新作映画1000本ノック 2014年2月

Knocking on Movie Heven's Door


こ のページの作品
 「ゼロ・グラビティ」 「大脱出」 「キリングゲーム」 「47 RONIN」

 

「ゼロ・グラビティ」

 Gravity

Date:2014 / 02/ 24

みるまえ

 チラシや予告編で、どうやら何かの事故で宇宙空間に投げ出されてしまった宇宙飛行士の話らしい…とは聞いていた。それをサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーが演じる。監督は何とメキシコ出身アルフォンソ・キュアロン…と聞いて二度ビックリ。確かに「トゥモロー・ワールド」(2006)なんてSFも撮ってはいるが、そもそもはメキシコで「天国の口、終わりの楽園。」(2001)とか撮っていた人。だけど、それに先だってバーネットの「小公女」を映画化した「リトル・プリンセス」(1995)、ディケンズの小説の現代版映画化「大いなる遺産」(1998)とかも撮っていて、今ひとつつかみどころのない人ではあった。おまけに「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」 (2004)なんてのも作っていて、ますます得体が知れない。それにしても、こんな題材の映画を手がけるとはねぇ。「天国の口、終わりの楽園。」からあま りに離れた世界に唖然呆然。ともあれ、宇宙空間に漂う感覚を体感できそうな映画らしく、ここはやっぱり3Dで見たいところ。公開からだいぶ経ってから、 やっとこ劇場で見ることができた。

ないよう

 ここは地球の370マイル上空。スペースシャトル・エクスプローラ号が無重力空間に停止している周囲に、何人かの宇宙服に身を包んだ宇宙飛行士 がいた。そのうちの一人はベテランの宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)。宇宙服に仕込まれた推進力を絶え間なく噴射して、あちらこ ちらへ楽しげに飛来している。ヒューストンの管制センターとの交信も、ベテランらしい余裕に溢れたジョークばかり。彼は長年の任務を終え、今回が最後のフ ライト。宇宙での滞在時間が、ロシアの宇宙飛行士の記録にあとわずかで及ばないことを悔しがっている。スペースシャトルには、あと二人の宇宙飛行士がはり つきで作業中。そのうちの一人は航空機関士シャリフ、もう一人は女性飛行士のライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)だ。彼女は初のミッションで、 現在、計器の点検をしている。それはありふれた、宇宙での作業風景だった。ところがそんな時、ヒューストンから緊急連絡が届く。船外で作業中の飛行士たち に、ただちに船内に戻ってその場から離れろとの連絡だ。どうもロシアの人工衛星が自爆したらしいが、その破片が猛烈な勢いでスペースシャトルに向かってい るというのだ。しかしライアンは、なかなか作業をやめない。彼女には事態の深刻さが分かっていなかったのだ。物凄い勢いで無数の破片が飛来。ライアンが気 づかないうちに、彼女の背後で破片がシャリフを直撃。スペースシャトルも雨あられと降り注ぐ破片に破壊され、ライアンが命綱をくくりつけていた部分は彼女 ごと宇宙空間に放り出される。その様子を見ていたマットは無線でライアンに「命綱をはずせ」と指示するが、慌てふためいた彼女はなかなか命綱をはずせな い。やっとはずしても勢いがついたライアンは、クルクルと回り続けたまま宇宙空間を猛スピードで浮遊する。マットはそんな彼女に冷静に指示を出して励ます が、ライアンは体勢を整えられず冷静さも取り戻せない。酸素もどんどん減ってきて完全なパニック状態だ。それでも何とかマットが宇宙服の推進力を使って、 ライアンを追いかけてがっちり捕まえた。まずは一安心。しかしあの瞬間以降、ヒューストンからの連絡は入って来ない。二人は宇宙空間のまっただ中、完全な 孤立無援状態にあった…。

みたあと

 この映画の予告編を見たときにも思ったのだが、スペースシャトルもなくなって宇宙服だけを頼りに宇宙空間に投げ出される…というお話って、そもそ も成立するのだろうかという素朴な疑問が湧いてきてしまう。酸素も限られているだろうし、地球に戻る手段も失われている。生命を維持する要素も足りている とは言えない。これでどうやってお話をもたせていくのか。まず最初に話が行き詰まって終わってしまうのではないか…と、見る側のこっちが心配になってしま う。このような状態になった時に本当に「生還」「生存」が可能かどうかは別にして、少なくとも映画の作り話の中だけでも、これをリアリティのある物語とし て見せていくことができるのか? 最初からお先真っ暗な話だと、ただただ窒息して死んでいくまでの数時間を見せられるだけになってしまう。それは高額予算 をかけているハリウッドの一般的娯楽映画として、まずはあり得ない設定だろう。では、一体どうやって見せていくのか? 僕にとってこの映画の興味は、まず この一点に集中していた。あとは3D技術の助けを借りて、無重力状態の宇宙空間に漂う気分を体感できれば…というのが本作への期待のすべて。SF映画好き の僕としては、その二つの興味さえ満たされれば満足だ。

ここからは映画を見てから!

