新作映画1000本ノック 2015年9月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
「ビッグゲーム/大統領と少年ハンター」 「ナイトクローラー」 「マッドマックス/怒りのデス・ロード」

 

「ビッグゲーム/大統領と少年ハンター

 Big Game

Date:2015 / 09 / 28

みるまえ

  さすがに機を見るに敏なハリウッド映画は、大統領を描いてもちゃんと現実を反映させる。初の戦後生まれ大統領ビル・クリントンが誕生するや、「インデペン デンス・デイ」(1996)のビル・プルマンや「エアフォース・ワン」(1997)のハリソン・フォードと、大統領役者が一気に若返った。そして初の黒人 大統領としてオバマが就任すると、早速、「2012」(2009)のダニー・グローバー、「ホワイトハウス・ダウン」 (2013)のジェイミー・フォックスと黒人大統領が目白押しだ。もっともこの分野に関してはハリウッドの方が一歩先んじていて、「ディープ・インパク ト」(1998)でモーガン・フリーマンがすでに大統領役を重厚に演じていた。こうなると、あとはどのめぼしい黒人スターに大統領をやらせるか…という話 になって来るが、フォレスト・ウィテカーはアミン大統領やっちゃってるし、大統領の「執事」もやっちゃってるから出番はなさそう。ウィル・スミスはすぐに 息子出せとうるさいし(笑)。そういえば、この手の役にハマってそうなデンゼル・ワシントンに、なかなかお鉢が回らないのも意外だ。まぁ、最近のデンゼル はすっかり悪徳刑事とか必殺仕事人みたいな役ばかりやるようになっちゃったからねぇ…。話変わって…ともかくそんなご時世だから、口を開けばスラングばか りわめくサミュエル・L・ジャクソンが大統領をやっても、少しもおかしくないのかもしれない。何しろあのアベンジャーズの上司だから、役不足ということは ないだろう。本作はそんなサミュエル大統領が、なぜかフィンランドの山奥の少年と力を合わせてサバイバルするハメになるというお話。当然、両者のギャップ が楽しい映画になっているに違いない。見る前から内容は見えてるお話だが、間違いなくソコソコ楽しませてくれそうな予感はする。仕事で疲れきっていた僕と しては、こういう安心感が大事なのだ。そんな訳で、僕は本作を見るため劇場へと足を運んだ。感想文がこんなに遅くなったのは、例によって僕の怠慢のせいで ある。

