新作映画1000本ノック 2016年3月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「最愛の子」 「ドラゴン・ブレイド」 「白鯨との闘い」

 

「最愛の子」

 親愛的 (Dearest)

Date:2016 / 03 / 28

みるまえ

  香港でちょっとシャレた楽しい映画を作る男…というのが、「君さえいれば/金枝玉葉」(1994)あたりを発表してた当時のピーター・チャンの評価だった はず。イキのいい監督とは思ったが、それほど傑出した存在とは思っていなかったし、重みや深みのある映画を撮れるとは正直思っていなかった。それの評価が 大きく変わったのは、やはりあの傑作「ラヴソング」(1996)から…ということになるのだろう。中国への返還を目前にした香港の人々の思いを象徴するか のような内容で、一気にピーター・チャンは映画作家としての風格を兼ね備えたように見えた。そのエンディングがアメリカを舞台にしていたのをなぞるよう に、ピーター・チャンがハリウッド入りしたのも当然と言えば当然。ジョン・ウーがハリウッドで成功していたこともあり、元々がハリウッド風ソフィスティ ケーテッド・コメディの香港版みたいなところがこの人の得意としていたジャンルだったから、誰もそのことを不思議には思わなかった。本人だってそうだろ う。ただ、向いているように見えるのと実際に向いているのとは大違い。ハリウッドを通過してからのピーター・チャンの長らくの沈黙は、何より彼が受けたダ メージの大きさを物語っていた。その後に続く「ウィンター・ソング」(2005)、「ウォーロード/男たちの誓い」(2007)、「捜査官X」 (2011)といったフィルモグラフィーも、映画作家としての自分自身を問い直したり中国人としてのアイデンティティーを再確認したりといったかなり屈折 した作品群を形成。ハリウッド後のピーター・チャン作品は、良くも悪くも一種の陰りを帯びるようになったと思う。そんなピーター・チャンが現代中国を舞台 にした映画を初めて作った…と聞けば、そりゃあ見ない訳にはいかないではないか。おまけに出演しているのがかつてアイドル的人気を誇ったヴィッキー・チャ オやら「天安門、恋人たち」(2006)や「二重生活」 (2012)といったロウ・イエ作品でおなじみハオ・レイ…というのも、大いに気になるところだ。周囲からもいい評判が聞こえて来ていたので、見たい見た いとは思っていた。なのに見るのが終了間際になって、しかも感想文を書くのがさらに遅れたのは、ただただ僕の怠慢のせいである。

