新作映画1000本ノック 2015年10月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「カリフォルニア・ダウン」 「サム・ペキンパー/情熱と美学」 「ジュラシック・ワールド」 「黒衣の刺客」 「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」 「わたしに会うまでの1600キロ」

 

「カリフォルニア・ダウン

 San Andreas

Date:2015 / 10 / 26

みるまえ

  他の映画ファンのみなさん同様、僕にもご贔屓のスターがいる。この人の映画なら、つまんなくても全部見る…と思えるスター。昔ならマイケル・ケインやリ チャード・ドレイファス、ちょっと前ならアイス・キューブの映画は全部見たいと思っていた。それは、彼らならセンスある作品選択をしていて、出る映画は例 え駄作でも見るべき部分が必ずある…と思えたからだ。そんな僕が、現在最も贔屓にしているスターが「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンだ。プロレス ラー上がりの彼だが、最初から異業種参入とは思えない芸達者ぶり。そして、彼が出る映画はなぜか面白い。それを意識し始めたのは、ゲームを原作にしたSFサスペンス「ドゥーム」(2005)あたりからだろうか。それ以来、彼の映画は都合がつかずに見逃してしまったものもあったものの、ほとんど公開すぐに駆けつけることにしている。最近ではそんなジョンソンのスター性が注目されたのか、「ワイルド・スピード MEGA MAX」(2011)や「G.I.ジョー/バック2リベンジ」 (2013)などヒット・シリーズを盛り上げる助っ人役として重宝されているようだが、僕としてはこれは少々物足りない。やはりドウェイン・ジョンソン一 枚看板の主演映画が見たいのだ。そんな僕が待ちに待っていた映画が、ついに公開された。「カリフォルニア・ダウン」…タイトルを見たら説明不要の映画だ。 まぁ、ヘラクレスまで演じたジョンソンだ。もはや戦う相手は地震ぐらいしかないかもしれない(笑)。一時期は日本特有の「自粛」ムードのせいでか公開が延 期されたりしていたが、ようやく晴れて公開。もう、これは見るしかないだろう。

ないよう
ロサンゼルスの北方サンフェルナンド・ヴァレー。その田舎道を、クルマで走っている若い娘がいた。ところが次の瞬間、激しい振動が 発生。彼女のクルマは崖から転落し、振動で生じた地割れの中に挟まってしまう。絶体絶命! それから間もなく、現場に急行するロサンゼルス消防局の救難ヘ リの姿があった。この日は、ちょうどテレビの取材クルーを乗せての出動。若い隊員たちを率いるのは、操縦桿を握る超ベテランのレイ(ドウェイン・ジョンソ ン)。問題の地割れの上空にやって来ると、予想以上の劣悪な状況に表情を険しくする。クルマは地割れのかなり奥まで落ち込んだ状態で挟まっており、救出に はヘリを地割れの途中まで下ろさなくてはいけない。それは危険極まりない賭けだが、レイは抜群の操縦テクでヘリを下まで下ろす。そこで部下の若い隊員がワ イヤーでぶら下がり、クルマごと救出しようというワケだ。しかし救出作業途中で、挟まっていたクルマが滑り落ち始め、隊員のカラダも車体に挟まってしま う。こうなると、やはりベテランのレイの出番。操縦を部下に任せて、自分もワイヤーでぶら下がって救出にあたることになった。しかしクルマはさらにずり落 ちて、ヘリの状態も危険になって来た。そこを間一髪で隊員、クルマの女性ともに救出し、さすがの大活躍で無事に帰還するレイだった。一方、舞台変わってカ リフォルニア工科大学。学生たちに地震の講義を行っているのは、地震学の大家ローレンス・ヘイズ教授(ポール・ジアマッティ)。ヘイズ博士は同僚キム・パ ク博士(ウィル・ユン・リー)から、カリフォルニア州における地震予知のひとつのヒントを提案され、早速、機材を持ってフーバー・ダムへと出かける。とこ ろが何と言う間の悪さか、そこでいきなり大地震に遭遇。ダム内部で機材を調整していたキム・パク博士は慌ててダムの上部を目指して逃げ出し、ダム上部でキ ム・パク博士と連絡をとっていたヘイズ教授は、その場にいた群衆に避難するように必死に誘導する。やがて何とかダム上部へと出て来たキム・パク博士だが、 すでにダムの崩壊が始まっていた。キム・パク博士は何とか動けなくなっていた少女を助けると、そこで力尽きてダムの崩壊に巻き込まれる。目の前で同僚の死 とフーバー・ダムの決壊という信じ難い事態を目撃することになったヘイズ教授は、ただ呆然とするばかりだった。さて、無事に救助を終えて自宅に戻って来た レイは、ケータイで愛娘のブレイク(アレクサンドラ・ダダリオ)と連絡をとる。和やかにブレイクとの会話を楽しんでいたレイだが、彼女が母親のエマ(カー ラ・グギーノ)と彼女の恋人ダニエル(ヨアン・グリフィズ)と一緒にサンフランシスコに行く予定と聞いて、正直言って面白くはない。確かにレイとエマとは 別居中で離婚を控えているものの、まだ離婚した訳ではない。それなのに、やけに話の進み方が早過ぎるのが気に入らないのだ。そんな会話をしながら、家のポ ストに早速、離婚届が届いているのに気づいて落ち込むレイ。ともかくエマの家に現れたレイは、ダニエルやブレイクの前であくまで紳士的に振る舞ったもの の、苦々しい気持ちを隠しきれなかったのも事実だった。さて、舞台は再びカリフォルニア工科大学へ。同僚キム・パク博士を喪って憔悴しているヘイズ教授だ が、彼の元にレポーターのセレナ(アーチー・パンジャビ)率いるテレビ・クルーがやって来る。ここ数日のカリフォルニア州からネバダ州にかけての異変につ いて、話を聞きたいと訪ねて来たのだ。そんなヘイズ教授に、サン・アンドレアス断層の巨大な横ずれが観測されたという報告が入る。事態の深刻さに気づいた ヘイズ教授は、セレナたちに巨大地震がロサンゼルス、サンフランシスコなどを襲う危険性について語り出す。そんなこととはツユ知らず、ブレイクは一足先に サンフランシスコに到着し、エマの恋人ダニエルの元へとやって来る。ダニエルは建設会社の社長で、彼の会社があるビルに遊びに来ていたのだ。たまたまこの 会社の面接試験にやって来たイギリス人の青年ベン・テイラー(ヒューゴ・ジョンストン=バート)と知り合うブレイク。ベンはせっかくのアメリカ行きという ことで、弟のオリー(アート・パーキンソン)を連れていた。生意気盛りの少年オリーは、兄ベンとブレイクの間にいい雰囲気が生まれたのを見逃さなかった。 その頃、ヘイズ教授の予測は現実のものとなりつつあった。エマはビルの最上階のレストランで、恋人ダニエルの妹スーザン(カイリー・ミノーグ)とランチを とろうとしていたところ。恋人の妹から話がしたいと言われてとるランチほど、気の重いことはない。ところが、そんなエマの気分を知ってか知らずか、レイか らたまたま携帯に電話が入る。おまけにそこに強烈な地震がロサンゼルスを襲い、レストランは阿鼻叫喚。一瞬のうちにスーザンは地震の犠牲となってしまう。 レイはエマに屋上に上がれと指示。ちょうどレイは、フーバー・ダムの一件で出動命令を受け、ヘリでネバダ州向けて出発したばかり。エマからのSOSを受け て、ただちに彼女のいるビルへと方向を変えた。ロサンゼルスは強烈な振動を受けて、ビルが次々崩壊。エマのいるビルも危機的状況にあった。崩れつつあるビ ルの屋上に何とか上がったエマのもとに、レイの操縦するヘリがやって来る。何とかエマに向けてロープを下ろしたその時、ビルは一気に崩壊するではないか。 何と間一髪で、エマはロープにつかまって助かった。さらにサンフランシスコでも、とんでもないことが起きようとしていた。ダニエルがブレイクと出かけよう として、地下駐車場で運転手にクルマを出させようとしていたその時、巨大地震が街を直撃。クルマの上に瓦礫が落ちて運転手は即死し、ブレイクもつぶれたク ルマに脚を挟まれた。慌てふためいたダニエルは、助けを呼んでくると言ってその場を逃げ出す。上階ではみんなが逃げ出そうと大騒ぎの中、ダニエルは一応助 けを求めたものの、すぐに諦めてビルを脱出してしまった。しかしたまたまその声を、あのベンとダニーの兄弟が聞いていたのは幸いだった。彼らはブレイクを 救うべく、地下駐車場までやって来る。そこにはブレイクが、相変わらず身動きできずにいた。ベンは満身の力を込めてブレイクの脚を引き抜こうとするが、そ う簡単にはいかない。万策尽きたかに思えたが、クルマをジャッキで持ち上げたりタイヤをパンクさせて空気を抜いたりして、際どいタイミングで何とか彼女を 救出。ビルから脱出して、大パニックの市街地に出て行く。彼らは途中で電気店に立ち寄り、ブレイクが店の電話でレイの携帯に連絡。高層ビルのコルトタワー 屋上に登って、レイのヘリで救出してもらうという段取りを決める。その時、ブレイクからダニエルが見捨てたことを聞いて、エマが激怒したのは言うまでもな い。一方、カリフォルニア工科大学のヘイズ教授は、新たな地震の兆候に気づく。しかもこの地震は、これまでのものにも増して強力なものらしい。この事実を 人々にどうにかして伝えなければ…と、ヘイズ教授は大いに焦る。そしてレイとエマを乗せたヘリは一路サンフランシスコに向かって飛んでいたが、突然エンジ ンの調子が悪くなり急降下を始めるではないか…!

