新作映画1000本ノック 2015年3月

Knocking on Movie Heven's Door


このページの作品
 「ドライブ・ハード」 「ワイルドカード」 「6才のボクが、大人になるまで。」 「エクソダス/神と王」

 

「ドライブ・ハード」

 Drive Hard

Date:2015 / 03 / 23

みるまえ

  今年もまた仕事が忙しくて、感想文書けないどころか映画そのものを見れない毎日。それでも時間がポッカリ空いちゃうと、傑作話題作よりついつい変な映画見 ちゃうのは、もはやビョーキなんだろうか。そもそもヒット作だとフラッと劇場に行って見れるわけじゃない。バカップルかき分けて見に行くのが面倒くさいか ら、ついつい腰が退けちゃうところがある。おまけにこちとら最近集中力に欠いていることもあって、1時間半以上の映画は敷居が高く感じてしまうのだ。とて もじゃないが、「6才のボクが大人になるまで」見ていられないのである(笑)。そんな短くてサクッと見れちゃいそうな映画を探していくと、B級のホラーか サスペンスかアクションということにならざるを得ない。これはどうしようもない事なのだ。しかも今回の作品、主演がジョン・キューザックとトーマス・ ジェーンと来る。キューザックはご存知のスターだし、トーマス・ジェーンも後述するがちょっと気になる役者ではある。「ドライブ・ハード」ってんだから カー・アクション映画だろうが、こんな二人がなぜか即ビデオスルーしそうな作品に出ているのが不思議だ。そこで、雨の降る中をガラガラの銀座の劇場まで足 を運んだというわけだ。

ないよう

  サーキットでは、色とりどりのレーシングカーが激しいデッドヒートを繰り広げていた。そんなマシンのツバずれ合いを制して優勝したのは、長髪おっさんレー サーのロバーツ(トーマス・ジェーン)。ドヤ顔のロバーツにビキニ美女が飛びついて…とイイところで目が覚めて、気づいてみると飛びついて来たのは幼い娘 のレベッカ。ロバーツはまた寝過ごしてしまい、娘に起こされる始末というわけだ。妻のテッサ(イエッセ・スペンス)はやり手弁護士で高給取り。対するロ バーツは結婚を機にレーサーを引退したものの、そうなると陸に上がったカッパ同然。今では自動車教習所の教官として細々暮らしていた。テッサは出勤を前に 忙しく、当然、娘を学校に送るのはロバーツの役目だ。ハッキリ言って家庭でのロバーツの存在感は薄く、完全にナメられている。それでも今の彼の立場では、 言い返せる訳もないのだ。そんなこんなで娘を学校まで送り届け、職場である自動車教習所にご出勤。すると、今日のお客がすでに来ているではないか。帽子を かぶりサングラスをかけたその男は、アメリカからやって来たケラー(ジョン・キューザック)。アメリカ人だからロバーツを教官に選んだ…とうそぶくケラー は、なぜか妙に路上教習も乱暴運転。おまけに妙にロバーツに対して馴れ馴れしい。教習の途中でメシを食おうと勝手に中断すると、ロバーツが元レーサーだっ たことを言い当てる。…というか、どうやらケラーはロバーツの素性を知っていたらしい。さすがにヘキエキし始めたロバーツだが、ケラーは次に銀行でカネを 下ろしたいと言い出す。仕方なく教習車を銀行前に横付けしたロバーツは、クルマの中でケラーの帰りを待っていた。ところがビックリ仰天、ケラーは銀行から 慌てて逃げ出してくるではないか。次いで彼を追って来た警備員が、こちら目がけて発砲してくる騒ぎ。ロバーツがヤバいと気づいた時にはもう遅い。すでにケ ラーをクルマに乗せてしまった以上、その場を逃げ出すほか選択肢がない。たちまちパトカーが次々と追いかけてくるが、そこは腐っても元レーサーのロバー ツ。次々やってくるパトカーの群れを、一台また一台と振り切っていく。こうしてパトカーを完全にまいたものの、それでなくても目立つ教習車でのカーチェイ スはマズかった。ロバーツも完全に共犯と見なされ、バッチリ指名手配されているではないか。大いにボヤいてケラーから離れようとするロバーツだが、今さら 遅いと説得される始末。そもそもケラーは、最初からロバーツの腕を買って「共犯」に引きずり込んだらしい。ケラーが盗んだのは、銀行の金庫に隠されていた ナゾの債券。実はケラーは名うての泥棒で、「悪党」に盗みの報酬をごまかされたため、復讐のために債券を盗んだというのだが…。その頃、ケラーの言ってい た「悪党」こと銀行幹部のロッシ(クリストファー・モリス)は、前から手なずけていた悪徳刑事スミス(ダミアン・ガーヴェイ)たちを使ってケラーとロバー ツを追跡。さらにそこに連邦警察の捜査官ウォーカー(ゾーイ・ヴェントゥーラ)とブラウン(ジェイソン・ワイルダー)も絡んで来て、事態はどんどん混迷を 極めていくのだった…。

