緊急小特集
ワールド・ウォー "G"
 
World War G
featuring :  "Godzilla"





世界侵略:ニューヨーク決戦〜「ゴジラ」(1998)


 南太平洋、ムルロア環礁。この地上の楽園に、多く の人々がズカズカとやってきた。木々をなぎ倒し、さまざまな設備を設置。それはフランスによる核実験の準備だった。そんな一部始終を、島々に住むイグアナ たちが見ていた。やがてカウントダウンが始まり、巨大なキノコ雲が立ち上がる。後に残されたイグアナの卵に何が起きたのか、それは誰も知らない…。
 同じ南太平洋でも大シケの海。真っ暗闇の中を日本の漁船が突き進む。船室の内部では、穫ったばかりの魚を鮮度のあるうちに加工。ところがブリッジでは、 魚群探知機に巨大な何者かが近づいてくる様子が映し出された。船に激しい衝撃がはしり、船員たちはなぎ倒されて右往左往。そんな船体を、何か鋭く巨大な 「モノ」が突き破る。さらに巨大なシッポがブリッジを直撃して、船は一瞬にして木っ端みじんとなってしまった…。
 ウクライナ、チェルノブイリ近郊。激しい雨の中を、一台のクルマが走る。運転しているのは、まだ学生気分が抜けないようなメガネの男、ニック・タトプロ ス(マシュー・ブロデリック)。イヤホンで音楽を聞きながら、ゴキゲンで歌うのは「雨に唄えば」だ。やがてクルマを止めたタトプロスは、クルマから2本の 電極棒を引っ張りだす。タトプロスは電極棒を地面に突き刺すと、クルマに積んだ装置の電源をオンにした。たちまち地面からうごめき出てくる、ものすごい量 のミミズ。タトプロスはそのミミズをつかんで、箱の中に採集し始めた。ところがそんな彼の背後に、ロシアの軍用ヘリコプターが降りてくる。ヘリから兵士た ちが出てきたのもビックリだが、彼らがタトプロスのクルマに殺到して、寄ってたかって装置を引きずり出し始めるのにもビックリ。当惑するタトプロスに、同 じヘリから降りてきた二人の背広の男が話しかけてきた。
 「タポポリス博士ですか? 私はアメリカ国務省の人間だ」
 「タトプロスです」
 彼らは当惑するタトプロスに、いきなり転任を言い渡すのだった。
 タヒチ島、パペーテ。島の病院に、奇妙なフランス人の一団がやってくる。どうやら彼らの行動は秘密裏のものらしく、ある病室に入るとそこの医師たちを人 払いした。病室で寝ていたのは、あの遭難した日本の漁船の乗組員。どうやら生存者はこの初老の男一人らしい。通訳が日本語で聞き出そうとするが、初老の男 は呆然としたまま。業を煮やした一行のリーダー格の男、フィリップ・ローシェ(ジャン・レノ)は、ライターの火で初老の男の注意を引きつけるとこう尋ね た。「一体、何があったんだ?」
 初老の男は相変わらず焦点の合わない目をしながら、まるで吐き出すようにつぶやくのだった。
 「ゴジラ…ゴジラ…」
 パナマ、サン・ミゲル湾。米軍の水上飛行機から降りてきたのは、あのタトプロス。兵士たちが彼の装置を無造作に運ぶのを見て、気が気ではない様子。そんな彼を出迎えたのは、現場の指揮を執るヒックス大佐(ケビン・ダン)だ。「タコポポス博士?」
 「タトプロスです」
 周囲には軍人や科学者など数多くの人々が右往左往。タトプロスは、自分がなぜこんな所に連れてこられたのか分からない。「自分は畑違いではないのか」と 尋ねるが、ヒックス大佐はまるで動じない。彼はチェルノブイリで放射能の影響による大型ミミズの研究をしていたことを話すと、ヒックス大佐は「ここもその 類いのものだ」と語り、タトプロスに「さぁ、研究してくれ!」と言い放つ。最初は何を言われているのか分からなかったタトプロスだが、自分が足を踏み入れ ている窪地をよくよく見直して驚いた。何とそれは非常に巨大な生物の足跡ではないか。
