新作映画1000本ノック 2014年11月

Knocking on Movie Heven's Door


こ のページの作品
 「ニンフォマニアックVol.2」  「イコライザー」 「アバウト・タイム/愛おしい時間について」 「ニンフォマニアックVol.1」 「NY心霊捜査官」  「フライト・ゲーム」

 

「ニンフォマニアックVol.2」

 Nymphomaniac Vol.2

Date:2014 / 11/ 24

みるまえ

 毎回作品発表のたびにセンセーションを巻き起こすラース・フォン・トリヤーだったが、前作「メランコリア」(2011)はいきなり惑星大激突という大バカな設定まで持っていったため、スカッと爽快な突き抜けたバカ映画になっていた。そんな前作の好感触から、今回の「ニンフォマニアック」二部作の「Vol.1」 (2013)もちょっと期待して見に行く。すると案の定、今回もスキャンダラスな前評判とは裏腹に、くだらないエロ談義が炸裂するではないか。あくまで今 風な艶笑小話集として作られていて、ちょっと笑える映画になっていた。しかも、見た後もいろいろ考えさせられるところ大。そんなわけで、待ちきれずに早速 「Vol.2」を見に劇場へと駆け込んだ。

ないよう

  突如不感症に襲われた若き日のジョー(ステイシー・マーティン)。彼女は最も心もカラダも慣れ親しんだ相手であるジェローム(シャイア・ラブーフ)と激し くセックスに励むが、性の感覚はどうしても戻って来ない…。傷ついて倒れていたジョー(シャルロット・ゲンズブール)を助けて自宅に連れ帰ったセリグマン (ステラン・スカルスガルド)は、夜通しジョーの身の上話を聞いていた。それまで勇ましい「性の冒険」話が続いていたジョーの半生記も、ここから一転。苦 難に満ちたものになっていく…。やがてジョーは、ジェロームの子供を身ごもった。これを機に、ジェロームとの暮らしを本格的にスタートさせるジョー。生ま れた子供はマルセルと名付けられ、親子三人の暮らしが始まった。しかしジョーの「飢え」と「乾き」は止まらない。快楽のない切羽詰まったセックスを始終求 められるジェロームは、たまりかねてジョーに「外注」を提案する。早速、街に出て男たちを漁るジョーだったが、ジェロームは自分で外に男を求めることを提 案しておきながら、やはり募る苛立ちを隠せないのだった。そんなこんなしているうち、ジョーは街角でたむろしているアフリカ人の男たちに注目。いつもと相 手や状況が違えばフレッシュなのではないか…と、通訳を交えてその男たちのうち一人を「ナンパ」する。やって来たのは、その男と兄の二人。二人相手とは聞 いていなかったが、まぁそこまではいい。ところがいざ始めようとすると、どっちがアソコでどっちが尻かで大もめ。全員素っ裸のまま、アフリカ男二人は激し く口喧嘩を始めてしまうからマイッタ。これではとてもじゃないがセックスどころではない。そのうちにジョーが迷い込んだのが、真夜中のあるビルの一室。そ の前に何人かの女たちが、病院の待合室よろしく座って待っている。いつまで待っても順番が回って来ないが、女たちは根気よく待っている。そのうち中からK (ジェイミー・ベル)という男が登場。このK…女たちに暴力という名の快楽を提供する男だった。やたらもったいつけて自らの美学をご開陳。ジョーに「犬こ ろ」という異名を名付けて、ソファに這いつくばらせて尻を乗馬用のムチで叩く。その時、確かにジョーには今までにない興奮が襲いかかった…。ただし、この Kのところに通うにはいささか問題があった。真夜中の2時から6時ぐらいまでを空けなくてはならないのだ。一度来てもらったベビーシッターも、次からは来 なくなってしまった。しかしどうにも我慢できないジョーは、まだ幼いマルセルを置いて出かけるようになる。そんなある晩、案の定事件は起きた。ジョーがK にいたぶられるちょうどその頃、マルセルはベビーベッドから抜け出してベランダへ出てしまう。たまたまジェロームが出張から早く帰って来て発見したため、 大事には至らなかったが…。それでも、Kの元へ出かけるのを止めることが出来ないジョー。結局それが、ジェロームと幼いマルセルを見た最後になってしまっ た…。

みたあと

 先にも述べたように、艶笑小話集として大いに笑わせてもらった「Vol.1」。今回の「Vol.2」も笑わせてくれるのではないか…と期待して見始めると、何と流れてきたのが「惑星ソラリス」 (1972)でおなじみバッハのコラール曲。実は僕は「Vol.1」の終盤で久々にこの曲を聞いてから無性に「惑星ソラリス」が見たくなり、むさぼるよう にDVDを見て改めて感想文まで書いてしまった。その時も、“これってタルコフスキーと「惑星ソラリス」へのオマージュじゃないだろうか”…と薄々思って いたのだが…。何と曲が流れるとともに壁に貼られているイコン画が映し出され、しかもそれがロシアのイコン画であって「ルブリョフの画風である」と語られ るに至っては…あまりと言えばあまりなタルコフスキーへの露骨過ぎるリスペクト! 「Vol.1」でもヒロインがズベった格好で登場するやステッペンウル フの「ワイルドでいこう」をガンガン流す…という、リュック・ベッソンも真っ青の分かりやすさと単純さを発揮していたラース・フォン・トリヤー。それにし ても、ここまでストレートに「タルコフスキーを意識してま〜す!」と宣言しちゃうとは(笑)。普通、いくらリスペクトしていてもここまでベタにやらないだ ろう…と思わされるだけに、やっぱり「惑星ソラリス」とタルコフスキーって「ニンフォマニアック」という二部作の「キモ」の部分なのではないか…と改めて 実感。その象徴であるバッハが「Vol.2」が始まってすぐにファンファーレのように流れるということは、今回は「Vol.1」とはちょっとペースを変え た映画になるのかもしれない…と思い直した。案の定、「Vol.2」は前作にたっぷり入っていた「笑い」が影を潜めて、ぐっとシリアスさを増す方向で話が 進んでいくのだった…。

こうすれば
  先にも述べたように、今回は爆笑必至の「Vol.1」とは空気が一変。ヒロインを巡る逸話の数々やスカルスガルドとのやりとりにはコッケイ味があるもの の、全体として話は沈痛な方向へと流れていく。そして本作の最大の見せ場(!)として、ジェイミー・ベルによるサディズムの場面がやってくる。シャルロッ ト・ゲンズブールのお尻がムチ打たれるたびに赤く腫れてくるのが画面に映し出されるや、正直言って「イタいの」が苦手な僕は少々ヘキエキ。あれって本当に ブッ叩いてるんじゃないかと少々心配になる。それはともかく…ちょっと疑問に感じたのが、ここまではヒロイン像がよどみなく一点の曇りもなく表現されてい るように思われていたのが、このサディズムの場面あたりから微妙にブレ始めたこと。「性的快感」を得られなくなったヒロインが刺激を求めていろいろ試して いく一環としてこの行為も行われているはずで、彼女のモノローグとしても「別に暴力そのものには惹かれたわけではない」と語っているのだが、途中でそのあ たりが混濁してよく分からなくなる。微妙なことではあるのだが、僕としてはヒロインが何を求めているのか、どんな状態にあるのか…がよく分からなくなって しまったのだ。そこまでは明快だっただけに、これはちょっと残念な気がした。たぶんトリヤーとしては性遍歴の物語の「ヤマ場」として、この映画を対外的に スキャンダラスに盛るための「てこ」として、さらに映画的なスペクタクル(!)として…この強烈なサディズム場面を必要と判断したのだろう。しかしこれを 入れることによって、ヒロインが今どういう状況にあるのか、どう思っているのか、何を感じているのかが混乱を来してしまった。大体、ヒロインはこの行為ナ シにはいられない程になっちゃったみたいだけど、そもそもすでに「不感症」になってたんじゃなかったの? この段階でヒロインがどんな気持ちでこうなって いるのか、その描き方が混乱して曖昧になってしまった。…少なくとも僕はそう思ってしまったのだ。まぁ、見た目の派手さをとったためにこれを入れてしまっ たのだろうが、見ている側の僕としては、ちょっとヒロインの気持ちから離れてしまった。そこが本作で唯一残念なところだろうか。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  そんなわけで見て笑えて楽しかった「Vol.1」と比べると、どんどん話が沈痛なモノになっていく「Vol.2」。それでも見ていて「奇跡の海」 (1996)ほどのシンドさを感じさせなかったのは、トリヤーの成熟というか成長なのかもしれない。見せるための芸や話術が、格段に進歩を遂げている。先 にも挙げたように、スカルスガルドとの会話のスットボけた味などでうまく中和させているあたりがうまいのである。それが終盤になってスカルスガルドがいき なりフェミニズム的なコメントでお話をまとめにかかったのには、「アレレレ?」とちょっと戸惑ってしまった。こりゃあ大丈夫なのか?…と心配になってし まった僕だが、それもこれも「結局は童貞の限界でした」というオチに収束されていくあたりはお見事。分かっているようなことを言ってはいたが、「性愛の快 楽も何もかも本で分かってる」みたいなことを言ってる時点で分かっていない。「やりまくってたんだからいいだろ、減るもんじゃなし」みたいなスカルスガル ドの最後のしょうもない発言も、決してホメられた話じゃないが「童貞の悲しさ」故だろう。結局は双方にとってお気の毒な結果になるのだが、明らかにこのエ ンディングは…「異常性欲アニタ」(1973)の終盤、ヒロインと若きスカルスガルドが結ばれることで「色情狂は愛で乗り越えられる」と結論づけられる結 末を、「逆説的」に意識しているはずだ。そして男女に限らず「人間は分かり合えない」という「ニンフォマニア」二部作の結末は、どこか「惑星ソラリス」に もつながっているように思える。シャルロット・ゲンズブールが山の頂に一本の木を見いだすくだりが、まるで「サクリファイス」(1986)の冒頭に出てく る木を連想させるのも、あながち偶然ではないように感じられるのだ。