ないよう

 ある古 い山小屋の扉が開かれ、少年を連れた男が入って来る。男の名はタピオ(ヨルマ・トンミラ)。彼が連れているのは息子のオスカリ(オンニ・トンミラ)。その 山小屋の壁一面には、無数の古い写真が飾られている。その中の一枚は、タピオの子供の頃の写真だ。背中に彼の「獲物」であるクマを背負った写真…。この村 では少年が13歳になると、「一人前の男」になるための儀式としてひとりで森に離す。一日、森で過ごして「獲物」を狩って来ることが、大人になるために必 要なことなのだ。ここに飾られた写真は、今までの儀式を記念して撮影された写真なのである。そして今日、オスカリもその「儀式」に臨むことになる。しか し、何をやってもイマイチなオスカリは不安だった。もっと不安なのは父のタピオで、彼はオスカリにコッソリ「ここに行けば獲物がいるぞ」と彼に教えてくれ る。こうしてオスカリと父のタピオは、村人が待ち受ける広場へとやって来る。ここで長老の見守る中、弓矢を使う恒例の儀式を受けるのだ。しかしヘタレなオ スカリは、弓矢すら満足に射ることができない。明らかに失望の声が挙るなか、見かねた長老は「やめさせてもいいぞ」とタピオの耳元でささやくが、今さら後 には退けない。こうしてオスカリは七つ道具を荷台に載せて、バギーカーを山奥へと走らせて行った。その頃、ハンティング目的のツアーの一行が、貸し切りヘ リに乗って山の中へとやって来た。着陸するや、ツアー客のリーダー格であるハザル(マフメット・クルトゥルス)は地面に椅子を置いてドッカリ座り、お仲間 たちがアレコレと忙しそうに準備を始める。ツアーをこの山に連れて来たヘリの操縦士券ガイドは、これから一体何をやるつもりなのかといぶかしそうに一行を 見る。するとハザルはお仲間たちが組立てたロケットランチャーを見せて、ガイドに逃げるように告げた。慌てて野山を走り去るガイドが、すぐにロケットラン チャーの餌食になったのは言うまでもない。さて、再び場面変わって…鏡を前に胸の傷を見ているひとりの男…彼はやがてその胸の傷をワイシャツで覆い、ピ シッとスーツを着こなして洗面所を出た。彼の名はモリス(レイ・スティーブンソン)、大統領を警護するシークレットサービスのチーフだ。彼は今、他のシー クレットサービスの仲間たちと共に、大統領専用機エアフォース・ワンに乗っている。エアフォース・ワンは現在、首脳会談のためにヘルシンキに向かっている 途中。モリスが大統領の部屋へとやって来ると、ムーア大統領(サミュエル・L・ジャクソン)は新聞を見ながらボヤきにボヤく。マスコミに「無能」と叩か れ、支持率が急降下しているからだ。ボヤきついでに、勢い余ってついつい言ってはいけないグチが飛び出してしまう。「こんなことを言われるくらいなら、銃 で撃たれた方がマシだ!」…だが、モリスに気づいたムーア大統領は、すぐにその言葉を撤回した。モリスはムーア大統領を守る盾となって銃弾に倒れ、つい先 日、復帰したばかりだったからだ。ピクリとも表情を変えなかったモリスだが、果たしてその胸中によぎった感情やいかに…。そんなこんなしているうち、地上 で準備万端整えたハザルご一行は、上空にエアフォース・ワンが差し掛かったのを見極めてロックオン。迷わずロケットランチャーを発射した。たちまちミサイ ルに捕捉されるエアフォースワンと護衛の戦闘機。その異変をエアフォースワンの機内でも察知。ムーア大統領は靴を履く暇もなく、モリスによって脱出ポッド に押し込められた。ムーア大統領を乗せた脱出ポッドが射出されると、モリスはパラシュートを背負ってエアフォースワンから飛び降りる。モリスがどんどん降 下していく中、地上から打ち上げられたミサイルがエアフォースワンの護衛機を撃破していった…。その頃、ワシントンD.C.にある国防総省では、副大統領 (ビクター・ガーバー)とCIA長官(フェリシティ・ハフマン)がこの異常事態に大慌て。慌ててCIAの対テロリストの専門家ハーバート(ジム・ブロード ベント)を呼び出し、事態を把握しようと情報収集を始めた。さて、舞台はまたまたフィンランドに移る。バギーカーで山奥へと入って行ったオスカリは、頭上 から聞こえて来た轟音に気づく。何と巨大なジャンボ機の機体の一部が、火を噴きながらオスカリのすぐそばに落下して来たではないか! 轟音と炎と衝撃で 吹っ飛ばされたオスカリは、唖然としながら辺りの状況を観察する。すると、見慣れない宇宙船みたいな物体が森の中に着地しているではないか。それが大統領 を乗せた脱出ポッドであるということなど、オスカリは知る由もない。おっかなびっくり脱出ポッドに近づいてみると、その小さな窓から誰か中にいることが分 かる。曇った窓ガラスに、内側から指で字を描き始めたのだ。それは4桁の数字だ。それを見たオスカリはたちまちピンと来て、窓のそばにある数字を描いたボ タンを教えられた数字通り押していく。とたんに自動的に開く脱出ポッドのドア。中からは当然、ムーア大統領が出て来たが、オスカリはドアが開いた時点で慌 てて逃げ出してしまった。ムーアは周囲を見渡すが、開けてくれた者の姿は見えない。「誰か、誰かいないか?」とムーアが周囲に呼びかけていると、彼の足下 に何かが投げつけられるではないか。それは紙コップで作られた糸電話だ。予想外の対応に面食らうムーアだが、仕方なくその紙コップの糸電話を拾い上げる。 すると糸電話の向こう側から、オスカリの緊張した声が聞こえて来た。「あなたはどこから来たの?」…ムーアはその声に呆れながら返答するのだった。「地球 からだ!」…。