みどころ
  こうして見始めた本作だが、危機はいきなり始まってすぐに降りかかってきた。そこからの、宇宙服一丁で宇宙空間に放り出された気分の不安なこと! 見てい る側としては、ついついサンドラ・ブロックに感情移入せざるを得ない。そして、こんな早くに危機的状況になってお話がもつのか?…と心配になったが、これ がもってしまうからビックリ。実際あんな事が起きたらあそこまでアレコレと助かるための手段を講じることができるのか、いろいろな方法が見つかるのか…実 際のところは正直分からない。本当はあんなにうまくはいかないのかもしれないが、少なくとも門外漢が映画として見ている分には、不自然に見えない程度にリ アリティがある。これには正直言って感心してしまった。まぁ、そんなに都合良く宇宙ステーションとか中国の宇宙船が手の届く範囲にあるのか…という疑問は あるものの、何となく「そういう事も出来るのか」と思わされてしまったのだから成功なのだろう。そしてそうなってみると、この映画はもはやいわゆる 「SF」とは言えないモノになっている。他の作品に例えていえば、石原裕次郎主演、市川崑監督でヨットでの太平洋横断を描いた「太平洋ひとりぼっち」 (1963)とか、トム・ハンクス主演、ロバート・ゼメキス監督による無人島への漂流もの「キャスト・アウェイ」(2000)といった感じの「サバイバル映画」の範疇に入る作品になっているのである。そうなると、劇中(特に後半)ほぼ一人芝居を延々演じることになるサンドラ・ブロックの演技力にすべてはかかってくる。サンドラ・ブロックは「デンジャラス・ビューティー」(2001)などのコメディでイイ味を出していたが、「クラッシュ」 (2004)などのシリアス作品では今ひとつだったし、近年はちょっと鳴りを潜めている感じもあった。しかし今回は一人芝居を堂々と受けて立っての大勝 利。本作はだから宇宙を舞台にした映画ではあるが、特殊効果が売りの作品ではない。サンドラ・ブロックの演技力にほとんどを負っている。しかしこんな作品 を作り上げたアルフォンソ・キュアロンという人、作品の出来が素晴らしいだけに、ますますどんな映画作家なのかつかみ所がなくなってきた気もする。

さいごのひとこ と

 キアヌとバスに乗ってた人とは思えない。

 

「大脱出」

 Escape Plan

Date:2014 / 02/ 24

みるまえ

 あの「ロッキー・ザ・ファイナル」 (2006)から復活著しいシルベスター・スタローンだが、ついに彼とこれまた復活間もないアーノルド・シュワルツェネッガーががっぷりと四つに組んでの ダブル主演作がやってくる! となると、ちょっと前だったらアクション映画ファンは騒然となっただろう。僕だって大騒ぎしたかったところだ。しかし、実際 のところこの二人って、すでに「エクスペンダブルズ」(2010)、「エクスペンダブルズ2」 (2012)で顔合わせしちゃっているのだった。しかも後者に至っては、もはやゲスト出演とは言い難い出番の多さ。今さら正面切って「本格共演」と言われ ても、正直あまり興奮できないかも。おまけにタイトルが「大脱出」…って、配給会社もやる気があるのかね。ちょっとどうなのこのタイトルは。とはいえ、一 時代のアクション・アイコンとしての二人が真正面から共演するというのだったら、そこはそれ見たくなるのが人情。結局、映画館にイソイソ出かけているのだ から、まんまと術中にハマッたと言われても仕方ないのだった。