みたあと
 まず最初に言っておきたいのだが、確かに地震の場面に関しては、実際に地震被害を受けた人にとってはかなりの衝撃を受けてしまうシロモノかもしれない。例の東日本大震災の時には、公開中だったイーストウッドの「ヒアアフター」 (2010)がすぐに公開中止になり、公開目前だった中国の「唐山大地震」(2010)が公開延期になってしまった。今回の作品も公開までにはかなり神経 を使ったようだが、それも致し方なかったような気がする。現代の凄まじいCGやVFXの技術でアレを見せられたら、さすがにPTSDを患っている人ならダ メージを受けてしまいかねない。一映画ファンとしては「不謹慎」などというイビツな自主規制で映画が公開できなくなるのは避けたいが、多少なりとも慎重に 配慮した公開は仕方がないかもしれないのだ。ただ、「日本沈没」 リメイク(2006)の時に「阪神大震災被災者に配慮して地震被害の場面は極力描かなかった」などという言い訳を言っていたのは、ハッキリ言って見苦し かった。あの映画公開時に僕がそこを指摘したら関西の人から批判されたが、これについては今でも気持ちは変わらない。何でもかんでも「不謹慎」はやめてい ただきたい。「日本沈没」は、地震被害の場面抜きには成立しない映画だ。むしろ、そこを見たいし見せたい映画だ。それなのに「被災者に配慮」なんて偽善も いいところだ。本当に配慮したいのなら、そもそも「日本沈没」リメイク企画そのものをやめるべきではないか。いい加減なことを言わないでいただきたい。そ ういう経緯も含めて、とにかく公開に漕ぎ着けたことはめでたいと言いたい。

こうすれば
  正直に白状すると、本作の脚本はかなりグダグダでユルいものだと言わざるを得ない。地震被害の進行やそれに対する主人公たちの対応の仕方がご都合主義で行 き当たりバッタリ。ザ・ロック夫婦と娘たちが出会えるはずもないし、そもそもとっくに死んでる(笑)。娘の最大の危機をどうやって主人公が克服するか…に ついても、最後は「根性」で何とかしちゃうという杜撰さ(笑)。娘も終始「パパはきっと助けてくれる」…って、オマエどこにその根拠があるんだよ(笑)。 主人公にとってはライバル関係になってしまう妻の恋人が金持ちの実業家という絵に描いたような設定で、途中から突然性格を豹変させて卑怯卑劣で「死んでも 自業自得」な奴になってしまうのも薄っぺらい。主人公の家族再構築の邪魔になるので、適当な理由をつけて退場させているのがミエミエだ。だが、そんなのは 娯楽映画だから仕方がない…で済ましてしまってもいい。問題は主人公がレスキュー隊の隊長であり、その時もネバダ州に救助活動に向かう途中だったというこ と。ところが妻からの連絡を受けて、急遽予定を変更。「公」のモノであるヘリコプターを私用に使い、その後も終始公私混同しっ放し。その後もどこからか ボートをかっぱらって調達。正直言って、劇中に出てきた略奪者たちとやってることがあまり変わらない(笑)。しかも、途中で誰かに「助けてくれ!」とか 頼って来られなかったからいいようなものの、誰かにそう言われちゃったら果たして娘の救出を断念したのか。いろいろと調子のいい脚本なのだ。根本的に、ド ウェイン・ジョンソンの主人公をレスキュー隊の隊長にしたのがマズかったのだろう。別のヘリに乗れる職業にすることが出来なかったのか…とも思ったが、い やぁ、あんなゴツい体格で単なるヘリ操縦士は無理があるか(笑)。そんなこんなで脚本のザルぶりはかなりなモノだが、ここだけの話、僕はそんなもの途中か らまったく気にしなくなった。なぜなら、これは「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンの映画だからだ(笑)。

みどころ
  ハッキリ言って、「大地震 VS ザ・ロック」に尽きる(笑)。少なくとも僕はそう思って見た。地震や津波被害の映像は、科学的な裏付けがどうのとか現実の再現としてどうの…と言った場 合、おそらくかなりおかしいのではないかと思ってはいる。だが、「絵」としてのリアリティはハンパない。正直言ってもはや往年のパニック大作「大地震」(1974)あたりでは比べ物にならない。リアリティからスケールから違いすぎる。破壊場面の凄まじさはある意味でローランド・エメリッヒの「2012」(2009)を彷彿とさせるが、それよりも例えば9・11のツインタワー・ビル倒壊の実写映像とか、東日本大震災発生時にスマホなどで撮影された映像が参考にされたことは想像に難くない。大変不幸なことではあるが、こうした大惨事の映像が「インポッシブル」(2012)、「ポンペイ」(2014)、「ゴジラ」 (2014)あたりにはかなり反映されている気がする。今回も、特に津波発生以降の被害状況に、そうした実写映像の影響を強く感じた。この映像の迫力は問 答無用のものだ。そして、脚本は前述したようにかなりスカスカな内容だが、それが何とか見れるものになっているのはドウェイン・ジョンソンの頼もしい男ら しさがあるから。そもそもこの映画自体が、ドウェイン・ジョンソンを見せるためのものなのである。そうした意味で、あの快作「センター・オブ・ジ・アース2/神秘の島」 (2012)以来ドウェイン・ジョンソンと2度目のタッグを組むブラッド・ペイトン監督は、彼の魅力が分かっている。このペイトン監督以下、「センター・ オブ・ジ・アース2」に関わったスタッフが多く参加していることからも、この映画が「ドウェイン・ジョンソンありき」の企画であることが分かる。ただ、そ の一方で、劇中でまったくドウェイン・ジョンソンとは関わらない地震学者の役として、ポール・ジアマッティがかなりボリューム感のある演技を見せているこ とに注目したい。役どころとしてもオイシイ役ではあるが、ジアマッティの出演によって映画の格も間違いなく上がった。ポール・ジアマッティのさすがの名優 ぶりを改めて再認識したよ。

さいごのひとこと

 みんながこれをやったらレスキュー隊は壊滅。

 

「サム・ペキンパー/情熱と美学

 Passion & Poetry - The Ballad of Sam Peckinpah

Date:2015 / 10 / 19

みるまえ

  僕は前々からこのサイトで、自分の映画鑑賞歴のスタートについて何度か語っている。例えば、まだ幼い頃に「黄金バット」(1966)の実写版を見に行った 時の衝撃はいまだに覚えていて、アレが「最初」と言われればそうとも言える。また、まだ小学生だった1971年頃に「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ! ヤァ!」(1964)を名画座に見に行ったのがその始まりだとしても、それはそれで間違いではない。あるいは中学に入ってすぐに1972年頃に、チャール トン・ヘストン主演のSF「地球最後の男/オメガマン」(1971)を見てインパクトを受けたのがその最初…という考え方も、アリだとは思う。だが本当の意味で、今の僕のように映画を頻繁に見に行くキッカケになった映画と言えば、ほぼ同時期に公開された2本…有楽町の有楽座で公開された「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)と日比谷映画で公開された「ゲッタウェイ」(1972)…にトドメを刺す。前者のデラックスさもさることながら、後者でのスティーブ・マックイーンのカッコよさはいまだに強烈な印象がある。僕はこの作品と「タワーリング・インフェルノ」 (1974)でリアルタイムにカッコいいマックイーンを体験しているから良かった。…ちょっと脱線してしまったが、僕は「ゲッタウェイ」の監督サム・ペキ ンパーについても、その映画ファン人生の最初から注目せざるを得なかった訳だ。だがペキンパー作品は、その後なぜか急速に人気を失っていった。悪くない作 品も少なくなかったのに、途中に「キラー・エリート」(1975)みたいな困った作品を挟んでいたりしたため、ドンドン落ち目になっていったのだ。日本で はソコソコ当たったものの、扱いに困る「コンボイ」(1978)みたいな作品もあった。このあたりから作品発表の頻度はガタ落ちになって、ルトガー・ハウ アー主演で久々に発表した「バイオレント・サタデー」(1983)は、「ペキンパー復活!」とばかりに宣伝された割には何だか抜け殻みたいな作品だった。 そんなこんなしているうちに、いつの間にかペキンパーは亡くなってしまった。あれだけ「バイオレンス映画の巨匠」とかモテはやされていたのに、最後はずい ぶん不遇だった印象しかない。あれだけウケたスローモーションの暴力描写も、最後の頃には「またかよ」的にバカにされていた観もあった気がする。僕もそん な感じで、スッカリ「過去の人」的に受け取っていたところがある訳だ。それが考えを新たにした理由は、ペキンパーの旧作が何本か再公開されてからだろう か。傑作の誉れ高い「ワイルドバンチ」(1969)のディレクターズ・カット版やら「戦争のはらわた」(1977)など、見れば確かに目からウロコ。それ 以前にテレビで見ていた「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(1973)も、公開時にはえらく評判が悪かったが、ボブ・ディランのうなる浪花節みたいな 歌も含めて印象に残った。そんな訳で…どうやら平坦ではなかった映画人生だったらしいペキンパーの人生には、多少興味も持ってはいた。だから、今回ペキン パーのドキュメンタリーがやって来ると聞いて、僕はぜひ見たいと思ったわけだ。

