新作映画1000本ノック 2014年9月

Knocking on Movie Heven's Door


こ のページの作品
「パラサイト・クリーチャーズ」  「傭兵奪還」  「テロ、ライブ」  「オール・ユー・ニード・イズ・キル」  「her/世界でひとつの彼女」  「ダイバージェント」

 

「パラサイト・クリーチャーズ」

 Blut Gletscher (Blood Glacier/The Station)

Date:2014 / 09/ 29

みるまえ

  何かサクッと見れる映画はないか…と探していた時に見つけた作品。アルプスの研究施設にいる科学者たちが、真っ赤な氷河を見つけたことから巻き込まれる恐 怖を描く…云々という内容。タイトルが「パラサイト・クリーチャーズ」…とくれば、誰もが「遊星からの物体X」(1982)を思い浮かべざるを得ない。「ホワイトアウト」(2009)、「クリフハンガー」(1993)、「ディアトロフ・インシデント」(2012)…などと寒いところを舞台にしたサスペンス映画は大好きなこともあって、これは何を置いても見なければ…と心に決めた。渋谷の単館で1日1回レイト上映。すぐにも終わりそうな気配だったので、慌てて劇場に駆けつけた次第。

ないよう

   地球の温暖化は各方面に深刻な影響をもたらしており、その結果、生物は変化を余儀なくされている。そして人間も、変化せざるを得なくなりつつある…。こ こはアルプス山脈、標高3500メートルにあるグラツィネス研究所。今日も今日とて自分の小屋の中で酔いつぶれて寝ていたのは、ヒゲもじゃでハゲ上がった ムサ苦しい男ヤネク(ゲルハルト・リーブマン)。彼はこの研究所の管理人として、ずっと山の中に隠りっきり。友は一緒に暮らしている犬のティニーだけ。研 究所には一応リーダー格のハラルド(フェリックス・ルーマー)、神経質そうなファルク(ピーター・クナーク)、パサパサして女としての魅力ゼロのビルテ (ヒーレ・ベゼラー)という3人の科学者もいるが、ヤネクは住む場所も研究所の建物の脇の小屋…と彼らとは一線を画していた。科学者たちもまた、とっつき づらく飲んだくれてばかりのヤネクを少々敬遠気味ではあったが…。今朝は観測小屋にある装置の状態がよくないということで、ヤネクはファルクと愛犬ティ ニーを連れて出かけることになった。その道中、空気の読めないファルクはヤネクに「どうして下界に降りずにずっとここにいるのか?」とか「以前、ここにタ ニアって女の科学者がいたらしいね」とか、聞かなくてもいいことを聞いてくる。当然のことながら、ヤネクは仏頂面でろくすっぽ質問に答えることはなかっ た。さて、問題の観測小屋にたどり着いた二人は、そこで奇妙な光景を目にする。すぐそばにある氷河が、なぜか赤く染まっている。これに興味をそそられた ファルクは氷河の標本を採ったり写真を撮ったり。ヤネクはひたすら黙々と装置の修理に専念。その愛犬ティニーはというと、暇を持て余して氷河の方へブラブ ラ。ところが氷河の奥にある洞窟から、気になる物音と気配がしてくるではないか。洞窟内に入っていったティニーは、そこで瀕死のキツネが横たわっているの を見る。よく見ると、その腹は異常に腫れ上がっているではないか…。ところが、ファルクが崖っぷちで写真を撮るのに夢中になり、足下が崩れ落ちて転落。彼 の悲鳴を聞いて驚いたヤネクは頭を強打したが、何とか小屋を出てみると今度はティニーの鳴き声が聞こえてくる。一体何だ?…と鳴き声がした洞窟に足を踏み 入れてみると、ティニーがグッタリして横たわっているではないか。どうやら腹にケガをしたらしいが、近くにはなぜかキツネの死体がある。一体何が起こった んだ? 幸いにしてファルクのケガも大したことはなかったので、すぐに二人は研究所に戻ることにする。ところがファルクが持ち帰ったサンプルは、ビルテの 研究欲を刺激した。例の氷河の中に、見たこともない微生物が含まれていたのだ。興奮したビルテは「今すぐにでもその氷河に行こう」と大騒ぎだが、もう日も 暮れてきたので男たちは彼女を止めた。それよりヤネクは、ティニーの具合がよくないのが気がかりだ。おまけに頭をあまりに強打したため、ズキズキと痛くて たまらない。そんなヤネクにハラルドは、痛み止めのモルヒネをあげるのだった。これが効果てきめん。それでなくてもアル中状態のヤネクは、研究所を出てす ぐに野外で眠りこけてしまう。やげて寒くて目が覚めたヤネクは、何やら近くで物音を聞いた。気になってゴミ捨て場を覗いてみると、そこには…キツネの頭部 にカブトムシの触覚をくっつけたような、異様な生き物がうごめいているではないか。驚いたヤネクは研究所に飛び込む。しかし、血相を変えて扉を閉め切るヤ ネクは、科学者たちにはアルコールで幻覚を見ているようにしか見えない。おまけに翌日に大臣の視察を控えているとなると、特にハラルドは騒ぎを起こしてほ しくはなかった。さて、そんなこんなで翌日、ビルテの希望で例の観測小屋へと同行するヤネク。ところが氷河の赤い色は、ウソのように失せていた。それで も、氷河のサンプルを採るビルテ。正直言ってそんなものはどうでもいいヤネクは、近くの崖で立ち小便。ところが驚いたことに、ヤネクに足下から襲いかかる 生き物がいるではないか。よくよく見ると、それは特大のダンゴムシのような生き物だった…。このダンゴムシを持って帰り、早速研究を始めるビルテ。彼女は 一同の前で、誇らしげに研究結果を報告した。彼女によればこの巨大ダンゴムシは、やはり例の微生物の産物だというのだ。どうやらこの微生物は、自分が寄生 した生き物と生き物同士のDNAを合体して、新しい生き物を作り出してしまう性質があるらしい。前夜、ヤネクが見たキツネとカブトムシの合体(?)もこの 巨大ダンゴムシも、微生物が寄生したキツネの胃の中に、食ったばかりのカブトムシやダンゴムシが残っていたから発生したものだと言うのだ。その話を聞いた ヤネクは、科学者たちに大臣の視察を中止するよう進言する。しかし彼らは大臣への点数稼ぎのために延期を拒み、同時に研究成果を独り占めしたいがためにこ の事実を伝えることも拒否。結局、ヤネクと科学者たちは対立してしまう。しかもヤネクは、なぜティニーの具合が悪くなっているのか、その理由を知ってし まった。これでは憂鬱にならざるを得ない。さらにまずいことに、ヤネクに思わぬ人物からの連絡が入る。それはかつてこの研究所でヤネクと恋仲になりなが ら、突然この地を去ってしまった訳アリ女のタニア(エディタ・マロヴチッチ)だった。何と彼女は例の大臣の視察に同行することになっていた。そんなタニア の言葉に、動揺を隠せないヤネク。さすがに黙っていられなくなったヤネクは「狂犬病が発生している」と暗に視察の中止を促すが、タニアはまったく動じな かった。麓の山小屋では、女大臣のボディチェク(ブリギッテ・クレン)やボディガードのルカ(ムラサン・ムスルー)、ベテラン山岳ガイドのクラカウアー (ヴォルフガング・パンペル)、カメラマンのアルス(ミヒャエル・フイト)、記者のイレーネ(アディナ・ヴェッテル)らが待機しており、結局、予定通り研 究所めざして登頂することになった。科学者たちは事が公になることを恐れて必死に止めたが、ヤネクは事態の深刻さから、銃を持って一同を援護するため下山 を始めた。しかしその頃、登り始めた大臣一行を数々の異変が待ち受けていた…。

