緊急小特集
ワールド・ウォー "G"
 
World War G
featuring :  "Godzilla"





グランド・イリュージョン〜「ゴジラ」(1954)


 大海原を行く貨物船。その長い夜を、乗組員たちはそれぞれのやり方でくつろいでいた。
 ある者は甲板でギターを奏で、またある者はハーモニカを吹きながら、遠く離れた故郷や家族に思いを馳せていた。そんな時、突然に海の表面が泡立ち、眩しい光が瞬いた。
 「うわーっ!」
 甲板にいた乗組員は、あっと言う間に熱風と衝撃波で吹っ飛ばされる。通信士が慌ててSOSを発信するが、たちまち激しい大波が船内に押し寄せる。なぜか船は炎に包まれ、瞬く間に海の藻くずと消えた。
 その知らせは、巡りめぐって南海サルベージ社の事務所にいる尾形(宝田明)のもとに届く。先ほど遭難したのは親会社の船で、SOSの知らせを受けて尾形 は海上保安庁に遭難を知らせなければならなくなった。尾形は恋人の恵美子(河内桃子)とコンサートに出かけるところだったが、そんなことは言っていられな い。尾形は恵美子一人をコンサートに行かせて、自分は海上保安庁に出かけることにした。こうして尾形と社長(小川虎之助)は海上保安庁にやってくる。とこ ろが海上保安庁でも、事故の原因は皆目見当がつかない。
 そのうち、問題の遭難海域に別の貨物船がやってくる。ところが再び海面が泡立ち激しく発光。その貨物船も炎上し、たちまち沈没してしまった。こうなると 海上保安庁に乗組員たちの家族が殺到してくるが、何しろ情報が少なすぎて海上保安庁でも何とも言いようがない。そのうち遭難した船の生存者が、漂流してい るところを付近の大戸島の漁船に救助される。ところが、ようやく真相らしきものが分かりそうだと関係者が安堵したその矢先…またしてもその漁船が消息を絶 つというアリサマ。事ここに及んで、さすがに事態の深刻さが世間にも広がっていく。
 問題の大戸島では漁船の遭難のせいで、島民たちが海を凝視している。島の高台からは長老(高堂国典)が新吉少年(鈴木豊明)と一緒に海をにらんでいた が、沖合から筏が漂ってくるのを発見。そこには新吉の兄の政治(山本廉)が、漁船の唯一の生き残りとして半死半生の状態で乗っていた。
 その後、島から漁に出た漁船は、どれもこれもまったく収穫なしのお手上げ状態。あまりの不漁ぶりに、長老は思わずつぶやく。「こりゃあ、ゴジラかもしれねえ…」
 そんな折りもおり、島に一機のヘリコプターが着陸する。降り立ったのは、東京からやってきた新聞記者の荻原(堺左千夫)だ。萩原は記者ならではの嗅覚 で、この大戸島へとやってきたのだ。しかし、生存者の政治に話を聞くと、海の中に大きな化け物がいる…などといったトンデモ話が飛び出す。さすがに信じ難 い表情の萩原に、政治は「やっぱり信じないのか、だから言いたくなかったんだ!」と怒って立ち去るのだった。
