新作映画1000本ノック 2016年6月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「すれ違いのダイアリーズ」 「ルーム」 「スポットライト/世紀のスクープ」

 

「すれ違いのダイアリーズ」

 Khid thueng withaya (The Teacher's Diary)

Date:2016 / 06 / 20

みるまえ

  この作品は劇場でチラシと予告編を見て、何となく「イケる」予感がしていた。日本では珍しいタイ映画だが、実は結構タイ映画は質が高い。中国語圏の映画や 韓国映画に関してはある程度の定評が出来上がっている日本だが、それ以外のアジア映画はそもそも公開される映画が少ない。そして、せいぜい売りが「素朴 さ」だけの稚拙な映画ばかりじゃないかと思われている。しかし、これが実際にはそうではないから、なかなかアジア映画も侮れない。中でもタイ映画は、アク ション、ホラー、青春映画…などなど、それなりの水準の作品が作られているのだ。本作もなかなかの佳作である可能性が高い。案の定、知人からも「イイ」と いう評判が飛び込んで来たが…悲しいことに僕は仕事が忙しくてなかなか見に行けない。結局、別の作品を見に行った時に、偶然で公開終了直前の本作を見るこ とになったわけだ。ここは素直に、終了前に本作を見ることができた幸運を喜びたい。

ないよう

  小学校で隣で脂汗を垂らしながら鉄棒にぶら下がっている子供を横目に、これ見よがしにガンガンと懸垂をやっている若い男ソーン(スクリット・ウィセート ケーオ)。ところが調子こいて懸垂をやっているソーンに、苦々しい顔したオッサンが声をかけた。「一体何をやってる? それは子供用だ!」…こうしてオッ サンに呼ばれて校舎に入っていくソーン。次の瞬間、彼はこのオッサンに履歴書を渡して、必死に自己アピールだ。実はこのオッサンは学校の校長(チャリー・ シーチャルーン)で、ソーンは教師の職に就きたいとやって来たところ。ソーンは一生懸命レスリング選手だった自分の経歴を披露するが、どう見ても選手とし てソコソコの成績しか収めていないように見える。校長もやはり渋い顔だ。それでも何とか職にありつきたいソーンに、校長が「取り引き」を持ちかけた。「水 上分校に行く気はないか?」…。その1年前のこと、実はこの場所でこの校長から、「水上分校」行きを宣告された人物がいた。それは、女教師エーン(チャー マーン・ブンヤサック)。手首に入れた星のタトゥーを咎められて謝る気のないエーンは、クビか「水上分校」落ちかと迫られて「水上分校」を選んだという訳 だ…。さて、「水上分校」行きとなったソーンは、長距離バスで居眠りしながら遥かな距離を進む。バスから降りたら、今度はボートに乗って湖沼地方を延々進 む。船頭が「恋人がいるのか?」「やったのか?」といちいち聞いてくるのも耳障りだ…。その点、エーンはまだ連れがいるだけマシだったか。彼女は「同僚」 となる女性教師ジージ(マニーラット・シーチャルーン)と一緒に、この「地の果て」へと赴任して来たのだ。そんなソーンとエーンが辿り着いたのは、広大な 湖に浮かぶオンボロなボートハウス。「水上分校」と言えば聞こえがいいが、電気は引いてないから発電機で起こす、ガスも水道もない。携帯もつながらない。 ないないづくしの場所だった。むろん、エーンと同僚ジージも戸惑っていた。水の入ったタンクの蛇口にはヤモリが詰まっているし、水に浸かったら何が悪かっ たのかエーンの肩に湿疹が出て来た。一方、ソーンもボートを操縦しようとしていきなり発進、手首を骨折してしまうテイタラクだ。そんなこんなでソーンがふ と黒板の上を見上げると、そこには分厚い日記帳。この日記帳を読んで初めて、ソーンは自分の前任者…エーンの存在を知るのだった。しかし、待てど暮らせど 生徒が誰も来ない。業を煮やした彼は通りかかった地元住人のボートに乗って、近所の家を回って子供たちに「学校再開」を呼びかける。こうしてやって来たの は、ムック、トン、ガオ、紅一点のトゥナ…という個性的な子供たち。