新作映画1000本ノック 2014年7月

Knocking on Movie Heven's Door


こ のページの作品
「闇のあとの光」
 「惨殺のサイケデリア」 「トランセンデンス」 「ラストベガス」 「メトロ42」 「ポンペイ」

 

「闇のあとの光」

 Post Tenebras Lux (Light After Darkness)

Date:2014 / 07/ 28

みるまえ

 この作品のことは、実は見る直前まで何も知らなかった。ある日、ポッカリと時間が空いてしまったので何か見ようということになり、ネットであれ これ調べていたら出てきた作品だった。メキシコの映画。シュールな映像美がなんたらかんたら、カンヌ映画祭監督賞受賞だの、上映しているのが渋谷のユーロ スペースだの…という時点で、これは間違いなくアート系の作品だろう。どうやら難解そうな作品だとも書いてある。ところが作品紹介の文がなかなか興味しん しんで、「メキシコの静かな村で妻や子どもたちと暮らしている男フアンの家に出現した赤く発光する謎の生命体。以来、フアンの平和な日常は少しずつ歪み始 める」…って一体どんな作品なんだ?。「赤く発光する謎の生命体」って、この映画ってまさかSFじゃないだろうな? まぁ、アート系映画とSF映画とはそ れぞれ対局にあるもので、アート系映画を好むような人種はSF映画を毛嫌いするか、上から目線でバカにしているのが普通だ。そもそもアート系映画というも のは、見る人が「これを見て理解できるオレはエライ」と満足にふけるためのモノである場合が少なくない。だから間違ってもSF映画である訳がないのだが、 そうは言っても普通はアート系映画に「赤く発光する謎の生命体」なんて出てこない。一体こりゃどんな映画なんだ?…とメチャクチャ興味がわいてきて、早速 これを見に行った次第。感想文がほぼひと月以上遅れてしまったのは、ひとえに僕の怠慢ゆえ。

ないよう

 メキシコの山の中。もう夕暮れが迫る空き地で、幼い女の子が放牧されている牛たちを追いかけている。そのルートゥ(ルートゥ・レイガダス)とい う女の子は「牛さん」たちに夢中。空き地のぬかるみも何のその、牛たちを追いかけたりあちこちをウロウロ。しかしいつの間にか夕闇が迫り、しかも黒い雨雲 のせいであたりは真っ暗になっていく。ゴロゴロと雷鳴が聞こえ、幼いルートゥもその天気の急変ぶりに気づいた。激しい雨があたりに降り注いだのは、それか ら間もなくのことだ…。そんなルートゥの家に、「何者か」が静かに侵入してきた。真っ赤に発光するその「何者か」には、ツノとシッポがあった。手には道具 箱。「何者か」は家の中の一室に入っていき…。翌朝、雨があがって、ハルロ(ホセ・アルベルト・サンチェス)が森で木を切っている。一方、ルートゥの家で は、みんなが起きだして一家団欒が始まろうとしていた。ルートゥの父ファン(アドルフォ・ヒメネス・カストロ)、その妻ナタリア(ナタリア・アセベド)、 ルートゥの幼い兄エレアサル(エレアサル・レイガダス)、そしてルートゥの4人暮らし。木を切っていたハルロも家にやってきて、平和そのものの一日が始ま ろうとしていた。しかし温和そのものに見えるファンが、犬がおいたをしたのに気づくといきなり激怒。執拗に犬を痛めつけるではないか。さすがに見かねたナ タリアが彼を止めて、その場は何とか収まる。しかしその行動は、平和そのものの暮らしにはどう見てもそぐわない。やがてファンは、近所の森の中の一軒家で 行われている依存症の人々の集いに顔を出す。それはファンの知人のシエテという男(ウィレバルド・トーレス)が主宰するもので、ファンはそのシエテからの 招きで出席したのだった。やはりこのファンという男、内面には何か鬱屈したものがあるのだろうか。親戚が集まる盛大なパーティ、そこにやってきたファン一 家は、しかしどこか溶け込めない感じもする。そして妻ナタリアは…なぜか広大なサウナ施設で行われている乱交パーティで、見知らぬ男たちに抱かれたりして いる。何も起きないようで何かが起きそうな雰囲気…。

