緊急小特集
ワールド・ウォー "G"
 
World War G
featuring :  "Godzilla"





パシフィック・リム〜「GODZILLA 1985」(1984)


 東京の南方160キロ、大荒れの海上を一隻の漁船 が進む。新入りのケン(宅間伸)は、あまりの大シケに真っ青。しかし他のベテラン乗組員は別の意味で真っ青になっていた。船が前方にある岸壁に引き寄せら れているのだ。座礁は免れないと思ったその時、その岸壁は突然閃光を発して動き始めた。その眩しさに、思わず目を見はるケン…。
 同じ頃、遥か遠くにまなざしを送りながら、追憶にひたる年老いた男がひとり。男の名はスティーブ・マーティン(レイモンド・バー)。その男の部屋は、彼 の波乱に富んだ生涯を物語るかのように、多彩な思い出の品々で埋め尽くされていた。中でも目を引くのは、おそらく極東の島国で手に入れたであろう「竜」の アクセサリー…。
 夜が明けた海は、昨夜の荒れ模様がウソのように穏やかだった。ヨットでひとり航海中の牧吾郎(田中健)は、前方に一隻の漁船を見かけて声をかける。しか し、答えは返ってこない。それどころか、まるで人けがない。彼は漁船に乗り移ってみたが、やはりそこには人の姿がなかった。通信室に入った牧は、鼻を突く 異臭に顔をしかめる。そこにはミイラ状態となった、通信士の死体があった。まるでこの船は幽霊船ではないか。さらに死体が散乱する船室を探す牧は、ロッ カーの奥に隠れたケンを発見。意識を失ってはいるが、彼はまだ生きていた。ところが喜んだのもつかの間、船室の片隅から飛び出した異様な生き物が牧に襲い かかってくる。それは、巨大なフナムシというべきだろうか。危うくフナムシに殺されそうになる牧だったが、突然フナムシが動かなくなる。そこには、包丁を 持ったケンが立っていた。
 こうしてケンのおかげで牧は命拾いし、ヨットからの通信で救助のヘリコプターがやってきた。
 それからまもなく、ここは首相官邸。三田村首相(小林桂樹)は困惑の色を隠せない。生き残ったケンの証言から、驚くべき事実が明らかになった。30年前 に死んだはずのゴジラが生き返ったのだ。武上官房長官(内藤武敏)は、これが明るみになった時の国内のパニック状態を恐れる。結局、三田村首相は、当面事 実を伏せておくことを決めた。
 一方、ある新聞社の編集室。あの牧は、この新聞社の記者だった。しかし、彼が書いた例の遭難船の記事はボツ。怒った彼は上司に噛み付いたが、編集長は慌てず騒がずこう言った。「国家機密で出すわけにいかん。その機密とは、ゴジラだ!」
 しかし編集長はこの件については公表は出来ないものの、取材は続行しろと指示を出した。林田博士という生物学者に会いに行けというのだ。