ないよう

 2009 年、中国の深圳。何十本ものケーブルが、入り組んで壁を這わされている、下町の一角。そこによじ上ってケーブルの配線をいじっているのが、この街でネット カフェの店を営むティエン(ホアン・ボー)という男。彼がウッカリどこか間違っていじったのか、近所のテレビが写らなくなったりと、てんやわんやな庶民生 活の光景だ。そこに帰って来たのが、ティエンの一人息子ポンポン。連れて来たのは、ティエンの別れた妻ジュアン(ハオ・レイ)だ。ジュアンはシャレたオ フィスで働くキャリアウーマンであり、そのせいかポンポンの親権はティエンが手に入れた。今日はジュアンの面会日だったのだ。そんな二人は、ポンポンの育 て方ひとつとっても言い争いになってしまう。そんなある日、子供たちがティエンのネットカフェにやって来て、「ローラースケートを見に行こう」とポンポン を誘う。ちょうどその時、店の中で客同士が揉め始めたのも運が悪かった。客の仲裁に入らなければならなかったティエンは、ついつい子供たちにポンポンを任 せてしまう。子供たちと一緒に出かけたポンポンはしばらくローラースケートをしている別の子供たちを見ているが、すぐに飽きてよそ見をし始めた。すると… そこにはクルマに乗り込んで立ち去ろうとする、母親ジュアンの姿が見えるではないか。走り去って行くクルマを追って、自らも走り出すポンポン。思わず「マ マ〜!」と呼ぶポンポンの声は、車内のジュアンに届いたかどうか。ジュアンは一瞬サイドミラーを一瞥するが、すぐに視線をそらしてクルマを走らせてしま う。幼い足では追いつける訳もなく、ポンポンはなす術もなくその場にとり残されてしまった。そんなポンポンを…次の瞬間、一人の男が抱えて立ち去ってしま う…。すでに外も暗くなってきて、ネットカフェの騒ぎが一段落したティエンは息子のことが心配になり始める。いくら何でも遅過ぎる。ポンポンと一緒に出か けた子供のひとりを捕まえて聞いてみるが、彼はすでにポンポンが帰っていると思っていた。さすがに不安を感じ始めたティエンは近所をしらみつぶしに探す が、ポンポンの姿は見つからない。警察に捜査を頼み込んでも、「24時間経たないと動けない」と役人根性丸出しの返事で役に立たない。ジュアンの元に行っ たのでは…と再婚した彼女の家に乗り込むが、逆に責められやり込まれる始末。こうしてジュアンや近所の人や知り合いなどを総動員で、ティエンは焦りに焦っ て探し始める。ついには駅にまでやって来るティエンだが、結局、ポンポンを見つけることはできない。後に警察が駅の監視カメラの映像を入手すると、そこに は男に連れ去られるポンポンの姿が写っているではないか。しかし、今さらすべては遅い。この時点でティエンとジュアンは、ポンポンが手の届かないところに 行ってしまったことを悟るのだった…。2010年、ティエンはチラシを配りポスターを貼って、ポンポンのことを知らせようと努力している。得意のネットを 使って、何とか情報を集めようともしている。それが功を奏したのか、ポンポンを見つけた…という情報も後を絶たない。ただし…それが真実かどうかはまた別 の話。発見者に懸賞金を出すことになっているため、怪しげな話ばかりが舞い込んで来る。その日も遠い地方都市まで大金を持って出かけて行ったティエンは、 待ち合わせ場所の駅前へとやって来る。ただし、ティエンもバカじゃない。ヤバい気配を感じたら、いつでも退避する用意をしている。案の定、怪しい連中が数 人がかりで出て来たので、ティエンは慌ててその場を離れる。しかしゴロツキどもも金づるを簡単に逃がしはしない。悲しいかな不案内な土地を逃げるティエン は、たちまちゴロツキどもに橋の真ん中まで追いつめられる。刃物をチラつかされ絶体絶命。いよいよ進退窮まったティエンは、目をつぶって橋から遥か下の川 に飛び込んだ。深い川の水に飲み込まれて、そのまま沈んで行くティエン。そんな彼が息を吹き返したのは、やはりポンポンに一目会いたいという思いからだろ うか。一方、ジュアンも新しい夫とギクシャクしたものを感じ始めている。結局、新しい夫はこの件に関してはどこまでいっても「他人」なのだ。そんなジュア ンはティエンの誘いで、「行方不明児童の親の会」に参加する。ここは、みな同じ苦しみを経験した親たちの集まりだ。その会長であるハン(チャン・イー) も、もちろん自分の子供を奪われている。この会に参加することで、ティエンもジュアンもほんの少しではあるが救われる気がした。やがてこの会の面々が、貸 し切りバスを仕立てて遠出をすることになる。とは言っても、当然のことながら旅行ではない。子供たちを誘拐して売り飛ばしていた犯罪グループが捕まったた め、彼らから情報を聞き出そうというワケだ。しかし、バスの車内はみんなで歌をうたうなど和気あいあい。車内には同じ経験をした者同士でしか持ち得ない、 ある種の共感が流れていた。こうして拘置所にやって来た一行だったが、捕まっている連中を片っ端から問いつめても、役に立つ情報は何も得られなかった…。 こうして事件から3年が経った2012年、ティエンは建物の大家から追い立てられてネットカフェを断念。いつポンポンが戻って来ても分かるように…と、近 所で屋台を出して生計を建てている。そんなティエンのもとに、驚くべき情報が飛び込んで来る。何とポンポンと思われる男の子が、安徽省の農村にいるという のだ。早速、ジュアンとハンを伴って現地へ飛ぶティエン。山奥のド田舎にある貧しい農村にやって来た彼らは、そこに一人の男の子を見つける。ティエンと ジュアンが近づいて見ると、男の子の額に見覚えのある傷跡があるではないか。ポンポンだ! 狂喜してティエンが男の子を抱きかかえたちょうどその時、家か ら一人の女が出て来るではないか。彼女の名はホンチン(ヴィッキー・チャオ)。その男の子の「母親」だ。彼女は男の子を抱えたティエンを見て、たちまち表 情を変えて叫び出す。「誰か来てっ! 人さらいよ!」…。