みたあと

 この映画を見終わった直後のことを、やはり書かねばなるまい。見 終わって映画館から出てきた僕は、あるカップルと一緒にエレベーターに乗った。するとそのカップルの男の方が、女に向かって斜に構えた様子で一言ズバリと キメるではないか。「もう、カンヌは駄目だね」…。いや〜、どれだけ映画通なんだか知らないが、いきなり「カンヌを斬る」(笑)。申し訳ないが、あまりに 上から目線な発言と斜に構えたキメ・ポーズとが相まって、ちょっとプププッと吹いてしまったことを白状しなくてはなるまい。悪いけど、やっぱり笑っちゃっ たよ。この映画の監督カルロス・レイガダスがカンヌの監督賞をとったことを言っていたのだろうが、つまりは彼からすると「こんな映画は駄目」ということな んだろう。僕はこの監督も作品のことも知らなかったので、帰宅してからネットで調べてみた。すると、ホメているモノもあるにはあるが、結構ケナしてる感想 も少なくない。まぁ、映画ってのは人によって評価がそれぞれ異なるものだし、特にこの作品は何を言っているのか分かりにくい、ストーリーを見せるタイプで ない作品だ。だから評価が割れるのも致し方ないといえばその通りだ。しかし概してこの日本では、海外の映画祭などで受賞したアート系の作品を正面切って叩 くってのは、あまり見かけないような気がする。「ちょっと自分は苦手」とか「好きじゃない」みたいな指摘はあるとしても、「まるで駄目」だの「クズ」だ のって叩き方は、あまりしないものだ。大体がみんな分かったような顔をして、何だか訳の分からない感想を書いたりしてお茶を濁すのが普通だろう(笑)。自 分がその映画を理解できないバカ…と見られたくない一心で、批評家や訳知りの映画ファンがホメてるんだから、海外の映画祭で評価されたんだから…と「とり あえず」無難にホメとくのが通例だ。それなのに、本作はかなり正面切ったコキ下ろしがいくつかあった。というより、「ここが悪い」「あれはこうした方がよ い」ではなくて「高尚ぶってるけど本当はクズ」みたいなコキ下ろしだ。そんな映画だったら、今までだっていくらでもあったではないか(笑)? これは一体 どうしたことだろう? そんなこんなで奇妙に思っていたら、実は本作がカンヌに出品された時にもう向こうのマスコミに叩かれていたというではないか。それ が予想外に監督賞をとってしまったと、すでに日本でも報道されているのである。なぁんだ、結局これって誰か権威のある者やハクのついてる奴がすでに叩いて いて、「この映画は叩いてもいい映画」と分かった(笑)から叩いてるんじゃないか。映画ファンってのはどうしてこうも情けねえ連中なのかねぇ。そんなにみ んな、自分が「分かった」ふりをしたいのかい。ズバリ言わせてもらうが、自慢じゃないが僕はまったくこの映画が分かってないよ(笑)。この作品はチンプン カンプンと言っていい。それは、例の「赤く発光する謎の生命体」のせいだけでもない(ちなみに、アレってどうやら悪魔みたいなんだが、何で道具箱を持って いるのかも分からない)。どうやらこの映画はファンとナタリアという夫婦とその一家に関するお話らしいのだが、何とか分かるのはそこらあたりまで。何やら ファンには不穏なところがあるし、妻のナタリアは乱交パーティでやらかしてたりする。いきなり親戚の大パーティが出てきたかと思えば、唐突に一家で海水浴 に行ったりする。ところがその海水浴の時には、息子と娘は結構大きく育っちゃったりもしているのだ。さらにはまったく唐突に、試合直前ロッカールームでの 少年ラグビー・チームの様子が割り込んできたりする。そして、例の「赤い悪魔」も出てくるのである。難解というより、何が何だか分からない。確かにどこか のそれなりの奴がすでにケナしているのなら、ついついこんなもの「芸術ぶったクズ」と便乗してケナしたくなる気も分からないでもない。要はこれって、最近 の「ミスター・ノーバディ」(2009)や「ツリー・オブ・ライフ」(2011)…などのような、ジャンル越境映画の一種と考えた方がいいのではないか。ただし本作の場合は前述の作品群などより格段にムチャクチャ度が高く(笑)て、一体何を言いたいのか非常に分かりにくい。というか、分からせようという気もない気がするが…。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  では、僕はこの映画をどう思ったのかと言えば、実は結構楽しんで見たのだった。先ほど「分からない」と堂々と言いながら、「どうして楽しめたんだ」と言わ れれば返答には困る。でも、映画って意味が分からなくても「楽しい」とか「好き」ってことがあるんじゃないだろうか。ボロクソにケナしてる人からすれば分 かってもいないのにホメるなんてバカな奴…ってことになりそうだが、正直な話、僕は結構気に入っている。まずは冒頭の、ぬかるんだ空き地を幼い少女が駆け 回る、長い長い場面の雰囲気が好きだ。何かが起きそうな不穏な雰囲気が漂い始めるあたりの描き方に、なかなか非凡なものがある。それ以外にも、分からない なりに映画を見る楽しみを感じさせる場面が多いのだ。ただ、劇中の多くのショットではレンズに何らかのフィルターをかけてフレームの端の方をボカしたよう な映像になっていて、それが「田舎の映研」で作った映画みたいな「拙さ」というか、単なる思いつきでやったみたいなつまらなさを感じさせてもいる。そうい う穴というかホコロビみたいなモノもあちこち散見されるので、僕も本作が「完全無欠な作品」であるとは思わない。しかし、この映画を批判する人々の大半が 主張するような「芸術ぶって思いつきだけで作った映画」「思わせぶりな作り方ながら中身からっぽの映画」であるかと言えば、それもまたちょっと違うんじゃ ないかと思うのだ。僕もつまんないケチくさい存在ながらも何かを作る商売の端くれとして生活しているが、この映画の持つ突飛さ、難解さ、奇妙さ…は、単な る思いつきと気取りでやろうとして出来るモノではないのではないか…と体験的に感じるのである。実はつい最近ネット上で(…と、言っておこうか)、世間で 大評判の「アナ雪」ことディズニー・アニメ「アナと雪の女王」を見ていないような奴はクリエイターとして信用できない…などと公然と批判されてしまった僕 としては、ちょっと自分のアイデンティティーに自信が持てない(しかし、ディズニーのマーケティングにまんまと乗せられるのがどうして「クリエイター認 定」につながるのかまったく分からない。個人的に「アナ雪」が好きなら好きで結構だから、いちいち「クリエイター云々」を言わなきゃいいのにねぇ)。しか し「オマエのような大したことのないクリエイターもどきに何が分かるのか」…という批判を恐れずにあえて言わせてもらえれば、そんな空疎なモノとはどこか が違うように思えるのだ。ならば、世の中にこれほど難解な作品がありながら…中には見ようによっては失笑・苦笑を浴びても仕方のないモノだってあるように 思われるのに、どうして本作だけこんなに「正面切って叩いてよい」みたいなムードになっちゃったのか? これはあくまで推論なのだが…例の「赤い悪魔」み たいなSFXとかCGとかを使っちゃったのがよろしくなかったのではないだろうか。あるいは…映画の終盤に出てくる趣向なのだが、こちらもSFXや特殊メ イクなどの技術を使わねば撮れないビックリ場面が出てくる。僕なんか見ていて「アッ?」と声を出しそうになるほど驚いたあげく大ハシャギして喜んでしまっ たが、これが「高尚でレベルの高い」映画(笑)を愛好するアート映画信者を無用に刺激してしまったのではないだろうか。どちらも絵柄としては、SFやホ ラー・ジャンルの映画でないとお目にかからないような場面なのである。SF・ホラー・ジャンルに対する偏見や蔑視傾向の強いアート系映画愛好者たちからす れば、そういう場面が出てくること自体が「クズ」と言いたかったのかもしれない。実は本作は、趣向としてはタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が 撮った「ブンミおじさんの森」 (2010)にかなり酷似する点がある。しかし「ブンミおじさん」は素朴な味もあるので、SF・ホラー・ジャンルよりは「おとぎ話」的な描写として許され たのだろう。本作は「真面目に映画をとらえる」アート系映画愛好家からは「邪道」に思われちゃったような気がする。ただ、そう言っちゃうと「自分が偏見に 満ちた映画ファンだとバレちゃう」ので、作品内容総叩きみたいなことになってしまったんじゃないだろうか。元々ホメてる時だって内容が分かってホメてる訳 じゃない(笑)だろうから、まぁこれはありがちなことだと思う。そう言いながら、実は僕もどちらかというと「トンデモ映画」をかなり偏愛する変な人(笑) なので、この映画もここで語っているほどイイ映画なのかどうかは極めて疑わしいと白状しなくてはなるまい。正直言って、間違いなくバリバリに偏ってる。し かし、ユニークでオリジナリティーあふれる面白さがあることだけは、認めていいんじゃないかと思うのだ。

さいごのひとこ と

 この世に偏見がない人はいません。

 
 

「惨殺のサイケデリア」

 追凶 (Fairy Tale Killer)

Date:2014 / 07/ 21

みるまえ

 突然、しばらく鳴りを潜めていたパン・ブラザーズの作品が連続公開された、「初夏のパン祭り」(笑)の4本のうちの1本。他の3本は兄オキサイドの監督による「極限探偵」 シリーズの作品で、当サイトの「Archives」に感想文をアップした。本作はそれらとは異なり、上映作品中唯一の弟ダニー・パンの監督作品。よくよく 考えると僕は今までオキサイドの単独監督作は見たことがあるが、弟ダニーの単独監督作は初めて見ることになる。どっちかと言えば兄オキサイドの方が主導権 を握っての映画作りだったんじゃないかと思っていたパン・ブラザーズなので、弟ダニーの作品はかなり興味津々だ。作品ジャンルとしてはホラー仕立てのミス テリーものらしいのだが、果たしてその腕前やいかに?

ないよう

 それは、ある夜のことだった。香港・長沙警察署に、一人の男が連行されて来る。たまたま署に残っていたウォン警部補(ラウ・チンワン)率いる チームが尋問にあたることになるが、その男ン・ソイグァン(ワン・バオチァン)は実に奇妙な男だった。なぜか顔は白く塗られており、言動もおかしい。おま けに「自分は5人殺した」と言い出すから、チームメンバーは色めき立った。さらに奇妙なことにン・ソイグァンはウォンのことを知っていたようで、わざわざ 彼に尋問されるためにやって来たようなのだ。そんなン・ソイグァンは、殺した男のうちの一人の名を挙げる。その男の名はチャン・ファイ。ン・ソイグァンは この男のことを「奴は狼だ」とつぶやくのだった。具体的な名が出てきたため、慌ててウォンたちはそのチャン・ファイの家に急行するが、彼らを出迎えたのは 当のチャン・ファイ本人(ラム・シュー)。唖然呆然となったウォンたちは、署に戻るやこんな男の自白を真に受けて捜査に出かけてしまった間抜けさに大弱 り。調書も残さずにン・ソイグァンを釈放して、何もなかったことにしてしまう。そんなウォンが明け方疲れきって帰宅すると、家に待っているのは妻ワイ (ジョーイ・マン)と自閉症の息子。夢中になって絵を描いている息子を見ても、疲れきったウォンは相手にしたくもない。息子も息子で、そんな父親に恐れし か抱いていなかった。息子に優しく接することができないウォンを責める妻のワイに、ウォンはますますウンザリするばかりだった。ところが翌日のこと、昨夜 のチャン・ファイという男が死体となって発見される。しかもその殺し方たるや、腹に石を詰められて殺されるという猟奇的なものだ。殺人現場には白いドーラ ンの跡も見つかって、ウォンたちはやっぱりあのン・ソイグァンが殺したことを確信する。しかし彼らは昨夜そのン・ソイグァンを釈放し、記録まで抹消してい たのだ。昇進試験が迫っているウォンにとっては、これは知られてはならない事実だ。彼らは昨夜のことは闇から闇へと隠し、証拠写真なども秘かに奪って隠 蔽。ともかく犯人は例のン・ソイグァンと断定して、捜査を開始した。その頃、とある殺風景な広い部屋の中で、床に敷き詰めた紙に一心不乱に絵を描く一人の 髪の長い娘(エレイン・コン)がいた。彼女の何かに取り憑かれたような描きっぷりも尋常ではなかったが、そこで描かれている絵もグロテスクで特異なもの。 そんな彼女にまるで従者が仕えるように寄り添うのは、あの奇妙な男…ン・ソイグァンではないか! 一方、ウォンたちは問題のン・ソイグァンの自室に乗り込 むが、そこにはすでに彼の姿はいなかった。さらに捜査を続けるうちに、殺されたチャン・ファイが精神病院の副院長であったことが分かったため、ウォンたち は急遽その精神病院へ。するとチャン・ファイの患者で、一人だけ最近失踪している人物がいる…と分かる。その人物はウォン・ユイーという若い娘で、独特な 絵を描くことを得意としていた。彼女が使っていた病室に踏み込んでみると、部屋一面にグロテスクで奇妙な絵が広がっているではないか…。

