新作映画1000本ノック 2015年12月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「Re:LIFE/リライフ」 「コードネーム U.N.C.L.E.」 「ムーン・ウォーカーズ」 「ヴィジット」

 

「Re:LIFE/リライフ

 The Rewrite

Date:2015 / 12 / 21

みるまえ

  ヒュー・グラントのコメディ…というと、やけに久々な気がしてくる。一時期はコンスタントにグラントのラブコメがやって来て、それなりに楽しませてくれ た。ところがある時点からそれが極度にマンネリ化。いつの間にか失速して、作品もあまり来なくなって来たような気がする。内容は…というと、かつてはハリ ウッドで売れっ子だった脚本家が落ちぶれて、田舎の大学講師に成り下がる。最初はやる気がなかった主人公だが、教え子と接するうちに徐々に生き方を見直す ようになる…って、これって彼のかつての主演作「ラブソングができるまで」 (2007)のお話を、ミュージシャンから脚本家に変えただけではねぇの? おまけに監督の名前を見たらマーク・ローレンスと来る。あちゃ〜、またこいつ かよ。確かヒュー・グラントはこいつと組んでからダメになってきたんじゃねえのか? だとすると、この作品もあまり期待できそうにない。さすがにこいつは パスかな…と思い始めた矢先、映画のことでは誰よりも信頼している知人から、「面白い」と連絡が入るではないか。そう聞いたら、これは見ない訳にいかな い。僕は仕事の合間を見て、何とか劇場へと駆けつけた次第。

ないよう

  「例えばジャック・ニコルソンが主人公で、自分の評価を知りたいと生前葬儀をやる。するとそこにアレコレ人間模様が…というコメディでして」…映画会社に 出かけては、新企画をプレゼンするキース・マイケルズ(ヒュー・グラント)。彼はかつては実績ある脚本家だったが、近年はヒットに見放されていた。そのせ いか、ハリウッドでの彼への視線は冷たい。どこに企画を持ち込んでも反応はイマイチ。今日もションボリ自宅に戻るアリサマだ。電話でエージェントのエレン (キャロライン・アーロン)に泣きつくと、彼女はとっておきの秘策を繰り出した。ハリウッドの正反対…アメリカの東側にある田舎町ビンガムトンで、大学の シナリオ講座の講師のクチがあるというのだ。しかしマイケルズは教えるという柄じゃないし、何より田舎に興味がない。検討するまでもなく却下…と思ってい たちょうどその時、何とマイケルズの家の電気が止まった。こうなると、もはや選択の余地はない。彼は飛行機を乗り、空港に用意されたクルマに乗り込んで、 問題のビンガムトンへとやって来る。このビンガムトンという街、マイケルズが事前にネットで調べたところ、ともかく面白みのない街のようだ。おまけに天気 がいつも芳しくない。マイケルズが到着したこの日も当然のように雨。彼に用意された家はそこそこ大きいものの、かなり年期の入った家だった。そんなこんな で近くのハンバーガー・ショップで飯を食うマイケルズ。すると、彼の方をチラチラ見ている女の子たちの一団と目が合う。何とそのうちの一人、メガネ美女の 女子大生カレン(ベラ・ヒースコート)は、マイケルズの講座を受けたいと思っているらしい。そういえば先ほどの地方空港でも、荷物検査の際にかつてのヒッ ト作「間違いの楽園」の件でモテはやされた。ここでもまだマイケルズの過去の栄光が通じるらしいのだ。ついつい調子に乗ったマイケルズは、カレンと意気投 合。彼女を「お持ち帰り」することになったから、先が思いやられる限りだ。さて、翌朝にはちょっと変わった隣人が犬を連れて襲来。その男ジム(クリス・エ リオット)は何と大学で同僚になる男で、シャイクスピアが専門の英文学の講師だった。ともかくマイケルズは、早々にいろいろな意味でこの地の人々と「親し く」なり始めたわけだ。そんなこんなで大学を訪れたマイケルズは、学科長のラーナー(J・K・シモンズ)に歓迎される。ただしラーナーは海兵隊上がりのな かなかのコワモテ。おまけにマイケルズ到着前に受講者選抜のために希望者に課題を出し、70人にシナリオを書かせていた。この中から10人を選べ…と言わ れてウンザリするマイケルズだが、見た目がいかついラーナーに文句は言える訳はない。さらに夕方からの教員たちの懇親会会場に向かおうとしていたマイケル ズに、ホリー(マリサ・トメイ)が話しかけてくる。てっきり教員かと思ったら、この大学の売店で働きながら学ぶシングルマザーのホリー。彼女は例の課題シ ナリオの締め切りに間に合わなかったものの、何とか書き上げたので読んで欲しい…とマイケルズに作品を押し付けてくる。それでなくても持て余しているのに 1件追加となって、マイケルズはさらにお腹いっぱい状態だ。そんな状態でやって来た懇親会では、持ち前のチャランポランなハリウッド流で周囲を笑わすマイ ケルズ。ワインの酔いも手伝って調子に乗ったマイケルズは、この大学で最もうるさ方で、ジェーン・オースティンの権威であるウェルドン教授(アリソン・ ジャネイ)に対して、オースティンをオチョクる発言を連発。懇親会はたちまち微妙な空気に包まれてしまう。そんなこんなで自宅に戻って来たマイケルズは、 パソコンでかつてのオスカー授賞式の動画を見る。それは彼が「間違いの楽園」でオスカーを授賞した際の、スピーチの映像だった。思えばこの時が彼のキャリ アの絶頂。その後の彼は、文字通りの「一発屋」に成り下がってしまった。いまや、彼にはプライドの欠片もない。例の課題シナリオの入った箱を持ち出したマ イケルズは、シナリオに書かれた名前を頼りに彼らのことをネットで検索。そこにアップされている写真の「見た目」で判断して、女は美形ばかり、男はそんな 女たちから相手にされそうもない連中を選んだ。この講座を、マイケルズにとっておいしいハーレムにするつもりなのだ。こんな状態で迎えた初講義が、マトモ なものになる訳がない。案の定、マイケルズはワクワクしながら集まって来た生徒たちに向かって、提出された短い課題シナリオでは足りないから映画1本分の 長さのシナリオを書くように…と課題を出したあげく、一カ月の休講を言い放つ。結局この期に及んでも、徹頭徹尾やる気がないマイケルズではあった。当然、 こんな調子でタダで済む訳がない。まず反応して来たのは、あのシングルマザーのホリー。どうして自分がシナリオ講座の選抜からはずれたのか、自分のシナリ オのどこが悪かったのか…と質問攻め。読んでもいないマイケルズはしどろもどろにならざるを得ず、すぐに読んでいないことを見抜かれてしまう。そんなグイ グイ来るホリーに、ついついシナリオ批評を約束させられてしまうマイケルズ。おまけに学科長のラーナーからは、くだんの「一カ月休講」問題を指摘されるア リサマ。この事も含め、懇親会でマイケルズが怒らせたウェルドン教授がいろいろ問題視していると忠告されてしまう。この大学の「お局」であるウェルドン教 授を怒らせたら居場所がなくなるとも聞かされて、さすがに事態の深刻さを理解したマイケルズは、「女にはプレゼント」とばかりに贈り物持参でウェルドン教 授のもとを訪れる。それがジェーン・オースティン好きのウェルドン教授向けに、オースティン原作の映画DVDの数々やオースティン・グッズのバッグなど… というあたりがマイケルズ流。これが功を奏したか、マイケルズは何とか「命乞い」に成功。「一カ月休講」を撤回し、授業を再開することになる。こうして再 開第一弾の授業には、あのホリーも追加の生徒として招いたマイケルズ。しかし、そもそも教師なんて真面目に考えたこともないマイケルズは、いざ授業を始め ようにも何をしていいか分からない。これは困った。気まずそうに口をパクパクさせているマイケルズを見かねたホリーは、「なぜここに来たのか?」と質問し て助け舟を出す。そこから、何とか会話が広がって、徐々に「講座」らしくサマになってくるマイケルズだったが…。