みたあと
 一言でいって強烈な作品。ここでは今の中国が抱える問題がてんこ盛りになっていて、もちろん中心にど〜んと行方不明児童の問題があるのだが、それ以外に も都市部と農村部の格差の問題、一人っ子政策の弊害の問題、蔓延する官僚主義の問題…などがすし詰め状態で入っている。そういう意味では、ロウ・イエの最 新作「二重生活」にもどこか通じるところがある作品になっているのだが、こちらはさすがエンターテイナーのピーター・チャン、あくまでハイブロウな作品で はなく、泣かせて笑わせて楽しませる松竹映画もビックリ、キッチリと血の通った作品に仕上がっている。前述のストーリー紹介はお話のおよそ半分ぐらいで、 残り後半は今度はポンポンの「育ての親」となるホンチン(ヴィッキー・チャオ)中心の構成。ホンチンはホンチンで「母親」としての情に溢れた人物で、何と か「わが子」を取り戻そうと奔走。さらわれたポンポンにとっても彼女が「母親」となってしまっていて、子供を奪還したはずのティエンとジュアンは新たな苦 しみを味わうことになる…という、もつれ過ぎて解決の糸口もない状況となっている。本来ならば題材が題材だし、このような展開なので救いがまったくない。 見ていて重過ぎて苦痛になりそうなお話だが、そこがそうはならないのはピーター・チャンならではの語り口のうまさなのだろう。かなりヘヴィーな話なのに娯 楽映画としての「うまみ」もたっぷりで、一気に見せられるから大したものだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ
 冒頭にもつれたケーブルを写し出して、これから展開する物語を暗示するあたりは「うまい」と言えば「うまい」が「あざとい」と言えば「あざとい」。しか し、ピーター・チャンは役者の使い方が絶妙なのだ。特にエレキギターでおなじみ寺内タケシみたいな顔をしたティエン役ホアン・ボーが絶妙。これが妙にシリ アス系の役者だと重くなってしまうところを、「西遊記/はじまりのはじまり」 (2013)で孫悟空役の彼を持って来たあたりが絶妙。彼が演じることで軽さが生まれ、切なさや哀愁も漂った。ハオ・レイは「二重生活」の延長線上みたい な感じ(笑)だが、「今の中国」を感じさせる女優さんってことなんだろう。そして、各方面で絶賛のヴィッキー・チャオは確かに達者。田舎のオバチャンの、 良くも悪くも素朴でストレートな言動を見事に表現していた。だが僕が最も感心したのは、ドラマ後半でそのヴィッキー・チャオ演じるホンチンをサポートする 若き弁護士役トン・ダーウェイ。最初は田舎者を見下す典型的な俗物に見えて、イヤイヤこのオバチャンとつき合っているうちに何だかんだと面倒を見るハメに なる。一方で自分が務める法律事務所の血の通っていないやり方に鬱屈した思いを抱き、家に帰れば痴呆の母親に心を痛める…と、非常に重層的でリアルな人物 造形が出来ている。トン・ダーウェイ自身の演技も素晴らしいが、こうした厚みのある人間像を作り出したピーター・チャンの演出力にも感心。これはなかなか 出来そうで出来ない。こうした「重層的」な作りはドラマ自体にも見られ、先ほども述べたような「二部構成」の作りも効果的。ラストでヴィッキー・チャオ演 じるホンチンが自らの妊娠を知って崩れ落ちるという幕切れも、「絶望的」と単純に言うだけでは語り尽くせない微妙なニュアンスが漂う。これは本当にスゴい エンディングだ。そもそも田舎の素朴な「おっかさん」であるホンチンを、ただただ母性の権化のように善良に描いているように見せながら…実際のところ、最 初にポンポンが連れて来られた時には寂しさと悲しさで打ち拉がれていたはず。当然、ポンポンがさらわれてきたことを、ホンチンが気づかないはずはないの だ。それを考えると、彼女の愚鈍なまでの素朴さをただ「善良」とだけ捉えていいのかどうか。映画の面白さを知り尽くし、語り口のうまさに定評あるピー ター・チャンではあるが、意外に意外な「ドス黒さ」もチラつかせているのである。チャン・イーモウあたりがやりそうなストレートな泣かせドラマとは違う、 複雑な味を出していたのが意外な成熟ぶりだ。また、どんどん病んでいくティエンとジュアンが「行方不明児童の親の会」に入って息を吹き返し、楽しげな表情 を取り戻すあたりもリアルだ。年齢を重ねていけばいくほど思うのだが、人間は結局人ごとには共感しきれない。自分の身に起きたこと以外は分からない。だか ら経験を重ねれば重ねるほど、どんどん人と分かり合えなくなって孤独になっていくのだ。これは別に、子供をさらわれた親…でなくてもみんな同じなのであ る。そんな「同じ体験を共有した者でしか分かり合えない」感情が、実にうまく描かれていて驚かされた。まさにピーター・チャン、侮り難し…だ。そして、近 年のピーター・チャンのフィルモグラフィーを考えても、本作は注目に値する。ハリウッドでの挫折でしばらくの沈黙を守って、裏「ラヴソング」とでも言うべ き「THREE/臨死」 (2002)の中の短編で現場復帰。「ウィンター・ソング」で映画作家としての業みたいなものを吐き出した後は、「ウォーロード/男たちの誓い」、「捜査 官X」…と自らの中国人としてのアイデンティティーをひたすら探求していた。それはハリウッドでコテンパンな目に遭った彼としては、当然の成り行きだった だろうと思われる。そんな一連の流れから考えると、本作は彼の作品歴の中でもさらに一歩踏み込んだ内容だ。いわゆるピーター・チャンの「中華への回帰」の 第2段階とでも言うべきか、あえて現代中国に蔓延する問題点を総ざらいするような内容を狙ったあたりが、彼の「中華回帰」の本気を感じさせる。そんな意味 も含めて、本作はピーター・チャンの成熟ぶりを改めて感じさせた。

こうすれば

 そんな訳で、娯楽映画としても一級品な上にそれにとどまらない「分厚さ」も兼ね備えた一作。それで終われば言うことなしの作 品だったのだが、最後の最後にちょっとビックリする趣向が…。クロージングタイトルが流れるのと平行して、荒れたビデオ画像が紹介される。本作のストー リーは「実話」が基になっているとのことで、そのモデルとなった人々の「実写」映像が出て来るのだ。それだけなら、この「事実は小説より奇なり」を地でい くお話が「真実」であるという補強として、それなりに効果を挙げていたかもしれない。ところが本作のクロージングは、それだけにとどまらない。何とモデル の人々の実写映像を、本作の出演者たちが試写室で見て涙ぐむ…という映像が付け加えられているのだ。いやいや、まだまだそれだけならば何とか僕も踏みとど まれた気がする。ところが、出演者たちの映像はさらにエスカレート。出演者たちの前に「モデル」となった人々が登場し、一種の交歓会が催される光景を写し 出し始める。いやぁ、これはさすがに…僕はちょっとこの感覚にはついていけない。醜悪というのか偽善というのか…ピーター・チャン含めてこの作品の関係者 がこれを「良いこと」として描いているのは間違いない。しかし第三者的にこの光景を見ていると、正直言ってサーッと気持ちが醒めていくと言わざるを得な い。そのサメっぷりたるや…スピルバーグの「シンドラーのリスト」(1993)のエンディング、出演者が実在人物の墓に花を捧げる、あの心が凍えそうな墓 参りの場面といい勝負。これを観客に向けて「いいでしょ? いいでしょ?」と見せているピーター・チャンの考えが、まったく理解できない。まして僕は ヴィッキー・チャオ演じるホンチンというキャラクターに少なからず疑問を感じていただけに、ますます気分がどんよりしてしまった。そこまでの作品そのもの の出来が素晴らしいだけに…このエンディングにはただただショック。あの「ラヴソング」の名手ピーター・チャンが、これはないだろう。そして、本作の感想 やレビューがただただ絶賛あるのみで、この件について疑問を感じているモノがまったく見受けられないあたりにも、僕はちょっと驚いているのだ。みんなこれ を見て、何かおかしいと感じないのか? だとすると、僕の「常識」は世間のそれとすでに合わなくなってきているのかもしれない。