それでなくても手強そうなガキどもを前にして、ソーンの緊張は最高潮に達していた。そ もそもソーンには教師経験がない。おまけに元々、勉強をするタイプでもなかった。そんな彼の頼りは、例のエーンの日記帳だった。同じ状況で苦闘する「先駆 者」の手記は、彼の何よりの支えだ。読んでみると、エーンと同僚ジージは子供たちとの初顔合わせの時に、ひょうきんなポーズで自己紹介した…と書いてあ る。ソーンも見習ってお茶目に振る舞ってみるのだが、のっけから思い切りダダ滑りしてしまった。やはりうまくいかない。しかもソーンは、途中で自習に切り 替えて湖をボートでグルグル回り、何とか携帯の電波が届くところを探そうと悪あがき。結局、徒労に終わって機嫌がすこぶる悪いところに、戻って来たら子供 たちが勝手に水に入って遊んでいるからマズかった。ここでナメられてはいけないと焦ったソーンは、子供たちに体罰を与えてしまう。おまけに「前任のエーン は体罰なんかしなかった」などと言われて、さらに面目丸つぶれ。何から何までうまくいかないソーンは、さすがにヘコまずにはいられない。それでも子供たち もソーンも、簡単に離れる訳にはいかない。ここは僻地の分校。子供たちは平日の間、ここに預けられて先生と一緒に生活し、週末に親が引き取りに来て家に帰 る…というシステムなのだ。こうして休日がやって来たソーンは、手首のケガを治しに街へと戻ることにした。案の定、傷は悪化していて医者に「切断するぞ」 と脅かされる始末。だがそれよりショックなのは、たった一週間で恋人のナム(チュティマー・ティパナート)が別の男を引っ張り込んでいたこと。男は頭突き で撃退して溜飲を下げたものの、ヌイには開き直られて落ち込まざるを得ない。だが、あのエーンもちょうど同じくらいの時期に、似たような状況に追い込まれ ていた。やっと訪れた休みに、恋人ヌイ(スコラワット・カナロット)と医者を訪れたエーン。例の肩の湿疹の酷さを見たヌイは、エーンに「辞めて帰って来 い」と言ってしまう。だが、今さらエーンも後には退けない。そんなこんなで売り言葉に買い言葉、エーンがついつい「別れましょ!」と口走ったのがマズかっ た。それで心が折れたヌイはその場を立ち去ってしまう。失意のどん底…という点では、まさにソーンもエーンも同じ。どちらも「水上分校」から水に飛び込 み、ツライ気持ちをスッパリ吹っ切った。僕らは「恋愛学校」の同級生…とつぶやくソーンは、いつしか前任者エーンに共感を覚え始め、さらに微妙な恋心を抱 き始める。しかし受難は続く。特にエーンは同僚ジージに去られるという痛手をくらった。それというのも、水上トイレで用を足していたジージが、下から溺死 体が睨んでいるのに気づいたから。臭い水の中に身を浸して、ウンザリする思いで死体を引き揚げたエーンの奮闘も空しく、ジージは「もう限界」とばかりに街 へ帰って行く。しかし、エーンはもうここから一歩も退く気はなかった。そんなエーンの努力を日記帳で読んで感心しながら、ソーンも未熟ながらも教師として 努力を続ける。そして、いつの間にかまだ見ぬエーンと巡り会う夢を抱き始めるのだったが…。

みたあと

  香港映画を筆頭に、実はアジア映画の恋愛映画には佳作が多い…というのが僕の持論である。本作もそういう意味では期待できる…と思って見に行ったのだが、 その期待ははずされることはなかった。正直、決して上手な映画と言い切れない面もあるけれど、それではアジア映画にありがちな「泥臭い」「野暮臭い」映画 なのかというとさにあらず。あくまで近年のモダンな感覚に溢れたアジア映画…特にニュー・ウェーブの台頭著しいタイ映画の流れの中で生まれた作品であり、 語り口も見た目も実に洗練されているのである。そして、見終わった後に残る爽やかな清涼感。これがなかなか、今日びは欧米の映画でも出来ない。愛すべき映 画、好感の持てる映画に仕上がっているのである。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

