新作映画1000本ノック 2016年5月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「孤独のススメ」 「フィフス・ウェイブ」 「バットマンvsスーパーマン/ジャスティスの誕生」 「ボーダーライン」

 

「孤独のススメ」

 Matterhorn

Date:2016 / 05 / 23

みるまえ

  この作品の存在はチラシを見ていて知っていたが、おそらく見ることはないだろうと思っていた。それなりに面白いだろうが、正直言って今の僕にはそれを見て いる暇がない。見れる映画の数が恐ろしく少なくなった今日この頃である。アートシアター系の映画を中心に見る映画サロンの方々ならまだしも、僕はどっちか と言えば本来はSF映画好きである。限られた時間はそっちに充てたい。しかもこの映画、何となく北欧あたりのチマッとした映画の佇まいを見せている。北欧 ではなく実際にはオランダの映画だそうだが、ヨーロッパの小国の映画という意味ではそのチマチマ感もうなずける。よくは出来ているんだろうけど、例えば一 時期世界にイヤという程溢れたアキ・カウリスマキのフォロワーみたいなニオイがプンプン。ハッキリ言ってどこか「閉じた」映画になっているんじゃないかと 思っていた。だから、そういうのは「映画目利き」「シネフィル」の皆さんにお任せして、僕はSFのバカ映画でも見ようと思っていたワケだ。そんな僕がこの 映画を、事もあろうに上映最終日に捕まえて見に行ったという理由はただひとつ。ある信頼する映画ファンの知人から、強く推薦されたからに過ぎない。そうは 言っても「ちょっといい話」止まりだろうなと思いながら、何とかギリギリで劇場公開終了に間に合った次第。感想を書くのが遅れた理由は、例によって例のご としである。

ないよう

  田舎の田園風景を、一台の路線バスが走っている。周囲にはのどかな風景が広がり、バスの中には一人の乗客しかいない。その乗客フレッド(トン・カス)は初 老の真面目そうな男だ。彼は、ある人けのない田舎町の停留所でバスから降りる。そこには小ぎれいな家があって、彼はそこでコーヒーをすすりながら、カセッ トテープでバッハのソプラノ曲を聞いている。非常に素朴で簡素な生活でありながら、どこか窮屈さを感じさせる毎日…それがフレッドの生活だった。ところが そんなフレッドが、外の人の声に気づいて窓に近づく。すると、カメラが趣味の隣人カンプス(ポーギー・フランセン)のところに、ヒゲ面の男がいるのが見え るではないか。それを見たフレッドは、奮然と席を立って家から出て行った。目指すは隣のカンプス宅の庭先。フレッドは例のヒゲ面の男に、いきなり抗議を始 めるのだった。実はこのヒゲ面男テオ(ルネ・ファント・ホフ)は、昨日もこの村に姿を現した。その時、クルマがガス欠になったということで、フレッドにガ ソリン代をせびったのだ。ところが、今日もこの村に来ている。フレッドは「クルマはどこにある」と問いつめるが、テオは答えることが出来ない。ダマされた と怒ったフレッドは、テオを捕まえて自宅に連れ帰った。そして自宅の入口あたりで、彼に草むしりをさせることにした。ダマし盗ったカネは、労働によって返 せと言う訳である。しかもフレッドは、彼を働かせるだけではなかった。お茶の時間には家に招き入れ、お茶とお菓子を振る舞う余裕もあった。ただしいささか 遠慮がないテオがお菓子の「おかわり」を要求すると、キッパリと拒絶するフレッドではあったが…。テオがウ〜とかア〜とかいうだけで、ロクに言葉を言わな いのも不思議だ。そんなこんなで「労働」が終わって帰そうとしたフレッドだったが、フト気になってテオに今夜の宿を聞いてみると…案の定、寝る場所もなさ そうだ。そんな訳でちょっとした気まぐれから、テオを自宅に泊まらせることになってしまったフレッドだった。時計の針の動きをジッと見守り、6時ピッタリ に食事を始めるフレッド。もちろん、食べ始める前に神様へのお祈りも欠かせない。そんな几帳面なフレッドとは対称的に、テオはそんな事にはお構いなし。勝 手に食べ始めようとするし出されたジャガイモはグチャグチャにするし…で、フレッドは気が休まる暇がない。それでもテオに決まりやマナーを教えようと苦心 するフレッドは、彼とのやりとりで何かを思い出したのだろうか。食卓の上部には、額に入った写真が一枚。そこには美しい女性と幼い少年の姿があった…。さ て、こうして自宅にテオを招き入れたフレッドは、彼を連れて村の教会に行ったり、町のスーパーに買い物に行ったりする。そのスーパーでなぜかヤギのマネを し始めたこの男が子供たちに大ウケで、ひょんな事から子供の誕生会でちょっとした出し物を演じることにもなる。フレッドの決まりきった暮らしに微妙な変化 が訪れるのだが、その一方でそんな「変化」を快く思わない村人たちもいた…。

みたあと

 この感想文の冒頭でも語ったように、僕は本作を 「よく出来ている良心作ではあるが、スケールの小さいチマッとした作品」だと思っていた。「アキ・カウリスマキのフォロワー」などと失礼なことを言ってし まったが、その手の連中がやたらとウヨウヨ出て来た時期がかつてあったからだ。この手の映画はなかなかケナせないし、実際にそれなりに良くは出来ている。 しかし別になくてもいい映画だし、特に記憶に残る訳でもないモノが多かった。こういう類いの映画にはそんな印象が強かったので、本作もそんな映画の一本だ ろう…と無視を決め込むつもりだったのだ。実際、信頼できる知人に勧められてはいたが、そのあたりの基本的な佇まいに変わりはないだろう…と僕は思ってい た。実際に映画が始まると、のどかな田園風景にバスがゆっくり走る。「いかにもだよなぁ」という感じ。乗っている乗客がたった一人で、出て来たのが主人公 らしき初老の人物。これがまた特に個性的でも何でもない、「あえて没個性」を狙ったようなキャラクターだ。まさに「いかにも」である。もうこの段階で、中 身を見る前から本作のテイストやスタイルは決まったようなもの…と思いきや、いきなり画面に予想もしないモノが映し出されるではないか。こんなチマチマ感 に溢れる映画なのに、バスが走るのどかな風景の地平線あたりに沿って、本作のタイトルがど〜んと出るのである。これが「アベンジャーズ」とか「ミッショ ン・インポッシブル」なら何ら驚きはしない。だが、こんなチマチマ感満載の映画でこんなタイトルの出し方をするなんて…。しかも、出て来たタイトルが二度 ビックリだ。「Matterhorn」…「マッターホルン」である。これはウカツだった。僕は本作「孤独のススメ」の原題名を知らずに見に行ったのだっ た。この映画だったら「洋服ダンス」とか「靴ベラ」とかいうタイトルでもいいはずではないか。なのに、なぜタイトルが「マッターホルン」。この映画は「エ ベレスト3D」ではないのである。そして、何故に地平線にタイトル文字がど〜んと出るのか? この瞬間、僕はどうやら本作が思っていたような映画でないら しい…という予感を感じたのだった。
ここからは映画を見てから!

