「薄氷の殺人」

  白日焔火 (Black Coal, Thin Ice)

 (2015/01/19)


  

見る前の予想

 昨年末の劇場でチラシを発見したのが、この映画のことを知ったキッカケだ。
 中国映画で、どうやら殺人事件を扱ったミステリー映画らしい。「殺し」が出てくるミステリーなら、とりあえず退屈はしないのではないか。バラバラ殺人とくれば、なおさら興味がわく。
 主演は…というと懐かしや藍色夏恋(2002)のボーイッシュな彼女グイ・ルンメイ。僕は元々ショートカットの女の子が好きだから、あの映画の彼女にはスッカリやられてしまった。久々に彼女と再会できるのも、本作を見たいと思った大きな理由だ。
 監督は知らない「新人」らしいが、この作品の佇まいが何となくポン・ジュノ殺人の追憶(2003)でグッと出て来た時の雰囲気を思い出させる。まったく何の根拠もないが、何となく傑作ではないかという予感もする。いやぁ、そうであって欲しい。
 昨年のパリ、ただよう花」(2011)で大好きだったロウ・イエがすっかり危うくなってきたのを見ると、このへんで中国映画にイキのいい奴が出て来て欲しいし…。そんなわけで、新春の映画館にワクワクして駆けつけたわけだ。