ここからは映画を見てから!

みたあと
  冒頭でも述べたが、近年のヒュー・グラント主演映画って、どれもこれも「ヒュー・グラントもの」とでも呼ぶべきワンパターン化していたのはご承知の通り。 いろいろ作品はあれど、どれも主人公のキャラはまったく同じ。ただ名前と職業が違うだけで、シチュエーションもほぼ違いがない…というシロモノだった。そ して、それらの作品がずっとマーク・ローレンスの脚本・監督で作られてきたことを考えると、どこをどう見たってヒュー・グラントのマンネリの元凶はこの マーク・ローレンスに違いないと思うはずだ。近年ではさすがにグラントもマズいと思ったのか、珍しく題材的にも役柄的にも大胆にイメチェンした「クラウドアトラス」 (2013)に出演。そもそもシリアス映画が久しぶりだったこともあって、ちょっと新鮮な印象を与えた。これで「ヒュー・グラントもの」の呪縛から逃れて いろいろな作品に出るのか…と思っていたのだが、ここへ来て何が悲しくてまたまたマーク・ローレンスとのコンビ作。おまけに、今回の作品すでに申し上げた 通りにプロットはこの二人の過去のコンビ作「ラブソングができるまで」に酷似。何だか見る前からイヤな予感しかしなかったのだ。正直言って、知人からのお 褒めの言葉を聞いていなけりゃ見たかどうかも怪しい。そんな訳で劇場のスクリーンで対峙した本作は…というと、これが何だかいつもと様子が違う。確かにプ ロットは「ラブソングができるまで」と変わらないものの、流れているムードというか空気はまったく違う。これは決して、ドリュー・バリモアとマリサ・トメ イのヒロインの違いのせい…という訳ではないだろう。グラントだってやっていることはいつもと同じはずなのに…相変わらずC調ぶりを披露しているにも関わ らず。なぜか印象は微妙に違う。どこがどうとは言えないまでも、ちょっといつもと違う「苦み」「痛み」がチラつくのである。これはどうしたことなのだろう か?

みどころ
  正直言って、本作のどこがどう具体的に違うのか…ということを、映画のテクニックや要素の違いで説明することは難しい。というか、実は僕はそうした相違点 をちゃんとは発見できなかった。だから今回ばかりは僕も「何となく違う」というような抽象的な言い方でしか言えない。あくまで主観で感じるしかない「違 い」だ。だが、本作が「今までと異なる」作品に仕上がった理由らしきものなら、僕も何となく挙げられないでもない。それは、本作の主人公の職業に秘密があ るだろう。本作でヒュー・グラントが演じている主人公キース・マイケルズの職業は脚本家。つまり、これはマーク・ローレンス自身を仮託した役柄のようなの である。マーク・ローレンス自身、本来は「デンジャラス・ビューティー」(2001)などの「脚本家」として頭角を現した人。おそらくはその「デンジャラス・ビューティー」主演者であるサンドラ・ブロックつながりでブロックとヒュー・グラント主演の「トゥー・ウィークス・ノーティス」(2002)で監督デビュー。ここでグラントと縁ができて以来、「ラブソングができるまで」、「噂のモーガン夫妻」 (2009)、そして本作…と監督・主演コンビ作を作ってきた。その監督キャリアにグラント主演作以外の作品はない。こう言っては何だが、ヒュー・グラン トに「寄生」したようなキャリアなのである。そんな経緯もあって、僕はどうしてもこのマーク・ローレンスという映画人にあまりいい印象を持っていなかっ た。だが、それは本人にとっても忸怩たるものがあったのかもしれない。アカデミー賞こそ穫ってはいないがハリウッドの映画監督としてそれなりに成功を収め た彼としては、「毎度同じような映画」の量産を意に反して強いられてきたようなところもあるのかもしれない。だとすると、ここでグラントが演じている「脚 本家」…そして彼が持っている挫折感には、少なからずマーク・ローレンス自身の苦々しい思いも塗り込まれている可能性はある。そんな部分があるからこそ、 本作には今までの作品になかったような、真に迫った「苦み」「痛み」が感じられるのではないか。「自分が本当に描きたいことに必死にしがみつけ」という劇 中でのヒュー・グラントのセリフに実感がにじんだのは、そういう理由によるものではないかと思えるのだ。また、そんなマーク・ローレンスの意を汲んでか、 ヒュー・グラントも今までにない好演ぶり。そして今回は、「加齢」も追い風となった。すでに「老い」が迫るグラントは、いかに軽妙に振る舞おうとしてもど こか哀れさがつきまとう。従来型のグラント喜劇を演じるには厳しいこの「加齢」という要素を、今回は見事に味方につけたのが勝因だろう。そして従来作品と の肌触りの違いは、今回の相手役であるマリサ・トメイによってもたらされたものかもしれない。トメイ自身の役柄は「レスラー」 (2008)などと同様に割とパターン化されたもの。それでも彼女の自然体の演技のおかげで、本作はそれまでのマーク・ローレンス=ヒュー・グラント喜劇 と比べて、リアルな感触を持つ映画になったと思う。やればできるのだ。ここから両人のコンビ作がどう変貌するのか、ちょっと楽しみになってきた。

さいごのひとこと

 映画冒頭の企画プレゼン場面は、僕にはシャレにならなかった。

 

「コードネーム U.N.C.L.E.

