「追憶の森」

  The Sea of Trees

 (2016/05/09)


  

世の中には説明のつかないことがある

 こんなことを書いたらイカれた奴と思われてしまいそうだし、インチキ宗教でもやってるみたいに思われそうだから、実は公にするのはちょっと躊躇される。実際、そう思われても仕方がない。だが、ある程度の年齢になると、どうしても認めざるを得なくなることがある。
 世の中には、理屈を超えたモノが間違いなくある。
 僕はどちらかと言えば、宗教的なモノを否定的に考えている人間である。若い頃からインチキ宗教には懐疑心しか抱いていないし、その手のやつには結構親し かった友人をおかしくされたりして、嫌悪感は人一倍あると思っている。若い頃はオウム真理教の例の事件を面白がって見ていたし、中でも麻原彰晃の国選弁護 人となった横山弁護士のマネは、僕の最もお気に入りのギャグだった。横山氏がマスコミ連中にモミクチャにされて、「やっ、めっ、てぇぇぇ〜〜〜〜」と仮面ライダーが「変身!」とやっているような変なポーズでわめいている絵は、いまだに忘れることができない(笑)。
 閑話休題。それに、そもそも人類の歴史を振り返ってみても、宗教はロクなもんじゃないという印象しかない。魔女狩りだとか科学への迫害だとか…現実社会 で宗教が果たしている役割でも、プラスの面よりマイナスの部分の方が大きいような気がする。ハッキリ言って胡散臭いと思っているし、徹底的に関わりたくな いのだ。
 だが、そんな僕でも…やはり説明できないことっていうのはこの世に存在すると思っている。
 そんなことを考えるようになったキッカケというのは、やはり身内がこの世を去ってから…ということになるのだろうか。僕にとっては、父親が死んだことによるものが大きい。悲しいとかショックとか、そういう次元の問題ではない。何か理屈抜き問答無用で、圧倒的に納得させられてしまうモノがあったのだ。これはなかなか説明しにくいね。
 実はそのことについては、僕はすでにこのサイトの私が子供だったころというコンテンツで、父の死と題して書いている。父親が亡くなる何日か前の、意識を失うに至る頃のエピソードだ。
 病院から離れていた時に容態の急変を聞いて、慌てて電車に乗って駆けつけようとしていた時のこと…たまたま赤ちゃん連れの母親と祖母が同じ電車に乗り合 わせたのだが、その赤ちゃんがじっと僕の顔を見つめてきた。電車に乗り込むまではギャンギャン泣きわめいていたらしいが、自分を抱えている母親が座席につ いたとたん泣き止み、いきなり僕の顔をしげしげと見つめたのだ。
 それだけなら、別に珍しいことではないかもしれない。だが赤ん坊は一緒に電車に乗っている間、ずっと他の何にも目をくれずに僕の顔を見つめていた。赤ん坊を抱いた母親もその祖母も、一様に不思議そうな顔をしていたのを覚えている。
 しかも驚いたことに…この一家の方が先に電車から降りたのだが、降りる際に僕に向かって「バイバイ」と声を出して手を振ったのである。まだしゃべれないはずの赤ん坊が…母親や祖母が二度ビックリでそう言っていたのだから、それは間違いないだろう。
 そんなこんなで僕が病院に戻った時には、父親はもう意識が戻らない状態にあった。その時、僕は「あれ」が父親の最後のメッセージだったのだろうと確信していた。
 オマエがそう思いたいから勝手にそう思い込んでいるのではないかって? そう言われたら何も言えないが、あの時の僕の「確信」は間違っていないと思う。理屈じゃない。そうだからそうだ…と言うしかない。それ以外に何とも言いようがないのである。
 世の中には説明のつかないことがある。それは、僕にとってはリアリティのある真実なのだ。