みたあと

  この映画だが、ほとんど情報なしで見に行ったのだが、まず上映直前にチラシでオーストリア映画と聞いてビックリ。「オーストラリア」映画ではなくて「オー ストリア」映画。正直言って、僕もオーストリア映画を見るのは初めてではないだろうか。僕にとって最初のオーストリア映画が、こういうSFホラー・ジャン ルの映画だったのは幸いだった。何しろ、この手のジャンルの映画にはトコトン点が甘くなるので(笑)。それに、オーストリア映画にそもそもSFホラー映画 がある…ということ自体がうれしい。オーストリア最高(笑)! それにしても、どうりで監督もキャストも知らない名前ばかりなわけだ。実際に映画を見てみ ても、ハッキリ言って主演の連中がどいつもこいつも決定的に華がない。女の科学者なんて、パサパサで魅力のかけらもないパセリみたいな女が出てくる (笑)。こんな奴が残酷な殺され方をしても、まったく惜しいともかわいそうとも思えない(笑)。そんなわけで、誰が死んでもおかしくない設定になっている から、怖さも倍増。何だかんだ言って頼りがいのある男カート・ラッセル主演の「物体X」とは訳が違う。そんなこんなで、僕は本当にワクワクしながら見るこ とになったわけだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  発想の原点は、やはり「物体X」(もちろんジョン・カーペンター版)であることは間違いない。「物体X」ほどの予算はないだろうが、ないなりに楽しませて くれる。映画の最初では、ムサいハゲでヒゲの男(ゲルハルト・リーブマン)がどうやら主人公らしいと分かってきて、しかもこいつが非社交的で酔っぱらいで 昔の女のことでウジウジと恨んでいるらしい…という設定なので、ちょっとウンザリし始める。しかし、これほど娯楽映画の主人公として魅力のない男も珍し い。正直、女に捨てられたという設定も、オマエなら当たり前…と言いたくなるほどのヒーロー性のなさだ。こんな奴が主人公…なんて、映画にもお国柄とか出 るんだろうか。ところがそんなウンザリ設定も、ひとたびモンスターやクリーチャーが出てくれば吹っ飛ぶところがSFホラーの良さ(笑)。それぞれチラチラ しか出さないのは「ジョーズ」(1975)的なジラしのテクニックだろうし、実際のところは低予算なので大々的に出せないということもあるのだろう。しか し今回はそれが効いている。そして、やっぱり人里離れた高山の研究所という設定が、この手の映画としては秀逸なのである。科学者たちが目先のことばかり考 えた結果、事態をどんどん悪くしているのもお約束。その中で意外だったのは、視察に訪れる女政治家の設定。大体がこの手の設定が出てくる場合、威張り散ら すか足を引っ張るか、良くてすべての災厄の元凶…というパターンがほとんどなのに、ここに出てくる女政治家はひと味違う。何しろ化け物にドリルで応戦した り、ケガ人の女の子の足に我流で手術しちゃう女傑ぶり。他の奴らがてんで使えない中で、かなり役に立っているのである。かの国では女政治家は高く評価され ているのだろうか? バナナを食べながら大泣きしている女ジャーナリストに対して、この女政治家が「泣くのか食べるのかどっちかにしなさい!」とゲキを飛 ばすくだりは、本作でも最高の場面で劇場内も大いに爆笑。とにかくお約束ジャンルではあるが、あの手この手で楽しませてくれる点は積極的に評価したい。 マーヴィン・クレンという監督さんは「ベルリン・オブ・ザ・デッド」(2010)というゾンビ映画に続く第2作ということだが、なかなか頑張っているので ある。

こうすれば

  やはり残念といえば、主人公の風采がパッとしないことはともかくとして、女のことでウジウジしすぎていることだろうか。こいつが非社交的かつ酔っぱらいで いることが、事態をさらに悪くしている気がする。しかもエンディングもこいつ絡みで「???」な結末になっていくから、何をかいわんや。あれだけ問題の微 生物の働きで生み出された新生物がどれもこれも凶暴だと分かっているはずなのに、「そういうことをするのか?」と疑問を感じるエンディング。それとも、あ れは「あの人物」もすでに微生物に侵されている…ということなのだろうか? よく見ると目がヘンな感じだったし、そういうことなんだろうかねぇ。それにし たって、もっとエンディングがストレートに共感できるものか、あるいは絶望的になれるものなら、見ているこっちだって納得できるのだが。そこに、男女の未 練だとか変な感情を絡ませるからスッキリしない結末になってしまっている。主人公の男もこの映画自体も、変な女に関わって情に溺れたのがマズかった。SF 映画なんだから、変な男女の情みたいなモノはからませて欲しくなかったねぇ。ただ、何だかんだ言ってここまで楽しませてくれた力は認めてあげたいのだ。

さいごのひとこ と

 謎の微生物より身勝手女の方がタチが悪い。

 
 

「傭兵奪還」

 The Outsider

Date:2014 / 09/ 29

みるまえ

  六本木で細々と公開されていたこの作品のことは、ネットで映画の上映時間などを調べている時に知った。タイトルからして地味。どう考えてもビデオスルー寸 前で何とか1〜2週間だけ単館公開…ってな感じだろう。僕もチラリとこの作品の情報を見ただけなら、まったく関心を寄せなかった。しかし見てしまったの だ…キャストの3〜4番目に「ジェームズ・カーン」の名前を。最近でこそあまり活躍が見られなくなってしまったが、ジェームズ・カーンといえば僕の大のご ひいき俳優の一人。アクションもドラマもコメディもいけるいい俳優なのに、彼の資質を活かす作品にあまり恵まれないのが残念。しかも近年では、作品そのも のが少なくなってしまった。この映画はどう見てもショボいB級映画だとは思うが、ここはカーンに免じて見てみるか。そう思って、六本木の映画館に駆けつけ た次第。

ないよう

 ロサンゼルスの夜。そこにはさまざまな誘惑や悪が うごめいている。その夜も、怪しげなクルマが橋のたもとにやってくる。降りてきた二人の男は、クルマのトランクを開ける。…すると、トランクから飛び出し た若い女が大暴れ。男二人がひるんだ隙に、彼女は全力疾走で走り去ってしまう。しかし男二人に追われた彼女は、結局捕らえられてクスリを注射される。そし て、彼女は川に投げ捨てられるのだった…。翌朝、通報で川岸にやって来たのは、クレイン刑事(ジェイソン・パトリック)と相棒のケネディ刑事(ティム・ フィールズ)。川岸に打ち上げられた遺体を調べにやって来たのだ。遺体の身元は持っていたIDなどからサマンサ・ウォーカーというイギリス人の女と分かる が、こんな事件などLAではごくありふれたものでしかなかった…。その頃、とある砂漠地帯で任務のために待機していた傭兵のレックス・ウォーカー(クレイ グ・フェアブラス)は、上官より娘サマンサの遺体発見の報を聞く。すぐにもロスに行こうとするレックスだったが、上官は任務をタテに彼の離脱を許さない。 それでも、思い込んだらこの男を止められる者はいない。「オマエに高いギャラを払った」とわめく上官に「知るか!」と吐き捨てるように告げると、訓練所を 後にするレックスだった。イギリスに一時帰国してガランとした自宅に立ち寄ったレックスは、有り金をすべて持って単身ロスへ。まずは警察の霊安室に安置さ れている遺体を引き取りに行ったが、その遺体は娘のものではなかった。では、娘はどこにいるのか? 娘サマンサのアパートへと行ってみるが、案の定、メ チャクチャに荒らされた後だった。レックスは事前に調べたサマンサの通話記録をその場でチェック。「これは」と思った電話番号に次々連絡してみた。かかっ たのは「モースト・インダストリー」という会社だ。当てずっぽうでサマンサの名前を出してみると、どうやら図星で最近までここで働いていたらしい。早速 レックスは、この会社に出向いてみた。受付をすり抜けて、チャッカリと社長室へ。いきなり社長のシュースター(ジェームズ・カーン)に直訴だ。「娘を無事 に連れて帰りたいだけだ。知っていることがあれば教えてくれ」…。しかしシュースターは丁重に応対しながらも、彼女のことは知らないと答えるのみ。しかし シュースターは、見た事もないサマンサのことをブロンドであると口をすべらせていた。あっという間に社外につまみ出されたレックスだが、「もう一度話を聞 きたい」と戻ろうとすると、屈強な男たちが出て来て応戦。レックスはアッという間に彼らを叩きのめしてしまうが、やって来た警備員に捕らえられてしまう。 こうして警察署へと連行されたレックスを取り調べたのは、たまたまあのクレイン刑事とケネディ刑事だった。レックスの話を聞いた彼らは、たまたま姿を消す ちょっと前に「ロス・カボス」という店の前で飲酒運転で捕まったサマンサの写真を見て、遺体とは別人であることを知る。そんなこんなでレックスは早々に釈 放されることになったが、彼もまた「ロス・カボス」の場所をつかんでいた。早速、店に乗り込んだレックスは、バーテンに娘のことを聞いてみる。あっさり無 反応であしらわれたレックスは、次の瞬間バーテンの首根っこを押さえ付けた。さらに店の奥から出て来た怖いお兄さんたちも、次々とブチのめすレックス。彼 は店にいる客たちに、デカい声を張り上げて協力を募った。「娘について何か情報があるには、この1万ドルをやる!」…そんなセリフを吐き捨てて店の外に出 ると、マルゴ(シャノン・エリザベス)という女が飛び出して来て、レックスを呼び止めた。「私がその子のことを知っているわ!」…。