みたあと

  ある程度予想がついたことだが、本作のパンフレットは劇場で販売されていなかった。つまり、本作はそんな映画なのだ。仕方なく置いてあるチラシを手に取っ て読んでみたら…「監督:ブライアン・トレンチャード=スミス」。この男の名前を、確かに僕は何度か目にした覚えがある。上映開始までの時間に何とか記憶 を辿っていったら…いたいた、ブライアン・トレンチャード=スミス! 何のことはない、こいつって香港=オーストラリア合作映画で、「片腕カンフー対空とぶギロチン」 (1975)などでおなじみジミー・ウォングと三代目007ことジョージ・レーゼンビーが主演した「スカイハイ」(1975)を撮った男じゃないか!  「スカイハイ」というと覆面レスラー・ミルマスカラスのテーマ曲でおなじみだが、あのジグソーの曲って実はこの映画の主題歌だったのだ。香港からやって来 た刑事ジミー・ウォングが、白人女とセックスとかしながら(笑)悪党レーゼンビーのビルに乗り込んで行く。その突撃はハンググライダーで行われるのだが、 その際にガンガン流れるのがあの「スカイハイ」の曲なのだ。実は映画としちゃヨレヨレなのだが、結構僕は楽しんで見た記憶がある。ところがよくよく考えて みると、僕はこの監督の作品を他にも見ていた。それが「BMXアドベンチャー」(1983)。もうどんな映画だったのかまったく覚えていないが、自転車の BMXを乗り回すガキどもが、銀行強盗をやっつける冒険映画…だったはず。軽快に「び〜え〜むえくすっ」…と歌う主題歌もかすかに覚えている(笑)。調べ てみたら、何とこの映画にニコール・キッドマンも主演級で出ていたというのだが、こちらの方はまったく覚えていない。こんな映画も日本に来ていたんだ ねぇ…。そしてそして、僕はもう1本、この監督の映画を見ていたのだ。それはビデオで見た「クエスト/伝説の冒険」(1986)。たまたま中古ビデオ屋で 見つけてタダ同然の値段で買った作品だが、「E.T.」 (1982)の主役ヘンリー・トーマス少年が主演というのが売りだった。お話は、先住民のアボリジニによって怪物がいると言い伝えられている沼に、少年が ナゾを解きに出かけるというもの。どうって事のない映画ではあるが不思議な雰囲気のある作品に仕上がっていて、それまでの2本の作品がヘロヘロの出来映え だったのと比べるとこれはちょっとイイ出来だったかも。そんな訳で、本作は僕が見るこのオーストラリアの映画監督の4本目の作品ということになる(笑)。 よくもまぁ、こんな監督の作品がこれほど日本で公開されたもんだ…とビックリでもある。ただ、本作の監督がブライアン・トレンチャード=スミスだと分かっ た時点で本作はあまり期待できない…というのも分かってしまった(笑)。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  その予感は残念ながら的中してしまった。オーストラリア映画界からはハリウッドにも通用する人材が数多く現れたが、そこまで行かないローカルどまりの奴 だってたくさんいた。われらがブライアン・トレンチャード=スミスは、そんな地元映画作家の一人だったわけだ。ジョン・キューザックにトーマス・ジェーン と、それなりに知られた役者を主役に持って来れたのはスゴいが、そこで全力使い果たした感じ。とにかくカーアクションの映画なのに、カーアクションがほと んどない。冒頭近くにちょっとだけあるが、その時には教習所の軽自動車で逃げ回る始末。それが終わって本題に入り、クルマもムスタングに乗り換えたとたん に映画はチンタラムードに突入。ただただロードムービーとしてダラダラ田舎道を走るだけで、まったくムスタングが活かされていない。全然ドライブ・ハード じゃないのだ。では、軽妙洒脱なロードムービー、バディムービーとして面白いのかと言えば…せっかくジョン・キューザックとトーマス・ジェーンという逸材 を手に入れているのにちっとも面白くない。そもそもキューザックのキャラクターが一体何を考えているのか分からない。そこを終始サングラスで目を隠してい るから、ますます得体が知らないままなのだ。だが、これは脚本や演出のせいとばかりは言えない。ハッキリ言うと、ジョン・キューザックはやる気のカケラも 見せていないのだ。さすがにこの脚本じゃダメだと分かっていたのでやる気も出なかったのだろうが、だったら何でこんな映画に出たのだろう? メジャーなロ マンティック・コメディで堂々主演した「アメリカン・スウィートハート」(2001)あたりを頂点にして、キャリアが緩やかな下降線を辿ってきた観がある ジョン・キューザック。特に近年は作品の出来が良くないか、作品は良くても役柄が「???」なものが多い。「推理作家ポー最期の5日間」(2012)、「ペーパーボーイ/真夏の引力」(2012)、「大統領の執事の涙」(2013)、「マップ・トゥ・ザ・スターズ」 (2014)…など、好感を持てない役どころをたま〜に演じるならまだしも、立て続けに「そればかり」演じてしまうってのはどうしたもんだろう? 今の キューザックは、自分のキャリアを台無しにしたがっているようにしか見えない。どうしてこんな事になっちゃったのか。それに対するトーマス・ジェーンは、 知名度こそないものの気になる作品に「主役」で時々出てくる不思議な役者。その都度、彼にとっては「勝負作」なんだろうが、「ドリームキャッチャー」(2003)、「パニッシャー」(2004)、「ミスト」 (2007)…となぜか毎度毎度イマイチな出来映えに終わってしまってブレークできない残念な存在だ。今回もジョン・キューザックと共演という絶好の機会 なのに、まるでバカみたいな役を演じさせられて気の毒な限り。作品もあまりな出来映えで、またしても浮上のチャンスを失ってしまった。やっぱりブライア ン・トレンチャード=スミスは変わっちゃいなかった。この人がどうして毎度毎度仕事にありつけるのか、あるいはどうやって映画製作の資金を集めているの か…本当に不思議で仕方がない。

