「シン・ゴジラ」

  Godzilla Resurgence

 (2016/10/10)



見る前の予想

 あの「ゴジラ」の新作がいよいよ日本でも制作される…と聞いて、僕はひたすらワクワクしたかというと、否と言わねばならないだろう。
 それだけでワクワクするほど僕は怪獣映画ファンでもないし、「ゴジラ」ファンでもない。僕はそもそもSF映画ファンだけれども怪獣映画ファンじゃなかった…って話はすでにパシフィック・リム(2013)の感想文でも書いていたし、そもそもアメリカでのリメイク版でも2作目となるギャレス・エドワーズ監督のゴジラ(2014)の感想文にも散々グチっていた。僕はそもそも「ゴジラ」そのものよりも、元ネタになったであろうレイ・ハリーハウゼン原子怪獣現わる(1953)の方が好きなクチだ。大体が「ゴジラ」…いや、日本の怪獣映画…いやいや、日本映画そのものにしても、昔から語るにはデリケートな問題が多過ぎるし語って愉快な思いをしたことがない。みんなムキになって怒って来るしなぁ…。こんなことを言ったら昨今では何かと吊るし上げられそうだけど、苦手なモノは苦手だしダメなモノはダメだ。だから、正直言って微妙な気分でいたことは事実だ。
 ギャレス・エドワーズの「ゴジラ」にはかなり期待もしていたし、それはある程度満たされたと言うべきだろう。僕は僕なりに楽しんだが、それでもいろいろ引っかかる点がない訳ではなかった。やはり、「ゴジラ」はいろんなモノを引きずり過ぎているのである。
 だが、期待がない訳でもなかった。それは、僕には平成「ガメラ」三部作の強烈な印象が、いまだ脳裏にこびりついているからだ。
 特に第1作「ガメラ/大怪獣空中決戦」(1995)を見た時の衝撃は、いまだに忘れることができない。日本の映画でもここまで出来るのか…と、かなり興奮したことを今でも覚えている。要はセンスの問題だな…と。特撮場面の描き方、ドラマの描き方、すべてはセンスの問題である。決してカネだけではない。映画としての描き方にしても、「実際に怪獣が現れたら世間はどうなる」という点をリアルに見せる、シミュレーション・ムービーとしてよく出来ていた。それは後に続いた続編2作にも共通するもので、この作品の監督・ 金子修介、特技監督・樋口真嗣のコンビには大いに感心したものだ。
 だが、だからといって本作も同じようにいくかと言えば、それは分からない。ハリウッド版がそれなりの成果をあげた今、改めて大恥かくこともないんじゃないかとも思った。
 それに、今回の「ゴジラ」を作る側の布陣も微妙だった。総監督は「エヴァンゲリオン」庵野秀明、それを監督・特技監督の樋口真嗣がサポートするという顔合わせ。
 そもそも「総監督」なんてAKBの高橋みなみでもあるまいし、こんな肩書きがつく映画と来ると「トラ・トラ・トラ!」黒澤明みたいにロクなことがない。僕は例によってアニメなど関心も知識もなく、「エヴァンゲリオン」といっても夜中の風呂上がりにテレビつけたらお通夜みたいなアニメをやっていた…ぐらいの印象しかない。ちゃんと見たことがない。ただ、やたら高尚なイメージで売ってるなという印象しかない。だから、ヘタなことを語ったら信者に刺されたり炎上させられそうだ(笑)。そんな訳で、“あの”「エヴァンゲリオン」…の“あの”の部分の価値がイマイチ分からない。
 さらに樋口真嗣は…となると、あれだけ平成「ガメラ」では興奮させてくれたのに、監督昇格してからは苦しい作品ばかり続いた。それでも最初のうちは何とか弁護していたつもりだが、日本沈没」リメイク(2006)には完全にサジを投げてしまった。ひどい。酷過ぎる。間違いなくこいつは分かっていない。そんな奴がサポートする「ゴジラ」で大丈夫なのか?
 ところがそんな僕が「ゴジラ」のエキストラに呼ばれたら、ホイホイと出かけてしまったのだから現金なものだ。
 それは知人のライターさんに声をかけられたからなのだが、実は僕は平成「ガメラ」の3作目「邪神<イリス>覚醒」(1999)でもエキストラ出演していた。渋谷でギャオスとガメラが戦う場面で、逃げ惑っている群衆のなかに僕がいたのだ(笑)。あれでスッカリ味をしめた。
 そして「ガメラ」に出たら今度は「ゴジラ」である。僕はそのライターさんと共に昨年夏に東宝スタジオに足を運んでデジタル・エキストラとしてデータをと られたり、蒲田で交通止めをしての大規模なロケに参加したりした。思いっきりミーハーに興奮してやっていたのだから、ここで偉そうなことを言えた義理では ない。
 ぶっちゃけ、アホみたいに「ガメラ」「ゴジラ」両方に出演したことを自慢したかった。バカにしてくださって結構。笑ってやってください。まぁ、映画サイトやってる奴なんてギョーカイ人でもないただのド素人ですから、ハシャいじゃうのは無理もない。何と言われようと、僕はエキストラ出演を120パーセント楽しんだ訳だ。いや、もうエキサイトしましたよマジで。
 