 ただし、映画を見ていて諸手を挙げて大歓迎、大満足だったかというと、必ずしもそういう訳ではない。実は最初のうち、主人公 のソーンを演じるスクリット・ウィセートケーオがSMAPの香取慎吾的おチャラケたアレな雰囲気をチラッと見せていて、ここだけの話、香取慎吾が苦手な僕 としてはいささか腰が退けてしまっていた。もちろん双方のファンの方々からすれば「全然違う」とおっしゃるだろうし、頭にも来るかもしれない。ただ、僕に はそう見えちゃったんだから仕方がない。その上、ヒロインのエーン(チャーマーン・ブンヤサック)が、映画が始まっていきなりタトゥーを入れて云々で不満 げな顔で登場。このヒロインはその後、都会の学校でも「我流」が通らなくて怒っている。言っていることは分かるんだけど他人の意見にはまったく聞く耳持た ない感じで、ちょっと素直に共感しにくいキャラクターに見えちゃうのだ。そもそも、途中で水上分校を辞めて都会の学校に戻って来ちゃうとか、またそこもす ぐ辞めちゃうとか…結構仕事に一途みたいな割にはいいかげんな感じもして、ちょっとどうかなと思ってしまう。そういう意味では、主人公の造形に少々難アリ なところがあることは否めないかもしれない。

みどころ

 映画の基本構成としては、エミリオ・エステベス主演のアメリカ映画「飛べないアヒル」(1992)やヒュー・グラント主演の「Re:LIFE/リライフ」(2014)に近い。チャランポランなC調男がイヤイヤ「先生」になるハメになり、生徒たちを教えていくうちに自らを成長させる…というストーリー。だが、そこにトンデモない趣向を合体させているのが、本作の非凡なところ。簡単に言うと韓国の恋愛映画「イルマーレ」 (2000)みたいな仕掛け…ということは、ジャック・フィニーの短編小説「愛の手紙」的な趣向である。もっと正確に言うと、「イルマーレ」的な設定から ファンタジー成分を抜いたような仕掛け…を混ぜ合わせているのである。これはなかなか思いつかない発想だ。しかも本作は冒頭から両者のエピソードがパラレ ルに交錯するという凝った構成をとっていて、ある意味で「クラウドアトラス」(2013)…ほ どではないものの、それなりに複雑なストーリー展開になっている。ところが、こんな構成になっているのに、見ている僕らはまったく混乱しない。ストーリー はいちいち中断されるし、お話や時制は行きつ戻りつを繰り返すのに、お話が分からなくなる事はまったくないのだ。これって、実はなかなか難しい。初期のア レハンドロ・G・イニャリトゥがいかにも大変そうにやっていたことを、本作の作者はいとも楽々とやってのけているのである。そしてパラレル構成をとってい るからこそ、この両者のエピソードがうまく重なったりズレたりして絶妙な効果を上げている。そんなこんなしているうちに、当初ちょっと引っかかっていた主 人公の設定に生じたキズも、いつの間にか許せる範囲のことに思ってしまう。監督・脚本のニティワット・タラトーンって大変な才人かも…と思っていたら、こ の人ってあの佳作「フェーンチャン/ぼくの恋人」 (2003)の監督だというではないか。もっとも「フェーンチャン」は6人の監督で共同演出したというシロモノだから、この人の力がどの程度貢献している のか分からない。だが本作の意外にしたたかな内容をサラッと撮ってしまうあたりは、侮り難いものを感じてしまう。本作はアカデミー賞外国語映画賞候補のタ イ代表に選ばれたらしいが、その選択は正しいと思う。いかにもアメリカ人が好みそうな映画なのである。そういえば「イルマーレ」もハリウッドでリメイクさ れたし、この監督もいつの間にかチャッカリとハリウッドに引っ張られるかも。そう思わせてくれるような、さりげないしたたかさなのだ。また、舞台となって いる水上分校の佇まいも、なかなか心にしみる。「春夏秋冬そして春」(2003)とか「ある海辺の詩人/小さなヴェニスで」 (2011)とかを挙げるまでもなく、水上の家とかこういう風景には僕は弱い。それも本作が心に残る理由のひとつだろう。そういえば監督のニティワット・ タラトーンは好きな映画としてビル・フォーサイス監督の隠れた傑作「ローカル・ヒーロー/夢に生きた男」(1983)を挙げているらしいが、「ローカル・ ヒーロー」が大好きな僕としては大いに納得してしまった。この人の次回作が楽しみ。ところでヒロイン役のチャーマーン・ブンヤサックって演じていたキャラ クターはちょっと…だったが、なかなか魅力的な女優さんなのでそのぶん中和されたところもあった。ところがこの人、浅野忠信主演の「地球で最後のふたり」(2003)に出ていたと聞いて驚いた。それも、あの映画でセーラー服を来ていた女の子役だったというではないか。あの映画の中で覚えているモノといえば「それ」だけだったので、心底ビックリしてしまった。まさにタイ映画、侮り難し。