みどころ

  正直に言って、この映画をまったく「ネタバレ」(この言葉はバカっぽくて大嫌いだが、どうにも使わざるを得ない)せずに説明するのは困難だ。ズバリと核心 に踏み込んで言うと、本作はまったく予測不能な作品である。そしてこの事に言及している時点で、実はすでにかなりネタバレしちゃっていると言っていい。な ぜなら本作は、観客の予想する方向を想定した上で、わざとそれをはずすように事前にミスリードして作られている。一見「予想した通り」の凡庸な映画に見え るように、わざわざそう作ってあるのがミソなのだ。もっと分かりやすく言うと、僕がこの感想文冒頭で述べたような、本作の「北欧あたりのチマッとした映画 の佇まい」みたいなモノは「偽装」でしかない。本作を見ていくと、決まりきった堅苦しい主人公の生活に「異物」であるナゾの男が混入することで、主人公の 生活に急に波風が立ってくるようになる…という「いかにも」な設定のお話である。そこから、偏狭で保守的な村の中で主人公が排斥されていく…とか、これを キッカケに主人公の隠されていた願望が露になっていく…とか、いろいろな方向に話が展開していきそうな予感がして来る。ところが、こうした予想がことごと くハズされていく。それもそのはず、どれもこれも巧妙な「偽装」だからである。それどころか、終盤に向かって怒濤のごとくアッと驚く方向にお話が転がって いく。これが単に「予想外」なだけでなく、妙にカタルシスがあるから素晴らしい。ラストは思い切り前向きで、一見「閉じた」映画に見えた本作にはあまりに 不釣り合いなマッターホルンの雄大な風景で幕となるからビックリなのだ。テーマ的にもスコーンと抜けた爽快感があり、視覚的にも巨大なマッターホルンが画 面いっぱいにドーンと出て来るスペクタクル性がある。「閉じた」どころか思い切り「開ききった」爽快さが本作の身上なのだ。実はこれも巧妙な作戦で、ここ まで来るまでに音楽は地味〜で厳格で狭苦しいバッハのみだったものを、ラストではゴージャスなシャーリー・バッシーの持ち歌で一気に開放。視覚的にもチマ チマした田舎町の風景を、ラストのマッターホルンでスケールアップするという計算をしている。だから見ている側は問答無用に、感覚的にカタルシスや爽快 感、開放感を味わってしまう。これはなかなかやれそうでやれない。「北欧あたりのチマッとした映画の佇まい」とか「アキ・カウリスマキのフォロワー」とか のイメージは、もちろん分かっていてわざとやっている。そんなアートシアター系のチマチマ映画だと思って見に行ったら、いきなりラストでこの手の映画には あるまじきマッターホルンがそそり立って来るから圧倒されるのである。「映画サロン」みたいなとこの好き者だけが喜ぶ映画かと思ったら、意外な意外のアッ パレな「エンターテインメント性」と「健全さ」を持った映画だったから驚かされるのである。つい先日、スペインの「マジカル・ガール」(2014)で「予想が次々はずされる」面白さだと驚かされたばかりで、その際も何年か前のフランス映画「消えたシモン・ヴェルネール」(2010)の予測不能さを連想させられたが、本作もその予測不能さはかなりなもの。作ったディーデリク・エビンゲがこれまた初監督作品だというからビックリ。とんでもない新人が現れたものである。

こうすれば
 そんな訳で、ただただベタホメしたくなる映画であり監督だと言いたいところなのだが…ちょっとだけ気になる点がない訳でもない。ナゾの男テオは、最初に 出て来た時からちょっと知恵遅れみたいでロクに言葉もしゃべらない設定である。それはそれで問題はないし、後から「真相」が明らかにもなるからおかしい話 でもない。だから、そういう設定であるのはまったく結構なのだが…そうすると冒頭で主人公フレッドがテオにガソリン代をダマし盗られた…というのは、 ちょっと無理があるんじゃないか。アレヨアレヨの展開に僕もすっかり忘れていたのだが、何か変だ…と引っかかっていたことを映画が終わった後に思い出し た。このテオという男、カネをチョロまかすためのしゃべりなんて、とても出来そうにないのだ。これは明らかに作劇上の「ホコロビ」だろう。そして、それは 一事が万事で…よくよく考えるとストーリーにさまざまな観客ミスリードのための「偽装」を施した結果、あちこちに物語上の無理が生じている。それを力ワザ で何とか引っ張っちゃっているのはこの監督の力量だと思うが、やはりちょっと「ダマしのためのダマし」になっちゃっている点も見受けられるのだ。ところど ころではあるが…まず「ダマす」ことが先に立っている箇所が散見できるのである。それをこれだけ巧みにやれれば問題ないだろう…と言われる向きもあるだろ うが、「何かを語る」ための「ダマし」でなくて、まず「ダマす」ための「ダマし」になりかねない…というのは作家としてちょっと危うくはないか。一時期の クリストファー・ノーランとか、もっとヘタクソではあるがM・ナイト・シャマランとか、ハッタリ系の作家になってしまいそうな危険もはらんでいる気がす る。ちょっと厳しいことを言い過ぎちゃってどうかとは思うが、本当は大絶賛したい。しかし素晴らしい出来映えと思うからこそ、あえて誰も指摘しないキツい ことを言わせていただいた。そんなイヤな予感も含めて、このディーデリク・エビンゲのハリウッド・デビューは意外と近いんじゃないだろうかと僕には思える のだが、いかがだろうか?

さいごのひとこと

 アメコミ映画を撮らないことを祈る。

 

「フィフス・ウェイブ」

 The 5th Wave

Date:2016 / 05 / 23

みるまえ

  宇宙人侵略SFなどイマドキ珍しくもないが、クロエ・グレース・モレッツ主演とくれば話は別。かなり前から予告編を見たりチラシをもらったりして、気分は 高まっていた。ただし…正直言ってあまり世間で話題になっていない時点で、出来の方はあまり期待してはいなかった。上空にどこかで見たような巨大な異星人 の巨大宇宙船が…なんて時点で、新鮮味もオリジナリティーも皆無。まぁ、出来映えは月並みなモノだろうと想像はついた。ただ、僕は自他ともに認めるSF映 画好きなのでどんなクズ映画でも許せるし、そこにグレース・モレッツ主演という要素が乗っかれば興味が湧かないはずがない。宇宙人の侵略…というより人類 終末テーマがキッチリ描かれているなら、僕はそれで満足だ。