 The Man from U.N.C.L.E.

Date:2015 / 12 / 14

みるまえ

  懐かしのテレビシリーズ「0011ナポレオン・ソロ」(1964〜1968)の映画化である。最近は何でもかんでも映画化・リメイクしてしまうハリウッド だから、むしろこれほど有名なコンテンツが手つかずだったことにビックリだ。だが僕はリアルタイムで見るには少々幼い年齢だったこともあって、このシリー ズのことは知っていながらちゃんと見たことがなかった。ある程度の年齢になって、映画ファンとしてビデオで見たことを告白しなくてはなるまい。僕だってそ んなアリサマなのだから、イマドキの若い映画ファンにとっては「ナポレオン・ソロ」って何だ?…ってことになりかねない。それを察してか、日本ではこの映 画を「ナポレオン・ソロ」としてでなく、あくまで「コードネーム U.N.C.L.E.」というスパイ映画として売ろうとしているようだ。それも無理ないかもしれない。その代わり今回の「売り」としては、監督をあのガ イ・リッチーが手がけたということがある。近年、「シャーロック・ホームズ」(2009)と「シャーロック・ホームズ/シャドウゲーム」(2011)の2 作で娯楽映画の最前線に復帰した観があるリッチーなら、オシャレでカッコいいアクション映画を撮ってくれるはず。知人からもいい評判しか聞こえて来ない。 仕事の都合もあってモタモタしていたが、何とか時間を作って劇場に駆け込んだ。

ないよう

  第二次世界大戦後、世界秩序は大きく変わった。アメリカとソ連という2大国が対立し、それぞれ東西両陣営に別れて水面下でしのぎを削る「冷戦」という新し い戦争が始まったのだ。そんな東西冷戦真っただ中の1963年のこと。ここは東西対立の最前線ベルリン。パリっとしたスーツで決めた伊達男が、西ベルリン から東ベルリンの検問所を通過しようとしている。その男こそわれらがCIA諜報員ナポレオン・ソロ(ヘンリー・カヴィル)。その時、物陰からチラリとソロ を伺う一人の若い男。そんな事には気づいてるのか気づいていないのか、ソロは東ベルリンの裏町へとやって来る。そこには自動車修理工場があって、一人の修 理工がソロを待ち受けていた。その修理工は…若く美しい女。その名をギャビー・テラー(アリシア・ヴィキャンデル)という。なぜソロがこの工場までやって 来たか…というと、いささか話が長くなる。実はギャビーの父親は物理学者で、原爆製造のノウハウを持っていた。しかしナチスドイツの敗北によってアメリカ に引き取られ、アメリカの原爆製造に貢献していたのだが…最近、なぜか突然失踪してしまったのだ。情報によればギャビーの父親は地下に潜ったナチの残党に 捕らえられ、彼らのために原爆を作らされているという。そこでソロはここ東ベルリンに派遣され、父親とのつなぎ役となる伯父ルディ(シルベスター・グロー ト)と接触するために、ギャビーを西側に連れ出すことになった訳だ。そんな急展開に唖然とするギャビーだが、すでに選択の余地はなくなっていた。工場の外 に、ある人物が張り込んでいたからだ。その人物こそ、検問所でソロの様子を伺っていた男、KGB諜報員イリヤ・クリヤキン(アーミー・ハマー)。もはや一 刻の猶予もない二人は、工場にあるクルマでその場を逃げ出した。当然のことながら、クルマで追って来るイリヤ。ソロとギャビーのクルマとイリヤのクルマに よる、追いつ追われつのデッドヒートが夜の東ベルリンの街で展開する。ついにはソロとギャビーは極細な路地にクルマごと突っ込んで挟まったあげく、そこか ら窓を開けてアパートの中になだれ込む。そのアパートの屋上に上がると、目の前にはベルリンの壁、さらにその彼方は西ベルリンだ。その西ベルリン側では、 CIAの仲間がトラックを用意して待機中。ソロたちが上がってきたのを見て、東ベルリンのアパートの建物にロープを付けた銛を撃ち込んだ。これで即席の ロープウェイが完成。ソロとギャビーはそこにぶら下がって、一気に西ベルリンへと逃亡だ。しかしイリヤも負けていない。アパートの屋上にやって来てロープ にぶら下がると、ソロたちの後を追って西ベルリン側へ。しかし間一髪でCIA側からロープを弛まされてて、イリヤは緩衝地帯へと落下。まんまと逃げられた イリヤは、怒り心頭で去って行くソロたちを見つめるしかない…。そんなわけで今回はソロの圧勝となった訳だが、手強いソ連の好敵手のイメージは、ソロの脳 裏に強烈に焼き付いた…。そんな訳でギャビーを無事西ベルリンに連れて来たソロだったが、CIAの上司サンダース(ジャレッド・ハリス)がさらに指令を与 えようとすると、ついつい不平不満が口に出る。しかし、これはちょいとマズかった。実はソロはCIAの腕利き諜報員ではあるが、決して上司や組織に強気に 出られる立場ではなかった。元々ソロは第二次大戦中に米軍兵士としてヨーロッパにやって来たが、その最中にいろいろと「うまくやって」甘い汁をすすってい たのだ。結局それらの悪事は露見して逮捕されたものの、あまりの腕の良さ度胸の良さを買ってCIAが身元を引き受けた。つまり、ソロがシャバにいられるの も、CIAの胸三寸という訳なのだ。もちろん、ソロが今のご身分にしてはあまりに高級なスーツを身につけていることなど、CIAが分かっていないはずがな い。分かっていながら見逃してやっているんだ…とまで言われると、休む間もなく「新たな任務」に就かざるを得ないソロではあった。そんなこんなで、サン ダースに公園に連れて行かれるソロ。何を思ったかサンダースは、ソロと一緒に公園の便所に入って行った。おもむろに小便をし出すサンダースに、ソロは戸惑 うばかり。ところがその便所に…ベルリンの壁の向こう側に置き去りにしたはずのKGB諜報員イリヤがいきなり現れるではないか! アッと驚く間もなく、イ リヤに胸ぐらつかまれるソロ。こうして二人は便所をブチ壊さんばかりの大暴れを始める。不意を突かれて絶対絶命のピンチとなったソロだったが、そこにもう 一人の人物が登場。荒れ狂うイリヤを穏やかに止めるから驚いた。この人物こそ、イリヤの上司オレーグ(ミシャ・クズネツォフ)。何とCIAとKGBという 米ソの2大組織の人間が顔を揃えながら、サンダースもオレーグもまったく平然としている。これは一体どうしたことだ。これこそナポレオン・ソロが今まさに 命じられようとしていた…そして同様にイリヤ・クリヤキンも命じられようとしている、「二人」にとっての新しい任務だったのである…。