さいごのひとこと

 素朴と見せかけての洗練ぶり。


 

「ルーム」

 Room

Date:2016 / 06/ 13

みるまえ

  今年のアカデミー賞作品賞候補は正直言ってどれも地味な作品ばかりだったが、中でも群を抜いて地味さが際立っていたのがこの作品。監督も主演者も見たこと ない。どんな映画か…と調べてみると、どうやら誘拐されて何年も監禁されていた女の子と、監禁中に彼女が産んだ息子のお話…らしい。そう聞くとアトム・エ ゴヤンの近作「白い沈黙」(2014) が連想されるが、あれは微妙に「脱臭」された作品だった。その点、本作は設定の上でもっとストレートでシビアで、逃げ隠れせず描いちゃっているようだ。そ んな折りもおり、わが日本でも女子中学生を何年も監禁していたキ●ガイが捕まるという事件が発生。こりゃあさすがに本作もお蔵入りなんじゃないかと心配し たが、何とか公開に漕ぎ着けられたようだ。それにしても、「白い沈黙」といいこれといい、カナダってこの手の事件が多いんだろうか。もっとも日本だってこ ういう事件は以前から何度か発覚しているし、今回の事件でもネット上の気色悪いオタクどもが何とも心ないコメントを書きなぐっているのを見ると、人のこと 言ってる場合じゃないかも。それはともかく…このノーマークの作品が、何とアカデミー賞でも主演女優賞を受賞という大暴れぶり。日本でも「いやぁ、最初か らブリー・ラーソンが受賞すると思いました」…などと発言する連中が続出するが、こんな女優知らねえよ(笑)。ともかく無視できない作品となってきた訳だ が、例によって忙しくて劇場になかなか行けない。ようやく実物が見れたのは、劇場もかなり先細ってきた6月初めのことだった。