 高層ビルの一角に研究室を構える林田博士(夏木陽介)のもとへ、早速やってくる牧。林田博士は子供の頃にゴジラの襲撃で両親を失った男で、牧はそのあた りのことから単刀直入に質問をぶつける。林田博士によれば「ゴジラは歩く核兵器」のようなもので、絶対殺せない不死身の存在だという。そんな時、牧は研究 室で手伝いをしている若い女性を見て驚く。何と偶然なことに、彼女は例の漁船の生存者ケンの妹、尚子(沢口靖子)だった。牧はケンから写真を見せられてい たので、見覚えがあったのだ。しかし尚子は、例の遭難船の事件そのものが伏せられていることから、兄の救出を知らされていなかった。尚子から兄への思いを 聞かされた牧は、「これは間違っている!」と秘密裏にケンが入院している病院を教えるのだった。
 その頃とある深海で、ソ連の原子力潜水艦が緊張に包まれていた。何やら巨大な物体が前方から近づいてくるのだ。発射した2発の魚雷はどちらも命中したが、相手はまったく勢いを止めない。やがて原潜はその「何か」に襲われ、海底の奥深くで破壊されるのだった。
 この報はすぐに、アメリカのペンタゴンにも伝わった。グッドホー将軍(ウォーレン・ケマリング)はマクドノー少佐(トラビス・スウォーズ)のまくしたて るヨタ話は相手にしていなかったが、戦略室に入るや否や、ラスチェン大佐(ジェームズ・ヘス)にソ連原潜遭難の知らせを聞いて、にわかに表情を曇らせる。 案の定、ソ連軍は厳戒態勢を敷き始めた。グッドホー将軍は、大統領にホットラインでモスクワと連絡をとるように進言する。
 同じ頃、首相官邸でも緊迫したやりとりが展開していた。ソ連が同盟軍を率いて原潜の報復を行う手はずを整え、これを受けてNATO軍も警戒態勢に入っていた。まさに一触即発。事ここに及んでは、もはや沈黙は許されない。三田村首相は苦渋の決断を行った。
 こうして首相は米ソ大使を呼んで事件のあらましを説明するとともに、例の唯一の生存者ケンを前面に立てて、事件の全容を公表した。「ゴジラは生きている!」…衝撃の見出しが各紙の一面に躍った。
 こうして米ソの代表も交えて、関係各国が協議する対策会議が招集された。米ソとも主張するのは戦略核の使用。ゴジラが上陸してきた時は、核兵器の使用を 認めろと迫ってきた。これに対して三田村首相は「わが国には非核三原則がある」と主張するものの、強気で押してくる両国代表に対していささか苦しい立場に 追い込まれていた。
 そんな夜、東京港に停泊しているソ連の貨物船に、ひとりの男が乗り込んでいく。この男、明らかに軍人で、貨物船の中の秘密の部屋にIDカードで侵入。彼はモスクワからの指令を受け、ミサイルを制御可能な状態にした…。
 こうして日本近海に海上自衛隊が展開。林田博士や牧らも協力して、ゴジラ探索が始まった。博士によれば、ゴジラは核に惹かれてソ連原潜を襲ったという。ゴジラは核を「食う」のだ。腹を空かせれば、日本にも現れる…。
 しかし、そんな人間たちの思惑をあざ笑うかのごとく、事件は起きた。
 まだ薄暗い、早朝の静岡県・井浜原子力発電所。その朝もやをついて、鋭い雄叫びと地響きが聞こえてきた。何事かと建物の外に出てきた警備員(石坂浩二)は、目の前に立ちはだかる巨大な存在に気付いて思わず腰を抜かす。その天を突くようなあまりに巨大な存在とは…。
 「ゴ、ゴジラだ!」…。