さいごのひとこと

 これぞ、まさに蛇足。

 
 

「ドラゴン・ブレイド」

 天将雄師 (Dragon Blade)

Date:2016 / 03 / 14

みるまえ

 ジャッキー・チェンは念願のハリウッド上陸を果たした後、大きく変貌して来たように思う。近いうちにカラダが動かなくなることも考えてか、それまで扱わなかった題材や演じなかった役柄もこなすようになって来た。特に「新宿インシデント」 (2009)以降はかなりシリアスな役柄にも挑戦して、それなりの成果を上げている。シリアスな役柄で歴史劇という「1911」(2011)などは、その 典型と言っていいだろう。本作もまた、そんなジャッキーの意欲作である。時は紀元前…シルクロードにおけるローマ帝国軍とジャッキーたち中国勢との戦いと いうお話。おまけに共演に大物ジョン・キューザックとエイドリアン・ブロディを迎えての超大作と来る。今までそれっぽい「THE MYTH/神話」 (2005)みたいな作品もあるにはあったが、ストレートなスペクタクル史劇大作への挑戦はこれが初めて。さらに、それなりに「格」のあるハリウッド・ス ターと互角の共演を果たすというのも、今までなかったパターンだ。キューザック、ブロディとも、演技力もスターバリューも申し分ない存在である。だから、 本来だったら本作は絶対見逃せないところ。しかし…なぜか本作は公開されてもヒッソリ。実は僕なんか、公開されていることすら気づいてない有様だった。気 づいた時には、すでに終了間際という寂しさ。慌てて劇場へと駆けつけたという訳だ。残念ながらそれからヤボ用で感想文を書くのがさらに遅れ、このタイミン グになってしまった。大変申し訳ない。

ないよう

 紀元前50 年、前漢時代のシルクロード。多くの民族が交錯する砂漠地帯では、常に大なり小なり一触即発の状況が続いていた。今日も今日とてそんな諍いが部族間で起き ようという時、荒野の彼方から駆けつけたのはフォ・アン(ジャッキー・チェン)率いる西域警備隊の面々。いずれも屈強な男たち揃いの西域警備隊の面々では あるが、隊⻑のフォ・アンのモットーである平和主義を一同も実践。武力で鎮圧…という手段は極力採らず、出来る限り交渉と説得によって国境防衛と治安維持 を行おうという、華も実もある男たちの集団である。この日も対立し合う二つの民族の間に立って何とか仲介。フォ・アンが単身カラダを張って西方の勇ましい 姫君ムーン(リン・ポン)を抑えたあげく、逆に妙に惚れられてしまうというオマケつき。慌ててやんわりとムーンのアタックから身を退きながら、仲間と意気 揚々と砦に引き上げていくフォ・アンだった。ところがそんな彼らを待ち受けていたのは、予想もしなかった事態だった。シルクロードのど真ん中で無惨な死体 が発見され、それが汚職にまつわる事件であることが発覚。さらに、それがフォ・アンら西域警備隊の仕業であるとされたのだ。あまりな濡れ衣に、思わず剣に 手を伸ばす警備隊の男たち。しかし、フォ・アンは彼らに自制を促した。結局、自らおとなしく囚われの身となったフォ・アンたちは、西域辺境の最前線、雁門 関の砦へと連れて行かれるハメになってしまう。シルクロードを守って来た勇者たちにこの仕打ちは、さすがにこたえる。しかも彼らは、崩壊した砦の城壁を修 復するための人員として連れて行かれたのだから、その屈辱もまたひとしおである。それでもフォ・アンは決して腐らず、部下たちを率いて張り切っていた。そ んなある日、彼らが守る雁門関の砦目指して、意外な客が訪れた。いずれも劣らぬ勇猛な男どもながら、いささか飢えと乾きと疲れに足取りも重いその面々…彼 らはかの神聖ローマ帝国からやって来た一団だった。彼らを率いる将軍ルシウス(ジョン・キューザック)は行く手に立ちはだかる雁門関の砦に攻め込む意思を 固める。それというのも、彼らが駕籠で運んでいた幼いプブリウス(ジョゼフ・リュウ・ウェイト)がめっきり衰弱していたから。何が何でも砦を奪取するしか ない…。そう思い詰めていたルシウスは、砦から様子を伺うために出て来たフォ・アンに対して闘いを挑む。何とか和解しようとするフォ・アンに、ヨレヨレに なりながらも挑みかかるルシウス。二人の丁々発止の闘いが延々と続いたが、実はそんな悠長なことをやっている暇はなかった。巨大な砂嵐が、彼らの目の前に 迫って来ていたのだ。それを見てとったフォ・アンは、ルシウスに休戦を提案。さらに、何と彼らを雁門関の砦に迎え入れるという破格の申し出をするのだっ た。そうなれば、ルシウスとて何ら異論はない。かくしてローマ帝国軍の男たちは、疲れきったカラダを砦の中で休めるのだった。嵐が止んだその夜、城壁から 彼方を眺めるルシウスの横にフォ・アンがやって来る。シニカルでクールなルシウスではあったが、彼は一宿一飯の恩義を感じたか、フォ・アンにここまでの経 緯を語り始める…。かつてはローマ軍きっての勇名を馳せたルシウスは、実はそのローマ帝国から追われてこの地の果てまでやって来た。そもそもはローマを我 がモノにしようとした、執政官の長男ティベリウス(エイドリアン・ブロディ)の狂った野望がすべての原因だった。ティベリウスは父たる執政官を殺し、弟で あるプブリウスにも毒を盛った。かろうじて命は取り留めたものの、そのせいでプブリウスは視力を失ってしまう。彼らの剣の指南役で何より不正を嫌うルシウ スは、プブリウスを逃がすために自らの軍勢と共にローマを後にしたのだった…。あまりにも壮絶で過酷な運命…ルシウスの話を聞いたフォ・アンは、その身の 上に同情せざるを得なかった。そんなある日のこと、雁門関の砦に中央から過酷な指令が飛び込んで来る。当初の予定より遥かに短い期間で、城壁を修復せよと の無茶ぶりだ。砦の責任者たちは、さすがにこれに頭を抱える。何とかしなければとの気概は十分なフォ・アンたちも、間に合わせるだけの裏付けやノウハウは なかった。そんな時、意外な人物がフォ・アンたちに助力を申し出る。それは、いつも斜に構えた態度を見せていたルシウスだった。彼らのローマ帝国で培われ た技術で、短期間の修復を可能にしようというのだ。その日から砦の中は民族のカオスとなり、そんな雑多な人々が一丸となって工事が始まった。ローマの進ん だ技術に目を見張るフォ・アンたち。そして、工事の合間の休息では、西域警備隊とローマ軍が腕試し。そんな中、生まれも育ちも境遇も違うさまざまな民族の 男たちは、いつしか熱い共感を抱き始める。その中心にいるフォ・アンとルシウスの間にも、いつしかお互いに対する尊敬の念が芽生えるのだった。こうして城 壁の修復は、予定の期日に完成。そこには工事に関わったローマ軍を含むすべての民族たちの旗が、彼らの連帯を示すかのようにはためいた。それは戦いに明け 暮れる人々が、ふと一時見ることを許された「地上の夢」とでも言うべき光景だった。しかし、好事魔多し。彼らが一時の平和を噛み締めていたその時、雁門関 の砦のすぐそばまで圧倒的な大軍勢がひたひたと迫っていたのだ。それこそが、ルシウスとプブリウスの命をつけ狙う、野望に狂ったティベリウスの軍勢だっ た…。