ないよう

  山の中を銃を持って駆け抜ける少女…キャシー(クロエ・グレース・モレッツ)。木立の中を動転して走っていた彼女は、やがて森を抜けて近くに見えるコンビ ニに向かう。銃を構えながら、今では廃墟と化したコンビニに入ったキャシーは、そこで飲み物、食べ物、必需品などを必死に漁る。そんな時、店の奥から低い 声が聞こえて来るではないか。緊張した面持ちで、銃を構えながら店の奥のドアに迫るキャシー。ドアを開けると、中には傷ついた男が拳銃を構えて座り込んで いた。思わずにらみ合う二人だが、キャシーの「銃を捨てて!」の声に男は意を決して拳銃を置く。だが、片手はフトコロに突っ込んだまま。男は傷ついている から手を離せないというが、当然キャシーとしては信じる訳にいかない。「その手を出して!」と強気で主張するしかない。仕方なくゆっくり手をフトコロから 出そうとする男だが、その時、キラッとした金属特有の反射がキャシーの目に飛び込んで来た。彼女が銃の引き金を引いたのは、それに気づいたのとほぼ同時。 しかし倒れた男の胸元から覗いたのは、金属の十字架のネックレスだった。深い絶望に落とされるキャシー…。ついこの前まで、世界は平穏無事だった。キャ シーだって平凡な高校生で、仲間たちとパーティーに興じていた。親友のリズ(ガブリエラ・ロペス)に憧れのカレのことを冷やかされたり、パーティー会場か ら出たとたんに当のカレ…ベン・パリッシュ(ニック・ロビンソン)と鉢合わせしてドギマギしたり…と、ごくごく当たり前のハイスクール・ライフをエンジョ イしていたのだ。その異変が起こったのは、そんな学校生活でのことだった。サッカー部員の彼女はリズと一緒にシュートの練習。その際、リズがスマホで何か とんでもないモノを見つけたのだった。当然、顧問の先生は怒って彼女を退場させるが、その頃にはあちこちで生徒たちがスマホにかじりついていた。それは… 巨大な宇宙船が地球の上空にポッカリと浮かんで周回している…という衝撃的ニュースだった。それが何なのか、どんな目的でそこにいるのか…誰にも皆目分か らない。最初の数日は「それ」も大人しく空中に浮かんでいるだけだったが、やがて不気味な沈黙を破る時がやってきた。スマホがいきなり使えなくなり、往来 でクルマが次々事故を起こす。さらには航空機が墜落する…。「それ」は電磁波を使ってすべての電子機器を使えなくしたのだった。それが彼らによる「第1 波」だった。さらにクルマや電化製品や機械が使えなくなったため、幼い弟サム(ザッカリー・アーサー)と水を汲みに出かけたキャシーは、いきなり激しい揺 れに遭遇。バタバタと倒れる木々からサムを庇って難を逃れたと思いきや、今度は洪水が襲いかかる。キャシーはサムと必死に木に登って何とか助かったが、沿 岸地域の都市はひとたまりもなかった。これが「第2波」。さらにやたらに鳥が空を飛び交うようになったかと思えば、悪性の鳥インフルエンザが流行。瞬く間 に感染拡大していった。政府は感染者を隔離。キャシーは隔離されたリズに面会しようと隔離施設のスタジアムにやって来たが、顔を見たか見ないかのうちに医 療チームに所属する母リサ(マギー・シフ)に引き離された。それが、キャシーがリズの顔を見た最後。そしてその母リサもまた、病魔の犠牲となったのだっ た。これが「第3派」。そして続く「第4派」は、いよいよ奴らが地上に降りて侵略を開始したことだった。姿かたちは普通の人間と変わりない「奴ら」が、残 された人類を襲い始めた。父オリバー(ロン・リビングストン)とキャシー、サムは住み慣れたわが家を捨て、山中に自主的に作られた難民キャンプへ。そこで は一時的に平穏な生活が約束されたかに見えた。しかし父オリバーは、そんな生活の行く末を見据えていた。彼はキャシーに秘かに銃を与え、その扱い方を教え た。そして「いざとなったらこれで自分の身を守れ」と教えたのだった。そんな「自分の身を守らねばならない」事態は、それからすぐに訪れた。ある日、難民 キャンプに軍の車両が押し寄せたのだった。「クルマは走らないはずなのに?」という疑問を抱く間もなく、兵士たちのリーダーであるヴォッシュ大佐(リー ヴ・シュレイバー)が登場。このキャンプは早晩敵に襲われるので、先に子供をバスに乗せて保護。後から大人たちも連れて行く…と宣言した。こうして他の子 供たちとバスに乗せられたキャシーとサムだが、サムがいつも持っているテディ・ベアを置いて来た…と騒ぎ出したため、仕方なくバスから降りて取りに行く キャシー。しかしその隙に、バスは彼女を置いて発車してしまうではないか。さらにキャンプの集会所に近づいて行った彼女は、大人たちに説明するヴォッシュ 大佐と兵士たちを目撃。ところがちょっとした小競り合いが起きたのをキッカケに、兵士たちは大人たちを全員殺害してしまう。これに衝撃を受けたキャシー は、その場に残された銃を持って森に逃げ込むのだった…。

みたあと

  ここ数年、宇宙人の侵略モノは胸焼けするほど公開されていて、すでにそのテーマを取り上げただけで既視感バリバリ。そこへ来て、見た目も設定も「すでにど こかで見た」感じのものばかり。見る前に本作に抱いていたそんな印象は、実物を見ても払拭できなかった。…というより、むしろ見れば見るほど強くなるとい うべきか。大都市の上空にポッカリ浮かぶ巨大な異星人の宇宙船といえば、「インデペンデンス・デイ」(1996)以来、すっかりおなじみになったイメージ だ。何やら病気の感染爆発が起きて、人々が隔離されたりするのもお約束。人類に化けて紛れ込む宇宙人…なんてのも今までイヤというほど見て来た。いやもう ホントに新味まったくない。おまけに…と言ったら語弊があるが、見ているうちに本作がどうやら一種の青春小説の映画化らしいということも分かって来た。考 えてみればいくら「早熟」とはいえ、クロエ・グレース・モレッツ主演とくればどうしたって「青春映画」のニュアンスが出て来るのが当たり前。しかし、完全 にその手のチャラい小説の映画化だったとはウカツだった。その類いの映画では、「ダイバージェント」(2014)でスッカリ懲りたはずではないか。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
 先にも述べたように、映画の最初の部分は既視感あり過ぎの「人類滅亡」「宇宙人侵略」イメージで塗り固められている。それだけなら、笑っちゃうけど大し て腹も立たない。凡庸な映画だとは思うが、それなりに楽しませてくれれば文句を言うつもりはない。問題はそこから後。「青春小説」だの何だのと言う前に、 お話があまりにザルなのが噴飯ものなのだ。難民たちが集まって暮らす村みたいなところに、米軍が大挙してやって来るくだりを見よ。宇宙人の攻撃によって地 球上のすべての機械が動かなくなり、クルマも動かなくなっているはずの世界なのに、なぜか米軍は装甲車でやって来る。さらに彼らは子供だけを先に連れて行 くために、スクールバスまで持って来る。もうこの時点で怪しさ満点である。そして子供がいなくなるや、大人たちを集めて一席ブチ始める米軍兵士。ここで ちょっとした小競り合いから撃ち合いになってしまい、結局この難民キャンプの大人たちは皆殺しになってしまう。もはや怪しさ満点どころの騒ぎではない。と ころが…この期に及んでも本作の作者たちは、観客がこの米軍兵士たちをツユとも疑わないものと決めてかかっているようだから驚いてしまう。それが証拠に… ずっと後になって、米軍に連れて行かれた子供たちが兵士として養成されてから、彼らが「自分たちはダマされていた」と気づく「衝撃」の展開となるのだ。 言っておくが、見ているこちらは衝撃でも何でもない。そりゃそうだろねってことにしかならないのだ。そんな穴はこの件だけではなくて、一人になったクロエ が弟を探して放浪しているうちに何者かに狙撃され、そこをイケメン青年エヴァン・ウォーカー(アレックス・ロー)に助けられるという展開になる。これがま た…誰がどう見たってこいつが怪しいに決まってるだろ(笑)。それなのに物語上は彼の「正体」はナゾのままになっていて、終盤で「衝撃」の展開となる。 「怪しい」と思える奴がナゾのままずっと引っ張られて、最後になって「やっぱり怪しい奴でした」って展開はいかがなものか。これ、どこが面白いの? おま けに、その前にクロエはまんまとこのイケメンにやられちゃったりするが、こいつがまた「地球人を見て“愛”という感情を知った」とか何とかふざけたことを ホザくから聞いてられない。寝言は寝て言えや。しかしお話がザルなのも大概にして欲しいが…こういう「青春小説」とやらは、若い奴らがイッチョマエの「戦 士」として成長するだの、「本当の愛」が見つかっただのって甘っちょろい題材が好きだよねぇ。おまけにエンディングだけ見たらお話はまだまだ続きそう…っ て、「ダイバージェント」の悪夢が再現。もうこっちはお腹いっぱい(笑)。それにしても、イマドキのジャリ向け小説ってSF仕立てのモノが多いのだろう か。こういうのに一定の需要があるってことは、ジャリにはこれが受けてるんだろうか。だとすると「ゆとり」がどうの…って論議よりも、これはかなりヤバい 状況だと思った方がいいんじゃないか。こいつらの方がよっぽど地球を滅亡させる宇宙人だよ。