2015年9月6日の蒲田でのロケの様子。
右写真は
総監督の庵野秀明(右)と監督・特技監督の樋口真嗣(左)。

 で、自分が出たとなれば大いに映画の出来が楽しみになってきたのだから、我ながらいいかげんなもの。ところが、そこで伝わって来たタイトルがまたまたスゴい。
 「シン・ゴジラ」である。
 説明によれば、これは「新」でもあり「真」でもあり「神」でもあり…ってな屁理屈が並んでいて、正直言ってイタい。これほどカネがかかっていて、これほど注目されている東宝の勝負作のタイトルに、こんなどこかの文化祭で学生がやってそうな自主制作映画みたいなタイトル付けちゃうかね?
 いやぁ、いかにも「エヴァンなんちゃら」の監督さんだわなぁ…と納得したものの、「真」だの「神」だのって田舎の高校の映研の部長あたりが言いそうな青臭い理屈でマイッタ。まったく「神」セブンかよ(笑)。そういや「エヴァンゲリオン」の劇場版でも、「まごころを、君に」だとか「“ヱ”ヴァンゲリ“ヲ”ン」 だとか変なタイトル付けてたし…。まぁ、何か意味はあるんだろうし、好きな人からすればそこがミソなんだろう。ごめんなさい、分かってないしセンスもない オッサンがブツブツ言って。でも、分からないものは分からないし、いいと思えないものは思えない…と言う方が潔いだろう。オッサンが変に分かった顔をして媚び売る方が寒いわな。だから正直言って、オレとしてはイタいと感じたよマジな話で。
 そんなこんなでようやく公開の運びとなった本作。フタを開けてみたら絶賛である。大ヒットである。僕が親しくしている映画ファンの面々もほぼ全員といっていいほどホメている。こういう映画が好きとは聞いていない奴までホメている。ならば、今回は成功したということなのだろう。まずはめでたい。
 だが、僕自身は仕事が忙しくてなかなか見れなかった。雰囲気がホットなうちに見たいと思っていたが、劇場に2度も足を運んでも満員で見れない。そんなある日、台風がやって来てどうやら劇場がガラ空きらしいと聞き、こういう時しかチャンスがない…と飛び込んだ。
 感想文を書くまでかなりかかってしまったが、今回はそんな訳で、見るまでにもいろいろ葛藤があったのである。