 「足跡だ! 足跡だ!」と大騒ぎしてヒックス大佐を追いかけるタトプロス。だが、そんなことはここの人間には周知のこと。タトプロスはその場で科学者 リーダーのエルシー・チャップマン博士(ヴィッキー・ルイス)を紹介される。そこにメンデル・クレイブン(マルコム・ダネア)がフランスから届いたばかり のビデオを持参。ビデオには、例の漁船の生存者が「ゴジラ…ゴジラ…」と語る映像が写っていた。
 ニューヨーク、マンハッタン。そのテレビ局に勤めるオードリー・ティモンズ(マリア・ピティロ)は、ずっと下積み仕事ばかりで腐りかけていた。今日も今 日とて自分が提案した新企画について人気ニュース・キャスターのチャールズ・ケイマン(ハリー・シェアラー)に迫るが、ケイマンはとにかく「君の家に行き たい」とか「夜に会おう」とかセクハラ発言ばかり。そんな繰り返しに、いいかげんうんざりしているオードリーだった。
 ジャマイカ、グレート・ペドロ・ブラフ。「現場」に向かう途中の車中で、チャップマン博士に「あなたってキュート」などと迫られてタジタジのタトプロ ス。彼はもうずっと恋人もいないと言っていたが、果たしてその胸中は…。そんなことを話しているうちに、クルマは「現場」に到着。それは砂浜で、すでに多 くの兵士たちや野次馬でごった返していた。そして何より、そこには岸に打ち上げられた巨大な船があった。何より驚くべきは、船の船体に鋭いツメのようなモ ノで引き裂かれたような傷跡が多数残されていること。こんな巨大な爪痕を船の鋼鉄の船体に残すことのできる生き物、そしてその船を岸に乗り上げさせること ができる生き物とは、一体どんなものなのか?
 現場で指揮を執るヒックス大佐は、そこに不審なフランス人の一団がいることに気づいた。そのリーダーは、例のフィリップ・ローシェだ。ローシェはヒック ス大佐に自分たちは損害保険会社の人間であると語ると、そそくさとその場を離れる。その際、ローシェは一心不乱に船体に付着した肉片を採取するタトプロス に注目していた…。
 さらにその夜、アメリカの東海岸沖、三隻の漁船が巨大な網を引っ張って底引き網漁を行っているところ。ところが突然s漁船に振動がはしる。網が何かに 引っかかって船が進まなくなったのだ。エンジンをフル稼働させても効果はなく、逆に引っ張られる始末。このままでは危ないと網を引っ張っていたロープを切 ろうとするが、とてもじゃないが間に合わない。マストは折れてしまい、船は海中に引きずり込まれていくではないか。慌てて海に飛び込む漁師たち。彼らは呆 然としながら海に浮かんでいたが、しばらくすると漁船が吐き出されるかのように海上に勢いよく浮かんできた…。
 そんな漁船遭難の報は、すぐに輸送機で移動中のヒックス大佐やタトプロスたちのもとにもたらされる。アメリカ本土の海岸すぐそばで起きた異変に、ヒック ス大佐は愕然としていた。チャップマン博士はこの生き物について、「古代から生き延びてきた恐竜」ではないか…と語る。しかし、タトプロスの意見は違っ た。彼は南太平洋での核実験と、放射能が生物に与える影響について示唆するのだった。