さいごのひとこと

 地球の終わりは近い。


 

「バットマンvsスーパーマン/ジャスティスの誕生」

 Batman v Superman - Dawn of Justice

Date:2016 / 05 / 09

みるまえ

  おそらく今年の話題作中の1本であることに間違いはないだろう。「バットマンvsスーパーマン」である。こんな映画が出来ちゃうなんて、ちょっと前だった ら考えられなかった。いやいや、誤解してもらっちゃ困るが、「こりゃ豪華だ!」と喜んでいる訳ではない。ずいぶんと安っぽくなったな…と嘆いているのだ。 東宝か大映の怪獣映画ならまだしも、ハリウッドのメジャー大作で「〜対〜」って映画を作るなんて、前だったらバカバカしくて企画にも挙らなかっただろう。 そんなハードルがガクッと下がっちゃったのは、やはり「エイリアンVS.プレデター」 (2004)からだろうか。あの手のやつが一個できれば、そりゃカネになるなら何でもいい訳だからバンバン出来ちゃう訳だ。僕に言わせりゃ「ハンバーグ・ カレー」みたいな映画だと思うんだが、「やっていい」って事になれば映画会社はやるだろう。それまでの実績があるのだから、理論上はその2倍の興行力が見 込めるはず。そもそも企画の貧困にあえぐハリウッドとしては、その解消にもつながる訳で一粒で二度美味しい発想だ。でもねぇ…。まぁ、この手の「企画」、 いわゆるアメコミの世界じゃあありふれているらしい。マンガじゃバットマンとスーパーマンも共演済み…どころか、同じ会社…DCコミックスのスター・キャ ラクターは「ジャスティス・リーグ」とかいうチームを組んで共闘しているらしい。それで「ジャスティスの誕生」ってサブ・タイトルがついてるんだな…と、 まぁこの時点で大体この映画の展開が見えちゃった訳なんだが。これってまぁ、先にマーベルが映画にしちゃってる自社キャラクター豪華共演作「アベンジャーズ」 (2012)も大いに引き金になってるに違いない。まぁ、正直言って何となく「一山いくら」感がしてならないのだが…。それでもまぁ、作りようによっては 興味深い題材にならない訳ではない。何せ「バットマンvsスーパーマン」なんだから。問題は今回のこの作品、実はワーナーがまたまた焼き直したスーパーマ ン映画「マン・オブ・スティール」(2013)の実質上の「続編」として作られているのが重要ポイントかもしれない。つまり、あの重っ苦しさで作られるというワケだ。「300」(2006)、「ウォッチメン」(2009)、「エンジェル・ウォーズ」 (2011)のザック・スナイダーが監督を続投するというのだから、そういう事なのだろう。スーパーマン役ヘンリー・カヴィルも続投である。ここだけの 話、あのスーパーマンを見事に重苦しく、見事にザック・スナイダー色に染め変えて破綻せずに作ったな…と感心はした。だが感心はしたものの、それはそんな 「染め変えっぷり」に感心したのであって、映画として好きとか素晴らしいとかは別問題。新しいスーパーマン役者ヘンリー・カヴィルにしたって、「シリアス 版」として作るならこういう役者、こういう演技だよな…と納得はしたものの、別に好きにもならなかったし感心もしなかった。その後、彼がナポレオン・ソロ を演じた「コードネームU.N.C.L.E.」 (2015)であれだけ魅力的に見えたということは、つまりそういうことなんだろう。その「マン・オブ・スティール」の「続編」にワクワクするかと言う と、「果たしてどんな映画になっているのか?」という興味でしかない気がする。しかも今回、新バットマン役者としてベン・アフレックという微妙な選択。ア フレックもせっかく「アルゴ」 (2012)以降また波に乗り始めたのに、何でわざわざリスクを負うような役を引き受けるのか。大丈夫なのか、この映画は?…と思っていたら、公開間もな く大ヒットはしたものの酷評の嵐。しかも、失速も早くて劇場数が激減しているではないか。ウカウカしてたら3D上映館がなくなってしまった。そんな訳で、 とりあえず慌てて見に行ったというのが正直なところ。