あらすじ
 ある日のこと、東京湾で1隻のクルーザーが漂流していた。
 発見した海上保安庁の職員がクルーザーに乗り込んで調査するが、なぜか誰もいない。さらに奇妙なことに、机には小さい折り鶴が置かれていた。だがその直後、近くの海で爆発が起こり水しぶきが上がる。東京湾アクアラインではトンネルが崩れ、海水が流れ込んで来た。
 この異常事態に、政府ではただちに緊急会議を召集する。
 大河内首相(大杉漣)以下、閣僚たちがあれこれと論議を巡らすが、情報が決定的に不足している上に原因が分からない。おまけに誰も出来れば責任をとりたくない。それでも一応は海底噴火の線で話がまとまっていった中で、内閣官房副長官の矢口(長谷川博己)だけは「巨大な生物の仕業ではないか…」と思わず口走ってしまう。当然このような意見は顧みられずに一蹴され、ただ矢口が気まずい思いをしただけで会議は「常識的」な方向で進行していった。そのあげく、矢口は総理大臣補佐官の赤坂(竹野内豊)に「余計なことを言うな」とクギを刺される始末だ。
 ところが、爆発の起こった付近でとんでもない事が起きた。巨大な尻尾としか思えないものが、海面から姿を見せていたのだ。これがテレビ映像で飛び込んで 来たから、もはや無視することは出来ない。その場の人々も、つい先ほど矢口の指摘を一蹴したことなどなかったかのように、何とか方向転換を図ろうとする。 とにかく「生き物」ということで、生物学者などの専門家数名を招集した。
 だが政府が呼んで来れるような学者は、偉いけれども柔軟な発想など期待すべくもない「権威」ばかり。しかも恥をかきたくない気持ちばかりは人一倍だか ら、誰も核心に触れたことを言わない。否、言えない。大河内首相はこれら「権威」のゴタクにつき合わされたあげく、何も得るものがなかったために苛立っ た。「こんな奴らじゃダメだ、時間の無駄だった!」
 結局、またしても矢口が「肩書きにとらわれず」にこのような前例のない事態に対応できる人材を探すように部下に指示。こうして連れて来られたのが、いわゆる「お偉いさん」ではないがある種の傑出した人材…環境省の自然環境局野生生物課の尾頭ヒロミ(市川実日子)だった。
 そんなことをしている間にも、その巨大生物は多摩川の河口を遡上。川の船や周囲の構造物を破壊しながら溯って行く。しかし会議では「権威」の意見を踏ま え、大き過ぎるカラダを持つこの生物の上陸はありえないと判断。尾頭ヒロミはそれに異議を唱えたが何の「権威」も持たない彼女の意見は無視され、首相は堂 々と記者会見で「上陸はない」と断言してしまう。
 ところがそのすぐ後、首相会見をあざ笑うかのように巨大生物は川岸に上陸。ついにその姿を現した。巨大な爬虫類のようなその生物は這いずるように進み、 赤い体液を滴らせながら街を破壊していく。当然、街は大パニックになるが、対策は後手後手に回っているので避難はまったく間に合わない。自衛隊の出動も面 倒な手続きを踏んだ後で何とか可能になった。すべて泥縄式である。それでも大河内首相は、市街地での戦闘に対してなかなか決断が下せない。民間人が巻き添えになりかねない状況での攻撃は、あまりに危険過ぎるからである。
 そんな風に政府がモタモタしているうちに、巨大生物の様子に変化が起きた。突然動きを止めたその生物は、這いつくばっていた体勢から身体を起こし、スックと立ち上がった。
 巨大生物はカラダも一回り大きくなり、二本足で歩行するように進化を遂げているではないか…!