見る前の予想

 マシュー・マコノヒー主演のアメリカ映画が富士の樹海を舞台にして撮影されているというニュースは、ちょっと前にネットで目にしてはいた。
 おまけに監督はガス・ヴァン・サント…とくれば一流どころだから、いわゆる「日本トンデモ映画」にはならないと安心できそうだ。実際には僕はウルヴァリンSAMURAI(2013)みたいなハリウッド製「日本トンデモ映画」も個人的にはかなりイケるクチ(笑)なのだが、世間の人はなかなかついていけないだろう。その点、この作品はマトモなようだ。
 しかしながら、正直言うとなぜか僕はヴァン・サントとは相性が良くない。見ている作品数も極端に少ない上に、単にカラー化しただけみたいなリメイク版「サイコ」(1998)とか、永遠の僕たち(2011)も主人公たちが好きになれなくてダメだった。さらに、ハリウッド映画に出る日本人とくれば渡辺謙…というのも興ざめ。こりゃあどうなんだろう…と微妙な気持ちにさせられたものだ。何となくイヤな予感もしてくる。
 だが、この作品がどうしても気になる。僕は富士の樹海に興味があるし…こんなことを言ったら不謹慎だとは思うが、昔から自殺をする人の心理に興味があった。これは理屈抜きだ。
 同じ富士の樹海を舞台にした日本映画…偶然にも本作の現題名(The Sea of Trees)と同じ意味の樹の海(2005)も見ている。この作品は脚本はいささか弱いと感じたが、それでも「樹海」が持つ不思議な魅力で最後まで引きずられるように見た記憶がある。アメリカ映画が「樹海」を取り上げたのなら、ちょっと見たくなるではないか。
 ところがグズグズしているうちに、劇場の上映回数が激減してしまった。そんなところから見て、おそらくは作品的に不評であるように思える。世間的にもほとんど黙殺状態。調べてみたらカンヌ映画祭でもブーイングだったらしい。やはりそうだったか。
 それでも、なぜか世間から無視されたり酷評を浴びたりしているにも関わらず…というか冷遇されていると知れば知るほど、何となくこの作品は見なくちゃいけない…という気になった。これはおそらく、映画ファンとしての「勘」だ。
 また、ある程度の数の映画を見て来てしまうと、「映画の出来映え」なんてどうでもいいことに気づいてしまう。一部に変な勘違いをする映画ファンもいるけれど、僕は別に映画を商売にしている訳じゃない。専門家でも映画博士でもない。だとすると…完成度とかそんなことなんて、映画というお楽しみのほんのわずかの要素でしかない。僕にはそんなこと、もうどうでもいいことになりつつあるのだ。
 しかも…そもそも最近、世間の映画評価とはシンクロしなくなって来ているような気がする。不評だと「かえって面白いんじゃないか」という気持ちになって来るくらいだ。どうせ、世間の連中の言ってることなんざ、まるでアテにはならないし(笑)。
 そんな訳で、「こりゃあヘタするとすぐに終わっちゃうかも」…と、僕は慌てて劇場へと駆けつけた。それも、場末感漂う池袋の小さな劇場を選んでの鑑賞。 その方が本作にはムードが出るんじゃないかと思っていた訳だが、果たして予感は的中。まだ公開一週間を過ぎたばかりだというのに、映画館には観客は僕ひとりではないか!
 がらんとした場内に、映画館の人が二人。客は僕一人で、いつまで経っても他の客は来ない。繰り返して言うけど、公開してまだ一週間とちょっとだぜ。これはいくら何でも寂し過ぎる。「自殺の名所」の映画を見るのに、あまりにムードが出過ぎ(笑)。
 最初こそ「貸し切りだ」と喜んでいたものの、映画が始まる前から僕の気分もどんよりしてしまった。確かに場末感漂う小さな劇場を選んで見に行ったわけだが、それにしたってこのテイタラク。この映画、話題になってないとは思っていたものの、こんなに人気がないのかよ?
 僕はまるで自分が富士の樹海に踏み込んだような孤独な気分になって、スクリーンと対峙したのであった…。