 夜になると、島の神社で島民を集めて神楽が演じられる。それは、村の古い言い伝えに従った「いわくつき」の神楽だった。萩原は長老から、島の言い伝えを 聞き出す。それは「ゴジラ」と呼ばれる巨大な怪物についての話だ。海の生き物を食い尽くし、腹が減ると島にやってきて人を食う。そのため不漁が続いたとき などは、島の若い娘を筏に乗せて「ゴジラ」の生け贄にした…というものだった。
 だがその夜遅く、天候は一気に悪化。激しい風雨が大戸島を襲う。家で母親と一緒に眠っていた政治と新吉は、巨大な地響きと振動で目を覚ます。新吉は慌て て家を飛び出すが、政治は迫ってくる「それ」を見て身動きできなくなった。やがて家は泣き叫ぶ新吉の目の前で破壊され、ヘリコプターも押しつぶされた状態 で残されていた…。
 この事件を受けて、大戸島災害陳情団が国会にやってくる。早速、その報告会が開かれて、村長や新吉、そして記者の萩原から驚くべき証言が語られる。彼ら はみな同様に、巨大な何者かが島を襲った…というのだ。特別に招聘された古生物学の権威である山根恭平博士(志村喬)はこれらの証言を聞いて、大戸島に調 査隊を派遣すべし…と提案するのだった。
 大戸島調査団を乗せた船が出航したのは、それからまもなくのことだ。調査団には山根博士と南海サルベージの尾形が参加。尾形の恋人である恵美子は実は山根博士の娘で、彼女もまた父に同行して船に乗っていた。
 そんな調査団の船を見送る人々の中に、ひっそりと佇むアイパッチの男。その男の名は、芹沢大助(平田昭彦)。その顔には、いわくありげな深い傷跡が刻ま れていた。どこか陰りを感じさせるこの男は、山根博士や恵美子とは旧知の仲。それゆえ、この日も一行の出発を見送りにやってきたのだ。しかし、尾形の傍ら で芹沢に向かって無邪気に手を振る恵美子を見つめながら、果たして彼はいかなる思いを抱いていたのだろうか…。
 こうして大戸島に到着した調査団は、そこで激しい破壊の跡を目撃する。被害を受けた場所は、なぜかすべて高い濃度の放射能で汚染されていた。さらに例の 夜に出来上がった巨大な窪地は、山根博士の調査で何かの生物の足跡であることが分かった。しかもそこからは、今は絶滅した三葉虫が発見されたではないか。
 そんな時、島の高台から半鐘を叩く音が聞こえてくる。それと同時に、どこからともなく聞こえてくる重たい地響き。慌てて山に登ってくる島民たちと調査団 一行。一体何が起きたのか。島の高台に人々がたどり着くと、すでに一足先に上っていた山根博士が尾根の向こう側をじっと見つめていた。山根博士は、調査団 の他の科学者に興奮を隠さずに語る。
 「私は見た! 確かにジュラ紀の生物だ!」
 そして次の瞬間、山根博士の視線の先…山の尾根の向こう側から、巨大な生物の上半身がぬっと姿を現したのだった…。 