見た後での感想

 本作を実際に見たのは、公開からちょっと経ってからのこと。その頃には、巷では本作の評判がすでに出そろっていた。
 先にも述べたように、大絶賛である
 それも「ゴジラ」ファン、怪獣映画ファン、特撮映画ファン、日本映画ファン…といったコアな層から、一般的な映画ファン、何より映画にそれほど熱心でな い人々まで、日本全国こぞっての絶賛ぶりである。実際、映画がこれほど社会現象化して話題にのぼるというのもそれほどないことだ。本作はそこまで巨大なイ ンパクトを持つに至ったのだ。
 何より「シン・ゴジラ」というタイトルが市民権を得ちゃったことが 驚きだった。僕は「田舎の高校の映研」みたい…とくさしていたし、実は今でも内心そう思っているのだが、それを世間に認めさせちゃったのだからスゴい。例 のスマップ解散を巡るゴシップでも、メンバーたちがジャニーズ事務所を辞めて「シン・スマップ」みたいなグループを作ろうとしていた…的な話まで出て来る に至っては、さすがに僕も驚かざるを得なかった。「シン・なんちゃら」に汎用性が出てくるとは! あんな「青臭い」と思えたタイトルが、もう立派に世間で一人歩きしているではないか。
 まぁ、僕も本を作る時にタイトルを自分で付けてみるのだが、結局、いつも出版社にそれを変えられてしまう。その変えられたタイトルを見るたび「ダセえ!」と思ってしまう(笑)のだが、結果的にはそっちの方が商業的に正解みたいだから、僕にはそういうマーケティングみたいなセンスがないんだろう。無難で小ぎれいで気取ったタイトルじゃ、やはり「当てよう」というモノには向いていない。ハッキリ言ってつまんない。ちょっと「アレッ?」と顔をしかめちゃうくらいがいいのかもしれないのだ。だがそんな日本タイトルが、英語タイトルになったら「リサージェンス」になっちゃったのにはガクッと来てしまったが…(笑)。
 ただ、それなりに好評だったハリウッド制作のギャレス・エドワーズ版「ゴジラ」の後で本作がこれほどの好評を博しているのだから、これは大丈夫だろうと安心はしていた。
 本作はそんな安心感の下で見た…ということを、まず前提として語っておかねばならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 




第一印象と評価すべき点
 まず手っ取り早く言ってしまおう。僕もやはり、本作はかなり質の高い出来映えだと思う。
 僕なんかにしたり顔で「質の高い出来映え」などと言われたところで誰も嬉しくないだろう(笑)し、そんなことは言われなくても分かってる…と罵倒されそうだ。だが、認めるべくは認めなくてはならない。まずは本作は「ガメラ/大怪獣空中決戦」以来の「シミュレーション・ムービーとしての怪獣映画」のひとつの到達点に達したような観がある。そのリアルさは、特撮映像の作り方、ストーリーの組み立て方と描き方の双方に感じられる。これは見事と言わねばならないだろう。
 こうやって見てみると、やはり樋口真嗣って人は優秀な演出家のサポートに徹してナンボ…の人なんだろうなと思う。申し訳ないが、ご本人が前面に立ってはいけない人なのかもしれない。
 例の東日本大震災のイメージを重ねたのは、ギャレス・エドワーズ版 「ゴジラ」に引き続いて正解なんだろうと思う。シミュレーション・ムービーとしてのリアルさを追求していけば当然そうなるだろうし、「今の映画」として作 るとすればそうならざるを得ない。終盤でゴジラを倒すために口から凍結剤を注入するが、コンクリートポンプ車からその液体を注入する様子は、誰がどう見 たって福島の原発への注水を想起せざるを得ないだろう。
 そういう意味で、前半部分の首相官邸以下の組織がやたら会議ばかりやっていて何も決められない様子がシャレになってない。いかにも日本的な状況だし、自分でも現実に何度もぶつかってきたことだから、見ていて身につまされてしまう。実際にあのような日本的「権威」や「組織」がどれほど現実で害をもたらしているかを、これほど分かりやすく描いた映画はないかもしれない。強いて言うなれば、他には黒澤明「生きる」(1952)の前半部分ぐらいしかないのかもしれない(笑)。
 だから途中からオタクやハミ出し者たちのチームがオッサンたちの「権威」や「組織」を乗り越えてイニシアティブを発揮して来ると、ちょっと嬉しくなって来る。このあたりはうまいな…と思わざるを得ない。
 俳優についてはあまり語ることはないが、世間でちょっと話題になっている日米ハーフの役の石原さとみは確かに気になる(笑)。かなり微妙な役なんで叩かれちゃっても仕方ないかもしれないが、実は僕は叩きたくなるほどには気にならなかった。むしろ、ユーモアが乏しく全編かなり気分が滅入る部分が多い本作にとって、一服の清涼剤になっているんじゃないかと さえ思っている。まぁ、笑わせるつもりで出している訳ではないだろうが(笑)、サザンの歌みたいに英語をチョロチョロ挟み込むセリフも含めて、我慢できな いほどイヤではない。「主人公」にあたる内閣官房副長官役の長谷川博己がやたらに大げさに天下国家を語る傍らで、石原さとみがルー大柴みたいなセリフを吐 いているのはちょっとコッケイで、それが絶妙のバランスをとっているようにも思えるからだ。
 それから、ゴジラを狂言師の野村萬斎によるモーション・キャプチャーで動かしたというのも、個人的には非常に嬉しくなった。ピーター・ジャクソンキング・コング(2005)やギャレス・エドワーズ版「ゴジラ」では、「ゴラム」でおなじみアンディ・サーキスが怪獣をモーションキャプチャーで演じていたが、ここでの野村萬斎起用はそれ以上の意味を持っているのではないかと思うのだ。先に挙げた「パシフィック・リム」感想文でも書いているが、僕は日本の怪獣映画ってのはどこか「日本の伝統芸能」的な側面があると思っている。その感想文では
僕は狂言ではなく能について触れたのだが、ともかくそのような「日本の伝統芸能」に共通する要素を感じていた。そういう意味で、今回、本作の作り手が「怪獣映画」というものをどう見ていたのか…ということに、非常に関心がある。ひょっとして自分と近いことを考えていたんじゃないかと思っているのだ。
 そんな訳で、映画を見始めて最初の30分ぐらいは、僕もただただ興奮してスクリーンを見つめていた。こりゃあ平成「ガメラ」三部作以上にスゴい怪獣映画が誕生したな…と思っていた訳だ。