さいごのひとこと

 トレンチャード=スミス先生の次回作にご期待ください。

 

「ワイルドカード」

 Wild Card

Date:2015 / 03 / 23

みるまえ

 ジェイソン・ステイサムと言えば、今ではコンスタントに年に2〜3本は主演作がやってくるアクション・スター。だが「トランスポーター」(2002)以降一山いくらでやってくる主演作は、正直どれもこれも…という感じで僕もいちいちつき合ってなかった。結局ここ数年見ているステイサム作品となると、「エクスペンダブルズ」(2010)、「エクスペンダブルズ2」(2012)、「エクスペンダブルズ3/ワールドミッション」 (2014)…のシリーズ3作といった具合になっていた。正直言って、彼の作品はあまり質が高そうに見えないのだ。だからといって「エクスペンダブルズ」 シリーズの質が高いとも思えないのだが…(笑)。そんなわけで、大半はパスしてきたステイサム主演作だが、今回はちょっと注目してしまった。それはスタッ フの顔ぶれだ。もっとも、「エクスペンダブルズ2」でもステイサムと組んだ監督のサイモン・ウェストには興味ない。僕のお目当ては、脚本担当者としてクレ ジットされているウィリアム・ゴールドマンだ。後で詳しく説明するが、1970年代アメリカ映画を見て育ってきた僕には、ゴールドマンは最重要人物の一 人。偶然ネットでゴールドマンが関わっていることを知り、慌てて劇場に飛んで行った次第。果たして毎度おなじみステイサム映画でも、ゴールドマン効果でひ と味違った出来映えになっているのか?

ないよう

  それは去年のクリスマスの夜、ラスベガスでのことだった。バーのカウンターで飲んでいる男が一人。その男ニック・ワイルド(ジェイソン・ステイサム)は、 テーブル席のカップルの会話を盗み聞き。若い女と、彼女といささか不釣り合いな中年男という取り合わせだ。どうやら仲がこじれている様子だが、そこに絡ん で来たのが例のニック。中年男を無視して女を口説き始めたから穏やかじゃない。いきなり揉めにもめたあげく店の外に出て行って、最後には中年男にブチのめ されて退散するニック。女は中年男に惚れ直した様子で、先ほどとは打って変わって仲睦まじく去って行った。しかし当然のことながら、それはニックの狂言 だった。ここべガスのよろず揉め事を引き受けるのが、ニックの商売。今回は少々情けない役回りであったが、彼の仕事はいわゆる「用心棒」だ。お仲間の弁護 士ピンキー(ジェイソン・アレクサンダー)の事務所を間借りして商売をして、毎日馴染みのダイナーでおなじみメニューをパクつく。ダイナーの馴染みのウエ イトレス・ロキシー(アン・ヘッシュ)との気の置けない会話もいつものこと。そんな十年一日のごとき毎日を送っているニックだった。その朝も、そんなニッ クに仕事が持ちかけられる。今風なIT商売で儲けてる若社長サイラス(マイケル・アンガラノ)が、べガスで安心してギャンブルを楽しみたい…とニックに白 羽の矢を立てたのだ。どう見たってべガスって柄じゃない若造に雇われるのは本意じゃないが、頼まれてしまったのだから仕方ない。サイラスを連れて、誰でも 無難に安全に楽しめそうなカジノへとやってくるが、サイラスの賭け方のセコさにガッカリ。ここなら用心棒ナシでも安全だと言って、ニックはサイラスを置い てその場を去ってしまう。ところがその夜のこと、ニックと浅からぬ縁の女がべガスの片隅でとんでもない事になっていた。彼の元恋人ホリー(ドミニク・ガル シア=ロリド)が悪い男たちに拉致されていたぶられて、キズだらけで病院の前に放り出されたのだ。そんなホリーを放ってはおけないと見舞いに行ったニック だが、そこで彼は厄介事に巻き込まれてしまう。ホリーは自分を呼んだ上でなぶりものにした連中に復讐してくれ…とニックに頼み込むが、それは決定的にヤバ い事に足を突っ込むことを意味していた。ホリーが呼ばれて行ったホテルは、何かといわくのある連中がたむろする場所。ニックも前々からホリーに「行くな」 と言っていた場所だった。そこに居座る連中となると、どんな奴らだか想像がつく。ホリーは簡単に言ってくれるが、こいつらに手を出したらタダでは済まない のだ。そうは言っても、これで引き下がったら男がすたる。イヤイヤながら調べたあげく、早速どんな連中かを突き止めた。相手はマフィアのボンボン息子ダ ニー・デマルコ(マイロ・ヴィンティミリア)とその手下だ。こうなると、ニックも覚悟を決めなきゃならない。こんな奴に手を出したら、もうラスベガスには いられないからだ。こうして「用心棒」としてホリーの「復讐」につき合うニックは、ホテルの連中の部屋を急襲。手下どもをブチのめすと、今度はホリーがダ ニーをいたぶる番だ。脅すだけ脅したあげく、ダニーから5万ドルを巻き上げてその場をトンズラ。もちろんここまでやらかしたのなら、すぐにでも高飛びしな きゃヤバい。ニックはカネを半分ずつに分けるとホリーを逃がし、自分はその足でカジノへ急いだ。ニックにとって、この程度では高飛び資金には心許ない。も う一丁ドカンと増やして、地中海で左うちわの生活とシャレ込みたい。実は、それがニックの昔からの夢なのだ。それがなかなか実現しなかったのは、実はそれ なりの訳もあるのだが…。ともかくニックは顔なじみの女ディーラーのもとへやって来ると、手に入れたばかりのありったけのカネを賭けて大勝負を始めるの だった…。