みたあと

  ここまでストーリーを書いてきて、正直不毛だと思ったのでやめてしまった(笑)。読んでもらえればお分かりのように、ズバリ、テレビ東京の深夜あたりで やっていそうなB級アクション映画丸出しの作品。まずレビューなど書いたり読んだりするのも無駄な、風呂上がりにビールでも飲みながら、テレビかビデオで サクッと見てサクッ楽しんでサクッと忘れちゃうような作品だ。だからネチネチと評価について書いたりするのは野暮の骨頂なんである(笑)。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
  でも、そう言っちゃうと話がそこで終わってしまう(笑)ので、もう少し続ける。このタイトル分かりにくいが、「傭兵を奪還」する映画じゃなくて「傭兵が奪 還」する映画。戦争するしか能がないような父親が、外国(ここではアメリカ)で難に遭った娘を助けるために単身大暴れするお話。すぐにお分かりの通り、 リーアム・ニーソン主演の「96時間」 (2008)と同系統の作品である。しかし主役が雲泥の差。こちらの傭兵役クレイグ・フェアブラスは、「無骨な男」なんて言葉が上品に感じられるほど、教 養や品格などなくただ腕力だけ…みたいなオヤジ。そんなヤツが単身ロサンゼルスに乗り込んでくるんだが、推理とか作戦とかそんなのまったくナシで、とにか く行き当たりばったりに暴れ回る。あとは「1万ドルやるから教えろ!」というカネで釣るやり方のみ。キャラクター的には「戦いのプロ」「娘との対話も不器 用で下手そう」という点で先の「96時間」のニーソンと一脈通じる感じだし、見た目からいえばスティーブン・セガールにもちょっと似てなくもない。しか し、この男は頭の悪さで際立っている。そして二言目には「カネをやる!」…って下品が服を着たような男。当然あまり感情移入はできないし、活躍を素直に応 援できなくなる。ここまで頭悪くなりたくない…って思っちゃう。しかもこいつがロスに来たことが、あまり娘のためにもなっていないらしい点がスゴい。おま けに娘は娘で逃走資金とはいえ、悪党のカネをネコババすることに必死。こんな奴らにやっつけられて、ジェームズ・カーンがかわいそうになってしまう。そう そう、ジェームズ・カーンもジェイソン・パトリックも、この映画では見事に脇役なのが寂しい。ジェームズ・カーンはそれでも悪役なりの貫禄みたいなものが 出せてるからいいようなものの、ジェイソン・パトリックは本当に何のために出たのか分からない。一時期は「スリーパーズ」(1996)、「スピード2」 (1997)などとA級大作の主役も張ったのに、何が悲しくてこんなB級作の助演。しかも頭の悪そうなマッチョオヤジの脇を固めるハメになるとは、気の毒 すぎて何も言えない。役どころ的にもパッとしないし見た目も貧相な役柄で、見ていて本当に哀れになってしまった。監督のブライアン・A・ミラーはただただ 馬鹿力の演出で、特に見るべきところはない。この監督の前作「ライジング・サン/裏切りの代償」(2011)では例のクレイグ・フェアブラスが脇役を勤め ていて、それで惚れ込んで主役をやらせてみたのだろうか。まぁ、頭の悪そうなスティーブン・セガールのバッタもんが暴れる映画(笑)…って程度の作品でし かない。

みどころ

 正直言って、本作を見た理由はジェームズ・カーンの出演だけで、見終わった今もそれ以外の価値を見出していない。カーンといえば「ゴッドファーザー」(1972)のソニー役にも見られるキレやすさが「売り」。「第2章」(1979)みたいなロマンティックな役もいいのだが、それも見ていていつキレるのかハラハラしてしまう。後年はそれをうまく活かして、「真夜中のアウトロー/ザ・クラッカー」 (1981)とか「ミザリー」(1990)みたいに我慢して我慢してキレる…という方向で楽しませてくれた(笑)。今回も社長室の中なのに手下にキレてボ コボコにしたあげく殺してしまうという短気ぶりで、十八番のキレ芸は健在。絨毯とか汚れちゃってどうするのか…と、思わずつまんないことを気にしてしまう ほど突然のキレっぷりにうれしくなった。おまけにラストはジェイソン・パトリックの弾丸を全身に浴びて蜂の巣という、これまた「ゴッドファーザー」以来の 死にっぷり。いや〜、最高だよジェームズ・カーン(笑)。純粋な悪役を見るのはシュワルツェネッガーの「イレイザー」(1996)以来かもしれないが、こ んな安っぽい映画に出ても手を抜かない仕事ぶりに、すっかり感動した。

さいごのひとこ と

 あカーンに主役をサシでボコボコにしてほしかった。

 
 

「テロ、ライブ」

 The Terror Live

Date:2014 / 09/ 29

みるまえ

  かつては見る映画見る映画それぞれ見どころがあって、毎度感心させられていた韓国映画だったが、期待はずれの度合いが多くなってきたのはいつの頃からだろ うか。ともかく近頃では見る映画見る映画ザンネンな出来。確かに昔よりは洗練もされているだろうし、カネもかかっているしCGや特撮も上手にはなった。だ けど、基本的に映画としての面白さをはき違えてる作品が多い。映画を国単位で云々するのはバカげていると言いたいところなのだが、なぜか韓国映画は一気に 盛り上がったかと思えば、一様に共通する欠陥を露呈して駄目になっていった。そんなわけで、僕は近年の韓国映画をまったく信用できなくなったのだ。ところ が…なぜか最近、映画館でかかっていた1本の韓国映画の予告編が妙に気になっていた。「テロ、ライブ」…素っ気ないタイトルだが、何だかとても気になる。 社会批判、マスコミ批判的な要素を持ったサスペンス映画…なんて掃いて捨てるほどありそうだが、なぜかこの作品には妙に惹かれた。そうは言ってもなかなか 時間を作れず、公開後も劇場に足を運べない。結局、公開からかなり経ってから、かなり細々と上映されているところを何とか押さえて見に行ったような状況 だ。