絶賛の嵐の中、余計なことは言いたくないものの
 では、「シン・ゴジラ」は申し分ない言うことなしの映画なんだろうか。
 確かにシミュレーション・ムービーとしてある程度のピークに達しているような完成度だと思うし、CGを含めた映像の出来映えも悪くないと思う。「ゴジ ラ」ってのは…いや、怪獣映画ってのは洋の東西を問わず社会を反映するモノだとしたら、その点でも本作はバッチリその需要に応えている。みんなが絶賛する 意味もよく分かるのだ。
 では、繰り返しになるが…「シン・ゴジラ」は文句の付けようのない映画なんだろうか。
 実はここから先は、僕としても書くのが少々気が重い。それでなくて も「ゴジラ」映画や特撮映画って前々から原理主義者が多かったところに、本作は絶賛の嵐…それもバケツのそこが抜けたみたいな常規を逸した大絶賛。そこに 余計なことを言ってもなぁ…という気もあった。まして「エヴァンゲリオン」もよく知らない僕のような者がノコノコ出て行くのも、ちょっと気が引けるところ だ。
 そもそも、僕だって映画の出来映えに圧倒されていたクチだ。少なくとも映画を見終えるまでは…あるいは途中までは、「面白い」と思っていた。思ってはいたのだが…実は途中から何となく引っかかるモノがあった。何だかスッキリしない。だが、なぜスッキリしないのかが分からない。その正体が何だか分からないため、見終わった後もしばらくモヤモヤして悶々としていたのだ。
 それでも、空前絶後の大絶賛の嵐だ。その絶賛ぶりも、みんなかなりムキになったようなホメっぷり。反論はまったく許されなさそうな雰囲気で ある。この世間の絶賛一色に自分だけ「何だかなぁ」と言うのもそれこそ「何だかなぁ」で、この感想文も書くのよそうかと思ったくらい。僕は反骨精神のカケ ラもないヘタレなんで、出来れば穏便に済ませたい。炎上なんて勘弁して欲しい。みんなが気に入っているなら、それはそれでまったく結構だ。
 しかし、たかが映画の感想なのに、言ったら血祭りに挙げられるってのもどうなんだろう。たかが映画の感想だよ。
 ただ、僕もどこに自分が引っかかっているのか分からないので、しばらくどうしようか考えていた。ごくごく親しい人にも、怖いから感想は言わないようにし ていた。なぜかこの映画だけはみんな必死にホメるので、ヘタなことを言ったら縁を切られそうな勢いだったから(笑)。そんなこんなしているうちに…何となく自分が引っかかっていたモノの正体みたいな要素が分かってきた…。
 ここからは、ギョーカイ人でも専門家でもないただの映画好きがブツブツつぶやいているだけなので、そのつもりで読んでいただければありがたい。見当はず れといえばそうかもしれないので、それについてはどうこう言うつもりもない。「オマエは分かってない」というなら、たぶん分かってないのだろう。ただし、 謝罪をするつもりはない(笑)。もしちょっとの反論でも許せないという方がいらっしゃったら、この後は読まない方がお互いのためだと思う。
 まず…そもそも、若手政治家とオタク・チームだけが場を仕切る映画ってのとこがねぇ…。
 最初は良かったんだよね、最初はね。ふんぞり返ってるオッサンたちが無能揃いで、日陰者のオタクが仕切り出すっていうのは愉快な気がした。確かに見ていてワクワクしたから、その気持ちにウソはない。だけど、その「ふんぞり返ってる」側がゴジラに一掃されちゃうという設定になって来ると、う〜ん…と言わざるを得なくなった。あれ見てスカッとするかと言うと、微妙かなぁ。