あらすじ
 どこまでも広がる、鬱蒼と茂る森。それは、あたかも樹木の海のような…。
 クルマの中のその男…アーサー(マシュー・マコノヒー)は、心ここに在らずの表情で外を見つめていた。彼がクルマを停めていたのは空港の駐車場。だが彼 はクルマから降りる際に、搭乗券もキーも置きっぱなしだった。航空会社のカウンターでも、ボーッとした表情で東京行きのチケットを購入。荷物も何も持たぬ この男に、カウンターの女子職員も不審げな表情だ。やがて飛行機で東京にやって来たアーサーは、新幹線で富士山の麓まで。こうしてアーサーがタクシーに 乗って辿り着いたのは、生い茂る森の入口だった。
 そこには、ずっと前から停まったままの古ぼけて汚れたクルマが一台。タクシーを帰したアーサーは、その森の入口に立ち尽くした。
 その場所こそ…富士山麓の青木ヶ原、「自殺の名所」として知られている森の入口だった。
 アーサーはその森の中におずおずと…やがてズカズカと入り込んで行く。最初のうちこそ「考え直せ」とか「家族のことを思い出せ」などと自殺を止める看板 があちこちに立てられたり、迷わないようなロープが張り巡らされたりしていたが、「立ち入り禁止」の表示を超えたあたりからプッツリとそれもなくなる。そ こから先は、まさに「樹海」と呼ばれるにふさわしい深い森となっていた。
 やがて、「樹海」の「樹海」たる面が見えてくる。いくらも歩かないうちに、物陰に亡骸が転がっているの に気づく。ここはさまざまな場所から、「死にたい」と思う人間が集まってくる場所なのだ。むろんアーサーもその一人だ。彼は大きな岩に腰掛けて、コートの ポケットから錠剤の詰まった容器を取り出す。彼の持ちモノはこの錠剤と近くで買った水、さらに平べったい未開封の小包だけだ。アーサーは最初、容器から手 のひらに錠剤すべてをブチまけるが、途中で気が変わったか一粒だけ口に入れて水で流し込み、またもう一粒を口に入れて水で飲み下した。ところが、すぐに アーサーは頭から錠剤のことが飛んでしまった。
 目の前を、一人の男が歩いている。
 血だらけの男が、ヨロヨロと疲れきって歩いているのだ。しかも泣いている。声をかけるか一瞬ためらったアーサーだったが、尋常でない様子についつい駆け寄ってしまう。
 男の名はナカムラ・タクミ(渡辺謙)。前日から樹海入りしてさまよっていたらしい。両手首を切って出血していたが、死ぬに死に切れない。そのうちに、また家族に会いたいと思うようになっていた。
 だが、森から出られない
 そんなタクミの両手首をネクタイと自分のシャツの片袖を破いて縛り、血止めをしてやるアーサー。ついさっき森に入って来たばかりのアーサーは、まだ方角 には自信があった。そこで出口と思われる方向を指差して、タクミを脱出できるように導いた。それで、予想外のハプニングもすぐに終わるはずだった。
 ところが森を歩いているうち、またぞろブツブツとしゃべっている声が聞こえて来る。何のことはない、いつの間にかあのタクミがアーサーと平行して歩いているのだ。
 困惑したアーサーは、再びタクミに声をかける。彼は寒がっているタクミに自分のコートを着せて、改めて出口方向に導いてやろうとした。すぐに道らしきモ ノに出くわしたアーサーとタクミ。こうしてようやくタクミから離れられたと思った矢先、アーサーはコートのポケットに必要なモノを入れていたままだったこ とを思い出す。慌ててタクミの後を追いかけるアーサーだったが、タクミはすぐ近くで呆然と立ち尽くしたままだった。
 「道が終わってる…」
 アーサーが道だと思っていたものは、単なる勘違いだったのか。そのすぐ先は行き止まり。アーサーもタクミも、果てしない「樹海」の中に囚われの身になっていたのだった…。
 そんなアーサーの脳裏に、ちょっと前までの平凡な日常の記憶が甦る。アーサーは大学で非常勤講師をしているが、収入は極めて低い。不動産業の仕事をしている妻ジョーン(ナオミ・ワッツ)の収入に頼っているというのが実情だ。
 それが夫婦の間をギクシャクさせているのか、クルマの中での会話もどこかぎこちない。夫婦は友人のパーティーへと向かうところだったのだが、そのパー ティーの席上でもちょっとした皮肉の応酬になって周囲は冷え冷え。帰宅するや否や、二人はギスギス感を前面に出し始める。どうやらジョーンは少々アル中気 味らしく、それも夫婦間のきしみに拍車をかけているようだ。
 売り言葉に買い言葉がどんどん加速して、ついつい「もうやってられない」という言葉を吐き出してしまうアーサーだったのだが…。