ないよう

 ここはソ ウルの放送局SNCの高層ビル。その中のラジオ・スタジオでは、ユル〜い感じのトーク番組が展開されていた。マイクの前のパーソナリティはユン・ヨンファ (ハ・ジョンウ)。聴取者に見えないのをいいことに、冴えないセーターにサングラス、無精髭をチラチラさせての出演だ。今回は税制への不満をリスナーから の電話でブチまけてもらおうという趣向。ところが、たまたま取り上げた兄ちゃんからの電話は、税制そっちのけで電気代について文句を垂れ流し。すかさず 「ありがとうございました〜」と電話をブッチ切って次の話題に移ろうとするヨンファ。ところが先ほどの電話は切れてなくて、放送に割り込んでくる。仕方な くCMブレイクにするヨンファだが、電話の相手はまったく引き下がらない。スタッフに文句を言っても、相手が切らなければ電話は切れないらしい。おまけに 相手が「これから漢江の爆破する」などと言い始めたから、ヨンファもキレた。「お〜、上等じゃねえか、デカい口叩きやがって。やれるもんならやってみろ。 さぁ、早くやれや!」…もちろん「どうせブラフだろう」とタカをくくっての暴言である。やがてCMが終わって、ヨンファはもうこいつを無視しようと決めて かかっていると…。ド〜ン!と大音響と振動がビルに襲いかかる。スタッフたちがみんな慌てて窓の外を覗いているのを見て、ヨンファも慌てて窓から外を見る と…何とSNCビルの前にある大きな橋が爆破され、途中から分断されているではないか。さすがに呆然としたヨンファが電話の男に声をかけると、男は「ま た、後でな」と言い残して電話を切った。ヨンファは早速通報するため警察に電話を入れるが、途中でなぜか電話を切ってしまう。そして、調整室にいる番組プ ロデューサーやスタッフたちにも、通報するなと呼びかけて止めた。ヨンファには、これがとんでもないスクープだと分かったのだ。しかも、独占スクープだ。 そうと決まれば、ヨンファはまったく躊躇しなかった。ラジオのスタジオから飛び出し、まずは携帯でSNCの会長に電話。しかし、会長はヨンファを相手にし なかった。ついで、ヨンファは報道局長に電話。事の次第を報告しながら、この犯人とのやりとりをテレビ中継すること、成功すればテレビのキャスターに復帰 させること…を承諾させる。そもそもヨンファは、つい最近までテレビの人気キャスターだった。それがある出来事から失脚し、ラジオのパーソナリティーとし てくすぶっていたのだ。これと前後して、妻との仲もうまくいかなくなった。ヨンファは携帯で別居中の妻に電話。「これで一山当ててキャスターに戻れる、そ したらまたヨリを戻して…」ってな調子のいいことを捲し立てた。そうしている間も休みなく動き回るヨンファは、電気カミソリでヒゲを剃り整髪料をつけて髪 を整え、冴えないセーターを脱いでネクタイを締めて、テレビのキャスターにふさわしい格好を整えた。スタジオに戻ってくると、ラジオ番組を続行。橋の爆破 犯人から接触があった…と打ち上げる。すると、早速例の男から電話がかかってくるではないか。ちょうどいいタイミングでテレビカメラが運び込まれ、ライト もセッティングされる。ヨンファの耳にはイヤホンがつけられ、ラジオスタジオはあっという間に即席のテレビスタジオへと早変わり。すでに用なしとなったラ ジオ番組のプロデューサーは、その場を追い出されてしまう。しかし、ここはチャンスの掴みどころだ、彼らには踏み台になってもらう。得意満面のヨンファの もとには例の報道局長チャ・デウン(イ・ギョンヨン)が直々にお出ましで、「ガッツリ視聴率を取れ」とゲキを飛ばした。それに対してヨンファも自信満々。 何とか説得して自首まで持っていくとご機嫌だ。そこにかかってきた犯人からの電話。ヨンファは本番前の気楽さもあって、犯人に余裕の対応。ところが犯人 は、いきなり出演料を要求した。男が要求してきたのは21億ウォン以上という巨額で、しかも妙にハンパで具体的な数字。さすがに大きな金額だし犯人にカネ を払うというのもどうか…と躊躇するヨンファだが、「ならば別の局へ行くまで」と犯人は強気。現に他の放送局の画面を見ると、キャスターが「犯人が接触し て来た」と伝えているではないか。ヨンファが半信半疑で口座番号を書き取らされているうちに、報道局長デウンは即決でカネを入金してしまう。こうして否も 応もなく、テロのライブ放送は始まってしまった。犯人は自分の正体を、20年来建設現場で働いて来たパク・ノギュであると語り始める。先ほど爆破した橋 も、元々自分が作ったものだという。その橋の改修工事の際も駆り出されたが、運悪く同僚3人が事故で川に転落。ところがたまたま国際会議が開催されていた ため、彼らの救助は後回しにされて死んでしまった。そして死んだ彼らに詫びのひとつもない…。「オレの要求は、大統領がそこに来て謝罪することだ!」…さ すがにこれは無理だろうと、ヨンファは必死に犯人を説得するが聞く耳を持たない。しかし大統領の謝罪となると、報道局長のデウンも徹底拒絶の姿勢だ。これ にキレた犯人は、自分とのカネの取引の録音やらヨンファが浴びせた罵声の録音を再生。これはマズいと、局ではカメラを別のスタジオに切り替えた。そこで今 度は女性キャスターが犯人とやりとりすることになったのだが、犯人はますますキレて「爆弾はまだある!」と叫んだ。次の瞬間、女キャスターの頭上でいきな り爆発! これにはヨンファも頭に来て、受話器をとって犯人とサシでやり合う。「テレビを敵に回しても何もいいことはないぞ」…と凄んだつもりのヨンファ だが、犯人は余裕で返して来た。「あんたは彼女みたいな訳にはいかない。もう爆弾を身につけているからね」…なんとヨンファがいつの間にか耳に装着された イヤホンに、爆薬が仕掛けられているというのだ。おまけにセンサーが仕込まれているらしく、ヨンファがキャスター席から離れたとたん爆発する仕組みらし い。今さらながら、自分が陥ってしまった状況を思い知らされたヨンファ。ところが次の瞬間、さらに彼の精神状態を追いつめるような事態が目の前で起きるで はないか。先ほど爆破された橋に再び爆発が起きて、橋が2カ所にわたって分断。完全に孤立した橋の断片に、多くの人々が取り残される事態となってしまった のだ。そしてそこには、ヨンファの妻イ・ジス(キム・ソジン)も取り残されていたのだ…。

みたあと

 ワクワクしながら見に行ってガッカリ…ごく少数の例外を別にして、ここ数年の韓国映画にはそんな苦い思いしかしていなかったが、この作品は違った! 上映時間は1時間半をちょっと超えるくらい。ギュッと締まったコンパクトさ。「チェイサー」(2008)の犯人役で頭角を現したハ・ジョンウが、全編をひとりで支えきる熱演ぶり。一言でいってしまうと、シドニー・ルメットの「ネットワーク」(1976)みたいな題材を、コリン・ファレル主演の「フォーン・ブース」(2002)みたいな切り口・語り口で作った映画…と言えばお分かりいただけるだろうか。実は本作を評するには、これだけで十分なのかもしれないのだが(笑)。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  それでもいろいろゴチャゴチャ言わせていただくと…本作は先に挙げた「フォーン・ブース」に非常によく似た構成を持っている。主人公は腐敗してかなりな俗 物だ。一種の「虚栄」の世界に生きている。ところが、あるちょっとした事柄から事件に巻き込まれ、本人がそれとは気付かないうちに「ある場所」に釘付けに されてしまう。そして、自分や妻といった人々の命を賭けて、犯人とやりとりしなくてはならなくなってしまう…。「フォーン・ブース」を見た時には「たった あれだけの話」でこれほど映画は面白くなるんだ…と感心させられたが、それは今回の作品にも言いたくなった。さすがに「フォーン・ブース」よりはもう ちょっと手が込んでいるし集中度もやや欠けるけれど、それでもドラマのコンセプトは揺るぎない。映画が始まってからずっとほぼ上映時間イコール劇中の経過 時間…という緊迫感がスゴいが、この映画も基本的にほとんどセット一個で進行する密室劇なのである。密室劇なのに閉ざされた感じがしない理由のひとつは、 スタジオ内に置かれたモニター画面を効果的に活用しているから。これは例えばブライアン・デパーマが「スネーク・アイズ」 (1998)で、モニター映像を活用してスプリット・スクリーン技法の代用にしているのに似ているかもしれない。限られた状況をあえて作って、それによっ てむしろスケール感あふれる映画を作り出しているのが見事なのだ。この作品が長編第1作というキム・ビョンウ監督はかなりの映画巧者ではないだろうか。ま た、登場人物はほとんどみんなと言っていいほど損得勘定ばかりの奴や傲慢な連中ばかりで、主人公自身も悪徳に身を浸して来たような男となっている。そのあ たりの設定を見ると「サブウェイ123/激突」 (2009)が発想の原点にあった(主人公が少々黒い過去を持っているあたり)と思われるが、何よりつい最近に韓国で起きたフェリーの沈没事故の「関係者 ほとんどが悪党かいいかげんな奴」という状況を彷彿とさせて愕然とさせられる。当然のことながら、昨年公開の映画はあのフェリー事故とはまったく関係ない が、それだけあの国の現実をリアルに表現しているのかもしれない。そして、かなりズケズケとキツい社会風刺をやってのけているのにも驚いた。これと同じこ とを邦画で出来るのか…と考えれば、その大胆さが分かると思う。犯人が終盤に語る「たった一言謝罪することが、どうして出来ないのか」…というセリフは、 なかなかに痛烈なのだ。

こうすれば

 先にも述べたように「たった一言謝罪することが、どうして出来ないのか」…というセリフは破壊力満点。極限状況をくぐり抜けた末に主人公の心理が180 度変わるという展開も、定石ではあるが説得力がある。しかし問題なのは、主人公が自らの罪状をさらしていないこと。犯人にチラチラ暴露されたり、情報リー クされてライバル局のキャスターに追求されたりしているけれども、公には最後までトボケたまま。自分の口からは潔く白状していない。妻に対しても、最後の 最後までちゃんと謝罪はしていない。このへんが、どうも「風呂敷の結び目を最後までキチッと結んでいない」みたいでスッキリしない。「たった一言謝罪する ことが、どうして出来ないのか」…というセリフがキモとして入っている以上、主人公がちゃんと謝罪していないのはどこか片手落ちな気がする。それと、これ を言っちゃうと語弊があるのだが…ひょっとするとこの国の人って、あまり「謝罪」ができないんじゃないだろうか? できないからこそ、「謝罪」がこれだけ 大事になってしまうんじゃないのか。本作を見ていて何となくそういう気がしてきて、正直ドンヨリした気分になってしまった。