ないよう

  それは、幼いブルース・ウェインが両親と一緒に街を歩いていた時のことだった。大富豪の両親を狙って、拳銃を構えたならず者が立ちはだかる。思わずブルー スを庇った父は、たちまち凶弾に倒れた。さらにそこに割って入った母までもが…。広大な原っぱを、重苦しく長々とした葬列が進む。そんな葬列に、あのブ ルースが加わっていた。しかし両親が亡くなったという忌まわしい現実を受け入れられない彼は、葬列からはずれて、原っぱに走り去る。ところが地面に穴が開 いていて、ブルースはそこからはるか下へと落ちてしまった。とても上がれる高さではない。しかもその穴の奥には、何やら得体の知れない「何か」がウジャウ ジャとうごめいているではないか。次の瞬間、その「何か」はワッと一斉にブルースの方に向かって殺到した。それは羽ばたくコウモリの群れだった。だが無数 のコウモリたちはブルースを襲う訳ではなく、彼の周りをグルグルと旋回。渦を起こして彼のカラダを少しずつ持ち上げていくではないか。何とブルースは、無 数のコウモリたちの群れによって穴から救い出されようとしていたのだ…。それが、今は巨大企業体ウェイン・インダストリーズを率いる大富豪となったブルー ス・ウェイン(ベン・アフレック)の強烈な原体験となった。そんなブルースが大都市メトロポリスにやって来た時に、事件は起きた。メトロポリスには巨大な 宇宙船が飛来し、宇宙からやって来た赤いマントの男と、その同胞らしき悪漢との壮絶な戦いが繰り広げられていた。巨大ビル群が破壊され、街は大混乱に陥 る。この街にも自らの会社のビルを持つブルースは、クルマを飛ばしながら携帯で部下に避難を呼びかけていた。だが、時すでに遅し。赤いマントの男と悪漢と の戦いによって赤い光線が周囲に発射され、それがウェインの会社のビルを直撃。駆けつけるブルースの目の前で、ビルは一気に崩壊していく。激しい砂埃が舞 い散る中、崩れ落ちたビルの瓦礫で脚を挟まれた社員ウォレス(スクート・マクネイリー)の叫びに気づくブルース。ウォレスはブルースのおかげで何とか救い 出されたものの、両脚は激しく損傷していた。さらに、その場に立ち尽くす少女を間一髪で救ったブルースは、この惨状に言いようのない怒りを抱くのだっ た…。それから18カ月後の、インド洋某所。何者かが海底に沈んでいる巨大な構造物から、現地の若者たちが緑色の鉱物とおぼしきものを採取。「それ」を陸 に持って帰って来る。果たして、あの緑の鉱物は…? またもや舞台変わって、アフリカの某所。テロリストの親玉の前に連れて来られるのは、デイリー・プラ ネット紙の敏腕女性記者ロイス・レイン(エイミー・アダムス)。彼女は取材のためにカメラマンを連れて潜入したのだが、そこでカメラマンが探知機を仕込ん でいることがバレて絶体絶命。身柄を拘束されたロイスは、室内で拷問を受けるハメになる。ところがその頃、テロリストに加担していたはずのロシア人傭兵ア ナトリー・ニャゼフ(カラン・マルヴェイ)が、突然周囲の連中を殺し始めるではないか、そうとは知らぬロイスにいよいよ身の危険が迫ろうとしていた時、突 然彼女に危害を加えようとした男の方が猛烈な勢いで素っ飛ばされる。もちろん、ロイスの危機を察したスーパーマン(ヘンリー・カヴィル)が彼女を救ったの は言うまでもない。しかし、事はそう単純には運ばなかった。アメリカ議会の公聴会で、この事件でスーパーマンが「過剰防衛」を行ったのではないかという問 題提起が行われたのだ。特に上院議員のフィンチ(ホリー・ハンター)はその動きの急先鋒で、スーパーマンの「責任」を問うために実際に動き出した。一方、 ここは闇夜のゴッサムシティ。通報を受けた警官二人が薄暗いアパートに乗り込んだ。彼らが地下室に入ると、そこには檻の中に囚われていた多くの女たちがい る。警官は檻の扉を開いて彼女たちを逃がそうとするが、女たちは怯えて逃げようとしない。慌てて警官が上に上がると、そこには縛り付けられた男の姿があっ た。さらに警官が背後に気配を感じると、何と天井に何者かが貼り付いているではないか。バットマンだ! バットマンは警官に気づかれると素早くその場を立 ち去る。そして縛られている男の首筋には、コウモリ型の焼き印が押されていた…。隠れ家に戻って来たバットマンことブルース・ウェインは、自分の忠実な執 事アルフレッド(ジェレミー・アイアンズ)と昨晩のことを語り合っている。ブルース=バットマンが昨夜の犯罪者を叩いたのには、それなりに訳があった。彼 はゴッサムシティで悪の限りを尽くすナゾのロシア人アナトリーを追っていて、昨夜の男はその手がかりを持っているのではないかと睨んでいたのだ。しかし、 それは空振りに終わった。さらにアナトリーの足取りを追うことを誓うブルースだったが…。またまた舞台変わって、巨大企業レックス・コープの本社ビル。 レックス・コープの若き社長レックス・ルーサー(ジェシー・アイゼンバーグ)が例の上院議員フィンチたちを前に講釈を垂れていた。ルーサーが入手した緑の 鉱石がクリプトナイトと言われる物質で、スーパーマンや同じ星の住人たちに多大な影響をもたらすというのだ。これさえあれば、クリプトン星人が攻めてこよ うと…仮にスーパーマンに対してだって対抗できるかもしれない。こう言ってルーサーは、インド洋で大量に見つかったクリプトナイトのアメリカへの移送許可 を議員たちに懇願するのだった…。さて、スーパーマンことクラーク・ケントは、職場のデイリー・プラネット社のテレビで例のバットマンの働きを見て、「こ れじゃ自警団と同じだ」と憂慮する。そして、メトロポリスの広場に建立されたスーパーマンの像に抗議の落書きが書かれたニュースを同じテレビで見て、顔を 曇らせた。スーパーマンを取り巻く環境は、徐々に悪くなって来ている。そんな空気の変化を感じずにはいられないクラークだった。その落書きを行ったのは、 例のブルース・ウェインの会社で働いていたウォレス。彼はあの事故で両脚切断の憂き目に遭い、家庭も崩壊してしまったのだ。そんなウォレスのスーパーマン への恨みに、目をつけた人物がいた…。

みたあと

 いやぁ、何から書けばいいのだろう。正直言って ちょっと困った。ネット上の映画評もいろいろ見てみたけど、かなりとっ散らかっている印象でまるで参考にならない。ホメてる奴はホメてるし、ケナしている 奴はまるでダメみたいだ。アメリカでは公開一週間目はもの凄いスタートダッシュだったらしいが、すぐに急落してしまったと聞く。つまり、評価としてはボロ クソだったのだろう。では、オマエはどうなんだ?…と聞かれたら、実際のところ答えに困ってしまう。どうだったのかって? いやぁ、ひどい映画だったよ本 当に。ガッタガタの脚本だし。だけど駄作だとケナすつもりもないし、キライでもない。どうしてだって? だって「バットマンvsスーパーマン」だろ? ハ ンバーグ・カレーだろ? つまりそういう映画なんだから、それをどうこう言っても仕方ない。みんなこの映画に何を期待していたの(笑)?
ここからは映画を見てから!