 もちろん自分も上の世代の人間たちが暑苦しい、邪魔だ…と思わなかった訳ではない。いなくなってくれればいい…と思ったことも二度や三度ではない。いわゆる「老害」と いうやつだ。そして、自分もすでに結構いい歳になってきている今、僕がこういう事を言うのは若い人にとってはイマイチ説得力がないかな…とも思う。だが、 下の世代からはジジイ扱いされるかもしれないが、上の世代からはまだ若造呼ばわりされかねない微妙な年代であることを考えると、僕にだってこの件についての何がしかの発言権はいまだにあるんじゃないかとも思っている。
 そういう意味で気になるのは、上の奴らがいなくならなきゃ上がって来れないという「若手」って、どうなんだろうねぇ…ってことだ。しかも、それを自分が手を汚さずにゴジラにやらせているというのも微妙な気がする
 ある意味、活躍するのは若手政治家とオタクのみ…ってのは、ネットの人たちなんか喜びそうな設定ではある。本作の熱狂的な支持のされ方は、つまりはそういうことなのだろう。そういう意味では「シン・ゴジラ」というタイトル以上にマーケティングが成功したとも言える。
 だが、ある意味である種の層の人々をヨイショして気持ち良くさせていくって映画の作り方って、ちょっとどうなんだろう?…って気もしてくる。ちょうどロバート・デニーロアン・ハサウェイ主演のマイ・インターン(2015)が女と年寄りだけを過剰にヨイショしていて、何となく不健全な空気を醸し出していたのに似ている。これはあくまで主観なんで気に障ったら申し訳ないが、僕の正直な気持ちとしてはそうだ。
 そして…それよりもっと引っかかるのは、本作に決定的に「現場」感が欠如していることだ。
 大体、どんな娯楽アクション映画でも、不自然なくらいヒーローが前面に出しゃばって活躍する。その場合の「活躍」とは、対策本部のボスになって司令室から偉そうに指示を出す…とかじゃなくて、ガンガン「現場」に出張って自らが汚れたり傷ついたり危険に遭いながら状況を打開する…ということを意味する。大地震(1974)のチャールトン・ヘストンなんて、たかが一介の設計屋なのに必死に救出活動の先頭に立っていた。「大地震」そのものは成功作ではないし、そんなのは決してその映画の「評価すべき点」などではないじゃないかと言われればそれまでだが、一般的に娯楽映画ってのはそういうものだと思う。ここでまた、「そういう考えそのものが古いんだよ」という批判は、ひとまず置いておいていただきたい。ともかく、娯楽映画の主人公は自ら動いて戦うものだと僕は思っているのだ。
 ところが本作では、主人公たる若手政治家&オタクが「現場」に出て来ない
 机の上でゴチャゴチャ言ってあちこち指示を出す。だが、実際にはクギひとつ打たない。正確には巨大な折り鶴は作るが、それだけだ(笑)。常に高見の見物 である。終盤の東京駅周辺での戦いでも、凍結剤を注入する作業に出て行った人たちにはそれなりに被害が出ていたはずだが、見ているこちらには伝わらない。 当然、主人公たちも「そこ」にはいない。ただただ高い所から見下ろしているだけだ。「事件は会議室で起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ」とかいうセリフも昔あったけれど、これって大衆娯楽映画としてどうなんだろう?
 ただ、それもそもそも「大衆娯楽映画ってこういうもの」という思い込みでしかない…と言われればそれまで。シミュレーション・ムービーとしてキッチリ 作ったら、それこそチャールトン・ヘストンの無茶な大活躍みたいのはあり得ない訳だからこれでいいんだ…と言うのも間違いではない。間違いではないんだけ れども、僕はこういう大衆娯楽映画にカタルシスは感じられない。これもまた正直な話なのだ。みなさんから言わせればそれが「老害」なのかもしれないが、本当の気持ちだから仕方がないんだよ。