さいごのひとこ と

 実は耳年増はスカルスガルドでした。

 
 

「イコライザー」

 The Equalizer

Date:2014 / 11/ 24

みるまえ

 デンゼル・ワシントンって最近はすっかり娯楽映画の人になった感じ。「サブウェイ123/激突」(2009)、「アンストッパブル」 (2010)、「2ガンズ」(2013)…などなど、リーアム・ニーソンほどではないがサスペンス映画や活劇専門になってきた観がある。デンゼルの場合は 元々が社会派作品などの重厚なイメージが強いので、なおさら最近の娯楽アクションへの傾倒ぶりが目立つ。そこにこの「イコライザー」の登場だ。まだ幼さの 残るロシア人娼婦を守って、ヤクザやゴロツキを無類の強さで粉砕。その際に自分の腕時計で秒数を測ったりして、ほんの数秒かで何人もの敵を撃退したりす る。そんな謎の男をデンゼルが演じるこの作品は、理屈抜きで面白い痛快な作品になっているものと想像できる。ロシア人娼婦の役が今をときめくクロエ・グ レース・モレッツというのも気になる。問答無用のストレス解消を期待して、僕は劇場に乗り込んだわけだ。

ないよう

  真夜中のボストンの街並み。その一角に、古びたダイナーが一軒。客がパラパラとしかいない店内の、片隅の席で読書する男…彼の名はロバート・マッコール (デンゼル・ワシントン)。彼は昼間は地元のホームセンターで働く平凡な男。昼飯時には警備員試験を目指してダイエット中の同僚ラルフィー(ジョニー・ス コウティス)のメシをチェック。「完璧より前進だ」と叱咤激励するなど、職場では仲間を大切にして人望も厚い。しかし仕事を終えて自宅に帰ると、その私生 活はいささか謎めいている。アパートの部屋はまったく無駄なモノがなく…無駄がなさ過ぎて簡素を通り越している。食事の用意をしたり身支度をしたりする動 きにも無駄がなく、しかも几帳面だ。夜は眠ろうとしても眠れない様子で、結局はティーバッグひとつと本を一冊持って、例の近所にあるダイナーへと足を運 ぶ。ダイナーでは持参したティーバッグにお湯を注いでもらって、静かに隅の席で読書する…というのが日課だった。しかしこのダイナーでは、マッコールは必 ずしも孤独ではないようだ。やはり毎晩のようにこのダイナーを利用する客が、マッコールと顔見知りになっていたのだ。それはケバい格好に身を包んでいる が、幼さが隠しきれないロシア娘の娼婦テリー(クロエ・グレース・モレッツ)。その夜もマッコールが読んでいる「老人と海」をネタに、軽い会話のやととり を楽しむ。テリーは本当は歌手になりたがっているようだ。そんなテリーもクルマに乗ってやって来た連中に呼ばれると、サッと表情を変えてダイナーを去って 行く。ある時などはテリーがマッコールと親しく歩いて帰ることもあったが、やはり行く手にいつものクルマが登場。中から出て来たポン引きが嫌がるテリーを クルマに乗せて、「女が欲しけりゃ連絡しな」…とマッコールに名刺を渡して去って行くのだった。そんなテリーがある夜を境にプッツリとダイナーに来なく なったのだから、マッコールは内心穏やかではない。そんなマッコールの動揺は、ダイナーの主人にはお見通しだった。この主人はどこから仕入れて来た情報 か、テリーが大ケガで入院したと教えてくれたのだ。慌てて、教えられた病院に駆けつけるマッコール。テリーの病室には娼婦仲間のマンディ(ヘイリー・ベ ネット)がお見舞いに来ていたので、マッコールは陰に隠れて様子を伺っていた。どうやらテリーは変態の客に殴られたのでやり返したら、例のポン引きにブチ のめされたらしい。それを聞いたマッコールは、密かに何かの決意を秘めてその場を後にした。かくしてマッコールが乗り込んだのが、とある高級レストラン。 その奥に隠された部屋が、あのポン引きスラヴィ(デビッド・ミューニアー)とその一味の隠れ家だ。マッコールはポン引き連中がその部屋を出入りしているの を観察した後、おもむろに部屋に入って行く。スラヴィたちはいきなり明らかに堅気の男が部屋に入って来たので、少々驚いたようだ。マッコールは一番奥の椅 子に座るスラヴィのもとへズカズカと近づき、いきなりテリーのことで直談判。持参した9800ドルの札束を見せて、これでテリーを自由にしてくれと頼み込 む。しかし、スラヴィとその手下たちの反応は冷ややかだった。バカにするような視線を投げかけ、そのカネなら何日か彼女を好きにするだけの価値でしかな い…とあざ笑う。そんな嘲りを一身に浴びて、大人しく帰って行くように見えたマッコール。ところがマッコールは扉までたどり着くと、外に出る代わりに鍵を かけてしまうではないか。再びスラヴィたちの方に向き直ったマッコールは、表情が変わっていた。その目は鋭く周囲すべてを瞬時に見渡し、部屋にいる5人の 男たちと部屋にあるさまざまなモノの位置関係を把握した。スラヴィたちがマッコールをバカにしたような顔で見ていられたのも、その時までのこと。マッコー ルは「16秒」とつぶやいて、腕時計のストップウォッチ機能を作動させる。次の瞬間、何ら武器を携行せず丸腰だったマッコールは、たちまち部屋にいる男た ちをバッタバッタと倒していく。それも、彼自身の素手と相手の持っている拳銃やナイフ、さらに部屋にあるワインオープナーだけを武器にして戦うのだ。圧倒 的な強さでその部屋の全員を殺害し、事を終えた後で腕時計の時間を目にするマッコールは、「19秒」とつぶやく。その差わずか3秒の正確さだ。こうして マッコールは、街のダニどもを掃除して去って行く。しかし事態を重く見たロシアン・マフィアは、本国からテディ(マートン・ソーカス)という刺客を送り込 んで来た…。