さいごのひとこ と

 主人公が古館伊知郎に似ていて苦笑。

 
 

「オール・ユー・ニード・イズ・キル」

 Edge of Tomorrow

Date:2014 / 09/ 08

みるまえ

  トム・クルーズ主演のSFアクション大作は日本の小説を映画化したもの…ということで、かなり前から話題になっていたこの作品。まぁ、正直言って日本の小 説が原作だろうと何だろうと、こちとらカネが儲かるわけでもないのでどうでもいい(笑)。トム・クルーズがやたら武装してにぎにぎしいバトルスーツみたい なのに身を包んでいるあたりが、「日本っぽい」っちゃあぽいが、それが原作からとってきたものであるかどうかは分からない。お話は「死んでも死んでも蘇っ て同じ最後の何日間かを繰り返し体験する話」ってすでに聞いているので、映画を見る時点では何ら意外性もない。この「最後を何度も繰り返す」ってあたり が、原作から抽出された要素なのだろう。それを「輪廻」みたいな東洋的発想と見るのか、「ゲーム」の何度も終わった後でリプレイする感覚と見るか、いずれ にせよそのあたりが「日本っぽい」とかいうのが世評の落としどころなんだろうな…と感じながら、何となくシラけちゃった観があってなかなか映画館に足を運 べなかった。結果、実際に見に行ったのは公開からかなり経ってから。感想文はさらに遅くなるというわけで、そのあたりはまことに面目ない。

ないよう

  その侵略者たちは、「ギタイ」と呼ばれた。最初にドイツを襲撃し、瞬く間にヨーロッパを制圧。人類は絶滅の恐怖にさらされた。しかし人類の同盟軍はハイテ ク機動スーツを開発して反撃。何とかフランスのヴェルダンで大勝利を収め、敵の侵略にくさびを打った。この戦いで数百体の敵を殺したリタ・ヴラタスキー軍 曹は「時の人」となり、英雄として大いに宣伝されることになる。テレビのニュースでも、地球連合軍のスポークスマンである米軍メディア担当将校ウィリア ム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)がリタを褒め称えて、大いに戦意高揚していた。そんなある日のこと、ケイジは移動中のヘリコプターの中で目を覚ます。ヘ リはロンドンのトラファルガー広場に着陸。その足で総司令官のブリガム将軍(ブレンダン・グリーソン)のもとへと出頭する。ところが余裕綽々でやってきた ケイジに対し、ブリガム将軍は予想外の命令を下してきた。実は、例の勝利の勢いに乗って、人類の反撃ののろしとしての「殲滅作戦」が計画されていた。そこ でフランスの海岸で展開されるその作戦の戦場にケイジ自ら乗り込み、最前線から戦況を報道しろというのだ。これにはケイジも驚いた。なぜならケイジは戦前 は一介の広告屋でしかなく、戦争で失業したので仕方なくこの職に就いた男。従って「将校」といっても戦闘スキルはまったくない。焦ったケイジはあらゆる言 辞を弄してこの命令を覆そうと試み、しまいにはブリガム将軍を脅そうとまでする。これにおとなしく引き下がると見せたブリガム将軍だが、世の中そんなに甘 くなかった。ケイジが部屋を出たとたんブリガム将軍の「逮捕しろ!」という声が飛び、ケイジはスタンガンで意識を失わされるのだった…。気付くと、ケイジ は路上に放り出されていた。ここはヒースロー空港だが、現在は軍事基地として使用されている。軍曹が目覚めたケイジを見下ろし、まるで新兵のようにどやし つける。何が起こったのか把握できていないケイジは、まだ無駄な抵抗を続けていた。そこにやってきたのが、ファレル曹長(ビル・パクストン)。ファレルは ケイジを丁重に扱うので、ケイジは「ようやく話の分かる奴が来た」と思って「私は将校である」とばかりに振る舞う。ファレルはそんなケイジの話に耳を傾け ているように振る舞っていたが、兵舎内に入るや否や、ケイジは現実を気付かされた。ケイジは脱走を図ったため一兵卒に降格させられており、すぐに最前線に 行くことになっていたのだ。連れて行かれたのは「J分隊」の部屋。部屋には十分に訓練された荒くれ者の兵士たちがタムロしており、どう見ても場慣れしてい ないケイジは浮きまくり。明日の戦闘に備えて機動スーツを装着させられるが、スーツに備え付けられた機銃の安全装置のはずし方すら知らない。焦ってはずし 方を尋ねるケイジだが、周囲の兵士たちは笑っているだけで答えてくれない。こうして機動スーツに身を固めたケイジや兵士たちは、輸送機で目的地であるフラ ンスの海岸へと送られる。ところが目的地上空あたりでなぜか輸送機が攻撃を受け、慌ててケイジたちは地上へと降下。そこは地獄の戦場だった。奇襲作戦だっ たはずなのに、「ギタイ」たちは人類を待ち伏せしていた。そこにまんまとハメられたかたちで、人類軍は激しい攻撃にさらされていたのだ。勇敢そうだった 「J分隊」の兵士たちも次々と倒れていく。ケイジは戦場で何とか生きてはいたものの、何せ相変わらず機銃の安全装置すらはずせないから逃げ回るのみ。そん なケイジの前に、彼の見知った顔が現れる。それは例のヴェルダンの勇者リタ・ヴラタスキー軍曹(エミリー・ブラント)だった。しかし、その歴戦の勇者も あっけなく命を落としてしまう。巨大な青い「ギタイ」が迫ってきて、くぼみで動けなくなっていたケイジもいよいよ年貢の納め時だ。もはやこれまで…と思っ た時、対人地雷がケイジの目に入る。捨て身の作戦で地雷を爆破させ、青い「ギタイ」は吹っ飛んだ。しかし、ケイジも致命的な深手を負ったのは言うまでもな い。木っ端みじんになった「ギタイ」の青い血肉を浴びながら、ケイジは意識を失っていくのだった…。気がつくと、ケイジは前日のヒースローにいた。傍らに は例の軍曹がいて、あの時のようにケイジを罵倒する。あの時と同じようにファレル曹長が現れ、あの時と同じような話をするではないか。だが、ケイジは前日 とは違う。このまま行けば作戦は失敗で、人類軍は全滅すると知っているのだ。しかしファレルがそんな話を聞くわけもない。こうして連れて行かれた「J分 隊」の部屋でも、前日とまったく同じ光景が展開。またしてもケイジは戦場の海岸へと連れて行かれるのだが…。