 このゴジラ初登場場面で、映画は27分経過。本作「GODZILLA 1985」の上映時間は例のInternet Movie Databaseによると103分ということだが、私が手に入れたビデオによると約87分となっている。実はこの時点では、本作の「主演」であるレイモンド・バーは冒頭にチラリと顔を見せただけで、本格的には登場していない。31分経過の時点でレイモンド・バーは軍から協力を要請され、37分経過の時点でペンタゴンに現れる。以後、レイモンド・バーはペンタゴンの戦略室で事態の成り行きを見守ることになる。
 ここで僕がレイモンド・バーの名前を出したことからお察しの通り、この「GODZILLA 1985」は1984年に公開された日本映画「ゴジラ」のアメリカ公開版である。かつてのオリジナル第1作ゴジラ(1954)が、アメリカ公開時にレイモンド・バー登場シーンを追加撮影・再編集されて怪獣王ゴジラ(1955)となったように、本作も1984年版「ゴジラ」に追加撮影・再編集をほどこしたものなのだ。
 では、本作の原型となった1984年版「ゴジラ」はいったいどんな作品なのかといえば…簡単にいうと、一旦は中断していた「ゴジラ」シリーズを復活させるべく制作された作品ということになるのだろう。ここからは事情に詳しい知人に聞いた話や、資料の受け売りで語ることをお許しいただきたい。シリーズ第2作の「ゴジラの逆襲」(1955)から第3作「キングコング対ゴジラ」(1962)との間はかなり間隔が開いたが、それ以降はほぼ毎年のように新作が作られていた「ゴジラ」。それも、「メカゴジラの逆襲」(1975)で一度断ち切られたかたちになっていたようだ。その沈黙を破って、1984年版「ゴジラ」は作られたことになる。
 ところで…僕はてっきりこの作品が、1954年に作られた最初の作品…オリジナルの「ゴジラ」のリメイクにあたるものなんだろうと思っていたので、今回の「GODZILLA 1985」を見て驚いたことを白状しなくてはならない。
 遭難した船の生存者からの報告を受けた総理大臣が、いきなりこうつぶやいたからだ。
 「ゴジラか…」
 この映画の中の世界では、過去に「ゴジラ」と呼ばれる怪物が出現していたことになっている。だから総理大臣以下誰もが、怪獣の存在を一笑に付さない。それどころか、主人公たちも「いるのが当たり前」のような態度で受け止めている。
 つまり1984年版「ゴジラ」は、1954年のオリジナル「ゴジラ」のリメイクではあり得ない。むしろ、1954年版の「続編」として語るべき作品なのだ。
 そのため、オリジナル「ゴジラ」の本来の続編である「ゴジラの逆襲」もそれ以降のシリーズ作品の存在も、本作からはきれいに抹消されている。
 僕は「GODZILLA 1985」を見てそれを知ったが、ひょっとして再編集・英語ダビングの際に設定を変えられているかも…と思い、「ゴジラ」に詳しい知人に改めて問い合わせ てみた。その結果、やはり以前の「続編」以降の作品がすべて「なかったこと」にされていることを確認したというわけだ。つまり、1984年版「ゴジラ」は 日本に初めてゴジラが襲ってきた設定の1954年版オリジナル「ゴジラ」のリメイクではなく、さりとて「ゴジラの逆襲」〜「メカゴジラの逆襲」の後に続く 作品でもない。これらの10数作をすべてなかったことにして1954年版オリジナルに直結した「続編」…いわゆるシリーズ「再起動」の作品なのだ。
 だから、物語は至ってシリアスタッチで進行。先にもちょっと触れたが…シリーズの途中ではゴジラの「息子」が出てきたり、「おそ松くん」のキャラクター であるイヤミの得意ポーズ「シェー!」をやってみたりしていたゴジラだが、それらは本作では「黒歴史」として「なかったこと」にされている(笑)。あくま で1954年版オリジナル「ゴジラ」の正統な継承者として、シリアスタッチで話は進行するのである。