みたあと
 こう してソロとイリヤのコンビによる活躍が始まる…というワケだが、正直言って僕はここまで見ていてかなり驚いた。正直言って僕は別にテレビシリーズ 「0011ナポレオン・ソロ」の熱心なファンじゃなかったから、当然のことながらドラマを最初からずっと見ていた訳ではなかった。だから僕が見ていた「ナ ポレオン・ソロ」での二人は、皮肉っぽいやりとりこそすれ、そんなに激しく対立したり出し抜こうとしていたような印象がない。最初はこんなに一触即発だっ たのか…と改めて驚かされたような次第だ。このように…僕はテレビの「ナポレオン・ソロ」を、リアルタイムではちゃんと見ていない。しかしこのドラマが、 ロバート・ヴォーン演じるソロとデビッド・マッカラム演じるイリヤのコンビネーションの妙で見せるスパイものであることぐらいは、僕も子供ながらに何とな く知っていた。特になぜか日本では、デビッド・マッカラムの人気が爆発。「小さな恋のメロディ」(1971)のトレーシー・ハイドみたいに「日本でだけ受 ける海外スター」みたいになっていた。まぁ、正直言ってロバート・ヴォーンのちょっとアクのある個性は、日本では受けにくいのかもしれない。僕は…と言う と、それほど見ていないにも関わらず、ヴォーンについてはいいイメージを持っていた。それと言うのも、日本ではロバート・ヴォーンの声をベテラン声優の矢 島正明がアテていたからかもしれない。かつて「スター・トレック」こと「宇宙大作戦」(1966〜1969)のカーク船長や田宮次郎司会の「クイズ・タイ ムショック」で出題コンピュータの声も担当していた矢島の声は、沈着冷静で都会的でクール。にもかかわらず、ちょっとシャレっけのある暖かみも感じさせ た。矢島の声のおかげで、僕はロバート・ヴォーンが好きになったのかもしれない。その後、オールスターのパニック巨編「タワーリング・インフェルノ」 (1974)や角川映画の大作「復活の日」(1980)などの出演作を見た時も、頭の中では矢島正明の声で再生されていたような気がする。そんなヴォーン の持ち役ナポレオン・ソロを今回は誰が演じるのかと思ったら…な、何と「マン・オブ・スティール」(2013)で暗いスーパーマンを演じたヘンリー・カ ヴィルなる役者が演じるというではないか。う〜ん、これは…。実は、僕はクリストファー・リーブがスーパーマンを演じた「スーパーマン」(1978)、 「スーパーマンII/冒険編」(1980)の2作が大好きなので、カヴィルが演じた「マン・オブ・スティール」にはちょっと違和感を感じていた。映画自体 はそれなりに面白く出来ていたし、こういうスーパーマンも「アリ」か…と納得してはいたものの、心から気に入ったかというと微妙。そもそもカヴィルに、あ まり役者としての魅力を感じなかった。そんなカヴィルの「ナポレオン・ソロ」ってどうなんだろう? 残念ながらイリヤ役の俳優も知らない奴だし、他のキャ ストもヒュー・グラント以外は分からない。評判はいいけど、果たしてこれって僕が見て楽しめるのだろうか?…と、いささか不安になっていた。ガイ・リッ チーの演出にも全幅の信頼を寄せている訳ではなかったし…。知人たちの絶賛を聞いていたので安心して見に行ったものの、不安要素は完全には抜けていなかっ たのだ。