みたあと

 兄のオキサイド・パンの「極限探偵」シリーズとほぼ機を同じくして、弟のダニー・パンまで がミステリー映画を作っていたというのは、いかなる偶然か必然か。そしてホラーが得意なパン・ブラザーズらしく、こちらもまたホラー風味のミステリーに なったのは当然のことだろう。今回もその猟奇的な殺人の描き方や犯人のキャラクターが完全に怖い映画の「それ」。事件の渦中にいる重要人物のウォン・ユ イーが描くグロテスクな絵の数々は、まるでダリオ・アルジェントの初期作品「歓びの毒牙」(1969)や「サスペリアPART2」(1975)に出てきた 絵のような気色悪さだ。そういえばアルジェントも「サスペリア」(1977)でブレークする直前までは、超自然的な要素を入れたホラー映画ではなくて不気 味な要素を入れたミステリー映画を得意としていた。本作の重要ポイントとなっているあの絵から見て、ダニー・パンはこうした初期ダリオ・アルジェント映画 にかなり影響されているのではないだろうか。ところで本作では一種の心の病気を抱えている人たちが重要な登場人物として出てくるが、正直言ってこういう病 気について詳しくないために、この映画での描かれ方が正しいのかどうなのか何ともいえない。だから人によってはこの映画での描写が「適切ではない」という ことで「評価できない」…となってしまうかもしれない(逆に言うと、「描き方が適切で問題ない」のかどうかも僕には分からないのだ)。ただ、ここでは僕が そのあたりのことを判断できないこともあるため、とりあえず本作の論議から置いておいて話を進めさせていただくことをご了承いただきたい。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  では、全体的にダリオ・アルジェント映画に影響された独特なグロテスク映像が展開するのかといえば、実はそういうわけでもない。コロモとしてはそういう装 いで作品を作ってはいるが、実はダニー・パンが本当にやりたかったのはそこではないのだ。陰惨な事件が続き、捜査の過程で心の病を患っている男女が浮かび 上がってくる。さらにこの男女が幼い頃から収容されていた施設で虐待を受けていたことが描かれ、その恨みを晴らす犯行だったらしいと観客にも分かってく る…。そんなツラい目に遭っている人や悲しい思いをしている人に対するシンパシーがチラついてくるあたり、あの「アイ」 (2002)を撮ったパン・ブラザーズらしいところではないか。本作は弟ダニー単独作品だが、そんなパンブラ作品独特の雰囲気が濃厚に漂っているのだ。し かも最後に主人公ウォン警部補が犯人たちに家族を捕らえられ、彼らのアジトに誘き出されるくだりに至っては…! ここへ来て観客の僕らは、初めて犯人たち の「真意」を知ることになる。「復讐」が第1目的ではなく、それより大きな目的があったということを知るのである。これには僕もアッと驚いた。…と同時 に、やっぱり「アイ」のパンブラだなぁ…と再認識させられたのだった。考えてみるとここまで主人公のウォン警部補は、結構しょうもない人間として描かれて いる。最初に連行された「犯人」ン・ソイグァンにフレンドリーに接するが、それが「うわべだけ」の薄っぺらいものだとすぐに見透かされてしまう。しかも ン・ソイグァンを釈放した後で殺人が発覚し、ヘマをやらかしたことを隠すために資料を改ざん。何か不都合があると部下になすりつけ、内輪もめで刑事同士で ボカスカ殴り合いになる始末。当然、周囲の若い連中は白い目でシラケきって見るばかりだ。さらに家庭に帰ればもっとひどくて、自閉症の息子の相手をするの が億劫なため妻にすべてを押し付けているアリサマ。できるだけ仕事を言い訳にして逃避したあげく、妻に図星を指摘されると逆ギレするテイタラクだ。映画の 主人公としていかがなものかと思わされるほど、「あんまり」なキャラクターなのである。しかし彼はこの事件を通して、徐々にその内面を変化させていく。映 画の後半では、部下たちに自分の罪を白状して謝罪までするのである。犯人のアジトでのクライマックスは、いわば最後の「修行」というか「荒行」とでも言お うか。この一連の犯罪と捜査が、主人公の「浄化のための儀式」のようになっているのである。そんな犯人の「真意」があるから、本作は陰惨な復讐による猟奇 殺人を描いているはずなのに、妙に作品の後味が暖かく爽やか。まさに「異例な作品」として仕上がっているのだ。そんなわけで、「犯人」の意図が分かってみ ると、猟奇的なホラー味より一種の「人情味」とでもいうべき味わいの方が勝ってくる本作。先ほどから「アイ」のパンブラらしい…と繰り返し述べてきたが、 例えば兄のオキサイド単独監督の「極限探偵」シリーズにしても、主人公の両親を巡る因果話とホラー味がミックスしたオチを持つ第1作「影なきリベンジャー/極限探偵C+」 (2007)だけはプロデュースで弟ダニーが加わっていた。ひょっとして「アイ」に代表されるパン・ブラザーズ作品の「人生の悲哀」や「人情味」って、こ の弟ダニーの持ち味によるものだったのではないか。本作を見ていて、改めてそう思わされた。今は懐かしい「つきせぬ想い」(1993)や「忘れえぬ想い」(2003)、最近では「MAD探偵/7人の容疑者」(2007)などのラウ・チンワンは、あの濃くて暑苦しくて野暮ったい顔が効いている(笑)。そして一番最初に殺される男として、「ザ・ミッション/非情の掟」(1999)など一連のジョニー・トー作品の脇役でお馴染みラム・シューが登場。こいつが柄にもなく「病院の副院長」役と聞いて「どうせろくな奴じゃねえだろ」と思っていたら、本当にそうだったので思わず爆笑してしまった。

さいごのひとこ と

 バラ売りのパンもなかなかイケるね。

 
 

「トランセンデンス」

 Transcendence

Date:2014 / 07/ 21

みるまえ

 あのクリストファー・ノーランがジョニー・デップ主演でSFサスペンス映画を作る…そんな触れ込みのチラシと予告編を見た時から、ワクワクして 公開を待ちかまえていた。僕はかつてはクリストファー・ノーランのもっともらしくイカサマ臭い映画づくりに反発をおぼえていたが、「インセプション」 (2010)あたりから開き直ってあからさまにバカ映画を作るようになって結構好きになった。だから今回も「インセプション」みたいにトンデモ感あふれ る、壮大なバカ映画が見れるのではないかと期待してしまったのだ。その後、クリストファー・ノーランは監督ではなくプロデュースのみと分かったものの、ど う見ても作品はノーラン色が濃そう。配役にモーガン・フリーマンやキリアン・マーフィーなどノーラン作品常連の俳優が顔を出しているし、何よりだだっ広い 荒野一面に朝日ソーラー(笑)みたいな太陽電池風のパネルが建てられていて、何だか分からないが黒い粉か煙みたいなモノが舞い上がっているショットなど、 不気味でトンデモ感たっぷりな映像が予告編にチラついていたのもノーラン印っぽい。ただ、不安もないわけではなかった。主演が今をときめくジョニー・デッ プとは豪勢だが、このデップという俳優、何だかんだ言って失敗作も多い。何よりつい最近、「ローン・レンジャー」(2013)という大ハズシをやらかした ではないか。おまけにデップはSF映画とは相性があまり良くないようで、数少ないSF作「ノイズ」(1999)はかなりトホホな出来栄え。それを考える と、若干イヤな予感がしないでもない。そんなわけで、ともかく公開されてすぐに劇場に駆けつけたわけだ。