ないよう

 1984 年、ログハウスのような建物に、撮影隊のメンバーがひしめいている。これからここで撮影されるのは、新人アーティストであるジュリアン・レノンのミュー ジック・ビデオ。それよりも注目すべきは、これがあの異能の映画監督サム・ペキンパーの「新作」であることだ。それを知ってか知らずか、ログハウスの中に ひしめくスタッフたちの期待も最高潮。そこにようやく現れたサム・ペキンパーの表情には、さまざまな人生の逆風に耐えて来た深いシワが刻まれていた…。そ して現在、サム・ペキンパーはすでにこの世にはいない。30年以上前に彼が激しい情熱をたぎらせて傑作「ワイルドバンチ」を撮影したメキシコの農園も、今 は人けもなく荒廃した姿をさらしている。ペキンパーはその映画人生で、常に孤高を守り困難に耐えて来た。彼がそんな苦闘の人生を歩むに至ったのには、彼の 人生哲学に理由がある。法律家を身内に持っていた彼にとって、「約束」とは常に「契約」に等しかったのだ…。ペキンパーはカリフォルニアの製材業を生業と する家庭に生まれ、その身内に法律家を擁した一家の、厳格な気風の中で育った。厳しい父は彼をミリタリースクールに入れるが、決して御しやすい人物でない ペキンパーは受けた罰の新記録を作る。その後、海兵隊を除隊して大学に入ったペキンパーは演劇を学び始め、いつしか映画の世界へ。ドン・シーゲル監督の下 で働くうちにテレビ映画「ガンスモーク」などに関わるようになり、徐々に業界での地歩を固めるようになる。その最初の劇場映画は1961年の「荒野のガン マン」だが、この作品は映画会社から冷遇されて添え物扱いで公開されるハメになる。以来、ペキンパーとハリウッドとの壮絶な戦いが延々続くことになるのだ が…そんなペキンパーの映画人生を、彼を間近で見ていたアーネスト・ボーグナイン、クリス・クリストファーソン、アリ・マッグロウ、ジェームズ・コバー ン、L・Q・ジョーンズらが熱く語り尽くしていく…。

みたあと
  映画が始まってすぐ、いきなりジュリアン・レノンのミュージック・ビデオ撮影現場が登場する。「???…何だこれは?」と思いきや、実はサム・ペキンパー の最晩年の作品であり正式に遺作と言えるのは、このジュリアン・レノンのデビュー曲のミュージック・ビデオ2本だというではないか。いやぁ、これは正直 ショックだ。むろん僕も当時このジュリアン・レノンのビデオをMTVなどで目にする機会があったが、まさかこれがペキンパーの監督とは…しかも「遺作」 だったとは知らなかった。「バイオレント・サタデー」で一応は「復活」したと言われていたけれど、もう映画のオファーは来なかったのだろうか。しかもジョ ン・レノンならまだしも「ジュリアン」…。このミュージック・ビデオ自体、ただ家の中で演奏しているだけ…というペキンパーが撮るまでもない内容だった気 がする。何とかエージェントが仕事をとってきたけれど、もうカメラの横に立っているだけの状態だったのだろうか。あまりに哀れで愕然としてしまった。そん なショッキングなオープニングからスタートする本編は、果たしていかなる衝撃に満ちているのかとハラハラしながら見始めたのだったが…。

こうすれば
  ぶっちゃけた話をすると、ビックリしたのは冒頭のジュリアン・レノンのミュージック・ビデオ撮影だけ。実はこの作品全体の印象は、今まで僕らが抱いて来た サム・ペキンパーのイメージから一歩も出ていない。まったく驚きのない作品と言わざるを得ない。確かに豪華なメンバーがペキンパーについて語っているけれ ども、その中でも最もビッグネームで、かつペキンパーとの関係の深さを思わせるジェームズ・コバーンはすでに故人なために、すでに撮影されていた過去の フッテージから流用。もしコバーンを流用するなら他にも出してほしい人たちもいたはずだが、それらは適当なフッテージがなかったのか、それとも「ご予算」 に見合わなかったのか。おまけにそこで語られているペキンパー像が、タフでムチャクチャで反骨精神旺盛で…だけど傷つきやすい…というツッパリ野郎を描い た熱血マンガ並みのありふれた人物造形ってのはいかがなものだろう。いや、それでもまったく構わないし、実際そういう人物だったのだろうとは思うのだが、 「それだけ」というのがどうにも腑に落ちないのだ。アレだけ紆余曲折あり、毀誉褒貶に泣かされて来た人物にして、深掘りしてもこれほど世間のイメージ通り なんてことあるんだろうか。ジュリアン・レノンのミュージック・ビデオ撮影現場の様子から始めるあたりは非常に素晴らしいと思ったのだが、その後が続かな い。作り手のマイク・シーゲルは献身的な努力でこれを作ったんだろうが、労作な割に「労作感」がない。実は本作よりも、「ワイルドバンチ」ディレクター ズ・カット版と同時期に公開された製作秘話ドキュメンタリー「ワイルドバンチ/アルバム・イン・モンタージュ」(1997)の方がよっぽどレア感が感じら れた。残念ながら、見たような映像と聞いたような話で埋め尽くされている印象しかないのだ。さらに「証言者」たちはみんな楽しそうにペキンパー御大のやん ちゃぶりを笑いながら話しているが、それらもあまりに手垢がつき過ぎていて少々シラケてくる。…というか、実はペキンパーの言動の中には少々あんまりなモ ノもある。それらについても両手離しで「さすがサム!」みたいにみんなでワハハと笑いながら話しちゃうもんだから、いささかイジメっ子たちがイジメられた 方の気持ちも考えずに、「あの頃は楽しかったよな」と勝手に盛り上がっているみたいな感じもしてくる。いい気なもんだ…という気分から、破滅的なペキン パーの最後についても「自業自得」って気持ちにまでなってきちゃうのである。これはペキンパー伝としてマズいだろう。ただ「楽しかった」「面白かった」と ワル仲間がお互い自画自賛しているだけに見えるので、逆に映画全体がわびしく見える。反骨精神の持ち主でいろいろ気の毒だったペキンパーだが、何よりちゃ んとした理解者に恵まれなかったんだなぁ…と寂しくなってくるのである。ただただ墓穴を堀りまくって自滅したみたいな人生。確かにそれはそうなんだろう が、見ていてまったく気勢が上がらない。これってやはり作り手の視点の問題ではないか。例えば映画の性格としては全く異なるものだが、ほぼ同時期に見たド キュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」(2013)と比べてみれば、その人物への肉薄ぶりのヌルさは明らか。それでも最後までソコソコ楽 しんで見れたのは、ペキンパーの映画づくりのエピソードを垣間みることができたことと、その作品群を断片とはいえ見ることができたからだろうか。

さいごのひとこと

 KYな不良の武勇伝並みに見えるとは情けない。

 
 

「ジュラシック・ワールド

 Jurassic World

Date:2015 / 10 / 19

みるまえ

 2001年に「ジュラシック・パークIII」 (2001)が公開された時、その出来映えが予想外に良かったので嬉しくなった記憶がある。前作にあたる「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」 (1997)の悪ノリが過ぎる「8時だヨ全員集合!」のコントみたいな悪印象を払拭して、「ジュラシック・パーク」(1993)の「いいイメージ」を継承 してくれていたからだ。そして、同時にこれで同シリーズも有終の美を飾れると思っていた。正直言って、ただ恐竜が出て来る話に3作でも多すぎた。これ以上 シリーズ化なんてやらない方がいいと思っていたのだ。そう思っていたのは映画会社側でもそうだったらしく、以来、このシリーズの新作はしばらく製作されな かったワケだ。ところが、何があったかいきなりのシリーズ復活。まぁ、「ダイ・ハード」も「ロッキー」も「インディ・ジョーンズ」も、さらには主役替えて 「マッドマックス」さえもが、シリーズがとっくに終結しているはずなのに忽然と復活。これも昨今のそういう流れに乗っての再起動なのだろうか。それと、今 作の場合は3Dという最新兵器が大きな要因となったのだろう。これは四の五の言わずにボケッと楽しむしかない。そんな訳で、僕はまったく期待しないで見に 行った次第。