みたあと

 ウィリアム・ゴールドマンといえば、1970年代アメリカ映画を好きな連中なら気にならざるを得ない名脚本家。特にロバート・レッドフォードらとの関わりが深い脚本家でもある。何しろ「明日に向って撃て!」(1969)と「大統領の陰謀」(1976)でオスカーをとっているというのだから、その縁の深さが伺えようというものだ。レッドフォードとはその他にも「ホット・ロック」(1971)、「華麗なるヒコーキ野郎」(1975)で組んでいるし、オールスター大作「遠すぎた橋」(1977)もレッドフォードつながりと考えれば納得がいく。そのキャリアの最初期にはポール・ニューマンの快作「動く標的」(1966)も書いているし、ダスティン・ホフマンの「マラソンマン」(1976)も手がけている。このあたりの事情は「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」 (2014)感想文をお読みいただければお分かりいただけるだろうが、1970年代アメリカ映画ではアルヴィン・サージェントと人気・実力を二分する脚本 家だったと言っても過言ではない。その1970年代を過ぎるとその勢いは落ちるが、それでも「プリンセス・ブライド・ストーリー」(1987)、「ミザ リー」(1990)などを発表して気を吐いた。しかし…さすがに1990年代に入ってから失速して、「将軍の娘/エリザベス・キャンベル」(1999)な どガッカリさせられる作品ばかりになっていく。そして21世紀に入ってからは、珍妙なSF「ドリームキャッチャー」 (2003)を発表しただけで長い沈黙を保っていた。そこに10年以上のブランクを置いて、この作品がやって来たわけだ。しかし…偏見でモノを言うつもり はないけれど、気楽に楽しめるB級アクションの多い「ジェイソン・ステイサム主演作」と1970年代アメリカ映画の雄・ゴールドマンとのコラボが、今ひと つしっくり来ない。ステイサムのアクション映画は決して嫌いではないが、今、あのゴールドマンが重い腰を上げて取り組む映画とは思えないのだ。最近作にあ たる「ドリームキャッチャー」も何ともヘンテコな映画だっただけに、不安はいやが上にも増すばかり。ただ…逆に「動く標的」や「マラソンマン」を書いた ゴールドマンなら、ステイサムを使ってハードボイルドやサスペンスの傑作を作る可能性もあり。復活なるか、やっぱりダメか、果たしてその結果やいかに?