みたあと
  サミュエル・L・ジャクソンがアメリカ大統領を演じる映画…という点が最大の「売り」のこの作品。当然、ハリウッド映画だと思って見に行った僕だが、どう も様子がおかしい。これはどこがどう違う…ということを説明するのは難しいのだが、例えば深作欣二がの「復活の日」(1980)のホワイトハウス場面など も、ハリウッドの俳優を使ってカナダのスタジオで撮影しているのに、なぜかハッキリと欧米作品とは違うムードが漂う。長年映画を見ていると、それがイイ悪 いじゃなくてとにかく「違う」ということだけは何となく伝わってくるのだ。今回もサミュエルが主演で脇にフェリシティ・ハフマンとかジム・ブロードベント みたいなハリウッド映画で頻繁に見かける顔ぶれを揃えていながら、なぜかどこからともなく漂う非ハリウッド映画臭。それもそのはず、監督・脚本のヤルマ リ・ヘランダーはフィンランドの人。本作はフィンランド・イギリス・ドイツの合作映画なのである。考えてみれば典型的バディ・ムービーでアメリカ大統領と 対峙する相手がフィンランドの少年というのは、さすがにハリウッド映画じゃあまりなさそう。そういう意味では「こりゃ珍品かも」とますます興味しんしんで 画面を見つめることになった。

みどころ
 ただ、非ハリウッド的な「違和感」は、あくまでテイストなりムードの域を超えない。本作は別にアキ・カウリスマキ作品みたいなアート系映画じゃなくて、基本的には「ダイ・ハード」 (1988)とかその子供版である「ホーム・アローン」(1990)、さらに近作では大統領も戦いに参加する「ホワイトハウス・ダウン」の系統の作品。そ もそもバディ・ムービー自体がハリウッド映画のメソッドのひとつだから、そういう娯楽大作のセオリーに従った作品ではある。ただ、この手の映画はその代表 例である「ダイ・ハード」を挙げるまでもなく、まずは緻密な構成の脚本が必須。では、本作は?…というと、実は結構グダグダ。テロリストも「ホーム・ア ローン」の泥棒並みにアホな振る舞いだが、本作は決してコメディなんかじゃないのだ(笑)。それでは本作はダメ映画なのか…というと、これがそうじゃない から映画って分からない。後味がよくて無条件で楽しめる夏休み映画になっちゃってるから不思議だ。ズバリ言って、可愛げのある映画なのである。そうなった 一番の理由は、主人公ふたりの性格設定がキッチリしているからだろうか。片やアメリカ大統領という世界最高の権力者ながら、マスコミからは叩かれ支持率は 低迷、信頼していたシークレットサービスには見限られている始末。片や村で恒例の「大人になる儀式」に臨みながらも村中から無理だと思われ、「伝説の勇 者」である父親からもまったく信用されていないヘタレ少年。どちらも周囲からまるで期待されない、情けないダメ男という点が一致している。そんなダメ人間 ふたりが手に手をとってサバイバルしなくてはならない…という設定そのものが秀逸なのだ。当然のことながら冒険を続けていく中で、ふたりがホンマもんの 「男」に鍛えられていく…という展開もお約束。しかしほとんどの人間は、大なり小なり自分を「情けない」と思ったことはあるはずなので、こういう設定には 共感してしまう。一度共感してしまうと、もう多少の穴があっても目をつぶってしまえるのだ(笑)。中でも少年が、自分の父親でさえも自分を信用してなかっ たと悟るくだりはグッと来る。だから、ラストの「大勝利」では昨今のハリウッド映画からは失われてしまった素朴な爽快感が味わえる。本作に限らず、最近で は本家らしい「持ち味」を外国に奪われ気味のハリウッド、それこそが本当に「情けない」んじゃないのか?

さいごのひとこと

 映画は出来が良ければいいってもんじゃない。

 
 

「ナイトクローラー

 Nightcrawler

Date:2015 / 08 / 10

みるまえ

 テレビの特ダネ映像を撮影するようになった男が、徐々にそれにハマってしまって常規を逸した行動に出るようになる…というようなお話。この作品の存在を知った時には、そんなようなお話だと思っていた。主演はジェイク・ギレンホール。若手スターとして順調に成長して、「ブロークバック・マウンテン」(2005)、「ゾディアック」(2007)などの話題作に連続主演。「プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂」(2010)で「スター」として本格的にやっていくのかなと思いきや、「ミッション:8ミニッツ」 (2011)のような小品ながらちょっと面白い作品にも出る。そしてどうやら、「複製された男」(2013)や本作に出演したところを見ると、今後は「ク セモノ」役者としてやっていくことを決意したようだ。本作での彼の要望は、ゲッソリと痩せてまるで骸骨のようだ。完全にイっちゃってる役づくりである。こ れはちょっと面白いのではないか。ちょうど仕事が一息ついたこともあり、僕はイソイソと映画館へと駆けつけた。