 このゴジラの初登場が…上映時間97分のうち約23分経過したところ。そしてゴジラの東京襲 撃は、45分経過したところから始まる。何となくガンガン出てきてメチャクチャに暴れていたような記憶があったのだが、意外にもゴジラがかなりのスロース ターターだったことに驚いた(笑)。
 そして、このもったいつけた登場ぶり(最初はハッキリ姿を見せず、せいぜいチラ見させるだけ。全貌を見せるのはずっと引っ張ってから。)や単調なリズムの繰り返しで成立しているテーマ曲の構成などから見て、思っていた以上に「ジョーズ」(1975)に多大な影響を与えていたことも再確認できた。「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008)のエンディング音楽が例の伊福部昭の テーマ音楽っぽく聞こえる…なんていうのは、怪獣映画へのオマージュがミエミエの作品だから容易に想像できる。しかし、「ジョーズ」が「ゴジラ」に影響を 受けていたらしい…というのは薄々感づいてはいたものの、ここまで実感するとは思わなかった。まぁ、「ジョーズ」も一種の怪獣映画と言えなくもないか。
 そしてやっぱり、いろいろな意味で元祖「ゴジラ」は面白かった。
 実は恥ずかしながら…よくよく考えてみると僕は最初のオリジナル「ゴジラ」(1954)をキッチリと見た事がなかった。子供の頃にテレビで見たことはあ るが、その後は「すでに見た映画」ということでスクリーンでもビデオでもちゃんと鑑賞したことがなかった。今回、改めてハリウッド版「ゴジラ」が公開され るということで、重い腰を上げて見ることになったわけだ。しかし、あまりに有名で「古典」となった作品というものは、そんなものなのかもしれない。
 確かに面白いことは面白い。そして、オーソドックスなサスペンス映画として、よく出来ている。特撮映画、怪獣映画として、さらに「ゴジラ」シリーズ第1 作としてのこの作品は、すでにその道の専門の人たちがアレコレ語り尽くしているし、今も語っていることだろうから、僕が口を出すことでもない。
 先に「ジョーズ」への影響についてちょっと触れたけれども、もっと驚いたのは、平成「ガメラ」三部作の第1作「ガメラ/大怪獣空中決戦」(1995) も想像以上にこの元祖「ゴジラ」をなぞっていたこと。船の襲撃に始まり、島の被害調査があって…という話の流れが、完全にこの「ゴジラ」のストーリーライ ンをトレースしているようなのだ。これも、恥ずかしながら最初に「ガメラ」を見たときにはそれほど気付かなかった。
 そして「ゴジラ」を作るキッカケのひとつ…と言われているレイ・ハリーハウゼンのダイナメーション特撮怪獣映画原子怪獣現わる(1953)が、設定的に多くの似ている要素を持っているということも確認できた。恐竜タイプの怪獣が街を襲う設定だから、そもそも似ているのが当たり前ではあるが…。
 それを言うなら、むしろオリジナル第1作のキング・コング(1933)の方が、「ゴジラ」に影響を与えているのかもしれない。
 実は「コング」と「ゴジラ」は、ほぼ同じような趣向の場面を持っている。列車の線路をブチ壊しながら進んで行こうとする怪獣を、そこに今まさに突っ込ん でいく列車の運転席目線で撮ったショットが出てくるのだ。これは間違いなく、影響を受けて作中に入れているに違いない。この「列車目線」ショットはディノ・デ・ラウレンティス版のリメイクキングコング(1976)にも登場するくらい「名場面」なので、偶然で同じようなショットを撮ったという訳がないのだ。
 かの有名な特撮の円谷英二や本作の後に東宝特撮映画専門監督化していく本多猪四郎についてはそっちの専門家がゴマンといるので僕が言及するつもりはないが、それ以外のスタッフ構成についてはなかなか興味深いものがある。これは何かの本で読んだ受け売りなのでデカいことは言えないのだが、この作品ってなぜか、当時の成瀬巳喜男作品のスタッフが多く参加しているのだ。ザッとスタッフ表を見渡しても、製作の田中友幸はともかくとして…撮影の玉井正夫、美術の中古智、照明の石井長四郎などは成瀬組常連スタッフ。当時の成瀬巳喜男は「晩菊」(1954)や「山の音」(1954)といった作品を発表していた時代だから、まさにアブラの乗り切った頃。そんな全盛期の成瀬作品を支えていた中心スタッフが、なぜか本作にも相当数参加していたのだ。これはどういうわけなんだろう。
