と野球カードを集める ぐらいしか楽しみがなく、あまり口も立たない。昔は兄もいたが、兄は神様とソリが合わずに出て行ってしまった。ある日、エアはそんな神様の部屋に入ってし まい、バレて神様からベルトでひっぱたかれるという折檻を受ける。さすがのエアも、これで堪忍袋の緒が切れた。もう家を出て行く。そうなりゃタダじゃ済ま ない。エアはタンスの上のキリストの置物に相談だ。するとキリストは、自分の使徒が12人いるから、あと6人ぐらい自前の使徒を見つけろ。それから新・新 約聖書を書け。自分で書けなきゃ誰かに書いてもらえばいいから」と的確なアドバイス。さらに、台所のドラム式洗濯機から下界に降りることができる…と教 わって百人力。そうなれば、おとなしく消えてやる必要はない。エアはまたまた神様の部屋に忍び込むと、パソコンをいじって神様への嫌がらせをしてやること にした。神様の最大の力は、人類の寿命をコントロールして出処進退を支配していること。ならば、そんな特権はなくしてしまえ…とばかり、全人類に対してそ の余命をメールで一斉送信。下界ではすべての人間のスマホや携帯に、余命メールが受信され大騒ぎだ。テレビのニュースではこれが一番の話題だし、戦闘状態 にあった国も停戦になってしまうアリサマ。やるだけやったエアはパソコンをパワーを落としてロックし、すぐには使えなくしてしまう。大いに溜飲を下げたエ アは、ドラム式洗濯機に入って下界を目指した。…と、出て来たのは街中のコインランドリーの洗濯機の中。扉を開けて出て来たエアが出会ったのは、ホームレ スの男ヴィクトール(マルコ・ロレンツィーニ)。エアは何とこのヴィクトールに「新・新約聖書」を書き取ってもらうことを頼みこみ、新たな使徒を探しに行 く…。その頃、異変に気づいた神様は怒り心頭。慌ててドラム式洗濯機に飛び込んで下界を目指す。だが、その姿は単なるホームレスで、神様と言えども下界で は思うに任せない。そんなこんなで神様がモタモタしているうちに、エアとヴィクトールは最初の使徒のもとへとやって来る。その使徒となる人物は、若く美し い女オーレリー(ローラ・ベルリンデン)。男どもの視線を集めるが女たちからは嫌われる彼女だが、彼女にはどこか哀しみが常につきまとっていた。少女時代 に片腕を地下鉄にもぎ取られるというアクシデントが、彼女にそんな哀しみを植え付けてしまったのか。例のメールで余命が11年と知り、ますます達観してし まった様子。そんな彼女の心に、エアはヘンデルのオペラの音色を聞きつける。その頃、神様が出て行ったアパートでは、女神が部屋に飾ってある「最後の晩 餐」の絵に、新たな使徒が追加になったことに気がついた…。

みたあと

  前作ではジャンル越境でスケールでっかい映画を作り上げたジャコ・ヴァン・ドルメルが、今回は神様を取り上げる。今回もまた大胆でスケールのデカい映画に なりそう…と誰しもが思うはずだ。実際、映画が始まってからもその期待は高まる。神様が貧相でゲスなオッサンというのも笑えるし、コミカルな視点で巧みに 寓話を作り出そうという作戦もうまい。ヨーヨッパではこの人みたいにSFXやCGを自在に使って映画を作る人はあまりいないから、早くも「快作の予感」が する。主人公の女の子エアが下界に出て来て使徒探しを始めるに至って、こりゃあ面白くなりそう…とワクワクが止まらない僕だったが…。
ここからは映画を見てから!