みたあと

  いやぁ、強い。デンゼル・ワシントンの無敵ぶりのことである。とにかく強い。まったく見ていて危なげない強さ。ほとんどピンチが感じられないくらい、圧倒 的な強さで一方的に勝ち進む。本来だったらヒーローが強いだけ…の映画って面白いはずがないのだが、ここではあまりにもケタはずれに強いので痛快に感じて しまう。しかも敵側だってかなり強大な敵なのだ。にも関わらず完全勝利してしまう強さ。まるで「コマンドー」(1985)のアーノルド・シュワルツェネッガー、「96時間」(2008)のリーアム・ニーソン、そして「アウトロー」 (2012)のトム・クルーズみたいなとてつもない強さだ。ただお話としては、見る前に予想していたものとは微妙に違う。宣伝などでやたら前面に立ててた 「19秒」ですべてカタをつける…なんて話じゃない。たまたま一番最初の大立ち回りが「19秒」だっただけで、毎回アレをやる訳ではない。そして、デンゼ ルがクロエ・グレース・モレッツの境遇に情にほだされ、彼女をどこまでも守るべく戦うという話でも…厳密な意味では…なかった。確かにグレース・モレッツ の存在はデンゼルが戦うキッカケにはなったが、彼女は途中からドラマから消えてしまう。だからデンゼルと彼女との関係は、例えば「レオン」(1994)の ジャン・レノとナタリー・ポートマンのような関係ではない。映画の後半は彼女抜きで、純粋にデンゼルと悪との戦いになっていく。そういう意味では、ちょっ と宣伝のやり方は間違っているんじゃないかと思わされたりもした。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  そんなわけで…見る前の予想を少々はぐらかされたかのような本作。それではつまらないのか…と言えばさにあらず。やはり化け物のように強いデンゼル・ワシ ントンが面白いのである。先にも名前が出てきたが、どちらかと言えば重厚な演技派で売って来たのがいきなりのアクションスターぶりを発揮しているという点 で、近年のリーアム・ニーソンと酷似している感じ。やはり凡百のアクション俳優と違って、元々の芝居がうまいから主人公の個性が際立つ感じだ。おまけに常 に武器を携行するわけでもなく、「そこにある」モノで戦うあたりがなかなかいい。そのぶっきらぼうな戦い方が、より強さを感じさせる。そしてあまりにも強 過ぎるから、実は途中からギャグすれすれにまで感じられてくる。何と映画終盤にはモスクワまで単身乗り込んでしまい、すべてカタをつけてしまうから恐れ いった。特にゴロツキ相手に暴れているうちは普通のアクション映画だったが、途中から戦線が異常に拡大。スローモーションで悠然と歩いてくるデンゼルの背 景でタンカーが大爆発…とか、モスクワの敵の屋敷から堂々と去って行くデンゼルの足下に手下たちの死体がゴロゴロ…とか、ほとんどコメディ状態にまでなっ てるから笑っちゃう。これはホメ言葉です(笑)。そんなこんなの展開を見ていると、日本の僕らとしてはテレビの「必殺」シリーズとの類似点を見いださずに はいられない。そういえば監督のアントワン・フークアは、マーク・ウォルバーグ主演の「ザ・シューター/極大射程」(2006) でも「必殺」シリーズっぽい趣向を盛り込んでいた。終盤、悪党どもが「三河屋、オマエもワルよのう」的なやりとり(笑)をしているところを、闇に乗じて殺 しのプロである主人公が成敗する…というあまりに日本のテレビ時代劇的な演出を見せていて唖然とした記憶がある。アントワン・フークアは、ひょっとして 「必殺」シリーズを見ているのか? そういう疑惑を持たれても不思議はない作風だ。ともあれ、デンゼルの無敵ぶりが痛快な本作。エンディングはシリーズ化 するぞ…という暗示なのだろうか?

さいごのひとこ と

 もうあの職場じゃ勤めにくいだろうね。

 
 

「アバウト・タイム/愛おしい時間について」

 About Time

Date:2014 / 11/ 17

みるまえ

  実は仕事で忙しくてしばらく映画から離れていたので、いざちょっと時間が出来ても情報がまったくなくて困ってしまった。だから「アバウト・タイム」って作 品が公開されてて評判がいい…ということは分かっていても、それがどんな映画なのかはまったく知らなかった。いよいよ公開が終わりそう…って時になって、 それが「ノッティング・ヒルの恋人」(1999)の脚本や「ラブ・アクチュアリー」 (2003)の監督で知られる、リチャード・カーティスの新作だと知ったのだった。しかも本作がカーティスの引退作になるというではないか。カーティスの 映画ならおそらく恋愛コメディで、出来も悪くないに違いない。伝え聞くところによれば、なぜかタイムトラベルができる男の物語…とのことだが、カーティス の作風ならばSFってことはないだろう(笑)。ともかく、僕は慌てて劇場へと飛んで行ったのだった。

ないよう

  まずは、赤毛の男の子ティム(ドーナル・グリーソン)のちょっと奇妙な家族をご紹介。サバサバ系の母(リンゼイ・ダンカン)、早くからリタイアしてしまっ た父(ビル・ナイ)、いつもキチンとした身なりながら、少々ボケが入ってきた伯父(リチャード・コーデリー)、そして自由人の妹キットカット(リディア・ ウィルソン)と、それなりに海辺の家で楽しく過ごして来た。毎年毎年の行事もいつも同じ。この年も派手な年越しパーティーで締めくくられる。悪ガキ仲間の ジェイ(ウィル・メリック)と大騒ぎしているうちに新年のカウントダウン。たまたま隣にいた女の子といい雰囲気になりそうだったのに、キスならぬ握手なん かして相手をガッカリさせたのは、毎度へタレのティムらしい展開だった。そんなティムが21歳になったある日、いきなり父の書斎に呼ばれる。そこで父から 告げられた話は、にわかに信じられない内容だった。何とティムの家の血筋では、男が21歳になるとタイムトラベルする能力が備わるというのだ。ただし、行 けるのは過去のみ。ティムは冗談だと思って笑ってしまうが、「暗がりで拳を握りしめて戻りたい時を思い浮かべてみろ」…と父はあくまで真面目に告げる。そ こまで言われれば仕方がない。ティムは洋服ダンスの中に入って、拳を握りしめて目をつぶってみる。すると…ティムはつい先日の年越しパーティーの現場に 戻って来ているではないか。唖然呆然としているうちに新年のカウントダウン。ティムはチャッカリ例の女の子とキスをして、心残りの雪辱を果たした。さて、 本当にタイムトラベルが出来る…と悟ったティムに、父は「その力を何に使いたい?」と尋ねる。すると迷わず「恋人をつくりたい」と答えたのは、ティムが自 分のヘタレっぷりを痛いほど自覚していたからだろうか。そのチャンスはすぐに目の前にやって来た。ゴージャスなブロンド美人のシャーロット(マーゴット・ ロビー)がわが家に何日か泊まりに来たのだ。案の定、たちまち彼女に夢中になるティム。しかしヘタレが災いして、彼女との接し方がガチガチ。そんな時、例 のあの「能力」が大いに助けになってくれたのは幸運だった。それでもティムとシャーロットの間には、「決定的な何か」が起きなかった。こうして迎えた シャーロット滞在最後の夜、ティムは満を持して彼女の部屋に乗り込んだ。こうした事態を半ば予想していたかのようなシャーロットは慌てず騒がず、ただ「こ れが最後の夜じゃなかったら」…と言ってきたのでティムは思わず地団駄。ならば…と、またしてもあの「能力」を使って、シャーロットの滞在第1夜に戻っ た。「これなら大丈夫」と彼女の部屋に乗り込み、自信満々で告白したティムだが、今度はシャーロットいわく「それは最後の夜に言って」…と来たもんだ。 「能力」も恋人づくりには万能ではない…そんな真理を痛感するティムだった。こんなひと夏の終わりとともに、ティムも旅立つ時がやって来た。法律事務所に 就職するべく、ロンドンに上京することになったのだ。ロンドンでの住まいは父の旧友宅に転がり込むということで、話はついていると思っていたが…。家の主 ハリー(トム・ホランダー)は劇作家でかなり気難しい男。おまけに父とも仲は良くなかった…という話で、ティムは着いて早々針のむしろ状態。彼のせいで浮 かんだばかりのグッドアイディアが逃げた…というイヤミをチクチク言われながらも、ハリーの家の居候となるティムだった。法律事務所でも当然のことながら ペーペーの位置づけ。同じくペーペー仲間の小男ローリー(ジョシュア・マクガイア)とツルむしかなかった。当然、女っけもナシ。ところが悪ダチのジェイ が、面白い話を持って来た。二人の女の子を調達して、合コンのセッティングをしてくれていたのだ。ただし合コンの舞台となる店がミソで、そこは店内真っ暗 というロンドンの名物店。ティムはジェイとともに真っ暗な店内に入り、そこでメアリー(レイチェル・マクアダムス)とジョアンナ(ヴァネッサ・カービー) という二人の女の子と知り合った。何しろ真っ暗だから、会話をしないことには話にならない。シャイだの何だの言ってる場合じゃない。しかし内気なティムに とっては、顔が見えないというのはかえって都合が良かったかもしれない。またジェイがジョアンナと盛り上がったためティムはメアリーと話すことになった が、このメアリーがなかなか気の利いた会話ができる子だったことも幸いした。こうして意気投合した4人は店を出ることになり、一足先にティムとジェイは外 で待っていた。まず先に出て来たジョアンナを「お持ち帰り」する気満々のジェイ。ティムはまだ顔を見ていないメアリーが出てくるのを、期待半分不安半分で 待っていた。すると出て来たメアリーは、ちょっと素朴な雰囲気のふんわかした女の子。ティムが「まさに理想」と思った女の子だった。そんな時、気の早い ジェイがジョアンナに露骨に迫ったため、女の子二人はすぐに帰ることになってしまう。しかしティムに好印象を持ったメアリーは、帰り際に彼のスマホに電話 番号を残してくれたのだった。なかなか上首尾だ! ところが家に帰ってくると、ハリーがドツボに落ち込んでいるではないか。何と今夜初日を迎えたハリーの 芝居が、役者のセリフ忘れのために台無しになったというのだ。見かねたティムは例の「能力」を行使。芝居が始まる直前の劇場を訪れ、トチる前の役者に台本 を読むように忠告した。そのおかげか、その役者は本番ではトチリを回避。ホッと胸を撫で下ろすティムだったが、今度は相手役のセリフが飛んだ。そのため ティムは再び「能力」を使い、舞台の袖から役者にカンニングペーパーを差し出した。こうしてティムの献身的な努力の結果、ハリーの舞台は大好評のうちに幕 を下ろしたのだった。家主の危機を救うことができて、満足感にひたるティム。しかし彼がスマホを見ると、保存したはずのメアリーの番号が消え失せているで はないか…。