ないよう

 その巨大 な卵は、だしぬけに内部から小さな穴が開いた。ガリガリと激しくツメで引っ掻きながら、殻を破って出て来たのは…鳥かケモノか、はたまた何かの爬虫類か… いや、これは恐竜の赤ん坊なのだ。ここはかつて恐竜復活とそれによって引き起こされた大事件の舞台となった南国の島、イスラ・ヌブラル島。あれから22年 が経って惨劇のイメージも薄れつつある今、ここには当初の構想通りの一大テーマパークが作られていた。名付けて「ジュラシック・ワールド」。各地から数多 くの観光客が集まり、恐竜復活の驚異を楽しむ人気観光スポットだ。そのパークを任されている実質上の責任者クレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、今日 は朝から神経ピリピリ。この「ジュラシック・ワールド」のオーナー、インド人実業家マスラニ(イルファーン・カーン)が視察にやって来るからだ。幸い 「ジュラシック・ワールド」の成績は順調。しかももうすぐ新たな「呼び物」のお披露目も迫っている。それなのに何となく背伸び感が拭えないのは、どこか無 理しているところがあるからだろうか。その頃、遠く離れたアメリカ本土のある街では、高校生のザック(ニック・ロビンソン)とまだ小学生のグレイ(タイ・ シンプキンス)の兄弟が、両親と離れてバカンスに出かけるところ。すでに色気づいているザックは、ガールフレンドとまるで「今生の別れ」みたいな大げさな 顔してベタベタ。だが、なぜか送り出す母親カレン(ジュディ・グリア)も父親と微妙な表情を見せていたのはなぜだろうか。兄弟が向かうのは、南海に浮かぶ テーマパーク「ジュラシック・ワールド」。実は兄弟の叔母は、パークの最高責任者クレア。だから彼らはクレアの案内で、パークでバカンスを過ごすことに なっていたのだ。こうして張り切って出かけて行った兄弟だが…。一方、「ジュラシック・ワールド」のクレアは、免許取り立ての危なっかしい操縦で自らヘリ を飛ばしてやって来たマスラニをお出迎え。万事順調な様子を見てご機嫌のマスラニは、新たな「呼び物」を飼育している特別エリアに招き入れられる。そこに 登場したのは、何と遺伝子操作によって作り出された「新型」の恐竜。しかも一般の人気を博しそうな、獰猛で大型の肉食だ。その名をインドミナス・レック ス。確かに迫力があり、身体能力にも優れている。ただ、あまりに獰猛過ぎるし巨大過ぎ。そこに一抹の不安を抱いたマスラニは、彼が「ジュラシック・ワール ド」に招いた「ある人物」にこのインドミナス・レックスを見せるべき…と主張する。その「ある人物」とは、軍人上がりでタフな男オーウェン(クリス・プ ラット)。しかし、その名を聞いたクレアは、とたんに渋い表情を見せる。どうやらクレアとこのオーウェンとの間には、何やらいわく因縁がありそうだが…。 そのオーウェンはマスラニに招かれ、すでに「ジュラシック・ワールド」で仕事を始めていた。過去にも猛獣の飼育で実績を持つ彼は、何と小柄だが獰猛なヴェ ロキラプトルを手なずけつつあるという。元々このパークの警備担当だったホスキンス(ヴィンセント・ドノフリオ)は、そんなオーウェンの話に興味津々。こ の男、恐竜を軍事目的に使えるのではないかとけしからん事を考えているのだ。そんなホスキンスの誘いにはまったく乗る気がないオーウェンだが、新入り飼育 係がヴェロキラプトルの檻の中に転落するという事故発生。すると、オーウェンは機転と度胸で何とか彼を救い出してしまうのだから、マスラニが目をつけるの も無理はない。そんな「ジュラシック・ワールド」にザックとグレイの兄弟が到着。当然のことながら叔母のクレアが迎えに来るかと思いきや、やって来たのは 若い女性アシスタント。クレアは「多忙」ということで彼女を派遣したというワケだ。そうなると、生意気盛りの悪ガキ二人。たちまちアシスタントをまいて、 好き勝手にパーク内の冒険に乗り出した。さて、マスラニと別れたクレアは、気乗りしないながらもオーウェンの宿舎へ足を運ぶ。何とも複雑な表情の二人の再 会は、ギスギスとした雰囲気。彼らは一度恋に落ちた仲で、それがひょんな事から別れることになった…というお決まりのパターン。それでも、上司に「よろし く頼む」と言われちゃイヤとは言えない。クレアはオーウェンを連れて、例のインドミナス・レックスを隔離したエリアへと連れて行く。ここでも、そもそも 「遺伝子操作」とやらで恐竜をでっち上げるという手口が気に入らないオーウェンは、クレアと話が噛み合ない。ところが…いつまで経っても肝心のインドミナ ス・レックスが出て来ない。エリア内のセンサーもまったく反応しない。おかしいと思い始めたオーウェンが見てみると、隔離エリアの高い壁にインドミナス・ レックスのものらしき引っ掻きキズがついていて、それが壁のかなり高いところまで達しているではないか。まさか、壁をよじ登って逃げたのか? 遺伝子操作 で優れた身体能力を持ったインドミナス・レックスだが、ひょっとして知能も並外れているのか? 慌てて緊急事態に備えることになったクレアは、指令セン ターへと戻る。オーウェンは隔離エリアの警備員とともに、エリア内を調べることになった。ところが彼らがエリア内に入り込むや否や、たちまちインドミナ ス・レックスの反応が! 何とこいつは逃げちゃいなかった! 壁にキズをつけてよじ登ったふりをして、じっと内部で隠れていたのだ。そのくらい、この新型 恐竜は賢いのである。おまけに残虐で獰猛だ。慌てて逃げ出した二人だが、インドミナス・レックスを隔離エリアの中に閉め出すことに失敗。結果、インドミナ ス・レックスはエリアの外に出て来て自由の身となってしまう。こうなると何をするか分からない。停めてあったクルマの影に隠れた警備員は、あっという間に インドミナス・レックスの餌食。そして、別のクルマの下に隠れたオーウェンが見つかるのも、いまや時間の問題となろうとしていた…!

みたあと
  何だかストーリー紹介を書いているうち、やたら長ったらしくなってしまった。というか、今回は話が実際に動き出すまでがちょっとまどろっこしい。何だかん だとモタモタして、なかなか本題に入らない。本作の上映時間は2時間強。大作映画としては特にすごく長い訳でもないのに、いささか前置きが長く感じるの だ。

こうすれば
  実際のところ、本作も1作目「ジュラシック・パーク」も、お話自体はそんなに変わらない。つまりは恐竜を甦らせて見世物にしようとしたら、それが暴れ出し てコントロールできず、ヤバいことになるというお話。そこに人間の奢り…みたいなテーマがチラつくという趣向だ。実は今回も、これとほとんど変わりがな い。では、どこが違うかと言えば…今まではパークが開園する前だったものが、今回は開園して客が入っていること。客が入っているパークで恐竜が大暴れだか ら、破壊も殺戮もパワーアップという具合。そして、遺伝子操作で最強最恐最凶の恐竜を作ったことだろうか。もうひとつ加えれば、今回は3D上映があるとい うこと。実際のところ、今回のシリーズ復活の最大の理由は、この3Dだろう。あの「ジュラシック・パーク」を3Dで見せれば儲かるぞ…という単純な理由 だったに違いない。それは、確かに間違っていない。本作の3D技術はなかなか素晴らしく、本シリーズと3Dとの相性もいい。3Dで見る恐竜は壮観である。 だが、パークに客がいるいない…ってことは、本作ではあまり大きな「見せ場」になっていない。確かにそれらしきパニック場面は出て来るが。それが本作の主 眼ではない。メインの見せ場も上映時間の大半も、主要登場人物と恐竜の絡みだけだからだ。だから、あまり「ジュラシック・パーク」と印象が変わらない。そ もそも「ジュラシック・パーク」は、同じマイケル・クライトン原作の「ウエストワールド」 (1973)の焼き直しではないか。あちらは、ロボット相手にやりたい放題で楽しめるテーマパークでロボットが狂い出す話。その、ほぼリメイクなのが 「ジュラシック・パーク」だ。だからパークが開園してようとしてまいと、あまり変わらないのも道理なのだ。蛇足ながら追加すれば、最近公開されたブルー ス・ウィリスも出てるB級SF映画「デッド・シティ2055」 (2015)もこの題材である。…閑話休題。そうなると、新型恐竜がミソということになるが、暴れるのがTレックスだろうと新型恐竜だろうと、正直言って 見てる側ではあまり代わり映えしない。つまり、お話から何からあまり変わっていない…ということになる。本作はほとんど1作目「ジュラシック・パーク」の リメイクと言っていいお話なのだ。だから、新鮮味はまったく期待できない。素晴らしい3Dと特殊効果で、気楽に楽しむ映画である。ただどうしても気になる のは…「ジュラシック・パーク」とほとんど同じようなことをやっているのに、面白さというのか見せ場というのか…その「密度」が圧倒的に薄いと感じられる こと。これは一体どういうことなのだろう。魚を食べようと思ったら頭の部分がデカ過ぎたり骨ばかりで、食べられる「身」の部分があまりないような感じ (笑)。上映時間は「ジュラシック・パーク」とほぼ変わらないのだが、前半がモタモタしているあたりが災いしているのか。新鋭のコリン・トレボロウ監督に は、あまりこれといった腕前の冴えは感じなかった。そうなってくると…実は「売り」はフレッシュになった主演者たちで、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(2014)で注目のクリス・プラットは今回も好漢ぶりを発揮。そしてブライス・ダラス・ハワードも、久々に魅力的に見える。M・ナイト・シャマランの秘蔵っ子として「ヴィレッジ」(2004)で出てきたあたりは良かったが、そのシャマランの「レディ・イン・ザ・ウォーター」 (2006)で低迷しちゃったのか、どうも最近では変な役や気の毒な役が続いていた。今回も一歩間違えば「困った女」の役になりかかったところだが、かろ うじて踏みとどまって「ヒロイン」女優っぽさを見せた。本来は華のある人なのだから、何とか頑張っていただきたい…と思うのは僕だけじゃないだろう。

さいごのひとこと

 恐竜もイキの良さが命。

 
 

「黒衣の刺客

 刺客聶隱娘 (The Assassins)