みどころ
  まず、何よりも僕がキリスト教徒でもなくヨーロッパ人でもない…という点がハンデだったのかもしれない。主人公が使徒を探しに行って一人ずつ集めていく… というお話の、本当のところの面白さが掴めていないのではないかと思う。ストーリーラインとしては分かるのだが、それのどこが面白いのかピンと来ない。こ れが欧米人なら、おそらくやりとりそのもの、お話の筋そのもの…が面白おかしいのだろう。だが、僕にはそこまでは楽しめない。それぞれの使徒獲得のエピ ソードにも何らかのメタファーだったり元ネタがあるんだろうが、そこがピンと来ないから本当の面白味が分からない。それどころか、どうしてこういう展開に なっているのかという必然性も分からない。たぶん、ここからしてマズいんだろう。ただ、僕が本作をピンと来なかったことは、それのせいではなかった。お話 のキモの部分が分からないから面白さが伝わらないという点はあっただろうが、本作の困った点は他にある。残念ながら、その部分だけはちゃんと伝わっている のだ。それは何かと言うと…残念ながら安っぽいフェミズムみたいなモノを混ぜていることだろうか。神様は男だからろくでなしで、女神が仕切れば世の中全部 よくなる。カトリーヌ・ドヌーブの亭主も人間のくだらない男で、これならゴリラのオスの方がマシ。もちろんヒロインは女だからやる事に間違いはなくいつも 正しいし、余命短い男の子だって「女」になりたがっている…つまり「男」なんかでいたくないと思っている…。すべて万事悪いのは男で、女は何から何まで素 晴らしい…って、これって女の方から見ても少々恥ずかしくなっちゃうくらいの「媚び」加減じゃないのかねぇ。いや、案外ヨイショされて喜んじゃったりする かもしれないけど(笑)、マトモな人間だったらこれだけ迎合されたらむしろ気持ち悪くなる気がするのだが…。ただどうしてもそのように描きたいのならば、 例えばドヌーブ亭主の「ダメさ」が「ゴリラの方がマシ」と観客にもっと理屈抜きに伝わるように撮らなきゃいかんだろう。それが十分に描き切れていない…な ど、頭の中でご機嫌でこさえてしまってヌルい点が多々あるのがまず問題だ。そして実際の話…経験から言わせてもらうと、フェミニスト的なポーズで女にオベ ンチャラ使ったり「女性には敵いません」などと言ってる男に限って、本音じゃ女なんてオダてりゃチョロいなんて舌出してたりする(笑)。何となく今回の ジャコ・ヴァン・ドルメルには、この手の男特有のイカサマ臭が漂うのだ。正直言わせてもらうけど、そんなに「男」がイヤで「男」が何から何までダメだと言 うのなら、それがどこまでも本気だと言うなら、「男」であるオマエ…ジャコ・ヴァン・ドルメルじゃなくて女を監督に据えて作った方が良かったんじゃない か。だって男は何から何までダメで、女の方が何から何まで優れているんだろう? じゃあ男のドルメルじゃダメだ、その点だけはオレも同意する(笑)。結局この発想って「男 の方が女より賢い」という主張と1ミリも違わないし、あまりにも薄っぺらい。例えばラスト近く、女神が空を花柄に変える場面の趣味の悪さには、見ていて本 当に辟易した。「こっちの方がずっといい」とか言ってる登場人物に向かって、「オマエ正気か!」と本気で問いつめたくなったよ。そもそも「女だから花 柄」って発想からして貧寒としてないか。この映画を見る限りでは、「とりあえずこう言っときゃ女は喜ぶし、オレも理解のある奴と見られるだろう」的な作り手の打 算や発想の安さしか感じない。オレには女の味方をしたい気持ちなんざこれっぽっちもないし、どっちかと言えば正反対の方の人間だ(笑)が、正直言ってあま りにナメた態度なんで腹が立った。こんなので歓心が買えると思ってるなんて、こいつってどれだけ女を見下しているのかね。「ミスター・ノーバディ」に圧 倒され新作を期待していたのに…ジャコ・ヴァン・ドルメル、この程度の奴とはホントにホントに、本当に残念だよ。

さいごのひとこと

 結局は女をバカにしている監督。

 