みどころ
 結論 から申し上げると、僕はこの映画を120パーセント楽しんだ。その最大の理由はというと、実際のテレビドラマが製作・放映されていた1960年代のムード を、忠実過ぎるほど再現していたからだ。前々から何度も言ってるけど、僕は1960年代が大好き。その時代に自分が子供だったことが悔しい。それくらい 1960年代のすべてが好きだ。そういや大抵の映画ファンから酷評されている「NINE/ナイン」(2009)を、おそらくただ一人ホメてるのが僕じゃな いだろうか。ネットの映画ファンから「何でオマエはあんなのホメるんだ」と公然と笑われたりバカにされたりもしたが、好きなものは仕方ない。オレが好きっ て言ったら好きなんだ、大きなお世話なんだよオマエら。僕があの映画を好きだったのは、「フェリーニを演じるマルチェロ・マストロヤンニ」を演じるダニエ ル・デイ=ルイスの男性ファッションをはじめ、1960年代ムードが全編にムンムン漂っているから。そしてあの時代と来たら、なぜかヨーロッパがオシャレ で先端だった。ビートルズにミニスカート、イタリアのデザインにヌーヴェルバーグの映画…。戦後に世界の勢力図が大きくヨーロッパからアメリカに移行した にも関わらず、1960年の文化や流行りモノはヨーロッパが震源地だった。それにはひょっとすると、ハリウッド映画の事情が大きく貢献していたかもしれな い。ちょうど1960年あたりをピークに、映画はテレビの影響を受けて少しずつ衰退の兆しを見せていた。そこでハリウッドが打った手はいくつかあって、テ レビでは見せられないスペクタクルやエロやグロを見せるという路線。そしてもう一つが、人件費や諸経費が高いハリウッドでの製作を捨てて、ヨーロッパで映 画を撮るという路線だ。だからこの当時、ヨーロッパを舞台にしたハリウッド映画がやたら多かった。そしてミケランジェロ・アントニオーニやフランソワ・ト リュフォーらが英語映画を撮ったり、ソフィア・ローレンやクラウディア・カルディナーレらがハリウッド映画に出たり、ヨーロッパ・テイストがハリウッド映 画に充満したのだった。本作はもちろん「0011ナポレオン・ソロ」の映画化作品で、1960年代に作られた同テレビシリーズの雰囲気に忠実に作っている のだが、それ以上に当時のそんなハリウッド映画の気分を再現している。そもそも、シネマスコープ・サイズの横長画面がそうだ。画面の明るくカラフルな色合 いがそうだ。サウンドトラックには当時のオシャレな曲を流したり、エンニオ・モリコーネの曲を流したりして気分を出している。CGを駆使して当時の風景や 時代色を再現しているのは、「シャーロック・ホームズ」での経験が活かされているのだろう。同じく「シャーロック・ホームズ」からは、懐かしのおなじみ キャラクターや設定を使って、イマドキのイキイキした映画を作り上げるノウハウを受け継いだに違いない。そして今回は、「ロック、ストック&トゥー・ス モーキング・バレルズ」(1998)からガイ・リッチー作品の意匠となった、途中でスローにしたり早送りにしたりランニングタイムを自在に変化させるアク ションを、なぜか意外なくらい封印していたことに驚いた。それもまた、1960年代気分を壊したくないというガイ・リッチーの配慮だったのではないだろう か。ガイ・リッチー十八番のランニングタイムいじりの代わりに、アクション場面で1960年代映画でおなじみだった画面分割を行っている(イマドキこんな ことをやるのはブライアン・デパーマだけかも)のは、そういう意図からだろう。そんなこんなで全編1960年代のシャレたムードがたっぷりの本作は、僕に とってのごちそうだった。そして意外にも素晴らしかったのが、見る前に懸念されたヘンリー・カヴィルのナポレオン・ソロ。驚いたことに…カヴィルの持って いるちょっとしたクセが、映画を見ているうちにどこかロバート・ヴォーンのアクの強さに通じるものに見えてくる。どちらも一癖あって…しかし、それがチ ラッと隠し味程度に漂うあたりが共通している。これは意外に意外なほどハマったキャスティングではないか? しかもちょっと注目してしまったのがカヴィル の声で、その声の質、しゃべり方…ともに妙に心地よい。こちらもロバート・ヴォーンと同様、矢島正明の声とは違う(笑)のだが、心地よさという点では通じ るものを感じてしまう。「マン・オブ・スティール」の時には俳優としての魅力をまったく感じなかったが、今回は大いに見直してしまったのだ。あまり期待し ていなかったけれど、この映画ってかなり面白いんじゃないだろうか。今回はあくまで「紹介篇」といった作りになっているが、この楽しさは1回で終わらせる のは惜しい。珍しく、こちらから続編を希望したくなった。いや、ぜひシリーズ化を!

さいごのひとこと

 ヘンリー・カヴィルはアゴが割れてるとこまでヴォーン似。

 

「ムーン・ウォーカーズ

 Moonwalkers

Date:2015 / 12 / 14

みるまえ

 僕はそこらへんの一般人よりは多く映画を見ているものの、近年は「映画ファン」と言っていいかどうか怪しくなってきた。それは忙しくて映画が見れないということもあるが、映画情報にスッカリ疎くなったこともある。昨年、ドキュメンタリー映画「ROOM 237」 (2012)を見た時には、特にそれを強く感じた。そもそも僕は、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」(1980)は大好きだったが、あれほど いろいろな「疑惑」に包まれているとは知らなかった。中でもスゴいのが、アポロ11号の月面着陸は捏造で、そこにキューブリックが関わっているというウワ サ。早い話が「カプリコン・1」(1977)と同じネタで、「2001年宇宙の旅」(1968)でリアルな宇宙場面を創り上げたキューブリックだからこそ 言われたウワサなんだろう。で、今回の話はそれを下敷きにしたお話。実際にキューブリックに捏造映像を作らせようとした男と、それをめぐるドタバタ…と聞 いて、盛り上がらない映画ファンはいないだろう。どう考えてもメチャクチャ面白そうな題材ではないか。「ヘルボーイ」(2004)のロン・パールマンと「ハリー・ポッター」シリーズのロンことルパート・グリントという異色の顔合わせも興味深い。ひょっとしたら隠れた傑作かも…とちょっと期待しながら、僕はイソイソと劇場に出かけて行った。