ないよう

 かつては美しく点滅して、街を彩っていた信号機の灯り。今、それは虚ろに輝きを失っている。街は荒れ果てて、兵士たちがものものしく警戒を続け ている。ある店では、人々が牛乳の配給に列を作っている。取れたてを手に入れられるのは素晴らしい。ただし、今はそれを保存できる冷蔵庫が動かないのだ が…。そんな街を行く一人の男、マックス・ウォーターズ(ポール・ベタニー)。彼はこの惨状を見て、ついつい胸の中でつぶやかずにいられない。人類と科学 技術との衝突…すべては以前と変わってしまった。そんなマックスは、今は住む人もない一軒の家に足を運ぶ。その家には、かつては端正に手入れされたであろ う庭があった。その庭に咲くヒマワリの花を見つめながら、マックスは旧友の夫婦のことを思い出していた…。5年前、この庭の主であるウィル・キャスター (ジョニー・デップ)は、ここに銅線の網を張り巡らそうとしていた。それを見て呆れる妻のエブリン(レベッカ・ホール)。だが、ウィルは頓着しないでこう 言った。「電波が届かないようにしたいんだ、君は静かな暮らしがしたいんだろう?」…そんなウィルとエブリンは、二人とも人工知能について研究している優 秀な科学者。この日は彼らが今後の研究費を獲得するための、大事なプレゼンテーションの日だった。ウィルとエブリンは、正装して大学へと向かう。その頃、 二人の研究拠点であるリバモア研究所では、ジョゼフ・タガー博士(モーガン・フリーマン)がパソコンに向かって研究に打ち込んでいた。周囲では仲間たちが 同僚の誕生日を祝ってケーキを振る舞っていたが、タガーは脇目もふらず研究に没頭している…。ウィルとエブリンが大学の講堂へと到着すると、出迎えたのは 二人の旧友マックス。この日のプレゼンテーションは、彼の手配によるものだった。こうして満場の聴衆を前に、ウィルの講義が始まった。それは彼の専門であ る人工知能に関する講義だ。特に彼が強調したのは、人工知能によって生まれる「トランセンデンス(超越)」について。劇的な進化によって、現在、人類が抱 えているさまざまな問題はすべて解決できるというのだ。その頃、リバモア研究所では、タガーが異変に気づいていた。振り返ると、彼以外の同僚がみな倒れて いた。例の誕生日ケーキを食べそびれた彼だけが、奇跡的に生き残っていたのだ。さらに別の研究所でも、突然すべてのコンピュータ・ディスプレイが爆発。貴 重なデータとともに、研究員の命が奪われてしまった…。そんなこととはツユ知らず、ウィルの講義は好評のうちに終了。しかしその後の質疑応答で、一人の男 がウィルに鋭い質問を投げかける。「あなたは神を作ろうというのか?」…さらにプレゼンテーションが終了してウィルがエブリンやマックスとその場を引き上 げようとした時、先ほどの質問の男が近づいて来て銃を抜くではないか。阿鼻叫喚のなか、「オマエは科学の奴隷だ!」と男は叫んで発砲。ウィルは銃弾に倒れ た。それは、全米の人工知能に関する研究者や研究施設に対する同時多発テロだった。幸いウィルはかすり傷で済んだ。事件が起こったリバモア研究所を訪れた ウィルとエブリンは、辛くも難を逃れたタガーと再会、互いの無事を喜んだ。だがそこには、もう一人見慣れない男がいた。彼はFBIのブキャナン捜査官(キ リアン・マーフィー)。コンピュータやネットの犯罪が専門だ。ブキャナンはウィルたちに、今回の一連の事件が「RIFT」と呼ばれる反科学テロ組織の仕業 だと語る。今回の事件で、国内の人工知能研究に必要なデータや設備が根こそぎ失われた。ある科学者は何とついに猿の意識をコンピュータ内に取り込むことに 成功したらしいが、その直後にこのテロに遭って命を落としてしまった。不幸中の幸いは、猿の意識を取り込んだ時のノウハウが失われずに済んだこと。後は軒 並み人工知能施設が破壊され、残るはこのリバモア研究所にある「PINN」しかない。それを政府のための事業に使わせてくれ…という提案に対して、ウィル は首をタテには振れなかった。ブキャナンは一連の事件との関連から、「PINN」自体を見たがった。ウィルは最初は躊躇っていたものの、結局、渋々彼に 「PINN」を見せることにする。「PINN」はかなり高度なレベルの人工知能で、声を出して返事をすることもできるし、ユーモアのある受け答えもでき る。あとは「トランセンデンス」を起こさせるためのキッカケだけだ…。ところがその晩、ウィルの状況が一変する。突然体調を崩し、吐き気に襲われたのだ。 慌てて駆け込んだ病院で、ウィルとエブリンは医師から衝撃的な説明を受ける。例の銃弾によるキズ自体は浅かったが、その銃弾に放射性物質が塗られていた。 そのため、体内に放射性物質の毒が回っており、あと4週間の命しかない…と。絶望にうちひしがれるウィルとエブリン。しかしある日のこと、エブリンは驚く べき提案を友人のマックスに打ち明けるのだった。「彼の意識を、コンピュータに移したいの」…。

みたあと

 監督はやっぱりクリストファー・ノーランではなくて、彼の作品の撮影監督をしてきたウォー リー・フィスターなる人物。制作総指揮がノーラン。制作総指揮という名目で有名監督がクレジットされる時にありがちなのは、いわゆる「名義貸し」だ。で、 そういう時にありがちなパターンとしては…ということで、もう結論を言ってしまった方がいいだろう。つまらないのである。本当につまらないのである。これ だけの俳優陣が集まっているのにダメ。最初は何となく面白そうでワクワクさせるのに、話が進んでいくにつれてつまらなくなる。さて、何から語っていけばよ いだろうか。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
  予告編を見た時から、SFサスペンス大作であることは歴然。それでノーランと来れば、「インセプション」みたいな壮大なバカ映画を期待してしまう。期待す るのはオマエの勝手…と言われようが、あの予告編ならそう期待するなと言う方が無理。しかしながら本作は、「壮大」でも「バカ映画」でもないからツライの だ。話としては「人工知能」が出てきて、反テクノロジー的「テロリスト」が出てくる。そして「人間の意識をコンピュータにアップロード」するというあたり はSFで何度も取り上げられた「お馴染み」テーマとしても、それが「ネット」につながることによって起きる危機まで描こうというお話。こりゃ壮大なテーマ ですわ。これくらい壮大だとホラ話も楽しい。おまけにこいつを倒すためにコンピュータウイルスを注入することになるが、それは同時にコンピュータやイン ターネットで成り立っている現在の世界の文明をもストップさせることになってしまう。大変なお話だ。しかし映画は中盤から、西部の砂漠に囲まれた潰れか かった田舎町と、そこにコンピュータ化した主人公が建設した自分専用のデータセンター施設の中だけで進んでいく。本来ならかなり壮大なお話になるはずなの に、画面に出てくるのは過疎の田舎町と、砂漠にたくさん作られた「朝日ソーラー」みたいな太陽電池(笑)。圧倒的に絵的にも話的にも「狭い」のだ。本当 だったら大事になって大変な騒ぎになってるはずなのに、田舎町での小競り合いぐらいにしかなっていない。最後はネットもコンピュータも崩壊する世界が生ま れてしまうのに、誰も大して慌てていない。宮崎駿の「崖の上のポニョ」 (2008)でも、世界が滅亡するくらいに水没してしまっているのに誰も慌てていない描き方がなされていたが、あれは「寓話」としてのアニメだから良しと される。こっちは真面目なSFサスペンスやってるんだから、この「誰も騒いでない」感じはおかしい。そもそもテクノロジーというテクノロジーが一斉に止 まってしまう事になったら、空港やら病院やら何もかもどうなってしまうのか。登場人物たちが、誰もそれを真面目に考えていないみたいでビックリ。これじゃ リアルなサスペンスなんて、こっちに迫って来るわけもない。それじゃあ「バカ映画」なのかというと、これは主演のジョニー・デップの持ち味のせいか、中途 半端に真面目。だからお話もハジケないし面白くない。「バカ映画」じゃなくて単なる「バカ」(笑)なのである。これからいっそ、もっとくだらない話にし ちゃった方が良かったのに…。そもそも基本のお話自体、「フランケンシュタイン」にネットとかデジタルとかいう言葉をくっつけて今風にしているだけのこ と。ジョージ・シーガル主演の「電子頭脳人間」(1974)とかウェス・クレイブン監督の「デッドリー・フレンド」(1986)など何度も繰り返し描かれ てきた、手垢のつきまくった凡庸なテーマなのである。開き直ってバカでもやらなければ、映画全体も凡庸にならざるを得ないのだ。いやもう、ホントにガッカ リ。もっとガッカリなのが、「フランケンシュタイン」化したデップが最後まで善人なのか、それとも暴走する狂人と化していたのか、そのあたりが曖昧だった こと。スターのデップを狂人として描くことはさすがに出来なかったのか、そのへんのスッキリしない感じも災いしてしまった気がする。ウォーリー・フィス ター、残念ながら監督は向いていないと思う。