みたあと

  確かにリチャード・カーティスの映画ならばSFじゃあないだろう…という予想は当たっていたが、タイムトラベルを扱っていて、これほどSF臭が皆無な内容 だとはビックリ。いきなりビル・ナイの父親が主人公に「当家の男子は21歳でタイムトラベルできるようになるから」…と言って説明は終わり(笑)。どうし てそんなことが出来るんだ?…と言われても、出来るんだから仕方がない…的な展開で説明は一切なし。理由も方法も、もっと言えばルール的なものもひとつか ふたつぐらいしか出て来ない。ふと思い出したのは、主人公が理由もなしに同じ一日を無限ループで繰り返すお話のビル・マーレイ主演「恋はデジャ・ブ」 (1993)。つまりはああいった感じの映画なのである。ついでに言うと、トム・クルーズの「オール・ユー・ニード・イズ・キル」 (2014)を見たときに「どこかでこれに似た映画を見たなぁ」と思っていたのは、まさに「恋はデジャ・ブ」のことが頭の隅にチラついていたのだった。今 回やっとこ思い出せたよ(笑)。…閑話休題。そんなわけで、本作はSFみたいにタイムトラベル自体をことさらに説明しない…というか、最初からそれをあま り語りたくないみたいだ。タイムトラベルは「本当に語りたいこと」の手段に過ぎないみたいなのだ。では、それは一体何なのか? ロンドンに出て来たティム は「運命の人」メアリーと出会い、めでたく携帯番号をゲットすることができた。ところが家主ハリーの危機を見かねて助け舟を出したために、過去が変わって メアリーの番号が消えてしまった。なるほど、こういう趣向はSFによくあるパターンだ。ここからは、どうやってメアリーを取り戻すか…というお話が展開す るんだな…。ところが、これもちょっと苦心惨憺したら割とすぐに解決してしまった。さらに時間を遡ったティムは、チャッカリとメアリーを彼女にすることに 成功するのだ。しかし、まだ映画は始まったばかり…のはず。これから一体どうするんだ? するとティムの前に、初恋の女シャーロットが登場。かつての剣も ホロロな状況とは裏腹に、ティムにモーションをかけてくる。ティムもシャーロットのペースに乗せられ、彼女の部屋の前まで来てしまう。なるほど…ここから いけない関係に発展して、ティムがどうやってメアリーの元に戻って行くのか…という話になっていくのか。ところがこれも二股「未遂」に終わり、むしろティ ムのメアリーへの想いをハッキリさせる結果となった。だが、いまだ映画は半分にもいっていない。アレレ…メアリーとの関係を成就させるために、ティムが自 分の「能力」を使って奔走する…という話になっていくんじゃないのか。だとしたら…この映画はこれから残りの上映時間を、どうやって埋めて行くつもりなの か…。むろん僕は最初からこの映画は、タイムトラベルを描いたSFだなんて思っていなかった。だが、タイムトラベルを使ったロマンティック・コメディでは あろう…と思っていたのだ。ところが、ここまで見ていくと、どうやらそれも違ったらしい。それでは一体、この映画はどこに向かっていくのだろうか…?

ここからは映画を見てから!

みどころ
  恋愛成就した主人公は、結婚して家庭を持つ。この時点でタイムトラベルが最強の武器になりそうなロマンティック・コメディ設定は放棄されており、どんな血 の巡りが悪い人でも「そもそもこの映画はそんな映画ではなかったんだ」…と気づかざるを得なくなる。本作でのタイムトラベルは笑いやスリルのための約束事 ではない…と、いやが上にも分かってくるのである。ここでのタイムトラベルは、人生の中に何度かある「選択」と、その可能性について観客に考えさせるため の「仕掛け」だ。それがハッキリ分かるのが、主人公の妹キットカット救出のくだりだろうか。DV気味の男をつかんで苦労していたキットカットは、心労祟っ て飲酒運転で大事故。そんな妹を救いたい主人公は、彼女がこの男と知り合わないように過去を変えてしまう。ところがそれが遠因となって、可愛がっていた幼 い愛娘がなぜか男の子に変わってしまった。すべては歴史を変えてしまったから…という訳で、主人公は泣く泣く過去を元に戻してしまうのだ…。妹を救うとな ぜ子供が男の子に変わってしまうのか、そして過去を元に戻したら子供の性別が女の子に戻るのか…このあたりの仕組みはハッキリ言っていいかげんで、矛盾し ていると思うし、ちゃんと説明もされていない。まぁ、これがSF映画ならそれなりに理屈が通らないとマズいだろうが、本作は最初からそんなものは目指して いない。ここで作り手が伝えたいのは、そんなことではない。例えどんな選択をしても、どうにもならないことはある…という事なのだろう。冒頭近くの主人公 の初恋エピソードと同じで、選択を変えてもダメなものはダメ。人生とはそんなものなのだ。人間は数限りない「選択」をして生きていくものだし、しばしばそ の選択について後々「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と思い悩むものだ。しかし実際のところは、それって「そうなるしかない」ものなのかもしれ ないのだ。僕も今まで生きてきて、端から見て大胆だったり大変だったり見える「決断」をしたように思われる時が何度かあった。しかし僕本人としてはそんな 周囲の印象とは裏腹に、特にそんな厳しい「決断」を強いられた記憶がなかったりする。結局その時の僕の本音を言えば、そういう時は「もうそうなるしかな い」道を辿っているのである。仮に厳しい「決断」をしなくてはならない局面があったとすれば、それはたぶんロクな結果にならない…というのが僕の経験から の印象だ。正しい「選択」とは、まるで自分が選択などしなかったように思えるものなのだ。その時には、自然にそうなってしまったかのようなモノなのであ る。劇中で主人公が独白する「実は、誰もがタイムトラベルしている」という言葉は、そんなあたりのことを意味しているのだろう。このあたりの「人生の実 感」は、ちょっと他の作品には見られないものだ。面白いことは面白いがウェルメイドなコメディなどではなく、もっと渋みのある作品に仕上がっているのであ る。リチャード・カーティスっていつの間にこんな映画作家になっていたのだろう? これで最後の作品なんて、ひどく残念な気がする。終盤近くの父子の交流 なども、父の死がまだ身近に感じられる僕には涙なしには見れなかった。それも含めて、父親役のビル・ナイは今まででもベストと思える役どころ。本当に素晴 らしかった。またメアリー役のレイチェル・マクアダムスは…「ミッドナイト・イン・パリ」(2011)や「パッション」(2012) など今まで正直あまりイイ印象を持ったことがなかったのだが、初めて好感を持った。そして何より、主人公を演じたドーナル・グリーソン! 今まで馴染みの ない役者で、まるでドナルド・サザーランドの若い頃みたいな顔が取っ付きにくくも思えたのだが、この彼が何とも絶妙で素晴らしい。すっかり驚いてしまっ た。決して派手さのない作品だが、見てよかったと思えるコクのある作品なのである。