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  結論から言うと、やっぱりダメでした(笑)。というか、こんな内容なら平凡なジェイソン・ステイサム・アクション映画をやってくれた方が良かった。ゴール ドマンが加わったせいで、ダメな内容になってしまったことが明らかなのである。今回のステイサムの役どころは、ラスベガスの「用心棒」稼業。それ自体は、 ステイサムの役としてはよくあるパターンだ。そんなステイサムが厄介事に巻き込まれていく…というのもお約束。マフィアをとっちめたあげく、命を狙われる というのも定石だ。そこでラスベガスから高飛び…ということになって、お話がどうやら本題に入ったらしいと思えてきたら、そこから映画がとんでもない展開 を見せていくではないか。何とステイサム、逃走資金が不安だと言い出して、カジノで無謀なバクチを打ち始める。それでも無茶な賭けが当たりに当たり、奇跡 的な勝ちを収めているうちはいい。儲かったしいよいよ逃げられる…と思ったとたん、またまたよせばいいのに賭けに戻ってしまう。そしてまたしても無謀な賭 けに出て、全額スッてしまうというオチ。いやぁ、これは一体どうなっているのか。あげくステイサムは、便所で自分のやった事を悔いてグチグチ。タフなステ イサムが暴れまくる映画か、クールなステイサムが敵の上をいく活躍を見せる映画を想像していた僕(と大半の観客)は、目の前で起きている事態が把握できな い。無謀な賭けにカネを突っ込むにしても、ステイサムなら勝算あってのこと…と思ってみていたから、単にバクチ狂いのバカだったというオチに唖然呆然。ま して、便所で愚痴るなんて「らしくない」ことおびただしい。しかも、どうやらこの病的で破滅的なバクチ狂い…というのが本作の主眼だったらしいと気づい て、またまた唖然としてしまう。マフィアから逃げる話はどうなっちゃったんだ? こりゃあ娯楽映画としてマズいだろう。そもそも、ステイサムがそんなバク チ狂いだったなんて聞いてねえよ。だから、いきなりのハジけっぷりにビックリ。あまりにも唐突で驚いてしまう。おまけにステイサムその人の俳優イメージか らいっても、バクチ場面に至るまでの本作での描き方からいっても、どう見たって主人公はべガスという街での生き方を知り尽くしているクールな男。バクチで 身を持ち崩すバカには見えない。まして、負けて落ち込むとか便所で愚痴るとかは論外。だから、いきなり別人になったように見えるのだ。映画としての整合性 がまるでとれていないのである。これのどこまでが監督の責任でどこまでが脚本のせいなのか分からないが、少なくともこの脚本はステイサム映画の「それ」で はなかった。2〜3カ所とってつけたように悪党どもをボカスカ素手でやっつける場面があって、そこはステイサムらしいカッコよさなのだが、それも焼け石に 水状態。一種のムード・アクションを狙ったのだろうが、この企画はステイサムでやるべきではなかった。例えば、ニコラス・ケイジとかコリン・ファレルあた りがやれば、あるいはサマになったのかもしれない。それでも…本作はどこかバランスが崩れた作品で、そもそも何を描きたいのかがよく分からない。しかも、 映画の楽しさ、面白さ…といった要素を度外視しちゃっているような構成になっていて、見ていて理解に苦しむのだ。キャリアの末期に発狂作「幻の湖」 (1982)を発表しちゃって二度と立ち直れなかった名脚本家・橋本忍みたいに、ウィリアム・ゴールドマンも完全にモウロクしちゃったのか。往年のファン としては残念でならない。

さいごのひとこと

 リュック・ベッソン脚本が上質に思えてくる。

 

「6才のボクが、大人になるまで。」

 Boyhood

Date:2015 / 03 /  23

みるまえ

  映画ファンのくせに何を今さら…と、多くの人から文句を言われそうだ。この作品は昨年の11月にはすでに公開されていたのだから。その後でアカデミー作品 賞にもノミネートされ、惜しくも落選してしまった。そうなってもまだ見ていなかった理由は、当然のことながらひとつじゃなかった。まずは昨年末から新しい 仕事に取り組んでいて、なかなか映画を見る時間が作れなかったことがある。何しろ8年越しの企画が実現したのだ、入れ込まざるを得ない。そして、トシを とってカラダがいうことを利かなくなって、生理的に2時間半を超える映画がキツくなってきたということもある。そうなると上映時間2時間45分にも及ぶこ の作品なんかは、そうおいそれと見れる訳もない。そして…僕はなぜかリチャード・リンクレイター監督の「恋人までの距離<ディスタンス>」(1995)、 「ビフォア・サンセット」(2004)、「ビフォア・ミッドナイト」(2013)のいわゆる「ビフォア三部作」を見逃していたのだった。まぁ、正直に白状 すると最初の「恋人までの距離<ディスタンス>」を見ていないので、それ以降の作品を見る気をなくしていたというのが本音だが…。一人の少年の6才から 18才までの12年間を、何と愚直にも本当に12年間かけて撮っていくという本作の無茶な企画は、間違いなくリンクレイターがこの「ビフォア三部作」体験 から得た発想だろう。そんな…本作とかなり密接な関連を持つであろう三部作を見ていなかったということもあり、今ひとつ本作を見に行く「最後の一押し」に 欠けるところがあった訳だ。しかしようやく仕事もある程度軌道に乗って、そろそろ覚悟を決めなきゃいけない時が来た。本作は僕が見ないで黙殺するわけには いかない作品だと、何となく感じてはいたからだ。そんなわけで公開されてほぼ4ヶ月経過したある日、ようやく時間をつくって劇場に見に行ったというわけ だ。