ないよう

  ロサンゼルス、深夜。ひとりの男がクルマを停めて、金切りバサミで金網をブチブチと切っている。その男ルイス・ブルーム(ジェイク・ギレンホール)は、警 備員に呼び止められると適当に言い訳を繰り返しのらりくらり。しかし相手が隙を見せるな否や、警備員を殴り倒して逃げた。その手には、ドサクサに紛れて警 備員から盗んだ腕時計もしっかりはめている。やがて盗品の金網やマンホールをクズ鉄業者に持ち込むルイスだが、足下を見られて二束三文で買い叩かれる。と ころが強心臓のルイスは、この業者に「自分を雇わないか?」と持ちかけるから驚いた。しかも自分の「誠実さ」「勤勉さ」を上から目線でアピール。さすがに 業者は呆れながらも、「泥棒を雇う奴はいない」と一蹴だ。当然である。そんなブツをさばいた帰りのこと、ルイスのクルマをパトカーが追い抜いて行く。どう やらハイウェイで事故のようだ。好奇心を持ったルイスは、事故現場のそばにクルマを停めて観察を始める。引火して危険な事故車から、警官が必死にドライ バーを救出している。するとそこにいつの間にかカメラマンが登場し、一部始終をビデオカメラで撮影するではないか。一段落してその場を引き上げようとする カメラマンのジョー(ビル・パクストン)に、興味を持ったルイスはいろいろ質問する。ジョーはこの商売は大して儲からないと言いながら、カメラと警察無線 を傍受する受信機が必要と教えて引き上げた。この夜の出来事が、ルイスの中に何かを植え付けたに違いない。やがて海岸で高級な自転車を盗んだルイスは、こ れを店に持ち込んでカメラと無線機を手に入れる。どうやらルイスは本気で例の「商売」を始めるようだ。その夜、早速無線機を使って警察無線を傍受。カー ジャックの発生と聞いて、現場にすっ飛んで行く。すると、瀕死のケガ人を救護している最中で、そこでは例のジョーも取材を開始していた。早速ルイスも見よ う見まねで撮影を開始。しかし、どうもいいアングルが狙えない。するとルイスはズケズケと救助作業の間近に迫って行き、堂々とカメラを回し始めた。さすが に警官たちはたまりかねてルイスを罵倒し、ついでにジョーも一緒につまみ出されてしまう。とばっちりのジョーはルイスに怒るが、当のルイスはカエルのツラ に小便だ。それどころか、ジョーがその場で携帯電話でテレビ局に電話して、売り込みと値段交渉をしているのを盗み聞き。シレッとそのテレビ局に出向くのだ から面の皮の厚さもハンパない。深夜のロスのローカル局、朝のニュースのために編集中のスタッフのもとへ、カメラを持って現れるルイス。カージャックの映 像と聞いて「もう買った」とアッサリ断る女性ディレクターのニーナ(レネ・ルッソ)に、「そこを何とか」とねじ込む。ニーナが買っていたのはジョーが撮影 した映像だったが、当然間近までにじり寄ったルイスの映像の方が、迫力が段違い。何より写っている血の量が違う。ルイスの映像を買い取ったニーナは、彼に 「よい特ダネ映像」の定義を伝授する。「犯罪や事故、災害の映像が欲しい。被害者は郊外の白人で犯人はマイノリティーなら望ましい」…そうしたニーナの言 葉に、いちいち「つまり血ですよね!」「血まみれですよね!」といちいち合いの手を入れるルイス。だがルイスは、確かにこれで何かを掴んだようだった。何 とルイスは、自分の「会社」の従業員を募集。早速、ファミレスで面接を始める。やって来たのは定職も定住もないリックという男(リズ・アーメッド)。自ら 学も職に就いたこともないルイスは大真面目に面接して、金が欲しい相手の弱みにつけ込んで低額で「仮採用」を決める。だが、その人使いは荒かった。まずは 警察無線を聞きながらじっと待ち続け、発砲事件が起きたと聞くやいきなり出動。猛スピードで突進するのでビビったリックは、ついついナビを間違えてルイス に罵倒されまくる。ルイスの態度は完全に常規を逸していた。こうして現場に駆けつけたルイスだが、どうやらすでに事件は収まってしまったようだ。しかし興 奮しているルイスは、どうにも諦めきれない。何かないか…と辺りを必死に見回すうちに、ついつい現場の家の中に忍び込む。すると…あったあった。冷蔵庫に 生々しい銃弾の跡。その他にも何かないかと、勝手に家の中を探し回り、アレコレとカメラで撮影するルイス。もはや際限なしである。ところが、これがまたテ レビ局では好評で、高値で買われてしまうからたまらない。局の中にも「これはマズい」と抵抗する人間はいるのだが、例のニーナは「これでいく」と撥ね付け てしまう。そうなれば、ルイスとしてもこれに応えざるを得ない。ある時は自動車事故の現場にいち早く駆けつけ、血だらけの遺体を「いいアングル」に勝手に 移動させて撮影したり、やりたい放題。それがさらに好評を生むことから、ますます歯止めが利かなくなるなるルイスだったが…。