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」

 Captain America - Civil War

Date:2016 / 07 / 11

みるまえ

  正直、昨今のハリウッドのマンガ映画氾濫ぶりは、見ていてあまり愉快な状況ではない。ホントにネタ切れなんだな…とあきれ果ててしまう。そうは言っても、 マーベルの作る映画はどれも一ひねりしていて、何だかんだ楽しまされてしまうからシャクだ。中でも「キャプテン・アメリカ」シリーズはクセモノで、1作目 「ザ・ファースト・アベンジャー」(2011)はまるでクリント・イーストウッドが監督した「父親たちの星条旗」(2006)みたいなお話。2作目「ウィンター・ソルジャー」 (2014)に至っては、ロバート・レッドフォードまで担ぎ出して1970年代の政治サスペンスもどきの味を出していた。そもそも「星条旗を着て歩いて る」ようなキャラの「キャプテン・アメリカ」映画が、毎度毎度作るごとに国家としての「アメリカ」に逆らっていくのが何とも絶妙。「自由の国」アメリカが そのアメリカの国是からどんどん遠ざかっているのではないか…という主張が、この「たかがマンガ映画」を非常にアップトゥデートなものにしていた。このあ たりの発想が実に非凡だったのだ。そんな「キャプテン・アメリカ」第3弾がやって来ると言えば、ワクワクしてくる気持ちを否定できない。さらに今回のタイ トルがまたスゴくて「シビル・ウォー」である。「内戦」だ。今回はあの「アベンジャーズ」の面々が2手に分かれて内輪揉めするというのが「売り」だ。 まぁ、確かにマーベル映画大好きって人は喜んじゃうんだろう。今度はアントマンやスパイダーマンも参戦…ってマスコミもハシャいじゃっている。そりゃあ確 かに豪華なんでしょうなぁ。ただ、僕にとってそんなナントカマンみたいなのがいくつ追加になったところで、それを豪華とはあまり思えない。実はマーベル映 画をそれなりに評価する僕も、一番退屈に思うマーベル映画が「アベンジャーズ」(2012)のシリーズなのだ。野球ファンでもない奴がオールスター戦を見 たって、さほどワクワクはしないだろう。そういう事なのである。しかも実際に映画としても、「アベンジャーズ」のシリーズはイマイチひねりがないように思 う。そもそも、最初からちょっとケチがつけば内紛が起きそうだったではないか。何だかなぁ…。しかも、直前に「バットマンvsスーパーマン/ジャスティス の誕生」(2016)なんてのが出ちゃったのもマズかった。要するにあんな風になるんじゃないのか。ハンバーグ・カレーとすき焼きカツ丼の対決みたいで、 大味感がハンパない。しかも「バットマンvsスーパーマン」で話の発端になった、ヒーローによる二次災害って話がまたぞろこっちでも出て来るみたいで、ど こもそんなネタしかないのかよ…って気になる。そもそもヒーローが街をブッ壊すことが規制の対象になるって時点で夢も希望もない。しみったれた現実みたい なモノを見せられたくない。そんなところにリアリティなんか感じたくないのだ。バンバン街をブッ壊してくれよ。しかも…あいつがアイアンマン・チームでこ いつがキャプテン・アメリカ・チーム…とかマスコミにもいろいろ露出しているが、そんなことを言われて もねぇ…。そんなこんなでスタートダッシュに出遅れているうちに、3D上映館がなくなってしまった。さすがに「見ない」という手はない。これはマズい…と 慌てて劇場へと駆け込んだ次第。