 眠ることのない大都会、ニューヨーク。横暴なニュース・キャスターのセクハラに憤慨するオードリーは、カメラマンである同僚のビクター・パロッティ(ハ ンク・アザリア)とルーシー(アラベラ・フィールド)相手にコーヒーショップでボヤきにボヤく。ルーシーはそんなオードリーを「あんたはあいつから歩く オッパイにしか見られてないのよ、ナメられてんの!」と焚き付けたあげく、「この街じゃ“イイ人”は負け犬よ」と駄目押し。そんな「食うか食われるか」的 な殺伐とした話題の果てに、オードリーも虚勢を張って「私だってやる時はやる」などと強がりを言い始める。そんな時、コーヒーショップのテレビに思わぬ人 物が映ったのを見て、オードリーはビックリ。それは例のパナマでの調査の様子を取材したニュース映像だったのだが、そこに映り込んだタトプロスが実は彼女 の学生時代の恋人だったのだ。
 その頃、ニューヨークの魚市場は大忙し。しかしご隠居のジョーは今日も暇を持て余し、雨天にも関わらず釣り竿を持って魚市場裏手の桟橋へ。そんなジョー の様子を見て、桟橋近くに暮らすホームレスたちが「風邪をひくだけだぜ」からかった。しかし、「こんな日だからこそ分からない」とジョーは一向に気にしな い。桟橋の突端に椅子を置いて、どっかり腰を据えて釣り糸を垂らした。
 すると…意外にも「引き」があるではないか。
 気をよくしたジョーはグイグイと引き始めたが、思いのほか相手の力が強い。「こりゃ大物か」と喜んでいたのもつかの間、ますます引きが強くなったあげく 釣り竿を持っていかれてしまう。しかも彼方の海が妙な盛り上がりを見せているのに気づいて、ジョーはただただ呆然。しかも「それ」はどんどん桟橋に迫って くる。はっと気づいてジョーが岸に向かって走り出した時には、桟橋は突端からバリバリと木っ端みじんになっていく。
 魚市場に巨大な咆哮が響く。沿岸を走る道路には漁船が放り出されてクルマと激突。魚市場にも漁船が落下してきたが…同時に巨大な生き物の「足」が路上のクルマを粉砕するではないか。もう周辺は大パニックだ。
 それが、例の「ゴジラ」のニューヨークへの第一歩だった!

 この「ゴジラ」出現が、意外なことに上映開始から約25分。この映画全体は138分もあるの で、今まで紹介した「ゴジラ」作品と比べると本格的登場はかなり早く感じる。ただ、劇場で最初に見た時には、実際の登場よりもそこまでの引っぱり具合が体 感時間としてかなり長く感じた。それは本格的登場となるニューヨーク以前に、ムルロア環礁〜チェルノブイリ(タトプロス紹介のためだけのエピソード)〜タ ヒチのパペーテ〜パナマのサン・ミゲル湾〜ニューヨーク・マンハッタン(オードリー登場のエピソード)〜ジャマイカのグレート・ペドロ・ブラフ〜アメリカ 東海岸沖…と、ドラマがワールドワイドな規模であちこちに転々とするからだろう。これはハリウッドの大作SF映画などの定石だが、むやみに話を世界的に広 げてスケールをでかくする、一種のハッタリである。
 今回公開された「ゴジラ」に先立って、ハリウッドで製作された「ゴジラ」映画の第1弾。監督は「インデペンデンス・デイ」(1996)で大いに株を上げたばかりのローランド・エメリッヒ。当初はダイ・ハード(1988)などの撮影監督を務め、「スピード」(1994)で監督デビューしたヤン・デ・ボンが監督する予定だったが、彼のプランでは予算がかかりすぎるということになり降板。エメリッヒが後任に選ばれた。しかし「インデペンデンス・デイ」そのものからして「大味」と評判が悪かったエメリッヒだけに前評判の時点で芳しいものではなかった。
 ホントか嘘かは分からないが、かつてスティーブン・スピルバーグと彼が製作した「ジュラシック・パーク」(1993)の続編「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」(1997) に絡んで、妙なウワサが流れたこともある。「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」の終盤は、舞台がロサンゼルスに移動。連れてこられた恐竜が、街の 中で大暴れするという派手な趣向になっていた。しかしそんなロサンゼルス場面は、元々は存在しないものだったらしい。制作過程でスピルバーグが周囲の助言 も無視して追加した…という、何やらいわくつきの場面だったのだ。では、どうしてこの場面が途中で挿入されたのか。