ないよう

  青々とした芝生に寝そべって空を見ている少年…メイソン(エラー・コルトレーン)は今年6才。母オリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉サマンサ (ローレライ・リンクレイター)と一緒に、テキサス州のある町で暮らしていた。子供たちの父親はオリヴィアと離婚して、今はアラスカに行っているという。 そんなある日、オリヴィアが一念発起して大学へ入ると言い出す。今よりもっといい職に就くためだが、そのためにおばあちゃんの住むヒューストンに引っ越さ ねばならなくなる。友だちと離れたくないサマンサは反対だったし、メイソンも父親が彼らに会えなくなるんじゃないかと気が気じゃなかったが、オリヴィアの 決心は固かった。ブーたれる子供たちを何とかクルマに乗せ、オリヴィアはヒューストンに戻ってくる。こうして始まった新生活だったが、嬉しいことに子供た ちの父親メイソン・シニア(イーサン・ホーク)がヒューストンまでやってくるではないか。渋い顔のおばあちゃんを横目に、メイソンとサマンサを遊びに連れ て行ってくれる父親。しかし良く言えば柔軟性豊富、悪く言えば勝手気ままな父親の段取り無視のやり方に、オリヴィアは怒り心頭。メイソンとサマンサは今晩 父親が一緒にいてくれることを秘かに期待していたのだが、両親は家の外で激しく言い争うアリサマ。結局、子供たちの期待も空しく、父親は一人で立ち去って しまうのだった。やがて大学に通っていた母オリヴィアは、そこで彼女を教えている教授のビル(マルコ・ペレラ)と親しくなっていく…。

ここからは映画を見てから!

みたあと

  正直に言って、この映画は物語をクドクド書いても仕方ないところがあるので、ストーリー紹介はちょっとしか書かなかった。書いても仕方ないというのは本当 の話で、実は本作ではドラマティックな事がほとんど起きない。子供たちの最初の義父になる男が酒乱でDV気味に描かれたり、主人公の男の子が学校のトイレ でイジメられたりもするが、それは大して大げさに描かれず話としても発展しない。前述の通り上映時間2時間45分にもなるのに、ほぼまったくと言っていい ほど起承転結的な「物語」がないのだ。それにまず驚かされる。そして12年間に渡るお話ならばあちこちに時代色を入れて「時の流れ」を強調しようとするの だろうが、iMacが出て来たりハリー・ポッターの新刊が発売されたり…といったエピソードが一つ二つ見受けられる以外は、ビックリするほどその手の「仕 掛け」を見せていない。ある意味で見ている僕らにとっても登場人物にとっても、ずっと「現代」のままなのである。この2点がまず意外だったと指摘するべき だろう。

みどころ

 その他に見ていて気づいたこ とは、とにかくガキが可愛くないこと(笑)。別に愛嬌タップリである必要はないが、ホントに可愛げもないしテメエ勝手で結構イヤなところもあるガキどもな のだ。劇中でパトリシア・アークエットは亭主を2回取り替えることになるが、その最後のイラク帰りの軍人帰りの男もガキどもにキレかかってしまう。一応、 子供への理解がない横暴な義父ということにしているのだろうが、その前の義父が明らかに異常なのと比べると、こっちのイラク帰りの義父にはいささか同情し てしまう。そのくらい、相手をイラッとさせるガキどもなのだ。特に姉役のローレライ・リンクレイターは、元々が不細工な上に可愛げがまったくない。この映 画を見ていてソフィア・コッポラって可愛かったんだな…と思ったくらいだから推して知るべし(笑)。主人公の男の子だって姉よりはマシ…くらいのレベルで しかない。しかし…元からガキがキライでガキの出てくる映画もキライな僕がこの映画をイヤにならず見れたのは、そんなムカつく存在こそがガキだからだろ う。実は僕も子供の頃は、あんなもんだったはずだ。ガキがムカつくのはリアルだ。ガキはムカつくものなのだ。こんなのを主人公にした上でこれといったドラ マも起きない…なんて、普通の劇映画じゃ許されない。しかし、本作ならリアルで「あり」…なのだ。フラフラして無責任で「大人になれない大人」を絵に描い たようなイーサン・ホークが、映画の終盤ではしっかりオッサンになっているのもリアルだ。だからそのホークが「母さんももうちょっとオレを待っててくれた ら、今みたいに牙が抜かれていたのにな」…と言うのがよく分かる。良くも悪くも、男は牙が抜かれるまで時間がかかるのだ。素晴らしいのは、この映画が時の 流れを描こうとしているのに、ハッキリとその違いをわざとらしく画面に刻印しなかったこと。いつの間にか時が過ぎて、いつの間にか子供が成長し大人が老い てしまう。映画の終盤でパトリシア・アークエットがついつい嘆きたくなるのも分かる。「人生がこんなに速いなんて!」…このセリフは、さすがに聞いている こちらにもこたえた。僕にとっても、自分の人生は2時間45分くらいの長さに思えたからだ。本当にあっという間なんだよねぇ。こうした言葉はいろいろな人 の口から聞かれるありふれたものだが、このパトリシア・アークエットのセリフほど胸に迫ってきたものはない。これに比べると、ラストで主人公と新たなガー ルフレンド(になりそうな女の子)が話す「一瞬一瞬が大切」…みたいな話はハッキリ言ってどうでもいいようなセリフだ。これは最後どうやって終わらせよう か困り果てたあげくに、やっとこ選択したエンディングなのかもしれない。途中で水道屋の兄ちゃんがいつの間にかパリッとした格好になってレストランを経営 するようになっていたり、写真部の先生が小言を言いに来たのかと思いきや激励してきたり…と、じ〜んと来る場面も続出。まさに「この方法」でしか作れない 映画…というところに感心した。おそらく脚本も、撮り続けるうちに少しずつ書き足していったものだろう。誰でも発想しそうだが、誰もがこれを実行しようと は思うまい。この映画への賞賛などすでに世の中で出尽くしているはずなので、今頃何を言っているんだと言われそうだが、これは本当に映画というメディアに とって「一つの事件」のような気がする。