みたあと

  正直言って「オール・ユー・ニード・イズ・キル」って題名は、ちょっといただけないなとは思っていた。どう考えてもビートルズの「愛こそはすべて」の現題 名からの借用。いかにも英語があまり得意でない日本人が、無理矢理作った英語題名みたいで恥ずかしいシロモノではないか。だから本作の現題名がまったく違 うものだと知って、実際のところホッとした。このタイトルそのままじゃ、やっぱり使えないだろうねぇ。肝心の「何度も何度も同じ日を繰り返し体験する」… というお話も確かになかなか面白い発想だとは思うが、実はSFやファンタジー・ジャンルの作品ではこういうネタは他にも何度かお目にかかったような気がす る。だから、それ自体は卓抜した発想だとは思わなかったが、そんな現象が起きるようになった理由をこの作品でどう説明しているかが気になった。なるほど… 正直言っていろいろ矛盾は生じるし、分かったような分からない話ではあるが、「何度も何度も時間が巻き戻って本人が生き返る」という仕組みは一応説明でき ている。それに、実はこの「時間巻き戻し」のメカニズムは、この映画が本当に描きたいことではないのだ。むしろ「本当に描きたいこと」のためにこのメカニ ズムを利用したと言った方がいい。それは、主演者であるトム・クルーズの俳優イメージに関わる問題なのだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  トム・クルーズという人のフィルモグラフィーを見てみると、そのキャリアの多くの部分で彼は「同じ役柄」ばかりを演じてきている。それは、「才能や能力に 恵まれているが、それにあぐらをかいて調子こいてる若者」であり、「生まれて初めての挫折を味わうことで人間的成長を遂げる」というもの。出世作「トップ ガン」(1986)から「アイズ・ワイド・シャット」 (1999)あたりまでの彼のキャラクターは、大なり小なりこのパターンの延長線上にあった。つまり「青二才」の役柄だ。これはクルーズが若いうちは有効 だったし、彼は身長が低く小柄だったから他の俳優よりも長く「若者」の役柄を演じることができた。しかし年齢が上がってくるとともに彼のスターとしての存 在感が絶大なものになってくると、さすがにいつまでも「青二才」の役をやるには無理が生じてきた。こうしてクルーズの役柄にブレと迷いが生じるようになっ て、彼の低迷期が始まった。激しい挫折でボロボロになったところから始まる「マイノリティ・リポート」(2002)や「ラストサムライ」(2003)はそれまでのイメージの変形版、歳を重ねて経験豊富になりながら性格が歪んで怪物となった「コラテラル」(2004)、若い頃はいいカッコしてたんだろうが年齢とともに冴えなくなった男を演じた「宇宙戦争」 (2005)…とトム・クルーズは試行錯誤を重ねるが、なかなかかつての安定感は取り戻せない。かつて唯一「青二才」を演じずに成功作となった「ミッショ ン・インポッシブル」(1996)をシリーズ化することで何とか延命効果を得ていたものの、イーサン・ハント役はアクロバティックでマンガチックな側面を 肉体化させただけで「キャラクター」とは言えない。自分のスーパースター性をからかったり徹底的に誇張して開き直った「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」(2008)、「ナイト&デイ」(2010)、「アウトロー」 (2012)のような捨て身の作戦に出てもみたが、これが本当の打開策になるわけもない。悪くはないが単発的な面白さにとどまる感じで、正直言ってトム・ クルーズはこれからどうしていいか困っていたんじゃないだろうか。そういう意味では、今回の作品は今後のトム・クルーズの試金石になるような気がする。い い歳こいた年齢までテキトーに生きてきて、調子こいていた男。それがある重大な経験を通して人間的に成長を遂げる。もはや「青二才」ではいけない歳だか ら、以前のようなパターンではうまくいかない。調子のこき方もある程度の年齢になっちゃった男だから、今まで以上にみっともなくダメにならなきゃいけな い。これがなかなかクルーズには出来なかったのだろうか。さらにはいい歳になった段階でそこまでダメになっちゃった男を「更生」させるのは、生半可なこと じゃ出来ない。モチベーションにもデカいものが必要になるだけでなく、実際に立ち直るための努力も絶大なものにならねばならない。いい歳になるまでこじら せちゃった奴はなかなか反省しないし、仮に反省しても直すのは至難の業だ。それには生きるか死ぬかみたいな重大さが必要だし、何度も生き返り生き直す…く らいの時間と体験のチャンスが必要なのではないか。そこまで考えていくと、本作の設定がいかに秀逸なモノかが分かる。「時間巻き戻し」「生き返り」のメカ ニズムが「どのようにして」起きるのかは問題じゃない。理由はどうでもいい。ともかくそのくらいの重大さと時間とチャンスがなければ、いい歳こいてダメに なっている男をとてもじゃないが「更生」させられないだろう…ってことなのだ(笑)。いやぁ、さすがにトム・クルーズ、これは考え抜いたねぇ。おそらくは 本作のヒントを「オブリビオン」 (2013)のエンディングから得ていたのではないかと想像するが、これは大した発想だ。正直言って感心してしまった。と、同時に、これからのトム・ク ルーズ映画にも大いに期待ができると感じた。今までもセルフ・プロデュースに長けていたトム・クルーズ、さすがの復活である。

こうすれば

 実は本作そのものについては、なかなか面白いながらもエンディングにはちょっと不満がある。脚本にはほのかにシャレっけが含まれているはずなのだが、「ボーン・アイデンティティー」(2002)のダグ・リーマン監督にはそれが理解できてなかったんじゃないかと思える。どうも、あのエンディングは演出ミスな気がするのだ。そこが唯一残念なところだ。

さいごのひとこ と

 七転び八起き。

 
 

「her/世界でひとつの彼女」

 her

Date:2014 / 09/ 08

みるまえ

 スパイク・ジョーンズといえば「マルコヴィッチの穴」(1999)以来、次々と異色作を放ってきた人。その初登場の「マルコヴィッチ」こそよく分からなかったものの、次の「アダプテーション」(2002)には大いに共感した覚えがある。そして前作の「かいじゅうたちのいるところ」 (2009)では、大人の中にも存在する「子供性」が分かりやすく描かれていて、思わず目を見張らされた。恥ずかしながらイイ歳こいても大人げない僕に とっては、人ごとじゃない部分もある作品だったのだ。そんなスパイク・ジョーンズの新作が、コンピュータのOSと恋をする話…と聞いて、いかにも「らし い」話だと感心してしまった。いつもこの人の着想は非凡なんだよねぇ。しかし、仕事やら何だかんだで時間がとれない上に、何となくタイミングが合わないた めに公開後もなかなか見れなかった。見れたのは公開終了ギリギリのところで、しかも感想文は例によってベタ遅れというアリサマ。まったく申し訳ない。

ないよう

 出会いの頃を回想しながら、いまでも夫のことを 想っている…と告げる高齢の女性からのラブレター。しかし、それを綴っているのはコンピュータ・ソフト。高齢の女性とは似ても似つかないセオドアという男 (ホアキン・フェニックス)が口述している内容を、スラスラとディスプレイ上に手書き風のフォントで記述していく。ここ「お手紙ドットコム」社は、デジタ ル時代の「代書屋」。数多くの口述手紙ライターが在籍して、それぞれバラエティに富んだ要求に応えた「手紙」を作成している。セオドアは上司も認める代書 の名手だ。一日の仕事を終えたセオドアは、ミニヘッドセット風を耳に装着しながら、小さい端末を携帯して街を歩く。声でコンピュータに命じて好みの音楽を 奏でさせ、着信しているメールを音声で聞かせてもらい、最新ニュースもどんどん検索…。街を歩く人々は、みんな周囲を見回したり人と話したりせず、携帯端 末の情報を見たり聞いたりで忙しそう。そんなこんなで独り住まいのアパートに戻ってくると、ズッシリと孤独が襲ってくる。そんな時に脳裏に浮かぶのは、別 れた妻キャサリン(ルーニー・マーラ)の生々しい思い出だ。たまらずまたまた携帯端末に走って、エロチャットにアクセス。しかしお色気過剰な女の声にゲッ ソリして、結局さらに孤独が増すばかりだった。そんなある日、セオドアは街である広告に目を留める。何と「世界初の人工知能型OS」と銘打たれた 「OS1」の発売だ。その足で「OS1」を購入しに行ったセオドアは、果たしてその時に何を思っていたのか。「OS1」を手に入れて、早速自宅のパソコン にインストール。すると、「男性と女性、どちらを希望しますか?」という音声案内が聞こえてくるではないか。セオドアは思わず「女性」を選択。すると再起 動したパソコンから、実に生々しい若い女性の声が聞こえてきた。それが自称「サマンサ」(スカーレット・ヨハンソン)とセオドアとの出会いだった。何しろ 「サマンサ」は単なる「機械」じゃない。「ハ〜イ」と気軽に話しかけてくる、リアルな女性の声がする。まるで本物の女性みたいだ。いや、「本人」は少なく ともそう思っているらしい! 高度なプログラミングを施された「サマンサ」は、経験を紡錘ごとにどんどん進化を続けていくという。そして何よりユーモラス でチャーミング。機智に富んだ受け答えは、セオドアの心をガッチリ掴んだ。潤いのなかった毎日に、「サマンサ」が潤いをもたらしてくれたのだ。そんな頃、 セオドアに知人を通じてブラインドデートの話が舞い込んでくる。石橋を叩いて壊すタイプのセオドアではあったが、このブラインドデートの話に乗ろうという 気になったのは、「サマンサ」のおかげだったかもしれない。「サマンサ」はデートのためにレストランの予約までしてくれた。こうしてデート当日、やってき た相手(オリビア・ワイルド)はなかなか素敵な女性だった。レストランで会話もはずむ。レストランを出た後もいいムードは持続するが、いざキスをしたとた ん、彼女はセオドアに単刀直入に問いかける。「もういい歳だから、お遊びはイヤだ」…。しかし、セオドアにはまだ心の準備が出来てなかった。ついついため らってしまうセオドアの様子を見て、彼女は気分を害して去ってしまった。またしても失望を味わったセオドアが帰宅すると、「サマンサ」が興味津々でデート の首尾を聞いてきた。セオドアはそんな「サマンサ」に男女の機微について語っているうちに、ひょんなことからテレフォン・セックスのような声による疑似 セックスを試みることになる。ところがこれがセオドアにとっても、意外なまでに満足をもたらしたから分からない。「サマンサ」も愛情と欲望を覚えて、大い に気分は盛り上がってきた。いまや「サマンサ」は名実ともにセオドアの恋人となったのだ。同じ頃、セオドアのかつての恋人だったエイミー(エイミー・アダ ムス)が、夫チャールズ(マット・レッシャー)と別れて失意の中にいた。そんなエイミーは、女性OSと友人になったとセオドアに語る。ここにもまた、OS と親しくなった人がいるのだ。またセオドアは、自分の人間関係にひとつの区切りをつけることを決意していた。長く別居していた妻キャサリンが望む通り、正 式に離婚する気になったのだ。こうしてレストランに出かけて久々にキャサリンと顔を合わせ、離婚届にサインをするセオドア。久しぶりにシンミリしたムード になって親しげに会話を交わす二人だったが、「誰かつきあっている人がいるの?」というキャサリンの問いかけに、ついついセオドアは「OSとつきあってい る」と本当のことを言ってしまう。するとキャサリンはにわかに鬼のように険しい表情になって、ここぞとばかりにセオドアを吊るし上げるのだった。「あなた はね、現実の人間では太刀打ちできないからコンピュータなんかと付き合うのよ!」…。