さいごのひとこ と

 年齢が高ければ高いほど感銘は深いかも。

 
 

「ニンフォマニアックVol.1」

 Nymphomaniac Vol.1

Date:2014 / 11/ 17

みるまえ

  ラース・フォン・トリヤーの新作…ってことで、説明は終わらせてもいい。まぁ、そんな映画(笑)。ビョークまで連れてきてウツなミュージカルをやってみた り、体育館の床に白線を引いただけで街のセットを建設したつもりになってみたり、アメリカ批判やら反キリストやら…と毎度毎度センセーショナルでスキャン ダラスな作品を連発するこの男。元々はデンマークの片隅でショボくやっていたはずなのに、いつの間やらえらくメジャー感を醸し出す作品を作り出すように なっていた。ただ、メジャー「感」はあっても、作品のテイストはメジャーとは言いがたいウツっぽさ。ところが前作「メランコリア」 (2011)では謎の惑星が地球に衝突!…とこれまた煽ったつもりが、設定が設定だったために大バカ映画になってしまった。でも…こんなトリヤー、オレは キライじゃないぜ(笑)。バケツの底が抜けたようなあまりにバカげたエンディングには、むしろ爽快感を感じたからだ。どうもこれから先、トリヤーの作風っ て微妙に変わるんじゃないか…という予感もして、僕は大いに期待してしまった。ところがやって来た新作が「ニンフォマニアック」と来て、僕は「相変わらず だなぁ」と苦笑いしてしまった。こいつは「反キリスト」とか「色情狂」とか、やたら世間に対してコワモテに挑発しないと気が済まないのかねぇ。また陰惨に 女を堕とすだけ堕としまくるような映画なのか…とビビりながらも、ひょっとしてエロを昔の谷岡ヤスジのマンガみたいに「鼻血ブーッ!」とバカバカしく描い てくれるのではないか?…という期待もあった。しかし何と2部作構成と聞いて、たかがエロ映画に何と大げさな…とまたしても腰が退ける。そんなわけで忙し い最中、「Vol.1」が終了寸前と知って慌てて劇場へと走った次第。

ないよう

  暗く陰鬱な冬の日。薄汚い裏町に粉雪が静かに降っている。そんな薄暗い路地に一人の女が倒れているのを見つけたのは、たまたまお菓子を買いに外に出た初老 の男セリグマン(ステラン・スカルスガルド)だ。その女ジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、かなり痛めつけられたらしく血だらけ。だが、慌てて警察 と救急車を呼ぼうとするセリグマンをジョーは止めた。見かねたセリグマンはジョーに「紅茶を飲まないか?」と声をかけて、彼女を自分の部屋に連れ帰る。こ うしてジョーはセリグマンの部屋で休ませてもらい、ようやく一息つけるようになった。…となると、どうしてこんな事になったのかと問いたくなるのが人情。 セリグマンとて例外ではない。するとジョーは「どうせ理解できない」だの「偏見で見るだろう」だのと躊躇していたものの、まったく屈託のなさそうなセリグ マンの表情を見るうちに話をする気になってくる。たまたまセリグマンが釣りが好きで「釣魚大全」なる本を座右の書としている…と語っていたので、ジョーは それを「お題」に身の上話を語り始めるのだった。「私は色情狂なの」…。ジョーは少女時代から自分の性器に関心があった。幼なじみのBと一緒に風呂場にこ もっては、濡れた床に股間をこすりつけて楽しむ。そんなジョーの行動を薄々気づいていた母(コニー・ニールセン)は彼女に冷たかったが、医師である父(ク リスチャン・スレーター)はいつも優しかった。彼女を連れて森に出かけては、木々や葉っぱの話をしてくれるのだった。そんなジョー(ステイシー・マーティ ン)が年頃になって「初めて」の相手に選んだのは、ちょっとワルぶったバイク好きの青年J(シャイア・ラブーフ)。ジョーに「抱いて」とストレートに言わ れたJは、ムードもへったくれもなしにいきなり彼女を3回突いた後、後ろから5回突いて果てた。この「3+5」という数字は、屈辱としてジョーの記憶に残 された。さらにジョーは例の幼なじみB(ソフィ・ケネディ・クラーク)とツルんで、「性の冒険」をスタート。挑発的なケバ衣装を着て列車に乗り込み、乗客 を相手に「男釣り」を競おうというのだ。早速始まった「釣り」では終始Bにリードを許すジョーだったが、一見彼女たちの誘惑に負けなそうな紳士を落として 逆転勝利。賞品のチョコ菓子をゲットしてご満悦だ…。「どう、私は悪い子でしょう?」と語り終えたジョーだったが、セリグマンはそうは思わない。むしろ 「魚釣り」に例えて「男釣り」について飄々と語り始めるから、ジョーは少々あっけにとられてしまう。これでは話にまったく背徳感がない。「ならば、これな らどうだ」とばかり、ジョーは次の「性の遍歴」について語り始めるのだった…。

みたあと

  いやぁ、何から話せばいいだろう…。まずはこの作品のイメージだが…トリヤーの普段の素行の悪さ(笑)から「スキャンダラス大作」みたいな扱いになってる し、トリヤー自身もそういう風に煽っているところが多分にあると思うけれど、僕はこの作品って全然そういうもんじゃないって思っている。まだ 「Vol.1」だけしか見てないので何とも言えないかもしれないが、少なくとも「1」だけ見た限りではこの映画ってかなり冗談っぽい(笑)。映画館のお客 さんはみんな大真面目な顔して見ていたけれど、これってそんな便秘したみたいな顔をして見る映画じゃないだろう。ラース・フォン・トリヤーの映画っていつ も論議を呼ぶし、みんな難しい映画を連想するけど、実は元々がそんなモノじゃない。意外に分かりやすくて単純なのに、周囲が勝手に深読みをして難しく受け 取られちゃってるきらいはある。そもそも小娘たちが列車で「性の冒険」を始めるくだりでステッペンウルフの「ワイルドでいこう」を流すあたりなんざ、その 選曲のあまりのストレートさに思わず爆笑だ。何の「ひねり」もないのかよ(笑)。そして、確かに全編あけすけにセックスの話をしてはいるが、実はそれほど 激しい描写があるわけじゃない。子供向けには見せられないだろうが、大人が見るぶんには大してハードな内容ではない。センセーショナルな売り方をしてはい るが、実はこの映画の本質は、笑っちゃう映画…というところにあるのは間違いない。シャルロット・ゲンズブールを拾ったステラン・スカルスガルドのオッサ ンが、彼女の性遍歴話にいちいちくだらない例え話を持ち出すあたり、笑わずにはいられないではないか。そう、前作「メランコリア」に引き続き、これはバカ 映画だ。いや、もっと突っ込んで…コメディ映画と言ってもいいかもしれない。

