みるまえ
どうやら、女ひとりでオーストラリアの荒野を横断する話。前にもそんなタイトルの映画があったはず…と思い起こしてみたら、それは「裸足の1500マイ
ル」(2002)だった(笑)。アレは白人にさらわれたアボリジニと白人の混血の少女が、脱走してオーストラリアを横断する話だった。やはりオーストラリ
アである(笑)。地味だが、なかなかの佳作だった印象がある。今回の「2000マイル」も期待できるのではないか? ただ、旅する主役を演じるのがミア・
ワシコウスカ…と聞いて、ちょっと腰が退けてしまった。ミア・ワシコウスカ…あの「鬼瓦」みたいな顔がダメなのか、出て来る映画どれもこれも僕はダメ。
「アリス・イン・ワンダーランド」(2010)はイヤな予感がしてパスしちゃったが、「永遠の僕たち」(2011)、「イノセント・ガーデン」
(2013)、「マップ・トゥ・ザ・スターズ」(2014)…と作品もダメなら彼女が演じる役柄も好きになれない。ファンの方には申し訳ないが、ダメなも
のはダメだからどうしようもない。ただ…本作はこのミアなんちゃら以外は魅力的なんだよねぇ。僕は荒野や砂漠や辺境が出て来る映画が好きなのだ。こいつが
出ているからと言って、今回は映画をパスしたくない。そんなこんなしているうちに、映画の公開が終わりそうになった。こうなると迷っている訳にいかない。
僕は有楽町の映画館に慌てて飛び込んだ。
ないよう
どこにも居場所のない者がいる、私もそうだった…。時は1975年、オーストラリア中央部にあるアリス・スプリングスの町に、列車に乗ってひとりの若い女
がやって来る。彼女の名はロビン(ミア・ワシコウスカ)。こんな辺鄙な田舎町に、女ひとり(愛犬のディギティを連れてはいたが)でやって来たのには訳があ
る。彼女はまず町の酒場に入って、住み込みで雇ってもらうことに成功。これである程度カネを稼ぐと、今度は酒場を辞めて町はずれのラクダ牧場へと足を運
ぶ。それは、すべて計画済みの行動だった。実はロビンは、このアリス・スプリングスから西部の砂漠地帯を横断してインド洋まで抜けるという、たったひとり
の冒険旅行を計画していたのだ。そのためには、まずある程度の資本が必要であり、さらにラクダが3頭必要だった。今度はラクダの番というわけだ。ロビンは
牧場主のポゼル(ライナー・ボック)に頼み込んで、その牧場で働き始めた。牧場の手伝いをしてラクダの扱い方を習いながら、給金の代わりに2頭のラクダを
もらうという約束である。人使いの荒いボゼルだったが、そのおかげかロビンはラクダにすこぶる強くなった。ラクダという動物は見かけと違い、かなり手強く
凶暴な一面があるということも分かった。そんなこんなで8カ月経ったが、一向にラクダをもらえる気配がない。たまりかねてボゼルを問いつめると、約束を反
古にするではないか。頭に来たロビンは牧場を飛び出し、荒野に建った廃屋に落ち着く。気を取り直してアフガニスタン人のモハメット(ジョン・フラウス)の
下で働きながら、まず1頭のラクダを譲ってもらう。そのラクダは妊娠中で、すぐに2頭に増えた。そんな折りもおり、ロビンが暮らす廃屋に、クルマに乗って
数人の若い連中がやって来る。それはロビンの旧友ジェニー(ジェシカ・トヴェイ)とその仲間たちだ。再会を喜び合うロビンとジェニー。ジェニーが連れて来
たお仲間も交えての飲み会が繰り広げられるが…正直言ってロビンにとっては苦痛でしかない。ジェニーが連れて来たお仲間のうち、カメラマンのリック・ス
モーラン(アダム・ドライバー)は彼女に好意を抱いているのがミエミエだが、そんなこんなも煩わしかったのかもしれない。とにかく気づいてみれば彼女は一
同の喧噪から離れ、オンボロ自宅から出て、ひとりでポツンとしている始末。ジェニーはロビンとの別れを惜しみながら、お仲間と去って行くのだった。さて、
その後のロビンは、偶然が幸いしてボゼルが手放した牧場からラクダ2頭を譲ってもらうことが出来た。モハメットからは「これが必要な時が来る」とライフル
銃をもらう。さらにナショナル・ジオグラフィック誌に冒険旅行のことを知らせると、彼らは「軍資金」を送って来た。用意万端、準備は完璧。いよいよラクダ
4頭と愛犬ディギティを従えて、ロビンはインド洋沿岸への冒険の旅を開始した…!みたあと
「どこにも居場所のない者がいる、私もそうだった」…。冒頭に出てくるヒロインのコメントは、正直言って僕も昔からずっと感じていたことなので、気持ちは
分からないでもない。だが、このコメントに続いて出て来る本作のヒロインが、「鬼瓦」みたいな顔したいつものミア・ワシコウスカ…っていうのが何とも…。
冒頭のコメントから見て、「自分探しの旅」とかしちゃおうと思っているんじゃねえだろうな…と、思い切り冒頭から警戒してしまう。神経症みたいなミアなん
ちゃらが、頭でっかちな勘違い旅をする映画なんて見たくもない。みんなが無謀な旅だと思って止めているのを、自分なら出来る…と押し切っているあたりか
ら、イヤ〜な予感がしてくる。さすがに「自分探しの旅」と言っても、ジュリア・ロバーツの出てた「食っちゃ寝」だか「食って寝てクソして」だかそんなよう
なタイトルの映画(ちゃんとした題名はホントに忘れちゃった)みたいなお気楽な「自分探し」ではないようだが、それでも何となく自然をナメ切ってる女の傲
慢旅になりそう。大丈夫なのか、この映画は?