みたあと
  最初はエスカレートして歯止めが効かなくなる報道やらテレビの行き過ぎを告発する映画だと思って見に行ったし、実際そういうお話ではある。また、そういう 映画だと解釈して評価している映画評も少なくない。ただ、そういう「報道やテレビの行き過ぎ」を告発する映画だとすると、この映画は実は大して面白くな い。風刺にしても告発にしても、「テレビの行き過ぎ」というテーマだとすると、シドニー・ルメット監督の「ネットワーク」(1976)の時点から一歩も進 んでいないということになってしまう。これだとさほど目新しい視点ではないのだ。異色作、問題作として40年前の作品から進歩がないとしたら、これは少々 マズいだろう。…で、実際のところ、本作は一見「報道やテレビの行き過ぎ」を告発する映画に見えるが、それはちょっとばかり本質からハズれている。よくよ く見ると、この映画はそんなことを言いたい訳ではないのだ。では、本作は本当はどんな映画なのか?

みどころ
  ひとり暮らしで仕事もなく、マンホールのフタやフェンスを盗んで食いつなぐ主人公。おそらくは学校にも行っていない。それもこれも…メンタルが明らかにマ トモじゃなくて、とてもじゃないが人間集団の中に入っていけるタマじゃないから。ところが、そんな男がうまい仕事にありついた。それがテレビの特ダネ屋。 そもそもがテレビがマトモな世界じゃないから、こんな男でも務まってしまう。だがこの男、仕事に本腰入れ始めるや否や…何と従業員を募集するではないか。 今までも異常な人物の異常な話はあったが、この映画の尋常ではない点は、そんな人物が「会社」を始めようとするところだ。ある意味では「うまく社会に適応 できない人物」の話という意味で、本作は21世紀の「タクシードライバー」(1976)的な物語と言えるのだが、従来だったらこういう人間は孤独で他人を 寄せ付けない。それなのに、こいつは平然と会社ごっこを始めるのである。これには驚いた。そしてこいつなりのやり方で、テレビという異常な世界でのステッ プアップを図る。それがまたうまくいってしまうのである。普通ならこんな奴は増長して調子に乗ったツケが回って来て、映画の最後に思い切り破滅したりす る。ところがこいつはそんな「教訓」を導き出さない。まったく頭がおかしいまま、順調にキャリアを上昇させていく。映画の終わりには、本当に会社組織を 作っているから衝撃だ。こんな奴でも…というより、こんな奴だからこそ、「現代」という時代では「成功者」になれる…というオチ。これはちょっとシャレに ならない。これは確かに衝撃的な作品だ。ただ惜しむらくは作り手が真面目なせいか、それともまだ「社会派」的なポーズを見せたいという気持ちを捨てきれな いのか、あっけらかんとドライに乾き切らない。そこらへんがちょっと惜しいと言えば惜しいか。ともかく脚本家上がりのダン・ギルロイ初監督作品、まずは大 成功だと言えるだろう。

こうすれば
 演技派若手スターとして順調にキャリアを伸ばして来たジェイク・ギレンホール、「複製された男」も相当アレな作品だったみたいだったが、果たしてこの方 向に進んでいいのだろうか。うまいことはうまいんだけど、変に曲者役者として固まってしまうのもどうだろう。最近あまりいい役をやらなくなってしまった ジョン・キューザックみたいになりそうで、何だかちょっと不安だ。

さいごのひとこと

 社員はイヤだけど社長ならなりたいタイプか。

 