 実はスピルバーグは、ハリウッド「ゴジラ」について「ロクな結果にならない」とエメリッヒに忠告。しかしエメリッヒは制作を強行したため、これに怒った スピルバーグが「ゴジラ」より先にアメリカの大都会を「恐竜=怪獣」が襲う場面を映画に撮ってしまった…。こんなもっともらしいウワサが、この場面追加の 真相として広く語られていたのだ。実際、「ロスト・ワールド〜」では日本人ビジネスマンが「ゴジラだ〜!」と叫んで逃げる場面があったし、何より映画の公 開時期が「ゴジラ」制作時期とかぶっている。おまけにスピルバーグがスタッフの言うことを聞かずにロサンゼルス場面を入れた…というのも本当らしいので、 このウワサには妙にリアリティがあった。
 しかし何よりこのウワサが一人歩きしてしまったのは、エメリッヒが「ゴジラ」を制作することについてそれだけ数々の強い抵抗があったから…なのだろう。実際には「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」は古典的名作ロスト・ワールド(1925)のエンディング(ロンドンに連れて来られた恐竜が街中で大暴れする)をオマージュしたとも考えられるので、このウワサは事実無根の可能性が高い。しかしこの「ゴジラ」再映画化は、それほどファンから危惧されていた企画だったのだ。
 そして実際に出来上がった作品についても、商業的には成功したものの、批評は最悪だったと記憶している。何より世評の大勢は、次のようなものに集約されるのではないだろうか…「こんなのゴジラじゃない!」
 僕は決して特撮映画や怪獣映画…ましてゴジラの原理主義者ではない。しかしそんな僕でも、この映画が「ゴジラ」じゃない…という意見にはある程度賛同せ ざるを得ない気もする。何よりあの姿カッコウを見て、「ゴジラ」とはにわかに気づかないだろう。おまけにこいつの行動原理は「魚を食いたい」というもので、魚を追って漁船を襲ったりニューヨークの魚市場を襲ったりする。まぁ、魚が欲しいだけでニューヨークまでたどり着いてしまうだろうか…という疑問は常につきまとうのだが…(笑)。
 しかも終盤には、マジソン・スクエア・ガーデンに卵を産みつけてしまう! ゴジラは単性生殖で卵を埋める…という設定には、さすがに恐れ入った。まるで「エイリアン」シリーズみたいで、これには違和感を感じずにはいられなかった。先に挙げた「魚を食う」という設定も含めて、この初代ハリウッド「ゴジラ」は徹底的に「生物感」を強調した仕様になっているのだ。
 それもそのはず…この「ゴジラ」の正体は、すでに映画のオープニング・タイトル・シークエンスで暴露されている。何とムルロア環礁に住むイグアナが、放射能によって巨大化したもの…というのが今回の「ゴジラ」なのだ。いやぁ、これはちょっと衝撃的過ぎる。実はついでにもうひとつ、イグアナって魚食べるのか…って疑問も湧いてくるのだが(笑)、それは言っちゃいけないことなのだろう。
 そんなわけで、予想通りムチャクチャな叩かれ方をした初代ハリウッド「ゴジラ」。とりあえず叩いとけばいい…的な雰囲気になって、「ゴジラ」に対する知 識や愛着のあるなしに関わらずみんなで叩いていたものだったが、果たしてこの作品は1本の「映画」としてそこまでひどい出来なのか?