こうすれば
実は映画の前半は、それほど苦難らしきモノは描かれない。それなりに大変ではあるが、割と淡々と日常風景のように進んで行く。ただ、見る前に思っていたよ
うな「自然をナメ切ってる女の傲慢旅」ではなくて、ヒロインはそれなりに十二分に周到な準備をして事に当たっている。むしろ、そのヒロインの手堅さを日常
風景的にスケッチしていく作り方に好感を持った。その小道具として目覚まし時計をうまく使っているあたりも注目できる。ただ、このヒロインは冒頭の「どこ
にも居場所のない者がいる、私もそうだった」というコメントの通り、人との距離の取り方がうまくない。だから友だちが陣中見舞いに来てもどこか煙たそうだ
し、父親らが訪ねて来ても居心地悪そうだ。だが、その「距離の取り方のヘタさ」は、自分が至らないからだというより…ハッキリ言ってむしろ周囲を見下して
いるから…のように見える。だからヒロインが好きになったらしいカメラマンのリックが、ナショナル・ジオグラフィックのカメラマンとして帯同してくるのも
煩わしくて仕方がない。行程の途中で出会う辺境暮らしの白人男に、「イイ人なのは分かるけどウザくてねぇ」などとまくしたてる始末だ。さらに、「キャメル・レ
ディ」として有名になった彼女を写真に撮ろうとする観光客たちを、露骨に敬遠したりする。そもそもナショナル・ジオグラフィックにカネをたかったのは自分
の方だし、カネをもらったからには取材も「込み」なのは当たり前ではないか。そしてマスコミを巻き込んだからには、一般の観光客からアレコレ見られるのも
致し方ないはず。しかもリックのことをウザいと言っていたが、彼女が煮詰まって「もうやめる!」などと言い出した時には自分からリックに抱きついていった
ではないか。まったく徹頭徹尾テメエ勝手な女なのである。その一方で、彼女は他人との関わり方に独特な「クセ」を持っている。他の人間には取りつくシマの
ないところを見せながら、ラクダ牧場を経営するアフガニスタン人のモハメットや旅の途中で案内人となるアボリジニのミスター・エディという老人には心を許
しているのだ。なるほど現実社会では居心地の悪いヒロインだから、マイノリティーとは心が通うんだなぁ…ということなんだろう。大変結構なことではある。
しかし正直に言って、「自分はマイノリティーの気持ちが分かっている」なんてそれこそ傲慢なのではないか。煮詰まった時にはカメラマンのリックにすがりつ
くくせに、普段は「ワタシは白人たちと接するより、こちらの人たちの方がホンモノの生き方でピンと来る」…などと「他のつまらない連中とは違う」アピール
がスゴい。そういう「意識高い系」の臭いがプンプンするのである。それをミアなんちゃらが演じているのだから、僕には難行苦行。何とも鼻持ちならないヒロ
インぶりに、こりゃあちょっとダメかな…と半ば思い始めた。それでも映画への興味がキレなかったのは、ヒロインが行く荒野の描写が素晴らしかったから。絵
としても描写としても、彼女の旅の様子は見ていてなかなかに壮観なのだ。
ここからは映画を見てから!
みどころ
ところがお話が後半になってくると、旅の様相が変わってくる。案内人のミスター・エディもいなくなって、行く手が今までと違って完全な砂漠になって…旅
のキツさが格段に変わってくる。こうなると、もはや「他のつまらない連中とは違う」なんて澄ましている余裕がまったくなくなる。カッコつけてる場合じゃな
くなってくるのだ。あげくの果てに忠実に自分についてきた愛犬ディギティを失うハメにもなって、虚飾がすべてはぎ取られて失意のどん底。そうなって初め
て、彼女はリックの好意を素直に受けられるようになる。彼が先回りして水を用意すると言ってくれたことに、ただただ感謝するのである。その頃にはミアなん
ちゃらの鬼瓦みたいな顔も汗やホコリや日焼けでグチャグチャになっているのだが、かえってそのおかげで虚飾が取れて「イイ顔」になっている。そしてこのあ
たりで、映画は彼女がどうして「どこにも居場所がなくなった」のか…その理由をようやく観客に教えてくれるのだ。これはこのタイミングでなければ、観客も
その理由を素直に受け入れられなかったかもしれない。そんな何とも絶妙のタイミングだ。これにはさすがに「うまい」と思わされた。そんないろいろな濃い体験
を経て、最後にヒロインが辿り着いたのは…。最初は生い立ちがどうの、世間の人間関係がどうの、ナショナル・ジオグラフィックのカメラマンがどうの…とア
レコレ文句言ってたヒロイン、自分は「世間とは違う」「意識高い系」と勘違いしていたヒロインが、奮闘努力と苦難の荒野横断の果てにそんなこんながどうでもよくなって、た
だ砂漠の果てに青く澄んだ海を見ただけで深い満足を感じるのだ。そのヒロインの「達成感」を理屈抜きに映像でズバリと見せてしまえたのが、映画ならではの
スゴさではないか。何だかよく分からないけれど(笑)、とにかく彼女は「達成」したんだ!…と見ている僕らも思えたあたりが何ともスゴいのである。これぞ映画だ! 他の作
品を見たことはないが、ジョン・カラン監督なかなかの腕前…と大いに感心した。
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