ないよう

 1991 年末、吹雪吹き荒れるシベリアの荒野に、ソ連の軍服を着た男が現れる。男がやって来たのは秘密の軍事施設。長らく使われていなかったとおぼしきその施設に は、人工冬眠させた人間を収容したブースがいくつか安置されていた。やって来た軍人は、そのうちのひとつを起動させる。中に収容されていたのは、ジェーム ズ・バーンズを改造人間化したあのウィンター・ソルジャー(セバスチャン・スタン)。やがて蘇生し始めたウィンター・ソルジャーに向かって、この軍人はロ シア語で呪文のような脈絡のない単語をつぶやき始める。それを耳にしたウィンター・ソルジャーはなぜか苦悶し始めるが、蘇生作業が終わって完全に目覚め きったウィンター・ソルジャーは、それまでとはまったく別人のような表情を見せていた。こうして目覚めたウィンター・ソルジャーは、何かに憑かれたように 悪事を働いた。ある夜のこと、走るクルマをバイクで追って運転していた人物を銃撃。クルマのトランクから液体の入った4つの容器を奪ったのだが…。さて、 物語は現代へと飛ぶ。舞台はナイジェリアのラゴス。スカーレット・ウィッチことワンダ・マキシモフ(エリザベス・オルセン)、ファルコンことサム・ウィル ソン(アンソニー・マッキー)、ブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ヨハンソン)、そしてキャプテン・アメリカことスティーブ・ ロジャース(クリス・エヴァンス)といったアベンジャーズの面々が、街中で正体を隠しながら何かの気配を伺っている。市内にある研究施設に所蔵されている 生物兵器が狙われているという情報をキャッチした彼らは、敵の攻撃を待ち受けているのだ。すると、案の定トラックが暴走して施設に突っ込み、阿鼻叫喚の中 でウィンター・ソルジャーらヒドラの面々が施設内に乗り込む。慌ててアベンジャーズも施設に乗り込んでヒドラたちと戦うが、一足先にウィンター・ソル ジャーたちは生物兵器を奪って逃走した。しかも、4手に別れて雑踏の中に紛れたからたまらない。アベンジャーズたちは一人また一人と倒していくが、問題の 生物兵器は見つからない。キャプテン・アメリカが最後の一人を追いつめると、それは元・ S.H.I.E.L.D隊員ながら実はヒドラのメンバーだったブロック・ラムロウ(フランク・グリロ)。そしてこの男、最後に自爆でキャプテン・アメリカ を葬ろうとした。それを察知したスカーレット・ウィッチがとっさにサイキック・パワーでブロック・ラムロウをはじき飛ばしたまではよかったが、はじき飛ば した先が近くの高層ビルだったのがマズかった。自爆によってビルに大被害が及び、民間人に多大な犠牲が出てしまったのだ。悲惨な状況を目にしたキャプテ ン・アメリカの苦悩の表情…。その頃、アメリカでは…若者たちを集めた講演会で、アイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・ジュニア)が熱 弁を振るっている。豊かな企業家でもあるスタークが、優秀な学生に奨学金を与える制度をスタートさせようというのだ。得意満面のスタークだが、たまたま妻 ペッパー・ポッツの名前が出て来たとたん、その表情がたちまち曇る。実はある事から、スタークとポッツは現在別居することになってしまったのだ。そんな浮 かない表情のスタークが演壇を降りて裏口にやって来ると、ある中年女性が話しかけてくる。最初は穏やかな口調の彼女の話は、しかし徐々に怒りを帯びていっ た。彼女の息子は例のソコヴィアに行ったとき、アベンジャーズが関わった一連の事件の犠牲になってしまったのだ。それを聞くスタークは、もはや返す言葉も ない…。そんなこんなで、アベンジャーズの本拠地にメンバーが召集されることになる。そこにやって来たのは、米国務長官サディアス・ロス(ウィリアム・ ハート)。ロスはアベンジャーズの面々に、非常に気の重くなる話を持って来た。先のラゴスでの一件にとどまらず、アベンジャーズの行くところ常に民間の多 大な被害が出る。これを看過できないと、アベンジャーズを国連の管理下に置く「ソコヴィア協定」が加盟各国から持ち出されたというのだ。ロスはこの協定へ の署名をアベンジャーズに求めて来たのである。それを聞いたスタークは真っ先に署名。ウォーマシンことジェームズ・ローズ(ドン・チードル)、ヴィジョン (ポール・ベタニー)も賛同したが、キャプテン・アメリカは「自分の判断で行動できないなんて」と署名を拒否。ファルコンとスカーレット・ウィッチも反対 を表明した。その場で残る一人…ブラック・ウィドウは大いに迷うものの、最終的には協定に賛同。かくしてアベンジャーズ内は真っ二つに別れることになる。 何とも気まずい雰囲気になったところで、キャプテン・アメリカにはある連絡が入って来た。それはキャプテンの古馴染みであり、昔は心を通わせたこともある ペギー・カーターの訃報。どうにも不毛にしか思えないその場の空気からも逃れたかったキャプテンは、すぐさま彼女の葬儀のあるイギリスへ赴いた。その葬儀 の場でキャプテンを待っていたのは、かつて彼のアパートの隣人で…実は彼を監視していた元S.H.I.E.L.Dメンバーのエージェント13。キャプテン も一時は淡い想いを抱いた彼女は、実はペギー・カーターの姪シャロン(エミリー・ヴァンキャンプ)だった。今はCIAに籍を置く彼女との再会に、不思議な 縁を感じるキャプテンだった。さて、舞台はさらにオーストリアのウィーンへと飛ぶ。国連機関の会議場で、「ソコヴィア協定」が調印されようとしていた。そ の場にアベンジャーズの代表として、ブラック・ウィドウも出席。この調印の音頭取りは、アフリカの王国・ワカンダの国王であるティ・チャカ(ジョン・カ ニ)だった。実は例のラゴスでの爆発事件では、多数のワカンダ外交官たちが命を落としていたのだ。さらに会場には、ティ・チャカ国王の息子であるティ・ チャラ王子(チャドウィック・ボーズマン)も姿を見せていた。ティ・チャラはさほど政治にもこの協定にも関心はなかったが、父であるティ・チャカ国王を補 佐するためにやって来たのだった。こうして式典は粛々と進行し、記念すべき「ソコヴィア条約」の調印が高らかに宣言されたちょうどその時…会場の外で大爆 発が起きて建物のガラス窓が爆風で吹っ飛んだ。世界が注目する中、あっという間に阿鼻叫喚の大惨事だ。この大爆発で犠牲になった者の中には、あのティ・ チャカ国王もいた。比較的穏健で知的なティ・チャラ王子も、この事態には怒りを隠せない。国王の死によって自動的に王位を継承することになった彼は、その 胸に復讐の炎を燃やし始めるのだった。そんな現場の混乱が沈静化していく中、事件の真相が明らかになって来る。犯人は、またしても…というべきか、やは り…というべきか、あのウィンター・ソルジャー。ブラック・ウィドウはキャプテンに連絡を取り、事の次第を説明。時期が時期だけに慎重な行動をするように 忠告する。しかし、それはヤブヘビというものだった。キャプテンはかつての親友を捜査の手から守るため、慌ててウィンター・ソルジャーの潜伏場所へと向か うのだった…。