さいごのひとこと

 まさにコロンブスの卵な映画。

 

「エクソダス/神と王」

 Exodus - Gods and Kings

Date:2015 / 03 / 09

みるまえ

 リドリー・スコットの映画と言えば、いろいろなジャンルに挑戦しつつもハズシなし…というイメージが強い。前作「悪の法則」 (2013)こそ残念な結果になってしまったが、それ以外はSF、刑事アクション、戦争映画、ロマンティック・コメディ…などなど、どんな企画を持って来 ても確実に打ち返すアベレージ・ヒッターという印象だ。しかもそれでいて、単なる「職人」ではなく巨匠としての風格が出て来ているから大したもの。特にそ んな「巨匠」的な格が出てきたのは、アカデミー作品賞を受賞した「グラディエーター」(2000)からではないだろうか。あの作品が登場した時には、僕も正直驚いた。近年ではすっかり絶滅したと思った、「ベン・ハー」(1959)など黄金期のハリウッドを思わせるスペクタクル史劇を再現していたからだ。その後もリドリー・スコットは「キングダム・オブ・ヘブン」 (2005)を発表し、スペクタクル史劇との相性の良さを見せていた。そんな彼から、スペクタクル史劇の第3弾が発表されたと聞けば、見たくない訳がな い。しかも今回は、あの「十戒」(1956)のお話だという。チャールトン・ヘストンでおなじみのネタを、リドリー・スコットがどう描くのか。忙しくてな かなか見れなかったが、僕は何とか劇場へと駆けつけた次第。

ないよう

  時は紀元前1300年。ヘブライ人は400年もの間、エジプトの奴隷として働かされて来た。そんなある日のこと、エジプトの大都市メンフィス。ヒッタイト の軍がすぐそばまで迫っているとの知らせを受け、王であるセティ1世(ジョン・タトゥーロ)は戦いの準備をしているところ。一緒に作戦を練っているのは、 セティ1世の息子ラムセス(ジョエル・エドガートン)とその義兄弟モーゼ(クリスチャン・ベール)。セティ1世は女祈祷師に占いをさせるが、正直言ってそ んなものを信じていないラムセスもモーゼも苦笑失笑だ。しかも、占いの結果は戦いの勝敗についてではなかった。ラムセスとモーゼのどちらかが相手を助ける ことになり、その結果、助けた方が指導者になる…というお告げだった。これはラムセスとモーゼの間に微妙な空気を作り出す。「オレを助けるなよ」とジョー クを言ってみたものの、内心シャレにならないラムセス。もちろん、あくまで義理の兄弟であるモーゼとて困惑するばかりだ。さて、ラムセスとモーゼがそれぞ れ戦車に乗って、軍勢を率いてメンフィスの外の荒野にやってくる。そこには案の定、ヒッタイトの大軍が野営中だった。そこでラムセスは正面から攻撃を仕掛 ける作戦。モーゼは側面から掩護射撃だ。野営していたヒッタイト軍は蜂の巣を突いたような大騒ぎ。しかし激しい戦いの末、ラムセスの戦車は破壊されて地面 に投げ出された。おまけにそこに敵戦車が突っ込んでくる。絶体絶命。あわや戦車の下敷きになるその瞬間…モーゼが猛然と槍を投げて馬車を回避させ、ラムセ スは九死に一生を得た。ホッとしながらも、例の予言を思い出して唖然とするラムセス。戦いの後、どこでそれを聞きつけたのか、セティ1世がモーゼを呼びつ ける。しかしモーゼは、あれは単なる占い…とにべもない。そんなラムセスに、父セティ1世は為政者の勤めとして地味な仕事を言いつける。ピトンの街へ行っ てヘゲップ総督の仕事ぶりを視察するというのがその仕事だが、当然のことながらラムセスは気が進まない。そこで、モーゼが代役になってピトンの街に行くこ とになったわけだ。こうしてピトンの街へやって来たモーゼだが、そこで彼が見たのは大勢のヘブライ人奴隷の酷使ぶり。あまりに過酷な状況に、さすがのモー ゼも顔をしかめる。おまけにこの街を統治するヘゲップ総督(ベン・メンデルソーン)が腐敗を絵に描いたような男で、モーゼはますますウンザリだ。そこでヘ ブライ人たちのナマの声が聞きたいと思ったモーゼは、何人かのヘブライ人奴隷たちと面談することにする。その中に、長老ヌン(ベン・キングズレー)もい た。そのヌンに、個人的に話したいことがある…と告げられるモーゼ。奇妙な胸騒ぎを感じたモーゼは夜になってから従者を従えて総督の屋敷を抜け出し、ヘブ ライ人居住区のヌンの家へとやって来た。そこで人払いした上でヌンが語った話は、モーゼにとってあまりに衝撃的な話だった。実は、モーゼはヘブライ人の一 家に生まれた子供だったというのだ。その頃、ヘブライ人の新生児を殺せというファラオの命令が下され、何とか赤ん坊を助けたい両親が、彼をカゴに入れてナ イル川に流した。その後、王宮に奴隷として出入りしているモーゼの実姉ミリアムが、彼が王族に拾われて育てられるように画策した…。しかしこれを聞いた モーゼは、あまりに想定外の話のために受け入れることが出来ない。聞く耳持たないという態度でヌンの家を飛び出し、たまたまその話を立ち聞きしていた男二 人をその場で斬殺。従者と共にその場を立ち去った。しかしこの時の話を聞いていた人間は、他にもまだいた。二人のヘブライ人が立ち聞きして、モーゼを快く 思わないヘゲップ総督に密かに告げ口していたのだ…。