ないよう

  その日は、ジャック(ジェイコブ・トレンブレー)の5歳の誕生日だった。まるで女の子のように長い髪のジャックは、「部屋」の中でママ(ブリー・ラーソ ン)と暮らしている。ジャックは5歳になった朝に、いつものように部屋のいろいろな「モノ」に挨拶をする。椅子ナンバー1や椅子ナンバー2、戸棚…などな どなど。どれもこれもオンボロで、「部屋」そのものも狭くて古い。それでも「部屋」がジャックの世界のすべてで、その外は宇宙。後は薄っぺらいテレビの世 界だけだ。頭上高くには天窓がひとつあるが、そこからは空しか見えない。ママはジャックに食事をさせ、風呂に入れて、遊びのようにして狭い部屋の中で運動 をさせる。ママは前から虫歯が痛んでいるが、ここは気力で治すしかない。そんなジャックのためにママは誕生日のケーキを焼いてくれる。ジャックもお手伝い だ。こうして出来たケーキは乏しい材料で作ったわびしいモノだったが、ジャックが気にしたのはそこではない。どうしてロウソクがないのかと騒ぎ出した。毎 週日曜の「オールド・ニック」の差し入れの時にもらえば良かったのに…と責めるジャックは、せっかくのケーキを食べないと言い出す。ため息をつきたいのは ママの方だったが、ジャックの気持ちは痛いほど分かるから叱れない。この「部屋」での生活は、「オールド・ニック」の差し入れによって成立しているのだ。 そんな世界しか知らないジャックが、ママは不憫でならなかった。夜は戸棚の中の寝床に入り、扉を閉じて眠るジャック。ところが夜になると、誰かがママと話 しているではないか。ヒゲ面の男「オールド・ニック」(ショーン・ブリジャース)が来たのだ。「オールド・ニック」はジャックについて「誕生日と知ってい たらプレゼントをあげたのに」と言っていたが、ママは明らかにこの男がジャックの話題を話すのを好まなかった。そのうち「オールド・ニック」はズボンを脱 いでママの寝ているベッドに入り、やがてベッドのきしむ音が聞こえてくるのだった…。そんな生活が続く毎日。ある日、ママはやって来た「オールド・ニッ ク」に食料が足らないことをこぼすが、彼は「外がどれだけ不景気か分かっているのか」と怒り出す。実は、「オールド・ニック」は半年も前に失業していたの だ。それを聞いて愕然とするママは「仕事を探しているのか?」と尋ねるが、それがまた「オールド・ニック」を怒らせる。しかも、夜中に好奇心でジャックが 戸棚から出て来たところに、「オールド・ニック」が目を覚ましたからいけない。ママは必死でジャックを守るために「オールド・ニック」を抑え付け、それに 激怒した「オールド・ニック」が力任せにママの首を絞める。「オールド・ニック」が荒っぽくドアを閉めて「部屋」を出て行った後、ジャックは泣いてママに 謝るのだった。「出て来ちゃいけなかったのに…二度とやらないから!」…。そんな事件がキッカケで、腹を立てた「オールド・ニック」から「部屋」の電気を 止められてしまう二人。ヒーターも作動しないので、彼らは厚着をして毛布をかけるしかない。そんな状況に業を煮やしたのか、ママは唐突にジャックに外の世 界は宇宙ではない…などと言い出す。「もう5歳なんだから、本当のことを教えてあげる」…。外には普通に人がいて家があること、そしてママがどうしてこの 「部屋」にやって来たか。男に病気の犬がいるから来て欲しいと言われ、ダマされてここに監禁されてしまったのだ。だが、ジャックはそんな話は聞きたくな い。ちっとも楽しくない。ジャックは「4歳に戻りたい!」とわめくだけだ。そのうち「部屋」には電気が戻って来るが、ママの気持ちは戻らない。ママは鍋で お湯を湧かしながら、ジャックにあるアイディアを話すのだった。それはお湯でジャックの額を目一杯熱くして、「オールド・ニック」に彼が高熱を出したと思 わせること。それでジャックを医者に連れて行くことになれば、彼が外に逃げるチャンスだ。ところがやって来た「オールド・ニック」は、激しく動揺したもの のジャックを医者に連れて行こうとはしない。クスリで急場をしのごうとするだけだ。では、仕方がない。作戦変更だ。ママはジャックを絨毯でグルグル巻きに したあげく、いつでもパッとその状態から抜け出せるように練習させる。今度はジャックが病気で死んだことにして、「オールド・ニック」に遺体として外に運 び出させようというワケだ。そしてクルマでどこかに捨てに行く途中で、絨毯から抜け出して逃げ出すというのが今回の作戦。これ以外に方法はない。いよいよ ジャックを絨毯でグルグル巻きにしたママは、「オールド・ニック」が「部屋」にやって来るとひと芝居打つ。もう遺体を見ていたくない…とわめいて、「オー ルド・ニック」に絨毯にぐるぐる巻きにされたジャックを運び出させる。こうしてジャックは、いとも呆気なく外界へと運ばれて行った。こうして「オールド・ ニック」の運転するピックアップ・トラックの荷台に載せられた絨毯とジャック。やがてトラックが走り出したことを感じ取ったジャックは、ママに言われたよ うに絨毯から何とか抜け出した。こうしてトラックの荷台に横になったジャックの目の前には…どこまでも遥かな大空が広がっているではないか!

みたあと

  冒頭でも述べたように、本作はアトム・エゴヤンの「白い沈黙」と共通する題材を取り扱っている。だが、エゴヤンがある意味ヤバい部分を「脱臭」していたの に対して、こちらはそこから逃げていない。もっともエゴヤンは決して逃げている訳ではなくて、一種の「例え話」にしているだけなのだが…。ともかく本作は ヤバい部分をあからさまに画面で見せたりはしていないが、それを「ない」ものにはしていない。では、本作は監禁事件を真正面に描いて、性犯罪の惨さをえ ぐったり社会派的メッセージを発信したりしているのか? 実はそういう訳でもない。もちろん映画で描かれているのは監禁とその被害者だが、映画自体がそれ をセンセーショナルに描いている訳ではない。そういう意味では、本作もまた「白い沈黙」とはまた違ったかたちで「例え話」を語ろうとしている作品なのであ る。
ここからは映画を見てから!