あらすじ

 1999年のこと。「それ」は、石炭の山の上に乗っかっていた。
 ボロ布に包まれている、筒状のかたちの「それ」。今、「それ」はダンプカーの荷台に積み込まれた石炭と一緒に、どこかへ運ばれようとしていたのだ。
 やがてダンプカーは、とある地方都市の工場敷地内にやってくる。そこでダンプカーから吐き出された「それ」は、ベルトコンベヤーで石炭と一緒に素早く移 動する。ところが、「それ」に気づいた作業員がベルトコンベヤーの脇を走って追いかける。作業員の指示によってベルトコンベヤーは停止し、「それ」は改め てハッキリとその姿を露にした。
 「それ」は、切断された人間の手首だった。
 その頃、ベッドの上に腰掛けて、トランプ遊びをする男女がいた。やがて二人は激しく抱き合う。その後、駅のホームに現れる二人。女の方が何かの帳面を男 に渡そうとするが、男はそれを受け取らずに女を抱こうとする。「これで最後にしようって言ったのに!」と女は激しく拒むと、ホームに滑り込んできた列車に 飛び乗った。列車と共に女は去って行き、男には渡された例の帳面が残る。それは二人の「離婚証明書」だった。
 無表情にそれを見つめていた男…ジャン(リャオ・ファン)の職業は刑事だ。
 例の手首発見現場である工場内に、ジャンは同僚の警察官たちと一緒に現場検証にやって来た。だが作業員に話しかけられても、女房に逃げられたジャンの表情はうつろだ。刑事たちの話では、どうやらこの手首のようなバラバラ死体があちこちの工場で発見されているらしい。だが、それら工場の場所はまちまちで、それぞれ100キロ近く離れている。どうやっても一人の人間が運べる距離ではない。一体、犯人はどのような人物なのか?
 そのうち刑事の一人が、手首が包まれていたとおぼしき血まみれの布を発見。一緒に身分証も見つかって、遺体の身元が明らかになった。それは、リアン・ジージュンという男だった。
 すぐにリアンの妻が勤めるクリーニング店に、何人かの刑事たちがやって来る。夫が殺害されたことを聞かされ、号泣の妻。激しく泣いてばかりの彼女は、まるっきり話にならない。
 そんなこんなしているうちに…バラバラ死体を運べる人物として、工場に出入りしているトラック運転手の存在が浮かび上がってくる。中でも怪しいリウ兄弟 を訪ねて、ジャンはじめ刑事たちが美容院へと乗り込んだ。すると往生際が悪い二人の激しい抵抗を受けて、ジャンはひどく手こずるハメになる。
 それでもジャンの同僚刑事が二人に手錠をハメて、後は連行するばかりのはずが…。たまたま刑事の一人が兄の上着を拾い上げたところ、ポケットからポロリと黒いモノがこぼれ落ちるではないか。
 それは拳銃だった。
 その拳銃をリウ兄が手に取って、たちまち巻き起こる銃撃戦。あっという間にリウ兄弟と二人の刑事が銃弾に倒れ、銃で応戦したジャンは唖然呆然。たまたま外に出ていて戻って来た同僚ワン(ユー・アイレイ)も、ただただ棒立ちするしかない。
 ところが、犯人二人が死んだと思ったのはいささか早計だった。すぐに新たな銃声が鳴り響き、ジャンもまたその場に倒れるハメになる…。
 それからしばらくして、総合病院から傷が癒えて退院するあのジャンの姿があった。
 彼の退院を出迎えたのは、あの同僚のワン刑事。ワンの運転するクルマに乗って、ジャンは街に戻ることになった。ところがその前に、ワンはちょっと寄り 道。例のクリーニング屋の前にクルマを停めて、被害者リアンの妻の様子を見に来たのだ。するとこの妻は店の前にある街路樹の根本に穴を掘り、何かを埋めて いるではないか。
 それを見届けたワンは、ジャンを乗せてクルマを走らせる。やがて長いトンネルを抜けていって…。
 時は2004年。雪が降り積もるトンネル出口に、バイクを停めて座り込んでいる男が いる。見かねて通りかかった原付バイクの男が声をかけるが、座り込んだ男は酔っぱらって「放っておいてくれ!」とわめくばかりだ。その酔いどれ男こそ、あ のジャンだった。しかしジャンはさっきの男に自分のバイクと原付バイクを交換されてしまったと気づき、思わず絶句してしまう。
 一方、バスを改造して店にした食堂に、刑事たちが乗り込んできた。ものものしい雰囲気の中、刑事がテーブルに置いてある丼のソバをかき回す。すると、麺の中から目玉が浮かび上がってくるではないか。これにはソバを食べかけた客もウンザリせざるを得ない。
 さて、あのジャンはというと、二日酔いの千鳥足で工場へとやってくる。彼はあの一件で刑事から足を洗い、工場の保安係に転身していた。しかし連日酔いどれで遅刻の常習と、すっかり自堕落な生活を送っているのだった。
 そんな彼が、街で懐かしい顔を見かける。道ばたに停車したクルマに駆け寄ると、中にいたのはかつての同僚ワン刑事だった。
 思わず顔をほころばせ、クルマに乗り込むジャン。実はワンは現在の同僚刑事と張り込み途中だったが、お構いなしにワンに捜査中の事件について話し始める。何と5年前のリアン殺害の事件は、あれで終わりではなかった。最近になって、またまた二人の男がバラバラ死体にされていたのだ。
 彼らの共通項は、二人とも足にスケート靴を履いていたこと。そして二人とも、例の殺されたリアンの妻ウーと浅からぬ関係にあったことだ。つまりこのウーのいう女の周辺では、5年前のリアンも含めて3人の男が殺されているのである。そのためワン刑事たちは、そのウーを尾行しているわけだ。
 そんな話を耳にして、なぜかウーに深い関心を抱き始めるジャン。それから間もなくのこと、ジャンはクリーニング店に自分の革のジャケットを持って行く。出て来たのは、ここで店員として働く例の女ウー(グイ・ルンメイ)だ。その表情は、心なしかどこか薄幸そうに見えた。
 やがて夜に店仕舞いしてから、外に出てくるウー。するとジャンは、原付バイクで彼女の後を追いかけ始めた。
 雪が降り積もる凍てついた道を、ウーの後を追いかけるジャン。ところがふとした隙に出遅れて、彼女の姿を見失ってしまった。ところがジャンは、足下を見てふと気づいてしまったのだ。
 立ち去ったウーと追いかける自分以外の、第3の人物が雪に残した足跡を…。