さいごのひとこ と

 ジョニデはまた海賊ならないとダメか。

 
 

「ラストベガス」

 Last Vegas

Date:2014 / 07/ 14

みるまえ

 いい年こいて仲間内の一人が結婚しようというので、昔馴染みのロートル4人組がラスベガスでバカ騒ぎ。これをマイケル・ダグラス、ロバート・デ ニーロ、モーガン・フリーマン、ケビン・クラインという豪華な面々で見せてくれるというのだから、これは期待しないわけにはいかない。しかし、この豪華な 顔ぶれの割には、評判が聞こえて来ないのはどうしたことだろう? な〜んとなくイヤな予感がする。公開からかなり経ったある日、コワゴワ劇場に足を運んで みた。

ないよう

 1950年代、ブルックリン。4人の少年が、インスタント撮影ブースでじゃれ合って写真を撮っている。彼らの名前は、ビリー(ノア・ハーデ ン)、パディ(R・J・ファットーリ)、アーチー(アーロン・バンタム)、サム(フィリップ・ワンプラー)。彼らは幼なじみの友達同士。この4人に加えて ソフィー(オリビア・スタック)という女の子が、いつもの遊び仲間だった。そこに年上のアンチャンがやって来て、ビリーを脅す。しかしパディは、そんなア ンチャンに一発お見舞いしてこう言い放つのだった。「四人組をナメるな!」…それから58年。ビリーは実業家として成功し、マリブビーチにハイソな家を建 てて独身貴族を満喫。パディ(ロバート・デニーロ)は幼なじみのソフィーと結婚したが1年前に死別。いまだに彼女が忘れられず、アパートでわびしい一人暮 らしだ。アーチー(モーガン・フリーマン)は離婚して今は独り者。健康に不安があり、息子一家に面倒を見てもらっている毎日。サム(ケビン・クライン)は 妻ミリアム(ジョアンナ・グリーソン)とマイアミに住んでいるが、こちらも身体にはあちこちガタが来ている状態だ。さて、そんな4人の中で唯一未婚だった ビリーは、娘のような歳のリサ(ブレ・ブレア)と同棲中。ところが事もあろうに知人の葬儀で弔辞を読み上げている最中、リサにプロポーズをやらかした。こ んな無茶なシチュエーションでも彼女はオーケー。かくしてビリーは懐かしい仲間のアーチーとサムに、週末に結婚することを電話で報告した。すると二人は、 ビリーの独身最後をラスベガスで祝おう…と提案。ところが三人とも、同じ仲間のパディの名前が出てきたとたんに渋い顔になった。実はビリーとパディは、あ る事をキッカケに疎遠になっていた。というか、パディがビリーを毛嫌いしてしまっているのだ。しかし、「そこは何とかする」で押し切って、ビリーのバチェ ラー・パーティが決定。アーチーはうるさい息子に黙ってコッソリ出発。サムもミリアムに見送られて空港から旅立った。その際、「何があっても、それで元気 を取り戻してくれればいい」と、妻から暗に浮気オーケーの言葉をもらって有頂天のサム。二人はブルックリンで合流し、問題のパディの家にやって来る。案の 定、突然の二人の来訪にも表情が冴えないパディ。ここでビリーの名前など出したら、ますます雲行きが怪しくなりそうだ。かくして二人はパディにただ「ラス ベガスで遊ぼう」とだけ言って、引きこもり状態だったパディを引っ張り出す。こうして3人は、飛行機でラスベガスへと乗り込むことになった。ところで、な ぜパディはビリーを毛嫌いしているのか。実はパディの妻ソフィーが亡くなった時に、ビリーが葬儀に駆けつけなかったことを根に持っているのだ。ソフィーは 昔からの4人組の馴染みでもあった。それなのに冷たいじゃないかというわけだ。そんなわけで、ラスベガス空港に降り立った3人をビリーが出迎えたとたん、 パディがキレたのは言うまでもない。着いたばかりなのに帰ると駄々をこね出す始末。しかもサムの手違いで、ホテルの予約も取れてない。ますますパディはフ テ腐れて、始まったとたんに前途多難な幕開けとなった。そんな4人がフラリとあるホテルのバーに立ち寄ると、ラウンジでイイ歳ながら雰囲気のある女性歌手 ダイアナ(メアリー・スティーンバージェン)が歌をうたっているではないか。思わず彼女に見とれる4人は、ダイアナと打ち解けて話を始めるのだが…。
 1950年代、ブルックリン。4人の少年が、インスタント撮影ブースでじゃれ合って写真を撮っている。彼らの名前は、ビリー(ノア・ハーデン)、パディ (R・J・ファットーリ)、アーチー(アーロン・バンタム)、サム(フィリップ・ワンプラー)。彼らは幼なじみの友達同士。この4人に加えてソフィー(オ リビア・スタック)という女の子が、いつもの遊び仲間だった。そこに年上のアンチャンがやって来て、ビリーを脅す。しかしパディは、そんなアンチャンに一 発お見舞いしてこう言い放つのだった。「四人組をナメるな!」…それから58年。ビリーは実業家として成功し、マリブビーチにハイソな家を建てて独身貴族 を満喫。パディ(ロバート・デニーロ)は幼なじみのソフィーと結婚したが1年前に死別。いまだに彼女が忘れられず、アパートでわびしい一人暮らしだ。アー チー(モーガン・フリーマン)は離婚して今は独り者。健康に不安があり、息子一家に面倒を見てもらっている毎日。サム(ケビン・クライン)は妻ミリアム (ジョアンナ・グリーソン)とマイアミに住んでいるが、こちらも身体にはあちこちガタが来ている状態だ。さて、そんな4人の中で唯一未婚だったビリーは、 娘のような歳のリサ(ブレ・ブレア)と同棲中。ところが事もあろうに知人の葬儀で弔辞を読み上げている最中、リサにプロポーズをやらかした。こんな無茶な シチュエーションでも彼女はオーケー。かくしてビリーは懐かしい仲間のアーチーとサムに、週末に結婚することを電話で報告した。すると二人は、ビリーの独 身最後をラスベガスで祝おう…と提案。ところが三人とも、同じ仲間のパディの名前が出てきたとたんに渋い顔になった。実はビリーとパディは、ある事をキッ カケに疎遠になっていた。というか、パディがビリーを毛嫌いしてしまっているのだ。しかし、「そこは何とかする」で押し切って、ビリーのバチェラー・パー ティが決定。アーチーはうるさい息子に黙ってコッソリ出発。サムもミリアムに見送られて空港から旅立った。その際、「何があっても、それで元気を取り戻し てくれればいい」と、妻から暗に浮気オーケーの言葉をもらって有頂天のサム。二人はブルックリンで合流し、問題のパディの家にやって来る。案の定、突然の 二人の来訪にも表情が冴えないパディ。ここでビリーの名前など出したら、ますます雲行きが怪しくなりそうだ。かくして二人はパディにただ「ラスベガスで遊 ぼう」とだけ言って、引きこもり状態だったパディを引っ張り出す。こうして3人は、飛行機でラスベガスへと乗り込むことになった。ところで、なぜパディは ビリーを毛嫌いしているのか。実はパディの妻ソフィーが亡くなった時に、ビリーが葬儀に駆けつけなかったことを根に持っているのだ。ソフィーは昔からの4 人組の馴染みでもあった。それなのに冷たいじゃないかというわけだ。そんなわけで、ラスベガス空港に降り立った3人をビリーが出迎えたとたん、パディがキ レたのは言うまでもない。着いたばかりなのに帰ると駄々をこね出す始末。しかもサムの手違いで、ホテルの予約も取れてない。ますますパディはフテ腐れて、 始まったとたんに前途多難な幕開けとなった。そんな4人がフラリとあるホテルのバーに立ち寄ると、ラウンジでイイ歳ながら雰囲気のある女性歌手ダイアナ (メアリー・スティーンバージェン)が歌をうたっているではないか。思わず彼女に見とれる4人は、ダイアナと打ち解けて話を始めるのだが…。