みどころ
 繰り返すが、本作は性犯罪の悲惨を告発したり、その被害者の監禁時…そして解放後の受難を描く社会派映画ではない。「犯人」は確かに卑劣な男ではある が、それを厳しく告発する描き方はしていない。…というより、「犯人」は途中で画面から退場してしまい、その後はどうなったのかまったく描かれない。作者 はそこに完全に関心がない。では、何を描きたいのか…というと、どうやら「特異な状況」に置かれたヒロインとその子供…に関心があるようなのである。監禁 事件はそれを描くための手だてに過ぎないのだ。ただ…そこから先になると、正直言って僕にも本作の意図はよく分かっていない。例えば子供が初めて外界に出 てからの、空の広さの描き方などは感心させられるが、何を描きたい映画なのか…と言われると僕もハッキリは言えない。ただ、見ている間に僕が思ったこと は…人間ってのは例えどんなに平凡な人生を歩んでいる人でも、その人なりの「特異な環境」に置かれていて、その人なりのトラウマや性格の歪みや何らかの負 荷と対峙させられているんじゃないか…ってことだった。それが本作の作者の意図かどうかは分からないが、とにかく僕はそう思った。「監禁」ってのは、その 状況を極端に際立たせて分かりやすくするための、「例え話」としての手法ではないかと思う。だから誰もが親に限らず周囲の人間との間に、何らかのかたちで 「きしみ」を持っている。同じ体験を共有していない他の人に自分の気持ちは到底分かってもらえない…というのも、実は多かれ少なかれ誰もが味わっている感 情なのだ。そして、そんな心の傷なり苦しさは、自分が向き合って何とかするしかない。世の中との折り合いも、自分が何とかつけていかねばならない。みんな 大なり小なり、そうやって生きているのだ…ということを感じてしまった。それが本作のマトモな感想かどうかは分からないが、少なくとも僕はそう思ったの だ。こんなの本作の映画評なんかじゃない…と言われてしまいそうだが、そう思ったんだから仕方がない。映画ってのは見た人のその時陥っている状況を反映す るものだから、それでいいんじゃないかと僕は思っている。

さいごのひとこと

 閉じ込められてるのは皆同じ。

 

「スポットライト/世紀のスクープ」

 Spotlight

Date:2016 / 06 / 13

みるまえ

 今年のアカデミー賞は、正直驚いた。いかに大量ノミネートとはいえ、正直言って「マッドマックス/怒りのデス・ロード」(2015)が作品賞を取るというのはなかなか考えにくい。レオナルド・ディカプリオ主演の「レヴェナント/蘇えりし者」(2015)が最有力と聞いても、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品が2年連続で取るのは無理がある。あとに続くのは「オデッセイ」(2015)、「ブリッジ・オブ・スパイ」 (2015)などなど…というドングリの背比べである。それらの作品賞候補の中で、僕にとって本作「スポットライト/世紀のスクープ」の位置づけは、同じ く実話と触れ込みの「マネー・ショート/華麗なる大逆転」(2015)とあまり代わり映えのないあたりにあった。ぶっちゃけこのへんの作品への関心度は、 下から数えた方が早い。おまけにこの2本の区別がつかなかった。金融の話が「マネー・ショート」で、新聞の話が「スポットライト」というくらいの違いしか なかった。だから、どちらかというと錚々たる作品賞候補作群の中で、まったく考えてもいなかった「スポットライト」が受賞したというニュースには、ただた だビックリ…としか思わなかった。そんなこんなで作品賞候補が続々日本公開されても、例によって忙しくてなかなか見に行けない。何と「マネー・ショート」 は完全に見逃してしまった。さすがに僕もこれはマズいと慌て始めて、終わりが近そうな「スポットライト」を見に行くことにした。そんな訳で、今さらどこの 映画サイトも話題にしていない本作の感想文を、気の抜けたビールみたいにネットにアップしたというワケだ。