 成瀬作品と言えば、凝ったセットによるスタジオ撮影が基本。成瀬巳喜男は何かと制約が多くて気が散る野外ロケを嫌っていたので、どうしてもスタジオ撮影 が多かった。そこで美術スタッフが腕を振るって、リアルで凝ったセットを作っていたと聞いている。もちろん本作でも特撮場面は円谷英二が統括していたわけ だからそちらには出る幕がなかっただろうが、何かと美術頼みの場面は多かったのではないだろうか。そんなわけで、美術に力を入れている成瀬組の主軸スタッ フが、数多く本作にも配置されたのではないかという推測は成り立つ。
 これは余談だが、成瀬作品ではセットの窓の外の景色についても、基本的には絵で描いたものではなく建物を建て込んで対応していたと聞く。当然、遠景で見える建物についても、遠近法を使ってミニチュアを建てていたらしい(!)。ある意味では、成瀬映画も特撮映画だったというわけか(笑)。
 そして今回見直して最も「意外」だったのは、着ぐるみ怪獣映画を確立したはずの本作が、必ずしもゴジラ登場のすべての場面で着ぐるみを使用していないこ と。特にアッと驚いたのは、「ゴジラ」が最初に本格的に登場する大戸島の場面。山の尾根の向こうから顔をのぞかせるゴジラは、何と着ぐるみではなくストップモーション・アニメで 動いているらしいのだ。つまり、レイ・ハリーハウゼンと同じ手法で動かしているのである。最初のゴジラはリアリティを獲得するため、あらゆる手法を駆使し て試していたのである。後年の同シリーズでは着ぐるみ特撮の手法がほぼ確立して、そんな試行錯誤が行われなくなってしまったようだが、最初期にはこんな意 欲的な試みが行われていたのだ。後年の作品がどこか形骸化してしまったというのは、そんなテクニック的な部分の停滞ぶりも如実に反映していたのではないだ ろうか。
 さて、ここで時代背景的なことに言及していくと…最初の頃に船が次々と遭難するあたりは、海上保安庁の職員のセリフでも出てくるように1952年の明神礁の出現と第五海洋丸の遭難のイメージが強い。また、ゴジラが水爆実験で現れた怪獣という設定には、もちろん1954年3月の第五服竜丸被爆事故が大きく影を落としているのは間違いない。そしてゴジラを迎え撃つ日本の防衛組織が出てくるあたりは、やはり同年7月に自衛隊が創設されたという事実が大きな要素として挙げられるだろう。このように、本作は見事に時代の産物なのである。
 また、「ゴジラ」といえば「核」の申し子…的なイメージが我々の中には強烈にある。もちろん先にも述べたように第五服竜丸事件が大きな本作企画のトリ ガーになっている以上、そこに「核」に対する恐怖というテーマは間違いなくある。ゴジラが核実験によって現れた怪物である…と山根博士が断定した後で、明 らかにあっち系議員とそっち系議員の間で不毛な論争とも言えない罵り合いが展開するあたりも、「核」を巡る現実の政治の世界をナマっぽく描き出してなかな かシビアな味付けだ。
 しかし今回改めて傑作と名高い第1作オリジナル「ゴジラ」を見てみると、そこには「反核」的メッセージといった高尚なモノよりも、ついこの前まであった戦争そのものに対する厭戦感とか嫌悪感の方が大きいように思われる。
 前々から言っているように…そして先ほどもちょっと言及したように、映画とは時代の産物である。中でもSF映画は、かなりの確率で社会的風刺なり批評な りになっている可能性が大きい。現実の社会が、そこには怪物やら宇宙人やら奇妙な科学技術やら…といった形で描き出されているのだ。
 例えば、これも間違いなく「ゴジラ」を意識して作られた韓国の怪獣映画大怪獣ヨンガリ(1967)を見れば、瓦礫の山になっていくソウルの街に、明らかに「ついこの前」の朝鮮戦争の悲惨さが二重写しになっている様子が容易に見てとれるはずだ。
 だとすると、やはりゴジラに蹂躙される東京の街には、日本にとっての「ついこの前」の戦争の影がベットリとこびりついていると考えるべきだろう。本作製作の1954年は、いまだ敗戦から10年も経っていないのだ。特殊効果で作り上げられた東京破壊も、当時の観客にはまるっきりの空想やイリュージョンには見えなかったのではないか。むしろリアルな「現実」に近かったかもしれない。