みたあと

  近未来SFになる一歩手前のちょっと先のテクノロジーを作中に交えながら描く、スパイク・ジョーンズならではのユニークな作品。わざわざ中国の上海を未来 都市に見立てて撮影したりしているが、一見SFのように見えて実はちょっと違う。携帯端末だとかOSだとか…という道具立ては「それ」風なものの、そこに 描かれているのは実は「恋愛の実感」。それも、「男の目」から見た「実感」だ。ただ、SFが究極の「例え話」だと考えるなら、本作こそ最もSF的な作品か もしれない。そこでは、女との別れの「痛み」が、尋常ではない実感で描かれる。そんな別れによって受けた「痛手」からいかにして立ち直るのか、あるいは別 れを有益なモノとしていかに自分の中で消化していくのか…を、先にも書いたようにあくまで「男目線」で描いていく。そこにはちょっとだけ、「(500)日のサマー」(2009)や「鑑定士と顔のない依頼人」(2013)に共通するテイストも感じられるのだ。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  主人公セオドアが前妻キャサリンとの別れ、そしてOS「サマンサ」との別れで受けるダメージはかなりリアルだ。正直言って僕なども自分の過去において味 わったダメージを連想してしまい、結構ツラいものがある。そのあたりを「実感」を込めて描けるスパイク・ジョーンズは、やはり「さすが」なんだろうとも思 う。そして「OSと付き合っている」と打ち上げたとたんギャンギャンわめき出す前妻のちょっとアレな様子を見てしまうと、主人公がOSに走りたくなる気持 ちも分からないでもない。声だけとはいえユーモラスで聡明で優しくてチャーミング、おまけにギャーギャー言わずにすべてを受け止めてくれるOS「サマン サ」は、男にとって実に素晴らしい女だ。正直言って、生身の女が彼女に勝っている点は、ただ「アソコ」がついているという一点のみ(笑)。それも大してあ りがたみがない場合もあるもんなぁ(笑)。ただ、結局そんな煩わしさ鬱陶しさこそが人間関係なのだ…と考えると、単に他者との関係の「オイシイ部分」のみ いただこうとするOSとの関係は、やっぱりどこかイビツなものなのだ。そういう「男の本音」も含めての描きっぷりからすると、この映画はあくまで男にしか 理解できないのかもしれないし、女性にとってはただただ理解不能か不愉快なのかもしれない。さらに、映画の終盤で描かれるOS「サマンサ」のバージョン アップが、「男から見た女」のリアルな比喩になっているあたりも見事だ。男がどちらかと言うと振り返り型で過去からの積み重ねを重要視して、基本的にそれ ほど変化することがないのに対して、(男から見た場合)女は突然いともやすやすと大きな変貌を遂げることがある。バージョンアップというか「上書き」とい うか…それは環境の変化とか状況の変化とか付き合ってる男の変化とかいろいろな理由からなのだろうが、とにかくバッサリと過去を抹消したり切り捨てたりし て次のステージにサラッと行ってしまうことがある。これは男から見ると何とも掴みどころがないように思えるのだが、スパイク・ジョーンズは女のそういう部 分をOSという「例え」を使ってズバリと表現している。女性にとっては異議や異論があるところかもしれないが、あの前妻の「手が付けられない感じ」とい い、この映画における「女性描写」はいちいち男にとっては納得できるところではないだろうか。こういう点が実にうまいと思う。OSの声にスカーレット・ヨ ハンソンを起用したこと(彼女の演技の中でも最高の部類ではないだろうか)も含めて、そのセンスには大いに感心したと言わなければなるまい。

こうすれば

  だとすると、僕も男の観客として「分かる分かる!」と両手放しでホメたいところではあるのだが、実はそうとばかりもいかないのが難しいところ。主人公が妻 との関係で受けたダメージの深さは理解できるし、ブラインドデートなどでさらにダメージを受けてしまうあたりも分かるのだが、いかんせんウジウジしすぎ。 じゃあオマエはもっとサッパリ出来ているのか…と問われれば正直そうは出来ないだろうが、だからといってここで主人公を肯定する気にもなれない。という か、肯定してはいけない気がする。仮に今から10年前だったらズブズブに共感しちゃったかもしれないが、今となっては僕はちょっと無条件にこれに共感する 気にはなれない。「男ってデリケートなのさっ」とかテメエで言っちゃってるあたりが、見ていて少々情けないし恥ずかしい気がしてならないのだ。見栄でもい いから、男だったらもっとシャンとしろよ(笑)。作者や主人公に対して「オマエの気持ちは分かるよ」と共感し、それによってこの映画に自分の情けなさを 「肯定」してもらう…というのは、やっぱりどこか不健全で不健康だ。実際のところ、妙な不健全さは映画のあちらこちらに漂っている。「サマンサ」が劇中で 妙な疑似3Pを試みようとするくだりも、語り口が巧妙だから観客の僕らもいつの間にか納得させられたような気になっているけれども、あれってかなり気持ち 悪いしグロテスクなエピソードではないか。やはり、作者の視線はどこか歪んでいるのである。だから男としては…作者や主人公に「分かるよ!」と共感して、 その見返りのように自分の中のイビツで情けない部分を「肯定してもらう」というのは、やるべきではないしやってはいけないように思う。そもそもラストだっ て…ドラマ構成上、主人公がOSとの関係を通過することで何かを自分の中に得る事ができた…という幕切れになっているけれども、どう考えても主人公がそう 納得できてると思えない。オレはもう大丈夫!…的なエンディングはどこか無理があって、全然大丈夫に見えないもんねぇ(笑)。そこにはかつての韓国映画「春の日は過ぎゆく」(2001)のエンディングといい勝負なくらいの、「オレもう大丈夫だから」的な虚勢やカラ元気を感じさせるのだ。一言でいって「女々しすぎる」。いろいろ評価したいのは山々だが、あえて僕は男としてこの作品は疑問を呈さないといけない気がするのだ。

さいごのひとこ と

 あのOSのエロ機能はバージョンアップしないのか。

 
 

「ダイバージェント」

 Divergent

Date:2014 / 09/ 01

みるまえ

  未来SFらしいんだが、主役の若い男女の顔が見たことない。な〜んとなく、青春スターの主演映画っぽい感じというか、ティーン小説の映画化っぽい感じとい うか、「トワイライト」あたりの映画の雰囲気というか…そんな感じの雰囲気が濃厚に漂っている。いくらSF好きの僕でもあまり食指がそそらない。だからさ りげなく無視しようと思っていたのだが、脇でお久しぶりねのアシュレイ・ジャッドとか…何よりもケイト・ウィンスレットが出演しているのが気になる。正直 言って、それだけで見に行ったようなもんだ。