 ズバリ言わせてもらうが、単にSFアクション大作として考えた場合、この映画がそんなに叩かれなければならない理由はどこにもない
 ぶっちゃけ言えば、一部マニアのような連中の「こんなのゴジラじゃないやい!」みたいなガキが駄々こねてる的な文句は、本来は映画を年に1〜2本しか見 ない人とか、映画を見ていても「ゴジラ」は見ない、邦画なんて見ない…って人などには関係のないことだ。確かに日本人にとっては「ゴジラ」は例えその映画 を1本も見たことのない人であっても馴染み深いアイコンなので、その造形が違う…というのは抵抗があるだろう(僕の感じた違和感もこの類いのものだ)。し かし、この映画が仮に「ゴジラ」とタイトル付けされていなければ、まったく気にならないのではないかと思う。
 そもそも日本の「ゴジラ」そのものだって、初代ハリウッド版を「こんなのゴジラじゃないやい!」とケナせるほど純血性の高いものだっただろうか。先にも 触れたように…息子が出てきたり「シェー!」をしたり(これについては、かつてはビートルズでさえやらされたのだから仕方ないとは言えるが)、はては空ま で飛んだこともある。「こんなのゴジラじゃない」の「こんなの」って一体どんなのを言うのだろう? すでに本家の東宝で、邪道は散々やり尽くしているん じゃないだろうか? 本来の「ゴジラ」には社会性、メッセージ性があると言ったところで、それってシリーズ中に一体何本存在していると言うのだ? そんな に神棚に上げてありがたがるほど、「ゴジラ」って大層なモノなんだろうか。何だか胡散臭いんだよねぇ。
 先ほども述べたように、本作はSFアクション大作としてはそれほど悪くはない。大味だというご意見はもっともだが、これより大味なハリウッド大作など掃 いて捨てるほどある。まずは退屈させない出来映えという点で、本作は酷評を浴びるほど「見るに耐えない」作品ではないのである。この映画に何かされたのか と思うくらい口汚く罵っている人たちは、この映画のどこがそんなに気に入らないのだろう。頭冷やせよ、たかが映画だぜ(笑)。
 主人公を演じるのは、青春スター、若手スターとして長く売って来たマシュー・ブロデリック「ウォー・ゲーム」(1983)、「フェリスはある朝突然に」(1986) あたりが初期代表作というところだろうか。飄々としたユーモアが真情の俳優で、本作でもタトプロスという珍しい名字を何度も間違えられるという、ちょっと トホホな登場ぶり。常日頃から珍しい名字で悩まされて来た僕にとっては、非常にシンパシーのあるキャラクターだ(笑)。学生時代の彼女に未練タラタラで、 そこをまんまとつけ込まれるという設定も僕としては笑えない。ちなみにタトプロスという珍しい名字だが、なぜか本作のスタッフの中に同姓の人物がいる。そ れが、「ゴジラ・デザインド・アンド・スーパーバイズド」という肩書きでクレジットされているパトリック・タトプロスという男だ。おそらくこの人物が脚本に影響を与えて、主人公の名字が決定されたのではないか。まぁ、どうでもいい情報ではあるが(笑)。
 しかしマシュー・ブロデリックは本作の大役をほぼ最後にして、いつの間にかスターとしての位置づけを大きく後退させてしまった。 若い映画ファンの中には、彼のことを知らない人もいるだろう。たぶん「若手」から「本格俳優」への移行時期における本作での大役は、ブロデリックのキャリ アの上ではかなり重要だったのではないだろうか。現在、ブロデリックがパッとしない存在になってしまった一因は、本作の不評ぶりにあると言っても過言では ないような気がする。
 問題は、その相手役となるオードリー役のマリア・ピティロ。生き馬の目を抜くニューヨークのテレビ局で頑張る女の子という設定だが、なかなか芽が出ないところにゴジラ対策本部にいる「元カレ」ブロデリックを発見。これを最大限に利用して自分の手柄を立てようという、どこをどう見ても弁護の余地がないクソ女ぶり。 こいつのおかげでブロデリックはゴジラ対策本部をクビになってしまうのだから、本作最大の戦犯である。最後はブロデリックのもとに戻って行動をともにする ものの、それにしたってまったくスッキリしない設定だ。怪獣映画というジャンルにはタイ映画のガルーダ(2004)に出てくるリーナという超最低ヒロ インがいるが、彼女には負けるものの本作のオードリーもなかなかのもの。リーナと並んで怪獣映画最低ヒロインの東西両横綱を張れるほどのクソ女ぶりだ。ゴ ジラがどうしてこの女を踏みつぶして殺さないのか、見ていて本当にイライラした。マジソン・スクエア・ガーデンの卵なんかより、そっちの方がずっと気に なったよ(笑)。早くその女を殺っちまえ、何やってるんだゴジラ!