ないよう

 ここはコロラド州ベンドウォーター連邦刑務所。そこに収容されている囚人のひとり、レイ・ブレスリン(シルベスター・スタローン)は、明らかに ただ者ではない異彩を放っていた。案の定、刑務所の外で女がクルマを爆破させたのをキッカケに、巧みな技と度胸で独房を脱出。駆けつけた消防隊に紛れて、 刑務所の外へと抜け出した。しかし、彼は途中の公衆電話から悠々と連絡、わざわざ駆けつけた警察にお縄となった。実は、これには裏がある。ブレスリンはレ スター・クラーク(ヴィンセント・ドノフリオ)を伴って刑務所の所長の前に現れ、自分が脱出した手口を解説に及んだ。ブレスリンは警察から頼まれて、各地 の刑務所に自ら収容され、脱出可能かどうかを検証する「その道のプロ」。クラークはブレスリンが契約するセキュリティ会社の上司であり、先ほどクルマを爆 破させて彼を助けた女性スタッフのアビゲイル(エイミー・ライアン)、コンピュータ専門家のハッシュ(カーティス“50セント”ジャクソン)などと一緒に 「刑務所破り」の仕事を続けていた。そんなブレスリンのもとに、また新たな仕事が舞い込む。何とブレスリンの腕前に惚れ込んだCIA職員ジェシカ・マイ ヤー(ケイトリオーナ・バルフェ)から、さらに難攻不落な刑務所からの「脱出」が依頼されたのだ。それも、場所も定かではない「民間の極秘刑務所」とのこ と。当然、その場所についてはアビゲイルもハッシュも、そもそもブレスリンにも知らされないという。それを聞いたアビゲイルもハッシュも「ヤバイ」と止め るが、ギャラのデカさに目がくらんだクラークは大乗り気。腕を買われたブレスリンも、悪い気はしない。結局引き受けることになったブレスリンは、潜入する ための偽名と経歴、そして「いざという時の暗号」をもらって出かけることになる。さらに心配するハッシュたちの忠告を聞いて、腕の中に注射状の器具で発信 器だけは撃ち込んだ。こうして迎えのクルマを待つことになるブレスリンだが、いきなりやって来たクルマに押し込められる。これはどうも変だと思う間もな く、腕に撃ち込んだ発信器をえぐり出されるブレスリン。しかも麻酔をかがされ、意識はたちまち混濁してくるのだった…。目隠しをはずされたブレスリンの目 の前にあったのは、見たこともない異様な空間。一人一個ずつガラス張りのハイテク・ブースがあてがわれている、巨大な収容施設だった。ガラス張りで24時 間監視体制だから、何かをコソコソ隠れてする訳にはいかない。ホッとするのは独房から出された食事時や休み時間だが、その時も周囲にいるのは、いずれ劣ら ぬ凶悪犯なのだから気が休まる暇がない。中でも大いに目立つ男が、ヒゲ面の大男エミル・ロットマイヤー(アーノルド・シュワルツェネッガー)。何だかんだ と言ってはブレスリンに近づいてくるが、この収容所ではそれなりの「顔」らしいこの男の真意が分からない。油断は禁物だ。そんなこんなで刑務所長ホブス (ジム・カヴィーゼル)と面会することになるブレスリン。しかし、このホブスの様子は尋常ではなく、この場所も普通の「刑務所」ではなさそうだ。皮肉なの は、ホブスがこの施設を、「専門家」であるブレスリンの著書をヒントに作り上げたらしいこと。どうやら最初に聞いていた打ち合わせと少々事情が違っている と気づいたブレスリンは、教えられた暗号をホブスに告げてみるが反応ナシ。今さら話が違うと思っても後の祭りだ。そもそも、この収容所が地球上のどこにあ るのかも分からない。そしてどうやら、この施設からは今までのように一人の力で抜け出す訳にはいかないのも明らかだ。そうは言っても、周囲に信用できる奴 はいるのか? そして何かと近づいてくる、あのロットマイヤーという男の真意は…?

みたあと
 すでに「エクスペンダブルズ」で「夢の共演!」は果 たしてしまっているので、ここでの「売り」は「主役としての初共演」となるスタローンとシュワ。確かにこれは1980年代あたりのアメリカ映画を考えると 「黄金カード」と言えるもの。僕みたいな古参の映画ファンは、こういうカードをチラつかされると見ずにはいられない。そんな二人の「初本格共演作」が脱獄 モノになったというのも、なかなか興味深い。脱獄モノというジャンルは、アメリカ映画の中で繰り返し作られている「定番」。もちろんアメリカの男性スター は、かつてスティーブ・マックイーンでもポール・ニューマンでも、ダスティン・ホフマンやロバート・レッドフォードですら演じてきたジャンルだ。ところが スタローンはすでに「ロックアップ」(1989)、「デッドフォール」(1989)でこのジャンルは経験済みだが、シュワはなぜかまったくやってないんだ ねぇ。これは意外だった。考えてみればシュワの持ち味は開放感あふれる大暴れだったから、狭いところに閉じ込められたり何かを堪え忍ぶのはガラじゃなかっ たのかも。そう思い始めると、早くも企画の趣旨が危うくなってくる。そんな予感はある程度当たったのか、実はこの映画、二人の「初本格共演作」で売っては いるものの、アップのカット数までが同じ…みたいな厳密な意味での「対等共演作」ではない。冒頭からしばらくは、スタローンの独壇場でシュワは出て来な い。シュワが出てくるのは舞台が難攻不落のナゾの監獄に移ってから。つまり、やっぱりスタローン主演作に「客演」みたいなスタイルなのである。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
 そ んな両者の「違い」みたいなモノが災いしたか、この作品、どこかヌルくて中途半端なところが散見される。そもそもスタローンは「痛めつけられ型」であり 「根性型」、「一所懸命型」であり「耐える型」である。ところがシュワのアクション映画は、最初から強くて痛めつけられることがない。「コマンドー」 (1985)など見ても、武装した大軍相手にまったく無傷で一人勝ち状態。余裕綽々な戦いっぷりが持ち味なのである。そのため、この二人のどっちから見て も「なりきれてない」感がプンプン。難攻不落なハイテク監獄の割には、意外と余裕でいられるような環境の良さ。休み時間にはスタローンもシュワも自由にツ ルんでいられるみたいで、全然緊迫感がない。コソコソ脱獄の準備をしているはずが、結構大胆にいろいろなモノを持ち出してもおとがめなし。フリーダム過ぎ る(笑)。一応、途中からスタローンがのんびり寝かせてももらえない状況になるが、それすら大したことがないように見えてしまう。そのくせ、スタローンは 「心が折れそう」的なことをシュワにコボす情けなさ。シュワはシュワで「耐えろ」ぐらいのことしか言わない無責任さ(笑)。灼熱地獄の独房に閉じ込められ てもスタローンは「お手のもの」。シュワはこの手の場面は初めてだが、本来、演技力があるタイプではないので、「つらさ」が全然伝わって来ない。これは最 初から設定が間違っている。綿密な計画を立てての脱獄かと思いきや、最後は良心的な人情医師頼みというのも情けないし、その医師をクセ者サム・ニールに演 じさせていながら、その後は放置して出て来ないとはもったいない。もったいないと言えばスタローンの同僚たちは消息を絶った彼を心配しながら、その後ほと んど役に立っていないのも困ったものだ。だが、一番困ったのは日本の配給会社。予告編にもチラシやポスターにもこの「監獄」の正体がバッチリ出ちゃってる けど、それってホントは劇中の中頃で発覚する「衝撃の事実」だったんじゃないの? これはちょっといかがなものだろうか。それにやっぱりスタローン映画に シュワが客演…という形が最後まで祟ったか、今ひとつシュワが元気なかった。今までハリウッド映画の中ではしゃべってなかったドイツ語台詞を披露して、一 生懸命がんばってはいたけど「これじゃない」感が漂う。そもそもシュワは得体の知れないキャラで、スタローンが信用していいかどうか分からない、あるいは 対立する可能性もあるキャラとして登場してくるんじゃなかったのか。出会ってすぐに仲良く「共闘」し始めちゃうんだと、ありがたみも半減。こういう初共演 を求めていたわけじゃないんだよなぁ。豪華なメンツを集めたけどイマイチ面白くない「シャンハイ」(2010)の監督ミカエル・ハフストロームらしいっちゃらしい出来映えではあるが。