みたあと

 制作主体は香港なんだろうけど、おそらくこ れほどのスケールの作品だけに中国資本が多くを占めたカタチで作られたのだろうか。ともかく、ジャッキー・チェン映画の中でも屈指の大作であることは間違 いない。CGを使っているには違いないだろうが、広大な大地に多数の人馬を繰り出して撮った迫力は、CGだけでは到底無理。ところがそんなジャッキー渾身 の超大作が、わが国ではやけにヒッソリ公開され、ヒッソリと終わっていく。これって一体どうしてなんだろうか。何となくイヤ〜な予感を抱きつつ見に行った 訳だが…映画を見る前のイヤな予感は、まったくの杞憂に終わったと言い切っていいだろう。面白い。そして、とにかく見終わって気分がいい。ジャッキー映画 は今までも常に見た後は気分爽快だったが、本作の「それ」は今までの作品の爽快感とは少々異なり、かつ一際爽快さが高い。そして何より…作品の佇まいがよ りシリアスなだけに、そこには真摯なモノが感じられるのだ。今までも圧倒的善人を演じて来たジャッキーを中心に、シルクロードに集う各民族にローマ帝国か らの軍勢も含めて、みなが一丸となり連帯する…というくだりの爽やかさ。ただ、正直言って昨今の中国の国際社会での振る舞いやら少数民族の扱いなどを考え ると、このあたりの描き方を少々シラジラしいと感じる向きもあるかもしれない。確かにそういうスキマ風みたいなモノを瞬間的に感じてしまうのも事実だが、 それで本作全体を否定してしまうのはヤボというものだろう。そもそも今回のジャッキーはそうしたスキマ風を埋めて余りあるほど、華も実もあるヒーローぶり なのだ。僕はロン・ハワードの新作「白鯨との闘い」(2015)の感想文でその主演者クリス・ヘムズワーズに対して「少年ジャンプ」という言葉を使ったが、まさに本作もその「少年ジャンプ」(笑)! むしろ、本年最高の「少年ジャンプ」映画と言っても過言ではないかもしれない。
ここからは映画を見てから!