ないよう

 そのむさ苦しいまでに逞しい男は、鬱陶しいジャン グルの中を進んでいた。明らかに緊張した様子で、辺りに気を配りながら歩む彼に迫るのは…ベトコンの集団! 絶体絶命のピンチに精神的な緊張がマックスに なったこの男がふと気づくと…そこは男の母国アメリカにある平凡なアパートの寝室。男の名はキッドマン(ロン・パールマン)。彼はベトナム戦争での体験が トラウマとなり、アメリカに帰国した今も白日夢に苦しんでいる。そんなキッドマンの元に1本の電話が入る。それは軍からの呼び出しだった。キッドマンの仕 事はCIA諜報員。彼を呼び出したディックフォード大佐(ジェイ・ベネディクト)は、すこぶる付きのヤバい極秘任務を指示した。時は1969年6月。アメ リカはアポロ11号を打ち上げ、人類初の月面着陸を実現させようとしていた。しかし、NASAはこのミッションの成功を危ぶんでいた。もし失敗すれば、ソ 連に先を越されてしまう。そこで大佐は、事もあろうに捏造映像を用意して保険をかけようとしていた。やらせるならば、現時点で最高の人材に。ならば、 「2001年宇宙の旅」で迫真の宇宙映像を創り上げたスタンリー・キューブリックを置いて他にはいない。そこで、ロンドンに住むキューブリックにこの捏造 映像を撮らせようというのがキッドマンの今回の仕事。もちろん機密保持のため、すべてが終わった時点で関係者すべてを抹殺するのは言うまでもない。キッド マンはキューブリック説得のための大金と必要な書類を持たされ、ロンドンへと旅立つことになった。その頃、そのロンドンでは…ショボいライブハウスの楽屋 で、売れそうもないロックバンドのメンバーにマネジャーのジョニー(ルパート・グリント)がアレコレと説き伏せている最中。いわく、これから始まるライブ は大事であること、レコード会社のVIPが見に来ていること、円満にライブを進めて実力を見せつけること…どうやらこのバンド、ライブのたびに毎度毎度ト ラブル続きらしい。しかし頭の悪そうなバンドのメンバーたちに、ジョニーの必死の説得は届いたかどうか。案の定、ライブは幕開けから大荒れ。メンバーは慌 てて会場から飛び出し、オンボロのバンに乗り込んで逃げ出すハメになった。さすがにこの展開に煮詰まる一同。いつまで経ってもレコード・デビューのアテも ない状況に、バンド・メンバーもキレた。資金繰りに苦しみ借金まみれのジョニーだったが、奮闘の甲斐もなくバンドにクビにされてしまう…。その頃、ロンド ン行きの飛行機に乗っていたキッドマンは、隣に乗った乗客のおしゃべりに閉口していた。怒りの沸点に達したキッドマンは、この乗客を「実力」で黙らせる。 しかしその拍子に、大事な指令の書類をコーヒーで汚してしまった。不運にも書類のキューブリックの顔写真が見えなくなってしまったのだ…。さて、舞台はま たしてもロンドン。バンドにはクビにされるわ、借金取りにはアパートを荒らされるわ、ルームメイトのレオン(ロバート・シーハン)はヤクのキメすぎで頼り にならないわ…で八方ふさがりのジョニー。仕方なくタレント・エージェント業で成功している従兄弟のデレク(スティーヴン・キャンベル・ムーア)のもとへ 赴き、カネの無心をすることにする。だが、デレクの反応は冷たい。そもそもジョニーにはダメ男の烙印が押されていて、信用がゼロということもあったのだ が…。ところがそのデレクがヤクをキメにちょっと部屋を空けたその時、何とあのキッドマンが入って来るではないか。オマエがエージェントか、キューブリッ クのマネージメントをしているのか、キューブリックに仕事を頼みたい…と、いきなりコワモテで畳み掛けるように話しかけてくるキッドマンに、何が何やら分 からないジョニーは戸惑うばかり。ただ、キッドマンが「大金」について口走ると、その点だけはバッチリ理解した。そうなると、持ち前のイカサマ臭い性分が 頭をもたげるジョニーは、その場でとっさに「キューブリックのエージェント」に成りきる。こうしてキッドマンはジョニーと「キューブリック」とのミーティ ングを決めて、竜巻のようにその場を立ち去ってしまう。一方、ジョニーは「千載一遇のチャンス到来」と大喜びしてアパートに舞い戻り、ルームメイトのレオ ンのモシャモシャ頭とヒゲを借り整えて「キューブリック」に見せようと画策するのだが…。

みたあと
 アポ ロ11号とキューブリックにまつわる都市伝説のお話で、舞台はサイケデリック・ムーブメント華やかりし頃の1960年代末のロンドン…と来ると、どう考え たって面白くしかなりようがない気がする。映画の裏話は元々大好きだし、アポロ計画やら宇宙開発の話も興味ある。そして僕は何より1960年代に憧れてい る。こうなっちゃうとハンバーグ・カレーというか、好きなモノばかりで困っちゃう…的な嬉しい悩み。主演の二人もちょっと気になる役者ではあるし、ハズシ ようがないと安心しきって劇場へ。映画が始まるとオープニングタイトルには、1960年代感ムンムンのどサイケなアニメが出て来て気分を大いに盛り上げ る。ロン・パールマンはベトナム戦争後遺症だし、ルパート・グリントはロックバンドのマネジャーという「いかにも」な設定。映画が始まるや否や、これは期 待通り面白くなりそう…とワクワクし始めた。

こうすれば
  ところが、それだけで映画が面白くなるなら苦労はない。映画は中盤あたりから明らかに失速してくるのである。その最たるところが…キューブリックを使うと いうプランを捨てて、このチャラ男マネジャーの人脈を使って捏造映像を作ろうとするあたりからだろうか。いくら何でも無理がありすぎ。ここまで無茶な設定 だともはや笑えない。しかも途中から、PTSDを患っているとはいえ腕利きのCIAエージェントであるはずのキッドマンがなぜかドラッグに溺れてしまう。 お話としては、そこで冷血な諜報員だったキッドマンが「ラブ&ピース」な人間性に目覚める…という肯定的な内容で描くつもりだったんだろうが、見ているこ ちらとしては有能なはずのCIAエージェントが怠惰で使いモノにならないブタみたいなクズヒッピーとツルんでるようにしか見えない。本当ならアポロ11号 の捏造映像づくりで手に汗握る展開になっていくはずが、全然横道にそれちゃって面白くないのである。そもそも本来だったなら、リアルな宇宙船のセット建設 の面白さとか、撮影のてんやわんやをいくらでも面白おかしく描けるはず。それがまったく描けていない。主人公たちが、ただただブタみたいにダラダラやって るだけ。しかもあまりに頭の悪い展開になってしまうためか、それまでのキッドマンの言動も果たして優秀といえるのかどうか…と、見ている側が考えなくても いいところまで考えが及んでしまう。大体が書類が汚れてキューブリックの顔が分からなくなったからといって、敏腕なCIAエージェントがこの安っぽいマネ ジャー風情にダマされるはずがないだろう。腕っ節に自信があるのは分かるが、地元ヤクザにケンカを売ってわざわざ事を面倒にすることもないだろう。キッド マンも相当にアホではないか…とアラがどんどん見えていく。どうしてこんなにオイシイ題材を得ながら、ここまでつまらない映画になってしまったのか。アン トワーヌ・バルドー=ジャケなる監督、申し訳ないけど決定的にセンスがないので、もう二度と映画は撮らない方がいいと思う。