みどころ
  そんなわけで相当にザルな映画だったので、それではさぞやつまらなかっただろう…と思われるかもしれないが、そうはならないから映画って面白い。確かにユ ルユルでバカバカしい映画なのだが、世の中にはそういう映画をボケッと見ているという楽しみ方もあるのだ。そして「第3の男」として出てくるアラブ系の囚 人ジャベド(ファラン・タヒール)が、最初は油断のならない男として出てきながら、最後には壮絶な最期を遂げていいトコをかっさらっていくあたりもいい。 アメリカのアクション映画でこんなにいいイメージのアラブ系の役柄って、今までなかったんじゃないだろうか。ここだけは気に入った。それに何だかんだ言っ ても、スタローンとシュワが助け合って一緒に戦っているのを見るのは、彼らの全盛期から見てきたファンとしては感慨深いモノがある。抜群の安定感で、安心 して見れるアクション映画にはなっているのだ。スリルは全然ないけど、それはそれでいいではないか。そして終盤に救出のヘリコプターがやって来た時、マシ ンガンを手渡されたシュワの目の色がクワッと変わるあたりのおかしさ。それまで今ひとつ「他流試合」めいて元気がなかったシュワが、マシンガンを手にして 撃ちまくったらヤケにイキイキしてきたのには思わず爆笑。それも歌舞伎みたいに大見得切って、カメラもスローモーションで思い入れたっぷりで見せているか らさらに笑える。もはやこれは伝統芸能の域。そういう意味で、一般的に言われる映画の良さとか面白さでは測れないような、独特な魅力を持っていることは否 定できないのだ。残念なのは、この顔合わせが二人の全盛期に見れなかったこと、だろうか。

さいごのひとこ と

 シュワは銃持たせてナンボ。

 

「キリングゲーム」

 Killing Season

Date:2014 / 02/ 03

みるまえ

 この映画のことは、公開されるまでまったく知らなかった。何を見ようかとネットで調べている時に、初めてこんな映画が公開されていることを知った ような有様。それだけヒッソリと公開されたとも言えるが、世が世ならそれなりに話題にもなっていたはず。何しろロバート・デニーロとジョン・トラボルタの 初共演作品だ。確かに初めての「豪華」顔合わせだが、実は「豪華」と言うには両者とも少々峠は越えちゃってる感じもする。おまけにデニーロはやたら敷居が 低くなっていろいろな作品に出ちゃっているもんだから、その価値は半減どころじゃない。昨年末見た「マラヴィータ」(2013)はかろうじて踏みとどまっ ていたものの、近年のこの人の出演作にはロクなものがない。ここ10年ばかりはデニーロの「豪華」顔合わせ作品は乱発気味で、ありがたみもかなり失せてい るというのが正直なところだろう。今まで実現した「ビッグな顔合わせ」も、エディ・マーフィーと組んだ「ショウタイム」(2002)、アル・パチーノと組 んだ「ボーダー」(2008)…など軒並み悲惨な結果に終わっている。今さらデニーロ=トラボルタのタッグと聞いても、大して期待が膨らんでこないのは確 かだ。ただ、この二人ががぶり四つで対決するとなると、どっちかが悪役になることになる。最近はスッカリ「普通の役者」になっちゃったデニーロだが、悪役 をやらせればまだ光るかもしれない。そしてトラボルタの悪役には、「ブロークン・アロー」(1996)以来定評があるところだ。そうなると、ちょっとひと 味違う辛口の映画に仕上がっているかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、公開間もなくの劇場へと足を運んだわけだ。