 劇中でも、ゴジラ出現のニュースを知った一般の人々が、「また疎開かよ」とウンザリした顔でボヤいたりする。もちろん「また疎開」の「また」とは、太平 洋戦争末期に都市部が米軍の空襲に遭って、人々が疎開を余儀なくされたことを指している。そして、これもまた何かの本で読んだ受け売りではあるが…実際に この映画でのゴジラの東京襲撃コースは、例の東京大空襲の時の米軍の空爆コースをそのままなぞったものになっているらしい。イメージの一致は偶然ではない のである。
 実際、ゴジラが東京を破壊している場面では、建物の影に隠れて子供を護りながら「お父さんのところへ行くのよ」と語りかけている母親が強烈な印象を残 す。「お父さんのところへ行く」ということは、おそらくは父親は戦死しているのだろう。当時見た人は、疑いもなくこれだけでそう連想したはずだ。ゴジラに よる被害のイメージは、どう考えても「この前の戦争」と直結しているのである。
 その他にも…廃墟と化した東京の街を映したショットが印象的に出てくるが、当然それも空襲後の焼け野原の東京を彷彿とさせる。こんなに怪獣被害の悲惨さ が強調されていたとは驚きだが、そもそも怪獣被害によって打ち拉がれている人々…なんて構図は、僕はあまり日本の怪獣映画で見たことがない。壊滅的な打撃 が社会に与えられているはずなのに、大抵の場合は破壊のカタルシスしか感じられないのだ。ひょっとして怪獣被害が多くの死傷者と社会資本への打撃という 「大災害イメージ」で描かれている作品って、本作「ゴジラ」第1作を除けば、「怪獣出現」を徹底的にリアルに描くシミュレーションムービーとして作られた 平成「ガメラ」三部作でも、最終作にあたる「ガメラ3/邪神<イリス>覚醒」(1999)までほとんど作られていないのではないだろうか。
 本作での多くの死傷者が病院に運ばれて手当を受けている場面や、ゴジラ被害で社会が疲弊しているような描写は、戦争で焦土と化した日本の社会の「実感」を色濃くにじませている。それも「もうたくさん」「もうウンザリ」という徹底的な厭戦気分なのだ。
 だから本作に関してよく云々される「反核」的なイメージも、決してそれだけが突出しているようには思えない。日本という国に圧倒的な傷跡を残した太平洋 戦争…その忌まわしい帰結として被ってしまった広島・長崎の被爆への「もうイヤだ」という切実な気持ちとして描かれているように思われる。プラカードに書 かれたご立派なお題目や理が勝ったイデオロギー的なモノではなく、あくまで生々しく生理的な「嫌悪」なのである。
 この作品をサクッと「反核映画」などと語る気になれないのは、本作が広島・長崎だけを切り離さずに「この前の戦争」全体への厭戦気分として描いているからだし、「反対」なんて頭で考えたようなことではなく「イヤだ」という感覚的なモノとして描いているからだ。 そもそもゴジラへの水爆実験の影響云々だけで罵り合うレベルの低い「あっち側」と「向こう側」の政治家たちを、どちらもウンザリした感じで描いているあた りで、この映画のスタンスは明らかだろう。そこには「メッセージ映画」などという頭でこしらえたモノではない、ナマな気分が充満しているのである。
 ひどい負け戦の最後にダメ押しで原爆まで落とされて社会はボロボロ、やっとこ再建への歩みを始めたところで第五福竜丸が「また被爆」…とくれば、当時の 日本人のウンザリ感がリアルに感じられるはずだ。この映画のゴジラによる東京破壊は、そんな「またかよ」という一般の日本人たちが抱いていたウンザリ感を リアルに再現しているのである。


Godzilla
(1954年・日本)
東宝 制作
監督:本多猪四郎
製作:田中友幸
特殊技術:円谷英二
脚色:村田武雄、本多猪四郎
出演:志村喬(山根恭平博士)、河内桃子(山根恵美子)、宝田明(尾形)、平田昭彦(芹沢博士)、堺左千夫(萩原)、村上冬樹(田畑博士)、山本廉(政治)、鈴木豊明(新吉)、高堂国典(大戸島長老)

2014年8月29日・DVDにて鑑賞


 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...


 



 to : Review 2014

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME