「オン・ザ・ハイウェイ/その夜、86分」

  Locke

 (2015/09/28)


 
見る前の予想

 新マッドマックスに「就任」したトム・ハーディの主演作が、そのマッドマックス/怒りのデス・ロード(2015)を含めていきなり3本も日本公開されたのは、映画ファンとしてちょっとした事件だった。
 それまであまり有名という訳ではなかったハーディに、すでに主演作がこんなにあることにビックリ。そして、相次いで公開された3本がどれもこれもバラエ ティに富んだ作品だったのがよかった。知らない役者だったからこそ、その芸の幅が見ることができるのは嬉しかったわけだ。
 そんな訳で、勇んで見に行ったのがこの作品。何でも全編ほとんど運転中のクルマの中。出て来るのは(電話の声を除いて)トム・ハーディただひとり。これで映画1本をもたせてしまうという内容。かなり野心的でいいではないか。
 おまけに上映時間90分に満たないというコンパクトさも嬉しい。生理的に長時間上映に耐えられないカラダになって来たから、なおさらこれはありがたい。
 そんなこんなで、これは久々に「見たい!」と思わされた映画だ。感想文を書くのはかなり遅れたが、それは決してつまらなかったからではないのだ。


あらすじ

 夜の街。巨大な建設現場から、ひとりの男が出て来る。
 その男は現場監督のアイヴァン(トム・ハーディ)。彼は工事現場を一通り見渡すと、愛車のBMWに乗り込む。ところが、発進してすぐに一本の電話が入る。彼はひとしきり考えた後で、交差点でクルマを大きく方向転換した。
 夜のハイウェイに入り、どこまでもクルマを走らせていく。運転中のアイヴァンは、ハンズフリーの携帯電話でまず自宅へ電話を入れる。
 出て来たのは長男エディ(トム・ホランド)。今夜は家族みんなでサッカーの試合をテレビ観戦しようと言っていたので、当然のことながら「いつ帰ってくる の?」と尋ねて来る。しかし、アイヴァンは帰れない。突然、行かなければならない用事が出来てしまったのだ。アイヴァンはエディに「母さんはいるか?」と 聞くが、残念ながら彼女はまだ不在らしい。結局、アイヴァンは今夜は帰れないとエディに告げるだけで、この電話を切った。
 次いで電話をかけたのは、たった今立ち去ったばかりの建設現場。出て来たのは、いささか頼りない部下ドナル(アンドリュー・スコット)だ。実は明日早朝 に、アイヴァンは例の建設現場で大規模なコンクリートの流し込み作業を行うことになっていた。ところが先ほども長男エディに話したように、アイヴァンには 突然出かけなければならない用事が出来てしまった。行く先はここから遠く離れたロンドン。とても作業に間に合うように行って帰って来れない。そこでアイ ヴァンは、ドナルに自分の代わりに作業の指揮を執ってくれと頼み込む。しかし、これはさすがに無理難題だった。
 アイヴァンの片腕として作業に携わって来たものの、そこはそれ、ちゃんとアイヴァンがいての話。「代理をやれなんて無理」と完全に尻込みのドナル。そこを何とか…と必死になだめてやらせようとするアイヴァン。そんなやりとりが延々続く。
 そうは言っても、ヨーロッパで最大級の生コン注入作業…という今回の工事だ。ドナルだって不安だし、出来れば自分が指揮なんてやりたくない。そしてアイヴァンも、実はいろいろ確認しておかないと不安でもある。実際のところ、本当は自分でやれれば一番よかったのだ。
 その瞬間、彼は肝心要の今回の工事の「バイブル」、分厚い作業ファイルをこのクルマに乗せて来てしまったことに気づく。となると、かなりの部分をクルマからドナルに指示しない訳にいかなくなった。まったく厄介だ。今夜はツキがない。
 そんなこんなしているうち、今度は誰かから電話がかかって来る。かけて来たのはベッサン(オリヴィア・コールマン)という女だ。どうも出産直前らしく、 病院からかけてきているらしい。ナーバスになっているのか、待遇がどうのとか部屋の窓が開けっ放しとかアレコレどうでもいいことまで愚痴って来る。アイ ヴァンこそそれどころではない状況なのだが、彼が例の生コン作業をほっぽり出してまでロンドンに行かねばならない用事とは、どうやらこのことらしい。アイ ヴァンはこのベッサンという女に「すぐに行く」と言いながら、何とかなだめて電話を切った。
 さらに電話は、アイヴァンの上司ガレス(ベン・ダニエルズ)からもかかってくる。当然のことながら、事情を知ってカンカンだ。こんなことをしてタダで済 むと思うな、承知しています、アメリカの親会社も怒るぞ、当然でしょう、クビにされても仕方ないぞ、覚悟の上です…と、もはや腹をくくったのかまったく迷 いのないアイヴァン。
 彼はどうやら例のベッサンのいう女の出産のために、すべてを投げ打つ覚悟のようなのだ。しかし、なぜ…?
 電話を切ったアイヴァンは、出し抜けに後ろの席に向けて話しかけた。
 「おかしいか、あんたにとってはお笑いぐさだわな」
 実際に後ろの席には誰も乗っていないが、どうやらアイヴァンが話しかけているらしい相手は彼の亡き父親。不誠実でいいかげんな男で、もちろん下半身もだらしない。そのせいで、幼少のアイヴァンはずっとツラい思いをして来たのだった。
 「オレはあんたと違う、まぁそこで見ていろ」
 当然、アイヴァンは今に至っても、この父親にいい思いを持ってはいない。アイヴァンの今夜の行動は、この父親への屈折した思いから生まれたものなのだろうか。
 そんなところに、今度は家から電話がかかってきた。かけてきたのは妻カトリーナ(ルース・ウィルソン)だ。アイヴァンはここで、実に言いにくい話をしなければならない。彼はカトリーナに、以前ロンドンへ出張に行った時のことを話し始めた。
 「そこで、オレは過ちを犯してしまった。そして今夜、オレの子供が生まれるんだ」…。