みどころ

  ハリウッドでも成功したジャッキーだけに、ジョン・キューザック、エイドリアン・ブロディという大物を連れて来ることができたのだろう。しかし、いかにこ うした大物を連れて来たとしても、ちゃんと働いてくれるかどうかは別問題。本人たちのやる気もあるし、何より香港=中国側の映画人のセンスが問われるとこ ろだ。ところが今回は、こうした大物スター共演がいずれも成功しているからビックリ。例えば…近年何を思ったのか悪役やクセの強い役ばかり演じたがり、つ いには出演作の格までジリ貧になっていたジョン・キューザック。つい先日の「ラブ&マーシー/終わらないメロディー」 (2015)では久々に悪くない役柄だったが、それでもかつてのスターの輝きはかなり失われてしまった観があった。ところが…何とそんな迷走キューザック が、ここ中国で見事に甦るとは驚いた。おまけにここ最近のちょっと屈折した感じも、斜に構えた個性としてうまく活かされてるから大したものだ。これには 「シュア・シング」(1985)以来の長年のファンとして、本当に嬉しくなった。予想もしていなかったまさかの復活なのである。さらにもっと驚いたのが、 エイドリアン・ブロディ。気持ちがいいほど悪役に徹しているのだが、その屈折の仕方がハンパじゃない。男として人としての格の違いを痛いほど感じつつ、男 の嫉妬をにじませての悪役ぶりがいいのである。嫉妬にもいろいろあって、自分もキューザック演じるルシウス将軍に惹かれていたのに、それを幼い弟に奪われ た…という嫉妬もある。男の嫉妬って女の比じゃないから、その思いの丈もブチまけて憎さ百倍というワケだ。しかしエイドリアン・ブロディ、言っちゃ何だが 中国まで出張して来て、これほどガチで仕事をするとは驚いた。最後のジャッキーとの一騎打ちのくだりも見事で、味方にも人間的キャパを見透かされ見放さ れ、オレって人望ないな〜とイヤというほど痛感。それでも憎まれ役を全うしつつ、最後の最後には壮烈な最後でスジを通すあたりの爽やかさ。また、それを ジャッキーが「介錯」するかたちになるのも素晴らしい演出だ。途中、結構陰惨な展開になるにも関わらず、最後にはどこまでも清涼感が漂うあたりが見事なの である。幼いプブリウスのうたう歌によってローマ帝国から逃れて来た人々の思いを描き出すあたりといい、大スケールのスペクタクル・アクションの描き方と いい、ダニエル・リー監督の手腕には本気で感心した。お話はハッキリ言ってキレイごとだが、それをそう言っちゃオシマイ…の、昔だったらハリウッド映画が やってたはずの話をキッチリとやってくれているのが嬉しいのだ。そしてグサグサと刃物で刺されているので最後ジャッキーも死んじゃうのかな…と悲壮な幕切 れを予感していたら、それをアッケラカンと裏切ってのエンディング。安易に主人公を殺さないあたりも、後味の良さを倍増させている。最高の後味で映画を見 終えることが出来たことを、僕は大いに評価したい。これを見逃すなんて映画ファンとしちゃ損だ。

さいごのひとこと

 寛容さのないイマドキの世の中ではキレイごとでも嬉しい。

 

「白鯨との闘い」

 In the Heart of the Sea

Date:2016 / 03 / 14

みるまえ

 ロン・ハワードの新作が海洋冒険モノらしい…と聞いて、僕はちょっとビックリした。前作「ラッシュ/プライドと友情」(2013)もレースの世界というハワードらしからぬ題材だったが、アレはその前の「フロスト×ニクソン」(2008)の「男対男」というテーマの延長線上だったから理解できた。しかし、今回は一体どうなんだろう? さらに「マイティ・ソー」 (2011)以来大売り出し中のクリス・ヘムズワーズが、「ラッシュ」に続いて再登板というのもちょっと驚いた。「ラッシュ」の場合は実話ということもあ り、実在のレーサーに似せて彼を起用したのだろうと思っていた。でなければ、マッチョ・タイプのクリス・ヘムズワースは少々ロン・ハワード作品向きの俳優 とは言いかねる感じがしていたのだ。おまけに「???」なのが、「白鯨との闘い」というタイトル。「白鯨」ではなく「との闘い」とくっついてくるあたり が、東スポの見出しの「SMAP解散」とデカい活字を打った下に小さく「か?」と入れるあたりのやり口を連想させる(笑)。ウンコが拭ききれずにパンツに くっついちゃった感じ…とでも言うべきだろうか、何とも踏ん切りが悪い。何なのだ、「白鯨…との闘い」とは? 何となくこのへんの「ためらい傷」みたいな 感じが、僕にイヤ〜な予感を抱かせる。それでなかなか見に行けなかったのだが、3D上映が終わっちゃいそうなので、慌てて劇場に駆けつけた次第。