Date:2015 / 10 / 12

みるまえ

  いつの間にか台湾のホウ・シャオシェンが新作を撮っている、しかもそれが剣戟映画である…と聞いて、気にならないアジア映画ファンはいないのではないか。 もっとも、ホウ・シャオシェンの現在の名声も、実はもう四半世紀ほど前に築かれたもの。実は最近では作品発表頻度も極端に減り、出来映えそのものもパッと しないというのが現状だった。少なくとも、僕は1990年代以降のこの人の映画をまったく好きになれない。もちろん作家というものは絶えず前進していかね ばならないものだから、過去の栄光に浸っているよりはいいのかもしれない。いつまでも「童年往事」(1985)、「恋恋風塵」(1987)、「悲情城市」 (1989)…じゃねえだろと言われれば、確かに返す言葉もない。ただ、やはり最近の作品にはまったく感心しないというのも事実なのだ。このサイトが開設 されてから公開された「ミレニアム・マンボ」(2001)、「珈琲時光」(2003)、「百年恋歌」 (2005)…の中では、「百年恋歌」の第1話だけが好きになれた程度。実はその後に「レッド・バルーン」(2007)なんて映画をフランスで撮ったりし たらしいが、正直言って公開されたことすら覚えていない。この手の映画の専門女優(笑)になったようなジュリエット・ビノシュ主演らしいが、同じビノシュ を使ってイランのアッバス・キアロスタミが撮った「トスカーナの贋作」 (2010)はちゃんと見てるし覚えている訳だから、あまり評判も芳しくなかったのではないだろうか。そんな訳でスッカリ記憶から抹消された観があったホ ウ・シャオシェンの新作…と聞いて、僕は複雑な気分にならざるを得なかった。ところが…なんと今回の作品、ホウ・シャオシェンにとって初の剣戟映画という ではないか。さすがに彼も、最近の作品の不評ぶりに手を打たざるを得なかったのか(笑)。そもそもちょっとノスタルジックな作風だったホウ・シャオシェン が、それでモノ足りなくなったのか現代を舞台にした作品を発表し始めたのがつまずきの元。「好男好女」(1998)あたりから始まるホウ・シャオシェン現 代路線の作品群に、毎度おなじみのように出て来るナイトクラブやらカラオケが鬱陶しい。同時録音をモットーとする彼の作品では、これらがやかましくって仕 方がないのだ。おまけに彼の考えている「現代」が、チンピラやヤクザ、サングラス、バイクにカラオケ…っていうセンスがズレ過ぎている。こいつ「現代」な んてまったく分かってないだろ(笑)。だから、ホウ・シャオシェンがとりあえず「現代」から離れてくれるのは大賛成。おまけに剣戟映画でアクションをやっ てくれるなら、ソコソコ楽しめるだろうという計算も成り立つ。それに、21世紀に入るか入らないかの頃から中国語圏の映画作家たちが一斉に剣戟映画、武侠 映画を作り出したムーブメントみたいなものに、ホウ・シャオシェンも遅ればせながら参加しようとしているみたいに思えて、ちょっと嬉しい部分もあったの だ。この手のムーブメントは参加した中国語映画圏の映画作家たちに多分にリフレッシュ的な効果を与えていたから、ホウ・シャオシェンも本作でカムバックし てくれるかも…と期待が膨らんだのである。そんな訳で、僕はイソイソと渋谷の映画館まで駆けつけたのだったが…。

ないよう

  唐の時代の中国。黒服の若い女ニエ・インニャン(スー・チー)と年上の女ジャーシン(シュー・ファンイー)が木陰から前方を見つめている。ジャーシンはど うやらインニャンの師匠筋にあたる人物らしい。ジャーシンの指示で、木陰から出て行くインニャン。彼女たちが見つめていたのは、ある権力者が家来たちと狩 りを楽しんでいる様子。そこに現れたインニャンは、権力者をバッサリ。インニャンは黒衣の暗殺者なのだ。さらに、別のお屋敷にもインニャンは登場。ここで も権力者に襲いかかるが、その場にいた子供の姿を見て思いとどまる…。ここで師匠のジャーシンは、インニャンを親元に返す決意をする。インニャンはそれな りの名家の出で、13年前に訳あってジャーシンに預けられたのだった。突如、家に戻って来たインニャンに父フォンも母テェンシも大いに喜ぶものの、複雑な 思いも隠しきれない。それもそのはず。黒衣に身を固め、一分の隙もない今のインニャンの佇まいは、到底、普通の若い娘のそれではないからだ。そしてイン ニャンには、この土地に因縁があった。彼女の幼なじみにしてかつての許嫁であるティエン・ジィアン(チャン・チェン)が、別の女を娶ってこの土地に君臨し ているからだ。だが、それこそがインニャン帰郷の目的。彼女はこのかつての許嫁、ティエン・ジィアン暗殺のために戻って来たのである…!

みたあと
  本作を見に行った劇場でパンフレットを購入しようとして、売り切れていると告げられて唖然呆然。本来、劇場パンフレットが売り切れるってよほどの人気作品 でなければ考えにくい。見渡すと、決して爆発的大ヒットという感じでもない場内だけに、これにはちょっと驚いた。ただ、平日にも関わらずソコソコお客さん はいるにはいたわけで、ホウ・シャオシェンの根強い人気に改めて驚かされた。彼の初の剣劇映画、武侠映画というのも注目の一因だろう。前述したように、一 時期より中国語映画圏の映画作家たちの間で、剣劇映画、武侠映画をこぞって作り出したことがある。それも、娯楽映画畑の人ばかりでなく、アクション映画な どとはまったく無縁な映画作家までチャンバラ映画に乗り出したから驚いた。その「はしり」となったのは、間違いなくアン・リーの「グリーン・デスティニー」(2000)だろう。それに続いてチャン・イーモウの「HERO/英雄」(2002)、チェン・カイコーの「PROMISE/プロミス」(2005)、ツイ・ハークの「セブンソード」(2005)、ピーター・チャンの「ウォーロード/男たちの誓い」(2007)、ジョン・ウーの「レッドクリフ Part I」(2008)と「レッドクリフ Part II/未来への最終決戦」 (2009)などが後を追うという状況。しかも彼らは、みんなそれぞれの作家的行き詰まりの打開策として剣戟映画、武侠映画作りを行っている。ならば、も う20年以上前から行き詰まりっぱなしのホウ・シャオシェンが、今まで剣戟映画、武侠映画を作らなかった方が不思議なくらいではないか。これはさぞかしス ゴい映画が出来るのではないかと思っていたら…確かにスゴい映画と言えばスゴい映画なのだが、ちょっと想定外のスゴさを見せる映画に仕上がっていたので あった。

こうすれば
  いや〜、苦しかった。こんな短いストーリー紹介だが、これを書くのにえらく難儀してしまった。仕方がないので公式サイトのストーリーを読みながら、出来る 限り僕自身が見た時の印象に基づいて書いたつもりだが、それでも釈然としない。というのも、実は本作はほとんど説明らしきモノがない。というより、ストー リーが分からない。劇場パンフが売り切れる訳である。みんな内容が分からないからパンフで確かめようと買っているのである(笑)。しかし、これってどうな んだろう。徹底的に説明がないというのはいいのだが、人物関係やら場所の位置関係など、ありとあらゆる設定についても説明不足。これはいかがなものなんだ ろうか。もちろん、ストーリーが分からなくてもいい映画があってもいい。「2001年宇宙の旅」(1968)の後半やらゴダールの映画とか、説明を省いて イメージだけで見せる映画の存在は否定しない。しかし、本作は一体どうなんだろう? 確かに映像は美しいし、何カ所かハッと息をのむほど鮮烈な場面がある ことは認めねばならない。水墨画のようなイメージもところどころにあって、これらも印象に残る。だが、それ以外は非常に鑑賞に忍耐力が要る。本作はジャン ル的には確かに剣戟映画、武侠映画の範疇に入るのだが、アクション場面は少ないし「見せ場」とも言えない。当然、ワイヤーなどで見せるようなこともほとん どしていない。そして室内場面をわざわざ風でなびくカーテン状のモノごしに写したりして、やたらにもったいつけた撮り方をしている。さらに映画の途中でス クリーン・サイズが何度か変更され、スタンダード・サイズからビスタサイズへと行ったり来たりしているが、それらが何かの効果を生み出しているかと言えば 「???」。映像の美しさという点で言うなら、それこそ初期作品「恋恋風塵」のオープニング、走る列車から見た周囲の景色を捉えた鮮烈な映像の方がよっぽ ど強烈だった。ホウ・シャオシェン信者みたいな人たちは本作について「この良さが分からない奴はバカ」的なことを言いたいのかもしれないが、正直言ってた だただ退屈。特にマズいと思うのは、日本から呼ばれた妻夫木聡がらみの場面。日本公開にあたってはディレクターズ・カットということで、本国などではカッ トされた妻夫木の嫁さんが出て来る場面などが追加されたとのことだが、これってどう見ても蛇足にしか見えない。明らかに映画の話法から言ってもそぐわない ように見えるし、全然なくて構わない。しかもアレだけ他の場面の説明を削ぎ落としているのに、何で妻夫木演じる人物のバックグラウンドを見せるのかが分か らない。つまり、作り手の語り方に一貫性がないのである。そうなると一事が万事。何となく立派な表現に見えていたところも、実は単に描き足らないだけでは ないかという疑念が湧いて来る。仮にこの映画は設定やらストーリーについて語るのはナンセンス、ひたすら映像・イメージを味わうための作品と言うのなら、 こんな面倒くさい設定とストーリーを持つお話を撮らなければいい。例えば本サイトでも「スラム砦の伝説」 (1984)を紹介している、パラジャーノフの映画はこんな訳の分からないシロモノじゃなかった。よく分からなくても一向に問題ない設定になっていた。ど う考えてもこの設定とこのストーリーが、この表現や語り口に対して適切ではないように思えるのだ。先ほども繰り返し述べているように、映像はどれもこれも 美しい。ハッとする瞬間もある。そういう意味では、おそらく台湾映画界で傑作剣戟映画、武侠映画を作った巨匠キン・フーの作品…中でも「侠女」 (1971)あたりを大いに意識しているのは間違いない。ヒロインのスー・チーも実に魅力的だ。それだけに、結果的にはホウ・シャオシェンのマスターベー ションみたいになっちゃっているこの作品の有り様が、とても残念でならない。こういうスタイルの映画を作りたかったのなら、それに見合った題材なりウツワ なりというものを探すべきだったと思うからだ。ホウ・シャオシェンの迷走は、いまだに終わっていないと言わざるを得ないのである。