 むしろ僕は自衛隊がバンバン前面に出て来て、主人公も自衛隊員にして、大いに戦って状況を打開する映画を見せてもらいたかったくらい。あるいは生物学者でも誰でもいい。とにかく、現場に出張って戦う主人公が見たい。勇猛に戦っても悲壮に敗走しても、それなら大いにエキサイトした気がするのだが…。
 邪魔な老害をどかすのもゴジラ任せの他力本願、ゴジラと戦う現場にも出張らず上から命令ばかり、とにかく自分じゃカラダを動かさず「管理」や「指示」だ けしたがる…って、結局「老害」どもがいなくなった後で、自分たちがその「老害」どもと同じこと…ヘタをすればそれよりもっとタチの悪いことをやっている ようにしか僕には見えないのだ。自分たちは手を汚したりカラダを動かしたりするシモジモの仕事ではなく、もうひとつ高いところから人を将棋のコマのように 動かす頭脳労働で奉仕するのだ…ってことなのかもしれないが、う〜ん、イマドキの人ってみんな人に指示したり命令したりしたくて、自分じゃ手を動かしたくないタイプばっかりなのかねぇ。そういう奴って仕事ができるって言えるの? 人として好きになれるかねぇ。みなさんはどう? オレはダメだな。
 主人公たちの中でも中心人物らしい内閣官房副長官役の長谷川博己と政権党の政調副会長の松尾諭が、 「オマエが首相の時はオレが政調会長な」なんて「腹芸」的な会話を交わしているのも、リアルっちゃリアルなのかもしれないが、大衆娯楽映画としては変に老獪でジジ臭くて僕は楽 しくない。楽しくないのはアンタだけだろ…と言われればそうかもしれないが、実際に楽しくないからウソついても仕方がない。「この国を見捨てずに…云々」 とか「この国はまだまだやれる」みたいな長谷川博己のセリフも、いつも上から目線の言い方なのが気になる。世間ではこれらのセリフをナショナリズム的だと批判してる向きもあるようだが、僕はそっちの方はさほど気にならなかった。そんなことより「上から目線」の方が気になった。高い所から見下ろしているみたいで、こちとら「見下ろされる側」から言わせればいちいち偉そうなんだよ。
 ただ、本作の作り手たちがそんなことを分かってないはずはないだろう。分かった上で…百も承知の上でやっているらしいからこそ、余計に気になったのかもしれない。まぁ、そのおかげで絶対に安全な防壁を周りが勝手に築き上げてくれるのだから、相当な知恵者ではあるだろうが。
 オマエはセンスもないし分かっていない、ここまで言って来たことは単なるオマエの思い込みでしかない、オマエはすでに「老害」側の人間なんだ…ここまで の僕の感想に、みなさんにもいろいろご意見はあるだろう。それらについては、ごもっともと言うしかない。みなさんお気に入りの「シン・ゴジラ」にケチをつ けてごめんなさいとしか言えないな。
 ともかくハッキリ言えるのは…この映画は確かに良く出来た作品だと思う。エキストラ出演できたことも嬉しかった。いろんな意味で傑出した作品だとは思うが…僕は正直言って一本の映画として好きじゃないということだ。この映画は好きになれない。これは、僕が好きな類いの映画ではない。
 今、僕に言えることは、ただそれだけである。


 

 

 

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