「マッドマックス/怒りのデス・ロード

 Mad Max - Fury Road

Date:2015 / 09 / 14

みるまえ

  「インディ・ジョーンズ」も「ロッキー」、「ダイ・ハード」も、「ターミネーター」でさえシリーズ復活した今日この頃。シリーズ中断してから長い期間が空 いて、さすがに復活はないだろうと思っていても、まったく油断は出来ない。何と3作目「マッドマックス/サンダードーム」(1985)から30年を経過し て、まさかのシリーズ4作目が登場とは恐れいった。実際のところ、僕はなぜか「マッドマックス」シリーズに縁がない。1作目「マッドマックス」 (1979)から3作目まで、劇場で見た作品はひとつもない。なぜかテレビかビデオで、公開からかなり経ってから見た記憶しかない。だから正直言って、こ のシリーズには何の思い入れもない。当然待ち遠しい訳もないし、ましてメル・ギブソンを欠いた今回の新作を見たいなどと思う訳もない。こりゃ当然見ないで パスだな…と、僕は最初から決めてかかっていた。しかし、長らく鳴りを潜めていたジョージ・ミラーが何で今さら「マッドマックス」を作るのか?…それだけ はどうしても不思議でならなかったのは事実。ところが公開が近づいてメチャクチャ派手な予告編が劇場にかかり始め、なおかつ新マッドマックス役者を襲名し たトム・ハーディの主演作が立て続けに日本のスクリーンを席巻。それがまた、どれもこれも歯ごたえある作品ばかり…となると、いくら「マッドマックス」無 関心の僕だって気にならざるを得ない。公開されてからもしばらく放置していたが、仕事が一段落してからようやく重い腰を上げて見に行ったという訳。感想文 が遅くなったのは、単に僕の怠慢である。

ないよう

  近未来、炎天下の砂漠を走るV8インターセプター。ハンドルを握るのは、マックス・ロカタンスキー(トム・ハーディ)。核戦争で地球の環境は激変。文明は 崩壊し、無秩序が支配する世界が現出した…そんな荒れ果てた世界を、トラウマを抱えながらマックスは生きている。ところがマックスのV8インターセプター に、何やらやかましい集団が近づいて来た。白子のようになった連中「ウォーボーイズ」が、改造車に乗って迫って来る。この凶暴な連中に、マックスはついに 捕らえられてしまった。連れて行かれたのは、連中の砦の中。隙を見て必死に逃れようとしたマックスだが、結局は囚われの身となって顔にマスクをハメられ、 手首にチューブを刺されて血を抜かれることになる。マックスはこの衰弱した白子たちの「血液袋」とされてしまったのだ。そんなある日のこと、この砦全体が 大いに沸き立つイベントが始まった。遠く離れたガス・タウンの街からガソリンを持ち帰るべく、巨大なタンク車「ウォー・リグ」とウォーボーイたちの運転す る改造車の一団が出発することになったのだ。「ウォー・リグ」のハンドルを握るのは、この砦きっての女兵士インペラトル・フュリオサ(シャーリーズ・セロ ン)。坊主頭で精悍な顔つきをした彼女が「ウォー・リグ」に乗り込むや、この一帯の住人たちは大いに盛り上がる。砦の支配者であるイモータン・ジョー (ヒュー・キース=バーン)はかなりの老齢で健康も害しているようだが、それを隠すようにプラスティックの甲冑と骸骨のマスクに身を包んで、砦の上から人 々の歓喜の声に応える。その姿はさながら白髪のなまはげだ。さらに砦に取り付けられた排水口を開いて、支配者として下に集まった人々に勢い良く噴き出す水 を恵んでやることも忘れない。ともかく盛大な見送りを受けながら、「ウォー・リグ」がウォーボーイ車軍団を従えて出発。ガス・タウンの街への一本道を、意 気揚々と突き進んで行った。ところが「ウォー・リグ」を運転するフュリオサは、何を思ったか急に東に進路を変えた。フュリオサに従っているウォーボーイた ちは奇妙に思って尋ねて来たが、彼女はためらわずに進路変更を告げた。こうして「ウォー・リグ」の一団は左折して荒野の真っただ中へ。実はフュリオサは、 「ウォー・リグ」のタンクの中に若い女たちを隠していたのだ…。その頃、砦では…イモータン・ジョーが進路を変える「ウォー・リグ」を見ていた。異変が起 きたことを知ったイモータン・ジョーは、慌てて砦の中の「女たちの部屋」へと入っていく。砦の独裁者であるイモータン・ジョーには、彼の子種をはらませる ための女たちが5人いた。ところがその女たちを監禁していた部屋は、すでにもぬけのカラ。何が起きたのかを瞬時に察知したイモータン・ジョーは、フュリオ サ追撃をウォーボーイたちに命じる。こうなると、戦いと血に飢えたウォーボーイは大騒ぎだ。そんな狂喜するウォーボーイたちの中に、ニュークス(ニコラ ス・ホルト)もいた。このニュークス、ウォーボーイ仲間の間ではいささか軽視されてるようだが、本人は「ここでいいとこ見せたる」とやる気満々。早速、自 分も仲間と共に出撃…となったが、彼の「血液袋」役があのマックスだったのが「運の尽き」。ともかくニュークスは顔にマスクをハメられたままのマックスを クルマ前面に括り付け、いざ出陣だ。一方、フュリオサの「ウォー・リグ」ご一行は、荒野にいる荒くれ者の縄張りに入り込んだため、連中からの攻撃を受けて いた。この厄介な連中の攻撃を何とかかわしたら、砦から追いかけて来たウォーボーイたちのグロテスクな改造車たちのお出まし。手練の戦士であるフュリオサ はさすがに手強く、「ウォー・リグ」に迫るウォーボーイたちは次々に蹴散らされていく。そんな中、「ここで一発名を挙げたい」一心のニュークスは、かなり 無茶をして「ウォー・リグ」に迫りに迫る。当然そのクルマの前面に括り付けられたマックスはたまったもんじゃない。何とかその状態から抜け出そうともがく が、どうしてもカラダの自由がきかない。そんなこんなしているうち、周囲の雲行きがだんだん怪しくなって来る。どうやら猛烈な砂嵐が迫って来ているよう だ。危険を察知した連中は危険を冒してまで深追いはせず、
みな戦列から離脱して避難。しかし功を焦るニュークスは退避しようとせず、よせばいいのにどこまでも「ウォー・リグ」を追って行く。案の定、砂嵐のど真ん 中に突っ込んでしまった「ウォー・リグ」とマックスを括り付けたニュークスのクルマは、激しい突風と砂埃の中で翻弄されていく…。