ないよう

 1976 年、クリスマスのボストン。警察署の中を太っちょの黒人警官が歩いて来る。そこに息せき切ってやって来たのは、一人の弁護士。何と神父が児童にわいせつ行 為を働いて捕まったとのことで、教会側に呼ばれてやって来たのだ。彼は慌ててメディアの人間が来ていないか尋ねるが、幸か不幸か地方紙が一社尋ねて来てい るだけ。安堵したこの弁護士は待合室へと駆け込む。するとそこには、被害を受けた児童とその兄弟、そしてその母親がいて…母親に対して教会の司祭が熱心に 説得を重ねている最中ではないか。「もちろん教会としても、出来る限りの善処はします。問題の神父はただちに教区からはずしますし」…。それから幾年月。 2001年7月、ここはボストンきっての新聞社ボストン・グローブ社。その中でも「スポットライト」という欄は硬派の記事で定評があり、同社きってのクセ モノ記者たちが粘り強い取材で記事を送り出していた。いわば同紙の「特命部隊」である。そのメンバーは…カジュアルな服装でとにかく行動派、それが祟って か奥さんと別居中のマイク(マーク・ラファロ)。そんなマイクのために自分はダイエット中で食わないケーキをわざわざ運んでやる、地味ながら誠実なマット (ブライアン・ダーシー・ジェームス)。チームの中での紅一点、ことさらにコワモテぶらないが甘くもないサーシャ(レイチェル・マクアダムス)。そして、 こんなクセモノたちを束ねる強者ロビー(マイケル・キートン)。彼らは自らの作り出す「スポットライト」の記事に、こだわりとプライドを持っていた。そん なボストン・グローブの編集部に、ちょっとしたさざ波が立つ。実は新たな編集局長として、バロン(リーブ・シュレイバー)という男がやって来たのだ。ちょ うどインターネットの台頭などで新聞社の経営が揺らぎ始めた時期だ。みんな、すわリストラか経営方針の変更か…と戦々恐々。どちらかと言えば社内アウトサ イダーであるロビーですら、それが気にならない訳ではない。編集会議が召集されてバロンと初顔合わせとなり、お手並み拝見とばかり出席したロビーだった が、かなりズバズバと同紙の問題点を指摘されると正論だけに納得せざるを得ない。しかも会議の後でロビーとその上司ベン(ジョン・スラッテリー)だけが残 されるや、二人にはイヤな予感しかしない。一体何を言われるのか? 編集方針の転換か経費節減か…とバロンの言葉を待ち構えるロビーとベンに、彼は予想外 の言葉を投げかけた。「もっと強烈な問題を取り上げるべきだ」…。事もあろうに、バロンはそれまで埋もれていて話題になっていない事件…「教会」の問題を 取り上げようと提案したのだ。ちょっと複雑な反応のベンとは異なり、どうやら乗り気のロビー。彼は「スポットライト」チームの部屋に戻ると、それまでか かっていたネタを放り出して、この「教会スキャンダル」を追いかけることを宣言する。しかしボストン・グローブ紙はその読者の大半がカトリック信者であ り、教会ともつながりを持って来た。ひとつ間違えば、命取りになりかねない可能性をはらんでいたのだ。それでも「スポットライト」チームは、この難題に奮 い立った。中でも気合いが入ったのが、まずはカラダから動くマイク。彼は神父の児童虐待事件に関わった、ミッチェル・ガラベディアン(スタンリー・トゥッ チ)という弁護士に接触することになった。マイクがこの役を割り当てられたのは、ガラベディアンという人物がかなり偏屈で扱いにくい男だったから。しかし 食らいついたら離れないマイクは、そんな難しいガラベディアンと徐々にマトモにやりとり出来るようになって来る。一方、被害者会の会長サヴィアーノ(ニー ル・ハフ)に話を聞いたり内部告発者からの情報に触れたりするうちに、「スポットライト」チームは事件の恐るべき全貌を知ることになっていく…。