見た後での感想

 映画が始まったとたん、僕は思わずアッと驚いてしまった。
 いやいや、映画の内容はまったく関係ない。実は、スクリーンの中に見知った顔を見つけてしまったのだ。僕は一昨年、またまた飛行機の本を制作していたのだが、その際にはANAとその広報部の人のお世話になっていた。この映画が始まって何分も経たないうちに、その時に協力してくれた広報部兼任のCAの方が1カットだけ画面に登場したのに気づいたのだ。実際、本作はANAが協力していたので、それはあり得ない話ではなかった。しかし、まったく想定していなかったので、心の準備もなくてビックリ。いやぁ、あれは不思議な体験だった。
 閑話休題。世間じゃ黙殺か不評に近いし、僕自身も大して期待はしていなかった。ただ、なぜか無視できずについつい見てしまった…というのが本当のところ だ。先にも述べたように、池袋の小さい映画館で、土曜日なのに客が自分ひとりという状態。この不人気っぷりに思わず苦笑してしまったが、「まぁ、こんなも んだろう」と納得もしていた。言ってしまえば、「その程度」の映画のように思えた。だから、知り合いのCAが出ていた…というくらいが本作の収穫だろうと、僕も半ばタカをくくりながら見ていた訳なのだが…。
 面白いのである。
 まぁ、ただこれには説明が必要だ。僕は本作を見る前から、何となく「楽しめる」自信があったのだ。
 まず、先にも述べたように…僕は「樹海」に関心があった。例の日本映画「樹の海」だって、お話は結構ガタガタだったけど樹海が出て来るから見れたようなもの。荒野とか砂漠とかそういう自然が露になっている場所を見るのは好きなので、深い森だってキライじゃない。ホラーが苦手な僕も、クライモリ(2003)は割に楽しめた(笑)。いかに僕と相性の悪いガス・ヴァン・サント作品とはいえ、「樹海」を舞台にしている以上、それだけである程度退屈しない自信があった訳だ。
 実際のところ…後に詳しく語るが、正直本作が「成功作」かと言えばこれは何とも言えない。 ちょっと脚本には難があるところもいくつか散見できるし、疑問に感じた点もある。そもそも、題材自体が万人向けとは言い難い。本作を見た後で僕は映画ファ ンの知人に「ぜひ見てください」とメールしたものの、すぐにちょっと後悔してしまったのも事実だ。これ、人にオススメしていい映画なのかどうなのか、僕も 確信が持てなかったのである。案の定、その知人からの見た後の反応は微妙なものだった。だから、見た人がみんな僕と同じような感想を持つとは考えられな い。むしろ、僕の方が少数派である可能性は高い
 だが、これを言っちゃオシマイかもしれないが、僕は映画の「目利き」ではないし、もうそうであろうとも思っていない。一時期はそんなバカなことを考えた こともあったが、もはやそれは目標でも何でもない。どうでもいい。映画は僕の人生の中の、ほんのちょっとしたお楽しみでしかない。なので、ここで僕が言っ ていることに皆さんが賛同する必要はないし、実際に賛同されない方の方が多いと思う。それでいいのだ。
 僕は、この映画を楽しんだ。好きな映画だと思う。
 ただ、理由はどうと具体的には言えない。そして、言いたいことはもうここまででほとんど言ってしまっている。以下は、見ていて思いついたことをとりとめ もなく並べていくだけ…ということになるので、ご了承いただきたい。僕だっていつも映画を理詰めで見ている訳ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 