見た後での感想

 全編ほとんど運転中のクルマの中、出て来るのは(電話の声を除いて)トム・ハーディただひとり…見る前に得ていた情報は、まったくその通り。掛け値なし本当にそれだけだった。
 制作費はBMWの費用とトム・ハーディのギャラだけ(他の役者も声で出て来るが、声だけだから多少安いだろう)。これはかなり激安の低予算映画だろう。まさにアイディア勝負、企画勝負、そして脚本・演出の腕前と主演の役者の腕前勝負の作品でもある。
 結果から申し上げよう。僕は非常に面白かった。手に汗握った。
 たった一夜の過ちで出来た子供、その出産に立ち会わなければならないと主人公はロンドンにクルマを走らせる。その結果、彼はこの苦々しい事実を家族…特に妻に告白しなくてはならなくなり、その結果、築いて来た家庭が崩壊の危機にさらされる。妻がこの事態を理解してくれる訳がない。それでも何とかかんとか、妻を電話で説得しなくてはならない。思った通り、一言「真相」を語ったとたんに妻はブチ切れだ。
 一方で、自分が指揮する工事にも立ち会えなくなって、上司からクビを言い渡される主人公。かなりの地位を築いて来た仕事を手放さねばならなくなってしまうのだが、それはいわば覚悟の上。意外とその点についてはサバサバしている。
 しかし、明日の工事は待ったがきかない。いささか頼りない部下に、一切を任せなければならなくなる。案の定、アレコレ不都合が発覚して、主人公は電話でそれを何とか解決しなくてはならない。実は、厄介さではこれが一番の大変さかもしれない。
 そんなこんなでてんやわんやなのに、すべての元凶である「過ち」の相手の女からは、主人公のそんな気持ちなど知らずに病室が寒いだのかゆいだのと愚痴ばかりが飛んで来る。
 いやぁ、シンドイ。たったひとりでクルマを走らせてるだけの映画…と言いながら、そこでのドラマが濃厚極まりない。見た後の充実感が凄かった。多少の期待はあったが、期待以上の出来だったと思う。少なくとも、僕はそう思った。
 そして、こんな作品をほとんど一人芝居で成立させてしまうトム・ハーディ恐るべしだ。