 ジャン・レノ
ック・ベッソンの盟友としてこのあたりまで「レオン」(1994)まで全作品に出演し、その「レオン」でアメリカでも認知されてい た。ここでハリウッドにも呼ばれるようになり、「ミッション:インポッシブル」1作目(1996)、次いで本作「ゴジラ」に出演。ハリウッドにおけるフラ ンス代表というポジションを得た。しかし最近はそのポジションも、アーティスト(2011)のジャン・デュジャルダンにすっかりお株を奪われてしまっ たみたいだが…。
 それにしてもちょっとこれはいかがなものか…と思わされるのは、ゴジラの発生の責任をフランスの核実験に押し付けていること。確かに本作のちょっと前 に、フランスがムルロア環礁での核実験を再開して世界のヒンシュクを買っていたということは確かだ。そういう意味では、ある程度タイムリーな設定になって いると言えなくもない。しかし、日本で製作されたオリジナルではアメリカの核実験が生んだ怪物だったものが、ハリウッド製になったとたんにフランスが悪 い…ってなっちゃうのはいかがなものだろうか。ちょっとそれって調子がよすぎやしないか? 何しろ本作のオープニングは、フランス国歌が聞こえてくるとこ ろから始まるのだ。ジャン・レノもその一環として出てくるのだが、オマエはフランス人としてそれでいいのかよ?
 そういえば、この映画というとエンディング・テーマ曲にも言及しなくちゃいけない。僕はまったく事前情報なしでこの映画を劇場に見に行ったので、エン ディングの曲が流れたとたんビックリ。何とレッド・ツェッペリンの「カシミール」が流れてきたではないか! しかしよくよく聞いてみると、ロバート・プラ ントのボーカルの代わりに何やらラップみたいなのがブツブツ聞こえてくる。でも、バックでジョリジョリいってるギターは、どう聞いてもジミー・ペイジのそ れではないか。この曲は一体何なのだ?
 実はこの曲、パフ・ダディというラッパーの「カム・ウィズ・ミー」という曲。しかし原曲は、間違いなくツェッペリンの「カシミール」だ。このパフ・ダ ディって人(実は他にもいろいろ異名があるらしい)、既存曲のサンプリングが芸風らしくて他にもポリスやデビッド・ボウイで似たようなことをやっているら しい。しかも、この「ゴジラ」のためのレコーディングには、本物のジミー・ペイジを迎えて弾いてもらったというから驚いた。まぁ、ジミー・ペイジは北京オ リンピック閉会式にも次のロンドン五輪をアピールするためにわざわざギターを弾きに行くほどミーハーだし(笑)、チャールズ・ブロンソン主演の「ロサンゼ ルス」(1982)の映画音楽をやってるなど映画にも関心がありそうな感じ。喜んでホイホイ参加したことは想像に難くない。そしてツェッペリンの「カシ ミール」のジャジャジャッ、ジャジャジャッ…というリズムを繰り返すギターのフレーズは、伊福部昭の「ゴジラ」のテーマとどこか一脈通じる感じもする。こ れに気付いたパフ・ダディって人のセンスも、なかなか非凡かもしれない。
 そんなわけでいろいろ述べているうちにホメてるんだかケナしてるんだか分からなくなってしまったが(笑)、1本の娯楽映画としては決してそんなにメチャ クチャ悪いモノとは思えない…というのが僕の言いたかった点だ。ただ、良くも悪くもローランド・エメリッヒは「ゴジラ」に何のシンパシーも思い入れもない んだろう。
 正直言って変に熱い思い入れを一方的にぶつけられても、ただただ鬱陶しく暑苦しいだけだったりする。だから、個人的にはこのエメリッヒのサバサバ感がそ んなに嫌いじゃない。単に「ゴジラ」なんてタイトルを付けたばっかりに、面倒くさい映画になっちゃったというのが本当のところだろう。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 まず、1954年版オリジナル「ゴジラ」の感想に書いてあるように、どうもそのオリジナル版はレイ・ハリーハウゼンの「原子怪獣現わる」に 大きな影響を受けているらしい。作品そのものを日本で見ることはタイミングとして無理だったはずだが、その評判ぐらいは聞いていたのではないかと思われる のだ。そして本作初代ハリウッド版「ゴジラ」は、どっちかというと日本の「ゴジラ」より「原子怪獣現わる」のリメイクといった方が辻褄が合いそうなのであ る。そもそも最終的に上陸するところがニューヨークで、港からウォール街へと移動。マンハッタンに居座ってしまうあたりも似た感じがする。