穴も多いが駄作とは思えない映画
 カンヌでブーイング…ってのが本作不評の根拠のひとつとされているけど、どうなんだろうねそれって。何だかカンヌが言うからケナすって、親から勧められた相手と結婚する…って奴ぐらい主体性なさそう(笑)。そもそもイマドキのカンヌなんて、アカデミー賞以上に権威も何にもない気がするんだが…。
 そのカンヌでの不評の最たるものが、何で自殺するのに日本まで行くんだ…ってことらしいんだけど、そもそも樹海は「自殺の世界的な名所」なんで、それは自殺した奴に聞いてくれと言うしかない(笑)。それに「別に自殺のために日本に行かなくていいだろ」って言うなら、「行ったっていいだろ」とも言える訳で(笑)。最初は自分が日本人だからこの設定がシックリ来たのか…とチラッと思ったりもしたが、よくよく考えてみるとガイジンってバカなんだな(笑)としか思えなかった。
 ただ、脚本にあちこち穴がある…ってのは僕も気づかずにいられなかった。それは認めざるを得ない。実は「穴がある」なんてもんじゃない。「穴だらけ」だ。
 基本的には二人の男が森の中でさまよっているだけの話なので、単調にならざるを得ないところがある。途中で主人公夫婦のエピソードを挟み込んではいる が、それだけでは足りないと思ったのか、森の中でも岩場から転落したり、雨が降って大洪水になったり…特に単なる土砂降りの雨だったはずなのに、洞穴に鉄砲水みたいなのが押し寄せてくるあたりにはビックリ。無理矢理アクションみたいにしてる感じがして苦笑してしまった。
 無理矢理アクションと言えば、主人公の妻ナオミ・ワッツが救急車で運ばれて行く途中で、いきなり横からクルマが突っ込んでくる場面にもビックリ。お話の展開としてはこれはある程度必要な設定ではあるのだが、それにしたって唐突感がスゴい。っていうか、ここだけ「ターミネーター」とか「アベンジャーズ」とか別の映画みているような気がしてしまった。主人公の嫁さんが、悪の組織か何かから狙われてたんじゃないかと思ったよ(笑)。
 そして主人公が大学の非常勤講師として物理(?)を教えている「理系」人間というのも、本作の「精神性」との対称的なイメージを出すためだと思うが、いささか図式的といえば図式的だ。狙いが分かりやす過ぎるのである。
 演出上の細かいことを言うなら、冒頭でクルマの中に搭乗券を置いていくのも「???」だし、何で東京で渋谷をさまよっているのか分からない(アレは一 応、「東京に来ました」っていうアメリカ人観客へのサービス・カットだったのかも)。さらに、主人公が樹海の入口にやって来る際のタクシーがかなり古い型 のクルマなので、「あれっ、これって現代じゃなくて30〜40年ぐらい前の設定だったかな?」といらんことを考えさせられてしまった。あれは一体どういう ことだったんだろう?
 そんな小さい穴もチョコチョコと見え隠れしている映画なので、ここまで読んだ人は本作がダメ映画なんじゃないかと思ってしまいそうだ。実際、そう思っちゃう人もいると思う。だが、実は僕は本作がダメな映画だとは思っていない
 僕は本作が好きだし気に入っている。決して駄作だとは思わない。
 例えばマコノヒーとナオミ・ワッツの夫婦の諍いも、そこに至るまでのプロセスはよく分からないのだが、二人が言い争うつもりがないのに口を開けばイヤミ の応酬になるあたりは何となく自分にも身に覚えがある。「やっちまった」と思っても引き返せない感じとか、女とのやりとりってなぜかああなるんだよなぁ (笑)…ってリアリティがある。アレは男女間の「あるある」だ。
 また映画の半ば過ぎあたりで、焚き火を前にしてマコノヒーが涙ながらに謝罪を繰り返す場面がある。彼が謝罪を繰り返すたびに、渡辺謙に対して謝罪しているのか、それとも妻のナオミ・ワッツに対して謝罪しているのか分からなくなってくるのだが…とにかく涙をボロボロ流しながらの謝罪が 妙に印象に残っている。…というのも、外国映画を見ていて「謝罪」が出て来た場合、それは作品中かなり重要な位置づけであることが多いからだ。それって割 と簡単に謝ってしまう日本人と違って、外国人って実はあまり謝らないからじゃないだろうか。まぁ、僕はそれほど外国人と接する機会が多い訳じゃないから、 完全に偏見かもしれないが(笑)。それでも過去を振り返ってみると、外国映画で「謝る」場面は決して多くない。少なくとも、日本人みたいにチョコチョコ謝ったりしないように思える。