ないよう

 1995年、NATOの介入にも関わらず泥沼化したボスニア紛争は、一向に解決の糸口が見えなかった。駆り出された米軍兵士たちにとっても、そ の戦場は悪夢そのもの。ある兵士は停めてある貨車をのぞいて、そこに死骸が累々と積み上げられているのに唖然としていた。こんな事をやってのける連中に は、それなりの制裁をしてやらねばならない。戦いの末に何人かのセルビア兵士を投降させた米兵たちには、もはや歯止めがきかなかった。彼らは降伏したセル ビア兵たちを一人ずつひざまずかせ、後ろから頭を撃ち抜いていく。一人、また一人。そして最後の一人になった時。銃を構えた米兵がふとためらった。その 時、頭を狙われているセルビア兵が、チラリと自分を撃とうとしている米兵の方を振り返った。次の瞬間、彼を狙った銃口が火を噴いたのだった…。それから幾 年月。戦いのキズはまだ癒されないものの、落ち着きを取り戻しつつある首都ベオグラード。その街中の小さなカフェに、一人のあごヒゲを生やした男がやって 来た。その男の名はコヴァチ(ジョン・トラボルタ)。彼は店の中で一人の男と落ち合うと、彼から書類の入った封筒を手渡される。中には、どうやらNATO 軍のメンバーとして戦った米兵のファイルが入っているようだ。コヴァチはその中の一枚のファイルに目を留め、目当てのモノを見つけてつぶやいた。「やっと 奴を見つけた!」…。さらに舞台は変わって、ここはアメリカ、アパラチア山脈。一人の初老の男が山中に山小屋を構え、世捨て人のように暮らしていた。男の 名はベンジャミン(ロバート・デニーロ)。彼にはすでに家庭を持った息子もいたが、ずっと離れて暮らしてきた。生まれたばかりの息子が洗礼式を迎えるとの 知らせが来ても、何だかんだ言って出向く気配なし。あらゆる世間のしがらみから離れて、一人でいたいという意志を露わにしているベンジャミンだった。そん な彼も、たったひとつ悩みがあった。それは脚の古傷が痛むため、鎮痛剤を常用していなければならないこと。そしてベンジャミンは、その日、運悪くそのクス リを切らしてしまったことに気づいた。ちょうど天気も悪くなって雨も降ってきたし、日も暮れようとしている頃。ベンジャミンは慌てて街までクルマを走らせ ようとしたが、山道のど真ん中で肝心のクルマの調子が悪くなってしまった。そこに通りかかったのが、雨合羽の見知らぬ男。ベンジャミンの窮状を見て、手を 貸してやろうと声をかけてきた。ベンジャミンとしては知らない人物と関わりたくはなかったが、背に腹は代えられない。結局、この男の手を借りて、クルマの エンジンを修理してもらった。そのおかげか、クルマは無事に走り出す。ベンジャミンとしてはこれでこの男とオサラバして、サッサと街までクスリを買いに行 きたいところ。しかし雨の中を合羽だけで歩くこの男を、見捨てていくのも忍びない。そもそも天候がますます悪くなってきた上に、時間ももう遅い。ベンジャ ミンは街に行くのを断念して、この男をクルマに乗せていくことにした。そんなベンジャミンの申し出に、喜んでクルマに乗り込むこの男。それはベオグラード で米兵のファイルを受け取った、あのセルビア人のコヴァチではないか…!

みたあと

 映画を見始めてすぐにボスニア紛争の話が出てきたのにビックリ。まったく情報を入れていなかったので、こういう話とは思っていなかった。そして、 トラボルタがセルビア人役で登場してきたのに二度ビックリ。髪を短く刈り上げ、あごヒゲを生やしての凝った扮装もスゴイが、かなりキツイなまりの英語で全 編を通しているのにも驚いた。さては今回のトラボルタは「サブウェイ123/激突」(2009)でも披露したクセの強い悪役、それも人間的に屈折した悪役 を見せてくれるんじゃないかと期待がふくらむ。さらに話が本題に入って舞台がアメリカのアパラチア山脈に移ってくると、何となく僕は別のある作品のことを 連想していた。それはウィリアム・フリードキン監督、トミー・リー・ジョーンズとベニチオ・デル・トロ主演の「ハンテッド」(2003)という作品。アメ リカの山岳地帯を舞台に、戦闘能力に長けた二人の男の因縁の戦いを描いたという点で、今回の映画とどこか相通じるものを感じさせる作品なのだ。これはなか なか面白い映画になるんじゃないかと、ますます僕は期待してしまった。

ここからは映画を見てから!