さいごのひとこと

 この題材でつまらなくするのはかえって難しい。

 

「ヴィジット

 The Visit

Date:2015 / 12 / 07

みるまえ

 M・ ナイト・シャマランの新作である。正直、これだけで説明は終えちゃってもいいくらい(笑)。だって、「あの」シャマランの新作だぜ! ただ、ここ最近の シャマランのフィルモグラフィーは、少々山あり谷ありだったことも事実。おそらく「ヴィレッジ」(2004)で自らが発掘した新星ブライス・ダラス・ハ ワードに入れ込んだあげく、ストーカーまがいに迫って玉砕したんじゃなかろうかと邪推したくなるトンデモ作「レディ・イン・ザ・ウォーター」(2006) が大コケ。焦ってサスペンス映画に戻った「ハプニング」(2008)はバカ映画なりに僕は面白かったが、次に撮ったマルコメ坊やみたいな少年が主役のファ ンタジー「エアベンダー」(2010)はまたまた大コケ。さすがに、これは僕ですら見なかった。これで干されたらしいシャマランが、何とウィル・スミス父 子に捕まって撮らされたのが、親バカSF大作「アフター・アース」(2013)。実はこれ、予想外の化学変化で奇跡的に面白かったのだが、世評はどれもこ れもボロクソだったし興行もボロボロ。さすがにこの2作連続の失敗で、シャマランも絶体絶命のピンチになってしまった。そんな崖っぷちのシャマランから、 この新作が届けられた訳だ。おまけに今回の作品は、ここんとこシャマランとしては「他流試合」的作品が続いていた観があった(原作があった「エアベン ダー」と雇われ監督としてアウェー感たっぷりだった「アフター・アース」)のに対して、久々にどストライクのホラー作品らしい。これはシャマラン、初心に 返って「勝負」に出たか? こうなると、早く見たくて仕方がない。ただ、正直言って見るのがコワい(笑)のも確か。そんなこんなでモタモタしているうち、 アッという間に上映館が都内に1館というアリサマ。制作中の本の初校戻しを済ませた後で、見逃してはいかん…と慌てて映画館に駆けつけた次第。

ないよう

  カメラ目線で、自分の若い頃の出来事を語るひとりの女性(キャスリン・ハーン)。彼女はそのカメラで撮影している15歳の少女ベッカ(オリビア・デヨン グ)のママだ。ママが語る話は、彼女と自分の夫となる男性との馴れ初めから始まる。それはママがまだティーンエイジャーの頃で、相手の男は学校の代理教師 だった。当然のことながら、ママの両親は二人の恋を認めなかった。こうしてママと両親との激しい諍いの末、ママは19歳で家を出ることになる。こうして駆 け落ちで結婚した二人だったが、その関係は長くは続かなかった。夫となったこの男は、スターバックスの店員の女に目移りしてママの元から去ってしまったの だ。そんな訳でママは家出してから15年間、両親とは会っていない。ところが…ひょんな事から両親からの連絡が来て、このたびベッカと13歳の弟タイラー (エド・オクセンボールド)がペンシルバニア州メイソンビに住む「祖父母」の家へ遊びに行くことになった。二人が訪問するのは一週間。どうしても家出した 時のわだかまりが捨てきれないママは、その間は恋人とクルーズの旅へ行く事になった。映画作家気取りのベッカは、その一週間の様子をすべてカメラに収め て、ドキュメンタリーを製作しようと意欲満々だ。このママへのインタビューもその一環なのは、言うまでもない…。月曜日の朝。ママに駅まで送ってもらい、 二人で列車に乗り込むベッカとタイラー。タイラーはお調子者で、列車の中でも自作のラップを披露してご機嫌だ。こうしてやって来た目的地の駅。列車を降り ると、おじいちゃんとおばあちゃんが二人の名前を書いた紙を掲げて迎えに来てくれた。二人のもとに駆け寄るベッカとタイラー。当然のことながら、彼らはお 互い初対面だ。おじいちゃん(ピーター・マクロビー)とおばあちゃん(ディアナ・デュナガン)は二人を大歓迎してくれて、彼らを自宅へ連れて行った。家は 田舎家だが、広くて居心地がいい。二人には二階の一部屋があてがわれた。映画監督気取りのベッカはこのドキュメンタリーのために素材がもっと必要と、弟タ イラーにもカメラを渡す。そのカメラを持ったタイラーが家の外に出ると、おじいちゃんが物置小屋から出入りするのが見えた。「おじいちゃん!」とタイラー は数回呼んだが、なぜかおじいちゃんは答えない。果たしてあの物置小屋には何があるのだろうか? ベッカとタイラーは、今度は家の床下で探検を始める。か なり広い家だけに、床下も迷いそうなほど広い。そこでかくれんぼをしていたベッカとタイラーだが、突然、タイラーの背後から何者かがすごいスピードで迫っ て来る。慌てたタイラーは這いつくばりながら必死で逃げるが、長い髪をバッサリと垂らした「何者か」はまるで蜘蛛のようにサササッと素早く迫ってくる。タ イラーが逃げ延びると、「何者か」は今度はベッカに接近。ベッカは捕まる寸前間一髪で床下から脱出した。すると床下から追いかけて出て来たのは…二人を見 て笑っているおばあちゃんではないか。これは二人をからかっただけなのか? 思わず安堵した二人だったが、その場を立ち去るおばあちゃんの後ろ姿を見て ビックリ。大奮闘のせいかおばあちゃんのスカートがまくれ上がり、その尻が丸出しになっているではないか。何となく奇妙なものを感じるベッカとタイラー。 その後、タイラーは例の物置小屋に興味を持ち、潜入してみることにする。おじいちゃんがいないのを見計らって中に入ると、もの凄い臭いが鼻を突いて来る。 奥に山積みされている「何か」を見てみると…なんと粗相した大人用オムツの山ではないか。さすがに悲鳴を挙げて逃げ出すタイラー。これを受けて、ベッカは おばあちゃんに事情を聞いてみる。おばあちゃんいわく、おじいちゃんはオムツが必要な身であり、そのことを恥じている。それ故、使用済みオムツを物置小屋 に隠しているのだ…と説明する。そう言われれば、ベッカも納得せざるを得ない。夜になると、おじいちゃんは地下室はカビだらけだから行かないように…とわ ざわざ言いに来る。さらに自分たちは9時半には寝てしまうから、子供たちも寝るように…と付け加える。都会っ子で宵っ張りの二人としては不満もあったが、 何も娯楽がない場所だから仕方がない。こうして床に就いた二人だったが、やはり眠れる訳がない。10時半近くになっても眠れないので、ベッカは下にクッ キーを取りに行くことにした。ところが部屋を出て下に降りて行こうとすると、妙な物音がする。何とおばあちゃんが夢遊病者のように出て来て、床にいきなり ゲロを吐くではないか…!