見た後での感想

 まず、最初に言ってしまおう。映画を見る前に感じた、僕の予感は正しかった
 この作品にポン・ジュノの「殺人の追憶」を見た時のような雰囲気を嗅ぎ取った僕の嗅覚は、間違っていなかった。ただしそれは、本作が「殺人の追憶」に似ている…ということを言いたい訳ではない。映画としては、本作と「殺人の追憶」とはまったく似ていない。猟奇的な連続殺人を題材にしているアジアの映画…ということだけが共通性で、後はまったく関係ない。
 では、なぜそこに「殺人の追憶」を思わせるモノを嗅ぎ取ったのかと言えば、どちらも新鋭監督ならではのフレッシュな感覚とユニークな語り口を持っていたからだ。
 面白い、そして個性的な映画だ。
 正直言うと、これでこの感想文を終わらせてもいいくらい。もうそれだけ言ったら、他に言うことはあまりないのだ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

こ こからは映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

あの「スパイシー・ラブスープ」のクリエイターの新作

 だから、あとの戯言はすべて蛇足と思っていただきたい(笑)。ちゃんとしたかたちの感想文に、書ける自信がまったくない。とりあえず思いついたことをいくつかポツポツと書いていくと…。
 やはり面白かったのは、主人公の刑事も「ファム・ファタール」の女もウソと本音の間で揺れ動き続けるあたりだろうか。
 たまたまかつて手がけた事件がまだくすぶって続いていることを知って、「疑惑の女」に近づいていく主人公の元刑事。それはすっかり負け犬根性が染み付い た自分を、事件の捜査によって少しは浮かび上がらせたい…という思惑からのことではあった。しかし「疑惑の女」に近づいていくうち、主人公はだんだん彼女に惹かれていく
 …な〜んて設定は、この手の犯罪捜査モノの定石。捜査する側が疑惑の女に溺れてしまう…というお話は、洋の東西を問わず掃いて捨てるほど存在している。面白いのはそんな主人公たちの心の揺らめきが、その後もかなりの振れ幅であっちこっちへと揺らぎ続けることだ。
 例えば映画の終盤で、主人公は遊園地の大観覧車に乗って女に真相究明を強引に迫る。そこには心を許し始めたと思っていた女が、まだ自分をダマしていた… ということへの憤りもあるだろう。ところが主人公は彼女に自白を迫りながら、ついつい激しい感情が暴発して彼女を抱いてしまう。しかも翌朝は、二人は何も なかったかのように淡々と会話をして別れるのだった。結局、自白はなされずじまい。主人公は女に溺れて、すべて「なかったこと」にしてしまうのか…。
 そう思って見ていたら、最後の最後には事件解決の気持ちが勝ったのか、主人公が彼女を告発。女は逮捕されてしまうのだ。これにはちょっと驚いた。
 このように主人公の内面では女に対するウソと本音が錯綜して、それ ぞれ激しく主導権を奪い合っているかのように見える。いや、その「自分の本音」すら微妙にブレ続ける。
 これは主人公だけでなく女についても言えていて、彼女もその言動が徐々にブレまくっていく。最初は窮地に追い込まれたところを元亭主に助けられ、彼を助けるためにカモフラージュに協力。その元 亭主に忠義立てしているかのように見えながら、いつしかストーカーみたいになってしまった彼にヘキエキ。突然現れた主人公の元刑事との「マトモな生活」を夢見て、さりげなく亭主を裏切ったりしている。しかしその主人公にも、まだまだ本 当のことは明かしていなかった…。
 そんな風にこの映画の主人公たちは、まるでタマネギの皮むきのように…外面の中に本音があって、さらにその中にもっと真実の本音があって…と何層もの感情を見せていく。
 映画としては非常にドライな描き方で、演出も演技もハードボイルドそのもの。そもそも描写がかなりストイックなもので、最初の頃は何を描いているのかよく分からない部分も少なくない。しかしそこに出てくる寡黙な人物たちの内面では、まるで台風のように激しく風向きがクルクル変わって、「最大瞬間風速」みたいに感情が揺れ動いているのだ。