みたあと

 豪華な顔ぶれだけにワクワクさせられるのだが、そこにデニーロが一枚加わるとどうしても不安になってしまう。デニーロがらみの「豪華顔合わせ」映画は、残念ながら悲惨な結果に終わることが多いからだ。しかしつい最近の「リベンジ・マッチ」 (2013)では、どう考えてもうまくいきそうにないスタローンとの顔合わせを成功させたではないか。今回もやってくれるのではないか…と、ちょっとだけ 期待。そして、劇場パンフで本作の監督がジョン・タートルトーブと知って、またまた複雑な気分になる。ジョン・タートルトーブって「クール・ランニング」 (1993)や「ナショナル・トレジャー」(2004)みたいにイイ時には凄くいいのだけれど、「魔法使いの弟子」 (2010)みたいにイマイチな作品も少なくない。作品を見ると人間の善意みたいなモノを強く感じさせるし、この人自身もすごくいい人みたいだ。しかし映 画づくりの場面では、その「いい人」ぶりが災いしているような感じもしないでもない。良くも悪くも作風がヌルいのだ。そんなわけで、やっぱり何となく漠然 とした不安はぬぐい去れない。そして残念ながら、その予感はほぼ当たってしまったのだった。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
 普通に考えれば、キャリア十分、超豪華な顔ぶれがいい歳こいてベガスで大暴れ…と来れば、「楽しいに決まってる」はず。同じく豪華ロートル・ベテランスターが4人集まってイイ味出してた、「スペースカウボーイ」 (2000)みたいな「大人の余裕」溢れる娯楽作ができあがるのではないかと期待するのが普通だ。ところが実際の作品はと言えば、楽しいことは楽しいが正 直言って楽しさもソコソコどまり。ハジケた笑いも起きないしサプライズもない。ただ普通の映画に出来上がっちゃってるのが残念なのだ。では、なぜそんな事 になっちゃったのか。いろいろ原因はあろうかと思うが、その最大の理由は、主人公4人の大暴れやバカ騒ぎが、あくまで彼らなりの「年輪」を重ねての大騒ぎ になっていないからではないか。彼らは「昔が戻ってきた」的にハシャいでいるが、正直言って50年以上のブランクが取り戻せる訳がない。もし彼らが大暴れ したり大活躍したりするなら、それは「まだまだ若い」を証明するのでなく、あくまでその「重ねたキャリア」で勝負するべきではなかったのか。歳をとったな りの知恵とテクニックで、違いを見せなきゃダメではないのか。それなのに「まだまだやれる!」なんて言ってるから、まるでいい歳こいたババアが「女子会」 なんてナメたこと言ってる(笑)みたいに醜悪なのだ。それを見ている周囲の若い奴らが、主人公たちに感心するのもまったく分からない。年寄りは年寄りなら ではの「流儀」で勝負して欲しい。それと、女性登場人物の扱いの酷さもハンパない。今は亡き元幼なじみのソフィーに関する「親友に女の子を譲る」エピソー ドもかなりキツいし、一度は結婚までしようとした若い婚約者に対するビリーの態度もいかがなものだろうか。そもそもソフィーとのことがあって、さらに今回 の女性歌手ダイアナの件があって…ってな調子だと、ビリーに対するペディの気持ちはより一層微妙になっては来ないだろうか。これでは「四人組は永遠!」ど ころじゃなくって、絶対に後に禍根を残すような気がしてならない。だから見終わった後、スカッと爽快にはならなかったのだ。ついでに言うと、久々に登場し たメアリー・スティーンバージェンが、モテモテの役にも関わらず姥桜ムード充満だったのにもガッカリ。妙に若作りしてるみたいなのが、余計悲惨なのだっ た。

さいごのひとこ と

 アンチエイジングは年寄りの冷や水。

 
 

「メトロ42」

 Metpo (Metro)

Date:2014 / 07/ 07

みるまえ

 新宿の映画館で、何やら近々公開の映画やビデオスルー決定の映画やら、アレコレ集めて連続上映をする催しが行われたが、これもその中の1本。ロ シア製パニック映画。こう来れば、見ないわけにはいかないだろう。おまけにどうやらここで何回か上映された後は、もうDVDなどでしか見れないようだ。な らばスクリーンで見れるこのチャンスを逃すわけにはいかない。僕は忙しい予定の中何とかやりくりして、映画館に駆け込んだ次第。

ないよう

 ロシア最大の都市、モスクワ。近年は開発ラッシュで、あちこちに新しいビルが建つ。ガンガンと地面に杭が打ち込まれ、その影響は静かに地下に及 びつつあった…。そんなモスクワの近代的マンションで、激しく交わる男女がいた。男は建築関連の実業家ヴラト(アナトーリー・ベリィ)、女は人妻のイリー ナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)。イリーナと夫とはもはや仮面夫婦となっており、ヴラトは彼女に「別れろ」とけしかけていた。しかし、今ひとつ踏み 切れないイリーナ…。そのイリーナの自宅では、医師である夫アンドレイ(セルゲイ・プスケバリス)が帰ってこない妻に悶々とするばかり。イリーナの不倫に は薄々どころでなく感づいているのに、何も言えない状態が続いていた。そんなこんなで幼いクシューシャ(アンフィサ・ヴィステンゴーゼン)も、その不甲斐 なさにご立腹だ。一方、ベテラン地下鉄職員のセルゲイは、毎日の日課であるトンネルの点検中、天井からの水漏れに気づく。イヤな予感がした彼は上司にその 異変を報告するが、上司はアル中気味のセルゲイの報告を相手にせず情報は黙殺されてしまう。また、とある駅で停車していた17号車両では、老いたベテラン 運転手とコンビを組まされた若手運転手アレクセイが、地下鉄オタクのウンチクを自慢げに披露していた…。その頃、朝から気まずい雰囲気のアンドレイとク シューシャ父娘は自宅アパートを出発。クルマで学校まで送って行くはずがクルマを出せなくなり、仕方なく文化公園駅から地下鉄42号車両に乗り込むことに なる。また、例の地下鉄職員セルゲイは、昼間っからお仲間と飲んだくれ。そのお相手は、チェルノブイリでひどい目に遭って以来、酒浸りになった元看護婦の ガリーナ(エレーナ・パノーヴァ)。ちょうど飲んだくれているところを警官に見つかって、逃げた先が地下鉄駅だった。彼女はそのまま42号車両に乗り込む ことになる。さらにちょうど地下鉄に乗るため駅にやって来た若者デニス(アレクセイ・バルドゥコフ)は、たまたま出会った女の子アリーサ(カテリーナ・ シュピツァ)に一目惚れ。そのまま二人は42号車両に乗り込むことになる。おまけに、例のヴラトも何の因果か42号車両に乗り込む。こうして、たくさんの 乗客を乗せて混雑した42号車両は、トンネル内を全速力で走り出した。走る車内ではデニスが何とかアリーサの気を引こうと、これまた地下鉄トンネルのウン チクを披露。本来はぜんそく持ちで呼吸器が手放せない内気なアリーサも、デニスの熱心さにまんざらでもない。そんな折りもおり…。トンネル内を走る42号 車両の目の前で、天井が崩れて大量の水が流れ込んで来るではないか。運転手は慌てて急ブレーキをかけるが、何しろ猛スピードを出していた最中のこと。突然 の急ブレーキに車内は大混乱。ギュウ詰めの乗客たちはみな将棋倒しになり、ある者は勢いよく吹っ飛んだり投げ出されたり…と阿鼻叫喚の大パニックとなっ た。しかしこの悲惨な状況も、これから続く大惨事のほんの序章に過ぎなかった…。