みたあと

  やたら長ったらしいストーリー紹介になって申し訳ない。しかし、これでも映画のほんの発端を文章にしただけ。映画にすればあっという間の時間なのだが、何 しろこの映画は主要登場人物が多い。しかもシリーズ作品で、他のシリーズやらスピンオフやらとの関わりも多いため、以前の作品からの約束事がやたらにあ る。さらに、本来ならば仲間であるアベンジャーズを仲違いさせ内輪揉めさせなければならないのだから、そこまでの段取りもいろいろ設けなければならない。 そんな訳で文章化したらやたらに長ったらしいシロモノになってしまう。それはこの映画の宿命といってもいい部分なのだ。

みどころ

 しかし、それだけ約束事やら段取りやらがゴチャゴチャあって交通整理が大変なお話でありながら、それらをごく短時間に捌いて 観客も置いてけぼりにしない巧みな語り口は、「さすが」と言うべきものだろう。さらに本来は仲間であるべきアベンジャーズがいかに対立する関係に追い込ま れるか…といういささか無理のある展開についても、一応それなりに見ている間は納得できる話になっている。本来対立しないはずのヒーロー同士が戦う作品と して「バットマンvsスーパーマン」をすでに見ている僕としては、さすがマーベルに一日の長を感じずにはいられなかった。申し訳ないが、DCコミックの 映画はマーベルから比べるとかなり格落ちと言わざるを得ない。それもこれも含めて、前作「ウィンター・ソルジャー」をモノにしたアンソニー・ルッソと ジョー・ルッソの兄弟の演出を大いに評価しながらも、特に今回は、第1作「ザ・ファースト・アベンジャー」から手がけて来たクリストファー・ マルクスとスティーヴン・マクフィーリーの脚本を評価すべきだろう。あの「ナルニア国物語」シリーズ映画化に際しても冴えた脚色ぶりを見せたこの二人が、 本作を説得力あるモノにした一因であることは間違いないと思うのだ