こうすれば

  だからデニーロが自分の山小屋にトラボルタを上げると、何が起きるかとハラハラドキドキ。ところが、二人は酒をグイグイ飲んで世間話に興じるだけ。これが また結構長いのだ。まぁ、それでも緊張感を引っ張るためと考えれば、それはそれで悪くはない。結局その晩は何もなくて、翌朝二人で狩りに出かけてから戦い のゴングが鳴る。いきなりトラボルタがデニーロに向けて戦いを宣言し、弓矢で襲いかかってくるからワクワク。あっと言う間にデニーロは捕らえられ、痛いの が苦手な僕にとってはかなりキツイ場面が出てくるが、それもまぁ本作の趣旨としては「良し」としよう。問題はその次…どう考えても逃れられないピンチに 陥ったはずのデニーロが、あっと言う間にその状況から脱してしまうことだ。僕個人としては「痛い状況」が苦手なのでホッとしたけれど、いとも簡単に絶体絶 命な状況を覆せるというのはいかがなものか。実はこの作品、この後もデニーロとトラボルタがそれぞれお互い絶体絶命状況になり、なおかつすぐに危機を脱出 ということを繰り返す。その都度、何度も何度も形勢が逆転するという展開になっていくのだが、その逆転の糸口が割と単純でくだらないことなのはいかがなも のだろう。攻守がめまぐるしく変わるというのはアクション映画として面白いとは思うが、いずれ劣らぬ戦いの巧者のはず。それが毎回毎回つまらないミスで形 勢を逆転される。おまけに、その時には優勢に立っている側が油断して、調子に乗ってベラベラしゃべっているような状況だ。そんなアホなことを二人と もやらかしていて、おまけに何度も何度も繰り返されるとなると、「こいつらバカか」という気分にもなってくる。「スノーホワイト」(2012)なども手が けたというエヴァン・ドーハティの脚本は、ちょっと工夫がなさ過ぎではないか。

みどころ
  そんなわけで少々残念な出来栄えではあるが、主に手作りの弓矢など原始的な道具による「痛み」を感じながらの戦いという趣旨はなかなかいい。全編合わせて 1時間半以内に収まる上映時間も、アクション映画としては理想的。キュッと引き締まった内容に思える。何よりもロバート・デニーロがひたすら守りに徹して 戦うと思いきや、形勢逆転してトラボルタを捕らえた際に、いきなり目をギラつかせて嬉々として拷問を始めるではないか。あの「タクシー・ドライバー」 (1976)の、ヤバいデニーロが帰ってきた! 久々のデニーロ持ち味全開に、僕はこの瞬間だけでも嬉しくなってしまった。近年フヤけた出演作ばかりが続 いていたデニーロだったから、それらとは一線を画しているというだけでも本作を評価したい。デニーロらしさを引き出しただけでも、マーク・スティーブン・ ジョンソン監督お手柄である。

さいごのひとこ と

 またモヒカン刈りにするんじゃないかと思った。

 

「47 RONIN」

 47 Ronin

Date:2014 / 02/ 03

みるまえ

 今まで僕がこれほどまでに待望した映画があったろうか。僕は、外国映画には「トンデモ日本」映画というジャンルがあると勝手に思っている。外国人 がテメエ勝手な想像と偏見と誤解で作り上げた、地球上のどこにもない「日本」という国を舞台に作り上げた映画。そして、僕はそんな「トンデモ日本」映画が 何よりも好き。僕の中では、「ラストサムライ」(2003)なんてマトモ過ぎちゃって物足りない。もっとトンデモじゃないと(笑)! 僕にとっての「トンデモ日本映画」ナンバーワンは、何と言っても「007は二度死ぬ」 (1967)。だから、ある意味で現実から飛躍していれば飛躍していた方がいいのだ。そんな僕にとって最高のご馳走になりそうな映画が、何年か前から話題 になっていた。企画貧困のハリウッドが、ついに禁断のテーマに手を出したのだ。「南極物語」(1983)までリメイクしてネタも枯れ果てたあげく、何と日 本の忠臣蔵を映画化。それも大石内蔵助を真田広之、吉良上野介を浅野忠信、しかも主演がなぜかキアヌ・リーブスという破壊力抜群のキャスティング。題して 「47ローニン」…って「四十七士」のことなのか。そういや、かつて「RONIN」 (1998)って映画でも、チラッと忠臣蔵の話が出てきたっけ。それにしても、これって果たしてどういう映画になるのか?…と最初から予断を許さない企画 だった。そして撮影はとっくに終わったのに、アメリカ本国でも再編集しなくちゃならないわ公開延期になるわ…で、どう考えても順調に進んでいるはずのない 展開。そしてしばらくして劇場にかかった予告編は…日本では見たこともない荒野が広がって、騎馬兵士たちが駆けめぐり、巨大な化け物が走り回り、どうやら 日本の武士らしい一団もいるにはいるが、何より巨大な竜が襲いかかってくるのには驚いた。ハッキリ言うと、忠臣蔵よりは「ロード・オブ・ザ・リング」 (2001)に近いような世界が展開しているのだった。いやぁ、やっちまったなぁ…。おそらくこれは、間違いなく近年マレに見る失敗作に違いない。だが、 「トンデモ日本映画」を愛好する僕にとっては、これ以上楽しみな映画もない。本当だったら公開すぐにでも劇場に飛んで行きたいところだったが、残念ながら 公私ともに忙しくてそれどころじゃない。しかし案の定、評判はサンザン。あっと言う間に公開終了というウワサが立った。だとすると、早く見なくちゃマズ イ。しかも3D大作でもあるこの映画は、やはりスクリーンで見なくちゃダメだろう。そんなわけで年が明けてすぐに、慌てて劇場へと飛んでいった次第。感想 文は一ヶ月遅れになってしまったが…。