こうすれば

 この映画のツッコミどころについては、もうあちこちで散々言われているから改めて僕が言うまでもないかもしれない。そもそも、スーパーマンとバットマン を戦わせる理由があまりに乏しい。それを無理矢理戦わせようとしているから、すごく動機が希薄で苦しい。バットマンなんて「敵になる可能性が1パーセント でもあれば潰す!」とか中坊のツッパリみたいなことを言ってるし(笑)。さらに普通の人間がコウモリ装束を着てるだけのバットマンと超能力を備えた宇宙人 のスーパーマンでは釣り合いがとれないから、そもそも戦いにはならない。だから戦いらしきモノが始まっても、すぐに終わってしまう上げ底ぶりなのだ。 JAROに電話すべき案件なのである。おまけに母親の名前が同じ…ってことは映画が始まってすぐに「そういえば」と気づいてはいたので、戦いがいよいよ始 まったあたりで「ナンチャッテかなぁ」などと冗談で思っていたら、本当に「ナンチャッテ」な結論だったのには腰を抜かした。ここまで深刻な語り口で、この アホな展開はないだろう。おまけにそれから何分も経たないうちに「彼の仲間です」とか名乗ってしまうバットマンって、どこまで単純な男なのだ。「敵になる 可能性が1パーセントでもあれば潰す!」と凄んでたのはどこへいったのか(笑)。それはそもそも、バットマンとスーパーマンというまったくテイストの異な るモノを無理矢理同居させているから生じている違和感だろう。プロデューサーのクリストファー・ノーランも監督のザック・スナイダーも、「マン・オブ・ス ティール」で何とかスーパーマンを「ダークナイト」 (2008)的なテイストに持ち込もうとしていたものの、こうして本家バットマンと並べてしまうとやっぱり無理してるところが見え隠れしてしまう。スー パーマンの出番になるたびにすきま風が吹いてシラケてしまう。濡れ場なんか「これってクラーク・ケントとロイス・レインなんだよな?」と苦笑してしまっ た。クリストファー・リーブとマーゴット・キダーのカップルが懐かしくなったよ。あとはスーパーマンを告発する理由が「行き過ぎたパワーの行使」だったは ずなのに、映画の終盤ではもっと派手に街を壊しているのに笑った。アレはどこに行っちゃったんだろう? しかもDCコミックスの他のキャラクターも今ひと つパッとしない奴らばかりで、終盤これからジャスティス・リーグが始まるってのにまったくワクワクして来ない。これはいろいろマズいんじゃないだろうか。

みどころ

  しかし、何度も言っているように、これは「バットマンvsスーパーマン」なので、いちいちケチをつけても仕方がない。それに、ちょっと気に入った点もいく つかある。一番良かったと思うのは、世評ではクソミソのベン・アフレックのバットマンだ。中には「ダークナイト」があんなに良かったのに…とか言ってる人 もいるみたいだが、そもそも「ダークナイト」が過大評価だから(笑)。「善と悪との対決を描く哲学的作品」とか言ってた人もいたけど、本気で言ってるん じゃないよね(笑)。これマンガだから。で、世間のみんながバットマンにどんなイメージを持っていたか知らないが、アフレックって最近どんどん三白眼の悪 党面になって来ていて、これがどこか後ろ暗いバットマンのイメージに意外にあっている気がする。何でみんながあんなにケナすのか分からない。だってバット マンだぜ? そしてレックス・ルーサーというとあのジーン・ハックマンのおチャラケたイメージがチラつくところを、ジェシー・アイゼンバーグを持ってきて 新風を吹き込んだのも良かった。「ソーシャル・ネットワーク」(2010)以来、オタクでイヤな奴を演じさせれば独壇場になって来た。これが本人にとって良い事なのかどうかは分からないが(笑)。まぁ、後は世評と同じになっちゃうが、いきなり呼ばれてないのに出て来るワンダーウーマンだろうか。「ワイルド・スピード EURO MISSION」 (2013)などに出ていたガル・ガドットがいいとこをさらっていた。そして、ビックリしたのは久しぶりのホリー・ハンター。最初見たとき、上院議員のオ バチャンが誰だか分からなかった。あの「ブロードキャスト・ニュース」(1987)でハツラツとしていたハンターがあれか…と、思わず感慨にふけってし まった。ただ、それもこれもオマケみたいなものだけれども。…でも、本作はそれでいいのかもしれない。繰り返すけれども、これは「バットマンvsスーパー マン」だ。ハンバーグ・カレーに、肉の質やらルーのコクを要求するのは大人げない。目くじら立ててどうこう言う映画じゃないから。むしろ思い切りバカ映画 であることを前面に出したのは、ヘンにもっともらしく見せかけていた「ダークナイト」なんかより数倍マシな気がする。ただし、マーベル「アベンジャーズ」 と比べると数段格落ちの雰囲気が今から漂ってしまっているのは、少々ヤバい気がしないでもないが。それにしても、本作といい「シビル・ウォー/キャプテ ン・アメリカ」(2016)といい、ヒーロー大暴れによる二次災害みたいなことを云々するようになるなんて、ちょっと「ガメラ3/イリス覚醒」 (1999)みたいなテーマにも思えるが、何だか夢も希望もなくなってきちゃった気がする。これってこの手の映画の場合、自分で自分の首を絞めるようなこ とになりかねない気がするんだけど…。

さいごのひとこと

 題名にないワンダーウーマンがオイシイ役どころ。

 

「ボーダーライン」

 Sicario

Date:2016 / 05 / 02

みるまえ

  エミリー・ブラントって女優さん、いつ頃出て来て、どんな代表作があったんだか分からないが、ともかくいつの間にか主演級にのし上がって来た女優さん…と いうイメージがある。そんなエミリー・ブラントの主演最新作のチラシを劇場で見かけると、何と整った美人の彼女が完全武装という絵ヅラではないか。あの「オール・ユー・ニード・イズ・キル」 (2014)で、意外に重火器を構えた格好がサマになっていたのを買われての起用という訳なのか。そんな彼女を取り囲むように共演するのは、ベニチオ・デ ル・トロとジョシュ・ブローリンという辛い魅力の男優二人。お話は、メキシコ国境あたりでの麻薬組織との戦いを描いたもののようだ。デル・トロと来てメキ シコ麻薬組織との戦いと来ると、「トラフィック」 (2000)が思い出されるが、こちらはもっとハードな仕上がりのような雰囲気がある。そこで監督は…と見ると、みなさんご存知のあのドゥニ・ヴィルヌー ヴ。今ついつい「あの」と書いてしまったが、確かにこのドゥニ・ヴィルヌーヴなる監督は近年いつの間にか「あの」と映画ファンにドヤ顔で語られるように なった人物だ。しかし、ホントにいつの間にみんながみんな「あの」と言うような人になったんだろうねぇ。恥ずかしながら、そして残念ながら、僕はこのドゥ ニ・ヴィルヌーヴの映画を見たことがない。それでよく映画ファンづらをしてるな…と言われそうだが、機会を逃しっぱなしだった。前作にあたる「複製された 男」(2013)は面白そうで見るつもりだったのに、結局見れずに見逃したまま。その監督がドゥニ・ヴィルヌーヴだと知ったのは、ちょっと後のことだっ た。ならば、今回ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作初体験とシャレ込むのも悪くない。ネットを見ると本作もあちこちで絶賛されているようだし、ちょっと面白そう ではある。役者の顔ぶれも悪くない。そんなこんなで、僕は劇場へと足を運んだのだった。