 結局は女の逮捕で事件は終わるのだが、主人公の心の中の葛藤は終わらない。事件を解決に導いた主人公の祝賀会が催され、酔っていい気分の主人公は俗物根性丸出しの発言を連発。しかし別の場ではヤケクソに踊り狂ったりして、その鬱屈した気持ちを爆発させたりしているのだ。
 ラストで女による現場検証が行われているところに、何者かが真っ昼間から花火をバンバン撃っている描写が出てくる。しまいには警察まで出動してくるが、あれもやはりこの主人公によるものだろうか…。
 ラストに昔の小室サウンドみたいなアップテンポでチャラい空疎な音楽が流れるのも、イマドキの…豊かになったものの人としては満たされなくなった中国の 人々の心情が反映しているかのようで興味深かった。1999年と2004年って現代の中国にとって何かエポック・メーキングなことがあったのだろうか。我 ながら無知で大変恥ずかしいのだが、ちょっとそのへんが気になる。
 個人的には、ご贔屓グイ・ルンメイの幸薄なヒロインぶりが素晴らしかった。この人、「藍色夏恋」の時も「訳アリ」な感じだったが、今回もなかなかの「ファム・ファタール」ぶり。幸薄女には昔から弱くて何度も痛い目に遭っている僕としては、この女ならダマされても仕方がない…と思わされるような「ここで会ったが百年目」のヒロインだった。こういう女にダマされたいなぁ(笑)。っていうか、ここまでいかないような不細工女が男を手玉にとろうなんて100年早いんだよ(怒)。
 映画的な描写としては、主人公と女がスケートを滑る場面が秀逸。この小さいスケート場ではヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」がBGMとして流れているのだが、それを見ていて僕は同じ「美しく青きドナウ」を使ったマイケル・チミノ「天国の門」(1980)…そのハーバード大学キャンパスでの壮大なダンス場面を思い出した。
 男女がクルクルと円環状の動きを見せて素晴らしい効果を出していた「天国の門」だったが、本作のスケート場面も主人公と女がゆっくりスケート・コースを回りながら、ジワジワと緊張感を漂わせていく。まったく個人的な感想でしかないが、本作のスケート場面はこの「天国の門」の影響をダイレクトに受けているのではないか? そういえば「天国の門」というタイトル自体も、同作品に出てくる「スケート場」の名前から名付けられていたではないか。
 また、本作の時代設定が1999年から2004年へと移る場面も、思わずアッと息をのむほど印象的だ。
 主人公と同僚刑事を乗せたクルマがトンネルにさしかかり、カメラがそのトンネルを抜けた…と思ったところで、なぜか外には雪が降っている。すると、そこ に主人公が酔っぱらってバイクを置いて寝転がっているのだ。何と、いつの間にかポ〜ンと時間がすっ飛んでいるのである。それって…まるで、類人猿が空に向 かって骨を放り出したら、それが宇宙空間を行くスペースシャトルへとパッと場面転換して何百万年もの時間を一気に移動したような、
スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」(1968)の冒頭場面を想起させるではないか。そういえば「2001年〜」のこのスペースシャトル場面にも、「美しく青きドナウ」が効果的に使われていたことを思い出す。これはとても単なる偶然とは思えない。
 このように、本作は意外な「映画的記憶」がチラチラと見え隠れする点も面白いのだ。
 というわけで、映像的にも物語的にも、語り口の点でもユニークなこの作品。一体この作品を作ったのは誰かと思ったら…何とスパイシー・ラブスープ(1998)とこころの湯(1999)という2本のチャン・ヤン監督作品で、脚本を手がけていたディアオ・イーナンという男。この2本…ことに前者「スパイシー・ラブスープ」は斬新な中国映画としてかなりビックリさせられた記憶があるから、本作の成功も「なるほど」と思わされた。「スパイシー・ラブスープ」に関わっていた人物なら、タダモノではない。これは何ともスゴい新鋭監督が出て来たものである。
 あの冬の地方都市の身も心も冷えきるような描写ひとつとっていても、非凡なモノを感じさせるのだ。

 

 

 

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