みたあと

  ズバリ言うと、かなり地味な作品である。そもそもキャストが地味だ。ビリングではマーク・ラファロがこの中では筆頭のスターということになるだろうが、そ もそもこの人は地味な人だし、当然ながら本作では「アベンジャーズ」のハルクみたいにはいかない。ラファロの次にはマイケル・キートンが来るが、彼自身「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」 (2014)でやっとこ復活して来たばかり(それでアカデミー作品賞受賞作品に2連チャンで出演しちゃうというのはモノ凄い強運だが)。華のある人ではレ イチェル・マクアダムスが出ているが、ここでは彼女もあの華やかさをグッと抑えて硬派なイメージ。全体的にドラマティックな演出もないし、アッと驚くどん でん返しもない。主人公たちがヒロイックに悪玉たちに大見得切るような場面もない。しかも意外なことに…主人公たちに教会側から強烈な圧力がかけられて、 いろいろと脅かされているような設定さえない。まぁ…これについてはいろいろあって、キリスト教圏の人々にとっての「教会」というのは我々日本人には思い もよらない程のパワフルな存在で、何もしなくても彼らの存在そのものがプレッシャーなのかもしれない。生まれた時からずっと刷り込まれた教会の絶対性こそ が、主人公たちに脅威としてのしかかって来たのかもしれない。こればっかりは欧米で生活した訳でもなく欧米人の知り合いがいる訳でもなく、ずっとこの日本 に暮らしてきた僕にはまったく分からないところだが、そんな目に見えないパワーに脅かされていたのかもしれないので何とも言えない。しかも本作はあくまで 「実話」だから、突然どこからか記者たちを殺そうとしてトラックが突っ込んで来る…な〜んてハリウッド・サスペンス映画っぽく作る訳にもいかない(笑)。 そういった理由からだけではないだろうが、とにかく本作は地味である。地味なんである。「世紀のスクープ」なんてサブタイトルつけてるが、完全に名前負 け。JAROに電話するレベル。例えば同じ新聞記者の大スクープ実話を描くにしても、大スターのロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが大活躍 の「大統領の陰謀」(1976)みたいな訳にはいかない。しかもあの映画では新聞社内の大セットを作って、カメラが社内を縦横無尽に動き回るというカッコよさだが、本作はそういう高揚感もない。…というか、狙ってない。では、ただただ地味〜なだけの映画なのか。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  確かに本作は我々日本人からすると、アカデミー作品賞にするほど盛り上がったり感動したりする映画には見えない。先に述べたように「教会」に関するタブー を破った…というお話なので、そのあたりで欧米人にはもの凄い衝撃があるかもしれないし、それ故、「映画としての出来」以上に向こうの人たちにインパクト を与えてしまった可能性はあるし、また過大評価されたきらいはあるかもしれない。アカデミー賞とったからといって「品質保証」された訳じゃないと思いつ つ、あまりに地味なんでそんなこともチラッと思ってしまうほど、淡々とした佇まいの作品なのだ。では、本作が気に入らなかったかと言われると…実は結構気 に入った。実は本作は、その「地味」なところが最大の美点なのである。先ほども言ったように、本作では劇的な展開はほとんどない。主人公たちが怒りに震え て怒号が飛び交ったり、日本のジャーナリズムを描いたドラマなどのように派手に走ったり飛び回ったりしない。だからこそ…たま〜にマーク・ラファロが貴重 な資料を入手すべくタクシーで裁判所に駆けつけたり、マイケル・キートンに怒ったりすると、それだけでやたらにハイテンションに見える。映画全編が地味な もんだから、ちょっとした「さざなみ」みたいな動きだけでドラマティックなのだ。しかも、地味さはそれだけのために機能している訳ではない。例えば劇中 で、前々から被害者の会からこの問題についてのタレコミがボストン・グローブに寄せられていたのにずっと無視されていた…ということが語られている。見て いるこちらとしてはそのタレコミを黙殺していたのが誰なのかずっと気になっているが、それはなかなか明らかにならない。そして映画の終盤に、マイケル・ キートンがそれは自分の仕業であると告白するのだ。しかし、ここまでじっくり映画を見ていれば、実はそれは本当ではないことが分かる。…というか、自分が やった事ではないが、あえて抵抗せず受け入れたことでそれに加担してしまったのだ…と自戒を込めて語っていることが分かる。そして、本当に黙殺してしまっ た人物を直接責めるカタチではなく、やんわりと諭していることも伝わって来る。このあたりのデリケートな描き方、間接的な表現は、何事もストレートなアメ リカ映画にしては異例ではないか。そのマイケル・キートンといえば普段はエキセントリックな演技で知られているが、そんな彼ですらここではじわ〜っとした 抑えた演技しか見せない。エンディングも激しい高揚感や勝利感はまったくない。だからこそ、本作は真のリアルな感触を得ることに成功している。繰り返す が、本作はアメリカ映画としては極めて珍しい語り口の作品なのだ。映画自体は大量のセリフが飛び交い、さまざまな人名やらエピソードが交錯している構成に なっているが、その内容はむしろ饒舌さの極北に位置しているのである。

さいごのひとこと

 言わぬが花。

 


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