ないよう

 アリゾナ州 の荒野に建った一軒家。そこに静かににじり寄る、完全武装で重火器を持った男たち。今やこの殺風景な一軒家は、FBIの武装集団に包囲されようとしてい た。そして、その一軒家に向かってひた走る装甲車。車内には、張りつめた緊張感の中にある完全武装のFBI捜査員たち。その中に、女性捜査官ケイト・メイ サー(エミリー・ブラント)とその相棒レジー(ダニエル・カルーヤ)もいた。やがて装甲車はその一軒家に突っ込む。壁を突き破って飛び込んで来た装甲車に 家の中の男たちは動転するが、すぐに気を取り直して応戦。たちまち家の各所で銃撃戦が展開した。家の各部屋を次々制圧していく捜査官たち。その先頭に立つ ケイトは、意を決して最後に残った一室に踏み込んだ。すると、中からいきなり激しい銃撃。辛くも弾丸をかわしたケイトは、カラダのバランスを崩しながらも 条件反射的に相手を仕留めていた。一歩間違えば自分がブチ抜かれていたところ。肝を冷やして撃ち抜かれた自分の背後の壁を見つめたケイトは、そこに「何 か」が見えているのに気づく。それは…ビニール袋を頭から被せられた腐乱死体。それも一体や二体ではない。壁をはがしていくと次から次へ…壁いっぱいに遺 体が埋め込まれているではないか。しかも、遺体が埋め込まれているのはその壁だけではなかった。部屋という部屋の壁に、目一杯遺体が埋め込まれていたので ある。さすがに歴戦のツワモノであるケイトも、上司のジェニングス(ヴィクター・ガーバー)でさえも、これには胃の中が煮えくり返るのを止めることが出来 なかった。ケイトたちは今回、誘拐事件の人質救出のために出動してきたのだが、結果的に最悪の結末を迎えてしまったことになる。おまけに…外の物置を調べ ていた同僚たちが、仕掛けられていたワナの爆弾で吹っ飛ばされるというダメ押しまで起きる。自らも爆風で吹き飛ばされたケイトは、悲惨な状況を目にしなが らやりきれない思いを抱くのだった。その後、FBI本部に戻ったケイトとレジーは、会議室の外で待機させられる。ガラス張りの会議室の中では、ジェニング スはじめ上役たちの打ち合わせが延々続いていた。やがて扉が開いて、ケイトのみが中に呼ばれる。イヤな予感がしながらも偉い面々の前に呼び出されたケイト は、そこに一人見慣れない男が座っているのに気がついた。実はその男こそ、特別捜査官のマット・グレイバー(ジョシュ・ブローリン)。ここでケイトが呼ば れたのは、グレイバーの「ご指名」で彼女がスカウトされたからだ。実は今日制圧した一軒家は、メキシコの麻薬組織ソノラ・カルテルの幹部であるマヌエル・ ディアスの持ち物だった。そしてグレイバーは、ソノラ・カルテルとマヌエル・ディアスを叩き潰す特殊チームのリーダーだったのだ。ケイトはこの特殊チーム にスカウトされた訳である。突然の話に戸惑うケイトだったが、事がソノラ・カルテルの撲滅となれば話は別だ。つい先ほどの惨劇の記憶もまだ鮮烈なケイト は、一も二もなくこの作戦に志願するのだった。そんな訳で翌日、約束の空軍基地にやって来たケイトは、グレイバーに小型ジェット機の中に招き入れられる。 ところがそこには、後からアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)というナゾの男も乗り込んで来るではないか。だが、ケイトには一切説明はない。紹介も何も ない。話しかけても場違いな空気しかない。とてもスカウトされた雰囲気ではなく、ただただ居心地の悪さだけを感じるケイトだった。やがて飛行機は飛行場に 降り立ち、グレイバー、アレハンドロ、ケイトの3人は武装した男たちが打ち合わせる部屋へとやって来る。すでに作戦会議らしきものが行われているらしい が、説明を一切聞いていないケイトには何が何やら分からない。聞いてもグレイバーもアレハンドロも教えてくれる訳ではない。ただひとつ分かったことは、こ れから一同でクルマに乗り、国境を超えてメキシコのフアレスに行くこと。フアレスで捕まっているディアスの兄ギエルモの身柄を引き取って戻って来ること… の2点だ。こうして特殊部隊は何台かのクルマで出発。訳が分からぬままケイトも一緒に連れて行かれることになる。特殊部隊は特別扱いらしく、国境通過も優 先で道を空けてもらう。さらに途中からメキシコ警察のクルマも合流してのモノモノしい一団となったが、同乗する特殊部隊の男が「メキシコ警察など信用でき ない」などと吐き捨てるから、ケイトはまったく心が休まらない。フアレスの市内に入っても、殺伐とした市内の様子に肝を冷やすばかりだ。そんなこんなであ る建物に到着した一行は、例のギエルモを引き取る。こうして一行は元来た道を戻ることになる訳だが、渋滞のため道を変更せざるを得ない。そんな一行と平行 したルートで追って来るナゾのクルマなどもあって、緊張はイヤが上にも増すばかり。こうしてアメリカ国境のすぐ手前までやって来たものの、完全な団子状態 でクルマがまったく動かなくなってしまう。こうなると、状況は一触即発。周囲からの連絡では、いかにも怪しげな連中が乗っているクルマが、特殊チームの近 くに停まっているようだ。するといきなりグレイバー、アレハンドロはじめ特殊チームの面々が、みんな銃を構えながらクルマから降りてしまうではないか。他 にも一般の民間人のクルマが渋滞で停まっている中で、ドンパチやらかそうというのである。たちまち怪しい連中のクルマに近づいて、先制攻撃を浴びせる特殊 チーム。あちこちで激しい銃撃戦が行われる中、唖然とするばかりのケイトも何者かがクルマに接近してくるのに気づく。次の瞬間、ケイトもまた敵に向かって 引き金を引いていた。そんなこんなで何とか国境超えを果たした特殊チームたち。民間人を巻き添えにしかねない無茶なやり方に意義を唱えるケイトを一顧だに せず、グレイバーはこう言い放つのだった。「これが現実だ、ここから君は学べ!」
ここからは映画を見てから!