 本作の特徴としては、先にも触れたように総理大臣を含めた政府の中枢の対応が画面に出てくること。総理大臣には小林桂樹を据えて、それなりに重厚感を出そうとしている。つまり当時の東宝としては、怪獣映画版の日本沈没(1973) を目指したんじゃないかと思われるのだ。ただ、それにはちょっと政府の対応がお寒い感じで、シミュレーション・ドラマとしては貧弱。再編集版の 「GODZILLA 1985」を見てこれを言ったらフェアじゃない気もするのだが、実際にそう見えちゃうんだから仕方がない。もっとも「日本政府の対応なんてお寒いはず」と いう意図があってやったのなら、これはこれでリアル感があるといえなくもないが(笑)。
 そして日本政府をドラマの重要な位置に持ってきたため、関係各国との激しいやりとりが劇中で描かれることになる。この時代にはまだ冷戦が終わっていな かったので、ゴジラ撃退を名目にした核兵器使用を巡って米ソが激しく駆け引きをする設定になっている。そのあげく、ソ連が暴走して日本に着弾する核ミサイ ルを使用可能にしてしまうわけだ。1985年にゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任する前に制作された映画なので、この設定は当時としては「リアル」な ものなのだろう。
 ただ、いかんせんここまでくると大風呂敷も広げ過ぎなのかもしれない。ハリウッド映画なら楽勝なのだろうが、日本映画としてはこのあたりが限界ということになるわけだ。だがこちらアメリカ編集版「GODZILLA 1985」では、ここにアメリカ側の対応を追加した。ペンタゴン場面を追加撮影して、日本映画である1984年版「ゴジラ」の劇中に挿入していったのだ。そのことによって、「ゴジラ」に太平洋をまたいだワールドワイド性を持ち込もうとしたのである。
 そして「怪獣王ゴジラ」に「主演」したレイモンド・バーを再招集。当時を知る唯一のアメリカ人として、アドバイザリー・スタッフとしてペンタゴンに呼ばれる設定にした。これはなかなか巧みな改変ではないか。
 ただしその結果うまくいったかというと、そうはなっていないから映画というのは難しい。
 アメリカ軍の場面はペンタゴンの戦略室に固定されてしまっていて、そこで将軍たちがゴチャゴチャ言っているだけ。ゴジラに向けて発射されたソ連の核ミサ イルを米軍のミサイルが迎撃する…という元の1984年版「ゴジラ」の設定にうまくハメ込んだな…と感心はしたが、本編と連動している部分はそこぐらい で、後はほとんど「傍観者」的な立場でしかない。何よりレイモンド・バーはただ座っているだけで、ペンタゴンに呼ばれた意味もないのだ。レポーターとして のレイモンド・バーがドラマが動く先々に一緒に出向き、まるで最初からレイモンド・バーの役ありきで作られたかのように自然に作られた「怪獣王ゴジラ」と 比べると、こちらの再構成はかなり落ちるのである。
 もっと問題があるのは演出のタッチで、ペンタゴンのアメリカ軍側を演じる役者3人が、明らかにコミカルに演出されている。これが日本側における首相の小林桂樹をはじめ田中健夏木陽介たちの深刻な演技と完全に剥離した印象を与えてしまっているのだ。肝心のペンタゴン場面の中でさえ、コミカルな軍人3人とあくまで真面目な顔で演じているレイモンド・バーが噛み合っていない感じがするのだから、これは米国側の演出を行ったR. J. カイザーなる人物の責任だろう。
 もっとも、元々の日本版でもなぜか武田鉄矢の ホームレスがやたらに出てきて、笑えないコミカル場面を展開しているから人のことは言えない。上は小林桂樹の首相から下は武田鉄矢のホームレスまで、多彩 な人物を出してスケールのでかい物語を構築しようとしたのだろうが、ただ並べただけでバラバラな印象は否めない。こちらも演出ミスと考えるべきなんだろ う。
 おまけに日本版では物語の後半にスーパーXなる特殊兵器が出てきて、それまでのシミュレーション・ドラマ的な作りを台無しにしてしまう。東宝ってどうしてこういう海底軍艦とか轟天号みたいのを出さないと気が済まないのだろうか。おまけに一方で高層ビルから脱出しようとする田中健、沢口靖子、夏木陽介を描くタワーリング・インフェルノ(1974)まがいのエピソードが出てきて、それとスーパーX対ゴジラという二本立て体制になってしまう。何が描きたいんだか分からない展開になってしまうのだ。さすがにこれは散漫すぎる。