 そう書いたところで気づいてみると、現実世界ではその日本人からして謝らなくなっているかもしれない。ニュースなどでは企業のトップが形式的に頭を下げ ているが、本当に人に謝る気持ちのある奴は少ない。どいつもこいつも言い訳ばかりするか開き直り、ヘタをすれば逆ギレ。オレもマトモに謝ってもらったこと なんかないよ。それどころか、暗に「オマエの方が悪いんだ」と恨みがましい目で睨まれることの方が多い。日本人も見事に「国際化」したワケだ(笑)。だか らマコノヒーが涙を流しながら何度も何度も謝るこの場面が、僕にはひどく印象深かったのかもしれない。
 だが、それくらいのことだけでは、僕が本作に惹かれた理由が説明できてない。実は自分でも良く分かっていないのだが、そんなディティールのことだけで気に入った訳ではない…ってことだけは分かる。僕が本作を気に入ったのは、もっと本作の根本的な部分だ。
 それは、僕が本作が言おうとしていることに賛同しているから…ということもあるかもしれない。見ていて非常に共感できたのである。特に、あの「オチ」の 部分とか…。そういえば、見ている時は渡辺謙の妻の名前が「キイロ」っておかしいなぁと思いながらも、ガス・ヴァン・サントがガイジンだから仕方ねえか (笑)…と思ってスルーしていた。だからラストまで見て、僕はすっかりやられちゃったと思ったよ。そこまで伏線だったとは恐れ入った(笑)
 そんなこんなを考えながら見ているうち、別のある映画のことが頭に浮かんだ。…と言っても「樹の海」のことではない。それはあまり世間じゃ知られていない作品だが、僕は ちょっと気に入っている作品。ケビン・コスナー主演のコーリング(2002)という映画だ。こちらも妻に死なれた男が、その死後のメッセージを受け 取っていく話。ちょっとどこか共通性を感じる映画だ。アレも期待しないで見たら良かった…という点で、本作と似たようなイメージがあるのかもしれない。拾 いモノとしてオススメである。
 そういえば…本作を見るにあたっての懸念のひとつに、渡辺謙の演技って要素もあった(笑)。要するに「ケン・ワタナベ」的な構えちゃった芝居をやられたら勘弁だな…と思っていたのだが、さすがにそれを許すほどガス・ヴァン・サントはユルい監督ではなかった。
 というか、渡辺謙は終始ヘバってたり泣いたり凍えてたり…と忙しくて、いつものようにカッコつけてる暇がない(笑)。だから、見ていて寒くなるような演技もなくて、安心して見ていられた。これは間違いなくガス・ヴァン・サントの功績だろう。
 なぜなら、本作の日本版予告編のイントロには渡辺謙その人が出て来て、作品について一席ぶっているのだが、これが思い切り構えちゃってて「ケン・ワタナ ベ」。クサいのクサくないのって…日本語の発音まで何だかヘン(笑)。思いっきり勘違いしちゃってて、まるで抑えがきかないのである。たぶんこの予告見て いたら、オレはこの映画見なかったと思うほど酷い。これ、誰も言ってやれないんだろうなぁ。自分で一度ちゃんと冷静に見てみた方がいいと思うよ。逆に、こ れをやりたくてやりたくて仕方ない渡辺謙をちゃんと制御できたガス・ヴァン・サントは、やはり演出者として一流だなと感心した(笑)。
 そのガス・ヴァン・サントだけど、本作を見た後だとあの「永遠の僕たち」にも別の関心が湧いて来る加瀬亮が日本の特攻隊員の亡霊を演じたこの作品は、 絶対本作とどこかでつながっているはずだ。少なくとも「生と死」「日本」には何らかの特別な関心があるに違いない。ただ、だからといって本作は、「日本の 神秘」的なオリエンタリズムやエキゾチシズムには陥っていない。このへんのさじ加減は見事だなと思う。
 また本作は、この監督がかつてマット・デイモンケイシー・アフレック共演で撮った「ジェリー」(2002)という作品とも、微妙に共通点があるかもし れない。題材として非常に興味がある作品だが、僕は残念ながら未見。見た人に聞いてみたところ非常に退屈な作品だったらしい(笑)が、二人の男が特異な環 境をひたすらさまよい歩く…というお話。本作を見た今ならば、こうした過去のヴァン・サント作品も興味深く見れるのではないか…と僕には思えるのである。


 

 

 

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