みたあと
  キッチリ2時間。決して短い映画とは言えないが、すごく長いとも言い難い上映時間だ。しかし、見終わった後のグッタリした疲労感がスゴい。映画自体のボ リュームが尋常ではないのだ。正直言って荒廃した近未来の世紀末的状況で、荒くれ者たちが改造車で暴れ回る…ってお話なら、シリーズ第2作「マッドマック ス2」(1981)を原点としてイヤというほど作られている。亜流作品も星の数ほどありそうだ。その意味では本作もまったく状況としては変わらないので、 「2」のリメイク的な設定・物語だと言うこともできる。それ故に、僕もあまりこのシリーズ第4作を見たいとは思っていなかったのだ。分かりきっていて見慣 れた…あるいは見飽きた設定の物語を、改めて見るのはツライ。おまけに「マッドマックス」のアイコンであったメル・ギブソンを欠いているだけでなく、クリ エイターだったジョージ・ミラーは「マッドマックス」の世界から30年近く離れていたのだ。どう考えたって気の抜けたビールなんてもんじゃないはず。どう せダメだろうと思っていたのに…いやぁ、このエネルギーはどこから来るんだろう? ちょっとビックリしてしまった。「マッドマックス」大好評を受けてハリ ウッド入りし、「トワイライトゾーン/超次元の体験」 (1983)の最終エピソード(一番怖い飛行機のやつ)、「イーストウィックの魔女たち」(1987)などを撮ってたジョージ・ミラーが、なぜかその後に 方向転換してCGでブタを操るほのぼのコメディ「ベイブ」(1995)を撮ったり、アニメの「ハッピーフィート」(2006)を作ったり…と一見畑違いな 作品ばかり連発。正直言って僕はそのあたりからまったくフォローしなくなって、ジョージ・ミラーってまったく作品を発表しなくなったと思い込んでいた。だ から、まさか「マッドマックス」に戻って来るとは思わなかったし、この最新作の話を聞いた時には「よせばいいのに」としか思っていなかった。それがここま でやるとは…。実際のところ、お話はまったく新味のない毎度おなじみの「近未来の世紀末」だし、メルギブを欠いたためなのかトム・ハーディのマックスは前 半など極端に出番が少ない。そもそもマスクをハメられていて顔もロクに出て来ないのだ。まるでシャーリーズ・セロンがメイン…いや、完全に彼女がメインと 言っていいだろう。こんな状態で面白いはずがないのに…それが面白いのである。しかも、「現役」の映画として鮮度も満点。一体どうしてそうなのか…実は まったくその理由が分からない(笑)。すみません、ホントに分からないんです。映画サイトをやっているのに、本作がこれほどエネルギッシュでフレッシュで ある理由が分からない。でも、分からないことは分からないし、面白いことは面白いんだから仕方がない(笑)。以下は、どうでもいいことをブツブツ言ってい るだけだと思っていただきたい。