 ケチつけついでにもうひとつ言えば、ペンタゴン場面の貧寒さも目を覆わんばかりで、軍人3人とレイモンド・バー以外に人がいないみたいに見えてしまうのが情けない。実際、低予算で仕方なかったんだろうが、セットも貧弱でロクな設備がないのがバレバレ。唯一、なぜかドクター・ペッパーの自動販売機だけが妙に目立ったので不思議に思っていたら、エンド・クレジットを見たらドクター・ペッパーとタイアップしているではないか。つまり、これはそういう映画なのである。
 そんなわけで、一般的なSFサスペンス映画として見てもいかがなものか…と思わされる出来映えの「GODZILLA 1985」ではあるが、この映画にはもっと大きな問題があるように思える。先に「映画は時代の産物」ということを述べたが、だとすると本作には致命的な欠陥が見受けられるのだ。
 それは、そもそも日本版の1984年版「ゴジラ」に問題があるのかもしれない。
 僕は今回あくまで「GODZILLA 1985」を見ただけで判断しているので、ハッキリしたことは断定できない。しかし、そこから類推してみる限りにおいて…先にも述べたように日本版の 1984年版「ゴジラ」は、“あくまで1954年版オリジナル「ゴジラ」の正統な継承者として、シリアスタッチで”作られた「原点復帰」的 な作品のようである。そして、おそらく1954年版オリジナル「ゴジラ」がある程度現実の社会を反映させた作品であったように、1984年版も東西冷戦な どの「現実世界」を投影させたものに作ったつもりだったのだろうと思う。しかし、そこにはどうしても根本的な違いがあった。
 1954年のオリジナル版には、「ついこの前」終わったばかりの戦争や、そこで被った原爆被害に対する「生理的な嫌悪感」みたいなものが反映されてい た。後年になってそれはまるで「反核メッセージ映画」であるように評価されるようになったけれども、実はそんな政治メッセージ的なものであるよりも、もっ と切実な「イヤだ」という思いであったように思う。しかし「原点復帰」を狙ったかのような1984年版はそこをあくまで勘違いしてしまったようで、ただ単 に東西冷戦的な要素をそのまま持ち込んでしまった。しかし、そもそも政治メッセージやプラカード的なモノは「ゴジラ」にはそぐわない。しかも米軍のミサイルでソ連ミサイルを迎撃…みたいな設定を入れてしまっているから、メッセージそのものも混濁した危ういものになってしまっている
 おまけに、1984年のゴルバチョフ登場前夜においては、「東西冷戦」はすでに「語らなくてはならない切実な問題」ではなかったのではないか。1954 年版「ゴジラ」発表時においては、ボロ負けしてウンザリな戦争も原爆被害も「語らずにはいられない切実な問題」だった。しかし1984年版における東西冷 戦は、とりあえず「リアルな現実」らしきものを入れておけ…という制作者側の思惑でしかなかったように思う。それがそもそも、作品の緊張感を削いでいたの ではないか。1984年版は、「別にこの時に作らなくてもいい」必然性のない「ゴジラ」になってしまっているのである。
 そんな元の日本版もガタガタならば、それにどんなフィルムを継ぎ足してもどうしようもない。改めて1954年版オリジナル「ゴジラ」とその改変版「怪獣王ゴジラ」の偉大さを痛感させてくれるだけの残念な1本…というのが、本作への正直な感想である。



Godzilla 1985
(1984年・日本、アメリカ)
東宝、東宝映像、ニュー・ワールド・ピクチャーズ 制作
監督:橋本幸治、R. J. カイザー
製作:田中友幸、アンソニー・ランデル
特殊技術:中野昭慶
脚本:永原秀一、リサ・トメイ
原案:田中友幸
出演:レイモンド・バー(スティーブ・マーティン)、小林桂樹(三田村首相)、田中健(牧吾郎)、沢口靖子(奥村尚子)、宅間伸(ケン/奥村宏)、武田鉄 矢(ホームレス)、夏木陽介(林田博士)、ウォーレン・ケマリング(グッドホー将軍)、ジェームズ・ヘス(ラスチェン大佐)、トラビス・スウォーズ(マク ドノー少佐)、内藤武敏(武上官房長官)、警備員(石坂浩二)

2014年9月3日・ビデオにて鑑賞


 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...


 



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