ないよう

  世界秩序が崩壊してから100年後。荒野に巨大な船が打ち上げられてそのままになっている。さらに高圧電線と鉄塔によってどこまでもバリアが張り巡らされ ているが、そのバリアの中では、いまだに文明が何とか生き延びてはいた。ここはシカゴ。高層ビルの側面には風力発電用のプロペラがビッシリ配置されている が、それを除けば昔懐かしいシカゴの風景だ。今の社会は、いくつかの大きな派閥に分けられている。それは「無欲」「平和」「高潔」「博学」「勇敢」の5つ だ。「無欲」はグレーの地味な服を身に着けた政権担当の人々。私利私欲に走らず穏やかな人々で、どこの派閥にも入れないホームレスを養ったりもする。「平 和」は農業を営む集団で、アースカラーの服装。「高潔」は司法を司る人々でモノトーンの服装。「博学」は学識研究者たちで紺色の服装。実は政権を担う「無 欲」に少々疑念を抱いてもいる。そして「勇敢」は軍事・警察機能の担当で、武闘派集団。元気はつらつとも言えるが脳筋集団とも言える。16歳になるベアト リス(シェイリーン・ウッドリー)は「無欲」に生まれ育った娘だが、自分が本当は何に向いているのか分からず、内心悶々として過ごしていた。彼女の父親ア ンドリュー(トニー・ゴールドウィン)は政権リーダーであるマーカス(レイ・スティーヴンソン)の腹心でもあり、「無欲」でも高い地位にいる人物。ガチ ガチの「無欲」家庭のはずなのに、なぜかベアトリスはそこに馴染めないものを感じている。街で派手にパフォーマンスしながら闊歩する「勇敢」の連中を見て いると、ついつい魅了されてしまう自分がいるのだった。しかし母親のナタリー(アシュレイ・ジャッド)は、娘が鏡をしげしげと見つめるのも許さない。「無 欲」に虚栄心は御法度なのだ。そしてこの未来社会では、全員16歳になると適正検査を受け、さらに「選択の儀式」を経て、自分がどの派閥に属するかを決め ることになる。大概の適性検査の結果は自分の出身派閥の通りだし、「選択の儀式」とはいえ大抵は自分が生まれ育った派閥を選んで終わる。しかし、ごく稀に 自分の出身派閥とは異なる検査結果も出るし、異なる派閥を選んでいく若者たちもいるのだ。ベアトリスは、まさにその選択の時期にさしかかっていた。彼女は 弟ケイレブ(アンセル・エルゴート)とともに、適性検査を受けにその施設へとやってきた。個室に入ったベアトリスについたのは、試験管のトリ(マギー・ Q)。彼女はベッドに横たわったベアトリスは、トリから奇妙な薬品を飲まされる。やがて意識を失ったベアトリスは脳裏で凶暴な犬を見るが、その犬はやがて 子犬に変化。ベアトリスも少女時代の自分に戻るなど、鮮やかな幻覚を見続ける。そんな幻覚の果てに目を覚ますベアトリスだが、傍にいる試験管トリは青ざめ ていた。実は検査の結果、ベアトリスの適正はひとつでないことが分かったのだ。そして複数の適正を持っているということは、「異端者(ダイバージェン ト)」であることを意味していた。問題は、政権が「ダイバージェント」を危険分子と見なしていること。もし誰かが「ダイバージェント」と分かったら、ただ ちに抹殺命令が出るかもしれない。トリはベアトリスに「このことは黙っていろ」と告げると、記録には「無欲」とだけ記してベアトリスを追い出した。いきな りのことに、ベアトリスはただ戸惑うばかりだった。やがて、今度は「選択の儀式」の日がやってくる。一家全員で儀式の会場へとやってくるベアトリス。そこ で父アンドリューに話しかけてきたのは、「博学」のリーダー格であるジャニーヌ(ケイト・ウィンスレッ ト)だった。何でも「無欲」政権リーダーであるマーカスに息子虐待疑惑が持ち上がっていて、このジャニーヌがそれを探っているらしい。微妙な状況での微妙 な相手との遭遇に、アンドリューも困惑するしかない。そんなこんなで、5つの派閥の「お年頃」の子供のいる家庭が、儀式の会場に集結。会場は異様な熱気に 包まれる。儀式とは非常にシンプルなもので、一人ずつ名前を呼ばれた者が前に出てきて、壇上に上がる。そこにはナイフと5つの派閥を意味する大きなボウル が置かれ、呼ばれた者はそれぞれナイフで自分の手を切って、選択したボウルに血を注ぐのだ。大体が元から所属していた派閥に収まっていくが、時には「勇気 ある選択」を行う者もいる。そのたびに、会場は大きなどよめきに包まれる。特に他の派閥から「勇敢」を選択した者が現れると、「勇敢」のメンバーはやんや の大騒ぎだ。どんどん選択が進んで、ベアトリスの弟ケイレブの番がやってくる。すると、何と驚いたことに、ケイレブは意外にも「博学」を選ぶではないか。 これにはベアトリスも驚いた。重たい選択をした弟に、ベアトリスの心も揺れる。次に壇上に上がったベアトリスは、深く考えた末に「勇敢」を選んだ。両親は 唖然としたが、自分の素直な気持ちは裏切れない。そんなベアトリスの決断に「勇敢」側の連中は拍手喝采だ。こうして儀式は終了。それぞれの派閥に分かれた 若者たちは、会場から一斉に出てくる。中でも威勢のいいのが「勇敢」だ。彼らは日頃からことさらに自らの度胸やパワーを見せつけたがっているので、もちろ ん儀式の会場から自分たちの居住区に戻る際にも、ただ戻るだけじゃ飽き足らない。やたら走ったりよじ上ったりで、新入りのベアトリスはどうしてもタジタ ジ。みんなが高架線によじ上っていくのにも、どうしても出遅れてしまう。そんなこんなしているうちに、やってきた列車に飛び乗って行く「勇敢」たち。だ が、それはまだ序の口のそのまた序の口。ベアトリスは同じ「新入り」たちとともに、彼らを指導する立場のエリック(ジェイ・コートニー)やフォー(テオ・ ジェームズ)などの下で、さまざまな過酷な訓練を経験していくのであった…。

みたあと

  まず結論から言うと、ティーン小説の映画化っぽい…っていうのは間違いじゃなかった。実際のところは詳しく知らないが、どう見ても観客対象は若い人たちら しい。青春映画仕立ての未来SF映画なのだ。それは大変結構なのだが、「青春映画仕立て」にすると映画ってチャラくしないといけないんだろうか(笑)?  そもそもヒロインが質素でつまらなそうな「無欲」から肉体派の「勇敢」に行きたがるのは分からないでもないのだが…この「勇敢」たちのマッチョで脳筋っぽ くてチンピラ臭くて、しかもチャラい…というEXILEをガイジンがやっているみたいな感じは何とかならなかったのか(笑)。ヒロインがこんな連中を選択 する時点で、かなりオツムが軽くて脳筋に思えてしまう。正直言って、最初から全然共感し難いので、ノレなくなってしまった。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
 先ほどのガイジンがEXILEやってる感じ(笑)で本作をほぼ言い尽くしたようなものだが、さらにそんなチャラさを増量しているのが劇中に安っぽいポッ プスやロックを流すこと。例えばヒロインが真夜中に高層ビルから高層ビルに張ったロープを滑車で滑り降りる場面があるが、スピード感と開放感に溢れた良い 場面になりそうなところに思いっきり安〜いロックが流れて、大人の観客は少々居心地悪くなってくる。やっぱりジュニア小説とかティーン小説の読者ぐらいの 年齢じゃないと気恥ずかしくなってしまう映画なのだろうか。そういう若者への「媚び」感がスゴいのだ。まぁ、見ている僕がもうかなりの年齢になってしまっ ていることが悪いのかもしれないが…。そして問題はヒロインを演じるシェイリーン・ウッドリーにも少なからず感じられて…「勇敢」を選択してアクションに 次ぐアクションを見せてくれる役どころなのだが、この若さにして二重アゴ。顔も申し訳ないがオバチャン顔でハツラツさや爽やかさ、シャープさに欠ける。彼 女は何と「ファミリー・ツリー」 (2011)で長女役を演じていた人で、その時にはなかなか良かったのだが…向こうのティーン役者はちょっと目を離すとこうなっちゃうんだねぇ。何だか全 体に丸っちい感じで重そうなので、映画がはずんでいかない。本作はこれから何作か続くシリーズの第1作みたいだが、僕はもう最初でつまずいた感じ。ちょっ と2作目以降は苦しいんじゃないだろうか。

みどころ

 驚いたのはケイト・ウィンスレットの扱いで、僕なんかはまだ若い人ってイメージがあったのだが、すでにこの映画での位置づけ はティルダ・スウィントンとかジュリー・クリスティとかの「重鎮」めいた感じなのだ。確かにオスカーもとったし「タイタニック」(1997)から15年も 経っている。あの彼女がそんなポジションになったか…と、いろいろ感慨も新ただった。

さいごのひとこ と

 厳しいシゴキでも減量できないのはスゴい。

 

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