みどころ
  シャーリーズ・セロンがメインってのは間違いなくて、そのためにどう考えても「格上スター」の彼女を持って来たのだろう。それがメルギブを欠いている 「マッドマックス」だから…というのも、おそらく間違いないはずだ。トム・ハーディが悪い訳ではない。誰がどうやったって、メルギブがあそこまで築いた マックスのキャラをリプレイスするのは至難の業だ。というか、出来る訳がないのである。出来ないことなら最初から諦めて、それ以外の部分を補強しようとい うのは間違いではない。だが、マックスってこんなに内向的なキャラだったっけ? 熱心な「マッドマックス」の観客ではないし、過去の作品の記憶ももはやボ ンヤリしている僕だが、それにしたって今回のマックスのオドオド感は尋常ではない。もちろんメルギブのマックスも無口だったが、今回の作品のトム・ハー ディのセリフって何行あったのだろうか? 前半が、手も足も出ない顔もハッキリ見えない縛られたままの状態での出演。後半にしたって、まずはシャーリー ズ・セロンが前面に出る構成となっていることから、まるでコミュ障みたいでおとなしく地味〜なマックスなのである。しかし、これが実にうまくいっている。 そもそもメルギブなしに「マッドマックス」をやろうというのだから、マトモにやったら不利な戦いになるのは致し方ない。あのトラウマと狂気をそのまま継承 なんて無理だ。だから、真っ正面からマックスを持ち出すのではなく、最初から方針を変えてしまったというのは正解なのである。どっちかと言えば地味な役 者、トム・ハーディの起用がそこで効いて来る。そもそもトム・ハーディ、それまでで一番の大作で大役だったはずの「ダークナイト・ライジング」(2012)ですら、ほとんど顔をかくしての出演ではないか。「これ」が彼の持ち味なのである。一連のハーディ出演作公開ラッシュの中で日本にやって来た「チャイルド44/森に消えた子供たち」 (2015)にしても妻とのコミュニケーションがロクにとれていなかった「不器用な男」。今回のマックスともピタリ符合する訳だ。最初はシャーリーズ・セ ロン扮するフュリオサに心を許せず、自分の名前さえ名乗れないという設定が妙にハマる。それも、「名乗りたくない」ではなく「名乗れない」。壊れちゃって 何をするか分からない危なさがメルギブなら、壊れちゃって何も信じられないのがハーディと言うべきか。極端にオドオド、不器用な感じがハーディには似合っ てる。これはこれで、新しいマックス像ではないか。また、見る側が強烈な違和感や抵抗を感じないように、作品世界が一人歩きして観客を引き込むまでマック スを引っ込めておくという計算が、見事にうまくいっているのだ。考えれば考えるほど、このマックスの出し方とハーディ起用の巧みさに驚かされる。そして控 えめハーディに対してあえて今回は前面に立ったシャーリーズ・セロンも素晴らしい。元々が美人なセロンは「モンスター」(2003)などではあえて汚なづくりをして「演技派」アピールをしていたが、それはハッキリ言って無理があった。しかし今回の刈り上げ頭に汚れメイクは、そんな違和感を感じさせない。むしろカッコいい。「ヤング≒アダルト」 (2011)もうまいなとは思ったが、今回ほど彼女に感心したことはなかった。本作はアクションで評価される作品ではあると思うが、僕はこの二人のキャラ クターづくりや芝居に感心した。もちろんアクションが素晴らしいことは言うまでもないが、それが具体的にどう素晴らしいのかは、僕なんぞよりも他に語る資 格のある人がいるだろう。今回はそういう方々にお任せしたい。

さいごのひとこと

 「今さら」感が微塵もないのに感心。

 

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