ないよう

 大昔のサムライたちが生きていた日本。主君を失ったサムライたちは、RONINに堕ちるしかなかった…。徳川の支配下にあった日本は鎖国で海外 と隔絶され、諸国とも安定した状態にあった。そんな諸国のひとつである赤穂藩は、領主・浅野内匠頭(田中泯)が将軍綱吉からの評価も高く、繁栄を誇ってい た。そんな浅野たちを秘かにうらやむ吉良上野介(浅野忠信)は、ゆくゆくは赤穂を我がモノにする野望を抱いていた。そんな吉良には、ミヅキ(菊地凜子)と いうナゾの女が常に寄り添っていた。一方、どこからともなく赤穂に流れてきた、明らかに外観が異なる少年がいた。その名をカイ(ダニエル・バーバー)とい う。周囲から忌み嫌われたカイは領主浅野に助けられ、浅野の娘ミカ(マエカワ・アリア)とも仲良くなっていく。彼の心の中には、浅野父娘に対する感謝の念 が育まれていくのだった。こうして成長したカイ(キアヌ・リーブス)は、浅野の家のために献身的に働いた。この日も浅野たちの狩りに同行し、猛り狂う巨大 なケモノ・麒麟を追いかける。しかし麒麟はどう猛な生き物で、狩りどころかこちらが危険にさらされてしまう。中でも深追いした男が身の危険にさらされたと ころを、奇跡的な活躍で麒麟を倒して救うカイ。しかし男はカイに感謝するどころか、「異人などに救われるとは」と蔑んだ言葉を投げつける。おまけに麒麟を 倒した手柄は、チャッカリこの男がいただくというテイタラクだ。そんなカイが狩りでキズを負ったと聞いたミカ(柴咲コウ)は、夜中にこっそり抜け出して、 森の中にあるカイのねぐらへとやって来る。キズを負っても放ったらかしのカイに、心づくしの手当をしてやるミカ。しかしカイは、身分違いの自分にこれ以上 関わらぬようミカに告げるのだった。そんなある日、赤穂藩に将軍・綱吉(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)一行が訪れる機会がやって来る。この栄誉に赤穂は藩 を挙げての大歓迎で応える。近隣の吉良たちも招いて、接待に大わらわだ。しかし赤穂にやって来た吉良一行を見たカイは、吉良に伴うミヅキに邪悪なモノを感 じる。早速、カイはそのイヤな予感を家老・大石内蔵助(真田広之)に伝えるのだが、大石はそんな進言を一顧だにしなかった。そんな中、将軍・綱吉や吉良を 招いての余興として、浅野の配下の者と吉良の家来たちとの御前試合が行われることになる。しかし、妖女ミヅキの呪いは早くも威力を発揮していた。浅野側か ら試合に出ることになっていた男が、ミヅキの呪いで体調を崩してしまったのだ。慌ててカイと大石の息子・主税(赤西仁)が駆けつけた時には、すでに手が付 けられない状態。しかも、試合は今まさに始まろうとしていたところだった。将軍を前にして、試合放棄などという失態は許されない。追いつめられたカイは鎧 甲を身につけ、身分を偽って自ら試合に出ることにした。相手は、黒一色の甲冑に身を固めた巨大な武者。カイは必死に応戦するが、何しろ急場のことなので防 戦一方だ。結局、カイは追いつめられたあげく、衆人環視の元で正体がバレてしまう。「武士」ではない身、しかも「異人」のカイを試合に出したということ で、浅野は将軍の前で決定的な不名誉を負ってしまった。しかもさらにマズイのは、討たれようとしていたカイを浅野の娘ミカが命乞いしたことだ。そんなこん なで、将軍を迎えるという浅野家の名誉にたちまち暗雲がたれ込めてしまう。だが、決定打はその夜に起きた。ミヅキの妖術によって生み出されたクモが、浅野 の寝室に忍び込む。そのクモの糸を伝わって、浅野の口に怪しげなクスリを仕込んだのだ。そのクスリの効果によって、浅野は吉良が娘のミカに襲いかかる幻覚 を見た。逆上した浅野は眠っている吉良に斬りかかり、大石や家臣たちに取り押さえられるという失態を演じてしまった。これに怒った綱吉は浅野に切腹を命 じ、浅野家は取りつぶし。赤穂は吉良に乗っ取られた。そしてミカの身柄も吉良が「保護」することになり、一年後には婚礼が行われることになった。さらに浅 野の家臣たちは「浪人」となり、特に大石は地下牢へと閉じこめられることとなってしまった。それからおよそ一年…。やっと牢から出された大石は、今はあば ら屋に住む妻りくや息子・主税のもとに戻ってきた。しかし帰宅まもなく、主税に今は「浪人」となった家臣たちの行方を尋ねる。大石は、吉良への復讐を忘れ たわけではなかった。たちまちくすぶっていた「浪人」たちを主税に集めさせた大石は、さらに強力な援軍を…と異人たちの街・出島へと足を運ぶ。あのカイが 売り飛ばされ、ストリート・ファイターとして日々を過ごしていると聞いたからだ…。