ないよう

 1850 年、ナンタケット島。夜もどっぷり暮れた港町に、およそ不似合いな品のいい身なりの男がやって来る。その男は小説家のハーマン・メルヴィル(ベン・ウィ ショー)。メルヴィルは一人の男を訪ねて、ある宿屋へと辿り着いた。宿屋の女将(ミシェル・フェアリー)に迎え入れられて、奥の部屋にいる初老の男と対 面。その飲んだくれている男の名は、トム・ニカーソン(ブレンダン・グリーソン)。ニカーソンはいかにも取っ付きにくそうな男で、入って来たメルヴィルを 睨みつける。メルヴィルは次回作の題材として、遭難にあったエセックス号の事件を取材したいと思っていた。そこで、エセックス号の生き残りであるニカーソ ンに体験談を聞きたいとやって来たのだ。だが、その願いは叶えられそうにない。メルヴィルは体験談を聞くために全財産を渡すと告げるが、ニカーソンは素っ 気なく追い返すばかりだ。さすがにこれには気落ちして帰りかけるメルヴィルだが、女将がそんな彼を呼び止める。実は女将はニカーソンの女房で、酒浸りのニ カーソンを見るに見かねていた。それは、間違いなくエセックス号のトラウマによるものだ。女将はニカーソンがメルヴィルに体験談を話すことで、それを解消 できるのでは…と期待したのだ。こうして女将の説得もあり、渋々、メルヴィルに体験談を話す気になるニカーソン。その話は、およそ30年前にさかのぼ る…。捕鯨商売で栄えるナンタケット島に、オーウェン・チェイス (クリス・ヘムズワース)という勇敢な船乗りあり。キャリア十分の彼は、鯨漁に出る新たな航海の準備をしていた。妻のお腹には二人の子供がいたが、チェイ スの頭の中は次の航海で一杯。それというのも、彼は船会社に次の航海では船長にしてもらえるという確約をとっていたからだ。喜び勇んで船会社に出かけて 行った彼は、しかしそこでスッカリ出ばなをくじかれる。船長になるつもりでやって来たチェイスに、会社は一等航海士を依頼したのだ。船長は誰かと言えば、 地元の名士を父親に持つジョージ・ポラードが起用されるという。ただし、ポラードはこれが船長として初めての航海。キャリアの浅いポラードを、百戦錬磨の チェイスにサポートさせるという魂胆だ。さすがにこれには憤懣やるかたないチェイスだが、元々はこの地ではヨソ者。名士の一家を敵に回す訳にもいかず、渋 々会社の言い分をのむしかない。おまけにチェイスの妻は妊娠中にも関わらず、これから1年も2年も一人で置いてけぼりをくらうことになるのだ。そんな妻に 対して、自分の不満などこぼしてる場合ではなかった。そんなこんなで航海の準備が進んでいくが、そんな中に…初めて船乗りとして乗り込むことになる、まだ 14歳のトム・ニカーソン(トム・ホランド)もいた。やがて、チェイスたちが乗り込むエセックス号は出航の日を迎える。船長として現れたジョージ・ポラー ド(ベンジャミン・ウォーカー)とチェイスとの間に、早くも微妙な緊張感が漂う。実質的な指示を出すのはチェイスで、途中で帆がからまるという突発事が発 生しても、すばやく的確な行動で解決してしまうチェイスに、ポラードもさすがに一目置かざるを得ない。それがまた新たな緊張を産むという悪循環に、チェイ スと長くコンビを組んで来た二等航海士のマシュー・ジョイ (キリアン・マーフィー)も困惑せざるを得ない。そんな洋上での第一夜、初めての航海のニカーソンは船酔いで苦しんでいた。それに気づいたチェイスは、荒 療治で彼の苦しみを和らげる。その瞬間から、ニカーソンは海の男としてのチェイスに深く心酔するのだった。そんな中、チェイスとポラードとの衝突の場面が 早くもやって来る。行く手に嵐の兆候が見えて来たため帆を畳むことを進言するチェイスに、航海の予定が思い通り進まず焦るポラードはそのまま直進を宣言。 経験からチェイスがそれに反対すればするほど、ポラードは意固地になるばかり。結果として船は嵐に直撃されて横転寸前。チェイスの機転で何とか危機を切り 抜けることになる。だが、ポラードがこれを愉快に思うはずもない。チェイスとポラードは船長室でこの航海中だけは何とかやっていく…と話し合うが、もはや 対立は表面化。それが、この航海にさらに微妙な緊張感を漂わせることになる。やがてエセックス号は初めて鯨の大群と遭遇。何艘かの小舟に分乗した乗組員た ちは、久々の漁に興奮しながら鯨を追いかける。最後はチェイスの尽力によって、見事に巨大鯨を仕留めることに成功した。捕らえた鯨は船で解体。船員たち総 出で鯨油を採り尽くす。こうして大漁の喜びを満喫する船員たちだったが、その後がいけない。この漁以降、エセックス号はまったく獲物に恵まれなかった。3 カ月もの間あてどなく航海を続けたあげく、ポラードは大西洋を諦めて太平洋へと移動することを決断。その途中、補給物資を調達するためにエクアドルに寄港 する。ところが一行はそこで、憔悴しきったスペイン船サンタマリア号の船員と遭遇。彼らの口から、豊富な鯨たちが群れている漁場の存在を知らされる。だが 同時に彼らは、悪魔とも思えるような巨大な鯨と、その鯨が船員たちにもたらした災厄についても語っていた。それでもチェイスやポラードは、彼らが語ってく れた「素晴らしい漁場」に魅せられてしまった。一も二もなく、彼らが語った漁場へ向かうことを決めたチェイスとポラードたちだったが…。
ここからは映画を見てから!