さいごのひとこと

 「西遊記」にもこれにも出ちゃうスー・チーは無敵かも。

 

「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション

 Mission: Impossible - Rogue Nation

Date:2015 / 10 / 12

みるまえ

  トム・クルーズの「ミッション:インポッシブル」シリーズと言えば、彼の看板シリーズ。もはや、これがテレビシリーズの映画版焼き直しなどと思う人はあま りいない。しかしながら、第1作「ミッション・インポッシブル」(1996)から現在までの間、トム・クルーズを取り巻く環境はかなり微妙なモノになって 来ていた。加齢による行き詰まり感から、作品の出来映えも興行成績も低迷。クルーズは自分が進む道をちょっとずつ模索しながら、何とかかんとかスターの座 を守っているような印象だった。それでもこのシリーズだけは、豪華に派手に作ってクルーズもカッコよく演じていれば大丈夫…と思いきや、なぜか第3弾「M:I:III」(2006)は今ひとつ感があった。決して失敗作ではないが、ハジけきれなかった…とでも言うべきか。その後、クルーズが出演したアクション・コメディ「ナイト&デイ」 (2010)が、あからさまにこのシリーズでの彼の役どころをからかったようなキャラ…というのが、何よりその時点でのトム・クルーズ、そして「ミッショ ン:インポッシブル」シリーズの置かれた難しい状況を如実に現していたように思う。つまり、もはや「カッコいい」トム・クルーズの大活躍は、「冗談」にし かならないのである。その後もクルーズの試行錯誤は長らく続いたが、そんな彼が「吹っ切れた」かのように見えたのは、やはり本シリーズ第4作「ゴースト・プロトコル」 (2011)でのことであった。「ナイト&デイ」で見せた「冗談みたいにカッコいいスーパー・スパイ」というキャラクターを、もっとエスカレートさせて いったような役どころ。それは一種の開き直りとも言えるものだが、僕にはトム・クルーズの迷いを捨てた覚悟みたいなものが感じられた。作品としても、ハジ けたバカバカしさが感じられる楽しい作品に仕上がったように思う。そんなクルーズの俳優活動の中心となりつつある本シリーズから、最新作第5弾が放たれ た。今回はポスターや広告のメイン・ビジュアルにもなった、離陸する飛行機にしがみつくクルーズが「売り」。前作のブルジュ・ハリファに続いて、また「高 いところ」かよ…と苦笑してしまうが、バカを極めようという姿勢、決して嫌いじゃない。これは期待してもいいんじゃないだろうか。本当はもっと早く感想文 を挙げられたのに、ここまで遅くなったのはひたすら僕の怠慢のせい。お許しいただきたい。

ないよう

  ここはベラルーシの首都ミンスク郊外。滑走路近くの原っぱで、茂みに隠れてあたりを観察しているのは、ご存知「IFM」メンバーのひとりベンジー・ダン (サイモン・ペッグ)。彼は滑走路に停まっている軍用輸送機エアバスA400を見つめながら、本部と連絡をとっている最中。A400は今にもヤバいブツを 積んでこの滑走路を飛び立とうとしているところ。本部には分析官ウィリアム・ブラント(ジェレミー・レナー)が待機して、状況を見つめている。A400の 離陸を阻止しようとその場にいるべき「あの男」が動いているはずだが、ベンジーは「あの男」がどこにいるのか把握していない。どこにいるのか、一体どうす るつもりなのか、このままではA400は離陸してしまう。ベンジーが何とかA400のシステムにハッキングしてコントロールしようと四苦八苦しており、ま た別の場所ではルーサー・スティッケル(ヴィング・レイムス)がハッカーとしてのテクニックを動員して援護しているが、とても間に合いそうにない。いよい よA400が滑走路を動き出そうというその時、滑走路に走っていくひとりの男が! 「あの男」…イーサン・ハント(トム・クルーズ)参上だ! しかしどん どん滑走スピードを増すA400を、今からどうやって止めようというのか。それでも何とかA400の翼に飛びついたハントは、その胴体の扉にしがみつい た。しかし…その後が続かない。ハントは無線でベンジーに「扉を開けろ!」と連絡するが、やっとのことで開いたのはA400の後部ドアではないか。そんな ことをしているうちに、A400はその機体を徐々に浮かせていく。胴体のドテッ腹にハントを貼付けたまま、機体はどんどん急上昇していく。扉に手2本だけ でしがみついているハントも、凄まじい風圧を受けて今にも落ちそうだ。こりゃもうダメだ…となる寸前、何とかベンジーは胴体の扉を開けることに成功。ハン トはやっとこ機体内部に侵入できた。しかし後部ドアが開きっぱなしになっているため、貨物室後方に思いっきり吹っ飛ばされる始末だ。そのうち異変に気づい た搭乗員が貨物室にやって来る。すると、貨物室の山のようなブツにはパラシュートが取り付けられて、その搭乗員の目の前で機外へと放たれたではないか。次 の瞬間、唖然とする搭乗員に満面の笑みを見せて、ハント自身もパラシュートを付けてA400から飛び降りるのだった…。さて、舞台変わって、ここは霧の都 ロンドン。ハントは街のヴィンテージなレコード店に入り、女店員からLPレコードを受け取って試聴ブースへ。プレイヤーの針を落とすと、レコードからはハ ントへの指令メッセージが流れる。それによると…例の貨物機から奪還したヤバいブツは、神経ガス入りのミサイルだった。ミサイルを入手しようとしていたの は、「IMF」が以前よりマークしていたある「組織」。どこかの国家に属することのない、訓練された「ならず者」たちの組織だ。その存在はまだ確認されて いないが、ハントたち「IMF」の人間は、それが実在していることを確信していた。ところが…試聴ブースの外を見ると、謎の男ソロモン・レーン(ショー ン・ハリス)が女店員の頭に銃を突きつけて立っているではないか。慌ててブースから出ようとしても、扉はなぜか開かない。ガラスを破ろうにもビクともしな い。そんなハントの目の前で、女店員は非情にも射殺される。そしてハント自身も、ブース内に充満してきた白いガスで意識を失ってしまうのだった…。さらに 舞台変わって、ここはワシントンD.C.。議員たちの査問委員会が開かれ、そこに先ほどのブラントが呼ばれていた。そのブラントの前に立ち、一席ぶち始め たのがCIA長官アラン・ハンリー(アレック・ボールドウィン)。それはまさに、痛烈極まりない「IMF」批判だ。無茶で危険な行動のために、各方面に混 乱が生じて大迷惑を被っていると怒り心頭。今までうまくいっていたのは単に運が良かったからだと決めつけ、「IMF」の解体を強く主張した。だがブラント としては、上の許可を得なくては何も語れないと言うのが精一杯。これでは手も足も出る訳がない。かくして議員たちは満場一致でハンリーの意見に同意。アッ という間に「IMF」解体は決定してしまった…。またまた舞台変わって、ここはどこかの殺風景な地下室。ハントが目を覚ますと、上半身ハダカにされて柱に 縛られていた。部屋にやって来たのは、小股の切れ上がったいい女イルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)。どうやらハントは、これからヤバい連中に たっぷりといたぶられるらしい。さらに部屋にやって来たジャニク・ヴィンテル(イェンス・フルテン)という男は、いかにもサディストらしく怪しげな拷問道 具を持参して来た。さぁ、絶体絶命。ところがヴィンテルが目を離した隙に、謎の女イルサがハントを助けようとするではないか! 果たしてこの女は何者か?  そして「ならず者」たちの組織=「ローグ・ネイション」の実態とは…?

みたあと
 バカ映画の頂点を極めた感がある前作「ゴースト・プロトコル」を見てしまうと、正直言ってこのシリーズをどこまでエスカレートさせられるのだろう?…と疑問に思ってしまう。傑作アニメ「アイアン・ジャイアント」 (1999)を作ったブラッド・バードを監督に迎えた「ゴースト・プロトコル」は、シリーズの徹底的な「アニメ化」「マンガ化」を押し進めた。笑っちゃう までのバカバカしい大アクション。それはすでにエスカレートできる限界まで行ってしまっているのではないかとも思ったし、仮にエスカレートさせられてもそ れが面白いとは限らない。だから本作は、かなりキツいことになるのではないかと危惧してもいた。まして前宣伝で騒がれていたのが、離陸する巨大貨物機の胴 体にしがみつくクルーズ…というあの無茶な絵柄。世界最高のビルであるブルジュ・ハリファを超えるのは飛行機…と、ちょっと「足し算」的な単純発想に 「???」という気持ちになったのも確か。トム・クルーズのこと、何かやってくれるんじゃないかと期待しつつも、実はここだけの話、大丈夫か?…と半ば心 配していたのも事実だった。ところが…さすがにトム・クルーズそこはひと味違うんだなぁ。何と本作のポスターその他のメイン・ビジュアルになり、取材など でも真っ先に語られているこの飛行機しがみつき場面、何と映画が始まって何分も経たないうち…ボンド映画でも恒例になっているようなオープニングのサービ ス・アトラクションみたいな見せ場のうちに、いとも簡単にアッサリ画面に出てしまうではないか。本作一番の見せ場なのかと思いきや、「単なる見せ場のひと つ」として何ともアッサリ惜しげもなく使い捨てられるのだ。これには心底驚いた。それと同時に、僕はこうも思ったのだった。さすがにトム・クルーズは賢明 だった。あの壮大なバカ映画路線は、あれ以上エスカレートさせても無意味だ。たぶん本作は、ちょっと違う趣向でやっていくつもりなのだろう…と。