 一番共通性を感じさせるのが、初代ハリウッド版「ゴジラ」がパンナム・ビルをブチ抜いてしまうところ。何となくアニメ・キャラが壁をブチ抜いて逃げ出し た後に自分の姿かたちの穴が開く場面みたいで、実は見ていて少々苦笑してしまった。ところが、これって「原子怪獣現わる」にすでに同じような場面が存在し ているのだ。こうなると、本作が「原子怪獣現わる」を意識しているのはほぼ間違いない。エメリッヒがあれほど内外の「ゴジラ」ファンから批判されても平気 でいられたのは、“オレはそもそも「ゴジラ」の元祖を参考にしているんだ!”…という自負があったからではないか。
 さらに周到なエメリッヒは、本作を作るにあたってちゃんと一種の「保険」もかけている。…これはあまり指摘されていないことなのだが、厳密に言うと実は本作は「ゴジラ」の再映画化ではない…と考えられるのだ。しかもその証拠を、映画の中に埋め込んで見せているのである。
 本作では、ムルロア環礁の核実験で巨大化したイグアナが、南太平洋で操業中の日本漁船を襲う(余談だが、この漁船になぜか加藤雅也が乗っていたのにビッ クリ!)。唯一の生存者である日本の漁師がこのモンスターの初の目撃者だが、この男が混濁した意識の中で「ゴジラ…ゴジラ…」とうわ言のようにつぶやくの だ。本作のタイトルはここから来ている。
 この意味が、お分かりいただけるだろうか。
 本作に描かれている世界では、我々の世界と同じくすでに「ゴジラ」と呼ばれる日本の怪獣映画が存在している。日本の漁師にとっては爬虫類タイプの巨大怪 獣はどれも同じに見えたから、彼は自分が見たモンスターを「ゴジラ」と呼んだ。それは「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」の終盤で、ロサンゼルス で暴れる恐竜を見た日本人ビジネスマンが「ゴジラだ〜!」と叫んでいるのと同じだ。例えばスペースシャトルの初代機を、「スター・トレック」に出てくる宇 宙船にちなんで「エンタープライズ」と命名するようなものだ。日本で最初に作られた1954年版オリジナルで、あの怪獣が「ゴジラ」と呼ばれていたのとは 根本的に違うのである。
 本作は、実は「ゴジラ」の映画ではない。「ゴジラ」という名前で呼ばれた別のモンスターの映画なのだ。
「こんなのゴジラじゃない!」と言われるのも、当たり前の話なのである。
 



Godzilla
(1998年・アメリカ、日本)
セントロポリス・エンターテインメント、フライド・フィルムズ、インディペンデント・ピクチャーズ、東宝映画、トライスター・ピクチャーズ 制作
監督:ローランド・エメリッヒ
製作:ディーン・デブリン
脚本:ディーン・デブリン、ローランド・エメリッヒ
原案:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ、ディーン・デブリン、ローランド・エメリッヒ
出演:マシュー・ブロデリック(ニック・タトプロス)、ジャン・レノ(フィリップ・ローシェ)、ハンク・アザリア(ビクター・“アニマル”・パロッ ティ)、マリア・ピティロ(オードリー・ティモンズ)、ケビン・ダン(ヒックス大佐)、マイケル・ラーナー(ニューヨーク市長)、ハリー・シェアラー (チャールズ・ケイマン)、アラベラ・フィールド(ルーシー・パロッティ)、ヴィッキー・ルイス(エルシー・チャップマン博士)、マルコム・ダネア(メン デル・クレイブン)

2014年9月20日・ビデオにて鑑賞

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...


 



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