映画としての明らかな問題点

 ただし本作のネットなどでの評価は、必ずしも高くはない。高く評価する人も少なくないが、同じくらい(あるいはもっと多く)否定的な意見を持つ人たちがいるようなのだ。
 そこで挙げられている問題点は、大体次のようなものになるだろう。
 いわく、車外の景色などが別にどうってこともないハイウェイの夜景なので、映画的に特筆すべきものではない。見ていて退屈。あるいは、主人公が「ヨーロッパで最大級の生コン注入作業」を放ったらかし、自分の仕事をクビになってまでロンドンに行く必然性が弱い。 いくらだらしない父親のトラウマがあったからといって、そこまでしなくてはならない理由ではないだろうというのだ。しかも、劇中で相手の女は早めに産気づ いてしまい、主人公は出産に間に合わなくなる。結果、すべてを投げ打ってロンドンに行かなきゃならない必然性は、ますます低くなっている訳だ。
 確かにそうだろう。
 実際、そう言われてみればその通り。必ずしもキッチリと構成された緻密なドラマ…という訳ではない。ミニマリズムを突き詰めた結果、素晴らしい緊迫感と充実感を手に入れた作品…と言い切るには、いささか隙がありすぎるかもしれない。
 主人公がすべてを投げ捨てて出産する女の元へ向かうには、あまりにそのモチベーションが低過ぎる。劇中で主人公はその女を「愛していない」と断言してい るし、出産の場にもすでに居られないことは確定してしまっている。すべて主人公の手腕に任されている大規模工事をスッぽかす理由としては脆弱過ぎる。家庭 もキャリアも崩壊させる必要も必然性もないではないか。それが、劇中に出て来る主人公の父親のトラウマ…というなら、ちょっと無理があり過ぎやしないか?
 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の傑作「恐怖の報酬」(1953) では、主人公をはじめとする男たちに南米の危険な山道でニトロを乗せたトラックを走らせる「必然」があった。そうしなきゃならないと観客に思わせる、抜き 差しならない理由がガチガチに固められていた。その「必然」に比べると、確かに本作の設定は弱いと言わざるを得ない。
 そして、「これが映画だ!」と断言するほど「映画的」ではないと言われれば反論できない。確かにクルマの外に見えるものは、何の変哲もないハイウェイの夜景でしかない。
 これでは、いわゆる完璧で優秀な作品…というものから程遠いとさえ言えるかもしれないのだ。