みたあと
 「忠臣蔵」なのに主演がキアヌ。大石=真田広之、吉 良=浅野忠信というキャスティングはともかく、巨大な化け物は出てくるわ竜は出てくるわ。おまけに舞台は「ロード・オブ・ザ・リング」みたいな荒野だわ… と、予告編を見た段階からトンデモ感がビンビン伝わってくる。それは本編を見ても何ら変わることはなかった。確かに予告編には巨大な化け物が出てきていた が、あれは「麒麟」だったのか。そんな架空の生き物が、実際に生きている存在として出てくる物語なのだ。つまり、「そういうお話」として見てくれというこ とだろう。笑っちゃったのは出島の場面で、外国の帆船が停泊する怪しげな港町として登場。ほとんど「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」 (2003)の世界なのである。そこで奴隷として売られていたキアヌ・リーブス演じるカイが、ストリート・ファイトをしているという案配。今までハリウッ ドが映画にしてきた冒険ファンタジー系のお話に、いくらか日本の時代劇をブレンドしたというような雰囲気なのだ。だから、ここに出てくるのは日本の江戸時 代ではない。どこか地球上ではない場所の、人類の歴史上にもない時代に起きた物語なのだ。こういう発想は確かに我々にはなかった。忠臣蔵をハリウッド映画 化するというのもかなり大胆な企画だと思うが、それをこんな不思議な映画にしちゃおうという発想が、はなっから僕らには浮かんで来ないのだ。こうなってく ると、「トンデモ日本」映画好きの僕としては舌なめずりしてしまう。僕はこういう映画を待っていたのだ。柴咲コウの武家の娘が、常に首の回りにマフラーを つけているような不思議なコスチュームを着ているのも気にならない。まるで「スター・トレック」に出てくる宇宙人みたいだが、そもそもこれは地球上の話で はないのだ。そういう意味では、むしろ「007は二度死ぬ」みたいな作品に一番近いのかもしれない。

ここからは映画を見てから!

こうすれば
 しかし純粋に冒険ファンタジーとして見てみると、まったく文句が出てこないわけではない。むしろ、あちこち残念な点がチラホラするのだ。例えば、将軍を前にした試合に出てきた吉良方の巨大なヨロイ武者が、終盤の決戦の際に大して大暴れもせずにやられてしまう情けなさ。「スター・ウォーズ/エピソード1:ファントム・メナス」 (1999)に出てきたダースモールなみに、つまらない悪役としての使われ方だ。他にも、「魔窟」として描かれた出島に出てくるドクロの入れ墨男も、意味 ありげに出てきた割にはすぐに退場。こうした印象深い悪役やキャラクターが、ほとんど活かされていないのはどうしてだろう。そもそも悪役である吉良が、巨 大で圧倒的な悪に描かれないのもツライ。これは浅野忠信という役者の資質の問題というより、「邪性の女にそそのかされた男」という描かれ方がマズイのだろ う。作り手としては黒澤明の「蜘蛛巣城」(1957)みたいな感じを出そうとしていたのだろうか。しかし、悪役が圧倒的に悪くて強くないと、冒険ファンタ ジーはイマイチ盛り上がらないのだ。だから、これはかなり面白くなるぞ…と期待させられる割には、イマイチ話がはずんでいかない。そもそも「麒麟が生きて いる」ような日本の物語を作るなら、むしろもっとハメをはずしてムチャクチャやってもいいのではないか。その割に、今ひとつハジケきっていないのである。 これだけ日本の時代劇や忠臣蔵に大ナタを振るっているなら、もっと大胆にやっちゃっていいのではないか。脚本のクリス・モーガンは「ワイルド・スピード」 シリーズの最新作「EURO MISSION」(2013)を含むここ数作を手がけたヒットメーカーだが、ちょっとこの題材には不向きだったのかもしれない。

みどころ
  しかし映画を見ていくうちに、なぜか「これはこれでアリ」と思えてくるから不思議。それはこの映画を見ていて、フトかつて見た覚えのある別の映画を連想し たからだ。その作品は、ジョン・ブアマン監督の「エクスカリバー」(1981)。有名なアーサー王と円卓の騎士の物語を描いた映画だ。そこには武勲があり 忠誠があり、剣の戦いと魔法使いが出てくるファンタジー要素が混在していた。僕は「トンデモ」でハジケた映画を勝手に期待していたが、作り手は日本の忠臣 蔵に、どこかこのアーサー王と円卓の騎士の物語みたいなモノを連想していたのではないだろうか。そういえば当の「エクスカリバー」の中でも、ジョン・ブア マンが黒澤明の「影武者」(1980)を意識した演出をしていたっけ。何となくアーサー王の物語と日本の武士道に、何らかの共通性を見いだしていた可能性 は否定できない気がする。それが証拠に…これだけ史実を無視してファンタジーに傾倒した作品にも関わらず、なぜか本作は「武士道精神」みたいなものには忠 実に描かれていて、そこにはほとんど「トンデモ」要素はない。むしろ、武士の精神を誠実に描こうという意図が伺える。だから、無責任にハジケる内容にはな りようもないのだ。意外にも真面目な作品なのである。そう考えれば、長篇劇映画デビュー作にずいぶんと難しい題材を選んカール・リンシュ監督、割と健闘し ていると見てあげるべきではないだろうか。

さいごのひとこ と

 ライク・ア・ローニング・ストーン。

 

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