みどころ

  神様が絶対の西欧で「アンチクライスト」なんて映画撮ってみたり、ヒトラー擁護発言して映画祭を追い出されたり、ラース・フォン・トリヤーってスキャンダ ラスでコワモテに見えるが、何だかやってることが妙に大人げない。口で言ってるほどやってることはワルじゃない、イキがってるだけの「口だけ番長」的なも のを、僕は昔から何となく感じていたのだ。本作だって、別に見ちゃおれない激しい性描写の連続になるわけでもない。そもそも小娘の性遍歴から始まるん じゃ、ハードさも知れたもの。堕ちていくヒロインを厳しく見つめていく、「奇跡の海」(1996)みたいな展開にはならない。しかも女子高生の援交なんぞ が横行する日本から見れば、この小娘の性遍歴は全然大したことなんてない。おまけにシャルロット・ゲンズブールが深刻な顔をして話す内容も、結局は「愛な んてさ…」ってな幼稚な内容。何となく、やたらセックスを持ち出しながら最後は「純愛」みたいな寝言に持っていくケータイ小説っぽい。日本人はこんな程度 じゃスキャンダラスなんて思わないよ(笑)。おまけにシャルロット・ゲンズブールがステラン・スカルスガルドを挑発して「どうだスゴイだろ、ビビッただ ろ、私は悪いオンナだろ、さぁ殺せ!」…とさんざっぱら言ってみても、スカルスガルドはいちいちスットボけた調子で間抜けな例え話を持ち出すばかり。せっ かく話を盛り上げてるのにその都度水を差されて、シャルロットがちょっと苛立ってくるのもおかしい。そのあげく彼女は「じゃあこれでは? これならどうだ?」…みたいに告白をどんどんエスカレートさせていくから、見ているこちらは笑わずにはいられないのだ。そんな「笑わせ」要素満載な点も含 めて、本作は「デカメロン」などのような、当世風「艶笑小噺」集と見るべきではないだろうか。何しろ第1話のタイトルなんざ「釣魚大全」(笑)なのだか ら、完全に「お笑い」なのである。そう考えてみると…「デカメロン」(1971)、「カンタベリー物語」(1972)、「アラビアンナイト」(1974) などを発表したイタリアの故ピエル・パオロ・パゾリーニを連想してしまう。パゾリーニがやはりスキャンダラスなイメージの映画作家だったことも、どこかト リヤーとの共通性を感じてしまうのだ。そういう映画史的な面白さでいうと…実は本作の主役の一人であるステラン・スカルスガルドが、若い頃にポルノ映画に 出演していたことも面白い。その作品は、スウェーデン映画「異常性欲アニタ」(1973)。当時、清純派(笑)ポルノ女優として人気爆発していたクリス ティナ・リンドバーグの主演作で、この人はその後、日本に招かれて東映作品に出たりもしていた(!)。実は僕も輸入DVD屋さんでこの作品を発見。スカル スガルドの名につられて購入していたのだ(笑)。正直言って作品そのものは今ではごくごく大人しい内容であり、しかも作りも稚拙なシロモノ。「ポルノ」と しても「映画」としてもまったくヌル過ぎる作品だ。だが驚くべきは、この作品がまさに「色情狂=ニンフォマニアック」をテーマにしたものであること。自ら の色情狂を持て余すヒロインの性遍歴を描いた作品だから、今回トリヤーがこの作品を意識していたのは間違いない。スカルスガルドは一種のオマージュ的な役 割なのだ。その若きスカルスガルドの「アニタ」での役どころは、主人公リンドバーグの相談に乗る優しい青年で、最後には彼女と結ばれる…というもの。こう なってくると、「Vol.2」でのスカルスガルドの展開がにわかに気になってくるところだ。さらに興味深かったのは、三全音のくだりで引きあいに出されて たバッハの曲。あれはタルコフスキーの「惑星ソラリス」 (1972)でテーマ曲的に使われていたもの。なぜ、この曲が使われたのか。今回の作品全体のトーンから考えて、ギャグかパロディー的な意味合いか。はた また…「惑星ソラリス」では主人公と亡き「妻」との愛の葛藤が描かれていたことからも、そんなトリヤーの「マジ」が「Vol.2」で描かれていくのか。 「Vol.1」が完全に「つづく」という感じで終わってしまうことも含めて、ますます「Vol.2」が気になるところだ。

さいごのひとこ と

 トリヤーの耳年増ぶり全開。

 
 

「NY心霊捜査官」

 Deliver Us from Devil

Date:2014 / 11/ 03

みるまえ

  この映画、公開されてから存在を知ったのだが、タイトルからして気になっていた。「NY心霊捜査官」…「ゴーストバスターズ」かよと言いたくなるところだ が、このタイトルからすると犯罪捜査モノとオカルトが合体した映画だろうか? 実は僕は昔から、意外と犯罪捜査モノと恐怖映画って相性がいいんじゃないか と思っていた。猟奇殺人の捜査モノなんて、オカルトまで後一歩みたいなところもあるし。そんな訳で、巷ではまったく話題になっていなかったものの、これは 見たいと密かに思っていたのだ。主演がエリック・バナとは少々地味だなと思いつつも、製作がジェリー・ブラッカイマーとならばそこそこ派手に盛り上げると ころは盛り上げるだろう。そんなこんなで、僕はイソイソと劇場まで出かけたのだった。

ないよう

 2010 年、イラク。深夜の砂漠地帯。銃を構えて、作戦行動中の3人の米海兵隊員たち。砂漠から森に入り込むが、周囲の闇も相まって緊張感が絶えない。そのうちど こからともなく敵が現れて来たので、3人は彼らを容赦なく倒す。しかし、奴らはどこからやって来たのか。探してみると、地面に地下に降りる穴が開いている ではないか。彼らはライトの光を頼りに、コワゴワとこの穴の中を降りていく。すると、奥には何やら部屋があるようにも見える。すると突然ライトが故障した か、明かりがプッツリと消えてしまった。さらに奥に入って行った兵士が、何かに気づいて絶叫を上げた。果たして中には何があったのか…? それから月日が 流れて2014年、ニューヨーク。ラルフ・サーキ(エリック・バナ)と相棒のバトラー(ジョエル・マクヘイル)の二人の刑事は、今日も夜の街をクルマで巡 回している。そこに、無線連絡でDVの通報が入る。一見大したことのない通報に感じられるが、ラルフは無線に応答して現場に向かうと答えた。するとバト ラーが「またレーダーか?」と一言。実はラルフは、ヤバい事件に関するカンが人一倍冴えていた。冴えない事件に思えるモノでも、ラルフがピンと来た時には 必ず重大事件になる。ラルフにはそうした不思議な「何か」があるらしいのだ。そんなこんなで連絡された家へとやってくるラルフとバトラー。扉をノックする と、まず出て来たのは上半身ハダカの興奮した男ジミー(クリス・コイ)。しかし部屋に入ってみると、妻は殴られて血まみれになっていた。ジミーのDVを確 信して連行しようとするラルフとバトラーだったが、ジミーは唐突にナイフで斬りかかる。腕を斬りつけられたラルフだったが、何とかバトラーと二人でジミー を制圧することができた。そんなラルフとバトラーのもとに、さらに別の通報が…。何と動物園で、母親が赤ん坊をライオンの檻に投げ込んだというのだ。もち ろん、ラルフの「レーダー」が大いに働いたのは言うまでもない。夜の動物園に到着してみると、園内の照明が消えて真っ暗。なぜか照明システムが故障したと いうのだ。二人を迎えた警備の者に聞くと、赤ん坊は重傷ながらすでに病院に運ばれたとのことだが、赤ん坊を投げ込んだ母親が消えたままだという。そこでラ ルフとバトラーは二手に分かれ、園内をくまなく探すことになった。すると、ラルフの前に問題の女が唐突に出現。女の様子はさらに異常で、手の指で地面を掘 ろうとしていた。何とかその女の身柄を確保したものの、とても異常行動の理由を説明できる状態ではない。動物園の職員の話では、ライオンの檻内の壁を「塗 装屋」の男が塗っていた時に起きた…とのこと。ところがその「塗装屋」が、まだ檻の中にいた。黒いパーカのフードをかぶった不審な男で、ラルフが事情を聞 こうとすると後ずさる。すでにライオンは奥の鉄格子の部屋に引っ込んでいることを飼育係に確認したラルフは、ライオンの檻の中に入ってパーカの男を追っ た。すると、パーカの男の姿が消えるとともに、なぜかいつの間にかライオン2頭が檻の中に出てくるではないか。それを見た飼育係がパニックになって檻の外 に飛び出して、鉄格子を下ろしてしまう。危機一髪。しかし何とか冷静さを取り戻した飼育係が鉄格子を開け、一触即発状態でラルフは脱出できた。思わず安堵 したものの、生きた心地のしないラルフだった。そんな彼も徹夜明けで家に戻れば、幼い娘の良きパパ。妻のジェン(オリビア・マン)と共に、娘のサッカーの 試合を見に行ったりもする。しかし最近では、仕事熱心が祟ってだんだん家族団らんができないのが悩みの種だ。さて翌日のこと、例の動物園の女を署から精神 病院に移送することになるが、そこに一人の男が現れる。男の名前はメンドーサ(エドガー・ラミレス)。長髪のラフな出で立ちにも関わらず、彼は神父らし い。今まで例の女をいろいろ世話してきたらしく、今回の事件に関しても詳しく話を聞きたいと言って来た。正直言って神父の出る幕ではないと思っているラル フは、そんなメンドーサの申し出にも生返事。名刺を受け取ってお引き取り願った。そんなラルフが、署内の同僚の会話にまたまた「レーダー」を反応させる。 「地下室にペンキを塗って以来、夜中に地下室から物音がする」というおかしな通報があったというのだ。「そのヤマ、オレたちがもらった」と告げるラルフ に、さすがのバトラーも呆れ顔。ともかく二人は、問題の家にやってくる。そこにはやたらに怯えきった夫婦と息子がいて、深刻な顔で異変を訴えるのだった。 おまけに地下室の電灯も切れてしまったという。ともかく見てみないとどうにもならない。懐中電灯の明かりを頼りに、地下室へ降りて行くラルフとバトラー だったが…。