こうすれば

  そんな訳で…何度も引き合いに出して気の毒とは思うが、「バットマンvsスーパーマン」と比べると格段に「大人の映画」に仕上がっている本作。二派に別れ たアベンジャーズの空港での戦いなどもなかなか派手で、見ていて退屈はしない。さらに…どれも面白いマーベル映画の中ではどちらかと言えば少々退屈な「ア ベンジャーズ」ものの一環の作品(本作はあくまで「キャプテン・アメリカ」シリーズ名義となっているが)としては、なかなか予測不能の面白さを見せてもいる。では、万 事言う事なしではないか…と言われると、実はそうとも言えない。そもそも僕は「マンガ映画」ごときに、重苦しい「苦悩」みたいなモノを期待していない。さ すがにマーベルはそのへん工夫を凝らしていて、適度にユーモアや息抜きを散りばめてはいる。だが、何だか身もフタもない話になって来ちゃっているのはどう なんだろう? 「バットマンvsスーパーマン」でもそうだが、ヒーローたちの「二次災害」が問題化…なんて夢も希望もヘッタクレもない。いかにヒーローも のをリアル指向で映画化するのが方針だとしても、僕はこの手の映画にこんなリアリティなど求めていない。そもそもこれを言い出したら、ヒーローたちが活躍 する余地がなくなっていくのではないか? また、今回またまた新規にアントマンやらスパイダーマンがアベンジャーズのエピソードに乱入して来たが、これっ てどこまでも広げていって、果たして収拾がつくのだろうか? というのは…以前から薄々感じていたのだが、マーベルが自社の個別のヒーローを次々連結させ ていく手法は、自らの打つ手を狭めるだけではないかという気がしてならないのだ。そもそもこの手の映画に「リアリティ」を過度に持ち込んで来た場合、それをシリー ズ化していくとどんどん現実との間に剥離が出て来る。つまりヒーローがいることが常態化している映画の世界と、ヒーローなどいない現実世界との相違がどん どん開いていく。なまじっかリアリティなど持たせるものだから、なおさらその剥離が大きくなる。まして個別のヒーローたちの映画がそれぞれ単体で存在して いるだけでなく、それらが集合したり相乗りしたりするようになってくると、ますます整合性がつけにくくなる。それなのに、ヒーローによる「二次災害」だと か国連による「ソコヴィア条約」だとかとヘンに現実的で夢のない趣向を持ち出して来るとなると、なおさら無理が出て来るのではないか。今回、新たにスパイ ダーマンが出て来て、世間じゃ「豪華だ!」とかハシャイでいたけれど、正直言って僕は醒めてしまった。まぁ、それより何度「スパイダーマン」をリセットす りゃ気が済むんだよ…というウンザリ感の方が強かったのかもしれないが…。誰がどっち側のチームに入るとか何だとか、そんなこと懐かし昭和のテレビ番組…金原二郎 司会の「底ぬけ脱線ゲーム」みたいなもんでどうでもいいよ(笑)。たぶんヒーローたちのオールスター・ゲームみたいな豪華さを狙っているのだろうが、どっ ちかと言うと戦いも内容も「大味化」してしまうのではないだろうか。そういうことも含めて考えると、実はマーベルはいずれ映画製作をやめてしまうつもりな のではないか…あるいは大幅な方向転換をせざるを得なくなるのではないかと思っている。いずれにせよ、話の中心がキャプテン・アメリカとウィンター・ソル ジャーだからということでこのタイトルとなっている本作だが、僕としては「アベンジャーズ3」にならない理由が分からない。そして今後「アベンジャーズ」 ものが制作されるとしても、これがさらに大人数の戦いになって、さらにスケールアップするだけならば、ただただ単調で大味なだけではないかと懸念してしま う。果たしてこれからどうするつもりなんだろう? マーベル映画は近々盛大にリセットすることになると、僕としては予想せざるを得ないのだ。

さいごのひとこと

 脱退・分裂と昔のロックバンドみたいになってきた。

 


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