みたあと

  考えてみると、リドリー・スコットのスペクタクル史劇路線は本作で3作目ではあるが、本作は前2作とはちょっと赴きが違っていた。「グラディエーター」 「キングダム・オブ・ヘブン」も本作も、世が世ならチャールトン・ヘストンが主演しそう…というところまでは共通するが、実はハッキリ一線を画する違いが 存在しているのだ。実は「グラディエーター」と「キングダム・オブ・ヘブン」には、現実に起きそうもないことは描かれていない。激しい戦いや劇的な運命は 描かれているが、それらもあくまで現実に起き得る範囲内のこと。現実にはあり得ない超自然的な出来事は、まったく描かれていないのだ。むしろ徹底的にリア ルな描き方だったと言える。それは例えば…「エイリアン」(1979)で徹底的に宇宙船を汚したり、「ブレードランナー」(1982)で日本経済・文化に 浸食された未来都市を描いたりして、SF映画での未来描写にリアリズムを持ち込んだのに似ている。「グラディエーター」も「キングダム・オブ・ヘブン」 も、映像の面では過去にカメラを持ち込んで実況中継したような肌触りの映画なのだ。しかし今回の題材は、あの「十戒」と同じ。「奇跡」タップリの思いっき り宗教臭いネタなのである。そこはそれ、ディティールはアレコレ手を加えて変更していけばいい…と言いたいところだが、本作では肝心要の「出エジプト」の 部分は問題の紅海真っ二つを描かない訳にいかない。すでに題名にある「エクソダス」を描かないで、この映画を終える訳にはいかないのだ。さて、リドリー・ スコットは今回どうするのか? 「奇跡」も「奇跡」、どう考えても現実にはあり得ない紅海真っ二つを、あの超リアリズム戦争映画「ブラックホーク・ダウン」(2001)を撮った手法でどうやって再現するのか?

ここからは映画を見てから!

みどころ

  結論から言うと、やはりリドリー・スコットはリアリズムの人だった。お話はあくまで「十戒」と同じで「奇跡」はてんこ盛りだったが、それでも何とかできる 限り「リアル」に近づける努力をしていたのだ。エジプトに襲いかかる天変地異も、あれだけ立て続けに起きれば確かに不自然だが、ワニだのアブだのイナゴだ の…という類いの異常現象はまぁまぁ起きないでもないレベルの描写で描かれている。唯一どうにもならないのは例の紅海真っ二つだが、それでも「十戒」のそ れと比べるとかなり抑え気味。そもそもモーゼと神の対話の描き方からして、見ようによってはモーゼの妄想に見えるように描かれているのがミソ。ダーレン・ アロノフスキーの「ノア/約束の舟」(2014)のアプローチに極めて近いのである。そもそも、主役のモーゼにクリスチャン・ベールを持って来た時点でその意図は明らか。何しろベールは、アメコミ・ヒーローのバットマンを現実的に描いた(そこが少々いやらしいところでもあったが)「ダークナイト」 (2008)の主演を務めた男ではないか。彼を主演に迎えた時点で、リドリー・スコットの意図は明らかだろう。そして興味深かったのは、モーゼとラムセス の義兄弟の葛藤。これってもっと屈折してドロドロに描こうと思えば描けたのに、そこまではやっていないのが不思議。二人の立場がまったく違ってしまい対立 する関係になっても、心底憎み合っているようには見えない。例えば、まさに「十戒」のチャールトン・ヘストンとユル・ブリンナーの関係と比べてみても、明 らかに対立の度合いが浅いのだ。これって一体なぜなんだろう? しかも最終的に、本作ではラムセスは生き残るのである。実は本作のエンド・クレジットの最 後に、スクリーンに亡くなったリドリーの弟トニー・スコットへの献辞が出てくる。僕はこれを見て、本作を作るに至ったリドリー・スコットのモチベーション が分かった気がしたのだが、いかがだろうか。

さいごのひとこと

 オレの目を見ろ何にも言うなというサブちゃん演歌を思い出す。

 

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