みたあと

  正直言って、かなり衝撃を受けたことは白状しなくちゃいけないだろう。同じアメリカ・メキシコ国境での麻薬戦争を描いた映画で、同じベニチオ・デル・トロ が出ている「トラフィック」(2000)とは大違い。あの作品は大好きだが、本作とは違ってある意味「安心して」見ていられる。だが、こちらはまったく気 を許せる瞬間がない。何しろ主人公ケイトと同じく何が何だか分からないままメキシコに連れて行かれて、何が何だか分からないままヤバい橋を渡らせられる。 最後まで何が何だか分からないまま、事態はどんどんヤバさを増していく…といった具合。確かにこれは衝撃を受ける。ネット上での映画評などでも、まるで劇 中のジョシュ・ブローリンのセリフみたいに「これが麻薬戦争の現実だ!」などとドヤ顔で書いてあるものが多い。なぜメキシコから遠い日本で映画を見ている だけで「これが現実だ!」などと断言できるのか根拠が分からないが(笑)、それくらいリアリティが感じられるのは間違いない。こちとら「あの」ドゥニ・ ヴィルヌーヴ初体験だからして、なるほど演出にパンチがあると感心した。ただちょっと引っかかったのは、エミリー・ブラント演じる主人公のこと。「清濁合 わせ飲む」ようなジョシュ・ブローリンたち率いる麻薬捜査最前線で、ドラマがかなり進行していろいろな事を自分でも体験し、いいかげんある程度状況が見え 始めた頃に至っても、この主人公が…こう言っちゃ何だがいつまで経っても生硬な主張を繰り返している点だけが少々現実味がないように感じる。理屈抜きでヤ バい状況なのはいいかげん分かって来ているのにも関わらず、いつまで経っても小学校の学級委員の女の子みたいに「こういうのはいけないと思います!」と 言ってるみたい(笑)なのがちょっとあり得ない感じなのだ。おそらくは「あの」ドゥニ・ヴィルヌーヴの狙いとしては彼女の視点イコール我々観客の視点で あって、だからいつまで経ってもイノセントな部分を残しているのだろうと思うが、それにしたってねぇ…。何しろ観客側だって映画を見ているだけで「これが 現実だ!」って思えるくらい(笑)なのだから、ヒロインに対して「いいかげんそれが通用するワケないって気づけよ」…って思ってしまう。一種の倫理観が テーマな訳なんだが、いつまで経っても甘っちょろいことを言ってるアホ…みたいに見えてしまって、正直言って後半はイライラさせられたりするのだ。…って いうか、このドラマの中でこいつって要らなかったんじゃないの?…って気にさえなってしまう。物語上でも、CIAが「FBI捜査員との“共同”で行う」と いう名目が必要だったからヒロインを利用しただけ…ということになっているので、「要らない」と見えるのはある意味当然と言えば当然だが、僕が言いたいの はそういう意味ではない。ドラマ構成の上でも「要らない」存在に見えちゃってる気がするのだ。ただ、そこを除けば確かに横っツラをひっぱたかれたような衝 撃はあるので、さすがドゥニ・ヴィルヌーヴ…的なものは十分感じられた。なるほどこれが「あの」…と、彼の作品を初めて見る僕なんかは大いに感心した訳な んだが、ただ何となく見た後でモヤモヤも残るのだ。ましてネットで「これが現実だ!」的な映画評を見るにつけて、そのモヤモヤは消えるどころか増すばか り。一体これはどういうことなんだろう?

みどころ

  先ほど「横っツラをひっぱたかれたような衝撃」と思わず書いてしまったが、本作の「衝撃」というのはまさにこれ。主人公ケイトも観客の我々も「何が何だか 分からないまま」物語の核心に引きずり込まれるため、心の準備も出来ないままに次々とヤバい事態を目の当たりにすることになる。それでついつい「これが現 実だ!」などと言いたくなってしまうんだけど、そもそもここで描かれている麻薬組織の「ヤバさ」ってそんなに斬新かつ見たことも聞いたこともなかったもの だったのだろうか。いやぁ、そりゃあ違うだろ。例えばリドリー・スコットの「悪の法則」 (2013)でも「安心して」見ていられるレベルだった「トラフィック」でも、メキシコの麻薬組織のヤバさはそれなりに描かれていた。その「ヤバさ」自体 は別に目新しいモノでも何でもない。今回、誰も見た事も聞いた事もないものを世界で初めて見せた訳ではないのである。では、なぜ今回に限って「これが現実 だ!」などと言いたくなるほど「リアル」に感じられたかというと、それは描かれた「内容」ではなくその「描かれ方」にミソがあったからに違いない。それが つまり、「横っツラをひっぱたかれたような衝撃」なんだろう。だが、なぜ僕ら観客がその「横っツラをひっぱたかれたような衝撃」を感じたかというと、そこ にはいささか胡散臭いものが感じられない訳ではない。例えば真っ暗なお化け屋敷でいきなり上から何かが落ちて来てビックリしたとして、それはお化けの人形 が落ちて来ようとドラえもんの着ぐるみが落ちて来ようと、何がどうあれ「何か訳の分からないもの」が落ちて来たからビックリするのだろう。それはある意 味、「本当の怖さ」ではない。映画では主人公ケイトは「何が何だか分からないまま」捜査の最前線に叩き込まれてボコボコにされる。もちろん「あの」ドゥ ニ・ヴィルヌーヴには演出上の作戦があって、リアルな衝撃を味わって欲しいから「観客代表」であるヒロインを説明もなしに衝撃的な状況に放り込んだ…と言 いたいところなのだろう。確かにこれはある意味では正しいのだが、本作ではそれがいささか「アンフェア」な領域まで突入しちゃっている感じがする。いくら ヒロインの捜査参加は「建て前」であり、ジョシュ・ブローリンたちには「どうでもいい」要素だったとしても、あそこまで彼女に何も説明なしでやる必要は あったのだろうか。いちいち説明するのは面倒臭い…としても、いくら何でも何も説明しなさ過ぎ。ひとつ間違えば捜査自体を危うくしかねないのだから、ウソ でも最低限の情報共有は必要だっただろう。僕は見ていて「これはヒロインに対する一種のイジメなのか」と首をひねったくらいだった。アレがジョシュ・ブ ローリンじゃなくて泉ピン子なら分かるよ(笑)。あそこまで説明を「わざとしない」必要があったのか。つまり、「わざと」だと思うくらい情報を隠蔽してい るというのは、ヒロイン=観客に与える「衝撃」を出来るだけ大きくするためだったのだろう。しかし、それって…メキシコの麻薬組織のヤバさ、そんな麻薬捜 査最前線のヤバさ…からくる「衝撃」とは違うのではないか。単に何が何だか分からないでボコボコにされる「衝撃」でしかないのではないか。でも、それで は…別に出て来るラスボスが麻薬組織でなくても、ゾンビでもガマ大将(笑)でも何でもいいということになりはしないか。テーマである「善悪の境界線」だっ て、正直言ってそんなに新味がある話じゃない。犯罪捜査…特に麻薬に関する題材ではとっくに踏み越えちゃってて驚くようなモノではないはずだ。もっと無茶 をやる警官や刑事が出て来る映画なんて、いくらでもあったではないか。それなのに…なぜ本作に限って急に観客が「これが現実だ!」などと言いたくなってし まうのか。それこそが、やはり「何が何だか分からないでボコボコにされる衝撃」効果なのだろう。よくよく考えてみると、それほどビックリする話ではないは ずなのである。途中で何度もメキシコの平凡な警官の日常が意味ありげに挟み込まれるが、これも意外に大したことではない…というコケ脅し。正直言ってドラ マづくりとしてはいただけない。一事が万事この調子なのだ。そりゃあ相手の頭に袋を被せて、後ろからメッタ打ちにすればどんな弱い奴でも勝てるよ…レベル の、ちょっと姑息なやり方に思えてしまうのだ。そもそも、「これが現実だ!」って我々観客に上から目線で言えるほど、「あの」ドゥニ・ヴィルヌーヴ大先生 は麻薬捜査の最前線で活躍でもされていたんだろうか。そのドヤ顔が何かインチキ臭く感じられるのは、僕の偏見なのだろうか。確かにインパクトもあるし演出 力も感じられるが、僕にはそんな違和感が最後までどうしても拭えなかったのである。

さいごのひとこと

 ブローリンはヒロインに恨みでもあったのか。

 


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