みどころ
  というわけで、早くも結論は出ちゃっている。今回も確かにスゴい見せ場は多々あるけれど、前作「ゴースト・プロトコル」みたいに振り切ったバカ映画路線は 今回は踏襲しない。それは程々であくまで抑えて、むしろマトモというかオーソドックスな路線に戻っている。もっともこのシリーズにおいては、1作目がブラ イアン・デパーマ、2作目ジョン・ウーとギトギトした映像技巧派が作ってきたから、元からオーソドックスであったことなどない。むしろ「戻っている」とい うより、本作で初めて割と普通の映画になったと言うべきだろうか。最近のアクション映画は、例の「ボーンなんとか」みたいな映画あたりから観客の動体視力 が試されるような激しくスピーディーなチラつき映像の連続と化してしまったが、ご安心ください!…本作はそんな観客を置いてけぼりにするようなことはしな い。あくまでちゃんと段取りを踏んで、今何がどうなっているかを分かるかたちで見せるアクションにこしらえてある。安定の娯楽指向の映画になっているの だ。むしろトム・クルーズの見せ場は、マンガみたいなトンデモ路線よりスリリングなアクションに移行。さらに発電所の水冷システムで溺死しそうになる場面 などを見ても分かる通り、今までみたいに「無敵」「不死身」という訳でもなさそうだ。荒唐無稽ながらも、生身の部分をかなり出して来ているのである。それ と同時に…今までのトム・クルーズ・ワンマンショーとは異なり、今回はチームプレイを強調。仲間であるベンジーの危機にも、ハントはカラダを張って助けに 来る設定だ。それを意識してか、本作では以前の作品にも出て来た「IMF」メンバーが勢揃い。今後レギュラー・メンバー化するかどうかは分からないが、そ んなことを予感させる作りになっている。監督のクリストファー・マッカリーは元々がブライアン・シンガー監督と組んでいた脚本家で、「ワルキューレ」(2008)でトム・クルーズと縁が出来て以来、「アウトロー」(2012)の脚本・監督、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」 (2014)の脚本…とすっかりクルーズのお気に入りになっていた。それらの作品の中でも「アウトロー」が1970年代アメリカ映画を思わせるちょっと オールドファッションなアクション映画を指向していたのと同様に、マッカリーは本作を「オーソドックス」なアクション映画に仕上げているのである。冒頭の 飛行機にしがみつく無茶なアクションも「実写」にこだわる「アナログ」ぶりも、そんな指向からブレてないのだ。21世紀に入ってから主に「加齢」による迷 走を続けて来たトム・クルーズだったが、どうやら本作でそんなピンチを打開する方法を見出だせたような気がする。そんな充実の手応えを感じる出来映えなの である。

さいごのひとこと

 不安材料は、冒頭に出て来る中国映画会社のロゴマークだけ。

 
 

「わたしに会うまでの1600キロ

 Wild

Date:2015 / 10 / 05

みるまえ

 つい先日、ミア・ワシコウスカ主演の「奇跡の2000マイル」(2013)が公開されたと思ったら、今度は「わたしに会うまでの1600キロ」である。「奇跡の2000マイル」の感想文を書いた時には、以前に見たオーストラリア映画「裸足の1500マイル」 (2002)に言及したが、いずれもヒロインが驚異的な忍耐力で自然と対峙し、長距離の行程を踏破していくお話。いわば「距離シリーズ第3弾」とでもいっ たところか(笑)。おまけにミア・ワシコウスカの「奇跡の2000マイル」も本作も、ヒロインの自分探しが主眼となった旅。「奇跡の2000マイル」の場 合は見る前のイヤ〜な予感を跳ね返して感動的な幕切れとなったが、本作は「女の自分探し旅」というモノに僕らが抱くイメージ「まんま」のような予感。「距 離シリーズ」(笑)最初の2作がオーストラリア産なのに対して、本作がアメリカという違いもそれを裏付けそうだ。だからやり過ごそうと思っていたのに、し ぶとい事になかなかこの映画終わらない。結局、ある仕事を終えてポッカリ時間が空いた時に、タイミングが合うのがこの作品だけだった。そうなると、やはり どうしても気になる。実はリーズ・ウェザースプーンが主演というのも地味に惹かれていた。そんな訳で、遅ればせながら劇場へと足を運んだのだった。

ないよう

  見晴らしのいい山の頂に上ったひとりの女…シェリル(リース・ウィザースプーン)は、その図体に似合わない巨大な荷物を下ろして一息入れる。登山靴を脱い で足を見てみると…案の定、ツメがはがれかかって血まみれではないか。べろべろになったツメを、痛みをこらえてはがす。ところが、荷物を移動させた拍子に 片方の登山靴が崖下に落下。呆然と見つめるシェリルの目の前で、靴は遥か下まで転がり落ちて行く。そうなるともう彼女は我慢できない。「くそったれ 〜〜〜〜!」と叫んでもう片方の靴も投げ捨てるシェリル。キレやすく無謀であまり思慮深いとも見えない彼女が、一体何でこんな山奥まで迷い込んだのか…。 その旅の始まりは、ひと月以上も前のことだ。ネバダ州の辺鄙な土地に、フラリとやって来たシェリル。今夜の宿としてやって来たモーテルでの女主人とのやり とりは不愉快そのもので、最初から旅の前途を暗澹とさせた。そのモーテルの一室で、買い込んだ登山グッズ等を荷造りするシェリル。それがまた、アレコレと 欲をかいて買い込んだこと。それらを片っ端から詰め込んだものだから、荷物はとてつもなく巨大化。案の定、まるで持ち上がらないではないか。それを何とか 背負おうとしたあげく、まるで亀がひっくり返ったみたいになって動けなくなるシェリル。これで大丈夫なのか。それでも何とかかんとかダマしだまし担いだの だろうか、シェリルは巨大な荷物の付属品のようになりながら、道路の片隅にある「自然遊歩道」の入口へとやって来る。彼女はここから「パシフィック・クレ スト・トレイル(PCT)」といわれる太平洋岸の長距離自然歩道を歩く旅に出るのだ。あまりに長距離なので、踏破するのも3カ月はかかるというシロモノ。 そんなスゴい自然歩道のはじまりなのに、入口はやけに殺風景で人っ子一人いない。そんな素っ気なさも、シェリルの興を著しく削いでいた。早速、自然歩道に 入って歩き出したが、たちまち表情は荷物の重さでゲッソリ。すでにシェリルは死にそうな表情になっていた。まだ隣の道路が見えているというのに、シェリル は早くもPCTを歩き始めたことを後悔。「バカなことをした」…改めて後方を振り返ってみるが、何だかんだ言って出発点からはかなり離れてしまっていた。 これからあそこに戻るのもなぁ…結局はそんな消極的理由から「前進」を選んだシェリルだった。で、まだ太陽が高いうちから、そこらの原っぱにテントを設 営。だが、それが良かった。何しろシェリルはアウトドア初心者もいいとこ。取説片手に組立て始めたものの、そう簡単にいく訳もない。作業始まってすぐに辺 り構わず悪態つきまくり状態だ。それでも何とかテントを組立て、「さぁ、メシだ」となってからがまたまたキツかった。ガスバーナーとボンベの説明を読んだ ところ、どうやらタイプの異なるボンベを買って来てしまったらしい。いくらキレても後の祭り。しかたなく乾燥させたおかゆを水で解いて、冷え冷えとしたメ シということになってしまった。開始早々、ケチがつきっぱなしのシェリルのPCT縦断だったが…。そんな長丁場を行くシェリルの脳裏には、それまでの彼女 の半生が走馬灯のように甦る。暴力夫の虐待からやっとのことで逃げ出して、彼女と弟を貧しさの中で懸命に育ててくれた、優しい母親ボビー(ローラ・ダー ン)の思い出。そんな彼女は、自ら大学に入り人生これからというところで帰らぬ人となった。それが遠因になったのだろうか、シェリルは優しくて誠実な夫を なぜか欺き、ドラッグやセックスに溺れる日々。愛し合っている夫と別れるハメになったのは、自業自得と言われても仕方がないだろう。そんなこんなのウンザ リするような状況の中、ふと見つけた旅行ガイド本から「心機一転」を期して計画したPCT縦断。それも開始早々に音を上げそうになっている状態では、先が 思いやられようというもの。しかも、シェリルに襲いかかる困難たるや、これはまだ序の口の部類だったのだ…。