みたあと
 得意 のホラー・サスペンス畑に復帰したシャマラン…とは聞いていたが、見始めてビックリ仰天。何とこの作品、すべて素人カメラによる目線で描かれるという「疑 似ドキュメンタリー」の手法で描かれているではないか! 確かに「食人族」(1981)やら「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)で注目された この手法は、ホラー・サスペンスの作品にはうってつけ。そしてケレン味で売っているシャマランにも、この手法はピッタリな気がして来る。しかし意外にも、 シャマランがこのやり方で撮るのは今回が初めてなのだ。もっとも、この手法は「邪道」であると毛嫌いする映画ファンも少なくないし、何よりビデオカメラで 撮影しちゃうというのが基本だから予算が少なくて済む。つまり、どちらかというと独立系の新人や、「格下」の映画作家が撮るケースが大 半なのである。ベテランがこの手法を採用することは、まずないのだ。おまけにこの手法はすでにかなり使い古されていて、「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008)や「クロニクル」(2011)などの優れた作品も生んではいるが、イマドキじゃかなり色あせたモノになって いる。それなりにヒットも飛ばして名を知られた監督がこれをやっているのは、レニー・ハーリンの「ディアトロフ・インシデント」(2012)ぐらいのもの ではないだろうか。しかもレニー・ハーリンの場合、度重なる大型予算映画の大コケの末、ハリウッドからは干された状態だった。確かにシャマランも「崖っぷ ち」ではあるが、まだまだ腐ってもシャマランでそこまでは行ってない(笑)。だから彼が今回この手法を使うのは、極めて異例だと言えるのである。彼の久々 のホラー・サスペンスへの復帰とともに、今回の作品への並々ならぬ覚悟が感じられると言えるかもしれない。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
 今回の作品を一言で評するならば、次の言葉で万人が満足するかもしれない。すなわち「コワくない」(笑)。確かに最初から怪しげな状況が描かれ、気色悪 いムードが充満するにも関わらず、大して怖いことは起きてない。否、起きてるんだけど、見ているこっちはそれを「怖い」と感じないのだ(笑)。これはすで にシャマランの「トンデモ体質」が広く知れ渡っていることと、どこか関係があるのかもしれない。シャマランは一生懸命盛り上げようとしているのだが、どう しても見ていて「やってるやってる」と笑いがこみ上げてくるのである。ただ今回の作品の場合、そもそも描かれている趣向が最初からチャチでチマっとしてい る。田舎のジジババが何だかゴソゴソ変なことをやっている…というだけの話だから、ハナからやっていることがショボいのだ。やっと終盤になって正体が明ら かになってから本当にヤバくなるのだが、それもガキどもがちょっと本気出したらすぐに撃退されるほどのだらしなさ。ジジイなんてガキに冷蔵庫の扉で頭を何 度も挟まれてダウンしちゃうんだから、情けないやら不甲斐ないやら。結局こいつはガキのツラにウンコなすり付けただけ。シャマランよりこいつに「やる気あ るのか!」と頭に来たよ(笑)。大体、最初から祖父祖母の顔を知らせる方法もなく子供だけ田舎に行かせる親がいるんだろうか…とか、ジジババはなぜガキど もをすぐに襲わずに一週間も我慢していたのか…とか、いくら田舎でもずっと老夫婦が入れ替わっていることが分からなかったのだろうか…とか、物語の状況を 作り出すための不自然さが目に余る。シャマラン映画の不自然さは今に始まったことではないが、今回はそれが極まった感じだ。そのあたりも、見ていて笑っ ちゃいたくなる一因ではある。結局、仲間内で怖い話をするみたいに、「脅かしてやろう」というケレン味「だけ」の映画なのである。逆にそれなりのベテラン で実績もある映画作家が、「それだけ」で映画を作っちゃうことに驚かされたくらいだ。

みどころ
  逆にいいところは、「コワくない」から安心して見ていられる(笑)。それは冗談だが、こんな映画でもちょっと感心したところがある。映画の前半から老夫婦 の「奇行」がアレコレ描かれて、不気味ムードが醸成されていく。それらは決して超自然的な現象でもなければ、少なくとも映画の前半部分に限れば残虐な描写 でもない。ボケや痴呆、徘徊などは老人には付きもの。別にビックリすることは何一つないのだ。だがそれらは、見ようによっては奇怪な状況と言えなくもな い。実は僕はこのあたり見ていて、シャマランはホラーの形を借りて、「老人問題」「高齢化問題」を描こうとしているのではないか…と思い始めていた。例え ばスタンリー・キューブリックが「シャイニング」(1980)で「核家族問題」を描いたように、ホラーという切り口で「高齢化社会」を斬るつもりなんじゃ ないだろうか…とも思えたのだ。実際にはそんな深いことをシャマランが考えている訳もなかったのだが(笑)、確かにそういうホラーの可能性はあると思う。 それを考えさせてくれただけでも、本作の意味はあったかも(笑)。そして散々ケナしちゃったけど、実は僕はそれでもシャマランは好きだ。いっぱしの映画 ファン面したがる連中は手っ取り早くシャマランをバカにして利口ヅラするが、果たしてそれって正しいのか。何かと言えばリメイク、シリーズ化、テレビドラ マの映画化、マンガの映画化…と企画が貧困化する一方のハリウッドで、この男だけが「何かやらかそう」としているのを見ていると、僕はどうしても彼をコキ 下ろせないのだ。これは僕は本気で言ってるよ。

さいごのひとこと

 自分を出演させなかっただけでもシャマランの進歩。

 

 to : Review 2015

 to : Classics Index 

 to : HOME