 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 





仕事に打ち込んで来た人なら誰しも共感
 では、やはり否定的な意見を持つ人たちと同じ意見かと言われると…確かに指摘されているような問題点はそれぞれ的を射ている気もするが、やはり僕はそれらに同意はできない
 問題点は問題点として…それでも本作は面白いし、充実した作品だと思う。
 少なくとも否定的に評価する人たちが言うように、「退屈した」とは思わない。彼らの指摘する問題点は理解できるが…それより本作の醍醐味が、クルマの中から電話でバリバリと問題解決していく様子にあると思うからだ。
 運転するうちに自分の人生がボロボロになり、すべてを失っていく主人公。そんな主人公の気持ちをよそに、家庭から病院からそして職場から、四方八方から無理難題と罵詈雑言が押し寄せて来る。
 中でも一番の難題は、「ヨーロッパで最大級の生コン注入」という翌 日早朝の作業だ。どう考えても危なっかしそうで最初から「自分には出来ない」一点張りの部下を、なだめおだて脅し叱りすかし…とにかく説得のありとあらゆ るテクニックを総動員して何とか作業の指揮を執ることを納得させる。それだけで仕事が済めば問題はないが、案の定、この部下は仕事の「いろは」が分かって いない。そこで、何をやるべきか何が足らないか何が問題か…云々と電話を通してノウハウをすべて伝授。なおかつ、主人公自身も状況を把握しながら解決すべ き問題を探っていく。
 そのうち、どうやら工事に関わる役所の許可がひとつ降りていないことが分かる。さぁ、そうなるとこいつの処理は例の部下では無理だ。すでに夜も更けてき て、役所から担当の職員が帰宅してしまうのは目前。というか、もう帰っちゃったかもしれない。それから該当する職員の電話番号を探し、クルマから一歩も動 けないという状況下で問題を処理しようとする。厄介事を山ほど抱え込んて罵倒や非難の集中砲火を浴びながらも、限られた時間と状況で対処しなくちゃいけないのだ。ここからハラハラのサスペンスが始まる。
 また、主人公は部下に現場を見に行ってもらって、その状況を改めて確認することにする。するとイヤな予感が的中。この期に及んで鉄筋に問題があることが分かるが、すでに作業員はみんな帰った後。さぁ、どうする? どんな手があるのか?
 とにかくこうした最悪の状況は、どれもこれも仕事をしている人間なら
誰でも身に覚えがある。時間も人手も限界がある。そこで想定外な出来事が発生し、それをキッチリ片付けなければならない。どんな仕事でも大なり小なり発生する、ありがちなトラブルだ。
 それをこの主人公は自分の能力と経験、さらに人脈と持っているすべてのパワーを総動員して、電話一本でガンガン処理していく。もちろん、そう事はうまく 運ばない。それでも役人の電話番号をあの手この手で何とか探し出し、自分の名前を出せば仕事をやってくれる別の現場の作業員たちをかき集め、途中でやる気 なくしかけて酒まで飲んだ部下を叱咤激励、何とかかんとかひとつずつ問題を解決していく。
 そのバリバリと困難に立ち向かってねじ伏せていく快感は、仕事をやって来た人間なら誰でも共感できる
 すでに主人公は上司からクビを宣告され、実はそこまでやる必要も必然性もない。しかし自分がやらねば仕事はちゃんと進まないということを分かっており、またカネじゃない職業人としてのプライドと責任感もある。何より、彼はその仕事を誰よりも愛していて…トコトン突き詰めてやりたがっているのだ!
 そんな仕事を失うことがどれほどツライか…誰一人として彼の周囲の人間は分かっていないが、実際のところ世の中というものはそういうものだ。それは彼の 心の中にあればいいことなのである。所詮他人などはそんなもの。家族ですらそれは分からない。いかに愛していようが何だろうが、異性なんぞがそれを分かる はずもない。それはただひとり、自分だけが分かることなのである。
 だから主人公が問題をすべて見事に解決できた時には…いやぁ、主人公ならずとも見ている僕らだってガッツポーズをしたくなる! 「オレ頑張ったよな」「オレやったよな」と、主人公はさぞや言いたいだろう。誰もホメてくれなくても自分だけは分かっているこの感じ…そんな主人公の心意気は、誰も分からなくても観客のこのオレが人一倍よく分かってるぜ!
 それなのにこの映画を退屈だとか面白くない…と片付けてしまう人がこれほどに多い理由は、おそらく世の中の人々のほとんどが自分の仕事を好きでなく、責 任感もプライドも…本当はやりたい気持ちもなくやらされているからだろう。僕はそれを責めもしないしケナしもしない。それは、イマドキの世の中では仕方のないことなのだ。そういう意味では、この作品はクリント・イーストウッドアメリカン・スナイパー(2014)以来の「仕事映画」と言えるかもしれない。
 ついでにもうひとつこの作品を弁護させてもらえれば、確かに脚本や設定には指摘されている通り弱い部分もあるだろうが、おそらく作り手はそれも想定内のはず。
 確かにギッチギチに必然性を固めて隙のない設定や物語にすることは可能だろうが、そんな「ウェルメイド」な脚本や構成はかえってこの作品にはマイナスなのではないか。 一分の隙もなくキッチリ作り込んだ印象が、おそらく本作に「作り物」感を持ち込んでしまうと思うのだ。だが本作の持ち味は、人生のちょっとした一断面をス ライスして見せるようなさりげなさだ。本作は、料理で言えばフランス料理や中華料理ではない。あくまで鮮度が勝負の「刺身」のようなものだ。だからこそ、 多少の弱さもそのままにして、あえてキッチリ作り込みすぎないようにしたのではないか。
 この「人生の一断面」という感じが、本作のリアリティなのである。86分という上映時間は、それが維持できる限界の時間ということなのだろう。分かった上での選択なのだ。
 トム・ハーディは今まで見て来た作品ではロクにセリフをしゃべっていないのに、今回は終始一貫しゃべりまくり。そういう意味では今までの役どころとイメージ一新しているように見える。ところがよくよく彼の役どころを見ていくと、そうとも言い切れない。
 勝手に子供を産むと言い出した女を見捨てず、愛する仕事を失い家庭も崩壊すると分かっているのにあえてツライ選択をする。それもこれも、自分を苦しめた 父親とは「違う」人間になりたいがため。これが彼なりの筋の通し方なのだ。しかもクビになって今さら忠義立てする義理もないのに、自らの職業人としての矜 持で工事の指揮を「黒子」に徹して執る。どうせみんな彼を罵倒するだけで、誰ひとりとして彼のこういう気持ちは理解しないだろう。誰も彼もみんな頭からコ キ下ろすだけだろうが、それでも「オレはやる」という心意気…。いやぁ、この無骨さ、不器用で立ち回りはうまくない男くささ、これがチャイルド44/森に消えた子供たち(2015)や「マッドマックス/怒りのデス・ロード」にも一貫していたトム・ハーディの「持ち味」ではないか。実に素晴らしい! 僕は久々に惚れ惚れしたよ。
 最後、生まれた赤ん坊の声を聞いて終わる幕切れも、それがどうした?…といえばそれまで。そうとしか思わない人が世の中の大半と分かってはいるが、「オレはやった」という気持ちの充実感を知る人ならグッと来るはず。
 しがない市井の人である今回のトム・ハーディの役どころは、実はマッドマックス以上に「戦う男」の熱さに満ちているのである



 

 


 

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