みたあと
  開巻まもなく登山靴を崖下に落としたヒロインは、たちまちキレてもう片方も投げ落とす。それはいいのだが、こいつこれからどうするつもりだ? 元はといえ ば自分のミス。それを勝手にキレてもう片方まで失い、過失がたちまち二倍。まして足のツメがはがれたところを見せられているばかりだから、「オマエ一体ナ ニ考えてるの?」と見ているこっちまで暗澹としてくる。これからこの悲惨な状況に2時間もつき合わされるのか…と、始まって早々にウンザリだ。何がウンザ リって、悲惨な状況に…ではない。このヒロインの性格にだ。とにかく物事すべてにケンカ腰。別れた元の夫に何かを頼むにも、なぜかエラソーですぐキレる。 忍耐力というか常識というか、とにかく大人だったら持っている何かが決定的に欠けている。そもそも女の「自分探し」なんてそれでなくても付き合いきれない のに、この女の有り様は失礼そのもの。それを始まって1分も経たないうちに見せちゃうんだから、無茶と言えば無茶な構成だ。実はミア・ワシコウスカの「奇 跡の2000マイル」も愚にもつかない「自分探し」を見せられるんじゃないかと懸念しながら見に行ったが、あちらの場合は見事にうっちゃりをかわされた。 だが、本作はどうなんだろう。その後、旅行中にもチラチラとヒロインの回想が挟まれるが、気の毒に思わされる箇所も少なくないものの、総じてこのヒロイン の言動は「自業自得」感が強過ぎる。いやぁ、これで果たして大丈夫なのだろうか…と心配になるのだが、「ダラス・バイヤーズクラブ」(2013)のジャン=マルク・ヴァレ監督、そこはそれ、かなりしたたかな男なのであった。

こうすれば
  先にも述べたように、ヒロインはあまり好感が持てるとは言い難い人物だ。何よりキレやすく口が悪く、自滅でひどいことになっても無反省。他人には失礼で自 分に甘い。自分じゃ頭がいいと思っているようで、旅の折々に置いてあるメッセージノートみたいなモノに有名な詩人の一節をコメントとして書き込んだりす る。だが、生前の母親に「自分より娘の方が教養があるってどんな気持ち?」などと無神経な言葉を吐きかけるあたり、これはとてもじゃないが「教養」のある 人間の発言とは思えない。そのくせ、変にフェミニズム根性だけはあるから接する人間にとっては始末に負えない。おまけにセックスやドラッグに溺れてグダグ ダになったところを夫に救われながら、「何で助けになんか来たのよ!」と逆ギレ逆恨みだ。まったく同情が出来ない。そもそも映画を見てると、何で彼女が自 暴自棄になってセックスとドラッグに溺れるのか分からない。母親の死が引き金だとしても、それじゃあまりに甘ったれ過ぎだろう。PCT縦断の旅だって単な る思いつきでしかない。まさに僕らが「自分探しの旅かよ、ケッ!」と言いたくなるそんな動機でしかないのだ。だから、付け焼き刃に登山用品店で道具を買い 込み、使い方も分からず目一杯背負い込んで動けなくなる始末。旅が始まってからも火ひとつ起こせない。ホラ、言わんこっちゃない。それでもヒロインは、そ の都度悪態をつきまくって当たり散らす。もう最低の女。さすがにフラッシュバックで入ってくるこの女の追憶場面には同情の余地もない訳ではないが、普通 だったらイメージ回復は無理なレベルまでひどい振る舞いっぷりだ。そんなヒロインの根性を叩きのめすためか、PCTの自然はひたすら彼女に厳しい。もっと もミア・ワシコウスカの「奇跡の2000マイル」はなかなかの用意周到ぶりで事に当たっていたが、今回のヒロインは行き当たりばったり。そりゃこうなるし かないわな…という無計画ぶりだ。大体は自然のせいというよりテメエで墓穴を掘っている。それで不機嫌に当たり散らしているのだから、見ているこっちの目 には「自業自得」としか映らないのである。

みどころ
 ただ、そんなボロボロのヒロインではあるが、時々チラッと僕らの感情をグラつかせる時もある。例えば自分が浮気をしたくせにガンガン夫に言い返した末 に、苦悩する彼の顔を見て「しまったな」とか「言い過ぎてしまった」とチラリと後悔の色を見せる時だ。メチャクチャな家庭環境を幼い時に経験して男性への 不信感が育まれてしまったのか、それとも「こっちが強気にならないとやられる」と思い込んでしまったのか、はたまた…こう言っては失礼だが自らにもDV父 の血が流れているからか、どうしても「やらかしてしまう」ヒロイン。だからこそ…彼女が自分を認めることができない、自分が万事順調じゃいけない、自分を 卑しめたいと思う気持ちも何となく分かるのである。リーズ・ウェザースプーンがアメリカの田舎のちょっと困った女を演じるのは、「MUD/マッド」 (2012)での「ここで会ったが百年目」のヤバい女以来なような気がするが、実はウェザースプーンという女優自体は「陽性」のキャラクターで必ずしもこ ういう「汚れ」が合っているとは言えない。だが彼女が演じていることで、このハタ迷惑な女がかろうじて共感を持って受け止められる程度にはなっている。 困った女だが気持ちは分からないでもない…程度に見えて来るあたりが、本作のミソなのである。そもそも見ている我々だって、人のことをクサすほど立派だろ うか? 逆恨み逆ギレなんてしないだろうか? 都合悪いことは人のせいにしていないだろうか? 「一念発起の旅」なんて、これといった理由もなく、ちゃん とした準備もなしに安易に始めないだろうか? 自分にはそんなことはない…とおっしゃる人は、人生万事順風満帆である。たぶん立派な人生を歩んでおられる のだろう。あるいは、本作のヒロイン以上に自分が見えていないハタ迷惑キャラかもしれないが(笑)。…大抵の人間は、言っちゃ何だが「困ったところ」の一 つや二つ…いや、たくさん抱えて生きているのではないか。人生に迷った時なんて誰でもある。その時に、三カ月も長距離遊歩道を歩く…なんて大それたことを 思いつかなくても、何かをキッカケに立ち直ろうとすることぐらいあるだろう。それが志通りに立派に遂行できるかどうかは怪しいものの、例え途中で安易に ハードルを下げたとしても、成し遂げることで何かのキッカケに出来るということはあるんじゃないだろうか。映画じゃとかく立派な話になりやすいこの手の話 だが、このヒロインのダメさ…こんな旅に出るのにコンドーム持参とか、ちょっと街に出たらすぐ男をくわえこむとか…も含めて、この程度の話(とは言って も、旅そのものはかなり過酷だったようだが)こそが我々にとっては本当に理解できるし共感できる…また、リアルだと感じられるレベルなのではないだろう か。たぶん実際のシェリルという人物は、会って楽しかったり好感が持てる人物ではないと思う(笑)。そして、この旅によって人間が変わったかと言えば、 セックス依存やらドラッグからは足を洗えたとしても実はそんなに本質は変わらないようにも思う。エンディングでもゴチャゴチャとナレーションで屁理屈をホ ザいてて、それらがまったく頭に入らなくてまいった(笑)。自分は頭がいいと思っていて利口ぶったことをアレコレ言いたがるが、そういう人に限って頭が良 くないという典型(笑)。そもそも本作のタイトルだって「ワイルド」(笑)と来る。一頃流行った「ワイルドだぜぇ〜」じゃないけど、これが原作からしてこ のタイトルだというのだから本人のお人柄とオツムの程度が知れようというもの。たぶん、バカな女だとは思う(笑)。しかしそんな人間でも…というか、そう いう人間の部分は大なり小なり僕らの中にもあるだろう。それが…例え3カ月人里離れて旅するというスゴい体験をしたとしても、まるっきり人間が変わるなん てあり得ないだろう。だが、その人柄の「どこかの部分」には、やったらやったなりの何らかの影響が出るのではないだろうか。これはそんな映画で、だからと てもリアルなのだ。辿り着いたゴールの「神の橋」が素晴らしい場所でも何でもない、曇り空で寒そうで彼方も霞んで見えない、まったく美しい景色なんかじゃ ないあたりも、「奇跡の2000マイル」とは好対照。そもそも途中の景色だって大して美しくないし、美しい景色の時でもそれどころじゃない描き方をしてい る。癒される、浄化されるどころではない。そしてヒロインはウンザリした過去から解放されるどころか、旅の最中ずっとその過去を振り返りっぱなし。むし ろ、余計なことを省いて「そのことだけ」を考えさせられているようなアリサマだ。だが、お遍路さんとかもこういう効果を期待してやっているところがあるの ではないか。そういう意味では、前述の「奇跡の2000マイル」、そしてエミリオ・エステベスの巡礼映画「星の旅人たち」 (2010)などと並べてみたい映画だ。また、劇中にヒロインの心情を託すかのように、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」が何度も流れ てきてビックリ。しかも最初は前奏だけを何度もチラチラと流しながら「寸止め」で止めて、ここぞ…というところで一気に歌の部分まで流すというねちっこい 使い方。これが、ずっとウンコが出そうで出ない便秘状態だったのが、一気に出るモノが出てスッキリ(笑)…みたいな効果を挙げていてなかなかうまい。い や…これはホメ言葉で言ってます(笑)。映画で手つかずだったこれ程の超有名曲をあえてここで使ったことも含めて、ジャン=マルク・ヴァレ監督のセンスに 脱帽した。「ダラス・バイヤーズクラブ」の一発屋じゃなかったんだねぇ。さらに僕はローラ・ダーンのファンだったから、彼女の登場シーンは見ていて嬉し かった。いくら主役でも「インランド・エンパイア」 (2006)は嬉しくなかったからねぇ。ダーンが演じるヒロインの母の最後…が、正直言って自分の母親のことなどをアレコレ考えさせられ、身につまされ た。まるで人ごととは思えなかったということもあって、正直、そのぶんヒロインに感情移入した部分もあったかもしれない。

さいごのひとこと

 バカにつけるクスリはないが、少しはマシになることもある。

 

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