みたあと

 ロシア製パニック映画…という物珍し さだけで見に行ってしまった僕だが、実はロシアのパニック映画はこれが最初の作品ではない。今から30年以上前、僕は旧ソ連初のパニック映画という触れ込 みの映画をテレビで見ていたのである。その名は、「エア・パニック'81」 (1980)。栗原小巻主演のモスフィルム作品などを撮っていたアレクサンドル・ミッタという監督が、アメリカの「エアポート」シリーズなどを大いに意識 して作った航空パニック大作だ。「これは珍品!」と東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で放送された時にテレビにかじりついて見ると、ズタズタにカッ トされてはいたものの泥臭くてもっさりした作風であることは見てとれた。それから久々に、この国からパニック映画がやって来たわけだ。そんな訳で大いにワ クワクしてスクリーンと対峙した僕だが、映画が始まってすぐに思わず笑ってしまった。実は先に挙げた「エア・パニック'81」、映画が始まってまもなく ベッドシーンが登場。それも三角関係が絡んだ濡れ場だった記憶がある。ところが今回の「メトロ42」でも、映画が始まったとたんに濡れ場。しかも不倫がら みの濡れ場と来るではないか。何かロシアのパニック映画って、三角関係がらみの濡れ場から始まらないといけないという決まりでもあるのか(笑)。これって 偶然なんだろうかねぇ。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
 例 の「エア・パニック’81」はなかなか愛すべき作品ではあったが、やはり泥臭くてヤボっちい作品だった。本作はその頃よりはだいぶ洗練されてきたとはい え、まだモタモタしていることに変わりはない。何よりイライラさせられるのが、何かというとお話の流れをとめる不倫妻の場面。地下鉄大パニックが展開して いるのと平行してこの不倫妻のエピソードが挿入されるのだが、これがその都度、映画の流れを中断してしまう。おまけにこの女がムチャクチャで、市内が大混 乱しているからクルマでは異動しないで…とラジオで呼びかけているのに、お構いなしにクルマで爆走。おまけに人のクルマにぶつけたあげく、乗り捨てていく という悪質ぶり。主人公たちが地下で苦心惨憺しながら何とか携帯に連絡を入れても、ロクに話が聞き取れない役立たずぶり。思わず不倫相手の男が「使えねえ バカ女だ!」と悪態をついた時には、こっちも「その通り!」と言いたくなった。それなのに最後には亭主はこのクズ女とヨリを戻すとは…まったく納得できな い。この女の描き方に限らず、亭主と間男は危機的状況にも関わらず殴り合いをやらかしてたり、映画の主人公として観客の共感を得るべき亭主が間男を殺しか かったり…と、パニック映画の定石として「グランド・ホテル形式」のドラマを構成しようとしたつもりだろうが、この不倫話が終始映画の足を引っ張ってきて 興ざめ。これさえなければ、もっとマシな出来栄えだったのにねぇ。あと、地下鉄が大量出水に出くわして慌てて急ブレーキをかけたために車内が阿鼻叫喚の大 混乱…というくだり。いきなりストップ・モーションでカメラアングルがぐるりと回る「マトリックス」(1999)風SFX演出をやっていて爆笑。同じくロシア製 オカルト・アクションの「ナ イト・ウォッチ」 (2004)でも盛んに「マトリックス」をパクっていたけど、ロシア人にも「アレ」は強烈な印象だったのだろうか。監督のアントン・メゲルディチェフって 人は元々はドキュメンタリーを撮っていた人らしいが、近年のDVD化された作品タイトルを見ると、「アーマード・ソルジャー」(2007)とか「ダーク・ ワールド」(2010)とか、つまりはイマドキの商業化したロシア映画の若手…ってことなんだろう。

みどころ
  しかしまるっきりダメ映画かというと、実はそうでもない。何がスゴイかって、何台かの車両を実際にスタジオに持って来て撮っている、ホンモノならではの凄 みがあるところが見どころだ。スタジオにはかなりの長さのトンネルも実際に建設していたようで、そういった美術のホンモノ志向はハンパない。とにかくセッ トが重厚そのものなのだ。だからパニック場面も、少なくともチャチさは感じなかった。これで演出・脚本にそれなりの人を得たら、ハリウッドなど太刀打ちで きないかも。ロシア映画侮り難し。

さいごのひとこ と

 このメトロではスタンプ・ラリーはしたくない。

 
 

「ポンペイ」

 Pompeii

Date:2014 / 07/ 07

みるまえ

 劇場で予告編を見た時から、すぐにでも見たくなった。だって、火山で壊滅したポンペイの街の悲劇の映画化だろう? 見たくない訳がない。子ども の頃の愛読書が小学館の「地球の図鑑」だった僕としては、「火山」と来れば身を乗り出さずにいられない。それを3Dで撮るのだから、「見ない」とういう選 択肢があり得ないのだ。おまけに監督が、「イベント・ホライゾン」(1997)で大注目したポール・W・S・アンダーソンと来る。ん? ポール・W・S・ アンダーソン? …この人、確かに「イベント・ホライゾン」でスゴイと思わされたのだが、その後は「バイオハザード」 (2001)シリーズ化で深みにはまって、変な方向に向かっているような気もする。何となく微妙だなぁ…。それを言い出すと予告編から微妙で、主役の剣闘 士らしき男が妙にひ弱な顔をしているのも気になる。おまけにキャストに見知った顔があまり見つけられず、一番格上でキーファー・サザーランドどまりって感 じなのはいかがなもんだろう? さらに気になるのは、例の剣闘士といいとこのお嬢様の「格差恋愛」がドラマの中心らしいという点。宣伝コピーも「たとえ世 界が滅びても、生きて、守る」…と完全に「そっち」系。こっちは火山が噴火してくれればそれでいい(笑)のだが、お話はクソ面白くもなさそうな予感がす る。大丈夫なんだろうか? 公開タイミングとしてはほぼ同時の「ノア/約束の舟」(2014)と双璧の「大作」扱いなのに、どうもこちら「ポンペイ」は ヒットしてなさそうなのも気になる。そんなこんなで公開からちょっと経ってしまってから、慌てて劇場に駆けつけたようなわけだ。