みたあと

  「NY心霊捜査官」…というタイトルを聞いていたのに、映画が始まったとたんにイラク。これには思わずニヤリとしてしまった。まず、イラク戦争という現実 の忌々しさとオカルティズムの怪しさの合体…にセンスの良さを感じたというのが最初の印象だったが、それだけではない。オカルト映画とイラク…と言えば、 思わずピンとくる作品があった。そう…イラクを舞台に物語がスタートして、その後、舞台をアメリカ本土に移して本題に入って行く…。あの傑作「エクソシス ト」(1973)がまさにそのパターンではないか! 僕はそれに気づいたとき、この作品は結構いい線いくんじゃないかと直感的に思っていた。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  冒頭のイラクの場面が終わると、いきなり舞台はニューヨーク。すると映画はホラーやオカルトというより、リアルな警察もの、犯罪捜査もののムードに一転。 事件の様相がいささか猟奇的だったり刺激的だったりはするが、決してスゴい怪物が出たり幽霊が出たりはしない。超自然現象は多少起きるが、それさえもごく ごく控えめ。あくまでニューヨークの刑事たちの日常…という設定の枠内でお話が進む。確かにそれらの事件はかなり刑事たちにとって緊迫感に満ちたものだっ たり、ウンザリするような禍々しさに満ちてはいるが、リアルな犯罪捜査もの…という一線は守るのだ。これがなかなか面白い。しかも犯罪捜査ものとしても派 手なカーアクションや銃撃戦があるわけではないので、かなり地味な部類に入る。まるでシドニー・ルメット映画みたいな設定で、オカルト映画が展開していく のである。しかも、ニューヨークの刑事と型破り神父がコンビでオカルト事件を解決していく…という設定がなかなか楽しい。ジェリー・ブラッカイマーのプロ デュースというので派手ハデな映画を想像していたから、ちょっとこれには驚かされた。監督は誰かと思ったら、イーサン・ホーク主演「フッテージ」(2012)を撮ったスコット・デリクソン。あの映画もそういえば、どこか妙なリアリティがあったっけ。人種のるつぼで犯罪のデパートみたいなニューヨークなら、実際にこういう事もあるかも…と思わされるから、ますますリアルだし面白いのである。

こうすれば
 ただし、前述のように抑えた展開で作られているので、全体的にちょっと地味。それがいいところでもあり、ちょっと食い足りないところでもある。しかも、 終盤に取調室で「悪魔払い」をやることになるのだが、そこだけいきなり「エクソシスト」風の派手な演出になるのもちょっと苦笑。さすがに多少は派手にしな いともたなかったんだろうねぇ(笑)。全体的には誠実な作りに好感を持ったし、刑事と神父のコンビぶりもなかなかよかったので、ちょっとシリーズ化希望し ちゃったのだが(笑)。ただし、この地味さでシリーズは映画じゃキツい。テレビシリーズで出直してみてはいかがだろうか?

さいごのひとこ と

 夜のNYは悪魔よりコワい?

 
 

「フライト・ゲーム」

 Non-Stop

Date:2014 / 11/ 03

みるまえ

 リーアム・ニーソンといえば、最初は重厚な演技派のイメージが強かった。ところがここ数年、ニーソン出演作とくればアクション映画ばっかり。どうしてこうなったのかと言えば、もちろん「96時間」 (2008)での鮮やかなアクションスターぶりのおかげだろう。リーアム・ニーソンのこうした一面を引っ張り出しただけでも、リュック・ベッソンの功績は 大かもしれない。そんなニーソンの新作が飛行機を舞台にしたサスペンス映画と聞いて、僕は興奮を抑えきれなくなった。最近のニーソン大暴れ作品はどれも好 きだし、何より飛行機が大好き。飛行中の機内で何かが起きる…ってお話自体ワクワクする。この作品も居ても立ってもいられずに見に行った次第。