みたあと

  僕は本作を見に行く前に、「3D好き」(笑)の知人から「面白かったけど思っていたような映画じゃなかった」…との評を聞いていて、ある程度の覚悟は出来 ていた。まぁ、そりゃあロン・ハワード作品だから、3DとCGで鯨との激闘場面を延々見せる迫力の映画って訳にはいかないだろうと想像はつく。どうせ、 3Dで撮るような映画ではないんじゃなかろうか…。で、実際はどうか。最初にズバリ申し上げると…鯨との激闘場面はあるし、そこはかなりの迫力もある。見 せ場も少なくない映画だが…そこが本作の狙いかというとまったく違う。そもそも鯨大暴れの場面は、ドラマの中盤ぐらいに出て来てしまう。そこではバケツの 底が抜けたような超巨大鯨が出て来て、「白鯨」どころか「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」 (2003)あたりに出てきそうなスペクタクル・アクション場面になっていく。ここでの巨大鯨は、単にデカいだけではなくて賢くて怖い。それこそ「ジョー ズ」(1975)そこのけの凶暴さ。だから、3D効果はまるでないし「白鯨との闘い」も満喫できない…なんてことは断じてない。ちゃんとそれを使う必然が ある。ただ本作はそんな「白鯨との闘い」は物語の中盤で一段落してしまい、そこからは延々と凄惨なサバイバル映画と化していく。例えば「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 (2012)みたいな話に、ガラリと変貌していくのである。おまけに本作にはトラはいないが、ズル賢くてバカデカくて凶暴な鯨がいる。これがまた何ともネ チっこくて容赦ないのだ。延々と自分たちを襲ってきた人間どもをイジメ抜くのである。先ほど「ジョーズ」みたいとは言ったが、「ジョーズ」は「ジョーズ」 でも「ジョーズ'87/復讐篇」(1987)みたいなやつ(笑)。映画の前半はグイグイと話が進むが、後半は一気にペースが変わってシンドイ話になってい くのである。実は…物語の最初から主人公チェイスとイイとこ出身のボンボン船長との対立がクローズアップされ、このボンボン船長がチェイスの人望と能力に 焦りを感じていくあたりから、こりゃあ映画の後半にはイヤ〜な対立と諍いがオモテに出て来て破滅的な内容になるんだな…と思っていた。叩き上げで船員たち からも慕われる華も実もあるヒーローのチェイスと、ボンボンでプライドだけ高い「口だけ番長」タイプの船長…と対立の構図も際立っている。こりゃあ後味の 悪そうな話になるな…と、見ているうちにちょっと腰が退けて来たし、ロン・ハワードらしからぬ映画だなとも思い始めていた。ところが実際に映画を見ていく と、ちょっと話の方向が変わっていく。破滅的で後味の悪い内容になりそう…ってところまでは確かにその通りだが、チェイスと船長の対立云々ではなく凄惨な サバイバルと巨大鯨の執拗な攻撃によるものとは…。何しろ飢えと乾きに苦しんだあげく、極めて陰惨な出来事まで起きてしまうのだ。話の趣向が180度とは 言わないまでも、100度ぐらいは変わってしまっている。いずれにせよ、破滅的で後味悪そうって点はやはりロン・ハワードらしくないところだが、先の展開 はまったく見えなくなってしまった。どうなってしまうのだ、この映画は?

みどころ

  主人公チェイスと船長との対立が極まっての破滅…という「バウンティ号の反乱」的な結末にしても、飢えと乾きと執念深い巨大鯨の攻撃で追いつめられる結末 にしても、これはかなり悲惨でドロドロした話になるか…と誰しも思う展開。いやぁ、こりゃ困ったな…と見ていて重苦しい気分になっていたが、実は映画は まったく想像もしなかった方向に向かっていく。何と、最後の最後に予想外の展開になるから驚かされた。いや、確かに描かれているものは悲惨は悲惨で間違い ないのだが、結末に漂う後味は予想外に爽やかなのでビックリなのである。これって見始めた頃も、見ている途中でも、果たして観客は予想がつくだろうか。あ る意味、これ以上のサプライズはない…と言っても過言ではないくらい、結末でウルトラCとも言うべきアクロバット的な着地点に落ち着くのである。これはさ すがに予想できなかったし、ここに持ち込むとは大したものだ。正直言ってロン・ハワードという映画作家の持ち味から言って、本作の男臭さは異例のものだ。 先に挙げた「フロスト×ニクソン」や「ラッシュ/プライドと友情」もかなり硬派だったし、その意味では男臭い映画も決して不得意という訳ではなかったはず だが、それにしたって本作の男臭さはハンパじゃない。おまけに、かなり渋い題材でもある。おまけに映画が始まった頃は前述のドンヨリムードで、ハッキリ 言ってイヤな予感しかしなかった。ところが、見終わった後には爽やかな後味が残るという、まさに奇跡的な仕上がりを見せているのである。何より、当初のイ ヤな予感の元凶である主人公チェイスと船長との対立が、意外な結末を迎えるのが驚きだ。あれほど対立していた二人が、壮絶なサバイバル体験を共有すること でお互い変わっていく。ラストで自分の意を曲げないチェイスは追われるように去って行くが、残された船長が日和見な態度をとるかと思いきや…チェイスの意 思を受け継ぐかのように爆弾発言。これには見ていて熱くなった。なるほど…ヘタをすると陰惨で見ていられない話になりかねない展開も、壮絶な体験を共有し てこその「戦友」意識というかたちで「昇華」してしまうとは見事。逆にあそこまで壮絶体験をしなければ、この圧倒的な共感は生まれない。ロン・ハワードの 力づくの演出ぶりとそこで生まれる清涼感は、余人を持って代え難いとしか言いようがない。そして、あれほど険悪になりイヤ〜な最悪な予感が漂いながら、ラ ストに分かり合うようになるという展開は…なるほど主演に「ラッシュ」に引き続き、あの「少年ジャンプ」みたいな持ち味を見せるクリス・ヘムズワーズを 持ってきたワケだ。対立し合う男対男、だからこそ分かり合える…という構図は、そのまんま「フロスト×ニクソン」や「ラッシュ」のそれではないか。この後 味の良さこそが、ロン・ハワードならではの味なのである。そして、一見マッチョに見えながらもどこか漂う清涼感に、ロン・ハワードが惹かれてのヘムズワー ズ再起用ということなのだろう。ヘムズワーズの「男の子」っぽい「少年ジャンプ」テイストが、本作こそ絶対に欲しかったに違いない。キリアン・マーフィー やベン・ウィショーなど、他の役者たちの顔ぶれも錚々たるもの。中でも注目したいのがキリアン・マーフィーで、むさ苦しい男たちの世界に合ってないように 見えて、涼しげな眼差しがちゃんと効果的に活かされている。彼の起用もやはり清涼感ゆえということなのだろう。まさかこの作品で二転三転の意外性とこれほ どの清涼感を味わうことになるとは…。ロン・ハワードまことに侮り難い映画作家に成熟したと、諸手を上げてベタホメせざるを得ないのだ。

さいごのひとこと

 欧米の鯨漁はかなりひどかったね。

 


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