ないよう

 それは、一見して岩のようにも見えた。不思議な形状をしている物体だ。最初は一体何か分からない「もの」だったが、一歩二歩退いてみれば分か る。それらは、炭化したまま横たわった人々の亡骸。火山の噴火によって一瞬にして滅亡した、ポンペイの都の犠牲者たちだったのだ…。それに先立つ、西暦 62年のブリタニアでの出来事。ケルト人たちの村が、突然何者かに襲われた。それはローマ人兵士たちによる攻撃だ。テントから出てきた幼いマイロ(ディラ ン・ションビング)は、そこで恐ろしい虐殺を目の当たりにする。母親(レベッカ・イーディ)はマイロを何とかかばおうとしていたが、ローマ兵たちを率いる リーダー格の男に首をかき切られて殺された。その男…コルブス(キーファー・サザーランド)の顔を目に焼き付けるマイロ。彼は築き上げられた死体の山の中 に紛れて難を逃れ、奇跡的にただ一人生き残った。そして荒野をさまよったあげく、奴隷商人に捕らえられるのだった…。それから17年後の西暦79年、ロン ディニウム。観客がひしめく小さな剣闘場で、退屈そうに見物している奴隷商人グラエクス(ジョー・ピングー)。ところがそこに一人の若い男が登場したとた ん、場の空気が一変した。観衆に「ケルト人」と呼ばれているその男…あのマイロの成長した姿(キット・ハリントン)だった。彼は3人の敵を相手に猛烈な戦 いっぷりを見せてその場を圧倒。グラエクスは即座にこの男を手に入れることを決意する。グラエクスはこの男を、繁栄の街ポンペイに連れて行こうと考えたの だ。こうして他の奴隷たちとともにクサリにつながれ、延々とポンペイまで歩かされるマイロ。彼らはもうポンペイまで後わずかのところまで来ていた。同行す るのは、たまたま奴隷たちの行列に遭遇した馬車の一団。そこには高貴な身分の娘カッシア(エミリー・ブラウニング)とその侍女のアリアドネ(ジェシカ・ ルーカス)が乗っていた。ところが馬車を引いていた馬が、はずみで倒れてしまう。どうやら脚の骨を折ったらしい。それを見てとったマイロは、居ても立って もいられず「自分が馬の“手当て”をする」と志願した。騎馬民族出身のマイロは、馬のことは知り尽くしていたのだ。こうしてカッシアの許しを得て、マイロ が倒れた馬に近づく。マイロが行った“手当て”とは、馬の首をひねって死なせることだった。思わず目を背けるカッシアとアリアドネ。しかし、残念なこと に、それが馬にとっては最高の温情なのだ。それを知ったカッシアの目に、マイロの姿が強烈に印象づけられる。さて、カッシアとアリアドネは、ポンペイの立 派な邸宅に到着。カッシアは父セヴェルス(ジャレッド・ハリス)、母アウレリア(キャリー=アン・モス)に暖かく出迎えられる。カッシアはローマに留学し ていたが、なぜか突然故郷のポンペイに戻ってきたのだ。ポンペイの指導者であるセヴェルスは新たな都市計画を練っていて、何とかローマの援助でこれを実現 しようと狙っている。しかしカッシアは、そんな父にローマに良からぬ空気が漂っていることを伝えるのだった。その頃、ポンペイの街にローマの元老院議員と その側近がやって来る。その元老院議員こそ、あのケルト人村を襲撃したコルブスではないか。彼はあの襲撃の時も副官を務めたプロクルス(サッシャ・ロイ ズ)を伴って到着。ところがそんな彼を見るや、高圧的なローマに対する反骨精神から背を向けるポンペイ市民もチラホラ。しかしコルブスも、そんな反抗的な 態度を見て見ぬふりをするつもりはなかった。さて、セヴェルスは例の都市計画を陳情するため、妻アウレリアを伴って到着したばかりのコルブスのもとへ。そ こでついつい「新皇帝の仕事ぶりはいかがです?」などと軽口を聞いてしまったのがいけなかった。もはやローマは、かつてのように政治的な軽口が叩ける空気 ではなかった。おまけに彼が軽口を叩いた相手も、相手が悪いとしか言いようのないタチの悪い相手。しかしコルブスは、セヴェルスに都市計画への協力を約 束。こうして断りきれない状況を作っておいて、セヴェルス邸での宴会を提案。そこで娘のカッシアも出席させるように命じるのだった。実はカッシアは、ロー マでこのコルブスに言い寄られていた。そこで逃げるように故郷ポンペイに戻ってきたのだが、コルブスは諦めることなく追いかけて来た…というわけだ。その 頃、セヴェルス邸の使用人が、街を見下ろすヴェスヴィオ火山の麓まで屋敷の馬に乗ってやって来た。やがて池のほとりで馬に水を飲まそうとするが、その時… 鈍い地響きとともに、いきなり池の水が沸騰したかのように泡立つではないか。激しい揺れと轟音に、馬はスッカリ動揺して使用人を振り落としてしまう。慌て てその場から逃れようとする使用人は、勢いよく陥没した地面に飲み込まれて消えてしまったではないか。しかしそれは、まだヴェスヴィオ火山に迫る巨大な異 変の前触れに過ぎなかった…。

みたあと

 スクリーンに本作のヒーローである キット・ハリントンが登場した時、見る前から感じていた 懸念が現実のモノとなった気がした。線が細い…。二枚目マスクなんだろうし、腹筋見たらバッチリ鍛えられていてスゴイのだが、いかんせん線が細い。それは まるで、ソウルっぽい曲でもただ声を張り上げるだけで頼りなかった、かつてのドゥービー・ブラザースのリーダーといいつつ実質二番手だったパット・シモン ズ(笑)を思わせる線の細さ。正直これまで見たことのない俳優で、そんな俳優が主役という時点で何となく弱体なキャストに思える。それに対して「格差恋 愛」のお相手ともなるヒロインは…というと、何とあの「エンジェル・ウォーズ」 (2011)でヘソ出しセーラー姿のちょっとズベ公っぽい役を演じていたエミリー・ブラウニング。う〜ん、いささかちょっと品が落ちるんではないかい。こ ういう映画はオールスター・キャストで固める人間群像劇にするのが定石なのだが、何とも小粒なキャストなのだ。何しろキャストで最も知名度が高そうなの が、「マトリックス」 (1999)で名を挙げたがその後だいぶご無沙汰となったキャリー=アン・モスと、もっぱらテレビの「24/トゥエンティーフォー」の人となってしまった キーファー・サザーランドぐらい…というんだから、ちょっと寂しいではないか。おまけにそのハリントンとブラウニングの「ここで会ったが百年目」の運命的 な恋愛も、正直言ってシラジラしいわなぁ。そんなこんなで、こりゃあ映画としてツラいんじゃないかと、見始めた当初は思ってしまったのだった。

ここからは映画を見てから!

みどころ
 とこ ろがこの映画、そんな人間模様をウダウダやる前に、いきなり単刀直入に本題に入ってしまう。あっと言う間に噴火が始まって、後は一気呵成なのだ。それもそ のはず。この映画って上映時間が極めて短い。何と上映時間の合計はたったの105分。だからかったるいお話をそれほど並べずに済んで、予想外にドラマの弱 体ぶりが映画のキズになっていない。これは見事な作戦だ。あとは噴火による大パニックだけだから、全部がヤマ場みたいなもんだ。しかもポール・W・S・ア ンダーソンって近年はずっと3D映画ばっかり作っているだけあって、本作の3D効果はダントツ。さらに噴火の被害状況の描き方も行き当たりバッタリに描い ている訳じゃなさそうで、地震による津波の発生とか火山弾が降ってくるとか、火砕流が襲ってくるとか…妙にリアル。おそらくは実際のポンペイの考古学的な 研究をある程度踏まえているのではないか…と思わされるのだ。そんな中で主役のハリントンはただただ逃げているだけではなく、ヒロインを悪役キーファー・ サザーランドに奪われて馬車による大追跡を展開。これが「ベン・ハー」(1959)の戦車競争シーンを彷彿とさせる迫力で、なかなか楽しませてくれるの だ。その前にも、「グラディエーター」 (2000)ばりに主人公を中心とした奴隷剣闘士の戦いがあったりして、サービス精神は満点。大いに懸念されていた例の「格差恋愛」も、最後に火砕流の中 に消えていくという幕切れがリアルなので、甘ったるいシラジラしさが相殺されているのだ。この結果はちょっと予想してなかった。そして、その剣闘士の戦い で主人公の仲間になる黒人俳優アドウェール・アキノエ=アグバエがなかなかいい。最後は悪役をブチ殺したあげく、迫ってくる火砕流に対して堂々仁王立ち。 まるで「ブロークン・アロー」(1996)のラストで突っ込んで来るミサイルに対し、仁王立ちで立ち塞がったジョン・トラボルタのようなアッパレな最期ぶ りだ。そんなわけで意外にもかなり楽しめる映画となっている本作だが、その最大のお楽しみは…何と悪役キーファー・サザーランド! とにかく徹頭徹尾1ミ リたりとも同情の余地のない悪党ぶり。それも父上ドナルドにはまだ悪役でも「悪の威厳」「悪の美学」みたいなモノが感じられたが、キーファーは元老院議員 という地位を利用してのパワハラまがいというセコさがたまらない。卑怯で卑劣…と彼の持つテレビ・サイズの小物感が最大限に活かされまくった悪役ぶりなの だ。見ていて嬉しくなって、思わず応援してしまったよ(笑)。いよいよ…というところでも「オレは元老院議員なんだぞ〜」とわめきながら最後の最後まで往 生際が悪いという、シッポまでアンコの詰まった鯛焼き状態。いやぁ、ここまでやってくれれば感動。もう、この作品はキーファーの見苦しい悪役ぶりを見る映 画と言っても過言ではないかも(笑)。予想以上の健闘ぶりに僕は大満足だった。

さいごのひとこ と

 溶岩ではなく火砕流というのが今風。

 

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