ないよう

  飛行機が離発着する空港のすぐそば。停めたクルマの中で憔悴しきった表情のビル・マークス(リーアム・ニーソン)は冴えない気分を変えようとでもいうの か、飲んでいるコーヒーにウイスキーをドボドボ入れて引っ掛ける。しかしそんなマークスは、実は飛行機の安全を守る航空保安官なのだ。幼い少女の写真を見 てはまたまたどんよりした顔をするマークスは、携帯にかかってきた電話をとる。どうやら上司らしいのだが、何やら口論になってしまう。気を鎮めるためにタ バコをスパスパ吸ってしまう、何から何まで万事依存症傾向の男だ。空港ロビーに向かうとメガネのボーウェンという男(スクート・マクネイリー)が近づいて きて、マークスに火を借りる。ボーウェンはマークスに「私はアムステルダムに行くんですが」などと親しげに話しかけるが、マークスは反応ゼロだ。ロビーの 中に入って行くマークスはセキュリティーを通り抜けようとするが、ホワイトという黒人男(ネイト・パーカー)が携帯で話をしていて立ちふさがっている。 マークスはそんなホワイトを無視して通り抜けて行くので、ホワイトは思わずムッとにらみつけた。トイレに入って鏡を見ると、今度はハモンドという男(アン ソン・マウント)がマークスに話しかけてくる。マークスの目があまりに充血しているので、目薬を勧めてきたのだ。しかしマークスは、これもキッパリ断っ た。どうやらマークスは、一切誰とも関わりたくない様子。しかし初めての一人旅で飛行機に乗るのを躊躇している女の子ベッカ(クイン・マッコルガン)を見 るや、ひざまづいて子供目線から彼女を説得するマークス。なかなか乗らないベッカに困っていたCAのナンシー(ミシェル・ドッカリー)も、マークスに大い に感謝した。さらに窓側の席を予約したのに違っていた…と苦情を言うジェン・サマーズ(ジュリアン・ムーア)がやってくると、自分の隣にいたホワイトを目 配せしてどかして彼女を窓側に座らせる。なぜか女には愛想のいいマークスなのだった。そんなこんなで乗客の搭乗が終わる。いよいよ出発という時、ジェンが 隣のマークスを見ると、どうも具合が悪そうだ。実はマークスは航空保安官のくせに飛行機が苦手で、そのため「お守り」の青いリボンを手に巻いているのだっ た。そのリボンは、マークスの娘が幼い頃に寝る時に巻いていたものらしい。今は娘もリボンを要らなくなり、マークスがそれに頼るようになっていた。そんな 世間話をしながら、マークスとジェンは徐々に親しくなっていく…。さて、飛行機は無事に離陸。ジェンもいつの間にか眠りについた。ところがそんなマークス に、とんでもない事が降り掛かってくる。航空保安官は仕事専用の携帯を持っているが、そこに不審なメッセージが飛び込んで来たのだ。それは、どうやらこの 飛行機の乗客らしい。そしてこの人物は、「20分以内に指定の口座に1億5000万ドルを入金しなければ、機内の誰かが一人死ぬ」…というのだ。さすがに 慌てたマークスは先ほど空港のトイレで会ったハモンドを捕まえ、この件について相談する。実はハモンドは、機内にいるもう一人の航空保安官だったのだ。し かし本来、航空保安官はお互い言葉を交わし合うのもマズい。単なる脅しだろうと本気に捕らえていないハモンドは、マークスにつれない返事しかしなかった。 こうなると、相談できるのは機長しかいない。マークスはナンシーに頼んでコックピットの機長(ライナス・ローチ)のもとへと相談に行くが、機長もこの話に は及び腰だ。そんなこんなしている間も、まるでマークスをあざ笑うかのように犯人からのメールが届く。すっかり煮詰まったマークスは、ナンシーとジェンに 協力を頼み込んだ。客室内のモニターカメラの映像を見て、誰が携帯メールをいじっているのかを探ろうというのだ。マークスの専用携帯にメッセージが飛び込 むたびに、乗客の誰が手元に視線を移したかをナンシーとジェンに観察してもらう。すると何人かの乗客が同タイミングで視線を動かしている中、何とあのハモ ンドの名前も浮上してくるではないか。そのハモンドがトイレに立ったので、マークスも強引にそのトイレに割り込む。狭いトイレ内で言い争いになる二人。ハ モンドは「どうしてもカネが必要だったんだ!」などと言い始め、怪しさ満点。激しく抵抗し始めるハモンドに、マークスもやむなく実力行使せざるを得なくな る。しかもハモンドは銃をマークスに向けたため、もはや手段を選んではいられない。切羽詰まったマークスは、やむなく羽交い締めにしたハモンドの首をへし 折った。致し方ないとはいえ、愕然とせざるを得ないマークス。そんな瞬間、マークスの時計が20分経過を告げた。「機内の誰かが一人死ぬ」とは、このハモ ンドのことだったのか。ところがショックを受けているマークスの携帯に、またしてもあの人物からのメッセージが届くではないか。「ビル、やっちまった な」…。

みたあと

  飛行機がとにかく好きで、長く飛行機に関わる仕事もしてきた僕としては、こたえられない作品。ちょうど現在進行形で、またしても飛行機に関する本を僕が製 作中なのもタイムリーだ。さて、舞台となる飛行機は何だろうと目を凝らして見ていたが、どうやらエンジン双発の中型機ボーイング767のようだ。なぜこの 飛行機になったのかは分からないが、単純にこの型の飛行機を使えたことから決まった…ということだろうか。ともかく大好きな飛行機に乗った気分で、本作を 隅々まで楽しませてもらった。謎の犯人に脅されながら、飛行中の飛行機内で孤立無援の窮地に陥る主人公。見る前から何となく予想はしていたが、作品の傾向としてはジョディ・フォスター 主演の「フライトプラン」(2005)に近い。つまり、飛んでいる飛行機を一種の「密室」に見立ててのサスペンス映画だ。そんな本作の監督は…と見ると、何とジャウマ・コレット=セラ。すでに「アンノウン」 (2011)でリーアム・ニーソンと顔合わせ済みではないか。そしてこのジャウマ・コレット=セラは、「蝋人形の館」(2005)、「エスター」 (2009)、そして「アンノウン」…と、いずれも異色のホラー映画で知られる「ダーク・キャッスル」レーベルの作品を撮って来た人物。と、いうところで 「ひょっとしたら」…と思って劇場パンフレットを見てみたら、やっぱりそうでした。「ダーク・キャッスル」作品の製作を手がけてきた名プロデューサー、 ジョエル・シルバーが本作も製作しているのだ。「リーサル・ウェポン」シリーズや「マトリックス」シリーズなど数多くの娯楽アクション大作で知られるシル バーが製作しているとなると、本作はアクション映画としても期待できそうな気がしてきた。なお、現在は「ダーク・キャッスル」というレーベル自体が解消し てしまったのか、本作には「ダーク・キャッスル」の名前はどこにも入っていない。念のため。

ここからは映画を見てから!

みどころ

  コレット=セラ監督と主演のリーアム・ニーソンが本作以前に組んだ「アンノウン」は、周囲の人間が「自分」を存在しないと言い出す…という、かなり力技な 設定のお話。それといい勝負なくらい、本作の設定も強引だ。飛んでいる飛行機内の連続殺人…という設定は、列車内の連続殺人などと違ってほとんど逃げ隠れ できない状況だけに、どうやって話をもたせていくんだろう?…と見ているこちらが心配になるほどハードルが高い。ところが映画が始まってすぐに、リーア ム・ニーソン扮する主人公がかなりグダグダな男であることが描かれる。この主人公の危なっかしさが、本作のスパイスとなっているのだ。正直いってアル中気 味という設定のこの主人公、酒の力も借りちゃっているからなのか、いささか捜査のやり方が強引かつ無茶。機内の誰が犯人か分からない状況なのに、「オレが 気を許せてる奴はいい奴!」とばかりにご贔屓女性乗客のジュリアン・ムーアやご贔屓CAを捜査に協力させちゃう。この時点では信用できる何の根拠もないの に、これは少々無茶だろう。おまけに「こいつは怪しい!」と思ったら、確固たる証拠も得られないうちからキレまくり小突き回す始末。デカい図体で機内をわ めきまくって闊歩するもんだから、すっかり乗客たちに嫌われちゃって立場がどんどん悪くなってしまう。実は映画を冷静に見ていると、物語の前半あたりでは 主人公が自分で状況をどんどん悪くしちゃっているのである。ただ、最初からトラウマを持った人物として描かれているので、何とかこの主人公がアホな男とな る一歩手前で回避できている。そして主人公自身が危なっかしい人物として描かれていることで、何とか物語のサスペンスを長い時間もたせていることも出来て いるのだ。このあたり、微妙なさじ加減というべきだろう。それでなくてもデカい図体で最近大いに暴れまくっていたニーソンが、狭い機内で真綿で首が絞まっ てくるようにだんだん自由が利かなくなってくる…というあたりが本作の妙なのである。だから、僕は見ていて大いに楽しんだと白状しなくてはならない。そし て何より見ていてうれしいのは…ジョディ・フォスターの「フライトプラン」とかなり似通った設定の作品にも関わらず、「フライトプラン」が主人公にまった く共感できず最後までイヤ〜な気分になってくるのに対して、本作はちゃんと後味のよい終わり方をするあたりであろうか。例えば最初は厄介な男に見えた ニューヨークの刑事やヘッドフォンの兄ちゃんたちが、最後の頃ではちゃんと主人公に協力したりする。キャラクターを使い捨てにせずにちゃんと活かしている あたり、「リーサル・ウェポン」シリーズはじめ自作で常に愛すべき登場人物を生み出し続けた、ジョエル・シルバーの作品らしい味わいではないだろうか。犯 人の動機が少々無理があって納得できにくい…とか、ヤマ場の飛行機不時着シーンのCGが作り物っぽい…とか、いろいろ言いたいことはあるけれど許してし まったのは、何より本作の後味の良さゆえである。

さいごのひとこ と

 ボーイング767の安全性をアピールする宣伝映画。

 

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